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957

豊臣秀頼、真田幸村、真田大助は生きていた

2005/04/25

濱崎秀達という厚生労働省本省事務官が書かれた「我が家系を語る」によると大阪夏の陣ののち、豊臣秀頼と真田幸村、真田大助が一緒に薩摩落ちしたという 。水戸光国の大日本史が抹殺した歴史があったということなのだろう。 池波正太郎の「真田太平記 全12巻」を読んだ後では少し力が抜けるが、さもありなんと思われる。正史とはそのようなものか。

濱崎秀達氏は「真田大助は、島津貴久の弟忠将に実子がなかったことから、その養子となり、(宮崎県)佐土原島津家中興の祖となった。明治維新後、(四賢公の一人)、島津斎彬 (なりあきら)の孫で、忠義の子、久範はこの佐土原島津家を継いだ。久範の二男久永は、近上天皇の妹清宮貴子を嫁にし、禎久という子を儲けている。久永は、現在、ソニーの取締役をしている」と書いている。

濱崎秀達氏が書いていることが正しいとすれば現在、山科鳥類研究所理事長をしている島津久永氏は幕末の四賢公の一人、島津斎彬(なりあきら)のY遺伝子受け継いでいることになる。佐土原島津家の養子となった真田大助のY遺伝子は多分男子にめぐまれなかったためか途絶えたのであろう。

ブライアン・サイクスの「アダムの呪い」ではヨクシャーの小川(サイク)から発生した自分の先祖のサイクス姓をもつ人々のY遺伝子を研究して、Y遺伝子と姓名が非常に高い確度で一致することを発見した。ケルトの英雄サマーレッドのY遺伝子がマクドナルド性50万人の男性に受け継がれていることも発見した。そしてジンギスカンのY遺伝子は1,600万人の男性にうけつがれていると推算している。そしてその妻達の貞淑度は一般に考えられているより高いと推論 せざるをえないとしている。養子縁組により姓を継承してゆく伝統のあった中世日本では姓とY遺伝子の不一致は男子が生まれない時点で発生してしまうのだろう。
 

Rev. May 24, 2005


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