ブラームスは語る 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/21(Tue) 02:10 No.3363

『ソナタロ短調の受容の歴史』でも少し書きましたが、リストの“ソナタロ短調”は、シューマンに献呈されています。これは周知の事実ね。で、そのことに対して、突っ込んだ見解を示したのがアラン・ウォーカー。シューマン邸にソナタが届けられたところの記述のあるP156から

“And what did Schumann think of the sonata? He never knew of its existence.A copy of the newly published work arrived at the Schumanns'home in Dusseldorf on May 25, 1854, by which time Schumann was already incarcerated in the asylum at Endenich.”

(ではシューマンはソナタロ短調をどう考えたのか?彼はその存在すら知らなかったのである。出版されたばかりのソナタロ短調の楽譜がデュッセルドルフのシューマン邸へ届けられた1854年5月25日、そのときシューマンはすでにエンデニヒの療養所に監禁されていたのだ。)

またP157の注釈53において、ウォーカーは“シューマンはソナタロ短調を知らなかった”ことの論証として、ソナタロ短調が完成した1853年2月から、シューマンが療養所に入った1854年3月までの間にリストとシューマンが会っていない(会ったという記録がない)ということを挙げています。

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ふゆひこ > 以上の見解を知ったとき、僕には非常に新鮮で、おおっと思ったのですが、真向から覆す事実がありました。しかも日本語文献で読めます。最近出版された『ブラームス回想録集 第2巻 〜 ブラームスは語る』(リヒャルト・ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー著 天崎浩二 編 訳 関根裕子 共訳 音楽之友社 2004年6月)です。図書館から借りてきました。(この書籍は素晴らしいです。ブラームジアンにとってもリスティアンにとっても興味深い言説、記録が頻出します。文章も読みやすく気楽に読めます。)

まずこの書籍の位置づけについて。これはブラームスと親交があったホイベルガーという音楽評論家が、ブラームスとの会話を 

“彼の言葉がかけがえのないものに思えてきて、自分用に記録したものだ。(略)会話はできるだけ、その日のうちにメモするように努めた―”(P9から引用)

という書籍です。そのため下の引用は、一人称はホイベルガーね。 (12/21-02:13) No.3365
ふゆひこ > P118から引用  1894年12月1日

“ブラームス、ダルベールと「赤いはりねずみ」に行く。巨匠は、シューマンのエンデニヒでの最後の日々が、文献中で改ざんされているという。最初のうち、シューマンは自由に歩きまわれたし、鉄道駅までブラームスを送ってくれたという(略)。 シューマンは、ブラームスの新作すべてを熱心に弾き、リストの≪ソナタ ロ短調≫もじっくり見て、作品が献呈されたことを喜んでいた。そしてブラームスは、病院から温かい内容の手紙を何通も受け取っている。シューマン夫人が、こういった事実を公表するのに反対したのだ。” (12/21-02:15) No.3367
ふゆひこ > ウォーカーは単純に年号からの推論、リストとシューマンの関係のみで、“シューマンはソナタロ短調を知らなかった”と判断しています。でも“シューマンが入院当初は元気だった”という新しい事実の上に、“見舞いに行くブラームス”という存在が登場することで、シューマンはソナタロ短調の存在を知ることが可能となる。僕は素直に読んで、ホイベルガーの記録、ブラームスの証言というのは非常に信用に足るものだと感じます。上のブラームスの発言の主目的は、“シューマンは最初は元気だった”ということを伝えたいわけですよね?それを補強するためだけに、“≪ソナタ ロ短調≫もじっくり見て”という事実を持ち出したにすぎない。となると“シューマンはソナタロ短調を知っていたか?”という観点で考えれば、上の文章は非常に信憑性が高いと思う。Aの確実性を高めるためのBという事実は、より堅固な事実である、と考えるのが普通だと思います。クララ・シューマンがなぜこういった事実を公表するのに反対したのかが、ぴんと来ませんが。 (12/21-02:16) No.3368
ふゆひこ > すんません。ウォーカーの引用はWYです。 (12/21-02:23) No.3369
TAKIN > ふゆひこさんが文献をきちんと追跡しておられるところへ全くの当て推量を書き込んで申し訳ありませんが、クララはシューマン・ブラームスのラインをリストと切り離したかったんじゃないでしょうか。亡夫が若い頃はともかく死の直前にリストの音楽に興味を示したとは思いたくもない、といったような・・・ (12/25-20:52) No.3380
ふゆひこ > 誤読していたらすみませんが、TAKINさんの考えは、NO3367で引用したホイベルガーの文章の最後の一文に対してのものだと思います。まずNO3367での引用は途中、略しましたけど、このエピソードの全文なんです。クララ・シューマンが“公表するのに反対した”→「こういった事実」というのがどの事実を指しているのかが、ちょっと不鮮明ですよね。僕はTAKINさんとちょっと違って、“こういった事実”というのは“シューマンが元気だった”ということを裏付ける事実全部を指している、と解釈して読んでいました。そう考えると、なんでか?がピンと来ない。

ホイベルガーの文章で、“献呈されたことを喜んでいた”というのを、どう解釈するかも難しいです。シューマンが“作品の価値を認めた”と考えるのは無理がありそうです。ただ単に旧知のリスト(わだかまりがあったとは言え、懐かしい同業者)から“献呈された”という事実だけを喜んでいるように思えます。

ホイベルガーの文章に準拠して、シューマンがリストのソナタロ短調に目を通したとき、クララ・シューマンがその場にいたかが書かれていませんが(日時は違っても、当然ブラームスといっしょに見舞いに行ったと思う)、もしクララがいたらTAKINさんの書かれているとおりのことを思っただろうな、と僕も思います。 (12/26-23:22) No.3384
ミッチ > 僕はシューマンに関しては無知に等しいのですが、クララが収容されているロベルトを訪問することはほとんど無かった、とどこかで読んだような。(曖昧な記憶です)
それからシューマン最後の作品で「天使の主題による変奏曲」という美しい作品があるのですが、これをシューマンは収容されているときに書いています。目の前に天使(の幻覚)が現れて、その天使たちが歌った歌を主題にして書かれたそうなのですが、この話オチがありまして、実はその主題は過去の自分の作品だったとのこと。そしてこの曲はクララによって出版を差し押さえられています。たしか出版されたのは20世紀中頃だったと思います(自信なし)。まあこの曲はこのエピソードが痛々しいから出版を差し押さえたのかなとも思いますが。 (12/27-21:21) No.3390
ミッチ > ところで、2ヶ月くらいまえにクララ・ロベルト愛の書簡集(笑)みたいな本を読んだのですが、クララの手紙で
「彼(リスト)は真の意味で芸術家です。彼の演奏会は聞き逃してはいけないのです。」
「彼(リスト)はあなた(ロベルト)の作品を高く評価してくれています。あなたにぜひ会わせたかった。」
「リストを前にすると私など初心者のようなものです。」
など書かれていたのですが、若い頃とはいえ意外でした。もちろんピアニスト・リストを評価した文であることはわかりますが、後にアンチ・リストになる人の文だと思えない。ちなみにこれらは僕のサイトのトップページで使おうか迷っててやめたものです。(笑) (12/27-21:32) No.3391
じょるじゅ > そうなんですよ。
アンチリストになるのはあの事件がきっかけです。ツアー中にシューマン宅に呼ばれたリストは泥酔して一時間以上遅れていった。挙句にシューマンとメンデルスゾーンの曲をめぐってやりあい・・・

晩年、リストはこの時のことを悔いているのですが(リストのいいとこ)既にとき遅し・・・ (12/28-03:42) No.3392
TAKIN > 相変わらずうろ覚えみたいな話ばかりで恐縮ですが、シューマンの「天使の主題・・・」が実は自作だったという、その作品は遺作のヴァイオリン協奏曲(の第2楽章)じゃなかったでしょうか。この曲についてはヨアヒムが非常に否定的な意見を述べ、そのためかクララは出版せず、1937年(?)にやっと蘇演され、しかもその後の評価も一定しないのですね。シェリングやクレーメルは録音していますが。 (12/29-00:22) No.3394
ミッチ > そうでしたか。「天使の主題…」についてはこれ以上詳しいことはわかりませんが、それならクララが出版を差し押さえた理由もそのヴァイオリン協奏曲と同様の理由だったのかもしれませんね。 (12/30-21:34) No.3401
ふゆひこ > クララ・シューマンについてもいろいろ調べる必要がありそうですね。クララがあんまり見舞いに行かなかったとなると、何か理由がありそうです。“事実を公表するのに反対した”というのにもつながりそう。“天使の主題による変奏曲”、あるいはTAKINさんの指摘では“ヴァイオリン協奏曲”のエピソードは、僕は映画『愛の調べ』で鑑賞しました。事実に基づいていたんですね。映画では確か分かりやすくするためか“トロイメライ”に変えられていたように思います(VHSで持っているのですがデッキがないので確認できません(笑))。 (12/31-01:30) No.3404

Gypsy music or Hungarian music? by Bartok 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/12/21(Tue) 00:18 No.3361

また質問お願いします。下でバルトークのエッセイの話が出ていますが、その本に"Gypsy music or Hungarian music?"という文章は収録されていますか?グローブ音楽辞典を調べたところ、そのようなものがバルトークの著作であるとリストの所に書いてあったのです。気になりますよね。

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ミッチ > バルトークの「リストの諸問題」は面白い所満載でどこを抜粋しようか迷っています。
僕もふゆひこさんの研究熱心を見習って、突っ込んだ内容の本を読みたいと思ったんですが、ドイツ語版ウォーカーでてくれないかなぁって感じです。ドイツ語の方が読めるとかじゃなくて、「勉強目的」と動機がひとつ増えるので精神的に買いやすくなるのです(金がないなぁ(笑))。それにリスト関係の書籍を見ているだけで、ドイツがどれだけリスト研究が盛んかを物語っているので、なおさらウォーカーがあるべきだと思っています。無駄話をすみません。 (12/21-00:30) No.3362
ふゆひこ > ごめんなさい。『BARTOK ESSSAYS』は僕は上野の音楽資料室で参照したので、手元にありません。ちょっと確認できないです。また調べることがたまってきたら行くこともあるので参照してみますね。"Gypsy music or Hungarian music?"という文章が書かれた年代が気になりますね。前に、いろいろ会話して、教わった内容では、バルトークは民謡調査を始めた当初は、ジプシーの音楽とハンガリーの音楽を対立して捉えていたけれど、後年、ジプシーの音楽もハンガリーの音楽のなかに組み入れて考えるようになった、と理解しているので。ウォーカーのリストはドイツ語訳されていないのですか…。それはドイツのリスティアンにとっては日本人と同じく痛手だな(笑)。もしかしたら現在リスト研究が盛んなのはイギリスとアメリカという英語圏なのかもしれない。僕も英語は日常生活するのに必要ないのですが、リストのことを調べるために、必要に迫られて仕方なく読んでるんだよね(笑)。内容がリストならば“勉強”という苦行ではなくなるので、ドイツ語版ウォーカーが出ればよいですね。自分流にドイツ語訳してみる、というのもよい手かもしれません。 (12/21-02:41) No.3370
ミッチ > もう一度正確に引用します。
グローヴ音楽辞典セカンドエディションの第14巻p874・Franz Liszt :Bibliography のFolkloristic Studiesという項にB.Bartok"Gypsy music or Hungarian music?"(1947) 240-257(←これ多分リストについて言及しているページ)とあります。僕が気になったことはこの辞典は基本的に言語で載っているのにこれが英語だと言うことです。 (12/22-21:07) No.3372
ミッチ > 変換ミスです。言語→原語
ふゆひこさん。リストの諸問題はお読みになられましたか?僕が読んだ感じでは、周囲への痛烈な批判というのは感じられなかったのですが。。基本的にリスト賛とリスト弁護だと思いました。 (12/22-21:11) No.3373
ふゆひこ > リストのページで、参考文献として載っているのならば、その"Gypsy music or Hungarian music?"がリストについて反論した文章かもしれないですね。1947年だとバルトークの没後ですね。英訳された書籍の出版年かな。『リストの諸問題』は立ち読み程度でパラパラ読んだだけです。基本的に、『リストの諸問題』は普通に読んだら、リスト賛、リスト弁護の内容としか思えないですよね。それで前にTAKINさん、さすらい人さんから教わったのが、背景的なものをもう少し考慮する必要がある、という見方だったと思います。こんど、過去ログをアップしておきます。 (12/24-00:07) No.3377
ミッチ > バルトークのエッセイはそういうことでしたら忘れていただいてかまいません。いつも面倒くさい質問してすみません。「リストの音楽と今日の聴衆」、「リストの諸問題」と「ジプシー音楽か?ハンガリー音楽か?」を読み比べればバルトークのリストへの姿勢を正しく理解できそうですね。
ただ「リストの諸問題」はどう読んでも、リスト賛美のような気がしてならない。「リストは我らのもの」というテーマにふさわしい内容ですよね。「タリアーンはもしやアンチ・リストか?」と勘ぐってしまいます(笑)。
ちなみにシェーンベルクのリストへの姿勢ですが、もしかしたらブゾーニやバルトークと大差無いんじゃないかなと考え方が変わってきました。面白いなと思ったのはみんな(ラヴェル含む)「確かに欠点はあるけどさ...」っていうのが共通していることです。もしかしてその欠点によって愛されてるのかな? (12/27-20:56) No.3389
ふゆひこ > 「リストの諸問題」はアンチ・リストの人が読んでも、“リスト賛美”にしか読めないと思うので、リスティアンのミッチさんや僕は素直に文面通りに受け取ってよいんじゃないかな(笑)。ミッチさんに、ぜひ紹介したい一文なんですが、中公新書の『バルトーク』伊東信宏 著のP130です。ここは非常に面白いんだけど、テーマが広がるので全文は紹介しません。リストの伝記を書いている、エミール・ハラスティがバルトーク批判をしており(←リスト擁護の立場からかどうかはちょっと分かりません)、それに対してバルトークが酷い反論をしたそうです。そのことに対する伊東さんの文章。

“論理的に言えばハラスティの論難も全く故のないものではなかったと言える。ただ、当時のハンガリーの文化状況に照らして、バルトークの主張の方がより困難で、より誠実な立場であったことはたしかだ。”

僕は、この一文を常に念頭に置いておきたいと思っています。

僕は、まさに欠点も含め、あるいは欠点があるからリスト大好きです(笑)。その“欠点”の中に、永遠に色褪せない、創造のベクトルの推進力を感じるからかな。 (12/29-02:25) No.3396
ミッチ > いつも面白い情報をありがとうございます。1月中に絶対リスト音楽院の図書館に行きますので、面白いものを見つけたらまた報告します。バルトークの文章を見つけられれば最高なんですが。
僕も、リストは欠点がある所が好きなのかもしれません。ラヴェルの言葉には非常に共感します。 (12/30-21:25) No.3400


ジェリコー・マゼッパ伝説 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/27(Mon) 00:38 No.3387

映画館に観にいかなかったことで後悔していた作品が、とうとう日本でもDVD発売されます。タイトルは『ジェリコー・マゼッパ伝説』。

↓ここでポスターが観れます。
http://www.moviemeter.nl/?film=20838

↓AMAZONでは3/2発売。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00077DB34/reminiscedefr-22 

主人公はジェリコーね。リストの音楽は使われていないような気がする。バルダパスという人が主催するジンガロという馬を使った劇団(馬術劇団、騎馬オペラとか呼ばれるようです)が映画化しています。ジンガロにとってはもってこいのテーマですね。

大井和郎 リサイタル 「オーベルマンの谷」 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/19(Sun) 02:12 No.3356

12/17に行われた大井和郎さんの東京文化会館リサイタルに行ってきました。僕はコンサートレポートが非常に下手なんですけど、自分流に感想書きます。プログラムは次のとおりです。

1.モーツァルト アダージョ ロ短調 K.540
2.ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」
3.ショパン スケルツォ 第4番 ホ長調 Op.54
〜休憩〜
4.リスト ウィリアム・テルの礼拝堂
5.リスト オーベルマンの谷
6.リスト ソナタ風幻想曲 ダンテを読みて
〜アンコール〜
7.リスト コンソレーション 第3番
8.リスト ラ・カンパネラ

すばらしい!もうリストリサイタルですね。アンコールが2曲ともリストだなんて思ってもいませんでした。

※以下の文章で “ ”の部分は大井和郎さん自身によるプログラムノートからの抜粋です(大井和郎さんのプログラムノートは短いですが、自身が表現したいことやポイントを的確に記されています)。

1:まず静謐で厳粛な雰囲気のモーツァルトのアダージョ。

2:ベートーヴェン ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」
いままで聴いたことがないような解釈でした。大井和郎さん自身のプログラムによると第1楽章は、

“2/2拍子で書かれてあることを表現する演奏はあまり見られず、4/4拍子に聞こえてしまう演奏が殆どですが、 実際には2/2拍子で書かれています。”

とのこと。2/2拍子で楽譜に忠実に演奏されることで、従来の沈鬱な暗い演奏に対して、明るい感じすら受けました。従来の定着している解釈は“月光”というタイトルに影響されすぎているのかな、と思いました。また大井和郎さんによるプログラムノートから抜粋。

“この頃のベートーヴェンの音楽はプログラマティック・ミュージックと言われ、(略)終楽章を重視し”

そのとおりに3楽章まで突き抜けるような感じで、1曲としてまとまった感じで演奏されました。3楽章の旋律の歌いまわしなどは、非常に格好よかったです。

3:ショパン スケルツォ 第4番
この曲は“技術的にも音楽的にも最も演奏が困難” とのこと。おそらくもともとこの曲が独特な構成とニュアンスを持っているために音楽的に纏め上げるのが難しい曲なんでしょう。後半になって、技術を超えて優雅なショパンらしさを感じました。

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ふゆひこ > 4:ウィリアム・テルの礼拝堂
後半のオープニングにふさわしい曲。ここからリストの世界。これは僕にはぴんときませんでした。むしろこの曲は、曲想がシンプルな分、まとめるのが非常に難しい曲なんだろうな、と思いました。

5:オーベルマンの谷
とても素晴らしい演奏!さすがリサイタルのタイトルに持ってきただけあって、もう大井和郎さんの十八番なんでしょう。『巡礼の年』のCDで聴ける“ジュネーヴの鐘”といい、ドラマツルギーを持ったスケールの大きな曲を大井和郎さんは見事に演奏してくれます。曲の終わりの方では鳥肌が立ちっぱなしでした。

6:ダンテソナタ
ダンテソナタも全体の構成が考えられていたように思います。前半のカタルシスを重視した結果、後半が間延びしてしまう演奏が多い中で、前半に力を入れすぎず、後半で曲ががっしりまとまるような感じで演奏されていたように思います。

そしてアンコールが2曲。リスティアンは大喜びのコンソレーション第3番とラ・カンパネラでした。「ラ・カンパネラ」は普通の版ですよね?間違っていたらすいません。 (12/19-02:13) No.3357
ふゆひこ > 昨年のヴァレリー・アファナシエフのリサイタルでも、締めがダンテソナタ、アンコールがコンソレーション第3番でした。アファナシエフは、モーツァルトのアダージョも録音していますし、レパートリーにはベートーヴェンのソナタ、ショパンも含まれています。極端な比較かもしれないですが、僕は、大井和郎さんもアファナシエフも従来の演奏にとらわれずに、自身の個性、演奏、表現を追求する演奏家だと思っています。このままどんどん新しいリスト像を発見し、伝えて欲しいと期待させてくれるリサイタルでした。 (12/19-02:15) No.3358
さくら > こんにちは。お久し振りです。私も大井さんのリサイタル行って来ました!やっぱりふゆひこさんもいらしてたんですね。どこかにいらっしゃるのではないかと思ってましたよ。

リサイタルですが、後半になればなるほど素晴らしい演奏を聴かせてくれました。オーベルマンとダンテは本当に感動モノでした!主題の変容が良く表れていて、一つの楽曲(物語?)としてまとまった演奏だったと思います。そしてあの集中力と緊張感が心地良かったです。カンパネラは普通の版だったと思いますよ。 (12/19-14:27) No.3359
ふゆひこ > お久しぶりです。さくらさんも来られてたんですか。ほんと、オーベルマンとダンテが、物語のように聞こえてきましたね。ダンテソナタでも僕は後半で鳥肌がたちました(他の人の演奏だと大抵前半なんだけど)。僕の周りだけかもしれないけど、結構年配の女性の方も客席に見られたんですよね(たぶん月光は知ってるけど、ダンテソナタ、オーベルマンは初めて聴くという感じの)、そういう人にとっても、集中して聴くことのできる(頭に入りやすい)ダンテソナタ、オーベルマンだったんじゃないかな、って思いました。ラ・カンパネラは普通の版ですか。僕は家に帰ってからどの版を弾いたのかCDを聞き比べたぐらいでした(笑)。それだけ僕にとって大井和郎さんの演奏は独特の個性を感じるんです。 (12/20-00:17) No.3360
kaz > ふゆふこさん、さくらさん来てくれてありがとう。今後も頑張りますのでよろしくお願いいたします。 
大井和郎 (12/25-02:39) No.3379
ふゆひこ > 素晴らしい演奏、ありがとうございました。次のコンサート、CDなど大井さんの音楽にはいつも期待しています。 (12/26-22:55) No.3383


ウルリッヒ・ロート  投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/24(Fri) 00:32 No.3378

ハードロックの大物バンド、スコーピオンズの元ギタリストであり、スーパーギタリストとして評価の高いウルリッヒ・ロートが、なんとリストに影響を受けたと思われるピアノ曲(!!)を作っています。↓これがそのアルバム。作品タイトルは“アクィラ・スーツ”

http://www.ulijonroth.com/sky/discography/disco_9.htm

アルバムジャケットの上に、
“アクィラ・スーツは、フランツ・リストの魂(?精神?)に捧げられた”とあります。12曲ある、というところが“超絶技巧練習曲”を意識していることが予想できますね。他のアルバムでは“超絶のスカイ・ギター(TRANSCENDENTAL SKY GUITAR)”という思い切りリスト的なタイトルの作品もあります(収録されている曲名
を見ると、パガニーニやベートーヴェンなどの名前が見えます。)。スカイ・ギターというのは、機能性(高いフレットが弾きやすい)とデザイン性を両方兼ね備えたウリ・ロートのデザインによるギターです。

サイトのトップアドレスはこっちhttp://www.ulijonroth.com/sky/main.htm

ウルリッヒ・ロートは現在ではクラシック色の強い音楽活動を行っているようですね、“スカイ・オーケストラ”という活動では、ヴィヴァルディの四季をギターと弦楽で演奏したり、自作の“変容”
という作品(その中には“ショパンの心臓(?心?)”という曲名も見えます。)


“Liszt and Brahms” By Pat Shaw 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/16(Thu) 02:20 No.3350

“Brahms and Liszt”という“酔っ払う”という意のスラングを、以前紹介しましたけど、今度は“Liszt and Brahms”です。

なんとこの2大作曲家の名前をタイトルに持ち、さらに歴史に名を残すもう2人、合計4人のグレート・コンポーザーの名前が歌詞に登場する、フォークソング?歌曲がありました。舞曲でしょうか。楽譜と歌詞はこれ。MIDIも作られているので、歌ってみよう!

http://sniff.numachi.com/~rickheit/dtrad/pages/tiLIZSTBRM;ttLISZTBRM.html

変な歌詞(笑)。(↑この楽譜を公開しているのは、Mudcat cafe というサイトです。トップページはこっち。http://www.mudcat.org/

作曲家はパット・ショウというイギリス人。この人についての紹介はここのページで。

http://home.btclick.com/esoft6/dance/people/PatShaw.html

舞曲やフォークソングなど、こういう誰にでも親しめる曲をたくさん作った人のようですね。

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TAKIN > リズムがハンガリー風なのがちょっと笑えます。それと前半のフレーズが「ミクロコスモス」の中にあった曲と何となく似てるような。何番だか思い出せないけど。 (12/18-00:36) No.3352
ふゆひこ > パット・ショウの略歴を読むと、民謡学者の肩書きもあるのかな。それでこんな曲を作ったんでしょうね(笑)。歌詞もパット・ショウなのかな。“ミクロコスモス”こんど意識して聴いてみます。 (12/19-02:08) No.3355


ソナタロ短調の受容の歴史 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/12(Sun) 23:41 No.3334

下で紹介した、ウォーカーの短文でも、“ソナタロ短調がリストの生前ほとんど演奏されなかった”ということが書かれています。通常、ソナタロ短調は“初め世間に理解されなかった、ハンスリックが酷評した、ワーグナーは賛意を示した。現代では最高峰のピアノ曲の大傑作”ということが常識として語られていますけど、その辺の歴史、ソナタロ短調の受容の歴史、感性の歴史のようなものをちゃんと整理したいな、と思ってまとめてみました。

≪19世紀 リスト〜ワイマール時代≫
まずワイマールサークル“マール”(←リストとその仲間達は自分達をこう呼んでいた)で、発表されたとき、賞賛されていることは間違いないです。ウォーカーの調査では、ソナタロ短調の初期の草稿に“マールのための作品”(“マールの蔵書ように”ということかな?←出典は“For the Murl's library” WYP228 “Fur die Murlbibliothek”『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 LETTER NO116)という記述があるとのこと。

1853年5月7日 リスト自身によるソナタの演奏(WY P191)。この時にカール・クリンドヴォルトがその場にいます。
1853年6月、ブラームスは、リストがソナタロ短調を弾いて聞かせている間に居眠りをしてしまう(WY P229)。
1854年春 ≪出版≫
1854年5月25日にシューマン邸にソナタロ短調が届けられる。ブラームスがクララ・シューマンにためしに弾いて見せたとのこと。クララの感想。“単なる盲目的な騒音。健全な着想は何もなく、すべてが混乱している。一つとして明確な和声進行は見出せない。けど彼に感謝しなければならない。とてもおそろしい作品”(WY P156-157)最後の一文、訳に自信なし。完全に誤訳かも。
1854年6月4日 エルププリンツにおいてリスト自身によるソナタの演奏
1855年4月5日 ロンドン カール・クリンドヴォルトがワーグナーに弾いて聞かせる。ワーグナーの書簡は1855年4月5日PM8:30付け“ソナタは何よりも美しい。壮大で甘く、深遠で、君のように気高く崇高だ。私はとても感動した。”(ワーグナー〜リスト往復書簡集 NO184)
1856年 ロイブケがワイマールに到着。ソナタロ短調の影響のもとにソナタ変ロ短調を作曲(ロイブケのソナタをアマゾンで頼んでいたんだけど、結局入手不可でいまだちゃんと聴けてません。)
1856年8月2日 ビューローがリストに弾いて聞かせています。リストは賞賛。(『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 LETTER NO134)
1857年1月22日 ≪ワールドプレミア≫ビューローによる(ライプツィヒ?)。けど保守派から非難される。ウォーカーは、この初演がビューローの演奏の責でないことを上述のリストの書簡(NO134)を根拠にしています。この都市にベルリンでもソナタロ短調は演奏されて失敗しています(ビューロー?2回目?)。有名なハンスリックの批評の出典が分からないのですが、このビューローの初演の時のものかな。

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ふゆひこ > ≪19世紀 リスト〜ローマ〜晩年≫
1864年夏 カールスルーエ アリーデ・トップによる演奏。リストは賞賛(FY P71)。
1865年3月 ローマの居所においてリスト自身による演奏。これはウォーカーも珍しい記録と呼んでいるバッシュによる記述(FY P39)。
1877年4月2日 バイロイト ワーグナー夫妻に対してリストによる演奏(FY P367)。
1881年2月 ブダペスト ビューロー リスト・リサイタルで演奏(FY P398)。
1884年-1886年 ゲーレリヒ、のマスタークラスの書籍をパラパラ見て驚くことは、数多くの弟子達、誰も“ソナタロ短調”を弾かないんですよ。この前のハワードのマスタークラスでソナタロ短調が演奏されましたけど、リストの頃はそのようなことはなかったようです。規模が大きいから避けられた、というのはあまり強い理由でないように思う。部分でもいいから誰かが弾いてみてもいい。ところが誰も弾かない。
1884年4月28日付け書簡(『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 LETTER NO285)で、フリードハイムが演奏していることが分かります。
1885年9月2日?なんとライプツィヒで、リストの弟子ウィリアム・デイアスが演奏しています。リストは大変喜んだとのこと。(FY P472)
1885年9月5日付けブールマイスター宛書簡。アメリカに行くブールマイスターに、親心のような書簡。ブールマイスターがシューマンの“交響的練習曲”を2台のピアノのために編曲したことを褒め、リストは“同じように、私のソナタロ短調もやってくれたら嬉しい”と言っています。(『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 LETTER NO294)ソナタロ短調はリストにとって終生、特別な作品であったことは間違いないと思う。 (12/12-23:44) No.3335
ふゆひこ > ≪19世紀末〜20世紀初頭≫
1900年代初期のエピソードかな。ミッチさんが紹介してくれたバルトークのエッセイ“リストの音楽と今日の聴衆”。僕も確認しました。英書では『BARTOK ESSAYS』という書籍に収録されています。その文章の締めの部分で、セーケイ・ユーリアも紹介していた、“最初ソナタを好きになれなかったが、研究して素晴らしい作品であることが分かった”というようなことが書かれていました。ドボナーニが演奏したのを聴いてもバルトークは、ソナタをいい曲だとは思わなかった、という記述があります。バルトークでさえこうなので、僕はワーグナーの賛辞というのが額面どおりに受け取れない。

1906年 シェーンベルクが“室内交響曲 第1番”(あるいは“浄められた夜”もその影響下に入れてもいいかも)を作っている。
1911年 ブダペスト リスト生誕100年。リスト音楽院の新校舎設立で、フリードハイムがソナタを演奏しています。

それとリャプノフもソナタロ短調に影響を受けた作品を書いているはずなんだけど、どこで読んだかわからなくなってしまった。 (12/12-23:45) No.3336
ふゆひこ > ≪20世紀初頭 〜ソナタロ短調の最初期の録音≫
ピアノロールのサイトで調べると ジェルメーヌ・シュニッツァー(Germaine Schnitzer)、オイゲン・ダルベール、アーネスト・シェリング(ernest schelling)の3人が見つかりました。録音年代が分からないのですが、ピアノロールということで、録音の中でも最初期のものと考えられるんじゃないかな。ネット上の知識ですが、ピアノロールというのは1910年〜1920年が最盛期とのこと。その後はレコードに座を奪われる。SP盤は19世紀末に登場していたようですけど、普及は1920年代以降かも。ダルベールはソナタロ短調を演奏していたことをアラウが語っています(『アラウとの対話』 )。アーネスト・シェリングはパデレフスキーの弟子1876−1939。ジェルメーヌ・シュニッツァーは1888年生まれで1982年没の女性ピアニスト。つい最近まで生きていたんですね。

1929年 アルフレッド・コルトー録音 これが僕が持っている一番古いディスク。
1932年 ホロヴィッツのソナタの録音。コンサート記録等を見るとソナタロ短調は1920年代の代表的なホロヴィッツのレパートリーとなっています。

録音なしですが、テレサ・カレーニョが弾いていることは『アラウとの対話』で分かります。ブゾーニが演奏していることは、前にミッチさんが教えてくれたとおり(ブゾーニのサイトでも確認できます)。

