51. 鳥取と境ほかの観測所
近藤 純正
鳥取県内にある鳥取地方気象台、境測候所(現・アメダス、特別地域気象
観測所)、智頭アメダス、下市アメダス、倉吉アメダス、ほかの周辺環境を
2005年9月11日~13日にかけて視察した。
(2005年9月 日完成)
もくじ
(1)智頭アメダス
(2)鳥取地方気象台
(3)倉吉アメダス
(4)下市アメダス
(5)名和の観測所跡
(6)境アメダス(旧測候所、境特別地域気象観測所)
(1)智頭アメダス
9月11日正午過ぎに鳥取空港に着陸すると、鳥取大学乾燥地研究所助教授の
木村玲二さんが迎えにきてくれていた。自動車で岡山方向へ南下し、智頭町
を訪ねた。
アメダスは農林高校にあるはずなので行って探したが見つけることができず、
高校生などに尋ねても「気象観測所のことは知りません」という返事であった。
ちょうどこの日は日曜日、衆議院選挙が行われていた。投票所隣の中央
公民館で尋ねると、「向いの観光案内所で聞いてみてください」と教えて
くれた。
この日、幸いにも観光案内所には定年後ボランテア・ガイドをされている
梶川宗治さんがおられ、道案内をしていただくことになった。
智頭町は鳥取と岡山・姫路を結ぶ道の途中に位置し、平安時代から栄えてきた
ところである。面積の93%が山林で、人口は9千人である。
アメダスの設置場所は高校校舎のある敷地ではなく、千代川上流方向
の対岸にある農場内にあった。
梶川さんは、JR智頭駅の正面・北東方向に見える山を指して、”昔、
あの頂上に測候所がありました”という。
私はその瞬間、それまでの疑問が一気に解けた。すなわち、データの予備解析
において、智頭における1936年以前と1939年以後の年平均気温が不連続に
なっているのは、観測所が山の頂上から平地に移転し周辺環境が大きく
変化したことによるのだ!
智頭の昔の気象観測所跡(山の頂上)
京橋から千代川に沿って上流(東)方向へ行くと、川岸堤防から
数10mの位置にアメダスがあった。ここは農場の東端であり、隣地は
私有地の畑であった。一見してこのアメダスは理想的ではないが、悪い環境
でもなく、周辺環境は理想と悪の中間、まずまずの環境とみるべきか。
ちょうど西尾幸恵さんが畑作業をしていたので、周辺環境について
教えてもらうことができた。
アメダスの東側に小さな農作業小屋、その北側にキウイの蔓とその棚がある。
これらが気象観測に影響するので、”これらはいつからありますか?”
と訊くと、西尾さんは”相当前からあります。キウイの栽培も以前から
しており、枯れてしまった年もありますが、引き続いて同じように栽培
しています”という。この場所でのアメダスの観測開始は1978年から
である。これら小屋とキウイの棚が観測には邪魔になるが、変化せず
同じ周辺環境を保っているならば可とすべきだろう。
西尾さんは話を続けて、”アメダスには草がぼうぼうに生えてきて、
生徒さんが刈り取ったこともあります”という。
私が”草がぼうぼうになるとよくないので、今後、気象台に刈り取るよう
注意してください”とお願いしておいた。
智頭アメダス。(左)西方からの写真(白い箱の見える場所が
アメダスで、その背後右側に農作業小屋、背後のやや左寄りにキウイと
その棚がある)、(右)南東方の小屋脇からの写真
西方からの智頭アメダス遠景、左側を手前に流れ下るのは千代川
(合成写真)
(2)鳥取地方気象台
今回の鳥取地方気象台訪問の目的は、古い区内観測所の気象資料の書き写し
作業のほか、気象観測所の移転経歴など(地域気象観測所調書)のコピー
を入手することであった。
鳥取地方気象台は鳥取市吉方109にある第3合同庁舎3階にある。
測風塔に案内されて見渡すと、南側に大きな工場があった。
都市内に気象観測所を設置するかぎり、周辺には大きな建築物ができるのは
止むをえないことか。
