リストとアンデルセン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/05(Tue) 01:31 No.3023

岩波文庫で『アンデルセン自伝』が重版されたので購入しました。まだちゃんと読んでないんですけど、ざっと読んだ感じ、アンデルセンも19世紀全体にまたがる(1805-1875)生涯を送り、リストと同様に“さすらい人”のような人生を送ってます。あちこちに旅した結果、数多くの著名人と交流がありますね。まるでリストの伝記を読むような感じです。ハイネやユゴー、デュマ、グリム、シャミッソーといった文学者だけでなく、アンデルセンは音楽好きであり、ケルビーニに会いにいったり(ちょっとした用事があって訪問)、マイアベーアが訪問してきたり、アドルフ・ヌリの自殺を嘆いたり、ジェニー・リンドとはかなりの仲良しで、ワイマールをいっしょに散策してます。(これはネット上の知識ですが、アンデルセンはジェニー・リンドを愛していたとのこと)。

僕はアンデルセンは、1850年代にアルテンブルクへやって来たのが、彼のワイマール訪問の最初かと思ったんですけど、アンデルセンはリストとは関係なくワイマールによく来ています(リストが定住する前の1840年代)。この『アンデルセン自伝』は1846年までの生涯の前半部のみ書かれているので、アルテンブルク以降のリストとの交流については書かれていません。

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ふゆひこ > 書籍のデータを書くの忘れた。『アンデルセン自伝 ―わが生涯の物語―』大畑末吉 訳 岩波文庫 です。 (10/5-01:33) No.3024
ふゆひこ > リストについては、まずP240

“一八四一年八月、(略)私は旅行ちゅうの回想記を『一詩人の市場』という標題で国別に章をわけて書きあげた。わが国でもそうであるが、外国の各都市にはその土地の名前ととくにむすびついて忘れることのできない恩人がいる。詩人も鳥と同じように、自分の持っている歌を人々にあたえる。私もこれらの好意ある人々の一人一人にそういうものをささげたくなった。(略)ピアノ王といわれるハンガリー生れのリストと、オーストリヤ人のタールベルクの二人にはドーナウ遡行記がささげられた。” (10/5-01:36) No.3025
ふゆひこ > で、ウォーカーVYP289

“1840年、人物と風習の鋭い観察者である、ハンス・クリスティアン・アンデルセンが、リストのハンブルクでのリサイタルに臨席した。彼は、彼の旅行記『一詩人の市場』に記録した。

「(略)リストは、自分の魂を、束縛から解放するデーモンだ。彼は拷問台にいた。彼の血はほとばしり、彼の神経は震えた。だがリストが演奏を続けると、デーモンは消え去った。私は、青白い顔に気高く、輝かしい表情を見た。瞳から、すべての顔の造作から生まれる神聖な魂。(略)」” (10/5-01:38) No.3026
ふゆひこ > ちょっと略したところはうまく訳せなかったため、はしょりました(笑)。リストの演奏の劇的な効果を伝えてくれますね。地獄のような迫力から救済の世界へ行くような、“ダンテソナタ”の効果を文章で読むかのようです。となると、アンデルセンはタールベルクについても、リストと同様な演奏の様子を記載していそうですね。この比較はぜひ読んでみたいです。『一詩人の市場』は『一詩人のバザール』というタイトルで日本語訳もされているので、図書館で読めるでしょう。 (10/5-01:43) No.3027
ふゆひこ > で、もう一度『アンデルセン自伝』に戻ります。リストについては、さらにP353

“リストがウィーンにいた。私は彼の音楽会に招待を受けた。そうでもなければ、彼の音楽を聞くことはなかなかむずかしかったろう。私はふたたび『ローベルト』の幻想曲を聞いた、ふたたび暴風の精のような彼の演奏ぶりを見た。じつに彼は、想像力をも呆然たらしめる音の魔術師である。” (10/5-01:45) No.3029
ふゆひこ > これはウォーカーVYP429を参照すると、1846年3月〜4月にかけての10回のコンサートのうちの一つですね。『ローベルト』の幻想曲というのは“悪魔ロベールの回想”(S413)でしょう。アンデルセンは大満足ですが、この頃のリストは、“悪魔ロベール”に喝采する聴衆に対して心底うんざりしている(笑)。

その後アンデルセンは、また旅行を続け、イタリア、スイスへ行き、アンデルセン自身が言うところの“幸福な生涯”の前半の自伝は
1846年ピレネー山脈にて、筆を置いています。そして二人の“さすらい人”は19世紀の半ばに来たところでワイマールで再会する。 (10/5-01:47) No.3030
じょるじゅ > 出ましたね「ロベール」(笑)
心底うんざりしながら演奏せざるを得ない芸術家と「人気ピアノ弾き」とのハザマで苦悩するリスト(ナンちゃって。)
46年はアンデルセンがコンサートに行っただけですか? (10/5-03:35) No.3033
ふゆひこ > 『アンデルセン自伝』から得られる情報は、上記のみですね。1846年にコンサートに行った以外の接触があったかどうかは、ちょっと書かれていないです。ウォーカーの方にも記述がないです。アンデルセンについての資料を調べていったら、なんか出てきそうです。それとジェニー・リンドとアンデルセンというのは、かなり有名な話のようです。ネット上でもたくさん情報があります。例えばアンデルセンの『ナイチンゲール』は“スウェーデンのナイチンゲール”と呼ばれたジェニー・リンドに関連があるとか(ちなみにリストが一番好きなお話が『ナイチンゲール』だったとのこと WY P130)。ただアンデルセンなんて、童話作家という肩書き上、リスト以上に虚飾で作り上げられてそうな危険性がありますね。 (10/6-02:11) No.3036
じょるじゅ > あ〜あ〜。そうなのかあ〜。なあ〜とく。ジェニー=スエデイッシュナイチンゲール=アンデルセンのナイチンゲール
はあ〜。
なんか感動。アグネスと「人魚姫」がつながっているなんてこと無いですよね・・・?あ、アレはデンマークか。ベルギーじゃなかった。

10月に話が絶対出ると思うから教えてあげます。
ジェニーとショパンがあやしかったらしい、という説がかなり濃くなってきてるらしいです。
ショパンは死の直前英国スコットランドに旅行しているのですがどうもジェニーが何度もショパンを訪問しているらしいとか、晩年のショパンを経済的に補助したのは実はジェニーではないかとか・・・
(10/6-09:27) No.3040
ふゆひこ > 図書館で『一詩人のバザール』(アンデルセン小説・紀行文学全集6  東京書籍 鈴木徹郎 訳 昭和61年出版)を参照してきました。

まず、書籍はいくつかの章に分かれ、『アンデルセン自伝』に書かれているとおり、各章が各人に捧げられています。例えばドイツ篇は詩人ルードヴィヒ・ティークとメンデルスゾーンに捧げられている。リストとタールベルクに捧げられた“ドナウ遡行”の章にはリスト、タールベルクは出てきません。ウィーン、ハンガリーという二人にゆかりある地の旅行記であるため二人に喜んでもらえるだろうと思ってその章を捧げたんでしょうね。

P533に載っている初版の献辞。
“(ドナウ遡行)ピアニストの巨匠、わが友、オーストリア人のタルベルクと、ハンガリー人のリストに私は「沿岸のバリエーション付きドナウ曲」をうたい、かつささぐ” (10/17-13:14) No.3120
ふゆひこ > で、リストについては数ページのまとまった文章があります。(ドイツ篇に、リストについてのまとまった文章があったのかな?メモしてこなかった。)後でウォーカーも参照しますが、リストはロンドンに行く前にハンブルクで演奏を行っており、そのときにアンデルセンが聴きにいったようです。その会場となったのは“スタート・ロンドン”というホテル。

P19“神話に登場するオルペウスは、たて琴を奏でて木石のような無生物をも動かすことができたという。現代のオルペウスであるリストは、演奏しないうちから聴衆をしびれさせていた。まばゆいばかりの後光に包まれたその名声に、聴衆は演奏を聴く前からそのすばらしさに酔っているようだった。”

P20“機械文明の発達した大国際都市ロンドンとか、ヨーロッパの商取引の事務所ともいうべきハンブルクとかでリストの演奏を初めて聴くというのは、特筆すべきこととなろう。”

P21“彼の『冥界のワルツ』は、マイヤーベーアの『ロベルト』を美しい銀板写真にしたという以上のものがある。(略)私たちはその著名な地獄絵図を外から眺めているのではなく、すでにその絵図のなかにはめ込まれており”

P21“その調べは単なるピアノの弦の響きではなく、水滴の響きのように聞こえた。”

ここでも演奏されたのは、“悪魔ロベールの回想”ですね。このときのアンデルセンとリストの間に友人としての関係はなく、聴衆の一人とピアニストという関係です。アンデルセンとリストが知己になるのは、アンデルセンが旅行から帰ってきて、もう一度ハンブルクで演奏を聴いたときでした。

P530“―リストがここにいるのだ!私は旅の往路でリストの演奏を聴いたのと同じホールで、再び彼の<地獄のワルツ>を聴くのである。この旅のすべてが、リストの嵐のような幻想の調べを聴いていたあいだの幻にすぎなかったと思えてこないだろうか。―” (10/17-13:16) No.3121
ふゆひこ > アンデルセンの文章は面白いです。上で引用した文章から感じられると思うんだけど、リストと産業革命をかなり意図的に結びつけて記述しています。“銀板写真”とか“機械文明”とかね。他にも、

P23“人々はコペンハーゲンっ子たちの言うように、「彼の指はまさに鉄道や汽船に匹敵する」ものであることを知っており”

アンデルセンという人物は、新しいもの好きで、産業革命の成果、世界の発展に強い興味を持った人物だったようです。『一詩人のバザール』には“鉄道”というエッセイも収録されています。PAST LOGにある『リストとSF』とか『リストとナダール』とか、僕がリストと産業革命との関連を見出そうとした過去スレッドを参照していただくと、この話は面白いと思います。新しいものに対する関心としてアンデルセンは、リストよりもナダールのようなタイプの人物だったようです(ナダールほど奇怪ではないですが(笑))。次はクヌート・ベア Kund Bφgh(←二つ目の文字わかんない)による解説。

P558 “写真技術、鉄道、汽船、電信、電磁気等々。そして、その大部分に彼はデンマーク人として最初に接したのである。電磁気については、「この発明に、コペンハーゲン市民の目を最初に開かせたのは、 この私なのだ。」と誇らしげに書いたこともあった。彼はまた、人間が空を飛び、ラジオを聞くようになる未来をも夢見ていた。ヨーロッパを飛行機で八日間で一周したり、コペンハーゲンにいながらにして、ワイマールで行われるリストのピアノ演奏を聴くという空想を描いた作品もある(童話『数千年後には』)”

最後の『数千年後には』という作品の存在は、僕には驚きでした。今日、探してみるつもり。アンデルセンの思い描いた未来世界は、数千年後とは言わず、数十年後に到来してしまったようですね(笑)。 (10/17-13:17) No.3122
ふゆひこ > 今日、本屋さんで岩波文庫『完訳 アンデルセン童話集』を参照してきたら、第3巻に『千年後には』という作品が収録されていました。確かにこれは、未来の話で、ヨーロッパを1週間で旅行する童話なんだけど、リストは出てこなかったな。これとは別の作品にリストが登場するのだろうか??ちなみに本屋でざっと全7巻を見てそれらしいタイトル、あるいは注釈から探してみたけど、それっぽいのはありませんでした。 (10/18-21:54) No.3125

レイチェル・バートン・パイン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/02(Sat) 02:04 No.2994

おお、僕的にめちゃめちゃツボなアーティストです。

レイチェル・バートンのサイトで、>MUSIC >OTHER CDsに行きましょう。まず『INSTRUMENT OF THE DEVIL』というCD。ここには“メフィストワルツ第1番”の、ヴァイオリン独奏曲(おそらく)編曲が入ってます。

面白いのは、それだけじゃないです。“ヴァイオリンケースにメタリカとかのステッカーが貼ってある”って書きました。分かる範囲で書くと、メタリカ、ガンズ&ローゼス、AC/DC、エアロスミス、ジューダス・プリーストも貼ってある。あとわかんない。 彼女のロック好きは筋金入りです。>OTHER CDsのところから『STRINGEND』というCD。ブラック・サバスの“パラノイド”とかレッド・ツェッペリン“ブラック・ドッグ”、メタリカ“ONE”とかニルヴァーナまでやってる(笑)。クロノス・カルテットみたい。

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じょるじゅ > ソーなのよ。
(あれ、結婚したのかな?)
彼女のリストCD聞きました?
実は私は彼女のリストチェンバーワークスがリストを発掘するきっかけでした。(実はピアノ曲ではなかった。)
ちょうどヴァイオリンをまた始めたばかりの頃です。バロックばかりだった(彼女のヘンデルかなんかを先に入手していた)のにリストが室内楽を作っていることを初めて知りかのじょのCDを買ったのです。もう6年ぐらい前。

確か彼女地下鉄の事故かなんかで片足を失ったんじゃないかな、そのせいかどうかわからないけどブランクが少しあるはず。

私のもっていいるバロック物は何と、当時の仕様の弓と楽器で録音という凝りようです。(昔の弓は短くて音も弱い。ヴァイオリン弦も張力の弱いガット弦のはず。)

あのCDハロウイーンシーズンになると店に並ぶんだよね。彼女も『ゴシックメーク』であれ見たときさすがの私も笑いました。 (10/2-06:36) No.2995
じょる > あれ、彼女のサイト全面的に更新しましたね。
リストシリーズは#1となってますが続編が未だにでてません。
忘れちゃったんじゃないでしょうか?

