三浦半島

田浦の梅林と横須賀本港

鎌倉に住んでいながら、近くにもかかわらず、 横須賀周辺でまだ訪問してないところがあった。それは田浦の梅林と横須賀本港である。すでに訪れたところは三笠記念艦按針塚、そして仕事で訪問した米海軍基地である。2009年2月、ちょうど梅が見ごろだろうと田浦の梅林に出かけた。

横須賀線の田浦駅で下車。トンネルで少し戻り、田浦の谷間に入る。行きは東側からのぼろうと京急のガードをくぐって梅林のある尾根にとりつく。竹林のなかの階段を上り詰めると尾根にでてそこが梅林である。まだ3分咲きである。

田浦の梅林

ここで見慣れぬ鳥を見る。図鑑によればエゾビタキのようだが、枝に止まってのんびりしている。撮影しようとしたら のヒヨドリの一群に追い払われてしまった。ムクドリは梅林の林床の芝に大群をなして舞い降り、結構ずうずうしく、人がそばにいってもすぐには逃げない。

尾根を上り詰めれば、芝面にでる。高所に展望台がある。ここからは眼下に長浦港が見下ろせる。左手に海上自衛隊の艦隊司令部と自衛艦が5隻程満艦飾でもやっている。今日は建国記念日なのだ。その向こうには住友重機の巨大な門型クレーンがみえ、更に北方向には横浜ベイブリッジ、鶴見のつばさ橋まで見える。

右に目を転ずれば安保条約により米海軍に無償貸与されている横須賀基地があり、そこに原子力空母ジョージ・ワシントンの飛行甲板上に2張りの巨大な白いテントが見える。新聞によれば350人の要員がやってきて一次、二次冷却系のメンテナンスをしているという。

メンテナンス中の原子力空母ジョージ・ワシントン 2009/2/11

原子炉の推定出力は900MWでウェスチング・ハウス社のPWR炉を使う美浜原発1号1,031MWより少し小さい程度である。核燃料は18年間交換不要ということだが原子炉の圧力容器 を開けて点検することは18年間しないのだろうか? いずれにせよ原子炉が身近にあるのは気分のよいものではない。

大六天神さんの前から下ると、この梅林は昭和9年に皇太子(現天皇)の誕生を祝って地元の有志が700本の梅の苗を植えたことがきっかけで生まれたといういわれが書いてある。

田浦の駅にもどる。按針塚はここから十三峠を通ってゆく。江戸時代は 三浦半島は地形が複雑で南北の移動は海岸沿いではなく、少し内陸の尾根伝いに移動した。十三峠はそのメインストリートだったという。

田浦の駅から一駅で横須賀駅に着く。目の前がすぐ港である。横須賀本港には海上自衛艦が更に4隻と潜水艦が5隻接岸していた。横須賀港に望む公園にヴェルニー記念館というのがあったので入る。日本に現存する最古のスチームハンマーが2基展示されていた。オランダ製である。

ヴェルニー公園のカフェレストラン・コルセールと満艦飾の護衛艦

徳川末期、小栗上野介が招いたフランスの海軍技師のフランソワ・レオンヌ・ヴェルニーの指導で製鉄所と造船所が建設された。製鉄所と造船所は今は米軍管理下にある。その製鉄所で使われていたもので米軍から返還されたものである。ヴェルニーの作った石積みのドライドックも1号ドライドックとして現存し、米軍がいまだに使っているという。公園の正面、海上自衛隊の潜水艦が繋留されているすぐ右手にドライドックが3つあり、その一番右が1号である。ショッパーズプラザ横須賀(ダイエー)6階屋上駐車場が見学のベストポイントだという。

2号ドックは1884年(明治17年)に日本人だけで建設したものだ。1-3号ドックは日米共同使用でいずれも鋼鉄製の扉船で入り口を仕切る方式だ。

このヴェルニーを記念してヴェルニー記念館と命名したという。そして建築様式はヴェルニーが造船技師だったブルターニュ地方のブレスト市(姉妹都市)の住宅の特徴を取り入れているという。 そしてこれがある海浜公園をヴェルニー公園というのだそうだ。フランス式公園でバラなどが植えられ、噴水もある。公園内に感じのいいカフェレストラン・コルセールがあったのでそこでパイの昼食としゃれこむ。(Restaurant Serial No.337)

横須賀港は軍港のため一般に立ち入りは禁止されているが軍港めぐりの観光船だけは港内をガイド付きでめぐっている。新井掘割水路を通って長浦港にもゆくようだ。

February 12, 2009

Rev. November 29, 2009


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