5.十和田湖物語(水面蒸発の研究)
著者:近藤純正
    5.1 戦後の1950年前後の社会的状況
    5.2 十和田湖の蒸発の研究
    5.3 大気安定度の効果
    5.4 実用化(バルク式の開発)
    5.5 野尻湖の研究
    5.6 熱収支的な考え方(ボーエン比の関係)

    5.7 1960年代の社会的背景
    5.8 高精度のための基礎研究
    5.9 国際協力の気団変質観測研究
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これは、十和田湖における湖面蒸発の研究にはじまり、次々に生じる問題を 解決しながら理解を深めていった話である。

この章を学び、次の質問に答えよう。
* Q1: 十和田湖では、なぜ寒い冬に蒸発が盛んなのか?
* Q2: ヒトはなぜ暑い夏に汗をだすのか?



5.1 戦後の1950年前後の社会的状況

第二次世界大戦(太平洋戦争)は1945年に終結した。
そのころ、日本は毎年のように洪水に見舞われていた。洪水が起きるのは 戦争中、山の木を無秩序に伐採し森林が荒廃し保水力がなくなったことと、 河川の改修ができなかったことによると指摘する者もあった。

何もかも底をついた戦争末期、航空燃料とするためマツの根を掘り、 蒸留して油をとることも行なわれていた。また、食塩の不足から、海岸では 釜をたき海水を蒸発して食塩を作る人たちも多かった。
終戦後の復興に木材が必要となり、森林の伐採は一層進んだ。

一方、洪水と相反する水不足も起きた。当時の発電は主として水力に頼って いたので、水不足は深刻であった。予告なく停電があり、また周波数の 変動も大きかった。それらを解消するため各地で人工降雨の実験が 行なわれた。気象学研究室をもつ全国の主要な大学(北海道大学、 東北大学、東京大学、京都大学、九州大学、など、のちに名古屋大学)では、 その基礎としての雲や降水の物理学の研究を始めていた。

また、戦後復興の大事業として各地にダムを造る目的として、 山間僻地において冬期の積雪調査など水資源調査が電力会社等に よって行なわれていた。

さらに数年経った1957年のころ、東北電力会社は、雨を降らせる 実験だけでは不十分で、蒸発による水の損失を抑制する必要があるとし、 発電用貯水池として利用していた十和田湖からの蒸発量を知る研究を 東北大学気象学研究室に委託してきた。

当時、大学院に入ったばかりの私がこの研究を行なうことになった。
これが契機となり、後に私は地表面に近い大気層(大気境界層)における 熱・水蒸気の輸送の研究、そして熱収支・水収支研究へと歩むこととなる。 そして、大気の様々な現象をエネルギーの流れの観点から見るようになった。

5.2 十和田湖の蒸発の研究

十和田湖は青森県と秋田県にまたがり、面積60平方km、湖面の標高は400m である。秋の紅葉シーズンになると、湖面に映る紅葉が美しさを 添える。奥入瀬渓流に沿って進むと子の口で視界が開ける。 みごとな湖を眼前にしたときの感動はいまでも忘れられない。 シーズンには、子の口から休屋まで観光船が運航される。 湖のほぼ中央には小さな岩礁「御門石」があるが、それに気づく人は ほとんどいない。

十和田湖の地図
図5.1 十和田湖の地図。

図5.1 に示す「青ぶな」には発電用の取水口があり、トンネルを通して 北方の発電所につながっている。トンネルの北方にある渓流域に 降った降水は集められて十和田湖に貯水され、 発電に利用される。つまり、十和田湖はバッテリーの役目をもつ 大きな貯水池である。観光の目的のために、湖水面の水位は一定の幅の中に おさまるように調節される。子の口にはじまる奥入瀬渓流の水は、 夜間に流すのはもったいないので、子の口に設置された水門を閉鎖 して止める。

1950年代の当時、湖面からの蒸発量を求めるのに、蒸発計を用いる 方法があった。蒸発計は水を入れた容器であり、蒸発によって減る 水の量を毎日測定する。図5.2と5.3は、それぞれ小型蒸発計と 大型蒸発計を示している。

小型蒸発計
図5.2 小型蒸発計。口径20cm、高さ10cm の円筒形で真ちゅうまたは 黄銅製。小鳥が中の水を飲まないように針金で囲んである。
大型蒸発計
図5.3 大型蒸発計。口径120cm、高さ25cm の亜鉛鉄板製の円筒容器で、 白色塗装してある。約20cmの深さに水を入れる。水深測定用の ゲージ(水位測定器)とガラス円筒を取り付けてある。