このCD冗談かどうか知らないけど、ピアノ伴奏者がハンガリアン2番を自分のカデンツア入りでソロ録音してます。 (10/2-06:43) No.2997
じょる > 彼女の弾いているミルスタインの楽譜も持ってます。(笑)
5年ぶりにヴァイオリン密かに練習しようと思って、最近ひいてます。(爆)

メフィストワルツは一応ストーリーとしては『メフィストがヴァイオリンを弾く』というのが曲の設定だから皆弾きたいと密かに思っていたのではないかな、でもけっこうCheesyだから英国人のナイジェル・ケネデイとかにやらせておいて、普通のクラシック音楽家が普通のヴィヴァルデイとか録音してるんじゃないかな。(ため息)
ちなみにミルスタインはイントロを『ヴァイオリンの開放弦』でチューニングしているという曲想を実現するために、ホ長調に移調してます。
つまりヴァイオリンのGDAEで弾けるようにしているということ。
この事実にピアニストは普通気が付きません。
リストのメフィストワルツだけでなく、グノーの『ファウストワルツ』の方もそのアイデアそのまま、グノーのトランスクリプションをイントロそのままAEの和音で始まるようにリストピアノ版もかかれてます。
(ああ、これ実は自分のサイト用に取っておいたネタなのにばらしちゃった。)(爆)
そのうちによくまとめて自分のところに書きます。
ミルスタイン版を練習してから書こうと思ってたんですが、バートン・パイン夫人が録音してるならやはり今年は買います。
(10/2-07:02) No.2998
じょるじゅ > ところで彼女のサイトに行くと私のようにヘビメタミュージシャンと写っている写真が見られます。(笑)
5歳でヴァイオリンやめてなければ私もああなってたかも。(笑) (10/2-10:16) No.2999
ふゆひこ > アマゾンで『INSTRUMENT OF THE DEVIL』みつけました。こっちだと“メフィストワルツ 第1番”聴けます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000DGNA/reminiscedefr-22 (10/3-00:48) No.3005
ふゆひこ > ハワードが解説書いてるのですか(笑)。ハワードも変だな。フンガロトンで2枚組みのクレメンとボガーニの『ヴァイオリンとピアノのための作品全集』でも解説書いてる。両方ともハワードが協力していると思うんだけど、レイチェル・バートンの方に入っている“婚礼”は、クレメンの方には入ってない。クレジットにハンガリー狂詩曲2番は入ってないんだけど、ボーナストラックみたいな感じで収録されてるのかな。レイチェル・バートンのサイトで、レイチェル自身が解説書いてるんですけど、その日付が“2003年”なんです。それで“近い将来、もう半分のディスクも発表したい”みたいに書かれてるので、まだ忘れてないと思います(笑)。ファウストワルツの方も“チューニング”がイメージされてるのですか。今度意識して聴いてみます。ギャラリーのところモーターヘッドのレミーがいました(笑)。 (10/3-01:00) No.3006
ふゆひこ > ナタンノ・ミルスタインという人は相当高名なヴァイオリニストですね。ミルスタインの演奏で、メフィスト・ワルツの録音がないか探してみたけど、ネット上では出てこなかったです。 (10/3-01:14) No.3007
じょるじゅ > ミルスタインは米国ではDVDが出ているのですが、日本ではどうだか(笑)どうしてもゼーリンクとかハイフェッツに人気が。パガニーニポプリ(リストやタールベルグが得意だった○○風オンパレード?とでも言ったらいいのでしょうか)みたいなの弾いてます。ヴァイオリンは非常にうまい演奏家が若手でもたくさんいるので前世代の人をわざわざ聞くという感じでもないかも。
あれ、ハンガリアン2番ナンで書いてないんでしょうか?別にボーナスとも書いてないですが。
当時バートンは22歳なんですが忘れられたロマンス、二人のツィガネ(ジプシー)エレジーの3曲はCD初録音となってますね。解説の出だしに「このプロジェクトの第一弾は・・」となっていて続編はどこ?と7年待ち・・・(爆) (10/3-09:10) No.3011
じょるじゅ > ハワード変ですか?(笑)
この解説を読んだ当時(約6年前)彼がリストの教祖だとは全然知らなかったです。
ただ、解説の最後に「英国のリスト協会に問い合わせれば楽譜が必ず入手できる」というようなことを書いていて「このおじさん、よっぽどリストを布教したいんだろうな〜」とは思っていました。やっぱり変ですね。人のアルバムでそういうことまで宣伝するのは。(笑)
ミルスタイン版半端じゃないです。ヴァイオリンの高音和音は非常にテクニックを必要とします。素人がちょっと練習して面白い曲じゃない。
コンサートのアンコール向けですね。 (10/3-09:24) No.3012
ふゆひこ > レイチェル・バートンが初録音だったのですか。続けて2枚目も出せば、リスト協会のディスク・グランプリはレイチェル・バートンが受賞してただろうな。“ハワードも変だな”と僕が思ったのは、まずレイチェル・バートンのシリーズがあるのに、クレメンのシリーズに後で協力してしまってること(ビジネス面で、レイチェルの続編の価値が薄れてしまう)。ただこれはおそらく“バートンから続編の協力依頼が来なかっただけだよ。そしたらクレメンから協力依頼が来たから喜んで協力したのさ”ということでしょう。それとクレメンのCDは“コンプリート”であるのに、レイチェル・バートンの方に収録されている“婚礼”が含まれていない。というとこです。ミルスタインの“メフィストワルツ”は試聴しただけでも、様々なニュアンス、効果を必要として難しそうですね。 (10/3-23:22) No.3016
じょるじゅ > ああ〜そういういみでしたか。(笑)「婚礼」は「巡礼」からの曲ですか?(未だに邦題苦労してます。)本当だ。クレメンとボガニー(彼キュートです。)のプロジェクトではハワードは解説だけでなく2枚目のCDの曲を編集、整理に直接参加してますね。あるいは、ハワードの「リスト研究家、楽曲の発掘」という活動のほうが解説を受け持つと言うより主要な参加なのではないでしょうか?
クレメンとボガニーのCDリスト博物館の彼のピアノと肖像の前で撮影されてます。
二人とも若い頃のリストがよく着ていたハンガリーの民族衣装。
バートンのCDは賞取ってないですか?リストCDとしては絶対に必聴だと思います。 (10/4-02:47) No.3019
じょるじゅ > 自分で見たら、一年前にアマゾン.コムにレビュー書いてました。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000001QBS/ref=cm_aya_asin.title/104-8014020-8382344?%5Fencoding=UTF8&v=glance
(10/4-04:48) No.3020
ふゆひこ > そうです。“婚礼”は“Sposalizio”のことです。イタリアの1曲目。僕は、どうしても邦題の方がとっつきやすくて親しみがあるな。分かりづらそうなのは、これから英語表記もするようにします。ああ、ほんとだ、ディスク2の“2つのワルツ”と“デュオ・ソナタ”がハワード編になってますね。レイチェル・バートンの演奏も優れているし(試聴しただけですが)、ハンガリー狂詩曲付き、“婚礼”付きなら、確かに買ってちゃんと聴いた方がいいですね。今度買います。 (10/5-01:25) No.3022

The Grand Prix International Liszt du Disque 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/24(Fri) 01:08 No.2939

ブダペストのリスト協会のサイトが復活してました(なんでつながらなかったんだろう??)。リンク集に追加しておきました。それで、第30回のリスト・ディスク グランプリが発表されてました。

ひとつはセルジュ・フィオレンティーノのソナタアルバム。エディション8とのことでAPRのサイトで確認すると、NEW RELEASEになってます。まだ発売されてないのかな?

http://www.aprrecordings.co.uk/newreleases.html

で、グランプリはもうひとつあって、それは僕も持っているオラトリオ“聖スタニスラウス”のレコーディング。ワールド・プレミアが評価されたんでしょうね。

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ふゆひこ > ↑フィオレンティーノの発売されてないわけないですね。ジャケットも出来てるんだから。けど日本の店頭で見かけたことがない。 (9/24-01:10) No.2940
ミッチ > フィオレンティーノのCDが受賞したのって2回目でしたっけ?うれしいなぁ。みなさん!フィオレンティーノを聴きましょう!(笑)
関係ないですが、ナクソスの次のCDはシチェルバコフの第9みたいです。 (9/27-23:32) No.2955
ミッチ > あれ?間違えたかな?ナクソスのサイトに載ってない。どこでみた情報だったか忘れました。夢だったかも(笑)。 (9/27-23:47) No.2956
ふゆひこ > フィオレンティーノは2回も受賞しているのですか。リスト・ディスク・グランプリ、全30回の受賞ディスクを知りたいな。ハワードの“旅人のアルバム”ぐらいしか知らない。ナクソスもどんどん出しますね。となると、シチェルバコフのディスクは、この前終わってしまった、ワイマール芸術祭の空気を感じさせてくれそうです。 (9/28-02:22) No.2962
ミッチ > スティーヴン・メイヤーのコンチェルトのCDの裏面かなんかにグランプリ受賞と書いてあったような気がしたのですが、ちょっと記憶が曖昧です。 (9/29-00:28) No.2970
ふゆひこ > 僕の持っているメイヤーの協奏曲のCDには記載がありませんでした。ネットで調べると受賞してますね。たぶん発売されてから、その年か翌年に受賞が決まるから、クレジットのあるCDとないCDがあるんでしょうね。 (9/30-01:23) No.2973
ふゆひこ > というわけで、ネットで検索してあちこちのサイトから、Grand Prix International Liszt du Disque の受賞ディスクを調べてみました。ぜんぜん埋まりません(笑)。

≪ブダペスト リスト協会 リスト・ディスク・グランプリ 受賞ディスク≫

1976    フランス・クリダ
1978    レナード・バーンスタイン   ファウスト交響曲
1984    シプリアン・カツァリス     ベートーヴェン〜リスト 交響曲第9番
1986     ホルヘ・ボレット         ヴィネツィアとナポリ、エステ荘の噴水
1987     Bogdan Czapiewski, piano Cracov Philharmonic Symphony Orchestra, conducted by Tadeusz Strugala
       Ferenz Liszt - Polonica Wifon 052 (Poland, 1986)
"サルヴェ・ポロニア"他
1988?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第2巻 バラード
1988    ジェフリー・スワン
1989    シプリアン・カツァリス     ベートーヴェン〜リスト 交響曲
1990    ボリス・ブロッホ         オペラ・トランスクリプション
1990?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第5巻 サンサーンス、ベルリオーズ編曲
1990?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第6巻 オペラ・トランスクリプション
1993?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第20巻 旅人のアルバム
1993?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第24巻 ベートーヴェン、フンメル七重奏曲
1994    ユージン・アブローズ
1995    ≪various artist≫       19人のピアニストによるハンガリー狂詩曲集
1995    スズサ・エレケシュ       リスト オルガン作品集 DABRINGHAUS UND GRIMM SCENE 
1995    トーマス・トロッター?


1996?   レスリー・ハワード       リスト独奏曲全集 第41巻 レシテーション
1998    ミッシャ・ディヒター       編曲集
1998    デュオ・エグリ&パーティス  2台のピアノのためのオペラ・トランスクリプション
1999    セルジオ・フィオレンティーノ  初期録音集 (9/30-02:19) No.2976
1999 25th 横山幸雄             超絶技巧練習曲集
2002 28th ジョルジ・セルメツィ       リスト後期作品集 管弦楽編曲版
2002    ナジェージュダ・ブレーヴァ
2003    ダブラフカ・トムジック     ソナタロ短調
2003 29th マルク・アンドレ・アムラン    パガニーニ大練習曲
2004 30th ジェームズ・コンロン       聖スタニスラウス
2004 30th セルジオ・フィオレンティーノ  エティション 8 ソナタロ短調
2005 31th Jozsef Balog           Hungaricum
2006 32th Peter Toth             Late Piano Works
2007 33th Thomas Hitzlberger       Franz Liszt & Richard Wagner− Sonatas & Metamorphoses




?      リチャード&ジョン・コンティグギラ 2大のピアノのためのベートーヴェン交響曲第9番編曲
?      白井光子             リーダー
?      テレサ・ワルターズ 
?      バルナバーシュ・クレメン/ゲルゲニー・ボガーニ   ヴァイオリンとピアノのための作品全集 
?      オクサナ・ヤブロンスカヤ
?      ペーター・ドノホーエ      ソナタロ短調
?      ロバート・シルヴァーマン
?      ジェローム・ローズ
?      アルフレッド・ブレンデル   
?      スティーヴン・メイヤー    ピアノ協奏曲 第3番 (9/30-01:26) No.2974


ふゆひこ > 同じ年で複数枚、選ばれてるようですね。やはり資料的価値の高いもの、リストの音楽に新しい側面を見出しているもの、リストの普及に貢献しているもの、などに賞が与えられているのかと思います。ハワードは後、特別賞みたいなものも受賞しているようです。最初、こまめにリスト協会も賞を与えてたんだけど、きりがないから“まとめて特別賞”にしちゃったんでしょう(笑)。 (9/30-01:31) No.2975
ふゆひこ > 追加。

1984    シプリアン・カツァリス     ベートーヴェン〜リスト 交響曲第9番
1995    スズサ・エレケシュ       リスト オルガン作品集 DABRINGHAUS UND GRIMM SCENE 
1995    トーマス・トロッター?
1999    セルジオ・フィオレンティーノ  初期録音集 (9/30-02:19) No.2976

ミッチ > おお!素晴らしい!僕もどうしても全部知りたくてリスト協会にメールしちゃいました(笑)。この話題が上がった後、すぐに送ったんですけど、いまだ返信なし(そりゃそうだ)。。ネットで調べるほうが手っ取り早いですね。考えもしなかった。
上で出ている名前を見ているだけでわくわくします。ボリス・ブロッホやフランス・クリダが出てくるところが特に。以前こちらで、横山幸雄の超絶技巧練習曲がなんかの賞を受賞しているみたいな話題になったような。あれはこの賞だったのかな?
今の僕の経済事情からして、大量にCDを買うことができなくて、何かテーマを決めて集めようかな、と思っていたんです。受賞ディスクを集めるというのも面白そうですね。 (9/30-20:25) No.2978
だるべると > フランス・クリダはピアノ演奏家で最初にリスト全集を出された方だそうですね、恥ずかしながら最近知りましたよ。聞けば、1オクターブも届くか届かないくらいの手のサイズだと知ってビックリです。彼女のCDは現時でも国内で入手可能なでしょうか?アマゾンでも見かけなかったような・・・? (10/1-01:08) No.2982
ふゆひこ > リスト・ディスク・グランプリって、いろいろ調べると、結構、その受賞を名誉あるものとアーティスト自身も考えていれば、当然レコード会社もそれを宣伝文句にしてるんですよね。それなのにどこにも受賞作一覧がない。本当は、ブダペストのリスト協会のサイトにあるべき、だと思います。リスト協会からメールがくるといいですね。確かに横山幸雄さんも受賞してますね。前に“リスト弾き”の話をしていたときに教わりました。 (10/2-00:57) No.2985
ふゆひこ > というわけで追加。

1999 25th 横山幸雄             超絶技巧練習曲集
2002 28th ジョルジ・セルメツィ       リスト後期作品集 管弦楽編曲版


(10/2-00:57) No.2986
ふゆひこ > フランス・クリダは僕も持ってないです。いまは、ほとんどお店とかで見かけないですね。10年ぐらい前なら、複数枚組みのCDを見たことがあります。国内盤ででてました。中古屋さんとかでたまにでてくるんじゃないかな。 (10/2-01:01) No.2987
さすらい人 > 通りすがりのものです。突然失礼します。1986年にボレットも受賞していますよ。確か、『ヴェネツィアとナポリ』、『エステ荘の噴水』などが入っているCDです。確か、リスト没後100年に受賞した記念すべきアルバムと、当時レコード会社が宣伝していたと思います。 (10/2-17:51) No.3000
ミッチ > フランス・クリダ。僕も聴きたくて仕方がない。全集はLPで出ていたものでCD化はされていないと思います。前に中古屋で3枚組のCDを見かけましたが、全集からの復刻なのかどうかわかりません。 (10/2-22:47) No.3001
ミッチ > アマゾンでキーワードを「Clidat」と入れればいくつか出てきますね。でも曲目が書いてない。
ちなみに全集というには程遠い内容だそうです。でも当時としてはクリスマスツリーや演奏会用大独奏曲などは貴重だったでしょう。 (10/2-22:52) No.3002
ふゆひこ > ありがとうございます。緑色っぽいジャケットのやつですね。僕は持ってないです。主要なリストの演奏家はたいてい受賞してそうですね。

というわけで追加。
1986 ホルヘ・ボレット             『ヴィネツィアとナポリ、エステ荘の噴水』 (10/3-01:39) No.3008
Recerdo >
ふゆひこさん、こんばんは

私のこと覚えておられたでしょうか^^;
久しぶりに訪問させて頂いたら、懐かしいクリダの名前があったので思わず書き込みしています。彼女は最初LPで『リスト全集』というような名前で出し始めたのですが、何枚か出してから、音沙汰無しになってしまってがっかりした覚えがあります。記録を拝見すると1976年だったのですね。演奏は、まあ、はっきり言って凡庸な感じでしたね。私も若かったので全曲買うことにしていましたが、残念な気持ちだったです。今なら、買わないでしょうね。フランスの女性ピアニストで、セシル・ウーセという人の『超絶技巧練習曲』があったのですが(全曲入っていたかどうかは覚えていません)この演奏はこの曲集でも最高のものの一つではなかったか?、というものでした。今あるのでしょうか?どなたかご存じでしょうか? とにかくこの曲をこれだけ『美しく、大きなスケール』で弾いた人は私は他に知らないのです。
(10/3-02:25) No.3010
ふゆひこ > Recerdoさん、こんばんは。以前、みゅうさんのところで少しだけお話しさせていただきました。憶えてます、というより、僕はほとんど他のサイトの掲示板に書き込まないのですが、ROMってますので、Recerdoさんはよく知ってます(笑)。フランス・クリダは、僕はラジオのエアチェックで、“リゴレット・パラフレーズ”と“グノーのファウスト・ワルツ”を聴いたことがあります。ちょっとあんまり印象を憶えてないです。どっかにテープはあると思うんですが、カセットデッキがない(笑)。セシル・ウーセって名前は聞いたことありますが、聴いたことないです。そんなにすごい演奏なら、聴いてみたいですね。ちょっとAMAZONにはなかったっぽいです。 (10/3-23:11) No.3015

