日本の政治・経済の不調の原因

形式知優先社会は暗黙知を失い国は亡ぶ

理魂文才

ビジネス経営者

わたしはずいぶんいろいろな企業に投資してきましたが、失敗だったのは、すべてマーケティン グ専門家がトップに立った会社でした
アーサー・ロック


1990年までの輝かしい企業史

1952年ハーバード大で経営史という研究分野を築き上げ、マサチューセッツ工科大学において、デュポンやゼネラルモーターズ、スタンダードオイル(現エ クソンモービル)、シアーズローバックといった企業の歴史について研究した歴史学者アルフレッド・デュポン・チャンドラー(Alfred DuPont Chandler, Jr.1918年9月15日 - 2007年5月9日)は1950年代に産業界が機能別・事業部別の分権型組織へと移行したのはなぜかという問題に取り組んだ。その成果は『戦略は組織に従 う』または「組織は戦略に従う」(Strategy and Structure)と題する画期的な本にまとめられて1962年に発表された。この本は、枠組みと理論的解釈を確立することによって、経営史を新しい次 元へと導いた。彼が業界内や業界間の比較、さらには時間軸上での比較を行なうことの意義を説いたことで、経営史は幅広い分野で有効性を認められるように なった。次いでジョンズホプキンス大学ではピエール・デュポンの伝記を書き上げた。その後1970年にハーバードビジネススクールで経営史のストロース記 念教授に任命されるが、当時この分野では世界でただ1人の教授だった。チャンドラーの前は実業家たちは「泥棒男爵」だとの見方が中心で、1934年に企業 家を発展の原動力として描いたジョセフ・シュンペーターの『経済発展の理論』(The Theory of Economic Development)がドイツ語から英語に翻訳されるまで変わることはなかった。チャンドラーは指導に力を入れ、今では200人ほどのアメリカ人研究 者がこの課題に取り組んでいる。『経営者の時代・アメリカ産業における近代企業の成立』(The Visible Hand)ではもう1つの画期的著書である。ドイツが第2次世界大戦前にいかにしてヨーロッパ最強の工業国になったか、アメリカが1960年代までの40 年間どうやって世界一生産的な国になったか、そしてその後日本がどのようにしてアメリカの最大の競争相手になったかを説明した。彼はこの本でピューリッ ツァー賞を受賞した。the Managerial Revolution in American Business といった衝撃的な著作物を残し2007年5月9日この世を去る。

1972年オックスフォード大で博士号取得したレズリー・ハンナ(Leslie Hanna1947年生まれの69才、1978年新設の経営史研究所(Business History Unit)所長、1982年LSE(London School of Ecinomics & Political Science)の経営史の初代教授、1998年アメリカの経営史学会(Business History Conference)会長、1994-97年LSEの副学長、学長代理、City University Business School学長、イギリスのビジネス・スクールであるアッシュリッジの学長)は創意豊かで深い学問的業績をあげ、経営学者・エコノミスト・社会学者に とって、戦後一貫して教師のごとき人物だったアルフレッド・チャンドラーの研究への疑問から出発して、チャンドラーとその学派への根底的な批判を展開。製 造業は重要である。だが、…。大企業は重要である。だが、…。組織能力の形成―各国の対比。技術能力の構築―国による差異。マーケティング能力の構築―各 国の対比。結論―国の経営風土と、成長の源泉、競争優位の源泉などを論じた。

一橋大学名誉教授のイギリス企業史、経営史学者、である米川伸一氏(1931年12月6日 - 1999年11月22日、48才)はロイヤル・ダソチ・シェル、イギリス地域史研究、現代イギリス経済形成史、紡績業の比較経営史、東西繊維経営史、紡績 企業の破産と負債などの分野を研究された。英国の産業革命も日本の製造業の発展は紡績業でスタートしたわけだ。無論いまはこれらは発展途上国の産業になっ いる。

米川教授とレスリー・ハンナ教授の弟子、ハーバードビジネススクールを代表する知日派の経営史学者、ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究 所教授のジェフリー・ジョーンズ(Geoffrey Jones)は日本の経営史を研究し、渋沢栄一から環境ビジネスまで幅広く研究活動を行っている。1960年代から1980年代まで、日本は世界の経営史 学会の中心的存在で、この分野の第一人者には日本人の学者が多かった。ジョーンズがロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教員だったころに出会った一 橋大学の米川伸一教授(当時)もその1人。米川教授は日本を代表する経営史学者だったが、たまたま若き無名のジョーンズを、経営史学会の国際会議に招待し た。それなのに米川教授はジョーンズを参加させた。「能力のある若者にチャンスを与える日本の文化は素晴らしいな」と大変感銘を受けたという。米川教授と 出会ったことと国際会議に参加したことは、その後の研究活動に大きな影響を与えた。ジョーンズは日本の経営史についても研究をはじめ、日本から新しい研究 方法も学んだ。日本が「国際比較研究」という研究手法の先駆者だったからだ。その後、日本人の学者の方々と交流を深め、日本から多くを学び、現在に至る。 ジョーンズが注目しているのは国の経済成長と社会制度の関係。成長する国には、必ずそれを支援する社会制度がある。ダグラス・ノース(ノーベル経済学賞を 受賞した経済学者)は、19世紀に西側諸国(特にイギリスとアメリカ)が台頭したのは、国民の所有権を保護し、国が所得税を得る仕組みをつくったことだ、 と主張している。他の国にはこうした税制度はなかったのだ。日本が他の国とは違うのは、明治維新で社会制度そのものを国民がひっくり返してしまったこと だ。全く新しい制度を国民主導でつくりあげた。その原動力となったのは、地方の小さな武士のグループ。彼らは「日本は中国やインドのように遅れてはならな い」「欧米に早く追いつこう」と考えた。土佐藩出身の下級武士、岩崎弥太郎はそのグループの一員だった。明治時代に三菱商会を創業し、商人として大成功を 収めた。岩崎はビジネスの仕組みを根本的に変えようとした。能力ある個人が評価され、富を得る社会をめざした。対照的なのが、渋沢栄一だ。商業主義を追求 した岩崎弥太郎に対し、渋沢栄一は合本主義を唱えた。渋沢栄一は個人の利益よりも公益を優先すべきだと主張した。経済成長の要因は複雑で、何が経済を成長 させるのかについてははっきりとは解明されていないが、確実に言えるのは、人的資本(ヒューマンキャピタル)が経済成長を左右するということだ。中でも読 み書きができる国民がどれだけいるか、というのは非常に重要な要素。日本には、江戸時代から優れた人的資本があった。日本は閉ざされた封建社会の中に、優 れた人的資本を抱え、高度に発展した社会をつくりあげていた。なぜ日本は高度に発達した特殊な社会をつくりあげることができたかというと日本が島国だとい う地理的な要素は大きい。イギリスと同じように島国には多くの利点がある。外敵からも攻撃されにくく、面積が狭い分、国全体を統治しやすい。国土が広い中 国で、国全体を統治することはとても難しい。政府が何か新しいことをしようとしても移動や伝達にとにかく時間がかかる。一方、日本やイギリスのような島国 であれば、武力さえ持っていれば、効率的に中央集権体制を敷くことができる。その中で国全体の技術が発展し、教育レベルがあがっていった。武士たちはなぜ 喫緊に近代化することが必要だと思ったのか?彼らは武士としての直観で危機を察知した。アメリカから黒船が来航したとき、戦闘集団である武士が注目したの は武器でした。武士が持っているのは刀。西側の軍人が持っているのは銃。戦ったら負けるのは明らか。その危機感が明治維新へとつながった。19世紀、中国 の国家戦略を立案していたのは、学者と知識人だ。彼らは中華思想の信奉者で、欧米が豊かになったとしても、中国の脅威になるという発想はなかった。他国が 中国よりも優れているなんてありえないと考えていた。米国の停滞の理由は、米国企業が傲慢になり、イノベーションを怠ったこととしている。


1990年以降の日本企業の不調の原因

大規模な製造業は米国から日本に移転したが、いまでは日本を飛び越えて中国、韓国、台湾、東南アジアが比較優位になりそちらに移転してしまった。米国、日 本、EUは金融業、サービス業、デザイン、エンターテインメント産業に転移しなければ生き残れないが、米国を除き、人材資本の育成に失敗してこれら知的産 業は不調である。その米国では高等教 育費が高騰し、金持ちの子しか高等教育を受けられない。こうして高度な教育なしに働 ける製造業での職場が減少して社会に歪がでている。さらに深刻なことに、金持ちの子供に優れた遺伝子が配分され るとはかぎらないのだ。こうして米国の知的産業にも天井が出現するのだ。

日本の鉄鋼や石油・化学会社など設備産業は欧米のように技術で世に出たのではなく、技術を金で買っ た資本の支配下にあるから、文系がトップについていて文系は一致団結して支持する。(三井化学の社長・会長を務めて最近引退した畏友中西の言葉、彼自身文 系社 長が分かるように説明できたから社長になれたのだ)家電とか自動車産業はどちらかというと理系が創業者となって消費者が好む製品 を開発して大きくなった。しかし成功した企業は新しい製品を開発せずともしばらくは慣性があるから、なにも新しいことを生まなくとも勤まる文系に乗っ取ら れて今日がある。このため、日本の大企業の多くは文系の天下である。なにが起こるかは「シラードの証言」に赤裸々に描写されている。「人は聞 いたことだけしか知らないとすれば、バランスのとれた決定をするに充分なほど物を知っているとは言えないものである」。日本の理系出身者の企業トップの比 率は28%で、フランスや英国・ドイツでは55%前後であ る。生涯賃金では1998年の調査では理系が5,000万円少ないというデータがある。日本の将来に霧がかかっているのもここに原因があると私はみてい る。2010年の京都大学の西村和雄特任教授の調査では理系学部卒業者の平均年収は文系より100万円高く、年齢 が上がるに連れ差は拡大するという逆の結果が出ている。

最新の脳科学で明らかになったように人間の脳の表舞台にでてこない無意志下の活動は宇宙のダークエネルギーやダークマターのように脳の活動の95%をしめ るという。無意識下で本質的に理解し ているものしか、行動には出ないものなのだ。これは先に紹介したマイケル・ポランニーの いう暗黙知といって もよい。 会社組織を縦割りにし、そのトップに理系を据えて丸投げしても消費者がほしい商品は生み出せない。なぜなら それぞれの部門の長はその部門として最善を尽くすことしか考えないから、世界レベルの部品を開発できても、これをまとめて魅力ある商品を生み出すことは要 求されていないからだ。このような組織からはなにも生まれない。経営者は企業としての目的を掲げて、異なる部門を複合的に組織化し、叱咤激励して売れる商 品を作るように旗をふらねばならないが、文系のトップはそのような商品のイメージを持つことができないから所詮無理なことだ。ただ結果として儲かったか、 赤字かを認識するにすぎない。これは死んだ子を数える作業に等しい。死んだ子を数える ならまだしも、メトカーフの法則に従うバブル現象に幻惑されて判断ミスをし、株式投資や自社の設備投資に突っ込み、窮地に陥る。こうしていま日本の 製造業は世界の部品供給業にはなれても世界の最終製品は生み出せ ず、死の床についたままだ。

私たちが需要をつくり出したのである。そ こに需要があるからつくるのではない
本田宗一郎

ゼロからスタートして強大会社になった会社は創業者が独創性を持っていた。例をあげれば二股ソケットのパナソニック、地下足袋のブリジストンである。ソ ニーのウォークマンだって創業者の一人が、機能を削るという社員の提言に耳を傾ける感 性を持ち合わせていたからこそ、伸びた。その後は鳴かず飛ばず。ビル・ゲーツだって、スティーブ・ジョッブズだって、内発するニーズの声に従って成功した のだ。いずれも高度な知識からでたのでなく、自らほしいものを作っているうちに鉱脈を発見したのである。

ソニー、シャープ大型液晶パネル製造工場に投資したのを旧海軍の「艦隊決戦主義」にたとえれば「巨大工場決戦主義」とでもいえるであろう。それに対しアッ プル、グーグル、フェイスブックがスマートフォンという商品をファブレスで販売して成功した。消費者はテレビを見ることをやめ、スマホで時間をつぶすよう になった。日本の製造業は韓国や中国の製造業に負けたという認識だが、実はアップル、グーグル、フェイスブックという米国の新興企業がしかけた空母機動部 隊という新しい 戦いに負けたのである。成功体験に浸っていて、学習棄却ができない、硬直した指導層(例外があるが文系が多い)に問題がある。こうして製造業のトップは新 しいビジネスモデルを作りだせない文系経営者に私物化されるようになった。無論文系にも沢山勝つ戦略を作れる指導者はいるが平均的にくくればこのような表 現も可能で あろう。理系はえてしてデカルト的分析術のみを大学で教えこまれ、成績は分析力でしか評価されない。こうして分析力がすぐれた人が指導者に抜擢される傾向 がある。ただ、これは必要条件をみたしただけで、新しいビジネスプラン、新しい商品を構想する暗黙知または、ナポリの法哲学者ヴィーコが学問知の前に生活 世界の中で発見する知が根底にあるはずだと考え、それをトピカ(topica)・・・発見の知といったのだが、これに欠けるきらいがある。

ものづくり経営学」 などという文系経営学者の書いた悪書があるが、「ものづくり」という概念こそ脳細胞をつかわず、筋肉労働を称賛する体育会的発想を美化するだけで何も生ま ない。企業トップが消費者が潜在意識下でほしがる商品の具体的イメージを持たないかぎり、その下の中間管理層からそのようなアイディアが生まれることはな い。なぜなら立場上トップがおのずから持つ暗黙知を持つインセンティブがないのに加え、中間管理層は人事権を握るトップには絶対服従するしかなく、その理 解から外れる発想をすること自体が身の破滅になるからである。こうして文系経営者の下では 技術者は文系的発想しかしなくなり、文系上司が理解できる昨日の製品しか発想しなくなる。だから消費者が感激するようなものは頭に浮かぶことはないのだ。 文系の軛から解放されなければ、発想は天かけることはない。

日本では「ものづくり」の礼賛が神話的、信仰的だ。「日本経済を発展させるためには『ものづくり』の力を強化しなければならない」。相変わらず産学官挙げ て、こう合唱している。それほど「ものづくり」が好きで得意なら、日本半導体企業はファウンドリを選んだはずである。しかしそうしなかった。なぜなら日本 の半導体メーカーはファウンドリを技術レベルが低いと見下していたからだ。そうしているいるうちに、ファウンドリに製造技術で追い越され、自らファウンド リになることも、ままならなくなってしまった。ファウンドリは設計会社に対して、インタフェースを公開する。それが魅力的なインタフェースであれば、たく さんの設計会社がそのファウンドリに集まってくる。たくさんの設計会社が特定ファウンドリのインタフェースにしたがって設計するようになると、そのインタ フェースは事実上の標準となる。そして顧客が集中し、装置の稼働率が上がり、装置を速やかに償却できる。そうなれば新しい装置が買える。そのファウンドリ の製造技術は他社に先がけて進歩する。そうすると顧客の設計会社は、ますますそのファウンドリに集中する。勝ち組が勝ちやすくなる構造、勝ち組が独占して しまう構造が、ここに見られる。こうして日本企業は、設計と製造を統合したまま、半導体事業全体を切り離さざるをえなくなった。

人間は本来、向上心がある のだから、問題を取り除けば意欲は熱気 球のよ うに上昇する
樋 口廣太郎

ウイリアム・バーンスタインが『豊かさ』の誕生 成長と発展の文明史」で指摘するように豊かな国には私有財産権、科学的 合理主義、資本市場、輸送と通信の4要素がそろわねばならない。とはいえ、これからの世界は大量生産・大量販売の時代から技術革新によってほかと違ったも のを生み出すことでしか利益を出せない時代に変わっていく。人々の創造性は管理と札束から は生まれないのだ。

私はこの文で人種差別的な意味で(DNA的という意味で)文系批判をしたのではない。文系が劣っていると主張するものでもない。ただ理系の教育を受けても 日々研鑽していない人間には何の閃きも生じな い。いわば毎日マージャンをしているような文系人間に成り下がるのである。竹内洋の「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」に原発大国の日本とフ ランスのエリート校の学生の出身階層の統計がでている。これによるとフランスのエコール・ノルマル・シューペリウールの文系学生の出身階級は文系のほうが 高く、理系のほうが低い。ところが日本の帝大の学生の出身階級は理学部のほうが文学部より高い。これと私の発見がどういう関係にあるかはわからない。

そもそも中国では麻雀は「亡国の遊戯」とされている。無為に「万里の長城を修理」したり、芝を刈っていることが目的化してしまった人間に国を任せるリスク は高い。 マージャンは「亡国の遊戯」といえばゴルフはどうだろう。下手だから言うわけかもしれないが、ウォレン・バフェットは「最高のCEOはゴルフをすることを 望まない」と言っている。同感だ。

それよりなにより、文系トップマネジメントが問題なのは座標軸がないというか、船にたとえれば錨が無い。したがって文系的人間は相対主義で流れに身を任せ るのである。そして羊のように群れることとなるのである。そして暴走のあげくにクラッシュを生じ、他人に、社会に、そして世界に迷惑をかけるのである。米 国の文系人間の 暴走に 世界が大迷惑をこうむったのもまだ記憶に新しい。

