NEC
日本電気(NEC)のトップは 小林宏治(東大電)、田中忠雄、 良くも悪くも1980年からNEC社長をしてパソコンを育てた関本忠弘(東大物理)が大きな影響を残したと推察される。1994年から社長を務めた金子尚 志(東大工)の時、赤字転落。赤字転落を受けて1999年から登板した西垣浩司(東大経)は文系社長だが自殺。2003年から金杉明信(慶応電)はいずれ も理系だが、NTT民営化に伴う構造的変化に適応するための改革はできなかっ た。2006年から社長の矢野薫(東大電)と2010年から遠藤信博(東工大博士)は一言でいうと理系とはいえ、製品購入者の感性を持って いないマネジメントしか持てなかった。メーンフレームでは三井住友システムの維持管理だけが残り他の銀行が失った。パソコンは2011年にレボノに統合。 フィンランドのノキア共々スマートフォンに乗り遅れた遅ればせながらアンドロイドOSとマルチコアの クワルコムCPU搭載のスマホを開発したが、後追いなので海外で売れる商品とはならず ガラパゴス化して絶滅寸前である。そもそも携帯電話のCPU開発に取り組まなかったのはミスジャッジだ。社員としてはそのような企業は早々に見限って脱出 することが肝要だろう。2012年になっても赤字に苦しんでいる。社長を社外で見つけようという動きもあると報じられている。鴨居にあった工場は売却さ れ、跡地にショップング・モールとシネコンができたが、周辺の企 業城下 はうらぶれたままである。
富士通
革新企業たるポジショ ンは失い、いまだ生き残っているのは銀行や政府機関などのセキュリ ティーを大切にする閉鎖的ITシステムの維持管理業が20%である。みずほは富士通 のメーンフレームであったが日立のシステムをつかっている興業銀行と合併して4,000億円をかけたシステムの統合に失敗している 。故山本卓真会長(陸軍航空士官学校卒、)は日本会議副会長を務めた右翼である。曖昧なソフト開発契約で富士通を衰退に導いたといわれる秋草直之氏(早大 政経)と 経営上の方針が異なり退任させられた野副州旦(のぞえ くにあき)氏も含め間塚道義 (まづか みちよし)、黒川 博昭(くろかわ・ひろあき)氏らが皆文系ということも興味深い。ただ秋草直之 氏は文系とはいえシステムエンジニアに転身しているので理系といえる。従ってハードからソフトへの転換を図ったリーダーではあった。院政を強いてきた秋草 直之氏も陰謀が明るみにでてようやく2010年6月ようやく退任。久々に後を継いだ理系の山本正已社 長(九大電)になっても衰退の流れはとまらない。土建会社とおなじく政治力で顧客に喰らいついているにすぎない。2011年3月の東日本大震災後、みずほ のシステムが原因不明で2回もダウンし、NTTグループ企業の給与振込みができな かったことがある。富士通が構築したシステムのどこかに問題があるのか旧興銀の日立システムとの統合の能力不足だったのだろう。日本政府は理研経由でこの ような会社にスパコン開発をさせている。スパコンの性能は最早ハードでできることはやりつくし尽くして、ソフトの優劣の時代に入っている。物ならともかく 英語文化圏から外れた日本に世界のスパコン・マーケットを狙えるチャ ンスなどないと考えるのがまっとうな感覚だろう。税金の無駄使いにすぎない。独自のウインドウズ・パソコンを販売し国内市場の20%のシェアを持っていた が、2016年ついにギブアップし、パソコン部門を中国のレボノにと事業統合した。レボノ傘下にはすでにNECが入っている。パソコンより大きな市場のス マートフォンでも完全に出遅れ、アンドロイドOSは採用したが、マルチコアのクアルコムのCPUを調達することすらできずシングルコ アCPU搭載だ。バッテリー消耗が激しくハードユースには耐えられない。富士通のヨーロッパ(欧州)地域における日系企業向けサポート拠点としてきた 1990年に買収して子会社にした英ICLを母体とする富士通の英国子会社、富士通サービシズは2016年撤退モードに入った。
東芝
東芝の創業者は江戸後期から明治にかけて活躍した発 明家田中久重が作った田中製作所(芝浦製作所)と藤岡市助が作った東京電気株式会社が合併してできた会社が母体である。東京電燈の技師長であった藤岡がエ ジソンの直流 側についたのは有名である。以後東芝とGEの強い関係ができた。東芝は製造会社である。歴代社長は文系と理系のどちらにも偏っていなかった。石阪 泰三(東大法)、土光敏夫(東工大機)、岩田弐夫(東大法)、佐波正一(東大工)、渡里杉一郎(東大経)、佐藤文夫(東大工)である。しかし西室泰三(慶 応経済)以降、岡村正(東大法)、西田厚聡(あつとし)(早 稲田政経)と文系が続く。西室泰三の時、総会屋への利益供与事件、半導体事業不振、米国におけるフロッピーディスク装置訴訟和解による1100億円の特別 損失など不祥事や損失 が相次ぎ、社長退任まで利益は下降し続けた。2000年に社長になった岡村正の時に没落が始まる。世界一のDRAMメーカーが韓国のサムソンにやぶれ、米 国工場をMicronに売却。佐々木則夫(早稲田機 械)で理系に戻ったが、原子力産業の先行き不透明で、社長の椅子を失う。技術者の溝口哲也が作ったダイナブックを米国で売って頭角を現した西田だったが、 その手法は台湾メーカーに製造委託し、液晶などにマスキングという上乗せ価格をつけ て委託先に売り、完成品を買い戻すというバイセル取引で一時的に利益がでたように見せる、不法取引だった。この手法を教えたのは田中久雄(神戸商経)とい うのちに社長に引 き上げられる文系だった。久保誠(慶応経済)専務も文系だ。西田厚聡元社長ら旧役員5人への訴訟でけじめをつけるつもりのようがだ、攻めの体制になってい ない。ブ ルーレイには破れ、廃炉問題、廃燃料処理問題があり、核拡散問題もある原発を世界にあまねく普及させるためにとチェルノブイリ後、原発の新設がとまって仕 事が無く、社員も散ってしまった空っぽのウエスティングハウスのPWR原発技術を買い取った。このとき東電会長の勝俣恒久の弟勝俣宣夫(の ぶお 慶応経済) が社長を務める丸紅のさそいだという。しかし国際マーケットで韓国のコントラクターに負ける体たらくである。かろうじて米国の2008年3月にサザン・カ ンパニーのジョージア州ヴォーグル(Vogle) 原発3,4号機を国際協力銀行の融資を手土産に受注したが主要機器は中国製となるなど、非国民的である。福島の失敗にもかかわらず2013/10/6には 東芝はフランスとスペインの英国における合弁会社ニュージェンを買収すると発 表した。WHのPWRで350万kWの発電をもくろむ。運転は電力会社に委託するという。これでは大した利益もきたいできないのに、大きな保証リスクを背 負い込む博打にすぎない。西田の裏に、典型的文系人間にして権力の亡者西室泰三(慶応経済)がおり、WHの買収を米国籍の まま進めたというのが一般的な世評と聞いた。パソコンより大きな市場のスマートフォンでも完全に出遅れ、アンドロイドOSをいち早く採用し、マ ルチコアのクワルコムCPU搭載のスマホを開発したが、海外市場はサムスンとアップルに完全に水をあけられ ている。東芝はNANDフラッシュメモリー開発の元祖であるが、その重要性を理解せず、開発者舛岡富士雄(東北大西沢研)を追いだし、既に市場コントロー ル力を失って久しい。とはいえ未だ世界の半分のフラッシュメモリー製造している理由は独自技術があるためだ。2014年に東芝の機密を一研究者が韓国の同 業者に機密情報を売り渡して逮捕された。これもフラッシュメモリーの発明者をうるさいと会社から追い出した東芝がしっぺ返しをうけただけのこと。重要な技 術に接 する人間は一生高給で飼い殺しにするのが米国流。それをしない日本企業はAll is Lostになるのは必然。自業自得なのだ。コンピューター断層撮影装置(CT)で米ゼネラル・ エレクトリックと独シーメンスとトップシェア争いを展開できる力があるが、巨額の損失の穴埋めに売却予定とのこと。末期的だ。日立に比べて、情報システム 事業や鉄道ビジネスの規模が小さく、社会インフラ系の事業はやや貧弱だ。これがため、歴代の歴代社長、会長には半導体を基幹事業に育てよう、という脈々た る思いがあった。一度投資の手を緩めると、ライバルにあっという間に置いていかれる。