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荘子の部屋】ChuangtseWorld
[荘子内篇第七 応帝王篇]治者・帝王の王道

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治者・帝王の王道[荘子内篇第七 応帝王篇]

[英文の原典]この項のみはJames Leggeの英文訳 The Writings of Chuang Tzu
(Oxford University Press,1891;Revised 2003)によった。

1.齧缺(げっけつ)は四度王倪(おうげい)に問うた。その度ごとに,王倪は知らないと言った。そこで齧缺は飛び上がって大喜びして,蒲衣子(ほいし)のもとに行き,そのことを報告した。蒲衣子は言った,「君は今になってやっとそのことがわかったのかね。」
 有虞氏(ゆうぐし)(舜)は(太古の)泰氏(たいし)とは同じではない。有虞氏はなお仁愛の考えに固執して,無理にでも人々を承服させようとした。彼は確かに人々を治めたが,人としての立場にこだわらない仕方では,事を処理しようとはしなかった(人としてのあるべき姿に固執した)。
 泰氏は,いまや安らかに眠りにつき,無心の満ち足りた心で目を覚さます。時に自分が馬に過ぎないのかなと思い,はたまた牛であったかと思う。彼の知は真正であって疑念で乱されず,その徳は欠けるところがない。彼は人としてどうあらねばならないかとしては,事を処理しようとしなかったのだ。

2.肩吾(けんご)は,狂人で世捨て人の接輿(せつよ)に会いに行った。接輿は彼に「日中始(にっちゅうし)は何と言ったかね」と訊いた。彼の返事は「彼は私に言いました──治者たちが自分自身の考えで規則を定めて布告し,正しいやり方で実施に移すとき,誰もがあえて法律に背くことはないし,すべては施行されよう──と」。
 接輿は言った,「そんなものは偽りの徳だよ。それは天下を正しく治めるために,海を歩いて渡ろうとし,口先だけで河を掘り進むようなものだし,蚊に山を背負わせるようなものだよ。そしてな,聖人が世を治めるときは,彼は人の外面での行いを統治するだろうか(外面によってではない)。己を正しくし,そうして政府に実行させる,──これが物事を成功に導く単純で確かなやり方なんだ。鳥を例に取れば,空高く飛んでこそ射手が弦から放つ矢を避けられるのだし,また小さな鼠は,神社の下に深い穴を掘って,煙でいぶされたり掘り返されたりする危険を防いでいるんだ。治者はこれらの二つの小さな生き物たちよりよく知る者なのかどうか」

3.天根(てんこん)は殷陽(いんよう)(殷山の南の地)にそぞろ歩きして,蓼水(りょうすい)の近くにやって来た。そこでたまたま名前を知らない人に出会って,問いを発して言う,「天下を治める方法はどのようなものでしょうか」 
 無名氏は言った,「消えちまいな。お前さんは礼儀知らずの馬の骨だな。そんな不用意な質問をわしにするとはな。わしはな,今,造物主の片棒を担ごう(仲間になろう)としているところだ。それに飽きたら,軽やかにさえぎるもののない空に羽ばたく鳥の背にまたがり,宇宙(天地四方;天地と東西南北)を超えて行き,非在の地をぶらつき,広漠の原野に留まるのさ。それともお前さんは,わしの心を動かそうとするのは,天下を統治する者のための何かの思惑でもあるのかね」
 しかしなお天根は再び問いかける,と無名氏は言った,「心をだね,ごく素直な喜びで満たし,ゆったりとしたとらわれない気持で,己を原初の精気にとけ込ませるようにする。すべての物事は自然な成り行きに任せ,個人的なせせこましい思惑などは加えない。──こうすると,すべて天下は収まるのじゃよ」

4.陽子居(ようしきょ)は老※(ろうたん)に面接して言った。「ここに人がおりまして,あらゆる事柄に機敏に力強く対応し,先見の明があって何事にも聡明であり,たゆまず道(タオ)を学んでいます。このような人は聡明な王の一人に比肩できるでしょうか」  答えは,「そのような人は聡明な王の一人に比べるというより,役所の下役として肉体に汗してせかせかと働き,いろいろな手だてで心をすり減らす人物だ。たとえて言えば,虎や豹は毛皮が美しいので人間が殺してしまうのだし,猿は器用に動き犬は賢くてヤクを掴まえるので,猿も犬も紐でつながれて引いていかれるのだ。そこでだね,そのような(こまごまと)才覚を働かせる人が,聡明な王に比べられると思うかね」

 落ち着きをなくして陽子居は言った,「敢えてお尋ねしますが,明王の政治とはどんなものでしょう」
 老※(ろうたん)は答えた,「明王の治世では,その施しは天下にあまねく行き渡るが,その恩恵は,王の施策によるものであるとは(人々に)受け取られない。その影響は形を様々に変えてあらゆるものに行き渡ったのだが,人々は希望を王に託したり(言及したり)はしなかった。人々は(政治が行われる)役所の名前すら知らないのに,(明王の方は)人々や事物が喜びに満ち満ちるようにし向けたのだ。(こうして)明王は計り知れないところにいて,とらわれるもののない王国に喜びを見出すのだ」

5.鄭(てい)の国に巫(みこ)(男の魔法使い)がいて,名を季咸(きかん)と言った。その巫は人の死と出生,存(寿命)と亡(破滅),苦と樂,人の命の長短,など何でも知っていて,精霊のように年を月を,十日区切りの日を,特定の日を予言できた。鄭の人たちは季咸を見かけると,何でも放置したままに逃げ出すのだった。
 列子は季咸に会いに行き,すっかりそのとりこになってしまった。帰ってきた列子は,壺子(こし)に季咸に面接したことを報告して言った,「先生,私はあなたの教えは完璧なものと思っていましたが,それよりすぐれたも教えがあると,はじめて知りました」

