武市瑞山先生寓居之址
(中京区木屋町通り三条上がる)
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武市半平太(瑞山)は土佐の生まれで、詩歌をよくし、画も又巧みであった。
その一方、攘夷討幕に走り、土佐勤王党を組織し親幕派の家老吉田東洋を斬り、同藩の方針を転向せした。
そして、諸国の同士と連係し、尊攘派公卿と朝廷工作に奔走した。
しかし、藩情が急変し投獄された後、慶応元年(1865)5月11日、切腹を申し渡された。 因に、映画、芝居の「月形半平太」は彼をモデルにしたものと云われる。
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