そんな競争のルールを熟知したうえで、半導体の出身 者が常に副社長か専務のイスを占めさせ、過去10年で合計2兆1590億円に達する巨額の投資を実行したためだ。しかし2007年に「BiCS(Bit Cost Scalable)」と呼ぶ革新的な3次元NANDフラッシュメモリー構想を公表したため、サムスンに先を越されている。BiCSでは、多層 膜の上段から下段までを貫くエッチング・プロセスを活用することで、何段ものメモリーセルを一括で形成できるというものだ。2015年には田中久雄社長 (神戸商科)の 下で粉飾決算の疑いが内部告発され、過去5年間で1,500億円の損失隠しがあったことが明ら かになった。田中久雄社長らトップの叱責がはげしく、部門長は苦し紛れに隠したとされる。白物家電が赤字で切り離すとしても、黒字だったNANDフラッ シュメモリーも競争相手の出現で赤字に転落。四面楚歌になっている。CMOSをつかったイメージセンサー部門をソニーに売却し、NAND事業に専念すると いう。日本の半導 体産業はCMOSセンサーやパワーデバイス、NANDフラッシュなどの特定分野では今でも、国際的な競争力を持つ半導体メーカーが存在するが、「世界の中 心であるか」という問いに関しては、首を縦に振ることは決してできない状況になった。現在、米Intel社と台湾TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Co., Ltd.)、韓国Samsung Electronics社の「ビッグ3」が半導体産業を牛耳っている。2016年9月には中国の半導体メーカーが大規模な増産に乗り出すという。現地大手 の紫光集団が巨大メモリー工場の建設を打ち出すなど、少なくとも10カ所で新増設の計画がある。2020年までの5年間の総投資額は過去5年の2倍以上の 5兆円規模に達する見通し。日本はなぜ、こうした事態を招いてしまったのかというと1980年代に入り、ファウ ンドリーという業態が新たに誕生した。設計と製造を分離することで、複雑化する集積回路に対応しようとするもので、人材的にも設計に必要な人材と製造に必 要な人材は異なるものだというところがこの時期から明確になってきた。しかし日本の場合は電機メーカーを母体としており、最終製品を抱えていたため、設計 要求そのものがワイドでないため、世界で戦える競争力を身につけることができなかった。製造でも日本の半導体産業は1980年代にアートとして成熟期を迎 えてしまっており、米国はこれをサイエンスに昇華させることに成功している。経営難が判明しているのに原発のために設けられた安い夜間電力制度が 2016/4 からの自由化で廃止されるというのに、そのための蓄電装置を売り出している頓珍漢な発想にはあきれる。これはまだまだ序の口、今の経営難を切り抜けるため に最も利潤率の高い医療機器部門を売却して、銀行に借金をかえすことだ。これは自死の行為。最も付加価値の高いブランドを売り払って、不良債権のウェス ティングハウスと心中するというのだ。ソーラーパネルに関しても2016年の最安値は中国のTrinaSolarで、259,200yen/kW、IEA 予想では250,000yen/kW@2016でよく一致している。しかし東芝は340,000yen/kWで36%高価。まったく存在価値もない企業と わかる。推定だが理系社員は経営層からそのような商品を開発せよとの号令がかからないからサボっているのか。逆にそう思って提案してもつぶされるだけとい う社風かもしれない。田中久雄社長、室町正志社長(早稲田電気)後、指名委員会によって社長に登用されたのがコンピューター断層撮影などの医療機器事業を 売却して資金を作った綱川智(東大教養)である。これで東芝騒動はお わりかとおもわれたが、2016年の末に、東芝の子会社のウエスティングハウスがサウスカロライナ原発工事遅延を回復するためにスキャナ電力が新たに5億 500万ドル(約570億円)を負担する。そのとき、固定された建設費用の上限は76億7900万ドル(約8700億円)その後に増える建設費用は、すべ てウェスチングハウスの負担しゅるという固定価格オプションを選択させられ たのだ。このとき東芝はCB&I Stone Websterを1ドルでCB&Iから買収した。そ して数千億の減損となると判明した。この原子力事業を見ていたのが、志賀重範(東北大工学部原子核工学 科)である。StoneWebsterはマンハッタン計画でオークリッジ「Y―11」ウラン分離・濃縮工場の建設に拘わった会社である。しかし、買収前は CB&Iの傘下にあった。米国のLNGプロジェクトは千代田が設計してCB&Iが建設するという分担となっている。スキャナ電力は、固定 価格オプションは取り消 し不能だと指摘し、「これにより、当社の将来のコスト上昇のリスクは制限されることになります」と説明している。スキャナ電力は、この「固定価格オプショ ン」の選択について、15年10月に取り決めた契約に基づくものだと明らかにしている。
なぜ東芝がこのような負債を抱えた企業をゼロとはい え買収することを許可したのか、東芝のガバナビリティーを疑う。三菱電機との違いは三菱電機は三菱銀行の頭 取をつとめ監査役が立派だったようだ。東芝にはこのような強力な社外監査役が居ない?そもそもウエスチングハウスは、原子力に特化した先のない会社で英国 を含め、各国を転売されていたババあった。東芝はこれをひいたわけで、さすがの三菱重工も降りた代物。そのババがコスト増をStone & Websterに押し付けていたというのが実態のようだ。
2017年にはいると、WHの損失額は7000億円 に達するという。東芝は「債務超過をさけるため主力のフラッシュメモリーを含む半導体事業を分社し、ハードディスク駆動装置(HDD)世界最大手、米ウエ スタンデジタル(WD)から 出資を受ける交渉に入ったが独占禁止法の審査で時間がかかるため、キャノンや東京エレクトロンに出資を交渉中したが断られている。更なる赤字防止のために 工事はしない方向だという、がか それで原発を売れるのか。ついでにWHも売却する予定だそうだが、買い手があるのか?かてて加えてIHIの持ち分の買い取りも要求されている。競争 相手国の中国が買うのかも不明。英国で原発を計画しているニュージェネレーション社も売却予定だそうだが、買い手はあるのか?
東芝本体で手掛ける改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の海外輸出第1号として2008年に計画に参画した米電力大手 NRGエナジーが主体の「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」と呼ぶ計画。3、4号機の原子炉建設からも撤退するという。
東芝は2017/3/28ウエスティングハウスを破産処理することを決めたが、仏電力大手「エンジ―」と共同保有していた英国で3基の原発計画をもつニュージェネレーションを「エンジ―」から153億円で買いとり100%子会社とした。
万事窮して原子力を重要視する政府が補助すべきと日 本政策投資銀行に資本支援を要請したという。唯一の稼ぎ手のフラッシュメモリーの 主力拠点である四日市工場(三重県四日市市)は東芝とWDが共同運営している。新会社には東芝が過半の出資を残して連結対象 とし、引き続きWDと共同でフラッシュメモリー事業を進めるという。東芝のHDDを含む半導体事業は16年3月期の売上高が1兆5759億円。このうちメ モリーが半分以上を占めている。
東芝の重電分野での日立、三菱との違いや凋落の真の 原因は東芝の 本社及び主力工場が関東にあったためだという説もある。東京在住2代目〜3代目の家系の人たちが、「長男は親のそばにいてほしい」 との希望で、「コネを 頼りに」あるいは「実力」で、「育ちの良い良家の長男(学習院、慶応、早稲田等)」が多く入っているため能力がない。これを「二代目、お殿様症候群」とい い東京周辺の名門大企業には同じ劣化圧力が働く。そういえば朝日新聞に30年前に掲載された記事がなまなまと思い出される。それは東芝本社ビルには社長専 用のエレバーターがあり、社長室に直行。そしてその社長室には専用のバス・トイレあるというもの。専用のバーなら接客に使えるが、どう見てもバスは必要な い。愛人でも連れ込むつもりだったのか?
