間部詮勝寓居之跡

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間部詮勝
この駐車場には、昭和42年まで顕本法華宗の本山妙満寺があった。(現在は、岩倉幡枝に移転)この寺に、安政五年(1858)幕府の老中、越前鯖江藩主間部詮勝が滞在し、安政の大獄と呼ばれる志士の弾圧を指揮した。
井伊直弼が大老となり、勅許を受けずに日米修好通商条約に調印したので、尊王攘夷派などの反対が高まった。そこで井伊大老は詮勝を京都に送り、朝廷との交渉に当たらせると共に、志士の弾圧に乗り出したのである。詮勝は、安政五年九月京都に入り、翌年三月まで滞在、朝廷、公家都交渉する一方、町奉行所を指揮して、梅田雲浜ら志士をつぎつぎ逮捕した。しかし、詮勝はのち井伊大老と意見が合わず、老中を罷免された上、処罰を受けた。




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