日本では文系はつぶしが効く人材とされ、管理職となりその地位を独占する。理系は専門職として遇せられる。従って年取って創造性を失ったエンジニアを専門 職として遇するからろくなものが生まれてこない。むしろ営業にすれば顧客とのコミュニケーションはスムーズになり喜ばれる。一方文系は若いとき建設現場の アドミ位しかやることがないから潰しが効く人材として育たず、たとえ営業になったとしても何の役にもたたない。こういう連中が会社の首脳陣となると会社は うまくゆかなくなるのである。花王は技術系はつぶしが効く人材としてとらえているようだ。年取って使い物にならなくなった研究所長を経理部長にすれば3ヶ 月もすれば使えるようになるとかって長野社長が言っていた。上品にいえば管理職は「専門職とそのうえに乗っている人」と表現することも可能だが、それでは 本質をとらえていない。すこしどぎつく文系理系で論じるほうが実態をとらえることができる。

民間会社とはいえ、地域独占を許された準官庁の企業は電力会社だろう。トップは例外なく文系で、お飾りのナンバー2には理系がつく。この文系トップがして いることは原子力優先主義である。世界が原子力などブラック・スワンを抱えた技術をすてて、再生可能エネルギーに向かわんとするとき、いまだ原子力にしが みついている。どうしたらよいかわからいのだろう。万が一ブラック・スワンが出現したら万死をもってしてもそのミスジャッジをとりかえせないのだ。

トインビー流に表現 すれ ば企業は指導層が創造力を失うことによって衰退するのであって、決して競争相手に負けるからではない。そもそも電力には競争相手はない。だから始めから創 造力はないのだが、時代の変わり目には単なる抵抗勢力となる。

無能な管理職は無能な部下を重用す る。組織全体の弱さのかげに、みんなが 無能さを隠し合う
リー・ アイアコッカ/クライスラー

2014年に強制適用が決まっていた国際財務報告基準(International Financial Reporting Standard IFRS)は日本経済団体連合会の米倉弘昌会長(東大法)の圧力で金融庁の自見庄三郎(九大医)担当大臣が延期を指示した。まさにこのことが日本の経営者 のダメさ加減を表していると思う。アメリカの条文主義の会計基準を基礎とした日本と違い国際財務報告基準はイギリスの原理原則主義を基礎としている。開発 費は、日本では発生時費用処理であるが、IFRSでは資産計上である。これが今回のフローティングプラント・ベンチャーが売り上げなくとも融資を受けられ る会計制度に助けら れているといってよい。新規産業が生まれやすいのだ。既存産業保護した眼中にない日本が没落する原因だろう。「アップデート」を前提としたマイクロソフト のOSの場合は、代金の100%を売上時計上せず、将来の無償サービス分を引いて売上計上し、将来に無償提供が発生した時点で徐々に売上を計上してゆくこ とができる。ポイント制も同じ処理となる。たな卸資産の最終仕入原価法は、IFRSでは禁止である。卸資産の低価法評価損は、日本では洗替法と切 り放し法の選択だが、IFRSでは洗替法となる。簡単にいえば垂直統合した自社部品に関し、他社が安い製品を開発した途端に原価計算では自社部品といえど もその安い価格(時価)で行わねばならなくなる。

製造業は理系創業者を継ぐ文系経営者は、自分達がなにをする集団、なのかを忘れる。 このようにコアを忘れた経営者は他社の分野にも我もとビジネスを拡大し、相互に市場 を食い合うだけで、損失ばかりだす。そしてそれを整理しないので競争力ある分野の負担になり国際競争力を失うという愚かな経営をしがちである。トヨタ、 YKK、コマツなどは比較的核心部分がブレていない。逆に旭化成など本業の化学をおろそかにして建設業に進出して品質管理に失敗している。

誰が指摘したのか記憶にないが、日本のCEOは前のCEOが指名している。これでは正しい人選が行われない。米国では取締役会の発案で人選委員会 が臨時に編成され、そこの推薦に従い候補者がえらばれる。ただセブンアイ・ホールディングのような例外もある。鈴木会長が子会社のセブンイレブンの社長が 次世代の インターネットの取り込みなど次世代のビジネスモデル開発に消極的と更迭しようとしたら、オーナーや社外取締役を巻き込んでこの人事案をつぶすということ も発生している。日本の官僚機構も国民に選ばれた政治家が官僚の人事を行わないで官僚に任せているため、政治家は官僚に支 配されてしまう。かてて加えて、日米安保体制の下では米国官僚の権威の下で生き抜ことする官僚の売国奴的動きに政治家は乗せられる。

シュンペーターはドイツが科学技術によって勃興する過程を観察して「創造的破壊」 という概念を確立した。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論である。経済が静止状態にある社会においては、独創性ある エリートは、官僚化した企業より、未開拓の社会福祉や公共経 済の分野に革新の機会を求めるべきであるとした。そして、イノベーションの理論を軸にして、経済活動における新陳代謝を創造的破壊という言葉で表現した。 わたしが指摘する文系経営者は特に技術分野ではイノベーションをどうしたら起こせるかわからない。

どこでも成功した組織は巨大化し、多層化して、部門間に縦割りサイロ効果(タコ壷)がでる。ソニーにもこの効果はあったという経営評論家がいるが、私はソ ニーが凋落した本当の理由はコンテンツなどという広大な分野にビジネス範囲が拡散し、商品を絞ったアップル等 に対抗できる魅力ある新商品を継続してだせなくなったのが理由だ。ところが結局コンテンツでもアップルに負ける。コンテンツを閉鎖的に囲いこみたがり、 オープンなソフト iTuneを開発できなかったからだ。ソニーが開発したものは似て非なるものであった。私はクリエというPDAやVAIOというパソコンに散財してもうソ ニー製品は買うまいと誓ったものだ。

組織が大きくなると金銭の流れをウォッチするようになり、必然的に文系経営者がトップにたつ。そして新製品開発は部門の長に委任する。ところがこの人選で 間違うのだ。売れないものばかり開発しても損は文系経営者におしつけられるからどんどん赤字は膨らむ。そしてある日堤防が決壊する。東芝やMHIもこれ。 会社がだめになる原因は新製品をだせなかった文系トップの責任でなくてなんだろう。世の中の大概の企業の経営者は文系でもつとまるので数で文系が多いのは 当然である。しかしそのような企業は中国のような人件費の安い国の企業を競争して生き残るためには、高度な技術で生き残らねばならない。とても文系経営者 のできることではない。

AIを利用すれば、定常業務のより一層の効率化などが可能となり、ルーティーン業務から人間が排除されるようになるだろう。しかし新しい発想をするAIは 多分かなり困難であろう。ここだけが最後に人間にのこされた存在意義ではないか。ところが現在の企業経営者はそういう「新しい発想」する人間なり組織は自 分の存在を否定するものとして排除する。こういう守旧派を大きくくくくって言葉で支配したい人々すなわち文系としたわけで、出身が大学の文系と理系とは 別。

ただエンジニアリング企業のように新プロセス技術開発がビジネスの中心ではなく、海外におけるプロジェクトや工事実行能力が大切なコントラクターのような 業種は文系トップでも能力次第ではつとまる。無論、商社や銀行も文系が中心でも致命傷にはならない。とはいえ、理系中心の顧客とのコミュニケーションを文 系営業にまかせておくと意思疎通ができず、失敗する。三井物産は2015年に32人抜き抜擢で安永竜夫(東大工)を社長にした。

いかなる企業も、どれだけ長い期間繁栄してきたかとは無関係に、永続的な豊かさを当然視することはできない。消えていった企業としてデジタル・エクイプメ ント、パン・アメリカン航空、プルマン、ダグラス航空、ペンシルバニア鉄道を思い出すだけで十分。ぼっ興してきた企業群としてはマイクロソフト、デル、 アップル、ヒューレット・パッカード、インテル、オラクル、シスコ・システムズ、アマゾン、グーグル、ヤフー。

日本企業は大きすぎて総身に血が回らなかった別の表現では文系経営者はタコツボにいる技術者を統治できなかった。そういう意味で日本の成功した企業は皆同 じ。解決法はいったん解体してベンチャーとして出直すしかない。実際ソニーを含め、タコツボにいた技術者たちは自分で小さな会社を作り、韓国、台湾企業に かれらの技術を供与した。こうして日本は韓国・台湾に負けたわけ。

創造的破壊をみつけたのは英国の古典派経済学者たちではなく、当時登坂にさしかかったドイツ系チョコ出身の経済学者のシュンペーターだった。日本の大企業 は創造的破壊ができない。なぜなら文系経営者はは破壊されたら一巻の終わり、再起不能である。だからできるだけ引き延ばして頑張る。そして全滅する。

以上の文系経営者無能論は無論かなり極端である。理系にもおかしなのが沢山いるという指摘もある。私はそれは文系経営者がはじめた流儀を無能な理系(ほと んど文系といっていい)がまねした結果と考えている。とはいえこれ以外の原因もたくさんある。そう思われる方は、フリーク・ヴァーミューレン著「やばい経営学」の一 読をおすすめする。内容に大差はない。

さて文系経営者の弊害を実例を挙げて考察しよう。

デービッド・アトキンソンが指摘するように日本は世界第三位の経済大国ということになっているが一人あたりの付加価値生産では27位に落ちる。だから価格 競争に敗れるのだ。無駄が多いのだろう。にもかかわらず人口x生産性=世界3位となるのだ。なのことはない人口が多いにすぎないのを、能力と勘違いしてい るにすぎない。生産性が低いのはエスカレーター式昇進システムで劣化した経営能力の欠如なのだろう。


金融業

金融業は一見文系人材のビジネスのようにみえるが 金融業界は情報システムによる装置産業であり、IT投資に依存している。金融機関の情報システムは主に情報子会社やシステムインテグレーターが担当してお り、Fintech領域のメインプレイヤーである。

先進国中、日本とドイツはまだ製造業で頑張っているところもあるが、欧米は金融業や知識産業が中心となっている。ところが計算機をつかった証券業で秒を争 う 取引で利ザヤを稼ぐことにかけては日本は過去10年間、グオンツとよばれる数学者を雇った欧米 の金融業業に大きく遅れていた。みずほなどは合併後、システム統合すらできないでいる。ブロックチェーンを使う分散帳簿方式がでてきて三菱 UFJは積極的に向き合っている。

2016年に入ると人工知能(AI)界の世界的権威、ベン・ゲーツェルがチーフサイ エンティストを務める香港Aidyia社が、AIによって株取引が 完全自動化されたヘッジファンドを立ち上げた。近年、Aidyia社のように、 AIに次々と新しい技術を応用し、株取引を行う試みが増えてきている。こ のようなサービスの多様化や規制緩和に伴う新しい市場を狙うFintech領域のスタートアップを従来型のFintech企業(Fintech 1.0)と区別して、Fintech 2.0と呼ぶ。Fintech企業は既存の金融機関との共生型と、市場を奪う競合型に分類される。また、Fintech企業自身が金融ビジネスを行うパ ターンと金融機関にシステムを提供するソリューションビジネスを行うパターンが存在する。国内のFintech 2.0は米国に比べて盛り上がりに欠けており、市場規模も小さく、Fintech 1.0が得意とするクラウド(データセンター)やビッグデータ・AIといったITトレンドの指向が強い。2015年の日本のフィンテック関連企業への投資 額は6500万ドル(約65億円)で、122億1000万ドルで首位の米国の0.5%の規模にとどまった。アジア域内でも中国の30分の1、インドの25 分の1。

新日鉄(住金)

「鉄は国家なり」という言葉は1862年に‘鉄血宰相’と言われたプロイセン王国ビスマルク首相の有名な演説に由来している。このプロパガンダに悪乗りし た稲山嘉寛(東大経済)以降の新日鉄の歴代のトップマネジメントは斉藤英四郎(東大経済)、三村明夫(東大経済)、宗岡正二(東大農業経 済)と堂々の文系だ。2013年の住金との合併後は新日鉄出身の宗岡正二会長(東大農業経済学科)、住金出身の友野宏社長(京大工)体制だったが2013 年新日鉄出身の進藤孝生社長(一橋大経)に引き継ぐ。ただ成熟した技術であるし、行うことは合併による規模の拡大だから理系経営者の必要はない。もっぱら 政治的に動く。たとえば海外と戦える競争環境がほしいといい原発再稼働賛成といっている。貿易黒字がつづけば円高になり、輸出が苦しくなるのは経済学 が教えるところ。経済学を勉強したのだから政府に為替操作をおねだりしても意味がないことはわかっているはず。鉄鋼会社としての解決法は鉄鉱石と石炭の資 源国に新日鉄オーストラリアなるものでも作り、そこから新日鉄ブランドで鋼鉄を輸出すればいいわけ。こまるのは日本人の現場労働者の職がなくなるわけだが マ ネジメントと管理職、技術者の職場は確保できる。ところが経団連は高くつく原発がほしいといい、政府に為替レートをなんとかしてくれと文句をいうだけ。こ れは天に唾する行為ではないか?装置産業は巨大な投資をしているから資金回収までは歯を食いしばって操業しなければならない。しかしいつまでも日本にその ような産業が居残って頑張って輸出にはげるととマネーバランス上ほかの産業を抑圧することになる。だから国としては、日本に適した産業を育てる必要があ る。政府が装置産業を保護し続けると、結果として組み立て産業を国外に追い出すことになることに思いをいたさねばならない。現在の日本政府は声の大きい、 経団連の圧力にゆがめられた間違った政策を採用していると私は思う。なぜなら組立産業こそ世界の消費者を魅了する製品を開発して大きな利益をあげ、かつ人 々の職を確保できる産業だからだ。鉄鋼業や化学産業はほとんど職場を提供しない。こう私がかんがえたのは釜山・巨済島のサム スン重工を訪問し、そこに大勢の人が喜々として働いているのは鉄鋼という素材を100%日本の製鉄業が提供しているのを目撃したたからである。日本の貿易 黒字は素材産業が稼ぎだし、この貿易黒字が為替が円高を生み出し、ソニーやシャープのTVやトヨタやニッサンの自動車の輸出の足かせとなっているからであ る。いわば国家の産業政策が「鉄は国家なり」というプロパガンダによってゆがめられているといえる。鉄は徳川幕府の米経済と同じく、その時代の主要産業を になった産業であることは否定しないが、19世紀的産業政策を21世紀に適用することのアナクロニズムに気が付かない愚かさがわが産業界と政府にある。こ れはすべて、不勉強な文系支配層が権力を握っているからではないだろうか?学者・鉄鋼会社(主に新日鉄・NK)の技術者(当時は規制強化が彼らの利益にか なった)は国内パイプライン建設の過剰な規制を持ち込み、高コスト構造を 作った。この間違った意識の刷り込みは1960年代初め頃から20年以上の長きに亘ってなされた為容易には抜けない。新日鉄・NK技術者は今頃(1980 年代半ば頃から)になって自分達の先輩が作った不当な規制を嘆いている。実例: 1980年終りから1990年代初めに建設された新潟−仙台ガスパイプラインのケース、長さ=約250km。計画〜建設完了=8年余 (Right of Way 確保 + 認可取得に約4年)、建設期間=4.5年。建設費=約600億円(土地代別)。建設費:US・EU内建設費の5〜7倍。建設期間:約2倍。更にバカバカし いのは、このパイプラインは山間を 長く通っていてブランチすれば雪深い山間の村々へのエネルギー供給が出来るのに、そうしたブランチは一切ない。かくして、こうした山奥の人達は今でも雪で 時々供給が途絶えるLPGボンベに頼っている始末。国内ガスパイプラインの貧弱さでは日本は世界一。韓国では、ソウル近郊から半島の外延に沿って南に下り 東側までMain Gas Pipeline が通っている。台湾も同じ。国内数カ所に散らばっているLNG基地から随時ラインの最寄り地点にガス供給し、消費者は同じく最寄り地点から取り出せるシス テム。同じく LNGに大きく依存している日韓だが、ガス移送効率の格段の差に因りガスコストは韓国の方がかなり安い。中国はご存知の通り、ウルムチ−上海間 2,500 km Gas Pipeline を始めあちこちにパイプライン網を建設中。原子力村住民に劣らずパイプラインにぶら下がっている学者を含むマフィアの愚行は酷過ぎる。日本ガス協会は 1980年代頃から改善しようと試みて来たが改善の兆しすら見られない、と言うのが現状。


東電

さて電力業界はどうだろうか。2011年3月11日に福島原発で 歴史的事故を起こし、実質企業としては破綻してしまった東電の特徴を探すとやはり東電の歴代トップが文系、それも全て東大法学部と経済学部で固めているこ とが見える。そして政府をわが物にして原子力という危険なものをおもちゃにして多大な迷惑を 日本にもたらした。これはほとんど刑事事件といっていい事態である。その典型的人物が木川田一隆(東大経)であった。住民の反対をおそれ、米国の権威を奉 るために社員に一切GE設計を変えさせなかったという。この悪しき伝統が今日の失敗の原因となったのである。後継者は平岩外四(東大法)、那須翔(東大 法)、荒木浩(東大法)、 勝股恒久(東大経)、清水正孝(慶応経)、西沢俊夫(京大経)、福島事故後後は弁護士の広瀬直己(一橋大社)だ。これをついでようやく理系の元JEF社 長、NHK会長の數土文夫(北大工)が社長になる。同じGEの原発を女川に導入した東北電力は技術系の平井弥之助副社長 (東大工土木)が津波を考慮して敷地高を15mとすることを主張したため助かっている。なぜ彼が主張したかというと、岩沼市にある実家の近くの千貫神社は 海岸から7kmもあるのに慶長津波で被害をこうむったことを知っていたからである。氏は後に電力中央研究所に移るが、秘書がいまでも覚えている口癖は「お じも とさま」(お地元様)と「虎は死して皮を残す」だという。大部分の電力経営者や官僚は「おじもとさま」はうそで丸め込む対象としてしか頭の隅に浮かばない ようだ。そして「虎は死して1万年の管理が必要なゴミを残す」だ。とはいえGEのBWRは封じ込めという点では同じくメルトダウンしたスリーマイル島の PWRより各段に劣る欠陥商品ということは今回の事故で明らかになったことである。とはいえ日本のPWRが安全ですぐれているという点から導入され たわけではない。たまたま60Hz圏がウェスチングハウスのテリトリーだったというだけのこと。関電と中部電力 の歴代のトップは理系である。


