秋元英一ウェブサイト
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共同研究


  2004年6月5日 アメリカ学会第38回年次大会 日本女子大学
自由論題報告司会
 

  自由論題B
  報告者 中村 善雄(長岡技術科学大学)   「文学テクストと視覚メディアの交差 --- 19世紀アメリカ作家と写真の邂逅」
  信岡 朝子(東京大学(院))   「〈野生を撮る〉という営為 --- wildlife photographyとアメリカ環境保護思想の矛盾」
  西村 明代(横浜市立大学(講)) 「リア王の選択──ジェーン・スマイリーの『千エイカーズ』における 人間と自然」
  安場 保吉(大阪学院大学)   「土地アヴェイラビリティ説は19世紀出生率の説明はなお有効か」
  司会 秋元英一(千葉大学)

<報告要旨>
中村報告は、19世紀中庸のダゲロタイプから20世紀初頭に至るまでの写真とアメリカ作家との関連性を問題とした。オーギュスト・コントの実証主義とともに発展した銀板写真の発明当初、その新しい技術を「近代科学の最も驚嘆すべき勝利」と評したエドガー・アラン・ポーを例に挙げ、光学的複製技術の側面をクローズアップした。一方で、ポーの同時代人ナサニエル・ホーソーンのThe House of Seven Gablesの銀板写真家を通じて、ダゲロタイプのヴォイヤリズム誘発やその魔術的・透視的アウラ、あるいは擬似科学としてメスメリズムと結びつけた。19世紀末の作家ヘンリー・ジェイムスの “The Real Thing” では、19世紀末の写真による大量複製技術の民主化、絵画と写真による文化的ヘゲモニーのせめぎ合いを取り上げた。以上のように、写真の多様性を浮き彫りにするとともに、写真をガジェットとして使用し、写真が誘発するイメージを自身の作品世界へ取り込むアメリカ作家の軌跡に焦点を当てた。質疑では、ヘンリー・ジェイムスの小説の口絵に用いられた絵画と写真の関係、露光時間の長さといった技術的未熟さがもった問題、文学作品における、挿絵の内容への介入などが論じられた。
 信岡報告は、1994年、アメリカの著名な動物写真家アート・ウルフによる、デジタル加工を施
した動物写真数点を含む写真集『ミグレイションズ』の刊行が、刊行と同時に自然写真のリアリティーをめぐる論争を引き起こしたことをとりあげ、こうした議論の根源に、野生動物写真の歴史的成立過程が深く関わっていると指摘した。19世紀末以降、カメラによる野生動物の撮影は、ウィルダネスの只中で原初的な男性性を回復する目的で流行した狩猟の代用として機能し、ゆえに写真の加工は、ハンティングの「成果」としての野生動物写真の価値を根底から揺るがすこととなった。一方この時期形成された、動物を写真によって美的に鑑賞するという行為が、銃による狩猟よりも「進化」した洗練された行為とする思想は、当時の進歩思想を背景に生み出された一種の「神話」であることが明らかにされつつある。報告は『ミグレイションズ』をめぐる論争の分析を皮切りに、野生動物写真というジャンル自体のイデオロギー性、とりわけ環境保護理念の前で、写真に写し出された動物の「美」が自然保護への関心を喚起するという伝統的想定が呈する根源的矛盾を考察した。質疑では、環境保護にかんする用語における混乱の問題(conservationismとenvironmentalism)、ウルフにおける審美的動機と環境的動機の緊張などが問題となった。
 西村報告は、ジェーン・スマイリーの『千エイカーズ』の先行研究には家父長制との関連からフェミニズム、自然と女性、環境問題と女性の身体性の観点からエコ・フェミニズム批評が多いことを指摘し、その成果と限界を踏まえ、エマソンやソローの古典的自然観にもどって人間と自然の問題を考察すると、本作品がさらに多くの問題を提示しているとした。三人の娘たちだけでなくラリーも家父長制の継承、農地分配、相続の犠牲者である。現代アメリカのリア王、ラリーの選択は現代アメリカ農民に共通している。リア王の選択は子供達の愛情を尺度としていた。また、その選択法は分裂病患者の思考法に類似しており、論理的合理性、一貫性に欠ける。大農場を維持してゆく主体としてはふさわしくない。世界の食料供給源であるアメリカの農地汚染、そして不毛化は生命存続の危機へつながる。作者はその要因をラリーが追い込まれた状況から余儀なくされた行動の選択に求めているのではないか、と解題した。
 質疑では、家父長制という用語の意味内容、その成り立ちの根拠、アイオワ州の『マディソン郡の橋』と似た環境で1979年にこの作品が生まれたことと、リア王の時代との比較可能性についてなどが問題にされた。
 安場報告は、19世紀初頭における、他国とちがって非常に高いアメリカの白人出生率とその後の低下を説明する土地アベイラビリティ説(土地の供給が限られている社会では、稼働資産としての子供の価値が低いのと、人口密度が高い地域では、子供を独立自営農民としてひとりだちさせる場合のコストがかさみ、家族農場細分化のおそれがあるために、家族規模を制限しようとする動機が働く、とする)について問題とした。1970年代には、この仮説がほぼ定説となったが、その後さまざまな角度から批判を受けた。イースタリンは、遺産モデルによって、土地の入手可能性や遺産相続の可能性の側面から出生率の低下を説明しようとした。報告は、それらの仮説に含まれる誤りを個別に統計的に指摘して、土地アベイラビリティ仮説が、白人出生率の地域間格差やその低下を説明するものとしてなお、唯一の正しい仮説だと主張した。
 質疑では、データの扱い方、見方の詳細な点、アメリカにおける人口統計、ヨーロッパとの比較などが論じられた。
 この自由論題セッションは、文学、写真、経済学が混在しており、出席者はあまり多くなかった。会場の都合などでやむをえなかったとも思われるが、プログラム編成にさいしてもう一段の工夫があれば、と考えた。(秋元英一)  『アメリカ研究』第39号 2005年より。

 


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