日本全国競馬場めぐり・番外編
おもひでの益田競馬場 (島根県益田市) |
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在りし日の益田競馬場ゴール前。コース内側は駐車場。 |
島根県西端、山口県との県境に近い益田市に、'02年夏まで地方競馬場が存在しました。「日本一規模の小さな競馬場」として有名で、それゆえかえって遠方からも多くのファンが訪れるのが特徴でした。賞金も、馬券の売り上げもミニタイプですが、益田競馬場所属馬のうち、アラブ系の馬に関しては全国的にみても決して弱いレヴェルではありませんでした。
しかし、'90年代に入って、益田市とその周辺の人口が多くないなどの背景から馬券売り上げが低迷、場外馬券売り場をJR駅に併設(移設)したり、全国の地方競馬場で活躍している女性騎手をひとりずつ招待したりするなど、最後まで馬券売り上げ増に結びつけようとの努力がなされていましたがついに力つき、'02年7月に「9月以降の競馬の開催はしない」という形で益田競馬場の廃止が発表。そして8月16日に、4千あまりの大観衆(益田競馬史上最高の入場人員)の前で最後のレースが行われ、有終の美を飾りました。現在は、スタンド部分が南関東地方競馬の場外馬券売り場として活かされています。
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電光式でない着順表示板。国内競馬場唯一だった。 | 女性用の馬券売り場(手前)。ただし利用者の大半は、男装(爆)したお年寄りの「女性」であった。 |
コース
1周1000m、幅16〜23mの右回りダート(砂)左回りコースで、最大出走可能頭数は8頭。800m、1350m、1600m、1800m、2200mのレースが行われていますが、そのうち1350mのレースが最も多く行われていました。 |
スタンドは、こちら! |
内馬場などは、こちら! |
主要レース益田競馬はおおむね毎週土・日曜に開催されていましたが(お盆・年末年始・連休時はパターンが変わる場合あり)、1月下旬から3月上旬にかけては日本海側につき天候があまり良くないため、休みとなっていました。なお、非開催日には、南関東地区地方競馬等の場外馬券売り場としての機能を果たしていました。競馬場廃止後も場外馬券売り場としての機能は残されているため、競馬場当時の一部施設は現在も残っています。益田競馬場では、アラブ系馬によるレースとサラブレッド系馬によるレースが行われていましたが、サラブレッド系馬レースは廃止前の数年間のみの実施で、重賞競走(大レース)は最後までアラブ系馬による競走のみでした。 |
日本海特別
毎年8月旧盆時期と1月年始時期の年2回行われた、益田競馬場で最も大きなレース。益田競馬所属アラブ系の馬によって争われていた。 |
アクセス |
島根県益田市高津町イ2545-4 0856-23-3733 |
益田市中心部から西方向へ約4km。
石見空港から徒歩20分 <空港から歩いていける数少ない競馬場> JR益田駅から蟠竜湖・持石海岸・石見空港・江崎・須佐行き石見交通バスで「緑ヶ丘・卸団地前」下車徒歩7分。バスは1時間に2〜3本。なお、競馬開催日の10〜12時台に益田駅を出る蟠竜湖・持石海岸・石見空港行きのバスに乗って「緑ヶ丘・卸団地前」で下車する場合(行きのみ)は運賃無料という措置が採られていました。 JR戸田小浜駅から益田・医光寺方面行き石見交通バスで「緑ヶ丘・卸団地前」下車徒歩7分。バスは1日8往復(01年現在)。 |
競馬場周辺の風景 |
益田市は、高津川河口に開けた町。万葉集でおなじみ柿本人麿(柿本人麻呂)生誕・終焉の地であり、水墨画で有名な雪舟ゆかりの地。なお、益田という市名は、戦国時代にこの地を支配した大名・益田氏にちなんでいます。
柿本神社
蟠竜湖(ばんりゅうこ)
医光寺・萬福寺
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高津川の風景(94年7月3日撮影) | 高津柿本神社鳥居(94年7月3日撮影) |