関電

関電の経営者は芦原義重(京大電)、吉村清三(東大経)、小林庄一郎(東大)、森井 清二(京大工)、秋山喜久(東大経)、石川博志(京大経)、藤洋作(京大電)、森詳介(京大電)、八木誠(京大電)のように理系・文系ほぼ同数である。そ れにしては原発に入れ込み過ぎた。八木誠の言動をみているとかなり文系化して既得権にしがみついている。


中電

中電の歴代社長は田中精一(慶応)、松永亀三郎(関西大商)、安部浩平(京大法)、太田宏次(東大工)、川口文夫(早稲田商)、三田敏雄(成蹊機)のよう に文系が多い。


九電

九電も歴代社長は永倉三郎(東大)、大野茂(九大経)、鎌田廸貞(京都経)、松尾新吾(東大法)、真部利応(京大電)、瓜生道明(阪大機)と文系が多いが 原発事故後理系になる。川内原発を真っ先に再稼働させたが、地震というアキレス腱をかかえたま まである。


北電

北電は近藤龍夫(北大電)、佐藤佳孝(東大情報科学)と理系。


電源開発

電源開発は国策会社のため両角良彦(東大法)通産から天下り、杉山和男(東大法)通産から天下り、沢部清(東大経)、 北村雅良社長(東大経)のように文系。福島事故後も欠陥原子 炉BWR大間原発の建設工事を続行。


日本原子力発電

正力松太郎が原発は民間でと考えていたが河野一郎が原発は官主体として発足した国営企業。濱田康男社長は元関電副社長 (阪大学法)であるが、活断層、寿命オーバー、旧式BWRであることなどの理由により長期間原発停止となり、資金繰りに行詰まる。事業清算するにも廃炉費 用も積立金不足。2016年村松衛社長(慶大経卒、東京電力入社)のとき、日立に乞われて日立傘下の英原発事業会社ホライズン・ニュークリア・パワーが 2020年代前半から英国で順次稼働する原発事業 に参加し収入を計るというばくちに打ってでる。英国で原発運転などの能力もないわけでこれは国民の税金を人質にする行為だ。



NTT

通信事業という技術の最先端の企業NTTのトップは過去においては理系と文系が交互に就任していたが、2002年以降、三代すべて文系出身者で占められて いる。>初代真藤以下4代目までは理系社長の指揮下にあったNTTも2002年からは 文系労務畑出身の社長になった。このNTTに依存していた国内携帯電話器メーカーはスマートフォンも開発せず、通常の携帯電話はガラパゴス化して世界市場 には忘れられている。 トップマネジメントは文系ではない かと思う。和田紀夫(京都経)、三浦惺(東大法)、鵜浦博夫(東大法)の労務系のた らいまわしである。NTTグループの営業利益の7-9割かせぎだすNTTド コモの理系の山田隆持社長(阪大通)すら2012年に持ち株会社の社長になれなかった。持ち株会社の傘下企業はそれなりに理系支配が必然だが、 やはり、持ち株会社が文系支配は身分制度と同じで企業の停滞をもたらす。NTTドコモの新社長加藤薫(名大電子)も理系だが、親会社の文系経営者鵜浦博夫 の持論がアップルに頼らない ビジネスモデルを標ぼうするかぎり、iPhoneを拒絶し、ジリ貧だ。 そのうちにNTTの基幹となる技術者の質も低下し、世界の後塵を拝すことになろう。いや過去10年をみ れば、そうなっている。クラウド・サービスに出遅れているのを見ても明らかだろう。そもそもNTTは電電公社だったことの天下りの悪弊のある会社で今後も たいしたことはきたいできない。かってATTのベル研になにか学べるものがあるか出かけたとき、そこの技術者たちが、日本から学ぼうとと質問攻めになった ことが脳裏をよぎる。

NEC

日本電気(NEC)のトップは 小林宏治(東大電)、田中忠雄、 良くも悪くも1980年からNEC社長をしてパソコンを育てた関本忠弘(東大物理)が大きな影響を残したと推察される。1994年から社長を務めた金子尚 志(東大工)の時、赤字転落。赤字転落を受けて1999年から登板した西垣浩司(東大経)は文系社長だが自殺。2003年から金杉明信(慶応電)はいずれ も理系だが、NTT民営化に伴う構造的変化に適応するための改革はできなかっ た。2006年から社長の矢野薫(東大電)と2010年から遠藤信博(東工大博士)は一言でいうと理系とはいえ、製品購入者の感性を持って いないマネジメントしか持てなかった。メーンフレームでは三井住友システムの維持管理だけが残り他の銀行が失った。パソコンは2011年にレボノに統合。 フィンランドのノキア共々スマートフォンに乗り遅れた遅ればせながらアンドロイドOSとマルチコアの クワルコムCPU搭載のスマホを開発したが、後追いなので海外で売れる商品とはならず ガラパゴス化して絶滅寸前である。そもそも携帯電話のCPU開発に取り組まなかったのはミスジャッジだ。社員としてはそのような企業は早々に見限って脱出 することが肝要だろう。2012年になっても赤字に苦しんでいる。社長を社外で見つけようという動きもあると報じられている。鴨居にあった工場は売却さ れ、跡地にショップング・モールとシネコンができたが、周辺の企 業城下 はうらぶれたままである。


富士通

革新企業たるポジショ ンは失い、いまだ生き残っているのは銀行や政府機関などのセキュリ ティーを大切にする閉鎖的ITシステムの維持管理業が20%である。みずほは富士通 のメーンフレームであったが日立のシステムをつかっている興業銀行と合併して4,000億円をかけたシステムの統合に失敗している 。故山本卓真会長(陸軍航空士官学校卒、)は日本会議副会長を務めた右翼である。曖昧なソフト開発契約で富士通を衰退に導いたといわれる秋草直之氏(早大 政経)と 経営上の方針が異なり退任させられた野副州旦(のぞえ くにあき)氏も含め間塚道義 (まづか みちよし)黒川 博昭(くろかわ・ひろあき)らが皆文系ということも興味深い。ただ秋草直之 氏は文系とはいえシステムエンジニアに転身しているので理系といえる。従ってハードからソフトへの転換を図ったリーダーではあった。院政を強いてきた秋草 直之氏も陰謀が明るみにでてようやく2010年6月ようやく退任。久々に後を継いだ理系の山本正已社 長(九大電)になっても衰退の流れはとまらない。土建会社とおなじく政治力で顧客に喰らいついているにすぎない。2011年3月の東日本大震災後、みずほ のシステムが原因不明で2回もダウンし、NTTグループ企業の給与振込みができな かったことがある。富士通が構築したシステムのどこかに問題があるのか旧興銀の日立システムとの統合の能力不足だったのだろう。日本政府は理研経由でこの ような会社にスパコン開発をさせている。スパコンの性能は最早ハードでできることはやりつくし尽くして、ソフトの優劣の時代に入っている。物ならともかく 英語文化圏から外れた日本に世界のスパコン・マーケットを狙えるチャ ンスなどないと考えるのがまっとうな感覚だろう。税金の無駄使いにすぎない。独自のウインドウズ・パソコンを販売し国内市場の20%のシェアを持っていた が、2016年ついにギブアップし、パソコン部門を中国のレボノにと事業統合した。レボノ傘下にはすでにNECが入っている。パソコンより大きな市場のス マートフォンでも完全に出遅れ、アンドロイドOSは採用したが、マルチコアのクアルコムのCPUを調達することすらできずシングルコ アCPU搭載だ。バッテリー消耗が激しくハードユースには耐えられない。富士通のヨーロッパ(欧州)地域における日系企業向けサポート拠点としてきた 1990年に買収して子会社にした英ICLを母体とする富士通の英国子会社、富士通サービシズは2016年撤退モードに入った。


東芝

東芝の創業者は江戸後期から明治にかけて活躍した発 明家田中久重が作った田中製作所(芝浦製作所)と藤岡市助が作った東京電気株式会社が合併してできた会社が母体である。東京電燈の技師長であった藤岡がエ ジソンの直流 側についたのは有名である。以後東芝とGEの強い関係ができた。東芝は製造会社である。歴代社長は文系と理系のどちらにも偏っていなかった。石阪 泰三(東大法)、土光敏夫(東工大機)、岩田弐夫(東大法)、佐波正一(東大工)、渡里杉一郎(東大経)、佐藤文夫(東大工)である。しかし西室泰三(慶 応経済)以降、岡村正(東大法)、西田厚聡(あつとし)(早 稲田政経)と文系が続く。西室泰三の時、総会屋への利益供与事件、半導体事業不振、米国におけるフロッピーディスク装置訴訟和解による1100億円の特別 損失など不祥事や損失 が相次ぎ、社長退任まで利益は下降し続けた。2000年に社長になった岡村正の時に没落が始まる。世界一のDRAMメーカーが韓国のサムソンにやぶれ、米 国工場をMicronに売却。佐々木則夫(早稲田機 械)で理系に戻ったが、原子力産業の先行き不透明で、社長の椅子を失う。技術者の溝口哲也が作ったダイナブックを米国で売って頭角を現した西田だったが、 その手法は台湾メーカーに製造委託し、液晶などにマスキングという上乗せ価格をつけ て委託先に売り、完成品を買い戻すというバイセル取引で一時的に利益がでたように見せる、不法取引だった。この手法を教えたのは田中久雄(神戸商経)とい うのちに社長に引 き上げられる文系だった。久保誠(慶応経済)専務も文系だ。西田厚聡元社長ら旧役員5人への訴訟でけじめをつけるつもりのようがだ、攻めの体制になってい ない。ブ ルーレイには破れ、廃炉問題、廃燃料処理問題があり、核拡散問題もある原発を世界にあまねく普及させるためにとチェルノブイリ後、原発の新設がとまって仕 事が無く、社員も散ってしまった空っぽのウエスティングハウスのPWR原発技術を買い取った。このとき東電会長の勝俣恒久の弟勝俣宣夫(の ぶお 慶応経済) が社長を務める丸紅のさそいだという。しかし国際マーケットで韓国のコントラクターに負ける体たらくである。かろうじて米国の2008年3月にサザン・カ ンパニーのジョージア州ヴォーグル(Vogle) 原発3,4号機を国際協力銀行の融資を手土産に受注したが主要機器は中国製となるなど、非国民的である。福島の失敗にもかかわらず2013/10/6には 東芝はフランスとスペインの英国における合弁会社ニュージェンを買収すると発 表した。WHのPWRで350万kWの発電をもくろむ。運転は電力会社に委託するという。これでは大した利益もきたいできないのに、大きな保証リスクを背 負い込む博打にすぎない。西田の裏に、典型的文系人間にして権力の亡者西室泰三(慶応経済)がおり、WHの買収を米国籍の まま進めたというのが一般的な世評と聞いた。パソコンより大きな市場のスマートフォンでも完全に出遅れ、アンドロイドOSをいち早く採用し、マ ルチコアのクワルコムCPU搭載のスマホを開発したが、海外市場はサムスンとアップルに完全に水をあけられ ている。東芝はNANDフラッシュメモリー開発の元祖であるが、その重要性を理解せず、開発者舛岡富士雄(東北大西沢研)を追いだし、既に市場コントロー ル力を失って久しい。とはいえ未だ世界の半分のフラッシュメモリー製造している理由は独自技術があるためだ。2014年に東芝の機密を一研究者が韓国の同 業者に機密情報を売り渡して逮捕された。これもフラッシュメモリーの発明者をうるさいと会社から追い出した東芝がしっぺ返しをうけただけのこと。重要な技 術に接 する人間は一生高給で飼い殺しにするのが米国流。それをしない日本企業はAll is Lostになるのは必然。自業自得なのだ。コンピューター断層撮影装置(CT)で米ゼネラル・ エレクトリックと独シーメンスとトップシェア争いを展開できる力があるが、巨額の損失の穴埋めに売却予定とのこと。末期的だ。日立に比べて、情報システム 事業や鉄道ビジネスの規模が小さく、社会インフラ系の事業はやや貧弱だ。これがため、歴代の歴代社長、会長には半導体を基幹事業に育てよう、という脈々た る思いがあった。一度投資の手を緩めると、ライバルにあっという間に置いていかれる。そんな競争のルールを熟知したうえで、半導体の出身 者が常に副社長か専務のイスを占めさせ、過去10年で合計2兆1590億円に達する巨額の投資を実行したためだ。しかし2007年に「BiCS(Bit  Cost Scalable)」と呼ぶ革新的な3次元NANDフラッシュメモリー構想を公表したため、サムスンに先を越されている。BiCSでは、多層 膜の上段から下段までを貫くエッチング・プロセスを活用することで、何段ものメモリーセルを一括で形成できるというものだ。2015年には田中久雄社長 (神戸商科)の 下で粉飾決算の疑いが内部告発され、過去5年間で1,500億円の損失隠しがあったことが明ら かになった。田中久雄社長らトップの叱責がはげしく、部門長は苦し紛れに隠したとされる。白物家電が赤字で切り離すとしても、黒字だったNANDフラッ シュメモリーも競争相手の出現で赤字に転落。四面楚歌になっている。CMOSをつかったイメージセンサー部門をソニーに売却し、NAND事業に専念すると いう。日本の半導 体産業はCMOSセンサーやパワーデバイス、NANDフラッシュなどの特定分野では今でも、国際的な競争力を持つ半導体メーカーが存在するが、「世界の中 心であるか」という問いに関しては、首を縦に振ることは決してできない状況になった。現在、米Intel社と台湾TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Co., Ltd.)、韓国Samsung Electronics社の「ビッグ3」が半導体産業を牛耳っている。2016年9月には中国の半導体メーカーが大規模な増産に乗り出すという。現地大手 の紫光集団が巨大メモリー工場の建設を打ち出すなど、少なくとも10カ所で新増設の計画がある。2020年までの5年間の総投資額は過去5年の2倍以上の 5兆円規模に達する見通し。日本はなぜ、こうした事態を招いてしまったのかというと1980年代に入り、ファウ ンドリーという業態が新たに誕生した。設計と製造を分離することで、複雑化する集積回路に対応しようとするもので、人材的にも設計に必要な人材と製造に必 要な人材は異なるものだというところがこの時期から明確になってきた。しかし日本の場合は電機メーカーを母体としており、最終製品を抱えていたため、設計 要求そのものがワイドでないため、世界で戦える競争力を身につけることができなかった。製造でも日本の半導体産業は1980年代にアートとして成熟期を迎 えてしまっており、米国はこれをサイエンスに昇華させることに成功している。経営難が判明しているのに原発のために設けられた安い夜間電力制度が 2016/4 からの自由化で廃止されるというのに、そのための蓄電装置を売り出している頓珍漢な発想にはあきれる。これはまだまだ序の口、今の経営難を切り抜けるため に最も利潤率の高い医療機器部門を売却して、銀行に借金をかえすことだ。これは自死の行為。最も付加価値の高いブランドを売り払って、不良債権のウェス ティングハウスと心中するというのだ。ソーラーパネルに関しても2016年の最安値は中国のTrinaSolarで、259,200yen/kW、IEA 予想では250,000yen/kW@2016でよく一致している。しかし東芝は340,000yen/kWで36%高価。まったく存在価値もない企業と わかる。推定だが理系社員は経営層からそのような商品を開発せよとの号令がかからないからサボっているのか。逆にそう思って提案してもつぶされるだけとい う社風かもしれない。田中久雄社長、室町正志社長(早稲田電気)後、指名委員会によって社長に登用されたのがコンピューター断層撮影などの医療機器事業を 売却して資金を作った綱川智(東大教養)である。これで東芝騒動はお わりかとおもわれたが、2016年の末に、東芝の子会社のウエスティングハウスがサウスカロライナ原発工事遅延を回復するためにスキャナ電力が新たに5億 500万ドル(約570億円)を負担する。そのとき、固定された建設費用の上限は76億7900万ドル(約8700億円)その後に増える建設費用は、すべ てウェスチングハウスの負担しゅるという固定価格オプションを選択させられ たのだ。このとき東芝はCB&I Stone Websterを1ドルでCB&Iから買収した。そ して数千億の減損となると判明した。この原子力事業を見ていたのが、志賀重範(東北大工学部原子核工学 科)である。StoneWebsterはマンハッタン計画でオークリッジ「Y―11」ウラン分離・濃縮工場の建設に拘わった会社である。しかし、買収前は CB&Iの傘下にあった。米国のLNGプロジェクトは千代田が設計してCB&Iが建設するという分担となっている。スキャナ電力は、固定 価格オプションは取り消 し不能だと指摘し、「これにより、当社の将来のコスト上昇のリスクは制限されることになります」と説明している。スキャナ電力は、この「固定価格オプショ ン」の選択について、15年10月に取り決めた契約に基づくものだと明らかにしている。

なぜ東芝がこのような負債を抱えた企業をゼロとはい え買収することを許可したのか、東芝のガバナビリティーを疑う。三菱電機との違いは三菱電機は三菱銀行の頭 取をつとめ監査役が立派だったようだ。東芝にはこのような強力な社外監査役が居ない?そもそもウエスチングハウスは、原子力に特化した先のない会社で英国 を含め、各国を転売されていたババあった。東芝はこれをひいたわけで、さすがの三菱重工も降りた代物。そのババがコスト増をStone & Websterに押し付けていたというのが実態のようだ。

2017年にはいると、WHの損失額は7000億円 に達するという。東芝は「債務超過をさけるため主力のフラッシュメモリーを含む半導体事業を分社し、ハードディスク駆動装置(HDD)世界最大手、米ウエ スタンデジタル(WD)から 出資を受ける交渉に入ったが独占禁止法の審査で時間がかかるため、キャノンや東京エレクトロンに出資を交渉中したが断られている。更なる赤字防止のために 工事はしない方向だという、がか それで原発を売れるのか。ついでにWHも売却する予定だそうだが、買い手があるのか?かてて加えてIHIの持ち分の買い取りも要求されている。競争 相手国の中国が買うのかも不明。英国で原発を計画しているニュージェネレーション社も売却予定だそうだが、買い手はあるのか?

