6.氷山運搬計画「夢氷山」
著者:近藤純正
	6.1 思いつき
	6.2 意義
	6.3 過去の例
	6.4 執筆の動機
	6.5 可能性の検討

	6.6 氷山積み込みの方法
	6.7 経費の概略
	6.8 国際問題
	6.9 最後の実験(懸賞問題)
	6.10 氷山はどこに

	6.11 暗礁
	6.12 グリーンランドの自然
	6.13 氷山の館
	6.14 反響
	6.15 暑い日は入りがよい
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あらすじ
1986年のこと、仙台市民グループから、氷山運搬計画が提案されました。 1987年の夏、仙台で開催される「未来の東北博覧会」会場に 北極海から15,000トンの氷山を運び、真夏の仙台港で入場者に北極を 体験してもらうというものです。
氷山を運ぶことは冒険ですが、ロマンがあり夢を運ぶということで「夢氷山」 と名づけられました。この「夢氷山」計画は様々な困難を克服しながら 実現を目指しました。氷山を海に浮かべたままで運んでくると途中で融解して しまうことがわかり、大型運搬船で運ぶことになりました。 ほとんどが海中に沈んでいる氷山をどのようにして運搬船に積み込むかが 検討されました。運搬の途中で融解させない方法も考案され、夢氷山の あり場所も探しました。運んできたとき、観衆の熱気で氷山がどれだけ 融解するか、また、氷山を仙台港に入れたときの影響なども検討されました。
最終的な総経費を見積もると、3億8,600万円になりました。これは運搬費 のほか、博覧会場での73日間の電気代と監視料、さらにパビリオンの 土台となる大型運搬船の借上げ料、冷房装置の費用も含みます。 「夢氷山」プロジェクトチームは日夜努力を重ねましたが準備期間が 短かったこともあり、これだけの資金集めは困難となりました。
そこで今回はひとまず、規模を縮小することになりました。そして グリーンランドから20トンの氷塊を仙台まで運んできました。 冷凍室つきのパビリオン「氷山の館」に入れました。 いよいよ博覧会がオープンされました。「氷山の館」では意外なことが 起きるかも知れません。
私たちは、この「夢氷山」から様々なことを学びます。



6.1 思いつき

数人の仙台市民が集まっていました。
「未来の東北博覧会で、人々をあっといわせる何か面白いことは できないだろうか」という話が出て、「北極海から氷山を運ぶプロジェクト」 の思いつきが持ち上がりました。「これは世界でも初めてだ。ぜひ実現 してみたい。やってみようではないか」ということになり、そして 次のような計画の案が出来上がりました。

	極地の氷山を運び利用することは、かなり昔から各国で
	何度か計画されておりますが、私たちが調べた限りでは、
	いまだに実現はされておりません。
	昭和62年7月18日から9月28日にかけて開かれる「未来の
	東北博」会場に北極から15,000トンの氷山を運び、海に
	浮かべ、入場者に乗っていただいて真夏の仙台港で北極
	を体験していただきます。
			アイスバーグプロジェクト
			代表 小野恒男
北極を体験しよう
図6.1 氷山に乗って北極を体験しよう。

これを太古にはせるロマン「夢氷山」と名づけ、次の宣伝文を作りました。
	数千年前に創られた北極圏陸地の氷が長い時を経て
	海に流れ落ち氷山となりました。そして今、数千年
	の眠りから目覚め、現代地球の水となって母なる海
	に還ろうとしています。太古のロマンチックなつぶ
	やきを残しながら・・・・・
	聞いてください、氷山のつぶやき・・・・・
アイスバーグ(Ice Berg)とは氷山のことです。
代表の小野さんは仙台市民のひとりです。氷山の「つぶやき」とは、 氷山の1平方メートル当り何百トンという圧力で閉じ込められていた 数千年前の空気が、氷の融解によってパチパチと音をたてて空気中に 飛び出すさまです。

氷山は海まで張り出した陸の氷が欠け落ちたもので、海の水が凍った 海氷ではありません。北極海の周りには海まで突き出した氷河が少ないので、 南極に比べて氷山は多くありませんが、グリーンランド周辺海域には直径 10kmを超えるものもあります。

6.2 意義

現在、世界の雨の少ない所では、水不足で食糧危機にさらされています。 将来は、もっと広い範囲で食糧不足になるかもしれません。

東北博覧会の会場に、北極海から氷山を運ぶことが実現されれば、 世界の将来に一つの希望を与えることになるに違いありません。

夢氷山は大きな氷を溶かさないで運んでくる計画です。これが成功すれば、 雪国の雪の害を克服することや、雪を利用することに大きな希望の力を 与えるに違いありません。日本の約半分の面積を占める雪国では 雪に悩まされ、毎年除雪に苦労しています。

