クレムリン (ニジニ・ノヴゴロド)



 1段目は、ヴォルガ河から見たクレムリンの城壁。2段目は、比較的近くから見たクレムリンの壁。3段目以下は、いずれもクレムリン内部。白い建物はミハイロ・アルハンゲリスキー教会。  

(4段目左: 1997年8月,
 1段目全,3段目左,5段目左: 2007年8月,
 2段目中左,3段目中,4段目中右,5段目中右,7段目左右,8段目左: 2014年7月,
 2段目右,3段目右,6段目全,7段目中,8段目中右: 2018年9月撮影)


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街角 (ニジニ・ノヴゴロド)



 ニジニ・ノヴゴロド市内の様子。
  (1段目左:1997年8月,同中右:2007年8月,2〜3段目:2014年7月,4段目以下:2018年9月撮影)

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ボリシャヤ・パクロフスカヤ通り (ニジニ・ノヴゴロド)



 モスクワのアルバート通りのような歩行者天国。でも、アルバートよりもこちらのほうが規模が大きいような気がする。道のあちこちには面白げな銅像が立っていて、こんなのを建てた段階でもはや自動車は走れないから、歩行者専用にするしかない。   (2018年9月撮影)

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ドラマ劇場 (ニジニ・ノヴゴロド)


 ボリシャヤ・パクロフスカヤ通りにある「ゴーリキー名称アカデミー・ドラマ劇場」。劇鋤のすぐ脇に、彼の代表作でもある『どん底』の看板があった。   (2018年9月撮影)

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人形劇場 (ニジニ・ノヴゴロド)


 同じくボリシャヤ・パクロフスカヤ通りにある。   (2018年9月撮影)

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M・ゴーリキー広場 (ニジニ・ノヴゴロド)


 クレムリンを背にしてボリシャヤ・パクロフスカヤ通りをまっすぐ歩いた行き当たりにある広場。大きなゴーリキー像がある。   (2018年9月撮影)

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川沿いのプロムナード (ニジニ・ノヴゴロド)


 ニジニ・ノヴゴロドの河港はヴォルガ川とオカ川のほぼ合流点付近にあるが、そのどちらの川の川岸ともつかないあたりに川風を受けて散歩ができるプロムナードが整備されている。   (2018年9月撮影)

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スタジアム (ニジニ・ノヴゴロド)


 そのプロムナードからオカ川をはさんで対岸に現代的な建築様式のスタジアムが見える。2018年のサッカーW杯ロシア大会の会場の一つになった。   (2018年9月撮影)

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ヤルマルカ (ニジニ・ノヴゴロド)


 同じくオカ川の対岸、スタジアムからほど遠からぬところにある。ヴォルガとオカの合流点という水運の要衝に立地するこの町は、かつてロシア最大の定期市が開かれる町であったという。その市が立ったのがこのあたり。私は中に入ってみなかったけれど、建物の外から見た感じでは市場(ルィノック)という感じではなく、何かの展示場もしくは博物館という雰囲気だった。   (2018年9月撮影)

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教会 (ニジニ・ノヴゴロド)



 往時の大富豪ストロガノフ家が寄進したロジェストヴェンスカヤ教会。  (2007年8月撮影)

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教会 (ニジニ・ノヴゴロド)



 クレムリンの下、河港の近くにある聖ヨハネ・バプテスト教会。その教会のすぐ近くにはモスクワ・赤の広場で見たことのあるミーニンとポジャルスキーの像が。17世紀はじめ、ポーランドがロシアに攻め込んだ時、義勇軍を組織して国を救った一人であるミーニンは、ここニジニ・ノヴゴロドの商人だったという。  (2014年7月撮影)

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教会 (ニジニ・ノヴゴロド)



 そのほかにも市内には沢山の教会が。  (左下:2018年9月,その他:2014年7月撮影)

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M・ゴーリキーの家 (ニジニ・ノヴゴロド)


 ソ連時代、このニジニ・ノヴゴロドはゴーリキーという名前の都市であった。作家M・ゴーリキーがここで生まれたのを記念しての命名であろう。彼が子ども時代、それもごく幼少の時期を過ごしたという家が博物館になって保存されている。  (1997年8月撮影)

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M・ゴーリキーの家 (ニジニ・ノヴゴロド)


 前頁の家とは別。それからおよそ30年後に彼が住んだという家。表には、彼がここに住んでいたという銘板とは別に声楽家フョードル・シャリャーピンがこのゴーリキーの家にいたという銘板も掲げられていた。  (2018年9月撮影)

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ミーニン像 (ニジニ・ノヴゴロド)


 17世紀初頭の「動乱の時代」、ニジニ・ノヴゴロドの商人クジマ・ミーニンは、モスクワに侵攻してきたポーランド軍に対して義勇軍を率いて対抗、これを撃退した。ロシアの人々にとって彼が国民的英雄であるのは今も変わらず、モスクワの赤の広場に彼とポジャルスキーの像があるのはご存じの通り。まして、地元のニジニ・ノヴゴロドでは....。   (2018年9月撮影)

