68. 東大千葉演習林、清澄
著者:近藤 純正
千葉県房総半島の南東部、房総丘陵の東端に位置する東京大学演習林
(現在の名称は東京大学大学院農学生命科学研究科附属 科学の森教育研究
センター千葉演習林)内の清澄観測所を訪ねた。(2007年5月20日完成)
もくじ
(1)はしがき
(2)清澄観測所の周辺環境
(3)参考資料
(1)はしがき
冊子「東京大学 科学の森教育センター 千葉演習林」によれば、
演習林の清澄では1916(大正5)年から気象観測が行われている。
また、「平成9年度技術官等試験研究・研修会議報告」の軽込・山中・永島
による「南房総清澄山系における気温と降水量の時空間変動解析」
によれば、清澄観測所は、農科大学千葉県下演習林と呼ばれていた1904(明治
37年)10月から観測を開始したとある。
気温観測について、元・講師の鈴木誠氏と現・技術専門職員の山中千恵子氏に
確かめたところ、1988年4月からデータロガーによる自動観測となり、
6分間隔で1日240回の瞬間値が記録されている。毎日の最高・最低気温は
それら瞬間値の最大値と最小値となっている。
それ以前の1988年3月までは棒状の最高温度計と最低温度計により毎日の最高
気温と最低気温が観測され、日界(1日の区切り)は午前9時であったという。
気温観測は昔から百葉箱内で行われており、現在のデータロガーによる
自動観測になっても気温センサーは百葉箱内に設置されている。
公表されている演習林の資料には1923(大正12)年からの資料があり、
・・・・・・、「東京大学演習林気象報告」第2号(1940年発行)には
1934~1939年の資料、・・・・・第45号(2006年発行)には2004年の資料が
掲載されている。
1日の区切り「日界」の変更、最高最低気温から6分間ごと240回の観測への
変更にともなう補正を行い、周辺観測所データとの比較から、清澄のデータ
品質のチェックを行ってみた。
なお、観測法の変更にともなう補正は本ホームページの「研究の指針」の
「K23.観測法変更による気温の不連続」
の図23.1によって行った。
注:
清澄の1923~2004年の資料から
気温日較差(=最高気温-最低気温)=6.63℃
図23.1より、気温日較差(9時日界)の誤差=0.28℃
ゆえに、24時日界の最高最低平均値=9時日界の最高最低平均値-(0.28℃/2)
および、清澄の1988年~2004年の資料から
(24時日界の最高最低平均値)-(240回観測による日平均気温)=0.58℃
これらを用いて1923年~2004年の日平均気温を算出した。
その結果、次のことがわかった。
(1)1946年までと1947年以後の間に平均気温の不連続が見られ、1947年以後
に約0.5℃の上昇がある。同時に年平均風速が大きくなっている。
想像だが、1946年以前の観測露場は林内の日陰の多い場所に設置されていた
のではあるまいか?
(2)1988年頃に平均気温は周辺観測所(勝浦測候所)に比べて
約0.25℃ジャンプしている。前述の山中千恵子氏に尋ねたところ、
データロガーによる自動観測にともなって、露場は移転している。
以前の露場は2007年現在の露場よりも5~6m高い高台にあったという。
元職員によれば、1954年当時は高台の露場で観測していたという。
想像だが、1947年~1988年3月までは高台の風通りのよい場所に露場があり、
陽だまり効果はなかったのだが、1988年4月以降は風通りが多少悪化して
陽だまり効果により平均気温が上昇したのではあるまいか?
以上の予備解析をもとに、清澄の旧露場跡と現露場を見学した。
この演習林に立ち入るには、前もって「東京大学千葉演習林利用申込書」を
千葉演習林長宛てに提出することになっている。
(2)清澄観測所の周辺環境
2007年5月10日、JR東京駅9時発の特急「わかしお3号」に乗車、外房の終点・
JR安房鴨川に10時53分着。10時57分発の普通列車で引き返して安房天津
11時02分下車。駅から歩いて約5分のところに東京大学千葉演習林天津
事務所があった。
図68.1 東京大学千葉演習林天津事務所
演習林の林長・山田利博教授、技術専門職員の鶴見康幸氏(主任)と山中
千恵子氏(気象担当)に案内されて、標高約300mにある清澄作業所・清澄
学生宿舎のあるところまで車で登った。
この付近は尾根地形にあるが、作業所一帯は平らに整地されている。
東側の5~6m高い高台に旧観測露場と旧測風塔がある。旧測風塔の階段は
壊れかかっており、登ることはできない。
図68.2 千葉演習林清澄作業所(横に2枚の写真を合成)。
左手上方の高台に旧気象観測露場(写真の範囲外:1988年3月まで観測)、
正面の左側の建物の向こう側に現在の気象観測露場(1988年4月以降)がある。
旧測風塔の南側にある旧露場は、周りの樹木が生長し、一層狭い印象を受けた。
観測していた当時、邪魔になる枝は切り落とし、あるいは根本から伐採
していたという。周囲を見渡すと伐採した切り株が所々にあった。
ここでの観測を中止してから約20年が経過したことになる。
図68.3 旧露場から撮影した旧測風塔(1988年3月まで使用)。
(左)露場と測風塔の下部、(右)測風塔を見上げた写真、未使用の古い風速計がある。
図68.4 旧測風塔の西側から撮影した旧露場(1988年3月まで使用)、横に2枚
の写真を結合したため歪んでいる。周囲には繁茂した樹木があるが、観測して
いた当時は、邪魔になる枝はときどき切り落としたり根本から伐採していた、
という。
広い平坦地の南東隅に現在の観測露場がある。露場の南側は開けているが、
東西には生長した樹木が、北側には建物があり、風通りはそれほどよくない。
図68.5 現在の露場(1988年4月から使用)、横に3枚の写真を結合した
ため歪んでいる。露場がこの場所に移転したころ、百葉箱は写真の手前の
位置に設置されていたが、後に西方向に数m移動し現在地にある。
図68.6 現在の露場、北西方向から撮影した写真(横に2枚を結合してある)。
百葉箱を開けてもらい、中を覗くと、気温センサー(電気式)
が中空にとり付けられてあり、自記温度計などもあった。気温センサーは
非通風であるので、古い気温観測値と新しい気温観測値間をつなぐ際の
補正(百葉箱から百葉箱外の通風筒への変更にともなう放射影響の補正)
は不要となる。
この章の「はしがき」で、1947年以後の年平均気温が1946年以前
の値に比べて約0.5℃ジャンプし、同時に平均風速が強くなっている
ことを述べた。このことから、1946年以前の観測は林内に露場があったのでは
ないかと想像した。
そこで、山中千恵子氏を通して、当時勤務していた元職員に尋ねていた
だいたが、1946年当時のことは残念ながら不明であった。
露場のごく近傍の状況が気象要素に敏感に現れる。状況変化によっては、
年平均気温で0.2~1℃の影響がある。そのため、気象資料の価値を高め
有効に活用するためには、今後、露場の周辺の樹木の枝を切り落としたような
場合、その年月日などの記事を気象資料とともに記録に残しておくことが
重要となる。
(3)参考資料
軽込 勉・山中千恵子・永島利夫、1997:南房総清澄山系における気温と
降水量の時空間変動解析.平成9年度技術官等試験研究・研修会議報告、
75-83、平成9年10月30~31日、東京大学農学部附属演習林.
東京大学千葉演習林、2005:東京大学科学の森教育研究センター千葉演習林、
6pp.