それでも東芝の重電機械(原子炉、火力発電機器)が 売れたのは、「GEとの技術提携に忠実に製造する」(日立のように設計をいじらない)というもの。これは東電の木川田社長の方針でもあっ た。「関東以北地区の東電、中部電力、東北電力に近いため、談合リストに沿って、黙っていても発注が来る」からであった。「BWR」では、「東芝が担当し たのは計測制御系だけ」で、「ハード機器設備は三井系のIHIに丸投げした」ので、「自力でBWRを設計・製作する能力はない」状態であった。火力発電分 野で も「大型ガスタービンの開発競争では、自主開発力がないので、MHIに全く歯が立たないありさま」で、早々と撤退した。「BWRですらこなす力がないの に、経験がないPWRのWHを買収する話」はPWRをこなして商売をする覇気と実力のある技術者は皆無なのでドタイ無理。
著者が千代田化工に入社直後はこのStone & Websterとのオレフィンプラントのライセンス契約が 他社の技術は使わないというものだったから、ルマス法が優位にたったとき、ルマスと契約していた東洋エンジニアリングが独走態勢にはいり、ソ連プロジェク トを総なめにした。これを千代田とJGCが指をくわえていた思 い出がある。石油ではなく、エチレンプラントを手掛けたかった私は慙愧の念だった。そのおかげで、石油でも石油化学でもないLNG分野を切り開くきっかけ になったのだ。なにが幸運を呼ぶのかはわからない。
東 芝は石油価格が高止まりしていたころテキサス フリーポートのLNGをLNG火力と組み合わせて売るためにLNGをTake or Pay長期契約しているため、これを販売できなければ2018年以降毎年1兆円の支払い義務が生じるという時限爆弾を抱える。ちなみにテキサスフリーポー トのLNGプラントは千代 田、CB&IとZachry社のJVが3系列建設した。日立
日 立は小平浪平(東大電)、倉田主税(東北大工)、駒井健一郎(東大工)、吉山博吉()、三田勝茂(東大電1981)、金井務(東大工1991)、庄山悦彦 (東工大電1999)、古川一夫(東大電2004)、川村隆(東大電)、中西宏明(東大電)、東原敏昭(徳島大工2014)と歴代理系がトップを飾ってい る。それも工場長が出世コースとされた。 したがってトップの関心事は新技術を生み出すことより、もくもくと製造ラインを守ることにあったのではないか。なかでも三田勝茂は悪弊をのこしたようであ る。特に電力会社を顧客にする重電部門がトップに昇進し、半導体部門の素早い判断を必要とする部門は理解できなかった。この部門出身の生 粋の半導体エンジニアの牧本次生は専務まで務めたが1999年の損失を金井務会長にとがめられ辞任した。そして半導体部門は切り離され、能力ある人材を捨 て去り、技術者のレベルは低下してカネコ損害賠償請求事件まで起こしている。NEC、日立、三菱電機は半導体部門を切り出し、DRAMのエルピーダメモ リ、マイコンなどのルネサス エレクトロニクスが発足したが1980年代の成功体験から抜出せず、エルピーダメモリは過剰技術で過剰品質のDRAMを製造していたため破綻した。ルネサ スエレクトロニクスは大幅な人員削減をせざるを得ない事態 になっている。敗退の原因は競争相手が強かったというより内部統治に失敗して崩壊したと言ってよい。日本勢に代わって台頭したのが韓台勢だ。韓国サムスン 電子は圧倒的な資金力で大規模を続け、後にメモリー分野で首位に立つ。台湾では台湾積体電路製造(TSMC) が半導体受託製造会社(ファウンドリー)という事業モデルを確立した。工場を持たずに設計・開発に専念する「ファブレス」企業も存在感を高め、2013年 には通信用半導体のクアルコム、ブロードコムが10位内に入った。日立の実態 は多数の小企業が横並びに並存するだけの規模だけ大きい企業に成り下がり、スローデスを待っている企業となった。結果として家電やパソコンは振るわず、 2009年3月、前年のリーマンショック等の影響で、大幅な赤字を出して いた日立の経営再建のため、川村隆が代表執行役会長兼執行役社長に返り咲いた。就任後は、日立情報システムズなど上場子会社の完全子会社化等の経営効率 化、テレビ事業撤退等の不採算部門整理、公募増資の実施による自己資本比率の回復など、経営再建に務め、火力発電設備事業分野における三菱重工業との統合 を決定。これらの改革が 功を奏し、2012年3月期には、純利益が過去最高を計上するなど、約3年で経営は立ち直り、「V字回復」と呼ばれた。しかし英国の原子力発電事業会社 「ホライズン・ニュークリア・パワー」を買収するなどその判断に疑問府のつく決定もしている。2016年日本原子力発電を巻き込んで、日本政府の保証能力 を獲得し、1兆円の融資も得たようだが、納税者からみれば怪しからん行為である。不買運動されても文句は言えまい。2017年にはいり、GE日立ニューク リア エナジーの損失を公表した。
三菱電 機
電機大手の中で2016年に好調なのが売上高営業利 益7%の三菱電機である。この三菱も1990年代後半から今世紀初頭にかけて経営は傾いていたのである。歴代社長は進藤貞和社長(九大電気工学)は9年7 月、志岐守哉社長(東大工)は7年、1998年の北岡社長(京大工、6年)は半導体と情報通信出身のため、ここで1000億円の連結純損益をだしているの に社長を継続したいとぐずり三菱銀行頭取 だった伊夫伎(いぶき)一雄監査役に引導を渡された。傍流の防衛・宇宙部門出身の谷口一郎(京大理、4年)が社長になっ た。打ち出したポリシーは「儲からないものはやめる」でパソコンから撤退、大容量電動機部門は東芝との合弁に移管。半導体部門は東芝との合弁のルネサスエ レクトロニクスに移管。ついで携帯からも撤退。いわゆるコモディティー商品からは手を引いたのである。次の野間口社長(京大理、4年)は研究所出身で省エ ネに有効なパワー半導体は東芝から買い取りむしろ強化し た。以後、他社が苦しむ中、快調である。こうしてエアコン、エレベーター、ファクトリー・オートメーション、産業用制御機器が利益を上げている。その後の 社長、下村節宏(京大工)、 山西健一郎(京大工)はいずれも任期4年である。
ルネサスエレクトロニクス
三菱電機および日立製作所から分社化していたルネサ ステクノロジと、NECから分社化していたNECエレクトロニクスの 経営統合によって、2010年4月に設立され車載半導体(マイコン)を生産している。2012年12月、懸案となっていた財務基盤の抜本的強化について、 産業革新機構・トヨタ自動車・日産自動車など9社を割当先とする総額1500億円の第三者割当増資を行い。増資実施後は産業革新機構が持株比率 69.16%の筆頭株主となり、NEC・日立製作所・三菱電機の持株比率はいずれも6〜9%に低下し主要株主でなくなった。ルネサスの株主のうち自動車関 連企業の持ち株は、トヨタ(2.49%)、日産(1.49%)、ケーヒン(0.49%)、デンソー(0.49%)で、合計でもたった4.96%の少数派に もかかわらず自動車業界は産業革新機構を私物化し、そしてルネサスをも私物化している。
エルピーダメモリー
DRAMメモリー製造が赤字になって からNECと日立が設立したエルピーダメモリーはテキサス・インスツルメンツで育った坂本幸雄社長がマイクロンテクノロジーとの経営統合させインテルと政 策投資銀行からの融資を受け て再生した。エルピーダの経営破綻の直接のきっかけは、事業継続のために目利きのプロ不在の政府・銀行が居ない銀行から新たな「借り入れ」ではなく「借り 換え」が認められなかったことだ。さらに「提携先を見つけて資本を増強できなければ、これ以上支援できない」という銀行団の意向に沿えなかったことから、 会社更生法の申請に至ったが結局、現在は成功している。
ジャパン・ディスプレー
ジャパン・ディス プレーは産業競争力強化法に基づき設立された官民出資の投資ファンで ある産業革新機構主導で事業が成り立たなくなったソニー、東芝、日立、パナソニックなどの中小型液晶ディスプレイ事業が統合された会社である。スマホ向け のディスプレーが主力商品。いまだ有機ELを市場に投入できないで いる。シャープの参加がだめになり、どうするのか?元三洋電機株式会社の電池部門の長だった本間充(ほんま みつる), (甲南大法卒)のような文系CEOで引っ張れるのか?2016/6日立はジャパン・ディスプレーの株を売り抜けたという。 2016年前半分は営業赤字が続いていて、政府融資を申請している。
IHI
IHIはかっては呉海軍工廠を引きついだ名門企業で ある。タービン設計技師から社長になった土光敏夫氏(東工大) やNTT社長をつとめた真藤恒社長(九大造)を輩出した。日本のジェットエンジン生産の60〜70%を担う。防衛省で使用する航空機の大半のエンジンは IHI製。また、民間機用エンジンでは、エンジンモジュールや部品を数多く開発、GEのブレードなどの10%相当を供給。ロールスロイス・ジェットエンジ ン、Pratt&Whitneyにブレードなど部品を供給し、最終組み立てやメンテナンスしている。車載ターボにも強い。しかし他の分野は衰退し、残され た不動産で最低限の生存をし ている企業になりはてて見る影もない。真藤氏以降、稲葉興作(東工大機、日本会議会長)、伊藤源嗣(東大工)、釜和明(東大経)らが社長を務めた。一人の 例外を除いて理系である。財務出身の社長は造船からの撤退でマネー フロー厳しくなっ たためなのだろうか?2012年4月に航空宇宙事業出身の斉藤保(東大工)が社長になったが、2016年2月航空機エンジン畑出身の満岡次郎が社長兼最高 執行責任者(COO)に昇格した。エンジン部門以外は赤字とのこと。土光語録に「知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!」但し松 下幸之助は「あかん、潰れるな」と呟いたと いわれている。「『まずは汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ぬ者は去れ!』と云うべきやね。本当の知恵と言うものは汗から出るものやっと 2013年離陸するとのこと。 真藤恒氏が駆け出しの設計者だったとき、現場の職人に現場で無駄な作業が減る形状について教えられ、生産性を向上させた話を繰り返し、NTT社長の経営者 になってもくりかえした。そうして日本のお家芸ともなったが、これは設計から製造まで垂直統合された閉鎖的な大会社でのみ有効な手法である。グローバル下 で設計と製造を分離し、ファウンドリー側が設計とのインターフェースを公開して製造サービスを連続受注し、製造設備の稼働率を向上させるオープンシステ ム開発は台湾に先をこされた。
