4Sクラブ

2007年1度目

昨年に引き続き、今年も野沢温泉スキー場にやってきた。正月の丹沢で額に5針縫う怪我をしてまだ2週間、抜糸したとはいえまだ少し出血がある。それに昨夏から継続している腰痛を抱えての参加であった。かてて加えて昨年の脳震盪後、購入したUVEXのヘルメットとサングラスを忘れて来てしまった。

サングラス無しでは雪目になってしまう。あわてて最新のニコン・ブランドの明暗切り替えモデルを買った。しかしヘルメットは断念しての参加であった。たまたま前日、長野市のホテル犀北館で開催された山階鳥類研究所の講演会と中部日本地区の集いに も出席し、 二次会、三次会につきあって体調はいまいちであった。

第一日目(2007/1/24)

アオキの前で小林さんの車に拾ってもらい野沢温泉に向かう。昨年は国道脇に2mの雪の壁があったのに今年は50cmもない。正月以降にちょっと降っただけという。今年は エルニーニョの影響で寒気団が南下しないからのようだ。娘によるとヨーロッパでも温暖で雪など少なかったという。ミュンヘンに滞在中の森永先生によればこのところ急に寒冷化したそうだからそのうちに日本でも寒くなるのかもしれない。

定宿の「いけしょう」にチェックイン後、長坂ゴンドラリフトで上ノ平に登る。今回初参加は飯田(邦)と中沢(新)だ。皆で記念撮影するがカメラを忘れてきた。若いときから物忘れの名人だったので老化現象ではないと自らに言い聞かせる。

上ノ平にて記念撮影 飯田撮影

調子がいまいちなので慎重にスピードを落としてしんがりをつとめていた。中間地点の緩斜面で後ろからキャー・キャーという黄色い声を聞いたと思ったら、ド スンと追突されて転倒。後ろを見ると若い女のスノーボーダーだ。「アイアム・ソー・ソーリー、アーユー・オーライト?」といっている。訛からさしずめオー ストラリアから来た人だろう。若い男が追いついてきてどうしたのかと 聞いている。「このジェントルマンに追突してしまったの」と説明している。スノーボードはスキーのように絡み合うこともない。向こうも大丈夫らしい。こち らも大丈夫だと伝えて立ち上がろうとするのだが、斜面ならいざ知らず平らなところではスキーを外さない限り、老体には無理と悟る。そうこうしているうちに 仲間を見失ってしまった。

白は初心者コース、黄色は中・上級コース

やむをえず一人で午後2時まで上ノ平ゲレンデに留まる。レストラン「橅」で再会したが、皆は毛無山のやまびこゲレンデで滑っていたのだという。 北沢はやまびこゲレンデで転倒した際、正月に飯綱スキー場でスキーをした時から張っていたわき腹の筋肉を傷めたという。昼食後は林間コースを下り、日影ゲレンデで午後の時間を過ごす。

アフタースキーは温泉とからおけ大会である。今回から参加した飯田が雅蘭洞先生こと長谷見氏からもらった年賀状と狂詩を披露したあと、先生に教わったというクイズを出題して皆をなやます。長谷見氏の祖父は浅草で江戸火消の新門辰五郎(たつごろう)の 子のダチだったという生粋の江戸っ子。飯田氏が丸紅で精密化学品課長時代の30年前はさる化学メーカーの大部長さん。その後世界的なイタリヤの大化学会社 の日本代表をつとめたあと、現在は英国国教会の司祭で結婚式に独特の説教をなさっておられるが、ご本人曰く、今や赤貧洗うがごとしとで雅蘭洞と号すとい う。されど30歳も若い米国美人の奥さんをこよなく愛し、かたや江戸文化、歌舞伎通として知る人ぞしる。先生の年賀状が近年まことに面白く、ご本人から許 可を頂きましたのでご披露させて頂きますということだった。

ここに登場する新 門辰五郎は江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番であった。上野大慈院別当の仲介で徳川慶喜と知り合ったと伝えられ、娘の芳は慶喜の 妾となっている。元治元年(1864年)に禁裏御守衛総督に任じられた慶喜が京都へ上洛すると慶喜に呼ばれ、子分を率いて上洛して二条城の警備などを行 う。図抜けた資金力を誇り、支配下の的屋が納める場所代などで、押入の床が抜けたとされる。新門の裔となる杉林家(当代:杉林仁一)が今日に至るまで株式 会社新門社長として浅草寺の出入り業者を務めている(当代は辰五郎から7代目)辰五郎の辞世の句は、

思ひおく まぐろの刺身 鰒汁(ふぐとしる) ふっくりぼぼに どぶろくの味

ノーベル賞学者の江崎玲於奈先生が3日考えてギブアップ、幼稚園の女の子が正解を即答したとのこと。自由な思考が教育に よって阻害されていることに気がついてもらうためのテストだという。からおけ大会では同じ飯田が「女殺し、油地獄・・・お二階にご案内ッ!・・・死んでし まえ!!」などと間の手をいれるのでおおいに盛り上がった。 「死んでしまえ」のところは少し声を落としてつぶやくように言うのが呼吸というものだ。嫉妬心を表現して最大の賛辞を送ることになると飯田はいう。彼はまた寅さんの口上が得意で、後日フルテキストをもらった。

夕食時、ヒマラヤ・トレッキング経験者の 佐藤(旧大山)さんから経験談を聞く。

川上はこの正月、雪を求めて一人、山形県の西吾妻山にある天元台高原までスキーにでたけたという。

第二日目(2007/1/25)

昨日と同じく全員が長坂ゴンドラリフトで上ノ平に登る。ここで北沢、大久保、飯田、佐々木など腕自慢組みはスカイラインコースを下るという。まだ本調子でない小林、川上、グリーンウッド氏は毛無山に登ってパウダースノーを満喫した。

正午には日影ゲレンデに下り、大盛り蕎麦で昼食後、三々五々帰路についた。グリーンウッド氏は舞子・後楽園スキー場でのスキーのハシゴをするために、宿の車で戸狩野沢温泉駅に向かう。

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February 2, 2007

Rev. February 07, 2013


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