ミルシテイン“コンソレーション NO3” 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/10/22(Sat) 21:33 No.3993

ナタン・ミルシテインが“メフィストワルツ第1番”をヴァイオリン独奏曲に編曲していることは以前ここの掲示板でも話題になりました。
ミルシテインは“コンソレーション第3番”も編曲していました。次のCDで聴けます。コンソレーションはジュール・ド・スヴェルトがチェロとピアノ版に
編曲しています。聴き比べた感じ、スヴェルトの版はゆるやかな落ち着いた感じであるのに対し、ミルシテインはドラマティックに聴き手を高揚させるような
アレンジ、演奏をしています。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000000WUT/qid=1128610677/sr=1-8/ref=sr_1_8/104-5264468-9880767?v=glance&s=music

というわけでミルシテインからリストへ誕生日おめでとう、でした(笑)。

イノセント 投稿者:カノン 投稿日:2005/10/21(Fri) 16:40 No.3991

 初めまして!カノンです。
 ふゆひこさーん、サイトの映画に、「イノセント」とあったんですが、もう少し詳しい情報を教えて頂けませんか?何故リストの音楽で、エステ荘が使われたのか・・・等、ご存知ですか??

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ふゆひこ > 初めまして。なぜ“エステ荘の噴水”が使われたのか、というのはちょっと分からないです。ダヌンツィオの『罪なき者』もぱらぱら見たのですが(読んでませんパラパラ見ただけ)、サロンコンサートの場面はないようでした。ヴィスコンティの発言があればいいですね。映画の開始早々にサロンでコンサートが催されており、そこに物語の中心人物が聴きにきます。ピアニストは、年配の女性ピアニストです。最初モーツァルトの“トルコ行進曲”が弾かれ、その後“エステ荘の噴水”が弾かれだします。弾きだしたそのタイミングでステーファノ・エガーノ伯爵?(ちゃんと見直してないので定かでないです)が聞き飽きて中座します。そして“音楽はよく分からない”という発言をします。この辺の流れにもヴィスコンティの意図がありそうですね。

下の“失われた時〜”のスレッドで、サン=トゥーベルト侯爵夫人の夜会の場面と“イノセント”のサロンの場面が似ている、という記述をしました。もしかしたらヴィスコンティの意図は、一般に受け入れられすぎた曲を使って“通俗性、スノビズム”を表したかったのかもしれません(ネット上で、同様な解釈をしている文章を見つけました)。思えば『失われた時を求めて』のサン=トゥーベルト侯爵夫人の夜会と、『イノセント』で使われる音楽は似ています。

『失われた時を求めて』
1)グルック“オルフェオ”よりアリア フルート独奏
2)リスト“小鳥に語るアッシジの聖フランシス”
3)4)ショパンのプレリュード 2曲
5)ヴァントゥイユのソナタ(架空の曲)

『イノセント』
1)モーツァルト“トルコ行進曲”
2)リスト“エステ荘の噴水”
3)ショパン“子守歌”
そして別の場面で、グルック“オルフェオ”が使われます。

今『イノセント』のDVDの解説、柳澤一博さんの記述を読んだら、P3

“この場面は原作にはなく、プルーストの『失われた時を求めて』のゲルマント公爵夫人の音楽サロンを想起させる。”

という同じ指摘がありました。柳澤一博さんの“ゲルマント公爵夫人の音楽サロン”というのは“サン=トゥーベルト侯爵夫人の夜会”の間違いじゃないかな。僕は『失われた時を求めて』は読み途中なのですが、いまのところ“ゲルマント公爵夫人”によって開催される音楽サロンの場面は出てきていません。ヴィスコンティは『失われた時を求めて』を映画化しようと思っていたぐらいなので、『イノセント』のサロンの場面の下地にした可能性は十分高いと思います。 (10/22-21:15) No.3992


1911年 ハイデルベルク  投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/09/19(Mon) 03:50 No.3931

リスト生誕100年にあたる1911年には多くの名だたる演奏家がオール・リストのコンサートを行っていますが、この1911年のハイデルベルクでのフェスティヴァルもすごいです。ファウスト&ダンテの2交響曲のみならずオラトリオ“キリスト”、そして合唱曲、リーダー曲まで含まれています。

http://www.humanities.mcmaster.ca/~admv/1911.htm


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ふゆひこ > こんなフェスティヴァルがあってよいのでしょうか??。ピアノ演奏ではブゾーニ、フリードハイム、サン=サーンス、指揮ではリヒャルト・シュトラウスの名前もあります。

さて10月24日にプルーストのところで話題にしているエデュアール・リスレールの名前もありますね。リスレールが演奏したのは“Grosse Sonate fur das Pianoforte”とあるのですが、シューマンの名前が見えることから、これはソナタロ短調のことでしょう。このリスレール、ウォーカーFY P249からの弟子一覧によると“リストの弟子”にノミネートされてるんですよね。リスレールがリストと面識があったというのは、他の資料で記述はまだ見つけていません。 (9/19-04:02) No.3932
ミッチ > すげぇ!!その曲目、面子をみただけで興奮します。
Rislerがリストの弟子というのは僕も疑っています。ウォーカーさんには申し訳ないですが、あの一覧は少しおかしな所がいくつかあります。しかし彼が、ダルベール、クリントヴォルト、シュターヴェンハーゲンにわざわざ師事するためにドイツに向かったという事実は見逃せないでしょう。彼は熱狂的なワグネリアンでもあり、ワーグナーの楽劇を2台ピアノに編曲して、弟(おとうと)弟子であるコルトーと2人で演奏していたそうです。ちなみにコルトーも熱狂的なワグネリアンです。
http://www.geocities.jp/aesthetik_der_tonkunst/pupils.html
直リンク、すいません。問題あったら削除してください。 (9/19-22:36) No.3938
ミッチ > 日本語がおかしいですね。「わざわざ師事するためにドイツに向かった」ではなく「師事するためにわざわざドイツに向かった」ですね。失礼しました。 (9/19-22:54) No.3939
直坊 > 今コルトーの演奏によるCDで伝説2番、波の上を歩いて・・・を聴いていたのですが・・・コルトーってAlfled Cortotのことですよね?!このテイクってホント好みで何回でも聴いてしまうのですが・・・。
ワグネリアンとは初耳でした。 (9/19-23:54) No.3940
ミッチ > 直坊さん
僕もコルトーのリスト大好きです。僕にコルトーの話を振ると長くなりますよ(笑)。コルトーはワーグナーの楽劇を全て暗譜していたそうです。個人的にそのコルトーの「波の上...」はケンプ、オピッツ、フィオレンティーノなどと並び最高の演奏の一つだと思っています。リストは弟子たちに「テクニックはメカニックから来るものではない。魂から来るものなのだ!」みたいなこと(うろ覚えです、間違えてたらごめんなさい)を言っていますが、コルトーの演奏はまさに「魂から来るテクニック」という感じがします。ちなみに専門家の間では「fabulous」という評価を得ているらしいですが、僕も素直に同意したいと思います。それからハンガリー狂詩曲11番に対しては「コルトーは、もしその気があったならば、スーパーヴィルトゥオーゾにでもなれたはずだ」と言っている方もいました。僕が思うにコルトーはそんなことには興味がなかったのだと思います。
ちなみにブレンデルは「音楽的目的が達成されているならば、ミスタッチなど気にしない」、「完璧性というものが音楽に与えた被害はすでに取り返しのつかないものになっている」と言っていますが、その彼がフィッシャー、ケンプ、コルトーを大絶賛しているのは納得がいきます。 (9/22-23:49) No.3942
ふゆひこ > 直坊さんも“コルトーがワグネリアン”ということは初耳でしたか。僕にも非常に意外な事実でした。このことはネットで検索しても簡単に情報が手に入るし、なぜ“意外”に聞こえてしまうのかに興味があります(日本の評論家とかがコルトー=ショパンというイメージを強く打ち出しすぎた、とか)。コルトーの“波を渡るパオラの聖フランシス”は僕も持ってます。…ですがあんまり聴いてませんでした。こんど聴きなおしてみますね。 (10/4-01:55) No.3952
ふゆひこ > 最近の僕はプルーストにどっぷり浸かってるんで、他のスレッドにも波及してしまうことを許してください。『花咲く乙女たちのかげに 2』鈴木道彦訳 集英社のP82から引用します。

“ピアノの演奏であればあまり念入りな凝ったものは望まず、ルビンシュタインのふと弾きちがえたり外れたりした音をとくに喜んだ。”

これは語り手の祖母の趣味趣向を語ったところです。ミッチさんが紹介されたブレンデルの言葉を、まるで言い換えたかのような文章ですね。 (10/4-02:01) No.3953
直坊 > いやーまたコルトーの演奏による“波を渡るパオラの聖フランシス”を聴いているのですが何時聴いても感激してしまいます。それに私のCDはEMIのアルフレッド・コルトーの遺産(第9章)なのですが録音状態が良いとは言えず、ジジジ・・・というノイズもきこえてしまうのですがこのノイズでさえも受け入れてしまうのはどうなんです(笑)?
因みにコルトーの指示によると演奏時間は6分50秒なのですが実際にこのテイクは7分29秒かかってます。
・・・え・・・?
一番の“小鳥に説教をするアシジの聖フランシス”の演奏時間も6分50秒で演奏するように指示されていますよね?
この曲はエリック・ハイドシェックは11分17秒で弾いていますが。
・・・え・・・?
様々な演奏家がいらっしゃって飽きることがありません。 (10/5-00:23) No.3956
ミッチ > ふゆひこさん、ごめんなさい。あなたがコルトーのことを既に言及していたのに、同じようなことを繰り返していっていました。注意力散漫で、お恥ずかしい。。。 (10/5-01:36) No.3958
ミッチ > ルビンシュタインはAnton Rubinsteinでしょうか?彼に付きまとう話題は必ず、「リスト以後の最も偉大なピアニスト」「ベートーヴェンに似ている(笑)」「ミスタッチの多さ」です。ショーンバーグの著書に「ベートーヴェンのような顔をして、ベートーヴェンのように演奏していた」という風に紹介されていました。「ピアノを噴火させ、ミスタッチ、千切れた弦などはまったく気にしなかった」そうです。ミスタッチの多かったピアニストが「the greatest pianist after Liszt」という評価を得られるのならば、当時の聴衆は現代の聴衆とまったく異なる音楽の聴き方をしてたのかもしれませんね。ちなみにルビンシュタインの弟子ホフマンによると、ホフマンの親指よりルビンシュタインの小指の方が太かったほどのごつい手をしていたようで、黒鍵と黒鍵の間の白鍵を弾こうとすると必ずその両脇の黒鍵も鳴ってしまっていたそうです。
僕も個人的には、ミスタッチは気にならないので、メカニカルな演奏をされるぐらいなら、面白味のある演奏を聴きたいです。何かの本に(チャイコフスキー?)コンクールの審査員の会話が載っていて、「ここにホロヴィッツが出てきたら予選も通過できないね」みたいなことが書いてありましたが、「ホロヴィッツが出ても予選の通過できないコンクールに何か意味があるのかな?」と思います。
「完璧性が良いか、悪いか」は演奏哲学、演奏美学の世界なので、僕は何ともいえませんが。 (10/5-02:09) No.3959
ふゆひこ > コルトーの“波を渡る〜”を聴きなおしてみました。僕はすごい感銘を受けた、というほどではないのですが、冒頭を聴いた瞬間、まるでワーグナーかと思いました。先入観による感覚ではないと思います。今までどんな演奏家の“波を渡る〜”を聴いても、ワーグナー色を感じることはなかったのですが…。旋律は“タンホイザー序曲”、リズムと雰囲気は“パルジファル”“ヴァルハラ”でしょうか。これがワグネリアン・コルトーのなせる業かな、と思いました。 (10/8-00:38) No.3962
ふゆひこ > ミッチさん。いえいえ全く気にもしてません(笑)。そうですね、言われてみればルビンシュタインはニコライの可能性もあるんですね。プルーストの文章からは、どっちかは分からないのですが、訳者の鈴木道彦さんによるインデックスではアントンの方になっています。黒白黒を同時に鳴らしてしまうとは(笑)。いろいろなエピソードを聞きますが、だいたい伝説のピアニスト達は、ミスタッチなど構わないスタイルというのが多い気がしますね。確かにレコードのない時代にとって音楽とはその場限りで幻のように消えてしまうものですから、演奏家達は数学的な正確さよりも、もっと重要視すべき何かを目指したんでしょうね。 (10/8-00:46) No.3963
ミッチ > どちらに書いてよいのかわからないのですが、一応こちらに書きます。コルトーの主張で「フレンチ・ピアニズムを停滞から救ったのは、リスレールである」というものがあります。ショーンバーグの著書によると、「リストの血」を受け継ぐためにドイツへ向かいダルベール、シュターヴェンハーゲンに師事したとなっています(グローヴ音楽辞典によるとダルベール、シュターヴェンハーゲン、クリントヴォルトに師事となっています、どっちが正しいのやら)。
フレンチ・ピアニズムの停滞というのは「エレガントだが表面的」というものだったらしいです(現在のフランスのピアニストでもそういう人いるような)。「リストの血」がフレンチ・ピアニズムを救ったんだ、とリスティアンの僕は都合よく解釈しています(笑)。 (10/8-22:07) No.3970
ミッチ > フレンチ・ピアニズムはロシア・ピアニズムと対照的で面白いですよ。ロシア・ピアニズムが様々な楽派の流入によってできたものなら、フレンチ・ピアニズムはその地で伝統が脈々と受け継がれて出来たものです。しかもコルトーがエコールノルマル音楽院を設立するまで、ほぼパリ・コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)という一つの教育機関によってです。流入が少なかったとはいえ、いくつか例外があります。教師として影響力が強かったのはショパンの弟子、マティアス(ドイツ人)などがいました。リスト楽派の流入はリスレール以外では見当たらないかと思えば、フランスの名ピアニストでイシドール・フィリップ(マティアス、サン=サーンスにも師事)という人がいますが、この人はリストの弟子であるテオドール・リッターの弟子です。イシドール・フィリップはマガロフ、ノヴァエスの師です(ややこしくてすいません「リスト→リッター→フィリップ→マガロフ、ノヴァエス」ということです)。 (10/8-22:24) No.3971
ふゆひこ > ロシアが地理と民族の観点から、西洋の中心とは異なった文化を作り上げていく、というのは容易に想像できるのですが、フランスが“停滞した”というのは意外でした。芸術の中心であったために、純血にありがちな停滞が起こった、ということかな。ウォーカー FYの弟子一覧で見ても、フランス人の弟子というのはやけに少ないですね。リストが生涯の前半フランスに定住していたにも関わらず。いくらその頃、弟子を取らなかったといっても少なすぎる。FYでのノミネート名で10名だけ。明らかに(僕でも分かる)ピアニストの歴史において重要でない名前(カロリーヌ・サン・クリック、ポリーヌ・ヴィアルド、アデル・ラプルナレーデ)を抜くと、なんと7名しかいません。アメリカ人の方が圧倒的に多いですよ、37名ノミネートされてますから。クイズになりそうですね。“フランツ・リストに教えを受けたことのある人は、フランス人とアメリカ人でどっちが多い?”って(笑)。 (10/9-12:39) No.3972
ミッチ > ほんとだ、フランス少ないですね。リストがパリ・コンセルヴァトワールに生徒として受け入れられて、そのままそこの教授にでもなってたら、コルトーやナットなどのフランスの名ピアニストたちが「リスト直系ピアニスト」になってたかもしれませんね(笑)(コルトーにはリスレールを通じてリストの影響があるのかもしれませんが)。
アメリカのピアニスト達にとって、流行りのピアノ教師に師事することが流行りだったようです(笑)。最も流行っていたコースは、まずクーラックに技術的な面を師事して、その後リストの所で仕上げるというものだったそうです(リストの弟子で、クーラックにも師事していた人は多いですね)。エイミー・フェイが良い例です。 (10/11-20:37) No.3975
ふゆひこ > 僕が最近興味を持っているポイントともリンクするのですが、本当にリストがフランスからドイツへ移住したこと、というのは芸術史上、ピアニスト史上、非常に重要視すべき転回点だと思うんですよね。“1848年”の隠れた革命、というのは言い過ぎでしょうか。クーラックというのはテオドーア・クーラックという人でしょうか。ウォーカーのFYにも出てきますね。なんだかリストとは立場を異にするピアノ教師だったような。引き続き読んでみます。 (10/14-01:20) No.3979
ミッチ > 今読んでいる本が「フレンチ・ピアニズム」というものなんですが、それによると、コルトーはリスレールにもドイツでレッスンを受けているとのことです。これが本当なら、コルトーもリスト直系ピアニストですね。
いままで、フランス楽派はリストの影響をあまり受けていないと思っていたのですが、強引につなげようと思えば、つながります。例えば、フランソワ、カツァリス、グリモーにつなげると
リスレール→ジャック・フェヴリエ→フランソワ
ザウアー→モニク・ドゥ・ラ・ブルショルリ→カツァリス
トマーン→バルトーク→シャーンドル→グリモー
となります。「だから何?」って言わないでください(笑)。 (10/17-20:19) No.3983
ミッチ > 「リストがフランスからドイツへ移住したことは芸術史上、ピアニスト史上の重要な転換点」というのはまさにその通りだと思います。それと、リストの作風はフランス音楽的な側面があれば、ドイツ音楽的な側面もあって、その複雑さがリストの音楽をよりいっそう魅力的にしていると個人的に思います(もともとハンガリー出身ですが、それだけではない何かがあると思います)。
Theodore Kullakは生徒に嫌われていたらしいです。厳しい人だったのかな?しかも多くの逸材が彼を通り過ぎてリストのもとに流れていきました。かわいそうなクーラック…
クーラックとリストの役割の違いですが、「クーラックは単純に技術面を」「リストは生徒達のインスピレーションの源だった」と解釈しています。 (10/17-20:34) No.3984


ドレスデン 投稿者:あちゅん 投稿日:2005/10/15(Sat) 12:22 No.3981

 こんにちは!リストマニアのあちゅんです。
 1848年頃に、リストはドレスデン革命で指名手配になったワーグナーの逃亡に、手を貸しているじゃないですか?
 そのドレスデンの革命の事を詳しく書いてある本を、どなたか御存知ないですか?

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ふゆひこ > 僕は読んだこともないし知らないんですが、AMAZONで“dresden,revolution”とかで検索すれば洋書で何冊か引っかかりますね。↓これとか。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3768419371/qid=1129468947/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-4362995-9981156

“1848年”の“革命”のうちのアーティクルとしてなら、多くの書籍で情報が得られるのではないでしょうか。 (10/16-22:25) No.3982


映画 『ラプソディ』 投稿者:麻衣 投稿日:2005/10/08(Sat) 12:44 No.3969

 初めまして、麻衣です。
 リストが好きで、このサイト様に辿り着きました。
 いきなりなのですが、教えてください。
 パラフレーズに、「ラプソディ」という映画の事があったのですが、どうしてその年代に、リストの事が映画になったのですか?
 パンフレットも映画も観た事が無いので、分からないんです。
どういった趣旨で、監督がラプソディという映画を製作したのか・・・よろしければ、教えて下さい。

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ふゆひこ > はじめまして。このサイトで紹介している『ラプソディ』という映画については、僕も載せている情報しか知らないんです。もちろん観たことありません。よくよく考えると1934年という時代が気になりますね。ナチス時代だと思うので。ネット上でいろいろ調べただけですが、1934年の段階ではすでにフリッツ・ラングがアメリカに亡命した後だったりと、ナチス、ゲッペルスの映画界への関与がすでに始まっているはずです。ナチス文化に合わせたリスト映画だったのでしょうか?

これは映画データベースでの紹介ページ。ほとんど情報がありません。

http://www.imdb.com/title/tt0249112/

そのサイトで調べることの出来る、リスト役をやったと思われるウォルフガング・リーベンライナーのページ。同年にショパンの『別れの曲』?という映画(これが“別れの曲”の命名の由来となった映画でしょうか)で、ショパンを演じているようです。ちょうどそのあたりのリーベンライナーはヨハン・シュトラウスを演じたり、音楽家関連の映画が多いようです。ショパンを演じているとなると、リスト映画の方もナチスという時代背景とは関係ないのかな?

いろいろと調べていたら『カリガリ博士』とか『會議は踊る』といったドイツの名画に出演しているリル・ダゴファーという女優が1928年(29年?)に『ハンガリアン狂詩曲』という映画に出演しています。これもどう考えてもリストの映画だと思うんですが。

↓リル・ダゴファのページ
http://www.cineartistes.com/?page=afficher&id=45

↓『ハンガリアン狂詩曲』のページ
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=18745
(10/9-14:12) No.3973
ふゆひこ > というかリーベンライナーがショパンを演じた『別れの曲』にもリストは登場しますね。ハンス・シュレンクという俳優が演じたようです。 (10/9-14:17) No.3974


Notorious Woman 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/10/08(Sat) 02:36 No.3968

去年はジョルジュ・サンド生誕200年にあたり、サンド関連の書籍が増えた気がします。この間サンドの大部な自伝が発売されていたのには驚きました。

さて、そんなジョルジュ・サンドを題材にしたテレビ用映画が作られています。“Notorious Woman”。“名うての女”とでも訳すのでしょうか。この作品でジェレミー・アイアンズがリスト役で出演しています。

http://www.picks.plus.com/howard/notorious.htm

ユンディのコンサート 投稿者:アーモンド 投稿日:2005/10/06(Thu) 15:20 No.3960

先日、ユンディ・リのコンサートに行ってきました。
スペイン狂詩曲はとても良かったです。また、アンコールで弾いたタランテラも良かったですよ〜

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ふゆひこ > 今日は(というかもう昨日ですが)横浜だったようですね。“スペイン狂詩曲”はユンディ・リに合いそうですね。なんかキーシンとイメージが重なる。 (10/8-00:52) No.3964


ソラブジ 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/09/28(Wed) 18:44 No.3944

ソラブジの作品で「“Dies irae”の主題による変奏曲とフーガ」という作品があるらしいです。正直ソラブジはそれほど聴いたことありませんが、これは聴いてみたいです。100の超絶技巧練習曲も是非聴いてみたいです(録音あるのでしょうか?)。

ちなみに、「スペイン狂詩曲」ピアノソロの編曲があって、おお!と思ったのですが、これはラヴェルの作品の方でした。

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ふゆひこ > 僕はソラブジの曲は1曲も聴いたことがないです。紹介いただいた曲は、リストの作品と比較してみたく興味をそそりますね。ソラブジはピアニストの間で最近になって知名度が上がった作曲家なのでしょうか。面白いことに僕の持っている三省堂の『クラシック音楽作品名辞典』にソラブジは載っていませんでした。 (10/4-02:04) No.3954
直坊 > “Dies irae”と言えばリストの“TOTENTANZ”でしょうか。
“TOTENTANZ”は初めて聴いたときはこの世の終わりってあるのではないかとか・・・地獄とか・・・絶望・・・悔恨などを感じてしまい恐ろしくなってしまったと同時に打ちのめされたものですが・・・。音源はティボーテがピアノでシャルル・デュトワ指揮(アルゲリッチと結婚、離婚もしてましたっけ?)でした。
“Dies irae”はある意味面白いテーマですね。 (10/5-00:26) No.3957

Liszt MP3 recording 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/09/14(Wed) 23:00 No.3918

海外のサイトで、リストのある意味“究極のサイト”が始まっています。なんとこのサイトの目的はリストの曲を作品表に従ってMP3で公開していくことのようです。いろんな演奏家が無償で参加しているのでしょうか?かなり将来注目のサイトですね。もうすでに何曲か聴けますよ。“m4a”とかいう拡張子のファイルは僕は聴けなかったです。

http://www.lisztworks.com/

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サガミ > はじめまして、いつも楽しく拝見させていただいております。こちらは主要コンテンツだけでなく、掲示板の情報までとても充実していて素晴らしいです。バナーとリスティアンズBBSの画像がとても可愛いです∠°>>(←これです)。

凄いプロジェクトのサイトですね。m4aはアップルのQuickTimePlayerかiTunesで聴けるようです。私はQuickTimeで聴けました。(ご存知だったらすみません)
全曲アップされたらいいですね。 (9/16-00:19) No.3919
直坊 > やっと分りました。∠°>>の∠は鼻で°は目。>>は耳元でカーブした髪でしたか!? (9/17-00:08) No.3920
ふゆひこ > はじめまして。さっそく教えていただいたQuickTimePlayerをダウンロードして聴けるようになりました。ありがとうございます。このLiszt MP3 recording は期待のサイトですね。リストの顔文字∠゜≫は携帯とかでも使えるので、ぜひご利用ください(笑)。

>直坊さん ご名答です(笑)。 (9/17-05:04) No.3926
ミッチ > すごいサイトだと驚いたと同時に、あなたの検索能力にはいつも舌を巻きます。弁護士の方がピアノを弾いてたりとすごいですね。
ロ短調ソナタのギター版聴かせていただきました。一部とは言わずに全曲録音してそちらのサイトに寄付しましょう(笑)。 (9/19-22:21) No.3937
ふゆひこ > 僕がよく使う検索方法はですね、GOOGLEの“イメージ検索”というやつです。これで“liszt,franz”“liszt,ferenc”で定期的に検索していると、面白い画像が引っかかったりします。ギター版ロ短調ソナタは継続して練習しようと思ったんですが、もうあれからほとんど弾いておらず、すっかり指が忘れてしまいました(笑)。 (10/4-01:47) No.3951

愛の夢の葬送 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/09/18(Sun) 14:04 No.3929

ウォーカーによれば、晩年のリストの最も写実的な胸像は、アメリカの彫刻家モーゼス・エゼキールによるものとのこと。FYのP396〜398に書かれています。1881年にエゼキールはリストの胸像を作ることの約束を取り付け1週間エステ荘に滞在する。以下はP396〜398より。

“胸像は最終的にはブロンズで鋳造されたのだが、エゼキールがディオクレティアヌス帝の浴場跡に戻ったとき、彼は仮に石膏で作り上げ、それをプリンセス・カロリーヌに見せに行った。エゼキールがカロリーヌの住居に着いたとき、彼女は気分がすぐれずベッドに臥していた。カロリーヌが目覚め、キャンドルの灯された客間でその像を見つけた。薄明かりの中でもっとよく見えるように、カロリーヌは非常に近づいた後、鼻を像にほとんどくっつけてまるで匂いを嗅ぐかのように、あらゆる角度から凝視し、その間中ずっと驚いてこう叫んでいた「これは素晴らしい胸像だわ!本当に素晴らしい胸像だわ!」”

エゼキールによる胸像は、どういうものなんでしょうか。写真で見たことがないです。ネット上にも画像はないようです。カロリーヌをも感嘆させた胸像というのはぜひ見てみたいですね。

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ふゆひこ > ↓次はエゼキールについてのページ。

http://www.jewish-history.com/civilwar/moses_ezekiel.html

エゼキールは1917年にローマで客死したようですが、アメリカでの葬儀は1921年に執り行われたとのこと。このページの下の方に書かれていることで、その葬儀においては、海軍の楽団がリストの“愛の夢”を演奏したとのことです。 (9/18-14:05) No.3930


早慶合同演奏会のお知らせ♪ 投稿者:KPSの広報 投稿日:2005/09/13(Tue) 16:32 No.3916

ふゆひこさん
ご無沙汰しております。本日は演奏会の告知に参りました。

早慶合同演奏会
日時:2005年9月21日(水)開場13:30 開演14:00
会場:めぐろパーシモンホール 小ホール 入場無料

第一部
1.ラヴェル:水の戯れ、ショパン:12の練習曲1番Op.25-1「エオリアン・ハープ」
2.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ23番「熱情」より第1楽章
3.プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ1番
4.ショパン:舟歌
第二部
5.ドビュッシー:喜びの島
6.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ17番「テンペスト」より第3楽章
7.ラフマニノフ:前奏曲5番Op.32-5、前奏曲5番Op.23-5
8.ラヴェル:ハイドンの名によるメヌエット、バルトーク:アレグロ・バルバロ
第三部
9.ボルトキエヴィッチ:ピアノ・ソナタ2番より第1楽章
10.リスト:ハンガリー狂詩曲2番S.244-2
11.嶋津優里:時を越えて
12.フランク:前奏曲、フーガと変奏曲
となっております。

皆様のご来場を心よりお持ちしております♪

また、9月17日(土)には東京六大学ピアノ連盟オールデュオコンサートも催されます。
詳しくは、こちらをご覧下さい。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kps-homepage/

今回はリストの曲が1曲しか入っていないのに、長々と掲示板を使用し失礼しました。

それでは、また〜

ロックンロール・サーカス 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/28(Sun) 13:29 No.3903

リストから完全に離れてしまうんですが、面白いので紹介します。下の書き込みでロックのリフレインとジプシー音楽のルーツがつながんないか、などと“liszt,rock and roll”とかで検索していたら、ジュリアス・カッチェンのディスコグラフィにヒットしたんですよ。

最近DVDにもなった、ローリング・ストーンズのロックイベント“ロックンロール・サーカス”(ジョン・レノン、フー、ジェスロ・タルといったビッグネームも参加)に、なんとジュリアス・カッチェンが参加しています。死の前年でしょうか。デ・ファリャの作品とモーツァルトのピアノソナタを演奏したようです。これはクラシックファンの間でも有名な話なのかな。初めて知りました。

↓ユニヴァーサル・ミュージックのページ
http://www.universal-music.co.jp/platinum/column/index.html

ギドン・クレーメル “ダンテソナタ” 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/28(Sun) 00:37 No.3901

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルがなんと“ダンテソナタ”を弦楽とオーケストラ用編曲版を録音してます(編曲したのもクレーメルなのかな?)。2004年録音なんでしょうか?。エンディングのところなどを試聴してみるとかなり完成度の高いもののようです。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B0002UNQ7W/qid=1125155452/sr=8-1/ref=pd_bbs_1/102-8426587-9013727?v=glance&s=classical&n=507846

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ふゆひこ > ↑トラック5までがリストの“ダンテ・ソナタ”です。 (8/28-00:39) No.3902


LISZT TWIST! 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/27(Sat) 11:48 No.3900

現在でも現役のようで、1950年代から60年代に活躍した、ロック/ブルーズのミュージシャン、ジュールス・ブラットナーという人が、“Liszt twist”という曲を演奏しています。↓このアルバムの25曲目。最初に“LISZT TWIST!!!”とかっこよくシャウト。

http://www.jpc.de/jpcng/poprock/detail/-/hnum/3364440/rk/home/rsk/hitlist

最初“ハンガリー狂詩曲第2番”の旋律とか使ってるのかな、と思ったのですが、試聴で聴ける範囲では特にリストの曲は使っていなさそうですね。なんでLISZT TWISTなんだろう?