三菱重工
三菱重工は戦後の再合同を指揮した藤井深造(東大 法)、牧田輿一郎(東大経)は文系であるが、以後の歴代社長金森政雄(九大冶)、飯田庸太郎(東大第一工)、相川賢太郎(東大法)、増田信行(九大工)、 西岡喬(東大航)、佃和夫(東大航)、大宮英明(東大航)は相川を 除き、すべて理系である。相川は安値受注で会社を荒廃させた。ただトップマネジメントが全て理系だから良いというものでもない。均一な集団からは新しいも のは生ま れない。米国の社会学者バート・ホゼ リックが1950年代に提唱した「境界人仮説」のように効率効率と中央の統制ばかり強くなって端がなくなった組織ではだめなのだ。造船や軍需産業が衰退し たのち、ボーイングなどの下請けをしている。ただ米国が捨てたウェスティングハウスの原子炉技術を東芝のように高額で買わなかったのは正しい。戦 後旅客機は通産省が旗を振ったYS-11はうまくゆかなかった。役人が首を突っ込み各社横並びとなるとろくなことがない。JAXAが主導権を握ったロケッ ト開発も失敗の連続だった、三菱に請け負わせたら、一発で成功、これにならい小型ジェット旅客機MRJ開発も自由化したところ、三菱が主体となって 2013年にようやく離陸しそうだったが、外国からの部品調達に失 敗し、2年遅れるそうだ。ところが2013年に大宮英明(東大航)の後任は宮永俊一副社長(東大法)の昇格がきまったそうだ。41年振りの文系社長だ。私 の理論からすると好ましくない方向だ。日立との火力合弁会社やジェット旅客機MRJをうまく離陸させたところでその後の布石を敷けるのか?MHI製造の松 島基地所属のT2練習機は1982年に制御不能となって地上激突。防衛省、自衛隊ないから「三菱はもういい」という悲鳴さえある。創業の造船でも付加価値 の大きな巨大客船を受注したが、客船の内装部品を外国産のものを採用せざるを得ず、それを取り付ける職人として大勢の外国人職人を導入したが、これを監督 できず、遅延と火災がた手続き、受注金額の2倍 の損失を出している。カルフォルニア・エジソンのサン・オノフレ原発事故で4,100億円の損害賠償金を国際仲裁裁判所に申し立てられたにもかかわらず、 安倍首相につれられてトルコにでかけ、黒海沿岸のシノップに原発を売るという口約束をした。そしてついに日立に頼まれと火力発電プラント事業部門を合併さ せて専門会社を立ち上げた。いよいよ衰退期が終わって断末魔に入ったことを証明したようなも の。三菱のMRJは2015年、2回飛んだだけで、3回目は飛ばす、主翼の付け根に弱いところがあったので設計からやり直した。航空機は計算機の計算だ けで初飛行する。初飛行前に行われる強度試験機で主翼の上曲げ試験のデータから、通常の飛行では問題ないが、より高いレベルが求められる型式証明の取得に 向け、 主翼付け根の補強が必要となったということで、3回目の試験飛行の後、補強を決断したと岸信夫副社長から説明があった。その後、試験飛行のために米国に飛 ぶ計画であったが米国メーカーに発注した空調システムの原因不明の初期トラブルで1月遅れとなっている。2017年になって搭載する電子機器の配置位置を 見直しれ1号機の引き渡しは5度おくれて2020年になるという。エンジンはPratt&Whitney製。客船も 大赤字だし、原子力はサンオノフレ原発で大きな訴訟をかかえている。41年振りの文系社長だという鳴り物で登場した宮永俊一重工社長(東大法)は2015 年4月、度重なるMRJの遅延に業を煮やし、三菱航空機社長に原動機営業出身の森本浩通氏 (京大経)を据えた。「一貫して航空機畑を歩んだ 川井昭陽前社長(京大航空機大学院)を更迭、門外漢の森本氏を登板させることで、名航部隊を破壊した。それでもうまくゆかず2017年、宮永俊一社長直轄 事業にしたが、100万点の部品の納期管理ができていない。技術部門の劣化だろう。それも文系社長の弊害か?この宮永俊一社長は倒産寸前のフランスの原子 炉メーカーのアレバに500億円の出資をするという。宮永俊一社長が社内の反対を押し切って決めたという。政府の補助金をもらっ た手前、がんじがらめで動きが取れないという説も聞こえてくる。川重と組んでオーストラリア海軍の潜水艦6隻の更新プロジェクトに乗り出したが、オースト ラリアでの 造船未経験ということで、フランスの造船所に敗れた。
グループ全体の従業員数は8万2728人(2017/3末時点)。2018年度は毎年数百人規模が入社する新卒の事務系社員はゼロ。技術系社員は予定通り採用する。
「MHI」 の「造船分野」及び「航空機分野」での失敗と破綻は、「企業内部の老化と劣化」によるものという説もある。特に、「長崎造船所育ち」の社長が3人ほど出た が、「天領長崎の盆地の底で育った狭い気質」が現在の失敗を齎した」と映る。名古屋の「航空機の設計・製作の現場」でも、「組織の老化と劣化が進み、小型 のジェット機も作れない」事態となった。確か近年になって「航空機分野から社長が出た」ことは、記憶に新しいがすぐ更迭された。 先に「三菱自動車」が破 たんしたのに続いて、本丸も東芝と同じ破綻の道を歩くようだ。トヨタ自動車
トヨタ自動車の歴代社長は豊田利三郎(一橋専攻 科)、豊田喜一郎 (東大機)、石田退三(彦根東高)、中川不器男(神戸大)、豊田英二(東大機)、豊田章一郎(名古屋大機)、豊田達郎(ニューヨーク大MBA)、奥田碩氏 社長(一橋商)、張富士夫(東大法)、渡辺捷昭(かつあき慶 応経)、豊田章男社長(慶応法,バブソン大 MBA)である。ハイブリッド車は創業家の豊田章一郎(名大工)がチーフエンジニア の内山田竹志(名大工)を叱咤して開発させたものだ。その後トヨタから技術的ブレークスルーはでていない。トヨタ自動車は経理・営業畑出身の奥田碩氏社長 (一橋商) のころからおかしくなった。その後も張富士夫(東大法)、渡辺捷昭(慶応経)と文系支配が続いた。張など燃料電池に注力すると語って、どうなっているのか と思ったものだ。最終的に豊田家に大政奉還されたが肝心の3代目 豊田章男社長(慶応法)も文系で頼りなげだ、元北米トヨタ社長のジム・プレス氏は 「トヨタ失速の根底には財務重視の人間にトヨタが乗っ取られたことにある」と指摘し ている。2010年のハイブリッド車の安全性問題で優柔不断の態度を示し、ブランド イメージを落とした。Googleも含めニッサン、本田などが完全自律型自動運転をほぼ問題なく動くようにしているがこの分野ではトヨタはで遅れ、多大な 公共投資を要するインフラ協調型自 動運転を提唱して技術的遅れを隠そうとしている。2012年になって判明したのは、コストダウンのために車台共通化の方針を出したという。これはケチなコ ストカットに目がくらんで消費者にとって魅力的な設計をするという自由度を失うという自動車にとって最も大切なものをすてた。最大の愚策で文系が陥りやす い陥 穽に三代目がおちたということ。ボンボンの道楽で開発した300万円するスポーツカーToyota86を売り出すという。だれが買うのかと思ったら、案の 定 若者には手が出ない。ただ余裕のある中高年に人気だという。貧富の差が拡大したためだろう。ただGM、フォード、クライスラーの敵失で2012年に最大の 売り上げを記録した。2013年には為替レートの好転で史上空前の利益をだした。2013/2トヨタもようやく間違いに気が付いたか、会長の張富士夫の後 釜 にハイブリッド開発者の内山田竹志を会長に据えたが、会長職は名誉職にすぎず、影響力は限定的であろう。トヨタだけではなく、一般に日本車は競争相手が多 いため見かけ上のモデルチェンジを頻繁に行い、モデル名まで使い捨てしているた め、ブランドが育たない。日本車の性能や品質面での優位性は薄れている。今後、設計の標準化や部品の共有化の動きが広がればその傾向はさらに強まり、クル マのコモディティ化が進むだろう。そうなれば、ブランドはこれまで以上に重要になってくる。新興国のメーカーも追い上げてくる。日本の自動車メーカーに とっては、長期にわたって安定した収益をもたらすロングセラー作りが大きな課題となるだろう。文系の豊田章男社長がしたミスは、資源でもない水素を燃料と する何の意味もない水素燃料車(FCV)を売り出したことと、AIによる自動運転車の開発に乗り遅れたことだろう。これは技術の本質を理解していない行動 だ。いずれそのつけを払うこと に なるのではと危惧する。2017年にはいり、豊田章男社長が「イタコ族」を登用しているという。これ「忖度族」と同義語。イタコ族の代表格は、友山茂樹専 務役員(群馬大機械、社長のお友達で、なんらの実績なし)と上田達郎常務役員(一橋大商、人事からのし上がった「トヨタの柳沢吉保」で報復人事、懲罰人事 で恐怖支配)いよいよトヨタの終わりの始まり?
