中岡慎太郎寓居之地

(下京区河原町通り四条上る東側 「あぶらとりがみ専門店 象zou」前)地図へ


天保9年(1838)土佐藩大庄屋の家に生まれる。武市瑞山の指導する勤王党に加盟、尊攘運動に活躍し土佐藩士となるが、文久3年(1863)8月18日の政変で脱藩後、三条実美らと長州に入り、後、坂本龍馬に薩長同盟を提案し、反目し合う両藩の和解に奔走して達成させた。
その後、海援隊の龍馬とともに、陸援隊の隊長として土佐藩の遊軍を率い、板垣退助を西郷隆盛に引き合わせるなど討幕の策を進めた。また岩倉具視ら公家方の信頼を受け、その折衝にも当っていたが1867年、大政奉還の翌月、京都近江屋で龍馬と会談中を刺客に襲われ、3日後に30才で絶命した。
もしも、慎太郎が薩長の同盟という構想を得ず、龍馬に提案していなかったら、今日の日本はまた違う姿になっていたかも知れない。




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