雪国では雪害を克服し、さらに、雪を利用したいという気運が高まって います。山の雪を貯えて水資源に利用することの アイデアがあります。また多量の食糧の貯蔵に、冷たい氷や雪を利用する ことも可能です。こうした技術の開発に結びつきます。

大気中の二酸化炭素の増加によって地球が温暖化することが心配されて います。そのような温暖気候になれば氷の有り難さがわかり、極域の氷 に関心が集まります。

いっぽう、核戦争が勃発すれば火災によって発生する大量の煙が太陽光 をさえぎり、地上の気温を著しく下降させ、いわゆる「核の冬」となって しまうかもしれません。核戦争を起こしてはなりませんが、 気候が寒冷化し、地球の広い範囲が白い雪や氷で覆われると、 地球は太陽光を反射し、ますます厚い雪や氷で覆われます。

極地方の氷山が日本付近まで流れて来るかもしれません。 その予測をするのに、氷山が溶ける度合いを正しく 理解しておかなければなりません。

北極海の氷山を人々に見せる意味も大きいと思います。未来を背負う 子供たちが、直接氷山に手で触れたり、氷山のかけらをかじったりする時、 太古の昔に、また数千年前に創られた氷に、そして極北の地にロマンを 抱くに違いありません。

そばで見る大きな氷山に冒険心をかきたてられたり、氷山が創られるまで の過程や地球の自然に興味を抱き科学する心の芽をふくらませる者も いるに違いありません。将来、だれかは北の海を航行中に、海に浮かぶ 本物の氷山を眺め、「あの時の夢氷山はこの海から運んだのだな」と、 幼い時の博覧会を思い浮かべることができます。

夢氷山を実現させることは、たいへん困難で、冒険です。 しかし冒険にいどむことに夢氷山の意義があります。なぜ冒険であるかは、 後でだんだんとわかってきます。

冒険には二種類があると思います。冒険が科学技術の進歩につながった ものと、冒険そのものに意義があったものです。
初めてのことには、予想できないことが起こります。予想しなかった ことが起きた時、創意工夫でそれを乗り切る闘いの心こそ、未来に向けての 力になります。

世界で初めての氷山運搬計画は冒険ですが、失敗を恐れていては夢は 実現できません。万全の注意を払い最大限の努力で挑戦し成功させる ことに価値があると思うようになりました。まず可能な限り夢氷山が 実現されるよう支援したい。これが私自身を納得させたのです。

6.3 過去の例

アメリカの氷山学者ウイークスとキャンベルが1969年に発表した案に よると、南極海から広さ2.7キロメートル四方、厚さ250mもある18億トン のテーブル型氷山を海に浮かべたままで、曳き船でオーストラリアや南米 の砂漠付近まで6ヶ月ないし1年かかって運ぶ。その途中で約半分が溶ける としても残りが使えるので、曳き船のチャーター料を差し引いても採算が とれる、とされていました。

約半分も残るというアメリカの学者の計算が正しければよいのですが、 実際はどうなるのでしょうか?

そのほか、中東の水の少ない国でも南極海から氷山を運んで水資源に利用 するという計画がありました。しかし、実現はされていません。

1970年代後半から1980年代にかけて、私は理学部地球物理学専攻の 大学3年生向けに演習として、次の問題を計算させていました。

南極の氷海から厚さ100mの氷山を海に浮かせたまま曳いて運びたいが、 気温28℃、湿度80%、海水温度28℃、風と氷山の相対的な速度差10m/s の条件に会うと(つまり赤道付近を通過するとき)、数日間で溶けてしまう ことを示せ。(「大気科学講座1:地表面に近い大気」(東京大学出版会、 1981年)、p.127、問5.4参照)

6.4 執筆の動機

1986年11月末のことでした。アイスバーグプロジェクトを推進している 仙台市民グループ代表の小野恒夫さんが私のところに相談にきました。 「北極海から氷山を運んできて、来年の夏に仙台港に浮かべたいのです。 ・・・・・・・」

小野さんはそれまで、あちこちの雪氷学関係の専門家を訪ねましたが、 相談にのってもらえなかったらしく、ついに私のところへやってきたのです。 私は前述の通り、大学生に課した演習問題によると氷山の運搬は不可能 なことがわかっていたので、「氷山は暖かい海では何億トンという大きさで あっても数日間で溶けるので、そのような計画はだめですよ」と答えました。

熱心な小野さんの話を聴いているうちに、海水に直接触れなければ 夢氷山の実現は可能かもしれないと考えるようになりました。 日を重ねているうちに、もし実行する場合には、せっかく大きな冒険を して北極海から運んできても、溶けて小さくなった夢氷山では人々に 大きな夢を与えられないので、総力をあげて、できるだけ溶けないように して運んでくる必要があると思いました。

