67. 静岡県の御前崎測候所

著者:近藤 純正

静岡県の御前崎測候所を訪ねた。近年の風速の減少化は、測候所の南側に 広がっていた畑が住宅に変化し、風に対する摩擦が増加したことが主な 原因だと考えられる。(2007年5月20日:完成、5月24日:図67.5と67.6を追加)

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  	  もくじ
		(1)はしがき
		(2)昔の写真
		(3)御前崎測候所の周辺環境
(1)はしがき
静岡県の御前崎にある御前崎測候所は、1932年(昭和7年) 1月1日に創立し、その標高は45mである。

気象観測所として適地にあるが、1970年~1985年頃にかけて 風速が減少している。年平均風速は、
1965年頃には5.75m/s 程度
1985年以後には5.0m/s 程度
風速の減少率=(5.75-5)/5.75=13%である。

一般に、年平均風速が減少すると、「陽だまり効果」によって年平均気温が 上昇する。

御前崎が地球温暖化など長期的な気候変動、つまり日本のバックグラウンド 温暖化量を観測できる基準観測所の候補の一つであるので、風速減少の原因 をつきとめ、陽だまり効果による昇温があれば、それを補正して利用 したい。

「陽だまり効果」は「都市化」とは区別される昇温である。現実には、 都市部では陽だまり効果は都市化(植生の減少、人工排熱、道路の舗装など) による昇温と重なって生じることが多い。

御前崎測候所訪問について、静岡地方気象台の斎藤三行台長を通してお願い することにした。2007年5月13日は日曜日であるのもかかわらず、 浅井一輝測候所長が対応してくださることになった。

東海道のJR菊川駅前9時40分発の静岡鉄道バスに乗車、およそ50分後、御前崎 市の御前崎支所前にて下車。支所前の交番で尋ねると、下車する停留所が 2つ手前だったことがわかった。歩いて最初の信号の手前で右折すればよいと 教えられた。

測候所の近くで浅井所長とお会いしたが、私が下車する停留所を 間違え予定時刻に到着せず、乗り過ごしたのではと心配して所長は遠方の 停留所まで行かれていたという。

御前崎測候所
図67.1 御前崎測候所(2007年5月13日撮影)

(2)昔の写真
浅井所長が昔の写真を探し出してくれてあった。航空写真や1950~55年頃の 写真によれば、バス道路に沿って商店・住宅が並んでおり、その南側に 測候所がある。測候所の西~南側は畑であり、人家はほとんどない。

御前崎の航空写真
図67.2 御前崎の航空写真。青丸印が測候所の位置、測候所の北側を北西 から南東に走る白い線はバス道路、それに沿って商店や住宅がある。 測候所の北西~西~南~南東側はほとんどが畑である。バス道路から北側に 離れて黒い部分は崖にある樹林、崖の北側に港があり防波堤が写っている。 写真の左方の端の黒い部分も樹林である。(御前崎測候所 提供、1960年3月撮影)

昭和30年6月の写真
図67.3 測候所の無線塔(現在、撤去)から西方向を撮影した御前崎測候所、 1955(昭和30)年6月撮影。背後は一面の畑、遠方に森が見える。
1955年までの露場(百葉箱が写っている)は測風塔の南側にあったが、 1955年6月1日から西側の現在地に移転した(百葉箱、地面温度、地中温度、 草上最低温度)。8月21日に雨量計、蒸発計を移転する。 (御前崎測候所提供)

レーウィン観測
図67.4 測候所の西側の写真、レーウィン観測室(A)、水素充填室(B)、 測風塔(C)
御前崎測候所では1949年7月から1日4回のパイボールによる 上層気流の観測が開始され、1952年10月にレーウィン室が完成している。 その後、1957年には上層気流は1日1回の観測となり、現在は中止している。 (御前崎測候所提供)

雨量計室
図67.5 測風塔から撮影した雨量観測室と西側に広がる畑。 別の写真には、左手にある東西の道路で気球放球・経緯儀の準備をする4名 の所員が写っている。(御前崎測候所提供、昭和30年 代の撮影と思われる)

沿革によれば、1955年6月までの測候所定員は22名、うち無線定員は3名である。 同年7月には定員21名、1957年には定員19名、・・・・1970年には14名、 ・・・・と削減されていった。

図67.6は、浅井一輝所長から入手した御前崎測候所を紹介した昔の絵葉書の 袋の表と裏の写真である。絵葉書には測候所の門から撮影した庁舎の写真、 露場、気圧計、上層気流観測用の気球を経緯儀で追跡する写真、地震計、 案内の説明文などが入っている。

絵葉書袋
図67.6 御前崎測候所の絵葉書の袋表(左)と袋裏(右) (御前崎測候所提供)

説明文には1日4回の上層風の観測や強震観測の記述がある。別紙の沿革に よれば、昭和24は上層気流観測開始年、昭和26年は強震計観測開始年、 昭和27年は水準標石設置となっている。このことから、絵葉書の発行は 昭和28~29年(1953~1954年)の頃であろうか。

この絵葉書の存在から、当時の測候所は御前崎の名所となっていたことが 想像できる。

(3)御前崎測候所の周辺環境
卓越風向は西と北東だという。所長に案内されて測風塔に上った。 西~南方向には、以前は畑が広がっていたが、現在は住宅が多い。これら 住宅によって西風に対する粗度が大きくなり年平均風速が減少したと考えられる。

測候所の北と東
図67.7 測風塔から撮影した周辺の写真。(左)北方向、(右)東方向

測候所の南と西
図67.8 測風塔から撮影した周辺の写真。(左)南方向、(右)西方向

露場
図67.9 測風塔から西側を見下ろして撮影した露場、3枚を横に結合したため 歪んでいる。露場の向こう(西側)には、塗料の劣化を試験する会社の試験場 が見える。

以前に測候所に勤めておられた釜下浩行氏のお宅を教えてもらい、近くの 釜下酒店を訪ね、昔の状況を聞くと、釜下氏は1951~1991年まで勤めて いたという。周辺状況の変化について聞き取りしたことを要約すれば、

(1)測候所の西~南側はいも畑(暖候期)と麦畑(寒候期)であったが、 最近は2階建ての住宅が増えてきた。
(2)バス道路沿いには平屋~2階建ての商店・住宅だったが、最近は2~ 3階建てとなり大型化し、密集してきた。

再び測候所のほうへ戻り、測候所の南~西の住宅地を歩いた。測候所の南西 方向にある住宅で大沢和雄氏に聞くと、大沢氏は1984年に当地に新築して住む ようになった。その当時、近所には住宅は8軒ほどしかなかったが 現在は、住宅が多くなった。

周辺環境の変化について、御前崎測候所沿革から探すと次の記事がある。
1969(昭和44)年7月3日:測候所正門前の道路が舗装された。
1971(昭和46)年8月20日:測候所構内正面通路の舗装が完成した。
大よそこの時代から、周辺の道路が舗装され、現代化が始まったものと 推論できる。

畑は1980年頃から住宅へと急速に変化して、しだいに卓越風の西風 を弱めることになる。もう一方の北東風は道路沿いの商店・住宅の大型化 と密集化によって弱められることになる。

ただし、「はしがき」で述べたように、御前崎における風速の減少率は13%で、 他の観測所における減少率に比べれば小さいほうである。

バス通りの信号から、北方向への道を下って行くと御前崎港がある。昔の 航空写真(図67.2)の港に比べれば格段に大きな規模となっている。

御前崎港
図67.10 御前崎小学校脇の道路から下がって行って撮影した御前崎港 (2枚の写真を横に結合してある)。御前崎港からは車が輸出されている という。

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