客室係



 船室の掃除を担当してくれた客室係のラスコーリニコワさん。「ラスコーリニコフ」という姓はドストエフスキーが創作したのだとばかり思っていたが、実在の人に出会ったのは初めて。 (1993年8月撮影・エニセイ川)

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船員


 左の写真は、接客業務ではなく船の運航にかかわる仕事をしていた若者たち。ウクライナのニコラエフにある造船系大学の学生で夏期休暇中の実習で船に乗り組んでいるのだという。船底の船員居住区にまで招待してもらってごちそうになったりした。左端のサーシャは大学を出たあと結婚し、かわいい子どもの写真を電子メールで送ってくれる。 (1993年8月撮影・エニセイ川)
 右の写真はそれから10年ほど後に再会したときのもの。 (2003年8月撮影・ドニエプル川)

 左側の写真の左端と右側の写真の右端とが同一人物。こちらの写真の船員もおそらく上と同じく実習生であろう。船内で会っても愛想笑いもしないまじめな感じの青年だったが、驚いたことに船中でのエンタテイメントの折りになんと「白鳥の湖」を踊って見せた。 (1999年8月撮影・エニセイ川)

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船員



 長かった船旅も終わりに近く、いよいよ今日中にはモスクワの港に着くという日、船首部では錨を巻き上げる歯車をすっかり分解して泥を落とし、丁寧に磨き上げる作業が長時間続いていた。  (2007年8月撮影・モスクワ運河)

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船長



 エニセイ川を行き来するクルーズ船「A・チェーホフ」の船長イワン・チモフェエビチ。キャプテン・ディナーのために正装して、胸にはソ連時代の勲章を付けている。若い時からこの川で仕事してきてエニセイの隅々まで知り尽くしている大ベテランの船乗り。 (1999年8月撮影)


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船長


 2018年秋の船旅で利用したクルーズ船「ボロジノ」号の船長。左の写真は、下船前夜のキャプテン・ディナーの席で挨拶しているところ。中央の写真は、船の運航が予定よりも遅れていて、当初約束していた通りの町々に寄港していたらモスクワ到着が遅れるし、予定通りにモスクワに帰港しようと思ったら見学できない町が出てくるということで、船底のホールだかバーだかで緊急に開かれた全員集会で説明をしている船長。こういう時、ロシア人はおとなしくなんかしてないから、キャプテン・ディナーの時とは違って本人はきっと緊張していたことと思う。右は、ブリッジ見学の時に撮ったもの。もちろん奥側にいるのが船長。水路が広くはないので緊張はしていると思うけど、あの船内集会に比べたら何のこれしき...という感じか。   (2018年9月撮影・オカ川)

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船のチーフ・マネージャー


 船のチーフ・マネージャーって何をするのかというと、船内でのお客にかかわることすべてだけでなく、寄港地でのエクスカーションとか、乗下船前後のトランスファーとか、とにかくお客に関することすべての責任者。日本の鉄道で言うと旅客列車長(カレチ)にあたるかもしれないが、業務範囲はもっと広そう。写真は、2015年と2017年の二度のレナ川のクルーズでお世話になったチーフ・マネージャーのラリーサさん。違う船だったのに、同じかたにお世話になるという奇遇だった。船の他のクルーはみんな制服を着ているのに、このかたはいつも私服というのも、目立った。   (左:2015年8月ヤクーツク河港で,右:2017年9月レンスキエ・ストールブィで撮影)

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船の受付係



 2002年の船旅で利用した「ズヴェズダ・アムーラ」号のレセプションにいたナターシャさん。もっともレセプションなどとは言ってみても、ある時は受付カウンターでキャビンの鍵の受け渡しをしていたかと思うと別の時には船内のキオスクで売り子をしていたりなど、言ってみれば「ショムニ」みたいな仕事だから、一見最上階のデッキでくつろいでいるように見えるこの写真の時も何か仕事を言いつけられて上がってきていたのかもしれない。  (2002年8月撮影・アムール川)

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船の受付係



 2005年の船旅で利用した「レオニード・クラーシン」号のレセプションにいたガリーナさんとカリーナさん。それにしても、紛らわしい名前だ。  (2005年8月撮影・スヴィル川)