リストの演奏家 兼 研究家 投稿者:ミッチ 投稿日:2004/09/30(Thu) 21:33 No.2979

リストの演奏家兼研究家ってどれくらいいるのかなぁと、最近ふと気になりました。以前こちらで紹介したオーザン・マーシュもそうなのかもしれないですが、ライナーノーツに書いてあることは「ザウアーの弟子」というだけで、研究家かどうかわかりません。要するに、研究家ではなくザウアーのコネで楽譜を手に入れただけ、という可能性もありますよね。
それから、ルイス・ケントナーはリスト協会の会長(イギリスかな?)をしていたそうで、彼も研究家だったかもしれないです。なぜそう思ったかというと、彼の録音している曲目を見るとマニアックなものがたくさんあるからです。でもなんの確証もないです。
ポーランドには「ショパンの権威」みたいな人が何人かいるみたいなので、特にハンガリーにリストの演奏家兼研究家みたいな人がいてもおかしくはないかな、と思いまして。
代表格はなんといってもハワードですが、それ以外でいないのでしょうか?もしご存知でしたら教えてください。

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だるべると > 南米出身のピア二スト、アマラウ・ビエイラはリスト研究家としても活動されてるみたいですよ。某大物宗教家?(日本の)にハンガリー狂詩曲No19の楽譜(復刻版)を贈呈してます。リストの曲は1000曲は存在すると発言していて、ハンガリーに行った時に未発見の曲を発見したはいいけど、持ち出しどころか、コピーすら厳禁だった為、楽譜を頭に焼き付けるまでその場にいたそうです(笑) (10/1-00:53) No.2980
じょるじゅ > ウオーカーはもともとピアニストです。たしかBBCのラジオ番組の解説の執筆を頼まれたかなんかがリストを調べるきっかけだったはず。
それがライフワークとなってしまうのが凄い。 (10/1-04:08) No.2983
ふゆひこ > “演奏家”“研究家”というのを、コンサート・ピアニスト、レコーディング・ピアニストとして、一定の成果があり、なおかつ論文等の研究成果がある、とするとかなり限られてしまうでしょうね。ハンフリー・サールは作曲家ですが、それぐらいしか思いつかないな。リストの知られざる作品を求めて、いろいろ調査・研究をしている演奏家はたくさんいると思います。デュオ・エグリ&パーティスとかもそうだし、最近CDが出たヴァイオリニストのレイチェル・バートンもそう。レイチェル・バートンのサイトでは彼女がどのように調べたりしているかが、ちらっと書かれてます。結局、イギリスリスト協会のハワードに教わったっぽいけど(笑)。
http://www.rachelbarton.com/index.htm
ここで、>Music のところからリストのCDタイトルをクリックしてみてください。このシリーズは期待大ですね。 (10/2-01:24) No.2988
ふゆひこ > レイチェル・バートンってかっこいい人ですね。ABOUT RACHELをクリックすると、彼女のヴァイオリン・ケース?が写ってる。ガンズ&ローゼスとかメタリカのステッカーが貼ってある。 (10/2-01:29) No.2990
ふゆひこ > 続きがありました。リストのCDのページにいったら、>MUSIC CLIP をクリックしましょう。何曲か試聴できます。なんかかなりいい演奏です。 (10/2-01:52) No.2993
じょるじゅ > このCDにも入っているロマンス、じゃなかった、忘れられたロマンスいいですよ。
CD解説は結局ハワードが書いてます。(笑) (10/2-06:39) No.2996
ミッチ > みなさま。貴重な情報をありがとうございます。ビエイラって名前ははじめて聞きました。勉強になります。
僕の上の書き込みは第3者の方に不親切ですね。「マーシュが研究家なんじゃないか」と思った理由はハワードすら録音していない曲を録音しているからです。
ハンガリー人でいないかが気になりますので継続して調査してみたいと思います。 (10/2-22:56) No.3003
ふゆひこ > アマラウ・ビエイラという人は僕も知りませんでした。ビエイラのエピソードは、なんかモーツァルトの“ミゼレーレ”のエピソードを思い出しますね(笑)。 (10/3-01:42) No.3009

ジョルジ・セルメツィ/リスト後期作品集 管弦楽編曲版 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/10/02(Sat) 01:38 No.2991

第28回のリスト・ディスク・グランプリ受賞CDです。このCDはすごいですよ。“忘れられたワルツ NO1〜NO4”“死のチャルダッシュ”“ハンガリーの歴史的肖像 全曲”“執拗なチャルダッシュ”以上の管弦楽編曲版!

これはブダペスト音楽センターのサイト↓
http://new.bmcrecords.hu/pages/frameset/index.php

マジャール語が読める人はそのままどうぞ。読めない人は>ユニオン・ジャックをクリックして英語にしましょう。それから> CLASSICS をクリック。CDがいっぱい出てきます。右の方に行って水色っぽいジャケット、いかにもコンテンポラリーって感じのね。Ferenc LISZT Late works BMC CD 060 というCDです。ジャケットをクリックすれば、全曲試聴できます。

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ふゆひこ > そこのCDのところで、Gabor Csalog というピアニストのLISZTアルバムも面白いです。手のジャケットのやつね。なんとリストの“超絶技巧練習曲”だとか“怒りをこめて”とかのエチュードと、リゲティのエチュードを曲順入れ替え組み返して、アルバムを構成しています。うーん、これも欲しい。 (10/2-01:43) No.2992


リストのカデンツァ 投稿者:だるべると 投稿日:2004/09/26(Sun) 02:18 No.2950

デュバル(著)の『ホロヴィッツの夕べ』を最近購入して現在読んでいます。なかなかピアノ・マニアは一字一句見逃せない貴重な文言が並んでますね。この本の第26章にホロヴィッツがモーツアルトのP協奏曲k488のカデンツァについて不満を漏らし、デュバルの助言でブゾーニ版を採用する行がありますね。これを読んでて考えたのですが、リストもカデンツァは書かなかったのかと?リストと同時代に生きたブラームスはかなりカデンツァにこだわりがあったみたいで結構手掛けていますね。まだ聴いた事がないのですが、リストはベートーヴェンのP協奏曲(No:3〜5)を2台用に編曲してますが、ここで使用されているカデンツァはリストオリジナルのモノなのでしょうか?


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じょるじゅ > ええ〜?知らなかった。本当?二台版?
楽譜欲しい〜!捜そう。 (9/26-09:14) No.2951
ふゆひこ > 『ホロヴィッツの夕べ』は『アラウとの対話』と双璧をなす書籍ですよね。両方ともすごく面白い。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番〜第5番の編曲ですが、CDとかにはなってないと思うので、聴いたことないです。手持ちの書簡を確認すると、オルガ宛書簡で、1878年12月27日の書簡(P330)で発言がありました。シューベルトやウェーバーの編曲と同じように、コッタ社の教則本目的のようです(リストはレーベルトとの“古い約束を完遂する”という記述があります)。まずオーケストレーションをリストの当時の様式に合わせてアレンジしたとのこと。当時、あまり弾かれなくなっていた(とリストが感じている)ベートーヴェンの協奏曲を演奏されやすくしたい、というのがリストの希望だったようです。それと2台ピアノ版を作っている。ヘルムの『リスト』の作品表では、S657aという番号がふられていますが、サールの作品表では、“Edited By Liszt”のところに入っており、そこでの記述は“Three piano concertos (Op.37,58,73)edited and arranged for 2 pianos,with cadenzas”となってます。カデンツァも作ってますね。 (9/26-22:01) No.2953
だるべると > ハワードのVOL:44にP協奏曲No3のカデンツァだけ収録されてるみたいですね。何時か購入して聴いてみます。リストがベートーヴェンの曲を世の人達に認知してもらうために相当な労力を使った事は、意外と知られてないみたいですね。リストが偉大な先
輩音楽家の遺産を後世に伝える橋渡しをした事は、賞賛に値すると思うのですが?この肝心な業績が忘れ去られてるいるような・・・。

『ホロヴィッツの夕べ』全部読み終わりました。ふゆひこさんの言うようにまさに双璧の書に相応しい本です。デュバルもホロヴィッツも心からリストを敬愛してた事を思うと、読んでるボクも感動的な気分にさせられます。しかし・・・デュバルって博学というか雑学というか(笑)ある意味スゴイ人ですね。 (9/28-02:03) No.2959
ふゆひこ > ごめんなさい。ハワードが録音してました。第44巻に入ってます(ほとんど聴いていない巻なので)。第3番のカデンツァのみ。ハワードの解説によれば、カデンツァは第3番のみ書かれているようです。で、ハワードの44巻に入っているのが、まさに1879年の2台ピアノ版のカデンツァ。ハワードはカデンツァのみにS389aという番号をふってます。ハワードは“独奏曲全集”の予算的規模から、ピアノ協奏曲として録音できなかったようです。晩年にしては、なかなか豪快なカデンツァかな。 (9/28-02:11) No.2960
ふゆひこ > 書き込みが重なっちゃった(笑)。リストの他の作曲家への貢献というのは素晴らしいですね。同時代の作曲家をどんどん取り上げたという新ドイツ楽派としての側面に注目しすぎると、リストがベートーヴェンやシューベルト、バッハといった古典に対して貢献したことが忘れられてしまう。常にリストに対しては、いろんな要素を考慮しないといけないですね。 (9/28-02:17) No.2961


リストから見たワルツ王 投稿者:だるべると 投稿日:2004/09/17(Fri) 02:53 No.2902

リストは膨大な数のパラフレーズやトランスクリプションを手がけていますね。元々誰が作曲したかもわからない曲もあるとか・・・。リストが編曲に関わった作曲家を見渡して気がついたのですが、ヨハン・シュトラウスの名前がありませんね。唯一の作品がカルル・タウジヒとの合作のみ・・・。リストなら2〜3曲は手を付けてもおかしくないと思うのですが?それとも19世紀ロマン派の時代にあって庶民相手の娯楽音楽は編曲にも値しないと思ったのでしょうか?シュトラウスの関連本やサイトを調べたのですがリストとの接点が殆んど見えてきません。2人の出会いって実際あったのでしょうか。

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じょるじゅ > そうそう、私もそれ疑問でした。
特にシュトラウスの全盛期にリストもドイツにいて、ウイーンは彼自身も指揮や客員監督などしていたのに、です。面識がなかったとは思えないですが、少なくともシュトラウスの音楽について語る価値もないと考えていたと推測することは出来ます。(書簡に全然でてこない。) (9/17-03:32) No.2903
たに > シュトラウスはリストとの関係がイマイチだったブラームスとは割と関係良好だったらしいので、一種「属する集団」が違っていたのでは? 単純な2分割みたいな言い方で済みませんが。 (9/17-22:04) No.2905
じょるじゅ > たこさん、や〜。それは多分、妙に当たっているかもしれません。なんとなくお互いに音楽についてはノーコメントという。
(9/18-00:39) No.2906
じょるじゅ > すみませ〜ん。たにさんでした。ごめんなさい。(たこさんというひとがいるもんで。) (9/18-00:40) No.2907
ふゆひこ > 面白いテーマですね。ウォーカーWYを参照したら、P408に載ってました。1856年にリストはウィーンに行ったとき、当時大ブレイク中のヨハン・シュトラウスU世のコンサートにリストは聴きに行ってますね。ヨハン・シュトラウスU世は、リストに敬意を表して、プログラムに“リスト博士の臨席に敬意を表して”というような記載をし、“マゼッパ”から行進曲(?労働者の合唱のこと?それとも単にマゼッパをアレンジしたのだろうか?)と、ワーグナーの“ローエングリン”から数曲をアレンジして演奏した、とのことです。 (9/19-03:04) No.2910
ふゆひこ > またFY P468では、1885年にウィーンに行ったときに、ヨハン・シュトラウスU世とまた会ってますね。最初に会った1856年という年代がまさに“WAR OF THE ROMANTICS”の頃だから、たにさんの言われるとおり、ヨハン・シュトラウスU世がブラームス側だとすると、リストも音楽的関係(編曲をするなど)を持つことに抵抗があったのかもしれないですね。 (9/19-03:13) No.2911
だるべると > やはり2人の出会いはあったのですね。あの時代楽壇を二分するほどの勢力があった事を思うと、リストが安易に作曲にまで手を出さなかった意味は大きいですね。ハンスリック率いる保守派との攻防はリストの気を相当滅入らしたでしょね。 (9/19-04:03) No.2913
たに > いちおう追記しておきますと、ブラームスとシュトラウスの付き合いについても音楽的関係という要素は薄かったみたいです。ただブラームスのほうはシュトラウスのワルツが好きだったらしく、シュトラウスの親戚に与えた扇子か何かに「美しく青きドナウ」のはじめのほうの旋律を書いて「これが自分の作品でないのは残念です」とか書いていたらしいです(ちょっと記憶が曖昧ですが(^烹^;)。シュトラウスのほうでもブラームスに献呈したワルツというのがあるということですが、音楽的な内容を尊敬しているというよりもブラームスの社会的な地位に敬意を表していた面が強かったようだと書かれていました。 (9/19-21:01) No.2914
ふゆひこ > ヨハン・シュトラウスというのは、音楽史の流れから、離れて独自の地位を確立しているような感じを受けますね。シュトラウス自身の発言に興味がでてきました。ネット上の知識ですが、ヨハン・シュトラウスU世は、ブラームス、ベートーヴェン、シューベルトの隣に埋葬されてました。それだけすごい名声と尊敬を得ていたということでしょうね。 (9/20-01:07) No.2915
じょるじゅ > ウイーンに行ってみるとわかりますよ。
「上野の西郷さん」「渋谷のハチ公」「鎌倉の大仏」「ウイーンのシュトラウス」ですよ。
お土産やにモーツアルト、シュトラウスとシシー(エリザベート皇后のこと)のお菓子とかお土産が売ってます。
カフェやレストランにいくと必ず「Blue Danube」聞かされるし・・・

なんとなくうんざりしてくるの、汲み取っていただけます?(笑) (9/20-02:47) No.2918
ふゆひこ > 持っている書簡集をチェックしたら、面白い発言が一つだけありました。リスト・スタディーズ VOL10のP150 NO163の1860年11月13日 シューバート宛書簡。

“まもなくウィーンのシュトラウスが“メフィストワルツ”を演奏する。これで批評家達も当分食いつなげるだろうね!”

最後の一文は

“That will give more fodder to the critics!”