ニッサ ン自動車
ニッサン自動車はどうだろう。川又克二(一ツ橋)は
興銀からの天
下りながら日本第二の自動車メーカーに育て岩越忠恕(東大)にバトンタッチ、これを継いだ石原俊(東北文)は歴代の経営方針の逆張りで会社をドンドン傾け
た。久米豊(技術系)に社長職をゆずるが会長として経営に携わった。辻義文(東大工)、塙義一(はなわよしかず東大経)、
カルロス・ゴーン(École Polytechnique卒、Corps desMines)と文理交代制である。カ
ルロス・ゴーンになってニッサンは蘇生した。ニッサンのような製造業にとってトップマネジメントが理系、それも最高の頭脳を持った人物が必要ということが
証明されたようなもの。ただ秀才という人間が技術の可能性を正しく判断するとは限らない。ゴーン氏は理系とはいえ
、ハイブリッド車はハードルが高いとEV車に走っている。しかしバッテリーは安くならないと分かっていないらしい。だれでも安易に参入できる車作りは破
滅への道ではないのか?彼はただのコストカッターに過ぎなく、技術には音痴なのか?多大
な経営資源を投入したカルロス・ゴーンはEV車の売れ行き不振に落胆している。競争相手のテスラ社のモデル3(400万円)の発売は2017年末だが、発
表後1週間の予約は32
万台を超えた。ちなみに、日産のEV「リーフ」(価格は約320万円〜400万円)の累計販売台数は、2010年12月から今年3月までの5年3カ月間で
約21万1000台である。テスラ社のビジネス・モデルは強いトルクを売ることになり、日本の環境意識に訴えるビジネスモデルとはことなる。環境意識の高
い人は必ずしもリッチではないのだ。EV社のトップダウンが必ずしも正しくないということの証しだ。2016年、EV用のリチウムイオン電池の内作は放棄
し、パナソニックなどからの購入に切り替えた。
ホンダ
ホンダは創業者が自分の息子には椅子を譲らないとし たため、 歴代理系の社長である。エンジンのシリンダー数を制御する新しいタイプのハイブリッ ド車を開発した安定した支持者がいるため経営は安定している。
富士重工
1917年中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現: 群馬県太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とし、太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機が富士重 工業のルーツである。歴代社長は2001までは東大、一橋大、横浜市大などの文系である。2001-2006まで竹中恭二(大阪市大工)がつとめたが、現 社長は吉永泰之(よしなが やすゆき成蹊大学経済学)である。彼は「スバルはこうきたか、とお客様の心を打つ商品を作り続 けなければならない。ただし、これは実は難しい。技術屋はお客様の心よりも、技術へのこだわりを優先しがちだから」と、指摘する。そのスバルが好調だ。消 費者の“渇望”に訴えかける利益率の高いビジネスモデルを構築して居るのが原因。だから巨大企業にはならない。
<1983年東条輝雄(東大工)の後を継いだ舘豊夫(東大経) は中興の祖といわれ1989年に就任した中村裕一社長(京大機械)のバブル時代に「パジェロ」がヒットするなど国内販売で3位に浮上した黄金期があった。 し かし、その後2002年まで5代は文系社長下でリコール隠しの不祥事があり、ダイムラー出身のロルフ・エキロート(機械)が社長に なったが手を引き、岡崎洋一郎(早稲田機械)になる。MHI出身の西岡喬会長(東大航空)と商社出身の益子修社長(早稲田経済)をいただく三菱自動車は三菱Gから 優先株の出資を受けて再建中。しかし実は素人だましの460万円もする電池自動車開発に走った。誰が買うのかと思うと思っていた、カルロス・ゴーンが仲間 入り。そうしてリコール隠しの体質は変わらず2012/12エンジンのオイルシールの漏れ を改修せず、内部告発もあり、軽自動車176万台のリコール命令を受けた。2014年になって三菱重工の会長を務めた相川賢太郎(東大法)の長男の相川哲 郎(東大 工)が社長COOに昇格。岡崎洋一郎、益子修は順ぐりにCEO会長。2016年になり、軽自動車の燃費を過少に表示していることが明らかになり、会社存亡 の危機に面している。
ソニー
パナソニック
パナソニックの歴代社長は松下幸之助(創業者)、松 下正治会長(東大法)、山下俊彦(工業高校)、谷井昭雄(神戸大 工)、森下洋一(関西学園商)、中村邦夫 (阪大経)、大坪文雄(関西学院機械)、津賀一宏(阪大バイオ、カルフォルニア大コンピュータサイエンス)だ。創業者生存中は理 系と文ミックスだったが創業者なきあと松下正治会長、森下洋一、中村邦夫ら文系が君臨してデジタル技術革新に乗り遅れ、フラット画面TVへの取り組みが遅 れた。中村は上司には絶対服従、部下には絶対的押しつけという典型的なサラリーマン 社長。就任当初周りにイエスマン ばかりを配置し、権力を欲しいままにするタイプで、松下電器崩壊の原因となるかも知れないと言われてきた。やはり文系の悲しさ、 ジリ貧である。創業者が確立したイノベーション不用、多量に安くという「水道哲学」を愚直に守り、同じ戦略をとった韓国・中 国に敗退。プラズマに巨額の資金を投じすぎた。そしてプラズマディスプレイからの撤退も遅れる。業績悪化で目覚め、ようやく理系をトップに据えた。あとを 継いだ大坪文雄は久しぶりの理系だが、ソニーやシャープと同じテレビ事業への巨大な投資に加え、サンヨー電機の太陽電池とリチウムイオン二次電池 事業を買収などしたが時すでに遅く韓国に負ける。中国・韓国メーカーが日本に先回りして巨大投資した分野で競争する愚を犯したわけだ。2012年6月には 津賀一宏が引き継いだ。最終製品を真似してきた伝統的経営方針は最終製品組 み立てが中国に負けている現状で要素技術・部品開発に弱いパナソニックをはして再興できるか?目下の急務は有機ELディスプレーをソニーと共同開発すると いう が成果が出たとは聞かない。2012年末には2年連続累積1.5兆円の赤字を積み増している。2014年になりようやくV字回復して黒字化を果たした。津 賀一宏の采配が成功したようだ。
シャープコ ダックのライバル富士フィルムもまことに日本的で典型的文系経営者である。古森重隆(東大経)はフィルム事業からの脱却に成功したように見えるが、NHK 経営委員長などに浮気し、コンプライアンスなどということにうつつを抜かしている。はたして将来への種を蒔いているのか疑問。その うちに馬脚があらわになるのではないか?