東芝本体で手掛ける改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の海外輸出第1号として2008年に計画に参画した米電力大手 NRGエナジーが主体の「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」と呼ぶ計画。3、4号機の原子炉建設からも撤退するという。

東芝は2017/3/28ウエスティングハウスを破産処理することを決めたが、仏電力大手「エンジ―」と共同保有していた英国で3基の原発計画をもつニュージェネレーションを「エンジ―」から153億円で買いとり100%子会社とした。

万事窮して原子力を重要視する政府が補助すべきと日 本政策投資銀行に資本支援を要請したという。唯一の稼ぎ手のフラッシュメモリーの 主力拠点である四日市工場(三重県四日市市)は東芝とWDが共同運営している。新会社には東芝が過半の出資を残して連結対象 とし、引き続きWDと共同でフラッシュメモリー事業を進めるという。東芝のHDDを含む半導体事業は16年3月期の売上高が1兆5759億円。このうちメ モリーが半分以上を占めている。

東芝の重電分野での日立、三菱との違いや凋落の真の 原因は東芝の 本社及び主力工場が関東にあったためだという説もある。東京在住2代目〜3代目の家系の人たちが、「長男は親のそばにいてほしい」 との希望で、「コネを 頼りに」あるいは「実力」で、「育ちの良い良家の長男(学習院、慶応、早稲田等)」が多く入っているため能力がない。これを「二代目、お殿様症候群」とい い東京周辺の名門大企業には同じ劣化圧力が働く。そういえば朝日新聞に30年前に掲載された記事がなまなまと思い出される。それは東芝本社ビルには社長専 用のエレバーターがあり、社長室に直行。そしてその社長室には専用のバス・トイレあるというもの。専用のバーなら接客に使えるが、どう見てもバスは必要な い。愛人でも連れ込むつもりだったのか?

それでも東芝の重電機械(原子炉、火力発電機器)が 売れたのは、「GEとの技術提携に忠実に製造する」(日立のように設計をいじらない)というもの。これは東電の木川田社長の方針でもあっ た。「関東以北地区の東電、中部電力、東北電力に近いため、談合リストに沿って、黙っていても発注が来る」からであった。「BWR」では、「東芝が担当し たのは計測制御系だけ」で、「ハード機器設備は三井系のIHIに丸投げした」ので、「自力でBWRを設計・製作する能力はない」状態であった。火力発電分 野で も「大型ガスタービンの開発競争では、自主開発力がないので、MHIに全く歯が立たないありさま」で、早々と撤退した。「BWRですらこなす力がないの に、経験がないPWRのWHを買収する話」はPWRをこなして商売をする覇気と実力のある技術者は皆無なのでドタイ無理。

著者が千代田化工に入社直後はこのStone & Websterとのオレフィンプラントのライセンス契約が 他社の技術は使わないというものだったから、ルマス法が優位にたったとき、ルマスと契約していた東洋エンジニアリングが独走態勢にはいり、ソ連プロジェク トを総なめにした。これを千代田とJGCが指をくわえていた思 い出がある。石油ではなく、エチレンプラントを手掛けたかった私は慙愧の念だった。そのおかげで、石油でも石油化学でもないLNG分野を切り開くきっかけ になったのだ。なにが幸運を呼ぶのかはわからない。

東 芝は石油価格が高止まりしていたころテキサス フリーポートのLNGをLNG火力と組み合わせて売るためにLNGをTake or Pay長期契約しているため、これを販売できなければ2018年以降毎年1兆円の支払い義務が生じるという時限爆弾を抱える。ちなみにテキサスフリーポー トのLNGプラントは千代 田、CB&IとZachry社のJVが3系列建設した。

更に2011年にスマートメータの世界大手のスイスのランディス・ギアを買収しているが16年9月末時点で1432億円減損損失の計上に踏み切る可能性が あり、将来の売却も視野に入れているもようだ。

日立

日 立は小平浪平(東大電)、倉田主税(東北大工)、駒井健一郎(東大工)、吉山博吉()、三田勝茂(東大電1981)、金井務(東大工1991)、庄山悦彦 (東工大電1999)、古川一夫(東大電2004)、川村隆(東大電)、中西宏明(東大電)、東原敏昭(徳島大工2014)と歴代理系がトップを飾ってい る。それも工場長が出世コースとされた。 したがってトップの関心事は新技術を生み出すことより、もくもくと製造ラインを守ることにあったのではないか。なかでも三田勝茂は悪弊をのこしたようであ る。特に電力会社を顧客にする重電部門がトップに昇進し、半導体部門の素早い判断を必要とする部門は理解できなかった。この部門出身の生 粋の半導体エンジニアの牧本次生は専務まで務めたが1999年の損失を金井務会長にとがめられ辞任した。そして半導体部門は切り離され、能力ある人材を捨 て去り、技術者のレベルは低下してカネコ損害賠償請求事件まで起こしている。NEC、日立、三菱電機は半導体部門を切り出し、DRAMのエルピーダメモ リ、マイコンなどのルネサス エレクトロニクスが発足したが1980年代の成功体験から抜出せず、エルピーダメモリは過剰技術で過剰品質のDRAMを製造していたため破綻した。ルネサ スエレクトロニクスは大幅な人員削減をせざるを得ない事態 になっている。敗退の原因は競争相手が強かったというより内部統治に失敗して崩壊したと言ってよい。日本勢に代わって台頭したのが韓台勢だ。韓国サムスン 電子は圧倒的な資金力で大規模を続け、後にメモリー分野で首位に立つ。台湾では台湾積体電路製造(TSMC) が半導体受託製造会社(ファウンドリー)という事業モデルを確立した。工場を持たずに設計・開発に専念する「ファブレス」企業も存在感を高め、2013年 には通信用半導体のクアルコム、ブロードコムが10位内に入った。日立の実態 は多数の小企業が横並びに並存するだけの規模だけ大きい企業に成り下がり、スローデスを待っている企業となった。結果として家電やパソコンは振るわず、 2009年3月、前年のリーマンショック等の影響で、大幅な赤字を出して いた日立の経営再建のため、川村隆が代表執行役会長兼執行役社長に返り咲いた。就任後は、日立情報システムズなど上場子会社の完全子会社化等の経営効率 化、テレビ事業撤退等の不採算部門整理、公募増資の実施による自己資本比率の回復など、経営再建に務め、火力発電設備事業分野における三菱重工業との統合 を決定。これらの改革が 功を奏し、2012年3月期には、純利益が過去最高を計上するなど、約3年で経営は立ち直り、「V字回復」と呼ばれた。しかし英国の原子力発電事業会社 「ホライズン・ニュークリア・パワー」を買収するなどその判断に疑問府のつく決定もしている。2016年日本原子力発電を巻き込んで、日本政府の保証能力 を獲得し、1兆円の融資も得たようだが、納税者からみれば怪しからん行為である。不買運動されても文句は言えまい。2017年にはいり、GE日立ニューク リア エナジーの損失を公表した。


三菱電 機

電機大手の中で2016年に好調なのが売上高営業利 益7%の三菱電機である。この三菱も1990年代後半から今世紀初頭にかけて経営は傾いていたのである。歴代社長は進藤貞和社長(九大電気工学)は9年7 月、志岐守哉社長(東大工)は7年、1998年の北岡社長(京大工、6年)は半導体と情報通信出身のため、ここで1000億円の連結純損益をだしているの に社長を継続したいとぐずり三菱銀行頭取 だった伊夫伎(いぶき)一雄監査役に引導を渡された。傍流の防衛・宇宙部門出身の谷口一郎(京大理、4年)が社長になっ た。打ち出したポリシーは「儲からないものはやめる」でパソコンから撤退、大容量電動機部門は東芝との合弁に移管。半導体部門は東芝との合弁のルネサスエ レクトロニクスに移管。ついで携帯からも撤退。いわゆるコモディティー商品からは手を引いたのである。次の野間口社長(京大理、4年)は研究所出身で省エ ネに有効なパワー半導体は東芝から買い取りむしろ強化し た。以後、他社が苦しむ中、快調である。こうしてエアコン、エレベーター、ファクトリー・オートメーション、産業用制御機器が利益を上げている。その後の 社長、下村節宏(京大工)、 山西健一郎(京大工)はいずれも任期4年である。


ルネサスエレクトロニクス

三菱電機および日立製作所から分社化していたルネサ ステクノロジと、NECから分社化していたNECエレクトロニクスの 経営統合によって、2010年4月に設立され車載半導体(マイコン)を生産している。2012年12月、懸案となっていた財務基盤の抜本的強化について、 産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車など9社を割当先とする総額1500億円の第三者割当増資を行い。増資実施後は産業革新機構が持株比率 69.16%の筆頭株主となり、NEC・日立製作所・三菱電機の持株比率はいずれも6〜9%に低下し主要株主でなくなった。ルネサスの株主のうち自動車関 連企業の持ち株は、トヨタ(2.49%)、日産(1.49%)、ケーヒン(0.49%)、デンソー(0.49%)で、合計でもたった4.96%の少数派に もかかわらず自動車業界は産業革新機構を私物化し、そしてルネサスをも私物化している。


エルピーダメモリー

DRAMメモリー製造が赤字になって からNECと日立が設立したエルピーダメモリーはテキサス・インスツルメンツで育った坂本幸雄社長がマイクロンテクノロジーとの経営統合させインテルと政 策投資銀行からの融資を受け て再生した。エルピーダの経営破綻の直接のきっかけは、事業継続のために目利きのプロ不在の政府・銀行が居ない銀行から新たな「借り入れ」ではなく「借り 換え」が認められなかったことだ。さらに「提携先を見つけて資本を増強できなければ、これ以上支援できない」という銀行団の意向に沿えなかったことから、 会社更生法の申請に至ったが結局、現在は成功している。


ジャパン・ディスプレー

ジャパン・ディス プレーは産業競争力強化法に基づき設立された官民出資の投資ファンで ある産業革新機構主導で事業が成り立たなくなったソニー、東芝、日立、パナソニックなどの中小型液晶ディスプレイ事業が統合された会社である。スマホ向け のディスプレーが主力商品。いまだ有機ELを市場に投入できないで いる。シャープの参加がだめになり、どうするのか?元三洋電機株式会社の電池部門の長だった本間充(ほんま みつる), (甲南大法卒)のような文系CEOで引っ張れるのか?2016/6日立はジャパン・ディスプレーの株を売り抜けたという。 2016年前半分は営業赤字が続いていて、政府融資を申請している。


IHI

IHIはかっては呉海軍工廠を引きついだ名門企業で ある。タービン設計技師から社長になった土光敏夫氏(東工大) やNTT社長をつとめた真藤恒社長(九大造)を輩出した。日本のジェットエンジン生産の60〜70%を担う。防衛省で使用する航空機の大半のエンジンは IHI製。また、民間機用エンジンでは、エンジンモジュールや部品を数多く開発、GEのブレードなどの10%相当を供給。ロールスロイス・ジェットエンジ ン、Pratt&Whitneyにブレードなど部品を供給し、最終組み立てやメンテナンスしている。車載ターボにも強い。しかし他の分野は衰退し、残され た不動産で最低限の生存をし ている企業になりはてて見る影もない。真藤氏以降、稲葉興作(東工大機、日本会議会長)、伊藤源嗣(東大工)、釜和明(東大経)らが社長を務めた。一人の 例外を除いて理系である。財務出身の社長は造船からの撤退でマネー フロー厳しくなっ たためなのだろうか?2012年4月に航空宇宙事業出身の斉藤保(東大工)が社長になったが、2016年2月航空機エンジン畑出身の満岡次郎が社長兼最高 執行責任者(COO)に昇格した。エンジン部門以外は赤字とのこと。土光語録に「知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!」但し松 下幸之助は「あかん、潰れるな」と呟いたと いわれている。「『まずは汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ぬ者は去れ!』と云うべきやね。本当の知恵と言うものは汗から出るものやっと 2013年離陸するとのこと。 真藤恒氏が駆け出しの設計者だったとき、現場の職人に現場で無駄な作業が減る形状について教えられ、生産性を向上させた話を繰り返し、NTT社長の経営者 になってもくりかえした。そうして日本のお家芸ともなったが、これは設計から製造まで垂直統合された閉鎖的な大会社でのみ有効な手法である。グローバル下 で設計と製造を分離し、ファウンドリー側が設計とのインターフェースを公開して製造サービスを連続受注し、製造設備の稼働率を向上させるオープンシステ ム開発は台湾に先をこされた。


三菱重工

三菱重工は戦後の再合同を指揮した藤井深造(東大 法)、牧田輿一郎(東大経)は文系であるが、以後の歴代社長金森政雄(九大冶)、飯田庸太郎(東大第一工)、相川賢太郎(東大法)、増田信行(九大工)、 西岡喬(東大航)、佃和夫(東大航)、大宮英明(東大航)は相川を 除き、すべて理系である。相川は安値受注で会社を荒廃させた。ただトップマネジメントが全て理系だから良いというものでもない。均一な集団からは新しいも のは生ま れない。米国の社会学者バート・ホゼ リックが1950年代に提唱した「境界人仮説」のように効率効率と中央の統制ばかり強くなって端がなくなった組織ではだめなのだ。造船や軍需産業が衰退し たのち、ボーイングなどの下請けをしている。ただ米国が捨てたウェスティングハウスの原子炉技術を東芝のように高額で買わなかったのは正しい。戦 後旅客機は通産省が旗を振ったYS-11はうまくゆかなかった。役人が首を突っ込み各社横並びとなるとろくなことがない。JAXAが主導権を握ったロケッ ト開発も失敗の連続だった、三菱に請け負わせたら、一発で成功、これにならい小型ジェット旅客機MRJ開発も自由化したところ、三菱が主体となって 2013年にようやく離陸しそうだったが、外国からの部品調達に失 敗し、2年遅れるそうだ。ところが2013年に大宮英明(東大航)の後任は宮永俊一副社長(東大法)の昇格がきまったそうだ。41年振りの文系社長だ。私 の理論からすると好ましくない方向だ。日立との火力合弁会社やジェット旅客機MRJをうまく離陸させたところでその後の布石を敷けるのか?MHI製造の松 島基地所属のT2練習機は1982年に制御不能となって地上激突。防衛省、自衛隊ないから「三菱はもういい」という悲鳴さえある。創業の造船でも付加価値 の大きな巨大客船を受注したが、客船の内装部品を外国産のものを採用せざるを得ず、それを取り付ける職人として大勢の外国人職人を導入したが、これを監督 できず、遅延と火災がた手続き、受注金額の2倍 の損失を出している。カルフォルニア・エジソンのサン・オノフレ原発事故で4,100億円の損害賠償金を国際仲裁裁判所に申し立てられたにもかかわらず、 安倍首相につれられてトルコにでかけ、黒海沿岸のシノップに原発を売るという口約束をした。そしてついに日立に頼まれと火力発電プラント事業部門を合併さ せて専門会社を立ち上げた。いよいよ衰退期が終わって断末魔に入ったことを証明したようなも の。三菱のMRJは2015年、2回飛んだだけで、3回目は飛ばす、主翼の付け根に弱いところがあったので設計からやり直した。航空機は計算機の計算だ けで初飛行する。初飛行前に行われる強度試験機で主翼の上曲げ試験のデータから、通常の飛行では問題ないが、より高いレベルが求められる型式証明の取得に 向け、 主翼付け根の補強が必要となったということで、3回目の試験飛行の後、補強を決断したと岸信夫副社長から説明があった。その後、試験飛行のために米国に飛 ぶ計画であったが米国メーカーに発注した空調システムの原因不明の初期トラブルで1月遅れとなっている。2017年になって搭載する電子機器の配置位置を 見直しれ1号機の引き渡しは5度おくれて2020年になるという。エンジンはPratt&Whitney製。客船も 大赤字だし、原子力はサンオノフレ原発で大きな訴訟をかかえている。41年振りの文系社長だという鳴り物で登場した宮永俊一重工社長(東大法)は2015 年4月、度重なるMRJの遅延に業を煮やし、三菱航空機社長に原動機営業出身の森本浩通氏 (京大経)を据えた。「一貫して航空機畑を歩んだ 川井昭陽前社長(京大航空機大学院)を更迭、門外漢の森本氏を登板させることで、名航部隊を破壊した。それでもうまくゆかず2017年、宮永俊一社長直轄 事業にしたが、100万点の部品の納期管理ができていない。技術部門の劣化だろう。それも文系社長の弊害か?この宮永俊一社長は倒産寸前のフランスの原子 炉メーカーのアレバに500億円の出資をするという。宮永俊一社長が社内の反対を押し切って決めたという。政府の補助金をもらっ た手前、がんじがらめで動きが取れないという説も聞こえてくる。川重と組んでオーストラリア海軍の潜水艦6隻の更新プロジェクトに乗り出したが、オースト ラリアでの 造船未経験ということで、フランスの造船所に敗れた。

