71. 千葉県原種農場成東分場
著者:近藤 純正
千葉市の東約30kmに位置する山武市成東(なるとう)にある千葉県原種
農場成東分場(現在の千葉県農業総合研究センター育種研究所水稲育種研究室
成東育成地)の気象観測施設を視察した。(2007年5月12日完成)
もくじ
(1)訪問の目的
(2)成東観測所の現況
(3)昔の写真
(4)気温の経年変化、勝浦との比較
(5)参考資料
(1)訪問の目的
都市化にともなう都市の気温上昇を調べる目的で、都市化の影響がほとんど
無視できる田舎観測所の気温資料を探している。その一環として、千葉工業
大学の松島 大 助教授が千葉県立図書館と県文書館で古い資料を探していた
ところ、「千葉県原種農場成東分場50か年の気象(昭和5~54年)」が
あった。
成東分場は周辺が田んぼであり、気象観測には適した場所である。
この資料集には毎日の最高気温、最低気温、降水量、日照時間、風向、天気が
簡単な解説付きで掲載されている。
そこで、昭和54年(1979年)までのデータを整理して最高気温と最低気温の
平均値(近似的に年平均気温に概略等しい)を求め、房総半島南東部に位置
する勝浦測候所の年平均気温と比較したところ、年々変動があり確定的では
ないが、ほぼ一定の気温差で推移している。
実は、勝浦では1960~1990年にかけて年平均風速が30%ほど減少し、
これにともなう日だまり効果により約0.2℃の気温上昇が生じており
(後掲の図71.10参照)、勝浦の年平均気温が成東に比べて時代とともに
0.2℃ほど高くなるものと予想していたのだが、そうではなかった。
つまり、勝浦では千葉演習林清澄(房総半島南東部、鴨川市)の気温と比べた
場合、1973~1987年(15年間)平均気温が1947~1961年(15年間)平均気温
よりも約0.2℃上昇している。これと似た結果が、成東データからもわかる
のではないか、と予想していたのである。
勝浦と成東の気温差がほぼ一定ということは、成東でも勝浦と同じように
日だまり効果があったことになる。周辺が田んぼに囲まれた成東で、なぜ
日だまり効果が生じたのか?
松島 大 博士が古地形図(5万分に1東金)によって成東の土地利用の移り
変わりを見たところ、1969年までは旧宿場町と水田があるだけで、ほとんど
変化がなく、1982年までに北東側約500mに大きな病院ができ、それ以降、
さらに北東側約800mに町役場(現山武市役所)や文化会館ができた。
したがって、1960~70年代の日だまり効果は土地利用からだけでは判断でき
ない、ということを知らせてくれた。
2007年5月10日、房総半島の南東部にある東京大学千葉演習林(君津市と鴨川
市にまたがる房総丘陵の東端)の清澄気象観測所を見学することになって
おり、その前日9日に上述の成東に関する結果がわかり、急遽、清澄の帰途、
成東も見学するを決めたのである。
(2)成東観測所の現況
2007年5月10日、東京大学千葉演習林清澄作業所にある気象観測露場の見学
を終え、JR安房天津駅から成東育成地に電話して、15時30分ころに訪問する
ことを伝えた。
天津駅13時45分乗車する。この列車は勝浦から外房線の特急「わかしお18号」
となり、大網駅14時48分着、大網15時13分発の東金線に乗り換えて成東駅に
15時30分到着した。タクシーに乗車し数分間で成東育成地に着いた。
主任研究員の鎌形民子さんと篠田正彦さんから気象観測露場の移動経歴を
聞き、昔の写真なども見せていただいた。さらに、「千葉県原種農場
成東分場50か年の気象(昭和5~54年:1930~1979年)」に掲載された
以後の資料(~1994年まで)も入手することができた。
ここの位置は北緯35°36’、東経140°24’、海抜=7.6mである。
敷地の北西側20~30mには国道126号線「東金バイパス」が北東から南西に走り、
さらに北西の150~300mには古い町並みがあり、その西側には北東から南西
方向にゆるやかな丘陵(標高30~50m)がのびている。
東金バイパスはおおよそ30年ほど前にできたという。
1986年度から4車線化に着手し、1991年度までに完成し、現在はその両側に
