THe Music of the Romantics and impressionists 投稿者:CGS 投稿日:2003/11/09(Sun) 11:38No.795

リンク、どうぞどうぞ。

the music of the romantics and impressionists

です。いいかげんです。これは、完全におしゃべりサイトです。MSNの規制が多くて、出来る事少ないです。

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ふゆひこ > ちょうどネットにつないだままでした。おはようございます。さっそくのリンクの許可、ありがとうございます。それではこれから書き加えて、アップしたいと思います。 (11/9-11:45)No.796


リスト?投稿者:ふゆひこ 投稿日:2003/10/31(Fri) 02:52No.700

僕はリストが一時期“もみあげ”を伸ばしていた、と思っていました。グラモフォンから出ているディヒターの“ハンガリー狂詩曲集”のライナーで使われている肖像画からです。ところが今回GSさんが教えてくれたサイトで同じ肖像画を見つけたんですよ。なんとこの肖像画“LISZT ?”となっており、最後にクエスチョン・マークがついている。文字化けじゃないですよね。この肖像画は“リストかどうか怪しい”ということなんでしょう。

http://photosrmn.fth.net/fr/bi/search.vep?aur_offset_rec=12&titre=Liszt&rpp=9

普通に考えれば、もみあげは伸びてるわ、なんだかもっさりとした感じだし、リストっぽくないですね。なんでグラモフォンはこんな絵をライナーに使ったんでしょうか?グラモフォンの方では、特になんのデータも得られませんでした。

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CGS > うーん、リストではないですね。絵を描く人なら判ると思うのですが、あご、眉毛、唇の形全然違いますよ。リストは50過ぎた頃、急に白髪全体になるんですよ。この写真の人、(ワグナーに似ていますが、)眉骨の傾き方がちがうし、あごの骨もまっすぐですよ。リストは晩年になって、少し体重が増えても、あごの形がぼける事は無かったですから、違う人ですよ。
もみ上げを伸ばしていなかったというのも違うし、40代の男性と思われるこの人40代のリストの髪型とも違いますよ。(リストは、髪を分け目つけてスタイルしたこと無いですよ。 (10/31-04:41) No.701
ふゆひこ > ほんと似てないですよね(笑)。しかもこれ絵画ではなくタゲレオタイプのようです。ますます怪しい(笑)。おっしゃられるとおり、特に眼窩のあたりがまったく似てないです。うーん。この人いったい誰なんでしょう?リストの肖像写真として、売買されたりしてたんでしょうね。 (11/1-02:38) No.707
CGS > 「売買」に関して面白いことを学びました。
なんと1880年代ごろには、有名人の署名が入ったものが堂々と売買されており、リストがカロリーヌに「何人かノ女性に返事を書かなくてはならないのだが、最近私の手紙も売買されるようになって来たらしくどうしたものかと思っている。」
と書き送っています。
この手紙の直前にもサンドも息子宛に「君の母上から頂いた手紙を本当なら送り返して差し上げたいのだが、なんとも、私も署名泥棒の盗難にあっており母上の書かれた物は私の手元には無いのです。」と返信しております。モウリース・サンドが母親の死後数年たって、リストに尋ねたものと思われます。(手紙は、著者が亡くなると受取人は‐もちろん差し支えない限りでしょうが‐家族に送り返すしきたりです。) 
(11/2-04:00) No.715
CGS > サンド『の』息子宛ですね。 (11/2-04:01) No.716
ふゆひこ > これも面白いエピソードですね!リストやサンドの書簡なんて高値で売買されたんでしょうね。著名人ゆかりのものの売買は、現代では当たり前ですが、この頃から始まったんでしょうか。それを悩んでいるリストがまた面白い(笑)。僕はいま、肖像画のサイトとかで、リスト?の肖像画の人物が誰なのかを、なんとなく調べてます。答え出そうもないですが…。 (11/2-23:51) No.724
CGS > この、なぞの肖像画ですが、やはり、かのヴァグナーに似ていると思いませんか。私は、特に彼の写真をじっくりと見つめたりはしないので、良くわかりませんが。 (11/5-14:30) No.777
ふゆひこ > うーん。僕はワーグナーっぽくないと思います。頬髯(もみあげ?)が似ているけど。もうちょっとワーグナーってあごがしゃくれていて、意地悪な魔女みたいな顔のように思います(笑)。若い頃のワーグナーの肖像画はもっと目がぐりぐりしていたように思う。この謎の肖像画の人物って、正直あんまり才気が感じられないんですよね(笑)。どっかの貴族か、ダンディの一人のような気がするんですよね。 (11/8-14:42) No.782
CGS > そうですね。(笑)いったい誰でしょうね?そもそも、なぜリストだと思ったのでしょうか? (11/8-15:02) No.784
ふゆひこ > この写真の人も、別にリストになりきって撮ったわけじゃないと思うんですよね。リストに似せようとしたら髪型とか、特に頬髯(笑)が違いすぎるんで、たぶん本人の知らないところで誰かが“リストの写真だ”っていうことになって売買されたりして伝わってきたんじゃないでしょうか?(僕が一番、謎なのは、こんな写真をグラモフォンがライナーで使ったということなんですけど(笑))。GSさんも持っている“リストの写真集”は、おそらくリストの写真をほとんどすべて網羅したものだと思うのですが、そこでは取り上げられていないですね。やっぱり怪しい(笑)。 (11/8-19:26) No.785



Scherzo 投稿者:Curious George Sand 投稿日:2003/11/04(Tue) 02:21 No.763

Jo reggelt! (やっとマジャール語です-おはよう)

爆笑しました。

それで、スケルツォには、ジョーク、戯けという意味があるの知ってました?

(冬彦さんのお母様の心理なんとなくわかります。
私の妹が息子たちの誕生日にうさちゃんのぬいぐるみと、うさちゃんと彼らの名前入りのタオルを送ってきたのです。下の子は、もちろん喜んでいますが、ほとんど若者に近い上の子は、「うーん。大事にしまっておこう。」と一言、絶句状態。

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ふゆひこ > おお!マジャール語。昔、ここの掲示板で、ヨー・エシュテート・リシュト!という言葉を紹介したことがあります。ヨー・エシュテートは“こんにちは”になるのかな。“スケルツォ”そこまで考えませんでした(笑)。まだ食べる勇気がないんです。僕の母親はですね、プレゼントの選択基準が“自分が一番気に入ったもの”なんですよ。これは“自分が気に入ったのだから、相手も気に入るはず”という理由と、“自分が一番気に入ったものをプレゼントとしてあげるんですよ”という理由があります。で、もうひとつ狙いがあって“相手がいらないって言ったら、自分がもらおう”っていうのもあります(笑)。今回、あの鹿?のぬいぐるみ、僕が“2つとももらうよ”って言ったとき、母親の目に残念そうな色が浮かんだのを僕は見逃しませんでした(笑)。ちなみにこのあたりの母親の性格を、僕はそっくりそのまま遺伝として引き継いでます(笑)。 (11/5-01:43) No.771
CGS > うちの妹もそうです。「自分の好きなものを買っている。」父がそう言ってました。(笑)
関係ないついでに、ポーランドで作られたショパンの映画。すごいメロドラマ。英語版も配給されているらしいが、アメリカでは、外国映画なんて、見せてくれるとこありません。トレイラーというのが予告編ですが見てください。すごいです。ちょっと笑ってしまいました。半分事実なんだけど、ちょっと、大げさだなって感じです。でもポーランドでは、ショパンは、このように理解されているとすれば私には、文句の付け様がありません。美青年ショパンが出来すぎ。でもコスチュームとか絵や資料に忠実です。
英語の題名"Chopin- Desire for Love"からして凄すぎる。 Lisztと勘違いしているのかと思いました。(笑)

http://www.chopindesireforlove.com/MainFrames.htm (11/5-04:05) No.776
ふゆひこ > トレイラー見ました。なんかショパンに対する一般的イメージの“繊細”というのからだいぶ外れてそうな逞しいショパン像ですね。確かにリストっぽいですね(笑)。 (11/8-14:38) No.781






リストのソナタ 投稿者:さりな 投稿日:2003/11/03(Mon) 01:45 No.730

以前から思っていたことなのですが、リストのソナタはあるものの誕生から死を思わせます。静寂の中から突如偶然のように生まれたG音から波瀾万丈なまでに悲劇と喜劇、苦しみと喜びなどの変化を繰り返しまた静かに消えて行く・・・。それは愛する人の死や失恋に苦悩する人の一生かもしれないし、戦争と平和を繰り返して滅亡していったある国の歴史かもしれないし、新たな生命の誕生と絶滅を今なお進行しつつある地球の行く末かもしれませんが、とのかく私には生と死を描いた壮大な物語のように感じられるのです。この考えについて皆さんはどう思われますか?感想をお聞かせ下さい。