市街地に設置された多くの気象台では、市街という地域環境の観測所
とみなすべきだろう。市街地には多くの市民が生活しているので、彼らの
生活環境(都市気候)を知ることも重要である。
前もって気象台長・仁木伸一さんにお願いしてあったところ、総務課長・岡村
さんを通して諸資料が整えてくれてあった。
鳥取地方気象台測風塔から見た周辺環境。写真は左から順に北、
東、南、西方向
鳥取地方気象台の露場。(左)測風塔から見下ろした写真、
(右)合同庁舎玄関脇からの写真
(3)倉吉アメダス
私は気象観測所の周辺環境について、約1,300箇所の全部を見てまわるわけ
にはいかないので、次のようにして候補を決め、巡廻している。
(1)古い時代、できれば明治時代から気象観測が行われており、場所の
移転があったとしても、現在もアメダスとして観測が続けられていること。
(2)国土地理院5万分地形図を調べ、観測所が市街地など不適当な
場所にないこと。
(3)観測に障害となる背の高い樹木などは地図では表現されていないので、
実際に現地を観察してみる必要がある。
このことを鳥取地方気象台長・仁木伸一さんに話すと、”倉吉は
広い田んぼの中にあり理想的な観測所ですよ”と教えていただいた。
ただし、調べていただくと、倉吉はアメダスの時代になってからの観測所
であり、以前からの長期データはないことがわかった。
今後のデータ利用に際して、倉吉は見ておかねばならないので、鳥取から
下市、境へ向かう途中で立ち寄ることにした。
9月13日、この日もまた鳥取大学乾燥地研究所助教授の木村玲二さんの
車に乗せていただいて海岸沿いに西へ向かった。
倉吉アメダスの「地域気象観測調書」(1991年10月1日作成)のコピー
を参考にアメダスを探しだすことができた。
倉吉アメダス。(左)南西からの写真、(中央)南東からの写真、
(右)西方からの遠景
アメダスは天神側の西側約500mにあり、5万分地形図では周辺一帯は田んぼ
の記号であるが、北東側 1/4 象限はビニールハウスの畑になっていた。
このことから、気象庁では観測所周辺100m×100m範囲の土地利用状態に
ついて、たとえば5年ごとに、簡単な地図記録として残すことを業務の
一部に加えるべきだと思った。そうしておけば、データ解析・活用に一層
役立つことになる。
(4)下市アメダス
下市アメダスは集落のはずれにあるが人家から十分離れている。周囲より
高く盛り土された敷地に測器が設置されていることはよいことだ。
西側隣地に小型のビニールハウスがあるが、アメダスは一段高いので、その
影響は少ないであろう。日本海も見え、風通りはよさそうだ。
下市アメダスの温度計の通風筒、背後遠方は日本海
南側からの下市アメダスの眺め、背後の左端に日本海が見える
下市アメダス敷地から南方向の眺め
(5)名和の観測所跡
下市アメダスのデータがあるのは1968年以後である。それ以前の観測所
が名和である。名和小学校を訪ねると、職員室の廊下に、昔からの
航空写真が掲げられてあり、その中に百葉箱は写っていた。1972年の航空写真
では、小学校の周辺には人家のない畑である。
案内されて校庭に行ってみると、区内観測所時代(アメダス以前)の百葉箱
が残っていた。百葉箱の隣に大きな樹木があり、「設立三十年記念植樹」と
書かれた木柱があった。学校の記録によれば、1990(平成2)
年11月25日が名和小学校統合30周年記念式典挙行とあるので、この
記念樹は気象観測時代のずっと後に植えられたものである。
校長室に案内され、校長・吉村依子先生から話を伺うと、名和小学校は
1960(昭和35)年に旧名和小学校と旧御来屋(みくるや)小学校が名目
統合されてできた。1961年10月にそれら両学校の中間位置に現在の小学校
が建設された。当時の児童数は532名であった。2005年4月現在、
児童数は143名である。