グループ全体の従業員数は8万2728人(2017/3末時点)。2018年度は毎年数百人規模が入社する新卒の事務系社員はゼロ。技術系社員は予定通り採用する。

「MHI」 の「造船分野」及び「航空機分野」での失敗と破綻は、「企業内部の老化と劣化」によるものという説もある。特に、「長崎造船所育ち」の社長が3人ほど出た が、「天領長崎の盆地の底で育った狭い気質」が現在の失敗を齎した」と映る。名古屋の「航空機の設計・製作の現場」でも、「組織の老化と劣化が進み、小型 のジェット機も作れない」事態となった。確か近年になって「航空機分野から社長が出た」ことは、記憶に新しいがすぐ更迭された。 先に「三菱自動車」が破 たんしたのに続いて、本丸も東芝と同じ破綻の道を歩くようだ。

トヨタ自動車

トヨタ自動車の歴代社長は豊田利三郎(一橋専攻 科)、豊田喜一郎 (東大機)、石田退三(彦根東高)、中川不器男(神戸大)、豊田英二(東大機)、豊田章一郎(名古屋大機)、豊田達郎(ニューヨーク大MBA)、奥田碩氏 社長(一橋商)、張富士夫(東大法)、渡辺捷昭(かつあき慶 応経)、豊田章男社長(慶応法,バブソン大 MBA)である。ハイブリッド車は創業家の豊田章一郎(名大工)がチーフエンジニア の内山田竹志(名大工)を叱咤して開発させたものだ。その後トヨタから技術的ブレークスルーはでていない。トヨタ自動車は経理・営業畑出身の奥田碩氏社長 (一橋商) のころからおかしくなった。その後も張富士夫(東大法)、渡辺捷昭(慶応経)と文系支配が続いた。張など燃料電池に注力すると語って、どうなっているのか と思ったものだ。最終的に豊田家に大政奉還されたが肝心の3代目 豊田章男社長(慶応法)も文系で頼りなげだ、元北米トヨタ社長のジム・プレス氏は 「トヨタ失速の根底には財務重視の人間にトヨタが乗っ取られたことにある」と指摘し ている。2010年のハイブリッド車の安全性問題で優柔不断の態度を示し、ブランド イメージを落とした。Googleも含めニッサン、本田などが完全自律型自動運転をほぼ問題なく動くようにしているがこの分野ではトヨタはで遅れ、多大な 公共投資を要するインフラ協調型自 動運転を提唱して技術的遅れを隠そうとしている。2012年になって判明したのは、コストダウンのために車台共通化の方針を出したという。これはケチなコ ストカットに目がくらんで消費者にとって魅力的な設計をするという自由度を失うという自動車にとって最も大切なものをすてた。最大の愚策で文系が陥りやす い陥 穽に三代目がおちたということ。ボンボンの道楽で開発した300万円するスポーツカーToyota86を売り出すという。だれが買うのかと思ったら、案の 定 若者には手が出ない。ただ余裕のある中高年に人気だという。貧富の差が拡大したためだろう。ただGM、フォード、クライスラーの敵失で2012年に最大の 売り上げを記録した。2013年には為替レートの好転で史上空前の利益をだした。2013/2トヨタもようやく間違いに気が付いたか、会長の張富士夫の後 釜 にハイブリッド開発者の内山田竹志を会長に据えたが、会長職は名誉職にすぎず、影響力は限定的であろう。トヨタだけではなく、一般に日本車は競争相手が多 いため見かけ上のモデルチェンジを頻繁に行い、モデル名まで使い捨てしているた め、ブランドが育たない。日本車の性能や品質面での優位性は薄れている。今後、設計の標準化や部品の共有化の動きが広がればその傾向はさらに強まり、クル マのコモディティ化が進むだろう。そうなれば、ブランドはこれまで以上に重要になってくる。新興国のメーカーも追い上げてくる。日本の自動車メーカーに とっては、長期にわたって安定した収益をもたらすロングセラー作りが大きな課題となるだろう。文系の豊田章男社長がしたミスは、資源でもない水素を燃料と する何の意味もない水素燃料車(FCV)を売り出したことと、AIによる自動運転車の開発に乗り遅れたことだろう。これは技術の本質を理解していない行動 だ。いずれそのつけを払うこと に なるのではと危惧する。2017年にはいり、豊田章男社長が「イタコ族」を登用しているという。これ「忖度族」と同義語。イタコ族の代表格は、友山茂樹専 務役員(群馬大機械、社長のお友達で、なんらの実績なし)と上田達郎常務役員(一橋大商、人事からのし上がった「トヨタの柳沢吉保」で報復人事、懲罰人事 で恐怖支配)いよいよトヨタの終わりの始まり?


ニッサ ン自動車

ニッサン自動車はどうだろう。川又克二(一ツ橋)は 興銀からの天 下りながら日本第二の自動車メーカーに育て岩越忠恕(東大)にバトンタッチ、これを継いだ石原俊(東北文)は歴代の経営方針の逆張りで会社をドンドン傾け た。久米豊(技術系)に社長職をゆずるが会長として経営に携わった。辻義文(東大工)、塙義一(はなわよしかず東大経)、 カルロス・ゴーン(École Polytechnique卒、Corps desMines)と文理交代制である。カ ルロス・ゴーンになってニッサンは蘇生した。ニッサンのような製造業にとってトップマネジメントが理系、それも最高の頭脳を持った人物が必要ということが 証明されたようなもの。ただ秀才という人間が技術の可能性を正しく判断するとは限らない。ゴーン氏は理系とはいえ 、ハイブリッド車はハードルが高いとEV車に走っている。しかしバッテリーは安くならないと分かっていないらしい。だれでも安易に参入できる車作りは破 滅への道ではないのか?彼はただのコストカッターに過ぎなく、技術には音痴なのか?多大 な経営資源を投入したカルロス・ゴーンはEV車の売れ行き不振に落胆している。競争相手のテスラ社のモデル3(400万円)の発売は2017年末だが、発 表後1週間の予約は32 万台を超えた。ちなみに、日産のEV「リーフ」(価格は約320万円〜400万円)の累計販売台数は、2010年12月から今年3月までの5年3カ月間で 約21万1000台である。テスラ社のビジネス・モデルは強いトルクを売ることになり、日本の環境意識に訴えるビジネスモデルとはことなる。環境意識の高 い人は必ずしもリッチではないのだ。EV社のトップダウンが必ずしも正しくないということの証しだ。2016年、EV用のリチウムイオン電池の内作は放棄 し、パナソニックなどからの購入に切り替えた。


ホンダ

ホンダは創業者が自分の息子には椅子を譲らないとし たため、 歴代理系の社長である。エンジンのシリンダー数を制御する新しいタイプのハイブリッ ド車を開発した安定した支持者がいるため経営は安定している。


富士重工

1917年中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現: 群馬県太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とし、太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機が富士重 工業のルーツである。歴代社長は2001までは東大、一橋大、横浜市大などの文系である。2001-2006まで竹中恭二(大阪市大工)がつとめたが、現 社長は吉永泰之(よしなが やすゆき成蹊大学経済学)である。彼は「スバルはこうきたか、とお客様の心を打つ商品を作り続 けなければならない。ただし、これは実は難しい。技術屋はお客様の心よりも、技術へのこだわりを優先しがちだから」と、指摘する。そのスバルが好調だ。消 費者の“渇望”に訴えかける利益率の高いビジネスモデルを構築して居るのが原因。だから巨大企業にはならない。


三菱自動車

<1983年東条輝雄(東大工)の後を継いだ舘豊夫(東大経) は中興の祖といわれ1989年に就任した中村裕一社長(京大機械)のバブル時代に「パジェロ」がヒットするなど国内販売で3位に浮上した黄金期があった。 し かし、その後2002年まで5代は文系社長下でリコール隠しの不祥事があり、ダイムラー出身のロルフ・エキロート(機械)が社長に なったが手を引き、岡崎洋一郎(早稲田機械)になる。MHI出身の西岡喬会長(東大航空)と商社出身の益子修社長(早稲田経済)をいただく三菱自動車は三菱Gから 優先株の出資を受けて再建中。しかし実は素人だましの460万円もする電池自動車開発に走った。誰が買うのかと思うと思っていた、カルロス・ゴーンが仲間 入り。そうしてリコール隠しの体質は変わらず2012/12エンジンのオイルシールの漏れ を改修せず、内部告発もあり、軽自動車176万台のリコール命令を受けた。2014年になって三菱重工の会長を務めた相川賢太郎(東大法)の長男の相川哲 郎(東大 工)が社長COOに昇格。岡崎洋一郎、益子修は順ぐりにCEO会長。2016年になり、軽自動車の燃費を過少に表示していることが明らかになり、会社存亡 の危機に面している。


ソニー

ソニーの歴代社長 は前田多門(東大)、井深大(早稲田電)、盛田昭夫(阪大物理)、岩 間和夫(東大地球物理)、大賀典雄(芸大声楽)、出井伸之(早稲田 経)、安藤国威(東大経)、中鉢良治(東北大資源)、ハワードストリンガー(オックスフォード大歴史)、平井一夫(国際基督教大教養)である。創業世代は 理系だが大賀から出井と文系になり、3代の間におかしくなった。ウォークマン開発秘話は暗黙知の代表的逸話であろう。創業者の一人、井深大が自社の小型の テープレコーダーをもって米国に出張した。帰国してこれではとても重くてかなわない。重いスピーカーを取り外してくれ。ついでに録音機能もいらないと部下 に命じた。できあが た試作品を共同創業者の盛田昭夫にみせたところ、イヤホーンで聞く音はいままでにない体験だった。これはいい、すぐ商品として市場に出そうと決心した。と ころが部下の全員がそんなものい売れるはずがないと反対した。でも盛田は経営トップだから「おれが責任とる。かかれ!」と命じたという。部下なんてこんな もの。井深と盛田が引退後、ソニーで生じたことを見ればこれ以上くどくど説明する必要もないであろう。部屋に籠って聞く音楽を歩きながら、周りの風景を楽 しみながら聞くという誰も考えなかった新しい需要を掘り起こした瞬間だった。メノンのパラドックを打破したのである。組織のトップのみに可能なことなので ある。なぜなら暗黙知は個人の頭のなかに発するものだからである。形式知でつながっている組織の歯車にはできないことなのだ。 文系の出井伸之(早稲田政 経)以降のソニーは どうだろう。昔は少々高くとも、故障しやすいといっても商品に魅力があったのでよく買ったものである。ウォークマンを開発した大曽根幸三(日大工)、プレ イステーションを開発した久夛良木健(電気通信大電子)が輩出したからだ。しかし最近は買いたいという魅力的な製品がなくなっ た。中鉢なる人物は理系らしいが 骨を抜かれて六本木の高級マンションに隠れるように住んで、なにか世を恐れてでもいるような生き方をしている。メモリーデバイス開発系の出身では縦割り組 織に立てこもった人々を融合して全社をうごかす説得力をもっていないのだ。トップマネジメントが自分を凌駕する人物を指名しなかったからではないのか?こ のような人材登用ではうまくゆくはずもない。スティーブ・ジョッブズが言っているよ うにiPodはデバイスではなく、iTuneというソフトウェアなのだ。ハードもテープドライブなどのメカは使わず、フラッシュメモリーだけで構成されて いる。MDのような特殊メカで成立する閉鎖的なものにこだわり、ブルーレイで東芝に 勝っても、インターネットで活 字・音楽・動画が流通するようになることが分かっていたにもかかわらず世界標準のデジタル流通網構築せず、自社の枠に立てこもってこれを収益源にしそこ なった。せいぜいマイケル・ジャクソンの人気で食いつなぐだけ なのか?はたまた倒産したレーベルを買い占めるという死肉あさりをするだけなのか。文 系のビジネス・スクール流の一見スマートに見える管理手法が泥臭く面白いことを探すという理系の自由闊達さを阻害したとしか思えない。プレーステーショ ンで 成功を収めた久夛良木健(電気通信大)がソニーの歴史上最悪の意思決定といわれるサムスンと共同での液晶パネル生産会社のエレクトロニクス部門の不振の責 任を取る形で辞めたあとの後任は英語だけが流暢なハワード・ストリンガーお気に入りの平井一夫だ。負けたテレビの更なる高品質化で失敗の上塗りをしてい る。消費者のほしいも のを提案できない人間は、ただ累積赤字を積み上げているだけで、何ら解決策を持ち合わせていない。円安になった2014年になって競争相手がほとんど黒字 化しても平井ソニーは赤字のままである。人事の間違いだ。不適任者を任命し手上手くゆくはずがない。野中郁次郎の指摘のように製造工程のHOWばかり語 り、WHATやWHYを語らない。これは「手段の目的化」またはという病(How to病)に罹患している証拠だ。韓国に有機EL ディスプレイの大型化で先を越され、あわててクリスタルLEDとか言っているが?このようにソニーは創業期は理系中心の新興 企業会社であったことは事実であるが、設立当初から大物が形だけでも社長に名を連ね、 銀行が安心してお金を貸せるような会社ではあった。というのもソニーの初代社長は前田多門という人物である。この人は元貴族院議員で文相も務めた政治家で ある。 創業者の井深大の義父であったために名前を貸していたという。遅 ればせながらアンドロイドOSとマルチコアのクワルコムCPU搭載らしきスマホを開発したが、後追いなので海外で 売れるかどうか?2014年にはVaioを売りわたしTVを子会社化するまでに追い込まれた。スマホやデジカメの「電子の目」を担うCMOS(相補性金属 酸化膜半導体)センサー技術は要素技術とはいえ世界の半分のシェアを持っている。そしてソニーはiPhoneの部品メーカーになりさがった。これすらいつ まで維持できるか。その没落はすべて文系の出井伸之に始まるのだ。出井は盛田家の娘の家庭教師で、その後結婚している。ヨーロッパに行き、先方と喧嘩して 戻ってきて(当時のソ ニーは正常だったため)出井は使えないってことで、ソニーロジスティックスの事務棟(保土ヶ谷)に幽閉されたとか。盛田家が大賀さんに圧力をかけ、出井が 社長になった。14人抜きなどと言われているが、実際には幽閉されていた人間だった。出井は回りにいる技術系の人をどんどん飛ばしたらしい。復讐だったの かも。出井伸之は生え抜きの取締役を3名にし、外部取締役を9名にしたが、何ら成果をあげることなく、ついに無配に 転落。なかでも2014年に松永和夫(東大法)を社外取締役に任命したことはこの会社の末路を暗示する。松永和夫は 保安院院長としてザル規制「耐震設計審査指針」を作り、原発事故時の事務次官であった人だ。平井 一夫によって社長を追い出された中鉢良治はなぜか産総研の理事をしている。こうしてソニーを去り、独立した異端の人材の例は数えたらいとまがない。 Suicaに使われる非接触ICカードを開発した日下部進(クアドラック)、高画質技術を生んだ近藤哲二郎(アイキューブド研究所)、指静脈認証事業の先 駆 天貝佐登史(モフィリア)などを野に放ち、本体空になってしまった。そして始めた多角化事業をたたむのに四苦八苦している。ソニーはリチウムイオン電 池を世界初で製品にしたが、この部門は2016年に電子部品メーカーの村田製作所に売却した。

パナソニック

パナソニックの歴代社長は松下幸之助(創業者)、松 下正治会長(東大法)、山下俊彦(工業高校)、谷井昭雄(神戸大 工)、森下洋一(関西学園商)、中村邦夫 (阪大経)、大坪文雄(関西学院機械)、津賀一宏(阪大バイオ、カルフォルニア大コンピュータサイエンス)だ。創業者生存中は理 系と文ミックスだったが創業者なきあと松下正治会長、森下洋一、中村邦夫ら文系が君臨してデジタル技術革新に乗り遅れ、フラット画面TVへの取り組みが遅 れた。中村は上司には絶対服従、部下には絶対的押しつけという典型的なサラリーマン 社長。就任当初周りにイエスマン ばかりを配置し、権力を欲しいままにするタイプで、松下電器崩壊の原因となるかも知れないと言われてきた。やはり文系の悲しさ、 ジリ貧である。創業者が確立したイノベーション不用、多量に安くという「水道哲学」を愚直に守り、同じ戦略をとった韓国・中 国に敗退。プラズマに巨額の資金を投じすぎた。そしてプラズマディスプレイからの撤退も遅れる。業績悪化で目覚め、ようやく理系をトップに据えた。あとを 継いだ大坪文雄は久しぶりの理系だが、ソニーやシャープと同じテレビ事業への巨大な投資に加え、サンヨー電機の太陽電池とリチウムイオン二次電池 事業を買収などしたが時すでに遅く韓国に負ける。中国・韓国メーカーが日本に先回りして巨大投資した分野で競争する愚を犯したわけだ。2012年6月には 津賀一宏が引き継いだ。最終製品を真似してきた伝統的経営方針は最終製品組 み立てが中国に負けている現状で要素技術・部品開発に弱いパナソニックをはして再興できるか?目下の急務は有機ELディスプレーをソニーと共同開発すると いう が成果が出たとは聞かない。2012年末には2年連続累積1.5兆円の赤字を積み増している。2014年になりようやくV字回復して黒字化を果たした。津 賀一宏の采配が成功したようだ。