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ふゆひこ > おはようございます。おおっ!僕も同じ感想なんです。ソナタは最重要な作品であるため、僕もなかなか感想が書けずに自分のサイトにのっけてないんですけど、途中まで書きかけのものはこんな感じです→。まず、あれだけ自作の編曲をしたリストに“ソナタの他楽器への編曲がない”という事実に注目して、「おそらくリストにとって“ピアノソナタロ短調”は自分自身であり、自分の音楽のすべてをつぎ込んだ作品だったのではないでしょうか、だからリストは“ピアノソナタロ短調”を、他の楽器に移し変えたり、その主題を使って、何か別の作品を作ることを避けたのではないでしょうか?」というなんだかありきたりな結論を出し(笑)、その後、ソナタの冒頭を“鼓動”と呼びました。つまり“鼓動”で始まって“鼓動”で終わる。“生と死”ですよね。それでその後、シューマンの言葉を紹介して「この表現は、まさに“ソナタロ短調”の冒頭にふさわしいと思います。僕には“歩調”というよりも心臓の“鼓動”のように思えます。この冒頭の音は、聴く者の息をひそめさせ、演奏家と聴衆の呼吸のリズムを同一にしてしまいます。そして聴く者はフランツ・リストという人物の体内に入っていくことになるのです。」と書いて、ここで中断してます(笑)。“リスト自身の体内”“人の一生”“生命の誕生と絶滅”“国の歴史”というのは、“あるものの誕生から死”というものをミクロで見るか、マクロで見るかという違いだけで、それを可能にするソナタが持つエネルギーの強さ、完璧さというのに、いつも圧倒されます。 (11/3-11:43) No.742
ふゆひこ > ソナタロ短調って“ファウスト”のキャラクターで主題をそれぞれ分析することに留まっている解釈が多いんですけど、それぞれのキャラクターはリストの中にいる要素とみるべき、というのが僕の感想です。つまりそれぞれのキャラクターは、“国の歴史”“生命の誕生と絶滅”というものの中にも存在するキャラクターだと考えられます。ゲーテもリストもそれだけの作品をめざし、そして成功したはずです。アファナシエフが実は、次のような文章を書いていて、僕は“おおっ!”と思ったんです。“ソナタ”のライナーから抜粋しちゃいます。“ロ短調ソナタは、あまりにも多くの文学的解釈を喚起してきたので、私としては、それを純粋な音楽作品として考えたくなるほどである。あるいはひょっとして、リストは、ロ短調ソナタを書いているとき、ゲーテの「ファウスト」や、聖書や、ミルトンの「失楽園」などよりも、自分の私的経験に依拠していたのかもしれない。または、ただ一編の音楽作品を作ったということに過ぎなくて。・・・”僕ばかり書いてすいません。ぜひ皆さんの感想も教えてください。 (11/3-11:56) No.743
ミチ > 私は日本語の表現力に自信が無いので、なんて言ったらいいかわからないんですけど、リストのソナタから受ける印象を一言で言えば「ミクロ・コスモス(小宇宙)」です。この広い宇宙をリストが両手を使って手に収まるくらいの大きさにぎゅっと凝縮したようなイメージを持っていました。その凝縮された空間に爆発的で超常的な(音の)エネルギーが内在していて、今にもはじけそうな感じです。なにかがひしめきあっているという点で、ハンスリックの「残忍な闘争」って言う表現は(残忍ではありませんが)わかるような気がします。
仮にこの曲が「ミクロ・コスモス」と言うタイトルなら、後のバルトークは例の練習曲にそのタイトルを付けづらかったでしょうね。勝手な推測ですが、、、 (11/3-22:21) No.758
ふゆひこ > 僕はこの“ソナタ”のスレッドがなくなってしまうのが悲しい…(笑)。ミチさんの“ミクロコスモス”っていう表現。まさにそのとおりですよね。皆さん表現は違っても感じ方は似ているな、と思いました。ハンスリックは、“グラナー・ミサ”の批判で、“卑俗さと宗教心が覇権を争う”とかいう表現を使っていました。この時代(1850年代)のリストの音楽には常にそうした相反するものの闘争、格闘があるのかもしれませんね。 (11/16-21:36) No.832
ふゆひこ > ついでにちらちら本読んでたら興味深いブレンデルの文章を紹介します。“このソナタに宗教的な解釈を与える最近の説に私は賛同しかねる。(略)これらの主題を宗教的とするなら、どんな音楽も宗教的になってしまうだろう。(略)私にはファウスト、メフィスト、グレートヒェンという人物像のほうが、私が理解するこのソナタにはふさわしいように思われる。しかしこの比喩は演奏上の仮説であり、私の私的な贅沢である。ロ短調ソナタは、標題を必要としていない。”(音楽のなかの言葉 音楽の友社 木村博江訳 P235)ファウストの解釈に落ち着くところが好きではないのですが、宗教性を見出すという説は、僕もブレンデルに賛成でぴんときません(たぶんクロス・モティーフの説だと思うんですが)。 (11/16-21:49) No.833
Curious GeorgeSand > Canbridge Univ, Pressから、ソナタの解説本出てます。"Liszt Sonata in B minor" kenneth Mamilton ISBN 0-521-46963-5
ただしどちらかというと演奏するための資料という感じで、ちょっとここで、ふゆひこさんが述べている精神的背景を探るには浅いかもしれませんが。 ソナタに関してはあまり語れません。 私とリスト、二人の間にとどめておきたいものの一つなのです。(笑)  (11/18-03:16) No.846
ふゆひこ > おおっその本、持ってるんですけど、ちゃんと読んでないんです(笑)。ソナタの感想をまとめる前に読もうと思ってるんですよね。ちなみにパラパラ読んでたらけっこう面白そうなことが書いてありそうです。738小節と740小節のD♯の音をDに変更するかしないか、みたいな…。こんどがんばって読んでみます。 (11/19-00:30) No.849
ふゆひこ > またソナタの話を引っ張ってすいません。WYのP150にウォーカーがさまざまな説を整理しています。

1:バートランド説。ソナタはファウスト伝説“ファウスト”“グレートヒェン”“メフィストーフェレス”を含む。
2:ラーベ説。ソナタはリストの自叙伝的なもの。リストの人格、格闘。
3:ザーツ説。ソナタは神聖な、また悪魔的なもの。聖書とミルトンの“失楽園”がベース。
4:メリック説。ソナタはエデンの園の寓話。人間の堕落。神、ルシファー、ヘビ、アダムとイブのテーマ。
5:ウィンクルホーファー説。ソナタにはなんの比喩もプログラムもない。意味のありそうなその形式以上の意味はない。

僕はアファナシエフの捉え方は新しいものと思っていたのですが、ラーベ説に近いです。ウォーカーはどの説に賛成、反対する、というのではなく、リスト自身がどの説にも賛成していないこと、リストがソナタの“意味、プログラム”について沈黙を保ったこと、ただ一般的な“ソナタ”という呼称を与えた、ということを指摘しています。 (12/7-21:13) No.1001
ふゆひこ > リストのソナタの解釈は、各個人で異なりますが、それはリストのソナタが持つ強大なエネルギーによって引き起こされるイマジネーションなんでしょうね。ただそれらはすべて、何か巨大な、あるいは微細な世界の“矛盾したもの”“相反するもの”“敵対するもの”のドラマという点で共通しているように思います。 (12/7-21:20) No.1002
さりな > またソナタの話が出て来て嬉しいです。
色々な説があって面白いですね。私は3に近いかもしれないです。 (12/7-22:19) No.1003
ふゆひこ > 3、4の説が、さりなさんに近い、世界生成とかもっともスケールの大きな捉え方ですよね。アファナシエフとブレンデルはそれぞれ、1,2をイメージしながら5に帰結しています。僕は2の説をとることで、まるでソナタを分かったかのような気になっていたのですが、また後戻りしてしまいました(笑)。ソナタはほんとにリストからの謎の提示のような気がします。たしかハンスリックはソナタを“支離滅裂”と評したそうですが、現代人にとってリストのソナタが謎なのは、あまりにも整合されすぎているところ、だと思います。 (12/9-00:20) No.1007
さりな > 昨日はもっと書き込みたかったのに突然パソコンがカナ入力になってしまい直し方がが分からず、上の三文だけで書き込みを断念しました(笑)。
3に近いとか言いながら私は失楽園を読んだことはないので明日(今日)にでも図書館で探して読んでみようと思います。しかし「神聖」「悪魔的」というイメージは持っているので近いかなあと思ったのです。
でも他の説も納得出来ますよね。あれだけ長い曲だし表現の可能性は無限、個々のピアニストが様々な演奏を聞かせてくれると思います。 (12/9-01:10) No.1012
ふゆひこ > 僕も『失楽園』読んだことないです。アダムとイブの話だったかと(←浅い捉え方ですが(笑))。なので3、4のイメージは似ているのかな、と思いました。“表現の可能性は無限、個々の〜”というのは、そのとおりですね。僕もひとつのイメージにとらわれずに柔軟に聴きたいと思います。 (12/11-00:21) No.1019
さりな > リストはファウスト、聖書、失楽園、ともにやはりドイツ語で読んだのでしょうか?ついでにダンテの神曲なども…。 (12/13-13:38) No.1039
CGS > 聖書は、ずっと少年時代に入手した仏語版を持っていたようです。(勿論、ローマで特にラテン語の勉強は詰め込みしているようですが)ダンテも仏語訳だと思います。
最初は私も疑いなく独語ゲーテだと思っていたのですが、20代前半にシューベルトの編曲をする際に、マリーが、ゲーテをリストのためになんと仏訳しているという記録がありまして、実際に独語で読んだという直接の記録を見るまでは私は仏語版と理解しております。 (12/13-14:07) No.1040
さりな > そうなんですか!教えて下さってありがとうございます。早速フランス語を勉強することにします(笑)。 (12/13-16:37) No.1041
ふゆひこ > リストの言語については、以前、NMさんのサイト“Page de Ferenc Liszt”の掲示板で、NMさんとGSさんが興味深い話をされているので、ぜひ参照してみてください。“ファウスト”については、ベルリオーズ(←フランス)から“これおもしろいよ”と薦められて、読んでいるのでフランス語で間違いないと思いますよ。基本はフランス語だったんでしょうね。 (12/13-21:30) No.1043
CGS > 「マリーがシューベルトの歌曲をより深く理解させるためにゲーテを仏訳した」のくだりは読んでいて、最初、間違いかと思いました。なんとフランツは独語での基本教育をほとんどうけていなかったのでは(というより、基本的な教育全般)と認識させられます。
経験からいって、私も口語英語は1年弱でネイティブなみですが、書く方となると??です。で、恐ろしい事に10年以下で日本語口語もとんでもなくおぼつかなくなってくるものです。(読むほうは、英語、日本語ともにハイレベル保っていますが。)
ハンガリーポーランドでは、独語も通じるので、やはり、仏語独語両方とも避けては通れないかなと。(日本では何で、英語ばっかり教えるんでしょうか?) (12/14-07:31) No.1049
ふゆひこ > 言葉って難しいですね。僕は日本語しか使えないので、分からないのですが、普段会話で“音”として使用していない言語を話すことがおぼつかなくなってくるというのは面白いですね。(1)話す(文法と音)→(2)読む(1+文字、文字から音の想起)→(3)書く(2+文章力、音から文字の想起)、という順で難しくなるのかな。“読み書きはできないけど話せるよ”、という人が世界では一番多いですし。しかしそれなのになぜ日本人は英語が全く話せずに、ある程度読めるようになるのか(笑)。日本では、学ぼうと思えば、どんな言語も学べると思うんですが、だいたいみんな僕みたいに英語で挫折します(笑)。NMさんも書かれていたけど、ある程度の会話、読み書きを数ヶ国語維持したリストの努力というのはすごいんでしょうね。 (12/14-12:19) No.1051
ふゆひこ > 言語の話になったので、ちょっと書いちゃうと、僕は自分の書きかけの“ソナタロ短調”の感想で、こういうかっこつけた呼称(笑)を使いました。“音による建造物、音楽によるバベルの塔”。ソナタの完全な論理性を“建造物”と呼び、人間が挑んだ最も巨大な建造物である“バベルの塔”を賛辞として使いました。意味合いとしてはさらに、バベルの塔の終焉によって、さまざまな“言語”がうまれたのと同じように、“ソナタロ短調”が終わるときに、ありとあらゆる音楽ジャンルにつながる、ということも含ませてます。あんまり深く考えると矛盾が出てくるから勘弁してください(笑)。 (12/14-12:36) No.1052



