もくじ


  幸かふくおか   〜「はかたより」〜     準備編 (その4)

  大小様々数々の送別会を「あんまり飲んじゃいかんぞ!胃肝臓!」と自分自身に言い聞かせながら、どうにかこうにか無事にこなし、東京人塩川、思い出たっぷりの赤羽に遂に別れを告げる。みんなから「これで最後だね」「もう飲めないね」「ああ、ホントにいなくなちゃうんだね」などと言われ「俺は死ぬんかい!!」と大声で叫びたくなるところをグッと押さえ、おかげで悪夢にうなされながら残り少ない日程をしみじみとこなしていく。

  新宿歌舞伎町の居酒屋「かあさん」で、偶然取材に来ていたNTV「ルックルックこんにちは」のカメラに怪しい髭面姿を勝手に撮られて放映され、TVの前の皆様に別れを告げ、これまた偶然、バイクで太田の実家に向かう途中、皇太子さまと雅子さんの御一行とすれ違い、皇室関係の皆様に別れを告げ、群馬の名湯四万温泉「たむら旅館」の温泉めぐりで永田さんのビールっ腹に別れを告げる。

 そしてそして運命の日。6月21日(土)朝6時。妻ミヤコと猫ミーコに見送られ(名前が似ている事に今更ながら気がつく)、愛車「ホンダCB750」と共に赤羽駅へ。バイクを止めまたがったままヘルメットのシールドを開ける。「さよなら赤羽駅..」。立派な開閉式アーケードが付いて「LaLaガーデン」なんて洒落た名前まで付けられた「スズラン通り商店街」「さよなら..」

  感傷的な気分を振り切るように、環七から関越道練馬入口へ走る。天気は台風一過の晴天。6月の早漏台風にはヒヤヒヤさせられたけど、無事前日通り過ぎて行った。あっ、そうそう、言い忘れてたけど、俺は富山県に向かっているのだ。「野生の学校」で懐かしいネお久しぶりネの、まっちゃん&ちえみさんに会う為だ。実は柴田とサエちゃんも車で行くことになっていて、一緒に黒部市の松島家に泊めてもらう予定なのだ。柴田達は深夜のうちに出発しているので、もう大分富山に近づいていることだろう。

  関越道を快適に北上する。途中、群馬県を代表する赤城山、榛名山がくっきりと見える。上信越道に入り、横川S.Aで休憩(8:00/138Km)。峠の釜めしが全国的に有名な横川。持参のおにぎりをパクつきながら、鶏肉、椎茸..釜めしの具を思い浮かべる。う〜ん空しい。

  上毛三山残りの一つ、妙義山の脇を走る。山というより巨大な岩のような妙義山。途中一車線になって一般道と間違えそうになる上信越道を、のどかな長野の盆地風景を眺めながら安全運転で走り過ぎ、長野ICで下りる(9:10/222Km)。長野市内では方向感覚を失い道に迷う。詳しい地図も無くあせる。

 白馬方面に向かう406号線は道が狭く、暗く不気味なトンネルも多い山道だ。バイクで暗く寂しいトンネルを走るというのは、想像以上に怖いものがある。実際「トンネル内死亡事故現場」なんて書いてあって、トンネルの中に花束など供えてあったりして、す〜っと血の気が引けるような恐ろしさだった。(ひえ〜っ) 白馬(10:55/283Km)を右折。148号線を糸魚川方面へ。工事現場も多くダンプも多いけど、高速で飛ばせる直線の多い道だ。小雨が降ったり止んだりの中、姫川に沿って北上。

 糸魚川市(12:00/331Km)「SATY」で土産を買う。松島家長男、小2の悠人君には「UNOダイス」もうすぐ5歳のひかりちゃんには「キティーちゃんの組立ておもちゃ」。こんなもんでいいのかなあ?ここでちょっと休憩。

  親不知ピアパーク(13:10)数年前「し組」のみんなと一緒に来たところ。その時記念写真を撮った、親子亀のでっかい石像の前にバイクを止め、写真撮影。  8号線を西へ。午後2時過ぎ、黒部市に入る。柴田達との待ち合わせ時間まではまだ2時間近く余裕があるし、実は居眠り運転をしてしまいそうな程の睡魔に襲われていて、もう我慢できなくなっていたので、夜の酒のためにも昼寝をしておこうと思う。黒部川河口付近にちょうど良い防波堤を発見。何人かの釣り人達を眺めながら、防波堤の上で睡魔に完敗。夕べは東京最後の夜だった為か、あるいはツーリング前夜で気分が高ぶっていた為か、はたまた妻のいびきのためか、よく寝付かれず、今日は寝不足状態だったのだ。