というか。よくよく考えたら“ハンガリー狂詩曲第2番”の有名な旋律って、ロックで使われる定番のリフレインに似てますね。ためしに、ラモーンズの“Rock&Roll Radio”を聴いてみましょう。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000691TG/ref=lm_lb_5/249-9045942-8912347

ついでにビートルズがカバーしたラリー・ウィリアムズの“Dizzy Miss Lizzie”もどうぞ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000ILYQ/qid=1125064504/sr=1-7/ref=sr_1_10_7/249-9045942-8912347


坂本千代 著 『マリー・ダグー』 春風社 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/24(Wed) 23:45 No.3899

マリー・ダグーに関する日本語書籍が出版されています。サブタイトルまで含め正確に書くと『マリー・ダグー―19世紀フランス伯爵夫人の孤独と熱情』。今日、本屋さんで手にとって初めて知りました。今年の6月に出版されたばかり。今年はマリー・ダグーの生誕200年ということにも合わせて出版されてもいるようです。著者はジョルジュ・サンドの研究家でご自身のWEBサイトも作られている坂本千代さん。

↓アマゾン
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861100429/reminiscedefr-22

↓これは坂本千代さんのWEBサイト
http://www.cla.kobe-u.ac.jp/Comm/Kyoukan/sakamoto/sakamoto.html

マリー・ダグーの日本語書籍は、後はデサンティの『新しい女』しかないので、非常に価値あるものですね。僕はアマゾンで早速注文しました。


SINFONIA EROTICA 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/23(Tue) 23:58 No.3897

ホラー映画ついでに。前にマルキ・ド・サドとリストで関連情報がないかな、と調べていて見つけたのですが、サドの作品を映画化したりしているジェス・フランコという映画監督が、リストのピアノ協奏曲第2番を映画全般に使用した作品を作っています。

http://www.latarnia.com/sinfoniaerotica.html

ジェス・フランコはカルト映画作家として大変高名な人で、最近新刊書店でもジェス・フランコに関する日本語書籍が置いてありました(立ち読みする勇気ありませんでした(笑))。上記のページによれば、ジェス・フランコは他の作品にも“愛の夢 第3番”を使ったりしているようです。このような映画に作品が使われるというのもリストの音楽性の一側面だと思います。

いかがわしい映画なので、良い子の皆さんは見ないように(笑)。またジェス・フランコについて突っ込んで調べることもやめましょう(笑)。



MEPHISTO WALTZ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/23(Tue) 23:01 No.3896


このサイトの“リスト・パラフレーズ”のページでも紹介している、フレッド・M・ステュアートの小説『悪魔のワルツ(MEPHISTO WALTZ)』ですが、よく考えると映画化もされてるんですよね。で、音楽には当然“メフィスト・ワルツ”が使われているだろうな、と思って調べたら面白いことに映画音楽の巨匠ジェリー・ゴールドスミスのアレンジになっています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001528/reminiscedefr-22

僕はいまだにこの小説読んでいないのですが、正直ホラー、オカルトの世界に“メフィストワルツ”は合わないと思うんですよ。メフィストーフェレスというのは、恐ろしさよりも、道化のように人を嘲弄するシニカルなキャラクターが、リストを含め多くの人から愛されているわけで。リストの“メフィストワルツ”もそんな音楽性のはずです。フレッド・M・ステュアートという人は、あんまり音楽に詳しくないんじゃないか…と思っています。

その点、ジェリー・ゴールドスミスはさすがです。“メフィストワルツ”をそのまま使っては恐ろしさが足りない、と考えたのか、“メフィストワルツ”のもともとのコンセプトであるヴァイオリンの音を使い、さらに“死の舞踏”に使われる“死のテーマ”をミックスさせているようです(試聴版で聴いた限りですが)。



ピアニシモの緊張 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/08/20(Sat) 14:47 No.3890

立ち読み知識ですみませんが、最近出版されたデッカのプロデューサー、ジョン・カルショーの回想録『レコードはまっすぐに』(山崎 浩太郎 訳 学研)のP237載っている話です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4054022766/reminiscedefr-22

クリフォード・カーゾンがリストのソナタロ短調をレコーディングしていたときのエピソード。カーゾンがピアニシモの旋律部分に異常な緊張感でもって演奏していたら、突然天井に取り付けられていた照明がものすごい音とともにすべて落下したとのこと。カルショーが言うには、それらの照明は、オーケストラが大音量で持って演奏した時でもなんともなかったものだそうです。それがカーゾンの演奏で、しかもピアニシモという最弱音の時にこんな現象が起きたとのこと。

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ふゆひこ > これは僕のサイトでも紹介しているディスクだと思います。ディスクのクレジットでは1963年9月録音となっているんですよね。書籍ではそれは1963年4月と書いてあるのですが・・・。ネット上でカーゾンのディスコグラフィを確認してもソナタロ短調のスタジオ録音はこの1963年9月版しかないようです。カーゾンは確かに理知的な響きで緊張感があります。リスティアンにとっては、この現象を起した時の曲が“ソナタロ短調”であるという点に信憑性を感じてしまいますね。というわけでカーゾンのソナタロ短調を聴くときは頭上に落下物がないか注意してからにしましょう(笑)。 (8/20-14:48) No.3891
直坊 > クリフォード・カーゾンのソナタロ短調ですか。最近買い物もしていないので注文してみようと思います。落下物って・・・物凄い現象!!こういう現象(?)って起こしたくても起きないわけで滅多にお目にかかるエピソードでは有りませんね(笑)。
あー、明日っていうか今日は一日だけ夏休みだ!!!何するかな?(すみません。独り言です。)久々のようなカキコでした。 (8/23-01:08) No.3894


「システィナ礼拝堂にて‐アレグリの“ミゼレーレ”とモーツァルトの“アヴェ・ヴェルム・コルプス”による」の楽譜 投稿者:なおあゆ 投稿日:2005/08/19(Fri) 20:34 No.3885

いつも楽しく拝見させていただいております。初めて投稿させていただきます。楽譜を探しています。「システィナ礼拝堂にて‐アレグリの「ミゼレーレ」とモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」による」の楽譜を手に入れたいのですが、どうすればよいか教えていただけないでしょうか。

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ふゆひこ > 『リストへの挑戦』のサイトで調べると、EMBのシリーズ2の12巻に入っているようですよ。EMBの楽譜でしたらYAMAHAとかアカデミアとかで買えます。 (8/20-02:05) No.3888
直坊 > 同じ名前に「なお」が付く直坊です。この曲弾くの?
私のよく行く楽譜店或いは楽器店は(行っても買わない時はあります)「カマクラムジカ」「YAMAHA銀座店」「山野楽器銀座店」ですねー。
山野楽器はレスリーハワードのCDが普通に置いてあり在庫がない場合は取り寄せもしてもらえます。ブダペスト版も置いてあります。
銀座YAMAHAは楽譜と書籍が揃って(いる方?喰い足りない方もいるはず。)ます。
「カマクラムジカ」はお気に入りですね。ここの方は英語、独語、仏語、露語、イタリア語(もっとかも)を話せるようなので怖いものなしです!
ブダペスト版は第2集になると値段がグンと跳ね上がり8千円から9千円以上します。それプラス郵送料、プラスα、プラス消費税といったところです。プラスαは取り寄せが船舶によると無料でも、空輸便(飛行機ね)だと費用がかかります。といっても千円位(だったと思う。)。だから1万円はするとみたほうが・・・。
カマクラムジカはロケーションもよく、お店の人の感じもいいので(独断ですけど)HPを覗いてみるのもいいとおもいますがいかがなものでしょう?もちろんリスト以外にも品揃えは豊富です。
カマクラムジカのHP↓
http://www.kamakura-musica.com/
ふゆひこさんへ。
楽器店、楽譜店、コンサートホールめぐりもしてみると面白いかもしれませんね〜。
(8/23-00:33) No.3892

リストとベートーヴェン 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/08/10(Wed) 01:00 No.3853

色々な資料が頭でごっちゃになってました。下の僕の書き込みは無視してください。ボンのベートーヴェン・ハウスとブダペストのリスト記念博物館との2002年共同出版の専門書で「Liszt und Beethoven」という書籍があるのですが(その中の著者にエックハルトなどの名も見えます)。そこでAxel Schroterという人が「リストとベートーヴェンは実際に会っていたか」について言及しています。
まずですね有名な >Weihekus< のエピソードをでっち上げたのは、ペーター・コーネリウスで、1859年2月11日の「Neue Zeitschrift fur Musik」への記事だそうです。でっち上げた理由は書いてありませんでした。それからベートーヴェンがリストを抱き上げている絵はイシュトヴァン・ハラスという人でリスト生誕50周年を記念してかかれたものだそうです。
この人の結論からいうと「リストがベートーヴェンに実際会ったということは疑う必要がある」というものです。下でふゆひこさんがおっしゃっているように「ベートーヴェンの会話帳」というものがありますが、それによると、ベートーヴェンは兄弟であるヨハンと甥であるカールにそれぞれ、少年リストの演奏はどうだったか?という質問をしています。それに対してカールは「ミスが多かった」と答えたそうです。そして決定的なのが、リストの外見についても質問をしているそうです。そしてカールは「黒髪だった」という返事をしています。シュレーターは「ベートーヴェンがリストの演奏会に出席した、或いは、家に招いたのなら、外見の質問などしなかったはずだ。」ということを言っています。
ただ事はそれほど単純ではなく、この「ベートーヴェンの会話帳」はアントン・シントラー(ベートーヴェンの伝記作家)が事実を歪めて書き直した部分があるそうです。
僕はシントラーが書き直した目的、理由などがわからないので推測でしかものを言えませんが、「リストに関する質問を改竄して、シントラーやベートーヴェンの得になるかどうか」を考えると、シントラーがその部分を改竄したとは考えづらいです。

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ミッチ > コルネリウスの記事を書いた理由がわからないのですが、彼の記事により有名になったエピソードなら、リストはコルネリウスの名誉のために事実だと認めざるを得ないのではないでしょうか。 (8/10-01:06) No.3854
LOM > ふゆひこさんやミッチさんの情報量には到底かないません(笑)。
ウォーカーは多少古いのでしょうが、とりあえず彼の言っていることをまとめてみます。英語の読み間違いがあったらすみません。

まず、フランツあるいは彼の父親による、演奏会に出席して欲しいという手紙(?)があります。(これ出典が書いていないのですが…。)
チェルニーとシントラーの間で議論があった後、1823年4月12日の会話帳です。シントラーとベートーヴェンが会話している様子ですが、ベートーヴェンは口頭で喋るので、シントラーが述べたことだけが文字として残っています。
ウォーカーが引用しているところでは、最初に、翌日(4月13日)の演奏会での即興演奏のために、リストがあなたに主題を作って欲しいと言ってきたとあり、書いてやって欲しいと言って(書いて)います。ベートーヴェンがこれを拒否したのは明らかです。
その後 会話が続きますが、ウォーカーによると、このうち2文はシントラーがベートーヴェンの死後に追加したものだそうです。リストとチェルニーに悪意を抱いているシントラーが、リストのことを悪く言う2文を付け加えたのだと説明しています。
その後のウォーカーの論理がよく分かりません。2文を削除して実際の会話を読むと、「リストがベートーヴェンに会ったこと」「リストがベートーヴェンに主題をリクエストしたこと」が分かると書いてあると思うのですが、どういう根拠で言い切れるのか、ちょっと分かりませんでした。
こういうところがありますし、会ったとは言えないと書いている研究者もいますので、下でウォーカーのことを心強いと書きました。

演奏会に来てはいません。ミッチさんが書かれている、甥のカールが…などというところです。

聖別のキス(Weihekuss)については、リスト自身の手紙の中にあるので、もしでっち上げならば、リスト自身がでっち上げたのだと書いてあります。でもでっち上げる理由はないはずなので、リストの記憶違いかも知れない、と。


僕は個人的にリストはベートーヴェンに会っていて欲しいです。ウォーカーも同じ気分なのかも知れません。でも、ベートーヴェンの神童嫌いや周りの態度などを見ると、会ってもらえなかったかなという気がしてきます。


ウォーカーは、リストが聖別のキスの思い出を生涯大切にしていたことを述べ、聴衆に受け入れられていなかったベートーヴェンの作品をリストが積極的に弾いたことを紹介しています。
もちろん恩師チェルニーの師匠ということで、もし会っていなくても畏敬していたでしょうから、このことからも会ったと断定することは出来ませんが。 (8/10-10:28) No.3855
LOM > ちなみに福田弥さんの本では、次のような書き方をしてあります。
「演奏会当日に舞台でキスされたという話は、現時点では信じることはできないだろう。ただしベートーヴェンの自宅でリストが抱擁された可能性までは否定できない。しかし重要なことは、「聖別のキス」が実際にあったかどうかではない。リストが、ベートーヴェンと実際に会ったことを、音楽家として自らの誇りとしていたことが重要なのである。」会ったとはどこにも書いていないのに「会ったこと」という書き方…。どうも曖昧です。


そういえばマリーとゲーテの話もウォーカーにありましたよ。(VY p.194) (8/10-10:29) No.3856
anonymous > 実際、ウォーカーは確かに何もかも網羅していて、こちらが抜けているところを見つけてみようかなと目論んでも、おいそれと見つけられるものではないのです。特に、欄外でかすかに言及されている情報には驚嘆するばかり!しばしば、世界でこのことを知っているのは僕一人だと思ってにんまりしていた情報まですっぱ抜かれているので、もう彼を超えて新たな事実など浮かび上がらないのかと意気消沈してしまうほどです。しかし、彼もまた、いかに膨大とはいえ、あの本に関しては手紙、手記などの資料をもとに彼が構成しなおしたものなので、実は我々には彼の目を通した、あるいは選別されたノンフィクションを提供されているに過ぎないのです。

ベートーヴェンの会話帳が入手できるなら、是非その生の資料を読むべきだし、書簡集が遺されていたら、そのあたりの日付でリストのことに触れてないのかなあ、と余計なことを考えてしまいます。

僕の持っている資料にも、ミッチさんが一番上で書いたのと似たようなことが書いてあるものがあります。多少違うのは、こちらの資料では生誕50年ではなく、芸術家生活50周年記念と書いてあるということです。
ま、どちらにしても、それが記念行事であるならば、かなりの理想化と象徴的意味合いが込められていることは間違いありません。当時の肖像画家が王侯貴族の肖像を依頼されたときのことに触れた書簡を見たことがありますが、やはり、その際に「理想化してくれ」と言われるようです。自信があれば、そのまま寸分違わずというところでしょうけど。
リストの場合はやはりベートーヴェンに芸術家の理想を見ていたのでしょうね。ボンのベートーヴェン記念像建立の折も、最初リストは委員会に友人の彫刻家バルトリーニを紹介したのですが、実現はしませんでした。しかし、その像のアイディア・スケッチの模様が書簡集で描写されていました。実現していたら、なかなか凄い理想像です。ベートーヴェンの像の台座のあたりをミューズたちが複雑に絡み合い、耽美的なまでに装飾しているのです。こういう考えを好むリストですから、あいまいな記憶を元に自ら伝説の一つを作り出していったとしても、さほど不思議はないような気もしますが… (8/11-11:42) No.3857
ふゆひこ > ミッチさんが紹介いただいた「Liszt und Beethoven」というのがかなり正解に近そうですね。2002年出版ならば、ウォーカーのVY(1983年出版)も必ず参照した上での論説だと思うので。僕もLOMさんと同じで、どうもウォーカーは無意識下で“リストとベートーヴェンの祝福のキスのエピソードは真実であって欲しい。二人が面会していて欲しい”というのがあって、それで論拠が弱いまま結論を急ぎすぎているような印象を受けました。ただですね。次に僕たちが参照すべき書籍は、ついこの間出版されたウォーカーの『REFLECTIONS ON LISZT』だと思います。↓ここでコンテンツが確認できます。

http://voyager.uvm.edu/bibs/bid1454711.html

ベートーヴェンの祝福のキスのエピソードについて、どうも再考しているようです。おそらくですが『Liszt und Beethoven』の内容も踏まえ、再度整理しているんじゃないかな。残念ですが、経済的理由から僕はとうぶん買える見込みはないんですが…。 (8/12-01:35) No.3860
LOM > ふゆひこさんが紹介された本、覗いてきました。
買った訳ではありませんよ。Amazon.comで立ち読み(?)することが出来ます。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0801443636/
本の中の検索で"Beethoven"か何かで検索すればうまくいきますよ。

結局あまり新しいことは言っていないみたいです。シントラーが後から付け加えた部分が変わっていましたし、あとリナ・ラーマンとのやり取りも初めて見ました。僕の気のせいかも知れません。
Grand Duke of Weimarに宛てた手紙を決定的な証拠だと言っています。リストが証言を残した訳じゃないんだけどね、と笑ってごまかしますが、やっぱりリストをかばっているような印象は拭えません…。

これに対して反論が来たりしているのでしょうか? 研究者の最新の様子はどうも分かりません。 (8/12-18:30) No.3863
ミッチ > 言っておきますが、僕は別に「リストがベートーヴェンに会った」という事実を反証したいわけではありません。事実を知りたいだけです。僕だって、腐ってもリストファンですから、リストがベートーヴェンに会っていたら嬉しいです。でも真実を追究するには、そのような感情は押し殺す必要があると思います。それから僕は常に柔軟な姿勢でいたいと思ってますので、「シュレーターが100%正しい」とも「この件に関してはウォーカーが間違えている」ともまだ思っていません。そもそも会話帳を自分の目で見るまではなんとも言えません。「ベートーヴェンの会話帳」はいくつかの図書館にあるみたいですが、郵送で借りられるかはまだわかりません。僕の住んでいる町の図書館にはありませんでした。無駄話をすみません。 (8/12-21:25) No.3864
ミッチ > 上でLOMさんが「リストとチェルニーに悪意を抱いているシントラー」と書いていますが、これは事実なのでしょうか?これが事実なら状況が変わってきませんか?「リストはベートーヴェンに会ったのに、シントラーにより、会っていないかのような工作をされたのでは?」という仮説が成り立つと思います。それからウォーカーはシュレーターと同じ資料を参照したのに、カールが「黒髪です」と返事をしたことに触れていない(ですよね?)のは、なんらかの理由により信憑性が低いと判断したのでは?と思ってしまいます。ちなみにシュレーターの原文は

“Sein Neffe berichtet ihm, er habe >viele Fehler< gemacht, ausserdem antwortet er (vermutlich auf die Frage Beethovens nach dem Aussehen des kleinen Liszt) >schwarze Haare<.”

”彼の甥はリストの演奏にミスタッチが多かったことを伝え、さらにこのように答えている(おそらく、リストの外見についての質問であろう)「黒髪です」と。”

となっていますが、これを見ると、質問の部分ははっきりわかっていないのでしょう。ただ「黒髪です」という答えに一致する質問はやはり外見に関する質問以外は考えられませんが。 (8/12-21:49) No.3865
ミッチ > ベートーヴェンに関する本を参照したのですが、それに「フランツとアダムは、演奏会への出席を請うために、ベートーヴェンを訪れた。そして「ベートーヴェンの会話帳」にもリストに関する記述がいくつか見られる」と言及した後にWeihekussの真偽について議論を展開します。リストの言及が2バージョン存在し、
A:Goellerichに語ったこと(演奏会でのキス)
B:Horowitz-Barnayに語った回想(ベートーヴェンでの自宅でのキス)
とし、そしてそれぞれのリスト研究家の主張として
Walker: Bが信憑性が高い
Adrian Williams: Aが正しいか、あるいはリストがマキシミリアンI世のような人物と勘違いしてるかのどちらかだ
Allan Kleiner: AもBも正しくない
と引用し議論を展開しています。とくに目新しいことはないのですが、僕が「あれ?」と思ったのは、「ベートーヴェンを訪れた」の部分でまったく議論を展開していないということです。「その部分は事実なんだから当然議論する必要ない」と読めませんか?どっかでアダムは招待状を出したと読んだ記憶がありますが、あれはなんだったんだろう。もうわけわかりません(笑) (8/12-22:21) No.3866
LOM > 整理とか言っていながら僕自身があまりよく分かってないです(汗)。
リストがベートーヴェンと会ったとしたら、いつのことなのでしょうか? そのときの様子は会話帳に生々しく残っていないものなのでしょうか?

シントラーはリストらをよく思ってはいません。
英語版VY p.82 脚注27 "Schindler was ill disposed towards both Liszt and Czerny."
ウォーカーの新しい本に、シントラーが書いたベートーヴェンの評伝からの引用がありますが、そこからもリストへの悪意が感じられます。(p.6 "Biographie von Ludwig van Beethoven" 3rd edition) (8/12-22:34) No.3867
PS > はじめまして、PSと申します。こちらのBBSはずっとひそかに拝見していたのですが、書き込むのは初めてで緊張しております。及ばずながらお邪魔させていただきます。
「会話帳」にリストの名前が数多く登場するのは、会話帳第28番〜32番(1823年4月〜5月)あたりです。会話帳第28番40枚目にはリスト本人が登場しており、この部分のコピーは、ベートーヴェンの会話帳全集(Kohler, Karl-Heinz, Ludwig van Beethoven’s Konversationshefte, Deutschen Staatsbibliothek Berlin, Deutscher Verlag fur Musik, Leipzig)第3巻にも掲載されています。以下が原文です。

Ich habe schon so oft meinen Wunsch gegen Herrn von Schindler geaussert die hohe Bekantschaft mit ihnen zu machen und bin sehr erfreyet das es jezt seyn kan nachdem ich Sontag den 13ten mein Concert geben werde und ich unterhandigst bitte mir hohe Gegenwart zu schenken.

ただし、この筆跡がフランツ・リスト本人のものと一致しないため、セイヤーはこれを父のアダムが書いたという説を提唱しているようです(私にはリストの筆跡を識別することはできないので、個人的な意見は差し控えます。願わくばリストに詳しい方々にちょっと鑑定してもらいたいのですが……)。この筆跡がリスト本人もしくはリストの父親の手に成るものであることが実証されれば、親子の少なくともいずれかがベートーヴェンと直接対面したということも、同時に高い確率で実証されるでしょう。(もちろん、100%とはいえませんが)

また、ベートーヴェンの甥による「黒髪」発言は、第29番22枚目に登場しますが、

Schwarze Haare

と、主語も動詞もなく一言書かれているだけなので、これがリストの容姿を指しているとは必ずしも断定できないと思います。確かにその直前に、

Es war nicht voll.Er hat schon einiges componiert,aber die Kunsthandler geben nichts

という、(リストの演奏会についての記述だと推測されうる)書き込みがあるので、その文脈に沿って考えれば、この「黒髪」という記述がリストの容姿を指していると想像することは可能です。しかし、もしお読みいただく機会があればご理解いただけると思いますが、会話帳というのは、ベートーヴェンの側の書き込みがほとんど存在しない上、話題がしょっちゅうあちらこちらに飛んで、何のことを指しているのかさっぱりわけが分からない書き込みの方が多いくらいの荒唐無稽な代物です。書簡などの資料を読むときのような、単純な文脈判断は危険といえるでしょう。この「黒髪」発言がリストの容姿を指しているという説は、それほど的外れなものではないとは思いますが、さりとて断定することもできないと思います。(そもそも、リストの髪は黒髪なのでしょうか?) (8/14-14:31) No.3869
anonymous > まず、リストの髪は黒でなく、ブロンドだったという証拠を書いておきます。肖像画を見てもいいのですが、室内だったり、光の加減で黒っぽく描かれている時もあるので、どれを信用すべきか迷うことがあります。しかしながら、“UNE CORRESPONDANCE ROMANTIQUE ”(1947年に2500部限定で出版された超値打ちの古書、「ロマン派書簡」)というリスト、マリーダグー伯爵夫人、画家のアンリ・レーマンとの間の三者文通を扱った書によりますと、24Pの、レーマンからマリーに宛てた手紙の結句で彼は「優しく、静かなブロンド(la blonde,douce et silencieuse )と騒々しいブロンド( le blond tapageur )に口づけを送ります」と書いており、優しく静かなブロンドはマリーのことであり、騒々しいブロンドは紛れもないリストのことなのです。

さて、ベートーヴェンの会話帳に関してなのですが、PSさんの最後の一行の引用を何となく訳してみると、「これはまだ完成されていない。しかし、すでに何か作曲されたものだ… 」という感じでいいのでしょうか。ただしcomponiertをkomponiert(komponierenの過去分詞)に修正すればのことですが。その後のKunsthandlerは、どうがんばっても美術商という意味しか出てこないので、意味不明です。

なお、問題の口づけについてはフランスの学会あたりでは、以下のように理解されているようです。
「リストが1823年4月13日にウィーンで催したコンサートの折に、ベートーヴェンからあの有名な口づけが与えられたということであるが、それはリスト自身によって流布されたものであるにもかかわらず、依然として仮設に留まっている。しかしながら、個人的な会見が行われたことは確かである。 (8/15-11:05) No.3870
anonymous > あっ、仮説が変換ミスで仮設になっている。どうも、入力苦手だなあ。 (8/15-11:09) No.3871
ミッチ > おお!PSさんありがとうございます!思った通りでした。ベートーヴェンの本をもう一回読んだら、「4月13日より少し前にリストはベートーヴェンを訪れている」書いてあり、そのことが会話帳に書かれているとの言及があったので「この人たち(シュレーターなど)はなぜ同じ資料を参照しているのに言っていることが違うのだろうか?」と思い「”シントラーの改竄”と”ベートーヴェンの言葉が無いこと”により、複数の解釈が可能な資料なのでは?」と思っていました。
ちょっと試しに翻訳してみたいと思います。(緊張するな〜(笑))

1.“これまでどれほど、シントラー氏にあなたと知己になりたいという熱望をぶつけてきたでしょうか。今がその瞬間だと思うと嬉しくてなりません。13日の日曜日にコンサートを開くことになっております。恐れながら、あなた様の御出席を賜りたいと存じ上げます。”

2.”客席は埋まっていませんでした。彼はすでに数曲、作品を仕上げていますが、楽譜商はそれに対して何も支払っていません。”

まず1ですが、es jezt seyn kan (es jetzt sein kannでいいのかな?)のあとにピリオドを補いました。ひとつおかしな点があります。nachdem(英語でいうと(前置詞ではなく接続詞の)after)がなぜそこにあるのかが意味不明です。直訳すると「コンサートをおこなった後に」となってしまうのでnachdemは無視しました。ちなみに文法的な話をすると、nachdemに導かれる副文は必ず完了形(haben+過去分詞)になります。
2は2つの可能性があります。第1と第2センテンスですでに話が切り替わっているか、僕が誤訳しているかのどちらかです(笑)。 (8/15-17:08) No.3872
ふゆひこ > アマゾンで立ち読みができるとは驚きました。早速読んでみました。LOMさんが言われるとおり、特に新しいことは言っていないですね。VYで書かれていることを、よりすっきりと再構築しているだけかな。以下はLOMさんの補足のような感じです。

ウォーカーの結論というのは『REFLECTIONS ON LISZT』P10に載っていて、

1)リストは祝福のキスを受けた
2)リストとベートーヴェンが会ったのはプライヴェートな会でである。
3)ベートーヴェンは演奏会には出席していないし、リクエストされたテーマも提供していない。

とのこと。で祝福のキスのところは、VYでも紹介されていますが、ワイマール大公にあてた手紙を証拠にしています。手紙の内容は『REFLECTIONS ON LISZT』かVYのP84を参照してください。なんか理想的で高邁な芸術観の中で、自身がベートーヴェンから祝福のキスを受けたことをちらっとふれている感じです。

で、ウォーカーはP9の最後の方に、

We regard this letter as conclusive proof of the Weihekuss.

としています。これがLOMさんが紹介されているところですね。ウォーカーはリストがこのエピソードを捏造する必要がないではないか、というのも論拠の一つとしているようです。非常に論拠が弱い気がするな。人の記憶違いとかって別に他意を持っている場合もないと思うんですよね。幼少期の夢を、何十年後に現実と取り違えてしまうケースなど普通のことだと思います。それとリストにとってこれだけの重要なエピソードをリストが若い頃に、あちこちで話していないことも変な気がする。 (8/16-01:16) No.3874
ふゆひこ > PSさんの解説で、だいぶ様子がわかりました。ありがとうございます。僕はこのエピソードについて、昔から『ベートーヴェンの会話帳』が鍵なんだろうな、と思っていたのですが“荒唐無稽な代物”とは(笑)。ちょっと視点を変えて、このエピソードの争点をまとめると次のようになるのではないでしょうか。“B”はベートーヴェンね。

第1ステップ:Bはリストの存在を知っていた。
第2ステップ:Bはリストと面会した。
第3ステップ:Bはリストの演奏を聴いた、あるいは観た(演奏会、自宅を問わず)
第4ステップ:Bはリストの演奏に対して、なんらかの評価をした。
第5ステップ:Bはリストに対して祝福のキスをした。

これは段階になっていて、5になれば、先の4つは全部クリアっていう感じ。もちろん演奏もなんにも聴かずに(2と3の間で)祝福のキスをしてもいいけど、それはちょっとつらい。第1ステップについては、会話帳の記載から誰もが賛成でいいですね。ウォーカーは第5ステップまでOKとしているようだけど、現在の学説では、第2ステップの可能性にまでグレーな領域が広がってきている、という感じでしょうか。 (8/16-01:18) No.3875
PS > PSです。私はうまい訳文をつくる自信がなかったもので、anonymousさんとミッチさんの翻訳を非常に嬉しく思います。
補足を若干。当時書かれた手紙やその他の資料などを見ると、seyn(→sein)やcomponieren(→Komponieren)などの誤?表記はきわめて頻繁に登場します。さらに会話帳内の記述に関していえば、文法も固有名詞のスペリングも相当テキトウなものがかなり見られます。これが会話帳というテクストの特異な成立形態(独特な対話形式・記述の即時性やスピードが要求されるなど)ゆえの産物であるのか、当時の一般的市民の書き言葉に対する認識が比較的寛容なものであったのかは分かりかねます。
やはり、リストの髪といえばブロンドですよね。甥っ子の色覚はおそらく信用に足るものだと思うので(笑)、私個人としては「Schwarze Haare」はリストとは別件である可能性を支持したいです(もちろん、いずれにしても真相は闇の中なのですが……)。
なお、シンドラーがこの一連の記述に対してどの程度故意に手を加えたかということについては、私も調べている最中です。参考のために付け加えておくと、シンドラーは確かに、リストのピアニズムを批判する論文を後年に書いていますし、1845年のボンの祝典での一件も相まって、リストに対して全体的にそれほど好意的感情をもっていなかったのは確かだと思います。しかし、チェルニーに関しては、手厳しい酷評を行いつつも一方で絶賛している向きもあり(会話帳の別の箇所には、シンドラーがチェルニーの演奏を「脱帽に値する」と称賛している記述もあります)チェルニー/リスト師弟への単純な悪意から会話帳を改竄したという可能性はそれほど高くないのではと思います。まあ、シンドラーという人はなかなかのトラブルメーカーなので、やっちゃった可能性は否定できませんが(笑)。 (8/16-01:28) No.3876
PS > ふゆひこさんのレスを読む前に書き込みしてしまいました。5つのステップ、非常にわかりやすいです!
あらゆる資料を総合して、確実にそうと断定できるのは「第1ステップ:Bはリストの存在を知っていた」だけですね。誰もが納得できる形で第2ステップを断定するのは難しそうな気がします。仮に例の会話帳への書き込みがリスト本人ではなくリストの父親によるものだったにせよ、リスト本人がその場にいた可能性は決して低くはないと思いたいのですが……。 (8/16-01:47) No.3877
ふゆひこ > アントン・シントラーのことをネットでちらちらと調べると、ベートーヴェン研究の方面においても事実の改ざんが問題視されているようですね。このエピソードについては参考にすべき資料(一般人にもアクセスできる)は、一連の会話で出揃った感があるかな…。手持ちのユリウス・カップによる伝記を、なんとなく参照してみましたが、混乱するだけなので紹介すらしません(笑)。伝記関連は役に立ちそうもないです。せめて第2ステップまで白黒はっきりさせるのが、今後のリスト研究者達に期待される課題と言えそうですね。 (8/16-23:17) No.3878
ふゆひこ > 誤読していたらすみません。VYのP83〜85あたりを読んでいて、ウォーカーの論旨がなんとなくわかったので、僕のNo3874の書き込みの後半の補足をします。ウォーカーはまずワイマール大公への手紙が1862年ということで、この“Weihekuss”のエピソードがいっきに普及する1873年より前であることを重要視しているようです(ミッチさんが最初に書いてくれたコルネリウスの1859年の記事というのが、また覆しますが)。その手紙というのが、ウォーカーがP84〜85の注釈で適切に表現している言葉で“metaphysical moment in artistic creatinon”の羅列なんですよね。つまりリストはベートーヴェンの“祝福のキス”をほとんど“神からの聖なる祝福”として位置づけており、密かな神聖な経験として、自分の心の中にしまいこんだ。そのためあちこちで言いふらしたり、語ったりしなかった、という論旨(かな?ちょっと理解力に自信ない)。ウォーカーが常に“演奏会のエピソードではない”という点に重点を置いていますが、プライヴェートな会合での出来事であるからこそ、個人的な秘密とされ、晩年まで語られなかったということの辻褄を合わせます。これは事実というよりウォーカー説という感じかな。僕の勝手な理解が含まれていると思いますが、正しい正しくない、は別にして“ウォーカーの説”としてしっくりしました。 (8/17-11:45) No.3880
ミッチ > うーん、、やっぱりこの問題は決定的な証拠が発見されるまで、解決しないんですかね。でも、これら全てをまとめてごく自然に推理すると、第2ステップはかなり確率が高いんじゃないでしょうか。PSさんに引用していただいた言葉で、ich(私が)、mein Konzert(私の演奏会)と書いてあるので、誰が書いたかは別にして、これはフランツ本人の言葉ですよね。子供の方が大人より字を書くのは当然遅いわけで、アダム(あるいは他の誰か)がフランツの言葉をディクテーションしてあげた、とは考えられないでしょうか。そして仮にそうならば、ベートーヴェンは口でしゃべり、フランツも口でしゃべっていたのですから、フランツ本人の中で「ベートーヴェンとは普通に会話をしていた」という印象が記憶に残っていてもおかしくないような。全て推測ですが。 (8/17-19:48) No.3881
ミッチ > あまり関係ないかもしれませんが、ベートーヴェン作品のよき理解者であり、親しい関係にあった、当時の大ピアニスト、イグナツ・モシェレスはアントン・ルビンスタインを見て、あまりにベートーヴェンにそっくりなので衝撃を受けたそうです。そしてそのルビンスタインに「ヴァンII世」というあだ名をつけたのはリストです。僕は個人的にベートーヴェンの肖像画とルビンスタインの写真を見ても「衝撃を受けるほど似ている」とは思いません。リストは実物のベートーヴェンとルビンスタインを比べて、似ていると思ったのではないかなぁと思っています。関係なくてごめんなさい。 (8/17-19:56) No.3882
LOM > いろいろな情報が飛び交っていて、全部は消化しきれていませんが、一つだけ。

上に、出典の書いていない手紙か、と書きましたが、ミッチさんの訳を見ると、あれは会話帳からの引用だったんですね。ウォーカーがp.81で引用しています。英訳を載せておきますね。
"I have often expressed the wish to Herr von Schindler to make your high acquaintance, and I rejoice, now, to be able to do so. As I shall give a concert on Sunday the 13th, I most humbly beg you to give me your high presence."
ウォーカーは、フランツ本人が書いたか、父親が代わりに書いたかのどちらかだとしています。そしてこれを根拠に、リストはベートーヴェンに会ったと考えているようです。

ミッチさんが仰っているように一人称で書かれていることからも、第2ステップまでは確実と考えていいのではないでしょうか? 研究者がそう考えているようだというミッチさんのNo.3866を考えても。 (8/17-20:22) No.3884
ふゆひこ > 僕もいままでの話、情報の感触から第2ステップはかなり確度は高いと思っています。ミッチさんが最初に紹介されたシュレーターの説をちゃんと知らないので、あくまでも感触ですが、第2ステップを否定する方がより多くの証拠と堅固な論拠を必要とするのでは?と思います(その点、シュレーターはちょっと弱そう)。リストを取り巻く当時の人脈、当時の情勢からも、会っていないと考える方が難しいかもしれないですね。NO3882のミッチさんのアプローチはとても斬新ですね。つっこんで調べていくといろいろ面白い事実が出てきそうです。 (8/20-01:04) No.3887

超絶技巧練習曲の模範的な演奏 投稿者:恭子 投稿日:2005/08/12(Fri) 16:22 No.3862

はじめまして、高三の恭子といいます。
皆さんのお薦めのCDを教えていただけませんか?
実は今年、大学の実技試験でリストの超絶技巧練習曲を弾きたいと思っています。基本的で(?)模範となるような演奏を探しています。といっても、音を間違えないで弾くだけでもかなりたいへんなので、そんなにこだわらなくてもいいとは思いますが・・・。よろしくお願いします。

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ミッチ > ベルマンとアラウがお薦めですが、ベルマンは入手困難だと思います。こちらの「CDの回想」をご参照ください。でも、もし「マゼッパ」か「雪嵐」を演奏されるのであれば、フィオレンティーノをお薦めします。このCDは全体的にエグい演奏で模範的とは言えませんが、この2曲に関してはこれ以上素晴らしい演奏は存在しません。取り寄せに時間がかかるかもしれませんが、廃盤ではないと思います。
Sergio Fiorentino
Concert Artist / CACD-9201-2 (8/15-17:37) No.3873
ふゆひこ > はじめまして。僕はアラウのCDが気に入ってます。僕の場合、アラウを一番最初に聴いてしまったので、アラウをスタンダードに考えてしまうところがあります。歴史的な大ピアニストの演奏はそれぞれ独自の強い個性があるので、若手の小菅優さんのCDなんて、非常に模範となる優れた演奏ではないかな、と思います。 (8/16-23:29) No.3879


続・神父になったピアニスト 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/08/02(Tue) 20:43 No.3825

リストより以前に神父になったピアニストがいました。Joseph Gelinek(1758-1825)というピアニストです。面白いエピソードがあるので紹介します(有名なエピソードかもしれませんが)。
ある日、ゲリネクはチェルニーに父に“今夜、無名のピアニストとピアノ対決(Pianistic duel)をするんだ。彼をコテンパンにしてやる”と語ったそうです。そして次の日にチェルニーの父がその結末はどうなったかと尋ねました。ここからカール・チェルニーの証言です

“彼は意気消沈した様子で「昨日のことは一生忘れないよ。あいつは悪魔と契約を交わしていたにちがいない。あんな演奏は聴いたことがない。即興するためのテーマを彼に与えたが、あんな魅力的な即興を今までに聴いた事がないし、彼の自作においても、非常に素晴らしく、難技巧に立ち向かい、誰も考えもしなかったような効果を上げていた。」と語った。
「彼の名は?」と私の父が驚きつつ尋ねたら、ゲリネクはこのように答えた。「小柄で浅黒い顔をして醜くい奴で、強靭な意志を持っているようだった。プリンス・リヒノフスキがドイツからウィーンへ彼を連れてきたんだ。ハイドン、アルブレヒツベルガー、サリエリに師事させるためにね。あいつの名はベートーヴェンだよ。」”

ゲリネクが神父になった経緯などはわかりませんでした。

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ミッチ > リストにまったく関係ありませんが、証言者がチェルニーであること、「悪魔と契約。。。」のところがパガニーニ或いはリストを想起させること、それから「サリエリに師事」などを見ると、全く無関係には思えません。 (8/2-21:20) No.3826
ふゆひこ > ゲリネクという人は初めて知りました。ネットで調べると、ほんとだ、リストと同じアベーの肩書きを持ってますね。ディアベリ変奏曲の何番かを担当しているようです。リストもコーヘンもゲリネクも神父になった理由が、僕にはしっくり説明できないのですが(ゲリネクについては知らなさすぎだけど(笑))、神父になる理由というのは、プライヴェートな信仰心を含む非常に複合的な理由だと思うので、それで説明が難しいと思っています。ですが3名ともなんらかの“挫折”が一つの理由として共通しているのかなと推察します。 (8/2-22:58) No.3829
ミッチ > なるほど、苦しみから逃れるために宗教にすがりつく、というのはありそうですね。
少し話しがずれますが、僕の友達が面白いこと言ってました。Cohenという姓を持つ人は旧約聖書に出てくるモーゼの弟(兄だっけ?)、アーロンの血を受け継いでるそうです。「なんでそんなことがわかるん?」と聞いたら、実際に遺伝子を調べた学者がいるそうです。話が突飛すぎて、僕はちょっと信じられません(笑)。そもそも聖書に出てくる人たちが実在の人物だということも知りませんでした。 (8/8-22:14) No.3844


“詩的で宗教的な調べ”関連の楽譜 投稿者:虹塑 傘 投稿日:2005/08/06(Sat) 23:14 No.3838

初めまして、虹塑傘と申します。初めてですいませんが、質問です
MENUの中の「ピアノ独奏曲・協奏曲」というのは
CDですか? あと、「詩的で宗教的な調べ」関連の楽譜が何処にあるかしりませんか?