蒸発計からの蒸発量観測値を用いて湖面蒸発量を推定するために、 大型蒸発計を湖面に浮かべればよいのだが、十和田湖は大きく、風が吹く 日には波立つ。そこで、足をつけた鉄舟を湖岸のすぐ沖合いに固定し、 それに大型蒸発計を乗せた。蒸発計の周囲に湖水を入れ、蒸発計内の水温が なるべく湖水温度に近くなるようにした。

鉄舟上の蒸発計
図5.4 鉄舟上の大型蒸発計。

静穏の日はこれでよいのだが、強風日には波しぶきが蒸発計に入った。 波しぶきの量を測るために、流動パラフィンを入れた別の容器を 舟上に設置し、雨量測定と同じ方法で容器に入る波しぶきの量を測り、 大型蒸発計からの蒸発量を補正した。流動パラフィンは水より軽く、水面を 覆い水面蒸発を防ぐ働きをもつ。

これでも、強風日は多量の波しぶきが入る。強風日は湖面蒸発も 盛んであるので、欠測になると都合がわるい。波しぶきが入るのを防ごうと すれば蒸発計水面上の風速が弱くなり、自然の状態を変えることになる。

さらに、重要なことは、湖面は波立つが蒸発計の水面はスケールが小さい 関係により、波立つことはない。これらの理由により、湖面からの蒸発と 蒸発計からの蒸発は性質の異なるものだと考えた。

1950年代には、地表面(水面や陸地面)からの蒸発量や顕熱輸送量 を知る方法として、ソーンスウエイト・ホルツマン(1939)の式があった。

これは、地上の2つの高度(例えば0.5mと5m)で風速、気温、湿度を 観測して蒸発量を計算によって求める方法である。この式によれば、 2高度の風速差が大きいほど、湿度差が大きいほど、蒸発量は増加する。

ソーンスウエイト・ホルツマンの式を利用するために、青ぶなの取水口 にある堰堤(えんてい、防波堤)の先端に観測用の7mの鉄塔を建て、 それに通風式サーミスター温度計を2組設置した。それぞれに付けた 乾球温度計と湿球温度計で2高度の気温と湿度を測った。 同時に2高度で風速も測った。

サーミスターは電気抵抗であり、温度によって電気抵抗が変わることを 利用したものである。電気回路からの出力は直流増幅器を用いて、 ペンレコーダーに記録した。当時の直流増幅器は真空管式であり、 高さ1m、幅0.8m、厚さ0.5mほどの大きさであった。 電気通信研究所の松尾正之先生(1924-1991)に作ってもらった。 直流増幅器はゼロ点が周辺環境によって移動する欠点をもつために、 標準抵抗2つを挿入し、自動切り替え器によって、その出力の間へ サーミスターの抵抗値が記録されるようになっており、ゼロ点の移動を 補正するようにした。 当時としては最新式のものであった。

いよいよ観測がはじまった晩秋のころ、2高度の気温と湿度を求め、 ソーンスウエイト・ホルツマンの式に基づいて、現地で湖面蒸発量を 計算してみた。 晩秋の湖水温度は気温に比べて高く、強風の湖面からは湯気が 立つほどである。 直感的には水温の高い湖面からは盛んに蒸発しているように思われたが、 計算値は非常に小さかった。

ソーンスウエイト・ホルツマンの式は正しいのか? と疑問を抱いた。

つまり、この式が前提としている仮定が十和田湖では成り立たないのでは ないか。その前提とは、風速や気温や湿度の鉛直分布は 地表面近くで急激に変化しており、その変化割合いは高度と共に 小さくなる、という仮定である。これは、風速などの「対数分布」 の仮定と呼ばれている。

私の恩師・山本義一先生(1909-1980)は理論的な面から、わたしは 陸上自衛隊の飛行場を借りて観測の面から基礎研究を始めた。

5.3 大気安定度の効果

1960年前後は、世界中で地表面と大気の間で交換される 熱エネルギーや水分(つまり蒸発量)を正確に知りたいという 強い要望が生じた時代であった。 地表面付近の風速や気温や湿度の鉛直分布は「対数分布」ではなくて、 大気の状態が安定・不安定になったとき、どのような鉛直分布に なるかに多くが注目した。ちょうど、私はこの時代に いたのである。