というものです。やはりシュトラウスとリストの間には、彼ら自身とは関係なく、批評家が煽り立てる楽派の対立みたいなものが邪魔していた可能性を感じますね。 (9/20-02:56) No.2919
だ > ハンガリーに行ったらリストクッキーとかあるんですかね・・・・(笑)恐れおおくてボクは食べられません。 (9/20-03:54) No.2920
じょるじゅ > ふゆひこさんが昔リストワインがあった、とか書かれてませんでしたか?
見かけなかったけど。
私が行ったレストランではメニューに「フランツリストコース」がありましたよ。ロッシーニステーキだと思うんだけどハンガリーだから「リスト」。
でも、鹿のテンダーロインがどうしても食べたくてパスしました。ブダペストでは絶対に食べ物ケチらないことです。凄く安いから贅沢しつくしても「たったこれだけ?」って言う感じです。 (9/20-12:01) No.2921
ミッチ > シュトラウスは当時のポップミュージックだったのではないでしょうか。ショパンはシュトラウスの音楽が嫌いで、「ウィーンの聴衆は堕落した」と言っています。 (9/20-20:37) No.2922

ソナタ 変ロ短調 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 02:24 No.2916

リストのソナタロ短調の影響下にある作品があることを知りました。ロイブケの“ピアノソナタ変ロ短調”です。有名なのかな?僕はロイブケの曲は、聴いたことないです。で、さっそくアマゾンで注文中。ここで試聴できます。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000DI80M/reminiscedefr-22
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000005E3Z/reminiscedefr-22

さわりを聴いても、やはりなんとなくリストのソナタを想起させますね。WY P196から。ユリウス・ロイブケは1856年にワイマールに来て、リストのグループに入ります。ロイブケはリストのソナタロ短調を聴いてまもなく、このソナタ変ロ短調を作曲します。アルテンブルクのサークルで絶賛されたとのこと。WYP196 では、ロイブケによって演奏されたときの、アルテンブルクの模様を記述したリヒャルト・ポールの文章が紹介されてます。

ロイブケは父親が有名なオルガン製作者だったからか、オルガン曲が多く、オルガン曲の方が有名らしいです。“詩篇94”のオルガンソナタは、リストの“アド・ノス〜”の影響下に書かれたとのこと。(←この辺もWY P195)

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ふゆひこ > ロイブケも若くして死んでしまいます。たった24年しか生きていない。WYP488にはリストがカロリーヌに宛てた書簡で“この素晴らしく、魅力的な若者は、もう長くないだろう…”という残念がる書簡が紹介されてます。ロイブケは肺結核、タウジヒは腸チフス。リストの後継者になるべき2人は、伝染病によって命を奪われてしまう。 (9/20-02:35) No.2917


リストに関する講座  投稿者:砂町文化センター熊倉 投稿日:2004/09/15(Wed) 21:52 No.2898 <HOME>

リストに関する講座やりますので、是非ご参加を。

はじめまして、こんにちは。私は江東区砂町文化センターの職員です。
当館では10月から2月まで、旧東欧出身の作曲家を取り上げた音楽鑑賞講座「ヨーロッパ音楽〜西と東の旅〜」の受講生を募集しています。
講座は全7回です。講師は音楽評論家の渡辺和彦先生です。7回のうち10/29は「ハンガリー人」を自称したドイツ人、リスト11/12は生演奏で聴くリスト(ピアノ:西奥章)という形で、リストを取り上げます。時間は19:00〜20:30。受講料は7回で¥9,600教材費¥100です。区内を問わず、区外の方も大募集中ですので、リストに興味のある方は是非ご参加ください。電話03−3640−1751FAX03−5606−5930です。詳しい内容はホームページをご覧下さい。

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ふゆひこ > 講座で“ピアノ演奏”がある、というのは面白いですね。これはリストの回だけ受講というのは、ありなんでしょうか(笑)?いずれにしてもちょっと僕は平日は無理っぽいです。 (9/17-02:08) No.2900
砂町文化センター熊倉 > お返事ありがとうございます。
今のところ、単発受講は取扱っていませんが、
講座が開始して募集人数によっては有りかもしれません。10月半ばを過ぎましたら、またご案内いたします。11/12の生演奏は「ダンテを読んで」と「ラ・カンパネラ」の演奏予定です。 (9/18-12:41) No.2909


リストの著作全集 ≪ロ短調ソナタの標題的解釈≫ 投稿者:グルメ 投稿日:2004/09/13(Mon) 15:46 No.2888

こんにちは。
私は今、リストについての卒業論文を書いています。
しかし、資料集めに手間取っています(TOT)

リストの著作全集が、出版されていると噂に聞いたのですが、日本語版はあるのでしょうか???
外国の方が書いているリストについての論文の日本語訳なんてないものでしょうか???
ご存知の方いましたら、教えてくださいませ。

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ふゆひこ > こんにちは。卒論となると、大学でしょうか。テーマによって参考とする資料も異なると思います。どのようなテーマか教えてもらえませんか?リストについての文献は、日本語訳されたものは期待できないです。海外の資料の豊富さに比べれば、少ない、なんていうレベルではないです。リストの名前を著者名として冠した著作は、洋書でも入手難じゃないかな。『LIFE OF CHOPIN』ぐらいかな。これは邦訳もされてます。ただし古本でしか手に入らないと思う。抜粋かもしれないけど青土社がシリーズで出版していた『音楽の手帖 ショパン』にも収録されていました。あと多くの書簡集。英訳されたもので、英訳自体の著作権が切れているものはテキストファイルとしてもオンラインで手に入ります(アマゾンでもダウンロードできますが料金が発生してました)。あと邦訳されているものは、ジャンケレヴィッチの『リスト ヴィルトゥオーゾの冒険』、ただしこれはヴィルトゥオーゾ論です。タイトルに“リスト”が入っていますが、パガニーニでもタールベルクでもそんなに違和感ない内容です。ヘルムの『リスト』は、相反する史実を客観的に並べていくことで、リストの生涯を追いますが、いままでの誤ったリスト像にメスを入れるという位置づけにある書籍です。このあたりの書籍のデータは僕のサイトの“書籍の紹介”を参照してください。英語でよければ、ありとあらゆるテーマのリストの書籍があります。基本はウォーカー、発展的なもので、フランツ・リスト・スタディーズのシリーズではないでしょうか。 (9/14-00:21) No.2890
グルメ > ありがとうございます。
論文では、『リストロ短調ソナタ』の標題的解釈が可能かどうかについて、書こうと思ってます。

標題音楽説の論文も、標題音楽説を否定する論文も数多くあるとおもうのですが、手に入らず、また、リストが『標題音楽』について、どんな考えを持っていたのか、それについて、どんな言葉を残しているのか、知りたいです。 (9/14-13:39) No.2892
ふゆひこ > 大変興味深いテーマですね。このサイトの“PAST LOG”>“2003年10月〜”のところに『リストのソナタ』についての会話がされているので、参照してみてください。そこでウォーカーが紹介している5つの説を書いています。それらの原書にあたるのがベストですね(ウォーカーは必ず出典を明記してくれているので起点となります)。そこのところの会話でも触れていますが、アルフレッド・ブレンデルが『音楽の中の言葉』という書籍で、“ファウスト”のキャラクターで分析しています。同じようなことは、クラウディオ・アラウが『アラウとの対話』で話しています(ファウストによる解釈は正直誰もがやりたがって、いまでは新鮮味がないです(笑))。これらは日本語訳されているので、参考になると思います(書籍の詳細データは、このサイトの“書籍の紹介”のところか“参考文献”に記載しています)。 (9/15-01:05) No.2893
ふゆひこ > “標題音楽”についてのリストの考え、を僕はじっくり読んでいないのですが、ざっと著作リストを見て、それっぽいのがないですね。あちこちの作品論や、書簡に分散して発言しているのではないでしょうか。ウォーカーでもプログラム・ミュージックについてのリストの考えがまとめられてました(読んでないです)。標題音楽に対するリストの考えを取り込んでいこうとすると、大きな論文になってしまいそう(リストのプログラム・ミュージック全般に対する姿勢を整理する必要があり、大変そう)。 (9/15-01:12) No.2894
ふゆひこ > ヘルム『リスト』はすでにお持ちでしょうか?訳者の野本由紀夫さんの注釈であちこちに標題音楽についての記述があり、参考になりますよ。例えばP128の訳注27。そこでは、野本由紀夫さんの『時代が変えた標題音楽』という論文の収録先も記載されています。あるいはP159の訳注34、『F・リストの交響詩≪レ・プレリュード≫の成立をめぐって〜』(これは“レ・プレリュード”が“四大元素”の序曲そのものとして書かれた、という説の論証のようです)など。一般書店では手に入らないと思いますが、図書館などでアクセスできそうですね。僕も読んでみたいです。 (9/15-01:18) No.2895
ふゆひこ > テーマが絞られているので、リストそのものからつめていくのではなく、違った角度から当たれば、日本語文献だけでも大丈夫そうですね。例えばロマン派芸術の基本理念に通じるショーペンハウアーとか。あるいはカッシーラーの『シンボル形式の哲学』とか(←名前しか知りません(笑)的外れだったらすいません)。 (9/15-01:27) No.2896
グルメ > 本当にありがとうございます!!
論文を書くのは初めてで、自分の文章能力のなさに驚かされる毎日です。f^-^;
リストは私も大好きな作曲家なので、しっかり勉強して、なるべくちゃんとした論文を書きたいと思います。
頑張ります!!!ありがとうございますっ!! (9/15-12:23) No.2897

ピコローミニ! 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/12(Sun) 02:46 No.2883

この前、シラーの『ヴァレンシュタイン』を読了しました。“三十年戦争”の常勝将軍ヴァレンシュタインをテーマにした戯曲です。第1部の“ヴァレンシュタインの陣営”は、正直退屈で、読むのが中断したりしたんですが、第2部“ピコローミニ父子”から勢いがつき、最終部の第3部“ヴァレンシュタインの死”になると、かなり面白いです。

で、リストと『ヴァレンシュタイン』が関係しないかな、と思ったら、面白いエピソードがありました。ウォーカー WY P261〜262です。アーデルハイト・フォン・ショールンの記述が出典とのこと。

ある日、リストはシュヴェンドラー夫人の家のパーティーに出席したとのこと。シュヴェンドラー家にあったピアノをリストが弾きだしたところ、それは放ったらかしにされた調律の狂ったピアノで、リストは微笑んでこう問いかけます。

リスト:“このピアノはいったいどこ製だい?”
シュヴェンドラー夫人:“ヴァレンシュタイン社製よ!” 
リスト:“ああ、ヴァレンシュタイン社か・・・”(P262の注釈で、ヴァレンシュタイン社はアイゼナハの近くにあったピアノメーカーとのこと。)

次の日の夜、こんどはショールン家にリストを含めた皆が集まる。ショールン家にあったピアノも、同じように調律の狂ったピアノで、リストはまたもやそれを弾き出した。しばらく弾いてリストは

リスト:“このピアノはおそらくピコローミニ社製だ!”

一堂はどっと笑ったとのこと。その日以来、アーデルハイト・フォン・ショールンの家のピアノは“ピコローミニ”と呼ばれたとのこと。

ウォーカーは現代人のために、『ヴァレンシュタイン』の簡単な内容を紹介して、このエピソードを説明しています。オクターヴィオ・ピコローミニ父は、ヴァレンシュタインを裏切るんです。僕にはちょっとしっくりこないんだけど、“裏切り”という行為が“調和を乱す”というイメージにつながって、使われたジョークなのかな?“ピコローミニ”という言葉が“ピアノ”にかけられてますね。

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ふゆひこ > 戯曲『ヴァレンシュタイン』は、もっと複雑で、シラーの戯曲では、まずヴァレンシュタインが皇帝を裏切ろうとするんです。それで皇帝に忠誠を誓うべきか、将軍ヴァレンシュタインについていくべきか難しい二者択一を迫られることになるヴァレンシュタイン麾下の幹部達を、ヴァレンシュタインはうまいことやって自分側に縛り付けようとする。それを阻止しようとするのがオクターヴィオ。ヴァレンシュタインを孤立させようとする。リストの時代では、ヴァレンシュタイン=英雄、オクターヴィオ・ピコローミニ=裏切り者、という図式が定着していたのでしょうか?僕が読んだ限り、そう簡単な図式ではないと思いました。

『ヴァレンシュタイン』の中で、誰が読んでもヒロイックなのは、オクターヴィオの息子、マクス・ピコローミニです。彼は、尊敬するヴァレンシュタインにもつかず、父オクターヴィオにも賛同できず、わが道を行きます。その道がどこにつながるかは読んでのお楽しみ(笑)。とりあえず、リスティアンは、これから調律の狂ったピアノのことを、“ピコローミニ”と呼ぶことにしましょう(笑)。 (9/12-02:48) No.2884
じょるじゅ > 今、記事用に「ふらんつ」がくだらない質問に答えている所を書いていたのですが、今までに弾いたピアノという欄があって、そこにそのエピソードを入れようと思ったのにヴァレンシュタインという名も、いつの年代だったかも思い出せず、見つからないであきらめてました。ホフガルトネライのときだと思ってFYをずっと読んでいる所でした。(今、彼の弾いたことのアルピアノのメーカーを羅列している所です。)
リストのジョークもインテリなんだよね。(笑) (9/12-06:37) No.2885
ふゆひこ > はっきり分からないんですが、上の僕の文章は間違えてますね。リストは、シラーの戯曲を念頭に置いたのではなく、一般的な歴史評価としての実在のヴァレンシュタインとピコローミニが頭にあったんでしょうね。おそらく一般的にはヴァレンシュタイン=英雄、ピコローミニ=裏切り者、という図式なんでしょう。岩波文庫の訳者によるあとがきを読んだら、シラーはずいぶん脚色しているそうです。しかもマクス・ピコローミニは架空の人物とのこと。となると(話がリストから離れますが)シラーの意図というのが興味深いです。読者にヴァレンシュタインにもオクターヴィオ・ピコローミニにも共感させないで、テークラ(ヴァレンシュタインの娘)への愛を第一に考えるマクスという人物を作り上げている。それがシラーのメッセージかな。 (9/12-22:54) No.2886
ふゆひこ > タイミングが合いましたね。僕の場合、最初“ヴァレンシュタイン社”というピアノメーカーがあるなんて思わず、シュヴェンドラー夫人がなぜここで突然“ヴァレンシュタイン”という名前を出すのかが“???”でした。ピアノメーカーだと分かって納得。昔は職人気質の強い、小さなピアノメーカーがたくさんあったんでしょうね。 (9/12-22:58) No.2887

未発見のリスト 投稿者:だるべると 投稿日:2004/09/10(Fri) 02:40 No.2873

ヘルム著のリストp253〜254「新リスト書簡全集」に新発見された
≪マリーへのワルツ Valse a Marie≫とありますが、いつ頃作曲されたものなんでしょうか?ハワードも録音してますか・・・?

あとこの本のp254〜257「新リスト作品主題目録」の完成出版が資金難のため停滞して2000年の出版が不可能な情勢と書かれていますが、あれから4年経ちましたが現在は完成され出版に至ってるのでしょうか?リストの新作と思われる作品はこの本が出版されて以降かなり発見されたのでしょうかね・・・・・?

