コルホーズ長



 漁業コルホーズの見学に行った時、到着したバスに乗り込んできて歓迎の辞を述べるコルホーズ長。左は通訳する日本人添乗員。 (1987年8月撮影・ラトビア)

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工場長



 モスクワにあるシャンペン工場の工場長。上のコルホーズ長がいかにも旧時代の地方の幹部という感じなのに対して、ソ連末期のこの工場長は新しいビジネスマンの感じも漂わせている。もっともソ連の各地域が独立志向を強めているため原料の葡萄がモルダビアなどから入手しにくくなって困ったと言っていたように記憶している。 (1990年12月撮影)

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仕立て屋




 通りを散歩しているときに仕立て屋さんのウィンドウをのぞいたら中に入れと手招きされて、記念に写真を1枚。 (1989年8月撮影・バツーミ)


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ピロシキ売り




 街角で見かけたピロシキ売りの女性。看板には「ホット・ドッグ」とあるが、台の上に置いてあるのはまぎれもないピロシキ。 (2005年8月撮影・ヤロスラブリ)


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売り子




 駅前広場で蟹を売る若い女性。夏の太陽の下、冷蔵もしないで売っていて大丈夫なのかと思う。  (2006年8月撮影・サハリン州ブズモーリエ)


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農婦




 シベリアの寒村に生きるマリヤ・イワノヴナ。撮影は固辞されたが、ぜひにとお願いすると写真のように背筋をピンと伸ばして素晴らしく威厳のある姿勢で応じてくださった。 (1999年8月撮影・ヴォローゴヴォ)


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猟師




 人が足を踏み入れることを拒むような深林タイガの中で獣を追う仕事に従事してきた猟師。背中に見える棒状のものはもちろん銃。 (1999年8月撮影・エニセイ河畔コムサ)


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老闘士



 スベルドロフが流刑中に住んでいたという小さな博物館を見学していたら自分はスベルドロフの同志だと言う老人に出会った。共産党員ならみな同志だから。ソ連時代にずっと下積みの党員としてやってきた人にとって今の世ほど住みにくい時代はなかったかもしれない。 (1999年8月撮影・トゥルハンスク)

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生物学者



 BAM鉄道の車中で知り合った老人。かつての大戦に将校として参加した「ベテラン」とよばれる人たちの一人で、東シベリアで開かれた戦友会に出席して自宅のあるムルマンスク郊外に帰る途中であった。生物学者で、極北地方の生物分布に関する(らしい)論文の写しを私に見せてくださったが、内容は難しそうで私にはよくわからなかった。   (2001年3月撮影)

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ロシア語教師



 外国人留学生にまずロシア語を教える大学予科の若い教師。夏休みの「ロシア語ツアー」に参加した時、我々のクラスの担当だったが、日本人「学生」がたいして予習もしないで授業に出てくることがどうしても解せない様子であった。   (1988年8月撮影・レニングラード)

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大学教師



 レニングラード大学東洋学部の教授。邦訳されている著作に『近代日本の先駆的啓蒙家たち』(亀井博訳/平和文化/1996年初版)がある。  (1985年8月撮影・レニングラード)

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音楽教師


 セヴェロバイカリスクのブリヤート文化会館で民族音楽の伴奏をする音楽教師。 (2001年3月撮影)

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幼稚園長



 アムール河畔の村シカチアリヤンの幼稚園長。私たち観光客に幼稚園の概要を説明するときにも、子ども達に対するのと同じ優しい表情がにじみ出ていた。  (2002年8月撮影)

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ローカル紙編集長



 同じくアムール河畔のトロイツコエで発行されているナナイ地区のローカル新聞の編集長。訪れた観光客に自分たちの新聞の概要について説明しているところ。左の女性はロシア人通訳。 (2002年8月撮影)

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