私が投稿すると長いですね。 投稿者:CGS 投稿日:2003/11/02(Sun) 15:23 No.719

すみません。 
なぜかずるずる、と話題がつながったり、全然関係ない方向へ転換したり。反省してます。

ピアノ仲間からは、私が某ピアニスト・作曲家と浮気しているのと同じだとはっきり非難されました。(みんな私の主人と息子達の存在を知っていて、冗談ではないようでした。アメリカって、浮気する前に離婚するって考え方です。)
もちろん私は、実行に移す事(!)はありえないから、浮気とは言えない、したがって私は無罪であると反論しましたが、「浮気とは実行するはるか前」の時点ですでに罪を犯しているというのが多数の見解でした。(爆笑)
ということは、私は不倫関係にあるわけです。もちろん、私の相手(名前は口に出していえません)は知る由もないわけですが。(大爆笑)私の苦悩を理解してください。

というのが、なぜ、私の投稿がいつも長いかという言い訳です。
(確かに主人の事よりも、知っているという表現は当たっているかもしれません。仮に実行できる状況にあったとして、全然不純な動機が無いかというと...うーん、完全否定できません。)(爆笑)

寛容なサイト管理人に感謝します。(これが言いたかったんです)

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ふゆひこ > 話や知識というのは、連想のようにあちこちつながっていくところが、とても面白いと思っています。反省などされずに、いままでの調子でぜひお願いします(笑)。アメリカって浮気について厳しい考え方なんですね(笑)。うーん、確かに男から見ると、自分の恋人とかが、芸能人とかに夢中だったりすると嫉妬するでしょうね(笑)。ただそのうち、“しょうがないか・・”とあきらめるのが常・・・いやいや“あきれる”が正確でしょうね(笑)。 (11/3-00:07) No.726
CGS > はい、それで、主人にもハーレー買ってあげることにしました。(なんていい奥さんなんだ。)(爆笑) (11/3-15:31) No.749


J・S・バッハのシャコンヌ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2003/10/25(Sat) 18:48 No.667

図書館で、ルービンシュタインの弾く“ソナタロ短調”のCDを借りてきて、いま聴いているのですが、このCD、ブソーニ編曲のバッハの“シャコンヌ”も収録されています。ブソーニ編曲の“シャコンヌ”はピアノ曲の愛好家の間では、ずいぶん有名な作品だと思います。今日、それでちらちらとサールのリストの作品表を見ていたら、面白い事実が。サールの作品表では、最後の方に“計画”という項目があり、リストが“作曲しようかな”と思った曲の一覧が掲げられているんです(そこにはオペラ“ジャンヌ・ダルク”だとか、オペラ“ファウスト”だとかすごい計画があるのですが≪←これらは形を変えてリストは作品にしていますね…≫)。なんとピアノ曲の計画に“1880年 バッハ シャコンヌ”の名前が見られるではないですか。リストはなんで1880年に“シャコンヌ”を編曲しようとしたんでしょうか?“計画”というところに掲げられている作品目録は、おそらくリストの書簡などが出典だと思います。僕の持っている書簡集とかには見受けられませんでした。またウォーカーの本でも載っていないようです。ウォーカーをちらちら読むと、リストは晩年にいたるまで、バッハの作品をときたま演奏していたようですね。ちなみにネット上で調べたのですがブソーニの編曲は初版が1893年ですので関係ないですね。

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CGS > この話題いつか話したかったのです。実は、ブラームスもエチュード5番としてトランスクリプション書いています。 ブラームスは、オリジナル(ヴァイオリン)の難しさを再現するために左手だけで演奏するようにされているはずです。(楽譜見たこと無いので、両方できるのか、左手用一段の楽譜なのか良くわかりません。)
人に聞きかじりなので、何年に作曲されているのかもちょっと調べていません。
昨日、Bosendorfer の最大のピアノ弾いてきました。97鍵盤8オクターブ3メートルです。$175000 だそうです。 (10/26-06:39) No.676
CGS > 193Cm Bostonグランドピアノ買っちゃいました。 $6000も割引があったのと、さらに$700引いてくれるっていうから。 最高です。二倍近くするスタインウエイより約70cm大きいから、音がすごいです。(はっきり行って700万円するやつよりいい音だった。)
Bostonはスタインウエイが作っているので、時々本物のような音のする楽器が製作されることがるんですって。 で、15年売っている人が、実は、そういうのまえに3台ぐらいしか見たこと無くて、私のがその一台なんだって。
というわけで、もし次の10年間に私がスタイン買う気になったら、私の払った金額100%新品から割引してくれるんですよ。
でもあの楽器なら、手放したくないとおもうかも。 というわけで、リスト練習します。(今グノーのファウスト・トランスクリプションと、今更ながら愛の夢3番練中。)


(10/26-13:13) No.677
ふゆひこ > おおっ!ブラームスも作っているのですか。でリンクさせてもらっている“ブラームス派”のサイトで調べてきました。ブラームスのシャコンヌは1877年作曲、78年出版、81年初演という感じでした。なんでもクララ・シューマンが右手肘を脱臼していたために作曲したそうです。リストが“シャコンヌ”を計画する契機になるには年代的に外れていないですね。NMさんに前に教わったのですが、リストは確かブラームスのピアノ協奏曲第2番を褒めて、そのスコアを欲しがったとか…、ピアノ協奏曲第2番は1878年〜81年作曲、81年初演とのこと。これも年代的にずれていません。ウォーカーのFYのインデックスからブラームスについての記述を見てみましたが、“パガニーニ変奏曲”についてのリストのコメント(FY P235)、それと1874年にウィーンでブラームスがメンデルスゾーンとバッハの合唱曲を指揮して、リストがピアノを演奏した演奏会(FY P273)、バイロイトの“ニーベルングの指輪”演奏会に結局、学派上の対立からブラームス、ヨアヒム、クララが出席できなかったこと(P351)が触れられているのみでした。いずれにせよ、リストが“シャコンヌ”を編曲しようとした、ということについて僕が知っている情報は、サールの作品表のたった一行“1880 BACH'S CHACONNE”のみです。 (10/27-00:29) No.681
ふゆひこ > すごいピアノですね。ベーゼンドルファーの最大のピアノってフェラーリ1台分ですか(笑)。購入されたBOSTONのピアノもすごいですね。大きさを教えていただいただけで、すごい音圧の響きが聞こえてくるようです。たぶん僕の想像できない嬉しさだと思うのですが、それでリストを練習されるなんて最高の気分でしょうね。100%新品から割り引いてくれるなんて、ますます車の乗り換え購入に似ていますね(笑)。ピアノってやっぱそれだけすごい財産なんですね。 (10/27-00:37) No.682
CGS > それで、色々索引などによってみましたが、リストとシャコンヌに関する記事は無いようですね。ということは憶測ですが、

1.シャコンヌは、ヴァイオリン、ソロの曲としては、未だに頂点である。
2.リストは、もともとバッハに詳しかったが、ヴァイオリンについては、あまり注目していなかった。
3.1880は、バッハの生誕195年だった。
4.当時ドイツでは、バッハがはやっていたのかもしれない。
といったいい加減な考えはどうでしょうか。
1.は本当だと思いますが。ソロで、あれだけ完成した作品ちょっと思いつきません。 (10/30-02:46) No.691
たに > ブラームス編曲のシャコンヌ>まだ手元に楽譜が残っていたので見てみましたが、ト音・へ音の2段になってました。むろん両手の曲よりは込み入ってないですが。私はピアノをちょっとだけかじっただけの人間なので何でもムズカシく見えるのですが、両手でもしんどそうです。ところで、楽譜類をまだ持っていたのをこちらを見て思い出したもので、今度処分しに行きます。もったいないと思われそうだけど(^烹^;;;。 (10/30-23:59) No.692
ふゆひこ > >GSさん。3、4はもうちょっと調べてみると面白そうです。実際にバッハメモリアルみたいなのが開催されているとか。1、2は別の角度から切り込むと、リストがパガニーニを編曲していることが通じてきますね。あれだけヴァイオリンの表現技法をピアノに移し変えることに熱中したリストがもういちど、こんどはバッハのシャコンヌに意欲を見せることは納得できますよね。ちなみに僕は原曲のシャコンヌを聴いたことないので、今度聴いてみます。相当すごいんですね。 (10/31-02:09) No.694
ふゆひこ > >たにさん。片手用のピアノ曲は何曲か聴いたことがありますが、常人には両手でも困難ですよね(笑)。 (10/31-02:12) No.695
CGS > バッハのシャコンヌは、パルティータII
D minor (BWV 1004)の最後の曲(第五楽章)です。
リストの時代までにも、色々な編版が出回っており、ヨアヒムも編集しております。
私のペータース版は、バッハの草稿と、実際に弾きやすく書き直されたものが二段で記されており、後で、編集されたものがどこなのか、また、バッハがどう表現したかったのか考慮したい時などは、草稿譜を参考する事ができるようになっております。
まあ、ピアノだと、正確な音を出すという点では弾く人によって代わるという事は無いから、ピアニストがこの曲に”Virtuosity” を見出すのはよくわかりませんが。最初の三小節で、テクニックの無さを思い知らされ、打ちひしがれた覚えがありますが。
楽譜処分なんていわないでください、たにさん。楽譜、本と楽器は私にとって三種の神器です。 (10/31-05:33) No.703
CGS > うえのコメントは、ヴァイオリンのオリジナルについてです。 (10/31-05:35) No.704
ふゆひこ > >GSさん。その楽譜すごいですね。草稿もいっしょに読めるなんて。もうひとつ有力なヒントを見つけました。リストは1879年にヘンデルの“アルミナ”から“サラバンドとシャコンヌ”という作品を編曲しています。(ハワードの6巻に入っていて、僕はまだじっくり聴いていませんでした)。でですね、ハワードも解説で書いているのですが“おもしろいことに、サラバンドの部分が、バッハのシャコンヌに似ている”とのこと。確かに似ています。ハワードの解説によると、ヘンデル作品の編曲というよりも、リストによるオリジナル色が強く、ハンフリー・サールも作品表ではオリジナル曲の項目でS181としている、とのことです。リスト個人で考えると、この作品の作曲が布石となり、1880年のバッハ・シャコンヌ編曲の計画につながる、と思えます。 (11/1-02:56) No.708
CGS > ちょっと、ジチー伯に関して研究しようとか思って手紙を読んでいたら出てくる、出てくる。
『それで、主題の1880年の手紙の出典をみつけました。』(わー、と喜んでください)