そして、氷山が運ばれてくるまでのドラマを知ってもらって、はじめて 人々に感動を与えたり意義を理解してもらうことができると思いました。

夢氷山計画の経過を記録しておけば、それが青少年に何かを与えるので はないか、そして氷山運搬計画には随所に 格好の研究テーマがあると考えました。

夢氷山という興味深い実例から、ものごとの実現には科学の知識や高度の 技術のほかに、情熱をもって推進する人たちと支援する多くの人々が どうしても必要であることを伝えねばなりません。

夢氷山は貴重な大実験と考えられますので、記録に残しておかねば なりません。たとえ夢氷山が夢に終ったとしても、 なぜそうなったかを記録に残しておくことは、いろいろな面で 意義深いと思いました。

私の主な研究課題は、大気と海洋・陸地とのエネルギーや水の交換に 関することです。これまでの基礎的な研究成果が氷山の融解という具体的な 問題に活かせるかどうかを問われていると考えました。

6.5 可能性の検討

結論を先に述べると、氷山を仙台湾に浮かべると1日か2日で溶けて しまいます。

北海道の冬に札幌などで雪祭りが行なわれています。大きさが10メートル 以上もある大きな雪の像はけっこう長持ちします。このことから想像すると、 氷山はなかなか溶けないように思うでしょう。

しかし空気よりも、海水で溶ける方がはるかに多いのです。 みなさんは手を0℃の空気に出すのと、同じ0℃の水に入れるのとでは どちらを冷たく感じますか? 水の方でしょう。それは水の方が空気 よりも熱を多く奪うからです。氷山が溶ける場合は熱の流れは逆ですが、 原理は同じで、水からの方が多くの熱を氷山に与えます。

まず空気で溶ける分 を雪解けの経験から考えてみましょう。
雪の多い地方では深さ2~3mの雪が春先には、およそ1ヶ月で消えて しまいます。春先の雪は、密度が氷の1/3 ないし1/2 なので、圧縮して 氷として考えると1ヶ月に約1mの厚さが溶けます。春先の気温が5℃程度 でこれだけ溶けます。

流量の季節変化
図6.2 月平均流量と降水量の季節変化、岩手県和賀川流域。 (「身近な気象の科学」(東京大学出版会)、 図16.3より転載)

図6.2はこのことを示しています。赤線は流域からダムに入る流量でして、 図の右側の縦軸に降水量と同じ単位のmmで示してあります。 4月~5月は、水に換算して厚さ600~700mmが融雪して河川に 流れ出ています。これは1ヶ月平均値でして、多い日は1,000mm (=1m)以上が溶けます。

多くの人が気づいていないことなのですが、 雪や氷が溶ける際、空気中に含まれる水蒸気が雪や氷の面に凝結する 効果が非常に大きいことに注意する必要があります。

氷が溶けるのは、主として太陽熱、凝結の際に発生する熱、および 暖かい空気からの熱(顕熱)の3つによります。気温が高い夏は、太陽熱の 強さは春とそれほど違いがなく、主として大気中の水蒸気が氷の面に 凝結つまり結露するとき熱(凝結熱)を発生して氷を溶かすのです。

融雪時の凝結の効果
図6.3 大気中の水蒸気が融雪を促進する例、気温=10℃、 湿度=100%、風速=5m/s、曇天日。 (「身近な気象の科学」(東京大学出版会)、 図16.7より転載)

図6.3は凝結の効果の例を示しています。水の厚さに換算した厚さ(水当量) =6.15cmの雪があったとします(左図)。1日間の結露が0.39cm 発生し、この際の凝結熱によって2.91cmが溶けます。 顕熱によって溶ける水当量は3.24cmです。この結果、1日後には (0.39+2.91+3.24=)6.54cmの液体水が生じます。水の総量が 増えるのです(右図)。 仙台の夏の平均気温が25℃だとしますと、氷は1ヶ月に5~6m(1日で 約20cm)も溶けます。 海上では、さえぎる物がないので、風速は山間部の2~3倍も 強く吹きます。すると、夏なら1日に氷は50cm以上も溶けます。

氷山は上からも横からも溶けるので、15,000トンといえども大よそ 1ヶ月で消えてしまいます。

こんどは海水で溶ける分 を見積もってみましょう。
仙台湾の夏の海水温度はおよそ25℃です。海流や潮流があって、 それが氷山の周りに熱を運びます。水は密度が空気の約1,000倍もあり、 熱をたくさん含み融解を早めます。

氷山の周りの海水の流れる速さを仮に秒速20cmとして計算すると、 氷山は1日に厚さで約10mが溶けます。予想外でしょう。

それでは、氷が溶ける速さをふろおけの中で実験してみましょう。 ふろおけの中の水温を25℃、氷を動かす速度を秒速20cmとしました。

風呂桶での実験
図6.4 ふろおけの中での氷の融解実験。

冷蔵庫に製氷用のケースがあります。長さ20cm、幅10cm、 深さ6cmです。これに深さ5cmだけ水を入れると、ちょうど1kg の氷が出来上がりました。海流や潮流の流れのかわりに、逆に、氷を 秒速20cmの速さで動かします。ふろおけの中に、ひと周りで2mの 輪を描くように動かします。