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ふゆひこ > ハワードの第4巻“超絶技巧練習曲集”に収録されている“Mariotte - Valse de Marie”です。これはマリー・ダグー宛のリストの書簡から見つかったそうですね。すごく簡単な断片のような曲です。作曲年代は分からないようですが、ハワードは1840年頃と推定しています。いま、気づいたんですけど『新リスト作品主題目録』って、今年の秋冬に発売予定の、「フランツ・リスト・スタディーズ VOL12 リスト作品カタログ」を指しているのかもしれないです。ヘルムのP254 〜257で、「新リスト作品主題目録」の特徴として“インチピット”が挙げられてますよね。ハワードのカタログにも“インチピット”が入っているようなので。   (9/11-03:43) No.2875
ふゆひこ > ヘルムのリストは、1972年出版、野本由紀夫さんの訳が1996年。その後、ハワードの“新発見のリスト”も発表されているので、新発見のリストの曲はぞくぞく見つかっているのでしょう。 (9/11-03:47) No.2876
ふゆひこ > http://www.pendragonpress.com/ ペンドラゴンのサイトの“NEW TITLE”から紹介文を確認してみてください。 (9/11-03:49) No.2877
ふゆひこ > ああ、ごめんなさい。P257にマリア・エックハルトが研究主幹で、コンパクトディスクで刊行予定とありましたね。ハワードのカタログとは別物でした。 (9/11-09:57) No.2878
ふゆひこ > ブダペストのリスト協会のサイトにアクセスできないんですよ。なくなっちゃったのかな?たった1ページぐらいの簡単なサイトでしたけど。そこのトップページにマリア・エックハルト(だったかな??クララ・ハンブルガーかも??)が、“資金難”であり助けてもらいたい、と呼びかけるような文章がかかれてたんですよね。そのサイトもなくなってしまい、とても心配です。 (9/11-10:01) No.2879
じょるじゅ > マリオットワルツはへクサメロンの頃から弾いているようですよ1836-37年代。
リストのマリーへの書簡にピアノ決闘の直前のコンサートシリーズの夜会の一つでマリオットワルツを弾いたことを報告しています。私の記事のピアノ決闘のところにその書簡がほぼ完全訳で入ってます。(自分で確認してないけど。)リストの曲で彼自身がマリオット(リストのつけたマリーダグーの愛称)と呼んでいるのはこの曲です。ハワードはどこかで見た覚えがあるけど出典がわからなかったんじゃないかな。
(9/11-11:00) No.2881
ふゆひこ > “マリオット”というのは、マリーの愛称でしたか。どういう意味なんだろうと思って、辞書を引いてしまいました(笑)。それでは、作曲年代は1836〜37年代ですね。僕も自分のサイトの記述に補足みたいなのを入れるようにします。 (9/12-01:32) No.2882

超絶ベルマン63 投稿者:K' 投稿日:2004/09/08(Wed) 20:41 No.2870

はじめまして、いつも参考にさせていただいてます。ここのCDのすすめでアラウの超絶を聞いてみましたがよかったです。前から持ってたアシュケナージ盤とはまた違う魅力がありました。そして今物凄く気になっているのがベルマンの超絶技巧練習曲63年のCD、探しているのですがまったく見つかりません。廃盤だからしょうがないのでしょうかね。どうにかして見つけたいものです、、。それはともかくこれからもこのページを愛用させていただきます、がんばってください

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ふゆひこ > はじめまして。励ましの言葉ありがとうございます。僕が持っている“超絶技巧練習曲”は、紹介しているもので全部なんですが、いまだに“超絶”を聴こうと思ったら、まずアラウの盤を手に取ります。ベルマンの63年録音の盤は、そんなにめちゃくちゃ貴重なCDということもないんじゃないかな。結構流通したディスクだと思うので、中古CD屋で気長に探せば、手に入るんじゃないでしょうか(僕も2年前に中古屋で買いました。その後、同じ店で2回ほどみました。御茶ノ水のディスク・ユニオンです)。ヤフーのオークションとかでよく出てますよ(いくらで落札されているのか分かりません)。あとは図書館とかに置いてありそうですね。もっと気長に待つと、ペトロフのパガニーニ・エチュードのように、再発されてみんな喜ぶ、ということもあります(笑)。 (9/10-01:00) No.2872
K' > 返信ありがとうございます。気長に探してみることにします(苦笑。超絶で今のところ一番気に入っているのが全曲盤ではないのですがキーシンのものが気に入っております、「夕べの調べ」ではリヒテルの物が気に入っております。両方とも録音がデジタルなので音質も実にいいです。しかしながら世論では最高と評されるベルマンの物を聞いて見たくてなりません(このCDは音がわれまくっているとのうわさも聞いたのですが、ほんとに巨大な演奏であることが推測できますね。 (9/10-23:04) No.2874
ふゆひこ > 僕は、紹介いただいたキーシン、リヒテル、アシュケナージ、全部聴いてない(笑)。どうしても全曲入ってないと、買う気がしなくて…、けどこの3人の演奏も素晴らしそうですね。ベルマンの1963年のディスクは、やたらとキンキンしたブライトすぎる音です。トレブルつまみをフルに回したような感じ。 (9/11-10:21) No.2880


忘れられたワルツ 投稿者:LOM 投稿日:2004/09/05(Sun) 01:00 No.2838

お久しぶりです。

さっき僕のメールマガジンが発行されましたが、「忘れられたワルツ」を最近取り上げています。
そこで、お訊きしたいのですが、ここのサイトに書かれている、「リストは“忘れられたワルツ”について“これは私の創作力の最後の残りだ”と語ったとのこと。」ということについて、これがいつの発言なのか、できるだけ詳しく教えて頂きたいのです。
第何番まで出来た時点で言われたことなのか…。
何故気になるかというと、僕にはハワード56巻に収められている「3つの忘れられたワルツへの後奏」に関係あるような気がしてならないのです。

忘れられたワルツの各曲が作曲された時も含めて、時間関係を詳しく教えて頂けたら嬉しいです。

「3つの忘れられたワルツへの後奏」は僕の好きな曲で、非常に気になりますので、僕なりの意見をまとめてみたいと思っています。よろしくお願いします。

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ふゆひこ > 僕のサイトの第1巻の感想は、すごくいい加減ですね(笑)。出典も明記してないし。一番最初に書いたページなので、書き直そうと思ってます。まず“想作力の最後の残り”という発言は、属啓成さんの『リスト 作品篇』P167を出典としてます。属さんも出典を明記してないですね。持っている書簡集と、書籍のいくつかを参照しましたが、特に出てこないな。ウォーカーがFY P438で

“広く言われていることで、リストの晩年の作品は、3つのカテゴリーに分けられる。1)回顧の音楽、2)失望の音楽、3)死の音楽だ。最初のカテゴリーには、悩める魂が、過去の思い出に救いを求める作品が含まれる。リストはこれらの作品を、彼の“忘れられた”作品と呼んだ。かつて演奏された忘れられた作品への冷笑的な言及だ。”

と書いてますね(相変わらず僕の適当訳)。過去に演奏した曲を思い出しながら作ったのかもしれない。 (9/5-01:48) No.2840
ふゆひこ > “3つの忘れられたワルツへの後奏”っていう曲、あったっけ?と思ったら、僕が感想書いてない、4枚目ですね(笑)。こんど聴いてみます。ハワードの解説を読むと、3番と4番の間で作曲されたとありますね。 (9/5-02:02) No.2841
LOM > あぁ、属啓成さんか。道理でどこかで見たことあるような気がした訳だ(笑)。

3つの〜への後奏は、忘れられたワルツ1〜3番とは対照的な、もうぐったりしたような世界です。本当に後奏として弾いたら、すごい効果がありそう。

ところで、ウォーカーのそのページに、「忘れられたポルカ」と書いてあるのは…? じょるじゅさんが言っていたのは、ジョークじゃなくてもしや本当にある作品なのでしょうか?? (9/5-08:33) No.2847
じょるじゅ > あれは、リスト本人のジョークです。忘れられたポルカはありません。(笑)
ピアノ教室でたて続けに生徒が「忘れられたロマンス」「忘れられたワルツ」を数回にわたって持ってきたのでリストがジョークをいって皆を笑わせたのです。 (9/6-01:42) No.2849
じょるじゅ > 1884年7/4(金)
「私は忘れられたワルツの4番も書いたよ。」(生徒が一番を弾いた後。)
1885年7/8(水)
忘れられたワルツ3番(シュノベル嬢がレッスンの最初にこれを弾いた)
「私には『忘れられた曲』がこれ他にもあるんだ。ワルツとロマンス。近いうちには忘れられたポルカもできるかもしれない」
そのあと、7人めに同じシュノベル嬢が3番のレッスンを強要(だと思う普通はそういうことは少ない)そのときには
「誰が君にこの曲の存在をバラしたのかね?でも君はあとの2曲を練習するに値する。(同じ曲を2回連続聞きたくないという皮肉)スルザ(温泉の名前らしい)のような場所で演奏すると良い、でもスパのマーチングバンドのようにぐちゃぐちゃ弾かないこと」

1885年7/10(金)
忘れられたワルツ一番のレッスンの後それを弾いたゲレルリッヒに
「そのごみの続編二番も弾くのかね?あの作曲家(自分のこと)は音楽学校で作曲の基礎を習わなかったのは丸出しだ。ハーモニーの基礎があの人物はさっぱりわかってない!」

とも言ってます。
自分のなかでは特に『名曲』だと思っていないのが全てのコメントからして現れてます。ポルカ発言はロマンスでたくさんアレンジを書いたことも本人の頭の中には『たくさん』という事の中にあるようですね。原曲は一曲でもアレンジは4つぐらいありますから・・・
(9/6-02:18) No.2850
ふゆひこ > “忘れられたワルツ”はハワードのクレジットだと、第1番が1881年、第2番が1883年、第3番が1883年、第4番が1884年ですね。第4番は本当に“忘れられていた”らしく1954年になって出版された、とのこと(←ハワードの表現です)。1954年に出版されたハンフリー・サールの作品表では、“忘れられたワルツ”はタイトルは“4つの”になってますが、出版は“1〜3番のみ”となっており、“疑わしい、失われた作品”のところに、“4番”が再掲されてます。 (9/7-01:18) No.2853
じょるじゅ > という事は、1884年の『私は4番を書いたよ」は重要な証拠だったのですね。 (9/7-01:29) No.2854
ふゆひこ > じょるじゅさんが紹介されたのはリストの弟子達による手記かな。サールの本文を持っていないので、どこまでサールが4番の存在を認めていたのか(あるいは世間に知られていたのか)、ちょっと分からないです。もし1954年以前に存在が確証されていなかったとしたら、その“私は4番を書いたよ”というのは重要な証拠だったでしょうね。 (9/7-01:48) No.2855
ふゆひこ > それで“3つの忘れられたワルツへの後奏”は第3番と第4番の間の、1884年?とのこと。聴いてみたら、すごく気だるい感じの曲ですね。この“3つの忘れられたワルツへの後奏”は、楽譜が破られているらしく、25小節を追加して作られているとのこと。確かに4曲の間に、この“後奏”を入れたらすごく効果ありますね。 (9/7-02:03) No.2856
ふゆひこ > おお、なんでか知らないですけど、ウォーカーFY P438をもう一度参照したら“忘れられたポルカ”が出てきますね。ないですよね。ハワードの独奏曲全集にも??原文はこう。

“because they often went by such appellations as Valse oubliee,Polka oubliee,and Romance oubliee” (9/7-02:15) No.2857
ふゆひこ > じょるじゅさんが紹介されたリストのジョークは笑えますね(笑)。もともとシニカルな曲なのだから、そこまで皮肉を言わなくても(笑)。皮肉めいたリストのセリフは、額面どおりには受け取らないほうがいいかも。 (9/7-02:23) No.2858
じょるじゅ > これは、具体的な『リストの曲または曲名』としてあげているのではなく、日本語表すと
「『忘れられた何とか』という題名がつけられている。」という漠然とした例です。

つまり「オウビレー」という形式の曲は音楽理論的にはないわけで巣が、リストの中には明らかに『オウビレー』の意味する所がある。その事をウオーカーが自分で分析したわけです。

(この部分は私はウオーカー個人の解釈なので、あまり重要とは思っていません。リスト本人がどこかで1.回想、2絶望の音楽、3.死の音楽というような発言をしているわけでもなく、完全にウオーカーの『印象』でしょう。印象は主観的なものですからこのくだりはどうでもいいとおもってます。
(ケッコウそういうのが3巻通してあるので、よく、吟味して飛ばす所は飛ばして読む必要があります。
***
もう、ピアノの練習中、テクニックに関する具体的な教え方は全然ないです。
もう皮肉か「芋畑に嵐が」とか「マカロニを食っちゃいけない」とか『歯磨き」とか「どこのプリンセスでもその程度なら弾ける」とか・・・そんなのばかり。でも明らかに、そこにいた人には通じてるみたいです。(爆笑)

(9/7-03:19) No.2859
じょるじゅ > あきらかにウオーカーは私の抜粋した、『次は忘れられたポルカ』発言も読んでいるでしょうからポルカをだしただけであそこに当然、ソナタといれてもラプソディと入れても良かったはずです。 (9/7-03:21) No.2860
ふゆひこ > “忘れられたポルカ”を調べても、ハイペリオンのハワード独奏曲全集のインデックスでも、サールの作品表でも見当たらないですね、NMさんの作品表でもないな。ですがハワードは完全にすべてを録音しているわけではないし、サールの作品表は不完全(NMさんは旧グローブとハワードをミックスしたのかな)。“新発見のリスト”が継続してCD録音されている現在、作品表にないから“ない”としてしまうのは早計かと思います。 (9/8-01:18) No.2863
ふゆひこ > 上記の姿勢を捨てないながらも、僕の考えは、“忘れられたポルカ”は存在しない、が正しいと思っていて、以下の文章は“存在しない”を前提とします。僕はウォーカーのP438の記述は、単なる書き間違いだと思う(間違えた理由は、じょるじゅさんが紹介されたリストの発言を読んでいたからだと思う)。じょるじゅさんのウォーカーの記述の説明は、ちょっと違うんじゃないかな。ウォーカーの記述から、そのようなニュアンスが読めるわけではないですよね。まずP438でリストアップされている曲は、第2グループでも第3グループでも、すべて実在する曲です。そこであえて、存在しない曲名を持ってくるのなら、ウォーカーのスタイルならば、必ず注釈、出典を記述するはず。P438にはその注釈はありません。 (9/8-01:26) No.2864
ふゆひこ > そして致命的なミス。FYのインデックスです。ウォーカーのリストは、インデックスにおいて作品は、“LISZT>WORKS”の項目で、大まかなジャンル別に分けられています。P579で“Polka oubliee”が“PIANO”のところに入ってしまっている。現代の書籍作りの方法を詳細に知りませんが、おそらくインデックスは、コンピューターで機械的にピックアップしまとめると思います。ただチェックはすると思うんだよね。ウォーカー自身か、協力者か。ここに架空の曲がリストアップされても別にいいかもしれませんが、“タントゥム・エルゴ”にいたっては親切に“(LOST)”と括弧書きが入ってます。存在しないのならば“POLKA OUBLIEE”に何の説明も施されないのはおかしいと思う。 (9/8-01:37) No.2865
ふゆひこ > 以上は、“忘れられたポルカ”が存在しないものとしての話ね。ウォーカーが「甘いね、存在するんだよ。」と言ってくれれば、すべてなし(笑)。 (9/8-01:39) No.2866
じょるじゅ > 忘れられたポルカがあるかかないかは別にして、あの438ページの文章はウオーカーが曲名「忘れられたワルツ、ポルカ、ロマンス」を幅広いイタリック(斜体字)で書いてるでしょう?
あれで、実はウオーカーが具体的な曲をさしているのではないことがわかるんです。(つまり注釈も出典も書く必要がない)

何か具体的な発言を基にしているのではなく「そういう題名のつけ方Apalletion]と「Oubilee]という単語のほうに重要な意味が来る文章。であとにくるロマンス、ワルツ、ポルカは別に重要じゃなくて「リストが言った」という程度の意味しかない。

ふゆひこさんの考えるとおり、実際にあるかどうかはこの文章では重要ではないのです。存在の前提の要不要を必要としない文章、という意味。わかりにくければ「忘れられた何とかという曲」と置き換えて見ればよいと思います。
それでもウオーカーの主張は別に変わらないと思う。

あの段落自体、実際の作品の解説よりも「ウオーカーの主観的な晩年の作品の性格」を書いている文章だから、ポルカあればあったでいいし、見つからなければ無いでいいんです。

今のところだれも「忘れられたポルカ」の確認はしていないからゲレルリッヒの手記にある「私がジョークととった発言」を知らない限り「忘れられたポルカ」があると思う人もあれだけ読んだらわからないでしょう。

インデックスの方は明らかな見落としと考えたほうがいいかも。(あるいはゲレルリッヒの手記を読んだ人がウオーカーが何か書いているか捜したい時にP438に行き着くように書いているだけかも。

ウオーカーや私にとっては「リストの口から出た言葉」として「忘れられたポルカ」があるわけでいわゆる「オペラ、ジャンヌダルク」なんかと同じカテゴリーじゃないのかな。

幅広斜体字に注目しましょう。

ふゆひこさんの#2864での「そのようなニュアンス」が何をさしているのか良くわからなかったんで、それについての説明はしてないです。 (9/8-05:50) No.2867
じょるじゅ > 最新のグローヴの作品表があればわかると思うんですが。 (9/8-05:58) No.2868
George > それで、ウオーカーにメールしときました。(ふゆひこさんが「間違っているといっているとは書かなかったけど、ふゆひこさんは具体的な意味理由があると理解している」と書いておきました。(笑)
「忘れられたポルカ」とわざわざあそこに入れたのはどういうことなんですか?という質問です。 (9/8-06:58) No.2869
ふゆひこ > お互いがお互いの文章を、誤読しているところがあると思いますが、言わんとしていること、主旨はお互いに伝わっていると思うので、これ以上、細かい点で整合性をとるのはやめにしましょう。あとは読み手のジャッジでいいと思います。(“読み手”というのには、じょるじゅさんも僕も含まれる、とします)