なんと、ジチー伯が、1880年夏に左手用のシャコンヌトランスクリプションの作曲に取り組んでおり、8/3/1880にリストが、できかけのものに感想、アドヴァイスを与えています。そして、手紙を締めくくった後に、「最新版を送ってくれたまえ。適切と思われる指使いとペダリングを私がジチー編曲のシャコンヌに書き加えて差し上げよう」(つまり、『ジチー編曲による左手用バッハ シャコンヌ−リスト編集』にするという意味でしょう)
となっています。

でこれ、実は、きっかけになると思われる出来事がその前に起こっております、というのも同年1月にブダペストで、リストはヨアヒムとジチー伯の仲介によって仲直りしており、ヨアヒムのブダペストでのリハーサル・コンサートともに出席し、その仲直りをカロリーヌに好意的な感想と共に報告しております。
で、少し前後しますが、ヨアヒムはコンサートでシャコンヌを演奏しており実質的なインスピレーションを得たものと思われます。ジチー伯は、ヨアヒムのピアニストと共に、ツアーに付添っておりコンサート以外にも非常に親しくしていたようです。
したがって、リストがシャコンヌのトランスクリプションを計画していたというよりも、ジチー伯の作曲援助に積極的に関わっていたと考えるほうが妥当であると思えます。(リストが、ジチー伯と競争するような事はありえないです)
(11/2-03:49) No.714
ふゆひこ > わーー!(←喜んでます)すごい!よく見つけられましたね!どの書簡集なんでしょうか??ということはリスト名の“シャコンヌ”が存在していたら、“左手用のシャコンヌ”になっていたんですね。ヨアヒム〜ジチー伯〜リストとつながる、ということは、ブラームス関連のエピソードが一番かすってましたね。うーん。すごい。ブラームスはクララのために片手用シャコンヌを、リストはジチー伯のために片手用シャコンヌを…。おもしろすぎる…。ヨアヒムとリストを仲直りさせるところとか、ジチー伯はやはり聡明ですね。サールの作品評のたった1行の記述から、今回いろんな知識、背景をクリアにすることができました。ありがとうございます。 (11/2-23:44) No.723
CGS > 「Franz Liszt Selected Letters Edited by adrian williams, Oxford Unv.Press
ISBN 0-19-816688-5 」
です。高いです。それで、前に出版された事のある、オルガマィエンドルフ宛の手紙とプリンセスマリーへの手紙は含まれていません。(これは、ちょっと痛かったですが、でも、高価な本を買って、重複しているより良いか)
手紙だけでも日本語訳にすれば、多くの日本人が、リストに関して個人で研究できるんですがね。(それが、私の仕事でしょうか?) (11/3-02:50) No.731
CGS > ジチー伯のお城が、実はエステルゴムではなく、ブダ側にあったことが判明しました。(地図で見ると、両方ダニューブ沿いにあるので勘違いしていたようです。または、両方にある可能性も大有りだが...)泊まっている場所とは街の正反対ですが、電車でいけそうです。よかった。 (11/3-08:06) No.737
ふゆひこ > ありがとうございます。AMAZONで検索したら、出てきたんですけど在庫切れでした。15000円ぐらいでした。高い…。ジチー伯のお城の印象とかもまたぜひ教えてくださいね。2つお城持ってたらすごいですね(笑)。 (11/3-11:01) No.739





はじめまして <Franz Liszt and Me>投稿者:LOM 投稿日:2003/11/02(Sun) 14:11 No.718

はじめまして。「Franz Liszt and Me」というサイトを作っている者です。
「フランツ・リストの回想」は、前々から活用させて頂いておりましたが、今回自分のサイトを作り、リストのピアノ曲を中心に紹介することにしました。知識の面ではふゆひこさんやNMさんにはかないませんので、個人的に感想を書いていくような感じになっています。読む側としては、他のサイトと比べながら読んでいくような形になるのかと思います。
こちらにもリンクさせて頂きました。リンクの張り方などで問題がありましたら、ご指摘ください。

P.S.ふゆひこさんの日記は、とても暖かい語り口で気に入っています。特に、前の日記にあった「ちょっとよく分かりません」が妙に頭の中に残って、意識して使わないようにしてしまっています…。

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ふゆひこ > はじめまして。サイト行きましたよ。リストがメインのサイトが、またひとつできたなんて素晴らしい!今後がとても楽しみですね。リンクもご紹介いただいた文章も大丈夫です。“ちょっとよく分かりません”は便利な言葉なので、使っちゃいましょう(笑)。 (11/2-23:58) No.725


他の作曲家によるリストの曲のトランスクリプション 投稿者:CGS 投稿日:2003/11/01(Sat) 13:08 No.709

ひとひねりして、いつもとは逆に他の作曲家がリストの曲のトランスクリプション作っているというのはあまり話題になりませんね。
ブソーニによるメフィストの楽譜持ってますが、演奏を聴いたことがありません。(簡単なのかなと思ったけどそうでもなかった。)
あと、ハンガリアンラプソディーのオーケストラ版は、色々あるようですが、他の曲で有名なものって有るんですか?

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ふゆひこ > おおっ!重要なテーマですよね。結構、リストの曲とかを調べていくと、交響詩のピアノ編曲はリストの弟子達が、あと交響詩のオーケストレーションもラフが、オルガンはゴットシャルクが編曲したものを後でリストが手を加えるというケースが多いですね(ラフについては、WYの詳細な記述を僕はまだ読んでいません)。あとピアノ曲のトランスクリプションは、日本の有名なサイト“超絶技巧的ピアノ編曲の世界”でデータベース化されていますので、ぜひ見てみてください。タウジヒ、ほろヴィッツの名前が見えます。現代でもたくさんの演奏家がいろいろとアレンジして発表していますね。リストの場合、作曲家として知名度のある人が編曲をする、というケースはあまりないのかな・・・。後、僕が知っているのは、ブソーニが“スペイン狂詩曲”をピアノ協奏曲版に編曲しています。これはCDで持ってます。あとサン=サーンスが、リストの“オルフェウス”をピアノ三重奏に編曲しているようです。これのCDはフンガロトンから出ています。

http://www.hungaroton.hu/classic/info.php?info=299&vez=l (11/1-17:16) No.712
ふゆひこ > ↑ホロヴィッツの名前が変になっちゃいました。 (11/1-17:17) No.713
ふゆひこ > 思い出したんですけど、モショーニが確かリストの“ミサ・ソレムニス(グラナー・ミサ)”をピアノ連弾曲?に編曲しているはずです。CD屋さんで見つけたんですよね。↓たぶんこれだと思うんですけど、ちょっと自信ないです。モショー二 CDhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000460X/qid=1068313956/sr=1-6/ref=sr_1_0_6/249-9779665-6983504

ちょうど今、グラナー・ミサの感想を書き出したので、今度、買ってきて確かめます。 (11/9-22:33) No.800

ふゆひこ > CD売ってませんでした。けどやはりこれはリストの“グラナー・ミサ”をモショーニが“2台のピアノ用”に編曲したものでした。↓こちらのNAXOSのページの方がはっきり分かります。
http://www.naxos.com/cat/223558.htm
で今“グラナー・ミサ”についていろいろ調べているのですが、モショーニと“グラナー・ミサ”の関係は、ただ単に編曲したというだけではないですね。フェレンチク指揮のCDライナーに詳細に載っているのですが、リストはもともとモショーニに“グラナー・ミサ”のうちの何曲かを作曲するよう依頼しています。それでモショーニも“グラデュアーレ”と“オッフェルトリウム”の部分を作曲するのですが、カロリイ・セイラー(Regenschori of Estergom 合唱指揮者?理事?よくわかりません)に採用されなかったとのこと。ですがモショーニは“グラナー・ミサ”の初演時にコントラバスを演奏することになり、リストはモショーニのために曲の最後に、コントラバスによるクレドの主題を入れたとのこと(どこだか分かりませんでした)。そして数年後にモショーニは、“グラナー・ミサ”を2台のピアノ版に編曲した、とのことです。
(11/16-02:19) No.823
ふゆひこ > すいません。黒でつづけちゃいました。ついでに2台のピアノではなくて連弾曲でした。 (11/16-02:24) No.824



リストの誕生日<バグダッドの理髪師> 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2003/10/22(Wed) 23:45 No.662

10月22日はリストの誕生日ですね。生誕192年になるのかな?それでファウスト交響曲のピアノ連弾曲を聴きながら、リストの誕生日のことで面白い記述がないかな〜とちらちらと本をめくってました。そうしたら1885年10月18日のオルガ宛書簡(ゾフィー・メンター気付けになってるのかな?)で面白いことが。“非常に嬉しいことで、この前の木曜日と金曜日で、コルネリウスのオペラ『バグダッドの理髪師』が完全な成功を収めたよ”とオルガに報告しています。『バグダッドの理髪師』はもともと1858年にリストがワイマールで初演したときに大ブーイングを浴びてしまいます。それでリストは宮廷楽長を辞任することになります。リストにとって『バグダッドの理髪師』は心残りの作品だったのではないでしょうか?リストは1886年の7月31日に亡くなってしまいますから、1885年10月18日といったら、リストが迎えた最後の誕生日間近です。リストをほっとさせた最後の誕生日プレゼントだったのではないでしょうか?