僕の印象ですが、ヒストリカルの時代のピアニストの、ソナタロ短調は、叙情的に演奏される感じがします。 (12/12-23:46) No.3337
ふゆひこ > ≪20世紀 1950〜60年代≫
手持ちのCDをサイト上で紹介していて、思ったのは、1960年代の演奏家のDISCでは、ソナタロ短調はシューベルトのソナタとカップリングされているケースが多いです。僕の持っている数は少ないので、CD化するときにあらためて選曲されたのかもしれないし、断定できないですが。リヒテル、ギレリス、ソフロニツキー、50年代になるけどアニー・フィッシャー。この時代のソナタロ短調は非常に構成感が重要視されてきている気がします(ソフロニツキーはちょっと違う気がするけど)。シューベルトのソナタと内容的に近いと考えられていたか、あるいはLPのA面、B面の収録時間でぴったりだったのかも。 (12/12-23:48) No.3338
ふゆひこ > ≪20世紀 1970年代〜≫
現代のケースは、明らかに晩年の作品とカップリングするケースが多いですね。 (12/12-23:48) No.3339
ふゆひこ > 以上、感想を述べるために必要な事実データがまったく不足ですが(笑)、概観して思うことは、『ソナタロ短調』の現代の地位が確立したのは、1950〜60年代の演奏家達のおかげじゃないかな。20世紀初頭の演奏家達は、ほとんどの人が傑作だけれど、リスト流のショウピースの傑作(←悪い意味ではなく)としてとらえていた人がほとんどのような気がする(“ピアノ協奏曲第1番”と同じような)。けど一部の演奏家は、ソナタの真価を分かっていた(それが誰かは僕はわからない(笑))。その演奏に触れていた、1950〜60年代の演奏家達が、真価を成果として提示することができたんじゃないでしょうか。この頃にソナタロ短調はピアノ曲の大傑作として正確に認知されたんじゃないかな。ソナタロ短調が生み出されてから一般にまで理解されるようになるまで100年かかってる気がします。(ただこの感想は、僕が叙情的なソナタロ短調を好んでいないという主観による偏見かもしれない) (12/12-23:49) No.3340
ふゆひこ > 別の角度から。WY P150でウォーカーが整理している“ソナタロ短調”の解釈。それらの発表年に注目して再掲。

1:バートランド説(1981年)。ソナタはファウスト伝説“ファウスト”“グレートヒェン”“メフィストーフェレス”を含む。
2:ラーベ説(1931年)。ソナタはリストの自叙伝的なもの。リストの人格、格闘。
3:ザーツ説(1984年)。ソナタは神聖な、また悪魔的なもの。聖書とミルトンの“失楽園”がベース。
4:メリック説(1987年)。ソナタはエデンの園の寓話。人間の堕落。神、ルシファー、ヘビ、アダムとイブのテーマ。
5:ウィンクルホーファー説(1980年)。ソナタにはなんの比喩もプログラムもない。意味のありそうなその形式以上の意味はない。

“ソナタロ短調”に何か比喩的な深遠な世界を見出して解釈する説は、全部1980年代ですね。僕は比喩的な解釈に留まることが好きではなかったので、ラーベ説が好きだったのですが、ソナタロ短調の受容の歴史を考えると、ラーベの説は古いもののように思えます(ラーベの原文を知らないのでなんとも判断できませんが)。ラーベの説で、ソナタという言葉をベートーヴェンのソナタに変えてしまってもそんなに違和感ない。この1980年代の解釈説というのは、僕には1950〜60年代での地位の確立というのとリンクしているように見えます(うーん先入観が強くて説得力ないね(笑))。 (12/13-00:18) No.3341
ミッチ > すごいですね。あなたは研究家並みです。
なんの根拠もない推測ですが、僕はワーグナーの作風を考えるとリストのソナタのあの巨大さ(演奏時間が長いということだけではなく、スケールの大きさ、寛大さを含む)を好んでも不思議ではないかなと思います。 (12/13-23:05) No.3343
TAKIN > をを、これは面白い (^_^)。リストに限らず、受容史は面白いし重要だと思います。しばらく前にベートーヴェンの受容を扱った本を読みましたが(著者名、書名など失念、どこかに突っ込んでしまったのでいま確認できません (^^;))たいへん興味深いものでした。 (12/14-10:23) No.3344
ふゆひこ > 一連の僕の文章は、つっこみどころ満載ですね(笑)。自分でも一行ごとに“オイオイ”ってつっこみたくなる(笑)。ああ、ミッチさんのコメントで僕もちょっと考えが変わりました。こんどスレッドを別にしてもう少し釈明したいと思います。ワーグナーが聴いた1855年という年号が気になります。この年のリスト〜ワーグナー往復書簡で、ワーグナーが“トリスタンとイゾルデ”を作曲しようとしていることが、語られてるんですよね。それで“トリスタンとイゾルデ”は1857年〜1859年に作曲される。“トリスタンとイゾルデ”と“ソナタロ短調”の、明確な関連というのを説明できないんですが、僕の感性に従えば、音楽性で共通している部分を感じるので。その感性を持つワーグナーがソナタロ短調を理解できなかったのでは?としてしまうのは早計すぎました。 (12/15-02:09) No.3345
ふゆひこ > ベートーヴェンの受容史を扱った書籍があるのですか、方法論とかに興味あります。ネットで簡単に検索したら、国立音楽大学のサイトに“ベートーヴェン研究部門”というところがあり、そこで“日本におけるベートーヴェン受容”という福本康之さんの論文が公開されていました。

http://www.kunitachi.ac.jp/

方法論は、雑誌記事等から受容の変遷を探っているようです。受容史というものは、やはり“客観的な主観的事実”(←適切な用語を知らないので、ややこしい表現ですが、“どう思ったか”を誰かが書き残していること、です)をたくさん取り込まないと説得力がでないですね。僕の一連の整理はそれが少なすぎる。それと西原稔さんの本で『楽聖ベートーヴェンの誕生』というのがありました。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9973705211

これはもっと社会学的かな。 (12/15-02:10) No.3346
TAKIN > そうそう、その西原さんの本です。ほかに渡辺裕「西洋音楽演奏史論序説:ベートーヴェン・ピアノソナタ演奏の歴史的研究」(春秋社)という本も、受容史的な内容を含んでいます。私は理系出身なので文系の学問の方法についてはよくわかりません (^^;)。 (12/15-23:05) No.3347
TAKIN > 間違えました。「・・・ソナタの演奏史研究」でした。 (12/15-23:08) No.3348
ふゆひこ > ベートーヴェンの方は演奏史、受容史というのがだいぶ充実してるんですね。リストで受容史を整理すれば、毀誉褒貶の差が激しいのでベートーヴェンよりも面白いと思うんだけどな。僕は結構、簡単にできるものかと思ったんですけど、そんな甘いものではありませんでしたね(笑)。継続して調べてみます。 (12/16-02:08) No.3349
ミッチ > あまり関係ありませんが、ハンフリー・サールはリストのソナタの冒頭のレント・アッサイとワーグナーの「ニーベルングの指輪」の「ヴォータンの怒り」のモチーフとの類似性を指摘しているそうです。(と、昨日知りました(笑))
ワーグナーの有名な言葉「あらゆる観念を超越して、美しく、...」というのがありますが、僕が常に思っていたことは、リストを好んで弾かない人でもこのソナタだけは弾いているケースが非常に多いといつも思っていました。その辺があらゆる観念を超越しているということなのかなぁと思っています。普遍性ってやつですかね。 (12/17-00:59) No.3351
ふゆひこ > 今、ワーグナーの、ソナタロ短調に対するファースト・インプレッションを書いた書簡を翻訳しています(短いんですが、うまく訳せないです)。その書簡全文を素直に読むとかなりワーグナーは感動している思える、と僕の考えも変わってきました。上でちらっと書きましたけど、書簡の日付に“8:30 EVENING”と時刻まで書いている。つまりクリンドヴォルトの演奏を聴いていてもたってもいられなくなりリストに書簡を書いている。こういう例はなかなか珍しいのではないでしょうか。強く感動した結果、と考えるのが普通ですね。 (12/19-02:01) No.3353
ふゆひこ > 『作曲家別名曲解説ライブラリー2 ワーグナー』(音楽之友社)P129に“ヴォータンの怒りの動機”の譜例が載っていたので、MIDIにしてみました。

http://www.asahi-net.or.jp/~nj8f-tkmt/wagner_walkure

うーん、あんま似てない気がする。他に“怒りの動機”があるのかも。 (12/19-02:05) No.3354
さすらい人 > 横からすいません。ソナタロ短調については、ボレットが面白い事を話していました。ボレットはリストの弟子のローゼンタールの前でソナタロ短調を弾いた事があったらしく、ボレットが演奏した後、ローゼンタールがある部分を弾いて見せて、「何とひどい作曲家なんだ。こんなメロディーがあるだろうか?」と言い、リストの直弟子が批判するのを聞いて、ボレットは、ショックを受けたらしいです。ボレット自身は、若い頃からピアニストとしても、作曲家としてもリストを神様のように尊敬していたようですが、ローゼンタールはそうではなかったようですね。 (2/7-12:56) No.3505
ふゆひこ > ローゼンタールのCDを1枚持っているのですが、ショパン〜リスト“私のいとしい人”が1曲入ってるだけなんですよね。他にもCDを探したけど、リストの曲をあまり演奏していないようでした。さすらい人さんが紹介してくれたエピソードでなんとなく理由がわかったような気がします。ローゼンタールはリストの弟子、というよりもショパン直系のミクリの弟子という自意識があったのかな。 (2/9-00:32) No.3510
ミッチ > さすらい人さん、どうもです。
ローゼンタールの言葉は鵜呑みにしないほうがいいかもしれません。この人はその人格に問題があったらしく、友人の証言によると彼が同僚の音楽家たちに対していいことを言ったことは一度もなかったそうです。例えばチャイコフスキーの協奏曲が若いピアニストにより演奏されて、それを聴き「なんて時代遅れな!」と言ったそうです。
ふゆひこさん
ローゼンタールはリストの協奏曲やドンジョヴァンニの回想を弾いています。 (2/19-23:56) No.3531

『Blumen fur Franz Liszt』 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/12/11(Sat) 01:41 No.3330

拝啓ふゆひこ様。この度、僕もホームページを開いてみることにしました。今まで、リストの素晴らしいサイトはたくさんあるから、もう必要ないだろうと思っていたのですが、たくさんあるからこそ自分は気楽にやっていけると思い、始めてみました。「リストに愛の花束を」というコンセプトを元に「Blumen fur Franz Liszt」というタイトルをつけました。みなさん英語やフランス語なのでどうしてもドイツ語にこだわりたかったのです。みなさま、よろしくお願いします。

http://www.geocities.jp/aesthetik_der_tonkunst/


※お詫び※
作成の技術的問題とか、続けていけるかという問題、それから自分が完成度に納得していないなどいろいろ理由があり、いきなり消去してしまうかもしれません。当面の間リンクはご遠慮いただいております。すみません。

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ミッチ > トップページは新聞をモチーフにしようと思い、「灰色」を基調にして作っていたのですが、なんか「陰鬱」なサイトになってしまいました(笑)。ちなみにワードで作ってるのですが、「保存できねぇ」とか「画像がでねぇ」とか、うまくいかないのですが、ホームページ作成専用のソフトを買ったほうがいいのでしょうか。今のところカウンターすらつけられません(笑)。 (12/11-01:48) No.3331
ミッチ > あっと、でもまだトップページしかありません。 (12/11-01:51) No.3332
ふゆひこ > おお、すごいです。プロコフィエフとマーラーの言葉は初めて知りました。リストがあまりにも巨大な人物なのでサイトはいくつあってもまだ足りないぐらい、と僕は思っています。新しいサイトが出来れば出来るほどうれしい。それで相互に補うことができれば、よりリストを理解できるんじゃないか、と。ホームページ作成用のソフトを使うと簡単ですよ。僕は使ってます。けど簡単なので、WEBの技術が身につかない、という欠点あり(笑)。最初の頃は試行錯誤すると思います。僕も最初のころ、サーバーから丸ごと3回ぐらい削除してます(笑)。 (12/11-14:00) No.3333
ミッチ > 僕なんか事故ってトップページのアドレスが2回変わってます(笑)。とりあえずがんばり過ぎないでがんばります。 (12/13-23:00) No.3342


Kunstfest Weimar 2005 ≪アムラン“ウィリアム・テルの礼拝堂”≫投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/09(Thu) 01:06 No.3328

この掲示板でもさんざん話題にして、なんの実感も得られぬまま(笑)過ぎ去ってしまった“ワイマール芸術祭”ですが、2004年の内容と、2005年の内容についての記述を見つけました。(ドイツ語ね。僕はオンラインの翻訳でざっと読みました)

http://www.mdr.de/kultur/buehne/1595592.html

まず2004年から。この記事は9月22日付けの結果報告。来場者は13000人?。それで10月までやっていた美術展の来場者を加えれば20000人?ということでしょうか。成功なのかな?

アンドラーシュ・シフは、今後も継続して協力するようです。(翻訳した単語ですが)ワイマールに“定住している芸術家”として活動を続けるのかな。(←全部“かな?”ばっかですいません)。

記事の最終段に2005年の企画が書かれています。コンセプトは“愛の夢”。どうも“ファウスト交響曲”や“十字架の道行”が上演されるようなのですが。期待大。

現在、KunstfestWeimar のサイトに行くと、もうタイトルは“2005”になってるんですよね。ただしまだプログラムが公開されていない。定期的にチェックしましょう。

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ふゆひこ > おお!ここのサイトすごいです!ようやくワイマール芸術祭の模様を映像で見れました。ここでアムランの演奏する。“ウィリアム・テルの礼拝堂”がビデオで見ることができます。右の方の“VIDEO”のところのリンクをクリック。

http://www.mdr.de/nachrichten/thueringen/1547334.html

他にもニケ・ワーグナーのインタビューやいろいろ映像、音声がありますよ。 (12/9-01:30) No.3329


『Reflections on Liszt』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/12/09(Thu) 00:21 No.3326

アラン・ウォーカーの新刊が来年5月?に出版されるようです。タイトルは『Reflections on Liszt』“リスト考”っていう意味でいいんでしょうか。詳細がさっぱり分かりません。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0801443636/reminiscedefr-22

ついでに、前にも紹介したハンガリーの雑誌のページでウォーカーの別の記事を見つけました。1996年のリスト・ピアノ・コンクールの感想文かな、ゲルゲニー・ボガーニとナジェージュダ・ブレーヴァを高く評価してます。

http://www.hungarianquarterly.com/no143/p150.html

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ふゆひこ > もうひとつ見つけました。リストの歌曲を評価した短い文章。
http://www.hungarianquarterly.com/no144/p155.html (12/9-00:26) No.3327


Nuages gris ☆ Trube Wolken どんな雲? 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/11/22(Mon) 19:07 No.3283

嘘みたいな話ですが、最近偶然にも僕の中でこの訳についての問題が解決したので報告させていただきます。その前にこの曲の訳がどうして「灰色の雲(暗い雲)」と括弧書きで書かれるのかを推測してみましょう。おそらくドイツ語の「trub」という形容詞に「灰色の」という意味が辞書を探しても見つからないからだと思うんですよね。で訳者が困って二つ付けちゃった、みたいな。

でですね、最近僕の友達が偶然にも「今日はtrube Wolkenだねぇ」と言ったので、ちょっと驚いて、「どんな雲?」って聞いたんです。そしたら「どんよりしてて、灰色で、やな感じ」と言っていました。ここで注目して頂きたいのは僕の質問です。「どんな色?」と聞いたわけではなく「どんな雲?」と聞いただけなのに灰色という答えが返ってきました。要するにドイツ人がtrube Wolkenと言ったら前提として「その雲の色は灰色である」ということではないでしょうか。暗い雲も間違いではありませんが、タイトルを二つ付ける必要が無かったということです。

ちなみに英語圏では「Grey cloud」と呼ばれているそうです。

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ミッチ > どうでもいいのですが、前の所では僕は自分の感覚の好みと事実を話しただけであって、「どの邦訳が正しいか?」という議論をしたつもりはありません。実際最初に「トリューベ・ヴォルケンと呼んでいます」と書いてます。正直、僕はあまり邦訳にはこだわらないです。その辺の考え方はまだショパン的なのかなぁ。。 (11/22-19:12) No.3284
ふゆひこ > 普段の会話で“trube Wolken”なんて言葉が出てきたら驚きますね。リスティアンなら絶対、反応してしまう(笑)。“灰色”と“陰鬱”という意味合いが重なっているというのは僕も同じ考えです。僕もちょっと説明しておくと、下のスレッドでの僕の発言は、ミッチさんと同じように自分の感覚の好みと、その拠り所としての理由を書いたのみでした。 (11/23-00:56) No.3287
ミッチ > この曲、よく「印象主義を予言している」みたいなこと書かれますが、正直僕にはわかりません。前にも言いましたが、スクリャービンの方に近い曲だと思うのですが。みなさん、どう思いますか? (11/29-21:59) No.3313
ふゆひこ > 僕はスクリャービンも印象派も詳しくないんですが、ミッチさんの念頭にある“印象主義”というのはドビュッシー、ラヴェルなのかな、って思いました。だとすると“灰色の雲、暗い雲”はそれらよりもスクリャービンの方が近いと僕も思います(音階とか和声とかのせいかな)。ただ印象主義というのを“19世紀末から20世紀初頭の一部の芸術”と広く捉えると(そこにはドガやスーラなどの絵画の印象派も含め)、“灰色の雲、暗い雲”は、曖昧な心象イメージを音化した作品として、それらを予言している、というのは僕にはしっくりきます。印象派のキーワードは僕にとっては“光”と“色”なので、まさに“灰色の雲、暗い雲”というタイトルは、そのまんまだと僕は考えています。 (12/3-01:00) No.3319
ミッチ > いろいろ参照してみました。 (12/4-21:32) No.3320
ミッチ > 間違えてエンターおしちゃった。
1.ブレンデルのライナーノーツ(竹内康夫さん)
革新的な和声法や、独特な音響効果を生み出すペダリングなどに、来たるべき印象主義音楽の時代を感じさせてくれる。
2.ポリーニのライナーノーツ(野本由紀夫さん)
この曲の最後から二つ目に鳴る和音は、スクリャービンが用いた「神秘和音」と同じだと考えてよい。
3.コーエンのライナーノーツ 音楽学者Imre Mezo
Although the functional features of tonal music prevail in Nuages gris, the entry of each new note has pre-set conditions, just as it would have in the serial techniques of the new Vienna school of Schonberg, Webern and Berg. (12/4-21:47) No.3321
ミッチ > なるほど。いろいろな側面からのアプローチが必要なんですね。ペダリング云々というのは説得力があります。3に関しては僕はセリーがよく分かっていないので何とも言えません。ちなみに一番説得力があったのがふゆひこさんの「曖昧な心象イメージの音化」という言葉でした。 (12/4-21:54) No.3322
ふゆひこ > 僕もワトソンを参照してみたら、ワトソンは最後の曲の終わらせ方に注目してました。P189〜190。リストの若い頃から晩年の作品に見られる曲の終止方法の試行錯誤の過程を検討しています。2の野本由紀夫さんと注目しているところが同じですね。そこに載っている譜例を見て鍵盤で音を出してみました。けど音楽理論が分からないので説明できません(笑)。最後の和音で解決はしてますね。(こういうの言葉で説明できるようになりたいです・・・・)。セリーどころか僕は神秘和音もトリスタン和音もそれらの違いがよく分かってません(笑)。

ウォーカーはFY P440〜441に載っていて、非常に興味深いフリードハイムの記述が紹介されています。(以下はそのフリードハイムの記述の後半部の要約)

“(晩年のリストが古い草稿を読んでいるのを見て、フリードハイムはそのうちの一つを手に取り)

「このスケッチは、将来書かれることになるようなたくさんの無意味な作品たちの責任を取らされることになりますよ」
「そうかもしれない。私はこれらを出版しないつもりだ。時代が適していないからね」

その小さなノートのタイトルは、『未来の和声のためのスケッチ』だった。”

最初のフリードハイムのセリフの訳、自信なし。“未来のための音楽”という意図はリストに明確にあったのかもしれないですね(僕はリストが自分の感性に自由に従った結果だと思ってた)。ウォーカーによれば、このノートは紛失したとのことです。 (12/6-00:40) No.3323
ふゆひこ > NO3319の書き込みでの“光”と“色”というのは、それだけでは印象派を旧来の芸術から区分できないですね。レンブラントやフェルメール、どんな画家だって“光”と“色”を取り扱うんで。僕の考えでは、旧来の画家は“光”を“色”“形”を明確に浮かび上がらせるものとして考えた。けど印象派の芸術家は“光”は“色”“形”を曖昧に不明瞭にするものとして捉えた。あるいは曖昧で不明瞭な状態の“光”“色”を美しいと思った。かな。音楽の話にすれば、“光=和声”、“色=旋律”“形=形式”としていいです。ちょっと無理があるか(笑)。 (12/6-00:49) No.3324
ふゆひこ > 白水社『図解音楽事典』P90によると、スクリャービンの神秘和音は、下から C-F♯-B♭-E-A-D。4度ずつ積み上げるそうです。で、“灰色の雲”の最後から2つ目の和音は、下から、A-E-G-B-F♯-B-F♯。ちょっと違うけど、F♯-Bのところが似てます。リストの方が響きがまだきれいな気がする。“灰色の雲”の最初の旋律も“神秘和音”になるのかな。 (12/8-01:43) No.3325


リスト:ピアノ協奏曲第2番、死の舞踏 コンサートのご案内 投稿者:金澤亜希子 投稿日:2004/11/27(Sat) 17:50 No.3302 <HOME>

突然の書き込み、失礼いたします。
このたび、ハンガリー国立リスト音楽院の留学をおえ帰国しましたので、オーケストラを依頼しての記念コンサートを開催することとなりました。
前半がリストのピアノとオーケストラの作品、後半がドヴォルザークという、東欧色の濃いプログラムをお届けいたします。
特にリストの死の舞踏は日本ではめったに演奏されることのない曲ですので、皆様お誘い合わせの上、ぜひご来場いただけますよう、お願い申し上げます。

 チラシ→  http://www.geocities.jp/kanazawa_akiko/11.30.jpg

2004年11月30日(火) 18時半開場 19時開演
練馬文化センター 小ホール
(西武池袋線・西武有楽町線・都営大江戸線、練馬駅北口)
全席自由 3000円

ピアノ:金澤亜希子   指揮:福田光太郎
オーケストラ:コミューズフィルハーモニー管弦楽団

プログラム・・・リスト:ピアノ協奏曲第2番、死の舞踏
        ドヴォルザーク:交響曲第8番

お問い合わせ 電話(金澤) 090-4203-3153

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ふゆひこ > “死の舞踏”が実際のコンサートで聴けたら素晴らしいです。平日開催というのがちょっと僕にはつらい…。当日券というのはあるのかな。 (11/27-23:06) No.3307
金澤亜希子 > コメントありがとうございます。平日、しかも月末で申し訳ないです・・・
当日券がございますので、もし間に合うようでしたらいらしてください。 (11/28-08:58) No.3309
ふゆひこ > 聴きに行きたかったのですが、仕事の都合で無理でした。残念。次回、聴きに行きたいです。今日、一日頭の中で“死の舞踏”が鳴りっぱなしだったのですが…(笑)。 (12/1-00:54) No.3316

リスト全曲コンサート 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/11/11(Thu) 21:24 No.3210

http://www.principal.hu

「Csaba Kiraly」というピアニストが2001年からリスト全曲でコンサート活動を行っているらしいです。現在進行中。すげえ!
ハワード、HSKさんに次ぐ快挙ではないでしょうか。(笑)

フンガロトンからCDが出てたみたいですね。

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ふゆひこ > すごいですね。どこまでを全曲、とするんだろう?EMBが出版している曲っていうくくりかな。そんなコンサートが日本でも行われていれば…。日本在住のピアニストが挑戦してくれないかな。あと海外のリストサイトで紹介されているクリスティーナ・キシュという人も全曲リサイタルを進行中のようです。これは『FRANZ LISZT PAGE』のキシュの紹介ページ↓

http://www.d-vista.com/Kiss/

すでに550曲演奏している?異稿や断片を除けば、ほとんど完遂に近い気がするんだけど。 (11/12-02:10) No.3214
ふゆひこ > ↑『FRANZ LISZT SITE』でした。すみません。 (11/13-01:45) No.3217
ミッチ > 1911年という年号で思い出したのですが、ブゾーニがその年に「リスト・ツィクルス」というコンサートを開いたそうです。ツィクルスって全曲演奏という意味だと思っていたのですが、どうなんでしょうか。ブゾーニのレパートリー表を見ても、リストが多いとはいえ、全曲には程遠いのですが。やっぱタイムマシンが必要です(笑)。 (11/22-18:46) No.3281
ミッチ > このKiralyというピアニストがフンガロトンとまだ契約をしているのなら、2011年にそのライヴ音源をボックスセットで発売、なんてことにはならないかなぁ。期待しすぎか。 (11/22-18:49) No.3282
ふゆひこ > 僕の持っている独和辞典(アルファ)だと“連続演奏会”ってなってました。ネットで調べると(1)全曲演奏っていう意味と(2)連続演奏っていう意味、どちらでも使われているようですね。ブゾーニの場合はどうなんだろう。リストのピアノ独奏曲全曲演奏となると尋常でないことだと思うので、(1)の意味ならば、なんらかのグループでくくったか(例えば“バッハ〜リスト チクルス”とか)、(2)の意味なら、連日に渡るオール・リスト・リサイタルかのどっちかになるのかな。いずれにしても聴きに行きたい(笑)。キラーリ(でいいのかな?)もキシュも、二人とも発売して欲しいですね。聴きに行けないし。 (11/23-00:48) No.3286
LOM > おぉ。Christina Kiss のCD1枚持ってます。
曲目からして素晴らしいです。Magyar dalok や ジプシーのポルカ等々。ただし曲目紹介が全くない! このラコッツィ行進曲はどれなんだろう(笑)? ちょっと調べて僕のCD紹介に追加してきます。
読み方は“キシュ”なんですか? (11/23-07:06) No.3288
LOM > 補足。
曲目解説がないというか、S番号すら付いてないんです。 (11/23-07:08) No.3289
LOM > ハンガリー人なんだ。じゃぁキシュですね。Listがリシュトになるように。
kissは小さいという意味の形容詞だそうです。 (11/23-07:14) No.3290
ふゆひこ > チャバ・キラーイという表記のようですね。キラーイが審査員をやっているリスト記念コンペティションの日本語参加要領にそう書かれてました。キラーイのプログラム、あらためて目を通すとすごいですね。 (11/24-01:39) No.3292
ふゆひこ > LOMさんのサイトでキシュのCD紹介読んできました。あまり演奏されない曲ばかりを集めて、CDを構成するなんて素晴らしい。AMAZON.COMの誰かのレビューも評価が高いですね。ただな…、ジャケットがね。なんか変だよね(笑)。 (11/24-01:45) No.3293
LOM > ジャケット…笑。たしかになんか変ですね。ゲッ、こんなヤツか、みたいな。
参考までに他の3つのCD(僕は持っていませんが)のジャケットも見てみましょう。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B0000UJABK/franzlisztand-20/ref=nosim
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B0001ELX5Q/franzlisztand-20/ref=nosim
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B0001FBR8I/franzlisztand-20/ref=nosim
自分の顔を見せずにはいられないのかな?
まぁ、ジャケットでピアニストを判断するのはやめといて(笑)、演奏そのものはなかなかいいです。ハワードと比べたら、やや荒いかな、という感じはしますが、ハワードは丁寧すぎ、と言うこともできます。Magyar dal の8番など、ハワードを聴いたときには全然何も感じませんでしたが、キシュを聴いて魅力を感じました。以後ハワードで聴いています。
僕自身の掲示板にも書いているので、これぐらいにしておきます。大井和郎もこんなマイナーな寄せ集めのCDを作ってくれないかな。 (11/27-17:35) No.3301
ふゆひこ > うーん、全部同じ傾向のジャケットだな…。“LISZT”っていうロゴが一番変なんだよね(笑)。肝心の演奏の方は魅力的なようなので、聴いてみたいです。このままどんどん、CDも継続して発売していくのなら、いまのうちから買い集めていけば、負担にならないかもしれないですね。(ただジャケットの方針は変えた方がいいと思う(笑)) (11/27-23:01) No.3306
LOM > ↑のサイトの管理人さんにメール出したら、親切に返答してくれますよ。
録音年のこととか、いろいろ尋ねました。
「ジャケットを変えましょう」って送ってみてはどうでしょうか(笑)? どういう返事が来るかな? 「キシュ本人が作ってるんです」とか(爆)。
こうして見ると、Hyperionのジャケは実に素晴らしいですね。僕は絵画には全然興味ないのですが、キシュとの違いぐらいは分かります。好きなのは第8巻と第56巻かな。 (11/27-23:11) No.3308
ふゆひこ > キシュのCDは『FRANZ LISZT SITE』の管理人さんが作っている、半分プライヴェート盤のようなものなのかな?だとしたら失礼なことを言っちゃったな。プライヴェート盤ならば、いろいろ事情もあるだろうから別にジャケットに文句は言いません(笑)。優れた絵画を使えばよいジャケットになる、というものでもなくてタイトルロゴの色、字体、大きさなどにデザインの差が出るんだよね。HYPERIONはその点優れてますね。僕は10巻、11巻が好きです。 (11/28-23:06) No.3311
ミッチ > おお、ブゾーニは連続演奏会ですね。ありがとうございます。
クリスティーナのジャケットは僕たちを笑わそうとしてるんじゃないでしょうか。その意味においては成功しています。(笑) (11/29-22:08) No.3315

トーマス・マンとリスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/11/25(Thu) 02:39 No.3297

図書館から、『トーマス・マン日記』の僕が持っていない巻を借りてきたので、リストに関する発言をピックアップしてみました。すべて紀伊國屋書店 森川俊夫 他 訳です。

『トーマス・マン日記 1933-34』
P177
1933年9月1日
“バイドラー夫妻と夕方の散策。夫妻は夕食まで残り、これにイルゼ・デルンブルクも加わる。ヴァーグナー=リスト=コージマ=ニーチェをめぐる小説を書けば面白いということが話題になる。きわめて興味ぶかいテーマであり、きわめて複雑かつ多岐にわたるヨーロッパ的・ドイツ的題材だ。リストとその女婿のあいだの(非常に決定的な)反感。小市民的な世界から育ってきたヴァーグナーのドイツ性に対するに、リストのヨーロッパ的精神性。(後略)”

これは僕のサイトで“リスト・パラフレーズ”のところで紹介している記述(リスト・パラフレーズは、すでに意味をなさないページになっているので、PAST LOGを“リスト・ディアロゴス”としたときに削除するつもり)。略した部分は、コージマとニーチェのそれぞれの性格をマンなりに簡潔に定義しています(その性格付け、分類は4人のキャラクターを対比させる形)。フランツ・バイドラーというのは、ワーグナーとコージマの孫とのこと。ワーグナーの娘イゾルデの息子になる。ワーグナー関連の著述家とのこと(『1937-39』のP50)。まず基本的にマンは周知のとおりワグネリアンです。僕はこの記述を読んだときに、トーマス・マンはリストも評価しているのかと思っていました。で、日記でいろいろ記述を集めると、どうも違ってくる。

1933年10月5日
P222
“ゆうべ読んだダグ伯爵夫人あてのリストの手紙は面白かった。”

↑バイドラー夫妻との会話から1ヶ月ぐらい後の記述。バイドラー夫妻との会話の影響で関心を持ってマンは読んだのかもしれないですね。

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ふゆひこ > 『トーマス・マン日記 1935−1936』
P254
1935年9月10日 
“ブダペストからリストの音楽。ヴァーグナーのドイツ性の方がどれほど悪質か、分かってはいるのだが、リストのヨーロッパ性は私の胸に響かない。”

↑この記述がマンのリストとワーグナーに対する感性、スタンスを決定的に表している気がします。

P534
1936年8月25日
マンはこの日に、ブルーノ・ワルターから礼状を受け取っています。おそらく、健康を害していたワルターに気遣う手紙をマンが送ったことに対する礼状かな。

“バイドラーは書斎でそのコージマ・ヴァーグナー伝の冒頭を朗読した。(略)それにもかかわらず何がしか学び識るところがあった。たとえば芸術の大家で反動的なリストの人物に私は一種興味をともなう戦慄を覚えたものである。” (11/25-02:40) No.3298
ふゆひこ > 以上の発言はすべてリストの精神性とか性格とかについてのアプローチ、発言ですね。音楽は後ろに隠れいてる。次は具体的にリストの音楽に対するコメント。

『トーマス・マン日記 1944-46』
P393
1945年2月18日
“ベルリオーズと比べると、リストはすこぶる凡庸な作曲家。”

P667〜668
1945年12月9日
“晩、音楽、リストの内容のないピアノ協奏曲。”

ちょっと典型的な旧世代の人のリストに対する感想のような気がします。リストについての興味深い発言は以上ぐらいかな。 (11/25-02:41) No.3299
ふゆひこ > トーマス・マンは20世紀の偉人の一人なので、日記に登場する知人・友人の名前がすごい人物ばかりなんだけど、注目するのはホロヴィッツです。トーマス・マンはホロヴィッツ夫妻と食事を共にしたりもしている。