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チカロフ像 (ニジニ・ノヴゴロド)



 北極点経由の無着陸飛行に始めて成功したヴァレリー・チカロフの像。ヴォルガを見下ろす高台に建てられている。  (2014年7月撮影)

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オカ川


 オカ川はヴォルガの主要な支流の一つで、ニジニ・ノヴゴロドでヴォルガに合流する。当然、本流のヴォルガに比べると川幅が狭く、おそらく水深も浅いだろうから、操船には難しさが加わるだろう。首都モスクワから遠くないせいか、岸辺の村落も気のせいか他の地域に比べて洗練されているような気がした。ここを旅したのは9月だったが、岸辺の木々は少しずつ色づき始めていた。  (2018年9月撮影)

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オカ川の浮き橋


 ペテルブルクの跳ね橋は、船が通る時、鉛直方向に開いて船を通すが、地方の村々ではそんな大がかりな装置をむやみに置くことはできないから、浮き橋にしておいて、船が通過するときは水平方向に開く。船が通る間、人や車が岸で待つのはペテルブルクと同じ。もちろん、見てわかる通り、上の3枚と下の3枚とは別の橋。   (2018年9月撮影)


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オカ川の閘門


 ヴォルガ本流の閘門に比べると、当然ながら小規模に見える。  (2018年9月撮影)

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濃霧


 川旅の良い点の一つは、海とは違って、大波を受けて船が揺れるということがほとんど無いところだ。しかし、川と言えども霧が発生することはある。実際は、この写真程度ではなく、それこそ「一寸先は闇」状態になるが、そうした写真をここに置いても何を撮った写真かわからないので、割りにおとなしい写真を選んで載せた。濃霧になると、当然船足を落として、霧笛を鳴らしながらレーダーを頼りに航行することになるが、スケジュールは遅延してしまうので、帰港してすぐの東京便の飛行機を予約してあったりすると、それに間に合うのか気が気でなく、霧に包まれた幻想的な景色を楽しむなどという精神的余裕は無くなってくる。  (2014年8月撮影)

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マカリエフ女子修道院



 ヴォルガ中流にあるロシア正教の拠点の一つマカリエフの修道院。1995年、私が初めて訪れた時には、まだ全体が荒れていて建物の床にはバスケットボールのコートが描かれていたりしたものだが、その後長い時間をかけて修復作業が進められた。マカリエフはかつてニジニ・ノヴゴロドとならんでヴォルガ川沿いで大きな市の立つ町としても知られていたという。  (最上段:1995年8月,2〜3段目:2007年8月,4段目以下:2018年9月撮影)

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村の風景 (マカリエフ)


 修道院のあたりの村の風景。修道院が村の中心部に立地していないせいだとは思うが、ほんとうに田舎という感じ。下段右の写真の像が誰なのかは知らない。上段中央の写真は、機織り機の博物館。     (2018年9月撮影)


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船着き場 (マカリエフ)


 左の写真は、モスクワなど遠方から主として修道院の見学や参拝に訪れる船のための浮き桟橋。中央の写真は、そういう船ではなくてヴォルガの対岸とを結ぶ渡し船(小型のフェリー・ボート)。この船は桟橋につけるなどという面倒なことはせずに、右の写真のように川岸に直接乗り上げる。   (2018年9月撮影)


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コズモデミャンスク


 マリ共和国の首都はヨシカル・オラだが、そこから南西方向に行ったヴォルガの岸辺にコズモデミャンスクがある。そこの「青天井の博物館」でグースリによる民族音楽を披露するマリ人の女性。  (1995年8月撮影)

[追記] 私は、この楽器を「グースリ」と書きましたが、マリの民族楽器で「キュースレ」というものだそうです。


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青天井の博物館 (コズモデミャンスク)


 その「青天井の博物館」の一部。マリの人々の伝統的な生活がわかるようにしてある。  (2007年8月撮影)


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コズモデミャンスク




 「青天井の博物館」の敷地から見たコズモデミャンスク市街。その向こうはヴォルガ河。  (2007年8月撮影)


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りんご園 (コズモデミャンスク)




 同じくその敷地内にあった林檎園。取って食べていいと言ってくれた。  (2007年8月撮影)

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街角 (コズモデミャンスク)




上の4枚は市内の比較的中心部の通りの様子。下の2枚はごく普通の建物にあった窓飾り。  (2007年8月撮影)


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教会とお堂 (コズモデミャンスク)




 左の写真は市の比較的中心部にあるやや大きめの教会。右はヴォルガ河畔に立つ小さなお堂。  (2007年8月撮影)

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像 (コズモデミャンスク)



 市内で見かけたモニュメント。右は言うまでもなくレーニンだが、左のは誰?  (2007年8月撮影)