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ふゆひこ > コルネリウスの未亡人とかって出てくるから、辞典を見たら、コルネリウスは1824年生まれで1874年には亡くなっているんですね。 (10/22-23:48) No.663
ふゆひこ > 『バグダッドの理髪師』はCDでも手に入ります。BMGからHEINRICH HOLLREISERの指揮で発売されています。確かにワーグナー、リスト派の音楽らしいですね。僕もそんなに聴いていないのですが、大ブーイングを浴びせるほどひどい作品などというわけはないですよ。魅力的な旋律もいたるところにあります。 (10/22-23:58) No.665
CGS > 私も心残りだったんです。ああ良かった。 (10/23-00:38) No.666
ふゆひこ > WYのP494〜に“バグダッドの理髪師”の一連のエピソードが載ってました。もともとコルネリウスはリストに“バグダッドの理髪師”を献呈し、リストは大変気に入ったとのこと。ところがワイマールの劇場支配人のディンゼルシュタットが反発し、リストと意向が合わなかったようです。こういう中で準備が進められ、1858年12月15日の上演当日。チケットはSOLD OUT。第一幕の演奏中に、徐々に冷やかし、ブーイングが大きくなり、演奏できなくなる状態になります。ディンゼルシュタットはそのような混乱に対し、支配人の立場でありながら何も策を講じなかった。歌手の一人のミルデ婦人がコルネリウスをステージに呼んできたが、逆効果でさらにブーイングがひどくなる。結局演奏は中断。リストと楽団員はその夜、エルブプリンツに集まり、悲しみに沈んだとのこと。翌日、リストはアレクサンダー大公に“バグダッドの理髪師”とコルネリウス擁護の手紙を書きます。そして12月17日、ベートーヴェンのメモリアルコンサートで、コルネリウスが書いた“PROLOGUE”(文章ですよね)は絶賛され、2日前のブーイングはコルネリウスの作品に対してのものではなかった、ということが分かる。ベートーヴェンの、メモリアルコンサートでのリストの指揮はスタンディング・オベーションを受けるが、その後、新聞などのメディアで“バグダッドの理髪師”の失敗が非難され、リストは宮廷学長の座を降りるようです。 (11/1-02:25) No.705
ふゆひこ > リストのワイマールでの指揮者としてのキャリアは、最後はベートーヴェンの演奏ということになります。失敗の翌日にコルネリウス擁護の動きをとるリストに寛大さと強さを感じます。当時34歳のコルネリウスにとって、このエピソードは相当手痛い試練だったでしょう。リストとディンゼルシュタットとの確執がなんかコルネリウスを犠牲にしてしまったように思います(相変わらずのざっと読みなので誤読しているかも)。これらの背景を知って、オルガ宛書簡でのリストの言葉には、やはりリストの安堵を感じますね。 (11/1-02:31) No.706



シェファーによるショパン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2003/10/31(Fri) 02:44 No.699

これはGSさんが教えてくれた絵画のサイト内(美術館のサイトでしょうか?)で見つけました。ここのサイトはリストの写真や他の作曲家の肖像画などたくさん見れますね。

シェファーがショパンを描いていました。下で話題となっている『砂漠でキリストを誘惑する悪魔』『聖オーガスティンと聖モニーク』、シェファーがよく描くタイプの顔なのかとも思いますが、少なくともシェファーはショパンを描いたとき、まったくリストとは違う印象で描いています。ますます『砂漠で〜』『聖オーガスティン〜』の絵画がリストをモデルにしている、と確信させますね。

http://photosrmn.fth.net/fr/bi/search.vep?mots_cles=compositeur&aur_offset=9&rpp=9

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CGS > よく見つけましたね。二十代のショパンでしょうね。華奢な感じですね。やっぱり、リストはハンサムだったのだ。 (10/31-04:45) No.702



F,Liszt gefallt mir sehr gut. 投稿者:ミチ 投稿日:2003/10/28(Tue) 01:17 No.685

以前こちらに何度かお邪魔したことがあります。
私はリストの(ピアノ曲限定)ディスクコレクター予備軍です。
といってもまだまだこれからなので数はそれほどありません。

名盤や珍盤を見つけたら是非教えてください。
よろしくお願いします。

私もいいものを見つけたら投稿させていただきます。


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ふゆひこ > NMさんのサイトでよく投稿を読んでますよ。以前に来ていただいたことも憶えてます。けっこう中古屋さんに珍しいCDとかってありますよね。ぜひ見つけられたら教えてください。僕も紹介します。 (10/31-02:25) No.698


ライディング 1840? 1881? 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2003/10/25(Sat) 21:52No.669

以前リストの写真集について、いろいろここに書いたとき、リストが1881年にライディングの生家に訪れたとき、群集に囲まれた写真を紹介しました。群衆がメインで、後ろの方でリストが微笑んでいるという、なんとも笑える写真でした。でですね。ちょっとまた面白いことを。“ライディングのリストの生家”として決まって本で紹介される絵があるんですよね。ヘルム『リスト』だとP21に載ってます。二頭立ての馬車の前列に御者、隣にもう一人、後ろにリストの3人が乗っていて、ライディングに到着した時の模様を描いている。周りは、井戸で水を汲んでいる女性。挨拶する男性が一人。家の戸口で様子を見ている女性が一人、の3人です。

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ふゆひこ > ヘルム『リスト』のP21の、野本由紀夫さんの解説を転載。“1881年。生誕70年を記念して作られた記念プレートの除幕式に訪れるリスト。馬車に乗っている。” (10/25-21:55) No.670
ふゆひこ > でですね。属啓成さんの『リスト 生涯篇』では、P77に載っています。属さんは、リストが1840年にハンガリーを訪れたときの絵として紹介しているんです。属さんの解説P79を転載。“村民総出の出迎えをうけて、リストは幼年時代の思い出に感無量であった。” (10/25-22:00) No.671
ふゆひこ > くいちがってますね。この絵はいったい1840年?1881年?どっちのライディング来訪の絵なんでしょう?。で、単純に絵に描かれているリストを見ると、僕にはけっこう若く見えます。たぶん1840年の方でしょうね。 (10/25-22:03) No.672
ふゆひこ > 1881年の来訪については、リストが4月2日付けでオルガに手紙で書いていました。ジチー伯といっしょにフンメルの記念碑のためのコンサートをやった後、“あさってライディングに行くよ”と書いています。1840年の方は、ウォーカーVYのP333からP334に書かれています。リストは、ショーバーとアルベルティ伯といっしょにライディングへ行く。そこで馬に乗った何人かの農夫に案内されてlocal judge(地方裁判所でしょうか)に行く。そこで千人ぐらいのライディングに住むすべての人がかわるがわる挨拶に来て、その後大勢の人に連れられて生家へといった、そうです。 (10/25-22:15) No.673
ふゆひこ > 疲れてきた(笑)。うーん、また変ですね。絵では、馬車に乗っているのは3人。まさかアルベルティ伯とショーバーに手綱を握らせて、自分は後席でふんぞりかえる。そんなわけはないです。 (10/25-22:18) No.674
ふゆひこ > 僕はこのように理解しました。この絵(銅版画)は1840年の来訪を描いたもので、おそらく後から想像して描かれたものである…。僕がいちばん皆さんにお伝えしたいことはですね、リストのライディング訪問として、いままで紹介されてきたこの絵は、何かしんみりとした郷愁を漂わせ、リストがひっそりと訪れた、というような感じで紹介されてきました。僕もそのような印象で見ていました。でも事実は違う。リストはもう阿鼻叫喚の騒ぎの中で(千人にもおよぶ挨拶ですからね(笑))ライディングを訪れたのでしょう。そしてその様子は、1881年の記念碑プレート除幕式のときの写真からうかがい知ることができると思います。 (10/25-22:24) No.675
ふゆひこ > 1881年は写真のとおり大騒ぎだったわけですけど、到着の時はそんなでもなかったのでは?と思うかもしれません。1881年の来訪の時のウォーカーFYのP400〜P401の記述です。“リストは16台にも及ぶ長いキャラバンで、ジチー伯、ゴルトシュミット、ルードヴィヒ・ベーゼンドルファー、甥のフランツ・リストとともに向かった。ライディングでは、一列にならんだ馬に乗った人が出迎え・・・。←ひどい訳ですがこんな感じ。写真の騒ぎが容易に想像できますね。 (10/26-23:54) No.679
CGS > 文字通りの大名行列ですね。あの写真何度見ても、どこにいるのだろうと、よく見てしまいます。 
エステルゴムの中央にジチー伯のお城が今でもあるんです。「グランミサ」の教会には、いけそうなんですが、ジチー伯の家も
リストファンとしては絶対逃したくないですよね。うーん。その日は、ウイーンに向かうのできついのだ。
ところで、ライデイング、って現在の名前ですか?見つからないのだ!オーストリアだってことはわかってますが。 (10/27-01:37) No.683
ふゆひこ > こんばんは。あの写真は傑作ですよね(笑)。リストのなんか優しげな笑い方が好きです。ライディングを僕の持っているマイクロソフトのワールドアトラスで調べてみました。いまもライディングのまんまのようですよ。オーストリアのブルゲンラント地方にあります。ウィーンから見るとその下にアイゼンシュタットがあって、その右あたりに突き出たショプロンがあって、その下あたりにライディングがあります。属啓成さんがライディングに行ったときのことを『リスト 生涯篇』のP18に書いています。属さんはアイゼンシュタットで1泊してから、ローカル線でライディングで下車したそうです。そこから2qぐらい歩いてリストの生家にたどり着いたとのこと。もっともこれは1936年に行かれたときのものなので、いまのアクセス方法は変わっているでしょうね。音楽の友社が『音楽と美術の旅 ハンガリー』みたいなのを出版しているので、図書館で見つけたら調べてみます。ジチー伯はお城に住んでたのですか。うーん。つくづくスケールが大きいですね。リストとその周辺は(笑)。グランの大聖堂なんてすごい!旅行はプランを立てているときが、ほんと一番楽しいですよね。 (10/27-23:47) No.684
CGS > ありがとう。ウイーンからちょっとというわけには、いかなそうですね。
一生、旅を継続した、リストの足跡をたどるのは、一生かかるのかもしれません。 (10/28-12:26) No.686
CGS > ジチー伯ってなんか明るくて活発で生まれて持ったリーダー的性格感じませんか。若くてもリストと対等に接触できる才能とWitに富んでいるというか。 よく知りませんが。(笑)伝記とか出てないでしょうね。リストアカデミーで聞いて見ましょう。 (10/29-10:22) No.690
ふゆひこ > こんばんは。NMさんが前に、フランスではちょっと歩いただけでいくらでもリスト関連の場所に出っくわすというようなことを言われていましたけど、ヨーロッパ全体に拡大しても同じような感じなんでしょうね。ジチー伯は写真集で初めて顔を見たのですが、確かになんか凛々しいですね。右手を失いながらピアニストとして作曲家としても活躍する、という点でも強い意思の力を感じます。伝記はFYのP564の参考文献を見ると、全3巻ですかね?Aus meinem Leben:ERINNERUNGEN UND FRAGMENTEというものを記しているようですよ。 (10/31-02:00) No.693