  黒部駅(16:00/390Km)柴田&サエちゃんと合流。「やあやあ!!」

柴田達は、松本市から乗鞍を抜け富山の西側からぐるりと、一般道を走って来たという。「お疲れさん」。ところで、ちえみ夫人が遅いなあと思い電話してみると、家で待機していたようで、松島家の近くの「コメリ」で待ち合わせ。

  夫まっちゃんは塾の授業で、帰宅は夜11時頃になるという。もちろんそれまで酒を我慢出来る筈はなく、柴田と一緒に酒屋へ買い出しに出かける。富山といえば日本酒「銀盤」「立山」。松島家にもその「立山」があった。だからといって「銀盤」を買って帰ったのでは芸が無いと思い、大阪の酒を選ぶ(ちょっと失敗)それとワインにビール。新鮮な刺身を手巻き寿司しにしながらの夕食は、なかなか豪華なものだった。「あんまり食べないねえ、年取ったねえ」と、ちえみさん。「お互いさまです」。サエちゃんにべったりのひかりちゃんと、なんとかというガチャポンのおもちゃ(おやじだなあ)で興奮気味の悠人君がやっと寝て、仕事からお帰りのまっちゃんと、語りながら飲み続け、深夜2時頃布団に入る。

  6月22日(日)。ミニカーで遊んだり、庭で野球をしたり(いや〜しかし広〜いお宅で、1ヘクタールもの田んぼまであってホント驚きました)昼過ぎまで遊んだあと、みんなで百河豚(いっぷく)美術館という鯉がうようよいる池がある美術館に寄り、宇奈月麦酒館にも寄り(運転があるので地ビールは飲めなかったヨ)夕方、松島家に戻る。柴田達は高速道で、今晩のうちに東京へ戻るという。本音を言うと「俺も一緒に乗せていってくれ〜!」と叫びたいところだが、或いは「もう一晩泊めてっ!」と甘えたいところだが、実際「立ち止まれない!戻れない!」。ただひたすら前に進むしかない孤独なライダーは、柴田達と松島家の人々の暖かい見送りの中、夕暮れの富山を西へ走り去るしかなかったのだ。「これで本当に一人になっちまった」「長旅に出ちまった」まったなし..

  富山市に泊まろうか..何のあてもなく富山駅へ。午後7時、駅前の「CIC」というビル内にある観光案内所で今夜の宿探し。駅近くのビジネスホテル「オカムラ」へ。そして、予定では明日一日能登半島を走ったあと、夜新潟の直江津港から博多行きのフェリーに乗るつもりだったのだが、予定変更して、明日は神戸まで走りそのまま北九州行きのフェリーに乗ることにした。よく考えたら、その方がまる一日早く福岡入り出来るので、部屋探しという重大な任務を課せられている俺としては都合がいいのだ。7月3日の引越し、7月7日大阪本社のパーティー&7月10日入社と、既に決定しているにもかかわらず、住む家がまだ決まっていないのだ。そうだそうだ急ごう..晩飯食って、酒飲んで、さっさと寝よう!でも神戸までの道を確認しておかないと..よし、飲みながら考えよう!! ..というワケで、富山駅前の居酒屋「村さ来」。どこにでもある居酒屋。あんまり面白味はないけど、ぼられる心配は無いだろうし、一人で一杯ひっかけるだけだし..まずはビール!。カウンターの隅に座り、ツーリングマップを見ながら一人でグビグビ。つまみは「合掌集落の五箇山豆腐」に「北陸特品の白海老刺し」(はっかいろうってなんだんべえ?と一人悩んでいたいたのは俺です。店員に聞く前に分かって良かった..)五箇山豆腐はちょっと堅くていまいちだったけど、小さい白海老は、ねったりもちもちで甘くて旨かった。うん、熱燗一本!帰り際、山田たかお似の板さんと、一言二言会話を交わす。俺のこと旅人だって分かっていたみたいで「道中お気をつけてっ!!」だって。いいねえ!!..