『トーマス・マン日記 1933-34』
P237
1933年10月17日
“八時、Kおよび子供たちといっしょに音楽堂での定期演奏会へ。楽しくかつ面白かった。これまでレコードでしか聞いたことのないチャイコフスキーのピアノ協奏曲の独奏者はウラジミル・ホロヴィツ。きわめて華麗な新進ピアニストで、そのあと、ショパンとストラヴィンスキーをひいて完全に聴衆を魅了。”

これはホロヴィッツの1928年のアメリカデビューの伝説を想像させてくれますね。それから間もないころ。これホロヴィッツのサイトで確認しただけですが、
http://w1.854.telia.com/~u85420275/concertography.htm

“October 1933: Unknown Location ”っていうのがそうでしょうか?(1933でページ内検索しましょう)。ストラヴィンスキーとチャイコフスキーという点で一致する。このサイトでの情報だと不確定な部分が多い演奏記録のようですが、マンの記述が補完してくれます。


『トーマス・マン日記 1937-1939』
P154
1937年7月31日
“雨で外出を妨げられる。晩、少し音楽、ホーロヴィツの見事な演奏によるリストのソナタ。”

これは僕も持っている1932年の録音をレコードで聴いているのでしょうか?? (11/25-02:41) No.3300
ふゆひこ > 『ホロヴィッツ』 グレン・プラスキン著 奥田恵二 奥田宏子 共訳(音楽之友社)を図書館でぱらぱら見てきました。第10章『トスカニーニ一家』のところで、1933年秋にホロヴィッツがヨーロッパ・ツアーを行っていることがわかります。そのときの一回でしょうか?この年にホロヴィッツはワンダと結婚しているので、章のタイトルが『トスカニーニ一家』になっている。 (11/27-22:46) No.3303
ふゆひこ > 『トーマス・マン日記』はあと1冊刊行されていたので、また図書館で参照。

『トーマス・マン日記 1946-1948』 森川俊夫 州崎惠三 共訳 (紀伊國屋書店 2003年12月28日出版)
P53
1946年7月17日  パシフィック・パリセイズ
“夕食はビヴァリ・ヒルズのヴァルター邸で。アルマ・マーラーと一緒。家を褒める。ヴァルターはバッハの平均律プレリュード、五声のフーガを弾く。ヴァーグナーがリストに弾いてもらい、泣いたと言われる曲である。”

注釈で、平均律クラヴィーアの嬰ハ短調三重フーガ BWV849とのこと。マンが言及しているエピソードかどうか分からないのですが、ウォーカー FYを参照すると、P376にリストが平均率クラヴィーアをワーグナー夫妻に聴かせていることが書かれています。1878年4月8日から17日にリストはヴァンフリート荘に滞在し、そのときリストは“エステ荘の糸杉に”“アンジェラス!”を弾いて、ワーグナーは気に入ったとのこと。そしてコージマのお願いでリストはバッハの平均率クラヴィーアから何曲か弾いたそうです。ウォーカーは、コージマの日記を出典としているようです。コージマの記述は“それはとても驚くべき演奏で、その場にいた全員を喜ばせた”とのこと。 (11/27-22:48) No.3304
ふゆひこ > 同じく、『トーマス・マン日記 1946-1948』から
P110
1946年9月23日 
“ルービンシュタインと二人だけでわりと長く話す。それからアルマが加わり三人で。ルービンシュタインは映画ドラマの観点からシューマン=ブラームス映画、トスカニーニ、ストラヴィンスキイについて語る。”

これはアルマ・マーラー、ルービンシュタインといっしょの夜会での1シーン。P112の注釈によるとルービンシュタインが述べている映画は『愛の調べ』のようです。この映画でルービンシュタインがピアノ演奏を担当している。
ルービンシュタインは回想録『幸福なわが生涯』で“ほんとうに喜んで協力した”と述べている、とのこと。『幸福なわが生涯』というのは『華麗なる旋律』とか『ルービンシュタイン自伝』のことかな。 (11/27-22:49) No.3305

LISZT ≫Problemak≪ BARTOK ≪ハンガリー狂詩曲 第20番〜ルーマニア狂詩曲≫投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/09(Sat) 22:23 No.3052

さすらい人さんの書き込みからの続きです。『LISZT PROBLEME』のスレッドは長くなったのと、シェーンベルクとバルトークという興味深い大きな2つのテーマを含んでいるのでバルトークとシェーンベルクは分けるようにしましょう。『バルトーク』 伊藤信宏 著 中公新書1370 1997年7月25日発行 を買ってきました。

まず、いままでの会話で、テーマとされたバルトークの『リスト問題』というのは2つの見方があると思います。

I.リストのハンガリー風の曲(あるいはジプシーの音楽こそが芸術性が高くハンガリーのものであるという主張)に対する、バルトークの反論。総称して『リスト問題』
 (バルトークは1906年〜1918年に継続的に、農村をめぐり民謡の収集活動を行う)
II.1934年(1935年5月?)のバルトークの『リスト問題』という講演の意味。
  ※中公新書『バルトーク』では、バルトークが科学アカデミー会員に選ばれたのは1936年となっています。ヘルム『リスト』の年号とうまく合わないな・・・

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ふゆひこ > まずこの本にあたることで、簡単に判明することから(TAKINさんのNO3031と僕のNO3034について)。

P123 “彼によるリストをめぐる文章は、実に複雑なニュアンスを持っており、簡単には要約できない。(略)「リストに関する諸問題」では、彼はむしろリストを擁護しようとしているように見える”

という文章があり、この講演は、

P123 “リストのことを語りながら、バルトークが実は自分のことを語り、そして周囲の無理解に対して痛烈な非難を浴びせていた”

という読み方を、ティボール・タリアーンが説明しているようです。同書P124をまとめると、“ハンガリー科学アカデミー会員に選ばれた”という一見、名誉ある背景は、実はそこにいたるまでのゴタゴタがあるようです。まとめると、

(1)前年に、(1935年?)ハンガリーの文化団体が、バルトークの“組曲第1番”グレグス・メダルを授与(グレグス・メダルってなんだろう??ネットでは分かりませんでした)
(2)グレグス・メダルの授与対象が“最近5年間に初演された”、という条件があることを知ったバルトークは
   “組曲第1番は20年以上前に初演されているじゃないか。まるで、昔の作品は良かったが、最近の私の作品はダメだと言わんばかりだ。そんなメダルはいらん”(←これは僕の、かって要約文)
   と憤慨。
(3)別に悪意のなかった体制側は、バルトークをハンガリー科学アカデミー会員に選出して、“失態をとりかえ”そうとした。

それで、『リスト問題』の講演につながる、とのこと。筋がとおってますね。納得できます。ただ僕は、このタリアーンの考えだけによることも危険だと思っています(伊藤信宏さんも、『リスト問題』の講演文を、そのまま読むのは危険であり、タリアーンのような見方も加味しなければならない、という複合的な捉え方)。バルトークの『リスト問題』が、どのように“リストは我らのもの”に収録されたのかが知りたいですね。 (10/9-22:27) No.3053
ふゆひこ > 伊藤信宏さんの、ラヴェルの“ツィガーヌ”の話は面白いです。伊藤信宏さんは、かなり注目して、バルトークの“ツィガーヌ”に対する発言などを調べています。ざっと読んだ感じ、伊藤信宏さんは次の対立する事実の関連を整理しようとしています。

A.バルトーク→ハンガリー(あるいは周辺国)の農民の民謡を調査、分類(このAがベースとなります)
B.ラヴェル→(伊藤信宏氏の推論で)おそらくバルトークのAの論旨、姿勢を知っていたにも関わらず、オリジナルを無視したリスト流儀の“ツィガーヌ”を作曲
C.バルトーク→ジプシーの旋律を使った、一見、Aの姿勢に反するような“ラプソディ”を作曲。


Cについては、バルトークの思想に変化があり、農村に根ざしたジプシーを、ハンガリーと対峙させるのではなく、都市←→農村という図式で捉え、ジプシーを“農村”の側に入れて考えるようになったそうです。

P156 “バルトークが自分の作品で使った旋律は、ジプシーの旋律であっても、リストの場合のように都市の趣味によって毒されたものではなく、農村に完全に同化したものである、という点で彼の基準に抵触するものではなかった。”

ここの部分が、おそらく、さすらい人さんの言われる、“それでは他の文化はどうなのかと言う問題。この問題こそがリストとバルトークの問題と重なる”というところにつながるのかな、と僕はイメージしました。 (10/9-22:29) No.3054
ふゆひこ > 最上段の I の背景に、話を移すと、バルトークは1906年〜1918年を中心として、民謡収集の活動を行っているので、具体的なナチスの台頭は関係ないですね(ナチズム誕生にいたるまでの背景的な風潮、世相には当然、影響を受けているでしょう)さすらい人さんの言われる『農村探求者』という話は難しいですね。ハンガリーの政治状況を調べないと分からなそう。共産主義思想とかと結びつけると、しっくりくるんだけど・・・・19世紀のナロードニキとか。バルトークがどういう政治思想だったか、とか、もっといろいろ調べてみます。 (10/9-22:31) No.3056
TAKIN > (ふゆひこさんの書き込みを見る前に書いたので、ちょっとかぶっていますが乞御容赦)
伊東氏の本によれば、問題の講演でバルトークは、リストの取っつきやすい作品だけがもてはやされて真に重要な作品が知られていないことを指摘しています。それはそれでもちろん正しいでしょうが、それはバルトークについても言えることなので、伊東氏は彼は実は自分のことを言ったのだと解釈しているわけです。
バルトークは第一次大戦後間もなく成立した(短命の)左翼政権下で音楽院の要職についていたので、その後の右派政権下(音楽院長も保守派のフバーイに変わった)では居心地が悪かったようです。政治的にも芸術的にも保革対立が厳しかったわけで、そういう状況下では「民族性」などという観念は御都合主義的に利用されやすく、バルトークも馬鹿げた批判を受けたことがあります。そんな中でのリスト記念講演ですから、「彼はナショナリストが勝手に利用できるような存在ではないのだ」という主張ともとれます。
要するに「リストのハンガリー民族音楽に関する認識は正しくない。しかし彼の作曲家としての真面目はもっと別のところにある」というのがバルトークのリスト観じゃないでしょうか。
(10/10-01:16) No.3057
さすらい人 > バルトークは、農村の音楽こそハンガリーの固有の音楽である考えですが、それは当時の思想・文化の流れの影響もかなり大きいはずです。農村探索者をはじめ、当時のハンガリーの文化人の面白い特徴は、マジャール人ではない人が農村などに残されている文化に夢中になったという点だといわれています(バルトークはユダヤ人でした)。都市の文化は西欧風に毒されているとか、ハンガリーの文化ではないというのが、彼らの主張でした。リストのハンガリーの民族音楽の認識は正しくないというのは、そういう時代背景もあると思います。 (10/10-15:43) No.3058
ふゆひこ > だいたい皆さんの話が、僕の中でつながってきました(この掲示板を読んでいる他の人もそうじゃないかな?)。

最上段、Uに関して。同書 P162〜163。まず要約すると、ハンガリーがファシズムへ進行していくゲンべシュ内閣下にある1934年(Uとほぼ同じ年号です)に、バルトークはリスト音楽院ピアノ科教授の職を辞めて、科学アカデミーで民族音楽研究の職につく。

“ナチス・ドイツの芸術政策は、文学における「農村探索」運動、音楽における農民音楽研究と一定の親和性を持っていた。ナチズムの美学に抵触する芸術を見せしめとして展覧に供した「頽廃芸術展」に対して、ナチス公認の芸術を展示した、「大ドイツ美術展」に農村風景、農民を描いた作品が多かったことにそれは端的に現れている。”

こんどは文学の「農村探索運動」というのを調べてみたいな。「頽廃芸術」というのはDECCAがシリーズで出しているから、なんとなく分かるんだけど(コルンゴルドとか、ゴルトシュミットとか)、ナチズムが“農民”を描く芸術を推奨したというのが意外でした(僕にとってナチス推奨の芸術の代表は、ワーグナーとリーフェンシュタールの映画『民族の祭典』)。これも調べてみたいです。 (10/11-12:49) No.3061
ミッチ > いつものように自分の勝手な意見を書かせていただきますが、バルトークがリストの作品の真の傑作が取り上げられないことを嘆いていたのは本当だと思います。残っている録音を見てみると、バッハの動機による変奏曲、悲愴協奏曲(ビュロウ編曲で共演者はドホナーニ)など、あまり取り上げられない作品です。あとバルトークはスペイン狂詩曲がお気に入りみたいで、最近読んだバルトークの本には少なくとも5回以上「スペイン狂詩曲」の名前が出てきました。これらの曲目を見ただけで彼がリストの研究に没頭していたことが容易に推測できます。
それから、「リストはハンガリーの国民性を傷つけた」という批判はやはりバルトークがしてました。どこの文章で批判したかは、わかりません。
(余談ですが、バルトークはリスト直系ピアニストという話を過去にこちらでしましたが、ドホナーニもダルベールの弟子ということでリスト直系のピアニストです。この二人の共演はぜひ聴きたい!ついでにドホナーニはシフラの師です)
ふゆひこさん LISZT ≫Problemak≪ BARTOK このタイトルの付け方好きです。カッコにも矢印にも見えて。 (10/11-21:33) No.3072
ふゆひこ > ここまで話して、基本的にバルトークがリストのどのような音楽を演奏したか、好んだか、という点に立ち返ると、全体の見通しが良くなりますね。そういえば、バルトークは1936年にリストの“ルーマニア狂詩曲”を出版してるんですよね(発見したってことかな?)。『リスト問題』の講演からそんなに年数が経ってない。中公新書『バルトーク』を参照すると、ちょうどこの頃、バルトークはルーマニアの民謡収集と分類の完成に力を注いでいたようなので、その副産物的なものだったのかもしれません。バルトークの“ルーマニア狂詩曲”に対する発言を知りたいな。タイトル気に入っていただけましたか(笑)。リストとバルトークの間にある“問題”というのをビジュアル化してみました(笑)。 (10/13-00:09) No.3087
さすらい人 > 『農村探索者』の人の中には、ナチスと結びついいていく人がいました。共通点を持っていましたから(そのこともあって、今でも農村探索者の影響を受けた政治運動などは右派とみなされることもあります)。ただ、農村探索者というのは、各々が違う思想の持ち主で、共産主義に惹かれる人も当然いましたし、独自の方法論を考える人もいた。もし、農村探索者のことを知りたいのでしたら、ハンガリーの研究者の南塚信吾氏の本を読むといいと思います(自分の卒論の時にかなり読みました)。『静かな革命』がおすすめです。あと、文学作品では、イエーシュの『プスタの民』、ジラヒの『怒りの天使』あたりが有名で(古い本も置いてある図書館、大学の図書館にはあると思われる)、他にも東欧文学集の中にも農村探索者たちの作品があるのではないかと思います。
そういえば、バルトークはブゾーニがピアノとオーケストラ用に編曲した『スペイン狂詩曲』を初演してますね。ブゾーニ指揮、バルトークがピアノで。 (10/13-10:46) No.3097
ミッチ > いつも話しを変えて申し訳ないのですが、以前「ハンガリー狂詩曲第20番・ブゾーニ編はルーマニア狂詩曲だと思います」みたいなことを仰ってましたよね。もしよければ、詳しい事を教えていただけないでしょうか。(最近質問ばかりでごめんなさい)
というのも、こちらでブゾーニの作品に関する本を読んだのですが、そこには、ブゾーニ編はベルリン国立図書館に所蔵されていて、原曲はヴァイマールのリストハウスに所蔵されていると書いてあって、ルーマニア狂詩曲についての言及がまったくされてませんでした。そしてどこかの海外サイトにリストのハンガリー狂詩曲20番はリストハウスに未発表のまま眠っている。と書いてあったのです。そのサイトの信憑性はわかりませんが、少なくともブゾーニの本と同じ事が書いてあったということです。今度、本気でベルリンに行こうかと考えてます。(笑) (10/14-21:28) No.3102
ふゆひこ > さすらい人さん。次の土曜日に図書館に行く予定なので、『静かな革命』を参照してみます(パラパラっと読むだけになりそうですが)。ジラヒの方はネットで検索すると、昔は新潮文庫でも出ていたようですね、『瀕死の春』という書籍が古書で流通していました。思えばハンガリーの文学作品というのは、いままで1作も読んだことがありません。これを機会に何か読んでみたいです。 (10/15-01:46) No.3106
ふゆひこ > ミッチさん。PAST LOGで『Liszt edited by Busoni』のところで会話したことですね。僕は、なんか間違ってるかもしれない。とりあえず、僕の情報の出典を明記します。

ワトソン『リスト』P76
“During these wanderings Liszt inevitably encountered many gypsy musicians and worked on‘Magyar’pieces including the first ‘hungarian Rhapsodies’as well as finding material for his ‘Romanian Rhapsody’(published by Baltok,1936)”

ワトソンの“Romanian”は原文ママです。これでは“ローマの”になっちゃいますね。誤字でしょう。“Rumanian”の方が正しいです。

ウォーカーVYP437
“This was the origin of the so-called Rumanian Rhapsody,which remained unpublished until 1936,According to Bartok,Liszt used themes that he had heard in the distinct of Szatmar”

ハワード 第29巻のライナー。P5
“NO 20,the so-called Rumanian Rhapsody,which has been very misleadingly called‘Hungarian Rhapsody No 20’by a number of ignorant writers” (10/15-02:08) No.3107
ふゆひこ > 抽出される情報として、

“ルーマニア狂詩曲”は1936年にバルトークによって出版された。その曲は、よく“ハンガリー狂詩曲 第20番”と勘違いされる。

となります。僕はブゾーニについての情報は、ミッチさんから教わったことのみです。ブゾーニは1924年に亡くなっているから、バルトークによる出版とは年が合わないですね。“ルーマニア狂詩曲”とは別に“ハンガリー狂詩曲第20番”があるのか、それともバルトークが出版したものがブゾーニ編なのか、あとバルトークが出版した、というものがリストの“ルーマニア狂詩曲”であるということ自体も、自信なくなってきました(ワトソンの記述を僕が誤読しているかも。バルトークは、もとになった民謡を出版しただけかも)。 (10/15-02:20) No.3108
TAKIN > 重箱の隅で申し訳ないですが、手許の辞書によると、ルーマニアの英語綴りは Romania, Rumania, Roumania の三とおりあるようです。したがってワトソンの綴りも間違いではありません。 (10/16-01:45) No.3110
さすらい人 > ちなみにルーマニアがRomaniaと書くのは、彼ら自身がローマ人の末裔であると言っているからです。実際には違いますが。 (10/16-14:08) No.3112
ミッチ > 僕の知っている情報も明記します。一部重複
1.「Busoni Werkverzeichnis」ユルゲン・キンダーマン著 が上で言及した本で「ハンガリー狂詩曲20番(1900)となっていて、素直に考えるなら編曲された年でしょう。
2.上で言及した海外サイトはブックマークができないので、アドレスがわかりません。個人のサイトで出典が明記されてなかったことを付け加えておきます。
3.ブゾーニのサイト「http://www.rprf.org/Busoni.htm」で「ハンガリー狂詩曲20番・未出版とのこと。
4.グローブ音楽辞典・セカンドエディション第4巻P674に「ハンガりー狂詩曲20番ブゾーニ校訂」が明記されていたんですが、この辞典の14巻でリストの所を見ても言及なし。ただし量がすごくて精読はしてません。 (10/16-22:06) No.3113
ミッチ > そのワトソンの英文からだとバルトークが出版したものは「素材」ではなく「ルーマニア狂詩曲」そのものだと思います。しかもウォーカーの年号(1936)と一致していますね。
出版年とブゾーニの没年は気にしなくていいのではないでしょうか。ブゾーニの編曲(校訂?)は現在でも未出版ということです。
僕の中で「ハンガリー狂詩曲第20番」=「ルーマニア狂詩曲」という可能性が濃厚になってきました。ブゾーニがバルトークのデビューコンサートに行った、など色々お話しましたが、この二人は交流があったので、リストのことに関してもやり取りは色々あったことが推測されます。この二人は音楽史上最高のリスティアンです。グローブ音楽辞典でも「ルーマニア狂詩曲」とは書いてありませんがブゾーニが「ハンガリー狂詩曲20番」という「名前」で編曲をしてしまったのなら、そう書くしかないのではないでしょうか。ブゾーニの死後、実は「ルーマニア狂詩曲」だったことがわかった、という可能性もありますね。個人的には違う曲であって欲しいです。なぜなら、ハワードが言うところの「多くの無知な著者たち」にブゾーニを仲間入りさせたくないので。(笑) (10/16-22:29) No.3115
ふゆひこ > TAKINさん、さすらい人さん。失礼しました。僕の辞書でもROMANIAN=RUMANIANとなっていました。ワトソンに謝らなければならないですね。ごめんなさい>ワトソン(笑)。重箱の隅は重要ですよね。重箱の隅に空いた穴が、タイタニックを沈没させることもある。訂正いただいて感謝です。 (10/17-00:49) No.3117
ふゆひこ > ミッチさん。前回の書き込みで“ぜひ出典を教えてください。照らし合わせましょう”と書くのを忘れて“失敗した”と思っていたところでした(笑)。教えていただいてありがとうございます。

ミッチさんの情報の出典では、ダントツで信頼性が高いのは“4”のグローブでしょうね。ミッチさんのNO3115のストーリーは、しっくりきますね。納得できます。僕は明日、EMBのリスト“ルーマニア狂詩曲”の楽譜を参照してこよう、と思ってます。そこの解説に何か書いてあることを期待。 (10/17-00:57) No.3118
ふゆひこ > 昨日、『静かな革命』 南塚信吾 著(東京大学出版会)をパラパラっと図書館で参照してきました。とてもパラパラでは内容は理解できない書籍です(笑)。それでもさすらい人さんに背景を教わっているので、だいたいのイメージだけでも知ることができました。アディの意思をついでつくられた協会でしょうか。アディ協会というグループでは文学、音楽、美術において農民のために農民とともに活動しようとする人々が集まる。その中にはコダーイも参加していますね。『プスタの民』のイエーシュも参加している。『静かな革命』とはコヴァーチという人の著作名でもあって、農民達の“移住、宗教異端への逃避、一人っ子、諦念”といった態度を表しているようですね。僕には、これらの態度を“革命”と称する考え方も斬新でした。 (10/17-11:39) No.3119
ミッチ > 僕が気になることを少し
1.グローブ音楽辞典14巻に「ハンガリー狂詩曲第20番」の言及なし
少しわかりやすく書きますと、第4巻は「ブゾーニの作品表」が載っていて、第14巻は「リストの作品表」が載っている巻です。で、14巻の方に載っていないという事が、「20番=ルーマニア狂詩曲」のほぼ決定打のような気がします。でも、ペラペラめくってただけなので、今度時間が取れたら、また読んでみます。
2.ハワードが録音していない
これも決定打に近いような(笑)。。存在するのならこのお方が録音していると思います。ただし、「死の舞踏」ファースト・ヴァージョンのようにハワードがアクセスできない楽譜がいくつかあるということで、はっきりはしませんね。(ハワードがアクセスできない楽譜がどれだけあるのか気になりますよね)
3.ウォーカーの「1936年に至るまで出版されなかった」という言及
上で、ふゆひこさんが(バルトークが発見したってことかな?)と疑問を書かれてましたが。バルトークが発見したのなら「20番=ルーマニア狂詩曲」という可能性がかなり低くなりますよね。「新発見」ってある程度、劇的なことだと思うんです。でその時に発見されたのなら、「undiscovered…」っていう風に書くと思います。だから、その曲の存在は前々から知られていたのではないかと、勝手に想像してます。(ウォーカーがバルトークの事を言及していないのが気になりますが、これまた別の話ということで) (10/18-18:00) No.3123
ミッチ > ちなみにグローブでは「編曲」ではなく、「校訂」となっています。以前、ブゾーニは編曲だか校訂だか判断が難しい、という話題になりましたが、僕の中で少し理解ができました。ショーンバーグの「偉大なるピアニスト」からの引用で、ブゾーニがフランクの「プレリュード・コラールとフーガ」を書き直したことを批判され、それに対してこのように言ったそうです
「彼は、彼の求める効果をどのようにして表現するかを必ずしも知っていたわけではない。」
「だから書き直してやったのだ」の言わんばかりです(笑)。要するにブゾーニの中で編曲と校訂の区別は無かったのではないでしょうか。もしそうなら、それを僕たちが判断するのが難しいのは当然ですよね。ちなみに「ドンジョバンニの回想」はアレンジメントでもエディションでもなく、クリティカル・リコンストラクションです。 (10/18-18:18) No.3124
ふゆひこ > 昨日、近所の楽器屋さんにEMBの楽譜を見に行ったんですけど、“21のハンガリーの民族旋律”の入った楽譜がありませんでした。残念。そこになんか書いてあると思うんですよね。ミッチさんの推理は筋が通ってますね。納得できます。ハワードはオリジナルの楽譜が手に入らない場合にのみ、やむなく他の人の手の入ったものを参考にしたりしていると思います。リストによるオリジナルがバルトークによって出版されているなら、ブゾーニの手が入った楽譜は無視するでしょうね。けれどもまったく別の曲ならば、ブゾーニ編でも録音したでしょう。“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”だってブゾーニ編の独奏曲があるのに、リスト・オリジナルのピアノ連弾版を使った。(1)リストのオリジナルスコアか?(2)ピアノ独奏曲か?という2つのルールを天秤にかけ、後者を捨てた結果だと思います。 (10/18-22:15) No.3126
ふゆひこ > 3のウォーカーの記述についても納得です。確かに“発見”という成果は“出版”よりも重要視されるはずですね。リストの“ピアノ協奏曲第3番”は、ずい分昔から、存在は知られていたんだけど、“第1番の草稿”かと思われていた、とのこと。そこでローゼンブラットが“別の曲だ”と断定した。ブゾーニ〜バルトークの流れもこれと似たようなもの(ブゾーニの勘違い→バルトークによる訂正、判断)と考えるとしっくりします。もう少し調べてみます。 (10/18-22:26) No.3127
ミッチ > わはは!笑いが止まりません。僕がよく行く図書館があるのですが、そこにリストの本がたくさんあって、暇を見つけて、少しづつ読んでいるんですが、タイトルがはげかかってる古そうな本があったんです。リストの本だとは分かっていたのですが、今まで手にとって見ることがなかったんです。で、昨日その本のタイトルをよーく見てみたら、「Franz Liszt - Beitrage von ungarischen Autoren」(フランツ・リスト - ハンガリーの著者たちによる寄稿)というタイトルだったんです。中を見れば、バルトークの「リストの諸問題」が収録されているではないですか!信じられません。いやぁ、「ドイツ語か英語で探してみます」とは言ったものの「どうやって探そうかな?」と思ってたんですがこんなに簡単に見つかるとは。これも思ったより短いです。シェーンベルクの「フランツ・リスト 作品と本質」の2倍から3倍くらいです。
ありがとうございました。 (11/4-02:24) No.3179
ふゆひこ > ドイツ語訳されてるんですね。驚きです。といってもドイツ語では僕にはつらいですが(笑)。もし読み進められて、よければバルトーク以外の寄稿者の論調がどんな感じか、ちらっと教えていただけるとうれしいです。 (11/5-01:34) No.3183
ミッチ > パラパラとめくっていたら、「25年前にリストに関する記事を書き...」という記述があったんです。で、目次が最後のページだったんですが、そこを見るとそのもうひとつの記事もこの本に収録されているではないですか!最高!1911年にリスト生誕100周年を記念して書かれたものということでシェーンベルクのと事情は同じです。タイトルは「リストの音楽と今日の聴衆」というものでした。「リストの先進性を認め、当人たちも先進的な作曲家2人」が「リストの生誕100周年に記念エッセイを寄せている」という共通点があるのならば、ウォーカーが「その槍はバルトークとシェーンベルク、その他に拾われた」と言いたくなるのもいまさらながら納得がいきます。 (11/9-21:35) No.3205
ふゆひこ > そのバルトークの1911年の文章というのは、翻訳されている『バルトーク音楽論集』に入っているのかな。今度、確認してみます(立ち読みだけど(笑))。『リスト問題』の文章の方が、バルトークを取り巻く情勢を考慮しないとそのまま受け取れない文章なのだから、その2つの記述を読み比べれば、バルトークのリストに対する考えが見えてきますね。 (11/12-01:20) No.3211
ミッチ > バルトーク音楽論集に入っていたかどうかと僕も思いました。もし入っていなくても「リストの諸問題」をチェックしてみてください。冒頭すぐに「25年前に...」の記述が出てきます。 (11/18-21:40) No.3255
ふゆひこ > 昨日、今日と、本屋に行ったんですけど『バルトーク音楽論集』が売れちゃったみたいです。図書館に今度行きます。あと上の方で、話している“ハンガリー狂詩曲 第20番? ルーマニア狂詩曲?”の話ですが、EMBの第18巻を確認してきました。EMBはややこしいことに、“20. UNGARISCHE RHAPSODIEN”というタイトルで載せています。第3巻と第4巻の“ハンガリー狂詩曲集(S244)”のタイトルにも “UNGARISCHE RHAPSODIEN”を使用しているから混乱します。解説を読むと(立ち読みレベル)、ブゾーニの名前は出てきませんでした。やはりこのルーマニア狂詩曲=ハンガリー狂詩曲 第20番というのは、様々な学説があるというようなことが書かれており、EMBはゾルターン・ガルドニ(Zoltan Gardonyi)という学者(作曲家でもあるのかな?)の説をメインの拠り所にしているようです。“ルーマニア狂詩曲”が“ハンガリー狂詩曲第20番”なのかどうか、という疑問については、(1)リストがこの曲をどのような位置づけで考えていたか(2)音楽理論上(構成とか)で“ハンガリー狂詩曲”のグループに入れてもよいかどうかの点、が争点なんでしょうね。ハワードの考えが一番最新のもので整理されたものなんじゃないかな。ガルドニの著作は1978年のもののようなので(←立ち読み知識なのであやふや)。ですけどブゾーニが校訂(編曲?)した“ハンガリー狂詩曲第20番”が=“ルーマニア狂詩曲”なのか?という疑問が依然としてはっきりしないままですね。 (11/22-00:39) No.3279
ミッチ > わざわざありがとうございます。グローブ音楽辞典もEMB同様にそのタイトルで載せていました。僕もあれからほかのブゾーニの書籍にあたってみたのですが、同じような情報しか得られませんでした。もし同じ曲ならどっかに注釈でも書いてあってもいいと思うんですけどね。そのガルドニという人はハワードに言わせると「多くの無知な著者」の一人なのかな?(笑) (11/22-18:40) No.3280
ふゆひこ > EMBに載ってると思ったんだけどな。ちょっと行き詰ってしまいましたね。ハワードのカタログが発売されるのを待つしかないかな。上の僕の記述は、僕のいい加減な英語読解力で立ち読みしただけなので、ぜひ楽譜を持っている人は各々あたってみてください。ゾルターン・ガルドニはEMBのリスト全集の編纂に関わっているようです。“ルーマニア狂詩曲”に対するガルドニの考えというのがよく分からないんですが、ハワードは57巻のハンガリー狂詩曲の巻で、ガルドニの著述(イギリス・リスト協会のジャーナルに収録されたようです)を“素晴らしいもの”として参照しているようです。↓これはハイペリオンのサイトで公開されているハワード57巻のライナー。
http://www.hyperion-records.co.uk/notes/67418.html (11/23-00:32) No.3285

回想のエリーゼ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/11/19(Fri) 01:19 No.3260

下で書いたヘタエラ・エスメラルダを原作の方で確認して“なんで、ヴィスコンティはエリーゼのためにを使ったのかな?”と思い、ちょっと考えてみました。その曲がそれぞれの作品で使われた本当の目的は、いろいろ調べないと分からないけど、“受け手に与える効果”という側面から考えてみることはできると思います。

マルグリット・ゴーチェが弾く“舞踏への勧誘”が持つ効果。僕はウェーバーが与える印象は、基本的に“趣味の良さ”だと思います。マルグリットがそこそこピアノが弾けて、また曲に対する趣向も良い、ということを読者に印象付ける。

マンの『ファウストゥス博士』で、“魔弾の射手”の作品名が登場する効果はちょっとわからないです。しかし“ロ長調からハ長調への転調”のピアノによる和音というのは何か、鬱屈した雰囲気の中の弱々しい清涼さとともに、不安定さを感じさせます。

ちなみに『ファウストゥス博士』に登場するヘタエラ・エスメラルダは、ヴィスコンティの『ベニスに死す』のエスメラルダとは印象が違います。もっと妖しい。トーマス・マン『ファウストゥス博士』上巻 岩波文庫 関泰祐 関楠生 訳P253

“褐色がかった肌の女がぼくのそばにやってきました。スペイン風の胴着を着、口が大きく、しゃくれ鼻で、巴旦杏のような目をした、エスメラルダ蝶のようなおんなでした(略)”

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ふゆひこ > それに対しヴィスコンティの『ベニスに死す』のエスメラルダが弾く“エリーゼのために”。なんでヴィスコンティは、マンの原作の通り、主人公にピアノを弾かせなかったのか?なぜ“魔弾の射手”のフィナーレのような“ロ長調からハ長調への転調”ではなく、“エリーゼのために”を弾かせたのか?

