ロシア美術館  



 エルミタージュに比べると小規模ながら、ロシア美術の逸品を数多く展示している美術館。  (最上段中央と下から4段目左端のみ2005年3月,その他:2020年2月撮影)



 正教独特の宗教画であるイコン。
 19世紀の海洋画家I.K.アイヴァゾフスキーの代表作「第九の波濤」。この絵を見ていつも感心させられるのは、絵の具は不溶性の顔料でできているはずなのに、その絵の具を使って水の透明感を描き出していること。画家と呼ばれる人達にとっては何でもない技術なんだろうけど。




 ウクライナやロシアの風景を描いたもの。
 私はことにI.I.シーシキンの絵が好きで、森などを描いた彼の絵の前ではよく立ちつくしてしまう。
 ロシアの歴史を題材にした作品。
 ロシア史の本などで見たことのあるものも少なくない。
 西欧の風景や歴史を題材にした作品。

肖像画

 当時の人々の生活やその中での出来事、あるいは下層階級の子ども達を描いた作品。
 
 彫塑。
おそらくソ連時代に入ってからの作品。





カザンスカヤ広場


 ロシアの町々にはこうした小さな広場が無数にあって、そこで人々がゆったりと時を過ごしていて、それを見るだけでホッとできるようなところがある。カザン寺院前の広場の夏の風景。後景の通りを行く人々と広場のベンチに座っている人達の様子が対照的だ。





 似顔絵を描いてもらう子、その様子を見ている人々、それには無関心で話す親子、...。いかにものどかな昼下がりの風景だ。  (1987年8月撮影)



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センナヤ広場


 モスクワ方面から来る馬車やそちらへ出て行くための馬車のための干し草の市場があったということから「干し草市場」の名前が付いた広場。ドストエフスキーの『罪と罰』の舞台となったあたり。あの小説ではいかにも雑然とした雰囲気を感じさせられるが、21世紀の今ではご覧の通り現代化されていて....  (2017年1月撮影)



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ユスーポフ庭園


 そのセンナヤ広場からそれほど遠くはないところにある庭園。やはり『罪と罰』にも登場する。  (2020年2月撮影)

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アレクサンドロフスキー庭園


 市の中心部、旧海軍省に隣接する庭園。  (2020年2月撮影)

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ミハイロフスキー庭園


 ロシア美術館の裏手にある広い庭園。  (2020年2月撮影)

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ネヴァ河畔の並木道


 ネヴァ河畔の並木道の冬景色。気温が低いと並木はみんなこのように樹氷で覆われる。早朝か夕暮れの景色に見えるが、実は昼に近い時刻。高緯度なので、冬至前後は日中ごく短時間だけ太陽が出て、その後には長い夜が待っている。 (1996年12月撮影)

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遊歩道



 ゆったりと幅広の歩行者専用道。ここサンクト・ペテルブルクに限らず、ロシアでは、まったく珍しくない。 (2011年12月撮影)

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水路


 北方のベニスとも呼ばれるサンクト・ペテルブルクにはこうした小さな水路が多くあり、この運河めぐりの観光船もある。

(左列上中段:1995年8月,同下段:2020年2月,中列上段:1988年8月,同列中段:1997年12月,右列:2013年8月撮影)



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水路めぐり



 その観光船から船外を見ると、こんな感じ。 (1988年8月撮影)


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フィンランド湾


 ワシーリー島の岸から見たフィンランド湾の日没。岸辺の海は凍っていた。  (1994年12月撮影)

 
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ホテル「アストリア」



 市の中心部、イサク寺院の隣にたつ由緒あるホテル。1941年のレニングラード包囲で、戦勝を確信していたヒトラーは、祝賀会をこのアストリア・ホテルで行うという招待状を印刷済みだったと言われている。
 私自身は、もちろん、こんなハイ・グレードのホテルに宿泊したことはない。  (2005年4月撮影)

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ホテル「ヨーロッパ」


 ネフスキー大通りから芸術広場に入る広い通路の左側にある(写真は広場側から撮った)これも由緒あるホテル。もちろん、ここにも私は投宿したことはない。幾人かの日本人の知り合いとの待ち合わせ場所に使ったことがあるだけだ。  (左:2020年2月,右:2016年12月撮影)





ホテル「サンクト・ペテルブルク」



 「アストリア」や「ヨーロッパ」のような格式高いホテルではなく、旅費を切り詰めなければならない私などがほぼ定宿にしていたのは、ネフスキー大通りの東端にあるホテル「モスクワ」か巡洋艦「オーロラ」の正面にあるここだった。「モスクワ」同様、ソ連時代からあったホテルだが、こちらは当時今の名前ではなく、もちろんホテル「レニングラード」だった。  (2020年2月撮影)

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アニチコフ橋


 ペテルブルクに運河が多いとなれば当然橋も多い。この橋がなかなか凝っていて、ネヴァ川にかかる大きな橋などでも欄干の透かし彫りなどに素晴らしいものがある。ただ、そちらは写真を撮ってきてないので、ここではフォンタンカ運河にかかるアニチコフ橋の端にあるピョートル・クロットの馬の彫刻群のうちの一つを。 (上:1997年12月,下:2005年4月撮影)

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トロイツキー橋



 ネヴァ川にかかる橋の中で最も美しいと私には思えるのがこのトロイツキー橋。マルスの広場からペテロパヴロフスク要塞に行く時に渡る、非常に交通量の多いところだから、実際には「美しい」などという感傷にひたってはいられないけれども。ネヴァ川の下流にかかる橋はみなそうだが、この橋も真夜中には跳ね上がって人も車も渡れなくなる。  (1999年12月撮影)



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透かし彫りの欄干



 橋の欄干には丁寧に細工された透かし彫りを見ることができるのも珍しくない。これは何という橋のかは忘れたが、とにかくネヴァ川にかかるある橋の欄干。  (2020年2月撮影)



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エカテリーナII世像



 ロシアの隆盛を築いたエカテリーナII世像。ネフスキー大通りに面したオストロフスキー広場にたつ。女帝の足元を彼女に仕えた9人の忠臣が取り囲んでいるという構図だ。   (2005年4月撮影)



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アレクサンドリンスキー劇場



 その女帝像のすぐ後ろにある劇場。かつては、「プーシキン・ドラマ劇場」と呼ばれていた。  (2005年4月撮影)



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サーカス


 フォンタンカ運河の岸にたつサーカス小屋。あっ「小屋」と言うには立派すぎて、劇場とか宮殿の雰囲気だが、ロシアのサーカスは、もちろん大テントの「小屋」もあるけれど、こういう立派な常設施設を持っていることが多い。子ども達が楽しみにしているだけでなく、大人もじゅうぶん楽しめる。  (上段中央のみ2020年2月,その他:2011年12月撮影)

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