  6月23日(月)。早朝6時15分発。8号線をただひたすら関西方面へ突っ走る。朝のちょっとした渋滞が始まった金沢で、ふと気が付くと左の方に「ルネス金沢」が見える。そうかそうか、ここだったか。柴田、清水と昔々泊まった所。福井市→鯖江市(9:15/157km)小雨が降り出す。コンビニでカレーパンを買ったものの、腹が痛くなり半分残す。→敦賀湾を右手に眺めながらのワインディングロード。→琵琶湖の西側161号線を南下。→志賀町、琵琶湖畔の公衆便所。遂に腹の痛みが我慢しきれず、ビジネスホテルから頂戴してきたトイレットペーパーが大活躍。スッキリ。→一部、湖西有料道路を使う。→名神高速、京都東IC→豊中IC→阪神高速→大都会、大阪は難波(13:30/358km)  何故、難波へ来たのかというと「サンタ.アンジェロ」というイタリア料理のレストランで、ランチでも食っていくかと思ったワケです。関家三女の日奈子ちゃんが、この店で働いているのだ。なんばシティー南館レストランアベニュー1F。大阪球場のすぐ隣。やっと見つけたその店はなかなか良い雰囲気で、和やかムードの食事風景が店の外からも見てとれる。が、しかし、なんと肝心の日奈子ちゃんが定休日!せっかくわざわざはるばるやって来たのに、お休み!ガクッ!確かめもしないで突然訪れた俺が悪いのは分かっているけど、残念。また出直すとするか。ランチもおあずけ。

  甲子園球場の脇を通り、まだまだ復興途中の、ダンプなどの大型車が砂埃をあげて行き交う43号線を、神戸方面へ走る。そして(15:30/392km)神戸六甲アイランド、阪九フェリー乗り場着。17:30発のフェリーに余裕で間に合う時間だ。乗船まで1時間半程あるので、動こうと思えば動けるのだが、朝早くからのライディングでもうクタクタだったので、待合い室の椅子に座り仮眠をとる。一般道で一日400km走るというのは相当疲れる。ぐったり..

  北九州、新門司港行き「せっつ号」は、定刻通りに出航。前回のように修学旅行生等の団体客とぶつかったらどうしようかと思ったけど、今回はセーフ。とりあえず二等ざこ寝部屋に自分の寝場所を確保し、缶ビール片手にデッキ上のチェアーへ。「ここでさよなら本州っていう事になるのか..」そんな事を思いながら、遠ざかる神戸方面の陸の景色をぼんやりと眺める。

  瀬戸内海を優雅に航行するフェリー。二度目になる明石大橋をくぐる時は、時間を見計らって風呂場へ。浴槽の中から真っ裸で明石大橋の腹を見上げる。風呂場には俺一人、明石大橋を独り占めしたようで、なんとなく優越感に浸る俺。夕食はちょっと奮発してレストランで。ホルモン鉄板焼き冷奴そしてビール、1690円ナリ。明日に備えて早めに寝ることにする。「グットナイト本州!」再言。

  6月24日(火)AM5:50新門司港着。新門司ICから九州自動車道を一気に福岡市を目指す。大型トラックがチラホラの、早朝交通量が少ない初めての九州道をガンガン飛ばす。150km/hの風圧を久しぶりに体感し、気分も引き締まる。気持ちの変化を渡辺美里の歌で例えるなら「一緒だね」から「MY REVOLUTION」へ。「忘れかけてたマイレボリューション..」だ。  結局福岡ICで高速を下りるまで、一台も抜かれなかった。7:20頃、那珂川町の関宅着。さてさて、とうとうはるばる来てしまったワケだ。やれやれ..



