61. 寿都測候所と黒松内アメダス
近藤 純正
南北海道の西海岸、函館~札幌間の中央部にある寿都測候所と、寿都と長万部
の中間位置にある黒松内アメダスを見学した。
(2006年8月30日完成)
もくじ
(1)はしがき
(2)寿都測候所
(3)旧寿都測候所
(4)黒松内アメダス
文献
(1)はしがき
北海道の寿都測候所は1884(明治17)年6月1日に創設され、100年間以上
にわたって気象観測が続けられてきた。
早くからニシン漁で賑わった寿都の町には1920(大正9)年に黒松内と
寿都間(16.6km)の寿都鉄道が開通し、ニシンの輸送で威力を発揮して
いたというが、1972年に廃止となっている。
「寿都気象百年史」(1984)によれば、寿都は、北海道でも強風で有名であり、
北西~西風の強い時の漁船の避難に適していた。漁業はニシン漁に限らず、
近海での各種の漁獲も多い。
これら魚群の去来は海水温度に関係していると考えられ、沿岸海水温度は
1888(明治21)年から始められた。また、函館と札幌の中間点として瀬棚~
神威岬間の予報・警報の伝達機関としての利用度も大きかった。
地形上の特徴は寿都~黒松内を経て長万部(おしゃまんべ)に至る大低地帯
(長万部低地)があり、噴火湾からこの大低地帯を吹きぬいてくる南南東の
「寿都ダシ風」の要因になっていると考えられている。4、5、9月は主に移動性
高気圧に、6~8月はオホーツク海高気圧に起因するといわれている。
図61.1 寿都周辺の地図。(左)寿都ダシ説明図、(中)道南地方、
(右)北海道全域)
「寿都のだし風の調査」より転載、地点名を加筆
図61.2 寿都測候所の移転図
(「寿都気象百年史」より転載)。
①1884年6月1日~1887年4月19日(現町立保育園)、1887年4月20日~8月31日
はすぐ南隣(図の左側、標高=15m)に移転、②1887年9月1日~1989年9月21日
(標高=15.7m)、③1989年9月22日からの現在地(標高=33.4m)。①から②
は東南東へ460mの移転、②から③は西北西へ1500mの移転。
この章には次の目的がある。
旧寿都測候所時代、1960年頃から1988年にかけて年平均風速が減少
し、同時に気温日較差が増加している。この原因となる
環境変化はなかったか?
(2) 寿都測候所
2006年6月9日、函館から長万部を経て、ニセコバスで寿都に向かう。
乗換え時間が少ないことがわかっていたので、数日前に電話でバス会社に
乗り場を尋ねると、すぐ駅前と教えてもらったいたのだが、念のために
長万部駅改札で寿都行きのバス乗り場を尋ねると
「駅を出て右方に行ったところ」と教えられた。バス停留所がすぐあった
ので発車時刻など確認していると、JR駅員が駈けてきて、「これは別のバス
会社の停留所です。ニセコバスの停留所はもっと向こうで、右に曲がって
大きい道路の脇ですよ」と教えてくれた。
バス会社の駅前というのは、駅前から100m以上も離れたところに停留所
があったりするので、間違いやすい。網走駅前の空港行き乗り場は駅前から
100m以上も離れていた。
バスは黒松内を経て寿都町の海岸近くにくると、風力発電用の風車があった。
「寿都町のあれこれ」(寿都測候所)によれば、旧庁舎時代は10m/s以上の
日が年間175日、15m/s以上が33日、最大風速は49.8m/s南南東(1952年4月
15日)、最大瞬間風速は53.2m/s南西(1954年9月26日、洞爺丸台風)である。
1989年4月に日本で初めてウインドフォーム・北海道寿都町風力発電所の5基の
風車が運転を開始している。風速8m/sで5基分の定格出力は82.5KWという。総事業費
9,359万円で運転を始めたが現在は休止中とのこと。ほかに「ゆべつの湯」
(1999年から)の風車、浜中の風車3基(2003年から)は運転中という。
およそ1時間余で終点のニセコバス寿都営業所に到着した。途中の道路では
めったに他の車と行き違うこともなく、途中の乗り降り客も数人だったが、
小雨で濡れた道路なのか、運転手は十分安全な運転をしている様子で、
予定より約10分間ほど遅れた。
バス営業所では寿都測候所の松永和義所長に迎えていただいた。
寿都は東側が寿都湾、西側に山の峰が南北に続く。山の方向へ
登った標高33.4mのところに合同庁舎があり、その2階が寿都測候所で
ある。
写真1 寿都測候所(合同庁舎、2階)屋上から見下ろした露場。
横3枚の合成のため歪んでいる(2006年6月9日撮影)。