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チェボクサリ


 チュヴァシ共和国の首都。町の中心部だけだと思うが、地方都市とは思えないほどの近代的な風景に驚かされた。上段右の写真の建物はチュヴァシ共和国大統領府。  (上段:2007年8月,下段:2014年8月撮影)

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チュヴァシの母の像 (チェボクサリ)


 市の中心部に断つ巨大な像。  (左:2007年8月,右:2014年8月撮影)

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河港 (チェボクサリ)


 河港のターミナルビル。  (左:2007年8月,右:2014年8月撮影)

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市創建の日のお祝い (チェボクサリ)



 2014年夏にここを訪ねた時、ちょうど市の「お誕生日」のお祝いにぶつかった。日本と同じで、特設のステージで記念のだしものが演じられたり、通りには屋台のようなお店が出たりで賑わっていた。  (2014年8月撮影)

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勝利の公園 (チェボクサリ)


 さきの大戦の戦勝記念公園で、市の中心部の小高い丘の上にある。  (2014年8月撮影)

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チュヴァシ国立オペラ・バレエ激情 (チェボクサリ)


 現代的な建築スタイルの劇場。  (左:2007年8月,右:2014年8月撮影)

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街角 (チェボクサリ)




 河港からそんなに遠くない、市の中心部の様子。  (2段目左端及び3,4段目:2014年8月,その他:2007年8月撮影)

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コンスタンチン・イワノフ像 (チェボクサリ)



 チュヴァシではよく知られた詩人。20世紀はじめに活躍した。  (2014年8月撮影)

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レーニン像 (チェボクサリ)



 こちらは、まぁ、どこの町にもある、お馴染みのレーニン像。  (2014年8月撮影)

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教会と修道院 (チェボクサリ)



 チュヴァシの宗教は正教で、ロシアの他の都市と同じように市内のいたるところに教会や修道院がある。  (上:2007年8月,下:2014年8月撮影)

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水力発電所 (チェボクサリ)



 河港からヴォルガを少し下った所にある水力発電所。もちろん、船はダムの閘門を通って上り下りする。  (2014年8月撮影)

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近郊の住宅地 (チェボクサリ)



 ダムよりさらに下流で、川岸に見えた住宅地。中心部だけでなく、近代化が進められているのがわかる。  (2014年8月撮影)

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マリインスキー・パッサート



 ヴォルガ河畔にあるチュヴァシの町の一つ。チェボクサリより少し下流にある。川を行く船上から撮った。  (2014年8月撮影)

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コズロフカ



 さらに下流に行ったところにある、やはりチュヴァシの町の一つ。これも、川を行く船上から撮った。  (2014年8月撮影)

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スヴィヤシュスク歴史博物館


 スヴィヤシュスクはカザンよりいくらか上流に位置する島だが、今は土手道で岸と陸続きになっている。この島は、16世紀イワン雷帝がカザンを攻略する時の拠点として砦を造営したのが始まりだとか。そのスヴィヤシュスクの歴史を紹介する博物館。建物の外の庭では、春のお祭り「マースレニッツァ」の準備がされていた。  (2019年3月撮影)

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シシュカ川 (スヴィヤシュスク)



 スヴィヤシュスクは島だからその周囲は水面ということになる。左の写真は、「本土」と島とをつなぐ土手道と観光用車両の駐車場。右の写真は、水面の一部で、島から見て土手道の右側。現地に掲げられていた案内板では「シシュカ川」となっていたが、Googleマップでは「ヴォルガ川」ということになっている。シシュカ川はヴォルガの支流で、この島のあたりが合流点なのだが、ここまで来ると川幅も広く、どこまでがヴォルガなのかは判然としない。  (2019年3月撮影)

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政治弾圧犠牲者の碑 (スヴィヤシュスク)


 駐車場でバスを降りて、改札口を通ると、金属製の急な階段がある。それを登り切った辺りに建てられていた碑。第二次世界大戦後にあたる1940年代後半、この島は政治犯などの収容施設として使われたそうだ。そのことを記憶する記念碑で、2011年に建てられた。   (2019年3月撮影)

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ウスペンスキー男子修道院 (スヴィヤシュスク)


 駐車場からの階段を上るとすぐの所にある修道院。16世紀以来の由緒ある修道院らしいが、ソビエト時代は閉鎖されていて、1997年に再建が始まったとか。中段左端がウスペンスキー聖堂、下段左端が聖ニコラス教会の鐘楼。  (2019年3月撮影)

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聖ヨハネ女子修道院 (スヴィヤシュスク)



 やはり歴史が16世紀にまで遡る女子修道院。上段右の木造のトロイツカヤ教会は1551年建造だとか。下段の聖堂は19-20世紀の境目あたりの時期に建設されたもの。  (2019年3月撮影)

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街角 (スヴィヤシュスク)



 スヴィヤシュスクの街角の風景。  (2019年3月撮影)

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