東慶寺は第8代執権北 条時宗夫人の覚山尼が1285年に開創。臨済宗円覚寺の末寺で、明治時代までは男子禁制の尼寺でかけこみ寺(縁切寺)として機能していた。豊臣秀頼の娘 で、徳川家康の養外孫にあたる天秀尼が20世住持として入寺したため、江戸時代、妻が火鉢の灰の上に「松ヶ丘」と書くだけで、夫は静かになったものだと言 われる位権威があった寺である。現在は尼寺ではない。梅の美しいところだ。
本堂には釈迦如来坐像を祭る。水月堂には秘仏水月観音菩薩半跏像を安置。重要文化財として聖観音菩薩立像がある。鎌倉尼五山の筆頭、太平寺の本尊であっ た。1526年、里見氏が鎌倉に乱入した際、ときの住持青岳尼をはじめ、仏像・仏具のたぐいを奪い去っていった。寺はこの事件により廃絶したが、東慶寺の 要山法関尼が交渉した結果、本尊だけは鎌倉へ移すことに成功。これを喜んだ北条氏綱が、聖観音菩薩立像を東慶寺に寄付したと伝えられる。この聖観音ゆえに 鎌倉三十三観音霊場所第32番札所でもある。
2008年2月13日(水)、ここで座禅会を行い、秘仏水月観音と涅槃図絵解説を 井上和尚にしてもらった。秘仏水月観音拝観は事前予約が必要。
そこで一句
東慶寺 2008/2/5撮影
東慶寺の旧仏殿は明治時代に横浜の三渓園に移設されて保存されている。
三渓園に移設された旧東慶寺仏殿
若宮大路の雪ノ下教会で殉教画家の村田佳代子氏による鎌倉キリシタンに 関する講演を聴いてから、東慶寺にあるという聖餅箱を見たいと思うようになった。東慶寺は20年位前に一度訪れただけである。そして聖餅箱を展示してると いう松ヶ岡宝蔵はその当時見学していない。円覚寺に立ち寄った後、2004年1月ここを訪れたが、ちょうど1月の末で梅の花が一部開花しはじめていた。夏 目漱石参禅100年記念碑なるものがあった。
松ヶ岡宝蔵は鈴木大拙が創立した松ヶ岡文庫の下にある。お目当ての聖餅箱はここに展示されており、撮影OKとのことだっ た。正式名は葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(ぶどうまきえらでんせいべいばこ)といい、重要文化財に指定されている。 聖餅箱はカトリックで聖餐式のパン(聖餅、オスチャ)を入れる容器である。フタにある標章はイエズス会のものという。
聖餅箱
村田佳代子氏は北鎌倉界隈の小袋谷村にあったキリシタン伝動所の責任者フランシスコ会第三会の幹事役ヒラリオ孫左衛門夫 妻、フランシスコ会ふらいフランシスコ・ガルベス神父の殉教と関連のあるものではないかとの推測をなされたが、フランシスコ会の伝道所がイエズス会の標章 のある聖餅箱を使っていたとも考えにくい。むしろこの尼寺に入った豊臣秀頼と千姫の息女天秀尼に関連する遺品と考えるほうがすなおではないか?
東慶寺には文人の墓が多い。鈴木大拙、西田幾太郎、高見順、和辻哲郎、小林秀雄、阿部能成、岩波書店創業者一族、鏑木清 方の筆塚がある。
グリーンウッド氏は友人西沢重篤氏に誘われて、東慶寺で定期的に開催される、座禅会、松談会に2004 年4月より参加した。現住職、井上正道氏の御成小学校時代の悪友が中心の座禅会である。かってバイクで訪れた群馬県の縁切寺満徳寺資料館長の高木氏の講演 が長すぎて、座禅は20分そこそこであった。その後の例会にも継続して参加している。
井上正道和尚は若き頃、京都の妙心寺で仏教の修行をしっかり受けている。ご父君、井上禅定(ぜ
んじょう)前住職は2006年1月26日に95才で遷化された。
境内のコケむした梅はもう一部咲き始め、こぶしのツボミが膨らんで、寒いながら
梅の蕾が膨らんだ1月28日が通夜であった。本堂の右手、書院との間に姿のよい常緑樹、モッコクが鎮座している。4月ともなるとウ
コン桜、ボタン、イワタバコが岩に咲く。
January 29, 2004
Rev. December 27, 2019