“エリーゼのために”を使う効果として考えられるのは、まずエスメラルダの清純さ、他の娼婦とは違う純真さというのが印象として生じると思います。実際、ヴィスコンティは美しい女性を起用している。で、それよりもですね。もっと強い効果は、“回想”だと思うんですよ。『ベニスに死す』のこの場面も、アッシェンバッハの回想です。“エリーゼのために”という曲は、おそらく世界中の(この曲が知られている文化圏にある)人々すべてにとって、ノスタルジーを伴う曲として存在し続けているんじゃないでしょうか。“昔、弾いたことがある”“昔、自分の子どもが練習していた”“昔、好きだった女の子が弾いていた”etc...。ヴィスコンティがここで“エリーゼのために”を使うことで、観賞者にもアッシェンバッハと同じ郷愁感を生じさせることができる。 (11/19-01:20) No.3261
ふゆひこ > 同じように、過去の回想で“エリーゼのために”を使った映画で、スティーヴン・キング原作、トミー・リー・ウォレス監督の『IT』があります。物語の終盤で、主人公にまとわりつく悪夢として死んだはずの弟が“エリーゼのために”を弾く場面が呼び起こされています。 (11/19-01:21) No.3262
ふゆひこ > いかんいかん、ここで強引にまたリストに“エリーゼのために”をつなげないと(笑)。リストは“エリーゼのために”を弾いたんでしょうか?あるいはどう思っていたのか。ネット上の知識ですが、まず“エリーゼのために”は1810年に作曲されている。リストが生れる前の年。けれど発見されたのは1865年(そして1867年出版)。ベートーヴェンの死後40年経って出版されている。リストが“エリーゼのために”という曲の存在を知りうるのは54歳以降ですね。現代において“リストの曲が発見された”というのと同じようなインパクトが当時あったんでしょう。なんか記述がないかと僕の持っている書簡集とかで確認しましたが、特になにもないです。けど、この“エリーゼのために”を発見したのはルードヴィヒ・ノール。リストとも親交のある学者です。リストとも何度も書簡のやりとりをしている。発言があるとすれば1865年〜1867年あたりで、リストのノール宛書簡などででてきそう。こんど図書館で、持っていない書簡集で調べてみます。 (11/19-01:21) No.3263
ぺとらるか > 「エリーゼのために」は昔から「猫ふんじゃった」についで、ピアノを習ったことのない子が見よう見真似で弾く曲。タジオはポーランド貴族の生まれのようだが、まったく教養もないらしい。本来ならショパンをばりばり弾いてもおかしくないはずだけど。また、才能があれば姉妹のレッスンを聴いてモーツアルトのソナタでも覚えてしまうでしょう。いかし、タジオは腕白で、砂の城(Le chateau de sableこれは、はかなさの象徴でしょうね)作りに興じ、男色癖のありそうな悪友に弄ばれている。いわば無垢さのシンボルですね。美以外は何ももっていないのです。ゆえに地位も名声も才能も手にしたアッシェンバッハが最後にたどり着いた無償の愛の対象となったのです。思えば、あの娼婦も無垢に見えた。あの日が初めてだったのかも知れない。少なくとも他の垢だらけの同僚たちより白く見えた。マーラーはリストほどじゃないにしても、モテモテ男だったから、ああした場所が必要だったかわからないけど、あれは
圧倒的な知的レベルの違いを知らしめるための演出だったと思う。ひと昔前の現代パリだと随分違うけどね。ルイス・ブニュエル監督の「昼顔」あたりだと、大学教授が床にはいつくばって、娼婦に蹴らせたり、鞭打たせたりしてもらう。ピアノなどなく、女たちは別室でポーカーに興じている。
さて、54歳のリストには子供時代のエリーゼ体験はないので当然感傷はないはずです。だが、あの純粋な覚えやすいメロディを聴いて、フッと微笑んだことはありえます。それで作風が変わるとは思いませんけどね。 (11/20-01:19) No.3269
ふゆひこ > 『ベニスに死す』を観ていない人には、わかりづらくなってきたと思うので、事実を整理すると、僕自身失念していたのですが、

まず現在。滞在するホテルで、タッジオが片手でたどたどしく“エリーゼのために”を弾きます。それがアッシェンバッハに過去の記憶をフラッシュバックさせる。過去の記憶の場面に変わり、それが娼館の場面。エスメラルダが“エリーゼのために”を弾いている。エスメラルダは両手でしっかりと演奏しています(もっとも弾いている手は映りませんが(笑))。 (11/20-02:02) No.3276
ふゆひこ > あと、おまけ。『IT』でも最後の方だけでなく、冒頭の方でも母親が“エリーゼのために”を弾いている場面が回想されていました。 (11/20-02:05) No.3277

『マルグリットとアルマン』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/11/15(Mon) 00:51 No.3231

ヌレエフの『I AM A DANCER』がお店にないので、シルヴィ・ギエムの方を買ってきました。ほんとにリストのソナタロ短調を全曲使ったバレエです。ソナタロ短調のドラマツルギーを非常に上手く利用してますね。ソナタロ短調の深淵な世界をバレエ化した、というわけではないです。つい先日、廉価版で再発されたばかりだよ。↓

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00061QV92/reminiscedefr-22 

ソナタロ短調の最初のレント・アッサイの導入部から、病に臥しているマルグリット。sempre staccato ed energico assai と書かれているあたりから徐々に回想に入り(この辺はデュマ・フィスの『椿姫』と同じですね)、グランディオーソでアルマンの登場。そこからゆるやかなところから、二人の恋愛を育むバレエが続きます。アンダンテソステヌートの部分で、前半がアルマンの父による別れ話の持ちかけ、もりあがるところでアルマンの登場。ここはソナタロ短調のトリスタン的な愛の成就の、最高潮の部分のはずですが、結構あっさりとした踊りになっています。後奏部分を静かに踊り、フガートのところで、破局の場面につながっていきます。stretta quasi presto のところで回想は終わり現在のやつれたマルグリットの場面に戻り、PRESTOのところから、アルマンの父が登場、グランディオーソの旋律が出てくるところでアルマンとの再会となり、後はマルグリッドが息絶えるまで、二人の最後の踊りが続きます。

動機に意味を持たせているとしたら、冒頭の動機は“不安”で、グランディオーソの主題が、アルマンの登場っていう感じかな。

ピアノ演奏はフィリップ・ギャモンという人。この人は英国ロイヤルバレエ団の専属ピアニストなのかな。ヌレエフ〜フォンテインの初演時も担当したとのこと。演奏はやはりリズムとか旋律の歌いまわしとかを、バレエにじゃっかん合わせているような気がします(主役はバレエなので、強い解釈を主張した演奏ではない、ということ)

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ふゆひこ > 下でじょるじゅさんも書かれていますが、マルグリット・ゴーチェのモデルとなった、マリー・デュプレシスとリストの関係は、ウォーカーのVYP390〜391に記載されていました。1845年11月に、マリー・ダグーとリストの母親も診てもらっていたコレフという医者の紹介で出会ったようです。非常に感慨深いのは、マリー・デュプレシスは、リストに“どこかにいっしょに連れて行って欲しい”と頼み、リストは“コンスタンティノープルへ連れて行く”ことを約束する。リストがコンスタンティノープルに行くのは1847年6月。マリー・デュプレシスはその同年に23歳で亡くなっています。デュマ・フィスが『椿姫』を発表するのは翌年の1848年。
(11/15-00:52) No.3232
ふゆひこ > 『椿姫』は10年ぐらい前に読んで、すっかり物語を忘れてしまっているのですが、あらためてパラパラ読んでみると、マルグリットがピアノを弾く場面がありますね。岩波文庫 吉村正一郎訳 P95からです。

“「ちょいと、ガストンさん、あたしに≪舞踏への勧誘≫を弾いて聞かせてくださらない?」
「どうして?」
「まずあたしがきいて楽しみたいの。それからもう一つには、あたしまだひとりじゃうまく弾けないの。」”

“舞踏への勧誘”というと、『パリのヴィルトゥオーゾたち』で書かれているリストとレンツの場面が思い出されます。まさかガストンがリストをモデルにしている、というわけではないでしょうけど。 (11/15-00:52) No.3233
ふゆひこ > おまけ。振付のフレデリック・アシュトンは、ロンドンのマリー・ランバートのバレエ学校で学んだとのこと。マリー・ランバートってコンスタント・ランバートと関係あるのかな?コンスタント・ランバートもバレエ音楽をたくさん書いて、“ダンテソナタ”の協奏曲版を作り、バレエ作品にしていることは、前に紹介しました。奥さんとか?ネットで調べたんだけどうまく情報が見つかりませんでした。ついでにオードリー・ヘップバーンもマリー・ランバートのバレエ学校で学んだとのこと。 (11/15-00:53) No.3234
ぺとらるか > わあ、一日目を話していた間に、すごい進展です。実は私はプラトン、アリストテレス、ギリシャ悲劇、喜劇、神話、聖書、オリエント史、フランス詩の本はけっこう読んできたのですが、19世紀に関しては生まれたばかりのように真っ白なのです。急にあれこれ買い集めたものの、(英語版のネリダまで→コレって当時の女性の宿命的な生き方系ではないですよね?)相変わらず、積んであります。ウオーカーも三冊で分厚いし、おまけに英語なので生涯読めるか心配です。で、折にふれて、ふゆひこさんたちが書いてくださるので助かってます。IAM A DANCERの中でロ短調を弾いていたのはTAMAS VASARYというピアニストです。そう上手いとも思わなかったので(オクターブなんて音外しちゃってるし、なんか転びそう)、演奏のほうはあら捜しをしつつ、一世を風靡したダンサーたちの妙技をながめていました。映画の中の踊りはきわめてエロティックで、いくらバレエとはいえ、ほとんど性交を思わせるシーンさえあります。そもそも絶対音楽と思えるロ短調に椿姫をぶつけたのだから、音楽自体の深遠な世界を表現しているものではありません。エロティックなシーンは主に私が女性原理と感じる場所で表現され、ま、それもわかりますけどね。Recitativo(301小節)やナポリ派オペラの回り舞台のような大きな場面変換の箇所(221小節から)でも、よくあれだけ上手く曲に合わせたなあと感心してしまいました。映画のメリットは振り付け師と主役二人のリハーサル風景、コメントが収録されているといったところでしょう。そういえば、娼婦は映画の中でよくピアノを弾きますね。「ベニスに死す」の中でマーラーがモデルとなったアッシェンバッハの回想の中で、かつて訪れた娼館で、あどけない顔をした娼婦が片手でエリーゼのためにを弾いていました。ひたすら絵になるのでしょうか。リストは当時の星だったので、作家が意識しようがしまいがあらゆる理想の芸術家のモデルとして登場してしまうのでは。さて、ロ短調の曲中のグランディオーソの部分の恍惚感についてなのですが、なぜかシェーンベルクに流れている情感と非常に似ていて、ここを聴くと、いつも「浄められた夜」を聴きたくなってしまいます。 (11/15-10:20) No.3235
ふゆひこ > タマシュ・ヴァシャーリは、スティーヴン・メイヤーの“死の舞踏”のCDで指揮している人かな。ピアニストで指揮もする人かも。『I AM A DANCER』は現在Amazonに頼んでいます。予定では1週間ぐらいで手に入りそう。楽しみです。シルヴィ・ギエムのDVDでもリハーサル風景が収録されてるんですよ。バレエに詳しくないんですが、振付をいろいろ試行錯誤しながら考えているようなんですよね。ヌレエフ〜フォンテインの振付とどう違うか見比べるのも楽しみです。予想すると娼館というのは、必ずピアノが置いてあったんじゃないかな。客とダンスをすることもあるだろうし。“娼館,ピアノ”で検索しても結構記述がでてきますね。それで娼婦が片手間にピアノを練習するという図式ができる気がします。ただ高級娼婦として貴族のような暮らしをしたマリー・デュプレシスと、映画『ベニスに死す』のヘタエラ・エスメラルダ(←エスメラルダは本当はマンの原作では『ファウストゥス博士』に登場します。『ヴェニスに死す』には出てきません。)は比較はできないと思います。 (11/16-00:49) No.3237
ふゆひこ > 原作はどうだったかと思って、本を引っ張り出してきたら、ピアノを弾くのは主人公のアドリアンでした(映画ではアッシェンバッハにあたる)。トーマス・マン『ファウストゥス博士』上巻 岩波文庫 関泰祐 関楠生 訳P252〜253

“ぼくは立ったまま興奮を隠していましたが、ちょうどぼくと向かい合せに、なつかしいピアノがふたをあけてあるのを見ると、絨毯の上を突進して、立ったままで二つ三つ和音を鳴らしました。(略)それはロ長調からハ長調への転調で、≪魔弾の射手≫のフィナーレのなかで(後略)”

またウェーバーだ(笑)。 (11/16-01:13) No.3238
じょるじゅ > わはは。きっとパリでははやっていたのでしょう。
≫娼館とピアノ。
当然切っても切れないでしょう。ただマリー・デュプレシがあの育ちでピアノをかなり弾いた(またはかなりの教養があった)というのはある意味で『驚嘆に値する』、リストやデユマ(子)の気を惹くには充分なクオリテイだったとは思います。確かデュマ子の前後に付き合っていた若い貴族にいろいろ教わったらしいです。

≫ネリダ・・・うーん。あれはリストとダグーの関係をある程度知って読むといいですが『19世紀の女性の云々』というレベルではないでしょう。それを知りたいならなんと言ってもバルザックの人間喜劇をお勧めします。

≫タマちゃん(タマシュ・ヴァシャーリ)
何気に好きな音楽家です。彼の指揮したものは多分(笑・いつものごとく名前読まない)持ってないのですがラジオやケーブルなどでショパンが流れてきて「あれ、気持ちいい〜」というのはあとで名前を調べるとかならずタマちゃんのショパンです。
彼のノクターンなんかも非常に色気があって私が録音エンジニアなら『アシュケナジーのほうが正確でいい』という事になるのですがワインを楽しみながらキャンドルをともした部屋で私一人のためにショパンを弾いてもらいたいときは実はタマちゃんに弾いてもらいたい、という感じなほど好きです。
(彼アートオブピアノで解説してますよ。ホロヴィッツとシフラの『正確性と芸術性の矛盾』なんてあたりを非常に芸術家の目で切り込んでます。あれ見ても私は『タマちゃん派』です。)
ふゆひこさんたちとたのしむならアラウに弾いてもらいたいです。(微妙な違いがあるんです。)
(11/16-03:21) No.3240
じょるじゅ > ガルボが主演した『カミーユ』(Camille 1936年作)では椿姫がヴァルヴィーユ男爵に『ピアノ弾いてよ、私まだよく弾けないの』と頼むトコあります。何の曲だったかよく覚えてません。というのもその男爵役がキャサリン・ヘップバーンのクララ・シューマン映画Song Of Loveでリストを演じたヘンリー・ダニエルだったのでそれに気を取られてしまったからです。
ガストンさんはショパンかなんかを弾いていたかもしれません。この映画何気にサンドとかミュセとかまで出てきてわかる人にはわかる映画です。 (11/16-03:31) No.3241
じょるじゅ > ヴァシャーリさんにもどって。
『アートオブピアノ』で彼の解説によって彼自身がピアノ演奏の正確性よりも『感情をコミュニケート』するほうを優先していることがよくわかります。
「で、人間はコンピュータや競走馬ではありません。音楽とは感情を表す手段、主にその中でも愛だと思いますがもし弾く人がそう(コンピューターや競走馬)だとしたらどうやって愛を感じたりすることが出来るでしょう?」
この一言です。そしてあのハンガリーアクセントと英語の言葉を捜そうとする間のなんと魅力的なこと・・・彼が指揮をしていることは実は先週知ったのですがオケにいたら『楽しい練習』が出来る指揮者です。(これってただ面白いといういみじゃなくて音楽的に楽しいという意味です。) (11/16-03:38) No.3242
ぺとらるか > 日本でも昔、太夫という最高位の遊女は素晴らしい教養の持ち主であり、三味線も巧みに弾いたようです。内田吐夢監督の宮本武蔵の中にも出てきました。タマちゃんがそんなに愛されている音楽家とは知りませんでした。第一、読めませんでした。ハンガリー人なのですか? (11/16-08:59) No.3243
ぺとらるか > へえ、I AM A DANCERはアマゾンで入手できるんですね。やっぱ自家製DVDより売ってるやつのほうがいいんですよね。先日ルートヴィヒ復元完全版を買ったのだけど、内容だけじゃなく、本でいうと装丁というやつがめちゃめちゃ良くて、友人に勧めたら、歓喜してましたね。字幕も外せるし、他のデータもついているしね。BSでもやっていたことはあるんだけど。アートオブピアノも随分前にやっていたけど、それとは違うかなあ。モイセヴィッチがラウマニノフのPコン弾いて、ヨーゼフ・ホフマンが同じくラフマニノフの鐘を弾いたり、シフラが半音階的大ギャロップを弾いて、インタビューで、リスト弾きであるといわれると、困惑したように両手を肩のあたりまでさし上げLiszt,toujours Liszt(ふう、またリストですか。リストのことばかり)とぼやいてました。すると誰かがリストを上手く弾く人はモーツアルトも見事に弾くのです。あるスタイルに精通した人は他のスタイルをも極めるのです。とフォローしてたような。でも、結局のところどのピアニストも大時代がかっていて、それ以上の関心は持ちませんでした。 (11/16-09:57) No.3244
ぺとらるか > さて、ロ短調の女性原理から、さまざまな美しい恋愛文学が連想され、多くの芸術家のインスピレーションを掻きたてるようですね。そして、あるものは現実に起こっていたことであったりするわけです。リストの無意識の中の住人たちは(アニマ、アニムスbyユング)彼の作風をかなり支配していたようで、それをハンガリアン・ラプソディの12番の中に検証することもできます。日本で出ているピアノ音楽史事典あたりだと、単にフリスカ部分とそのヴィルトウオーゾ性についてだけ述べられているのですが、実は数年前にモスクワからグネシン音楽学校(キーシンなどの出身校)の校長が来日して、レッスンをしてくれるというので申し込んでしまいました。その時、ハンガリーの12番をみてもらってのですが、そのフリスカ部分(allegro zingareseのところ)にさしかかると、ホフロフ校長はフリスカだのラッサンだのとは一度も言わずに、おっしゃるのです。это женщина (これは女性です)仕草で女性の形を描きながら。通訳はそれを女性の姿ですと言ってました。エキゾティックなジプシー女性を主役にしたバレエが目に浮かぶようです。さらに追求するなら、リストの心に眠っていた優美で軽やかな相が、フリスカの形を借りて表出したのではないかと私は解釈したいのですが。やはりロシアでも表裏一体な二元論的解釈が主流なのでしょうかねえ。 (11/16-10:55) No.3245
じょるじゅ > ああ、リストがフリシュカとラッサンをそういう風に想定したかは別としてリストの中にジプシーの女性の踊る姿が常に『ラプソディ』の中にあることは確かです。
彼のハンガリアンラプソディの前書き(何回書いても笑える)として書かれた『音楽におけるジプシー』という本の中で繰り返しジプシーの女性の例が出てきます。
実際の踊りの描写と、数人の女性の日常における描写なんですが作曲のときにそれらが絶対に彼の中にあることは確かなのがはっきりわかります。
多分ロシアではあの本がキチンとまだ(というか未だに)リストを勉強する時に使用されていると考えることが出来ます。ジロテイやルビンシュタイン、クリンドワース(えっと、ほかにロシアで教授になった人がいたはずだな)などがそれらの解釈を広めていて、それが今でも受け継がれていることは容易に想像できますね。
私は実際のロシアの音楽教育状況、トラデションを知らないのですがなんとなくぺとらるかサンのエピソードで判るような気がします。
≫タマちゃん。
私だけでしょう。(笑) (11/16-11:09) No.3246
じょるじゅ > ≫女性原理、音楽、リストの音楽の両性具有キャラクター
面白いですね。ひたすら友人達と妄想してます。その辺は。限りなく。ショパンなどとともに。
2人ともあの時代(つまり女性の社会的地位、認識が凄く低い時代)にアレだけ濃いキャラクターの女性たちと(それも両方ともある意味で男性的な女性、普通の男性では多分手におえないだろうと思われる個性の強い女性に強く惹かれるという許容受容の幅広さ)恋に堕ちている2人の『被征服願望』というか・・・絶対に音楽に出ているような気がしてしょうがないです。両方とも憶測には過ぎないけど。 (11/16-11:21) No.3247
ぺとらるか > 私はロシアでのリストの浸透ぶりは他の国の比でないような気がします。ちょうど去年の今頃出た「音楽の友」誌で、モスクワ音楽院教授のヴィクトール・メルジャーノフが「ロシアン・ピアニズムの原点はリストなのです」という発言をしています。いわゆるロシア奏法のことですが、これもまた指に重みをかけて弾く方法で、重量奏法というのですが、これによって、表情豊かで、ファンタジックな演奏が可能になるのだそうで、このメソッドがリストにまで遡るのだそうです。彼が重量奏法を考案し、ロシアで広めたというのです。また、ロシアの音楽学校では、ピアノで歌うことを学ぶために必ずシューベルト=リストを弾かせるとも聞きました。ロシアのピアニストはよくリストを弾くし、キーシンもベルマンもベレゾフスキーもプレトニョフも、アレクサンドル・ギンジンも実に美しく歌うではありませんか。さらに、ロシア語ではференц листと書いてフェレンツェ リストと読みますが、これはまた、ロシア映画「フランツ・リスト−愛の夢−」の原題でもあります。つまり、日本のように愛の夢を足さなくても、ロシア人はリストを知っているのですね。アレクサンドロス大王の名を冠した都市が各地に存在するごとく、リストの血液はロシア全土に脈打っているのです。 (11/16-22:16) No.3249
ぺとらるか > リストの中のキャラクター、実に興味深いです。シューマンのようにあからさまに名を与えていないだけに、多分、彼の周辺のあらゆる出来事と心理学的考察を重ねて研究しなければならないでしょう。航海に羅針盤という言葉がありますが、リストやショパンに彼女たちは不可欠であったと思います。ロシア正教風に言いますと、神は何一つ偶然を定めない。つまり、すべては必然なのですね。 (11/16-22:31) No.3250
ミッチ > 余計なお世話かもしれませんがタマちゃんで盛り上がっているみたいなので、少し情報を。1933年生まれハンガリー出身でピアニストとして名を上げ、その後指揮活動に専念しています。重量感とかパワフルという言葉は似合いません。軽やかにセンスよくというタイプのピアニストです。何かの本にラフマニノフのピアノ協奏曲全集が代表盤だと書いてありました。KOUさんのサイトのCD紹介のコーナー(お気に入りです)にリストアルバムのレヴューがありますよ。参考までに。 (11/18-21:28) No.3253
ふゆひこ > あくまでもロ短調ソナタは絶対音楽である、という前提をことわっておいて。一つの人格の中にある無意識の領域の男性原理、女性原理での捉え方と、リストの生涯における恋愛、他我としての女性が描かれる、という捉え方が、ごっちゃになっているような気がします。男性原理、女性原理だけではソナタは解析しきれないと思いますよ。いちばんしっくりくるファウストによる解析でもファウストとグレートヒェンの他に第3の人格であるメフィストーフェレスが出てくる。『マルグリットとアルマン』の話に戻すと、ソナタロ短調の各主題の要素の中で、メフィストーフェレス的な部分が浮いている。“そこは物語に合わないけど、勘弁してくれ”という感じでした。なので僕はせっかく“アルマンの父”という3つめの主要キャラクターを登場させているのだからアルマンの父のメフィスト的性格をもっと強めれば、もっと面白いものが出来たのでは、と思ってしまう。

心理学をほとんど知らないのですが、ユングの心理学で“中性原理”というのはないんでしょうか(笑)?男性でも、女性でもない。性の未分化の状態。つまり中性。=こども。幼児性、子ども性というのは、芸術家の性格の中で、最も重要視される要素だと思います。

子どもを強引に第3の人格につなげるなら、僕にとって子どもとは、残酷さを併せ持つ象徴だとも思っています。楽しさのためなら、瓶に蝶々を詰めて、バクチクで吹っ飛ばして喜ぶとかね。アンファン・テリブルです。僕はその子どもが一番、メフィストーフェレスに近い存在だと思っています。

ネットで簡単に検索すると、ユングが定義した夢の主要要素として、グレートマザーとか、老賢人とかどっかで聞いたことのある用語に混ざって、“子ども”というのがありますね。それかな。違うっぽいけど。 (11/18-23:09) No.3256
ふゆひこ > ネットでちらちら読んでみたら、アニマ、アニムスというのは=男性原理、女性原理ということではないんですね。アニマ、アニムスを訳すと(ちゃんとした訳があるのかもしれませんが)“自己の中の異性”ってとこでしょうか。↑上での僕の文章は用語法がめちゃくちゃになってます。最初の行は“アニマ、アニムス”、あとは全部“男性原理”“女性原理”で読んでください。ついでに“子ども”の話は、ユングのアニマ、アニムスにはかみ合わないですね。男性原理、女性原理の話の続きとしてください。(調べてから書けばよかった(笑)) (11/18-23:28) No.3257
ぺとらるか > すみません。私はよく人から説明が下手だといわれるのですが、その原因の一つは妙な飛躍にあります。正確に言いますと、アニマは男性の人格のうちにある女性的なものの人格化、つまり女性原理です。だからアファナシェフのように男性のなかにある女性の魂と言っていれば問題はなかったのですけどね。それにしても混乱しますよね。
メフィストフェレスについても一言。旧約聖書時代、しばしば神とサタンは賭けをしました。善良な人間を苦しませて、信仰心を失わせてやろうと。しかし、旧約の時代には善悪の基準しかありませんでした。それが進化してエロティックな要素が加わったのが、メフィストの誘惑なのです。ファウストの中でメフィストはサタンと賭けをしています。「では、賭けをしましょう。あの博士をみごとに奪い取ってみせましょうか。ご異存さえなければ、いまからそっとわたしの道へ誘惑してやりますよ」
子どもというのはあくまでも幼児期の体験として出てきます。アニマもアニムスも人間の成長とともに姿を変えて登場するのです。男性の中で彼の子供時代には母の姿で現れたアニマがやがて恋人の姿になるというわけです。 (11/19-01:03) No.3259
ぺとらるか > それから、ロ短調を弾いている時に思うことを書きます。演奏をしている時には、このフレーズが文学におけるどのシーンであるかなどということを考えることは困難です。しかしながら、絶えず謎解きをしていることは確かです。それはモティーフや主題に関することで、作曲家が密かに埋めたり、飾り立てたりしたそれらを発見し、彼の意図に背かぬよう提示することなのです。しかし、頭の中であのバレエのシーンが渦巻いていないと言ったら嘘になります。また万物に起承転結があるとすれば、ロ短調のそれと椿姫のそれは重なるともいえるでしょう。
アンファン・テリブル「恐るべき子供たち」はコクトーですね。兄弟愛のテーマはエウリピデスのエレクトラに端を発するとは思うのですが、ヴィスコンティの「熊座の淡き星影」も同じテーマを扱っています。 (11/19-01:26) No.3264
ふゆひこ > こちらこそすいません。ぺとらるかさんの説明の責任ではなく、僕の用語に対する理解不足で勝手に混乱しています。どうも心理学用語は、占いとかで俗っぽく曲げられて使われていたりしているようなので、ネット上で得られる情報で、ますます混乱しています。僕の中の理解で、アニマというものが、恋人とか他者としての存在にうまく結び付けられないんです。これは、自分でなんかちゃんと本を読まないと理解できそうもないです(笑)。“メフィストはサタンと賭け”というのは誤字かな?メフィストは“主(=神)”と賭けをするはずです。その中間に位置する存在(あるいは誘惑者、仲介者)のイメージが僕にとっての中性のイメージでもあります。『熊座の淡き星影』は最近観ました(ぺとらるかさんと同じDVDボックスを持っているということかな(笑)『イノセント』はまだ観てません)。 (11/19-01:55) No.3265
ぺとらるか > >「マルグリットとアルマン」の続きですがサタンでいいと思いますよ。サタンは天地創造の時わざわざ作られたわけではなく、神の中から堕ちた存在なのです。だから神性がないわけではないのです。また新約の神は三位一体だし、その神との対話は神学になってしまうので、ゲーテはサタンを使ったのでは?
>ユングの「変容の象徴」を読まれるといいと思います。メフィストの話もそこからの受け売りです。また、ヘルダーリンがどうして分裂症になってしまったかも分かるようになるし、自分の精神の健康状態が夢で判断できるようになるかも知れません。 (11/20-01:19) No.3270
ぺとらるか > 私の持っているDVDボックスはルートヴィヒ、イノセント、熊座…の入ったものと、オリヴェイラの神曲、家宝など、サヴァリッシュ指揮の「ニーベルングの指輪」です。 (11/20-01:20) No.3271
ふゆひこ > まず第一に「マルグリットとアルマン」の続きならば、「マルグリットとアルマン」のスレッドの続きに書くようにしてください(といっても「マルグリットとアルマン」のスレッドは支離滅裂な方向に拡散してすでに収拾がつかない状態ですが…)。管理者として、あなたの投稿を二つに分けました。 (11/20-01:23) No.3272
ふゆひこ > >ゲーテはサタンを使ったのでは?
誤字でも、ミスタイプでもなく、まじめにそのように考えられているのですか…。どのように解釈しても個人の自由ですけど…。

以下、岩波文庫 相良守峯訳を参照します。まず『天上の序曲』に登場するのは、ラファエル、ガブリエル、ミヒャエルの三人の天使、“主”(←これはゲーテの原語だとDer Herrです)、そしてメフィストーフェレスです。上巻P29からメフィストーフェレスの言葉を受けて、主の言葉

“わしは一度もお前の仲間を憎んだことはない。およそ否定を本領とする霊どもの中で、いちばん荷厄介にならないのは悪戯者なのだ。(略)
それはそうとお前たち、まことの神の子らよ、この生き生きとした豊かな美を楽しむがよい。”

前半の“悪戯者”はメフィストーフェレスを指します。後半の“お前たち”は3人の天使を指します。“それはそうと”で話を転じており、主、神の子らの三人の天使と、メフィストーフェレスが立場異なることが分かります。 (11/20-01:37) No.3273
ふゆひこ > だいたい主=サタンなどとしてしまって、第2部の最終部、ファウストが最後の言葉を発し息絶え、メフィストーフェレスがファウストの魂を奪おうとしたとき、天使たちの合唱が鳴り響き、メフィストーフェレスを追い払い、救済に導くという構成はどのようになるのかな?リストの“ファウスト交響曲”も合唱曲“天使の合唱”もおかしな解釈になりますけど…。 (11/20-01:42) No.3274
ふゆひこ > ついでに僕が持っているファウストの原書、INSEL出版のP540、パラリポーメナのところに収録されている、“ワルプルギスの夜”の部分のおそらく草稿でしょうか(ドイツ語が読めないので、位置づけがわかりませんが)、そこでは“SATAN”がはっきりと登場人物としてセリフを割り与えられてます。P541〜P542のメフィストーフェレスとサタンのセリフが繋がる部分から抜粋。ウムラウト無視。

Mephistopheles:
Nein,liebes Kind, nur nicht geweint!
Denn willst du wissen,was der teufel meint,
So greife nur dem Nachbar in die hosen!

