シリアル番号 | 表題 | 日付 |
338 |
小栗上野介 |
98/12/29 |
●小栗忠順(1827-68)江戸末期の幕臣
●徳川慶喜に外国奉行、軍艦奉行、勘定奉行として仕えた。勝海舟と常に意見が合わなかった。
●対馬にロシア軍艦が居座ったときには外国奉行として対馬を徳川の直轄領として交渉すべしと具申するが、採用されず、勝海舟のイギリス軍艦の協力を求める案に負けて外国奉行を辞す。
●米国に開国する交渉団の副団長格でポーハタン号で渡米。勝が館長を務める海臨丸が護衛として同行。勝は米国に残りたかったが帰国命令を受けて悔しがる。
●勘定奉行のとき、造船所を建設すべくオランダに協力を求めるが断られ、出遅れてあせっていたフランスから借款し、横須賀に横須賀製鉄所、造船所を建設。横須賀米海軍基地にまだドックが残っている。オランダ製のスチームハンマーも1997年まで稼動。
●廃藩置県し慶喜を大統領とする新体制を勝に相談するが、勝は大統領は徳川ではダメと周りに意見する。
●慶喜が大阪から逃げ帰ったとき、手持ちの軍艦を使っての徹底抗戦を唱えるが、慶喜にその気なく、勘定奉行を首になる。権田村(群馬県群馬郡倉淵村権田)に蟄居したが捕らえられ、斬首。
●妻子は権田村の村人に守られ生き延びる。
●東郷元帥がロシアに勝ったのち生き残った小栗の子供を呼び、小栗の残した横須賀の造船所のおかげで、バルチック艦隊に勝てたと感謝した。
●東善寺に小栗が米国から持ち帰った機械で作った真鍮製の木ネジがのこされている。
●98/12/29テレビ朝日放映、02/11/20NHK