任天堂
ゲーム機で成長した任天堂は創業者の山内溥(早稲田 第二法)は文系とはいえ、オーナー経営者として幾度の失敗を乗り越え て大会社に育てた。大株主であると同時に三代続いた一族経営会社の社長でありながら、同社に勤める自分の息子を次期社長には指名せず、天才プログラマーと 言われる岩田聡(東工大学情報工学)を2002年に後継社長に任命した。ここらへんは本田宗一郎と同じだ。そして岩田は10年間社長としてリーダーシップ を発揮した。ソフト中心でファブレスの会社だが2012年売上高が4割も減って上場来初の最終赤字に転落、株価は暴落している。リーダーとして理想的な人 事だがなにがいけなかったのか。専用機で楽しむ ゲームというビジネスモデルがスマートフォンやiPadなどに奪われたためと思われる。
JAL、 三光汽船
JALにしても三光汽船にしても製造業ではないから文系経営者で も勤まる。しかし量的拡大だけを追い、自滅した。
アルバッ ク
日本の製造業が負け続 けている中で、半導体製造装置、フラットパネル・ディスプレイ、PV製造装置で世界のシェアの半分 を握って頑張っているアルバックという会社がある。歴代、理系のトップが率い現在のトップの中村久三氏(東北大、金属卒)も理系だ。この人は「日本人が勤 勉だという認識は間違い。日本の 技術は高度であるという認識も間違い。生き残るためには不断のイノベーションと、グローバル化しかない。選択と集中もしない。成長するとわかれば先回りし て取り組む。自由闊達に議論して問題解決し、決して疲れない。開発で失敗しても責任を取らせないし、成果主義の人事考課はしない。役員会は根回しをしない が、問題の先送りもしない」と言っている。
三菱石
油、アラビア石油、石油資源開
発、帝国石油、INPEX
三菱石油は三菱グループが戦前に作った会社だ。ここ に就職した大学同期の中村は人格者であったため、出世の階段を登ったが、それでも副社長止まりであっ た。大学同期で他の石油精製企業に入った同期も皆取締役クラスが最高位だ。石油会社 などは油売りだから、技術を知らなくても経営はできた。しかしその石油もピークを過ぎて別のエネルギーを開発しなければならない時代に入ると文系の経営者 が舵をとる ことには問題がある。三菱石油を吸収合併した新日本石油の会長の渡文明(慶応経)などの話を聞くと石油の次ぎにくるエネルギーに関し何の展望も持っていな いことが分かる。従って彼が口を開くと愛嬌があるがマスコミなどの素人がはやす水素燃料の燃料電池の話しだけで、任せておけば日本と世界を正しい進路に導 くという安心感がない。まるでタ イタニック号のCaptain E・J・ Smithを連想させるタイプだ。いずれにせよ石油精製会社は資源開発能力は無いに等しい。だからただ国内マーケットの縮小に対応して小さくなってゆく。 資源会社としてのアラビア石油は山下太郎(札幌農学校農芸化学)が創業者。戦前肥料や米相場で巨万の富を蓄え、戦後はアラビア石油を操業して成功。しか しのちには通産事務次官の小長啓一(岡山大学文)が長く社長の座にしがみつき、ノウルェーやエジプトの資源開発に挑戦したが、成功せずジリ貧となり、 2013年4月より資源開発から撤退するという。国家予算をがぶ飲みして資源開発に失敗した石油公団もそうだが、地中がどうなっているかの暗黙知のない文 系の役人 経営では資源開発はできないということを証明している。帝国石油は小さいとはいえ日本での化石燃料資源開発をしていた。帝石とならんで国産ガス資源を開発 していた石油資源開発は一時期石油公団に吸収された。しかし北スマトラ海洋石油資源開発のため設立した国際石油開発が暗黙知を持つていたため、巨大なオー ストラリアの海底ガス田Ichthysを見つけることができた。両者が合併して海外に打って出て国際石油開発帝石(INPEX)に成長している。ただここ も天下 り役人で会長の黒田直樹(東大法)は文系、帝石出身の椙岡雅俊(東大工)は理系だが、社長は天下り役人の北村俊昭(東大法)で文系官僚の天下りが多く、ア ラビア石 油の二の舞いになるのではないかとの危惧がある。現にオーストラリアの海底ガス田Ichthysの開発に世界最長の海底パイプラインを採用したため、開発投資額が 世界常識から1兆円も高い買い物をしている。日本は結果として高いLNGを押し付けられることになるのだ。これも文系役人の弊害だ。
帝人
東レ
帝人と同じ出自で東洋 レーヨン。榊原定征:1967年に名古屋大学大学院工学科応用化学を卒業し、主に経営企画畑を歩 む。2002年より同社社長に就任。 また、2004年からは同社最高執行責任者も兼務。帝人が無策だったのに、東レはダウンストリームに進出した。たとえばカーボンファイバーとユニクロと共 同開発したフリースである。社長就任後は炭素繊維等の先端材料を梃に同社の業績拡大に取り組む。2005年3月期に同社の経常利益 は14年ぶりに過去最高を更新し、見事に名門復活を果たした。2014年、経団連会長候補。しかし住友化学出身の米倉弘昌経団連会長や武田薬品出身の長 谷川閑史代表幹事と同じく産業競争力会議では原発推進論者だ。ここらへんは視野がせまい。
旭化成
1922年旭絹織株式会社が前身。1933年に延岡アンモニア絹絲株式 会社として日本 ベンベルグ絹絲株式会社(キュプラ糸「ベンベルグ」を製造・販売)及 び旭絹織株式会社(ビスコース・レーヨン糸を製造・販売)を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲株式会社と改称。1943年旭ベンベルグ絹絲株式会社は、日本 窒素火薬株式会社(ダイナマイト等を製造・販売)を合併し、社名を日窒化学工業株式会社と改称。創業者は野口遵(帝国大学工科大学電気工学科卒)。チッソ や信越化学も野口が創業者。30年余に渡り経営の指揮を執った故・宮崎輝元会長(東京 帝国大学法学部英法科卒)の多角化路線が成長を加速し、1967年には軽量気泡コンクリート「へーベル」の製造を始めて建材事業に、72年にはへーベルハ ウスのブランドをひっさげて住宅事業に本格参入した。今や売上高の30%、利益の40%にも達していた。そして2015年不良基礎杭工事の品質保証に失敗 して信用を喪失する。旭化成の研究者吉野彰らが炭素 材料を負極とし、リチウムを含有するLiCoO2を正極とする新しい二次電池であるリチウムイオン二次電池(LIB)の基本概念を確立した。にも関わらず 旭化成は製品化しなかった。ここに経営者の質の問題がある。宮崎後の歴代社長は弓倉礼一(京都大学文系卒業)、山本一元(九州工業大学工学部工業化学科 卒)、蛭田史郎、(横浜国立大学工学部応用化学科卒)、藤原健嗣(京都大学工学部卒)、現社長の浅野敏夫(東大薬学部卒)は理系だが宮崎後は実質、文系の 山口信夫会長(東京商科大学)がキングメーカーだった。山口は多角化戦略を取り、住宅と建材部門のトップだった。そのカリスマ性と強すぎる権限の弊害が、 2008年のリーマン・ショックの頃から目立ち始める。山口に取り入った役員の発言力が強まり、それに反発 を覚えるグループとの確執が激しくなった。「誰に根回ししていいのか分からない」というように、通常業務の遅延の原因になる事態 も起き始めていたという。直接の責任者である子会社旭化成建材社長の前田富弘 は大阪大学人間科学研究科卒の文系だ。なぜか杭打ち工事の品質保証の世界標準ISOも採用せず、勤続15年の社員に現場を任せきりだった。他の社員も同じ ようなものだったという。この担当者が施工 報告書のデータの一部を転用・加筆した。記録紙を重ねれば分かる程度の幼稚な偽装を見抜けず、発注者の三井住友建設もみていな かった。ヨー ロッパ流のISOの品質保証は日本流のシグマ・・・という統計偏重ではなく、人の性悪説にたち、やったことの正直な記録をだれでも見えるようにして、透明 性とトレーサビリティーを維持し、かつそれを利害関係のない第三者がチェックで来るようにして不正が生じないようにする仕掛けだ。しかし旭化成およびその 子会社 の経営者は自分の義務を怠り、現場監督にすべてを任せ、発注者もなにもチェックしていなかったのは国際標準の性悪説にたった品質保証のしかたを守っていな かったためである。人間科学 研究科でなにを学んだのか?性善説に たって徳、徳とか和とか教育とかさけぶ人は人間を分かっていないか偽善家にすぎない。そういうトップは自分は何もしないから良きに計らえといって一人で悦 にいっている だけ。責任を取らされるはめになる単なる怠け者だ。昔は腹を切らねばならなかったが今は頭を下げるだけ。元をたどればチッソも水銀垂れ流しの無責任会社で あった。これを報じるメディアも下請け 云々という言葉を使う。日本は権威主義社会だからすぐ上だ下だという。欧米系は契約社会だから上も下もない。コントラクトという語で互恵関係を表現する。 プライムコントラクターとかサブコントラクターは元請け、下請けという上下の関係ではなく、全体か部分かという区別なのだ。チッソ
1906年の設立以来、化学製品の製造をしてきた。戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こした。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化 学工業、センコー、日本 ガスなどの母体企業でもある。2011年、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」に基づき、JNC株式会社を設立し、営んでいた 機能材料分野、加工品分野および化学品分野の事業活動を継続するために必要な土地、設備など有形・無形の事業財産を譲渡した。三菱化学
とくに特記することもな
かったが、三菱ケミカルホー
ルディングス取締役社長、三菱化学取締役会長だった小林 喜光(こ
ばやし よしみつ)は東京大学大学院理学系研究科相関理化学修