探せばある”子供向け” リスト ビデオ 投稿者:CGS 投稿日:2003/10/05(Sun) 16:30No.586

USでHBOケーブルチャンネルが作った1時間弱の”お話”です。”Liszt’s Rhapsody”−composer series.ちなみにアーテイストシリーズで画家のの話の方はみたことあります。

事実には関係の無い話ですがかわいい。小学校の”雨の日用”のビデオです。〔昼休みに外にいけない時にみんなで見る)
--単なるピアノ弾きであることに物足りないリストが町で見かけたジプシーの少年に音楽教育を施そうと試みます。リストの相手役は、ハンガリーのテレキー伯爵-ボケ役です。リストも私のお気に入りの鮮やかなブルーのコート、黄色のパンツにラベンダー色の手袋で登場してくれます。 このあたりだけ史実に忠実(という事は、書いた人は一応リストの事も知っているんだ。−テレキーには、狂詩曲も献呈されています。という割には、全然事実と関係ない話に終わってしまうというのはなぜでしょう。−−面白い話はお子様向けではないからです。)

一緒に届いたのはリヒテルの”エニグマ”です。髪を振り乱しリストを狂演。でも本当に弾いているから迫力は満点です。 何が映画出演に踏み切らせたのでしょうか。(リヒテルは、舞台では、真っ暗闇で演奏しています。銀座のヤマハショールームでピアノを見るシーンなどもあります。’84に来日しています。--ああなんで行かなかったんでしょう。それは、周りに教えてくれる人がいなかったからです。)

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ふゆひこ > おもしろい番組があるんですね〜。そういうので音楽を学べるのは楽しいでしょうね。テレキ・ラースローですね。この人については著述家で政治家、っていうぐらいしか知らないです。あと自殺しちゃったとか・・・。わはは(笑)面白い話は子供向けではない、ですか(笑)。エニグマはたまに見るんですが、面白いですよね。エニグマの中でリストのソナタについてリヒテルが興味深いことを言っていて、僕はソナタの感想で取り入れているのですが、いかんせんソナタほどの重要作品の感想はなかなか書けずにいまだにUPできていません。リヒテルはなんでリスト役をやったんでしょうね(笑)。面白そうだったからでしょうか(笑)。あの楽しそうな演技ぶりを見るとそんな単純な動機のような気がします(笑)。あとエニグマに、この掲示板で紹介したワーグナーのピアノ曲が入っているのでぜひ聴いてみてください。 (10/6-00:44) No.588
CGS > 事実に全然関係ないというのは、ちょっと言いすぎでした。というのも、実際は街角で見た、この少年のヴァイオリンを褒めていたリストを思い出してこのテレキーが、勝手にパリのリストの家に置いて行ってしまったからです。でもこのJosi-ヨージと発音してました-のことはリストも後で懐かしく思ったのか手紙を出します。
Josiも忘れていたどころか自分の長男をFrencと名付けていたのでした。限りなく事実に近い創造というところでしょうか。
エニグマはすごいです。残念なのは、曲をもうちょっと完全な形で入れてくれたらなーという感じです。でも、本人が、”私の引いている顔を見てどうするんだ”という事でしたから、CD 聞けばいいんでしょうね。
−誰でもリストのようになりたい、と心の中で思っているのはリヒテルも同じだったんですね。ワグナー、開けて見てすぐわかりましたよ。どうもありがとう。 (10/6-01:59) No.589
ふゆひこ > こんばんは。そのエピソードは知らなかったので、ウォーカーの本で調べてみました。ワイマール・イヤーズのP387の欄外に載ってましたが、よく理解できませんでした(笑)。なんかブラッサイという人が、ジプシーについてのリストの考えを批判することの中で紹介されていて、ぱっと読んでもよくわかりませんでした。こんどちゃんと読んでみます。テレキ伯は、ラースローじゃなくてシャンドールの方でした。ケマル・ゲキチが“リストのようになりたい”というので思い切りCDジャケットで扮装してますね(笑)。あと最近でたフンガロトンのCDでもリストにそっくりな人がいましたね。 (10/7-23:59) No.591
CGS > Josiの話はですね、ヴァーチュオソ イヤーズ の ”A Prodigal returns to Hungary” P339-340で、詳細が出てきます。Weimar yearsは、引っ越した時に無くなってしまって、今日買いなおしたものがやっと届いたので、また読み直しです。
ゲキチという人知りません。教えて下さい
フンガロトンの室内楽のCDの人ですか。もしかしたら、ブダペストで見られるかもしれません。(ちょうど行く頃春祭りがあって、コンサートが予定されているからです。そのすぐあとで、NYに来るらしいので、(帰りは、NYに到着なので)とどまってカーネギーホールのコンサートも見ようかなと思います。ワイマールの本チェックしたら教えてあげましょう。
(10/8-00:23) No.593
CGS > ということは、ラプソデイに献呈されている人じゃないんですね。 リストはJosiのことを手紙ではなくDes Bohemiens という本の中で回想すると、Josiが手紙を書いてくるという事実のほうが実にドラマティックです。 (10/8-00:29) No.594
ふゆひこ > こんばんは。ほんとだ、載ってました。またまたぱっと読みでは理解できませんでした(笑)。エピソードは理解できるんですが、Civilizing influencesということに対するリストの試みとか(JOSIをFRENCH DANDYにしたてる、とか)その辺の意向がよく読み取れないです。このエピソードがブラッサイの批判に対するウォーカーの反証みたいな感じと受け取りましたが・・・。誤読かもしれません。 (10/9-00:35) No.595
ふゆひこ > ケマル・ゲキチは僕はNAXOSのCDで持ってるだけです。あんまり聴いてないんですが・・。日本のケマル・ゲキチのファンサイトで紹介されています。

フンガロトンの方は、↓このCDです。クールなジャケットで好きです。ゲキチよりこっちの人の方がリストのメフィストーフェレスっぽさがでてていいです(笑)。室内楽の人かどうかちょっと分かりません。
http://www.hungaroton.hu/classic/info.php?info=1152&vez=s
ブダペスト行かれるんですか〜。いいですね♪。ぜひリストについてのお土産話お願いします! (10/9-00:43) No.596
ふゆひこ > おおっ!いま気づいたんですが、上で紹介したフンガロトンのCD、1st RECORDING マークがついてるじゃないですか!なんか欲しくなってきた(笑)。リスト校訂のシューベルトですね。ハワードも“さすらい人”は録音してたけど。 (10/9-00:52) No.597
CGS > Liszt Rhapsody,サイトがあったんです。http://www.devine-ent.com/shows/composers/liszt-synopsis.shtmlhttp://www.geordiejohnson.com/years_3.htmlが主演の俳優の写真です。
ちなみに昔紹介した「即興曲」にでてくるリスト(ジュリアンサンズ)の写真が急に見つかりました。ので、楽しんでください。http://www.dee-dee.net/julian/filmimpromp.html (10/17-17:01) No.613
ふゆひこ > 両方、見ました。2作品とも、めちゃめちゃ力を入れた作品、というわけでもないのに時代考証などが結構しっかりしてるんですね。ジュリアン・サンズもリストに似ているし。軽く、これだけのものが作れるアメリカってすごいですね。リストに対する認識の幅が日本とは雲泥の差です。 (10/18-02:13) No.615
CuriousGeorgeSand > 日本では、どんな認識なのでしょうか?一般大衆のクラシック音楽全般に対する認識ってとっても他の国に比べると高いほうだと思いますが。(アメリカなんてクラシックといっただけで嫌な顔されます。その反面クラシック愛好家は、一般大衆を『無知だ』と見下しているところがあって非常に醜いです。
(10/19-05:52) No.644
ふゆひこ > 日本でも同じですよ(笑)。Curiousさんの文で“アメリカ”をそのまんま“日本”に置き換えていいです(笑)。僕は、ほとんど日常生活でクラシックの話題なんかしないです。周りに聴く人がいないんですよね。“変な人”扱いされるので、絶対口にしない(笑)。“リストに対する認識の幅が違う”と書いたのは、例えば日本において、日本語で読めるリストの本で、新刊書店で置かれているのは、現在2冊だけです。英語が読めなければ、ウォーカーを読むこともできません。そのため日本とアメリカ(あるいは西欧諸国)で幅があるのでは、と思ったのです。 (10/19-22:59) No.647
CGS > 認識は、ほとんどないといってよい。ハンガリアン#2なんてバッグスバニーとかトムとジェリーまでやっていますが、作者が皮肉入れてます。バッグスバニーが弾いている途中でいきなり電話がなります。デ、電話に答える、「フランツリスト?聞いた事ないな。」で、#2継続するんです。 
言語の問題は、難しいです。私なども結局ドイツ語フランス語読めないから、オリジナルの情報が手に入れられない。ラマーラとラマンの伝記はどうしても読みたいのですが、究極的にはリストと同じレベルの言語力まで身につけなくてはならなくなってしまうわけですよ。(凝り性の私、自分が怖いです) (10/20-04:28) No.648
ふゆひこ > わはは(笑)。バックスバニーって名ピアニストなんですね(笑)。クラシックに興味のない人は、僕の周りではリストは“名前は知ってるよ”っていう感じです。問題なのはクラシックに興味がある人が、リストを知らなさすぎることだと思います。音楽ファンにとっての“リストの位置づけ”というのはまた考えるに値するテーマだと思いますので、スレッドをかえてお話ししたいですね。一次文献とか基礎研究に関する問題ですね。僕ははっきりいってあきらめています。情報の信憑性についてはウォーカーとか信頼すべき著作、あるいはできるだけフィルターを通っていない情報(書簡は、原文→翻訳→再翻訳という1〜2枚のフィルターのみ)を尊重するようにしています。 (10/21-00:16) No.651
ふゆひこ > 言語については、昔、内田光子がおもしろいことを言っていました。彼女がショパンのソナタをレコーディング(すばらしい演奏でした)したときのインタビューテープを父親が持っていて、それを聞いたのですが、その中で“もし、ショパンのマズルカを演奏するのならば、ポーランド語とかを学ばなければならないですね。・・・”言語の文法、音楽の文法、民族性等が密接な関係にあり、それを理解しなければ演奏できない、といったような意での発言と考えています。 (10/21-00:21) No.652
CGS > というわけで、現在リストに直接あった人の本と手紙を買いあさっています。(ほとんどが一部の手紙をのぞいて原文英訳です。)
内田光子の言っている事、具体的に知っています。ショパンはあまり関係ないので細かく書きませんが、マズルカの起源を知ると、弾き方が全然変わってくるんです。アクセントの位置なども違っていて、逆にショパンのワルツでも実はマズルカが出てくるところがたくさんあります。内田さんは、一般的な意味も含めて言っていると思いますが、私がさりなさんと、他の音楽家にする上の質問と同じことでしょうね。 (10/21-00:53) No.656
ふゆひこ > こんばんは。おおっ。たぶん内田光子はGSさんの言われていることを含んで、言っていたんじゃないかな。僕がそれを勝手に一般的に広げたのかも。GSさんに教えてもらって内田光子の言うことが理解できました。マズルカの起源って詳しく分からないんですけど(辞典ひいても舞踏曲としか出てこない)、もともとがポーランド語の民謡とか歌曲の旋律をアレンジしたものとかであるのならば、アクセントなどに影響するのかな。言語の音声面だけでなく、その作曲家の母国語の文法、論理構造が音楽に影響するのは理に適っていると思います。どのように関連付けられるのかまで理解してませんが(笑)。 (10/22-00:00) No.659
CGS > マズルカに起源と演奏法について、ピアノ仲間と長い掲示板議論した事があるので、探して、翻訳して送ります。ちょっと長すぎてここでは書けないのとショパンと浮気はここではおおっぴらにできませんから。(笑)残念ながらヒラーは出てきません(爆笑)内輪ネタで失礼。 (10/22-00:41) No.661
ふゆひこ > おおっ。楽しみです。読むだけならなんとなく分かると思うので、英語のままでもぜひ読ませてください。 (10/22-23:51) No.664
CGS > それで関係ないついでに、もうひとりハンガリアンピアニスト(リストの室内楽のCDの人)Boganyiの写真。金髪じゃないけどがケマルゲキチよりかわいい。
http://www.festivalcity.hu/btf2004/?k=kamaraestek&l=en
CD やっと、届きました。(11/1-13:15) No.710
ふゆひこ > こんにちは。そのCDはフンガロトンの2枚組みのやつでしょうか。僕も持っています。リストの室内楽の感想を書くときのベースにしています。なんといってもハワードの詳細な解説がうれしいです。2人とも若い演奏家ですよね。そちらは大変な状況ですね‥。日本のニュースでもやってます。気をつけてくださいね。 (11/1-17:02) No.711