理論的には世界中でほぼ同時に、同じ形式の基礎方程式が導出された。 その式はKEYPS(キープス)の式とよばれ、各研究者のイニシャルが 使われている。「Y」は山本義一のイニシャルである。

一方、この基礎方程式が正しいかどうかについても、世界中の研究者が 注目した。私は広い野外で観測し、確かめることになった。

ごく地表面近く、高度0.1m~15mの風速などを正確に測らなければ ならないわけで、微風でも動く風速計が必要となった。現在では 微風速計は市販されるようになったが、当時は一般には使われていなかった。

そのため小型軽量の風速計を作らなければならない。 風速計の回転摩擦を小さくするために、回転数を光でカウントする 風速計を考案し、出力回路も手製した。

そうして、風速や気温などの鉛直分布を観測してみると、 キープスの式はおおよそ成立するが、特に、夜間の大気が安定な状態 では成立しないことがわかった。そのようにして実際に得た関係式が 蒸発量、その他の計算に用いられることになっている (関係式の詳細は近藤純正編著「水環境の気象学」朝倉書店、1994年発行)。

前節の終り近くで、「直感的には水温の高い湖面からは盛んに蒸発して いるように思われたが、計算値は非常に小さかった」と述べたことを 説明しておこう。

気温鉛直分布
図5.5 気温の鉛直分布の例(大気の安定度が不安定状態のとき)。 縦軸は対数目盛で示し、下層ほど拡大して見やすくしてある。

図5.5 は、例として、大気が不安定のとき(水温が気温より高く、上下の 対流・混合が盛んなとき)の気温の鉛直分布を示している。対数分布を仮定する ソーンスウエイト・ホルツマンの式は2高度(赤丸印)で気象観測をするので あるから、赤線で示す気温の傾きを仮定していることになる。

実際の気温鉛直分布を青線で示すとすれば、最下層での気温の傾きは赤線の それよりも大きいことがわかる。これは気温についてであるが、風速や湿度 の傾きについても同様に、小さな値を仮定したことになり、その結果として の湖面蒸発量は小さく計算されたのである。

話を元にもどすことにしよう。基礎的な研究によって、 地表面(水面、陸面)に近い大気層内での風速などの鉛直分布がどの ような形になるかが明らかになった。大気が安定・不安定なときは 「対数分布」でないので、蒸発量を求めるには3つ以上の高度、実際には 4高度ないし5高度で気象観測をしなければならない。

幸いなことに、十和田湖には、水面下0.3~0.5mに岩盤の広がる「大畳石」 と呼ばれる観測に絶好の場所がある(図5.1参照)。ここに観測塔を建てて 気象観測を行なうことにした。

大畳石の観測塔
図5.6 大畳石に建てた高さ7mの気象観測塔2基、左は風速観測用、 右は気温と湿度観測用、いずれも5高度に測器を設置(1959年10月5日~10日)。

大畳石の気象観測資料から、しばらくの間、湖面蒸発量を算定した。 そうして、いろいろ検討していると、湖岸にある青ぶなも大畳石も 湖の中心部に比べて風速が弱いことがわかった。風速が弱いと、それに ほぼ比例して蒸発量も小さくなる。つまり、湖岸で求めた値は 湖面全体を代表しないのだ。

そこで、こんどは湖面のほぼ真ん中にある小さな岩礁「御門石」に 観測塔を建てて気象観測を行なうことになった。
同時に、観光客の少ない季節に観光船をチャーターして、それに 風速計を取り付け、移動しながら湖面全域の風速の水平分布を観測した。 時間ごとに船の位置を測量し、ベクトル計算で各区域ごとの風速を 算定した。 その結果を利用して、湖の真ん中で観測した蒸発量に係数を 掛け算して湖面の平均蒸発量を求めることにした。

御門石観測塔
図5.7 御門石の観測塔(1962年11月21日~1964年4月1日、高さ=5.5m)、 南西方向から撮影。

現在では、小型軽量、しかも安価なデータ収録装置が市販されているが、 当時は電源のないところで長期記録できる気象観測装置はなかった。 記録は当時、一般用に普及していた8ミリ撮影機で1コマ1コマ、1時間 ごと、こま撮りする装置を自作した。記録間隔は電池式時計に依った。 長針の先端に細い白金線を付けた。時刻 6 時の目盛版のところに小さな 水銀だめを置き、1 時間ごとに長針が 6 時のところにくると、水銀に接触し て電源が2分間入るように設計された。