士課程修了の理系だが同友会代表幹事を務めた武田薬品工業会長の長谷川閑史
氏(68)の退任をうけて代表になった。その就任記者会見やその後の記者会見でも、30年時点での電源構成(ベストミックス)の議論が進むエネルギー問題
ではこれまでの同友会の提言と同様に、原子力発電の比率を20%以上にす
べきだと訴えた。加
えて「火力発電に依存
する仕組みは『慢性糖尿病』。温暖化を招き、世界は成り立たなくなる。これに比し、原発事故など『劇症肝炎』みたいなもので一部が瞬間的にやられるだけ
だ」と発言している。海面上昇をその理由としているが政治プロパガンダをうのみにした文系的理解能力しかないことをさらけ出している。この人は東電の社外
取締役も務めているためもあるのだろうがあまりに自らの立ち位置にとらわれた発言でとても理系とは思えない。
三井化学
三井化学の社長に上り詰めた応用化学 の同門の中西などは老獪ゆえに文系の海の中で成功した例外と思っている。上司の文系社長からみれば彼の説明は一番分か りやすかったということで評価され社長になったと聞く。住友銀行と三井銀行合併の時に持ち上がった住友化学と三井化学の合併を潰した。住友化学は導入技術 で積極的に海外進出しているだけと過少評価し、三井は独自技術を持っていたがゆえにプライドもあり、 潰したのではないかと推察する。 三井東圧の伝統もあり、独自技術には自信があり、人事部長ですら理系の会社である。導入技術で成り上がった住友と一緒くたにされるのはプライドがゆるさな かったのだろう。ここまではよい。しかし独自技術も古くなり、新しい技術がなくなって、海外の安い原料の得られる立地に展開することに乗り遅れたことは忌 めず、苦しい立場になった。2008年の米国発の 金融崩壊後すっかり元気をなくし、不運にも交通事故で亡くなった中村の葬式で会ったが急に老け込んだようにみえた。
千代田化工
日本に特有な商社だった 三菱合資会社が石油精製をする三菱石油をつくるために採用した玉置明善(九大応 化)がエンジニアリング企業である千代田化工建設の創業者だ。戦中海軍の軍属としてインドネシア からオランダが撤退したとき破壊した製油所を再建した。二代目は創業者の娘婿で陸士の主計出の文系がタナボタ式に選ばれた。そもそも商社は文系社員の天下 である。だから二代目以降も社員の30%は文系と創業以来定められて、変わることはなかった。私は文系30%の採用比率は直すべきだと採用会議で指摘、平 取締役の身、会を仕切っていた会長派の文系常務に反対されてチョン。したがって管理 部門、営業、購買部門はあふれる文系の聖域となっていた。国内の石油会社も文系支配だからこれでなんの問題もなかった。しかし国内の工場建設需要が一巡 し、海外のマーケットに対応しなければならなくなるころ創業者の娘婿というだけでその地位に座った文系経営者の会長は「和」と大書した手ぬぐいを全社員に 配り、営業第一主義を旗印にした途端、主として文系からなる営業が会長をわっしょいわっしょいと御神輿に担いで理系は唖然と見守るばかり。私は「顧客第一 主義はよいが、営業第一主義は間違いだ」と意見具申しても「それにはのれぬ」と会長から直接申し渡 しされた。海外のエネルギー産業は理系支配のため、顧客のニーズを掘り起こせなくなった。 ただコスト競争の競争入札に応札するだけの意味のないビジネスしかできなくなり、国際コスト競争で会社は疲弊した。また文系が企業のかじ取りをはじめ、当 時流行していた多角化に走り、ビル建設業に進出、レストラン展開したり、不動産業にでたり、技術者は分散し、エンジニアリング力は落ちた。最もマンアワー が必要な配管設計は傘下の設計組合のメンバー企業に発注していたが、1995年当時高齢化で廃業が相次いでいた。台湾会社も自立したいといっている。競争 会社のJGCやTECはフィリピンやタイに設計拠点をうつしていたが、千代田は設計組合を保護する方針を堅持してそれもままならない。そのようなときのた めに、CADにによる設計システムを開発していた、CADといっても当時はIBMのメーンフレームを使ったシステムだ。これでは設計組合は導入できない。 そこでワークステーションを使ったシステムが米国で開発されたのでこれを導入したがすでに社内の設計要員は長年の設計外注で空洞化していた。加えて設計要 員の半分は新規分野に配転していて要員不足におちいっていた。米国のエンジニアリングも昔は営業は文系であったが、今では顧客とのコミュニ ケーションがとれる理系が担当している。不幸にも千代田は文系経営者の会長の下には暗黙知をたっぷりともった理系ではなく、形式知だけが優れた理系が三代 目社長に任命された。タナボタ文系会長は そのような人物を意識的に選ぶようだ。選ばれた社長はしみじみと、「おれはエクセルが大好きだ。縦と横の合計がピタッと一致すると限りない喜 びがある」と告白した。なにせベーシックで表を作り、自分のゴルフの成績を表にして悦に入るような人物だ。文系会長の営業優先方針に身をゆだね、価 格を下げれば受注できるとし、国内プロジェクトしか経験のない営業担当専務と同じく国内プロジェクトしか経験のない理系常務に全権をゆだねた。批判的な取 締役は会長派が優勢な取締役会で無力でなにもできない。こうして赤字が表面化するまでの2年間、他社より安い価格で快調に受注を続けたのである。いま日本 の製造業に発生している状況は似たようなものだと推定している。>にもかかわらず売り上げだけ同じにしようとして処理 能力の2倍の受注をしてしまったのだ。会長、社長を含め4人とも海外は素人だったし、伝統的に営業部隊は文系でかため積算業務などはしたこともない。営業 で言われていたことは「技術屋の積算なんていい加減なもので、あちこちに余裕を見ているから水脹れしている。10-15%切ったから といって赤字になると言うのは技術屋のはったり。プロジェクト受注出来る金額を押し付ければ何とかなることは過去の例で証明されている」というののだっ た。こうした考えはその後も文系営業の多くが持っていた。こうして国内営業のセンスで海外プロジェクトの実行部隊が積み上げた見積もりの半値八掛けで受注 したのだ。国内プロジェクトのどんぶり勘定ではないのだ。この専務は大幅の赤字が発覚するまで齟齬がないようにメモして矛盾ない報告を社長にあげて いたと聞いた。要するに古い認識にたって自分の思い込みで行動したわけである。
千代田化工と同業の国際的エンジニア リング会社は大阪の米問屋鈴木商店がそのルーツだ。米相場で揚げた利益を資本に日本で精製業をしようと戦前、石油精製のプロセス技術を買い占めたが、戦争 でかなわず、戦後の権利を売る、エンジニアリング業に乗り出した。創業者の鈴木一族の後、経営者として長期間君臨してうまく経営したのは重久吉弘(慶応 文)氏である。彼は玉置明善の やり方をよく学んで行動して成功した。たまたま、三菱・シェル合弁のブルネイ LNGプロジェクトを本命の千代田化工/ベクテル合弁より安値で受注したため、すべてのシェル系のLNGプロジェクトを継続して受注できる体制を築いた。 以後現在に至るまで日揮グループの指導者として社長を適宜、理系・文系を交代させている。氏の慧眼 はコスト競争にはしらず、つねに米国のケロッグなどとの共同事業を基本として社員が閉鎖的マインドになることをさせなかったことにありそうだ。重久吉弘氏 亡き後がどうなるか興味 あるところだ。
PV メーカー
「グ ローバル・ヒーティングの黙示録」に280ページを費やして今後は再生可能エネルギー開発や二次燃料としてのアンモニア が成長分野なのだがと2年に渡って注意を喚起しているのだが、日本の既存PV メーカーは高効率にこだわってローコスト化ができず、元気なのは薄膜型セルの製造装置を海外に輸出している物理屋の故林主税氏 が育てた ULVACのような企業だけだ。通産省がこれではまずいとドイツ式のFTA制度などの保護政策を出しているが、導入時期が遅すぎメーカーの助けにはなら ず、ただ安い外国メーカーを助けるだけになっていていたずらに電気料金をかさ上げする結果となっている。新美春之会長下で非シリコンのセルを開発した昭和 シェルなど以外は世界市場を失うのではないかと危惧する。経営者が先が見えていない証拠だ。
海外企業はどうだろうか と若干検討してみよう。ここには文系経営者の弊害と理系トップ の成功例と両方が観られる。IBM
メーンフレーム時代をもたらしたIBMは三菱銀行と「りそな」の銀行向けのはシステムのお守 りで頑 張っている。またスパコンの 世界では頑張っている。IBMがまだ生き残っているのはルイス・ガースナー氏のおかげだ。ナビスコから引き抜かれたので文系かとおも えば理系だという。ルイス・ガースナー氏は「巨象も踊る」 でIBMが当時持っていた問題は2つあった。一つは「圧倒的な地位によって、内向きな世界が形成されたこと」、そして二つ目は「言葉狩り」だという。独占 禁止当局の批判をかわすために「市場シェア」、「競争相手」、「勝つ」などの言葉を社内の文書や会議で使うことを禁じた。ことばだけならよかったが、次第 にIBM社内の考え方にもおよぶようになった。ガースナー氏は「やるべきことを決めるのは市場だ」を原則に掲げてIBMの復活を図ったのである。この言葉 狩りは日本政府の言葉狩りを連想させる。「原子力は危険だ」を禁じ「原子力は安全だ」に言い換えた。そして「原子力は安くない」を「原子力は安い」に言い 換えた。そしてみずからつまずいて「原子力は危険だ」と「原子力は安くない」を証明してしまった。まるでピエロのような行為だ。この言語操作は文系の役人 や企業経営者の唯一の武器だが、それが使い物にならないことが実証されたのだ。
しかし2014年になると日本IBM が野村ホールディングスから システム開発を巡って約33億円の損害賠償を求める訴訟を起こされていることが明らかになった。スルガ銀行との間でも同様の係争を抱えているという。背景 を探ると日本IBMの力が劣化し、はもはや米国IBMの承認をえないと何もできないように弱体化したことと、発注側にも何をしてもらいたいのかわからない こ ととの2つの原因があるようだ。これはもう末期的症状のようにも見える。