いきなりでスイマセン。これでもリストファンになって
日が浅いもので、恥ずかしいです。

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ふゆひこ > 初めまして。MENUの“ピアノ独奏曲・協奏曲”のページは、CDをベースにして曲の感想等を書いています。レスリー・ハワードというピアニストのリストピアノ独奏曲全集というものです。断片とかも含めて、このハワードの独奏曲全集が最も作品を網羅していると思ったため、そのようにしました。

ナインティーンハンドレッドさんの質問もそうですが、“楽譜がどこにあるか”というのは“ネット上で無料で手に入れられる”という意味なのでしょうか?(僕の感覚ではどこのお店で現物を買えるか、と考えてしまいます)。

↓“詩的で宗教的な調べ”の楽譜はここにあります。ここで下の方に作曲家名がたくさんありますので、リストのページに行ってください。(残念ながらハンガリー幻想曲はないようです)

http://www.sheetmusicarchive.net/index.cfm

お店やネットショップで買うのでしたら、たくさん選択肢があると思います。楽譜のネット上での探し方は、その曲の原語タイトル(アルファベット)の後に、shhet music とか、score とか入れると簡単に検索できますよ。 (8/7-11:49) No.3839
ふゆひこ > ↑スペル間違えました。sheet music です。 (8/7-11:50) No.3840


ハンガリー幻想曲s.123のピアノの楽譜 投稿者:ナインティーンハンドレッド 投稿日:2005/08/04(Thu) 16:58 No.3835

どなたか、、、、ハンガリー幻想曲s.123のピアノの楽譜を探しています。どこにあるか教えてください。

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ふゆひこ > ハンガリー幻想曲のフルスコアでいいんでしょうか?それならこれが簡単に手に入ると思います。タワーレコードとかでも売ってるんじゃないかな。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0486435865/qid=1123258289/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/250-5711582-1569001 (8/6-01:13) No.3837


フランツ・リストよ・・・永遠に・・・ 投稿者:直坊 投稿日:2005/07/31(Sun) 23:54 No.3823

フランツ・リストが客死して119年が過ぎた今も、彼の音楽について考え、彼の作品の演奏を聴き、彼の行動や言動、或いは思想までにも踏み込んで行きたいとおもっております(アブナイネ。何を言われてもいいですよ。別に。)。・・・バイロイトの夏って暑かったんだろうか?肺炎というより夏風邪だったかもしれないし、やはり疲れが・・・いわゆる我々で言う疲労がたまっていたのでしょうね。私も夏風邪はひきますが。
こういう経緯もあり今日はリストの交響詩「ゆりかごから墓場まで」「オルフェウス(シノーポリ指揮。彼はステージで逝きましたね。)」「タンホイザー序曲」を聴きました。これらの曲は私のお気に入りです。
私が死ぬときは、「ゆりかごから墓場まで」の「墓場へ」の演奏が参列者に聴かせてあげたいですが・・・ってお迎えが来るにはまーだまだまだ時間が有ります。そう簡単にお迎えは来ませんよね!地震があったりすれば別ですがwww。

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ミッチ > 直坊さんやふゆひこさん、そして他のリスト関連サイトの皆さんを見て、「みんな、すごい熱心だな〜」といつも感心しています。自分はホントにリストファンを名乗っていいのだろうかと疑問に思うこともあります(笑)。 (8/2-21:26) No.3827
ふゆひこ > 没後119年になるんですね。7月31日には僕は、テレビでチェルカスキーの来日演奏を観てました。リストもポロネーズ第2番が放映されたのですが、残念ながら僕はリストは聞き逃してしまい、シューマンの“幻想曲”から観賞しました。チェルカスキーは、まさにロマンティック、幻想的というような曲を弾くと素晴らしいですね。 (8/2-23:06) No.3830


『ウィーンの別離』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/07/29(Fri) 00:33 No.3822

映画『ウィーンの別離』のパンフレットを入手しました。原題は『PAR ORDRE DU TSAR!』。辞書を引き引き訳すと“皇帝の命令によって!”とかいう意味でしょうか。ストーリーは、Gooの映画コーナーで知ることができます↓。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD12672/story.html

ヴィトゲンシュタイン侯爵が二人の恋を邪魔する役ですね。リスト役のジャック・フランソワは優男でリストというよりショパンのようなイメージです。カロリーヌ役のコレット・マルシャンがですね、エキゾチックな顔立ちの美貌でロシア、ポーランドといった東欧の雰囲気を醸し出していて、非常に魅力的です。『ウィーンの別離』というのは、ローマで結婚が実現できなかった後、リストが僧侶となり二人が離ればなれになるような筋書きになっていて、その最後の場所がウィーンとなっているようです。

フランツ・リスト-ハンガリーの著者たちによる寄稿 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/07/27(Wed) 18:48 No.3819

以前こちらでお話した本「Franz Liszt - Beitrage von ungarischen Autoren」(編纂者Klara Hamburger)ですが、目次だけでもご紹介します。

1.フランツ・リスト(家系について)/Erno Bekefi

2.フランツ・リストとブダペスト音楽アカデミー/Margit Prahacs

3.ハンガリーのジプシー音楽/Balint Sarosi

4.リストの音楽と今日の聴衆/Bela Bartok

5.リストの諸問題/Bela Bartok

6.フランツ・リストの作品の中の旋法的和声/Lajos Bardos

7.リストにおける民謡的音階/Lajos Bardos

8.リストのハンガリー狂詩曲へのパラリポメナ/Zoltan Gardonyi

9.リスト初期の作品における音程の新たな原則/Zoltan Gardonyi

10.知られざるリスト/Istvan Szelenyi

11.リスト「ファウスト交響曲」の変遷/Laszlo Somfai

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ミッチ > 全部読んでからこちらで報告しようと思ったのですが、他に読みたい本が他にたくさんあって、この本はバルトークのもの以外読んでいません。基本的に「リスト研究」の類の本だと思います。 (7/27-19:01) No.3820
ふゆひこ > それぞれのタイトルから推察すると、だいたいがリストとハンガリー音楽の関係が興味の対象のようですね。そんな中で最後の“リスト「ファウスト交響曲」の変遷”というのが気になります。 (7/28-23:45) No.3821


ウェンディのレコードコレクション 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/07/10(Sun) 16:01 No.3806

あまり面白くない情報ですが、この前読んだスティーブン・キングの『シャイニング』(文春文庫 深町眞理子 訳)上巻 P69から。

“ママのレコードがそこらじゅうに散乱している ― グリーク、ヘンデル、ビートルズ、アート・ガーファンクル、バッハ、リスト。一枚残らずたたきこわされて、ぎざぎざの黒いくさび型のかけらになっている。”

これはダニーが初めの方で見る予知夢の中の描写。ウェンディ(=ダニーのママ)のレコードコレクションを見ると、おそらく有名な曲や、流行っている曲を普通に楽しんでいる、といった感じがします。キングの狙いもそういった凡庸なキャラクター造形の気がする。当時のアメリカ人の家庭に普通に置いてあるレコードの代表だったんでしょうか?



LISZTOMANIA 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/05/23(Mon) 23:23 No.3723

HMVのサイトで、映画『リストマニア』のサントラが全曲試聴できました。

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=194655

ロジャー・ダルトリーが“愛の夢第3番”(というより“おお、愛せるだけ愛せよ”)を歌うというのは、前に教わって知っていたのですが、初めて聴きました。うーん、こんなに下手だったかな・・・。もっとかっこいいヴォーカリストなのに。後は“ピアノ協奏曲第1番”がちらっと使われていますね。

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ふゆひこ > このサイトを閲覧いただいているKさんのご好意でなんと念願の映画『リストマニア』を観賞できました。大変ありがとうございます。ああ…僕はこんな映画を“念願”にしてきたのかと思うと(笑)。B級どころかC級カルト映画です。しかも半分ポルノ映画。去年のワイマール芸術祭で『リストマニア』が上映されていましたけど、しっかり18禁となっていた理由も納得(笑)。夢の場面では、男性の巨大な〜〜〜が出てきたりするんだけど、この夢の場面はコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』あるいはフェリーニの『女の都』『カサノヴァ』に通じますね。マリー・ダグーとの不倫現場がシャルル・ダグーに見つかって、その後たて続くトラブルに翻弄されていくような描かれ方は、ヴォルテールの『カンディード』を思い起こしました。リストのキャラクターはカンディードのような非常に屈託のない楽観的な人物として描かれていますね。 (6/12-02:57) No.3784
ふゆひこ > この映画やけに史実に忠実なんですよね。おそらく物語をくみ上げる上で、リストの伝記から使える事実を詰め込んだんだろうと思うけど、相当細かい事実を織り交ぜてます。なのでリスティアンが観るとそれなりに楽しめる。例えば“エクセルシオール”の旋律をワーグナーが剽窃したとか、ハンガリーで授与された栄誉のサーベルとか。ただコージマが長女になっていたり妙なところで変だったりします(笑)。 (6/12-03:05) No.3785
ふゆひこ > 上で紹介した全曲CDは、リック・ウェイクマンによるシンセサイザー曲だけなんだけど、普通にリストの曲がたくさん使われてるんですよ。確認できたものを書くと、“ピアノ協奏曲第1番”“ハンガリー幻想曲”“リエンツィのモティーフによる小幻想曲”“英雄の嘆き”“愛の夢 第3番”“レ・プレリュード”“葬送曲”“死の舞踏”、あと極めつけはなんと“十字架の道行”がちょこっと使われてます。あと1曲、結婚式のところで使われていたのが、何だか思い出せませんでした。 (6/12-03:11) No.3786
ふゆひこ > 結婚式のところで使われていた曲分かりました。交響詩“フン族の戦い”です。“祭典の響き”を使えば、おおっと思ったんだけどな。上で『ビッグ・リボウスキ』に通じると書きましたけど、というより『ビッグ・リボウスキ』の夢の場面(ケニー・ロジャースのジャスト・ドロップド・インがBGMのところ)は明らかに『リストマニア』の夢の場面が元ネタだね。イメージが似すぎです。名作『ビッグ・リボウスキ』に影響を与えたというだけで『リストマニア』は“よし”としましょう(笑)。 (6/12-23:04) No.3787


オーベルマン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/06/03(Fri) 03:06 No.3756

セナンクール『オーベルマン』(市原豊太 訳 岩波文庫)を読み出しました。まだ上巻の半分ぐらい。『オーベルマン』は現代人にも強く共感できる作品です。オーベルマンは1804年出版。現在は2005年。世紀の始めあたりの虚脱感、厭世観が妙に合うんですよ。岩波でずっと絶版となったままなのが非常に惜しい。こんど僕は岩波書店に復刊リクエストをするつもりです。

僕は、なぜリストが『オーベルマン』に惹かれたかがちょっとまだ分かりません。リストにも典型的な芸術家肌のメランコリーがあっただろうことは想像できるんですが、僕の感じるオーベルマンの性格とリストの性格が、まだしっくりはまらないんですよね。いずれにしても何か言うのは全部読んでからにします。

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ふゆひこ > セナンクールのことを調べていて、非常に面白いことを知りました。リストとセナンクール(=あるいはオーベルマン)には奇妙な類似点があります。まず二人とも青年期に世間の煩わしさから逃れてスイスに隠遁したのは周知のこと。さて奇妙な類似点というのは、つぎのことです。

↓まずネットで得られるセナンクールの百科事典的バイオグラフィ

http://48.1911encyclopedia.org/S/SE/SENANCOUR_ETIENNE_PIVERT_DE.htm

最初の方に、セナンクールが1790年に結婚した相手の名前が書かれています。

Mademoiselle Daguet

ファーストネームはなんなんでしょう?岩波文庫の下巻P332のあとがきから

“この妻(マリー・フランソワーズ・ダゲー、スイスのフリブールの人)は三人の子を生んだ、(中の男子は夭折)”

“フランソワーズ”を抜けば“マリー・ダゲー”ですよ。そして3人の子、しかも男の子が夭折。なぜか非常にリストの当時の、そしてその後の境遇に近いです。 (6/3-03:06) No.3757
anonymous > 僕のところには、仏語の原書があるのみです。で、岩波の解説にはどこまで書かれているか分かりませんが、ものすごーく長いこちらの解説や年表から、ごくごく一部を追加しておきます。

エティエンヌ・ジャン=バティスト・ピヴェール・セナンクールとマリー=フランソワーズ(リストの記念日の聖フランチェスコのフランス語つづりの女性形)・ダゲとの間には、1791年9月8日に生まれたユーラリーという娘と、1793年12月9日に生まれたフロリアン=ジュリアンという息子がいます。しかし、1802年にセナンクールが長旅から戻ると、周囲は彼の夫人が浮気をして子供を生んでしまったことを必死で隠そうとするのです。しかし、1816年には周りが彼にその子を認知するよう迫るというわけです。

彼とリストたちの接点については次に書きます。 (6/4-09:06) No.3764
あのnymous > 時は1834年、8月頃のパリ
当時、ペール・ラシェーズ墓地は鬱蒼とした緑に包まれていて、リストはその付近のペール・ラシェーズ・カフェってところで気持ちよく食事をとりました。では、リストの書簡の一部を…
『ペール・ラシェーズのカフェから、僕はオーベルマン(セナンクールのことを彼はよく、こう呼びます)の家へ向かった。今回は感動と、胸の内の吐露でいっぱいだったよ。僕は、彼の中に、擬人化され、理想的に高められたものと再開した。それは、僕の苦悶と惨めな不安に満ちた過ぎ去りし日々のこと。僕たちは、またも、たまたまキリスト教信仰について語り合うことになった。いつものテーマだけどね。彼は確信に満ちた微笑とともに、僕の中に見てとった。いわゆる、理屈をこねる信者たちにとっては、とりわけ、ささいな障害があるってことを。福音書の中には、キリスト教信仰なんて言葉はひと言も出てこない。カトリックの教義なんてことに関してはなおさらだよ。正直言うとね、僕はそれらの多くに反論するのに困惑した。にもかかわらず、僕の信仰心は日増しに高まってゆくんだよ』 (6/6-09:11) No.3768
あのnymous > マリー・ダグー伯爵夫人の感じ方も紹介しておきましょう。リストがイングランド南西部を演奏旅行しているころ、夫人のほうはフォンテーヌブローでくつろいでおりました。1840年9月6日付けの伯爵夫人の手紙の一部を訳しておきます。
『わたくしは時々、オーベルマンを少しずつ読んでいるわ。わたくしは、今までに、こんなにも感じたことはなかった。わたくしたちが孤独の、あるいは砂漠の中で生きなければならないのだということを。なぜって、この美しい自然はわたくしたちを愛してくれるし、わたくしたちも自然を愛しているわ。人間たちは、わたくしたちをもう十分苦しめてきたもの』 (6/6-09:37) No.3769
ふゆひこ > まだ下巻の最初の方です。『オーベルマン』は結構難解で、70%ぐらい何を言っているのかよく理解できない(笑)。デームリング著『ベルリオーズとその時代』(西村書店 池上純一訳)のP134で書かれている情報で、『オーベルマン』は1833年の第2版で熱狂的な支持を受けた、とのこと。anonymousさんが紹介してくれたリストの書簡はちょうどその頃ですね。リストがいつ『オーベルマン』に親しんでいるのかは、ワトソンの『リスト』のP24に書かれていて、1828年〜30年あたりで文学に熱中していた頃に耽読したようです。

僕の持っているリストの書簡集ではほとんど『オーベルマン』、あるいはセナンクールに対するリストの発言は出てこないです。リストの『オーベルマン』の思想への共感・愛好は、なんとなく若い頃のみの気がします。リストがその後ワイマール時代へ突入することは、『オーベルマン』との訣別なのかもしれない。

紹介いただいた書簡で、語られているキリスト教信仰についての談義。はっきり分からないのですが、どうもリストはセナンクールの思想に完全に同意できていないようですね。『オーベルマン』を読むと、セナンクールは宗教よりも、宇宙とか自然といったあるがままの存在をより上位に置いて考える思想のようで、宗教については非常に理知的に捉えているように感じます。例えば岩波文庫 上巻 P300〜301

“ところが人々は、何だか知らないが、卑俗な儀式と、低能な人間を怒らせるのに一寸いゝやうなヘ義とのごちやごちや(※原文は繰り返し記号です)な寄せ集めを、拵へて見たり、繕つて見たり、試して見たり、直して見たり、又始めて見たりしただけだ。”

あるいは下巻 P47

“基督教が悪いものだとは僕も言はない、しかしこの宗教を信ずるためには、それが神聖であると信じなくてはならず、これは易しいことではない。人間のつくつたものとしてはそれは甚だ美しいかも知れない、しかし宗教は人間的であることはできないだろう、”

こういった発言内容がセナンクールとリストの談義で交わされたのかもしれないです。マリー・ダグーの書簡の方は1840年というリストとの不和が強まっていく時分であって、マリーの『オーベルマン』への共感は分からなくないですね。 (6/12-02:24) No.3783
anonyます > オーベルマンという小説にはどこか疎外された魂にとってのバイブルのような感があります。しかしながら、リストとマリー・ダグー伯爵夫人にとってはその馴れ初めの頃、大いに語り合った記念すべき書でもあります。まあ、二人の仲が危うくなりつつあった1840年にも、マリーが9月にフォンテーヌブローに滞在することになった際にオーベルマンを携えてゆくよう指示したのは他ならぬリストなのです。その時、同時にベンジャミン・ラ・ロッシュの訳によるバイロンとシェークスピアも持ってゆくよう手紙に書いています。ひょっとすると、リストは二人の魂のある種の危機を、あの思い出の小説によって新鮮なものに甦らせることができないものかと微かな期待を抱いていたのかも知れません。

ソルボンヌ大学名誉教授たちの注によりますと、リストはほとんど生涯に渡ってセナンクールに対して変わらぬ敬意を抱いておりました。ラマルティーヌやユゴーに対してのそれと同様に。以下に注を訳しておきます。
“セナンクール(1770−1846)はとりわけオーベルマンという小説で名高いフランスの作家である。その小説においては、主人公がゲーテのウェルテルやシャトーブリアンのルネと同様にロマン主義のヒーローとしてのひとつの特徴的な典型を演じている。リストはこの小説に大変深く印象づけられ、すべての節を諳んじていたといわれているが、そこから霊感を受け、オーベルマンの谷という曲を書いたのである。(1840年、1848年と1854年の間に改訂)”

セナンクールの孤独な魂の生成については、彼の幼年時代にその萌芽を見ることができると思います。仏語版の年表の中から、また一部を訳しておきます。
“1770年11月16日、サン・ポール街でエティエンヌ誕生。彼は夫婦の間の唯一の息子であった。遅く結婚したために、彼の両親は彼をクロワートル(修道院の中でも厳格に他から隔離されたところで修道に身を捧げることが要求される僧院)に入れるかモナステール(いわゆる修道院のことで修道僧たちが共同生活をする僧院)に入れるか迷っていた。夫婦は不和で、また父のほうが放任気味であったことにエティエンヌは不満を覚えていた。きわめて若い頃より彼の母は彼が信仰深くなるよう導き、共に教会で長い祈りの時間を過ごした。夫婦の諍いと厳格な宗教的感情が彼の幼年時代の枠組みを形成した。
1784年、エティエンヌはシャーリからさほど遠からぬフォンテーヌの寄宿舎に入り、主任司祭のところで知性という観念に目覚める(僕が思うには、盲目的な信仰とは別の何かを発見したのではないだろうか)。その頃から彼はロビンソン・クルーソーや、より早くからKoempfer(この名前、フランス語の感覚では読めません。日本で通用する読み方ご存知の方教えてください)の「日本の歴史」を読み始めました。”
(6/13-10:09) No.3788
TAKIN > Koempferという綴りはちょっと違うのですが、Engelbert Kaempfer (1651-1716) のことではないでしょうか。日本では「ケンペル」と呼んでいる人物で(今の普通の転写法なら「ケンプファー」とでも書くところですが)「日本誌」という著書があります。「日本の歴史」というのはおそらくその本でしょう。1690-92年長崎のオランダ商館に滞在し商館長の江戸参府に2回同道しています(平凡社スーパーニッポニカによる)。 (6/15-21:21) No.3789
ふゆひこ > 今、下巻の真ん中あたりです。リストはマリー・ダグーにそのような指示をしているのですか。フォンテーヌブローは『オーベルマン』の中でも主要な舞台なので、それで“持ってくとよいよ”と言ったのかもしれないですね。『オーベルマン』が手元にない方のために書くと、この作品、ずっとスイスが舞台であるわけじゃないんですよ。意外でした。前半のかなり早いタイミングで、財産問題かなんかでオーベルマンはフランスに戻らざるを得なくなるんです。岩波文庫では上巻の第9信から、なんと下巻の52信までフランスにいる。このあたりが哲学的な思考が続きかなり難解です(つまり本当はスイスにいたいのに、フランスにいるもんだから半分文句つらつら(笑))。一度フランスに戻るあたりもリストに似てますね(笑)。 (6/16-00:23) No.3791
ふゆひこ > で、スイスに行くとオーベルマンはまぁまぁ元気になる(笑)。それで非常に美しい自然描写が随所に出てきます。リストが楽譜で引用している箇所(僕はその楽譜を観たことないですEMBはそうなのかも)を含む、第63信の冒頭なんて非常に美しいです。次もとてもきれいな描写です。岩波文庫 下巻 P104から

“湖水は実に美しい、月が二艘の帆を白く照らす時、シロンの木魂が角笛の音を繰返し、メーユリーの巨大な岸壁がその暗い影を空の和やかな明るさや水の動く光に対照させる時、波が我々の静止した船に寄せて砕ける時、又同じ波が遠くにヴヴェーズ川が山々から下ろして来た無数の小石の上に当る響を聞かせる時など。” (6/16-00:36) No.3792
ふゆひこ > 以前から、何でリストの曲は“オーベルマンの谷”で、セナンクールの小説は『オーベルマン』なのかな・・・つまり“谷”ってなんだ?と思ってました。下巻の真ん中まで読んで分かりました。オーベルマンは二度目にスイスに行ってそこで安住の地のような場所を見つけます。それがイメンストロームという地所。ただしこのイメンストロームというのはセナンクールが勝手に付けた地名のようです(訳者の市原豊太さんの下巻の解説にそのようなことが書かれています)。このイメンストロームの谷が=オーベルマンの谷のようです。もちろんそこに様々な意味合いが含まれているのは、リストの音楽の深さからも推し量られるとおりだと思います。下巻P158から引用。

“イメンストロームの峡谷は冬の落日の方に降つて開いてゐる、南の斜面は影の中に入るだらう、僕の占めてゐる南向きの斜面は落日の豪華な光にすつかり照らされて、太陽が、その火に燃え上る大きな湖水の中に沈むのを見るだらう。さうして僕の深い谷は、光に疲れた熱い野と、東にあたつて谷をとざす山巓の冷たい雪との間に、和らかな気温の隠れ家のやうになるだらう。” (6/16-00:58) No.3793
TAKIN > Lea Pocket Scores という小型楽譜で「巡礼の年」を持っていますが、「オーベルマンの谷」の冒頭に確かに第63信と第4信のそれぞれ一部が引用されています。ただし自然描写は含まれていません。この楽譜はブゾーニ、ダ・モッタらを編者とするブライトコップ版のコピーだと序文に書いてあります。
なんか最近は枝葉末節のコメントばかりしててすみません (^^;)。 (6/17-01:25) No.3796
anonymouす > いやあ、それにしても作家の実生活と作品を照らし合わせてみると、実に面白いことがわかりますね。財産問題とか、(本当はスイスにいたいのに、フランスにいるものだから半分文句つらつら)とふゆひこさんがまとめられたあたりは、憑かれたようにスイスを求めていた彼の実生活が物凄く反映されているようです。以下は仏語版のクロニクルより。
1794年或いは1795年、セナンクールは単独パリへ帰る。アシニャ紙幣(フランス革命期に没収された聖職者の財産を担保として発行された不換紙幣)の平価切下げのため彼は財産を失う。父が亡くなった時、彼が辛うじて購入することができたのは、シャーリの大修道院の所有地でもあり、後に廃屋となった郊外の一戸建てのみであった。しかし彼はここに一度も住まなかった。
1796年、セナンクールはスイスを不法に訪れようとたびたび試みる。これは彼の娘による「セナンクールの知られざる人生」からです。括弧内の解説みたいなものは僕です。
≪暴力と不信に溢れたこの時期に、スイスは彼が苦境を切り抜けるための唯一の方策であった。しかしながら、国境に到達することは、彼にとって常に不可能であった。一度彼は非宣誓司祭として逮捕される。(宣誓司祭とは、フランス革命期1790年のフランス聖職者独立方に宣誓した者のこと。だからこの場合、セナンクールは宣誓していないことになっている)ところで、彼は(スイス出身の女性との)結婚証明書を携帯していたのであるが、この時期、憲兵はまったく字を読むことができなかった。(今でもパリ以外のフランスの田舎は警視庁の管轄でなく、憲兵が警察業務を行っていますね。某ミステリー映画で両者のライバル意識がピックアップされていた。確か、憲兵というのは軍隊に属しているので、ストライキには参加できない)セナンクールはブザンソンまで連行される。(リストもパスポートを忘れたために国境で連行されたことがあります。ところが、彼の肖像や胸像のコピーがあちこちで出回っており、さらにその村にリスト・ファンがいたために、その男が憲兵隊長を自宅に招き、リストの像を見せた。それで、リストは顔パスすることができたのですが、セナンクールはそうはいかなかった)そのブザンソンがひどい村で、下層民たちが、連行されてゆくセナンクールにどよめきながらくっついてゆくのです。彼らは死刑執行の装置(ギロチンのことかなあ?)が作動するところを見たかったのです。尋問されるための個室に入ると、その貧民たちが窓によじ登り、格子にぶら下がって、不幸な光景を愉しむことに浸っていた≫
セナンクールは別の折には銃殺されそうになったこともあります。
≪再び憲兵に逮捕された時、セナンクールは馬に乗って野を横切り、あちこちで塀や堀を飛び越えていたのであった。≫
(6/17-10:05) No.3797
anonymouす > ケンペルという人は、いわゆる啓蒙思想の人たちより少し前の時代の人なのですね。ヴォルテールの「カンディード」だったような気がするけど(かなりの斜め飛ばし読みなので記憶が曖昧です)、日本の踏み絵のエピソードが出てくる。ところが、踏み絵をさせられそうになったのは外国人で、それに関しては訳注があって、踏み絵は外国人には要求されなかったとありました。啓蒙の人たちも、ケンペルを読んでいたのかな。EMBには、セナンクールの第63信と第4信に加えて、バイロンのチャイルド・ハロルドの遍歴時代かれの引用も載っています。 (6/17-10:14) No.3798
ふゆひこ > 読了してずいぶん経ってしまいましたが、いちおう簡単に感想。結局、理解不能度は85%にアップ(笑)。けど終盤(第85信以降かな)にさしかかると、妙に文章が静かながらも力強さを持って、すっと頭に入るようになりました。特に第89信は重要ですね。『オーベルマン』は思想的な箇所は理解に苦しむのですが、基本は、一般的な社会が持つ目的や理想の正体(くだらなさ)を見抜いてしまった者の孤独な苦しみでしょうか。その解決を自然に求めたようですが、そこにすら見つからない。いろんな解説書で、セナンクールの『オーベルマン』と同列に論じられる作品として、コンスタン『アドルフ』、ミュッセ『世紀児の告白』、シャトーブリアン『ルネ』が挙げられるんですが、これらの作品を読むと理解が深まるかもしれません。岩波で手に入ったら読んでみたいと思います。

デームリング著『ベルリオーズとその時代』(西村書店 池上純一訳)のP137より

“ミュッセのいう「世紀病」とは、帝政下に生を受けた人間たちがナポレオン失脚後の時代を迎えて、世界制覇の夢破れ、未来への展望を持ち得ぬまま、為す術もなく虚空を見つめているという惨憺たる状態を指す。”

この辺の空気がセナンクールにも感じられ、僕は現代的感覚にも通じると思うんですよね。僕なりに書くと、18世紀と19世紀の変わり目が、上記のミュッセの言う“19世紀病”なら、次の100年後には台頭する帝国主義に背を向け、失われた時(貴族社会)を求める“20世紀病”にかかっている様に思え、その次の100年後(つまり現代)は爛熟した資本主義と、溢れかえる情報、価値の相対化によって芯となる価値を見失った“21世紀病”でしょうか。どの病気を患っても、やる気がおきず虚空を見つめるのみ(笑)。

結局、相変わらず、僕はリストがなぜ『オーベルマン』に惹かれたかが、しっくり理解できないです。僕はリストを、芸術家が必ず持っているマイナスの気質(神経質であったり、病的であったり、孤独癖であったり)を見事に克服した人物の代表格だと考えているので。 (7/10-15:00) No.3804
anonymous > リストの『オーベルマン』への共感についてなのですが、その内容の素晴らしさは勿論のこと、やはり、マリーダグー伯爵夫人との出会いから破局した後にも、この作品は二人の心を投影し伝える暗号のような役割を果たしていたのではないでしょうか。1846年4月14日に(二人が別れてからほぼ2年経過)プラハより、リストがマリー宛てに書いた手紙の最後のパラグラフを訳しておきます。
‘…だから、僕はオーベルマンのように語ることはできないのだろうね:我々が人生を享受することができていたらねえ!(第12信の最後のセンテンスです)でも、僕は敬虔なほどに自負しているよ。僕たちの愛、人生のすべて、そうしてその熱望、意志、願望、≪愛を拒まぬ崇高さ≫、それらを貴方がもとのままに僕の中に見出すであろうということは、僕たちの悲痛でもあり輝かしくもあったそれらへの裏づけであり、それは唯一の審判官のもとで殉教者と名づけられることだろうね’ (7/23-12:50) No.3813
anonymous > リストとシャトーブリアンの関係について追加しておきます。