シャープ

シャープの歴代社長は早川徳治(創業者)、佐伯旭(大阪経理専門学校、第二の創業者)、辻晴雄(関西学園商)、町田勝彦(京大農)、片山幹雄(東 大工)、奥田隆司(名大工)だ。早川はシャープペンシルを発明した創業者だ。その下で研究開発担当専務だった佐々木正は「技術は真似られる。むしろ真似ら れるような技術 でなければだめだ。大事なのは、真似られてもすぐに新しい技術を生み出すことだ」という。二代目佐伯旭は文系だが27年に渡って、創業 者・早川以上の企業家精神を発揮、この 後半導体を核とした技術開発力、継続的に差別化商品を生み出していく。商品開発力の構築、家電流通構造の転換に対応した新しい販売戦略、財務体制の立て直 し、海外での生産など、積極的な経営戦略、選択は成功会社を大きく発展させた。辻晴雄は文系だが奈良工場の名井鉄夫係長が電子手帳ザウルスを開発している と聞き、でかけて激励したという。しかしNTTなどがこれに通信機能をつけることに消極的で結局世界のトップランナーの座をアップルに渡してしまった。会 社としてNTTの協力を取り付けるというマネジメント不在であったことがせかっくのシーズを枯らしてしまったわけである。その責任はその後の経営者にあ る。その一人佐伯氏の娘婿である理系の町田がリードしていたころは 液晶テレビそれも60インチ以上のオーバースペック製品や太陽電池に経営資源を集中した。これを継いだ片山幹雄(東大 工)や奥田隆司(名大工)は理系だが、NTTなどとコラボした新しい商品を開発しなかった。町田勝彦は農学部出身の姻族継承者のため、暗黙知をもつチャン スがないまま院政をしい たため、片山幹雄は上からいわれた ことだけやるイエスマンになった。だからほとんど実質的に文系トップということになる。製造業は何を(what)作るかが大切でどのように(how)作る か は大して大切でない。ところが競争に負ける企業はhowにこだわる。なぜかといえばトップマネジメントが暗黙知を失っているから、whatが全く頭に浮か ばない。Howは形式知になっているからなにもしなくとも組織は動く。しかし作ったものが凡庸で魅力がなく、どこでも手にはいるものだから、売れず、屋台 骨が傾く という仕掛けだ。韓国との価格競争にまけたというのは後付けの言い訳にすぎない。太陽電池に手をだしたが、シリコンの調達のタイミングを逸して高価なもの し か入手できす、量が少なくてもすむ薄膜にしたが、結局シリコンの価格が暴落して薄膜型は結晶型にコストパーフォーマンスで負け、設備投資は無駄になった。 もっと驚くことは、シリコン価格が10倍に高騰したときに長期購入契約を締結した。価格が暴落したとき違約金を支払ってこれを解約する方が安くつくことに も気が付かなかったというお粗末さである。コスト管理の意識が全くない。 そして文系得意の人員整理ということになる。むしろ人員整理をやりたくて何もしなかったのではないかと思うくらいなのだ。こうして液晶テレビや太陽電池以 外の商品開発をなおざりにして新しいビジネスモデルを創生することができずジリ貧である。まちがった 「選択と集中」にこだわったのが原因だ。シャープが堺の新工場建設を発表したのは2007年7月。当時、実質実効円レートは、奇しくも史上最安値であっ た。こうして2007年の円安バブル期に投資バブルに乗ってしまった。異常に良好な経営環境が、永遠に持続すると過信し、製品開発ではなく、液晶製造 設備の積極投資に踏み切った。野中郁次郎のいう「成功体験への過剰適応」が原因である。旧軍と同 じ過ちを犯している。その失敗から回復のために奥田隆司を急きょ引き立てたが、実力は未知数。自 前のソフトを開発せずにそれを載せる情報端末ハードを垂直統合で作ってもグローバル化した世界ではガラパゴス化した端末は役に立たない。だからからだれも 買わない。著者も昔はシャープやソニーのパソコンを愛用した。でも過去10年はデルしか使っていない。安いこともあるが何よりもアフターサービスがいいか ら。電話かければすぐつながり丁寧に対処法を教えてくれる。なんと大連の御嬢さんだ。ソニーやシャープに電話したってつながらない。大切なところをケチる から負 けるのが当たり前。経営者は客が何を求めているかを知らないから負けて当然。決してコストではない。理系 といっても最も重要なソフトという創造をなおざりにしてものづくりするという保守的・文系的発想ではただガラクタをつくっただけに終わる。似非理系の系譜 に属する会社の証拠のよう なものである。いわんや文系においてをや。シャープの苦境を分析した経営学者の沼上幹が「シャープの問題は垂直統合であった」などと言っているが的を射て いない。プロセスではなく、プロダクツなのである。文系経営学者なんてなにもわかっていない。液晶技術の基礎を築いた元副社長の佐々木正氏によれば「80 年代に目先の利益を優先する予兆が見えていた。常に新しく面白いモノを作ろうという風土があったのだが、本社の管理が強まって現場の自由な雰囲気が薄ま り、革新的な製品を生み出す素地が失われた」という。シャープが開発したIGZO透明電極を使った省エネ型液晶ディスプレイを採用したスマートホンを 製品化した。アンドロイドOSとマルチコアのクワルコムCPU搭載 だがこれで生き返るかどうかだが、中国市場は安価なスマートフォンを求めていて苦戦している、台湾のFoxconn(鴻海、Hon Hai Precision Industry)のオーナー郭台銘氏が倒産しかかった旧シャープ堺工場に個人資産660億円を投じて同社株式の37.61%を保有したところ、2014 年 に大幅利益をはじきだした。4Kパネルなどの製造に向けた設備投資を184億円実行し、年間平均の工場稼働率は85%に回復させたが、赤字が累積して本社 建物を手放し、液晶部門がほしい鴻海に買収された。


オリンパス

オリンパスはどうだろう。創業者山下長(東大独法)が「法学士に顕微鏡などつくれるものか」といった冷笑を越えて苦心惨憺して1920年わが国で最初の 「オリンパス顕微鏡旭号」を完成したとういう例外的出発である。文系とはいえ、その創業期は完璧に理系である。ただ創業者はこれを売却して引退しているた め、理系的伝統は残らなかったのだろう歴代社長は山下長(東大独法、創業者2代目社長)、高橋冏(日本生命の天下り5代目)、神部健(日本生命の天下り8 代目)、北村茂男(生え抜き)、岸本正寿(早稲田法)、菊川剛会長(慶應法)全て文系である。胃カメラでシェア70%になったのはプロパー社長の北村時 代。しかしその後の生え抜き文系の下山、岸本はバイオに過剰投資したり、財テクして損失を出す。 1999年に財務担当役員になった菊川が企業買収を開始し、社長になって拡大し森副社長、山田秀雄常勤監査役ら3名の文系の財務や総務部 門出身者が経営の実 権を握り、不法資金を損失の穴埋めに使っていた。企業買収を始めた時期は時価会計基準適用になった時期と重なる。財務一家の保 身のため、財務部門で隠し通したのかどうか。いずれにせよ文系の腐敗であることに間違いない。菊川剛前社長により欧州支配人から抜擢されて2011/4社 長になったマイケル・ウッドワード社長(ミルバンク・ビジネススクール)が同社の過去の 企業買収について菊川剛会長と森久志副社長に「企業統治上の懸念」を示し、両氏の辞任を求めたところ、逆に解任されてし まった。そうして高山修一(長岡高専)という理系が指名された。


富士フィルム

コ ダックのライバル富士フィルムもまことに日本的で典型的文系経営者である。古森重隆(東大経)はフィルム事業からの脱却に成功したように見えるが、NHK 経営委員長などに浮気し、コンプライアンスなどということにうつつを抜かしている。はたして将来への種を蒔いているのか疑問。その うちに馬脚があらわになるのではないか?


ニコン

かってのカメラの名門ニコンは今や凋落の一途で人員削減中だ。高級カメラが原因ではなく、半導体露光装置でオランダのALSMに負けたのが原因だ。 ALSMはエキシマレーザーの紫外光源や、液浸露光技術、蛍石や石英レンズなどの技術でニコン、キャノン、東京エレクトロン、アプライドマテリアルズを抜 き去った。ニコンの牛田一雄社長(東大工応用物理卒、レンズ設計を担う光学畑、半導体露光装置開発者)はどうしていたのか?ALSMが技術を開放して外部 の研究機関やレンズなど部材企業と連携する「オープンイノベーション」の手法で、機動的に製品を投入したのに対し、対するニコンは技術を「ブラックボック ス」にして、自前主義にこだわったのが敗因という。キヤノンは露光装置の先端品の開発から手を引き、医療用の画像診断装置や監視カメラの分野で大型買収に 踏み切った。富士フイルムはヘルスケア分野を強化し、構造転換に成功している。

任天堂

ゲーム機で成長した任天堂は創業者の山内溥(早稲田 第二法)は文系とはいえ、オーナー経営者として幾度の失敗を乗り越え て大会社に育てた。大株主であると同時に三代続いた一族経営会社の社長でありながら、同社に勤める自分の息子を次期社長には指名せず、天才プログラマーと 言われる岩田聡(東工大学情報工学)を2002年に後継社長に任命した。ここらへんは本田宗一郎と同じだ。そして岩田は10年間社長としてリーダーシップ を発揮した。ソフト中心でファブレスの会社だが2012年売上高が4割も減って上場来初の最終赤字に転落、株価は暴落している。リーダーとして理想的な人 事だがなにがいけなかったのか。専用機で楽しむ ゲームというビジネスモデルがスマートフォンやiPadなどに奪われたためと思われる。


大王製紙

2011/10、業界第3位の大王製紙の井川意高元会長(東 大法)は人事権を握る子会社から106億円を借りて外国為替証拠金取引、株式投 機、カジノの借 金返済に使ったという。製紙業など大した技術的なものは必要ないがゆえだろうが、これも創業家の文系直系子孫が人事権という絶対権力を握って腐敗している ことを物語る。


武田薬品

武田薬品はどうか。30年に渡って武田を守った六代目長兵衛氏(慶応高等部)経営の後を継いだ三男武田國男氏(甲南大経)はコア事業である 医薬品事業への 経営資源の「選択と集中」を中心とした大改革を行い「研究開発型国際企業」に再建した。しかし創業家の武田氏が2009年に去って以来、これを継いだ非創 業家の文系長谷川閑史社長(早稲田政経)は稼げる自社開発新薬は一つも生み出さぬまま、4本柱といわれた大型薬は特許切れ、潤沢な資金は政府にケツを叩か fれてした みたものの価値の低い海外企業の買収に浪費した結果、負債が膨らんでいる。ダイバーシフィケーションとグローバリゼーションなどと空虚な言葉だけが踊って いて内容が無い。新薬を自からから開発 する経営をしていないからこの結果は当然だろう。創業家でない文系経営者の本質的問題に直面しているのであろう。このままでは武田は立ち上がれないかもし れな い。2011年には鎌倉に巨大な中央研究所を新築したが、建物を作っだだけで新薬が生まれるものではない。2016年になってもこの研究所に人が出入りし ているのを見たことがない。駐車場もがら空き。この御仁は経済同友会の代表幹事も務めているが 原発をとめれば日本の製造業がだめになる論を展開している。新薬開発と原発はなんの相関関係も ない。自分の失敗を電力業のせいにする言い訳としか考えられぬ。と文系経営者をこき下ろしていたら、2013/12に1992年リヨン第1大学薬学・薬物 動態学博士号取得。93年スミスクライン・ ビーチャム入社。03年グラクソスミスクライン(GSK)フランス会長。11年ワクチン社社長を務めたクリストフ・ウェバー氏を社長にヘッドハントしたと 公表。ソニーのハワードストリンガーは文系経営者だったが、ニッサンのゴーン氏のようにうまくゆくのか?ワクチン専門家だから、行政を客にしようという魂 胆で日本の官需ねらいの土建業と同じ次元かもしれない。赤字の国家財政を食い物して未来はあるのだろうか?そして彼が打ち出した方針は後発薬世界最大手テ バ・ファーマシューティカル・インダストリーズ(イスラエル)と合弁会社を2016/4から稼働させるということだった。どうりで研究所が動いていないわ けである。



塩野義製薬

塩野義製薬の創業者は塩野義三郎、2代目塩野義三郎(大阪高商卒)、塩野孝太郎(甲南大)、塩野芳彦(立教大物理)、塩野元三(甲南大経 営)、2008年 より手代木功社長(東大薬学部卒)この会社の研究開発力は高い。開発中の医薬品のうち、化合物を自社開発した製品が68%に達する。国内メーカーの同比率 は30-50%程度。塩野義は抗生物質ペニシリンの研究から医薬品開発を始め、特に感染症分野で自社開発へのこだわりが強い。最近では英ヴィーブ社に販売 権を供与した自社開発の抗エイズウイルス薬「テビケイ」の海外販売が伸び、世界販売が1000億円を超える大型薬に成長するとみられる。テビケイのロイヤ ルティー収入は15年4〜12月期に前年同期の19倍に拡大し、連結売上高の10%強を占めるまでに急成長した。塩野義はかねて売り上げの3割を占めるド ル箱の高脂血症治療薬「クレストール」が、16年から各国で特許切れを迎える予定だった。3年ほど前まで株式市場では「特許切れの崖を乗り越えられない」 とまでいわれていた。

製造業ではないが、やはり技術に依存している運輸業のJR西 日本の井出正敬元会長が「もの申さぬ文化」をつくり。鶴の一声で理系社員の採用を減らし、運営を 全部事務屋にして2005年の宝塚線脱線事故をしでかしたのも同じ文脈上にある。

JAL、 三光汽船

JALにしても三光汽船にしても製造業ではないから文系経営者で も勤まる。しかし量的拡大だけを追い、自滅した。


アルバッ ク

日本の製造業が負け続 けている中で、半導体製造装置、フラットパネル・ディスプレイ、PV製造装置で世界のシェアの半分 を握って頑張っているアルバックという会社がある。歴代、理系のトップが率い現在のトップの中村久三氏(東北大、金属卒)も理系だ。この人は「日本人が勤 勉だという認識は間違い。日本の 技術は高度であるという認識も間違い。生き残るためには不断のイノベーションと、グローバル化しかない。選択と集中もしない。成長するとわかれば先回りし て取り組む。自由闊達に議論して問題解決し、決して疲れない。開発で失敗しても責任を取らせないし、成果主義の人事考課はしない。役員会は根回しをしない が、問題の先送りもしない」と言っている。


三菱石 油、アラビア石油、石油資源開 発、帝国石油、INPEX

三菱石油は三菱グループが戦前に作った会社だ。ここ に就職した大学同期の中村は人格者であったため、出世の階段を登ったが、それでも副社長止まりであっ た。大学同期で他の石油精製企業に入った同期も皆取締役クラスが最高位だ。石油会社 などは油売りだから、技術を知らなくても経営はできた。しかしその石油もピークを過ぎて別のエネルギーを開発しなければならない時代に入ると文系の経営者 が舵をとる ことには問題がある。三菱石油を吸収合併した新日本石油の会長の渡文明(慶応経)などの話を聞くと石油の次ぎにくるエネルギーに関し何の展望も持っていな いことが分かる。従って彼が口を開くと愛嬌があるがマスコミなどの素人がはやす水素燃料の燃料電池の話しだけで、任せておけば日本と世界を正しい進路に導 くという安心感がない。まるでタ イタニック号のCaptain E・J・ Smithを連想させるタイプだ。いずれにせよ石油精製会社は資源開発能力は無いに等しい。だからただ国内マーケットの縮小に対応して小さくなってゆく。 資源会社としてのアラビア石油は山下太郎(札幌農学校農芸化学)が創業者。戦前肥料や米相場で巨万の富を蓄え、戦後はアラビア石油を操業して成功。しか しのちには通産事務次官の小長啓一(岡山大学文)が長く社長の座にしがみつき、ノウルェーやエジプトの資源開発に挑戦したが、成功せずジリ貧となり、 2013年4月より資源開発から撤退するという。国家予算をがぶ飲みして資源開発に失敗した石油公団もそうだが、地中がどうなっているかの暗黙知のない文 系の役人 経営では資源開発はできないということを証明している。帝国石油は小さいとはいえ日本での化石燃料資源開発をしていた。帝石とならんで国産ガス資源を開発 していた石油資源開発は一時期石油公団に吸収された。しかし北スマトラ海洋石油資源開発のため設立した国際石油開発が暗黙知を持つていたため、巨大なオー ストラリアの海底ガス田Ichthysを見つけることができた。両者が合併して海外に打って出て国際石油開発帝石(INPEX)に成長している。ただここ も天下 り役人で会長の黒田直樹(東大法)は文系、帝石出身の椙岡雅俊(東大工)は理系だが、社長は天下り役人の北村俊昭(東大法)で文系官僚の天下りが多く、ア ラビア石 油の二の舞いになるのではないかとの危惧がある。現にオーストラリアの海底ガス田Ichthysの開発に世界最長の海底パイプラインを採用したため、開発投資額が 世界常識から1兆円も高い買い物をしている。日本は結果として高いLNGを押し付けられることになるのだ。これも文系役人の弊害だ。


