従是東北足利将軍室町第址

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足利将軍室町第
 上立売、今出川、烏丸、室町に囲まれた地域で、足利義満が光明院の御所を請けさらに隣接した菊亭公直の邸宅を併せ、永和4年(1378)3月に建てられた。
 義満は栄華に任せ、豪奢を極め、庭園には多くの花の木を植えたため、別名「花の御所」と呼ばれ此れより後、足利将軍の幕府となった。
 この後、応仁の乱が始まった折には、後土御門天皇、後花園上皇はここに避難されたが、この邸を中心に、東西両軍が、相対し戦い間もなく兵火にかかり焼失した。
 現在では、総門町、築山町、裏築地町、などの町名にのみ往時のをしのぶにすぎない。
また、このあたりには、当時、大名の屋敷も多く、管領畠山邸趾の畠山町や山名宗全邸趾の山名町などの名前も残っている。  




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