写真2 寿都測候所屋上から見下ろした露場と海(2006年6月9日撮影)。
(3) 旧寿都測候所
最初の訪問の6月9日、松永所長に案内されて岩崎町の旧測候所跡に行ってみる
と、広い広場があり、これが敷地跡だと思ったが、あとで、この広場の南側の1~2mほど低い
場所が測候所跡である。測候所跡は埋め立てられつつあり、すでに跡地面積の
1/4~1/5ほどが埋め立てられていた。露場跡はまだ埋め立てられていない。
図61.3 旧寿都測候所と寿都漁港付近の地図
(寿都町市街図、調製1993年5月の一部分を転載)。
赤:旧測候所、緑:観測露場、黄色:道路、紫褐色:崖または急斜面
この測候所跡の隣地の広場は、昔からずっとニシンの干し場であったという。
海側は崖となっており、崖下には住宅が海岸沿いにまばらに並んでいる。
測候所跡は気象観測所としては数少ない適地にあったと思った。
写真3 旧測候所跡の北西側にある広場から眺めた西方向
(横に3枚の合成写真)。
左方に旧官舎が見え、その左方の写真範囲外で一段低い場所に旧測候所
があった。
この広場はずっと昔からニシンの干し場として使用されてきた。
写真4 旧測候所跡の北西側にある広場から眺めた北方向
(横に2枚の合成写真)。
右方の下に漁港、やや左方は雑草で見えないが、遠方(北西~
西北西方向)には住宅の多い市街地がある。
写真5 旧測候所跡の北西側広場から眺めた東方向
(横に3枚の合成写真)。
左方に寿都漁港、それを囲むテトラポットの防波堤が見える。
寿都訪問の目的は、旧測候所時代の1960年頃までの年平均風速は
ほぼ一定と推定されるのに、1960年頃からは9%(1980年の風速/1960年の
風速=6.0/6.5)ほど減少し、西風の卓越する冬期の平均風速もほぼ同様の
減少傾向にあり、同時に気温日較差は増加傾向にあることの原因を知ることに
あった。
このことを松永測候所長に伝えてあったところ、所長は町役場を通じて昔の
測候所付近のことをよく知っている泉谷博さん、梶晴雄さん、吉藤義孝さんの
3名の方を測候所に来てもらうように頼んでくれてあった。
その方々から教えられたことを要約すると次のようになる。
(1)旧測候所の北西側にある広場はニシンの干し場であり、その周辺は
昔から殆んど変わっていない。
(2)漁港の沖合いが埋め立てられ広がったのはこの10年以内である。
(3)旧測候所東側のすぐ下の海岸のテトラポットは1970~1980年ころのもの。
(4)旧測候所の南方向にあるテトラポットは1993年からのもの。
(5)4~9月に吹く寿都ダシ風の通り道「大低地帯(長万部低地)」一帯の
土地利用状態に大きな変化はない。
(2~4は再確認の予定)
これらを総合しても、風速が減少した大きな理由にはならないと思った。
それでは何が原因だろうか?
旧測候所の北西方向の200m以遠(図61.3参照)に広がる市街地住宅が近年
大型化し、平屋建てが二階建てに、公共機関の建物も大型化することで
風上側の地表面粗度が以前に比べて大きくなってきたことによるのでは
ないだろうか。
寿都の第2回目の訪問(2006年9月12~14日)の際に、市街地住宅をよく観察
してみると、冬期の雪下ろしはせず、屋根の中央部を低く造り積雪を屋根に
ためる構造である。遠くから見ると、近代的な鉄筋コンクリートのようで
あるが外壁はモルタル構造の四角張った形状である。こうした家屋が時代と
共に増えたことで、風に対する摩擦が大きくなり、旧測候所における地上風速
が減少してきたのではないかと思った。
環境パラメータとしての風速が減少している事実は、家屋の構造の変化、
港湾の拡張など、わずかな環境変化を表していると考えるべきだろう。
(4) 黒松内アメダス
アメダスはJR黒松駅の南東方向、南北に走る道路沿いにあった。
アメダスの敷地は背の低い囲いの中にあり、またいで入ることができる。
北海道では、いたずらする者が少ないのか、他所のような厳重な囲いは
少ないのであろう。
このアメダスは南西の角地にあり、他所に比べれば、風通りのよい環境にある。
近辺には新しい建物ばかりのようである。
写真6 黒松内アメダス、南東から、赤矢印は風速計(2006年6月9日撮影)
(横に2枚の合成写真)。
写真7 黒松内アメダス、西側の道路向いから(2006年6月9日撮影)
(横に2枚の合成写真)。
文献
札幌管区気象台、1990:寿都のだし風の調査、技術時報別冊、41号、pp.84.
寿都測候所、1984:寿都気象百年史.pp.49.
寿都測候所:寿都町のあれこれ.pp.7.