リストは確かに1829年には彼の著作を知っていて、とりわけ1830年以前の数ヶ月の間の唯一の読書であった『ルネ』に深い感銘を受けました。主人公の憂鬱症的気質かつ宗教的なものへの熱望に魅了され、彼はすべての節を暗唱することができたといいます。セナンクールの『オーベルマン』やバイロンのいくつかの作品とともに、それは彼の若き日において最も深い影響をとどめた文学作品であったのです。
1833年にはリストはバランシュの紹介でレカミエ夫人のサロンにてこの大作家と知り合いになることができました。しかしながら、この出会いからはいかなる友好的な親密さも生まれることはありませんでした。リストは1840年にフランス語テキストによる5つの合唱曲を作曲し、その中の5曲目にシャトーブリアンのテキスト『Combien j’ai douce souvenance(ぼくにはどれほど甘美な追憶があることか)』を使用しました。 (7/25-10:18) No.3817
ふゆひこ > リストはレカミエ夫人、シャトーブリアンとも面識があったのですか。驚きです。関係が特に深くなくて、ただ面識があったのみの場合は、リスト関連の書籍でも省かれがちですね。面識があっただけという感じの著名人の中には、まだまだすごい人名がたくさんありそうです。 (8/2-22:48) No.3828
anonymous > そうなんです。あまりにも、驚くべき出会いがありすぎて、とても、書ききれるものではありません。なのに、日本では知らされてないことが多すぎます。多分、それらがすべて明るみにでれば、今までのリスト像は覆されてしまうかも知れません。ちなみに、少年リストがベートーベンに抱擁された話は有名ですが、その少し前に少女マリー(後のマリーダグー伯爵夫人)がゲーテに抱擁された話は聞いた事がありますか? (8/7-13:00) No.3841
ミッチ > 横からすいません。僕はウォーカー氏が何と言っているか知りませんが、最近の研究では、「リストはベートーヴェンに会った可能性がある」という程度で、「リストはベートーヴェンに確実に会っている」という結論には至っていないということをどこかで読んだ記憶があります。晩年のリスト本人があの有名なエピソードを事実だと認めているにもかかわらず、「当時、耳の聞こえなかったベートーヴェンが人の演奏会に出席したとは考えづらい」ということらしいです。ベートーヴェンがリストを抱き上げている絵がありますけどね(笑)。 (8/8-21:59) No.3843
LOM > さらに横から失礼いたします。ウォーカーは、聖別のキスがあったのは確かだが、演奏会でではなく、ベートーヴェンの家でのことだと書いています。家でベートーヴェンと会った話と、リストの演奏会の話とを、誰かがいっしょにしたのだろう、だそうです。
英語版のVYでしたら83ページあたりに書いてあります。"There was indeed a Weihekuss"と書いているのが心強い(笑)。 (8/8-22:46) No.3845
anonymous > それは確かです。ベートーヴェンとのエピソードに関しては僕の持っている資料でもほとんど胡散臭い作り話に近いニュアンスをもって扱われています。リストにハンガリー貴族の血が流れているといった類のこじつけの一つではないかと思ってます。が、ある意味で周知のエピソードなので、話の端緒に利用してみただけなのです。ただし、マリーの件は紛れもない事実のようです。そのあたりは、やはり1980年代以降に編集された資料が、過去のものをかなり批判したのちに再構成しているので、頼りになると思います。 (8/9-09:51) No.3846
ふゆひこ > マリー・ダグーがゲーテに会っているというのは読んだことがあります。フランクフルトでの話じゃないかな。結構、ゲーテは神格化されてしまってますけど、かなりいろんな交流があって面白いです。立ち読み知識ですいませんが、潮出版社のゲーテ全集の最終巻かな?年表があったんですけど、いろんな作曲家がゲーテに作品を送りつけるんですよね。それでゲーテは友人の音楽が分かる人に、“これはいい作品かどうか”判断を求める。“よい”となると返事をしたようです。“そんなのだめ”とされて返事を書いてもらえなかった作品にベルリオーズがあった(笑)←これは立ち読み知識なんで、信用しないでください。あとパガニーニもゲーテに会っていますね。これはエッカーマンの『ゲーテとの対話』で、ゲーテがパガニーニのことに言及しています。なので、もしかしてリストがゲーテに会ったり、ゲーテがリストについて発言したり、というのはとても可能性が高かっただけに、その事実がないのは残念です(僕が調べた限りですが)。 (8/9-23:15) No.3849
ふゆひこ > LOMさんの書き込みの補足です。紹介いただいたVY P83あたりを参照すると、ウォーカーはベートーヴェンの会話帳、それとリストの弟子のイルカ・ホロヴィッツ・バーネイが、リストから聞いて書き記した内容を元にしています。で、結局ベートーヴェンの祝福のキスがあったというのはリスト自身の回想によるところが大きいんですよね。ただウォーカーは、前述のベートーヴェンの会話帳と照らし合わせ、客観的な事実から考えるとリストの回想は信憑性が高い、としているようです。 (8/9-23:39) No.3850
ふゆひこ > そのイルカ・ホロヴィッツ・バーネイの記載したリスト自身の回想(ベートーヴェンの家での出来事)を読むと、ベートーヴェンが耳が聞こえていないというのは一切無視されたようなやりとりになってるんですよ。普通に会話している。当然ここには記憶の美化があると思います。ここからは僕の勝手な推論ですが、“べートーヴェンは耳が聞こえなかった→リストの演奏に対し褒めたりできるはずない”というのは、なんか早計な気がします。かりにも楽聖ベートーヴェンですから、たとえ耳が聞こえなくとも、誰かの演奏を見れば、視覚的にその演奏の良し悪しを判断することぐらい余裕なんじゃないか、と。 (8/9-23:48) No.3851
ふゆひこ > “ベートーヴェンの会話帳”というのは、耳が聞こえなくなったベートーヴェンが人と会話するために持ち歩いていたノート(?)で、岩浪文庫の『ベートーヴェンの手紙』かな?持ってないんですが、古本屋で立ち読みしたときに、訳者の人の説明で1823年かな、“この年、リストの名前が会話帳をにぎわせている”といような記述がありました。ミッチさんにお薦めなのは、もしドイツにまだいらっしゃるのでしたら、ぜひベートーヴェンの会話帳“Ludwig van Beethovens Konversationshefte”を参照されるといいかもしれません。ウォーカーが参照しているのは、第3巻のHefte 23-37のようです。僕は現物を見たこともありません。 (8/9-23:59) No.3852




サルベマリア 投稿者:kaz 投稿日:2005/05/25(Wed) 03:31 No.3727

遂に初版を手に入れました。なんとアカデミアでした。世界中探し回らなければと言われていただけに感動ものです。曲は易しくありませんがその美しさたるや、他のどの作曲家も匹敵しません。素晴らしいです。ご協力下さった皆さん、ありがとうございました。これで全てヴェルディは揃いました。

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ふゆひこ > おめでとうございます。執念ですね。アカデミアにあったというのは“灯台もとくらし”というか“さすがアカデミア”というか。発売は秋冬ぐらいと考えてよいでしょうか。楽しみに待っています。 (5/28-11:42) No.3734
kaz > ありがとうございます。実はブダペスト版から発売になっていて、最近発売されたものと思われます。実は僕のプロデューサーは別のレコード会社に行ってしまい、新しい会社での録音企画には時間がかかるようで、まだまだだと思います。しかしいつ声がかかるか解らないので用意しているところです。コンサートでは、この中の半分を演奏する予定です。アイーダ、シモンボッカネグラは大変分かり難い曲なので、これは来年今年の分と会わせて演奏する予定です。しかしこのサルベマリアの初版は絶大な美しさがあります。第2版とは比べものになりません。 (5/28-21:16) No.3740
ふゆひこ > プロデューサーさんが異動されているという事情があるのですか。でもコンサートもあるのならば両方楽しみです。kazさんがヴェルディ〜リストの“サルヴェ・マリア”第1版を絶賛されるので、興味を持って手持ちのハワードで聴いてみました。第42巻に第1版、第2版とも入っていました(この巻はほとんど聴いてませんでした)。確かにこの曲は非常に美しい曲ですね。まだ聴き込めていないのですが、寡黙な美しさで始まって、繊細で豊潤な響きに駆け上がっていきます。ハワードも解説で指摘していますが、若い頃に作られた1848年の第1版の方が響きが輝かしいです。1882年に作られた第2版の方は少し大人しいですね。ハワードの解説を読むと、第2版はリコルディ社のトレモロ・ペダルを使用するフレーズが含まれているとのこと。それを通常のピアノで演奏すると、表情が変わってしまうのかな、と思いました。 (6/1-00:58) No.3746
kaz > ふゆひこさん、ハワードの演奏がどうだかは解りませんがアラウで聴いて欲しかったです(^^;)。これ本当に謎です、逆ならば解るのですが第1版のほうが遙かに奥深いです。ちなみに第1版はものすごく難しい(演奏上)ことが解りました。トレモロをピアニシモで弾かないとうるさくなってしまうのですが、ピアノにすると今度は音が抜けてしまうのです。このジレンマが大変です。

演奏の仕方にもよるとは思いますが、演奏法によっては実に感情が手に取るように理解できる素晴らしい曲です。実に渋いです。しかも驚いたのは、和音の選択が事細かで、微妙な場所に微妙な和音が隠れていてそれが隠し味になっています。早く上手に弾けるようになりたいです。 (6/2-02:32) No.3751
anonymous > 忌憚のない意見を述べることをお許し下さい。そうして、アンチテーゼを期待しています。僕は、正直言って、トランスクリプションとかパラフレーズといった作品群はほとんどB、C級の作品だと思っています。何といってもオリジナルに尽きると信じているからです。リストのオリジナル、詩的で宗教的な調べとか巡礼の年シリーズとかは飽きることなく独創的で美しいのに、パラフレーズ群は一度聞くと飽きてしまいます。もともとは当時の流行オペラのメロディーからのインプロヴィゼーションですから、たとえば即興といいながら、1000回も耳にするような、実はパターンの貼り付けであるジャズを彷彿とさせます。また、モーツァルト・メドレーの未完(ハワードによって完成、録音された)のFantasie uber Themen aus Figaro und Don Giovanniに至っては、歌劇では活き活きしたモチーフだったのに、リストはそこにトニック和音の展開形の伴奏をつけて、どたばたした印象を与えてしまいました。それならば、あの有名なアマデウスの映画の中でネヴィル・マリナーのシンプルな編曲で弾かれたピアノ版フィガロのほうがよっぽどマシでリストは古典派のイディオムを理解していなかったのではないかと疑いたくなるほどです。つまるところ、リストの書簡集でも、絶えず語られていることは詩、哲学、文学のことで、それは後の娘のコジマへの手紙の中にさえ出てきます。彼の価値はあくまでも、文学と結びついた音楽の新たな道の開拓者であるということで、当時のサロンの低レベルな聴衆向きのポップス編曲ではなかったはずです。そうした流行オペラ・アレンジ時代のリストは悪い時代のミーハーな聴衆の中であがいていたようにも思えるぐらいです。またリストは1843年、1月22日付けのマリーダグー伯爵夫人への手紙で、間もなくヴィルトゥオーゾというキャリアを終えなくてはならないね、ととうに書いているのに、彼の弟子がくだらないヴィルトゥオーゾばかりで残念ですが、時代はすでに新しい創作の余地を残していなかったのでしょうね。現代はよりいかなる可能性もなく、また、リストのような偉大な改革者が出現する気配もありません。
好き勝手に書かせていただいたので、激しい反駁、怒涛のような非難を覚悟しています。 (6/2-09:21) No.3752
ミッチ > 僕の音楽への姿勢は非常にシンプルで「詳しいことはわからないけど、好きな曲を聴く」だけです。そして「結局は個人の好み」だとも思っていますので、あなたがどのように考えていようが、僕の知ったことじゃないのですが、あなたが批判した編曲モノやジャズに特別な愛着を持って聴いていらっしゃる方々がいるということも考慮に入れて発言をされたほうがよろしいのではないでしょうか。ただ、あなたが「自分の価値観が絶対だ」と考えていらっしゃるなら、僕は何もいうことはありませんが。
ちなみに好奇心でお伺いしますが、「リストの弟子がくだらないヴィルトゥオーゾばかり」というのは、誰の、何を、どのように感じて、そのような結論に至ったのですか?よろしければお教えください。 (6/3-00:59) No.3753
ふゆひこ > アラウのも持っていたので(廉価版のやつ)、早速聴いてみました。素晴らしいです。アラウの方が全体的にがっしりした感じがあり、スケールが大きいです。“孤独の中の神の祝福”で歴史的名演のあるアラウですから、トレモロもさすが美しいです。その淡く微妙な表現の上に、くっきりとした主旋律が奏でられます。ハワードは全体的にもうちょっと軽やかな感じがしました。この“サルヴェ・マリア”は、巡礼の年第3年の“スルスム・コルダ”のように分かりやすくクライマックスに向かって見事に高揚する構成を持ってますね。この曲、ほんとに隠れた名曲ですね。なんで今まで聴かなかったのか不思議です。アイーダばっかり聴いてました(笑)。 (6/3-03:02) No.3754
ふゆひこ > anonymousさん。言わんとされていることは分かるのですが、(僕も忌憚なく書かせていただくと)anonumousさんがご自身の意見の論拠として持ち出している事実は、それぞれのテーマに直結しないか、あるいは他に反する事実をたくさん持ち出してくることが出来ると思います。例えば、

・オペラとかの旋律をおいしいどこ取りしたのがパラフレーズ、ある部分、あるいは全曲をほぼそのまま編曲したのがトランスクリプションという区別が必要。
・リストにはトランスクリプションの範疇でバッハ作品の編曲、ベートーヴェンの交響曲全曲、等がある。
・リストは晩年に至るまでオペラなどからの編曲を行っている。

あとひとつだけ書きますと、まず編曲作品をオリジナル作品と比べる必要は特にない、と僕は思います。作品に優劣をつける場合、あらゆる観点があるのでその尺度によってつけられる優劣は変わってしまう。極端な例ですが、“いかにうまく娯楽的に編曲したか”を尺度として優劣をつければ、“フィガロ・ファンタジー”も結構いい点取れるんじゃないでしょうか(笑)。 (6/3-03:04) No.3755
kaz > アラウの演奏は本当に賛否両論です。僕にも物足りないところは沢山あるのですが、恐ろしく繊細な部分もあります。ちょっとこの人は上品過ぎるのでは?という面も感じられます。しかし総合的に素晴らしいです。ボレットに関しても同じ事が言えて、彼の超絶技巧は僕は好みではありませんが、巡礼に関しては素晴らしいです。この一連のヴェルディに関してですが、例えばシモンポッカネグラなど、マニアック過ぎて相当何回も聴かないと馴染めない曲があり、そしてそれは後に最も深い曲になっていきます。その過程が好きです。アイーダもあまり演奏されませんが、演奏法によっては途轍もない大曲になります。ソナタにも匹敵するぐらいの奥深さがありますね。 (6/3-03:33) No.3758
anonymous > まず、パラフレーズとトランスクリプションの区別については、書いてしまってから、あっ、墓穴を掘った、これは真っ先に指摘されるだろうと予感していました。でも、無精していっしょくたにしてしまいました(謝)

さて、リストはよくベートーヴェンの田園交響曲のトランスクリプションを演奏会で弾いていますね。シューマンもそれを聴いていました。そうして、多くのドイツ人が酷評した時も、かなり控えめな評を書いています。あの曲はオーケストラで演奏されるのならいいが、ピアノでは音量的にも大きなホールでは表現しきれないところがあるのではないかというふうに書いていたと思います。それは半ば正論です。しかしながら、オーケストラの用意できないところで、ベートーヴェンの交響曲をピアノという楽器のみでその限界にも可能性にも挑み紹介もするという前向きな姿勢の表れであるという別の見方もあるでしょう。ただ、CDの聞ける今だから言えるけど、やはり、ああいうものはオーケストラで聴きたいかもしれません。パラフレーズに関してはリストは書簡では、今、ファンタジーを書き終わったところだよ、と表現しており、まあ、オペラの聴き所を使ったり、そこからインスパイアされたり、リストの自由な想像力がふんだんに発揮できるステージでもあったことでしょう。たとえ即興で弾いても、その後、楽譜に書いて、何度も修正しつつ再版に再版を重ね、出版し、晩年にも続けたのですから、立派な作品です。まあ、リストを批判する意図はなかったのですけどね。

(6/3-10:26) No.3759
anonymous > 疑問の核はつまるところヴィルトゥオーゾという存在に対してです。よく耳にはさむ、ヴィルトゥオーゾの系譜とか、それに類するものが、どうしても納得できないのです。去年、某ピアニストのコンサートの無料チケットをもらったので、サントリーホールに出かけていきました。そうしたら、そのピアニスト自身が編曲したハンガリアン・ラプソディーやトルコ行進曲を聞くことになりました。ひたすら技巧的で、僕の価値観では、とても不快で、気分が沈んでしまいました。また多くの反論が出そうですが、サーカスとしか思えなかったのです。別にサーカスを批判している訳でもなく、サーカスはサーカスの積もりで見ますので、楽しい娯楽だと思います。すると、クラシックのコンサートも昔も今も単なる娯楽なのでしょうか?技を競い、綱渡りが見事に決まれば拍手喝采でいいのでしょうか?もしかしたら、僕は娯楽というものが理解できないのかも知れません。なにしろ、周りは、ワアワアざわめき、笑い、ノリノリなのですから。また無理矢理ジャズを聞かかされたことがあって、やはり、周囲は楽しそうに身体をゆすっているのに、僕は寒気がしてきて、中座してしまいました。そこで、考えたことは自分の価値観が世界でただ一つの奇妙なものなのだろうかということです。ところが、友人たちは、非常に僕の考えに同感してくれます。意見が違ったらディベートしたいとも思いましたが、余りにも同意見で、そんな余地がありません。それで、こちらにふってしまったのですが、やはり、通常、リスト・ファンというと、半音階的大ギャロップとか、ハンガリアン・ラプソディー(ピアニストの編曲も含めて)とか、彼の弟子や孫弟子のものも無批判に受け入れてしまうものなのでしょうか?かつて、ピアノの師にラ・カンパネラとハンガリアン・ラプソディの演奏を聴いてもらったら、そんなのばっか弾いてて、虚しくならないと言われてしまいました。

(6/3-10:29) No.3760
anonymous > リストはテェルニーとサリエリの弟子であり、二人共、100年に一度の天才を弟子にしたことを誇りに思ったことでしょう。しかし、リストの弟子で、リストに匹敵する作曲家が一人でも出たでしょうか。彼はヘルマン・コーヘンとタウジヒという弟子を特別可愛がっていたと思いますが、前者は、1841年12月7日のリストからマリーダグー伯爵夫人に宛てた手紙の中にこう書かれています。「…最も信頼のできる数字によると、ヘルマンは僕の最初のコンサートの売り上げから1500フラン盗んだことが分かった。二度目のからは、まあ大体似たような額だよ(多分かなり多いのではと、僕は想像するけど)」タウジヒもまた、わずかな金欲しさに、リストの新作の著作権を信じられない安い金額で売ってしまいます。それで、リストもタウジヒをしばらくワーグナー家に預けてしまうのです。再会して、一緒にコンサートをしますが、タウジヒは伝染病にかかって早世してしまいます。で、僕のイメージとして、あああ、リストは弟子に恵まれてないなあ、となってしまうわけです。実はそれほど関心もないし、リストの弟子よりは、むしろリストの師、影響を与えた人物、世界観のほうに異様に興味があります。が、ここでは、国会のように価値観の相違を喧々諤々と討論することは好まれないと思いますので、この一瞬の騒音、あるいは識閾の破裂に貴重な時間を割いて反応してくださった方々に感謝しております。

なお、kazさんやハワードさんの素晴らしいコンセプトに基づく活動には賛辞を惜しみません。

“フィガロ・ファンタジー”本当にそんなにいいですか?これも、ちょっとつっこまれるかなと思っていたのです。なぜなら、リストはこれをコンサートで弾いたら、余りにも難しくて弾ききれなかった。それで、曲の難しさに押しつぶされたという評までいただいて、その後、一生弾くことがなかったのです。いつか手直しする積もりもあったかも知れないが、そのまま未完に終わり、結局ハワードが完成させたのですよね。それで、僕のけなした箇所はもしかしたら、ハワードの完成させた部分だったかも知れないし、まあ、楽譜を調べもしないで話題にしたのは問題があったかも知れません。(謝謝謝)

(6/3-10:30) No.3761
ミッチ > リストの弟子でリストに匹敵する作曲家が出たかどうか、ということですが、ほとんどの弟子はピアニストとしてピアノを師事するためにリストの所に来たのではないのでしょうか?僕はリストに作曲を師事した人はヨアヒム、コーネリウス、ラフ(後者二人は師事したかどうかの真相は不明、指導を受けた可能性あり)などの、ごく少数だと思っていたのですが。
そして多くの弟子はピアニストとして大成したのでそれでいいのでは、と僕は思います。リストより素晴らしいピアニストが弟子の中にいたかどうかは誰にもわかりませんが、例えば、リストのマナリズムを最も多く継承したと言われるフリードハイムはローゼンタールのことをリストより優れたピアニストと評しています(フリードハイムはリストの全盛期を知らないので、その辺は単純ではありませんが)。それからザウアーは「リストの演奏を聴いた時、他の生徒は非常に驚いていたようだが、私は特に驚きはしなかった。」みたいなことを言っています(これも、リストの当時の年齢を考えれば仕方のないことですが)。
でも「弟子に恵まれなかった」というのは同意します。弟子の中にブゾーニのようなリスト賛美者は非常に少ないように感じます。
関係ありませんが、フィガロ・ファンタジーはブゾーニ版の方が好きです(ギレリスのは名演)。 (6/4-01:50) No.3762
直坊 > 私はリストの曲はすべて無条件に愛しているし愛するよう努力していますし、それは全く苦になりません(何か気になる異性に愛の告白をしているようで気恥ずかしいですけど)。しかしそれでもベートーヴェンの交響曲のピアノへの編曲、ベルリオーズの交響詩のピアノへの編曲をする時間等があったならもっと他の大きな仕事(オリジナルの作曲)に時間を費やしてほしかったとおもいます。特にベートーヴェンの交響曲はやはりオーケストラで聴いたほうがいいはずです。この交響曲をヴァイオリン、ビオラ、チェロの全ての弦楽器がストラディヴァリ、グァルネリ等の名器で演奏されコンサートがあった場合(金管、打楽器の事はあまりわかりませんが)と同じ曲のピアノでのコンサートが有った場合・・・もし同じお金を払ってコンサートに行くとしたら・・・前者を選択する確率が高いと言えます。10年以上も前に聴いたピアニスト、マルマルさんのピアノ版の「運命」も一度、しかも一楽章だけ聴いた事がありますが欲求不満になった覚えがあります。それでも私はリストの曲を愛しているんですけどね(sotto voce・・・ffff?)。うおーマジ恥ずかしい。

ただコンサートを開いた場合、高い芸術性を追求した作品等はいわゆる聴衆の皆様には敷居が高すぎてかえって「クラシック音楽は堅苦しい」という印象を与えてしまう恐れがあるので馴染みやすくオペラの名アリアを使ったパラフレーズもの、編曲ものもおりまぜるのも一つの手段かとおもいます。ただ「今の若い者(或いは聴衆)はレベルが低い!」とある方も言われていますがそれも一理あり、どんな人(老若男女全て)も努力し音楽、芸術に留まらず世の中の全てを理解、昇華しなければならない「must be」とも思います。・・・何かこっちに反駁ありそうで。

kaz様の御活躍、成功を心よりお祈り申し上げます。

やはり更なる創造性のあるリスティアンの発展のためにはお互いに意見を言い合い、主張する絶えざる「デバ」の中にしかないといったところでしょうか。anonymous さんも演奏会、執筆された本などありましたらコマーシャルしてください。ふゆひこさんが言うべきか。これは。

あとanonymous さんの去年のサントリーホールでの某ピアニストの椅子ってパイプ椅子じゃなかったですか?私の勘違いかもしれませんが良かったら教えてください。名前は書かなくていいですから。 (6/4-01:53) No.3763
anonymous > まあ、作曲家に限らず、彗星のように輝く天才のもとには、まず、彼を超える弟子は出現しませんね。新たな彗星は、案外、平凡な先生のところから、突然現れる。絵画の世界だって、そうでしょ?偉大な画家の後には××派というものはできるけど、そのぬるま湯の中にずるずると浸かって、グループ展なんかに出品している奴はまずダメでしょう?アンリ・レーマンもリストたちを始め、王侯貴族の肖像も描いているけど、写真の時代には不要となりつつある写実の肖像画家で、やはり、師のアングルを超えていない。俳優たちの、七光り族たちも、なかなか親以上にはね(笑)

ブゾーニはバッハのコラールなどの編曲ではリストを凌いでいますね。なぜなら、ブゾーニは、教会で演奏されたオルガンの残響までを計算に入れて、ピアノにアレンジしているからです。EDITION BREITKOPFから沢山出ているから、ちょっと立ち寄ってみてください。僕はブゾーニのコラールを弾き、ケルン大聖堂にでもいるようなバーチャル・リアリティを愉しんでいるよ。彼のオリジナルの管弦楽曲なんかも悪くはないけど、まあ、活動のほとんどをピアニストという束の間のキャリアに捧げてしまったから、作曲家としては彗星ではなく、衛星かな、いや、それでは失礼だから惑星ですか。

サントリーホールでの某ピアニスト、お知りになりたいですか?V氏ということにしておきましょう。そう、聴衆のレベルはリストの時代も今もひどい。でも、リストは世界の果てのようなダブリンからロシアまで憑かれたように演奏旅行してますね(何で寒いとこばっか行くのだろう。おかげで、同行した使用人も秘書も病気で倒れてしまう。一方リストはマラリアにかかったまま、周期的な熱とともに3年間ヨーロッパ中部で活動していたけどね)

こういう掲示板は楽しいね。アマチュアのノーコンセプト寄せ集め演奏会でさ、失敗した者たちが傷を舐めあうような、そんなピアノ環境も見るに耐えない今日この頃…
(6/4-09:09) No.3765
直某 > リストとピアノ演奏でいわゆる「決闘」を執り行なったタルベルク(1812〜1871)は1863年には演奏活動から引退し、ワインの醸造会社の経営に打ち込んでいますね。このワインってどんな味、香りがするのか関心があるんですが、この仕事をするようになってからはタルベルクは自分の家にさえピアノは置かないで事業に専念したとのことです。・・・あの大リストとピアノの決闘をした人がですよ!結構長い間のソロ活動をした事になりますが私が何を言いたいかというと、うーん、なんていうかけじめっていうか潔さっていうものを思い起こさせるんですね。こういう人生もありかなーと。タルベルクの演奏はヘクサメロンやノルマの回想を聴くと分るのですがメロディに3度や6度を付けた和音が特徴です。リストの演奏会もさることながらタルベルクの演奏会ってどんなだったんでしょうね。1856年にはナポリに豪壮な別荘も建ててますしね。演奏会で稼いだお金だったんだろうか・・・。
(6/6-00:40) No.3766
あのnymous > タールベルクの代表的な奏法は、真ん中にメロディー(左右の親指を駆使した)、それを物凄く早いアルペジオで装飾しまくる方法なので、確かに傍から見ると二本の手で弾いているようには見えなかったといわれている。しかし、リストもよほど彼には頭に来ていたのか、書簡でかなり長いこと彼の、まあ、悪口ばかりではないが、少なくともバカにするような表現をみかけたし、どこかの都市での稼ぎもいちいち彼を超えたか気にしていたよ。凄く成功すると、パガニーニを抜かしたと豪語。どうも、リストさん、O型の呑気さと落ち込みの激しさの血液が体内を駆け巡っていたようで… で、タールベルクもシューベルトのリートの編曲、演奏をしていました。オペラからのファンタジーと同様、時代の風潮だったのかもね。アルコールに関してはリストは強い黒ビール(英国のPorter)を好み、よほど酒豪と思われていたのか、自ら注文したのか、しばしばキュラソーなどのサンプルを送ってもらってました。 (6/6-08:37) No.3767
ミッチ > また、話題をころころ変えて申し訳ないですが、もう一つだけ噛み付きます(こういうキャラじゃないんだけどな(笑))。アラウの演奏が賛否両論とのことですが、僕が知る限りでは、彼の演奏は世界的に見れば全体的に高い評価を得ているはずです。たとえばショーンバーグの著書を参照すると、

“アラウの卓越した音楽は誰もが認めていたが、一部の批評家から「まじめすぎる、チャーミングさと自発性のかけらもない」と批判されていた。しかし彼はある録音によりその批評を覆すことができたのだ−−あの生命力に溢れ、そして明快なリストの超絶技巧練習曲によって。”

ご存知のように、ショーンバーグの著書はCD紹介の本ではありません(実はほかに紹介したい文があったのですが、どっかいってしまいました)。個人的にアラウの音楽は「深い」と思います。 (6/6-21:46) No.3770
さくら > anonymous さん。V氏の演奏会、私も行きました。ハンガリアンやトルコは確かに大変技巧的で、凄い!とひたすら賛辞する人もいるでしょうけどanonymous さんのおっしゃることも良く分かります。しかし前半のベートーヴェンやスクリャービンはどうだったでしょうか。私はソナタの、特にフーガには甚く感動させられましたが…。「音楽は娯楽である」これは間違ってもいなければ正確な表現でもないと思います。「娯楽」とは音楽の一面にすぎないはずです。娯楽的な音楽は確かに存在しますがそれは一部であって、そうでない音楽はたくさんありますよね。それらに対してどのような感情を抱くかは価値観によって変わるのだと思います。 (6/7-14:11) No.3771
anoにmous > ベートーヴェンのop.110ですね。あれは衝撃でした。田園の静寂な午後の風景の中に突如として稲光が閃き、雷鳴がとどろく、そうして、世の終わりのための封印が解かれたような、緊迫した沈黙、そして、再び光輝と嵐。あれほど陰影を浮き立たせた、卓越した演奏にはそうお目にかかることもないだろうね。フーガに関して言えば、リストのロ短調の中のそれとも優劣つけがたい、苦悩とも、贖罪とも、揺るぎなき信仰への巡礼の過程ともとれるような、あの厳粛な展開を、かすかな破綻もなく、見事に弾き切っていたね。だから、残念なんですよ。bisやそれに準ずる曲はもっと選びぬかなければ、全体をぶち壊すこともある。かつてアファナシェフ氏のオール・リスト・プログラムの演奏会を聴いたことがあるけれど、ダンテ・ソナタなどを演奏したあと、bisはコンソレーションの3番、ただ一曲だった。それさえ、あらかじめ周到に組み込まれた選曲であるような印象があり、実際、詩と哲学の狭間に魂が導かれるような永遠の余韻を残していってくれました。