氷に埋めておいた2本の糸の端を少し持ち上げるようにして前方に引き、 氷の上面が水にぬれないようにします。氷の長さの方向に同じところが 先頭になるように引きます。そして氷が溶ける厚さを2分間ごとに測ります。

いよいよ実験です。1kgの氷をふろの中に入れました。ピチ、ピチ、と 音をたててひびが入りました。これが1500万倍の本物の夢氷山だったら、 どんな音がするのでしょうか。北極海では予期せぬことが起こるかも しれません。ひびは実際には大きな割れ目ですから、氷の上で作業する 人が落ちたりしないように十分な対策が必要です。

2分間たって実験中の氷を測ったところ、厚さは3.5cmになり、 1.5cmだけ薄くなりました。これを1日に換算すると約11mの 厚さが溶けることになります。

この実験では最初、氷は平らでしたが、実験中に氷の底を見ると 流線型になり、先頭部が多く溶け、後部の溶け方が少なくなっていました。 このことは、寸法の小さい氷ほど溶ける厚さが大きいことを意味しています。

氷を左右に直線的に往復運動させる実験もできますね。そのほか、 いろいろな動かし方があります。途中で氷の底を見ると、先ほど とは違った形が出来るはずです。それらは氷の造形美です。 自然界にはもっとすばらしい氷の造形美が見られます。

話を元にもどします。この実験、及び他の計算結果も考慮に入れると、 夢氷山を仙台湾に浮かべると、1~2日で大部分が溶けてしまうことが 予想されますので、海に浮かべるという計画は変更することになりました。

北極海から夢氷山を運ぶには、船に積むことが必要です。そして 強い風に当てないことです。太陽光を反射する白いカバーを掛けて運びます。 それでも夢氷山はカバーからの目に見えない赤外放射熱を受けて溶けます。

夢氷山を船に積んだあと、発泡スチロールに類似な原料を噴射機で 出して固め、覆う方法も考えました。材料は硬質ポリウレタンです。

夢氷山を断熱材で作った箱に入れます。体育館のような物です。 夢氷山の形が不規則であることを想定し高さ20m、長さ60m、幅 30m、断熱材を厚さ4cmの木製パネル相当、外気の温度を20℃ とすれば約500キロワットの冷房能力のある冷房機で冷やさなければ なりません。

夢氷山を船で運ぶ場合は、重油を使ったジーゼルエンジンで冷房します。 約300キロワットのエンジンを使用します。そのための重油は、 北極海から仙台までの約20日間に約15トンを消費します。

6.6 氷山積み込みの方法

北極海から夢氷山を運ぶには船に積むことが必要です。 そして強い風に当てないことです。さらにカバーを掛けて冷房機で 冷やさなければなりません。

15,000トンもの氷山をどのようにして船に積み込めばよいのでしょうか? その方法は、運搬船(25,000トンのバージ)を氷山の真下に沈め、 自力排水し浮上して氷山を積載します(図6.5)。

積み込み方法
図6.5 氷山を積み込む方法。

この場合、北極海の氷山は南極海のものと違って形が複雑ですから、 運搬船は浮上するにしたがって、大きく右に左に傾きます。 失敗すると運搬船は転覆か沈没の危険があります。したがって非常に 高度な技術が要求されます。

氷山の積み込みが終ると、曳き船(15,000トン、14,000馬力のタグボート) で時速15kmで仙台港まで曳いてきます(図6.6)。

氷山の輸送
図6.6 氷山の運搬方法。

運搬中に気温の急変があり夢氷山は膨張や収縮で割れる可能性も あります。また、嵐の日には、運搬船は高い波で洗われます。それゆえ、 夢氷山に掛けたカバーの隙間から暖かい海水が直接入らないように、 下の方には防壁をつけておきます。

冷房装置は運搬船の左右と前後の4つに区切って働かせます。 これは運搬中に夢氷山の溶ける速さが場所によって違うことが予想される からです。

また、断熱材のポリウレタンで造ったカバーには5m×2mの窓を作り、 開けられるようにしておきます。この窓は、夢氷山の左右と前後の4箇所に あり、運搬船固有のバランス装置や冷房装置が故障した時の緊急用装置です。 この窓を開けて風を夢氷山に当て、部分的に溶かして船体のバランスを 保つためです。

6.7 経費の概略

運搬船は長さ141m、幅36m、荷物は25,000トンを運べるものですが、 安全のために夢氷山を1万トン程度以下に小さく変更することに なりました。

このような設計とした場合、およその経費は次の通りです。
	積み込みと運搬の費用    1億円
	融解防止のための費用    1億円
	保安・その他の費用      5千万円
	  合 計         2億5千万円
これが1万トンの氷の値段になります。 氷1kgにつき原価25円です。高いか安いかはみなさんの判断に おまかせしましょう。