メインテーマは、1)忘れられたポルカがあるのかないのか 2)P438のウォーカーの記載の意図

で、2について、あれやこれや言うのはあまり意味がない。ウォーカーに聞けばいいことであって、そこでずばっとウォーカーにメールを送られた、じょるじゅさんのアクションの速さは素晴らしい(笑)。いつもながらの行動力に感服します。僕だったら、もし自分に英語力があったとしても、送らなかったと思う(笑)。(ウォーカー宛のメール文も拝読しました。僕のウォーカーに対して“間違ってる”などという失礼な発言に対する配慮にも感謝します)

で、1についても、まずは新版グローブを参照することですよね。全くその通りだと思います。それから今年の秋冬に発売される予定のハワードの作品目録でも参照したいですね。ウォーカーが返事を書いてくれたら、1,2、両方の答えがもらえてしまう、と思いますが(笑)。

“そのようなニュアンス”と書いたのは、P438のウォーカーの文章が、“実在する曲”として持ち出されているというのが僕の解釈であるのに対して、じょるじゅさんのNO2859の冒頭の段落、NO2860の全文をさしています。それがウォーカーの文章に直接表れているのかどうか、ということ。上手く説明できませんが、説明のしかたを変えれば、P438の記述を、一般的な英語圏の人が読んだとき、ほぼすべての人が、“忘れられたポルカ”はリストの作品として存在する、と読むのではないか?というのが僕の解釈であって、この解釈を前提としたとき、“忘れられたポルカ”は曲として存在するかどうかはどうでもよく、名称としてのみ例としてあげている、という意味合いが読み手に伝わるように、ウォーカーの本文自体にその配慮があるのかどうかということ。←うまく書けないな・・・・。悪文ですいません。

イタリックについては、昨日、気になってウォーカーがどういうルールで使い分けているのか、理解しようとしたんだけど、分かりませんでした。正直、じょるじゅさんのNO2867冒頭の説明では僕は釈然とできないです。これは自分で調べてみます。“はじめての英語論文の書き方”みたいな本に載ってるかと思うので(笑)。 (9/9-03:31) No.2871

グレート・ロマンティクス・フェスティヴァル 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/05(Sun) 02:11 No.2842

こちらは、アラン・ウォーカーがディレクターを担当している、フェスティヴァルです。10月7日〜9日開催。プログラムを見ると、リストの歌曲だけのコンサートもありますね。あと興味深いのが講演かな?ウィリアム・ライトという人による“新発見のリスト”。ヘロルド?ペッツィーニ?、それとシューベルトのトランスクリプションの草稿が見つかっているようです。

http://www.artset.net/greatromantics.html

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ふゆひこ > ペッツィーニの曲はリストはUna stella amica を編曲してますね。これとは別なんだろうな。あとヘロルドではなくて、フェルディナンド・エロールでした。 (9/5-02:20) No.2843
だるべると > 来年のネブラスカの方も面白そうですね。ウォーカーの講演やキリストまで聴けて贅沢な企画ですね(笑)こちらのプログラムの方がオール・リストて感じですね。 (9/5-03:25) No.2845
ふゆひこ > 来年のネブラスカのは、アメリカ・リスト協会のサイトで紹介されてますね。“クリストゥス”の演奏とはすごい。あと、たぶんオルガン版の“十字架の道行”と、いくつかのオルガン曲も演奏されるとのこと。ピアノ・リサイタルもあるようですが、その曲目が気になりますね。宗教的な作品が取り上げられるんだろうな。 (9/7-00:54) No.2851
じょるじゅ > 金土とハミルトンに行ってこようかな?
土曜のコンサートの後、バンケットがあるからウオーカーとかポックネルに会えるでしょう。(ポックネル女史はバンケットレセプション係。完全パシリ。修士号持ち仏語科講師ですよ、マクマスター大学の...)
(9/7-03:24) No.2861
じょるじゅ > なんか西海岸からだとシカゴからトロント経由のような行ったり来たりのパターンになる。
そしてハミルトンから空港まで車で50分近いでは無いか。レンタカーが必要だ。
うーん。飛行機代とレンタカーホテル二泊で800ドル近いな。(日本往復が900ドル弱でした。)・・・ (9/7-06:19) No.2862

EAST MEETS LISZT 2 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/29(Sun) 01:41 No.2776

“EAST MEETS LISZT”の出典として、『フランツ・リストの生涯』原田光子著、『ピアニストという蛮族がいる』中村紘子著を紹介しましたが、上記2冊から得られる情報を超えた記述をされているサイトがあり、どうしても探せなかったため、管理人の方に直接メールをし、参照された書籍を教えてもらいました。

そこのサイトで紹介されていた情報というのが、“リストと伊藤博文は1883年1月1日にあった”という点、“リストを四国の守にすればよい”という伊藤博文の発言。この2点は、上記2冊の書籍からは得られません。特に、1883年1月1日というデータは、伊藤博文の憲法調査の日程を調べないと出てこない日付です。
(ネットとか、一般歴史書で簡単に出てくる情報ではない。)

そこで教わったのが、なんと児童書!『ピアノの魔術師 リスト (ジュニア音楽図書館 16)』 北川幸比古 著 音楽之友社 1982年出版 という書籍です。先に言っておくと、この『ピアノの魔術師 リスト』は、“EAST MEETS LISZT”について、最も豊富な情報を提供してくれます。驚きました。まず内容をざっと見ると、リストの前半の生涯を中心に記述しており、実際、書籍の90%はそこに費やされています。そしてワイマール時代と晩年、リストの中期、後期は4〜5ページで簡単にしか書かれていません。でですね、北川さんは、子どもたちに興味を持ってもらおうとして、そしてご自身も興味を持ったこととして、書籍の導入部と、締めに伊藤博文、西園寺公望と、リストのエピソードを持ってきてるんですよ。

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ふゆひこ > いったいどれだけの情報をこの児童書が提供してくれるのか、というと。まずP4〜P7 章のタイトルは、“はじめに  伊藤博文はリストに会った?”です。児童書であるためこの書籍にはすべての漢字にルビがふられています。

“友だちというものは、ありがたいもので、わたしがピアノの巨匠フランツ・リストをしらべているのを知って、「こういう記事がでていました」と、新聞の切りぬきをくださったかたがありました。(略)その記事は、<一八八二年、ワイマールでのリストの演奏会をえがいた絵はがき>というのと、伊藤博文と、音楽評論家属啓成先生の顔写真がついていて、見出しは『伊藤博文はリストに会った!?憲法研究の旅、ワイマール城訪問の夜会に大音楽家もいたはず縁をたどった属啓成さん』とありました。(略)博文は、この演奏会の絵がえがかれた一八八二年の三月に日本を出発して、ローマ、ベルリン、ウィーンと憲法研究の旅をつづけ、翌年の一八八三年の一月一日にワイマールに着きました。博文はワイマール太公(原文ママ)と知りあいでしたから、二日間滞在して、太公から夕食と夜会に招かれたそうです。このことをかいた手紙が「伊藤博文伝」(春畝公追頌会編)にでていると、記事はつたえていました。そして、属啓成先生はこういいます。『ざんねんながら、伊藤がワイマールで過ごした八三年一月一、二日は、月、火曜日に当たるため、リストの演奏会に出席することは不可能だった。・・・・・しかし・・・・・・太公の晩さんと夜会に二夜も招かれて、太公がじまんのリストを伊藤に引き合わせなかったはずはない。(後略)(81・5・20 朝日新聞)” (8/29-01:47) No.2777
ふゆひこ > “EAST MEETS LISZT”について、すでに1981年に『リスト 生涯篇、作品篇』(音楽之友社)の著者、属啓成さんが調査していたんですね。僕は属啓成さんの後を追っていたことになります。で、属啓成さんは、伊藤博文関連の資料から“1883年1月1日、2日”に伊藤がワイマールに行っていることを調べた。NO2777で引用した文章の最終段は、どうも筋が通ってないですね。これは、属啓成さん自身の原文を読んでみないと分かりません。“月、火だから、不可能だった”というのもよく分かりません。 (8/29-01:58) No.2778
ふゆひこ > で、北川幸比古さんの記述に戻りましょう。そして、書籍のP151〜P155の締めの部分、章のタイトルは“リスト四国守の話”。

なんとですね、北川幸比古さんは、近衛秀麿の息子の近衛秀健さんにインタビューを試みてるんですよ。北川さんは童謡の作詞や児童書に多くの創作のある方です、童謡のつながりだと思うのですが、近衛秀健さんとは友達とのこと。

“「どうだったんだろうね」
「うん。うちのいいつたえでは、会ってるよ。うちのおじの水谷川忠麿が西園寺さん(注釈略)の秘書をしていたし、そのほかにもつながりがあって、どこからどういうふうにきこえてきたのか知らないがうちのおやじ(注釈略)がかなりむかし、まだ西園寺公の在世時代にきいているんだよ。なにかの雑誌にそのことをかいたんだが、むこうから抗議も出ないところをみると事実なんだと思うよ」
「ふーん」”

ここから先は、当時の背景を概観したざっとした会話で、事実が誤認されているところもあり(気軽な会話の感じなので)、ちょっと価値がないです。で、近衛秀健さんの話が続く。

P154
“伊藤博文は、音楽はわからないほうだろうけれど、白髪のリストがね、いつでもまわりに女の人がいて尊敬されるのをみて感心しちまった。
『こういうやつを日本へよばなきゃだめだ』
って思って、そういったら西園寺さんが
『とんでもない、この人はヨーロッパでいちばんえらい音楽家だ』
って言った。
『いや、こういうえらい人がくるというのなら、これもひとつの看板なんだから、たとえばの話が四国のひとつぐらいくれてやったらどうか、リストを四国守にしちまえ、一国のあるじの待遇にしたら、こんな人でもくるんですよ』” (8/29-02:12) No.2779
ふゆひこ > 『ピアノの魔術師 リスト』によって、この“EAST MEETS LISZT”の情報が記述されている文献として、他に次のものがあることを知ることができました。

1)属啓成による朝日新聞の記事(1981年5月20日)。
2)近衛秀麿がどこかの雑誌に書いた記事。

これを今度確認してみます。中村紘子さんは、近衛秀麿から直接聞いた。北川幸比古さんは、近衛秀健から聞いている。“EAST MEETS LISZT”は情報の発信源として、近衛秀麿につながります。 (8/29-02:24) No.2780
だるべると > 面白い展開になってきましたね!リストと伊藤がワイマールで会ってる事が確認できたら、西洋の大作曲家に初めて会った東洋人に日本人が最初になるんですね(笑)四国の守りって・・・またデカイ事いいますね(笑)リストは70過ぎてるから現実的に無理と思うけど(笑)一番のキーポイントは憲法調査の日程なんですよね。国会図書館でも資料は残ってなかったのですか?


(8/29-02:29) No.2781
じょるじゅ > 女好きのイトウハクブン。感心しちゃったんですね。目の付け所が面白すぎ。
やはり、老人のリストが若い女性に囲まれているのは、彼の目にもとまったのですね。

この音楽評論家も同時期にヴァイマールにいたのですか? (8/30-02:32) No.2786
ふゆひこ > 憲法調査の日程は、前に調べました。まだ過去ログにしていないので、UPしたらぜひ参照してみてください。憲法調査の日程がキーポイントなんですが、それがリストの居所とリンクしないとダメなんですよね。現在、分かっていることで一番、正解に近いのが、じょるじゅさんが調べられた5/23という日付なんです(この辺も過去ログにまだなってません)。 (9/1-01:27) No.2802
ふゆひこ > じょるじゅさん、伊藤博文が“女好き”だったなんて、よく知ってますね(笑)。僕も今回、いろいろ伊藤博文のことを読んでたら、あちこちでそういう記述があり、笑いました(笑)。近衛秀健さんの発言というのは、正直、すべての発言を信用はできないです。2ページたらずの間に“らしい”とか“なんでか”“だと思う”とか不確実さを意味する言葉が連発します。上記で書いた属啓成さんと、近衛秀麿の文章に当たらないとなんとも言えないところがありますね。でも“四国の守”という発言は、近衛秀健さんが、その場で作ったとは思えない具体的な表現(アドリブで出てくるような表現ではない)だと思います。 (9/1-01:33) No.2803
じょるじゅ > 「あちこち」?結構有名だったらしいです。(笑)
アドリブででてくるとは思えない=同意です。
元日どうのこうのという頃リストはまだドイツでしたっけ?
≫「音楽はわからないだろうけど」これも結構笑えました。でも伊藤は「女好き」とか言うことよりも「リストのカリスマ性」を根本的に理解してたんじゃないのかな。その時点では伊藤自身も自分が現代日本の土台を作っていると言う意識はないだろうけどなんとなく自分がそれに貢献しているという意識はあったに違いないから。
リストのことを西園寺から聞いていればそういう面で共感できたんでは。 (9/1-04:34) No.2810
じょるじゅ > うちの父はね、360Zを運転してることでもわかるようにヤモメ老人としての自分の価値のなかに「女に未だにモテること」が重要な位置を占めているみたいです。(爆)
若いときもモチロンそうだったとは思いますが、背が低くて教育もない父にとってある意味で「自分の実力を象徴」してるんじゃないでしょうか。(いやーよくわかんないけど。結婚してから愛人とかはいなかったと思うけど若いときはアソビ人で同僚だった母は結婚する時「彼だけはやめときなさい」って皆にいわれたとか本人が言ってました。面白そうに。)
そういう意味で、イトウが同性のリストが女性から集める人気の意味合いに注目したとも考えてます。 (9/1-07:10) No.2811
ふゆひこ > 1883年1月1日は、リストはイタリアですね。男にとっては“女にもてる”というのはステイタスの一つでしょうね(それも最上級のステイタス)。ただ普通は“女にもてる”奴を見ると、嫉妬する(たいがい“あいつなんてたいしたことない、自分の方がこういう長所がある”と自尊心を防衛するような思考パターンをとる。もちろん僕もそう(笑))。もし近衛秀健さんの発言が、何か根拠があるのなら(父 秀麿の記述にあるとか)、伊藤博文が嫉妬をせずに、素直に“女にもてる”リストを評価するなんて、さすが大物という感じ(笑)。 (9/2-00:41) No.2813
ふゆひこ > 属啓成さんの新聞記事は簡単に読めると思うので、心配してなかったんだけど、近衛秀麿の書いた文章が心配だったんだよね。けど“よしじゅんのホームページ”というサイトで、近衛秀麿の著作が詳細にリストアップされ紹介されていました。書籍の目次レベルまで紹介されていたので、簡単に知ることができました。『わが音楽三十年 ―指揮者の横顔―』(改造社)という書籍で、“政治家と芸術家 ―西園寺とリスト―”という文章が収録されているようです。1937年の文章とのこと(西園寺存命中です)。国会図書館に所蔵されていることも確認できました。こんど見てきます。 (9/4-02:54) No.2832
ふゆひこ > 国会図書館で、資料にあたってきました。属啓成さんの記事は、1981年5月20日朝日新聞の夕刊です。僕はもっと文章があるのかと思ったら、北川幸比古さんが引用した文章でほとんどです。北川さんは正確に引用しています(“太公”だけは誤字引用。属さんの原文では“大公”になってる)。短いアーティクルです。1882年のリストハウスでの演奏模様を描いた絵画(属さんの生涯篇P153にある絵。画家誰なんだろう?)、伊藤博文の肖像、属さんの写真、それと3段の記事のみ。で、まず属さんがなぜ1981年の段階でこのエピソードに興味を持ったかという根拠は、前段に書かれていました。