御門石の観測塔の4高度に風速計を取りつけ、百葉箱の中に回転数を 示すカウンター4台を並べた。百葉箱の中に、気温測定用に棒状アルコール 温度計と毛髪湿度計をとりつけた。この時代、サーミスターを利用した温度計が 急速に普及しはじめていた。水面にはサーミスター水温計を浮かばせ、岩礁に 衝突しないようにロープとブイを周辺に張った。水温計の指示部は 百葉箱内に並べた。風向計は百葉箱の屋根に取り付け、その表示版は百葉箱の 中に置いた。

これら測器の指示部は8ミリカメラで一斉に撮影される。時計の長針につけた 白金線が6時の位置にきて、水銀に接触すると、ファンが回転を始め 温度計に通風がはじまる。同時にサーミスター水温計の指針が動きはじめ、 水温を示す。およそ2分間が過ぎ、白金線が水銀だめを離れる瞬間、 自転車のヘッドライト2個が点灯、8ミリカメラのコマ撮りシャッターが 動いて記録される。フィルムは現像し、1コマ1コマ をルーペで読み取り、気象データをそろえた。

現在なら家庭用のビデオ撮影機に相当した8ミリカメラの利用法として、 その方面の雑誌に記事を書いてくれという注文があったほどである。

電源は乾電池を利用した。3ヶ月間ほど自動記録できるが、原則として 1ヶ月ごとに電池と記録フイルムの交換に御門石に渡った。 夏はよいのだが、冬期の季節風の強い日には小型漁船で御門石まで 行くのはたいへん危険であった。

十和田湖ではニジマスなど捕れ、漁師は生活のために 風が少々あっても舟で出かけ、波を被って沈没し死亡する事故もあった。

なお、十和田湖では厳冬期に気温が氷点下15℃程度に下がっても 湖水は暖かくて氷結しない。それは最大水深334m、平均水深は80m あり、深いからである。表面水温が最低を示す2~3月は2~3℃、 最高を示す8月は21~23℃程度である。

漁船をチャーターして、岸の山蔭に沿って出かけるのだが、 最後には吹きさらしを航行しなければならない。漁師は風と波を 避けるようにタイミングよく運転するのだが、大波を被りそうになると 引き返さざるをえない。 湖岸に滞在し、1週間ぶりに御門石にたどりついたこともあった。

厳冬期に御門石に行ってみると、波しぶきが観測塔に飛び、氷結付着し 大きな氷の塊になっていた。4高度の風速データは採取できない。 最上層部の風速計しか生きていないこともあった。これでは湖面 蒸発量の計算はできない。

御門石観測塔の結氷
図5.8 御門石の観測塔に波しぶきが氷結、北側から撮影。

この事態に、どのような対策を立てるべきか!
1高度で観測されたデータと水温だけで蒸発量や顕熱輸送量などが 求められないか? もし、可能となれば、十和田湖に限らず、広い太平洋 の蒸発量の時間ごとの分布も解ることになる。

そこで開発したのが「大気の安定度を考慮したバルク法」である。 これは水面付近(0~30m程度の高度範囲)の風速などの鉛直分布は 関数形で表現できるので、水温と1高度の風速・気温・湿度の観測値だけ でよい、という方式である。ただし、水面のごく近傍 (専門的に粗度面高度)の状態は、あらかじめ観測によって その性質を明らかにしておく必要がある。

まとめると、十和田湖の観測装置が凍結したという予想外のことから、 新しい手法の開発ができたのである。

このような苦労を続けて、とうとう期待の結果がでてきた。

十和田湖蒸発の季節変化
図5.9 十和田湖の蒸発の季節変化。

図5.9 に示すように、年々の気象変化にともなって蒸発量も年に よって違うのだが、十和田湖では夏に蒸発量が少なく、秋~冬に 多いという結果になった。この結果は、それまで蒸発計で観測された 季節変化、つまり蒸発量は夏に多く、冬に少ない、という常識 と正反対であった。これは、当時としては各方面に波紋を広げた。

なぜ、寒い冬に蒸発量が多くなるのか?
十和田湖の水温と気温の関係を見てみると、夏の水温は気温に比べて 冷たい。秋~冬は逆の関係になっている。このことが蒸発量の季節 変化として現われているのだ。その原因は、十和田湖の水深が深いことに よる。

それならば、水深の浅い湖でも確かめてみなければ ならない!

