横浜の貯木場時代
雅蘭洞先生から、
關東電化に入って暫くしてから、服部時計店に就職した友人とディンギーの中古を早稲田のヨット部の知人から購入しました。その頃は横濱の貯木場の傍に各大
學のヨット部が有りましたので、そこからは葉山の鐙摺のヨットハーバー迄、服部の友人と二人で曳航しまして、鐙摺を繋留場所にしました。管理は練習用につ
かってもよいという条件で逗葉慶應會(現役學生の會)に頼みました。
というメールをいただいた。
そうすると記憶はみるみるよみがえり、私も会社のクラブのディンギー(シーホース)がおいてあった横濱の貯木場に何度かかよったことを思い出し
た。あのころは係留施設がほとんどない時代だった。入社直後の1961年、背広もふくめ、全てヨットにのせてチンしたため腕時計はだめになり、翌日の出勤
はクリーニングが間に合わない。やむをえず寮の先輩の背広を借用して出勤したように記憶し
ている。わたしの時代は鐙摺などは高根の花であった。いずれにせよオーナーシップのない雑多な人間とセーリングする危険を悟り、ヨットからしばらく遠ざか
る。
ちなみにシーホースは横山 晃設計、岡本造船所製のぱりぱりの新造船であった、ちゃんとシャンパンを割って進水式をした。
ところで
その後、1975年にはミラークラス・ディンギーを自作したが、浜から直接海に出られるので貯木場を使うことはなかった。
1984年に海技免状1級を取得した直後、受験仲間だったJALの副操縦士とANAのメンテナンス・スタッフと一緒に貯木場を再訪することになった。そして直後シングルハンドで操船可能な、ヤマハ・ワンデザインを買い横浜の運河に係留することになる。いまでは係留はできないが当時は港町の伝統にしたがい、運河は共有地で係留OKだった。そのご条例ができて、横浜ベイサイドマリーナが締め出されたボートの受け皿になる。結局2001年からロカ号はここでお世話になる。
現在は自宅ガレージの天井から吊るされて保管されているミラークラスのみとなる。
February 11, 2013