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船の受付係


 2017年の船旅で利用した「デミヤン・ベドゥニン」号のレセプションにいたラドミーラさん。私は、はじめ、船で働いている日本人クルーかと思った。
 ところで、この2枚の写真をよく見比べると、肩章の筋の数が同じではない。我々外部の者は、あの肩章は本人の船内での階級を表していると思いがちだが、じつはそんな意味は全然無くて、あれは制服に付けられた単なるアクセサリーに過ぎないという理解に容易に達することができる。  (2017年9月撮影・レナ川)

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歌舞団員



 観光船では船内のイベントのために歌手や楽器演奏家、あるいは歌舞団に乗船してもらっていることも少なくない。95年のボルガの船旅の時にはペルミ州の歌舞団「プリカーミエ」のメンバーが同行してくれた。下船前夜のキャプテン・ディナーで客席の間を回る団員。 (1995年8月撮影・ネヴァ川)




 もっとも団の中で最年少のスヴェータさんは、非番なのか、こうして席についていた。

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バラライカ弾き



 歌舞団でバラライカを担当していたグリーシャさん。でも、キーボードもボーカルもやる。船の歌舞団員というのも想像以上に激務で、夜8時頃から真夜中までほとんど演奏を続けっぱなしだし、昼間は昼間で練習をしなければならない。でも、「昨日は仕事と練習ですっかり寝不足だし、おまけに二日酔いで頭がクラクラするからコーヒーを1杯おごってくれ」なんて私に言ってきた。そんなに忙しかったのに二日酔いになるほど飲む時間をいったいどこで確保したのか。  (2002年8月撮影・アムール川)

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バヤン弾き



 2009年に乗ったソロフキへ行く船では、2日に一度ぐらいの頻度で「歌の時間」があった。歌好きが集まってロシアやソビエトの歌を一緒に歌うのだ。その伴奏を担当していたバヤン弾きの男性。みんなの尊敬を集めているようで、ロシア人はふつうは愛称で相手を呼ぶけれど、この奏者はいつでも名前と父称で呼ばれていた。  (2009年8月撮影・ボルガ・バルト水路)

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バヤン弾き



 2014年に乗った船で、デッキに出ていると、バヤンの伴奏できれいな男声のロシア民謡が聞こえてきた。はじめは、船のスピーカーから流れているのだと思っていたが、そうではなくて同じデッキのやや遠くで、この男性が自分で演奏し、自分で歌っていた。高等音楽院を卒業して、音楽の専門学校で教鞭を取っていて、あと二年したら年金生活に入ると言っていた。  (2014年8月撮影・ボルガ川)

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踊り手




 2002年アムール川の船旅のとき、夜毎にホールで催されるエンタテイメントで華麗なダンスを披露してくれた若い二人、アンドレイとアーニャ。高度な技術と芸術性を持つ優れた踊り手であることが素人目にもわかった。ところが、公演以外の場面で出会うと、ごく普通の若者と同じ柔らかい表情をいつも見せてくれる。右上の写真は、ブラワ村で民族舞踊を踊って見せてくれた現地の子らとの記念撮影。左の写真はシカチアリヤンでのグリーン・ストップの時、食卓についている2人を撮ったもの。   (2002年8月撮影)

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船客


 ロシアの河川クルーズの船も「外国人仕様」のものはロシアだからタカが知れているとはいえちょっと気取った雰囲気もあるが、ロシア人ばかりが乗っているのはまたひと味違った様子。カザンの港で横付けになった僚船のデッキを見たら、みんなで楽しそうに歌を歌っていて、こちらの船の客まで引き込まれてしまう。右の写真は、カザンで指揮をしていた女性とその娘さんにボルゴグラードの港で再会したときのもの。こうして気さくに手を振ってくれた。 (1997年8月撮影・ボルガ川)

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船客


 2017年秋の川旅で同じ船だった乗客達のごく一部。とにかく、こういう調子で、みんなとっても明るい。 (2017年9月撮影・レナ川)

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船客



 河川クルーズの船が各地に寄港するとき、複数の船が互いに横付けになることはしばしばある。すると互いの乗客どうしがこうやってまるで旧知の間柄でもあるようにしてすぐに会話を始める。それも、どこへ行くところか?ぐらいではなくて、そっちの船のサービスはどうか?とか、レストランの味は?などと深入りする。日本人なら初対面の人に対してもう少し奥ゆかしく振る舞うと思うのだが、この馴れ馴れしさは国民性か。   (2009年8月撮影・ボルガ川)


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