穴八幡・芭蕉庵・椿山荘・関口大洗堰・亀岡八幡
鎌倉プロバスクラブの小川さんが鎌倉の鶴岡八幡に初もうでをした足で東京の穴八幡に向かいそこで「一陽来復」というお守りをもらうという話を聞いたら無性にそれがほしくなった。東京に出て50年だが仕事場が横浜だたっため中央線より北側は異国のようなものである。だから興味はあるのだ。
2013年1月20日、早速散歩方々でかける。高田の馬場で東西線に乗り一駅で早稲田大学駅だ。地上にでると目の前に穴八幡がある。穴八幡は源義家が奥州
からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったことに始まるという。のち穴の中から黄金製の像がでたので穴八幡と称すしたという。家康がこれ
を知り、江戸城の西北の鎮守にしたという。なかなか立派な御宮だ。肝心のお守りは長蛇の列で、ゲットできるまで数時間かかりそうなので断念。日曜日なのでもしかしたらと
思ったが案じたとおりになった。
穴八幡
近くなのでついでに神田上水の取水場であった関口大洗堰跡に立ち寄ろうと早稲田大学の大隅講堂の前を通って北上し、神田川に向かう。神田川を駒塚橋で渡ると真っ直ぐ胸突坂を登るハメになる。その坂下右手に芭蕉庵が
ある。芭蕉は神田川改修にかかわるためにここに庵をもったのだという。
神田川北岸にそって関口大洗堰跡が保存されている江戸川公園に向かう。すると左手に椿山荘がある。初めてデートして
以降45年間ここには来ていない。まるで浦島太郎の気分。庭園は巨大なフォーシーズンホテルに囲まれた以外は記憶通りだった。山の上の三重の塔は平安時代に創建され、清盛が修復し、山県有
朋から藤田組二代目に譲ったものだという。隣には般若寺の石灯篭というものもある。鎌倉時代のものだという。園内の無茶庵でそばの昼食をとる。
藤田組は今は観光業に零落したが、戦前は日本の重工業を率いていたということを2012年の台湾旅行で
知った。日本統治時代の1895年、台湾の統治者となった日本政府はただちに金鉱採掘禁止令をしき、翌1896年には新しく鉱業管理規則を発布した。それ
と同時に台湾の基隆山山頂を境として一帯が東西に分け、東の金瓜石は田中長兵衛の田中組に、西の瑞芳は藤田財閥の創始者である藤田伝三郎の藤田組にそれぞ
れ採掘権を与えた。藤田伝三郎は日本鉱業創始者の久原房之助の叔父である。かねてから海外の鉱山の経営に手をのばしていた久原房之助の日本鉱業(久原鉱
業)は1933年金瓜石鉱山の全てを買収し、敗戦までにほぼ掘り尽くした。
三重の塔
関口大洗堰は完全に撤去されて跡形もないが、いまの大滝橋あたりにあったという。ここの神田川は深い。関口大洗堰で水位をあげて取水する取水口は流量調節のために角落と呼ばれた板をはめる石柱があった。この石柱は現物が江戸川公園に移設されていた。
取水口
神田川には洪水防止目的の溢流口があいていた。地下に構築した巨大排水路に洪水を流すしかけだと察した。
江戸川橋駅から有楽町線にのり市ヶ谷に移動。亀岡八幡は目の前にある。鎌倉の鶴岡から祭神をわけたため、亀岡としたというのだそうだ。ビルの谷間に埋もれてすこしさびれている。穴八幡とは大違いだ。
亀岡八幡
市ヶ谷から新宿にてて小田急で帰る。
January 20, 2013
Rev. May 22, 2014