初めまして<演奏と作曲家についての知識> 投稿者:さりな 投稿日:2003/10/18(Sat) 14:39 No.629

初めまして。私は音大生なのですがリストを始めとするロマン派の作曲家が大好きです。今三つの演奏会用練習曲とパガニーニの主題による大練習曲を練習しています。ここのサイトはリストの作品やリスト自身についてとても詳しく載っているので大変楽しく拝見させて頂きました。
リストの演奏家としてはジョルジュ・シフラが誰よりも好きです。CDは五枚しか持っていませんが…。
近々またお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いします。

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ふゆひこ > 初めまして。“3つの演奏会用練習曲”に“パガニーニエチュード”とはすごいですね。僕はピアノが弾けないのですが、最近、ピアノが弾けない人でも弾ける“諦め”という曲をちょっとだけ練習してます(笑)。“パガニーニエチュード”は最近、アムランの演奏を聴いています。僕はシフラは“ハンガリー狂詩曲”とあと数曲を聴いたぐらいなのですが、僕も好きです。シフラ独特っていう感じがあります。こちらこそよろしくお願いします。 (10/18-21:53) No.633
CuriousGeorgeSand > さりなさん、こんにちは。今私がこだわっている質問があります。ふゆひこさんは、もう聞き疲れていると思います(笑) 
リストの音楽を演奏する上で、はっきり言って本人がどう思って生きていたかという事は全然関係ないですか? きちんとテクニックをつけてうまく弾ければいいのでしょうか?
どうぞよろしく。 (10/19-05:21) No.643
さりな > CuriousGeorgeSandさんの質問にお答え致します。これはリストに限った話ではないと思うのですが、作曲者に関してどの程度知っておくべきか、という質問と置き換えても構いませんか?作曲者に関して、私はある程度の知識は必要であると考えています。それは楽曲をどのように弾くべきなのか解釈する際に助けになるのです。まず同じ旋律であっても様々な表現方法があることを認識しなければなりません。フォルテで弾くのかピアノで弾くのか、レガートで弾くのかスタッカートで弾くのか、ルバートをかけるのかかけないのか、これらは基本的なことですが考慮出来る事柄は無限にあるのです。そして自分はどう弾くべきなのか選択していかなくてはなりません。その選択を手伝ってくれるのが作曲者やその曲、そしてその時代に関する知識です。恋人に愛を込めて優しく、甘く弾こうとか、怒りを込めて荒々しく弾こうとか思うわけです。しかし大抵の場合は楽譜に指示がなされています。きちんとしたテクニックを持った人がこれらの指示を守って弾けば形はなるでしょうが、それは空虚な演奏となります。どんなに美しく飾られたプレゼントの箱でも中身が空っぽでは何の意味も成しません。中身が空っぽの音楽がどんなものか説明しかねますが、今は楽譜通りの演奏とお考え下さい。つまり優れたピアニストは楽譜の指示以上に曲に色彩を与えなければなりません。先ほどのフォルテで弾くか、レガートで弾くかなどというのは初心者でも考えられることですが上級者になるほど一つ一つの音に対して表現法を深く考え、実践するのです。そのためにピアニストは作曲者に関してより深く知ろうとします。さて、それではどの程度知るべきかという疑問に直面するのですがそれは人により様々です。小さな子にあれこれ知識を詰め込むわけにはいかないし、趣味でちょっと弾くだけなのに日夜作曲者について研究する必要もありません。演奏者が求めるレベルによってそれは変化するでしょう。何も知らない人には略歴だけでも大きな知識かもしれませんが一流のピアニストは本で調べるだけでは満足せずに海外に渡って自筆譜を見たり生家を訪れたり作曲に使われたピアノを弾いてみたりするわけです。そのような知識・経験をどのように演奏に反映させていくかも演奏者の力量にかかっています。 (10/20-16:15) No.649
さりな > ところでピアニストには二通りあると思います。まず限りなく作曲者、あるいはその曲を弾くように献呈された人に近づこうとするピアニストです。リストの曲ならあたかも自分自身がリストであるかのように演奏する人です。そしてもう一つのタイプはいわゆる個性的なピアニストです。他人がどう弾くかは気にせず、自分の感じるままにピアノを弾きます。しかしどちらの場合も作曲者に関しての深い知識・思索が必要なのは共通しています。特に個性的なピアニストの場合はどうしてそのように弾くのか、裏打ちされた理由がなければ納得出来る演奏にならず、聴衆は認めてくれないでしょう。
ここで問題になるのは、では初めからどのように演奏すべきかが全て楽譜に書き込まれていて(或いは機械にプログラミングされていて)、それを忠実に正確に再現することの出来る無知な人間(機械)が演奏したらどうなるかということですが、やはり解釈した本人でないとその通りには弾けないのだと思います。ピアニストも毎日同じ演奏を繰り返しているのではなく、時と場合ともに感じ方も変化し演奏も成長します。悲しいことがあった時には明るい曲も悲しく感じられるかもしれません。演奏者は必ずしもいつも解釈した通りの演奏はしません。だから他人の真似事は出来ないのです。もっともこれは優れたプロのピアニストの話であってそうでない人はちょっと詳しい伝記でも一冊読めば十分なのではないかなと思います。アドバイスをくれる先生もいますし。 (10/20-16:15) No.650
ふゆひこ > Curiousさんより先にレスしてすいません。貴重なご意見ありがとうございます。一文一文興味深く、おもしろいです。前段の内容について、リスナー側からもそれはよく分かります。そしてそれがクラシックの面白さ、すばらしさなんですよね。リスナーは演奏家に対して“曲に、なにか音符以上のものを吹き込んでくれる”ことを期待しています。僕はブレンデルとアファナシエフが好きなのですが、二人に共通することは、音楽だけでなく芸術全般に対する全方位的な感性、教養、知識で、2人の演奏には明らかにそれが感じられます。“小さな子にあれこれ〜”というのはそのとおりですよね。“一流のピアニストは本で調べる〜”のところは、下で書いた、内田光子の言葉にも表れていると思います。 (10/21-00:30) No.653
ふゆひこ > 後段の書き込みについては、“個性的なピアニストでも、裏打ちされた理由がなければ〜”というのは、おおっ!と思いました。僕にとっては真っ先に思い浮かぶのはアファナシエフかな。確かに彼には裏打ちされた理由を明確に見せつけられます。同じ演奏家であっても表情や感情、気分等が都度の演奏によって異なる、というのもよく分かります。確かにこの辺は一流の演奏家の領域ですね。 (10/21-00:39) No.654
ふゆひこ > 以上のとおり僕も同じ考えなのですが、ちょっとだけ逆の立場の意見を(笑)。“生涯を知る”ということにも少し“罠”があって、“生涯”から曲を理解しようとすると、間違える可能性もあります。リストで言えば、“リストはこの頃、子どもを亡くしているから、この曲はその悲しみで作られた”(←前にもちょっと書きましたが)と安易に解釈しきってしまう評論家とかが多いと思います。すぐれた曲は生涯を調べなくても、逆に曲からその生涯にまで達することもできる場合もあると思います。いくらそのときに“子どもを亡くしていた”としても、曲にそれが感じられなければ、その生涯の事実には従う必要はないと思います。その辺はバランスでしょうね。 (10/21-00:46) No.655
CGS > あれ、ふゆひこさん、まだ起きているんですか。Dzien dobry!
(おはようございます。Polish)
そうです、似ているのですが個々の作品を弾く時にいちいちリストにお伺いというよりも、一度どんな人間だったかが理解できれば後は、演奏者の人生がリフレクトしなければ、その人の演奏を聴く意味がありません。
でもさりなさんの意見、実はどの音楽家でも多かれ少なかれ実行していると思います。
私のように、ピアノはほとんど弾かないくせにハンガリーまで遠出しようというものもいますが。(こちらのピアノ科の学生たちを羨ましがらせています。笑)
Do zobaczenia (BYE) (10/21-01:13) No.657
さりな > 曲から、悲しみや喜びなど感情を感じ取りそれを表現するのも大切ですよね。文章や言葉だけでは理解出来ないことってたくさんありますから。
アファナシエフの演奏にはとても興味があるのですが聴いたことが一度もないのです。リストのソナタが聴いてみたいです。他のピアニストに比べるとずっと遅いテンポらしいですね。 (10/21-20:34) No.658
ふゆひこ > >GSさん。ポーランド語で挨拶されたのは初めてです(笑)。作曲家の生誕の地を訪れたりするのって、より深く作曲家を知るため、というのもあれば、純粋なファン心理もありますよね。属啓成さんが『リスト生涯篇』のはしがきでゲーテの言葉“一人の詩人を知るのならば、その故郷を見よ”(引用正確じゃないです)とかを引用していました。僕はワイマールに行ったことあります。リストの石像は、周辺工事のためビニールかぶせられてました(笑)。>さりなさん。アファナシエフはめちゃめちゃ遅く演奏するんですよ。けど曲のダイナミズムは見事に生み出されてます。遅く演奏されることで、細部の音符を補聴することができるようになり、それらの一音一音が生命感を失っていないため、全体が巨大な有機物のようにうねりあがります。長年、ブレンデルの演奏で満足していた僕には衝撃でした。 (10/22-00:17) No.660