“ベルリン国立歌劇場バレエ「眠れる森の美女」で幕を開けたDDR(ドイツ民主共和国=東ドイツ)音楽祭にちなんで、日本とドイツの音楽上の結びつきの中で、最も古いものの一つを紹介して下さい。と主催のジャパン・アーツから頼まれたためだ”(朝日新聞 1981年5月20日夕刊)

とのこと。属さんは伊藤博文の憲法調査日程を詳細には調べていないですね。紹介されている資料は『伊藤博文伝』の中巻のみ(これは今日、参照しようと思ったんですが、時間がありませんでした)。それと、“月、火曜日に当たるため、リストの演奏会に出席することは不可能だった”と、??な判断がありますが、どうも“リストは毎週日曜日に演奏会を行っていた”というのを絶対的なルールとしてしまっているらしく、それで“月、火”に行った伊藤博文は“リストの演奏会に出席することは不可能だった”と結論付けてしまっているようです。根拠が弱いですね。ここで考えるべきことは、1883年1月1日はリストはワイマールではなくイタリアにいることのはずです。 (9/5-00:48) No.2835
ふゆひこ > 近衛秀麿の『わが音楽三十年』はマイクロフィルムになっていて、読みづらかったので、複写を頼んであります。ざっと読んだ感じ、目新しい記述はありませんでした。“四国の守”発言もなかったです。 (9/5-00:50) No.2836
じょるじゅ > ふゆひこさん、
この一連の記事整理されてまとめられたら同でしょうか?きっとウオーカーとかも興味を示すかもしれませんよ。 (9/5-06:31) No.2846
ふゆひこ > そうですね。もうちょっと調べたらまとめてみたいです。このエピソードは、ほとんど日本人にとってのみ、貴重なものであって(ですが、現在の伊藤と西園寺とリストのスケジュールが上手く合わないことは、どちらか側の研究結果に補足か訂正を入れることにつながる)、できるだけ日本サイドで資料を調べておきたいですね。 (9/7-01:00) No.2852

現代音楽のフランツ・リストへの返答 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/02(Thu) 01:07 No.2814

リスティアンにとってはアテネオリンピックよりも重要なワイマール芸術祭ですが(ほんとか?)、8月22日には、こんなテーマを持った、コンサートが開かれています。“Contemporaries Respond to Franz Liszt”。これはそのことを紹介したページ。

http://www.scheringstiftung.de/k2004_pelerinages-en.html

(→これはトップページ。シェリング財団というスポンサーかな? http://www.scheringstiftung.de/index-en.html )

まず、フリードリヒ・シェンカーという人の、委託された作品“Le Trombones de Liszt”という作品があります。どういう曲なんだろう?トロンボーンの曲なんだろうな。

それからシュテフェン・シュライアーマーヒャーという人の“Heim,Weh,Nach,Liszt”という曲。これも委託された作品。上段にシュライアーマーヒャーの曲は解説されています。1960年生まれの作曲家。この曲は“リストへのホームシック”という意味?単語はそれぞれわけるのかな?“巡礼の年 スイス”の“ノスタルジア”を編曲しているようです。

それからウォルフガング・リームという人の、“悲しみのゴンドラ”をベースにした曲かな。“極洋,ルイジ・ノーノの記念碑”というようなタイトルでしょうか。ここで現代音楽の大物ノーノの名前が登場して、最後にノーノの曲が演奏されてますね。この曲はリストに関連あるのだろうか??。“…苦悩に満ちながらも晴朗な波”という曲です。

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ふゆひこ > 興味と期待を持って、ノーノの“…苦悩に満ちながらも晴朗な波”のCDを買ってきました(最近、CDとかを買うの控えていたのに…)。演奏はポリーニ。ポリーニのために書かれた作品で、初演もポリーニが行ったとのこと。“悲しみのゴンドラ”とは主題とかが同じとか、そういう親近性はないですね。思い切り現代音楽です。この曲の作曲背景などの情報が手に入らないんだけど…、“悲しみのゴンドラ”にインスパイアされたとか、そういうことなのかな…。シュテファン・リトヴィンというピアニスト(作曲家?学者?)がTELOSレーベルから出している“プログラム”シリーズのCDでは、悲しみのゴンドラ1、2の間にノーノの“…苦悩に満ちながらも晴朗な波”を挿んで収録してるんですよね。 (9/2-23:47) No.2821
Micci > Heimweh ha chokuyakusuruto tashikani homesick desuga, kono baaiha ノスタルジア toiu imi dato omoimasu.
kunstfest ha hontoni Lisztfest to itteii kurai "Liszt!Liszt!Liszt!" desune. thema ni france-go no "Pelerinage" toiu kotoba wo mottekiteiru noga ketteiteki desu. chinamini Scherbakov no concert no title ha "lange nacht mit Liszt"(Liszt to nagai yoruwo) desu. koremo chotto ikesouni arimasenga. (9/3-09:03) No.2826
じょるじゅ > ああーなんか行きたくなってきた。来年いこうかな。やはり普通の音楽祭よりお金を有効なお金の使い方かもしれない。 (9/3-10:43) No.2827
ふゆひこ > これ、どこからこのファイルに辿りつくのか分からないんだけど、公開されている英語版全体プログラム。
http://www.kunstfest-weimar.de/images/Programm_Kunstfest_2004_en.pdf
シチェルバコフはベートーヴェン〜リストの“運命”“田園”を演奏するようです。ほんとリスト祭ですね。あと面白いのは、9/4、今日?“巡礼のリスト”というタイトルで、なんだか馬車でオルガン引っ張っていって、それについて行くのかな?ウォーキング・ツアーがあります(笑)。他に映画館ではケン・ラッセルの『リストマニア』が上映されてますね。18禁になってました(笑)。あとブレシアニのマルチメディア・ダンテ交響曲ですが、前に写真見たら、ステージの端に女性が立っていて、これはなんだ?と思ったら、詩を朗読するようです。マルチメディア・ダンテはほんとすごいですね(マルチメディアって死語だけど(笑))。 (9/4-02:47) No.2830
じょるじゅ > あれは馬車徒歩ツアーの目的地がオルガンコンサートのようです。(笑)
おー。ブラームスのホルントリオとかやる日がありますね。すごい面白いですよ。最初ピアノトリオか、と思ってると後ろで「ポー」とホルンが鳴ってるんです。あれ?とおもうとホルントリオ。
リストのオーベルマンの室内楽版とかもありますね(そんなの作ってたっけ?)

そしてジャズの日は"Last But Not Least"をもじってNot Lisztとしてます(爆)
ハンガリー人の音楽家が多いのも意図的でしょうね。おもしろそー。
こちらではマルチメデイアは造語として定着してます。メデイアの混在するものは全てその名で総称しています。
(9/4-03:18) No.2834
ふゆひこ > リストのオーベルマンのピアノ3重奏版はハワードも録音してます(過去ログの『ハワードのリスト ピアノ3重奏曲全集』というところ参照してください)。ジャズのイベントのタイトルはそういう意味だったのですか。何で関係ないのにリストなんだろう?と思ってました。残念ながら、日本では“マルチメディア”という言葉は、ビジネスに絡んだため、意味もなく乱用され、結果、言葉から生命力が失われてしまいました。今、使うと恥ずかしいぐらいのです(笑)。ブレシアニがリスト・プロジェクトで日本に来たら“マルチメディア”という言葉は避けた方がいいですね。 (9/5-00:59) No.2837
ふゆひこ > ワイマール芸術祭を観にいけない僕は、その気分を味わおうと、今日、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を久しぶりに観ました。なんでワイマール芸術祭で『ストレンジャー〜』が上映されてるのかな、と思ってたら、この映画よく考えたら、主人公はブダペストからニューヨークにやってくる。ロードムービーの世界が、リストの“さすらい人”“巡礼者”のコンセプトに合っていると考えられたのかな、と思いました。 (9/5-01:02) No.2839

リスト・ルネサンス 第3弾 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/09/01(Wed) 01:44 No.2805

『パガニーニ・エチュード』『超絶技巧練習曲初稿』に続く、大井和郎さんのリスト・ルネサンス第3弾が出るようです。HMVのサイトで見つけました。

http://www.hmv.co.jp/Product/Detail.asp?sku=1816070

“巡礼の年”の曲が1〜3年混ざってますね。これはどういうコンセプトなんだろう??基本的に静かな曲が集められていると思います。残念ながら、以前話題になった“旅人のアルバム”は含まれてないですね。

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だるべると > これじゃ全然ルネッサンスになってない!何か・・最初のパガニーニで燃え尽きちゃったのかな?回を増すごとにトーンダウンしてるような・・・(笑)せめて、旅人のアルバム全3集の企画にして欲しかった!!
前回の超絶技巧練習曲(初版)も中途半端な印象が残りましたね。もうちょっと気合入れて、1837年版も全曲入れて欲しかったな・・・。僕個人しては、パガニーニの鐘による華麗なる大幻想曲を大井さんに演奏してもらいたかった・・・・。
(9/2-02:45) No.2817
だるべると > パガニーニの鐘による華麗なる大幻想曲は実際聴いた事が無いんですよ(ピアノで)LOMくんサイトのMIDIで聴いたんだけど、かなり凄まじい技巧が要求される様な印象を受けたんで、実際ピアノで聴いてみたいですね。ハワードの演奏はどうだったんですか?何時ものアノ危なげな演奏で聴いてみたいな〜〜(笑) (9/2-03:12) No.2819
ふゆひこ > 第1弾“パガニーニ・エチュード”が対比された形で収録されていたので、第2弾もできれば1837年版も全部入ってたら良かったですよね。ただディスク枚数の制約が強いんでしょうね。国内盤で2枚組とかになっちゃうとすごく高価になっちゃうんじゃないかな。“巡礼の年”からのセレクト集として、この選曲は珍しいと思うので(普通、ダンテ、オーベルマンのどちらかが入ると思う)、やはり“狙い”が気になる。 (9/3-00:12) No.2823
だるべると > ブレンデルって・・・・超絶技巧練習曲の録音してましたっけ?ないなら是非してもらいたいな〜。でも・・年齢的にもキツイかな(笑)ボレットの録音みたいになっちゃうかな。 (9/4-02:52) No.2831
ふゆひこ > してないんじゃないかな?VOXのやつにも入ってなかったですね(僕は持ってないです。収録曲をネット上で確認しました)。ほんと弾いてもらいたいな。高齢になったからこそ弾いてもらいたい、って言う期待もありますよね。アラウが『アラウとの対話』(ページ数まで確認しません。記憶で書きます)で、“おかしいと思うかもしれないけど、この年になって逆にリストを弾きたいんですよ”って発言していたので、そんな気分になってくれれば(笑)。 (9/4-03:10) No.2833


260人のリスト達 投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/30(Mon) 01:39 No.2784

昨日、amazonから写真集が届きました。もう見てビックリです!
リストてんこ盛りで(笑)大げさですが、感動すら覚えました。このような一人の作曲家に焦点を当てた本をボクは知りません。フランツ・リストがいかに偉大な音楽家であったかを物語ってますね。全体を見ててきずいた事がありました。それは・・・リストの目です。若いときの野心に燃え気取った目から、優しく包み込む目に変わっていった事ですね。リストはアノ目がいいですねただ・・・残念なのはドイツ語が読めない事ぐらいですか(笑)

そこでふゆひこサンのお力を借りて聞きたい事があるんですが、以下の人物関係が分かりません?

No:145・・右腕の無い男性
No:152・・リストを囲む3人の男女
No:184・・リストと手を繋ぐ女性
No:210・・バイオリンを手にしてる綺麗な女性

よかったら教えて下さい。
*貴重な資料(写真集)をアドバイス頂き、手に出来た事を
この場を借りて、ふゆひこサンに感謝します。

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じょるじゅ > ふゆひこさんは解説を詳しく読んでしてくれると思うので、私は実物を見ないで、クイズにします。
#145 簡単です。ゲザ・シシー(ジチー)伯爵、ここでも少し前に話題になりました。
#152フランツサーヴェイ、ヨハンナ・ヴェンツエル、もう一人は思い出せないです。
サーヴェイはベルギー人のチェリスト、フランソワ・サーヴェイの息子。ふゆひこさんが『隠し子事件』をここでやはり取り上げられてます。
#184は多分カール・ラクムンドと奥さんのキャロラインではないかな。彼女が足元に座ってリストのシルクハットを膝においてリストが彼女の手をしっかり握っている写真ではないかな?(もう一人後ろに男性が立ってませんか?)ラクムンド夫妻はアメリカ人で奥さんはハープで留学。でも夫とともによくピアノクラスに顔出してたようです。カールの手記が出版されてます。
#210これも簡単。アルマ・センクラでしょう。リストがヴァイオリンソナタなどをよく一緒に練習会兼演奏会でよく弾いてました。
私のサイトでちょっこし彼女のことが半分事実半分本当でかかれてます。(エピソード『教師としてのリスト』)
ふゆひこさん、私は一人生徒の名前が思い出せないので自分ではA-の採点です。笑 (8/30-02:26) No.2785
ふゆひこ > 早かったですね。ほんとこの写真集はリスティアンにとっては宝物ですね(あともう一つの写真集があれば一生楽しめそう)。確かにリストはワイマール時代1850年代ぐらいまでは、相当厳しい目つきをしてますね。それがほんとに和らいだ表情になっていく(この眼光の背景に、当時の新ドイツ学派を推進するリストの不安や自信を感じる)。晩年の写真でも時たま鋭い眼光が感じられるのも、またすごい。まずじょるじゅさん、よく写真に当たらずに全部分かりましたね。すごいです。僕は“あの写真かな”と思ったぐらいでした。 (8/30-22:31) No.2787
ふゆひこ > ジチー伯爵は“PAST LOG”のところでも、あちこち会話されているので参照してみてください。僕のサイト本文内で他に記述があったか全部分からないのですが、ハワードの35巻のところにあります。その“ひげなが蛾のワルツ”を最近、HSKさんがMIDIにされているので、これも聴かれることをお薦めします。 (8/30-22:36) No.2788
ふゆひこ > で、僕もあらためてジチー伯とリストの写真を見て、面白いことに気づきました。二人の立ち位置です。立っている大きな写真NO145は、リストが右でジチーが左、2人で仲良く腕組んでいる。ジチーの片腕がないことがはっきり分かります。で、NO143とNO145の小さい方は、逆になっています。リストがジチーの右肩を隠すような感じ。つまり小さい方では、意図的にジチーの片腕がないことを隠してるんですね。ジチー伯が、自分の片腕のことを気にしていたとは思えないけど、オフィシャルな意味合いの写真としては、このように撮ることが多かったのかもしれない、と思いました。 (8/30-22:41) No.2789
ふゆひこ > NO152の3人は、じょるじゅさんの書いた二人に加えて、ユリウス・ツァレンプスキーという人です。FYP230によれば、ヨハンナ・ヴェンツェルとその後結婚しています。これは売りに出されている、ツァレンプスキー宛の書簡。
http://www.galleryofhistory.com/archive/12_2002/music/FRANZ_LISZT.htm
ツァレンプスキーは31歳という若さで死んでいます。この手紙、スケジュール連絡的な味気ない内容ですが、最後に“奥さんによろしく”というようなことが書かれています。それが同じく弟子のヴェンツェルなのだから、感慨深い書簡になる。あとリストはツァレンプスキーの“ガリシアの踊り”という曲をオーケストラ版に編曲しています。僕は聴いたことないです。 (8/30-22:49) No.2790
ふゆひこ > フランツ・サーヴェイについては、“PAST LOG”の『ハインリヒ・ポージス』のところで会話されているので参照してみてください。ヨハンナ・ヴェンツェルはFYで1頁だけ登場してました。P230です。前後の流れを読んでませんが、そこの記述は、当時の悪名高い(ウォーカーは“notorious”と読んでます)演奏補助器具に対するリストの非難を紹介し、ヨハンナ・ヴェンツェルがどうも“こういったものを使ってみたいんだけど”とリストに尋ねたようです。それに対しリストが“そんなの使っちゃダメだよ”と手紙を書いたようですね(1872年6月10日付けになってます)。 (8/30-22:55) No.2791
ふゆひこ > だるべるとさん、ぜひ、じょるじゅさんのセンクラーの記述のところ読まれるといいですよ。だるべるとさんが興味を持たれている、それらの写真の雰囲気を知ることができます。面白いです。あと、ウォーカーもぜひ手に入れた方がいいですよ。東京で暮らすのにTOKYOウォーカーは必要ありませんが、リストを調べるためにはリスト・ウォーカーは必携です。すべての答えを与えてくれるわけではありませんが、すべての答えへの入り口は用意されています。 (8/30-23:16) No.2793
ふゆひこ > というわけで、アルマ・センクラーのことをFYで調べると、めちゃめちゃ面白いです。P471〜472が一番詳しいです。だいたいセンクラーは本名はメアリー・ハークネスというアメリカ人です。恐らく当時、ヨーロッパでは、アメリカ出身の音楽家を軽んじる風潮があったのかな?(ここから先はP471の注釈→)センクラーは最初、本名で活動したかったらしいのですが、妥協してヨーロッパ風にアルマ・センクラーとしたのです。で、その“Arma Senkrah”というのは“Mary Harkness”のアナグラムです。といより、逆さから読んでいるのに近い。どうもヒントとなったのは、メアリー・ハークネスがハンス・フォン・ビューローに、自分のライプツィヒでの演奏についての批評記事を見せたところ、ビューローは、“ブラボー!”と書き、その下に“Snah nov Wolub”とサインしたとのこと。(←逆さから読んでみよう)最初、ハークネスは不思議がったのですが、それがどうも“アルマ・センクラー”が誕生するヒントとなったようです。 (8/30-23:31) No.2794
ふゆひこ > で、FYでは、だるべるとさんが興味をもたれたその写真の背景が書かれています。センクラーは、リストのところにやってきていて、ある日ベートーヴェンのスプリング・ソナタを演奏したとの事(←ここ、うまく訳せないのですが、もっと面白い流れです。フリードハイムが最初、センクラーと演奏して、上手く合わず、リストが次に弾いたのかな?)。そうしたらストラーダルがセンクラーにアドバイス。上手く訳せないですが“こんなチャンス無駄にしちゃだめだ”ぐらいのセリフかな?センクラーはリストをルイス・ヘルドの写真スタジオへ引っ張っていき、写真を撮影。それがNO210とか一群の写真。リストはその写真に“素晴らしいヴァイオリンのヴィルトゥオーゾへ−彼女の最も献身的な伴奏者フランツ・リスト”と署名。センクラーは、その写真をあちこちの街に送り(新聞に載せたのかな?)、その結果、センクラーの演奏会はどこでも大成功を収めたそうです。あああ、なんてことだ。僕は今、読みながら書いてるのですが、なんとセンクラーは、1880年代の終わりに法律家と結婚したのですが、2〜3年後に彼女は自殺してしまったとのこと。何があったんだろう?ウォーカーは、“disastrous marriage”と書いてます。 (8/30-23:46) No.2795
ふゆひこ > アルマ・センクラーについてのPDFファイルがネット上で公開されていました。
http://www.maestronet.com/m_library/violin_violinist/19431204.pdf
センクラーの遺品としてのヴァイオリン、1750年のガダニーニと書かれてますが、これをアイザック・スターンがその後所有していたようです。この記述、センクラーがワイマールに来た時の年代がおかしいですね。というより、合ってるんだけど、その前1885年に来てリストに会っていることが書かれていないだけか。このPDFファイルでは、結婚は幸福だったけれど病気となってしまい、精神を病み、定かではないが一般的な説としては、センクラーはリヴォルバーで自殺してしまったとのこと。 (8/31-00:22) No.2796
じょるじゅ > 彼女が自殺してしまったことは全然知らなかった。彼女のことは主に弟子たちのピアノクラスの手記から覚えたものなので。