ところで、パイプ椅子の背もたれにぴったりと背中を張り付け、腕を伸ばすようなV氏の姿勢は、実は最も脱力のできる理想的な姿勢であり、レッスンの時にも、わざわざパイプ椅子を使わせるピアニストがいるね。 (6/8-09:09) No.3774
anoにmous > 価値観ということに関してだけど、アラウへの賛否両論の評価(僕が言ったわけではないが)といったことも含めて、少し考えてみたいと思う。まず、価値観といわれるものは基本的に3つのカテゴリーに分けられるのではないか。@個人の好き嫌いに関するもの。A長い歴史を経て、ある程度社会的に認められるようになった普遍的と思われている判断基準。B政治的、宗教的な特殊な事情により、支配者側からその社会全体に押し付けられる善悪の基準。しかし、ここではBについては語りません。一般に、@は個人の教養、家庭環境、交友関係が大いに関係してくると思うが、歴史的に獲得された社会的基準とも妙にリンクしている。最終的には好き嫌いという形で表現されるので、問題を起こしやすい。(ヴィルトゥオーゾの好き嫌いなど)賛否両論という言葉の中には、相反する価値観による個人の意見が寄せ集められているわけだけど、例えば、僕はこのように言うことが出来る。アラウは立派なピアニストだ。彼のイメージ像は「考える人」。しかし、面白みがないと言われてしまう可能性もある。彼のシューマン「子供の情景」は名演だった。でも、彼は物議を醸し出すようなアジテーターではないでしょう。少なくとも、ホロヴィッツの「展覧会の絵」(キエフの大門がほぼ別の曲)や、楽譜を見ながら演奏をし、楽譜に書かれていないことは存在しないと断言したリヒテル(彼の中には形而上学は存在しないのか?)、あるいはコンサートを嘲笑してスタジオにこもってしまったグールド(彼はどちらかというと嫌いだが、ジャズ嫌いなところだけ、妙に価値観が合うんだなあ…)、異様にテンポの遅い演奏をする、ウゴルスキーとアファナシェフ(彼のCDの中で、リストのロ短調ソナタをどのピアニストが何分で弾いたかということをつらつら並べた月並みなライナーノートにお目にかかったことがある)。彼らこそ実に賛否両論だと思うよ。 (6/8-09:55) No.3775
さすらい人 > 横からすいません。リストは弟子に恵まれなかった…と言うけれど、個人的には恵まれた方ではなかったかと思います。ピアニストの弟子は、尊敬されるピアニストを数多く輩出したわけだし。それにリストの賛美者が少ないと言っても、同時代の作曲家、芸術を理解するのは難しいし、リストの死後から100年経った私たちでさえ、どれだけリストが意図した事を理解しているかというのは疑問なので、弟子たちが理解に苦しんだのも仕方ないかなと(そういう意味では、リストの同時代の作曲家への理解度ってすごいですね)。天才は、平凡な先生から出てくるというのは同意見です。というより、先生が天才に対してできる事は、非常に少ないのではないかと思います。リストは、確かにチェルニ−やサリエリの弟子で、彼らから多くの事を学んだと思いますが、それでもリスト自身が独学で学んだ事の方が遥かに多かったはずです。かつてヨーゼフ・ホフマンは、リストのピアノのテクニックは、彼自身が望む表現のために生み出したものであって、リストはほとんど独学であった・・・と言っています。おそらくそうでしょう。天才は、誰に師事したかはあまり関係ないのであって、なるべくしてなるという感じでしょうか。 (6/8-14:47) No.3776
ミッチ > まず僕の上での書き込みを一部訂正します。「ブゾーニのような崇拝者が少ない」と書きましたが、今考えてみると、別に弟子だからといって崇拝者である必要はないですね。師事したからといって師を尊敬するかしないかは、それぞれの価値観によるものですから。たとえばプロコフィエフは相当の悪ガキだったようで、師のエシポフ(レシェティツキーの弟子)に「ショパンなんて弾かなくても、立派な演奏会はできるさ」と悪態をつき、エシポフを閉口させています。
話を少し整理すると、「リストは弟子に恵まれたかどうか」という話題が三つに分岐していて、
1.弟子たちのリストに対する態度
2.弟子たちのリストの作品に対する理解度
3.弟子たちが偉大なピアニストかどうか
となっていますが、僕が「弟子に恵まれていない」といったのは「1」のみを話題にして言ったことです。僕のイメージではリストを「師」として敬うというより、「お父さん」あるいは「おじいちゃん」みたいな感覚で接しているような感じがしていました。でも、基本的に子は親を尊敬しているはずですから、僕が勝手に思い込んでいただけかなと、少し考え方が変わってきました。(それでも何人か尊敬の念が全くないと思われる人もいますが)
「2」「3」については「リストは弟子に恵まれた」という結論に全く異論ありません。ヴィアンナ・ダ・モッタやトマーンのように常にリストに献身的だった人がいたことも僕は理解していますし、ヨゼフィーやグレーフのような素晴らしいピアニストがいたということ、メイソンのような偉大な教育家がいたということも見逃してはいません。 (6/9-19:58) No.3777
ミッチ > 「ヴィルトゥオーゾ」という言葉についてですが、僕はこの言葉を「素晴らしい演奏家」という意味で使っています。(→ここから書くことは非常に曖昧な記憶ですので全面的に信用しないでください)なんかの本で読みましたが、昔は「ヴィルトゥオーゾ」というのは、素晴らしい音楽家というだけでなく、人格者であるということも意味していたらしいです。(マエストロに近いのかな)
「VIRTUOSO」という言葉の語源は「美徳」(virtusだったかな、何語かは失念)を表すものだったそうです。英語でいう「virtue」ですね。しかし現在では「素晴らしい演奏家」として使われることもあれば「ひたすら技巧的な演奏家」とやや侮蔑の意味をこめて使われることも事実ですね。
僕の感覚で言えば、シフラやヴォロドスはもちろん、アラウやケンプもヴィルトゥオーゾです。 (6/9-20:20) No.3778
ミッチ > anonymousさん
「人様の価値観を否定するのはどうかと思います」と言っている僕があなたの価値観を否定しているというパラドックスが生じていることも認めます。失礼しました。 (6/9-20:46) No.3779
直坊 > 「琴に譜外の音多し」。ピアノに於いてでも楽譜には言いたい事、伝えたい事、喜怒哀楽等多くのメッセージが含まれておりそこに選ばれた音は気紛れで書き記されている訳では当然無くしかしこの音は仮の姿でしかなくだからこそ全身全霊(大きい音が出るから全身全霊では無い)、万感を込めることは演奏家の義務と認める事が出来ます。そして幸運にもコンサートが持てる事ができ聴衆と言葉では言い表せない何か(緊張感、安らぎ、恍惚、・・・言い表せるか。)を共有(この言葉は適当かどうか?)でき、いい思い出ができるように努めることが演奏家の使命で演奏家の使命は「極めて重要」と言う事も出来ます。そしてよく取り沙汰される詩的で宗教的な調べや巡礼の年や交響詩にもよく見られる同音連打ですがこの中にも多くのメッセージが当然込められている事は間違いないと確信しております。

そこにきてトランスクリプション、パラフレーズ郡・・・。サロンの王、ヴィルトゥオーゾであったリストを当然強調するべきではないしもみ消してもいけないわけですが(どこかで聞いた台詞ですね)、トランスクリプションであるロッシーニの「ウイリアムテルの序曲」や「ノルマの回想」を素晴らしく弾かれる方も存じ上げます。人間リストの持つ多面性の一面を知る事ができますね。

例えばショパンの幻想即興曲の右手のスケールを3度で途轍もなく早く正確に弾ききったりチャイコフスキーコンクールで初めてアメリカ人で優勝したピアニストのコンクールの客演挨拶で泥酔して「ホロヴィッツは神だ。あとは全て嘘。」などとのたまうピアニストってヴィルトゥオーゾ・・・なんでしょうね。あとこれはイヤミじゃないです。これも愛嬌と認めるべきです。

リストの曲にもテクニックを必要としなくていい曲は有りますね。In domum Domini ibimus(S505)やO Roma nobiris(S546)、Slavimo slavno slaveni!(S503)リストの名曲とも言えます。この曲はオルガンで聴いたほうが荘厳さや神秘を感じることが出来ますね。

(6/10-01:20) No.3780
aのにmous > ミッチさん、こちらこそ、道場破りのように荒々しく突入したのですから、さぞや驚かれたことでしょう。そうして、今、気がついたのですが、僕のヴィルトゥオーゾ感とあなたのとが若干ズレていたのですね。僕のは少し狭義で、あなたの言葉を借りるなら「ひたすら技巧的な演奏家」のことのみに使っていました。そうした意味では ベートーヴェンを素晴らしく弾いたヴィドロスや、テクニックはそれほどと思ったことはないけれど、芸術的には良い成果をもたらすであろう編曲を遺したケンプは、ヴィルトゥオーゾとは考えてはいなかったのですが… その点で毛嫌いしているのは、シフラとアムランで(ファンの方、ごめんなさい)、もちろん、ゴドフスキーとかいう、作曲家なのかアレンジャーなのか不明なキワモノは認めることができません。彼のショパンのエチュード編曲は、ひたすら、原曲当てのクイズ向けかなと思っております。それから、コンサートで、ベートーヴェンを弾いた後に、自作のジャズを披露したというグルダにも怒りを覚えました。が、これは実際のコンサートでもCDでも聴いたわけでなく、アルフレート・ブレンデルの著書の中でみつけて憤慨していたのです。リストの弟子のピアニストたちについても(リスト自身のこともだけど)、たいていは実際の演奏も聴くことができないので、多分、それを聴いた誰かの著作からの情報が多いのではないでしょうか?で、僕も弟子たちがぱっとしないことの理由として、これといった作曲家がいないという側面からばかり見ていました。師弟関係についての、さすらい人さんのご意見には同感です。そして、実際リストはチェルニーにもサリエリにも驚くほど短期間しか師事していないのです。

今は、このスレッドをお借りして、他のどこでも見かけないような熱い議論(絶えざる「デバ」ですよね、直坊さん?)をみなさまと交わすことができたことを、ふゆひこさんの掲示板に感謝しております。
(6/10-09:08) No.3781
aのにmous > さすらい人さんのおしゃった「リストの同時代の作曲家への理解度」についてなのですが、これは確かにいったい他の誰がこれほど献身的に他の芸術家たち(弟子たちも含む)を理解し、援助してきただろうかといつも思い、またそれが現在ほとんど知られていないことを残念に思います。リストがワーグナーを金銭的にも広告のような点でも多大に援助してきたことなど今ではすっかり忘れられている。何もルートヴィヒ2世だけが援助したわけではないのにね。実はショパンのことも結構陰で助けている。ドイツの楽譜の出版社が、ドイツではショパンの楽譜は売れないから…とこぼしていた時、リストはただちに自分の演奏会のプログラムにショパンの曲を盛り込み、広めようとしたのです。しかし、不思議なことに、リストはショパンにもシューマンにもメンデルスゾーンにもブラームスにも結局、嫌われてしまいました。でも、これは作曲家同士の価値観の違いもあるだろうけど、偏見やライバル意識を盛りあげようとした周囲の人間にも多大な責任があると思っています。 (6/10-09:34) No.3782


アルノ・ブレーカー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/06/08(Wed) 01:28 No.3773

ナチス時代に活躍した彫刻家でアルノ・ブレーカーという人が、リストの彫像を作っています。このリストの彫像は1976年作のようで、ナチスとは関係ないようです。非常にクラシックなスタイルながら、どこか戯画的な誇張されたニュアンスが特色の作風ですね。アルノ・ブレーカーのアトリエでしょうか、作品がたくさん映っている最初の写真ではコージマの彫像も見えます。

http://www.econac.net/Artigo136.htm
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ふゆひこ > ここのサイトで、アルノ・ブレーカーによるリストの像(銅ですかね)が見れます。写真をクリックするととんでもなく拡大されるので要注意。最初に紹介したリンク先よりも寸法が正確に写ってるんじゃないかな。最初のやつはなんだか細長くなってる気がする。この像はバイロイト市からの委嘱で作られたようで、バイロイトの Festspielpark (祝典公園?)にあるようです。

http://www.ilexikon.com/Franz_Liszt.html (6/16-00:06) No.3790
直坊 > 肉感的なデフォルメの施された若さや老いなどの表現された美しい作品の数々を拝見しました。そして同じナチス時代に活躍した音楽家で、リストが務めたヴァイマルの宮廷歌劇場の指揮者となったペーター・ラーべも同じ時代の芸術家の一人としてその名を挙げられますが、私の読んだ本の中に「第三帝国と音楽家」という本があるのですが、(部屋の中のどこかに有るはずなんです・・・)そのなかにはラーべはヒトラーへの手紙等のやり取りの結びに「ハイル・ヒトラー」と書かれていたんですって。ただ今でこそヒトラーを悪者のように公然と非難できる時代になったものの当時の彼(ヒトラー)は巨大で絶対で趣味や自由は制限されていたことは察する事が出来ます。ブレーカーもラーべも本心から「ハイル・ヒトラー」等とは・・・いってないはず・・・っていうかそう信じたいです。そういわざるを得ない状況だったのか・・・。シンドラーズ・リスト(トーマス・キリーニー著)にも書いてありましたが、ヒトラーはドイツ国営放送で重大な発表をするときは精神を鼓舞させるような音楽を流していたそうです。抜粋“ヒトラー暗殺の企てがあったんだ。・・・略・・・ベートーベンばかりやっているよ。スターリングラードが陥落した時と同じだ”。
ただこのオスカー・シンドラーも生まれながらのドイツ人というだけで、・・・というよりだからこそ、彼の持つ軍需工場でユダヤ人を労働者として匿うことをユダヤ人大虐殺から少しでも救う事はできたということができるでしょうか。
この時代はリストやベートーベン、フランクのアッパー系、行進曲系の曲は好まれていたんでしょう。リストにも内省的な音楽は数多くあるんですけど。ただショパンやコルンゴルト等の頽廃的な音楽は弾圧され禁じられていたんでしょうね。ショパンでは最近「戦場のピアニスト」の映画を観ましたがこの中の一シーンに主人公がベヒシュタインのピアノを売る場面で弟が悪徳楽器屋(ッぽい)に売り渡す場面で法外な安値に対して抗議するのに主人公シュピルマンは・・・容易に受け入れてしまう・・・。私に彼のような行動派取れるか・・・。
まとまりのない文章ですみません。でも・・・とんでもない時代があったものです!当時の各国の情勢も把握したいとも思いますが・・・。歴史の勉強もするか?三国同盟とか・・・・
この時代の音楽家も愛して止まないんです。実は。 (6/26-21:54) No.3800
TAKIN > ナチドイツやソ連での音楽家(に限りませんが)の生き方の問題は、それ自体としても、戦時中の日本の状況とも響きあうものがある点でも、興味深いものがありますね。直坊さんも言われるとおり、今の我々はいわば安全地帯にいて誰が悪いの誰は気の毒だのと言っていられるわけですが、おそらくそれでは済まない部分があると思います。ただ政治的にタッチーな問題にもなりやすく、それなりの準備が無いとなかなか掲示板の類でも書きにくいです。 (6/30-00:56) No.3801
anonymous > このあたりのテーマは歴史上、最もおぞましい暗部に属しており、あまり語るのは好みませんが、旧ソ連の虐殺された詩人たち、検閲の被害にまともにあった芸術家たちの中にはショスタコーヴィッチ、映画監督ではエイゼンシュタイン(少し時代が下るとタルコフスキー、パラジャーノフ)がいますね。スターリン体制下のソ連については、まあ、いくらでも資料があるので、ここで書くことは何もありませんが、実際に移民した人たちの話を聞くと、シベリア送りか、国外追放かの選択しかなかったみたいです。反スターリン思想の人間が同じアパートに住んでいると、たいてい民間に潜んでいるKGBに密告されます。彼らは貧しかったのでトイレでは新聞をペーパー代わりにしていることも多かったのですが、たまたまスターリンの写真が載っている新聞がそこで見つかると大変だった。

ナチスの第三帝国の被害をまともに被った作曲家といえば、やはりシェーンベルク三兄弟(!)でしょうか。ベルクとウェーベルンはシェーンベルクと違ってユダヤ人ではなかったけれど、やはり、いわゆる堕落した芸術という歪んだ価値観による烙印を免れることはできなかったのですね。彼らの不思議な12音は暗号のように一見、無機質的で、しかしながら優れた奏者にめぐりあうと、魂が引き裂かれるような、恐怖、呻き、憤り、救済への期待、絶望、容赦のなさ、ありとあらゆる苦悩が聞こえてくるような…
ああ、ロマン派の時代はのどかで、まだまだ夢があったという感慨に耽ってしまいます。

(7/2-01:25) No.3803
ふゆひこ > 僕がブレーカーとナチスとの関係をよく調べもせずに(いちおう調べたのですが、ネットではあまり情報が得られず…しかもドイツ語は読めないので)、ナチスとブレーカーを並列して紹介したのは、あまり良くなかったですね(ただあまりにもナチスの感性とマッチする作風だったもので…)。ブレーカーは戦後、バイロイトから委嘱されたり、美術館が作られたりと、なんとなくそれほどバッシングされていないような気がしますが…よく分かりません(裏をかえせば、それほど積極的にナチスに協力したわけではなかったのかな?という感じ)。TAKINさんのおっしゃられるとおりタッチーなテーマですね。 (7/10-15:44) No.3805


彗星! 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/05/28(Sat) 12:08 No.3736

『アンデルセン自伝 ―わが生涯の物語―』(大畑末吉 訳 岩波文庫)を読み出したのですが、初めの方に興味深い記述がありました。P10です。

“スペイン人たちが三歳の私に与えた印象に劣らずあざやかな印象を残したのは、その後私の六歳の時の出来事である。すなわち、一八一一年の大彗星の出現である。母は、彗星が地球を粉砕してしまうだろう。でなければ、何か恐ろしいことが目前にせまっている。『シビラの予言』のなかにそう書いてある、と話した。(略)私は母や近所の人たちといっしょに、聖クヌート教会の前の広場に立って、光りかがやく長い尾を引いた、ぞっとするような巨大な火の玉を見つめた。誰もが不吉な前兆と運命の日のことを話していた。そこへ父がやってきたが、父はほかの人たちとはまったくちがった考えで、理窟にあった正しい説明をした。しかし、母はためいきをつき、近所の人たちはかぶりをふるばかりだった。父は笑って立ち去った。私は父が私たちと同じ信仰を持っていないのに、心の底から恐怖を感じた。”

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ふゆひこ > “1811年”とくれば、ここの掲示板ならば誰もがぴんとくる年号ですね。リストに関する書籍を参照すると、リストの誕生の頁でいくつかの書籍で彗星のエピソードを記述しています。

ユリウス・カップ 『フランツ・リスト傳』(高野瀏訳 河出書房) P5では、

“フランツの誕生の夜、一つの彗星が輝いた。(譯者註、彗星はハンガリアの幸運のしるしであるといふ。)”

サシェヴラル・シットウェル 『LISZT』 (SACHEVERELL SITWELL COLUMBUS BOOKS) では第1章の最初の小見出しが“The year of the Comet”となっています。P3から。

“Liszt was born in 1811, the year of the Comet, a sensational, extraordinary year when talk was of nothing but War.”

エヴェレット・ヘルム 『大作曲家 リスト』(野本由紀夫 訳 音楽之友社) P19から、

“それは大彗星が現れた年であった。毎晩大彗星が現れ出て、人々を驚かせたのである。〔フランツ誕生を予告する〕天の前ぶれだったのであろうか。”

さすがはウォーカーで、VYのP54で、この1811年大彗星について1段落分を費やしています。ネット上で得られるような情報は、ウォーカーはほとんど記述しています。興味深い1文のみ引用すると、

“By the middle of October the comet's tail was estimated to be at least 100 million miles in length.” (5/28-12:08) No.3737
ふゆひこ > 1811年大彗星は、リストが誕生する10月に最も巨大に観測されたようです。↓非常に詳しい1811年大彗星についてのページ。10月31日に最大となったようです。
http://cometography.com/lcomets/1811f1.html

↓このサイトで1811年大彗星の絵などが見れます。“1811”でページ内検索をしましょう。
http://komety.astrowww.pl/history.html

この1811年大彗星は、並大抵のものではなく歴史上最大級のもののようです。オノレ・フラウゲルグスという人が最初に観測したようで、フラウゲルグス彗星とも呼ばれているようです。非常に巨大であり9ヶ月間も世界中で肉眼でみることができたため、様々な記録が残っているようです。ネット上でも様々な情報が得られますが、一つ紹介すると“琉球の天文記録・星の神話伝説”というサイト( http://www.ryukyu.ne.jp/~tomori/index.html )では、1811年大彗星について http://www.ryukyu.ne.jp/~tomori/kyuyo/cmt1811.html 小林一茶が詠んだ俳句を紹介しています。

1811年大彗星の情報をネットで調べると、いくつかのページで“トルストイが『戦争と平和』で記述した”という情報が得られます。これはトルストイ『戦争と平和』の英語訳。1811年大彗星が出てくるのは下の方ですね。

http://www.underthesun.cc/Classics/Tolstoy/warandpeac/warandpeac167.html

ここだけでしょうか。『戦争と平和』読んでいないので、ちょっと分かりません。ただトルストイは1828年生まれであって、1811年大彗星を実際に見たわけではないですから、僕にはアンデルセンの方の記述の方が価値があるような気がします。 (5/28-12:09) No.3738
anonymous > ええと、記憶違いだったら、すいません。確かオスカー・ワイルドの誕生も彗星(1853年)によって前年に予告されていたような、そんなシーンを映画で見た記憶があります。BSでもやったと思います。 (6/1-10:06) No.3750

ユリウス・ロイプケ 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/05/27(Fri) 00:57 No.3730

僕の勘違いかもしれませんが、ふゆひこさん以前ロイプケのピアノソナタを探されていませんでしたか?

http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=589029

廉価レーベルから発売されていましたので、お知らせします。シューマンのクライスレリアーナとのカップリングです。僕はまだ買っていませんが、そのうちに買いたいと思います。

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ふゆひこ > おお、探していました。ありがとうございます。まさにこのCDのエラートから発売されていたものをアマゾンで注文したのですが、結果入手不可だったのです。お金がたまったら僕も買いたいです(廉価版でも今の僕には買えないんだよね(笑))。 (5/28-11:45) No.3735


第33回慶應・桐朋ピアノ・ソサィエティー定期演奏会 投稿者:KPSの広報 投稿日:2005/05/19(Thu) 01:18 No.3719 <HOME>

第33回慶應・桐朋ピアノ・ソサィエティー定期演奏会
日時:2005年5月28日(土)開場16:30 開演17:00
会場:ルネ小平 中ホール チケット500円

1.吉松隆:『4つの小さな夢の歌』より「春:五月の夢の歌」、「ピアノ・フォリオ…消えたプレイアードによせて」
2.ショパン:ワルツOp.69-1(ワルツ9番)、メンデルスゾーン:無言歌集30番(第5巻 6番)「春の歌」
3.ラヴェル:『マ・メール・ロワ』より「眠りの森の美女のパヴァーヌ」、「美女と野獣の対話」、「妖精の園」
4.ショパン:ロンド4番(2台のピアノのためのロンド)
5.フランク:前奏曲、コラールとフーガ
6.リスト:3つの演奏会用練習曲2番「軽やかさ」、ラフマニノフ 10の前奏曲5番(Op.23-5)
7.バルトーク:「組曲」(ピアノのための組曲)より第1,2,4曲
8.シューマン=リスト:歌曲集『ミルテの花』より「献呈」、リスト:パガニーニによる大練習曲第3番「ラ・カンパネラ」
9.ショパン:スケルツォ3番
10.槻谷岳大:慶應 Bitter-Sweet Memories 二度と、戻らない日々、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ23番「熱情」より第3楽章
11.小河重三郎:「救い」作品15
12.ラフマニノフ:練習曲「音の絵」Op.33-9、リスト:パガニーニによる大練習曲第6番「主題と変奏」

詳しくは、こちらをご覧下さい。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kps-homepage/

当日券もありますので、是非、お越し下さい。
皆様のご来場を心よりお持ちしております♪
長々と宣伝に掲示板を使い失礼しました。

管理人さん
さっそく、うちのリンクにフランツ・リストの回想さまを加えさせて頂きました。

それでは。

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ふゆひこ > 500円で盛りだくさんなプログラムですね。リストも編曲も加えれば4曲というのは、リスティアンには嬉しいコンサートです。リンクありがとうございます。今週中には僕の方でもリンクするようにします。 (5/23-23:01) No.3722
財前教授 > リンクして頂けるなんて、本当に有難うございます。うちのリンクの「教授のおすすめ」とは私が、個人的に大好きなサイトの方を入れていますので「教授」という名前が入っています。
と言うか、いきなり、ふゆひこさんの許可を取らずに、定演の宣伝してしまってすいませんでした。そうなんです。うちの定期演奏会はリストとショパンが多いんですよ、ですから、是非ともフランツ・リストの回想様をうちのリンクに入れたかったのです。もし、よろしければ、去年の12月定演のプログラムをご覧下さい。結構凄い内容になっていると思います。

それでは、また〜 (5/24-02:07) No.3725
ふゆひこ > 今日がコンサート当日ですね。行きたいと思ったのですが、僕はちょっと都合で行けなくなりました。リンクは今日、明日中にはします。演奏会の宣伝はリストの曲が1曲でも入ってればOKです。去年12月のプログラムも見ました。これは大曲ばかりで、一人のピアニストだけの場合では考えられない内容ですね。 (5/28-10:39) No.3731


Horowitz in Moscow 投稿者:デンキヒツジ 投稿日:2005/04/27(Wed) 16:12 No.3678

半世紀を経て故国で演奏した伝説のライヴがDVD再販されましたね。
十八番のロシア系作品と小品で、リスト作品はウィーンの夜会とペトラルカのソネットが収録されてます。

個人的にはフランツ・モア氏所蔵の音楽院生のためのリハーサル映像も観たいですねぇ・・・。
ある教授が「最も素晴らしいピアニストは誰でしょうか?」と尋ねたところ
「ナンバー2は掃いて捨てるほどいるが、
 ナンバー1はただ一人。それはセルゲイ・ラフマニノフ!」
と即答したそうです。

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ふゆひこ > 再発されたDVDというのはこれでしょうか。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007OPFCW/reminiscedefr-22
リージョンコードが米国となっていますが、これは日本でも見られるのかな・・・。非常に安価ですね。ぜひ買いたいんですが、『MRインクレディブル』の発売が間近なので、手に入れるのはもう少し先になりそうです(笑)。

CDの方では曲目のサンプルが聴けました。レビューされている方は全員絶賛されていますね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G7Y/reminiscedefr-22 

(4/29-03:48) No.3683
ふゆひこ > ↑“クリックされました”っていう画面に行っちゃいますね。アソシエイトのタグを入れると、たまにこうなっちゃう。そうならない場合もあり、違いがよく分かりません。すみませんがさらにクリックして商品紹介画面に行ってみてください。 (4/29-03:52) No.3684
デンキヒツジ > オール・リージョンフリーなのでまったく問題ないですよ。
EMIのアルヒーフシリーズもそうですけどアマゾンの表示って結構適当のような・・・

スクリャービンの家族の前でエチュードを演奏したりと、涙腺に来る演奏が多かったですね。
アンコールピースのトロイメライでは会場で涙を流す人がかなりいました。 (4/30-16:41) No.3688
ふゆひこ > ああ、やっぱりアマゾンの表記がおかしいんですね(売り上げに支障があると思うんだけど、いいんだろうか?>アマゾン)。アマゾンで書かれているレビューを読むと“トロイメライ”はすごい名演のようですね。解説を読んだら1986年のロシアへの帰国コンサートということで歴史的に記念される演奏とのこと。1986年ならば映像の質も良さそうです。 (5/10-00:14) No.3694
デンキヒツジ > 追記
残念なことに後半からの演奏(シューベルト即興曲)は経年劣化のためにMONOっぽい音質です。
演奏自体はミスはあるにしてもエグさの消えた枯淡の素晴らしいものだけに惜しいです。 (5/18-22:15) No.3718


クラウディオ・アラウのためのワルツ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/04/19(Tue) 01:20 No.3658

近所の図書館に、コンドン・コレクションというピアノ・ロールを現代のピアノで再生して録音したシリーズがたくさん置いてあり、何枚か借りてみました。その中で面白いのが“クラウディオ・アラウのためのワルツ”。演奏はもちろんアラウ。作曲者はなんとゾフィー・メンターです。

調べたら『アラウとの対話』にも、この“メンター・ワルツ”についての記述は簡単に載っており、ディスコグラフィーにも記載されていました。でも『アラウとの対話』で、アラウ自身の口から、このゾフィー・メンターがアラウのために作曲したワルツについての発言はなされておらず、ただ面識があったのみかと思っていた僕には驚きでした。作品はかなり華美な音楽性豊かなワルツです。

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ふゆひこ > しかしピアノ・ロールというのはぴんと来ないです。アラウのタッチではないですね。ニュアンスや個性はやはり再現できないのかな。名だたるピアニストが何人も収録されているのですが、どれを聴いても同じピアニストが弾いているように僕には聴こえてしまいます(というより人が弾いているようにも聴こえない)。 (4/19-01:23) No.3659
ミッチ > いいなぁ。是非聴いてみたい。作曲家としてのメンターは僕にとって未知の世界です。「ハンガリースタイルの協奏曲」(タイトルあってるかな?)も聴いたことありません。これってメンターの曲なんですよね?
ピアノロールがぴんと来ないのは僕も同感です。なんか不自然ですよね。 (5/9-21:16) No.3692
ふゆひこ > 「ハンガリースタイルの協奏曲」はハワードしか演奏していないんじゃないかな。チャイコフスキーの手も入っているとのことで、位置づけがよく分からない曲です。“メンターワルツ”は本当感慨深いです。リストはメンターに編曲してあげたりして、そのメンターが今度はアラウのためにワルツを作曲する。この事実だけでアラウを生粋のリスト弾きとして非常に尊重したくなります。

このコンドン・コレクションのCDには、前にミッチさんがおっしゃっていたレヴィーンの“悪魔ロベール”も入ってるんです。これは非常に良い演奏でした(他の録音に比べてレヴィーンの解釈・表現が伝わってきます)。 (5/10-00:49) No.3697
直坊 > 冬彦さんのいう「近所の図書館」ってどこにあるのでしょうか?都内のような気がするのですが・・・。私は都民ではないので借りることはできないと思いますが聞くことはできると思います。さしつかえなければ是非教えて頂きたいのですが。 (5/10-10:10) No.3699
ミッチ > アラウのリスト演奏それ自体が最高なのは言うまでもありませんが、彼がリスト直系ピアニストたちと交流があったというのも重要な事実ですね。アラウはカレーニョの演奏も聴いているみたいで、「こんな演奏をできる人が他にいるだろうか。このスピード!このパワー!」(要約です)みたいなことを言ってます。ダルベールとかブゾーニ、カレーニョなどを直接聴いていることも彼の演奏に影響を与えていると思います。80年代のソナタ、ダンテソナタの録音は僕の好みではありませんが、それ以外はすべて最高のリスト録音だと思っています。
レヴィーンの「悪魔のロベール」いいですよね。ごくまれに素晴らしいピアノロールがありますが、あれはなんなんだろう。
ハンガリースタイルの協奏曲は、僕の当てにならない記憶によると、どこかに「メンター/作曲・リスト/監修・チャイコフスキー/オーケストレーション」みたいなことが書いてありました。ちなみにLW番号だと「LW-W」(疑作のカテゴリー)にリストアップされてます。
http://www.geocities.jp/aesthetik_der_tonkunst/frame.html
(↑ちゃっかりアピールしてるし(笑)) (5/12-21:36) No.3702
直坊 > いいなあ・・・。いい演奏の「悪魔ロベール」が聴けるなんて羨ましくて仕方ありませんよ。一体どこに行けば巡り合えるのか分からず途方にくれているところです。ただマイヤベーヤのオペラのCDは昨年手に入れたものでCavatineのソプラノも堪能しているのですこしはましですが・・・レヴィーンの「悪魔ロベール」も聴いてみたいです。
私のCDは
Bratislava Chambar Choir
Orchestra Internaziole D,Italia
Chorus Master :Pavol Prochazka 
ConductorはRenato Palumboです。
このCDは誰だかわからないけどステージの上でドスドス足踏みしていてちょっといやかな。しかしその分迫力は十分伝わってきます!
(5/12-23:52) No.3703
ふゆひこ > 直坊さん。メールをいただければ図書館名をご連絡します。僕のメールアドレスは“CONTACT”のページにあります。

僕は“悪魔ロベール”はハワードとアール・ワイルドしか聴いたことなかったんですが、この二人よりレヴィーンの方がゆっくりめだと思います。それでレヴィーンの演奏でイントロが弔鐘のように聞こえ、おどろおどろしさを楽しめました。マイアベーアの原曲は聴いたことがないです。面白そうですね。図書館にあればいいな。 (5/14-10:35) No.3706
anonymous > Robert le Diableについてですが、リストが1840年10月26日にハンブルグからマリー・ダグー伯爵夫人に宛てた手紙で、マイヤーベーヤのオペラ自体についての感想を述べています。
“ぼくも悪魔ロベールの第三幕(小枝の場面)のほうが気にいっているよ。霊魂の墓場、ダンテの神曲を思わせる他のあらゆる魔術幻灯劇よりはね”
魔術幻灯劇は19世紀に流行したもので、そういえば、恵比寿の写真美術館のようなところで、一時期見ることができました。なお、小枝の場面については、書簡集の編集者であるソルボンヌ大学の名誉教授の解説を訳しておきます。
『小枝の場面(第三幕、7場)は主に≪尼僧たちの降霊≫と呼ばれておりますが、劇中ではそこで感情の高まりが頂点に達します。サント・ロザリー修道院では地獄に落ちた尼僧たちの幽霊、ベルトラムの呼び出しが行われ、少しずつ形を現わしていった者たちが激しいバッカス祭りのごとき乱痴気騒ぎを展開します。彼女たちはロベール公爵を彼の意に反して、冒涜的な行為に追いやります。そうして、サント・ロザリーの墓の上で恒に青葉を保っていた小枝を魔術に使う目的で摘むよう仕向けます。リストはこの小枝の場については、その不気味な幻想的効果よりも、悪魔ロベールに観念的に魂の分裂を表明させた、その素質をより好んだのです。テノールのヌーリ氏はこのタイトルロールの知的な創唱者でありますが、友人のリストにこの人物が疎外されたヒーローであることを感じ取らせます。彼の神に対しても悪魔に対しても奉仕しようという二重の志願によって。そうして、それはタンホイザーをも予言していたのでした』 (5/15-12:18) No.3707
anonymous > 直坊さんの聴かれた、ドスドス足踏みしていたというところは、もしかしたら、尼僧たちの幽霊のバッカス祭りのごとき乱痴気騒ぎのシーンではないでしょうか。このオペラまだ観た事ありません。どなたか、あらすじ教えて下さい。 (5/15-12:23) No.3708
直坊 > この「ドスドス」音はあまり気にしなくてもいいですね。むしろ臨場感に満ちているので熱気は伝わってきます。一応5幕までのあらすじがあったものですから参考にしてみてください。
SYNOPSIS

ACT ONE
Robert, the duke of Normandy, is
sitting at a table with his warriors. The minstrel Raimbaut tells the story
of the duke's birth: he is said to be the fruit of the love of a lady and the devil. Robert, in a fury, is about to kill Raimbaut but then spares his life as Alice (his foster sister) confesses to him that she loves the minstrel. Alice warns Robert to beware of his friend Bertram. Robert plays cards with his soldiers and, following Bertram's advice, Ioses a lot of money and his arms.
ACT TWO
Isabelle, Princess of Sicily, invites her beloved Robert to take part in the tournament in her honour and provides him with the arms he needs. Bertram, however,
tricks Robert into going into the wood where he thinks he is to challenge a mysterious knight. Robert gets lost, misses the tournament and loses his
chance of obtaining Isabelle's hand.
ACT THREE
Robert is found first by Alice and then by Bertram, who in fact is his father the devil. Bertram tries to win
his soul by forcing him to swear an
oath. Bertram, who has already won over Raimbaut by giving him gold,tells Robert to go to the cemetery at midnight during a satanic sabbath and to take a branch which will give him immense power.
ACT FOUR
The following day the magic branch enables Robert to enter Isabelle's castle. When Robert tries to ravish
her, Isabelle manages to move him and win his pity.
Robert breaks the branch; with it the spell is broken and he is arrested.
ACT FIVE
Bertram has ingratiated himself with Robert again and is about to make him swear the fateful oath. Suddenly Alice appears and announces that Isabelle has forgiven Robert and is expecting him. Bertram now reveals his true self in an attempt to terrify Robert, but it is too late: the time the infernal powers had allotted him to gain his son's soul has run out. The ground opens and Bertram is swallowed up. Free of the devil's curse, Robert finaily marries Isabelle.
入力ミスがあったらすみません。