帝人

起業当時は帝国人造絹糸 といった。片倉工業が富岡で繭から作っていた正絹に代替するた めセルローズから絹もどきの人絹(スフ) を製造していた。スフはナイロンやテトロンなどの石油系の繊維に敗退した。鈴木商店から派遣された大屋晋三が「テトロン」を導入し、経営危機に陥っていた 帝人を瀬戸際で救ったカリスマ経営者として高い評価を受けた。しかし26年間社長を務めている間、政治道楽とやみくもな多角化が裏目に出たことと、高齢か らくる経営能力の低下など、その弊害が目立つようになった。歴代経営者は大屋時代の無謀な多角化路線の事業整理に追われ、20年近くリストラを繰り返すう ち、リスクを避ける消極的な社風が定着した。帝人は東レのように カーボンファイバーは手掛けたが、ユニクロと共同で開発したフリースなどの衣料品のようなダウンストリームに進出しなかったから 2014年には円安になっても青息吐息で、為替がどうなろうと海外のポリカーボネート製造プラントや国内のポリエステル繊維工場を閉鎖するという。

東レ

帝人と同じ出自で東洋 レーヨン。榊原定征:1967年に名古屋大学大学院工学科応用化学を卒業し、主に経営企画畑を歩 む。2002年より同社社長に就任。 また、2004年からは同社最高執行責任者も兼務。帝人が無策だったのに、東レはダウンストリームに進出した。たとえばカーボンファイバーとユニクロと共 同開発したフリースである。社長就任後は炭素繊維等の先端材料を梃に同社の業績拡大に取り組む。2005年3月期に同社の経常利益 は14年ぶりに過去最高を更新し、見事に名門復活を果たした。2014年、経団連会長候補。しかし住友化学出身の米倉弘昌経団連会長や武田薬品出身の長 谷川閑史代表幹事と同じく産業競争力会議では原発推進論者だ。ここらへんは視野がせまい。


旭化成

1922年旭絹織株式会社が前身。1933年に延岡アンモニア絹絲株式 会社として日本 ベンベルグ絹絲株式会社(キュプラ糸「ベンベルグ」を製造・販売)及 び旭絹織株式会社(ビスコース・レーヨン糸を製造・販売)を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲株式会社と改称。1943年旭ベンベルグ絹絲株式会社は、日本 窒素火薬株式会社(ダイナマイト等を製造・販売)を合併し、社名を日窒化学工業株式会社と改称。創業者は野口遵(帝国大学工科大学電気工学科卒)。チッソ や信越化学も野口が創業者。30年余に渡り経営の指揮を執った故・宮崎輝元会長(東京 帝国大学法学部英法科卒)の多角化路線が成長を加速し、1967年には軽量気泡コンクリート「へーベル」の製造を始めて建材事業に、72年にはへーベルハ ウスのブランドをひっさげて住宅事業に本格参入した。今や売上高の30%、利益の40%にも達していた。そして2015年不良基礎杭工事の品質保証に失敗 して信用を喪失する。旭化成の研究者吉野彰らが炭素 材料を負極とし、リチウムを含有するLiCoO2を正極とする新しい二次電池であるリチウムイオン二次電池(LIB)の基本概念を確立した。にも関わらず 旭化成は製品化しなかった。ここに経営者の質の問題がある。宮崎後の歴代社長は弓倉礼一(京都大学文系卒業)、山本一元(九州工業大学工学部工業化学科 卒)、蛭田史郎、(横浜国立大学工学部応用化学科卒)、藤原健嗣(京都大学工学部卒)、現社長の浅野敏夫(東大薬学部卒)は理系だが宮崎後は実質、文系の 山口信夫会長(東京商科大学)がキングメーカーだった。山口は多角化戦略を取り、住宅と建材部門のトップだった。そのカリスマ性と強すぎる権限の弊害が、 2008年のリーマン・ショックの頃から目立ち始める。山口に取り入った役員の発言力が強まり、それに反発 を覚えるグループとの確執が激しくなった。「誰に根回ししていいのか分からない」というように、通常業務の遅延の原因になる事態 も起き始めていたという。直接の責任者である子会社旭化成建材社長の前田富弘 は大阪大学人間科学研究科卒の文系だ。なぜか杭打ち工事の品質保証の世界標準ISOも採用せず、勤続15年の社員に現場を任せきりだった。他の社員も同じ ようなものだったという。この担当者が施工 報告書のデータの一部を転用・加筆した。記録紙を重ねれば分かる程度の幼稚な偽装を見抜けず、発注者の三井住友建設もみていな かった。ヨー ロッパ流のISOの品質保証は日本流のシグマ・・・という統計偏重ではなく、人の性悪説にたち、やったことの正直な記録をだれでも見えるようにして、透明 性とトレーサビリティーを維持し、かつそれを利害関係のない第三者がチェックで来るようにして不正が生じないようにする仕掛けだ。しかし旭化成およびその 子会社 の経営者は自分の義務を怠り、現場監督にすべてを任せ、発注者もなにもチェックしていなかったのは国際標準の性悪説にたった品質保証のしかたを守っていな かったためである。人間科学 研究科でなにを学んだのか?性善説に たって徳、徳とか和とか教育とかさけぶ人は人間を分かっていないか偽善家にすぎない。そういうトップは自分は何もしないから良きに計らえといって一人で悦 にいっている だけ。責任を取らされるはめになる単なる怠け者だ。昔は腹を切らねばならなかったが今は頭を下げるだけ。元をたどればチッソも水銀垂れ流しの無責任会社で あった。これを報じるメディアも下請け 云々という言葉を使う。日本は権威主義社会だからすぐ上だ下だという。欧米系は契約社会だから上も下もない。コントラクトという語で互恵関係を表現する。 プライムコントラクターとかサブコントラクターは元請け、下請けという上下の関係ではなく、全体か部分かという区別なのだ。

チッソ

1906年の設立以来、化学製品の製造をしてきた。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こした。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化 学工業、センコー、日本 ガスなどの母体企業でもある。2011年、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」に基づき、JNC株式会社を設立し、営んでいた 機能材料分野、加工品分野および化学品分野の事業活動を継続するために必要な土地、設備など有形・無形の事業財産を譲渡した。

三菱化学

とくに特記することもな かったが、三菱ケミカルホー ルディングス取締役社長、三菱化学取締役会長だった小林 喜光(こ ばやし よしみつ)は東京大学大学院理学系研究科相関理化学修 士課程修了の理系だが同友会代表幹事を務めた武田薬品工業会長の長谷川閑史 氏(68)の退任をうけて代表になった。その就任記者会見やその後の記者会見でも、30年時点での電源構成(ベストミックス)の議論が進むエネルギー問題 ではこれまでの同友会の提言と同様に、原子力発電の比率を20%以上にす べきだと訴えた。加 えて「火力発電に依存 する仕組みは『慢性糖尿病』。温暖化を招き、世界は成り立たなくなる。これに比し、原発事故など『劇症肝炎』みたいなもので一部が瞬間的にやられるだけ だ」と発言している。海面上昇をその理由としているが政治プロパガンダをうのみにした文系的理解能力しかないことをさらけ出している。この人は東電の社外 取締役も務めているためもあるのだろうがあまりに自らの立ち位置にとらわれた発言でとても理系とは思えない。


三井化学

三井化学の社長に上り詰めた応用化学 の同門の中西などは老獪ゆえに文系の海の中で成功した例外と思っている。上司の文系社長からみれば彼の説明は一番分か りやすかったということで評価され社長になったと聞く。住友銀行と三井銀行合併の時に持ち上がった住友化学と三井化学の合併を潰した。住友化学は導入技術 で積極的に海外進出しているだけと過少評価し、三井は独自技術を持っていたがゆえにプライドもあり、 潰したのではないかと推察する。 三井東圧の伝統もあり、独自技術には自信があり、人事部長ですら理系の会社である。導入技術で成り上がった住友と一緒くたにされるのはプライドがゆるさな かったのだろう。ここまではよい。しかし独自技術も古くなり、新しい技術がなくなって、海外の安い原料の得られる立地に展開することに乗り遅れたことは忌 めず、苦しい立場になった。2008年の米国発の 金融崩壊後すっかり元気をなくし、不運にも交通事故で亡くなった中村の葬式で会ったが急に老け込んだようにみえた。


千代田化工

日本に特有な商社だった 三菱合資会社が石油精製をする三菱石油をつくるために採用した玉置明善(九大応 化)がエンジニアリング企業である千代田化工建設の創業者だ。戦中海軍の軍属としてインドネシア からオランダが撤退したとき破壊した製油所を再建した。二代目は創業者の娘婿で陸士の主計出の文系がタナボタ式に選ばれた。そもそも商社は文系社員の天下 である。だから二代目以降も社員の30%は文系と創業以来定められて、変わることはなかった。私は文系30%の採用比率は直すべきだと採用会議で指摘、平 取締役の身、会を仕切っていた会長派の文系常務に反対されてチョン。したがって管理 部門、営業、購買部門はあふれる文系の聖域となっていた。国内の石油会社も文系支配だからこれでなんの問題もなかった。しかし国内の工場建設需要が一巡 し、海外のマーケットに対応しなければならなくなるころ創業者の娘婿というだけでその地位に座った文系経営者の会長は「和」と大書した手ぬぐいを全社員に 配り、営業第一主義を旗印にした途端、主として文系からなる営業が会長をわっしょいわっしょいと御神輿に担いで理系は唖然と見守るばかり。私は「顧客第一 主義はよいが、営業第一主義は間違いだ」と意見具申しても「それにはのれぬ」と会長から直接申し渡 しされた。海外のエネルギー産業は理系支配のため、顧客のニーズを掘り起こせなくなった。 ただコスト競争の競争入札に応札するだけの意味のないビジネスしかできなくなり、国際コスト競争で会社は疲弊した。また文系が企業のかじ取りをはじめ、当 時流行していた多角化に走り、ビル建設業に進出、レストラン展開したり、不動産業にでたり、技術者は分散し、エンジニアリング力は落ちた。最もマンアワー が必要な配管設計は傘下の設計組合のメンバー企業に発注していたが、1995年当時高齢化で廃業が相次いでいた。台湾会社も自立したいといっている。競争 会社のJGCやTECはフィリピンやタイに設計拠点をうつしていたが、千代田は設計組合を保護する方針を堅持してそれもままならない。そのようなときのた めに、CADにによる設計システムを開発していた、CADといっても当時はIBMのメーンフレームを使ったシステムだ。これでは設計組合は導入できない。 そこでワークステーションを使ったシステムが米国で開発されたのでこれを導入したがすでに社内の設計要員は長年の設計外注で空洞化していた。加えて設計要 員の半分は新規分野に配転していて要員不足におちいっていた。米国のエンジニアリングも昔は営業は文系であったが、今では顧客とのコミュニ ケーションがとれる理系が担当している。不幸にも千代田は文系経営者の会長の下には暗黙知をたっぷりともった理系ではなく、形式知だけが優れた理系が三代 目社長に任命された。タナボタ文系会長は そのような人物を意識的に選ぶようだ。選ばれた社長はしみじみと、「おれはエクセルが大好きだ。縦と横の合計がピタッと一致すると限りない喜 びがある」と告白した。なにせベーシックで表を作り、自分のゴルフの成績を表にして悦に入るような人物だ。文系会長の営業優先方針に身をゆだね、価 格を下げれば受注できるとし、国内プロジェクトしか経験のない営業担当専務と同じく国内プロジェクトしか経験のない理系常務に全権をゆだねた。批判的な取 締役は会長派が優勢な取締役会で無力でなにもできない。こうして赤字が表面化するまでの2年間、他社より安い価格で快調に受注を続けたのである。いま日本 の製造業に発生している状況は似たようなものだと推定している。>にもかかわらず売り上げだけ同じにしようとして処理 能力の2倍の受注をしてしまったのだ。会長、社長を含め4人とも海外は素人だったし、伝統的に営業部隊は文系でかため積算業務などはしたこともない。営業 で言われていたことは「技術屋の積算なんていい加減なもので、あちこちに余裕を見ているから水脹れしている。10-15%切ったから といって赤字になると言うのは技術屋のはったり。プロジェクト受注出来る金額を押し付ければ何とかなることは過去の例で証明されている」というののだっ た。こうした考えはその後も文系営業の多くが持っていた。こうして国内営業のセンスで海外プロジェクトの実行部隊が積み上げた見積もりの半値八掛けで受注 したのだ。国内プロジェクトのどんぶり勘定ではないのだ。この専務は大幅の赤字が発覚するまで齟齬がないようにメモして矛盾ない報告を社長にあげて いたと聞いた。要するに古い認識にたって自分の思い込みで行動したわけである。


JGC

千代田化工と同業の国際的エンジニア リング会社は大阪の米問屋鈴木商店がそのルーツだ。米相場で揚げた利益を資本に日本で精製業をしようと戦前、石油精製のプロセス技術を買い占めたが、戦争 でかなわず、戦後の権利を売る、エンジニアリング業に乗り出した。創業者の鈴木一族の後、経営者として長期間君臨してうまく経営したのは重久吉弘(慶応 文)氏である。彼は玉置明善の やり方をよく学んで行動して成功した。たまたま、三菱・シェル合弁のブルネイ LNGプロジェクトを本命の千代田化工/ベクテル合弁より安値で受注したため、すべてのシェル系のLNGプロジェクトを継続して受注できる体制を築いた。 以後現在に至るまで日揮グループの指導者として社長を適宜、理系・文系を交代させている。氏の慧眼 はコスト競争にはしらず、つねに米国のケロッグなどとの共同事業を基本として社員が閉鎖的マインドになることをさせなかったことにありそうだ。重久吉弘氏 亡き後がどうなるか興味 あるところだ。


PV メーカー

グ ローバル・ヒーティングの黙示録」に280ページを費やして今後は再生可能エネルギー開発や二次燃料としてのアンモニア が成長分野なのだがと2年に渡って注意を喚起しているのだが、日本の既存PV メーカーは高効率にこだわってローコスト化ができず、元気なのは薄膜型セルの製造装置を海外に輸出している物理屋の故林主税氏 が育てた ULVACのような企業だけだ。通産省がこれではまずいとドイツ式のFTA制度などの保護政策を出しているが、導入時期が遅すぎメーカーの助けにはなら ず、ただ安い外国メーカーを助けるだけになっていていたずらに電気料金をかさ上げする結果となっている。新美春之会長下で非シリコンのセルを開発した昭和 シェルなど以外は世界市場を失うのではないかと危惧する。経営者が先が見えていない証拠だ。

海外企業はどうだろうか と若干検討してみよう。ここには文系経営者の弊害と理系トップ の成功例と両方が観られる。

IBM

メーンフレーム時代をもたらしたIBMは三菱銀行と「りそな」の銀行向けのはシステムのお守 りで頑 張っている。またスパコンの 世界では頑張っている。IBMがまだ生き残っているのはルイス・ガースナー氏のおかげだ。ナビスコから引き抜かれたので文系かとおも えば理系だという。ルイス・ガースナー氏は「巨象も踊る」 でIBMが当時持っていた問題は2つあった。一つは「圧倒的な地位によって、内向きな世界が形成されたこと」、そして二つ目は「言葉狩り」だという。独占 禁止当局の批判をかわすために「市場シェア」、「競争相手」、「勝つ」などの言葉を社内の文書や会議で使うことを禁じた。ことばだけならよかったが、次第 にIBM社内の考え方にもおよぶようになった。ガースナー氏は「やるべきことを決めるのは市場だ」を原則に掲げてIBMの復活を図ったのである。この言葉 狩りは日本政府の言葉狩りを連想させる。「原子力は危険だ」を禁じ「原子力は安全だ」に言い換えた。そして「原子力は安くない」を「原子力は安い」に言い 換えた。そしてみずからつまずいて「原子力は危険だ」と「原子力は安くない」を証明してしまった。まるでピエロのような行為だ。この言語操作は文系の役人 や企業経営者の唯一の武器だが、それが使い物にならないことが実証されたのだ。

しかし2014年になると日本IBM が野村ホールディングスから システム開発を巡って約33億円の損害賠償を求める訴訟を起こされていることが明らかになった。スルガ銀行との間でも同様の係争を抱えているという。背景 を探ると日本IBMの力が劣化し、はもはや米国IBMの承認をえないと何もできないように弱体化したことと、発注側にも何をしてもらいたいのかわからない こ ととの2つの原因があるようだ。これはもう末期的症状のようにも見える。

世界のIBMグループの中でも日本IBMはユーザーのシステム構 築に深く参加したケースが多かった。現在ではIBMは世界レベルでもサービス事業の比率が売上の6割となったが、そのベースとなった。1971年に完成し た六本木3丁目の本社ビルは売却され跡形もない。今は営業拠点であった中央区日本橋の箱崎事業所を本社としている。社長はアメリカ人にもどった。パソコン 部門は2005年にレボノに売却された。


マイクロソフト

マイクロソフトは創業者 がビルゲーツとポール・アレンが創業。2代目はスチーブ・バルマー、そして2014年にインド出身のサトヤ・ナデラがCEOに昇 格。いずれも理系だ。このマイクロソフトもアップルやグーグルの躍進でタブレット対応しなければならず、Windows-8も売れず、これか ら苦しくなるだろう。現に2014年に入ってもスチーブ・バルマーの後任のCEOがなかなか決まらない。