平和で物が豊かになり、世の中の価値観が変わりつつあります。 人々は夢を、ロマンを求める時代になりました。 氷山のかけらを飲み物に入れると、太古の昔のつぶやきが楽しく パチパチと音を出して聞こえてくるのです。

ここで仙台の市民活動を紹介しておきましょう。
1982年5月、市民グループの提案によって自転車の自由乗り運動 が行なわれました。それは市内の数箇所に自転車の置き場所を作り、 利用したい人はそこに置かれてある自転車を自由に利用し、 使った後は最寄の指定場所に返しておく、ということが実行 されました。

市街地までバスで来れば、市内では自転車で身軽に移動ができ、 たいへん便利で、市民の良心を信じての行事でした。

1986年12月12日~27日までの16日間「光のページェント」が行なわれました。 定禅寺(じょうぜんじ)通と青葉通の並木の114本のケヤキに30万個の 豆電球を取り付け、午後5時から12時までいっせいに点灯しました。 市民の共感だけを頼りにわずか3ヶ月余で5千万円の募金を集めました。

「光のページェント」は多くの市民に予想以上の反響と話題を呼び、 その後も師走の仙台の恒例行事として定着しています。 この素朴な発想と同じ「夢氷山」計画が同じ1986年に出てきたのです。

夢氷山プロジェクトチームはカンパのために、次のような文章を 作って御願いをしました。
	氷山を運ぶ費用がかなりかかります。皆様の応援を
	御願いします。カンパをちょうだいした皆様には、
	イベント期間中に限定販売の氷山のかけらをお礼の
	しるしとしてお渡しします。そして、収益は全額自
	然保護のために寄付いたします。
夢氷山に掛かる経費は一般市民からのカンパでは5千万円が限度と思います。 光のページェントより、かなり多くの資金が必要ですので、 大企業からも応援してもらうことを考えました。 大企業の本社はほとんど東京にありますので、プロジェクトチームは 東京に出かけなければなりません。

代表の小野恒夫さんは、スポンサーになってくれそうな会社を 訪ねました。しかし資金はそう簡単には出してくれません。この 夢氷山の冒険は失敗の可能性もあることが資金集めを困難にしました。 「夢氷山」が実現したとすれば、その快挙にカンパはどっと集まるでしょう。 しかし実現されなかったら、カンパはまず期待できません。

短期間の資金集めが困難なことと、技術的な困難性から、夢氷山は 15,000トンから、その10分の1の1,500トンへと規模を縮小しました。 そして安全に成功させることを第一としました。 1,500トンとしても大きさは長さ25m、高さ6m、 幅10mの長方形に相当します。

1987年2月に入って事態は急速に好転への兆しが見え始めました。 博覧会協会が資金の一部を支援してくれることになりました。 これで、残された問題は一つになりました。 夢氷山が適当な場所にあるかどうか?

6.8 国際問題

外国の沿岸近くから、その国の人々の心情を考えないで、氷山を 気楽な気持ちで運んでくることに問題はないでしょうか?

日本人の中にも、いろいろな考えがあると思います。「そのような 大金は、ほかにも使い方があるはずだ。・・・・・・」
いっぽう、「これからの生き方は夢氷山に代表されるような ことを行なうべきだ。ばかげた戦争に莫大な予算を掛けるよりは夢を買う ほうが平和な生き方だ」等々。

いろいろな状況から、夢氷山の実現は慎重に進めることになりました。 プロジェクトチームは外国大使館や外国政府在日事務所にも相談に行く ことになりました。

6.9 最後の実験(懸賞問題)

暖かい海で氷山が溶ける速さを測った実験は世界じゅうになく、 また正確な計算をした学者もいません。それゆえ、博覧会で多数の人が 見た後、夢氷山は海の中では何日で溶けるかを実験してはどうでしょうか?

懸賞問題として、何日何時間で溶けてしまうのかをあらかじめ募集します。 参加資格は、学者も一般の人も、だれでも可としておきます。

仙台湾周辺では海産物の養殖をしている人たちもいます。 海に入れた場合に、(1)冷水の海への影響と、(2)夢氷山が 風で流される力の計算を行ないました。夜間の監視が必要なため、 満月の日に行なうこととしました。また、強風が出たときを想定し、 氷に働く力を求めました。この力は1万4千馬力の曳き船の力130トン にほぼ匹敵します。馬力のある曳き舟の手配が必要です。

日の出、月の出、月齢などがわかる天象表を参考にすると、1987年は 8月9日または9月7日とし、その午前中に夢氷山を海に放つことと しました。

夢氷山はロマンを運んできました。ロマンを運ぶために多くの困難が ありました。そして今、夢氷山は水となり母なる海に還ります。自然に 還るのです。

6.10 氷山はどこに

氷山は北極海周辺ならどこでも生まれると思われるかもしれませんが、 不思議なことに、限られた条件のところでしか生まれません。 地球上で大規模な氷雪地や氷河が存在する場所はどこでしょう?