(5/15-20:11) No.3709
直 > これは私は物凄く頑張ってやっと訳せる感じですかね(汗)。
このオペラは聴き所が非常に多く実際海外まで行って聴きに行きたいオペラの一つです。この曲のオペラのスコアは持っていませんがリストの編曲している楽譜「EMBとドーバー版」のラスト、クライマックスの音量はなんとフォルテがよっつ、FFFF、フォルテッシシシモで弾ききるように指示が出てます!まあ今のピアノでそこまで大音量で弾くべきではないし弾きにくいとは思いますが、エラール、べヒシュタインでは弾きやすかったのかなとおもいます。ファウストのワルツと同様に楽しい曲です。 (5/15-20:13) No.3710
anonymous > おお、大変な入力、ありがとうございます!ハッピーエンドなんですね。「ルスランとリュドミラ」などと同様、一見、悪い魔法使いの登場するファンタジー調ですが、実際に観たリストや、心理学的解釈を加えて歌ったテノールのことなどを考えると、それほど単純ではないようですね。魔法の枝の力でイザベルの城に入ってゆくところなんて、ほとんどおとぎ話、あるいはスーパマリオの境地!ですらあるのだが…それが多くの人を惹きつけ、リストには素晴らしいアレンジ作品を作曲させたのだから、きっと見どころ、聴きどころ満載のオペラだったのでしょう。ああ、DVDでも出ていたらなあ。あるいは、まぐれで深夜のBSクラシックロイヤルシートでやってくれればいいのに(希) (5/16-09:40) No.3711
anonymous > あ、楽譜も出ているのですね。今度のカワイの洋書20%オフの時に買おうかな。ウチのピアノは5年前からスタンウエイです。マンションの7階、防音ルームの中で、深夜まで弾いている。体力がある時はね。一度も苦情はこない。 (5/16-09:47) No.3712
直坊 > 今、私もある中古のスタインウェイに目を付けているところです。フォルテッシモからピアニッシモまで幅広い音域を容易に引き出す事の出来る銘器でした。中古だから安かろう、悪かろうと思った私が間違いでした。ただ、ソステヌートペダルは付いていないので約40万円位かけて改造して機能させることはできるそうです。リストの曲にもソステヌートペダルを使うところがあるので「ソステヌート有り」のピアノがいいです。ただ、今の私にはとてもとてもスタインウェイもしくはべヒシュタインなんて購入できるような状態ではありませんがしかし、将来的には・・・何時になるかは分りませんが手に入れてみたいとは思ってはいるんです。難しいですけど! (5/18-00:15) No.3715
anonymous > ソステヌートペダルはスタジオを借りてのレッスンなどをしても、ついているのに調律されてなくて使えないことがほとんど。いわゆる町のピアノの先生の家のピアノは、まずそれがあってもないのと同然だと思う。あれの、効果的だなあと思った用法はドビュッシーの「沈める寺」の、大きく開いたダブルオクターブを弾いてから、連続5度で静かに昇ってゆくところ。最初のダブルオクターブだけソステヌートペダルを入れておけば、そのとてつもない広がりだけが残り、連続5度は濁りません。でも、リストの場合、ロ短調でもメフィストでもマゼッパでもその必要性を感じなかったので、普及したのはやはりロマン派以降なのだろうなあ。いわゆる、リズムの代りに「間」とか、和音の代りの空間にばかり頼るある種の現代音楽が多用したのではないだろうか。あ、それとウチのスタンウエイは勿論中古で、450万ぐらい。ソステヌートもできるし(でも、特に強調して頼まないと調律師はやりません)、本当はスタンウエイは最近のものほど安物で質が悪くなっているから、これから買う場合も絶対中古がいいのです。ベンツも同じ。1920年代のにこだわる人もいるけど、恵比寿GPのボロピアノもそうだと知るとやっぱ自分の耳と指に頼って選ぶしかないですね。 (5/18-09:22) No.3716


セクサールド・ミサ/プロメテウス・カンタータ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/05/10(Tue) 01:05 No.3698

フンガロトンから待望のリストのCDが発売されます。2曲ともファースト・レコーディングじゃないのかな。

http://www.hungaroton.hu/classic/ujdonsag.php?info=1718

福田弥著『リスト』の作品表で確認すると、“セクサールド・ミサ”は“男声4声のためのミサ”の第2稿とのこと。“プロメテウス・カンタータ”はハワードの全集で“刈入れの合唱”のみピアノ独奏曲で聴くことができましたが、合唱曲版で全曲というのはすごすぎます。フンガロトンの地道な活動には本当に頭が下がりますね。

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ミッチ > またマニアックな(笑)!ほんとにフンガロトンはリストに献身的ですよね。誰の演奏だか忘れましたが、フンガロトンで死の舞踏・独奏版と協奏版、ハンガリー狂詩曲14番とハンガリー幻想曲という4曲が入ったCDがありましたが、一般の音楽ファン向けではなく、リスト研究家とかリストマニアを対象としてるなと思いました。商業主義だったらこんなCD作りませんよね。(と思うのは僕だけ?) (5/12-21:18) No.3701
ふゆひこ > 正確に知らないのですが、確かフンガロトンは国営だか半分国営だかだったと思います。それでセールスを度外視した企画もできるんでしょうね。

リストの小さいCD 投稿者:梶山 弘 投稿日:2005/05/05(Thu) 03:48 No.3690 <HOME>

以下の8cmCDが500円(送料・税込)で頒布されております。

演奏者 ケマル・ゲキチ

1.J.S.Bach=Siloti:Prelude h:
2.Liszt:"Grandes Etudes de Paganini"(R.3b)
    〜#3 La Campanella
3.Liszt:"12 Lieder von Franz Schubert"(R243,SW558)
    〜#4 Erlkonig"
4.Schubert=Liszt:"Schwanengesang"(R245,SW560)
    〜#7 Standchen

2004年 紀尾井ホール ライヴ録音(無修正)
頒布元:ケマル・ゲキチ後援会(限定盤)

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ふゆひこ > これは貴重なCDですね。“魔王”とか“ラ・カンパネラ”なら小品ですけど、ゲキチらしい迫力が楽しめそうです。 (5/10-00:32) No.3696


オリヴィエ・メシアン 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/04/05(Tue) 00:24 No.3611

面白い本を見つけました。タイトルは「Olivier Messiaen, the Musical Mediator : A Study of the Influence of Liszt, Debussy,and Bartok」Madeleine Hsu著、です。リストに関する部分を参照してみます。

メシアンはワーグナーのことを精神的な師と認めていたが、驚くべきことにリストのことを無視していたのだ。リストとメシアンの音楽の共通点は数え上げればきりがない。聖フランシスの美への献身の他に、リズムと形式の音楽的な自由な扱い、聖歌への非常な関心、そしてしばしば調性が不安定になる旋法の自由な統合などが加えられるだろう。技術的な面でのリストの音楽史への貢献はそれのみで、メシアンの賞賛に値したであろうに。言うまでもなく、フランスにおけるピアノ作曲技法、そして奏法は、パリ社交界における2人の重要な人物、ショパンとリストがいなければ全く異なるものになっていただろう。1884年に若きドビュッシーはローマにて、リストの素晴らしい演奏を目の当たりにしている。リストはいくつかの印象主義的な作品を発表したばかりであった。そしてそれらの作品のパッセージは下降するsecondary seventhsにより成り立っている。そして「エステ荘の噴水」により、事実上彼はたった一人でフランス印象主義音楽の道を切り開いたのだ。リストと19歳だったドビュッシーはともに、consecutive fifthsと増3和音を好んでいた。リストは全音音階に重要な役割を持たせた第一人者であった。そして生涯を通じて、和声の実験に非常な情熱を注いだのだ。リストの音楽界、フランス音楽、そして何よりもメシアン自信の音楽への貢献を、教養豊かなメシアンが見逃していたとは考えづらい。

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つづき > 1943年から1948年へかけてのメシアンの多くの作品はリストの様式に従った循環主題が用いられている。リストはあのロ短調ソナタの作曲家なのだ。ドビュッシーではなく、リストが最初の印象主義の音楽家なのだ。ドビュッシー、バルトーク、メシアンの先達として、リストは印象主義的風景を音楽の中に描いたのだ。ローマの夕べの鐘、フランスの森の午後のささやき、ハンガリーの地平線を渡る雲、ティボリの噴水の夜明けの印象を基にして。
1901年にバルトークはリストのロ短調ソナタを演奏している。彼はその技巧性に魅了されていたが、この曲に潜む大胆さに気付くのには、その後数年を要した。彼のエッセイ「リストの音楽と今日の聴衆」にて、バルトークは リストの重要性を語るよりむしろ、リストの音楽の驚くべき多彩さを記述している。バルトークは、そのへんにいる2流作曲家の音楽と比べて、リストの作品は非常に先進的な要素を含んでいると明確に述べている。多くのリストの晩年作品は特に、驚くべき先見性に満ちた和音、転調を含んでいる。超絶技巧を用い、リストはピアノからオーケストラの効果を引き出すことができた。これらの効果とペダルの使用(特に「灰色の雲」のぼかし」により、リストの音楽はより印象主義的になるのだ。彼の最後の20年は音楽が徐々に曖昧になっていくのだ。半音階の多用、そしてハーモニーはただほのめかされるだけである。リストは特に曲の冒頭にてぼかしを表現した。不協和音は協和音として用いられ、未解決のハーモニーにで終わる作品もいくつかある。たとえば、「忘れられたワルツ4番」や「灰色の雲」のように。リストは増3和音(ペトラルカのソネット104番、葬送曲)、長短同時3度(執拗なチャルダッシュ)なども使用していたが、それはバルトークの名前とすぐに関連付けられるだろう。さらに「灰色の雲」において3全音を用いたが、それはバルトークとメシアンが好んで使用した、インターバルなのである。 (4/5-01:13) No.3613
ミッチ > リストが真のハンガリー音楽とジプシー音楽を取り違えたこと、フランス語とドイツ語のバイリンガルにもかかわらずマジャール語を話さなかったことを、バルトークは批判しているが、1927年、バルトークは自身をリストの精神的な孫だと認めている。バルトークの師はリストの弟子の中で、最も才能があり、最も献身的なピアニストだった、イシュトヴァン・トマーンなのである。リスト晩年の音楽と20世紀音楽を関連付けることに関してはバルトークは先駆けであった。そしてのその20世紀音楽に関してはメシアンの名前が代表として挙がるであろう。 (4/5-01:23) No.3614
ミッチ > 非常に長いので原文はご勘弁を。適当翻訳な上に音楽用語がいくつかわかりませんでした。省略した部分もあります。ご了承ください。 (4/5-01:26) No.3615
anonymous > secondary sevenths は副七和音 (主要三和音意外のすべての七和音 )、 consecutive fifthsは並行あるいは連続五度(いわゆる和声学では禁止されています)です。 (4/5-10:40) No.3616
ふゆひこ > 確かにリストとメシアンの共通点や芸術性の関連は多そうですね。メシアンも宗教音楽をたくさん作っていますし、あと鳥の鳴き声の描写も挙げられるかな。メシアン自身の言葉も探せば、何か出てきそうです。 (4/7-23:44) No.3623
ミッチ > この著者はメシアンとイヴォンヌ・ロリオ(メシアン夫人)とも深い親交があったそうなのですが、面白いことに、メシアンがリストを無視していたとわかっているにもかかわらず、リストの影響に注目しています。メシアン本人が認めているのはワグナー、ドビュッシー、バルトークの影響ということなのですが、本のタイトルがワグナーではなくリストになっている点も面白いですね。そしてこの本でキーワードであるかのように頻繁に出てくる言葉が「相反感情」です。「メシアンはその相反感情によりリストやスクリャービンの影響を認めることができなかった」ともあります。時にはバルトークの影響ですら認めなかったこともあったそうです。それからメシアン自身の言葉で「私の前奏曲集のタイトルはドビュッシーに近いモノがるかもしれないが、音楽はまったく別物なのである。」ともあります。僕の感覚で言わせてもらうと、音楽もドビュッシーっぽいと思います。新ウィーン楽派のセリーに不満をもらしていることも載っていました。 (4/9-20:59) No.3634
ミッチ > あ、すいません。ドビュッシーっぽい、というのは「亜流」といっているのではなく、その影響下にある作品ではないかなと思っているだけです。 (4/9-21:02) No.3635
anonymous > ミッチさん、以前から貴方のベクトルがバルトーク、ブゾーニ、ドビュッシー、メシアンなど、リスト以後の作曲家に向いていることを感じていました。過去ログなどを見ますと、貴方はドイツ在住なんですね。素晴らしいではありませんか。リスト自身に関する文献や遺跡にも誰よりも直接触れられる立場にいらっしゃる。だから、それらをいろいろ紹介していただければ、本当にリスティアンは喜ぶと思うし、僕も貴方の書き込みを楽しみに、いや、読むことが生きがいになるかも知れません。 (4/10-10:12) No.3637
直坊 > 私も楽しみにしています。実は私は少々ピアノをかじっておりまして今の先生はフランスに渡り(2年位滞在したそうです)メシアンに師事したとの事です。そしてメシアンの曲はもちろん、リストの伝説2曲も教えて頂いたそうです。他の曲も演奏したようですが詳しい事は次のレッスンに聞いておきます。なにか聞いておきましょうか?先生はPCをお持ちでないのでこのBBSをプリントアウトして見せてみようとおもいます。 (4/10-14:28) No.3639
直坊 > ↑あやふやでしたね。メシアンに師事したとの事、ではなく師事しました。 (4/10-14:31) No.3640
anonymous > 作曲ですかあ。実は僕もやりましたよ。フーガみたいなのも書いたけど、いざ、自分の理論で作曲しようとしても、現代はもう何も甘美な響きが残ってなく、ドビュッシーで止まってしまう。何を書いても、プロコヒエフ、スクリャービン、メシアン、シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーの誰かに似てしまって、こっそりジャズを滑り込ませる…それすら、特に新しいものでもない。
リストがピアニストとして大活躍していた時代も、古典的なソナタとか流行らなくなってしまって、実は作曲の不毛時代だったように思えます。オペラの作曲家が流行歌(有名なアリアのことですが)をたくさん書き、ピアニストはその流行歌をインプロヴィゼーションするっきゃなかった。パラフレーズって作品群はそれが譜面に書かれただけのもの。リストはある書簡で、いくらでもコンサートを続けることができると豪語していましたが、今のコンサートみたいに、過去の名曲を必死で暗譜して演奏するのではなく、聞き知ったメロディーをほぼその場で即興演奏していた。だから、限られたレパートリーとは違って、一晩中でも弾きつづけることができたんじゃないかな。しかし、現代はあらゆる手段が失われた本当の不毛時代なのです。最近、プロ・アマのコンクールで自作を披露する人たちがいるけど、(エリザベート・ガラなんかでもね)一見、よくできてはいるけど、無論、新たな道を開くような要素はかけらもない。国際的ピアニスト、ポリーニも作曲を勉強するといって、10年以上こもっていたみたいだけど、結局ピアニストとして戻ってきた。テクニックまで、がたがたに退化して…
そんな現代なので、あらゆる芸術へとつながるリストの世界は、ハイテク・ジャングルの中の避難所であり、どこまでも開けた水平線の彼方に魂を遊ばせてくれるような存在なんですね、僕にとっては。 (4/11-09:06) No.3642
ふゆひこ > 直坊さんの先生が、メシアンから直接リストの伝説を教わったとなると、そのときのメシアンの指導内容や、リストに対して何か発言していたら、その内容をぜひ知りたいです。取り上げている曲が『伝説』というのも、まさに、という感じがします。 (4/16-14:18) No.3645
ミッチ > 逆に僕もこちらで皆さんから学ぶものは大きいですよ。
っていうか、自分の書き込みを改めて見たらあまりの駄訳に恥ずかしくなってきた。「spiritual Grandson」→「精神的な孫」ってなんだよそれ!(笑) (4/16-20:47) No.3648
anonymous > 精神的な孫というのは、それはそれでいいのではないでしょうか。spiritualという形容詞には大まかに3つのカテゴリーがあり、第一が精神的なという意味、第二が崇高なという意味、第三が神のとか霊のとか言う意味になります。1986年に他界したリストが1881年生まれのバルトークと会って、しかも音楽論を交わしたということは考えがたく、仮に、バルトークがリストを魂の師だと思ったとしても、間接的ですから弟子ではなく孫弟子となるのではないでしょうか。(で、精神的な孫)なお、リストは家系図によると、ほとんどドイツ+オーストリア人ですが、書簡の中では絶えずハンガリー人のことを同国人、ハンガリーをわが祖国と言っているので、やはり心は祖国にあり、と考えたほうが、彼の意思を尊重していることになるのでしょうね。リストがハンガリー語を話せなかったことについては、当時のハンガリー人も、あそこ(ライディング)はハプスブルグ家の統治下にあるのだから、皆ドイツ語を喋っているよと、言っていたそうです。 (4/17-10:33) No.3649
anonymous > リストの他界した年を1986と書いてしまいました。1886の間違えです。 (4/17-12:06) No.3651
TAKIN > 忙しかったので御無沙汰してしまいました。ちょっと本筋から外れた話になりますが、リストとハンガリー語の件。ハプスブルク帝国では当然ドイツ語の威信が高かったわけで、上流階級やインテリは土着語以上にドイツ語を話すのは珍しくなかったのではないでしょうか。スメタナもドイツ語で育ってチェコ語を学んだのは中年以後で苦労したと聞いたことがあります。時代が同じかどうかわかりませんが、ハンガリーの議会で民族派の議員がドイツ語での演説を潔しとせず、かといってハンガリー語は話せないので、ラテン語で演説したという話も聞いたことがあります(受け売り話ばかりですみません (^^;))。いずれにしてもA国人はA語を、B国人はB語を話すのが当然、というのは国民国家が確立して初めてできた常識ではないでしょうか。 (4/22-02:28) No.3663
TAKIN > 補足。そういえば一ぱしの民族主義者だった若きバルトークが家族に宛てた手紙で、家ではドイツ語を話さないでくれ、と言っているそうですが、裏を返せばマジャル人であるバルトーク家でも日常的にドイツ語を話していた、ということでしょう。 (4/22-02:31) No.3664
anonymous > ドイツ語ですか?確か、ロシアでも、ポーランドでも貴族はフランス語を話していたような…でも、ハンガリーはドイツ語なんですか?(ハンガリー史そのものについては詳しくないのですが)リストは1840年1月4日にペストの国立劇場にて6人の貴族らによって名誉のサーベルを授与された(直接手渡したのはレオ・フェステティクス伯爵)ということになっており、その様子は1840年1月6日ごろの書簡にかなり詳しく描写されています。問題はその中で、リストが一人の貴族に尋ねます。人々にフランス語でお礼の演説をすることをお許しくださいと。その後、誰それが通訳したとか書いてないので、貴族たちは皆フランス語を理解したと判断しているのですが… (4/22-10:18) No.3665
直坊 > 私はポーランド、ハンガリー、ロシアの歴史はほとんど分かりませんがロシアの小説(ドストエフスキー・トルストイ・チェーホフ・ソルゼェニーチンは殆ど読んだので。でも本当に好きな小説家は・・・ゾラなんですけど・・・。バルザック、ユゴーでなくてすみません。っていうかしかたないですけどね。)の中の貴族は流暢なフランス語を話す場面が有りますよね。あっ、そういえばトルストイの「復活(新潮文庫)」の下巻にもリストのハン狂が出てきますね。何か場違いな場所(刑務所でしたっけ?)で刑務所長の娘の弾くピアノの音が聞こえてきて(確かハン狂・・・何番だっけ?)こんなところでピアノの音を聞くとは思いもしなかったみたいなことが書いてましたね。
家に帰れば本(小説)が有るので帰った時に読み直して見ますがリストの音楽、ピアノが出てきただけで、そういう場面(ピアノの演奏シーン)が出てきただけで心拍数が上がるのは俺だけ?リスティアンはMust buy(笑)でしょうか?あとリストの朗唱の分野でトルストイの「盲目のうたびと」が有りますが、一般書店では原本は見受けられないのですがどうしたらいいかな・・・。輸入物といえばUS物が殆どを占める状況なので・・・。 (4/24-00:16) No.3666
ふゆひこ > リストとメシアンの関連する情報はネットだけで調べていてもほとんど得られないですね。Madeleine Hsuという人はメシアン側からリストへアプローチするという非常に珍しい論説のようです。Madeleine Hsuという人は相当なリスティアンと予想しますね(笑)。リスト側からメシアンへのアプローチは多く(現代音楽への貢献を証明してリストの功績を高く認めるという)、ウォーカーはFY P57において、“伝説 アッシジの聖フランシス”が、クープランの“かっこう”(=クラヴサン曲集第13組曲4-X 気の良いかっこう のこと?)とメシアンの鳥のカタログをつなぐ作品である、と発言し、またドレーク・ワトソンもいくつかの作品の関連でメシアンを引き合いに出していますね。 (4/24-00:37) No.3668
ふゆひこ > anonymousさん自身がNO3649の最終文で“ハプスブルク家の統治下→ドイツ語を喋っているよ”というリストの言葉を紹介されていますが・・・。僕は単純にオーストリアと歴史的に、否応なしに結びつきが深くなってしまったハンガリーでは支配階級層においてドイツ語が多く使用されたというのは感覚的に予想できます。フランス語は教養かな。最近ドストエフスキーの『悪霊』を読んだら、登場人物のスチェパン氏のセリフの半分はフランス語でした(笑)。

↓ネット上の知識ですが、これは上智大のドイツ語のマウツ先生のインタビュー?上智大のテキストかな?ドイツ語がチェコとハンガリーで多く使用されていたという発言があります。

http://www.info.sophia.ac.jp/fs/doitsu/mauz.html (4/24-01:03) No.3669
ふゆひこ > 『復活』でリストのハンガリー狂詩曲が出てくるのですか。これはMUST BUYです(笑)。トルストイはリストの音楽を嫌いだったろうから、たぶん悪いイメージで使ってるのかな。 (4/24-01:05) No.3670
直坊 > あと私はドビュッシーのゴリウォーグのケークウォークをゴーゴリーのケークウォークといってしまい笑い飛ばされた事があります(恥)。 (4/24-01:27) No.3673
anonymous > ロシア文学は一冊も読んだことがなかったので(恥)、今回、一気に視野が広がりつつあります。が、「戦争と平和」の映画(もちろんソビエト版)の中では貴族たちがフランス語を話していた記憶がかすかにあります。輸入物といえばUS物という現状は悲しいですね。アメリカ人というのは、ヨーロッパで映画と撮ろうが、ロシアの文芸大作を映画にしようが、結局各地にアメリカ村を建設するだけで、他の文明の香りをすべて殺してしまう。僕にとっては、アレクサンドロスは永遠にアレクサンドロスであって、アレキサンダー大王ではないんだよなあ。で、ロシア語の原本については、ナウカというロシア専門の書店で聞いてみられたら、いいかも知れません。

メシアンの鳥のカタログについては、ひょっとすると、リストのメフィスト・ワルツ第一番のコーダ直前の部分が非常に近いような気がします。そこに出てくる鳥の鳴き声がナイチンゲールのものであると知ったのは、ドイツ語の詩の訳を読んでからですけどね。実はその曲を弾いたこともあるのだけど、そこに来ると、いつも何だかメシアンが思い出されてならなかったのです。メシアンとの違いはといえば、リストの場合、レーナウという人の詩から発想を得たのだということと、それに加えて、多分、鳥の鳴き声はある種の音のスケッチであるようにも感じます。リストは若い頃から絶えず旅をしていて、馬車で森を抜けるなどということもよくあったのですが、しばしば感動のあまり、馬車を停め、森の情景に浸っていたのです。感極まって涙を流すことすらありました。そういう時に多くの鳥の鳴き声を聞き、頭の中に刻んでいたとしても不思議はないでしょうね。一方メシアンは実際に森に出かけていって、鳥たちのリズムや微妙な音をスケッチしました。それを限界のある十二音や、既成のリズムで補うことは不可能に近く、彼がインドの微分音や旋法に関心を示したとしても、それは当然の成り行きだったことでしょう。彼のトゥーランガリラ交響曲にはそうした成果が発揮されてます。僕はメシアンのその曲を写譜したりして、作曲の勉強の一部にしたために、何も書いても鳥のリズムが出てきて困ったことがあります(窮) (4/24-10:52) No.3674
直坊 > リストとメシアンに関する情報ですが私の先生(渡仏したのは5年間でした。)にお会いする機会(レッスン)があったもので聞く事ができました。ミッチさんがご紹介された「聖フランシスの美への献身の他に、リズムと形式の音楽的な自由な扱い・・・」と書き込んでいただきましたがその上に性愛への賛美、エロティックな表現も作曲の中に認める事ができるとのことです。あとメシアンの好みですが、モーツアルト、ショパン、あとベートーベンの平和的で自然な音楽が好きだったようです。リストは当然好みではあったはずですが・・・。あまり深く考えないでもいいと思います。私の先生はロリオさんに「あなたはリストを上手に(伝説1、2番)を弾くからリストのソナタもやってみたら?」と言われたそうですが弾いていないそうです。あとメシアンのコンクールも今は再開してますが一時期難曲ばかりが課題曲となっており(いろいろごたごたがあり、審査員に・・・名前忘れた・・・何とか兄弟が課題曲の設定をしたようです。)メシアンはあきれて「もう私は知らない。コンクールはやめる。」といって長いことコンクールはやめていたそうです。2000年からパリで再開しました。
先生は1992年5月にメシアンが亡くなるまでにいろいろ教えていただいたようです。大作曲家に直に師事して頂いた方のお話が聞けてよかったです。メシアン関連の本を執筆なさってはいかがでしょう?先生のお話が聞きたいという人は沢山いるはずですと聞いたところ、日本で最初に演奏したのは木村かおりさん(指揮者の岩城宏之さんの奥さん。岩城宏之さんの振るラーコーツィ行進曲はキレてます。)だからその人に聞いてみたら?ですって。今度は先生のお話だけを聞きにいく約束をしたので足りない分を補足してみます。何とか兄弟の事も(笑)。前衛の作曲家ですね。クセナキスもメシアンに師事してますし。前衛もやってたんですね。 (4/24-11:14) No.3675
直坊 > トルストイの「復活」に出てくるリストの曲はハンガリーラプソディーで上巻の中盤を過ぎたあたりに出てきてました。あまり音楽のことには触れていませんでした。少し(1ページ程度)しか出てこないので、その為だけに本を買わなくてもいいと思います。 (4/24-17:16) No.3676
ふゆひこ > “メフィストワルツ第1番”にもナイチンゲールの鳴き声が出てくるのは、気づきませんでした。今度注意して聴いてみます。

その先生のお話は貴重ですね。“性愛への賛美”というのは、リストとメシアンの作品に見られる共通点ということでしょうか。メシアンは(僕はそんなに作品聴いてないですが)トゥーランガリラがあるので分かるのですが、僕としては、リストの曲ではあまりぴんと来ないかな。 (4/29-03:24) No.3680
ふゆひこ > 本屋さんで『復活』をパラパラ参照してきました。これだけ小説内で記述があるというのは貴重な方じゃないかな。しかもトルストイというのは意外でした。物語を読んでいないので、どのようなニュアンス、あるいは効果を持たせるためにトルストイがリストの曲を持ち出したのか分かりませんが、“聞きあきているリストのラプソディ”という表現や、奏者が途中で必ず弾けなくなって(おそらく練習中か技量不足)、それが“呪文のように”繰り返される、という取り扱われ方が、やはり悪いイメージで持ち出されていますね。 (4/29-03:29) No.3681
ふゆひこ > トルストイはいままで1冊も読んだことがなく、『アンナ・カレー二ナ』と『復活』だけは、いつになるか分かりませんがそのうち読むつもりです。なんで読まなかったかというとトルストイの『芸術とはなにか』を若い頃読んで、リストについてけちょんけちょんなので毛嫌いしてました(笑)。 (4/29-03:39) No.3682
anonymous > トゥーランガリラはサンスクリット語で“愛の歌”を意味するので、やはり、全体が愛の主題で統一されているといってもいいでしょう。とりわけ、第6楽章は<愛のねむりの園>という副題のついた、ひどく神秘的な作品ですが、これはキリスト教の神秘とは違ってかなり肉体的なエロスを扱ったものであるように感じられます(メシアンの神秘性には“世の終わりのための四重奏曲”や“幼子キリストに注ぐ24のまなざし”のように純粋に篤い信仰心から霊感を得たような傑作もありますが)。とりわけ、愛の園で鳴き続けるピアノによる鳥の声がその効果を高めているように思えます。なぜなら、美しい花と同様、鳥の鳴き声は異性を惹きつけるための道具でもあるからです。その鳥の鳴き声はそもそもリストのメフィストワルツ第1番において、「ナイチンゲールはより熱く、陶酔した彼らの喜びを盛り上げる(彼らとは、ファウストとブルネットの女性)」というレーナウの詩を忠実に解釈したものであると考えるなら、非常にメシアンの愛の園を思わせる快楽の表現といえるでしょう。しかしながら、リストの作品には、20歳以前の人にも話せないかつてのドンファン人生とは裏腹に、あからさまなエロスの表現というものがほとんど見当たりません。実は、書簡集でもそうした表現に出会うことは滅多にないのです。それは恐らくリストが一時期生きていたパリの社交界というところが、ゴシップ大好き社会である反面、非常に「ほのめかしの社会」であったように思えるからです。例えば、リストとベルジョイオーソ侯爵夫人恋愛疑惑があった頃、リストは演奏旅行中で、ダグー伯爵夫人は彼女の取り巻きたちと共に劇場へ行きます。すると、ベルジョイオーソ侯爵夫人も来ており、しかもわざわざ自分の横の席を空席にして悠然と座っているのです。すかさずバルザックがダグー伯爵夫人のところにのこのこやってきて、「あそこはリストのための席なんだよ」という代わりに、わざわざベネティア総督のエピソードを語り、ひどく遠まわしに伯爵夫人を傷つけたのです。ま、バルザックは貴族でも何でもなかったのですが、必死で社交界に取り入って、あらゆる人間観察をしたみたいですけどね。で、結論としては、リストの作品にエロスが表現されているとしても、それは決してあからさまではなく、優雅に抑えてほのめかされていると考えることができるのではないでしょうか。 (4/29-10:30) No.3685
anonymous > トルストイのことですが、彼の「復活」という著作からも想像できるように彼はひどく敬虔なロシア正教徒であったのでしょう。なぜなら、ロシア正教においては、復活という概念が教義の核をなすからです。その反面、ローマカトリックは何といっても受難の信仰です。信者たちはヨハネ・パウロ二世の苦痛との闘いでより信仰心を深めていったことでしょう。だから、敬虔なロシア正教徒であるトルストイと敬虔なローマカトリック信者であるリストとの間にはどこか相容れないものがあったのではないでしょうか。ちなみに、リストの名前のもとになった聖フランチェスコはロシア正教では聖人とみなされていません。ま、それも他の多くの要因の一つかなあ、という程度のことですが… (4/29-10:47) No.3686


オペラ座の怪人  投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/04/24(Sun) 01:14 No.3671

最近の話題作ではなくて、1943年のアメリカ映画の『オペラ座の怪人』(DVDにもなっています。僕は見てません)に、なんとリストが登場します。↓GOOの映画のページ。あらすじ詳細、キャスト詳細で確認しましょう。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1494/index.html

なんだかあらすじの文章がよくわからない文章ですが、とりあえずリストは“オペラ座の怪人”をおびき出すエサにされているようです(笑)。



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ふゆひこ > この映画でリストを演じているフリッツ・ライバー・シニアという俳優は1882年生まれ、1943年の映画だと61歳ですか。壮年期のリストを演じているようですね。またSF小説家として相当高名な同じ名前のフリッツ・ライバーは、息子とのこと。

↓フリッツ・ライバー・シニアの簡単な略歴

http://movies2.nytimes.com/gst/movies/filmography.html?p_id=41647&mod=bio (4/24-01:23) No.3672
ふゆひこ > これはAlexandre Bayenという方の個人サイトのページかな。『オペラ座の怪人』について記述があります。アベー・リストを演じているとあるので、やはり壮年期〜晩年のどこかのリストが演じられているようです。

http://cherokee.stanford.edu/~bayen/lisztmovies.html (4/29-03:01) No.3679


死者の追想 De Profundis 投稿者:直坊 投稿日:2005/04/05(Tue) 00:29 No.3612

ちょっと気になったので・・・。故・属啓成氏の「リスト、作品編」の中の詩的で宗教的な調べ第4曲、死者の追想の曲解説でこの曲の58小節から61小節までのラテン語(?)の
De Pro−fundis・・・(Recitativo)と書かれていますが、これって聖書の詩篇、124篇の中の引用って書いてませんでしたっけ?私の高校がクリスチャン系(プロテスタント)だったので聖書は2冊あり、とくに詩篇は好きなのですが130篇のような気がするのですがどなたか故・属啓成氏の「リスト、作品編」をお持ちの方はいらっしゃいますか?
「深き淵より、主よ、あなたを呼びます。主よこの声を聞き取ってください。嘆き祈る私の声に耳を傾けてください。」
故・属啓成氏の訳はもっと恐ろしいものだった気がします。

