K21.都市と田舎の霧日数長期変化
著者:近藤純正
	21.1 研究の動機
	21.2 都市における霧日数
	21.3 京阪神地域の霧日数
	21.4 霧の季節変化、関東と関西の比較
	21.5 田舎・地方都市の霧日数
	要約
	文献
	資料
トップページへ 研究指針の目次



年間の霧日数は、大都市や盆地内中都市では近年急速に減少し、東京や横浜 では70年前の10分の1以下となった。いっぽう、環境変化の少ないと 見なされる地方では霧日数の変化は小さく、ほぼ一定の傾向にあるが、 岩手県宮古では顕著な増加、銚子や御前崎ではやや増加の傾向にある。 (2006年7月24日完成)


21.1 研究の動機

岩手県三陸海岸の宮古における気温の長期変動を調べていたところ、年平均気温 には顕著な長期的上昇傾向はなく100年間当たり0.3℃程度であるのに対し、 気温日較差の年平均値(毎日の最高気温と最低気温の差の年平均値)は 0.9℃ほどの割合で減少している。

この原因を探っていたところ、宮古では霧日数がこの70年間に倍増しており、 このことが気温日較差を減少させる原因の一つだと推測した。 その詳細は 「K18. 宮古と岩手内陸の温暖化量」の図18.6とその前後で説明した。

霧が発生すると、地上付近の気温に影響するので、気候変動の解析に 重要な問題となる。そこで宮古以外の地点についても霧日数の長期変化が あるのかどうか、調べることになった。

資料は気象庁ホームページ及び気象庁年報(CD-ROM)に掲載されている気象 官署(気象台と測候所)の1931年以降の資料に基づく。この章は本谷研博士 とともに行った予備解析の結果であり、図は代表33地点について示すもので ある。

21.2 都市における霧日数

図21.1は大都市における霧日数の経年変化である。最近では東京、横浜、 京都、大阪、名古屋、広島、福岡では霧日数は年間に数回だけとなった。 これは都市化、つまり人工熱の増加と土地被覆の改変により、周辺から霧が 流れてきても温暖・乾燥都市によって霧が消失するからかもしれない。 なお、京都と大阪については、次節で再びとりあげる。

仙台は、これら大都市と違って、霧日数が極端に減少していない。その理由は、
(1)気象台が海霧の侵入する海側にあり市街地中心部の影響を受け難いこと、
(2)他都市に比べ周辺に田園・森林など緑地が多いこと、
(3)三陸沿岸に近い位置にあること、
によるのかもしれない。

霧日数東京、仙台
図21.1 大都市における霧日数の経年変化
(上)東京、横浜、(下)仙台、名古屋、広島、福岡


図21.2は盆地(上)または積雪地(下)について示した例である。霧は、 温暖地では雨上がりの晴天夜に放射冷却によって発生することが多いが、 前記のように近年の温暖・乾燥都市によって霧の発生が少なくなった と考えられる。冬期の放射霧も都市化によって、放射冷却が弱化している ことが理由であろう。

「K10. 都市化の判定基準」の図10.17に示したように、積雪都市では 近年の放射冷却が弱化しており、これと霧日数の減少が対応している。

霧日数旭川、札幌
図21.2 積雪都市における霧日数の経年変化
(上)旭川、山形、飯田、長野、(下)札幌、青森、福島、新潟


21.3 京阪神地域の霧日数

図21.3(上)は京都、大阪、神戸における霧日数、(下)は周辺の洲本、 和歌山、徳島における霧日数の経年変化である。

霧日数大阪、洲本
図21.3 京阪神地域における霧日数の経年変化
(上)大都市(京都、大阪、神戸)、(下)地方都市(洲本、和歌山、徳島)


京都と大阪が他の大都市と違って、太平洋戦争終結の1945年以後の数年間に わたり、霧日数が少なくなっている。戦前の大阪は日本一の工業地帯として 工場が立ち並び、煙突からの煙がもうもうと昇っていた時代である。当時は 現在のように”公害”防止に真剣ではなかった。