陸地を広く覆う大陸氷河は南極とグリーンランドにあります。 これらの周辺では氷河が海に崩れ落ち、氷山が生まれています。 そのほか、氷河は海に近いところでは、スカイジナビア半島、 南米パタゴニア、アラスカ南部の太平洋沿岸の山脈にあります。 不思議にも、ロシアなど北極海沿岸近くには氷河のない範囲も あることに気づきます。

日本の雪国のように、冬に多量の雪が降ったとしても、夏に融雪・流出したり 昇華・蒸発してしまえば氷河は形成されません。夏に全部が溶けない条件は、 できるだけ冬の積雪量が多く、山が高くて気温が低いことです。 このことを図6.7が示しています。

氷山の生まれる条件
図6.7 氷山の生まれるのは、降水量が多い低温気候の条件である。

多くの地域では、年間の降水量は標高とともに増加します。いっぽう、 蒸発・昇華量は標高とともに減少します。その結果、降水量の多い ところでは標高とともに水資源量(=降水量ー蒸発量)が大きくなります。 低温であれば、水資源量は氷雪として貯えられます。つまり、 このような条件で氷河が生まれやすくなります。

アラスカの太平洋岸の近くには4,000~6,000mの高い山があり、太平洋から 湿った風がぶつかり、多量の雪を降らせ氷河をつくります。この氷河が 海に崩れ落ちて氷山をつくります。

アラスカの地図
図6.8 アラスカの地図。

札幌にあるアメリカンセンター、東京のカナダ大使館、アメリカ大使館ほか、 多くの方々からご支援ご協力を得ることができました。

アラスカのグレーシャベイの氷山は観光地なもので、これを日本に運ぶ ことはだめで、その代わりバルディースの町の近くにある氷山は、 沿岸警備隊によって毎日状況がわかっている。それゆえ、ここから 氷山を運ぶ案が決まったのです。

6.11 暗礁

3月末になって、夢氷山プロジェクトチームは大きな暗礁に乗り上げました。 それは夢氷山を実行する総経費が当初より1億円強も高くなり、 3億8,600万円になってしまいました。

この事態を打開するために彼らは新たな行動をとることを考えました。 アラスカへの氷山の予備調査に行く機会に、現地でも宣伝し、スポンサー を探します。

ここで心配なことがあります。当時、日米間には円高・ドル安で経済摩擦 が一段と激しくなっていました。半導体の第三国向けダンピング問題です。 日本の電気製品が事実上輸出禁止と同じになりました。日米は互いに 相手国が不公平貿易をしている、と批判しています。

博覧会関係者は、予算の増額に心が揺れ動きました。夢氷山プロジェクト チームも資金集めにいろいろなアイデアを出しました。

しかし結論は次のようになりました。
アラスカからの夢氷山の運搬はあきらめて、グリーンランドから 冷凍庫つきの大型貨物船に、小型の氷山のかけらを積んで運んでもらう。 それを冷凍室付き展示室に展示する。

6.12 グリーンランドの自然

舞台はアラスカからグリーンランドに移りました。
地理上の北極は地球自転軸の北の極です。北極星を頼りに北へ北へ と進み、北極星が自分のほぼ真上になったところです。

いっぽう、グリーンランドの北西の海岸の近くには地球の磁気の北極 があります。これを地磁気北極と呼んでいます。地磁気北極は年々場所を 少しずつ変えています。

極地方でオーロラの出現頻度が高いのは極ではなくて、だいたいこの地磁気 の極を中心とした半径約2,400~2,800kmの円環状の帯の地域です (図6.9)。

オーロラ帯
図6.9 ベスティーンによるオーロラ出現帯。

グリーンランドは世界最大の島です。面積は日本の約6倍もあります。 しかし、その4/5が厚い氷に覆われています。島の最高峰は3,700mです。 氷の厚さは、ところによって3,000m、平均1,500mもあります。

グリーンランドの地図
図6.10 グリーンランドの地図。

1987年5月11日、小野恒夫さんはグリーンランドに立つことができました。 そして5月13日、小野さんは念願の氷山と初めて対面することができました。 そのときの感動を「その造形の美しさ、光の中で輝くさま、圧倒される 大きさ、しばし我を忘れる時間を持ちました。・・・・・・・」と伝えて きました。

氷山の写真
写真6.1 氷山の写真(その1)。

氷山の写真2
写真6.2 氷山の写真(その2)。

イルリサッツ(ヤコブスハウン)ではポールバッカーさんに案内して いただきました。この沖合いに浮かぶ氷山のかけらを日本に運んでいただく よう依頼しました。

イルリサッツの沖
写真6.3 イルリサッツの沖からの眺め。

民俗衣装
写真6.4 グリーンランドの民俗衣装を着たポールバッカー婦人。

6.13 氷山の館

氷河期の島「グリーンランド」の自然を象徴する氷の像を展示する パビリオンの建設が決まり、「氷の館」と命名されました。 計画実行の決定が遅れたため、「氷山の館」は博覧会場の隅のほうに 造られた33番館目のパビリオンとなりました。

