青淵文庫(せいえんぶんこ)、とげぬき地蔵、染井霊園、岩崎家廟所、六義園、大和郷

2017年4月1日、歩く会の有志が上野の東京都美術館で開催中の「ティツィアーノとヴェネツィア派展」を鑑賞後、軽い昼食をとり、王子駅まで移動し、 そこから飛鳥山で花見としゃれ込んだ。傘マークのおかげで、美術館も待ち無しで入れたが、3分咲きの桜は心なしかはかない。 以後、5時間かけてゆっくり花見をしながら青淵文庫、荒川線、とげぬき地蔵、染井霊園、岩崎家廟所、六義園、大和郷と散策し、駒込でモツ煮で仕上げた。

参加者は3年前の2014年4月5日に鬼怒川沿いの福岡堤の桜並木に花見にでかけた4名と同じ和田、榎本、小粥、青木。


青淵文庫

王子駅から飛鳥山へのモノレー ル前は行列ができていたので歩いて登る。ここの桜並木も3分咲きでものさびしい。多目的広場ではなぜか沖縄舞踊団がステージを努めて、景気を盛り上げてい た。

紙の博物館、北区博物館、渋沢資料館などの箱物が並んでいる。箱物展示はどうせ詰まらんだろうとパス。

その一つのロビーで歌川国芳の「飛鳥山かわら投げ」という浮世絵をみた。受付に、なぜ昔の若い女の子が「かわら投げ」をしたのか、聴いたところ、学芸員が いないの でわからないがアスレチック目的ではと当てずっぽうな回答。だから地方自治体の展示は見たくもないものだと再確認する。

帰って調べると、厄よけなどの願いを掛けて、高い場所から素焼きや日干しの土器の酒杯や 皿を投げる遊びであるとある。京都市の神護寺が発祥の地とされる。以後、日本各地の高台(飛鳥山など)にある花見の名所などで、酒席の座興として広まった とされる。ところで飛鳥山からどの方角に投げたのだろうか?多分当時河原だった現在のJRの線路の方角ではなかろうか?

渋沢栄一が収集した「論語」を保管した青淵文庫と接客用の晩香廬(ばんこうろ)が公開されいたので嬉嬉としてはいる。「論 語」をはじめ多くの漢籍は、1963年、渋沢家から東京都立日比谷図書館に寄贈され、現在は東京都立中央図書館に所蔵されているという。



青淵文庫



荒川線

飛鳥山を下って荒川線で庚申塚に向かう。結構、乗客が多い。


とげぬき地蔵

庚申塚から旧中山道を歩いて「とげぬき地蔵」に向かう。途中腹が減ったので蕎麦屋で「鍋焼きうどん」をとる。旧中山道は車払いして遊歩道に なっている。

とげぬき地蔵は正式には曹洞宗萬頂山高岩寺という。慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年 (1891年)に移転してきた。この地蔵菩薩様は秘仏のため、その姿を絵に描いた御影(おみかげ)に祈願してもご利益が あるとされている。しかし閑散としている。

境内にある洗い観音には行列が出来ていて人気だ。1657年「明暦の大火」で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」が妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」 を高岩寺に寄進した。  この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしか生れた。これが「洗い観音」であり、なかなかの人気であった。



洗い観音


染井霊園

東京都が管理する霊園だ。ソメイヨシノはこの周辺でエドヒガン系の桜と日本固有種のオオシマザクラの雑種の交配で生まれた日本産の園芸品種 である。遺伝子研究の結果、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とするクローンであることが判明している。

有名人の墓が多いという。そのリストのうち、知っている人は岡倉天心、樺山資紀、高村光太郎・智恵子、二葉亭四迷、若槻 礼次郎くらいであった。小さいながら外人墓地もある。


岩崎家の廟所

岩崎家墓地は染井霊園に隣接しているが、高いコンクリート壁で仕切られ、入る入口は染井霊園側にはない。全域、樹齢100年を越える巨木に遮られて内部は見えな い。グー グル地図で航空写真を見ると。両側を三菱重工の社宅アパートと区立仰高小学校で固め、染井霊園の反対側にある入口は施錠され、表札もない。世間からは見え ないように隠ぺいしているような姿である。中心には徳川家に勝る規模の墓が数基横一列に並び、専属の墓守が見守っているようだ。まさに前方後方墳のように見える。これにまさるのは天皇廟く らいだろうか?明治以 後、創業者が日本初の軍産複合体を形成して巨額の富を蓄積し、国民に迷惑をかけたことを、三菱重工が総がかりで秘匿する姿と見える。原発建設で赤字を垂れ流すアレバへの出資もいざとなれば原爆を作って昔の夢をと夢見る、三菱重工経営者の宮永俊一社長の姿がかいま見える。

染井霊園にも岩崎家 と書いた墓石があるが、これは本家筋ではないようだ。



六義園にむかって真っすぐな道をあるき駒込4丁目2−19にくると「駒ゴルフガーデン」というゴルフ練習場にくる。この前庭にあるレバノン杉は見事であった。

六義園(り くぎえん)


悪名高い川越藩主柳沢吉保が平らな台地に池を掘り、その土を積み上げて小山を作りと相当の資金を投じて造園した回遊式築山泉水の大名園。当時、池の水は千川上水の水を 使っていたという。明治期に岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)が購入し、後に東京都へ寄贈。

ここの枝垂れ桜は見事だった。



枝垂れ桜

大泉水を一周し、藤代峠に登る。藤代峠から正面に見える大きなビルには中央官庁の下部機構が入居しているという。

大和郷(やまとむら)

超高級住宅地とされる大和郷は本駒込6丁目にある。地図でみると六義園と同じ規模の面積で西に隣接している。碁盤の目の様な町割りだ。

本駒込は文京区の北側に位置し、江戸時代諸藩の下屋敷や武家屋敷が置かれたことから、明治時代以降に政官財界人の邸宅が立つ地域となった。

April 5, 2017


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