5.5 野尻湖の研究

長野県の新潟県寄りの、妙高山(標高2446m)の南東、標高656m に野尻湖がある。面積は十和田湖の10分の1以下で、4.4平方km、 最大水深は41m、平均水深は21mである。 この湖も観光地であり、シーズンには湖水面の水位はあまり 変化しないように調節されている。揚水式発電所が下の方にあり 水がポンプで揚げ下げされている。

冬期間は水位が基準面からマイナス5~6mまで下げられる。そのとき、 水が干上がったのを利用して、ナウマン像の発掘が1962年ころから 行なわれてきた。ナウマン像は4万年前の氷河期に中国北部から渡って きたといわれている。発掘により、旧石器人類の石器や骨器も発見 されている。

そうした発掘が盛んなころ、1964年4月から観測を行なうために 水深が浅い地点に観測塔を建てた(図5.10)。水位が上がってくるころ、 ちょうど適当な高度になるように設計された(図5.11)。

野尻湖観測塔
図5.10 野尻湖に建てた観測塔。
観測風景
図5.11 野尻湖での観測風景。


野尻湖には東京方面からやってきたと思われる若者が多数遊びにくる。 「水上の暴走族」と呼ばれる悪ふざけする者には驚いた。 私たちの不在時には、鉄塔にエンジン付きボートで接近し、 危険防止用の浮きを乗り越え、安全用につけてあった夜間の点滅式 照明を破壊する者もあった。観光地が開けすぎると、こんなにもなって しまうのか!

それに比べて、観測は十和田湖に比べて格段に楽であった。大波で 舟が沈没する危険はなかった。それは湖が浅く、 しかも狭いことによる。

風観測のボート
図5.12 湖面上の各地点の風速の違いを測るためにボートに 付けた風速計。

手こぎのボートを数隻チャーターし、湖面上の風速の水平分布も 自記記録を利用して求めた。図5.12はその写真である。
この分布を考慮して、観測塔の気象観測からえた蒸発量を補正して、 湖面の蒸発量を算定することができた。

一方、十和田湖でえた蒸発量の季節変化に及ぼす水深の影響を 定量的に理解するために、これまでの方法とは違う、「熱収支的な方法」 によっても蒸発量を求めた。

熱収支的な方法とは、蒸発現象を熱エネルギーの立場から計算するものである。 水は湖面で蒸発する際に、蒸発の潜熱を必要とする。太陽エネルギー (日射量)、大気中の水蒸気や二酸化炭素から水面にくる大気放射量、および 水中の水温を上げる熱エネルギーを観測し、熱収支式から蒸発の潜熱を もとめるという方法である。日射量や大気放射量は「放射計」で観測できる。

水温が上昇するときは、水中へと熱が伝わっていることであり、水温が 下がるときは水中から水面に向って熱が伝わっていることである。 この熱エネルギーは水温の鉛直分布を時々観測すれば、計算から知る ことができる。

図5.13において、例えば、6月30日の水温鉛直分布と5月30日のそれで囲まれた 点々部分の面積がこの期間に水中に入っていった熱エネルギーに相当する。 ただし、面積に水の熱容量を掛け算した値である。

水温の鉛直分布
図5.13 水温の鉛直分布の観測。縦軸の水深の目盛は湖の底の形が すり鉢状に水深とともの狭くなることを考慮してある。(「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図11.4 より転載)

このようにして「熱収支的な方法」によって求めた湖面蒸発量と、 風速などの鉛直分布から求めた(空気力学的な方法、バルク法)湖面蒸発量 はほとんど同じになった。両者がほぼ一致したことは大きな収穫 であった。

野尻湖蒸発の季節変化
図5.14 野尻湖の蒸発の季節変化。

3年間の気象観測から計算した蒸発量の季節変化が図5.14に示されている。 十和田湖の結果(図5.9)と比較してみると、野尻湖では蒸発が 盛んなのは8~9月となり、位相が十和田湖の場合に比べて 夏のほうにずれていることがわかる。

一般に、日射量が多くなる春から夏にかけては、熱が水中へ運ばれる。 これを貯熱量がプラスということにしよう。一方、秋から冬にかけては 水温が下がるのだが、これは水中に貯えられていた貯熱が水面で 放出され、蒸発の潜熱などに変えられる現象である。このとき、貯熱量 がマイナスということにしよう。