SATAN gradaus:
Ihr Magdlein,ihr stehet
Hier grad in der Mitten;
Ich seh,ihr kommt alle
Auf Besmen geritten.
Seid reinlich bei Tage
Und sauisch bei Nacht,
So habt ihrs auf Erden
Am weitsten gebracht. (11/20-01:48) No.3275

フランツ・シュレーカー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/11/13(Sat) 02:45 No.3222

僕にとっては意外な作曲家が、リストの曲を編曲していました。フランツ・シュレーカーです。しかもなぜか“ハンガリー狂詩曲第2番”をオーケストレーションしている。どういうつながりなんだろう?

これはシュレーカー協会のサイト。http://www.schreker.org/index.htm

ここで、
Werke > Kompositorisches Werk > Orchestrationen
の順にクリックすると、シュレーカーが1933年に編曲していることが確認できます。CDでも手に入るようです。

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ふゆひこ > ↑のサイトで確認するとシュレーカーがハンガリー狂詩曲第2番を編曲したのは1933年となってますね(もしかしたら出版年かもしれないけど)。シュレーカーの年譜を見ると、1933年にナチスによってシュレーカーは公職から追放されている。しかも同年末に脳溢血で倒れ、翌年死去している。なんでそんなときに“ハンガリー狂詩曲第2番”を編曲するんだろう?お金に困って仕方なく、っていうことなのかな?それとも単純に好きだったから、とか? (11/14-00:28) No.3227
ふゆひこ > ちょっと背景が分かりました。↓このサイトのページにちょっと載っています(ページ内検索で“LISZT”を使いましょう)。

http://www.jmi.org.uk/suppressedmusic/newsletter/ifsm_news3.html

1932年〜33年の間に、エーベルハルト・フローヴェインという映画監督、脚本家が“DER WELTKONZERT”(世界的コンサート?)というタイトルで大指揮者たちの演奏をフィルムに収める。マックス・フォン・シリングス指揮の“ウィリアム・テル序曲”、ブルーノ・ワルター指揮の“オーベロン序曲”など。シュレーカーはそれ用に、“ハンガリー狂詩曲第2番”を編曲したようです。記述を読むと、シュレーカーだけ結局フィルムに収められなかったのかな?財政的に困難だったと書かれていますが…。

http://www.dreamlife.co.jp/

↑このDVDに、そのエーベルハルト・フローヴェインが撮ったフィルムが収められてます。シュレーカーはないです…。 (11/14-22:53) No.3229
ふゆひこ > 上のリンクはTOPページです。ダイレクトはこっち↓
http://www.dreamlife.co.jp/menu/1009.html (11/14-22:56) No.3230

脱力、リスト歌曲、デュパルク ≪リストとフランス詩人、ヌレエフ 『I AM A DANCER』、nuages gris≫ 投稿者:ぺとらるか 投稿日:2004/11/07(Sun) 20:40 No.3191

脱力はあらゆる音色をコントロールするための基本です。それをマスターした本物のピアニストはどのようなボロ・ピアノからも最高の音色を引き出すことができるのです。手首や腕に一切の余計な力を入れずに、重力に逆らうことなく、鍵盤を全身全霊でもって信頼して指に体重をトランスファーさせる。と、言葉で言うのは易しいのですが、謙虚な先生自身が一生の課題であるとおっしゃっていました。私はプログラムを買わないほうなので、アファナシェフのその文章は読んでないのですが、先生である可能性は十分にあります。PAST LOGは読まなければと思い、印刷しました。でも、ほとんど一冊の分厚い本のようで、多分そこまで読み進んでないのですが、楽しみです。日本人でこんなにリストを愛している人々がいらっしゃるとは、意外すぎる喜びです。ピアノを好きという人の多くが、「雨だれ」「子犬のワルツ」「月光の曲」という世の中ですので。
ところで冬彦さんはリストのロシア語歌曲を聴いたことありますか?Barbara Bonneyのリストとシューマンの歌曲の入ったCD(DECCA 470 289-2)の解説でリストは六カ国以上の言語で歌曲を書いたとあり、主に独仏伊英、ハンガリー、ロシア語とあります。私は独仏伊語の歌曲しか聴いたことがないのですが、驚くべきことにリストは、あたかもそれぞれの言葉に内在する旋律を読み取っているかのごとく、その国の人に変容し、その様式を吸収し先取りしているような印象がありました。フランス語の歌曲においては、デュパルク以前の最高の洗練を聴かせてくれますし、イタリア語歌曲はパバロッティぐらいの名手が堂々と歌うカンツォーネにほかなりません。ゲーテのミニヨンの歌の、リストのドイツ語版と同じ詩の仏語訳にデュパルクが作曲した歌曲を聴き比べると、どちらもそれぞれの言葉にこれ以上ないぐらい忠実であり、かつ誰にも真似のできないイデア界を垣間見せてくれました。だからロシア語歌曲にもとても関心があるのです。それから、リストはボードレールとも親交があったようですが、阿片浸りのボードレールをどう見ていたのでしょうか?

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ふゆひこ > PAST LOGを印刷されたのですか。うれしいと同時に驚きました(笑)。かなりリンクが含まれているので、読まれて興味をもたれたところはWEB上でリンクをクリックされると面白いと思います。それとせっかく印刷されたのに申し訳ないのですが、今PAST LOGの構成を大幅に変更する作業をしています。現在は、過去ログを時間順にただ保存しているだけなのですが、今度“LISZT DIALOGOS(リスト対話)”と名づけて、ジャンル別に分類しようと思っています(目標年内)。 (11/8-00:37) No.3192
ふゆひこ > “脱力”と呼ばれることのイメージがなんとなく分かりました。下のぺとらるかさんの記述で、“崖っぷちにしがみつくような”というのがイメージできなかったのですが、“鍵盤を信頼して〜体重をトランスファーさせる”ということなんですね。なるほど。“ボロピアノから最高の音色を引き出す”というのはまさにリストそのものですね。リストもあちこちでボロ・ピアノを弾く羽目にあっている(笑)。 (11/8-00:41) No.3193
ふゆひこ > ロシア語の歌曲というのはアレクセイ・トルストイの詩を使った“盲目の歌手”(S350)のことかな。他にちょっと思いつかないです。これはハワードの第41巻に入ってます。歌曲というか、ピアノ伴奏に合わせて詩を朗読する曲ですね。英語の曲は、PAST LOGで『リストの英語の歌』というところに少し書いています。“シュトラスブルク大聖堂の鐘”という合唱曲と、“行かないで、幸福な日よ”という曲ですね。基本的にリストは自分が扱える言語以外の詩で歌曲を作るときは、その言語のネイティブに協力してもらっているようです。ハンガリー語の歌曲は“ハンガリーの神”かな。他になんかあっただろうか。 (11/8-00:51) No.3194
ふゆひこ > ボードレールとは親交と呼べるほどのことはなかったんじゃないかな。ボードレールがリストに捧げた“バッカスの杖”を書き、『人工庭園』をリストに献呈して、その返礼にリストがボードレールに『ハンガリーにおけるジプシーとその音楽』を献呈した、というぐらいかな。ただ基本的にボードレールは、リストの熱心な賛美者です。リストがボードレールをどう思っていたか、というのは今度、調べてみます。僕の今の考えでは、リストは若い頃は“黒いロマン主義”にどっぷり浸っていたけれども、ワイマール時代以降、ドイツ音楽の性格(←意味不明な用語使用法ですが、イメージとしては、耽美よりも論理というイメージ)を強めていく。ボードレールが活躍しだした頃には、リストはすでに違うステージにいたような気がします。アヘンのみのことをリストが非難したような発言は知らないですが、ボードレールの詩の世界は、リストのモラルにはそぐわなかったのでは、とも予想します。 (11/8-01:08) No.3195
ふゆひこ > ↑この辺のことはPAST LOGで『ベルリオーズとリスト』とか『ラスネール 早すぎたロマン派』というあたりで、いろいろ書いてあります。 (11/8-01:12) No.3196
ふゆひこ > 最後にちらっとお願いですが、投稿が前投稿を受けて続くときは、新規投稿をせずに、スレッドの下の“返信”という投稿ボックスから記述いただくと、会話形式になります。ちょっとボックスが小さくて書きづらいのは申し訳ないです。あと最初に起す一つのスレッドではできるだけテーマを複数含めない方が、会話がしやすいかな。 (11/8-01:22) No.3197
ぺとらるか > 私はかつてフランス詩に大変興味があり、今でもかすかに暗記しているものもあります。そこで改めてリストとほぼ同時代の詩人を調べたら、ボードレール以外に、ラマルチーヌ、ユゴー、ミュッセ、ベルトラン、ネルヴァル、ゴーチエ(なんと1811-1872)などですが、この中で特にリストと関係が深かった詩人はユゴーとラマルチーヌぐらいであるような気がします。どうもリストはいわゆる象徴派の詩人を理解していなかったように思います。だから、ボードレールと親交があったとしたら実に意外だと思いましたし、作品の交換も義理だったのでしょうか。(シューマンにロ短調を献呈したときも、既に相手は廃人に近かったのだから、ある種の義理なのでしょうか?)さて、私はボードレールの子供っぽい捩れた性格も楽しく味わっておりましたが、彼はジョルジュ・サンドとも親交があったけれど、自分の贔屓の女優の件でサンドと仲たがいし、信じられないような低レベルの批評をしていますよね。ゴーチエなどは確か反ロマン主義を唱えていたと思うので、リストとは無関係だったのでしょうね。PAST LOG、早く読まないと私もトンチンカンなこと書いてしまいそうです。それが読書の第一歩かも知れません。 (11/8-08:55) No.3198
ふゆひこ > ボードレールへの著作の献呈は、なんか返礼、義理のようなのを感じますね。ウォーカーもボードレールについてはまったく記述していないし、書簡集のインデックスを見ても、ボードレールについてのリストの発言というのが出てきません。あと単純にリストはユゴー、ラマルティーヌの詩で歌曲を作ったり、器楽曲のインスピレーションを得たりしていますけど、ボードレール、ゴーティエの詩には作っていない(リスト以降のドビュッシーは作ってますね)。ユゴー、ラマルティーヌは、リストの敬愛の対象であり、ボードレール、ゴーティエはリストを敬愛の対象としたように思います。『悪の華』を参照したら、マリー・ドーブランという女優のことがたくさん書かれていました。この人のことですね。岩波文庫 鈴木信太郎訳のP160 訳注では、マリー・ドーブランとの仲をとりなしてもらうために、

“大嫌ひな女流作家サンド其他に辭を低くして斡旋を頼むといふ努力をしてゐる”

とのこと(笑)。 (11/9-01:17) No.3200
ふゆひこ > ゴーティエも、ボードレールと同じくリスティアンですよ。WEBでもゴーティエのリストに宛てた書簡(コンサートを楽しみにしている、とかいう内容。PAST LOGで一度とりあげました)などが公開されています。またヘルム著の『リスト』P110でもゴーティエのリスト賛美の文章が紹介されています。ゴーティエの“反ロマン主義”というのはどのようなものなんでしょう。ゴーティエの作品はまったく鑑賞したことがないので、今度、なんか読んでみようと思います。 (11/9-01:25) No.3201
ぺとらるか > ゴーティエの詩はどこかボードレールと似ていますが、宝石や古代の絢爛なイメージに彩られ、やや東方嗜好のボードレールとは趣を異にします。ネルヴァルは中東に旅をして、アラブ人たちと生活を共にしていたようですが、神話や古代文明からインスピレーションを得ていたあたりはとてもゴーティエと似ています。宝石貴石の絨毯のようなゴーティエの一連の詩はオペラのアリアに名監督たちが思い思いの映像を作ったオムニバス映画「アリア」の中でケン・ラッセルが選んだ「誰も寝てはならない」のドラッギーな映像にも近い感性であるかも知れません。ゴーティエ、ボードレールがリストを愛していたとするならば、もうそれは間違いありません。リストは彼らにとって、宝石であり、星辰であったのです。ところで、ふゆひこさん、このサイトのリスト関連の映画の中で、物凄く重大な映画が抜けています。ロ短調が最初から最後まで演奏されていた映画があるのです。1972年イギリス映画でI AM A DANCER。旧ソ連から亡命した名バレリーノ、ルドルフ・ヌレエフがロ短調を踊りました。ある日偶然このソナタを聴いた振り付け師はただちにこれは「椿姫」の物語に違いないと思ったそうです。それで、フォンテーンにマルグリット、ヌレエフにアルマンを演じてもらうことにして、あの有名なストーリーとロ短調を見事に合体させてしまいました。感情の流れが余りに曲と踊りで一致するので、あたかもリストがあの話をイメージして作曲したようではありませんか。そのうちに書きますが、演奏している限り、私はあの曲がベートーヴェンの延長線上にあり、かつ最も高度な隠喩法と同様のあらゆる修辞によるテーマの提示であり、展開であると信じているので、誰がどんなストーリーをぶつけてきても、連想の類であると思っています。が、それで美しい作品ができれば私たちも楽しめると考えています。さて、でも、さすがイギリス映画はハリウッドの低俗な映画とは違いますね。マルグリットの恋人役として踊るバレリーノの一人にリストそっくりな姿の若者を配し、しかも実に奥ゆかしく、眼を皿のようにして見ていなければリストを発見できないのです。なんと心優しいユーモアでしょう。リストのヴィスコンティ・レベルの映画が観たいです。今生きている監督ではマノエル・デ・オリヴェイラ?ケン・ラッセルはブラックすぎて、ワイルドやバレンチノはいいけど、リストはやめて欲しい。せめてマーラー(恐ろしくどぎついコジマ登場)の路線でやってくれればいいけれど、ロックスターは絶対やめて欲しい。 (11/9-09:37) No.3202
ぺとらるか > そういえばこの間のレスリー・ハワードマスタークラスでロ短調を演奏した金子さんも大して上手くなかったけど、以前BSのクラッシククラブで弾いたケマル・ゲキチよりはずっと上手かった。ゲキチって人はインタビューされると、ウチのかみさんはというノリで沢庵くさくて嫌いです。 (11/9-13:03) No.3203
ミッチ > 横から入ってすみません。映画で使われたリストの音楽と言えば、個人的にキューブリックのエロ映画(冗談です)「アイズ・ワイド・シャット」の「暗い雲」が印象的でした。僕はリストの後期作品の中でこの曲がとくに好きです。以前NMさんに「ドビュッシーはこの曲を気に入っていた」と教えていただいたのですが、僕はスクリャービンを先取りしたような曲だと思います(悲しみのゴンドラも)。録音が多いのも納得できます。エロティシズムを感じさせる曲だなと思っていたのですが、キューブリックが同じように感じてこの曲を使ったのかどうかが、気になります。 (11/9-21:43) No.3206
ぺとらるか > 私はシェーンベルクの「浄められた夜」の冒頭など、ロ短調のそれとそっくりだと思っています。それからおなじロ短調の93小節からの次第に厚みをもってクレッシェンドしてゆくところも、まさしくシェーンベルグのその曲の冒頭、次第に膨らんでゆく弦楽ですよね。ある時、夢の中でロ短調が鳴っていて、それがオーケストラだった。153小節からのcantando espressivoのあたりなど、主旋律(13小節から登場する動機の拡大)は控えめな管弦の伴奏に支えられたバイオリンのソロに他なりませんでした。Mozartのピアノソナタなどもよく管弦楽にたとえられるのですが、ロ短調もピアノのみのアイディアの曲とは到底思えません。だから、これを弾く時は常にオーケストラを意識しようと思っています。また、「ファウスト交響曲」に関しても12音を先取りした箇所のことをよく聞きますが、シューベルトなくしてリストは存在せず、のごとくリストなくしてシェーンベルクは存在しなかったようにも思います。ちょっと乱暴でしょうか?スクリャービンに関してはショパンに始まってリストを超えなかった人と思ってますが、「法悦の詩」など大好きです。彼の前奏曲などもみずみずしく感じたのですが、リストほどにはのめりこめないことに気が付き、弾くのをやめました。「暗い雲」ですか?「灰色の雲(Nuages gris)」ではないのですか?暗い雲のほうは知りません。不勉強ですみません。「悲しみのゴンドラ」関係では実は奇妙なドイツ映画が一つあります。かなり前にBSで見たきりで、タイトルもはっきり覚えていませんが、ワーグナーとヴェネティアみたいな感じで、登場人物はワーグナー、リスト、コジマなんですね。多分あの有名なホテルが舞台だったと思うのですが、なんか暗くどろどろした、かけらもユーモアのない映画で、老リストがピアノを弾いているシーンもあれば、ワーグナーがリストの昔の美貌に嫉妬している場面もある。だだ、最も印象的だったのが、俳優たちが皆おどろくほど不細工でドイツ人はそのあたりの審美眼が欠けているのだろうかと思ったほどでした。
(11/10-09:49) No.3207
じょるじゅ > ちょっと来ない間に、話が進んでいましたが、リストと椿姫の所がちょっと興味深いので一言。
彼がロ短調ソナタを「椿姫」になぞらえて作曲したかどうかは別として、リストと椿姫の実際のモデルになった女性は一応「何かしらあった」ようです。
本人がダグー夫人への書簡の中で「僕が愛した女性たちの中でもう亡くなった人がいる。・・・」というフレーズや彼女の思い出とともに彼女の愛読書だった「マノンレスコー」(同じく物質欲の強い女性が最後には愛と死を選択する。)も振り返っていてその後リストが年取ってもなにやら思い出したりしているのでリストは感情的に椿姫とは無関係とは言えないでしょう。

≫ケン・ラッセルのリスト。
確かにロックスターはラデイカルだけど、あの映画よく見ると意外と外れてません。手法がえげつないけどラッセルはリストのことをよく勉強した上で自分の解釈をしているので許せるのです。ちょっと後半ヴァグナーが出すぎなのが不満だけどさ。
ラッセルとダルトレーのトミーを見るとあの「リストマニア」はなんとなく続編と理解することも出来ますからリストは切り離して見るといいかも。
リストを描いた映画は納得するものは居間の所あまり無いです。

≫ミュセとリスト
そりゃ〜も〜。若いときの悪ガキ同志で交友もあったし、リストはミュセのことを彼が亡くなった後もよく仏文の代表格として参照しています。
若いときというのはリストがまだ十代後半、生活のためにピアノ教師をしていたころミュセの姉がリストの生徒だったので知り合ったようです。
サンドもミュセに紹介してもらっているし、まだダグー夫人とくっつく前社交界のプレイボーイとして浮名を流している頃、ミュセの仲間のアキレ(アシールと仏語では発音するらしい)デヴェリアに肖像書いてもらってます。その辺は私のサイトにも書いてあります。

≫ゴウテイエ
一応交友はありましたが当時リストは拠点がパリではなかったので頻繁に会うという事ではなかったと思います。
リストの娘婿のオリヴィエとの政治的なつながり、リストの仏政界の動向に関する興味の深さなどから会えばただ談笑するだけ、というよりは深い付き合いだったとは簡単に想像出来ます。リストは芸術に関する直接的な趣味だけで友人を選んでいたのではなく「人間としての価値」を本質的に見抜く眼があったのでゴウテイエのような人物と知り合う機会をただ挨拶だけで過ごすという事はありえないでしょう。ちょっと自分の中ではゴウテイエとリストは当たり前のように知り合いだったんじゃないかと判断できる状況があるので詳しく調べてなくてすみません。)

≫ナポレオン三世の時代、プロシアとの戦争、パリコミューンの頃(1848−1870年代)のことをよく学ぶとリストの知り合いがどこにいて、どう影響されたかが浮き彫りになります。彼の政治的な思想は一つですが、実際に交友を持っていた人物は反対勢力敵国などに所属する人物も多く、複雑です。
(11/11-11:23) No.3208
ミッチ > 「灰色の雲」という邦題が定着しているのならそう書くべきでしたね。「トリューベ・ヴォルケン」と呼んでいたので、日本語でどんな訳が定着しているかわからなかったのです。失礼しました(フランス語の方は単純に発音が分からない...ヌアージェ・グリとでも読むのでしょうか?)。少しだけ弁明させていただきますと、確かに幾つかのCDに「灰色の雲」と表記されているのを見たことがありますが、この邦訳の響きが好きになれないのです。ちなみにですが、「Trube Wolken」は直訳すると「陰鬱な雲」になります。僕はこの訳の方が曲の雰囲気をよく示しているように感じています。 (11/11-21:14) No.3209
ふゆひこ > 『マルグリットとアルマン』というバレエ作品ですね。以前、リストの曲を使ったバレエ作品を調べたときに、その存在を知ったのですが、まさかロ短調ソナタを全部使った作品だとは思いませんでした(マイヤリングの方がインパクトがあったので、そっちを買ってしまった)。しかもヌレエフの方がオリジナルなんですね。それでは絶対、こんどその『I AM A DANCER』のDVDを買ってこようと思います。ケン・ラッセルはルドルフ・ヴァレンチノも映画化してるんですか。ネットで調べると、そのヴァレンチノ役がヌレエフとのこと。なんか話がつながりますね。僕はオリヴェイラの『世界の始まりへの旅』は晩年のリストを感じさせてくれる映画だと思っています。 (11/12-01:31) No.3212
ふゆひこ > ワーグナー〜リスト〜コージマを扱ったドイツの映画というのも観てみたいな。“悲しみのゴンドラ”は他の芸術家に、非常にインスピレーションを与える作品ですね。“Nuages gris”は、“灰色の雲”とも“暗い雲”ともどちらでも定着しています。諸井三郎さんの『リスト』、三省堂『クラシック音楽作品名辞典』でも“暗い雲”と記載されています。 (11/12-01:40) No.3213
ぺとらるか > オリヴェイラは「神曲」と「メフィストの誘い」という映画を作っているので、はい、単純に発想が好きです。彼の映画は哲学的ですよね。でも、ある時期のゴダールみたいに無味乾燥な思想の羅列とは違って映像美も堪能できるし、細部にまで洗練された趣味の良さを感じます。リストが椿姫のモデルになった人と何か特別な関係があったというのは意外でした。今のところ、本を集め始めたばかりで、積んであります。皆さん、人間離れして博識なので、かすかでもそのギャップが埋まればいいと願うばかり。じょるじゅさんのサイトも見ていますが、まず美しい写真がいっぱいあったので、印刷して部屋に飾ってあります。次にピアノの決闘の続きを読もうとしたら、パスポートとか何とか出てきてしまって、パスワードなど入れなくてはならないみたいだったので、すごすごと引き返してしまいました。ホント、初心者なので、アマゾンに登録した時もパスワードで死ぬほど苦労したし、ま、そのうちに上級者に遊びにきてもらって手伝ってもらおうと思ってます。リストとダグー夫人書簡集はフランスでeditions fayardから出ていますよね。フランスにもアマゾンみたいなところがあって、5%引きになっていたのですが、結局パスワードを何度やってもエラーが出てしまって、仕方ないので、新宿のフランス図書に注文しました。在庫があればひと月ほどで入るそうですが、確実ではないとも言ってました。でも、仏語ならオリジナルで読めるわけだから、最高かな。nuages grisはニュアージュ・グリと読みます。「I AM A DANCER」5年以上前にBSから録画したので、DVDが出ているかわからないのですが、これがオリジナルなのは事実です。ヌレエフはこのバレエを他のダンサーが踊らぬよう、封じてしまったのです。(なんか忍術みたい)彼の死後ようやく封印がとけて誰でも踊れるようになったと、多分マイヤリングのDVDの解説として新宿サウスHMVの売り場に貼ってありました。


(11/12-09:10) No.3215
ぺとらるか > 「メフィストの誘い」、原題はle couvent(修道院)でしたね。でも、ゲーテのファウストに想を得た作品ということですから、やはり彼はリスト界の人ですね。「世界の始まりへの旅」はまだ見てないので、要チェック。ところで、暗い雲と灰色の雲の件ですが、ドイツ語とフランス語では曇った、陰気な、どんよりした重苦しい感じのみが重なっていて、灰色は仏語だけです。だから、日本語訳の灰色は仏語からの直訳で本来は間違っていると思います。ミッチさんの「陰鬱な雲」が最高の名訳ですね。前にも超絶技巧の狩りについての会話と名訳ぶりに感嘆いたしましたが、連想のレベルだけでいいますと、旧ソ連(現ベラルーシ)映画で「スタフ王の野蛮な狩り」という幻想的なミステリーがあって、とりわけ狩のシーンが鳥肌立つようなおぞましい美しさでした。これはロシア映画社のホームページでも紹介されています。ところで、アラファトさん、亡くなりましたね。全然関係ありませんが、享年75歳というと反応してしまうのです。あと、フランスで第二のルーブルといわれるパリ郊外のシャンティイ城の最後の城主オマール公アンリ・オルレアンも75歳で亡くなっていますね。あの有名な「ベリー公のいとも豪華な時祷書」をイタリアから買い戻した人物です。1822-1897の人で、1848年の民衆の勝利の後、英国に追われたという人ですから、リストもきっと知っていたでしょうね
会ったかどうかは別として。

(11/12-12:31) No.3216
ふゆひこ > 『I AM A DANCER』はDVDで出ているようです。それで今日、買いに行ったのですが、ありませんでした。シルヴィ・ギエムの方はあったんだけど。僕としては映画仕立てになっているヌレエフの方が観たいな。僕はオリヴェイラの作品は『世界の始まりへの旅』しか見たことないです。フィルモグラフィーで確認すると興味深い作品ばかりですね。『スタフ王の野蛮な狩』という作品、ロシア映画社のページで確認しました。ロシア語の原題が読めないのですが“野蛮な狩”と訳されているということは“WILDE JAGD”のことなんでしょうね。 (11/13-02:00) No.3218
ふゆひこ > nuages grisについて、僕の考えを書くと、僕としては“灰色の雲”という訳の方が好きです。“灰色”というのに、すでに“陰鬱な”っていう意味が含まれていると思うんです。“あいまいな”色としての“グレー”は“漠然とした”“不安”を連想させ、また“グレー”は老人の象徴でもあります。1881年に階段から転げ落ち陰鬱な時に、忍び寄る死の影に不安を抱く年老いたリストを、“灰色”と明記することで、僕にはイメージしやすいです。響き的にもこっちの方が好きかな。 (11/13-02:13) No.3219
ふゆひこ > オマール公アンリ・オルレアンという人は、まったく知りませんでした。ウォーカーの本で簡単にインデックスを見ただけですが、特に記述はなさそうでした。パリの郊外だったら、なんか関係はありそうですね。 (11/13-02:17) No.3220
じょるじゅ > まず、ぺとらるかさんが巧くは入れなかったMSNのサイトのほう。
同じ記事が実は少し改訂されて私の浪漫派研究会の本文記事の中にあります。
直リンクはコレ。
http://www.geocities.jp/georgesandjp/pianoduel_1836-37Hexameron.htm

≫リスト・ダグー書簡
仏アマゾンからオーダーするたびに在庫切れでもう4回ぐらい目です。
≪これで仏語を学ぶつもりなんだけど≫

≫アンリ・オルレアン
ルイ・フィリップのかなり下のほうの息子ですね。一番上の2・3人息子はリストと同じぐらいの年でリストはまだシャルル10世の頃からこの家族とは面識がありました。ですからルイフィリップが市民王になった後もその子供たちとは絶対に紹介されて面識があるはずです。ただ、アンリ・オルレアンは10代でアルジェリアのキャンペーン(リストのピアノ決闘の頃)に参加しているのでその後、パリを離れたリストと親しくする機会はあまりなかったでしょう。

で、政治的には17歳の頃からリストはルイ・フィリップに失望しているので48年の革命を、というか、ルイフィリップが王位を退く決意をした3日後に電報でその結論を実際の社会が知る前に受けていて、「ああ、これでしかるべき体制になる」と新体制に賛成しています。 (11/13-02:25) No.3221
ぺとらるか > 「スタフ王の野蛮な狩り」はこれ以上ないほど原語に忠実な直訳です。дикий(辞書に載っている元の形ですが)はほとんど英語のwildと同じ意味です。(口語ではぞっとするような、とか異常な、奇妙なという意味もあり、古くは、なぜか灰色という意味もあります)で、охотаは狩と狩猟隊という意味しかありません。でも、あの映画全体が当地の民話を絶えず念頭に置いている様子だったので、まさしくWILDE JAGDのことだと思います。灰色の雲については、やはり作曲時の背景とかさらに深い連想でアプローチするものなのですね。
じょうるじゅさん、今回はわざわざ直リンクを作っていただいて、ありがとうございます。さっそくお気に入りに追加しました。開いてみると、さらにリンクもあり、なかなか時間がかかりそうなので、ふゆひこさんの過去ログと平行してゆっくり読ませていただきます。本当にありがとうございました。ところで、その中で「神曲」の地獄篇第5歌の英訳のところを発見しました。実は今「ダンテを読んで」を弾き始めたところなのですが、中間部に涙がでるほど美しいpppの部分があります。(その少し前のアンダンテからの部分も何故か弾いていて、ボロボロ涙が零れてしまうのですが)そして、ダンテ交響曲のほうのライナーノートを見ると、フランチェスカ・ダ・リミニの悲哀を音化した中間部について書かれていましたが、ピアノ版ではやはりあの部分がそうなのでしょうね。一方ではアファナシェフ自身のロ短調の解説の中で、彼はリストの両性具有を見抜いていました。もちろん、これは彼の現実での体験のことではなく、おそらく偉大な芸術家の多くに当てはまる宿命であると考えられます。そしてpppの部分はダンテからのインスピレーションも事実でしょうが、女性原理(男性のうちにある女性の魂byアファナシェフ。アニマbyユング)によっても強く支配されていると思います。実際、ロ短調などを弾いていると、女性原理と男性原理の目まぐるしい交錯に戸惑い、楽しかったりというところでしょうか。
仏アマゾンってそんなにいい加減なところなんですか?ショック。それともたまに一冊出ると、大勢が殺到して品切れになるとか… (11/13-14:51) No.3223
ふゆひこ > ロシア語は文字すら読めないです。古本屋で辞書があったら買っておこうかな。ロシア映画社の紹介ページで映画の内容を読むと、どうも連続する猟奇殺人事件と、スタフ王の呪いである“死霊の狩猟団”の伝説が重なり合う話のようですね。観てみないと真犯人は分かりませんが(笑)。アファナシエフの解説をあらためて参照したら、“両性具有”について詳細に書かれていますね。前に、ソナタの解釈についていろいろ会話したとき、僕はアファナシエフの説をちょっと表層的に捉えすぎたように思います(いつもPAST LOGを紹介して申し訳ないですが『リストのソナタ』というところで会話しています)。アファナシエフの説は斬新な気がするな。前に整理したとき、ソナタロ短調が呼び起こすイメージは“相反する2つの要素が対立し繰り広げるドラマ”と、共通点を抽出したのですが、アファナシエフはそれを“両性具有”と見てるんですね。対立する2つの存在ではなく、同一に存在する2つの依存しあう要素。←ちょっと上手く書けないですが、説明のしかたを変えると、対立するものというのは、互いに打ち消しあうのではなく、相互に依存している、あるいは表裏一体、陰陽図(太陰対極図)のような単一体、って感じかな。 (11/13-23:51) No.3224
LOM > ここでは久しぶりです。大井和郎の「エステ荘の噴水」の虜になったLOMです。(次に何を弾いて欲しいか、僕の掲示板に書きましたw)

アファナシエフとNuages grisが同時に出てきたついでに。
アファナシエフは、ソナタが入ったCDのブックレットに、「『灰色の雲』(すなわち黒でも白でもなく、その両方だ)」と書いていますね。「暗い雲」ではこの考え方はできません。
という訳で、僕も「灰色の雲」を支持します。

タイトル等の訳は、僕も結構気にしていて、1曲1曲原題を確認しながら決めています。
"Wilde Jagd"は、オリジナルの「幽鬼の猟団」を使うつもりです。その曲紹介を書くときに変えようと思っていましたが、「Wilde Jagd」など書きそうにないので(爆)、ここに公開しておきます。
あと、クリスマスツリーの「夕べの鐘」=「晩鐘」は、個人的に素晴らしい発見だと思っています。

