我が氏神様根津権現の秋祭りが終わるころになってようやく夏の気配が静まってきたように感じられます。それでも日中には汗ばむことも多いのですが、朝晩には爽やかな風が吹き抜けていきます。時には肌寒いほどの夜気にさらされる日も多くなりました。夏の疲れが残っているのか東京国立博物館や東京芸術大学の校舎が立つ上野の丘を東に見る窓辺にも、のどかな午後の時が流れてくるとついうとうととしてしまうのです。
夢を見ながら夢の中でずっと思っていることがあります。
年老いていても見る夢の中で現れてくるのは、十代、二十代に出会った近しい人ばかりで私の意識はその時のまま、年月を忘れてしまったような状態でいるのはどういうことでしょう。
若いままの両親や兄妹、幼少期、青年期の友人、知人たち。
私の若い意識はただ、それらの人々によって遠い昔から呼び戻された意識なのでしょうか。
それにしても妻だけは年相応に老いているのだけはどうしても納得のいかない不思議なことです。
後年に経験した情景さえも眺め思考しているのは少年の私なのです。
長い年月に洗い流されてしまったはずの青少年期のかけがえのない歓びや悲しみも湧水のように湧き出てくるのも不思議です。
夢の中と空想の世界、私はいつも少年のままでいたいのか、曖昧な境界線を飛び越しては戻ってくることを繰り返しているのです。
同じ場所、同じ状況の場面に何回も出くわすという意識も奇妙なことです。
あまりにも度重なるので、今では夢の途中で、きっと次はあの場面になってくるのだろうと予測することまでできるようになりました。
あるいは目覚めぬまま、数十年の間の夢から夢へ、年老いた私から少年の私へ、少年の私から年老いた私へと融通無碍の世界に落ち込んでしまったかのように思うこともあるのです。
私の胸の中で
夢の中で
私の世界の中で
いつまでも少年は生き続けていく
意のままに吹く風のように
新しいときへと踏み出すかのように
野面の彼方に
北の空の果てに
あまりに美しい今日のこの日のこの時も
竹林も
山里も
谷川も
夢の中にある
ただ風景として
都会に出てきた
古里の少年は
いつの時も少年のままだった
かすかな余韻を孕んで
風が吹きすぎた
雷が鳴り
大粒の雨が降ってきた
翌朝の目覚め時
朝霧が草木を湿らせ
柔らかく山里を包んでゆく
夏はすぎ
いつの間にか静かになった
微弱な人の気配と
運命がこすれあい
秋はどこからかやってきて
私の夢をどこかへ運んでいこうとする
今日の日も
明日の日も
人の世はうたかたのごとく
折々につながる
遠い時間も
振り返ってみれば
すべては刹那のこと
以前にも書いたように、思い起こせば私の青春は蹉跌の連続であったようです。
全てが意思とは反対の方向に進んでいったのです。美術大学受験の失敗、京都での夢を諦め、上京して暮らした東京での生活も、灰色の青春と言ってもよかったでしょう。辛かった苦労もいつかきっと人生の糧になると言った古人の言葉はその通りだとは決して思わなかったのですが、ただ唯一の光明は上京して間もなくの時期に生涯の師と呼べる人と出会ったことでした。彼の人によって私は救われ、私の人生がしかと定められ、おおいに彩られてもきたのでした。三十数年前にその人の訃報を老神温泉で聞いてからの私はある意味抜け殻だったのかもしれません。「文学者掃苔録」を始めたのもその状態から抜け出したいがためだったのでしょう。だがしかし、それもこれも儚い幻のこと、夢の中のこと。
生きてきた七十八年の歳月は長いのか短いのか、その間に私は何に悩んで、何を望んで、何から逃れてきたのだろうか、あるいは過ちは、失態や悔いはなかったのかと自らに問いながら、これから先の残された歳月の中で、今までの積み重ねてきた始末をどうつけようかと思うのです。
ようやくのこと静寂をたのしむ頃になって、それでもまだ思い出したように夏の名残がまとわりつく日があるようです。
なんとなく気が晴れない昼下がりのひととき、メダカ飼育のために買った口径四十センチほどの大鉢に寄せ植えした名前も知らない様々な草花が緑の枝葉を広げ、淡くやわらかな陽光をうけています。控えめでいながら確固として、ちっぽけでも際限なく、汚れていながらも爽快で透明な落ち着きを、午後の眩い時と戯れるように艶やかな青みがかった灰色の輝きを放っているのは少年の夢の続きであったならばこれ以上の喜びはないのです。
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