商店などの建築が進んでいる。
図71.1 成東育成地の周辺図と気象観測露場の位置
緑:育成地の敷地、黄:道路、赤:国道126号東金バイパス
①は1929年9月~1969年9月の露場、②は1969年10月~1977年8月5日の
露場、③は1977年8月6日以後の露場を示す。
(千葉県農業総合研究センター育種研究所
成東育成地提供)
図71.2 成東育成地の南西側からの写真
3枚の写真を横に合成したためやや歪んでいる。写真の左寄りの白い建物
が庁舎(1969年に新築)、その手前に重なる白色の小さい建物は電源室である。
この電源室の位置に最初の露場があった。
図71.3 (左)南東から北西方向を撮影した写真。電柱の左に最後
の露場(③1977年8月6日以後の露場)があり百葉箱が残っている。
(右)庁舎の写真。庁舎左側に並ぶ白色の電源室の場所に最初の露場
(①1929年9月~1969年9月の露場)があった。その当時の庁舎は平屋建て
であった。
図71.4 図71.3(左)と同じ、ただし広範囲の写真。
3枚の写真を横に合成したためやや歪んでいる。写真の中ほどに見える赤屋根
と青屋根の建物の向こう側がバイパス道路となっている。
図71.5 成東育成地の構内から南西方向を見た写真。
3枚の写真を横に合成したためやや歪んでいる。
図71.6 成東育成地の構内から西方向を見た写真。
2枚の写真を合成したため、つなぎ目で明るさが違っている。
(3)昔の写真
図71.7 成東分場(現在の成東育成地)の写真
1929年(昭和4年)9月に敷地の東から西方向を撮影、背後は丘陵地である。
(千葉県農業総合研究センター育種研究所
成東育成地提供)
図71.8 成東分場(現在の成東育成地)の写真、現在の新庁舎が
完成した1969年(昭和44年)に北西側から撮影した写真。
(千葉県農業総合研究センター育種研究所
成東育成地提供)
図71.9 成東分場(現在の成東育成地)の写真、1977年(昭和52年)
6月の撮影。
露場は2番目のもので、この直後の8月6日に最後の露場(③1977年8月6日
以後の露場)に移転している。
(千葉県農業総合研究センター育種研究所
成東育成地提供)
(4)気温の経年変化、勝浦との比較
詳細は別報の「研究の指針」で述べる予定とし、図71.10に勝浦と清澄の
気温差の経年変化を示した。
1947~1987年の期間、すなわち清澄における露場が移転していない期間につい
て図示してある。
この図では1947~1961年(15年間)に比べて1973~1987年(15年間)の
平均気温が約0.2℃上昇している。これを筆者らは勝浦の日だまり効果による
昇温と考えている。
図71.10 勝浦(測候所)と清澄(東京大学千葉演習林)の気温差、
勝浦の1日3回観測と百葉箱から通風筒への変更にともなう違いは補正済み
である。
今回の訪問で入手した、その後の成東における毎日の最高気温と最低気温の
データを追加して勝浦(測候所)と成東における最高最低気温の平均値との
差を図71.11に示した。
成東における最高・最低気温の観測の日界(1日の区切り)は1983年12月まで
9時、それ以後は24時である。図71.11では、1933年~1983年までは日界24時
に換算してある。その換算方法は「研究の指針」の
「K23.観測法変更による気温の不連続」
の図23.1に基づいている。
勝浦と清澄間の距離=15kmに比べて、
勝浦と成東間の距離=53km
と大きいことによるのか、特に1973年以後のばらつきが大きくて明確では
ないが、気温差の上昇量は0.14℃(=0.90-0.76)と読みとることができる。
この日だまり効果の詳細は「研究の指針」で述べる予定である。
図71.11 前の図に同じ、ただし成東との気温差。
成東の最高最低気温は1983年12月まで日界9時、それ以後は日界24時であり、
気温日較差=8.48℃を考慮し、
換算式:(24時日界の最高最低平均値=9時日界の最高最低平均値-0.25℃)
により補正してある。
(5)参考資料
千葉県原種農場成東分場(編)、1980:千葉県原種農場成東分場50か年
の気象(昭和5~54年、1930~1979).千葉県農林部、357pp.