僕がいくら訳にこだわったところで、誰かが採用してくれるわけではないんですけどね。勝手な“こだわり”です(笑)。 (11/14-00:26) No.3226
ふゆひこ > 大井和郎さんの“エステ荘の噴水”他、“水”関連の3曲は独特ですよね。堀江昭朗さんの解説にある“音楽によるクリスタルパレス”という表現は、正にそのとおりだと思いました。僕は邦訳タイトルがいくつも存在するという、タイトルの記号としての役割を無視するクラシック音楽界の風潮が好きではないのですが、これはクラシックの場合仕方がないのかもしれませんね。楽譜に書かれたすべての記号から曲の構築(音にする)を行うクラシックの場合、タイトルの意味の追求(訳し方)というのも各人各様になってしまうのも仕方がないのかもしれません。 (11/14-22:33) No.3228

脱力、アファナシエフ  投稿者:ぺとらるか 投稿日:2004/11/05(Fri) 09:55 No.3189

お返事ありがとうこざいます。わー、さっそくお二人にお返事いただき感激です。演奏至上主義などと美化してしまいましたが、実はピアノ歴も大して長くないので、追いつけ追い越せで気合を入れているだけなのです。一応ピアニストである師についていますが、彼女はショパン、ドビュッシー、Mozartの専門家なので、最初リストをもっていったら少し嫌な顔をされたようです。「リストのこの曲<ラ・カンパネラ>はね、ただ弾けさえすればいいのよ」という調子でした。でも、ロ短調は実に丁寧にベートーヴェンでも教えるように指導して下さいました。それがハワード氏の指導方法と余りにも似ていたので、ピアニストという人々はやはりこの曲に同じ見解をもっているのだろうと思いました。また、その先生はパリ音楽院在学中にアファナシェフと知り合い、今でも友人で来日時には通訳もしてました。で、私も彼女からアファナシェフのチケットは安く売ってもらいました。さて、彼女は旧ソ連から亡命してきたばかりの彼の演奏を聴いて、その余りにも柔らかい脱力方法に驚き(アファナシェフはミケランジェリに傾倒していました)自分もそれを引き継ぐことにして現在日本で多くの弟子たちに伝えているのです。(桐朋などで)
ただし彼女の脱力方法はショパン風で、椅子は極度に低く、あたかも崖っぷちにしがみつくような形でピアノに体重を乗せるという方法なのです。高い椅子、手首を持ち上げて演奏するリストとは正反対ですね。しかし、どちらも見事に脱力しているのであり、北回りでも南周りでも同じ目的地に着くのだよという感じではないですか。ま、今のところ私はショパンのポーズでリストを弾いていることになりますが。ふゆひこ様、古本の情報ありがとうございます。ええと、じょるじゅさんも初めまして。サロンというのは19世紀ヨーロッパと今の日本では同じ言葉とは思えないほどの違いがあります。かつては<イノセント>の中でのように<エステ荘の噴水>とか<舟歌>が心地よく弾かれていたでしょうが、メフィストやロ短調はやはりホールの曲だったと思います。が、今は単に客席とピアノが同じ高さにあればサロン、ピアノが舞台に乗っていればホールになるのでしょうか。プログラムに関しては某中国人人気ピアニストのCDのようにロ短調の後にカンパネラを置いてはいけないと思います。その点、ブレンデル、アファナシェフは素晴らしかった。私がプログラムを考えた時には、まずシューベルトのこの曲がなければリストもなかったと思う重要な曲を最初に置き、メフィストの後はどうしても悪魔払いをしなければと考えコラール前奏曲を置いたのです。

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ふゆひこ > アファナシエフと友人のピアニストだなんて、すごい方ですね。昨年のアファナシエフのコンサート・プログラムに、アファナシエフ自身による文章で“日本の友人が”とかたくさん記述されていたので、もしかしたらその人なのかな、と思いました。僕はピアノを弾かないので分かりませんが、よく“脱力”とかって聞きますね。単純に僕は“力まない”っていうイメージなのかと思ってましたが、姿勢やイスの高さも影響してくるのですか。奥が深そうです。ぺとらるかさんもシューベルトの即興曲とリストの曲との親近性を感じられてるんですね。以前、そのことを話題にしたことがあります。PAST LOGのところで、『愛の夢 第3番とシューベルト即興曲』というところにあります。よければ参照してみてください。 (11/6-04:08) No.3190


ブレンデルの<音楽のなかの言葉> 投稿者:ぺとらるか 投稿日:2004/11/04(Thu) 16:11 No.3182

初めまして。このサイトを発見してからひと月ぐらいしかたっていません。アマチュアですが(インターネットも超初心者)演奏至上主義だった私はリストをよく弾きますが、本を殆ど読んでなかったのでカルチャーショックを覚え、急にあれこれ集め始めました。ここのCDの回想などから初めてアマゾンを知ったので。
見ず知らずの人間に丁寧なガイドをありがとうございました。さて、先月、都内某所でサロンコンサートを催しました。その時のプログラムは、シューベルト「4つの即興曲D899より第3番変ト長調」リスト「ハンガリー狂詩曲第12番嬰ハ短調」「3つの演奏会用練習曲より第3曲変二長調<ためいき>」「巡礼の年第2年イタリアより<ペトラルカのソネット第104>」「メフィスト・ワルツ第1番<村の居酒屋での踊り>」バッハ=ブゾーニ「コラール前奏曲<イエスよ、私は主の名を呼ぶ>です。来年はリストのピアノ・ソナタロ短調などを弾きたいと思ってはいますけど大変そうです。レスリー・ハワード・マスタークラスはとても参考になりました。リストはテンポにはけっこう煩かったような気がします。特にあの曲は古典派の基礎がないとたちまちボロがでるのでメトロノームで練習してます。
最後にお願いがあります。ブレンデルの<音楽のなかの言葉>という本を探しているのですがアマゾンでも見つかりません。絶版になった古本を入手する方法をどなたかご存知でしたら教えてください。

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ふゆひこ > はじめまして。見ず知らずの方が思い思いにアクセスして、思い思いに利用されるのがインターネットなので、そんなにお礼を言われるほどのことではないですよ(笑)。こちらこそありがとうございます。それは素晴らしいリスト・リサイタルですね。そんなプログラムならばぜひ聴きに行きたかったです。“ソナタロ短調”についての、ぺとらるかさんの記述は、ちょうどブレンデルのことを調べていたら(ルドヴィカ・フォン・カーンのこと)、日本語では『リストへの挑戦』のサイトだけがヒットして、そこで読んだKOUさんのブレンデルの“ソナタロ短調”についての記述と似ていたので、なるほど、と思いました(管理人のKOUさんは“メトロノームが鳴っているかのような”と書かれていたので)。←読みづらい文章ですいません(笑)。そういえば、アファナシエフの演奏も異常に遅いメトロノームが鳴っているかのように思います。その正確さが、見事な建造物のような“ソナタロ短調”を生み出すんでしょうね。 (11/5-02:27) No.3186
ふゆひこ > 『音楽のなかの言葉』は絶版なのかな?AMAZONが在庫を切らしていても、絶版ということではないかもしれないので、普通の一般書店で問い合わせて見ることもしてみた方がよいかもしれません。オンラインで和書の古書を取り扱っているところでは、僕は次の2箇所を利用したことがあります。

日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/

スーパー源氏
http://www.murasakishikibu.co.jp/oldbook/sgenji.html

日本の古本屋の方で、『音楽のなかの言葉』を検索かけると1点ヒットしますよ。けど、なんか値段が高いです…。他にはAMAZONではマーケット・プレイスという形で古書が出品されます。オンラインでは他にたくさん古書サイトがありますので、気長に探してみてください(BOOK OFFとか、他にもいっぱいあります)。実店舗ならば、神田の古賀書店が最も音楽書が充実していますね。 (11/5-02:38) No.3187
じょるじゅ > はじめまして。
「演奏至上主義」(そんなものがあったのですね)の方に目を開いてもらえるのが一番うれしいです。
リストは「弾く側のハート」をいつも指導していました。「僕はピアノ教師じゃない。でも君が自分自身の音楽を捜す手助けならできるよ」が決まり言葉でした。
わたしのBLOGでも愚痴りましたがリストを弾くとき「なぜあなたは『メフィストの一番』を選んだの?」というあたりが実は一番重要だったりします。サロンで聞いている人には全然関係ないしわからないことなんだけどね。
「それを演奏を通して伝える』なんていうのはうそです。でもなぜか弾く前のプロセスが無い人間の演奏はわかってしまうのです。
新しい境地にいらしたことを祝福いたします。 (11/5-04:47) No.3188

リストの日 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/10/25(Mon) 18:44 No.3156

ヴァイマールでは、10月22日から24日までリストの日でコンサートがありました。22日はオルガンコンサートでヘルダー教会にて「BACH幻想曲とフーガ」「バッハ変奏曲」「アド・ノス」が演奏されました。ちょっと疲れていて集中して聴けなかったんですが、その場にいるだけで感動ものでした。24日はアルテンブルクにてピアノリサイタルがありショパンのソナタやリストのハンガリー狂詩曲が演奏されました。奏者の名前は忘れました(すごい記憶力でしょ)。それからその後リスト協会の会長とお話する機会があって(というか勝手に話しかけただけ)、いろいろと面白いお話を聞けました。会員にならないかと誘われ、いま検討中です。
リスト協会の集いは今年はヴァイマールで行われたらしいのですが、来年はバイロイトでなんとニケ・ワーグナーが出席するそうです。いきたい!

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ミッチ > アルテンブルクに入れたのは感激でしたよ。車でヴァイマールまで行ったんですが、140キロで走ってても、他の車が速すぎて自分がゆっくり運転しているようでした(笑)。 (10/25-18:47) No.3157
ふゆひこ > 教会のオルガンで“アド・ノス”や“バッハの名による〜”を聴けるなんてうらやましい。僕もいつか聴いてみたいです。迫力に圧倒されるんでしょうね。しかもアルテンブルクでコンサートを聴かれたんですね。素晴らしい。僕は最近入手したボリス・ブロッホのアルテンブルク・レコーディングのCDを聴いて、その場の空気を想像して楽しんでます(笑)。リスト協会の集いというのは、世界各国のリスト協会が集まるっていう感じなのかな。ニケ・ワーグナーは、リスト一派としてバイロイトに舞い戻るんでしょうか(笑)。 (10/27-00:47) No.3163
ふゆひこ > アルテンブルクでコンサートが継続的に行われたり、ワイマール芸術祭をニケ・ワーグナーが指揮したり、レスリー・ハワードがマスター・クラスを開催したり、とリストの志というのはまったく健在ですよね。 (10/27-00:50) No.3164
ミッチ > その時に貰ったアルテンブルクのコンサート予定表を見たら、1ヶ月に一回コンサートが行われているみたいです。常にリストというわけではないですが、来年「リスト・編曲作品とオリジナル作品」というタイトルのレクチャーコンサートが行われるみたいです。興味あります。
ボリス・ブロッホのアルテンブルク・レコーディングってトランスクリプションがたくさん入ってるやつか、スペイン狂詩曲が入っているのでしょうか?それとも、新しくCDがでたのでしょうか?よければ教えてください。 (10/30-21:46) No.3168
ふゆひこ > 定期的に行われてるんですね。それならいつか行けるかもしれない。ボリス・ブロッホのCDはブゾーニ編の協奏曲版スペイン狂詩曲が入っているやつです。“CDの回想”のページで“その他のピアノ独奏曲”のところの一番下にのっけてますので、参照してみてください。2002年の録音だから、そんなに新しいCDではないのかも。僕は中古屋さんで買いました。 (10/31-11:20) No.3171
ミッチ > ありがとうございます。それ店頭で見かけて買おうか迷ったCDです。当時はブロッホのことを知らず「誰それ?」っていう感じでした(笑)。 (11/4-01:56) No.3177

バイロイトのプードル 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/11/03(Wed) 02:45 No.3172

“バイロイトのプードル”。これはリストが晩年に、バイロイト・フェスティヴァル推進のために担ぎ出される自分自身を揶揄して表した言葉です。人寄せのために、飾られて囃される弱くて小さな愛玩動物ということでしょうか。1886年7月25日(死の6日前です)、リストはもう喀血したり咳き込んだり、ひどい体調であるにかかわらず、バイロイトでの“トリスタンとイゾルデ”上演に顔を出す。これがリストが最後に観賞したオペラ。そしておそらくこれが伝説のフランツ・リストが生前に観衆から受けた最後の拍手喝采。このことを記述しているウォーカーのリナ・シュマルハウゼンの日記『THE DEATH OF FRANZ LISZT』のP78の注釈で“バイロイトのプードル”発言が紹介されています。

それとウォーカーはこの“バイロイトのプードル”発言を気に入っているのか、ハンガリーの雑誌に寄稿した文章“文化大使としてのリスト”でもその記述が読めます。↓

http://www.hungarianquarterly.com/no171/17.html#aut

この“バイロイトのプードル”、出典が分からないんだけど、リストは比喩で“プードル”を引き合いに出すのが好きなようで、他にもあります。ラ・マーラ書簡集VOL2 8 1862年8月29日 フランツ・ブレンデル宛の書簡では

“メフィストという性質は、プードルの性質から生み出される”

?みたいな記述があります。よく意味がつかめません。コンスタンス・バシュによる英訳の原文は

A "Mephisto" of that species could proceed only from a poodle of that species です。

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ふゆひこ > 次はすべてネット上の知識で整理できてません。プードルという犬は、歴史が古く、古代ローマ・ギリシアの時代からいるとのこと。16世紀、17世紀ぐらいから流行していて。プードルはもともとは猟犬で、水辺などで、足を取られないように、あの有名な足の一部など体毛を刈り込むカットが行われていたとのこと。マジャール人がハンガリーに入ったときに連れていた猟犬がプードルの起源とも書かれている記述もありました。ドイツで猟犬として発展し、フランスで愛玩犬として流行したようです。フランスとドイツでどっちが先か、という論争が続いているようです。この辺、リストも同じ(笑)。前に紹介したバイロイトにある、オトマール・へールの“ワーグナーの犬”の像の隣に“バイロイトのプードル”を置けば、なお笑える(笑)。 (11/3-02:45) No.3173
ふゆひこ > ラ・マーラ書簡集の268 1880年11月11日付 アンナ・ベンフェイ=シュッペ夫人宛書簡。これはベンフェイ博士が書いた“ベートーヴェンとリスト”というパンフレットに対するリストの感想のような手紙かな?間違ってるかも。

“素直に『ベートーヴェンとリスト』というパンフレットのタイトルについて告白すると、最初とても畏れ多いと思いました。そのタイトルは私に子どもの頃の記憶を思い起させました。50年ほど前のことでしょうか。パリの植物園で、私はしばしば無害なプードル犬が偉大なライオンの檻の鉄柵につながれているのをしばしば見ました。プードルはまるで小さな召使のように振舞おうとしているかのようでした。私はまさに、プードルが百獣の王に対して持った感情と同じものを、ベートーヴェンに対して抱くのです” (11/3-02:46) No.3174
ふゆひこ > 次はラ・マーラ書簡集の129 1854年12月14日付 ウィリアム・メーソン宛書簡。

“先月に来てくれた芸術家達については、個人的に大変楽しかった。クララ・シューマンとリトルフのことを話さなければならないね。ブレンデルの新しい雑誌に、シューマン夫人についての私の名前をサインした記事が載っているよ。私は再び、彼女の演奏に共感を覚え完全に彼女の才能を高く評価し賛美するよ。リトルフについては、私は強い印象を受けたことを告白しよう。彼の4番目の交響的協奏曲(草稿)はとても注目すべき作品だ。そして彼はとても完全に強い気迫でもって演奏した。このような豪胆で確信に満ちた演奏は私にとってとても楽しみなことだ。ドライショックの驚異的な演奏に存在する4足獣がいたかのようだ。(この比較は決してリトルフを悩ませはしまい。ライオンはプードルと同じ4足獣ではないだろう?)” (11/3-02:47) No.3175
ふゆひこ > ↑最後の肝心なところがよくわからない。リストはプードルをライオンと対比させる形で使っていますね。リストの時代からあったのかは知りませんが、プードルの頭の周りの毛を残すカットは“ライオン・カット”と言うそうです(笑)。 (11/3-02:48) No.3176

レスリー・ハワード マスタークラス 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/24(Sun) 23:41 No.3152

今日、レスリー・ハワードのマスタークラスに行ってきました。場所はスタインウェイサロン、松尾ホールというところ。

僕は有楽町から歩いていったんですけど、交差点の信号を渡ったところで、日本人の女性と外国人が一人、それがあらぬ方向に歩いていく別の二人の外国人に“そっちは違うよ!”と呼び止めていました。別にそんなのは当たり前の光景なので、特に何も考えもせず、僕もそのまま行過ぎてしまい、“なんだ、さっきの交差点のところの角のビルだと思い”引き返して階段を降りていくと(会場は地下です)、ハワードが入り口に。さっきの日本人の女性は、その後分かったんですけど、通訳の方。おそらくあらぬ方向に歩いていった二人のうちの一人はハワードでしょう(笑)。ハワードは巨漢ですね。190センチ以上あるんじゃないかな。体重も100kg以上は余裕であるでしょう。グレーのシャツと、デニムというリラックスした装いです。

会場は100人ぐらい入れるのかな、小さなところです。客席とそれほど段差のないステージにピアノが二台並べてあって、奥がハワード、受講生が手前。ハワードが最初になんか試し弾きをしたんだよね。僕は聴いたことある曲だったので、リストの曲だと思うんだけどその後、たくさんいろんな曲を聴いたので、どんな曲だったか忘れました。

じょるじゅさんと並んで最前列で見てしまいました。僕などが最前列で指が良く見える位置に座ってしまったことに謝ります。すいません。

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ふゆひこ > マスタークラスは、受講生の方がそれぞれの曲を通して弾いて、後からハワードが指摘していく、というやり方で進行しました。受講生の人は、皆、かなり演奏が出来る人ばかりで、僕などは、この人たちの演奏会にお金を払って聴きにきたようなものです。最初のパガニーニエチュードから、最後のソナタロ短調まで、コンサートとして楽しめました。ソナタロ短調と、スペイン狂詩曲、メフィストワルツなんて、僕にはかなり優れた演奏だと思いました。

ところがハワードが(おそらく受講生自身も)求めるレベルというのはさらに上のようで、強弱の付け方(ベース音だけをフォルテで弾くとか、微妙な)ペダルの踏み方とか微妙な指摘をする。ハワードが、終始、指摘していたのは、ペダルでした。ハワードはすごく楽譜に忠実に指導してました。それぞれの受講者も、いろいろ弾きなれたスタイルがあると思うんだけど“ここはフォルテシモじゃなくて、フォルテ”とか、かなり細かい。それと相当耳がいいんでしょうね。実際に曲を弾いた人じゃないと分からないと思うんだけど(僕にはさっぱり)ハワードは“今、この音が抜けていたよ”とか、“そこのフレーズが違う”とか、ぱっと聴いて鋭く聞き逃しません。朝10時から始まって、6時ぐらいまでやってたのかな。聴いているだけの僕でも疲れました。最後の受講生の曲がソナタロ短調なんだけど最初にハワードは“ソナタは長いから、途中でやめにしてしまうかもよ”と断っていましたが、優れた演奏だったこともあってか、止めずに受講生は最後まで弾ききりました。

終わってから、僕はただの観客なのに、ずうずうしくもハワードに握手してもらって、じょるじゅさんから当日いただいたゲレリッヒの『リスト マスタークラス』の書籍にサインまでもらってしまった。よく見たら、“fuhiko (ふひこ)”になってた(笑)。 (10/24-23:42) No.3153
ふひこ > ←サインの所有権を主張するための、簡単な解決策(笑)。上の僕の記述からでは、ハワードがどんな演奏なのか、まったく分からないですね。というかリサイタルを聴いたわけではないので、何もいえませんが。ハワードはそれぞれの受講生が持ち寄る曲に対して、自分でも準備してきた、という感じではないです。その場で譜面を見て、思い出しながら弾いているという感じでした。“こうだよ”といってハワードが弾いてみるんですけど、鍵盤から手を振り上げて弾くような部分だと、振り下ろした指が正しい鍵に当たってませんでした(笑)。僕はピアノ弾かないので分かりませんが、弾き込んだ上での運動感覚的なところがあるんだろうと思うので。ハワードは“こういう感じ”とか“音楽としてどう表現するか”を一番に伝えようとしているようでした、そのための“形”“スタイル”っていう感じなのかな。何かの曲で、ハワードがその“形”“音楽としての盛り上げ方”を伝えるために、大迫力で一定の部分を弾いたのですが、そこは鳥肌が立ちました。 (10/26-23:54) No.3159
ふひこ > あと“スペイン狂詩曲”のとき、曲が1863年に書かれ、それが1844年〜45年のスペイン演奏旅行(ハワードは1843年って言ったかな?じょるじゅさんが“1843年なのか?”って質問していたんだけど。ハワードの記憶違いかな、特にウォーカーとかにも“1844年以前にスペインに行ったということは”載ってません。)を回想して書かれたという事実を紹介し、“スペイン狂詩曲”を過去への郷愁のようなイメージで捉えていました。僕は後年書かれたという事実を、曲の完成度の高さに結び付けこそすれ、“過去への郷愁”というようには思ってなかったので、僕には新鮮でした。 (10/27-00:09) No.3160
じょるじゅ > やっぱり44年だよね〜...?
それとも、新しく43年に行っていた事実が解明されたとか・・・ (10/28-14:05) No.3167
ふゆひこ > ハワードのただの記憶違いのような気がするな。VYのP294、P295で確認してもスペインの諸都市は1844年〜45年になってますね。 (10/31-11:09) No.3169
ふゆひこ > ↑レスリー・ハワードのマスタークラスについては、じょるじゅさんの『浪漫派研究会』、KOUさんの『リストへの挑戦』で、もっと詳細に鋭く的確にレポートされているので、みなさんぜひ参照してみてください。KOUさんの方は、リサイタルのレポートもあります。 (10/31-11:13) No.3170


大井和郎 『巡礼の年、子守歌』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/28(Thu) 02:04 No.3165

今日発売で、さっそく買ってきました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002YD5AG/reminiscedefr-22

僕はこのCDは“リスト・ルネサンス”の第3弾なのかと思ったんですけど、違うようですね。最初の解説文に“「リスト・ルネサンス」シリーズとは別に”と違う位置づけのような記述もあります。だいたい野本由紀夫さんが解説を書いてません。

演奏はですね、最初の水をテーマにした3曲は、ちょっと僕にはぴんと来ないです。ブレンデルで聴きなれているせいかな。なんか微細な揺らぎみたいなニュアンスを感じることができないです。“泉のほとりで”は、僕が聴きなれた演奏に比べテンポが早くて戸惑いました。

一聴して素晴らしいのは後半です。“ジュネーヴの鐘”は大変スケールが大きくドラマティックです。まるで“オーベルマン”と同じくらい壮大な演奏が聴けます。“ペトラルカのソネット”の3曲も、がっしりと演奏され硬派な感じがして好きです。

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ふゆひこ > 堀江昭朗さんという人による曲目解説が、間違いだらけで、なんか変です。事実誤認の点は別にまぁいいとして、年号の単純なミスが2行連続あるというのはちょっとひどいな。 (10/28-02:26) No.3166


リストの “夜鳴きうぐいす(Le Rossignol, Nightingale)” 投稿者:翁丸 投稿日:2004/10/20(Wed) 13:11 No.3135

初めまして。 翁丸と申します。よろしかったら 教えて下さい。リストの ”夜鳴きうぐいす”について伺います。 ピアノは全くの門外漢でして ハープをやっているものです。ハープ演奏で 夜鳴きうぐいすを聴き、ピアノも聴いてみたく思ってます。アマゾンでは レスリー・ハワードのものしか見つけられなかったのですが(←それも未聴です)もしその他に日本で手に入るものでお勧めがおありでしたら 教えて頂けませんでしょうか?初めてお邪魔しまして 恐縮ですが・・ よろしくお願い申し上げます。

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翁丸 > 念のため 追記致します。 ”夜鳴きうぐいす”は"Le Rossignol"か"Nightingale"の方が通りがよいのかもしれません・・無知で申し訳ないです。 (10/20-13:33) No.3136
ふゆひこ > はじめまして。その曲は“ナイチンゲール”の方で呼ばれることが多いかな?アリャビエフの曲の編曲になりますね。僕はCD屋さんで、(たぶん)ギンズブルクが録音しているCDを手にしたことがあります。リスト編の“ナイチンゲール”は、録音されるのは珍しいので、“ロシアのピアニストだから、この曲を取り上げたのかな”と思いました。ギンズブルクの演奏は、オペラ・トランスクリプションのCDを聴いたのですが、煌びやかなスタイルは“ナイチンゲール”に合っているかも。 (10/22-01:17) No.3139
ふゆひこ > ↓ギンズブルクのCD。これじゃなかったけどな?僕が見たの。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00001IVPB/reminiscedefr-22

↓エレーナ・ベックマン・シチェルビナ?試聴できます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001HCZ/reminiscedefr-22

↓ジェフリー・トザー?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000AZI/reminiscedefr-22

↓あとシフラも録音しているようです。
http://www.arkivmusic.com/classical/album.jsp?album_id=30808

あまり録音されるの珍しくなかった(笑)。 (10/22-01:38) No.3140
翁丸 > ふゆひこさん 突然お邪魔しましたのにご親切にお答え頂いてありがとうございます。 ”ナイチンゲール”で呼ばれることが多いとのこと、勉強になりました。 早速 ギンスブルグのCDを注文してみました。とっても楽しみです。ありがとうございました。 (10/22-09:20) No.3142
ふゆひこ > いえいえどういたしまして。試聴できるエレーナ・ベックマン・シチェルビナ(←この表記で定着しているようです)の演奏が気になりますね。けど在庫なしみたいです。どっかのお店にないかな。 (10/24-23:18) No.3148


ラ・ワリーの回想 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/18(Mon) 23:28 No.3128

この間、再発されたハワードの『レア・ピアノ・アンコールス』というアルバムに、とても面白い曲が収録されています。その名も“ラ・ワリーの回想 Reminiscence de opera "La Wally"de Catalani”。これはハワードによる編曲作品です。カタラーニというイタリアの作曲家のオペラ“ラ・ワリー”を、ハワードがリストのスタイルにならって編曲したものです。このオペラは1892年初演なので、リストは知りません。ハワードは、意図的にリストから遠からず、近すぎずの時代の作品を選んだのかな?さすがリストの曲を知り尽くしたピアニストによるものであって、ほんとリストの曲を聴いているかのようです。

ハワードの解説によると、この“ラ・ワリー”の旋律は、ジャン・ジャック・べネックスの映画『ディーヴァ』で使われたそうですね。僕はこの映画、途中までしか観てないです。こんどちゃんと観ようかな。なぜかデラコルタの小説だけは読んだんだよね。

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ふゆひこ > CDは“CDの回想”のページでハワードのところからAMAZONへリンク張ってあります。ハワードのオリジナル曲はもう1つ、“クリスマスのパストラール”という曲が収録されています。これら2曲は、ハイペリオン盤では収録されていなかったようです。解説を読むと、なんでも最初『レア・ピアノ・アンコールス』はLPの収録時間に合わせられており、ハイペリオンのCDはそのままCD化したのかな?ヘリオスからの再発に際し、時間も余ってることだから、リスナーに感謝の気持ちも込めて、ボーナストラックとして収録した、とのこと。 (10/18-23:32) No.3129
ふゆひこ > ハワードのサイトに行って、他に面白そうな曲ないかな、と思って探したら、作品28番は、オルガンとピアノのための“グランド・ギャロップ・ドロラティーク”(Grand Galop drolatique for organ and piano
)でした(笑)。“笑滑稽的大ギャロップ”とでも訳すのかな(笑)。 (10/18-23:48) No.3130
じょるじゅ > それってハワードの曲なんですか?笑える。もう。マニアうけ。(笑) (10/19-03:19) No.3133


Liszt et Debussy 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/10/11(Mon) 22:03 No.3077

Liszt Studien(リスト研究)というシリーズ物の本があるのですが、これ以前こちらで紹介されていたリスト・スタディーズのドイツ語版だと思っていたのですが、違いました!ヨーロッパ・リスト・センターで行われたリスト・カンファレンスの研究成果の記録みたいです。で、そのなかの一つの項目に「リストとドビュッシー」というのがあって、「うぉぉ!」と思ったんですが、「あれ?etってフランス語?」と思い確認してみたらやっぱりフランス語でした!がっかり。。すべて原語で収録されていて英語、ドイツ語、フランス語が混ざっています。
ふゆひこさん、読んでみませんか?よかったらコピーしてお送りしますけど。

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ふゆひこ > それは面白そうですね。僕は英語がかろうじて読める程度なので、他の言語はつらいです。最先端の研究論文とか議論とかって知りたいですよね。おお、送っていただけたら大変うれしいです(ですが著作権にひっかからないか心配です)。 (10/11-22:16) No.3078
ミッチ > 質問なんですが、以前紹介されていた。ドビュッシーの「音楽ために」って原語のタイトルわかりますか?知っていたら教えてください。pour Musique とか?(←僕のいい加減なフランス語(笑)) (10/12-20:42) No.3083
ふゆひこ > ドビュッシー『音楽のために』(白水社)の原題を紹介するためには、ちょっと訳者の杉本秀太郎さんのあとがきを抜粋することが誤解を避ける一番の方法のようです。P327です。

“没後三年の一九二一年に『クローシュ氏=アンティ・ディレッタント』(Monsieur Croche antidilettante)という本が出た。(略)ところが『クローシュ氏』初版からちょうど五十年を経た一九七一年、ガリマール書店は『クローシュ氏、その他』(Monsieur Croche et autres ecrits)という書物を刊行した。(略)『クローシュ氏』に比べると、ほとんど四倍近い分量に達している。なかの一篇の題名を借りて、便宜上、『音楽のために』という標題を付けたが、ここに訳出したのは『クローシュ氏、その他』の全部である。”

原書で探されるのでしたら、『Monsieur Croche et autres ecrits』ですね。 (10/13-00:56) No.3090
ふゆひこ > 岩波文庫で出ている(今は在庫切れのような気がするけど)『ドビュッシー音楽論集』はなんなんだろう?と思ったら、これが“アンティ・ディレッタント”の方ですね。岩波文庫では、『クローシュ氏 アンティ・ディレッタント』を“反好事家八分音符氏(はんこうずかはちぶおんぷし)”と訳して副題としています。 (10/13-01:06) No.3091
ミッチ > ありがとうございます。という事はドビュッシーの音楽論を完全版で読みたい場合はその2冊を買えばいいのですね。手に入れば、の話ですが。
最近、ヤコフ・フリエールというピアニストのCDを聴いてやっと、「ドビュッシー嫌い」が直ったので、すごく興味があります。 (10/14-21:10) No.3100
ふゆひこ > まず2冊を『アンティ』と『その他』と呼び分けるようにします。僕のNO3090での理解は(変な略しかたをしてしまい、引用の仕方を失敗しました。ごめんなさい)、“『アンティ』に、文章を追加する形で『その他』となった。『その他』=完全版”だと考えていたのですが、これは間違いです。

杉本秀太郎さんの“あとがき”を継続して読んだら、次のことが分かりました。『アンティ』はドビュッシー自身による選択、文章の再構築が行われています。で、おそらく『その他』は発表された当時の形に直して、『アンティ』に収録されなかった文章も追加して、完全版としたようです。杉本秀太郎さんの“あとがき”の終わりの方から引用。P334。

“ただし、くり返すが、この訳書『音楽のために』は、(略)『クローシュ氏=アンティ・ディレッタント』とは、まったく別の書物である。『クローシュ氏=アンティ・ディレッタント』はすっかり解消され、本書のなかにいわば潜在化している。”

つまり熱心なドビュッシーのファンでないかぎり、『その他』を入手すれば『アンティ』は必要ない、ということですね。 (10/15-01:25) No.3105
ミッチ > ありがとうございました。購入を考えてみます。「ドビュッシーはリストのことを...」という誤解をもっていたので、それを正せればいいな。 (10/16-22:11) No.3114

WERK UND WESEN by SCHOENBERG 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/11(Mon) 12:55 No.3063

