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七里ヶ浜の津波予想
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金子浩之著「戦国騒乱と巨大津波 北条早雲と明応津波」雄山閣刊という本に鎌倉津波について書いあると友人Tが当該部分のゼロックス・コピーを郵送してき た。どうも北条早雲が1498年9月11日8時頃経験した南海トラフ沿いのM8.6の巨大地震によるとみられる明応津波の被害調査である。『鎌倉大日記』 に水勢入大佛殿破堂舎屋とあるから、それ以降長谷の大仏は露座となった。
吾妻鑑に1241年の仁治地震では由比浦大鳥居拝殿被引潮流失とされることと標高8mの由比ガ浜の砂丘を津波が乗り越えたことから津波高は10mとみられる。ちなみに鶴岡八幡宮の舞殿は海抜12.1mである。
鎌倉市はこれら古文書から、津波危険地図を作り、全戸配布、動画も作ってその危険性を宣伝している。下のU-Tubeは鎌倉市がつくったものだ。
グリーンウッド氏は手作りのミラークラス・ディンギーを
江の島のヨットハーバーで進水式を行い、海にのりだしたとき、眼前に広がる七里ヶ浜の丘陵地帯の山腹に住みたいと地元の不動産屋に出かけた。連れてゆかれ
たのは坂の下であった。明らかに津波の危険が見て取れた。結局この不動者屋が提示したのが現在グリーンウッド氏在住の七里ヶ浜である。ここに
津波が押し寄せているシーンを切り出して下に表示した。2016/3に完成した鋼管杭の護岸が写っている。鋼管杭の高さ、砂浜より9mはある。砂浜は傾斜しているので海面からは14mはあるだろう。砂浜から逃げる階段も完成している。遠くに渡辺淳一の小説「失楽園」の舞台になった鎌倉プ
リンスホテルがみえている。
2011年3月11日の東北地方太平洋地震時の七里ヶ浜の潮位変化は1m位で大したことはなかった。それよりは大きい。むしろ隣接する腰越、津地域に買い物にでかけているときが危険ということになる。
この動画のカメラポイントは小動岬(こゆるぎみさき)のどこ
かに興味を持った。手前に写っている瓦屋根は古風なため、はじめ小動神社本社か社務所の屋根かと思ったが周辺の樹木にさえぎられて七里ヶ浜は見えない。浄
泉寺も見晴らしはない。残るは小動岬にある集落のいずれかの屋根であろうと見当をつけ、集落の小路にはいると民家の隙間から七里ヶ浜が見えるところがあっ
た。古風な屋根は玄関の屋根だった。浜の一番手前は擁壁の工事が継続されていて新しい鉄架構が造られていたため浜の景観は変化している。
カメラポイントから撮影 2016/5/13
May 6, 2016
Rev. May 13, 2016