世界のIBMグループの中でも日本IBMはユーザーのシステム構
築に深く参加したケースが多かった。現在ではIBMは世界レベルでもサービス事業の比率が売上の6割となったが、そのベースとなった。1971年に完成し
た六本木3丁目の本社ビルは売却され跡形もない。今は営業拠点であった中央区日本橋の箱崎事業所を本社としている。社長はアメリカ人にもどった。パソコン
部門は2005年にレボノに売却された。
グーグル
グーグルはスタン フォード大の博士課程をドロップアウトしたセル ゲイ・ブリンとラリー・ペイジによって創業。理系創業者自らページランク法によるウェブ検索法を開発し、これで世界を制覇し、検索連動型広告で収入を確保 し、クラウド・コンピューテイングにむけて先陣を駆けている。ページランク法は人工知能 化し、日々に賢くなっている。そしてついに自動翻訳まで標準装備された。そしていまやスマートフォーン向けのアンドロイドOSへと展開中である。ジョッブ ズはアップルは検索ビジネスには進出しなかったのにグーグルは携帯OSに進出したと非難して亡くなった。そしてグーグルOSのシェアはアップルを凌いだ。 ただ facebookやtwitterなどのソシアルネットワーキングでは出遅れた。グーグルの創業者は膨大な資金調達のためにベンチャーキャピタル Kleiner Perkins Caufield Byers(KPCB)が薦める理系のシュミットCEOは受け入れたが、自分の理念を守るためにけっして妥協することがない。だからこそ成功したのだ。 シュミットはサンマイクロシステムやノベルのCTOだった人物。創業者二人は世の中の常識をすべて疑ってくつがえしてゆく。その洞察力と、それを実現する ために創業者自ら世界のトップ100人のエンジニアリストを作製して自ら面接して選別し、獲得してゆく姿にグーグルの秘密がある。サーバーのメモリーも早 い段階でディスクを捨てている。その選定基準は学歴プラス創造力と図太さ、そして礼儀正しさである。とはいえできる限り、同じ大学からの採用は避けた。集 団思考(グループシンク)をさけるためである。彼ら創業者は独創 的だけれど世の中の基準からずれている。その理由は二人がたまたま幼稚園と小学校低学年のころモンテッソーリ教育(シュタイナー教育も同 類)を受けたからだという。二人がフィリップス殿下に招待された夕食会でスフレにかけるパッションフルーツジュースのグラスを上げて一気飲みしてしまっ た。それはスフレにかけて食べるものだと同席したメリッサ・メイヤーが後で注意すると「そんなこと誰が決めたのか」と質問したという。モンテッソーリ教育 は権威を疑うように教えられたからなのだ。自分の頭で考えること、人生では何事も自分でやってみること、自分自身のペースやスケジュールを守って自分が 好きなように行動すればよいと教える。そして社員にも20%ルールという自由時間を与えている。
グーグルの最新のヒットはポケモン
Goだ。これを開発したのは中国黒龍江省生まれの野村達雄だ。日中のハーフだが、1995年日本に移住、信州大学工学部卒、東工大修士課程卒後グーグル入
社、子会社ナイアンテックに移って担当した。
インテル
ロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブ、クレイグ・バレットと歴代理系がリードしてきたインテルもポール・オッテリーニという財務 系のCEOになったという。い よいよ企業の終末フェーズに入ったのかもしれない。この会社の将来はどうなるのか興味があると書いていると案の定ポール・オッテリーニは2013年5月に 引退するという。後任は未定で、社外からの起用もあり得るという。今のインテルが最も恐れるライバルはアーム(ARM Ltd.)という企業。インテルはこれまで「半導体の集積度は18カ月で倍になる」というムーアの法 則をフルに生かして、より情報処理能力の高 いプロセッサーを世界最先端の工場で量産し、世に送り出してきた。それがパソコンの急速な進化を支える技術的基盤でもあった。 あえていえばインテルの死角があった。新の崖」から転落した。2011年に携帯の売上がPCのそれをクロスオーバーしたが、2012年のイン テルの携帯CPUのシェアはたったの0.2%。タブレットが伸びる分PCの売り上げが下がる現象が続いている。次期CEOがこの危機を乗り切れる かどうか?2016年、インテルはついにARMのライセンシーになった。
ノキア
仏独の通信機器メーカーやスエーデンのエリクソンと激烈な競争に打ち勝ってヨーロッパの市場 を制覇したノキアで あったが、世界 覇権を握った途端、官僚化がすすみ、創造性が失われ、いま苦境のどん底にある。他社が後に製品化する試作品が社内で会社のロードマップにないからと葬られ たと失意のうちにノキアを去ったプログラマーだったヨハニ・リスク氏はいう。携帯業界を二分しているクワルコ ム(Qualcomm)に対するUMTS方式携帯電話の特許料率紛争において、ノキアはNTTを含む反Qualcomm陣営の筆頭 になって戦ったが破れ、マイクロソフト、インテルと提携した。
GE・ウェスティングハウス
交流を提案したテスラがつくったウエスティングハウスはスリーマイル島事故後、
原発
の需要業績が低迷し、東芝に身売りしたが、ライバルのGEはエジソンが直流にこだわったために伸び悩んでいた。資本家のJPモルガンがエジソンを追いだ
し、交流に切り替えて成功。その後も新規分野に展開し、老舗が消えてゆく米国で元気である。そのGEに長期間君臨していたのはケミカル・エンジ
ニア出身のCEOジャック・
ウェルチで
あり、後任のジェフリー・R・イメルトは応用数学を学んだ理系だ。GEはエネルギー産業機械メーカーのドレッサーなどを吸収して製造は
イタリアの系列企業で行うなど確実に地歩を固めている。2016年GEの航空エンジンは世界の60%のシェアを持ち、独走態勢。金融部門は売却し、製造業
に復帰した。米ゼネラル・エレクト
リック(GE)と日立製作所は18日、カナダの原子力事業合弁会社であるGE日立ニュークリア・エナジー・カナダ(GEH―C、トロント市)を売却すると
発表。とはいえ。30万人を超える全社員にプログラムの知識を学ばせ、「モノ作り」を「デジタルサービス」に転換する。プログラマーこそが競争力の源泉。
GEはそう確信している。
ベクテル
ベクテルなどに代表され る米国のエンジニアリング会社は非上場会社であるため、チェアマンはベクテル家で抑えている。しかしCEO以下はエンジニアでなけ れば勤まらないであろう。エンジニアはつぶしが効く人材ととらえられていてエンジニアリング、プロジェクト・マネジメント、調達、営業もなんでもさせる。一 方、文系は弁護士、会計士など専門職として採用し、一生専門職として遇する。
M. W. Kellogg
ハリバートンに買収されたM. W. Kelloggはいい会社だったが、副大統領チェイニーのハリバートン傘下に入り、ブラウンルーツと合併し、イラク戦争のロジスティックコントラクターに なってからおかしくなった。理系で長年CEOとしてM.W. KelloggをリードしたAlbert Jackson Stanleyはテクニップと合弁のナイジェリアのボニーLNGがらみで10億円のキックバックをもらったとして有罪になって失職した。 技術会社が文系のトップをいただくと狂う例だ。
メジャーオイル
メジャーオイルはどうだろう。ExxonMobilのCEOであっ たLee Raymondはウイスコンシン大出のケミカルエンジニアであった。BPを成長させたCEOであったブラウン卿は物理出身だし、メキシコ湾の原油流出事故 で苦労したトニー・ヘイ ワードCEOは地質学出身者、現CEOはRobert Dudleyでケミカルエンジニア、会長のCarl-Henric Svanbergは応用物理。Shellの現在のCEOであるPeter Voserだけが財務上がりの文系、スタッフも財務系が多く、メジャーオイルとしては異色の文系優位の会社だ。それにはわけがある。シェルを育てたH・デ ターディングは帳簿係り出身でパリのロスチャイルド家のファイナンスを得た典型的文系人間であること。このためシェルは縦割り構造になっていてロン ドンにあるのが文系主導の財務と販売部門。技術はすべてオランダのShell Internationale Petroleum Maatschappij (SIPM)が担当していてほとんど別会社のようだ。
ICI・
トプソ
小さくなる前のICIの役員とも付き合ったが、トップは間違いなく理系であった。 だが新しい化学を育てずに買収しようとした。資金調達のためにコモディティーケミカル部門を先に売却したが買い叩かれ、二束三文で売ったが有望な新規分野 を買えず、殆ど消え去った。デンマークの触媒会社のトプソ社はハルダー・トプソ氏(MITケミカルエンジニアリング)が創業者だが100才になる4日前ま では元気だったが2013/5/20に亡くなった。
イースト マン・コダック
イーストマン・コダックの会長だったジョージ・ フィッシャーはモトローラから転身した根っからの技術者だが、選択と集中との掛け声の下にイーストマン・ケミカルという技術の塊を売りとばして、1975 年にスティーブ・サッソンが開発したデジタルカメラを育てた。しかしデジタルカメラが携帯 電話に搭載され、膨大な中国市場が一気にフィルム離れどころかデジタルカメラ離れしたために売れるものがなくなってチャプター・イレブンを申請した。技術 の発展の方向は間違っていなかったが、速度を見誤っ たわけである。技術系経営者でも失敗することはあるのだ。
February 1, 2009
Rev. July 31, 2017