 壺子はそれに答えて言った,「わしはお前にいろいろ教えてやったが,それはわしの考えておることの上っ面のことだけであって,深い精髄を教えていなかったが,それでお前はすっかり会得したと思っているのかね。多数のめんどりがいるとしてもだね,その中におんどりがいなかったら,どうして卵を得られるんだね。お前の考え方で世界に向き合うとき,お前は心にあるものをすべて表情に表してしまうんだ。だから,その人がお前の人相を読みとることに成功するんだよ。そうだな,その人をわしのところに連れてこいよ,わしをその人に見せてやるから」

 そこで,その翌日,列子はその人を伴って壺子に会いにきた。二人が外に出たとき,その巫が言った,「ああ何と! あなたの師匠さんには死相がある。十日もしない内に死ぬでしょう」
 列子部屋に入り,泣きじゃくって涙で上着をぐしゃぐしゃにして,さっきの人が言ったことを壺子に語った。壺子が言った,「わしは大地の(地下の植生の)相を見せてやったんだよ。そこにある発芽の相には正常な生長の兆しは見えない,──彼には私に生の力の勢いが閉ざされているように見えたんだよ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」 

 そうして翌日,列子はふたたび巫を伴って壺子に会った。二人が外に出たとき,その巫が言った,「あなたの師匠さんは私と会ったのが,とてもよかったのです。回復されるでしょう。生のサインが出てきました。私には生の芽生えが出て顔にあった死相が消えたのがわかります」
 列子は中に入り,師に巫のことばを伝えると,壺子が言った,「わしは彼に空の下の大地の相を見せたのだよ。わしが示したのは,仮相でも実相でもなく,生の勢いが足の下からほとばしり出てくるものだ。──彼は動きの一つ一つに活力のほとばしりを見たのだ。もう一度彼を連れてきてごらんよ」

 翌日列子はふたたび巫を伴って壺子に会った。二人が外に出たとき,その巫が言った。「あなたの師匠の相は一定してはいません。わたしはあの人の人相が理解できません。あの人に,相が動かないようにするようにやらせてみてください。そうしたらもう一度見てみましょう」
 列子は中に入り,壺子に巫のことばを伝えると,壺子が言った,「今回はわしは彼に,二つの基本的力がどちらにも偏らない,大いなる調和の相を見せてやったんだよ。彼は平衡の中の活力のほとばしりを見たんだよ。水の渦が大魚ジュゴンの動きで回るところに深淵がある,またその大魚の動きが止まるところに深淵がある。水が流れ続けるところに深淵がある。それぞれ別の名前をもった九つの深淵があり,わしはその三つを示しただけだ。試しに,もう一度つれてきてごらん」

 次の日二人はやって来て,また壺子に会った。壺子がいつもの自分の場所に落ち着こうとする前に,巫は我を失って走り出た。「彼を追え」と壺子が言った。列子はそうしたが,彼を掴まえられずに,引き返して,言った,「これでお終いです。彼はいなくなり,見失ってしまいました」
 壺子はおごそかに言った,「わしは彼に,造物主が私を生み出す前からの相を見せてやったんだよ。わしは彼に純粋な空虚さ,心を解き放ってとらわれない相に面と向かわせたんだ。彼はわしが見せてやったものが何かわからなかったのだよ。今や彼はそれが使い尽くされてしまった力の精髄であって,しかしなお今も溢れ続けていることを悟った,だからこそ彼は逃げてしまったのだよ」

 これより後,列子は自分がまだ師の教えをほとんど会得していないと悟ったのだった。そして家に帰り,三年の間,外に出なかった。自分で妻のために料理した。豚を飼うのに人間を育てるかのように扱った。いろいろな物事に対して,手を下さず興味も示さなかった。自分自身をあれこれ吟味することをすっかりやめて,赤子のような素朴さにかえった。その立ち居振る舞いはさながら一個の土くれのようだった。あらゆる世事の中にあって,彼は黙して語らなかった。そのようにして,命が朽ちるまで態度を変えなかった。

6.名誉の中心を占めるような行為をするな。策謀の知恵袋となるようなことをするな。事業所の責任者となるようなことをするな。知恵の主人公となるようなことをするな。その行為の領域は尽きるところはない広さであるが,どこかにいたという痕跡は残さない。天から授けられたものはすべて受け取り(過不足なく実践して),それ以外の余分なものは受け取らない。何かのためにするという心が全くない性格に形作る。
 完璧な人(至人)の心に宿るのは,鏡のようなものだ。鏡は何も行わずいかなる事にも参加しない。その前にあるものを反映はするが,何ものも留めない。このようにして,彼はすべてのことをつつがなく成就して,しかも傷つかないのだ。

7.南海の帝(みかど)を※(しゅく)といい,北海の帝を忽(こつ)といい,中央の帝を渾沌(こんとん)といった。※(しゅく)と忽(こつ)は頻繁に渾沌の地で会い,渾沌は二人をていねいにもてなした。ふたりはその恩義に酬いようと相談して,言った,「人間には,見る聞く食べる息をするために,七つの穴がある。それなのに(かわいそうに)この帝は一つの穴すらもっていない。彼のために穴をうがってあげようよ」
 それから二人は,毎日一つずつの穴をこしらえてやった。そうして七日目になって,渾沌は死んだ。



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