京都は大阪方面からの汚染物質と霧が運ばれ、盆地による放射冷却の 効果が重なって、終戦前の多い霧、終戦後の少ない霧、その後の増加と なったのであろう。

米軍の空爆によって工業地帯は焼け野原となり、空気がきれいになり、凝結核の 減少により霧日数も減少したのではなかろうか。しかし、戦後の復興が進むに つれて工場群が復活し、再び霧日数が増加する。

本ホームページ「研究の指針」の 「K15. 境界層研究の変遷と将来」の第15.2節「社会背景と関連研究 (概観)」の「20世紀の社会と関連研究の年表」を参照すると、 1964年には公害による死者が始めて出ており、1967年には公害対策基本法が 出来上がり、公害防止が本格的に進んだ。同時に都市化も進み、これらが 相まって霧日数が減少することとなったであろう。

明瞭ではないが、大阪周辺の洲本、和歌山、徳島でも大阪・京都で生じた 戦前-終戦-復興に伴う増加・減少・増加の傾向が見える。

注意
淡路島の洲本測候所では1994年4月1日から目視観測は8時30分~17時の日中 のみとなり、夜間の霧が観測されないために霧日数が急減している。
2003年3月1日から無人化されて特別地域観測所となり、霧は器械観測 となり、霧日数の不連続が生じている。

戦争前から終戦後復興期にかけての霧日数の変動と大気汚染度(大気の にごり:大気の混濁係数)の変動が対応していないかどうか、調べてみよう。

図21.4は日本の代表地点における大気の混濁係数の経年変化であり、 大都市において、京都と大阪における霧日数の減少ー増加の変動と対応して いる。残念ながら京都と大阪では太陽直達光の特別観測が行われていなかった ので、直接的な比較はできない。

混濁係数
図21.4 日本の代表地点における大気の混濁係数の経年 変化。
曲線(1)は東京、(2)は中都市、(3)は地方 (「水環境の気象学」p.65の図4.5より転載)


図中の曲線(1)は東京における混濁係数であるが、東京では1960年代に 大気汚染がひどくなり、晴天なのか薄曇りなのかの見分けができなくなり、 直達光の観測が中止された。公害防止法もできあがり汚染防止技術が進んだ 現在では、大気は1960年代よりはきれいになった。

東京でも終戦直後の1945~1952年ころにかけて混濁係数が減少したのに 霧日数の減少傾向が見えない。東京・横浜と大阪・京都における霧の 多発する季節が違い、発生原因に違いがあるのかもしれない。

そこで次節では、東京・横浜と大阪・京都について霧の多かった1940~1960年 代における季節変化を調べよう。

21.4 霧の季節変化、関東と関西の比較

図21.5は1941~1970年(30年間)の月当たりの平均霧日数について東京・横浜 と大阪・京都の比較である。

霧発生の季節変化
図21.5 霧発生の季節変化、1941~1970(30年間)の平均
(左)東京と横浜、(右)大阪と京都


霧は東京・横浜では暖候期(5~7月)と秋~初冬(11~12月)に多い のに対し、大阪・京都では寒侯期(11~2月)に多く暖候期(4~9月) は少ない。

個々の霧発生時の条件を調べてみないと断定できないが、大阪・京都では 下層大気が安定なとき発生する放射霧の寄与が高いといえそうである。

東京・横浜では、5~7月の降雨に関係した高温多湿の条件で発生する霧と、 晩秋の雨上がり後の放射霧の寄与が大きいのかもしれない。詳細は今後の 調査・解析にゆずることにしよう。

21.5 田舎・地方都市の霧日数

図21.6は北海道の網走と浦河、岩手三陸沿岸の宮古(上図)、及び日本海沿岸 の北海道寿都、佐渡の相川、島根県の浜田(下図)について示している。

霧日数網走、寿都
図21.6 地方都市における霧日数の経年変化
(上)北日本(網走、浦河、宮古)、(下)日本海沿岸(寿都、相川、浜田)


これらの地方都市では、前節までに示したような霧日数の顕著な減少傾向は 見えず、長期にわたりほぼ一定である。気温や風速は観測所の近傍 (10mから数km)の環境に支配されるのに対し、霧の発生や広がりは 10km~数100km規模の周辺環境に支配されると考えられるので、 仮に広域(アジア域、地球規模)の気候が大きく変化しないとすれば、 霧日数一定は、その観測所近辺の環境が大きく変化していないことを表す ものと考えてよいだろう。