貯熱量は年間を通じて、プラスとマイナスに変化し、年間の平均値は ほぼゼロになる。水深が深いほど、プラスとマイナスの値は 大きく変化する。したがって、深い湖ほどそれらの絶対値 が大きくなる。

湖の水深が蒸発量の季節変化に及ぼす影響を貯熱量の絶対値から みると次のようになる。ただし、熱エネルギーは1平方メートル当り で表わす。

十和田湖(平均水深=80m):111 W
野尻湖(平均水深=21m):61 W
霞ヶ浦(平均水深=3m):21 W

この比較から、深い湖ほど水中との熱エネルギー交換量の振幅が 大きいことがわかる。ちなみに、水面が獲得する正味の放射量の年平均値 や、蒸発の潜熱の年平均値は50~80 W 前後の大きさであり、十和田湖に おける貯熱量の絶対値がいかに大きいかが理解できよう。

要約すると、深い湖では、水温の上昇・下降に費やされる熱エネルギー が大きく、蒸発量の季節変化の位相が遅れることになる。換言すれば、 熱の慣性が大きく、蒸発量の変化が日射量のそれよりも遅れてしまう。 顕熱輸送量の季節変化も同様に遅れる。

5.6 熱収支的な考え方

十和田湖で観測を始めてまもなく、蒸発の季節変化が従来の常識と違う ことがわかり、私は数理的な面からも、深さの影響をテストする 試みを開始していた。 これは、湖面と水中、湖面と大気の間で交換する熱及び 水温を計算で同時に解くという、「熱収支法」である。

平均風速などの鉛直分布、あるいは風速などの時間変動(乱流)を 観測して蒸発量や熱交換量を求める場合(渦相関法という)、風速などの 観測精度がそのまま結果の誤差になる。つまり、湖岸のように風速が弱い 場所で風速を観測したとき、例えば実際の50%の風速だと蒸発量も50%に なってしまう。

それに比べて「熱収支法」だと、風速の観測誤差は結果に 大きな影響を及ぼさない。これは理論的にも明らかとなった。 具体的には、湖面に入る放射量(日射量と大気放射量)は 場所によって大きな違いがなく、湖の代表的な1地点で観測すればよい。 さらにこの方式だと、各熱収支量の役割がよく見えてくる。

以上の理由により「熱収支法」を用いるようになり、また、現象を 熱エネルギーの流れから見るようになってきた。

十和田湖と野尻湖の観測が終わるころから、その他、日本各地の湖面蒸発量 を計算で解くことをはじめていた。最近の、数値 シミュレーションと呼ばれている方法である。この場合は、水中への 太陽光の透過なども計算し、水温鉛直分布と熱収支量(蒸発量や顕熱 輸送量など)が同時に計算できる。簡単な条件の場合には、 結果は簡単な式で示すことができるので、結果の解釈が明確となる。

上で述べたように「熱収支法」だと、風速などの観測精度は少々低くて もよく、気象データは既存のものから推定してもよくなる。

気温とボーエン比
図5.15 日本各地の湖における年平均気温と年蒸発量の関係(左図)、 および年平均気温と年間ボーエン比の関係(右図)。 (「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会、2000年)、図5.5 より転載)

図5.15 の左図は年平均気温と年蒸発量の関係である。蒸発量は、 年平均気温が高い南日本では700~1,000mm、 年平均気温が低い北海道では500mm前後 である。

多くの人々は、「南日本で蒸発量が多いのは日射量が多いからだ!」と 理由を述べる。だが、正しくはそうではないのだ!
実際に年平均日射量を調べてみると、南日本と北日本では、その量の比は 150/130=1.15程度である。また、目に見えない赤外放射量の 正味吸収量(正味赤外放射量)の違いはほとんど見られない。

蒸発量に南北差を生むのはなぜか?
蒸発を生じるエネルギーの源は、もともと太陽エネルギーであるのだが、 湖面に入った放射量(日射量と大気放射量)が蒸発の潜熱に 使われるぶん(潜熱輸送量)と水温を暖め大気へ直接輸送されるぶん (顕熱輸送量)の割合が気温によって変わるからである。

顕熱輸送量の潜熱輸送量に対する比をボーエン比と呼んでいる。 ボーエン比は気温に依存し、気温の高い南日本では放射量の大部分が 蒸発の潜熱として使われる。この関係を示したのが右図である。