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さくら > こんにちは。作品篇を持っていますので書き込みます。58〜61小節の歌詞については
「その歌詞は詩篇129番、またはカトリック聖歌集No.441『主よわれ深き淵より、あなたに叫ぶ私の声をきいて下さい……』と、恐ろしい叫び。」
と書いてあります。 (4/6-17:36) No.3619
直坊 > どうもありがとうございます。やはり130篇とは書かれていなかったようですね。私のもっている聖書(日本聖書協会1955年改訳版)には130篇に書いてあるんですが故・属氏の執筆なさった時は129篇に書いてあったのかもしれませんね。「リスト、作品編」はアマゾンで4800円で手に入れる事ができるようですが、普通に書店で購入できればいいと思っています。 (4/6-23:06) No.3620
ふゆひこ > このことは僕も前に気づいて、ハワード第53b巻のデ・プロフュンディスの感想で、詩編第130(129)と表記しておきました。なぜ番号がずれているのか、ちょっと分かりません。リストには宗教合唱曲で、そのまま“詩編第129編”というのがあり、これも“深き淵より”のテキストをそのまま使ったものです。属啓成さんだけでなく、ほとんどすべての作品目録で“129”になってるんですよね。4800円というのは高いですね。最近まで書店に流通していた本だから“日本の古本屋”とか、一般の古書店で簡単に手に入ると思いますよ。 (4/7-23:53) No.3624
ふゆひこ > ↓これは和田幹夫さんという司祭さんのサイトの1ページ。数え方というところに説明されていました。

http://mikio.wada.catholic.ne.jp/PSALMI_2.html (4/8-00:02) No.3625
ふゆひこ > ↑ごめんなさい。和田幹男さんです。 (4/8-00:05) No.3626
anonymous > あのー、単なる想像で申し訳ありませんが、当時リストが使用していた聖書ではそれが129篇となるよう編集されていたのではないでしょうか。リストにペトラルカのソネットという歌曲&ピアノ曲がありますが、それは47,104,123番となっているはずなのですが、何と!名古屋大学出版会から出ている『カンツォニエーレ』の中ではそれらはソネット61,134,156番となっているのです。
>4800円はバカ高いですね。二冊で5000円が相場ではないでしょうか。 (4/8-10:45) No.3628
直坊 > いろいろ情報を提供して頂きありがとうございます。詩篇ももっと掘り下げて踏みこんでみようと思います。カンツォ二エーレにも。リストの接してきた音楽、文学、絵画、壁画などにも造詣を深めたいです。
リストの曲には詩人、文学者等の詩や文句、格言を用いたりしていて面白いです。
交響詩「前奏曲」のオートラン、ラマルティーヌ、詩的で宗教的な調べの8番のパレストリーナ(パレストリーナの本を本屋でみましたけど値段が高かった。)、巡礼の年より第2曲、物思いに沈む人々或いは3つの葬送頌歌のLA NOTTEのミケランジェロの文章「眠りに感謝しよう。石になる事ができたらもっと嬉しい。不正と恥辱が地上に存するかぎり、目覚めていることは祝福ではないのだ。私を起こさないで欲しい・・・静かに語って欲しい」(この訳はウィルヘルム・ケンプのレコードの解説に書いてありました。既にご存知の方には恐縮です。あくまで単純に情報として書き残してみました。)など興味が尽きません。あと、リストをもっと知るためには英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語もできたほうがいいのかな?もう・・・私には・・・。 (4/9-00:28) No.3629
LOM > ペトラルカのソネットについてはkazuyaさんのところに書いたことがあります。
http://page.freett.com/ongk/kotoba.htm
カンツォニエーレにはソネットだけではなく他の詩も含まれているので、リストが呼んでいる番号は、ソネットだけを数えたものではないでしょうか。ショパンで「ノクターン第○番」と言うのと同じような感じで。詳しく調べた訳ではないので、ただの予想なのですが…。 (4/9-17:18) No.3633
anonymous > さすがLOMさん、鋭いです。61番までだけ調べたのですが、そこまでの中にはバッラ−タが4編、セスティーナが2編、カンツォーネが6編、マドリガーレが2編入って通し番号になっていました。その計15編を61編から引くと丁度リストの47番が来て、ぴったり合います。多分、リストの時代にはソネットはソネットだけで出版されていたのでしょう。なぜなら、全集という形での出版は1926年から文献学者らの手で始まったということですので。

>直坊さん、言語についてですが、リストの書いた生の声に接するなら、やはりフランス語とドイツ語は不可欠であるかも知れません。しかしながら、どちらの言語の文献にもかなりの英訳が出ているので、本当の本物のリスト学者にでもならない限り英語だけでもかなり豊富な情報を得ることができると思います。なにしろ、日本語訳は少なすぎます。その中では故・属啓成氏のリスト、生涯編、作品編は氏の多くの取材も含めたオリジナル作品であるばかりか、いまだにみずみずしく、バイブル的作品のように感じておりますが。もっとも、フランス語で出版された多くの文献は多分、英訳されてません。しかも、今読んでみると、これまで出版されたリスト伝が覆される多くの事実に出会って愕然とさせられます。たとえば、リストの書簡が多く載せられている伝記には、偽物の手紙も含まれており、彼らはそれをもとにストーリーを組み立ててしまっているので、史実からは遠くなってゆくというようなことです。ま、リストたちの周辺を調べていると、古代からルネサンス、19世紀までのあらゆる芸術に触れることになり、大変勉強になりますよね。実際、19世紀の絵画はほとんど知りませんでした。アングルとかレーマンとか彫刻家のバルトリーニだとか…!!! (4/10-09:58) No.3636
直坊 > やはり英語とフランス語は勉強しておきたいです。イタリアには旅行で行きたいですし(汗)。
あとアングルの絵は西洋絵画史にのってましたがレーマンと彫刻家のバルトリー二(イタリア人?)がありませんでした。近いうちに本屋の美術コーナーにまた行ってみます。
ハワードのピアノ全集6巻のジャケット、ジョン・マーティンの「天国の平原」は実際リストは観たのかとか知りたいです。
(4/10-14:17) No.3638
anonymous > レーマンは僕自身もリストに関わるまで知らなかったのですが、日本で画集が出ているほどの画家かどうかわからないです。ただ、リストや彼の有名な恋人ダグー伯爵夫人らととても親しく、特に伯爵夫人がパリのサロンで繁栄していた頃、ほとんど毎日彼女のもとを訪れていました。リストや伯爵夫人のとても美しい肖像を残しています。素晴らしい描写のテクニック、ダ・ヴィンチに迫るくらい…  バルトリーニはリストが28歳前後の頃に彼の顔の型をとって、石膏のマスクを制作しました。その作品は(若い頃のリストの真の顔)正面から見ても、横顔を見てもあまりにもプーチン大統領とそっくりで、ビックリです。リストを知らない人に見せたら、いきなり、プーチン?て聞かれました。なお、この彫刻家はボンのベートーヴェン像を制作することにもなりそうだったのですが、リストの必死の後押しにもかかわらず、実現しませんでした。 (4/11-09:30) No.3643
ふゆひこ > レーマンの画集とかはたぶんないんじゃないかな。この掲示板でも、リストに関連する画家、彫刻家等は過去にも会話されたので、そこで貼り付けたリンクで作品を見ることができます。ぜひ参照してみてください。(ただリンク切れが多くなってます・・・) (4/16-14:25) No.3646
直坊 > 今グレゴリオ聖歌のCDの「De-profundis」を聞いているのですがリストの58小節から61小節まではリストのオリジナルのようでメロディは全く違います。やはり歌詞だけ用いたんですね。あとハワードのピアノ全集6巻ではなく7巻でしたね。 (4/17-19:19) No.3652
anonymous > まず、音楽理論から。
グレオリオ聖歌は教会旋法から成り立っていますので、基本的に全音階上の8種の1オクターブ音列を用いています。ところが、リストの問題の箇所はいわゆる和声学でいうところの主和音と属和音からなっており、はっきり調性感がありますね。だから、歌詞だけは深き淵よりでも、音楽はそれっぽい創作ではないのかな。(ドビュッシーの前奏曲集第一巻の中の“沈める寺”の中でも聖歌は使われています)グレゴリオ聖歌は単旋律で、属和音から主和音へと移行する時の調性感がありませんね。

次に詩について。
この詩的で宗教的な調べの曲集全体のタイトルはラマルティーヌの同名の詩集からもらっており、リストもその書簡の中で、詩について何度も触れています。
1834年6月15日付けのダグー伯爵夫人への手紙でリストはこう書いています。
「僕たちのharmonieはラマルティーヌに献呈することになるだろう。まず、これを最初に出版して、さらに6曲書くことになるだろうね(anonymous)訳」
リストは1834年に最初にこの曲を出版し、実際1842〜1852年の間に9曲書き足しました。そうして、この最も早く出版された曲こそが、最終稿で第4曲、死者の追想となった曲なのです。そうして、ラマルティーヌの同名の詩集の第二巻の最初の詩がPENSEE DES MORTSすなわち死者の追想というわけです。訳詩については、そのうち、掲載させていただくかもしれません。が、皆様と同様にピアノ練習やら世俗の任務に多くを費やされておりますので、そうすぐにとはいかないと思います。 (4/18-10:18) No.3653
ふゆひこ > AMAZONとかでグレゴリオ聖歌のデ・プロフュンディスを聴いてみたら確かに違いますね。リストのデ・プロフュンディス関連のCDライナーとかを参照したら“PLAINCHANT”を使用しているという表記でした。聖歌に詳しくないですが、グレゴリオ聖歌とは別の単旋律の聖歌があるのかな。リストは“デ・プロフュンディス”の旋律を、“死者の追想”だけでなく、ピアノと管弦楽のための“デ・プロフュンディス”、あるいは“死の舞踏 デ・プロフュンディスバージョン”などあちこちで使用していることを考慮しなければならないと思います。 (4/19-01:09) No.3656
anonymous > プレインチャントといえば、はっきりグレゴリオ聖歌のこと。しかし、もう一つ、プレインソングというのもあって、それはグレゴリオ聖歌と同義に使われることもあれば、西方の他の典礼聖歌(アンブロジア聖歌とか)や東方教会の聖歌、あるいはユダヤ教のものにさえ使われています。
教会のミサに参加すると、(リストゆかりのサン・ユスタッシュ教会にて!生まれて初めて最初から最後まで聴いたミサ…)聖歌はオルガン伴奏で歌われ、それは案外、近代和声の音だったりもしたので、このデ・プロフュンディスも何らかのグレゴリオ聖歌にリストがオルガン風の伴奏をつけたと考えていいのかな。管弦楽のとかその他のバージョンは聴いたことがないので、おすすめCDを教えてください。 (4/19-08:41) No.3660
ふゆひこ > ピアノと管弦楽のための“デ・プロフュンディス”は何人かが録音していて、僕はフンガロトンから出ているフィリップ・トムソンの演奏が好きです。スティーヴン・メイヤーのCDならば“死の舞踏 デ・プロフュンディス・バージョン”も収録されているという珍しい選曲です。 (4/24-00:21) No.3667
ふゆひこ > はっきりと分からないのですが、カトリック聖歌と呼ばれるものがあり、この441番“デ・プロフュンディス”がリストが使った主題に近い気がします。

“カトリック教会の祈りとしらべ”というサイトで、MIDIが聴けます。→

http://www.minc.ne.jp/~hosanna/

“カトリック聖歌MIDI集”をクリックして441番のところです。同じ旋律ではないですが、同音が続くところが似ています。このサイトで紹介されているのは日本語歌詞の聖歌ですが、ちらちらネットで得られる情報では、西洋の聖歌(グレゴリオ聖歌が日常的でないために作られたもっと一般的な聖歌でしょうか)を日本語訳したもののようです。想像するに日本語訳したときにおそらく日本語に合せるために旋律も変更したと思うんですよね。外国語版が探せませんでした。 (5/24-00:59) No.3724
anonymous > MIDIの“デ・プロフュンディス”早速、聴かせていただきました。いつもながら、あらゆる方面への貴重な検索ありがとうございます。結構、利用させていただいてます。

さて、リストの主題とは確かに似ていませんね。ただ、僕もある時期、聖歌を知らずして西洋音楽は語れないと思って、自宅から徒歩一時間の上智大学や電車で13分のニコライ堂へ行って、ローマカトリックとロシア正教のそれぞれのいくつかの聖歌を聴いたのですが、同音が続くところはどちらの聖歌にも夥しくありました。だから、それだけでリストの同音連打の部分と同じ曲であるという根拠にはならないような気がしました。強いて言うなら、リストの主題はグノーでもシューベルトでもない、もう一つのアヴェマリア(作曲者名が全然出てこない!)にかすかに似ているところがあるような…それにしてもリストは同音連打が好きですね。ロ短調ソナタにもありました。それから、ふと思ったのは祈りにおいて、同じ言葉を、同じ音で唱え続けることは信仰の高まってゆく心理と妙にリンクしていませんか。ローマカトリック信者はロザリオの一粒一粒に触れながら、粒の数だけ同じ祈りを繰り返すことがあります。その際の感情の高揚にも似た普遍的な心の動きをリストも意識的にか無意識的にかよく利用しています。僕の聴いた“デ・プロフュンディス”は“マリアの連祷(Litanies de Marie)”というハワードのアルバムに入っているものと(聖歌の部分にきらびやかな装飾が入っている第2版)、詩的で宗教的な調べの中の4曲目、死者の追想です。前者は、まだ聴いてない人にはお薦めCDです。最近、どの演奏会も似たり寄ったりの「耳だこ曲」か、只でさえ技巧的なだけで煩い曲を未だに存在するヴィルトゥオーゾ系のピアニストがさらにアレンジしたキワモノが目につき、もうプロアマともに飽き飽き。そんな中で、知られざるリストの初版、第二版は物凄く新鮮です。

(5/24-10:10) No.3726
ふゆひこ > “カトリック聖歌集”の原曲を知ろうといろいろ調べていたのですが、なかなかネットだけでは分からなかったです。現在のカトリック聖歌集は1966年出版という非常に新しいもののようです。なんでも1962年から始まった第2ヴァチカン会議で“自国語で聖歌を歌ってもよい”となり、それで日本語訳聖歌が正式に生まれたのかな?↓ここのページでカトリック聖歌集についての情報が得られます。“典礼聖歌創作覚書(3)” 新垣壬敏さんの論文かな。

http://www.shirayuri.ac.jp/kiriken/kiriken6.htm  (5/28-11:22) No.3732
ふゆひこ > 単旋律に和声があることについては、フンガロトンのフィリップ・トムソンのCDライナーで(なんと執筆者はウォーカー)書かれていました(HCD31525)。P4。1835年1月14日にリストがラムネ神父に宛てた書簡。

“It is an instrumental De Profundis. The plainchant that you like so much is preserved in it with the Fauxbourdon.”

フォブルドンという昔から行われている手法のようです。 (5/28-11:32) No.3733
anonymous > おおおっ!ラムネ神父の書簡はフランスの古本屋でも今のところ見つかってないので、どこかからの引用しかないのですが(僕はリスト歴、ここ5年以下ですから、その間に絶版になった本が多そう!)、とても貴重に思えるのですが、フンガロトンのフィリップ・トムソンのCDライナーにはそんな貴重な引用があるのですか?もっと、さらに引用されているのですか?それなら、注文しなければ。フォブルドンは15世紀の作曲技法ですね。デュファイという人が代表みたいですが、とにかく並行和音が聖歌の旋律の下に延々と続いて、今の耳には気持ち悪い響きがします。マニフィカトや賛歌などに多く見られるらしいです。 (5/28-13:02) No.3739
直坊 > ふゆひこさんからご紹介いただいた“カトリック聖歌MIDI集”の441番は、帝国劇場で公演されているユーゴーの「レ・ミゼラブル」(シェーンベルグの作曲)のいきなりの冒頭、プロローグの「囚人の歌」に似ています。気のせいではないと思いますが・・・。やはりシェーンベルグも宗教曲への関心はあったようです。
冬彦さんとanonymousさんの言うフォブルドンは面白そうですね。「並行和音が聖歌の旋律の下に延々と続いて・・・」と説明されていますが怖いもの見たさという気持ちも有りますが関心があります。 (5/29-13:22) No.3741
直坊 > 逆にカトリック聖歌の441番がシェーンベルグの「囚人の歌」に似ているのではなくて、シェーンベルグの「囚人の歌」がカトリック聖歌の441番に似ていると言った方がいいかな(笑)。 (5/29-13:32) No.3742
TAKIN > シェーンベルグというから何っ!と反応したのですが、「レ・ミゼラブル」の作曲者はクロード・ミシェル・シェーンベルクという人なんですね。全然知りませんでした。アルノルトの縁者では多分ないでしょうね。余計な茶々ですみません。 (5/30-01:03) No.3743
anonymous > フォブルドンはピアノで簡単に試すことができます。まず、お気に入りのグレゴリオ聖歌の旋律をソプラノとして上声部に置き、今度はその6度下にテノールとして下声部を置きます。最後に、その二つのパートの中間に上の声部(つまりグレゴリオ聖歌)から完全4度下方に(増や減は使わないように)中間のパートを置いて、それぞれの音程を保ったままグレゴリオ聖歌を演奏してみればいいのです。もう一つのパターンはテノールをソプラノの完全8度下、つまり、オクターブ下方に置く方法で、これは並行5度と4度が同時進行するのでマジ気持ち悪いです。でも、チェンバロの調律など勉強するとわかるけど、昔の聖歌は今の平均律の音程で唱われたわけではないので、案外美しく響いたかもしれません。

なお、リストがラムネ神父に宛てた書簡の中で言っている、楽器で演奏されるDe Profundisについては、少なくともピアノ・ソロ用のその曲につけられている和声に関して見る限りフォブルドンにはなっていません。リストがカトリックの神父の思考に合わせて、単なる和声づけのことを、比喩的にフォブルドンと言ったようにしか思えないのです。実際、リストの書簡にはそういう喩えが山ほどあります。ああ、実例が…1000ページも読むと、かえって何も出てこない…
(5/30-09:47) No.3744
直坊 > 私はクロード・ミシェル・シェーンベルクとアルノルト・シェーンベルクは同一人物だと思っていました(恥)。・・・しかもかなり長い間・・・(更に赤っ恥)。ああ、穴があったら入りたい。
それでもこのシェーンベルクの「囚人の歌」は全体的に重苦しい雰囲気に包まれていて囚人たちの不運な人生、絶望、絶望の中の嘆き、叫びを訴えかけているようで胸が詰まります。死者の追想ともコンセプトは全く同じではないかもしれませんが近いものがあると思います。
その「囚人の歌」の歌詞です。

囚人たち:
ア・・・(ハミング)下向け、目を合わすな
下向け。死ぬまで此処

囚人1:
地獄だ!陽(ひ)が焼け付く!

囚人たち:
下向け。死ぬまで此処。

囚人2:
イエス様!俺は無実。

囚人たち:
イエス様、知らん顔だ。

囚人3:
あの娘が待ち続ける!

囚人たち:
下向け。忘れてるさ。

囚人4:
いつかは逃げるぞ。見てろ!

囚人たち:
下向け。目を合わすな。

囚人5:
主よ、主よ!殺してくれ!

囚人たち:
下向け。奴隷のまま。この場でくたばるのだ。

そしてこれからジャン・バルジャンの物語が展開していきます。 (5/30-20:18) No.3745
ふゆひこ > ウォーカー執筆のフィリップ・トムソンのCDライナーでは“引用”は上述の書簡の一部のみですね。というよりよくよく調べたらこの書簡はラ・マーラ書簡集の第1巻に収録されているものでした。↓ネットで公開されているラ・マーラ書簡集。ここの7番の書簡です。他にもラムネ神父宛はあります。

http://www.blackmask.com/books96c/1lofldex.htm (6/1-01:17) No.3747
ふゆひこ > 直坊さんの紹介された“囚人の歌”というの、試聴できるところを探したのですが、うまく見つかりませんでした。たぶん“CHAIN GANG”という曲だと思うのですが、アマゾンの試聴ではその前の曲かな??“WORK SONG”が聴けるようです。間違えていたらすみません。ただ雰囲気は分かります。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000000OQI/qid=1117557079/sr=8-1/ref=pd_csp_1/104-4545743-2872714?v=glance&s=music&n=507846

直坊さんがこの“囚人の歌”の世界が“死者の追想”や“デ・プロフュンディス”とコンセプトが近いと思われるのは同感です。リストの“デ・プロフュンディス”、カトリック聖歌集441番の“デ・プロフュンディス”、またレ・ミゼラブルの“囚人の歌”(←僕は聴けずじまいですが)。これらは同じ主題を元にしているのかもしれないし、またはただ偶然似通ったのかもしれないですね。たとえ後者であっても、それは“深き淵より”絶望した人間(囚人は際たるもの)が神に救いの声を上げるというイメージから自然と似る可能性は十分ある気がします(絶望的な、苦悶の念仏のような旋律)。投獄されたオスカー・ワイルドが牢獄で綴った『獄中記』の原題は“De Profundis”です。 (6/1-01:42) No.3748
anonymous > あ、ありがとうございます!(涙)ラ・マーラ書簡集、なぜか第2巻しか入手できなくて、失意の日々を… それが無料で公開されているなんて、驚きました。 (6/1-10:01) No.3749



ワイマール芸術祭 2005 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/04/19(Tue) 01:14 No.3657

ニケ・ワーグナーが推進しているワイマール芸術祭の2005年のプログラムが発表されていました。

http://www.kunstfest-weimar.de/

プログラム詳細はまだ書かれていないようです。タイトルだけ見ると、目玉はミヒャエル・ボダー指揮の“ファウスト交響曲”かな。一度でいいからコンサートホールで“ファウスト交響曲”を聴いてみたい。アンドラーシュ・シフはベートーヴェンのソナタを演奏するようです。

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ふゆひこ>8月19日からいよいよ始まります。英語版のプログラムがPDFファイルで読めますので、ぜひその充実したプログラムを見て楽しみましょう。

http://www.kunstfest-weimar.de/

今年のテーマは“愛の夢”で、様々な“愛”を主題とした芸術を取り上げるようです。リストに関連するイベントを順に見ていくと、

8月20日にデイン・ヴァリョン(?)のピアノ、ニケ・ワーグナーの講演で、リストの“巡礼の年 イタリア”。全曲やるんでしょうか?
8月26日にナオミ・テレーザ・サルモンという人の美術作品で“バーニング・ブルー・ソウル”というものが展示されます。これはリストの作品からインスパイアされたもの、とのこと。
同じく8月26日にはエリオット・フィスクというギタリストがギターで“愛の夢”を弾いたりします。
8月27日は規模が大きいです。シルヴィウス・フォン・ケッセルの指揮/オルガンでリストの“涙し、嘆き、憂い、畏るることぞ”のオルガン独奏版?と“十字架の道行”
8月28日はリスティアンにとって目玉でしょう。ミヒャエル・ボダー指揮で“ファウスト交響曲”。
8月30日には、よく分かりませんがサティとリストを関連付けてレクチャーと演奏が行われるようです。
9月6日は、アンドラーシュ・シフの演奏で、メロドラマ“悲しみの僧”。
 
こんなところでしょうか。というわけで毎年プログラムを見ることしか出来ない僕は、9月6日にプログラムされているチャップリンの『街の灯』を家で見ることにします(笑)。(08/20-02:07) No.3889

直坊 > このコンサート、物凄く行きたいんですけど・・・。くらくらしますよ。WEINEN KLAGEN・・・ってどんなになっちゃう?オケ版になるの?それにファウスト交響曲から朗唱まで!ワイマール芸術祭もいいですね。音楽の友あたりで取材してないかなー。録音もされると良いんだけど・・・。 (8/23-00:56) No.3893
ふゆひこ > 日本のクラシック専門誌で取材されるといいですね。去年、『音楽の友』は立ち読みで載っていないか確認したんですが、特に取り上げていないようでした。今年はどうでしょうか。“ファウスト交響曲”のレコーディングは僕も切望します。 (8/23-22:47) No.3895
ふゆひこ > 毎年、毎年、日本のリスティアンには何の音沙汰もなくただ過ぎ去っていくばかりのワイマール芸術祭ですが、サイトでその模様の写真が公開されていました。Pressebereich/Fotogalerieというところをクリックしましょう。

それと来年度のテーマが早くも決まっており、なんと“眠られぬ夜 問いと答え”です。 (10/14-01:13) No.3978


La rapsodia del vecchio Liszt 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/04/16(Sat) 18:02 No.3647

ほとんど情報が得られないのですが(ネットだけですが)、イタリアのポピュラーソングかな、アンナ・マルケッティ(Anna Marchetti)という女性歌手?がLa rapsodia del vecchio Liszt
という曲を歌っています。『老リストのラプソディー』という訳でしょうか。どうも1966年にヒットしたようなんですが、アンナ・マルケッティについてもほとんど情報が得られません。

http://digilander.libero.it/manliodimeglio/larapsodiadelvecchioliszt.html



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anonymous > それは面白い!ちなみにvecchioというのは、リストが自身につけたあだ名の一つです。しばしば、「今日、vecchioは誰々のところへ…」なんて書いてました。しかし、ここでは単に老いた時期のリストのことを言っているのかちょっとわからないですね。なお、ヨーロッパは日本では考えられないほど、ポップスの中にも歴史上の人物が登場しますよね。5年ほど前にシャルルドゴール空港の免税店で見つけたCDの中に、カトリーヌ・ララという女性歌手のものがあります。それはロックミュージカル仕立てで、“SAND ET LES ROMANTIQUES”(サンドとロマン派芸術家)というのですが、登場するのは、サンド、ショパン、ミュッセ、ドラクロア、マリー・ドルバルという豪華な顔ぶれです。しかし、リストが出てこないのでがっかりです。 (4/17-11:00) No.3650
ふゆひこ > アンナ・マルケッティの情報はほとんどネット上では得られないですね。イタリアのラジオとかで今でも流されているようなのですが・・。どのような歌詞なのか、またリストの曲をアレンジしたものなのか気になります。 (4/19-01:02) No.3655


Cosette Cosima 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/04/02(Sat) 12:56 No.3599

今、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読み進めています。ようやく第2部の終わりあたり、まだ半分以上あります。『レ・ミゼラブル』とリストが何か関係しないかな、と思ったら興味深いことをウォーカーが書いていました。コージマと、ファンティーヌの遺児コゼットについてです。VY P248から。

“At home Cosima was known by the unique diminutive "Cosette," an affectionate nickname by which her father addressed her all his life. When Victor Hugo called the heroine of Les Miserables(1862) Cosette, He could only have borrowed the name of Liszt's daughter.”

(家ではコージマはユニークな愛称“コゼット”で知られていた。リストは生涯コージマのことを、この愛らしいニックネームで呼んでいた。ヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル(1862)』のヒロインをコゼットと名づけたが、ユゴーはその名をリストの娘から借りたのかもしれない。)

最後の文がどういうニュアンスかうまく訳せないです。

『レ・ミゼラブル』は1862年発表で、ファンティーヌの娘コゼットが生まれたのは物語上1817年頃です。コージマの生誕は1837年。基本的に年代があまり合わない気がします。また岩波文庫版 第1巻 豊島 与志雄 訳 P270から

“「あなたのお子さんの名は?」「コゼットといいます。」コゼットというもウューフラジーが本当である。女の児の名はウューフラジーだった。しかし母親はウューフラジーをコゼットにしてしまった。”

『レ・ミゼラブル』のコゼットは、本名がウューフラジーなので、コージマとは関係がなくなります。かといって無関係としてしまうのは早計ですね。このことはユゴーかリストの発言を知りたいです。

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anonymous > ユゴーとリストの絆は大変深く、精神的には多分最も近いものがあったのではないかと思われます。(一方、バルザックに対してはリストは決して本当に親密な感情を持たなかったと言われています)ユゴーもリストのピアノ曲と同じタイトルの『ダンテを読んで』という詩を書いていますね。しかし、 Cosima という名前だけについて言えば、ジョルジュ・サンドの戯曲にCosima というタイトルのものがあります。しかもそれはリストたちがノアンに滞在した後に書かれているので、調べれば面白いかも知れません。しかし、そのドラマはほとんどヒットしなかったらしいので、出版されているのかも分かりません。 (4/2-23:55) No.3605
anonymous > 大変申し訳ないのですが、He could only have borrowed the name of Liszt's daughter.は、彼はリストの娘の名を借りることしか出来なかった。ぐらいに断定した訳でもいいように思います。
(4/3-00:40) No.3607
ふゆひこ > 訳文の間違いを指摘いただくのは大変ありがたいです。お手を煩わせてしまうので恐縮しています。そうですね“only”がうまく訳せませんでした。となるとウォーカーは結構、断定的に発言してるんですね。

ジョルジュ・サンドに“コージマ”という戯曲があることも初めて知りました。調べてみると、“COSIMA ou LA HAINE DANS L'AMOUR”(コージマ あるいは愛の中の憎しみ)という作品で1840年発表とのこと。

http://www.indigo-cf.com/~pf302183/f/livre.php?livre_id=165

また面白い記述も見つけました、下のページによれば、リストの次女に“コージマ”という名のアイデアを出したのかな?、それこそジョルジュ・サンドと書かれています。

http://www.wiehl.de/buergerinfo/zeitung/2004-01/seite56.html (4/3-12:51) No.3609
anonymous > コージマの名前とサンドの戯曲の関係は実に微妙なのですが、上記の資料によると、彼女はその名前を、母(ダグー)の友人であるサンドの書いたドラマ“ Cosima ”から貰ったことになっていますね。しかし、コージマが生まれたのは1837年12月24日、一方、サンドの戯曲の初演は1840年4月29日にテアトル・フランセでということになっています。その初演をリストとダグーはサンドのボックス席で観ています。だから年代的には、戯曲から名前がとられたという説は少々怪しい感じがするのですが。現在、日本ではほとんどの洋書が入手できるので、そのうち、サンドとダグーの書簡集なんてものを注文すれば、もしかすると事実が分かるかも知れません。なお、1840年辺りはサンドとダグーの諍いが起こってはリストや他の誰かが介入して宥めたり、結構波乱に富んだ時期でもあります。ダグーがサンドと縁を切るのだと息巻いていると、リストが彼女を懐柔します。15分の短気が二ヶ月の忍耐と努力を無にするのだよ。何とか堪えてくれ… (4/3-17:30) No.3610
ふゆひこ > コージマという名前は、日本人にとっても珍しく響きますが、欧米人にとっても同じようです。先に引用した VY P248でウォーカーは、

“Cosima's unusual name has posed another puzzle for Liszt-Wagner sleuths across the years.”