図21.7はおもに太平洋沿岸で霧が相対的に多い地点(上図:小名浜、銚子、室戸岬) と相対的に少ない地点(下図:八丈島、石廊崎、御前崎、潮岬)について 示している。

霧日数小名浜、八丈島
図21.7 太平洋側における霧日数の経年変化
(上)(小名浜、銚子、室戸岬)、(下)(八丈島、石廊崎、御前崎、潮岬)


いずれも霧日数は長期にわたりほぼ一定の傾向である(浦河、網走、 佐渡の相川、小名浜、伊豆大島、房総半島の勝浦、潮岬、室戸岬、 島根県の浜田、ほか)。

図示していない地点を含めて、図21.6と21.7を総合して見てみると、 三陸以南の太平洋沿岸から東海沖までの範囲(宮古、銚子、 館山、御前崎)で霧日数の増加傾向があるように見える。 この理由として、現段階で次のことが考えられる。
(1)広域の大気汚染(特に凝結核の増加)により、霧が発生しやすい。
(2)海洋変動の反映の疑いがある。

上記(1)の効果があるとすれば、大都市や盆地内都市では大気汚染による 霧の増加よりも都市化や盆地の放射冷却の弱化による効果が強く働いている のではなかろうか。

一方この海域の小名浜、伊豆大島、房総半島の勝浦では霧日数はほとんど 一定であり、霧が増加しているとは断定できない。

参考(宮古の霧)
宮古の霧について調べた松岡稔(1994)は、次の結果を報告している。
”霧の大部分は、気温が沿岸海水温度より低い4~9月に発生している。 霧日数は観測以来その数は増減を繰り返しながら確実に増加傾向にある。 海水温度が低いと霧日数が増える傾向にある。”


備考1:
伊豆大島では、1991年12月18日に標高190mの地点から74m地点に 位置する合同庁舎に移転し、それまでの平均の年間霧日数80日から11日に 急減した。

備考2:
ここには図示していないが、北海道室蘭では霧日数が1950年代に階段的に 増加しているが、これは庁舎の移転にともなうものだと判断される。 すなわち、室蘭測候所は1923年に標高18.8mの場所に創設されたが、1952年 にそれよりも南南西方2.1kmの標高42.6mの高い場所に移転している (気象庁年報による)。

備考3:
都市郊外では霧であっても、市街地へ来てみると霧は地上から離れて 雲が高層ビルにかかっていることがある。地上の人にとって雲であっても、 高層ビルの住民にとっては霧の中にいることになる。この現象は高層ビルの ない昔には体験できなかったが、近年では体験できるので、今後注意すること にしよう。

霧が地上から離れて上空にあれば雲であり、雲が地上まで達していれば霧 である。地上付近の気温がわずか高いことで、霧は消え低い雲として 観察されるわけだ。

要約

(1)霧日数の減少は大都市で顕著である。

(2)盆地内都市や積雪域の地方都市でも霧日数の減少が大きい。

(3)都市で霧の多かった時代(1941~1970年)について霧日数の季節変化を 調べてみると、東京・横浜では5~7月と11~12月に多いのに対し、大阪・京都 では暖候期に少なく、寒侯期の11~2月に多い。

(4)観測所のやや広域の環境変化が少ないと見なされる田舎では、 霧日数はほぼ一定の傾向である。室戸岬はその代表である。

(5)三陸沿岸の宮古ではこの70年間に霧日数はほぼ倍増している。三陸以南 の太平洋沿岸から東海沿岸までの範囲に増加傾向の地点(宮古、銚子、館山、 御前崎)がある。

文献

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学ー地表面の水収支・熱収支ー. 朝倉書店、pp.350.

松岡 稔、1994:宮古の気温・海水温と霧日数について.平成6年度仙台管区 気象台調査研究資料、p.61-p.62, 仙台管区気象台平成6年10月発行。

資料

気象庁編、2004:気象庁年報2003年版(CD-ROM)、気象業務支援センター発行.

トップページへ 研究指針の目次