ボーエン比が北日本で0.7~1ということは、水面に入った正味の放射量 の約40~50%が顕熱に、残りが蒸発の潜熱に変換されていることになる。 南日本でボーエン比が0.3前後ということは、正味放射量の30%が顕熱に、 残りの70%が蒸発に使われている。こうした法則によって、南日本で 蒸発量が多くなっているわけだ。

ボーエン比と気温の関係は、エネルギー配分則の基本である。 熱帯海洋が受け取った放射量は、その大部分が海面蒸発に使われている。

山ある国は豊か
図5.16 「山ある国は豊か」の説明図。

「ボーエン比と気温」の関係によって山が高いほど気温が低く水の 損失は少なく、多量の水が山地に貯えられる。したがって、平らな 国土よりも山のあるほうが豊かな水資源を持てる可能性が出てくる。 山が高く頂上付近が氷点下になれば、雪が積もり流出しない。 山が雪で覆われると太陽光を反射し、雪はいっそう融けにくく、 ますます貯水効果が大きくなる。

ボーエン比の気温依存性ができる理由を述べておこう。
空気が水蒸気を含む量には限りがあって、最大の水蒸気量を 含んでいるとき「飽和」の状態という。その量を飽和水蒸気量という。 飽和水蒸気量は温度とともに級数的に増加する。つまり温度が高くなると 空気はたくさんの水蒸気を含むことができる。この性質によって、 水面に同じエネルギーが与えられたとき、高温のときほど 蒸発に費やされるぶんが大きくなる。

5.7 1960年代の社会的背景

1960年代は現在のように、数値天気予報の精度は高くはなかった。
冬期の東シナ海の台湾近くで発生した低気圧が本州南岸に沿って進むとき、 急速に発達し、首都圏に大雪を降らせ交通麻痺を起こした。 さらに東方海上では台風並に発達し、漁船の遭難や大型船の大破という 事件もあった。

この状況は北米のメキシコ湾流域でも同じであった。
大気と海洋の間での熱エネルギーの交換量を考慮しなければ、低気圧の 発達の数値予報もできないので、この方面の研究を推進すべき という機運が高まった。

1974年と1975年の2月に国際協力研究「気団変質の観測研究」が東シナ 海で行なわれることが計画され、その準備研究もはじまった。

私は十和田湖や野尻湖で湖面蒸発の研究を行い、蓄積もできていた。 いよいよ、私の出番である。しかし十和田湖の研究で開発した「バルク法」の 精度を上げる必要があった。

5.8 高精度のための基礎研究

ちょうどそのころ、科学技術庁が相模湾の平塚沖に世界に誇ることのできる 海洋観測塔を建設していた。私はこの観測塔を活用して、海上気象の 基礎的な資料から、「バルク法」の精度を上げなければならないという 強い意欲に燃え、恩師の止めるのも聞き入れず、平塚の研究施設に 転勤してきた。

平塚沖観測塔
図5.17 相模湾の平塚沖1kmに1965年9月に建造された海洋観測塔、 高さは水面上25m、水深は20m。ここから陸上施設まで海底ケーブル が埋設されている。

私も若かったが、みんな若い優秀な研究者がそろっていた。
みんなで協力して、世界に誇れるデータをとり、海面蒸発や顕熱 輸送量を精度よく計算する方式をつくることができた。 この方式によれば、一般の商船や漁船から通報してくる3時間ごと の気象データが利用でき、東シナ海の各種の量の分布図が計算 される。

5.9 国際協力の気団変質観測研究

いよいよ東シナ海で国際協力の気団変質観測研究が始まった。
図5.18に示すように、観測網が張られた。破線の六角形は成層圏までの 気象観測を行なうラジオゾンデの観測地点を結んだものである。 名瀬、南大東島、石垣島は既存の高層気象観測点、凌風丸(りょうふうまる)、 啓風丸、おじかは特別に配置された定点観測船である。

東シナ海の地図
図5.18 東シナ海に展開した観測網。 (「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図12.2 より転載)