来年度には近隣の小学校との再度の統合予定である。現在の建物、植樹など一切が
取り払われ、新校舎が建てられる計画だという。私は、現状の一切を取り払う
ことは予算の無駄使いになるのではないかと思った。
名和小学校に残された百葉箱(隣の大きな樹木は観測所
廃止後に植樹されたもの)
名和小学校に残された百葉箱の周辺(合成写真)
鳥取地方気象台の記録によれば、明治時代から御来屋(みくりや)での
観測データがある。1955年から観測所名は名和となる。観測地点の
緯度・経度は分の単位まで同じである。記録簿をめくっていると、
御来屋から名和へ「改名」と記されており、移転ではないとも考えられる。
観測所「御来屋」(名和町大字御来屋町、35°30′N;133°30′E)と「名和」
(名和町御来屋、35°30.2′N;133°29.8′E)は緯度・経度は同じだが
1分以内は不明であり、名和小学校の吉村校長先生の前述の話を考慮すると、
距離的には約2km以内で移動した可能性もある。
境測候所の「百弐拾年のあゆみ」(2003年2月発行、pp.106)によれば、
1893(明治26)年に御来屋村役場に管内気象観測所の一つが設置された。
さらに1900(明治33)年4月13日に訓令第96号により郡役所及び町村役場より
各小学校に嘱託変更、同年5月1日より新移転地で観測開始と記されている。
その新観測所の一つが西伯郡名和高等小学校(現在の呼び名で小学校に相当)
となっている。この記事からすると、旧・名和小学校で観測が行われ、のちに
1961年10月に新築された現・名和小学校へ移転したことになる。
名和小学校の航空写真(1972年撮影)
(名和小学校提供)
名和小学校の航空写真(1980年撮影)
(名和小学校提供)
(6)境アメダス(旧測候所、境特別地域
気象観測所)
境測候所は1883(明治16)1月1日に創立、全国の主要港湾10数ヵ所に
設けられた測候所の一つである。当初は現在の境港市入船町二番地にあった。
1898(明治31)年、現在地に新築工事落成移転、観測開始。その後、1961
(昭和36)年に新庁舎完成。2003年3月1日から特別地域気象観測所に
移行、無人化となる。
現地、境港市東本町64を訪ねると、平屋建ての旧庁舎は残されているが窓は
板で覆われて閉鎖されている。鳥取地方気象台でもらった地域気象観測所調書
のコピーによれば、現在の露場はもとの測候所敷地の南東部の角地にあり
フェンスで囲まれている。
フェンスの長さは、南側道路側で15.7m、東側道路側でやや曲がって
14.7m+9.6m、北側は20.6m、東側は23.9mである。
測風塔はこの露場の北側敷地に独立して建てられている。
この塔は旧測候所敷地内にある。露場は南東の角地であるために風通りは
よい。ただし、周辺一帯は住宅地である。
南東方向からの境アメダス露場の写真、背後左は元の庁舎(
合成写真)
境アメダス測風塔側から見た写真、測風塔背後は元の庁舎
(合成写真)
測候所創立時代~昭和初期までの写真を見ると、周辺の大部分は空き地で
ある。したがって、近年は都市化の影響を受けて気温上昇の傾向が強まる
ことになる。
境測候所、明治30~45年の間に撮影したと思われる
(鳥取地方気象台提供)
境測候所、(左)1927(昭和2)年、(右)1962(昭和37)年1月
に解体する前(鳥取地方気象台提供)
境測候所、(左)1962(昭和37)年2月の庁舎新築の竣工式前、
(右)2001年3月15日、鳥取県西部地震(2000年10月6日)で
測風塔が壊れたため新たにトライポールの測風塔建設後の撮影
(鳥取地方気象台提供)
1962年撮影の写真(左)では、測風塔は庁舎の上にあるが、写真(右)
ではなくなっている。旧測風塔は2000年10月6日の鳥取県西部地震で倒壊
したので、露場の北側にトライポール構造の新しい測風塔が建てられ、
現在に至っている。