リストの初体験 投稿者:CuriousGeorgeSand 投稿日:2003/10/18(Sat) 06:28 No.622

はっきり言ってどうでもいいことですが、NMさんの紹介してくれたハルサニーの本に、

「僕は、僕、恥ずかしくて死にそうです。あの、その 今まで一度も女性と...」
伯爵夫人は、心地よい驚きを感じ...
「まあ、貴方はなんてかわいいの」
ところが後は彼女の抱擁の勢いから、若者は動物的な衝動に支配されてしまった。

というくだりが出てきて??してしまいました。(フランス語ですから正確じゃないんですが、そんな意味だという見当は付きます)
当然若者はフランツで伯爵夫人はラプルナレーデ夫人です。ということはサンクリック嬢とは清い関係のままだったんでしょうか?(ロミオとジュリエットかと思っていました)

もちろんこの人別に伝記書いているわけではないので、誰でも別にいいことですが。
リストのセクシュアリテイって重要な事だったんじゃないですか。


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ふゆひこ > 性欲が創造欲の根源という考え方もありますね(詳しく知らないですけど‥、単純にフロイト心理学とかは、そんなようなスタンスなんじゃないかな)。創造と結び付けなくても、セクシュアリティが人格形成とかに大きく関与するのは確かだと思うので、重要だと思います。ただその内容はたいて明かされない、あるいはタブロイド版的な噂話でしか残っていない、という点でリストの場合、考えるのは難しそうですね。 (10/18-09:54) No.626
ふゆひこ > 僕はよくチャップリンとリストを比較したりしますが、チャップリンが自伝でその辺のことについて発言してるんですよね。ちょっと資料にあたらず記憶だけで書きますけど“自伝とかいうと、性の遍歴に関することを期待されるんだが、私は自分について考えてみれば性というものが、それほど重要性を持っているとは思えない。確かに性欲にとらわれる時期もあるが、創作に没頭しているときは、そんなことをまったく考えなかったものだ”とかそんなこと。このチャップリンの発言にもヒントはあると思います。重要かもしれないけど中心テーマにしてすべてを結び付けようとすると間違えるのでは、ということかな。逆に“性”のテーマはチャップリンもリストも、その他大勢のすべての人にとっても、そのことを発言しようとするとブレーキがかかる、という意味でもありますが。(←この文章を書きながら僕もすでに言葉選びに気をつけている(笑))。 (10/18-10:04) No.627
CuriousGeorgeSand >
そうですねやはりタブーでしょうか?ウオーカーのような本が扱わないというのは、タブロイド的な興味本位につきない記述と区別するために分析できるほど事実が解明できないからでしょうか。でも、完全無視されると、チラッと読んだ人とかがいきなり、女性関係が派手だったとか果ては、手当り次第とか言うとんでもない極端な言い方を無責任にする人たちがでてきて、かえって好意的な意図が逆効果になってしまう事になっているのでは。
手紙なども編集されているものが多く、実際に単なる友人であった女性との区別が付かなくなってきていつの間にか両方とも「愛人」として、別の本に出てきてしまうというような気がします。(結構まじめな本でもそういう書き方の文章が「リストの生涯」の段落にでてきたりしますよね。)
フロイドの論理などは、ただ単にそういう見方もあるというだけで、主要な病床心理学としては認められてはいないのでしょうか。
(ハルサニーは、ちゃんとかなりの資料読んでるみたいなのに結局小説にしちゃっているというのは、私みたいに、冗談半分なんでしょうか。)
(10/18-14:45) No.630
ふゆひこ > “タブー”ということはないと思いますが、Curiousさんの書き込みの“ウォーカーのような〜解明できないから”というのが正解なんだと思います。僕もおかげでよく分からないんですよね。誰が愛人で誰が友人なのか。まぁ友人であって愛人であってもいいんですが(笑)。根拠の薄い事実でリストを非難する、あるいは美化するというのはどちらも悪い姿勢ですよね。僕はリストの性的な噂話とかを読むと、“なんて健康的なんだ。さすがリスト!”と思ってしまいます(笑)。心理学の方は、さっぱりわかんないです。そういえばチャップリンの上の発言は“フロイトには反対”っていう考えのもとでの発言です。彼は『ライムライト』の中でも確か、皮肉っぽくフロイトの名前を出していました。 (10/18-22:03) No.634
ふゆひこ > 僕の主観ですが、僕はリストの音楽に“セクシュアル”な要素をあまり感じないんですよね。音楽が持っている根源的な要素が“セクシュアルなものだ”といわれてしまうと元もこもないですが…(それがまぁフロイト的な発想ですね)。唯一感じるのは、ソナタロ短調ぐらいかな…。僕はソナタロ短調を“リスト自身を描いた、極めてプライベートな作品”だと思っているので、それで感じるのだと思います。リストに比べれば、ショパン、モーツァルトの方に断然セクシュアルな感じを受けます。後は当然ワーグナー。リストがワーグナー作品を編曲したものには当然セクシュアルな要素は感じます。 (10/18-22:11) No.635
N匿名M > 私の持っている本(Ernst Burger 「Franz Liszt」)に、こんなくだりがあります。『1826年。人生。…リスト、マルセイユに赴く。練習曲を作曲し、6回の演奏会を行う。後年…1877年8月アイゼナハにて…リストはリナ・ラーマンにある秘密を明かす…このマルセイユ滞在の間、彼はリディア・ガレッラなる少女と恋に落ちたのだ(「これは本当ですよ」リストは胸に手を置き、童心に返ったかのごとき純粋な声で言ったという…「その時まで、女性というものを、私は知らなかったのです (Je ne savais point ce qu'est une femme - I didn't know what a woman isとでも訳すのか?)」というわけで、ハルサニーのお話は大変面白いですが、ダウトかなと思っております(笑)。 (10/18-22:33) No.639
CuriousGeorgeSand > N匿名Mさん。見当も付かないドイツ語版を買った私が愚か者でした。
単純な疑問を解明してくださりありがとうございます。 I didn’t know what a... という訳は大当たりです。 ハルサニー氏は、 "je n'avis encore jamais embarasse aucune femme dans ma vie." と、語らせておりました。
(10/19-01:21) No.641
CuriousGeorgeSand > 私は彼が受けを狙って書いた作品特にオペラパラフレーズ 超絶技巧的... などに強烈なセクシュアリテイを感じます。芸術的意図などはあまり無く、これでもか、と "I can be your best bet for your choice of mate...I can give you the fittest off−spring to you." と強烈に女性の動物的直感に訴えてくるのです。
うーん、芸術家の作品をこのような視点だけで捉えているわけでもないのですが。 でも音楽−特に演奏となると非常に直接的になってくるんです。私のヴァイオリン教師がいみじくも "Violin should be played with your balls(!)...well, you don't have it , but you understand what I mean." これは冗談で言っているわけでは有りません。自分のセクシュアリテイが理解できていないものは、究極的にはいい音楽を奏でる事はできないといったところでしょうか。 これ、非常に共感できるんです、同じ理由で、神童などと呼ばれている子供たちに何かかけているのは、そのあたりではないでしょうか。技巧的に完璧でも成熟が感じられないというあたりです。 
日本語で適当な表現がないのですが、"I'm comfortable with my own sexuality." としか言えません。 (10/19-01:53) No.642
ふゆひこ > こんばんは。おおっ!そんな話が。ウォーカーのVYでINDEXを見ましたけど、ガレッラのことは触れていないようです。“純粋な声で”というのがノスタルジックでいいですね。15歳で初体験って、別に現代でも普通じゃないかな。19世紀の初体験の平均年齢を知りませんが。また道徳観、リストがどう思っていたかも、考える必要がありそうですね。 (10/19-22:40) No.645
ふゆひこ > テーマが混在してしまい、すいません。リストの生涯の史実からセクシュアリティを探るのが難しいと思ったので、作品から知ることができるのでは?と思ったのです。Curiousさんのご意見、めちゃめちゃ興味深いです。僕が言っていた“セクシュアリティ”というのは、もしかしたら、男性である僕からみた“女性的セクシュアリティ”かもしれません。Curiousさんは女性だから、リストの音楽に“男性的セクシュアリティ”を感じるのかな、と思いました。“セクシュアリティ”という言葉に語弊があるならば“エロス”と言い換えてもいいです。ヴァイオリンの先生の話、僕も共感できます。ただ、僕は演奏家によるセクシュアリティを前面に押し出した演奏があまり好きではありません。音楽に内在するセクシュアリティをそのまま自然に出してくれる演奏が好きかな。ハーモニー、旋律、リズムに自然にやどっているエロスです。 (10/19-22:48) No.646

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