というわけでシェーンベルクの方も。ミッチさんに紹介してもらった、『STYLE AND IDEA』(University of California Press)が届きました。まず僕が下で混乱した書き方をしたので、先に整理すると、シェーンベルクのリストについての文章はミッチさんが紹介してくれたとおり『FRANZ LISZT’S WORK AND BEING (WERK UND WESEN)』という文章で、それが『STYLE AND IDEA』という書籍に収録されています。P442〜447

しかし、この英文、僕にはさっぱり理解できない(笑)。短い英文なんですが、なんか難しい単語続出で、理解できない文章です。うーん、なんとなく、シェーンベルクの捉え方は、リストは“新しい音楽”の推進に対する“Faith 信仰、信念”というものに依拠しており、その“信仰、信念”は、“Instinct 本能、直感 ”によるものとし、それは“Great Man 偉人”の類に属する人達に見られる特徴として、尊重しているようです。他に“偉人”には、プラトン、イエス・キリスト、カント、スゥエーデンボルグ、ショーペンハウアー、バルザックが列挙される。そのような性質は、“偉人”の域を超え、“予言者”にすらなる、とのこと。(スゥエーデンボルグって知らなかったんですが、ネット上で調べると、17世紀末〜18世紀の人物で、神学者、思想家。おそらくその延長で科学や天文学を研究し、晩年は霊魂などの神秘思想に入っていったようです。現在ではこの神秘思想について関心を持っている人が多いですね)。

これまだ1〜2ページ分。この後、シェーンベルグによる、リストが犯した形式上のミスなどについて書かれているようです。また辞書を引き引き読みます。

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ふゆひこ > シェーンベルグが偉人の例として挙げた人々が、シェーンベルクがリストをどのように位置づけたかを想像させてくれます。つまり、先例に縛られるのではなく、“直感”と“自分の本能”に従って、“革新”を行った人、その“革新”は不完全であり、間違いは多くあり、それは後の世の人々に訂正されることになるような人。イエス・キリストをそこに混ぜてもよいのか疑問ですが・・・。僕がなんとなく知っているのは、プラトンはアリストテレスに批判されるし、ショーペンハウアーは、ニーチェに批判されている(ただしアリストテレスもニーチェも最初は熱心にその先達の巨人を崇拝し影響を受けたことがポイントだと思う)。これはリスト〜バルトークの流れも重ねられますね。というより多くの芸術、科学の発展に見られる典型的な歴史でしょう。シェーンベルグが言うところの偉人に、僕が勝手に足せば、ナポレオンとか、コペルニクスも入れていい気がする(上記の“典型的な歴史”につなげれば、それぞれベートーヴェン、ガリレイを後に書いてみてもいい)。 (10/11-12:56) No.3064
ふゆひこ > ↑ごめんなさい。シェーンベルクはイエス・キリストに間違いがあるとは書いていません。あくまでも“直感”と“本能”に従って“革新を行った偉人”の例として挙げているだけです。 (10/11-12:59) No.3065
ふゆひこ > ここ最近、この掲示板で会話されていることは、ほとんど関連するんですよね。話が入り組んでしまう。

中公新書『バルトーク』 伊藤信宏 著から、P168。

“作曲が音の「構造」化であり、音楽を聴くとはその「構造」を捉えることである、と考えた近代ヨーロッパの音楽観にとって(そしてそのような構造を捉え損なった音楽の聴き方を「聴衆の退化」であるとしたシェーンベルク=アドルノ的音楽観にとって)、このような旋律は「音楽」に根本的に抵触するものであった。”

↑ここで出てくる“旋律”というのはバルトーク、コダーイが収集して尊重した民謡です。シェーンベルクはそれらが、芸術音楽、ある程度の規模の音楽作品に発展できる可能性を孕んでいない、と見ていたようです。
実際、シェーンベルクの『作曲の基礎技法』(音楽之友社)をパラパラ読んでも、シェーンベルクが“構造”に一番主眼を置いていることが感じられる。それゆえにシェーンベルクが最も関心を持つのがバッハ、ブラームスなのかな。シェーンベルクの文章で、ブラームス、バッハが言及される頻度は、リストの比ではないです。
室内交響曲 第1番をブーレーズ指揮のディスクを購入して、何度も聴いてるんですが、構造上、ソナタロ短調に似ている、ということが僕には実感できない(笑)。シェーンベルクに言わせれば、僕は退化した良いサンプルです(笑)。 (10/11-13:02) No.3066
ふゆひこ > リストに関しては、他に興味深い発言があります。『STYLE AND IDEA』 P80

“私は、ツェムリンスキーに会ったとき、‘ブラームジアン’だった。ツェムリンスキーはブラームスとワーグナーを好んでいて、その後まもなく私も同じように好きになった。私がこの頃に作曲した作品が、これら二人の巨匠の影響を映し出しているのは疑いもない。リスト、ブルックナーの風味、おそらくはフーゴー=ヴォルフも加えても良い。これがつまり‘浄められた夜’の主題構造が、一方ではワーグナー流の千変する和声の上の‘モデルと進行(model and sequence)’が基となり、また一方ではブラームスの―私が呼ぶところの―‘ヴァリエーション展開の技術’に根ざしている理由である。”

専門用語がよく分からないので英文で括弧に入れました。 (10/11-13:04) No.3067
ミッチ > いつもながら、あなたの研究熱心な所には頭が下がります。今はちょっと時間が取れないのですが、僕もいつか全訳しようと思っています。(メールで送りますので添削してください(笑))
そのような性質は、“偉人”の域を超え、“予言者”にすらなる
↑ここがちょっと僕の読んだ文と若干違います。僕のほうには「そのような人種はもはや芸術家ではない。より偉大なもの、そう預言者なのだ!」となっていました。 (10/11-21:44) No.3073
ふゆひこ > ああ、ミッチさんの訳されたとおりです。英語訳された原文(翻訳はレオ・ブラック)は次のとおり。P443

Such a man is no longer an artist,but has become something greater:a prophet.

ミッチさんの訳のとおりですね。添削していただきたいのはまったく僕の方です(笑)。 (10/11-22:00) No.3076
ミッチ > 添削してください、というのは冗談ですが、僕がドイツ語から攻めて、ふゆひこさんが英語から攻めていけばより精度の高い翻訳ができるかなと思いまして。僕のドイツ語も不十分なので。「ここは違うんじゃねぇか?」みたいなご指摘をいただけるだけでありがたいのですが。。 (10/12-20:47) No.3084
ミッチ > まったく関係ありませんが、よければヴァイマールのリスト協会、リンクに入れてください。
http://www.franz-liszt-gesellschaft.de (10/12-20:52) No.3085
TAKIN > ふゆひこさん(No.3066)、室内交響曲の形式云々はそんなに難しい話じゃなくて・・・というか、見方によってはごく表面的な話だと思います。要するに、ソナタ形式の単一楽章の中に緩徐楽章やスケルツォの要素を埋め込んだ構成ということで(具体的には提示部−スケルツォ−展開部−アダージョ−フィナーレ)、その着想はリストのソナタにヒントを得たのではないか・・・ということです。シェーンベルクはその前に書いた「ペレアスとメリザンド」、弦楽四重奏曲第1番でも同じような構成を試みています。

しかし、この手の一楽章形式はシューベルトの「さすらい人幻想曲」(リストも編曲している)に始まって、リスト自身もピアノ協奏曲第1番や交響詩のあるもの(「タッソー」「理想」)で同じような試みをし、シュトラウスの「英雄の生涯」や「家庭交響曲」まで及んでいるわけですし、他にもシューマンの第4交響曲とかシベリウスの第7交響曲もあるわけで、その中で特にロ短調ソナタとシェーンベルクの初期作品だけをクローズアップする理由はあまりなさそうな気もします。うがった見方をすれば、シェーンベルクの「新しさ」を強調したい一派と、リスト作品の「予言的性格」を強調したい一派との野合の産物かもしれません。(まあ本当は肯定論にせよ否定論にせよ、ちゃんとした楽曲分析に基づいて言わなければいけないはずですが、素人の悲しさでそこまで行けません。)

あと「音楽を聴くとはその「構造」を捉えることである、と考えた近代ヨーロッパの音楽観」というやつの本当の出典もちょっと知りたい気がします。構造を捉えるといっても、ソナタ形式だのロンド形式だのを同定する、という意味ではまさかないと思うんですが・・・これを言い出したのはハンスリックあたりなのかな? とすれば彼にはブルックナーだけじゃなくてリストのソナタの「構造」もわからなかったって事ですかね(爆)。
(10/12-22:49) No.3086
ふゆひこ > ミッチさん。シェーンベルクの『FRANZ LISZTS WERK UND WESEN』は短い文章なので、時間をかければ僕でも訳せるかもしれないです。今度やってみますので、お互い、ぜひ照らし合わせてみましょう。おお、ワイマールのリスト協会なんてあったのですか!いつもLISZT SOCIETYで検索かけてたから、全くひっかかりませんでした。こんどリンク集に加えておきます。 (10/13-01:22) No.3092
ふゆひこ > TAKINさん。何度も室内交響曲第1番を聴いたのですが、僕は、その構造(提示部―スケルツォ〜)すらつかめてないです(笑)。もっとよく聴いてみます。僕は“ソナタロ短調”の構造の特徴として、曲の説得力、論理感を構築する上で(従来の形式を壊したために、新しい形式を再構築する上で)、主題を全体に渡って入り組んだ形で展開、使用、再現しているところを重要視しています(←僕も素人なんで、僕の勝手な理解です)。そういう点で、シェーンベルクの室内交響曲第1番を、もうちょっと聴いてみます。 (10/13-01:39) No.3093
ふゆひこ > どなたかご意見を聞かせていただけると嬉しいんですが、僕は今シェーンベルクの“浄められた夜”を聴いているんですが、僕には“室内交響曲第1番”よりも“浄められた夜”の方がはるかに“ソナタロ短調”に類似している気がします。構成や、全体から受ける論理感、それだけでなく旋律の一つ一つが似ていると思う。もっとちゃんと楽譜を見ないとダメですね。こんど室内交響曲の楽譜も買ってこようかな。 (10/13-01:49) No.3094
ふゆひこ > “音楽を聴くとはその「構造」を捉えることである”というところは、こんど原典的な記述を探してみます。僕の感覚では、NO3093の書き込みと同じなんですけど、“納得させる文法、論理”っていうのを、通常の芸術は目指すと思うんですよね。単純に鑑賞者が“構造”を掴めない場合、曲が支離滅裂に聞こえる(←あえてハンスリックの有名なソナタロ短調評の言葉を使ってみた(笑))、感想は“よくわからない”になってしまう。文法や論理というのは、従来のロンド形式とかソナタ形式というものだけでなく、新しく作り出した形式でもいいし、文学のストーリーに拠り所を求めてもいいし(リスト“理想”シェーンベルク“浄められた夜”)、天空の星々の位置でもいい(ケージ“黄道の地図”)。ただ僕はむしろ19世紀の音楽観というのは、構造を掴むというより、なんか精神面に注目したりする方が強かったんんじゃないか、とは思ってます。アドルノとハンスリックの本を1冊ずつ持ってるので、まずはそれからあたってみます。 (10/13-02:15) No.3095
ミッチ > やりましょう!やりましょう!照らし合わせましょう!それにしても、なんか小難しい文章ですよね。
ヴァイマールのリスト協会は定期的にリストファンの集いがあるみたいです。ウケる! (10/14-21:14) No.3101
TAKIN > 前に「シェーンベルクがリストについて書いているのは初耳」なんて書きましたが、とんだ恥さらし、というのは、以前から持っている本にちゃんと出ていたんですね(^^;)。しかも晩年のリストの写真まで出てる(これもナダールが撮ったのかな?)(Eberhard Freitag "Schoenberg", Rowohlt, 1973. 音楽之友社から和訳が出ていますが私は持っていません。)ただしごく簡単に触れられているだけで、詳しいことはわかりませんが、シェーンベルクが評価しているのは新しい芸術理念の創始者としてのリストで、具体的な作品は必ずしも高くは買っていなかったようです。ふゆひこさん・ミッチさんからいずれ詳しいご報告があるものと期待しています (^_-)。 (10/19-00:23) No.3132
ミッチ > シェーンベルクがリストの具体的な作品を必ずしも高く買っていなかった、というのはこの文を読んで、僕もそうではないかと思っていました。「フランツ・リスト 作品と本質」というタイトルながら個々の作品にほとんど触れていないんです。ジェネラルにリスト像を語っています。それから、楽報(音楽新聞)に(おそらく依頼されて)寄せられた記事ということで、社交辞令も含まれている可能性がある、と思うのは僕が考えすぎでしょうか。
最初のセンテンスが非常に象徴的なのでそこだけ、ここで引用しましょう。
「リストの意義は、偉大なる人物の意義のみが存在しうるその場所に存在するのだ、と私は信じている。」
なんか、ここまで言われると逆にくすぐったい(笑)!ただ、上でふゆひこさんがおっしゃってるように「リストが犯した過ち」にも言及しております。
※「偉大なる人物」は「偉人」にしてもよかったんですけど、仰々しさを出すためにあえてそのように書きました。 (10/20-21:28) No.3137
ミッチ > 社交辞令っておかしいですね。本人に見せるわけじゃないので。建前でいいのかな?日本語も勉強しなければ。(これはまじ) (10/21-22:15) No.3138
ふゆひこ > まだ、まったく訳していません(笑)。今日トイレで読んだら(トイレに本持ち込む癖があります)、相変わらずさっぱり???な英文ですね。TAKINさんが紹介いただいた本が翻訳されているのならば、シェーンベルクの基本的な思考を理解してから訳した方が、やりやすそうですね。確かに、ミッチさんの言われることを逆から考えると、生誕100年記念の文章にしては、“批判”が多い文章です。本当は批判しまくりたいけど、生誕100年だし、総括的に持ち上げておこうか…というニュアンスを感じます。 (10/22-01:59) No.3141
ミッチ > 僕にはシェーンベルクのこの文による真意が今のところわかりませんが、上でTAKINさんが仰っている「新しい芸術理念の創始者」として評価されているのであれば、僕は十分だと思います。ある意味では、個々の作品を評価されるよりもすごいことだと思います。それからリスティアンではないシェーンベルクにここまで言わせたのは見逃せない事実だと思います。ブゾーニのような信者は盲信していた可能性があると思いますので。 (10/23-22:01) No.3145
ミッチ > ポリーニとブレンデルって面白い存在ですよね。共通点は「全体の構成を重視する知性派ピアニスト」「シェーンベルクがレパートリーに入っている」「リストの後期作品に注目している」ということで。ブレンデルはシェーンベルクのピアノ協奏曲の初録音をした人で、この曲の初演者(名前忘れました)に師事したことがあるそうです。もちろんこの事が何かを示している、と言いたいのではなく、興味深い事実としてお伝えしただけです。 (10/23-22:16) No.3146
TAKIN > No.3094へのレスのつもりです(私ばかり書くのはちょっと気がひけますが、他にレスがつかないみたいなので・・・)
シェーンベルクの第1室内交響曲は、まさに主題を全曲にわたって展開しているのですが、ああいうスタイルですから主題は覚えにくいし、しかも冒頭からいくつもの素材が矢継ぎ早に現れ、それらがすぐ変形されたり組み合わされたりするので、慣れないとなかなかフォローしにくいことは事実でしょう(こういうところがシェーンベルクの音楽は(無調でなくても)難しいです)。音楽語法とか曲の雰囲気ということになれば、まだワグネリズムにどっぷりという感じの「浄められた夜」のほうがリストに近く感じられるのは当然だと思います。ただ構成の上では全体がソナタ形式とはいえないんじゃないでしょうか。(両曲とも楽譜は持ってますが、何分にも素人のことで、詳しい分析なんぞはできません。ぼんやり見ながら聴くだけです (^^;))。
(10/23-23:52) No.3147
ふゆひこ > なるほどポリーニとブレンデルはそういう共通点がありますね。僕はポリー二といえばショパンのイメージがあって、ブレンデルはショパンを弾かない、というイメージがあります。典型的なイメージですが、この相違点も面白いですね。僕はポリーニのシェーンベルクは聴いたことがないです。ノーノの曲を初演したりと、ポリーニの方が現代音楽に造詣が深そうだし、響きもシェーンベルクに合ってそう。こんど聴いてみたいです。 (10/24-23:32) No.3149
ふゆひこ > TAKINさん。ありがとうございます。まったくおっしゃられるとおり、僕はその主題を掴めないようです。いままで構造とかは“聴けばなんとなく分かるだろう”と思ってたのですが、そう甘くはないようですね。これは興味深いテーマなので、室内交響曲第1番の楽譜を入手して、じっくり聴いてみたいと思います。 (10/24-23:35) No.3150
TAKIN > ふゆひこさんの研究熱心には敬服します。楽譜は Dover の廉価版なら3000円以下で買えますが、音楽之友社の名曲解説事典(全集? 正確な書名を忘れました)の「新ウィーン楽派」の巻に主な主題の譜例入り解説が載っており、それらの主題をメモしておくだけでもだいぶ助けになります。すでにご存知だったかもしれませんが念のため。
 なおこれも念のためついでですが、私はシェーンベルクを単に「歴史的に重要だから」といった理由で聴いているわけではなく、基本的にはやはり良い音楽だと思うから聴いているわけで、またそうでなければ「お勉強」めいたこともできません (^o~)。シェーンベルクというとどうも誤解が多いようなので蛇足ながら弁明させていただきました (^^;)。 (10/25-17:35) No.3154
ミッチ > 誤解のないように付け足し。自分の上の書き込みでブゾーニをリスト信者の例として挙げただけで、ブゾーニがリストを盲信していたと言ったわけではありません。
ふゆひこさん。僕は「調性があるかないかのギリギリ」感が好きなので、シェーンベルクはあまり聴きませんが、ポリーニとグールドを聴き比べると、僕にとってもポリーニは音楽としてわかりやすいです。逆にグールドはちょっと酔いそうです。ちなみに僕は、自分が持っているCDでポリーニのベスト録音はバルトークのコンチェルトだと思っています。
ブレンデルは実はショパンのポロネーズ集を録音してます。僕の感想は、「うーん、ブレンデルがショパンをあまり取り上げないことに納得」なCDでした(笑)。 (10/25-18:28) No.3155
ふゆひこ > TAKINさん。僕はいままで“こんど聴きます”とか“こんど調べます”とか言いながら、それっきりのことがいっぱいありますので(笑)。楽譜の情報ありがとうございます。DOVERなら気安く買えそうです。シェーンベルクは“浄められた夜”だけ楽譜持ってるのですが、薄っぺらいのに高かったので“室内交響曲も高いのでは…”と心配でした。“名曲解説事典”の方も知りませんでした、これは図書館にあると思うので、もっと簡単に参照できそうです。 (10/27-00:22) No.3161
ふゆひこ > グールドのシェーンベルクの演奏は“ナポレオンに寄せる頌歌”の入ったディスクしか持ってないんですけど、あまり聴きこんでないです。カシオーリの演奏はよく聴きます。ミッチさんがベスト録音と言われるとなると、ポリーニのバルトークをいつか聴いてみたいですね。でもブレンデルのショパンは聴かないようにします(笑)。 (10/27-00:34) No.3162
ミッチ > カシオーリ良いですよね!彼の近・現代モノは素晴らしすぎる。彼がCDで取り上げた唯一のリスト録音はトッカータですが、それも絶品。
上の僕の日本語がちょっと怪しいので書き直します。シェーンベルクのピアノ協奏曲を初録音したのはブレンデルです。上の書き込みだと、ブレンデルの師が録音したかのように見えますね。ブレンデルの師でこの曲を初演した人の名前を調べたら、エドゥアルト・シュトイアーマンという人だそうです。で、初録音したコンビがブレンデルとミヒャエル・ギーレン(90年代にも同じ組み合わせで再録音しています)なんですが二人で同時にシュトイアーマンの教えを受けたそうです。少し話がずれますが、以前「ブレンデルはフィッシャーに師事したことがある」と書きましたが個人的なレッスンではなくマスタークラスに参加しただけだそうです。それからブレンデルはシュターヴェンハーゲンの弟子にも師事したことがあるそうです。名前はわかりません。 (11/4-02:10) No.3178
TAKIN > そのブレンデルの旧録のLP持ってます(再発版ですが)。クロード・エルフェールがそれより前に入れていたような気がするんですが、曖昧な記憶だけですので・・・
ついでですが、そのLPの裏面のヴァイオリン協奏曲の方が購入動機でした。ピアノ協奏曲は良い演奏が他にもありますが、ヴァイオリンの方は少ないんですね。あ、またシェーンベルク板みたいになってしまった (^^;)。
(11/4-11:18) No.3180
ふゆひこ > カシオーリのCDは1枚しか持ってないんですが、そのリストのトッカータの演奏も聴いてみたいですね。ブレンデルのサイトで調べてみました。シュターヴェンハーゲンの弟子というのは、ルドヴィカ・フォン・カーンという人のようです。ブレンデルもリストにちゃんとつながるんですね。

http://www.alfredbrendel.com (11/5-01:54) No.3184
ふゆひこ > クロード・エルフェールという人は初めて聴きました。ネットで簡単に調べると現代音楽の演奏で評価が高いようですね。ブレンデルとどちらが1st レコーディングなのかも、ちらっと調べて見ましたが、上手く分かりませんでした。 (11/5-02:10) No.3185
ミッチ > http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276960436/qid=1100002667/sr=1-23/ref=sr_1_2_23/250-0404145-9423466
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4056034354/qid%3D1100002716/250-0404145-9423466
ブレンデルが初録音だと、この2冊の本のどちらかに書いてあったと思います。それ以上のことはわかりません。 (11/9-21:25) No.3204



ダンタンの2つの像と ロマン派の扇形絵画 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/11(Mon) 21:32 No.3071

『パリのヴィルトゥオーゾたち』の訳注篇を読んでいて、面白いイメージが2つありました。

まずP39のダンタンのリスト像。あの昆虫のようなリストの後姿をとらえた像です(僕のサイトで過去ログでは『愛の夢第3番とシューベルト即興曲』のところで、リンクをはってあります)。

これなんと2種類あって、ベースは同じなんだけど、腰にサーベルをつけているものと、つけていないものの2種類がある。ハンガリー凱旋時にリストが授与した“栄光のサーベル”を後からつけたんでしょうね。よりいっそうダンタンの風刺色が強くなって面白いです。

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ふゆひこ > それと訳注篇の小冊子の表紙裏にある、扇形の絵画。これは初めて見ました。なんか天国の一情景を描いているようです。のどかな田園風景の中、ロマン派の芸術家達が描かれています。真ん中に大きな木、中央にいるのはバルザックでしょう。その前で腰掛けるジョルジュ・サンド。右側にサンドに求愛するミュッセ。左側からリストがサンドに求愛しています。奥にもう一つ木があって、その前で座っているのがワーグナー?右側の髭を生やした男はニーチェかな?。ワーグナーは明らかに若いパリ時代とかでしょう。けどニーチェだとすると年代が合わなくなってくる。他にも何人も描かれているんだけど、誰なのかが分かりませんでした。画家や製作された年代はどこにも記述がないようです。この扇形という形式は昔から西洋にあるのかな?シノワズリやジャポニスムかと思いました。 (10/11-21:45) No.3074
ふゆひこ > ↑すいません。“授与された”です。 (10/11-21:54) No.3075
じょるじゅ > あ、この扇の絵はもっとサンドに近かった人たちです。サンドとCharpentierという画家によってかかれたものです。この画家は右端軒に寄りかかってます。サンドはブランコに座っていて小鳥を持ってませんか?その小鳥はショパンです。
僧の格好をしているのはマルリアーニ、彼の奥さんにダグー夫人がサンドの悪口を書いて、二人の仲が険悪になった。
左端の木の下に座っているのはショパンの同朋でサンドの兄のような存在だった、アルベール(ヴォィチェク)クジマワ伯。
左に移ってヘビはルイジ・カラマッタ(彫刻家だか歌手だか忘れました)四足で這っているのはサンドの息子モーリス
愛を訴えているのはミュセではなくその後愛人になった脚本家フェリシアン・マルフィーユ(後にヴェルサイユの市長)とリスト。その3人の後ろにいるのはバルザックではなくドラクロワ。ライオンみたいなのはサンドの娘、ソランジュ、そのほかにシャルル・ディディエール、ミシェル・ブールジュ(コレもサンドの愛人、ちょうどリストたちがノアンにいた頃じゃや無いかな?俳優)ピエールボカージュ(人魚みたいなの)は脚本家。数人忘れているかもしれません。
これはサンドが息子のために書いたお話の光景でそれぞれがニックネームや神話の神のような役を割り振られています。
サンドは「サンダラークという妖精ですがピフォーエルという名前で現世にいます。」ピフォーエルはリストたちとスイスに行った時につけた名前。リストはサンドのことをよくこの名前はそれをちょん切った「ピフ」という名前で呼んでます。
「小鳥はショピニオ」「クラリネットコンチェルトを捧げた有名なLystil」はリスト。「特別に才能の有る画家Croisellos」はドラクロワ、がそれらの様子を豪華に描きました。とか言う文章でした。 (10/12-03:07) No.3079
じょるじゅ > 扇型は形式というより完全に「実用」でした。
貴婦人たちの持っていた扇は、自分で描いたり、好きな画家にオーダーして描かせたりしていたのです。また、ある意味で使い捨て的な持ち物なので描かれた絵によほど愛着があると切り取って保存したわけです。
リストの愛人シャーロット・フォン・ハーゲンは確か自分の扇の余白にリストを称える詩を作り書き込んで彼に渡したんではなかったかな。リストはそれでヘロヘロになってしまったので、彼女自身の才能と魅力を「女の持ち物である扇」に書いて渡すというのは誘惑の芸術としては効果があったわけですね。(笑) (10/12-03:13) No.3080
じょるじゅ > あ、エンターを押してしまいました。
宮廷画家だったミハリー・ジチー伯(リストが交響詩を描いた絵の画家)もロシアでツアーのオーダーによって絵を描いたり、貴婦人たちの扇の絵を描いたりしていたようです。(画家としてはつまんない仕事だと思うけど) (10/12-03:17) No.3081
ふゆひこ > ああ、ぜんぜん間違えてましたね。失礼しました。この小冊子で見るとドラクロアがずいぶん太って見えて、バルザックかと思ってしまいました。うーん“ひげ”だけでは人物は特定できない、ということがこれで証明された(笑)。ショパンがいないのが変だなと思ったら鳥になってるんですか(笑)。ここで描かれている人物はほとんど知らない人です。今度調べてみます。扇のことも理解できました。ありがとうございます。ネット上で探したら、ジョルジュ・サンドのファンサイトで、大きな画像が公開されていました。
http://www.aluna.com/disjectamembra/deadauthors/features/gsand_fan.html

あとアリー・シェフェールの家でしたっけ、現在のロマン派博物館。前にじょるじゅさんに教わったところ。ここではカラーの画像がありますね。どっちがオリジナルなんだろう。(今までシェファーって呼んでましたけど、『パリのヴィルトゥオーゾたち』でアリー・シェフェールという読み方で定着していることを知りました。)『キリストを誘惑する悪魔』も展示されていたようです(これはルーブルにあるんですよね?)。

http://www.bacfilms.com/site/enfants/p_info_expo_musee1.htm (10/13-00:27) No.3088


Liszt Probleme 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/09/20(Mon) 20:48 No.2923

バルトークによる「Liszt Probleme」(論文かな?)の原語が何かを知りたいのですが、ご存知でしょうか?バルトークだからマジャール語でしょうか?「Liszt Probleme」だからドイツ語かなとも思ったのですが、ドイツ語の本に書いてあったタイトルなので、ドイツ語に訳しただけかもしれない、と思いまして。

ご存知でしたら、教えてください。

それから、シェーンベルクによる「リスト 作品と本質」という文書を発見しました。まだ読んでいませんが、気になります。今度読んでみます。

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ミッチ > 今まで、ご迷惑をおかけしました。やっと日本語にできました。 (9/20-20:49) No.2924
ふゆひこ > 僕は知らないです。バルトークが何語で書いたか、ですね。オリジナルはマジャール語なんじゃないかな?日本語訳もされているので、その本にオリジナルのタイトルが書かれているでしょうね。今度本屋で見てみます。シェーンベルクがリストについて、文章を書いてるのですか!それは読んでみたい。めちゃめちゃ興味あります。 (9/21-01:11) No.2925
TAKIN > シェーンベルクがリストについて書いているというのは初耳で、私もすごく興味あります。でもまさかHarold Schonbergってことはないでしょうね(茶々御免)。 (9/21-14:37) No.2927
ミッチ > そうそう。その日本語版「リストの諸問題」、値段が高くて買えないし、立ち読みできる量ではないし、あきらめたんですよ。図書館にも無かったし。で、もし原語がドイツ語なら探してみようかな、と思いまして。日本語の薄い本で抜粋は読んだことあるのですが。。。

ショーンバーグ...ワハハ! アルノルト・シェーンベルクですよ。ちらっと眺めた印象では、「リストは預言者だ」というようなことが書いてありました。 (9/21-23:43) No.2929
ふゆひこ > 日本語訳されている『バルトーク音楽論集』は高いですよね。僕もちょっと買えない。リストの音楽が20世紀音楽の兆しを見せているのは、聴けば分かることなんだけど、具体的にシェーンベルクに影響を与えたとか、シェーンベルクがリストを評価したとかって、あまり聞いたことがなかったんですよね(何もシェーンベルクが20世紀音楽のすべてではないですけど、大きな流れを作った転回点だと思う)。世間は、なんかリストを擁護するためにシェーンベルクを持ち出してるのかな、って思ってました。実際、シェーンベルクの『作曲技法』とか読んでも、出てくるのはブラームスばっかりだし。そういう点から、リストについて肯定的な文章を残している、というのは非常に知りたいですね。 (9/22-02:51) No.2930
ミッチ > シェーンベルクのは「アルゲマイネ・ムジークツァイトゥング」(日本語でなんでしたっけ?大衆楽報かな?)にリスト生誕100年を記念して掲載された記事だそうです。

「リストを擁護」そうそう!まさに僕も全く同じように考えてました。「調性を崩壊させたリスト」「無調と言えばシェーンベルク」という安易な発想で関連付けているんじゃないかと。今でも、そう思います。日本の専門家でもこの文書の存在を知っている人がそんなにいるように思えないので。音楽的な共通点があるのはバッハやブラームスではないでしょうか。 (9/22-22:17) No.2932
ミッチ > それから、よく、日本のピアノ曲辞典のような本に書いてある、エステ荘の噴水がドビュッシーの水の反映に影響を与えたというのも「水」だからという安易な発想な気がします。あるドビュッシーの本に「ラヴェルがエステ荘の噴水から直接的な影響を受けているとすれば、ドビュッシーは夕べの調べや泉のほとりでなどから影響を受けている」(全体的な影響の話です)という指摘を読みました。ぼくはこちらを支持します。水の反映は書法が違うように感じますし。もっと根本的なことを言えば、両曲ともに「描写音楽」と言っていいと思いますが、エステ荘が「水」の描写なら、ドビュッシーのほうは「リフレクション」の描写です。 (9/22-22:26) No.2933
ミッチ > あと、ラヴェルの水の戯れですが、僕に言わせれば、「影響」という言葉は正確ではないです。「意図的な模倣」という言葉が適切でしょう。「ボロディン風に」という曲がありますが、水の戯れが「リスト風に」というタイトルでもよかったのではないでしょうか。それから「高雅なワルツ」「感傷的なワルツ」(シューベルト)のタイトルをくっつけて「高雅で感傷的なワルツ」という曲も書いてますね。要するにラヴェル風のユーモアだと思います。サティがショパンの葬送行進曲のパロディを書いていますが、精神的にはそれに近いと感じます。「Les jeux d’eaux a la Villa d’Este」「Jeux d'eau 」というタイトルも確信的です。以前ふゆひこさんに教えていただいた、ラヴェルの「もちろんリストのように弾くんだ」発言も裏づけになると思います。 (9/22-22:43) No.2934
ふゆひこ > 僕は“水の戯れ”も“水の反映”も聴いたことないんですよね。こんど聴いてみて、受ける印象を確かめてみます。僕は、なんかまとまった文章を書きたいと思っているテーマの一つとして、“リストが描写した音楽”というのがあって、そこでリストは水の動きだけでなく“反射する光”も描写している、というのを整理したいと思ってるんです(いつになるか分かりませんが)。なので特に、ドビュッシーの描写との違いの方を、聴いて確かめたいです。ラヴェルのタイトルのミッチさんの考えは説得力ありますね。リストのタイトルの方が“噴水”と訳してしまうと、ニュアンスが失われているのかな。 (9/24-00:36) No.2937
TAKIN > ミッチさん、「安易な発想で関連付け」というのには全く同感です。この件に限りませんが、決まり文句で片付ける解説や批評がやたら多いですよね。この間も気がついたんですけど、シベリウスの話になるとどうして誰も彼も「北欧の抒情」がどうしたとかいう話をするんだろう?(^o^)
それはともかく、リストとシェーンベルクってことでは、シェーンベルクの一楽章形式がリストのソナタやファウスト交響曲から来てるんじゃないか、と思ってみたこともありますが、まあ彼の場合シュトラウス(特に英雄の生涯)というもっと近いモデルがありますから、その方が強いかもしれません。あ、ここはシェーンベルク板じゃなかったすね、すいません (^^;)。

(9/24-00:38) No.2938
ミッチ > ウワー!僕はバカだ!こちらのリンクから行ける、NMさんのサイト「Page de Ferenc Liszt」で以前、僕が現代音楽への影響という話題でお聞きしたんです。もちろんそのことは覚えていましたし、どんな事を話したかも大体覚えていました。なのに!NMさんの最後の一文に「シェーンベルクのリストを記念した記事」の言及があるではないですか。そこだけ、すっかり忘れていました。どうぞ、そちらを是非ご参照ください。自分の記憶力を嘆くとともに、「さすがウォーカー」と思ってしまいました。 (9/24-21:48) No.2941
ミッチ > 自分の書き込みを見てリストの後世への影響を否定しているかのような勢いで書いていることに気がつきましたが、僕が言いたいことは、「明確ではないシェーンベルクへの影響をわざわざ持ち出すまでもなく、後世への影響は絶大だ」ということと「フランス印象主義への影響はエステ荘の噴水だけじゃない」ということです。

ふゆひこさん 僕はドビュッシーはそれほど愛着のある作曲家ではないですが、水の反映は是非聴いていただきたい名作です。

TAKINさん 「北欧の叙情」ってなんか意味わかんなくてウケる。NMさんのサイトの掲示板にリスト・シュトラウス・シェーンベルクのことが書いてあります。ご参照ください。「現代音楽への影響」のところです。 (9/24-21:57) No.2942
ふゆひこ > 参照しました。ほんとだNMさんが引用されてますね。やはりリストに関連することを調べるには、まずウォーカーを参照することでした。で、ウォーカーを参照すると、かなりの言及がでてきますね。ミチさんの言う“明確ではないシェーンベルクへの影響”というところを、ウォーカーは逆に、細かく論証しようとしています。特に“室内交響曲 第1番”のソナタとの類似性はあちこち出てきます。ハミルトンのリストのソナタの本でも、その言及がありました。僕は“室内交響曲”は聴いたことないです。メジャーなところで“浄められた夜”も、ソナタロ短調に似ていると思うけどな。冒頭の主題の提示、雰囲気とか。 (9/25-13:17) No.2944
ふゆひこ > NMさんが引用されているのは、たぶんWYのP309かな。

“リストのラディカルな形式の書法は、アーノルト・シェーンベルクによるまで、認知されなかった。シェーンベルクはリストについての短い記念エッセイにおいて特別な言及をしている”

意味を取り違えているかも。原文は

“Liszt's radical treatment of form did not go undetected by Arnold Schoenberg,who selected it for special comment in his little-read commemorative essay on the composer.”

