本名=矢島喜八郎(やじま・きはちろう)
昭和5年9月6日—令和4年3月3日
享年91歳(文晃院喜山京成居士)
静岡県熱海市泉136 保善院(曹洞宗)
小説家。東京府生。東京都立電気工業高校卒。国家公務員(人事院)として勤務した後、トラック運転手、私立探偵など職を転々としながら推理小説を書く。昭和38年『歪んだ朝』でオール讀物推理小説新人賞、40年『天使の傷跡』で江戸川乱歩賞受賞。また〈トラベル・ミステリー〉ものに新境地を開いた。はかに『夜間飛行殺人事件』『終着駅殺人事件』などがある。

返事はない。
田島は待った。 だが、沈黙は、重くなるばかりだった。
田島は、その沈黙が前にぶつかった壁に似ていることに、気付いた。
ここでも、結局、同じことではないのか。沼沢は、「この村で生きていくには ——」と云った。だが、彼は、但し書きをつける必要はなかったのだ。 東京でも同じことではないか。社会的な問題が、どうしても社会全体の責任にまで発展していかない厚い壁が、ここにもある。
上に立つ者は、隔離し、かくすことが、解決だと錯覚している。眼をそむけることが、心の優しさたと錯覚している。そして、当事者の方 でも、悲しみや怒りや不合理を、つつま し く 自 分だけのものとして受け止めてしまい、またそれが、美徳だと錯覚している。
ここに、何の解決があるだろう?
田島は、暗い眼で、署名簿を見た。署名するということは、その問題を、自分の問題として受 け止めたことの、誓いである筈だ。名をつらねている署名者に、それが判っているだろうか。 むしろ、署名することが、その問題から解放される免罪符だと、錯覚しているのではあるまいか。
そして、こうした錯覚の積み重ねが、 今度の事件を生んだのだ。
田島は、廊下に出た。
特売場の喧騒が聞こえてくる。第二のアルドリン事件が起きない という保証は、何処にもない。 いや、必ず起きるだろう。その時には、また同じ錯覚が、繰り返され、昌子のような娘が出てくるだろう。
田島が疲れた足を引きずるようにして、階段をおりかけた時、彼を呼び止める声がした。
田島は、立ち止って、振り向いた。母親の一人が、蒼ざめた顔で、そこに立っていた。
「あの子の写真を撮って下さい」
と、母親は云った。
「あの子のために——」
(天使の傷跡)
〇・七ミリのサインペンを駆使して、全ての作品を書いた西村京太郎。初期には社会派小説なども書いたが、旅行ブームの時代を背景にして「十津川警部シリーズ」を書き始め「トラベルミステリーの旗手」とまで言われるようになったが、平成8年1月に脳血栓のため自宅で倒れた。幸い回復は早く、数ヶ月の治療で創作活動は再開、その後、リハビリのため、神奈川県湯河原に転居、70歳で秘書の女性と結婚もした。90歳を超えてもなお旺盛な執筆活動を続けていたが、令和4年3月3日、午後5時5分、肝臓がんのため神奈川県湯河原町の病院で91歳の生涯を閉じた。前年12月から入院していた病室でも執筆を続けていた『SL「やまぐち号」殺人事件』の最終原稿は3月6日、通夜の日に編集者に渡された。
湯河原は坂道の多い街である。千歳川の畔にある西村京太郎記念館やご自宅の前を川沿いに辿って、目指す菩提寺の保善院も例に漏れず、こんな坂をと思うほどの急坂を喘ぎ喘ぎ上った先にあった。本堂左の墓地はそれほど広くなく、墓はすぐに見つかった。本を開いた形の墓碑面に「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている 西村京太郎」と刻まれている。ミステリー作家らしい言葉だ。平成22年6月に建てられた墓前からは遠く湯河原の町や海が眺められる。そんな景色を眺めながら、西村が江戸川乱歩賞の懸賞金五百万円で、ずっと住んでいた仙川の借家を買取って母にあげ、その後に転居した渋谷区本町のマンションの近くに、当時、私も住んで新婚生活を送っていたことをふと思い出していた。半世紀近くも前のことだった。
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