グーグル

グーグルはスタン フォード大の博士課程をドロップアウトしたセル ゲイ・ブリンとラリー・ペイジによって創業。理系創業者自らページランク法によるウェブ検索法を開発し、これで世界を制覇し、検索連動型広告で収入を確保 し、クラウド・コンピューテイングにむけて先陣を駆けている。ページランク法は人工知能 化し、日々に賢くなっている。そしてついに自動翻訳まで標準装備された。そしていまやスマートフォーン向けのアンドロイドOSへと展開中である。ジョッブ ズはアップルは検索ビジネスには進出しなかったのにグーグルは携帯OSに進出したと非難して亡くなった。そしてグーグルOSのシェアはアップルを凌いだ。 ただ facebookやtwitterなどのソシアルネットワーキングでは出遅れた。グーグルの創業者は膨大な資金調達のためにベンチャーキャピタル Kleiner Perkins Caufield Byers(KPCB)が薦める理系のシュミットCEOは受け入れたが、自分の理念を守るためにけっして妥協することがない。だからこそ成功したのだ。 シュミットはサンマイクロシステムやノベルのCTOだった人物。創業者二人は世の中の常識をすべて疑ってくつがえしてゆく。その洞察力と、それを実現する ために創業者自ら世界のトップ100人のエンジニアリストを作製して自ら面接して選別し、獲得してゆく姿にグーグルの秘密がある。サーバーのメモリーも早 い段階でディスクを捨てている。その選定基準は学歴プラス創造力と図太さ、そして礼儀正しさである。とはいえできる限り、同じ大学からの採用は避けた。集 団思考(グループシンク)をさけるためである。彼ら創業者は独創 的だけれど世の中の基準からずれている。その理由は二人がたまたま幼稚園と小学校低学年のころモンテッソーリ教育(シュタイナー教育も同 類)を受けたからだという。二人がフィリップス殿下に招待された夕食会でスフレにかけるパッションフルーツジュースのグラスを上げて一気飲みしてしまっ た。それはスフレにかけて食べるものだと同席したメリッサ・メイヤーが後で注意すると「そんなこと誰が決めたのか」と質問したという。モンテッソーリ教育 は権威を疑うように教えられたからなのだ。自分の頭で考えること、人生では何事も自分でやってみること、自分自身のペースやスケジュールを守って自分が 好きなように行動すればよいと教える。そして社員にも20%ルールという自由時間を与えている。

グーグルの最新のヒットはポケモン Goだ。これを開発したのは中国黒龍江省生まれの野村達雄だ。日中のハーフだが、1995年日本に移住、信州大学工学部卒、東工大修士課程卒後グーグル入 社、子会社ナイアンテックに移って担当した。

マッキン トッシュを 開発して成功した。ゼロックスは折角の先進的な技術を開発し たのに製品化することもなく、複写機に固執してその後衰退した。経営者に理系といえども長年ペプシの砂糖 水を売っていたスカリー氏を担いだが、社員にかつがれたスカリーに追放される。ジョッブズのいないアップルは、衰退してマイクロソフ トに抜かれた。ジョッブズ氏がカムバックしてようやく勢いを取り戻し、顧客がほしくなるものを次々と投入してiPodiPhone、iPad を成功させた。OSは独自開発、CPUコアのサプライヤーは公表 されていないが、クワルコムだろう。


インテル

ロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブ、クレイグ・バレットと歴代理系がリードしてきたインテルもポール・オッテリーニという財務 系のCEOになったという。い よいよ企業の終末フェーズに入ったのかもしれない。この会社の将来はどうなるのか興味があると書いていると案の定ポール・オッテリーニは2013年5月に 引退するという。後任は未定で、社外からの起用もあり得るという。今のインテルが最も恐れるライバルはアーム(ARM Ltd.)という企業。インテルはこれまで「半導体の集積度は18カ月で倍になる」というムーアの法 則をフルに生かして、より情報処理能力の高 いプロセッサーを世界最先端の工場で量産し、世に送り出してきた。それがパソコンの急速な進化を支える技術的基盤でもあった。 あえていえばインテルの死角があった。新の崖」から転落した。2011年に携帯の売上がPCのそれをクロスオーバーしたが、2012年のイン テルの携帯CPUのシェアはたったの0.2%。タブレットが伸びる分PCの売り上げが下がる現象が続いている。次期CEOがこの危機を乗り切れる かどうか?2016年、インテルはついにARMのライセンシーになった。


クワルコム

1985年、アーウィ ン・ジェーコブズとアンドリュー・ビタビ(MIT電気)によって設立された。現在は2代目のポール・ジェーコブス(バークレー大コン ピューター・サイエンス)がCEOでリードしている。米軍が使っていた符号分割多重アクセス方式を 携帯電話に応用した。CDMA携帯電話用チップでは、ほぼ独占に近いマーケットシェアを保持している。クアルコムはファブレスメーカーであり、半導体の製 造は大手ファウンドリである米国のGLOBALFOUNDRIES、 台湾のTSMC等 へ委託し製造している。英国のARM Ltdにより開発された低電力アプリケーション向けに広く用いられる32ビットRISC CPUのARM(アーム)アーキテクチャー互換の独自のCPUコアや各種の移動通信方式に対応するベースバンド処理回路などを集積したスマートフォン向け プロセッサーを「Snapdragon(スナップドラゴン)」ブランドで提供している。米エヌビディアはグーグル・タブレット向けの「テグラ4」を引っさ げてクワルコムに挑戦している。

ARM

1990年にエイコーン・コンピュータ、アップルコ ンピュータ、VLSIテクノロジーのジョイントベンチャーとして創業した。 アームが創業したのは1990年。半導体の受託生産世界最大手の台湾TSMC(台湾積体電路製造)が事業を軌道に乗せ始め、半導体産業が転換期を迎えた時 期にあたる。フィンランドのノキアと組み通信用半導体を共同で開発。スマホ時代にはクアルコムのCPU(中央演算処理装置)に採用され、やがてスマホでも アーム仕様の半導体が主流となった。英国のケンブリッジに本社をおく。ソフトバンクグループが3.3兆円の巨額買収劇で買収。社員数は 2000人程度で10万人を擁するインテルの50分の1。アーム社の強みは成長著しいスマートフォンやタブレットのモバイル市場にある。アーム社はいわゆ るファブレス企業で自ら製造はしないが、省エネ設計のマイクロプロセッサー(超小型演算処理装置)を独自開発し、そのIP(知的財産権)を米クアルコムな ど にライセンス供与している。ARM社は米国のテキサス・インスツリューメンツなどで働いた人が役員を務めている企業だ。アーム社の発表によると、こうして ライセンス生産されたアーム仕様のプロセッサーは世界のスマートフォンの90%に搭載され、 タブレット端末でもシェアは高い。ムーアの法則は最早限界に達し、回路設計技術がものいう時代に突入した。電池で駆動するモバイル機 器用プロセッサーは処理能力もさることながら、省電力性能がモノをいう。技術の方向性がパソコンとは大きく異なり、その点にアームの技術は一日の長があ る。しかし、新興の半導体設計のベンチャー企業が台頭してきた。東欧スロベニアのビヨンド・セミコンダクター(リュブリャナ市)や台湾アンデス・テクノロ ジー(新竹市)などだ。まだ一般的には無名の存在だが、マイコンなど比較的製造が簡単な半導体を中心に、一部の大手メーカーが採用をし始めている。さらに IT産業の中心地、シリコンバレーでもアームの対抗軸が生まれている。カリフォルニア大学バークレーが主催する「リスク・ファイブ」と呼ばれる半導体設計 の標準化団体だ。米グーグルや米ヒューレット・パッカード(HP)などシリコンバレーを代表する企業が参画し、半導体設計で新潮流を生み出そうとしてい る。


サムスン

製造業の文系経営者は現 状維持しかできなく、イノベーションは苦手だとの例証をこれでもかこれでもかと上げてきたが無論例外もある。日本を抜き去ったサム スンの会長イ・ゴンヒ(李健煕、早稲田商学部卒)も例外的で文系だ。MBAをマスターしており、サムスングループを創業した李秉浮フ三男で、サムスング ループの2代目の会長となったオーナー経営者である。だから創業者的な行動に出ることができたことに成功の秘密があるだろう。サムスンはアンドロイドOS 搭載スマホのトップメーカーでかつMPUは自社製だ。「エクシノス5 オクタ」というスマホやタブレットで動きが速い3D映像を撮影できる能力をもち、米 グーグルのノート型パソコン「クロームブック」に供給している。アップとソニーがこれを追い。台湾のHTCが之を追う型になっている。他の日本メーカーは 桁が一つ小さい。サムスングループの3代目の会長になった李在鎔(イ・ジェヨン ソウル大学校東洋史学科卒)も文系で携帯電話Galaxy Note7に採用した Samsung  SDI社製と、香港Amperex Technology:ATL社製バッテリー発火事故で苦境にたっている。また大統領の汚職事件にも巻き込まれ、脇の甘さが目立つ。

ノキア

仏独の通信機器メーカーやスエーデンのエリクソンと激烈な競争に打ち勝ってヨーロッパの市場 を制覇したノキアで あったが、世界 覇権を握った途端、官僚化がすすみ、創造性が失われ、いま苦境のどん底にある。他社が後に製品化する試作品が社内で会社のロードマップにないからと葬られ たと失意のうちにノキアを去ったプログラマーだったヨハニ・リスク氏はいう。携帯業界を二分しているクワルコ ム(Qualcomm)に対するUMTS方式携帯電話の特許料率紛争において、ノキアはNTTを含む反Qualcomm陣営の筆頭 になって戦ったが破れ、マイクロソフト、インテルと提携した。


Kleiner Perkins Caufield Byers(KPCB)

KPCBはグーグルを育てたシリコンバレーの ベンチャー・キャピタルの勇だ。20年近く前、新技術開発投資の件でここのMr. Haraというパートナーに会ったことがあるが、20年後に彼の名はパートナー欄に無論なく、中国系が多 い。日本人はゼロなのが気になる。>


GM、フォード、クライスラー

GMは09年の経営破た ん後、ダン・アカーソンCEOのもと米政府の資金援助で再建努力してきたが、再建を果 たし14年より開発部門を率いてきた女性エンジニアのマリー・バーバラCEOとなる。


ボーイング


北欧出身の移植者が開発したシアトルの川沿いの赤い納屋で1916年に創業したボーイングは型破りな個性を伸 ばす社風を持っていた。戦時中は思考様式が独特のジョージ・シェアラーという天才技術者がB47ジェット爆撃機を開発し、戦後は707という名機を開発し ました。シェアラーには同じような個性のソーントン・アーノルド・ウィルソンが続き、ベストセラー737を生んだ。1996年には技術畑出身のフィル・コンディットがCEOになり、マクドネル・ダグ ラスを合併、軍用機部門にも進出した。ところが軍需はワシントンでのロビー活動が必要となり、本社をシカゴに移した。こうして本社が製造現場から遠くなっ た。そしてコンディットは贈収賄疑惑で辞任、後任のダグラス出身のハリー・シウトーンCEOは不倫疑惑で辞任。エンジニア出身のアラン・ムラーリがCEO になると皆が思っていたのに、3MやGEのCEOだった経営のプロであるジェームス・マクナニーがCEOになった。これで技術畑出身者がトップにつくとい う伝統が断ち切られた。失意のアラン・ムラーリはボーイングを去り、フォードを建て直した。こうして製造現場から離れた本社の指揮できたのが納期がおくれ 不具合で飛べない787というわけ。もしアラン・ムラーリがCEOだったらこういうことにはならなかっただろうと英コンデナスト・トラベラー編集長クライ ブ・アービングは指摘する。2008年には機械工のストライキが発生し、組合から逃げるように787の組み立て工場がサウスカロライナに新設され、ボーイ ングの伝統は切れてしまった。787が飛べなくなった不具合は、飛行中のバッテリー火災である。同じようなバッテリ火災はボストン空港でも起きた。787 のバッテリは全て日本製のGSユアサが納入している。これはバッテリーが不良品だったのか、米国にある計器メーカーで作られた充電回路に問題があったのかどちらか。部品供給大国日本もあやしくなった。同機は燃料漏れのトラブル も起こしている。12年10月23日の山口宇部空港発羽田空港行きのNH698便。 出発直後に特殊車両で飛行機を押し出す「プッシュバック」が始まった直後に、左の「パイロンドレインマスク」と呼ばれる、翼とエンジンをつなぐ部分の周辺 部品から燃料漏れが発見された。ほかでもいくつか報告がある。これはバルブ不良というより、制御回路かプログラムのバグとおもわれる。クライブ・アービン グ氏は英国人だそして英国人は英国の没落は文系優位が原因だと知っているから、こう書いたとおもう。英国から米国に帰化した友人クーパー氏もそう認識して いる。米国はまだその渦中にある。まだ気が付いていないだけ。米国は確実に没落するが、原因はこれだろう。競争企業のエアバスは欧州連合によって、1970年12月にフランスのアエロスパシア ルと独ダイムラーベンツ・エアロスペース社と英ブリティッシュ・エアロスペース社が共同出資し設立された。2001年に法人化されて現社名に変更された。 本社はフランス・トゥールーズ。ファブリス・ブレジエ最高経営責任者(CEO)、ギュンター・ブチェクがCOOでいずれも理系。


GE・ウェスティングハウス

交流を提案したテスラがつくったウエスティングハウスはスリーマイル島事故後、 原発 の需要業績が低迷し、東芝に身売りしたが、ライバルのGEはエジソンが直流にこだわったために伸び悩んでいた。資本家のJPモルガンがエジソンを追いだ し、交流に切り替えて成功。その後も新規分野に展開し、老舗が消えてゆく米国で元気である。そのGEに長期間君臨していたのはケミカル・エンジ ニア出身のCEOジャック・ ウェルチで あり、後任のジェフリー・R・イメルトは応用数学を学んだ理系だ。GEはエネルギー産業機械メーカーのドレッサーなどを吸収して製造は イタリアの系列企業で行うなど確実に地歩を固めている。2016年GEの航空エンジンは世界の60%のシェアを持ち、独走態勢。金融部門は売却し、製造業 に復帰した。米ゼネラル・エレクト リック(GE)と日立製作所は18日、カナダの原子力事業合弁会社であるGE日立ニュークリア・エナジー・カナダ(GEH―C、トロント市)を売却すると 発表。とはいえ。30万人を超える全社員にプログラムの知識を学ばせ、「モノ作り」を「デジタルサービス」に転換する。プログラマーこそが競争力の源泉。 GEはそう確信している。


ベクテル

ベクテルなどに代表され る米国のエンジニアリング会社は非上場会社であるため、チェアマンはベクテル家で抑えている。しかしCEO以下はエンジニアでなけ れば勤まらないであろう。エンジニアはつぶしが効く人材ととらえられていてエンジニアリング、プロジェクト・マネジメント、調達、営業もなんでもさせる。一 方、文系は弁護士、会計士など専門職として採用し、一生専門職として遇する。


M. W. Kellogg

ハリバートンに買収されたM. W. Kelloggはいい会社だったが、副大統領チェイニーのハリバートン傘下に入り、ブラウンルーツと合併し、イラク戦争のロジスティックコントラクターに なってからおかしくなった。理系で長年CEOとしてM.W. KelloggをリードしたAlbert Jackson Stanleyはテクニップと合弁のナイジェリアのボニーLNGがらみで10億円のキックバックをもらったとして有罪になって失職した。 技術会社が文系のトップをいただくと狂う例だ。



メジャーオイル

メジャーオイルはどうだろう。ExxonMobilのCEOであっ たLee Raymondはウイスコンシン大出のケミカルエンジニアであった。BPを成長させたCEOであったブラウン卿は物理出身だし、メキシコ湾の原油流出事故 で苦労したトニー・ヘイ ワードCEOは地質学出身者、現CEOはRobert Dudleyでケミカルエンジニア、会長のCarl-Henric Svanbergは応用物理。Shellの現在のCEOであるPeter Voserだけが財務上がりの文系、スタッフも財務系が多く、メジャーオイルとしては異色の文系優位の会社だ。それにはわけがある。シェルを育てたH・デ ターディングは帳簿係り出身でパリのロスチャイルド家のファイナンスを得た典型的文系人間であること。このためシェルは縦割り構造になっていてロン ドンにあるのが文系主導の財務と販売部門。技術はすべてオランダのShell Internationale Petroleum Maatschappij (SIPM)が担当していてほとんど別会社のようだ。


ICI・ トプソ

小さくなる前のICIの役員とも付き合ったが、トップは間違いなく理系であった。 だが新しい化学を育てずに買収しようとした。資金調達のためにコモディティーケミカル部門を先に売却したが買い叩かれ、二束三文で売ったが有望な新規分野 を買えず、殆ど消え去った。デンマークの触媒会社のトプソ社はハルダー・トプソ氏(MITケミカルエンジニアリング)が創業者だが100才になる4日前ま では元気だったが2013/5/20に亡くなった。


イースト マン・コダック

イーストマン・コダックの会長だったジョージ・ フィッシャーはモトローラから転身した根っからの技術者だが、選択と集中との掛け声の下にイーストマン・ケミカルという技術の塊を売りとばして、1975 年にスティーブ・サッソンが開発したデジタルカメラを育てた。しかしデジタルカメラが携帯 電話に搭載され、膨大な中国市場が一気にフィルム離れどころかデジタルカメラ離れしたために売れるものがなくなってチャプター・イレブンを申請した。技術 の発展の方向は間違っていなかったが、速度を見誤っ たわけである。技術系経営者でも失敗することはあるのだ。

February 1, 2009

Rev. July 31, 2017



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