です。 (9/25-13:27) No.2945
ふゆひこ > で、ウォーカーの参考文献一覧で確認するとシェーンベルクの文章は

『Selected Eritings of Arnold Scoenberg』Leonard stein 編纂 Leo Black 英訳、1975年 ロンドン

という本が出典となっています。この中の“Style and Idea”(英語から察すると“形式とイデア(本質)”っていう感じかな)というエッセイとのこと。 (9/25-13:33) No.2946
ふゆひこ > ↑僕の上の文章は間違えました。“STYLE AND IDEA”がリストについての文章のタイトルじゃないな。その編纂された本のタイトルですね。アマゾンで確認しました。ここに収録されているようです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0520052943/reminiscedefr-22 (9/25-13:38) No.2947
ふゆひこ > ↑ついでにすんません。誤字です。“Selected Writings”ね。 (9/25-13:41) No.2948
ふゆひこ > やっぱ“シェーンベルク”という名前は、一つの“象徴”となってるんですよね。ウォーカーもやはり“象徴”として取り扱う記述が見られます。例えばP454

“リストの『死のチャルダッシュ』は、バルトークの生誕年に作曲されたが、シェーンベルクの没年になるまで出版されなかった”

とか、次はP455〜P456。リストがカロリーヌに語った有名なセリフ“未来の境界のない領域に私の槍を投げる”(←訳は僕の適当)を紹介し、ウォーカーは続けて

“その槍は、すぐにバルトークとシェーンベルク、他の者たちに拾われた”

と記述しています。ウォーカーは論拠を別に持っているけど、世間一般には、こういった象徴的な文学的な発言ばかりが広まってるんでしょうね。 (9/25-13:54) No.2949
じょるじゅ」 > 私、ウオーカーの「拾われた」発言よく意味理解できてないです。槍投げはわかるんだけど拾ったのが「バルトークとシェーンベルグ?」??? (9/26-09:17) No.2952
ミッチ > ウォーカーがそこまで言うのなら、そうなのかなぁ(笑)。ポリーニはリストの後期作品を現代音楽につながるものとして、レクチャーコンサートを開いたそうですが、ポリーニは正しかったのかなぁ。。ウォーカーの読んだ本、と僕の読んだ本は同じものです。「スタイルとアイデア」(ドイツ語で)というタイトルでした。
つーか、英語読めねー。「not」と「undetected」(detectedの逆)で2重否定で肯定ということでしょうか。英語も勉強しなければ。(笑)
でもひとつだけ言わせてもらうと「バルトークとシェーンベルク」というのが気になる。シェーンベルクも槍を拾いに行った一人だとしても、真っ先に出てくる名前は、バルトークはともかく、ラヴェル、スクリャービン、プロコフィエフ、リヒャルト・シュトラウスだと思います。この部分にリストとシェーンベルクを是が非でも関連付けたいという、ウォーカーの心理が見え隠れしていると思うのは僕だけでしょうか。(ふゆひこさんの仰るようにただ象徴として使っただけかもしれませんが)
関係ないですが、ショーンバーグ(今度はウムラオトなしのほうね)の著書ではラヴェル、バルトーク、プロコフィエフなどの書法を「ネオ・リスティアンズ・ヴィルトゥオジティ」と紹介していました。 (9/27-23:20) No.2954
TAKIN > MNさんのサイトの掲示板を拝見しました(このサイトは前にも見たことがありますが、掲示板の存在には気がつきませんでした (^^;))。

シェーンベルクの第1室内交響曲とリストのロ短調ソナタの形式が似ているなんてことは、私のような素人があれこれ考えるまでもなく、とっくに指摘されていたんですね。そりゃ確かに誰でもわかることだもんな〜 (^^;;)。しかしX氏のA曲とY氏のB曲の形式が似ているというだけなら、それはそれだけの話で、リストは何のためにどのような革新を行なったのか、シェーンベルク(あるいは他の誰でも)はそこから何を見つけたのか、という全体観なしに議論しても仕方がないような。私はもちろんそんな全体観なんて持ってないです (^^;;)。

シェーンベルクが一種の「象徴」として言及されているのでは、というふゆひこさんのお考えには同感です。推測ですが、スクリャービンやラヴェルへの影響は比較的わかりやすいわけで、それだけじゃない、シェーンベルクやバルトークにまで影響は及んでいるんだぞ、というのがウォーカーの趣旨かなという気がします。

バルトークといえば、いわゆるアーチ形構成(弦楽四重奏曲第4番その他数曲)の元は「ファウスト交響曲」にある、ってことはないのかしらん。
(9/28-01:00) No.2957
TAKIN > ついでに。ふゆひこさんが No.2945 で引用された英文の前半は「リストがやった形式のラディカルな扱いをシェーンベルクは見逃さなかった」というようなことでしょう。
(9/28-01:04) No.2958
ふゆひこ > NO2945の僕の訳は、まさにその“not”と“undetected”がよく分からなくてフィーリングで訳しました。TAKINさんの訳が、一番しっくりしますね。納得できました。皆さんがたぶん共通している感覚は“リストの音楽が20世紀音楽全体に対して、漠然としたつながりを見せている”というところでしょうか。ウォーカーの発言につなげると、“他の者たちに拾われた”というところ。僕は、そこでシェーンベルクの文章と、室内交響曲を聴いてみることで具体的な影響というのを感じて確かめてみたいと思っています。 (9/28-02:32) No.2963
ふゆひこ > これは賛同してもらえるか分からないけど、僕流に例え話を。

“リストが「バトン」を持って走っていたら、ワーグナーがやってきて二人三脚となった。ゴールに着いたらいつの間にか「バトン」は、ワーグナーの手に握られていて、それはR・シュトラウス、マーラー、ブルックナーに手渡された。けれどもリストはもう片方の手に小さな「バトン」を持っていて、それをこっそりドビュッシーに手渡した。その後リストは槍投げに転向し、思いっきり数本の槍をぶん投げた。その槍は、間をすっ飛ばして20世紀まで飛んでいき、バルトークはそのうちの一本を「こんなのマジャールの槍じゃない!」と跳ね返した。けれども他の槍には、シェーンベルク、スクリャービン、ラベルも、皆いっしょに串刺しになった。”

半分以上、冗談です(笑)。 (9/28-02:50) No.2964
ふゆひこ > TAKINさん。実はWYのP309には、すでに引用したシェーンベルクの記述の後に、バルトークについての記述も書かれているんです。それがTAKINさんの言われていることと同じかも。

“バルトークも、リストのこの分野での革新性に気づいていた。バルトークが、「ファウスト交響曲」にリストが残した青写真の上において、「ヴァイオリン協奏曲 ロ短調」の構造を形作る上で、リストに最大級の賛辞を払わなかったはずがない。どちらの作品も、最後の動機は最初の動機の、拡大された変容である”

上手く訳せないな。原文はこうです。

“Bartok,too,was well aware of Liszt's inventiveness in this area. Did he not pay Liszt the greatest compliment by modelling the structure of his B-minor Violin Concerto on the "blue-print"left behind by Liszt in his Faust Symphony? In both cases,the last movement is a vast metamorphosis of the first- ”

シェーンベルクの“室内交響曲”とバルトークの“ヴァイオリン協奏曲”“弦楽四重奏曲”は聴いてみたいです。ロイブケのソナタ買ってる場合じゃなかった(笑)。 (9/28-03:15) No.2965
TAKIN > うあ〜、これもやっぱり誰でもわかる話だったんだ (^^;)。それはともかく、シェーンベルクもバルトークも是非聴いてください。って、両方とも辛口音楽だし、趣味が合わないとどうにもなりませんが(爆)。 (9/28-13:21) No.2966
ミッチ > 僕は音楽理論とか、まったくわからないのですが、シェーンベルクを聴いた感想は「なんかバッハっぽい」と思いました。推測で話をしてもしょうがないのでこれ以上は話を進めませんが、リストからの影響は記事をちゃんと辞書を使って読んでから自分の中で結論を出そうと思っています。
実は、僕が一番気になっているのは、ドビュッシーへの影響です。音楽史にあまり詳しくないのですが、ドビュッシーはアンチ・ワーグナーだと聞きました。まあ、それはドビュッシー関係の本を読んだ後で自分の考えをまとめようと思っているのですが、最近読んだ本にドビュッシー本人の発言(記述だったかな)で「リストのファウスト交響曲は完全なる失敗作である」(笑)と書かれていました。どんな分野でもパイオニア同士だとお互いの個性が強すぎて、ぶつかってしまうのかなと。 (9/29-00:05) No.2967
ミッチ > ふゆひこさん その例え面白すぎ!
ウォーカーがバルトークとシェーンベルクという名前を代表として出したのが気にかかったというのは、僕はこう考えていたからなんです。バルトーク、スクリャービンとかラヴェルが血眼になって槍を探しに行った人たちなら、シェーンベルクはシュトラウスが槍を拾いに行って、「ねえ、ねえ、アルノルト君こんな槍を見つけたんだけど、どう思う?」「おお、リヒャルト君、面白そうだね。」てな感じだったのかなと思っていたので。まあ、漠然とした推測なんですけど。(笑)
TAKINさん ありがとうございます。英語も含め、勉強になりました。シェーンベルクはピアノ組曲しか聴きませんが、バルトークの作品はすごく愛着のあるものがたくさんあります。戸外にて、とか3つのブルレスケはサイコーです。 (9/29-00:22) No.2969
ふゆひこ > ドビュッシーの『音楽のために』(白水社 杉本秀太郎 訳)という本を持っているのですが、そこには“ファウスト交響曲”についての発言は載っていないようです。“マゼッパ”についての発言は載っていて、これは今度、別に紹介しようかな、と思ってます。基本的にこの本でのドビュッシーは、全面的なリスティアンですね。ワーグナーについては、いたるところに反感めいた発言があります(笑)。ああ、なんとなく、ミッチさんのリスト〜シェーンベルクの位置付けのニュアンスが分かった気がします。“ファン”“支持者”っていうよりも、傍観する客観的な評論家っていうようなイメージでしょうか?僕もなんとなくそう思います。 (9/30-01:20) No.2972
ふゆひこ > 今日、本屋で『バルトークの音楽論集』を立ち読みして確認しました。原題は『Liszt-Problemak』でマジャール語です。DANTEという雑誌に、“リストは我らのもの”というようなタイトルで、文章が寄せられ、その中にバルトークの文章も収められたとのこと。内容はこれも基本的にリスト賞賛の文章でした。リストの“ハンガリー〜”の曲は、本当のマジャールの音楽ではない、というバルトークの基本的主張があって“だからといってリストを非難するわけではないよ”といった感じでした(←1分にも満たない立ち読み知識なので、全面的に信用しないように)。バルトーク・フェスティヴァルのサイト??ここで、バルトークの文献一覧??が載ってます。“LISZT”でページ内検索してみてください。原題が記載されてます。
http://www.bartokfestival.hu/hu/gyujt/gy5.htm (10/3-00:39) No.3004
TAKIN > 私が変な口出したせいで最初のミッチさんの書き込みからだいぶずれた方へ行ってしまったようで申し訳ありません (^^;)。それはともかく、中公新書にある「バルトーク」という本(著者名失念。実は持っているはずなのですが暫く探しても行方不明)に問題のリスト論文のことがちょっと出ています。たしかこの論文が発表されたのは政治的にいろいろ微妙な環境の中なので、内容の読み取りにも注意が必要、みたいな話だったと思うのですが。そんな古い本ではないので、お急ぎの方は図書館か大書店をあたってみてください。私も引き続き捜査しますけど(^^;)。 (10/3-15:51) No.3013
ふゆひこ > 中公新書の『バルトーク』という手がありましたね。これなら安価で手に入りやすそうです。新刊書店で手に入るんじゃないかな。こんど見てみます。 (10/3-23:24) No.3017
ミッチ > おお!わざわざありがとうございます!
リスト賞賛ということなんですが、「リストはハンガリーの国民性を傷つけた」発言ってバルトークが言った言葉じゃなかったかな?と思っていたのですが、僕の記憶違いかもしれませんね。とりあえず英語かドイツ語であるか探して見ます本当にありがとうございました。
というか、ドビュッシーが全面的なリスティアンというのも驚きました。結構嬉しい。 (10/4-23:06) No.3021
TAKIN > 中公新書みつかりました (^^;)。以東信宏「バルトーク」の第4章(p.113〜157)が「「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念をめぐって」と題されており、リストのハンガリー狂詩曲の成立史とリストの考え方、それに対するバルトークの批評を概説し、さらにバルトークの思想とラヴェルの「ツィガーヌ」との関係にも説き及んでいます。詳しくは現物を見ていただくとして、例のリスト論文を著者はあまり重視していないようです。この文章は実はリストに事寄せて当時のハンガリー楽壇の自分への待遇を皮肉ったもの、というのが著者の見方です。とりあえず分かったことをご報告。 (10/5-01:53) No.3031
TAKIN > わ、変換ミスだ。著者の姓は正しくは「伊東」です。 (10/5-01:54) No.3032
ふゆひこ > 今日、本屋で立ち読みしようと思ったら、置いてなかったです(←立ち読みばっか(笑))。けどぶらさがってた中公新書の目録を見たら、現行のラインナップですね。容易に手に入ると思います。TAKINさんの紹介いただいた伊藤信宏さんの考えというのは、いまのところ僕にはなんかしっくりこないです。ヘルムの『リスト』P262に、抜粋が書かれているのですが、そこの注釈で、その講演が

“一九三四年〔一九三五年五月?〕、バルトークがハンガリー科学アカデミー会員に選ばれたさい行われた講演、『リスト問題』”

となってるんですよね。それがなぜ“待遇を皮肉ったもの”となってしまうのか。それと僕とミッチさんは、以前バルトークに会話したとき(PAST LOGにあります)に、セーケイ・ユーリア著の『バルトーク物語』(←おそらく美化してる伝記だと思う)で得られたバルトークのリストへの傾倒のイメージがあります。その流れで僕はすんなりバルトークの『リスト問題』の内容を受け入れていたのですが、これは伊藤信宏さんの異なった考え方を知る必要がありますね。いろいろ書かれていそうです。立ち読みとは言わず買うようにします。けど、まず古本を探します(笑)。 (10/6-01:43) No.3034
ふゆひこ > このスレッドで僕は、いろいろ間違っている(というか浅はかな)ことを書いてしまってます。今度、時間があるときに訂正します。(例えば、ドビュッシーのワーグナーへ対する反感とか、ドビュッシーはもともとかなりワグネリアンだったと自分で言ってます。あまりに入れ込んだため反動で嫌いになったんでしょう。) (10/6-01:48) No.3035
さすらい人 > またまたお邪魔します。バルトークのことについては、当時のハンガリーの状況を知る必要があります。バルトークの影響力は、音楽の世界だけでなく、思想的、政治的にも大きな影響力がありました。そこらへんを知ると、どうしてリストのハンガリー音楽に対する認識を批評したのかがわかると思います。 (10/8-00:17) No.3041
ふゆひこ > 僕は1934年とか35年という年を書きながら、その当時は、すでにナチスが台頭しているような世界情勢であるということを意識していませんでした。まだ中公新書『バルトーク』も手に入れてないのですが、想像すると、ナチスが勢力を拡大していくハンガリーにおいて、民族性を確固たるものにしようとしたのかな?調べて理解するようにします。 (10/8-02:28) No.3043
さすらい人 > ハンガリーは第一次世界大戦後から常に危機的状況にありましたから、知識人は何とかしてハンガリーを救う道を考えてました。その中で『農村探索者』と言われた人たちがいました。『農村探索者』というのは、ハンガリーを救う道は農村にこそあると考えた人たちのことです。バルトークやコダーイの活動はその先駆けといえるものです。民族性の確保と言う面もあったのですが、それよりも政治・経済的な面から農民を救う必要があるという面も大きかったように思います。『農村探索者』と呼ばれる人たちはハンガリー固有の文化とは農民の文化であると主張します。それでは他の文化はどうなのかと言う問題が出てきます。この問題こそがリストとバルトークの問題と重なると考えるとわかりやすいのではないでしょうか? (10/9-09:54) No.3051


フバイ、ラスカ  リストの作品の編曲 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/06(Wed) 02:32 No.3037

フンガロトンがなかなかリストのCDを発売してくれないので、他のCDを見てみたら、面白い編曲作品が含まれてました(フンガロトンのサイトはリンク集から行けます。クラシックの新譜コーナーね)。

一つはイエネ・フバイの“ヴァイオリンとピアノのための作品全集 VOL7”というCD。ここにはリストの“忘れられたワルツ 第1番”をヴァイオリンとピアノのための作品に編曲したものが含まれています。あと興味深いのはジチー伯の“愛の夢”(リストとは同名異曲?)を編曲したものも収録。

それとグスタフ・ラスカという作曲家。これは“ダブルベース・レアレティ”というCDに入ってます。

リストの歌曲“それは素晴らしいことに違いない”(Es mus ein Wunderbares sein S314)をコントラバスとピアノのための作品に編曲しています。

リストの作品の他の作曲家による編曲は、まだまだたくさんありそうですね。

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じょるじゅ > ジチー伯の愛の夢の編曲、実はリスト音楽院でコピーしてもらって持ってます。(笑)
それもフバイの編曲版。私って変ですね。多分その曲でしょう。
そのCDフバイで捜せば見つかるのですか?
(10/6-09:20) No.3039
ふゆひこ > フンガロトンのサイトからクラシックのコーナーに行けば、トップページにありますよ。
↓ページ直リンク
http://www.hungaroton.hu/classic/ujdonsag.php?info=1646

↓アマゾン(US)はこれです。
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B00066FBB6/qid%3D1097169156/sr%3D11-1/ref%3Dsr%5F11%5F1/102-0452884-0886514

↓これはフバイのサイト
http://www.hubay.hu/index.html

ウォーカーに記述はなかったんだけど、このサイトの情報では、フバイは1878年にリストのアドバイスを受けてパリに行っていますね。交流があったようです。このサイトのディスコグラフィーで確認するとフンガロトンの第7巻には他に“ヴァルス・アンプロンプチュ”“3人のジプシーのパラフレーズによるハンガリー狂詩曲”という作品も収録される予定だったようですね。 (10/8-02:20) No.3042
じょるじゅ > どうもありがとう。アマゾンのほう何が入っているのかさっぱりわからないですね(笑)
また、ポッパーの曲が・・・ハンガリーでは人気があるんだろうか。
3人のジプシーはいい曲ですよね。リストの歌曲だからあまり知られないのだと思うけど、実はリストの本領発揮と言える室内楽、歌曲だと思います。 (10/9-08:41) No.3050


『パリのヴィルトゥオーゾたち』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/09(Sat) 00:01 No.3044

1月に発売予定の音楽之友社『リスト』を待望している、日本のリスティアンにとって、思いがけないリストの書籍が発売されました(僕だけか?知らなかったのは)。

『パリのヴィルトゥオーゾたち −ショパンとリストの時代』ヴィルヘルム・フォン・レンツ著 中野真帆子 訳 ショパン発行 2004年10月5日 

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883641856/reminiscedefr-22

です。若い頃のリストにそして1840年代にショパンにピアノを教わったレンツが1872年に出版した回想録、『我らの時代の輝かしいピアノのヴィルトゥオーゾたち Die Grossen Pianoforte-Virtuosen Unserer Zeit』という書籍(←タイトル邦訳は僕のかって訳)の、前半2章“リスト”“ショパン”の翻訳です(続く章は“タウジッヒ”に“ヘンゼルト”これも翻訳されるのかな?期待大)。

装丁もきれい。注釈はいたれりつくせり。だいたい訳注なんて小冊子になってます。

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ふゆひこ > めちゃめちゃ面白いですよ。この本。基本的にレッスン風景が書かれています。ショパンの章でも、たくさんリストのことはでてきます。面白いのは、なんとレンツがリストにウェーバーの魅力を教えている。P22から

“「何か弾いてみてください」リストはたとえようもなく辛辣な調子で言った。(略)
「カルクブレンナーの『左手のためのソナタ』を弾きます」私は相当気の利いたことを言ったつもりであった!
「そんなものは聴きたくもないし、知らない、知りたいとも思わない!」(略)”

そこでレンツは、当時自身が気に入っていたウェーバーの“舞踏への勧誘”を弾き出す。

“「なんだったのですか?なかなかよい始まりでしたよ!」
「そうでしょうとも」(略)「ウェーバーの曲です!」
「彼はピアノ曲も書いているのですか?」
リストは驚いたように訊いた。”

リストはこれがきっかけでウェーバーに夢中になる。レンツはリストにウェーバーの魅力を教えたことでリストから好感を持たれる。 (10/9-00:14) No.3046
ふゆひこ > ウォーカーVY P135〜136にレンツのことが書かれています。ウォーカーもレンツの本を当時のリストの様子を伝えてくれる回想として価値あるものと考えているようですね。ああ、ですが、やはり調べると、レンツの勘違いが少し入っているようですね。まずレンツがリストにウェーバーのピアノ曲を教えた、という点については、リストが10歳のときにウェーバーの“モメント・カプリッチョーソ Op.12”をコンサートで弾いている、という事実から否定しています。またレンツは、リストが初めてピアノを教えた生徒が自分である、というような記述をしているのですが(『パリのヴィルトゥオーゾたち』では、P26 “生れて初めてのレッスンをしましょう”)、それもレンツに会う1年半ほど前に、すでにピアノを教えているという事実から否定しています。 (10/9-00:30) No.3047
ふゆひこ > 引き続きウォーカーVYP136から。レンツは1872年にリストに自分の書籍を送り、リストはそれをずいぶん喜んだそうです。リストは、1865年にアベーになったことで、世間から、からかいやゴシップめいた非難に取り囲まれ、うんざりしていたときに、レンツが、リストが神父になったことを、肯定的な評価をしてくれていることに、特に感謝の意を手紙で述べたそうです。 (10/9-00:35) No.3048
じょるじゅ > ふゆひこさん、
それは私が一月ほど前に少し書いた記事の元の本ですね
http://www.geocities.jp/georgesandjp/articles/lisztbylenz.html

この本今訳しても資料としての意味は非常に薄いと思いますね。ふゆひこさんがウオーカーの記述を参照されているようにもう現代では「かなり事実と違うことが証明検証されている」本で、注釈ではなく、最初に訳した人がその意図をはっきり示さないといけないでしょうね。

読み物としては私も面白いと思いましたが、レンツは40年もたってから書いてるので事実でさえもどの程度の正確さなのか疑問です。(リストにインタビューしなおしという事もしていないようだし。)

レンツの「言葉」として伝記に載る「ショパンとマイアベーアのマズルカ癇癪エピソード」「カークブレナーの所に行く途中でリストのポスターをみて急に行き先変更、運命の出会い」なんてくだり読んで、ノスタルジーに浸るための本です。
(10/9-08:34) No.3049
ふゆひこ > じょるじゅさんは原書の方ですでに紹介されてましたか。その本ですね。訳者の中野真帆子さんは、プロのピアニストの方ですね。中野さんは、まえがきでことわり書きを書かれていました。

P1 “フォン・レンツ特有の誇張と演出、資料や年代の不正確さが若干あるとはいえ、十九世紀前半のパリの音楽事情や才気煥発な芸術家たちの様子が、彼の鋭い観察眼を通して生き生きと具体的に描かれています。”

これが中野さんの目的でしょうね。資料としての正確さよりも、空気を感じたり、読み物として楽しむ書籍でしょうね。実際おもしろい。 (10/11-12:19) No.3060
じょるじゅ > ヤハリ、かかれてましたか。
抜書きするとよくわからないけど通して読むと細かいところが「時代を象徴」していて面白いです。細かい事実は違うかもしれないけど全体としてはちゃんと19世紀を描いている。
でも、レンツの「仏語文化カブレ」は笑えますよ。中野さんがどう訳しているのかわからないけど。
レンツもリストも独語が第一言語でしょう?それなのにレンツは「リストには仏語で聞いた。当時、彼に仏語以外で話しかけることなど誰も思いつかなかったのだ。」とか書いているトコありませんでした?だってリストは17、レンツは同じか2つ上ぐらいでしょう?笑えます。若者同志外国語で会話してたりして。 (10/12-03:24) No.3082
ふゆひこ > 中野真帆子さんは“その頃、他の言語ではとても彼の注意を惹くことができなかった”P22、と訳していますね。次のページのP23はもっと面白い。

“見れば見るほど、この青年こそ典型的パリジャン―身のこなしの洗練さにおいて―であり”

と持ち上げたかと思ったら、次の行

“いきなりパリ野郎に打ち負かされたくはなかった”

わははは(笑)。パリジャンからパリ野郎(笑)。中野さんは、他に“パリっ子”という言葉も使い分けてますね。原書は同じ単語なのかな。 (10/13-00:39) No.3089
じょるじゅ > いや〜(笑)うちのは両方ともパリジャンです。英語のは特に持ち上げてなくて、「このパリジャンの青年-一応見かけは完全にパリジャンだから」とさらっとしてます。

その会話の後
「そのピアノじゃなくて・・・!」
「あっちのピアノ」
と極端にタッチの重いピアノにレンツを座らせる所ですね。
これもなんか、本当にそんなことあったのかな、なんか誇張されてるような気がしてしょうがない。リストが二台ピアノを持っていたかもしれないけど別にいきなりレンツを驚かせようとして弾かせたりはしないとか内心思ったりしてます。 (10/13-07:51) No.3096
ふゆひこ > レンツの記述で、なんか作為があるな、と思うのは次の点かな。基本的にレンツの記述でのリストは、快活で心が広く、健康的な芸術家像を伝えてくれます。それに対してショパンは、気難しく、繊細で、純粋で神経質な芸術家像を伝えてくれる。これは非常に典型的なイメージですね。それはいいんだけど、それなのにショパンがリストのことをかなり好感を持って評価しているのが、なんかしっくり来ない。この本だけを読んだ人は、おそらくショパンはリストを高く買っていた、と考えるでしょうね。レンツがショパンにレッスンを受けている中で、おそらくはリストに対する辛辣な批評も出たと思うんですよね。ところがそれがない。レンツはリストに読んでもらうことを念頭において、配慮した上で記述している気がします。 (10/15-01:07) No.3103
じょるじゅ > ああ〜、そういう意図。考えられますね。確かに。「まだ生きているリスト優先」わかるわかる。
ただ、レンツがショパンに会った時点ではショパンとリストは20そこそこの親友同士だった時期なので、ショパン自身が「リストに対する総合評価を決定」してはいないとは思います。この時点ではショパンはどうせ「ピアニストとしてのリスト」しか評価してないと思います。
私がショパンのリストに対する批評を読み取った部分が一応あります。
例のマズルカの直前。
レンツがマズルカを最初にショパンに弾いてみせるとショパンが
「とってもいいね。うまい。でも最後のフレーズ(だかオブガードだったか忘れた)はリストに教えてもらったんだろう?彼は誰の曲でも自分の爪あとを残しておかない時がすまない奴だから・・・」
といっている所ありません?
これは、後のショパンのリストに対する「他人のペガサスでオリンパスに乗り入れる」という批評と似ています。 (10/15-01:18) No.3104
ふゆひこ > 中野真帆子さんは、そこはあんまり悪意を感じさせないような訳し方をしてますね。

P66“リストが教えてくれたのですね―あの人ときたら、あたりかまわず自分の爪あとを残したがるのですから。”

この訳からは、ショパンが笑顔で言っているように感じるな。独語原文はどうなんだろう?

レンツがショパンに初めて会ったのは1842年ですね。リスト31歳、ショパン32歳。リストはヴィルトゥオーゾ時代の絶頂期。ハンガリーの栄誉のサーベルも授与されてスノビズムも絶頂期(笑)。ショパンのリスト評を詳しく知りませんが、反感めいた軽口を叩くなら、まさにこの時分のような気がします。 (10/15-02:35) No.3109
じょるじゅ > あれ、本当だ。ショパンとはずっと後になるまであってないのですね。(うん、確かにレンツがリストにパリに来た時点ではショパンはまだ、パリにいないな。よく考えてみれば。)
翻訳者のそのときの気分によって、コレだけ幅広い訳が出来ちゃうんですよね日本語は。
上のパリジャンもそうだけど(笑)
こういう例を見ると、翻訳物-本当は違うんじゃないかな、とか疑い深くなりません?
(10/16-03:13) No.3111
ふゆひこ > 中野真帆子さんは、非常に調べながら(訳注が別冊になっているぐらい)翻訳しているので、“気分”で訳しているわけではないと思っています。“パリジャン”(独語の原文がどのようになっているか分かりません)を“パリ野郎”“パリっ子”と使い分けているのは、原文のニュアンスを伝えるための、優れた翻訳だろう、と僕は受け取っています。いずれにしても翻訳が正しいかどうかは、原則として原文と比較しないと何も言えないですね。原文と比較しないのならば翻訳者に対する信頼しかないでしょう。 (10/17-00:38) No.3116


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