いま20トンの氷塊がグリーンランドから仙台へ向けて運ばれています。 大西洋、地中海、スエズ運河、インド洋を経て、地球の約半分を 回って運ばれています。

参考:
「未来の東北博覧会」会場の「氷山の館」を見学する人々に、 夢氷山がどのようにして計画されたかを理解していただくため、 拙著「夢氷山ー氷山を日本に運ぶプロジェクト」を著しました。 その内容は上記の段階までを記録したものです。つまり、印刷・製本の 関係上、途中までの記録となりました。
なお本書には、夢氷山の記録のほか雪や氷に関する短文の随筆 数編も掲載してあります。 このホームページに記載した内容は、本書からの抜粋です。


詳しい内容を知りたい方には、本書を差し上げますので、 メール等で申し出てください。ただし、品切れとなった場合はあしからず。

以下は、その後の経過です。内容は拙著「大砂時計」の 付録「続・夢氷山」からの抜粋です。

6.14 反響

グリーンランドから20トンの氷塊が運ばれました。冷凍室つきのパビリオン に入れ、極北の自然を象徴した像が彫刻されます。 いよいよ博覧会のオープンが間近です。

1987年6月29日の午後、電話のベルが鳴りました。 私が受話器を取ると、
 近藤先生でしょうか? 私は東京のN社のKという 者です。ご著書『夢氷山』を書店で購入し、北極海から1万5千トンの氷山 を東京湾に運んでくるプロジェクトがあることを知りました。 2年後の横浜での博覧会で「夢氷山」本番を、ぜひわが社に企画担当 させていただけませんか? 


 その本に書いてありますように、私は仙台の市民運動 『夢氷山プロジェクト』の支援者ですから、代表者の小野恒夫さんに ご相談になってみてください・・・・・・。ところで、Kさんはまだ その本を全部お読みになっていないようですね。

Kさん
 そうです。まだ全部読んでいません。でも、 こういう面白い企画は競争相手も多いことでしょうから、一刻も早く 名乗りを上げておきたいと思いまして・・・・・・。


 来月7月18日には仙台港で未来の東北博覧会が オープンし、グリーンランドの氷20トンが『氷山の館』に展示されます。 小野さんはその準備で忙しいので、詳しいご相談は7月20日以降がよい と思います。とにかくその本をよくお読みになり、夢氷山プロジェクト の内容をご理解になってから明日にでも電話連絡なさってください。 Kさんから電話があったことは、私からも小野さんに伝えておきます。

6月末から7月にかけて、「夢氷山」の読者の方々から、次のような 反響が寄せられました。

	ユニークでロマンあふれる発想に驚かされます。
	小野さんたちの熱意に敬意を表したいと思います。
	やる気と人間関係の大切なことを教えられました。
	詩的で幻想の世界を描かれておられることに敬服いたします。
	年配の人にも青少年にも科学的なロマンを育てる絶好の
	  ものであります。
	幼い頃に持った夢は、成長するにしたがって消えてゆく
	  ことが多いものですが、夢を現実のものとする行動
	  力とロマンを持ち続けておられることに深い感銘を
	  受けました。
	今週の講義では予定を変えて「夢氷山」の話をしましたら、
	  学生たちは目を輝かせて驚いておりました。
	壮大なアイデアがどのように生まれ、育ち、その実現に
	  向って多くの方々が努力され、協力され、将来に夢を
	  つないだかが非常にわかりやすく、感銘をうけました。
	氷は溶けて消えるわけですから、「夢氷山」という名前も
	  ぴったりで、このような題名の演歌があっても不思議
	  ではない気がします。また、非専門家の科学書は、そ
	  れなりの思想が必要と思います。「夢氷山」はまさに
	  そのような思想を示されたような気がします。
	近年になって雪国の人々が雪に対する考え方を少しずつ変
	  えてきているようです。年中働くのではなく、雪国の
	  冬半年を思考についやし、楽しく遊ぶようにすると、
	  日本のこれからの文化ももっと変わったものになるの
	  ではないかと思います。
	社会に役立つとか、経済効果とかの次元を離れて、「無用
	  の意義」を高く買いたいと思います。
6.15 暑い日は入りがよい