 「さあゲームの始まりです」と言っても殺人ではない。人生ゲームである。

 1997年7月1日AM0:00。「香港返還」。歴史的瞬間を見てやるかと思い、テレビをつける。「あれっ?何?時差が1時間?」くっそ〜!まだあと1時間あるじゃないか〜!どうしようかと思ったけど、結局寝てしまった。まぬけ。だけど、そんなものど〜だっていいや!と開き直る。何たって香港返還なんかよりもっともっと重大なニュースがあるのだ。それは同じく7月1日、今日。美弥子夫人が東京から福岡へ向かうのである。そう「美弥子返還の日!」なのである。関家から見れば「美弥子回帰の日!」なのである。そして夫である俺は、大きな「中国関軍」に呑み込まれる、小さな小さな「香港塩兵」なのだ。香港同様、今後どうなるのかなんて全く分からない情勢だ。だけど考えてみると別に俺が福岡から美弥子さんを奪ったワケじゃないのに「何でこの俺が美弥子さんを返還し、そして何で俺まで福岡にくっついて来なければならんのだ???」今年度、否、今世紀最大の「謎」である。そして更に同じく7月1日。天気が崩れるというのに、何でわざわざ長崎までバイクツーリングに出かけなければいかんのだ???どうも良く分からんな〜!う〜む...

 分からんついでに、この日帰りバイクツーリングの事も簡単に書いておこう。
朝7:35那珂川町発→南畑ダム→乗用車2台がすれ違うのがやっとくらいの狭く急な下り坂。小雨が降り出し、引き返そうかと迷う→34号→佐賀駅(8:45/44km)いくら隣りの県だからといっても、山を越えたらもう佐賀県だとは思わなかった→207号→諫早湾。

泥色の海とどんよりとした曇り空とが融合し、向こう側にうっすらと島原半島の雲仙普賢岳が桜島のような形に見える(見た事ないけど)諫早湾といえば今全国的に反対運動が有名になっている干拓事業。農道を走り近づく。そこで見たものは「ギョエッ!」見事に干からびた、乾いた干潟。まるで老人の肌を顕微鏡で見たような感じだ。死んだ海。人間に殺された海。これではムツゴロウも生きてはいけないだろう。干潟の上を歩いてみたが、そこは限りなく陸に近いように思われた。遥か彼方にニュースでよく見た堤防が見える。「干潟に水を!」小便をかけてやった..

(10:45/120km)→
34号→長崎(11:45/154km)
「長崎は今日は雨では無かった」初めて訪れた感想は、長崎は完全に異国文化が溶け込んでいるなあと、中国、香港や台湾と(行った事ないけど)少し似ているところがあるのではないかと、そして思っていた以上に坂の多い街だった。坂のず〜っと上までびっしりと家が建っている。赤、白、ピンク、オレンジと、原色を基調にした路面電車が市内を走り、その送電線が広い道路の上に垂れ下がる。長崎駅前は片側3車線、市電も2線。ソウルの道路じゃないけど、戦争になったら飛行機が離着陸できるようにだろうか。そんなワケないか。送電線あるしな。さてさて、この街を訪れた最大の目的というのは..長崎といえばほれ!「長崎ちゃんぽん!」。しかも元祖長崎ちゃんぽんを食うのだ!。その店は「四海楼」明治時代にこの店で生まれたという。太めの麺は特徴があっておいしかったけど、スープはそれなり。カキが入っているくらいではごまかされないのだ。俺の舌がおかしいのかもしれないけど、九州の「リンガーハット」の方が旨いかもしれない。(東京のリンガーハットとは味が違う)後日、長崎出身者に聞いたら「四海楼」は観光客目当ての店で、もっと旨い店はいくらでもあるという。納得。でもホテルのロビーのようなエントランスと、長崎湾を見下ろす4Fレストランからの眺めは、なかなか長崎っぽかった。オランダ坂、ミニ中華街を通り、長崎の街を後にする。めがね橋や平和公園は、忘れていたワケじゃないけどまた今度。→206号→202号。

大村湾の西側を北上。途中オランダ村を通り、眺めも良く綺麗な西海橋を通り、ハウステンボス「町」(14:30/226km)長崎県といっても実は佐世保にあるのだ。東京ディズニーランドの周りのような広い道。中は見えなかった。まあ、いつかまた来よう。→35号、34号→有田焼きの有田町→263号→雨が降り出し合羽を着て山道を走る。
三瀬トンネルの通行料150円を払う時「すみません!細かいのが無くて..」「10万円札やなかろうね〜」「いやいや..」こういう時、博多弁でつっこめないのが寂しい。→那珂川町、関宅着。(3??km)

「はかたより.準備編」最後のバイクツーリングもこれにて終了。

 いよいよ「はかたより.本編」へ..乞うご期待..

                                           「し組」福岡通信