日々の東シナ海における海面熱収支量(蒸発量や顕熱輸送量など)を算定 するわけだが、2通りの方法がある。その1は、この六角形を底面積とした 上空へ伸びる大気柱への熱・水蒸気の出入りをラジオゾンデのデータから 求め、その収支から海面熱収支量を推定する方法である。 これを「大気収支法」という。 東京大学の新田勍博士(故人)と L.K.ムルティーさん(インドからの留学生) がこの方法で計算した。 その2として、私は自分の開発した「バルク法」によって海面熱収支量の 分布図を求めた。

1974年海面熱収支量比較 図5.19 海面熱収支量の比較1974年。縦軸は顕熱輸送量と潜熱輸送量の和、 横軸は2月の日付。 1975年海面熱収支量比較 図5.20 海面熱収支量の比較1975年(Kondo, 1976, J.Met.Soc.Japan.,382-398より引用)。

図5.19(1974年)と図5.20(1975年)は六角形の海域内における 顕熱輸送量と潜熱輸送量の和の日々の変化を示したものである。 □印は「大気収支法」、■印は「バルク法」による結果である。 2つの方法による結果は、ほぼ一致しているといえる。 これは国際協力研究における、日本の大きな成果である。

1974年と1975年の2月に各2週間の集中観測が行なわれたが、 東シナ海およびその周辺を航行中の一般の船舶と荒れる海上で操業中の 多数の漁船から3時間ごとの気象通報を受けた。この資料が私の計算に 大いに役立ったのである。

私の方法「バルク法」によって得られた熱収支量の分布図によると、 大陸から寒波か来たときは、海面から最大1,200W、 平均1,000W の顕熱と蒸発の潜熱が大気へ向って放出されている (いずれも1平方m当り)。1,000W は地球の表面が 吸収する日射量の世界平均値(150W)の約7倍に相当する。 この意味で、黒潮の流れる海域は、世界でもっとも急激な 気団変質が行なわれている所である。

この莫大なエネルギーの源はどこか?
大きな熱エネルギーが黒潮の流れ、海中の様々な渦によって 沖縄周辺の海域内(東シナ海)へ運ばれている。

その大きさを熱収支の方法によって計算してみると、2×1014 Wである。 世界の海洋の全面積に比べれば小さい東シナ海へ、この莫大な エネルギーが運ばれている。

その源となる場所は、フィリッピン東方から低緯度の海面である。 低緯度の海面では放出するエネルギーよりも太陽から受けるエネルギーが 大きく、その余分のエネルギーが海洋の流れによって中・高緯度へ運ばれて くる。それが黒潮海域で大気へ放出されている。

この過程が定量的にわかったのである。

注1:冬期の季節風は本州付近では北西風であるが、沖縄など 東シナ海の周辺では北風である。
注2:潜熱輸送量100 W は日蒸発量3.53mmに、また年蒸発量1,287mm に相当する。

ボーエン比分布図
図5.21 2月の東シナ海のボーエン比の分布図。 (「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図11.6 より転載)

図5.21 は2月の東シナ海におけるボーエン比(=顕熱輸送量/蒸発の潜熱)の 分布図である。 ボーエン比は、北のほうで0.7~0.8、南下するにしたがって減少し 0.1~0.2となっている。つまり、北のほうでは顕熱輸送量が潜熱輸送量 より大きいが、南下するにしたがって逆転し、潜熱輸送量(蒸発量) が大きくなることを表わしている。

冬期の東シナ海におけるボーエン比の分布は、 「気団変質」の立場からみると、どういうことか?

気団変質模式図
図5.22 冬期の東シナ海における気団変質の模式図。 (「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図12.6 より転載)

南北の相対的な特徴を図5.22 に示した。
冬の大陸からの乾燥寒冷気団が暖かい海上へ吹き出してくると、 まず最初に、大気は相対的に顕熱の供給を受けて温められる。その空気 が南下すると海水はさらに高温であり、こんどは相対的に顕熱よりは 潜熱、すなわち水蒸気の供給により気団は湿潤化し、対流混合が盛んに なる。下層の水蒸気が上空へ運ばれ雲を発生して雨が降る。 つまり、気団変質は最初に温められたのち湿潤化するのである。

南方ほどボーエン比が小さいことを熱帯海洋に広げてみよう。 熱帯海洋上では、海から大気へ運ばれる熱の大部分は蒸発の形で 行なわれていることになる。大気が潜在的に不安定のとき(何かのきっかけで 上昇気流が生じたとき不安定になる状態のとき)、積乱雲群 が発生し、これが台風の発生・発達へとつながっていくのも水蒸気の 供給によるのである。

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