氷山の館を含む総経費は約8千万円を要しました。この経費の大部分 は冷凍室つきパビリオンのための費用です。

設計によれば、パビリオン内の温度はマイナス15℃前後に保ち、 見学スペースは3℃~マイナス5℃とし、ガラス越しに氷山(氷の像)を 見るようになっています。

私はこの設計を知り、気掛かりになったので、博覧会責任者に 次のように伝えました。
「氷山の館は、冷やし過ぎなので、ガラスに硬い霜が降ります。 見学スペースは氷点下にならぬようにし、そのうえ、なるべく除湿 をするように・・・・・。」
「ガラスの温度が0℃以上なら、それにつくのは露です。露ならすぐ 取り除くことができるので簡単です。」

7月17日、博覧会のオープン前日の午後のことです。
小野さんから電話があり、「氷と見学スペースを仕切るガラス板に 霜が降りました。取り除くのが大変です。どうしたらよいのでしょうか?」

私は小野さんに、返事として、「そのことを私は心配して、先日注意して ありましたが、見学スペースを設計どうり低温にし過ぎましたね。 マイナス5℃をプラス5℃程度にするように、担当者に話なさい」と伝えました。

博覧会がオープンして数日後、こんどは「氷の像がだんだんやせてきている」 と伝えられました。これは、氷の昇華による現象です。大きな昇華が 起きた理由は、冷凍機から展示室に吹き込む気流が強すぎ、しかも その気流が直接氷の像に当っていたからです。
それゆえ、気流速度を落とし、直接氷の像に当らないように改良したようです。

予期せぬことが起き始めました。自然は、実に面白いことを見せてくれます。 空気で冷却するかぎり、氷はやせるのは当然です。みなさんは冷蔵庫の 中に果物や野菜をそのまま入れておくと、しなびてくることを知って いるでしょう。それと同じ現象なのです。

昇華とは、0℃以下で氷から水蒸気が出る現象のことです。0℃以上の水から 水蒸気が出ることを蒸発といいます。ですから昇華も蒸発も似た現象で、 厳密に区別しないで両者を蒸発ということもあります。 蒸発の逆は凝結、あるいは昇華凝結です。

氷がやせるか、あるいは逆に太ってくるかは、氷に当る空気の温度、 湿度、その気流の速度に依存します。氷をやせることなしに冷やす方法は、 空気の動きを利用しないで、スケートリンクのように氷の下から熱伝導で 熱を逃すか、あるいは放射冷却で熱を放出させなければなりません。

氷の表面に温度のむらがあると、高温部分は蒸発してやせるのですが、 その水蒸気は氷の低温部分に移動します。つまり、氷の変形が 起こります。

自然界では、太陽光や風の吹き方、あるいは気温や湿度の変化にともなって、 形は様々に変化し、美しい造形を見せているのです。

博覧会がオープンした直後、氷の像がやせた現象を熱の流れの観点から みてみましょう。

氷の展示室の下の地中の温度は、はじめは高かったのです。 その温度の分まで氷を通して冷却したことになります。しかし時間の 経過とともに地中の温度が下がり、冷却力も少なくてよくなりました。 冷却力が少なくなれば氷の昇華(蒸発)も時間とともに少なくなりました。

詳しくみると、はじめの頃は展示室も氷を支える台も地中も 高温であり、熱が氷にどんどんと伝わってきました。この熱を逃さなけ れば氷は溶けるので、冷却機から冷気を送り、氷の表面から盛んに 熱を奪い冷却を続けました。氷は昇華することで熱を効率よく放出し、 やせたわけです。時間が経過し1ヶ月もすると、地中から氷へ伝わって くる熱もほとんどなくなり、氷がやせることもなくなったのです。

日にちは過ぎていきました。
そして博覧会の終了後、「氷山の館」の担当者から毎日の入館者数を教えて いただきました。

博覧会に入場した人の全員が「氷山の館」に入館した場合を入館率= 100%とします。実際には、どのパビリオンでも収容人数には限度があり、 毎日100%にはなりません。人気館には長蛇の行列が続きます。夏の炎天下 で1時間以上も行列で待つ人もいますが、多数の人はあきらめます。 したがって、博覧会に来た人が多い日には入館率は頭打ちになります。

氷山の館は二番人気館ではありましたが、73日間の合計入館者数は71万人 でした。これは博覧会の延べ総入場者数297万人の24%に相当します。 氷山の館は大きさが小さかった割には、入館者数が多かったのです。

入館者数が、その日の最高気温と関係するかを調べてみました。

入館率と最高気温
図6.11 最高気温と入館率の関係。

図6.11に示したように、最高気温が20℃前後の涼しい日には入館率は 23%前後です。最高気温が30℃以上になると30%を超える傾向があります。 人々は、暑い日ほど氷を見たくなるわけです。

気温が低いときアイスクリームの売れ行きは悪いが、暖かくなると 売れ行きが増えるといわれています。しかし気温が30℃を超えると アイスクリームよりも、かき氷などの種類が爆発的に売れるそうです。

アイスクリーム、かき氷、ビール、そのほか季節商品の製造会社は その年の気温が平年より高くなるか低くなるかを真剣に知りたがって いるそうです。

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