(コージマという珍しい名前は、何年にもわたりリスト−ワーグナー学者(?)の間にもう一つの謎を投げかけてきた)

と書いており、コモ湖に由来するという説を一笑し、“聖コスマの女性形”であると推察しています。根拠として、ブランディーヌとダニエルの二人ともが同じく聖人の名前に由来していること、またコージマ自身が聖コスマの殉教の祭日を自分の“MY NAME DAY”と呼んでいることを挙げています。

ウォーカーは、サンドの戯曲には一言も触れていませんね。サンドの戯曲に由来する、というのは数ある説のうちの一つなんでしょうね。 (4/7-23:36) No.3621
ふゆひこ > 藤原書店からジョルジュ・サンド選集が刊行されていますが、『コージマ あるいは愛の中の憎しみ』は収録されていませんでした。立ち読み知識ですが、ジョルジュ・サンドは生涯に18,000通の書簡を書き、フランスで刊行されているのかな?書簡集には『サンド=ダグー書簡集』も含まれていました。ここに書かれていそうですね。 (4/7-23:38) No.3622
anonymous > 確かに、サンドの戯曲はコジマの由来ではありませんね。ダニエル・スターン(ダグー伯爵夫人の筆名)著の『ダグー伯爵夫人の手記、回想録、日誌』の第二巻のほうに、その件に関する回答というべき内容が載っていました。
>1839年10月6日の日誌より
≪…サンド夫人の『愛の中の憎しみ?』について、私は、このタイトルは好きではないわと言う。フランツは、「このタイトルは多くのことを教えてくれる。とても深い哲学的な効果があるんだ。信仰と社会体制が崩壊した後には、愛が破壊されるのは当然だよ。信仰と社会体制の中の偽りが愛に影響を与えないはずがない。“約束事”は愛情を支配する。貴方も人生のある時期にぼくを憎んでいたことを想い出してください≫
?『愛の中の憎しみ』はジョルジュ・サンドの戯曲。脚本審査会“テアトル・フランセ”によって1839年9月26日に受諾される。それは、1940年4月29日に、とりわけダグー伯爵夫人に対抗して、Cosimaというタイトルのもとに初演された。(anonymous訳)
>ウォーカーの著書は素晴らしいのですが、しばしば楽曲分析が多くを占め、本当に知りたい史実が抜けているような印象を受けます。それで、僕は、もっとリストたちの肉声が伝わってくる資料が読みたくなって探しはじめたら、芋蔓式(参考文献などをさらに探すという意味にとってください)にかなりのフランス語の資料が集まりました。その中には当時の詩人の作品や書簡集もあります。藤原書店のものは、とても長い年月をかけて翻訳されてゆくみたいで、待てません。『サンド=ダグー書簡集』はそろそろ絶版になるみたいですが、今なら日本の洋書店で注文できると思いますけど… (4/8-10:30) No.3627
ふゆひこ > 紹介いただいたマリー・ダグー自身の文章からは、当初『愛の中の憎しみ』には“コージマ”というタイトル名は与えられていなかったことが推察できますね。注釈のとおり、初演時に、マリー・ダグーへの何らかの反感で“コージマ”とつけられた、とするとしっくりします。

コージマの名前の由来については調べてみると、多くの書籍でさまざまな記述にあふれていました。

Sacheverell Sitwell『LISZT』P45
“She was called thus because she first saw light upon the shores of Como.”
(コモ湖畔で初めて陽の光を見たためにそう呼ばれた)

デサンティ『新しい女』持田明子 訳 藤原書店 P67
“その名はコモ湖に由来したが、サンドの作り出したヒロインの名でもあった”

RICHARD BOLSTER 『Marie d'Agoult』 Yale university press P157
“Because the town had been known as Cosima in ancient times,they decided to give this name to their daughter.”
(その街はかつてコージマとして呼ばれていたため、二人はこの名前を娘につけることにした。) (4/9-09:02) No.3630
ふゆひこ > どうも昔からコモ湖にちなむという説が、通説だったようです。最後のBOLSTERはコモがかつてコージマと呼ばれていた、とさらにつっこんだ書き方をしています。これだけは調べてみる必要があるかな。 (4/9-09:08) No.3631
anonymous > せっかくの機会ですので、コージマの名の由来についての僕の仮説らしきものの公表をしてしまいますね。

まず、リストもダグー伯爵夫人も並々ならぬ文学通でした。だから、ある日、コモ湖の水面がキラキラと印象的に輝いていたとはいえ、それを直ちに娘の名につけるとは考えがたいように思われます。また、二人とも友人たちを様々な愛称で呼んでおり、もちろん娘たちもその恩恵(?)に浴さないわけにはゆかなかったのです。彼らはしばしば長女ブランディーヌと次女コージマをひとまとめにMouchesと呼んでいたのですが、これをそのままフランス語で理解しようとすると“蝿”という意味になってしまい、しばらく納得できませんでした。ところが、前述の『ダグー伯爵夫人の手記、回想録、日誌』の中に、ダグー伯爵夫人がラテン詩人ルクレールの一連の詩を読んでいるうちに、その名を見出したという記述がありました。それではなおさら娘たちにも行き当たりばったりの名前を付けるはずもないと思い、今度はリストとの間に交わされた書簡集を調べてみました。すると驚くべきヒントに遭遇しました。まず、伯爵夫人がリストに宛てた1839年8月23日付けの書簡のその部分を書き写します。

コージマ嬢(あるいはCecchina)は愛らしいMouche(単数形なので、これはブランディーヌのこと)と寸分違わず似ています。ただ、彼女は姉よりもはるかに美しさで劣り、とりわけ気品に欠けています。(anonymous訳) 

注目すべきは括弧の中のCecchinaという別名です。これは聖人図鑑のようなもので調べるとほぼ聖チェチリアに該当するのです。そうして、この聖女は国際的な音楽の日、11月22日の聖人であり、音楽の保護者でもあります。さらにイタリア語では音楽のことをmusicaというので、それを並べ替えてみると、cusimaとなり、一文字違いでコージマです。そこで、コモ湖の出番がやってきます。コモで生まれた音楽の女神という発想を加えれば、CusimaがCosimaに変貌するのも時間の問題です。音楽と信仰の絶妙な結合ともいえる形で。
ま、あくまでもanonymousの仮説ですけどね。 (4/9-13:08) No.3632
直坊 > この辺りの方面には疎いのですが、有り得ると思います。素晴らしい仮説です。私も数年前にレ・ミゼラブルは読み終えましたが、読み終わったあとに帝国劇場のレ・ミゼラブルも観ましたよ。シェーンベルクの音楽も最高でした。本当に感激しましたよ!お勧めです。 (4/10-14:42) No.3641


オペラ “PUTZI” 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/03/26(Sat) 13:06 No.3584

エデュアルト・アロンソ=クレスポというアルゼンチン出身の現代の作曲家が、リスティアンには非常に興味深いオペラを作っています。その名も“PUTZI プッツィ”。リストの幼少時の愛称ですね。なんと幼少のリストを主人公に据えたオペラです。驚きました。

↓これはアロンソ=クレスポのサイト。ここから“PUTZI”のページにいけます。
http://www.andrew.cmu.edu/user/eac/index.html

↓いちおう“PUTZI”のページダイレクト
http://www.andrew.cmu.edu/user/eac/putzi/index_english.htm

テキストをいろいろ読むと、“PUTZI”はリストの没後100年記念にあわせて作曲されたのですが、当時何らかの理由(公演側の理由でしょうか)で上演されず、2004年に改訂され、アルゼンチンで初演されたとのこと。内容は神と悪魔のかけひき、ファウスト伝説をベースにしているようです。そしてメフィストーフェレス役に相当するのがパガニーニ。パガニーニに影響を受けるリストという事実を、メフィストに誘われるファウストに重ねているようです。登場人物は4人、“死” “生” “悪魔=パガニーニ” “プッツィ=リスト”とのこと。作品中ではリストのメフィストワルツなども使われているようです。これは大変興味深い作品です。

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ふゆひこ > アマゾンで“PUTZI”で使われているメフィストワルツ(管弦楽版)が試聴できました。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000003MZ3/qid=1111810638/sr=1-2/ref=sr_1_2/102-6951756-7954552?v=glance&s=classical (3/26-13:22) No.3585
直坊 > 貴重な情報を掲載していただきありがとうございます。本当はオペラの演奏会にも現地に鑑賞しに行ったほうがいいのですがやはりCDで聞くしかないんですよね。
ところで私のお気に入りの作曲家の中にアーネスト・パングーErnest Pingoug(1887〜1942)という作曲家がいるのですがこの人の交響詩「予言者」も傑作です。簡単にかつ乱暴に一言で言ってしまうとリストの「前奏曲」を思いっきり不気味にしたような曲なんですよ。・・・それでも私は気に入っているんです。
このCDが発売された時のレビュー、キャッチコピーがすごいです。「アルコール中毒!薬物中毒!で鉄路に身を投げた悲劇的作曲家パングー」ですって。生きてたほうがいいってば!っておもいます。
レビューにPingoud initially studied music privately with the pianist Alexander Siloti,and thereafter at the St.Petersburg Conservatory.etc・・・とありますが既にここで議論されていたら恐縮です。 (4/3-00:24) No.3606
ふゆひこ > “PUTZI”はコミックオペラで、小規模な作品なので日本とかでも講演してもらいたいですね。全曲のCDが出てくれればなおさらうれしい。アーネスト・パングーという作曲家は初めて聞きました。ロシア生まれのフィンランドの作曲家のようですね。パングーに関するページ。
http://www.musicfinland.com/classical/fmq/articles/pingoud.html

他のページでパングーの作品タイトルをみると、精神世界的な内容を思わせます。その辺が紹介いただいたキャッチコピーにつながるのかな。パングーがジロティに学んだという話は、ここの掲示板では初めての話題ですよ。 (4/3-12:22) No.3608
ミッチ > 便乗して質問していいでしょうか?ハネカーの著書「フランツ・リスト」のリストの弟子一覧のヘルマン・コーエンのところに括弧書きで(Putzi)とあるのですが、これは何を意味しているのでしょうか?もし何かお分かりでしたら教えてください。よろしくお願いします。(たまにPuzziと表記されることもあるみたいですが、ドイツ語か英語かということでしょうか?) (7/11-22:34) No.3808
ふゆひこ > ヘルマン・コーヘンの“PUTZI(PUZZI)”もコーヘンのニックネームですね。リストのニックネームとなんで同じなんだろう?と疑問に思いながら、よく調べてませんでしたが、ウォーカーVYを参照すると、P73に記載されていました。リストはツェルニーの一家から“PUZZI”(←ウォーカーだとこのスペル)と呼ばれて可愛がられたようです。で、リストは後年自分の弟子のヘルマン・コーヘンを、自分がツェルニーから呼ばれたのと同じように“PUZZI”と呼び出すのですが、それをウォーカーは、リストがツェルニーから受けた扱いがそのまま踏襲されている、というような解釈をしています。無償で弟子にピアノを教えたという点も、ツェルニーがリストに対してとった処置をリストは引き継いでいる、という見方です。 (7/14-02:39) No.3809
ミッチ > ありがとうございます。一時、リストはそれほどコーヘンを可愛がっていたということなんですね。またウォーカーの必要性をひしひしと感じました(買えないので借ります(笑))。
読み方はコーヘンなんですね。すいません、上で間違えてコーエンと書いてしまいました。 (7/15-17:56) No.3810
anonymous > コーエンという読み方は間違っていないのです。フランス語読みなだけです。僕はユダヤ人たちと共同生活をしたこともあり、アラブ人の家も訪問したことがありますが、イスラエルではコーヘンと読み、蛇足ですがそれはヘブライ語で祭司を意味する言葉なのです。

なお、リストのコーヘンに対する寵愛はチェルニーのリストへのそれ以上のものがあって、パリに来たばかりの彼を売り出すためにリストは富裕な貴族のサロンがひしめくフォーブール・サンジェルマンあたりを肩を並べて歩き、遊び、一緒にサロンコンサートをしたのです。二人の美形の若者は(コーヘンの横顔が掘られたメダルを見たことありますか?)当然女たちに黄色い声をあげさせ、かなりスキャンダラスであったようです。中部ヨーロッパの演奏旅行の時もずっと一緒で、マネージメントを任せていたのです。ところが、コンサートの売り上げを二度も着服され、二人の友情は表面上終わりを告げます。後に再会するのですが、取り敢えず、コーヘンはヴィルトゥオーゾのキャリアを邁進して、そのニュースをリストはたびたび新聞などで見ていました。一方、マリーダグー伯爵夫人は最初からコーヘンが嫌いで、彼の女癖の悪さ、賭博好き、金遣いの荒さ、虚勢を張ることなどを毛嫌いして、彼女の家から追い返してしまったこともあります。もちろん、コーヘンとのコンサートツアーの折も、着服の恐れがあることを何度も手紙で警告しておりましたが、リストは聞き入れませんでした。また、リストとマリーのスイスへの逃避行の時にもコーヘンは(無神経にも)やってきて、二人の住まいに入ってくるなり、召使の横をさっとすりぬけ、いきなりリストの首の飛びついたというようなことがウォーカーにも書いてありました。(無精なもので、何ページに書いてあったか調べるのは省略) (7/23-13:24) No.3814



シットウェル家 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2005/03/20(Sun) 22:38 No.3562

この前、サシェヴラル・シットウェル著の『LISZT』を“書籍の回想”にUPしました。この書籍は1934年初版という古いものですが取り上げられている作品等も多く、たまに参照しています。僕は、シットウェルはリスト学者、音楽学者の一人という位置づけでしか考えていなかったのですが、そんな枠には収まりきらない人物、家系であることを知りました。サシェヴラルは末っ子で、兄オズバート、姉イーディスの3人ともが文学、芸術関連に功績を残しています。イギリス、ダービーシャー出身の20世紀で最も優れた文学者一家とのこと。

http://www.sitwell.co.uk/docs/family.htm  

↑これはシットウェル家の肖像画、イーディス、オズバートの略歴が読めます。ここで見られる胸像はオズバートのがFrank Owen Dobsonによるもの、イーディスのはMaurice Prosper Lambertによるもの。

http://165.29.91.7/classes/humanities/britlit/97-98/sitwell/Sitwell.htm 

↑兄弟3人の写真。イーディスの詩。

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ふゆひこ > 特に重要なのが、イーディス・シットウェル(1887-1964)で、彼女は女流詩人です。邦訳詩集もでています。イーディスの容貌を見ると、いかにも20世紀前半の時代を象徴する知識人階層の女性といった感じです。その存在自体が多くの芸術家をインスパイアしたらしく、イーディスをモデルにした美術作品がかなりあります。サシェヴラル・シットウェル(1897-1988)は建築や美術、もちろん音楽など、芸術全般に渡って、論考、批評を行ったようです。アマゾンで Sacheverell Sitwell で検索すると、それは一人の著者の名前での検索結果であることに目を疑います。出版社の名前かと思ってしまうほど、広範なジャンルに渡っています。 (3/20-22:39) No.3563
ふゆひこ > これはサシェヴラル・シットウェル著『LISZT』の裏表紙に書かれている、バルトークによる本の推薦文かな?おそらくバルトーク音楽論集などにも収録されていない短文だと思います。うまく訳せないんですが紹介します。

“リストと私はそう異なる人間ではない。しかしリストは私にとって最も偉大なハンガリー人の先達であり、子供の頃よりピアノにおける良き指導者であった。この書籍は、リストが彼の時代に何をしようとしたか、そしてなぜ我々が我々の責任でリストを無視するのかを要約してくれる。リストはピアノを、精神を表現する楽器に創り上げたのだ。”

↓英語原文

“Liszt and I could not be more different men. But he was my greatest Hungarian forbear, and my mentor at the piano from childhood onwards. This book summarizes for me what Liszt meant to his own generation, and why we neglect him at our peril. he made the piano that I use the expressive instrument of the soul.” (3/20-22:44) No.3564
ミッチ > おおすごい!テレパシーが通じました!「リスト関連の本を読んでいると、シットウェルという名前をよく見かけるのですが、誰ですか?」という質問をしようと思っていました(←バカ)。手元にあるので今度じっくり読んでみます。 (3/21-20:08) No.3569
ミッチ > 本を読んでいて、偶然この名前にぶつかりました。なんと「イギリス・リスト協会・創設メンバー」にこのシットウェルが含まれているではありませんか。メンバーを紹介しましょう。E.J.Dent (president), Humphrey Searle (honorary secretary), William Walton, Constant Lambert, Sacheverell Sitwellです。錚々たるメンバーですね。 (3/25-02:03) No.3574
TAKIN > あーすみません。誤訳を見つけてしまいました (^^;)。バルトークの文章の最初のセンテンスは「リストと私ほど違った人間はいないくらいだ」というような意味です。(直訳:これ以上異なった人間であることはできないであろう) (3/26-03:16) No.3577
ふゆひこ > コンスタント・ランバートは、ダンテソナタをピアノ協奏曲版に編曲した作曲家ですね。リスト協会の創立メンバーでもあるとは。いろいろ調べるとランバートもウォールトンもイーディス、あるいはサシェヴラルによるテキストをもとにした作品を作曲していますね。イギリス・リスト協会の創立メンバーは、そのまま一つの芸術サークルとなるようです。 (3/26-12:41) No.3582
ふゆひこ > TAKINさん。ご指摘ありがとうございます。僕の誤訳は重大ですね。これでは完全に意味を取り違えてしまってます(笑)。原文を併記しておいて助かりました。 (3/26-12:44) No.3583
ミッチ > 訳の話題が出ていますが、what Liszt meant to his own generation、は「その世代に対して、リストにどの程度の重要性があったか(直訳:リストにどのような意味があったか)」ではないでしょうか? It means nothing to me.(私にとって、それは重要ではない)みたいな語法だと思います。僕が間違えていたらごめんなさい。 (3/29-19:59) No.3589
anonymous > その世代と訳すと曖昧です。ownとあるのですから、リストの同時代人にとって、彼がどれほどの重要性をもっていたのだろう、ぐらいが妥当ではないかとおもわれます。 (3/30-09:22) No.3592
ふゆひこ > ミッチさん、anonymousさん、ありがとうございます。僕の適当訳のおかげで、皆さんにお手を煩わせてしまいました。直してもらったところを修正すると、次でよいのかな?最後から2番目の文がまだ自信ないんですが…。

“リストと私ほど違った人間はいないくらいだ。しかしリストは私にとって最も偉大なハンガリー人の先達であり、子供の頃よりピアノにおける良き指導者であった。この書籍は、リストの同時代人にとって、彼がどれほどの重要性をもっていたのか、そしてなぜ我々が我々の責任でリストを無視するのかを要約してくれる。リストはピアノを、精神を表現する楽器に創り上げたのだ。” (4/2-10:47) No.3597
ミッチ > anonymousさん
少し弁解させていただくと「to his own generation」の部分は誤読の余地がないほど原文が明白だったので、当然みなさんおわかりだろうと思い、その部分は超てきとーに訳しました。失礼しました。
話は変わりますが、また何かお名前を考えられたほうがよろしいのではないでしょうか。よかったら僕もいっしょに考えますよ。「だんて」とかどうでしょう。 (4/2-20:40) No.3600
anonymous > ミッチさん
名前に関してですが、頭文字にすると、しばしば見かける方と同じになってしまうし、かと言って大詩人のような名前はどんなものかと思って何となくこれで続けてしまいました。しかし、皆様が匿名ではどこか不気味だとか、気を許せないとか感じられるのであれば何か考えます。で、翻訳にはこだわりがあって、ついつい書き込んでしまいました。皆様、大変失礼しました。 (4/2-23:32) No.3603
LOM > anonymousさん、重要人物になりつつあるようですので、他の匿名さんが現れて混乱が起こる前に特定の名前を決めた方がいいと思います。
あまり深く考えなくていいでしょう。僕も未だに名前の由来を募集中です(笑)。 (4/2-23:36) No.3604

リストがピアノを弾くと・・・ 投稿者:ピアノ 投稿日:2005/03/26(Sat) 19:21 No.3587

はじめまして「リストがピアノを弾くと、たちまち楽器が消え去り音楽が現れた」
と評した人物はだれでしたか?
ご存知のかたお教えください。

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ふゆひこ > はじめまして。なんか聞いたことのある文章なのですが、調べてもうまく見つかりませんでした。もうちょっと調べてみます。 (4/2-08:45) No.3595
anonymous > 僕も、読んだ記憶があります。が、ウォーカーの本の中だったような気がして調べたのですが、見つかりませんでした。シューマン夫妻かサント・ブーヴかベルリオーズの誰かだろうとも思ったのですけどね… (4/2-23:15) No.3602

リストのロシアへの影響 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/03/12(Sat) 02:35 No.3550

前にロシアのピアニストたちへの影響をこちらで語らせていただきましたが、その続編です。

以前、ロシアの名教師として、イグムノフ、ニコラーエフ、ゴリデンヴェイゼル、ネイガウスの4人を挙げましたが、最近知ったのですが、なんとイグムノフはジロティの門下だそうです。イグムノフがどれほどの知名度があるかわかりませんが、少し説明すると代表的な弟子として、オボーリン、フリエール、グリんベルグがいます。

☆オボーリンは第一回ショパンコンクールの覇者で、オーソドックスな演奏が特色の名ピアニストです。さらに名教師として有名で門下にアシュケナージ、ヴォスクレセンスキーなどがいます。

☆フリエールもまた、優れた教師兼演奏家です。個人的には3人の中で一番好きな演奏家です。弟子にミハイル・ルディやミハイル・プレトニョフなどがいます。

☆グリンベルグは疑いなくホロヴィッツ・リヒテル級の大ピアニストでしょう。(関係ありませんが、イグムノフのクラスで、しばしば他の生徒がリストのソナタを取り上げていたけど、私の演奏は誰の演奏よりも違う演奏だ、というようなことを言っています)

やはりリストのロシアへの影響は絶大ですね。

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ミッチ > それでですね、野本由紀夫さんのある文章によると、フリードハイムとフェリックス・ブルーメンフェルトが師弟関係であると書いてあったのですが、これが本当ならリストとロシアがまたかなり密接になります。若干重複しますが、ブルーメンフェルトはネイガウス、ホロヴィッツ、バレーレそして上で出たグリンベルグの師です。これは本当なのでしょうか。
野本さんには申し訳ないのですが、出典がはっきりしない限り僕は信じません。なぜならその文にて、野本さんはブゾーニとアントン・ルビンスタインをリストの弟子としているからです。それから、かなり信用できるであろう資料をあたってみたのですが、ブルーメンフェルトの師としてフリードハイムの名前は挙がっていませんでした(他の人の名前はあがっていた)。 (3/12-02:44) No.3551
さすらい人 > フェリックス・ブルーメンフェルトは、アントン・ルビンスタインの弟子だったはずです。フリードハイムとは、同門という関係だと思います。ホロヴィッツが、ブルーメンフェルトの弟子だと主張したのは、ブルーメンフェルトがルビンスタインの弟子だったからですし。弟子というよりは生徒というべきでしょうか…。ルビンスタインのプライベートの弟子はヨーゼフ・ホフマン唯一人のはずなので。ただ、誰の弟子かという問題は難しいですよね。リストの弟子とされるザウアーも、本人はニコライ・ルビンスタインの弟子だと主張するし、ラフマニノフはジロティの弟子ですが、リストの直系というよりは、アントン・ルビンスタインの影響の方が強いはずだし…。 (3/12-23:51) No.3553
ミッチ > こんばんは。どの情報が一番正しいかという問題は難しすぎて、僕には判断ができないのですが、一応僕の仕入れた情報によると、ルビンスタインとブルーメンフェルトは師弟関係ではなかったようです。ルビンスタインが教えていたクラスで助手として働いていた、とのことです。もちろん大きな影響は受けたことでしょう。ブルーメンフェルトの師はピアノがシュタイン(Stein)(詳細不明)で作曲がリムスキー・コルサコフだったそうです。
フリードハイムはルビンスタインの教え方に嫌気がさして、リストに移っていったそうなので、野本由紀夫さんの書いていることが正しければリストとロシアが深くつながるかな、と思ったのです。
ちなみに上の僕の書き込みは弟子と生徒を区別してません。わかりづらくて申し訳ないです。
ラフマニノフはそうですね。彼に関する本をいろいろ読んでも「リストに好意的」という印象がありません。 (3/15-01:58) No.3556
さすらい人 > 弟子と師の関係は難しいですね。バックハウスはダルベールの弟子と言われますが、実際には数回のレッスンしか受けていなかったり、日本ではリストの直系と謳われたボレットも、ローゼンタールの弟子とすべきかは、疑問なところがあります。ただし、ボレットはジロティにも師事していて、その時に演奏スタイルを確立したと言っているので、リスト直系というのはうそではないかもしれませんが。ラフマニノフがリストについての好意的でないのは、ラフマニノフがリストの演奏を聞いたことがなかったからではないでしょうか。そういえば、ホフマンがダルベールの弟子だったと言う情報を見た事があるのですが、本当なのでしょうか。当時、ダルベールはリストの弟子の中でも、最高の評価を受けていたはずですが、ホフマン自身の言及はないので、これは嘘なのでしょうか。ただ、ホフマンはリストの弟子たちの演奏については好意的ではなかったようですが・・・。 (3/15-14:20) No.3557
ふゆひこ > 複雑ですね。これだけ名前がつながると現代のピアニストはほとんどがリストを源としている気がしてきます。僕が知っていて追記できることは全くないのですが、お二人の会話から、弟子(生徒)と師の関係には、師事したという“客観的な事実”の他に、互いを好むかどうかという“主観的な事実”というのも考慮が必要なんだな、と思いました。ホロヴィッツ関連の本に、次のような事実が書かれていたのを思い出しました。ある弟子に対して、ホロヴィッツが非常に怒り、“以後、ホロヴィッツの弟子と称することを禁ずる。あらゆる宣伝にホロヴィッツの名を使用してはならない”と明言したそうです。

あとロシアの作曲家(リャプノフ、グリンカ、ロシア5人組)への影響・交流も考えると、リストのロシアへの影響度というのは相当なものがありそうです。 (3/20-22:29) No.3560
ミッチ > いろいろと調べてみました。まずバックハウスですが、”ダルベールとの一年間とジロティとの3回のレッスンを除けば、バックハウスの唯一の師はレッケンドルフだけである。”とのこと。このレッケンドルフには9年間師事したそうです。っていうか、(たった3回だけど)ジロティにも師事してたのは知らなかったのでビックリしました。
ボレットについても言及が食い違いますね。僕が見たことあるのは
A:サパートンに師事、ローゼンタール、ホフマン、ゴドフスキから大きな影響を受ける
B:サパートン、ローゼンタール、ホフマン、ゴドフスキに師事
C:B+エイブラム・チェイシンズ
D:B+エミール・ザウアー
さすらい人さんが仰っている「ジロティ→ボレット」というのは知りませんでした。これまたビックリです。あまり関係ありませんが、ボレットがホフマンについてこのように言ってました”彼は神のような人物であったが、常に私には親切にしてくれていた。”
ホフマンについてはダルベールとの関連は見当たりませんでした。 (3/21-19:44) No.3566
ミッチ > ふゆひこさん  「現代のピアニストはほとんどがリストを源としている」というのは決して大げさではありませんよ。野本由紀夫さんもまったく同じことを言っています。まったく意味の無いことを承知で、例として、ポリーニとアルゲリッチに繋げてみましょう。「リスト→ビュロウ→バルト→ルービンシュタイン→ポリーニ」「リスト→ザウアー→アスケナーゼ→アルゲリッチ」となります。強引でしょ(笑)。ただしアルゲリッチはアスケナーゼ夫人との関連の方が強いみたいですが。 (3/21-19:52) No.3567
ミッチ > ちなみに、僕は上で「ルビンスタイン→ブルーメンフェルト」を完全に否定しているような言及をしていますが、僕の資料がそうだからといってそれだけを信じているわけではありません。まだどっちの可能性もあると思っています。 (3/21-19:59) No.3568
ミッチ > ちょろっと追加、ホフマンはモシュコフスキにも”五回の実りの無いレッスン”(five unsuccesful lessons)を受けているそうです。 (3/25-01:53) No.3573
ふゆひこ > 前にブレンデルも遡れば、リストにつながるということを教わりましたが、ポリーニやアルゲリッチもですか。アスケナーゼというのは、知らなかったので調べたらステファン・アスケナーゼという人ですね。 (3/26-12:15) No.3580
さすらい人 > ボレットがジロティに師事していた事は知られていない事実です。多くのCDのライナーを見ても、書かれた物を見たことはありません。しかし、ボレットの最後の来日時の音友のインタビューで、ボレット自身がジロティに師事し、その際に自身の演奏スタイルを確立したと言っています。ゴドフスキーには自作のみを習い、ホフマンは演奏を年に2度ほど聴いてもらっただけ(ボレット曰く、進歩の度合いを見ていたんだろうとのこと)、ローゼンタールも演奏を終えると『なかなか良いよ。次は何弾くの?』と言うだけだったとのことです。色々な情報をあわせると、ピアノの基礎的な部分はサパートンに、総仕上げはジロティに、ではないでしょうか。 (3/31-23:32) No.3594
ミッチ > おお!これまたすごい情報をありがとうございます。非常に複雑ですね。僕はローゼンタールとボレットの関係がはっきりしないとボレットとリストとの繋がりが見えてこないと思っていたのですが、ボレットがジロティとつながるのであれば、完全にリスト直系ピアニストと言ってもよさそうですね。 (4/2-20:44) No.3601


村の居酒屋での踊り 投稿者:しんいち 投稿日:2005/03/27(Sun) 15:03 No.3588

はじめまして。村の居酒屋での踊りのCDを買おうと思っているのですが、
おすすめのCDはありますか?
教えていただけると、とてもありがたいです。

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anonymous > エフギニー・キーシンの演奏が卓越していました。RCA RED SEALのシリーズから出ています。なお、多分廃盤になったであろうアンスネスの演奏は凡庸で上級アマチュアと変わりませんでした。 (3/30-09:29) No.3593
ふゆひこ > はじめまして。ピアノ曲のメフィストワルツ第1番ということでよいのでしょうか。僕はホロヴィッツの演奏が独特で面白くよく聴きます。CDは『ホロヴィッツ・プレイズ・リスト』というものです。 (4/2-11:21) No.3598


テレサ・カレーニョ-回想「不滅のフランツ・リスト」- 投稿者:ミッチ 投稿日:2005/03/29(Tue) 20:21 No.3590

個性ということを話題にするのであれば、私は全キャリアを通じて最も印象的で最も重要なある出来事を思い出さずにはいられません。更なる研鑽のために、子供の頃ヨーロッパに連れて行かれ、幸運にも不滅のフランツ・リストに会い、そしてそこで演奏する機会に恵まれました。彼は私の演奏に非常な興味を示してくれたようで、そのよく特筆される温かさをもって、私を祝福してくれたのです。それは言うなれば、私の芸術家としての全活動に多大な影響を与えた、芸術的な洗礼でした。彼は私の頭に手をのせ、”娘よ、時とともに、君は我々の一員になるであろう。他の者を真似てはならない。常に己に忠実であれ。己の個性を掘り下げるのだ。他の者が切り開いた道をやみ雲に追ってはならない。”ということ語ってくれました。

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ミッチ > これは19世紀後半の大ピアニスト、テレサ・カレーニョ本人の言葉です。前にふゆひこさんが仰っていたように、「主観的/客観的・事実」というのはやはり重要なようで、僕はこのピアニストはリストの弟子ではないので、関連はあまりないと思っていたのですが、彼女がこのように語っていたのは驚きです。一応原文を

It is difficult for me to discuss the subject of individuality without recollecting one of the most impressive and significant events of my entire career. When I was taken to Europe as a child, for further study, it was my good fortune to meet and play for the immortal Franz Liszt. He seemed deeply interested in my playing, and with the kindliness for which he was always noted he gave me his blessing, a kind of artistic sacrament that has had a tremendous influence upon all my work as an artist. He laid his hand upon my head and among other things said:'Little girl, with time you will be one of us. Don't imitate anyone. Keep yourself true to yourself. Cultivate your individuality and do not follow blindly in the paths of others.' (3/29-20:35) No.3591
ふゆひこ > カレーニョは『アラウとの対話』で、名前がよく出てきましたので参照してみました。P97で、リストの弟子としてのゾフィー・メンターに対し、カレーニョはゴットシャルク、アントン・ルービンシュタインを師に持つ、と書かれていますね。この記述では、ミッチさんが紹介してくれたカレーニョの言葉がなければ、リストとの関連は見えてこないですね。何年ぐらいの話なんだろう。ウォーカーを参照してみましたが、カレーニョは“ダルベールの4人目の妻”以外の記述がありませんでした。 (4/2-09:01) No.3596
ミッチ > ほかの本を見てみると、カレーニョ(1853-1917)は13歳の時にリストに出会っているそうです。彼女は「ピアノのヴァルキューレ」と呼ばれるほど激しい演奏をするピアニストで、私生活におけるその人間性もテンペラメンタルだったそうです。そしてこのように書いてありました「ダルベールとの結婚生活がバトルロイヤルだったとしても、彼女がそこでリスト・トラディションから得たものは大きかったに違いない。彼女がヴァルキューレだったことには変わりないが、その結婚生活の後、彼女の演奏はよりコントロールのとれたものとなった。」
彼女は結婚を4回していますが、演奏とその人間性が激しいって、アルゲリッチに似ていると思いません?アルゲリッチも娘さんが3人いますが、みんなお父さんが違います。(こういう人カッコいいと思う。) (5/4-00:28) No.3689
ふゆひこ > カレーニョが13歳というと1866年ですか。年表を見たらリストはローマとパリに居ますね。パリで会ってるのかな。その時1864年生まれのダルベールは2歳(笑)。カレーニョに言わせれば“私の方こそ真のリスト・トラディションよ!”かもしれないです(笑)。確かに様々な記述から浮かんでくるカレーニョのイメージはアルゲリッチに重なりますね。 (5/10-00:29) No.3695
ミッチ > ぎゃはは!「私がオイゲンにリスト・トラディションを叩き込んでやったのよ!」くらいに思ってたら、大爆笑しますね。その二人はそういう年齢差だったのですね。注意深く見てなかったから、わからなかった。 (5/12-21:11) No.3700


コンソレーション 投稿者:kazuya 投稿日:2005/03/25(Fri) 16:31 No.3575

お久しぶりです。kazuyaです。
実は今、コンソレーションに興味を持っています。
といっても、まだ全部聴いたことがありません。
ぜひ聴いてみたいので、お勧めの演奏を教えてください。


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kazuya > あ、あと、僕のサイトの掲示板にお答えいただけたら嬉しいです。よろしくおねがいします。 (3/25-16:33) No.3576
ふゆひこ > 僕は全曲ではボレットとハワードでしか聴いていないです。全曲でなければ、他にCDを持ているので、こんど聴き比べてみようと思います。あとコンソレーションズは、オルガン版と室内楽版というのも聴いてみると面白いと思います。 (3/26-12:21) No.3581
kazuya > お答えありがとうございます。
とりあえずボレットがいいかなぁとは思っているんですが、いろんな演奏を聴きたいと思っています。
オルガンなどはまったくわかりませんが、コンソレーションは似合いそうです。
(3/26-15:40) No.3586


クリスティーナ・キスについて 投稿者:LOM 投稿日:2005/03/22(Tue) 21:51 No.3571

やっぱり直接確認するのが一番だ。アメリカでいつも弾いてて「キス」って呼ばれてるのに、日本人だけ「キシュ」って呼ぶのも変な話です。

詳しくは僕の掲示板をご覧ください。

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ふゆひこ > 確かにアメリカ在住ならば“キス”でいいですね。僕のサイトで過去ログでの表記も、そのうちに直しておきます。 (3/26-11:58) No.3579


パイプオルガン ≪ベルンハルト・ハース“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”≫投稿者:直坊 投稿日:2005/03/20(Sun) 13:03 No.3559

3月19日ミューザ川崎シンフォニーホールにてパイプオルガンのコンサート、ベルンハルト・ハースさんのコンサートに行ってきました。
プログラムはヨハン・セバスチャン・バッハの協奏曲ニ短調BWV596とイエスよ、私は主の名を呼ぶBWV639とワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲エドウィン・レメア編曲、クセナキスのグメーオールそして注目のリスト「アド・ノス、アド・サルタルム・ウンダム」による幻想曲とフーガというものでした。
ワーグナーの「ニュルンベルク・・・」はリストのピアノへのトランスクリプションのオルガンバージョンみたいで楽しかったです。
リストの「アド・ノス・・・」は(私の席からは演奏者の動きがよく見えたので幸運でした)マイアベーアのオペラ「予言者」のテーマに基ずくテーマ、フレーズがいたるところにちりばめられ不吉であると同時に神秘的でさえあったと感じました。曲目解説にも書いてありましたがこの曲はオルガン的というよりピアニスティックに展開されていました。
オルガンのあの足の動き、スケール、半音階、跳躍って凄いです!これからはオルガン演奏会にも行ってみたいです。

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ふゆひこ > これは魅力的なプログラムですね。“ニュルンベルクのマイスタージンガー”はオルガン独奏に合っていそうです。リストがタンホイザーをオルガンに編曲しているので、なんとなく想像がつきます。パイプオルガンのコンサートで“アド・ノス〜”というのはいつか聴きに行きたいです。 (3/20-22:36) No.3561
直坊 > あと私は交響詩も好きで、今年10月29日には(あと半年以上あります!)リストのハン狂2番(管弦楽用)、ピアノコンチェルト1番とフランクの交響的変奏曲そして注目の交響詩「タッソー、悲哀(嘆き)と勝利」を東京オペラシティでコンサートが行われます。私はほぼ間違いなくいきます。もう早速予約しちゃおうかな。 (3/21-00:23) No.3565
ふゆひこ > コンサートで交響詩“タッソー”を取り上げるのも、なかなか珍しいですね。調べてみたらピアノ独奏はアルフレッド・パールでした。お金に余裕があったら僕も行きたいです。http://www.tokyosymphony.com/calendar05/tkop.html (3/26-11:35) No.3578

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