ふゆひこさんの#2796に紹介されているPDFにすごく興味深い事実が書かれています。
センクラ嬢はパリ音楽学校でリストの親友、マサールにヴァイオリンを習っているではないですか!マサールと言えば、へクサメロンのピアノ決闘の頃からの知り合いで例のジプシー少年やリストの子供たちの面倒を見ていた人です。
もうこれは完全にマサールのコネでリストを訪ねて来ていることはほぼ確実ですね。
(8/31-02:22) No.2797
じょるじゅ > TOKYOウオーカー 笑いました。でも私には必要かも。 (8/31-02:24) No.2798
じょるじゅ > #2785のレスでヘンな日本語書いてますね。それの説明と、私の文章でどこが想像かもここで明かしてしまいましょう。
センクラがちょうどあのエピソード当時クラスにに顔をだしていたのも、弟子のオランダ人に伴奏をしてもらっていたのも、本当、その日のレッスンの流れは大体本当。会話は半分本当(特にレッスンに関するコメント)でもセンクラ嬢をマイエンドルフ夫人の前でからかったのは想像。リストが休憩中に堂々と飲んでいたのは半分本当。ライスナウアーが酒飲みだったのは本当。フリードハイムの母親がいたのも本当、彼女に言ったコメントとジョークも本当。間に挟んだ『天才少女のエピソード』は別の時の出来事(ブダペストで)ですが「休憩時間中」にエピソードを紹介する形で入れただけ。リストのコメントはもしあの場で言って無くても他のクラスで同じことを言ったりしています。一字一句同じ。新顔生徒の楽譜は実際あの日は投げなかったけど他の日に投げたことはあります。ショパンのスケルツォ2番とハンガリアン二番がご法度だったのも本当。
そんな感じです。

ただ、リストは時々生徒をからかってみたり『悪がき軍団』が女の子たちに街でちょっかい出したりはしてたみたいなのでそういうシーンを入れました。リストと生徒たちが前後もわからなくなるほど街で酔っ払ったりしたのは本当。
マイエンドルフ夫人がリストを叱るのは二人の関係がそういう感じだと象徴したかったから。(リストはマイエンドルフ夫人には頭が上がらない状況。)
プリンセスとはよく口論してたみたいですがマイエンドルフ夫人と口論になったのは記録が無い。せいぜい議論どまり、で『同意しないことに同意する』という進歩的な関係だったみたいです。
夫人は行儀作法とかにうるさかったみたい。 (8/31-09:46) No.2801
だるべると > 写真集見て気ずいたんですけど、ヘルムの本のP227にルイス・ヘルトとが撮った同じ写真が写真集のNo:191に掲載されてますね、本では小さくて見えなかったんだけど、写真集の拡大版だとフリート・ハイムとローゼンタールが手を繋いでるじゃないですか!ジロティがいるから見えないけど、隣のリープリングも手を伸ばしている様にも見ませんか?何で手を繋いでいるのかな?No:191でもNo:252でもフリード・ハイムが真ん中に来てますよね(笑)あの5人組の中で一番の年長者だからかな・・・? フリード・ハイム顔、俳優のR・クロウに何となく似てませんか?(笑)

*ジロティ閣下とフリードハイムの間にいる若いお兄さん達(弟子?)は誰なんでしょうか?No:248のお兄さんと同一人物ですよね。男から見ても中々のイケ面じゃないですか(笑)

(9/1-01:57) No.2806
ふゆひこ > マサールとそんなところでつながるのですか。今度、調べてみます(というかウォーカー読むだけだけど(笑))。ああ、なんかじょるじゅさんが、そのセンクラーのエピソードを魅力的に取り上げたのが分かるな。昨日、読みながら、辞書使わずに分からない単語をすっとばして紹介したんですけど、ちゃんと辞書引いたら(“somersaults”が分からなかった)、もっと笑える一文をウォーカーは書いてましたね。同じくP471です。フリードハイムによれば、リストがピアノを弾きだしたとき、エミール・フォン・ザウアーは、隣の部屋で大喜びで宙返りをしたそうです(笑)。

“According to Friedheim, Emil von Sauer was so overjoyed that he performed somersaults in the next room.” (9/1-02:05) No.2807
ふゆひこ > ああ、ほんとだ手つないでますね。よく気づきましたね。リープリングはイスの背に手を置いてるんじゃないかな?よく分からないけど。フリードハイムがローゼンタールと手をつないでいるのは、もう片方の手がリストのひざにのっていることと繋がっている気がします。ここで“仲間”的なつながりを、フリードハイムがカメラに向かって主張したのかもしれない。NO248の人は、シュターヴェンハーゲンです。NO252の写真はNO254で番号付きで説明があるので、照らし合わせてみてください。 (9/1-02:24) No.2808
じょるじゅ > センクラのリストの写真撮影の日付けがわかりました。1855年7/31金曜日。
ルイスヘルトは宮廷写真家。
時々リストは女性に演奏と関係ないコメントとかもしてて、笑えます。
191の写真は有名です。私の掲示板でもその写真のコメントしてます。
ジロテイ(楽譜を抱えて足を組んでいる)リストの膝に手をおいて真ん中で偉そうにしているのはフリードハイムで、その隣で横向きなのはザウアー、そのとなりでぽっちゃりしているのがライスナウアー(アル中で公演先のホテルで亡くなったひとです)そしてアクの強いゴットシャルクです。リストはマイエンドルフ夫人に彼女の息子たちのピアノ教師にゴットシャルグを勧めていて「ちょっと見にはお行儀悪くてつっけんどんのように見えますが良く彼のことを理解すればよいピアノ教師だという事はわかります」とか評価してます。(笑)

フリードハイムもジロテイも二人とも年とってからもすごくハンサムです。ジロテイはそのまま年とらせた感じ、フリードハイムはこの頃はまだ子供っぽさがありますが「年とともにハンサムになる男」の典型です。

191にはスターヴェンハーゲンはいないと思います。

(9/1-04:26) No.2809
ふゆひこ > 日付までは、写真集にもウォーカーにも記載されてなかったですね(7月、あるいは夏という記述まで)。ありがとうございます。そのちょうど1年後にリストは死んでしまうのか…。ゴットシャルクはオルガニストとしてしか認識してませんでした。ピアニストとしてもリストは評価してたんですね。リストはオルガの子どもの教育に、なんか口をはさみますね(笑)。出典まで調べませんが、オルガ宛書簡で、子どもの誰かを、リスト自身が若いころ非常に感銘を受けた“イタリアに行かせたほうがいい”と強く勧めていたのが印象的でした。 (9/2-00:32) No.2812
じょるじゅ > ああ、イタリアは「ルーベンスクレメンス」オルガの次男(?)ですごく絵の才能があった子のことでは無いでしょうか?確か、ドラクロワに紹介することを約束、カウルバックに絵を見せたりしているはずです。
ところがクレメンスは20そこそこでリヴォルヴァー自殺してしまって長男がリストに「母には彼が自殺したことは伝えていないので言わないで欲しいのですが、あなたは僕たちを息子のように愛してくれたので事実をお知らせします。彼の理由は僕にもわかりません」という書簡を書いてます。

写真の日付けは「アウグスト・ゲレルリッヒによるリストのピアノクラス記録」の本にありました。 (9/2-01:38) No.2815
じょるじゅ > ちょっと、彼の晩年には天寿を全うせずになくなる人が多いですね。一般に知られているより彼の直接の心理にインパクトを与える人物たちの死が多すぎる。

オルガには「君の長男からの悲しい知らせと彼の文面に心を打たれました。子を亡くした親の気持ちは良くわかります。どんなに悲しんでも悲しみきれない」と短いけどやはり全面的サポートをする書簡を送ってますね。(すみません。今本が山積みになっててオルガの本みてないですが印象深かったのでほぼ正確な内容のはずです。) (9/2-01:45) No.2816
じょるじゅ > クレメンスは三男、22歳でこの世を去ってますね。 (9/2-02:45) No.2818
ふゆひこ > クレメンス=ルーベンスのことなんですね。僕が覚えていたのはオルガ宛書簡集のP436 1882年10月20日付けの書簡でした。オルガ宛書簡集P488に1885年11月24日付けの書簡がじょるじゅさんが書かれている書簡ですね。確かに自殺したことはリストは伏せてますね。上手く訳せないですが、すごく厳粛な、心から死と悲しみを悼むような文面でした。 (9/2-23:39) No.2820
ふゆひこ > 書簡集のあちこちで、リストはクレメンスの才能を褒めてますね。ドラクロアが1879年1月31日付け書簡で登場しますね(P338)。“きっとドラクロアが才能を認めて、弟子にしただろう”っていう仮定の話かな。クレメンスは1863年生まれ、ウージェーヌ・ドラクロアは同じ1863年に亡くなってました。 (9/2-23:57) No.2822
じょるじゅ > イヤー、ドラクロワの話書きながら(年代があわないな、)と密かに思ってました。完全に時代が時代なら、と言う仮定ですね。書きながら紹介はへんだなー、でもドラクロワの名前があったのは確かだし・・・面倒臭がりはいけません。(笑)

リストはきっと彼の自殺はダニエルの時のように悲しんだと思うんですよ、でも「母には内緒にして下さい」と言われてオルガへの書簡ではあれしか言えなかった、と考えたりしてリストの苦悩を勝手に想像して泣いたりしてます。
リストってかわいそうな事が多すぎる。私たち凡人の何倍も喜びもあっただろうけど、それに比例して悲劇も見てきているだろうからそれを考えるとやはり「タフ」な男だなと思います。 (9/3-04:08) No.2824
ふゆひこ > 僕が1885年11月24日付けのオルガ宛書簡から感じたのは、リストの諦めの境地みたいなところかな。1885年の段階では、もうリストはどんな事実をも受け入れられるような境地に達しているように思いました。このオルガ宛書簡から1年以内にはリスト自身も死んでしまうのだから、リストの中にも予感めいたものはあったと思う。 (9/4-02:31) No.2828


ヴァンII(ルビンシュタイン) 投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/08/28(Sat) 04:54 No.2774

1855年の例のベルリオーズ、ヴァイマール滞在中のあの出来事です。

アルテンブルグの一部屋に滞在していたルビンはリストに別れも告げず『逃亡』(リストはラテン語の逃亡FugaにかけてFugueと表現してます。)します。

「君の昨夜のフーガにはがっかりした。今朝ベルリオーズとのリハーサルに行こうとして君を部屋に起こしに行ったら部屋は空っぽだった。
そんなにあの音楽が苦痛だったのかい?それとも僕が言った冗談を本気にしちゃったのかい?あれは全部親しみをこめたおふざけだったんだが。どっちにしても、夜中のうちに黙って出て行ってしまうなんて少しがっかりだ。いいわけの手紙なんて書かないでくれ。ウイーンについたら今後どういう予定なのかだけ教えてくれ。
君には尊敬と親しみの気持ちを変わらず持っていることは理解しておいてくれ」

ルビンスタインは結構困ったチャンですね。お世話になっておきながら『逃亡』しちゃうなんて。よっぽど苦痛だったのかも。
リストははっきりそういえば「あ、そう」で済んだかもしれないのに。

この時ですか?リストのコンチェルトの初演は?リストのピアノとベルリオーズの指揮。

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ふゆひこ > それはラ・マーラ書簡集のVOL1にも載っている1855年2月21日付けの手紙ですね。ウォーカーはWYのP257で引用しています。ウォーカーのP257から補足すると、ルビンシュタインがベルリオーズの音楽を好きでなかったことは分かっていたのですが、リストはルビンシュタインにベルリオーズを好きになってもらおうと(“良い音楽はきっと彼の考えを変えるだろうと”)、ルビンシュタインをコンサートだけでなくリハーサルにも立ち会わせたとのこと、苦痛になったルビンシュタインは黙って逃げてしまう。それを知ったリストが怒りの手紙を書く。この時ですねリストのピアノ協奏曲の初演は。P256に載ってます。 (8/30-00:16) No.2782

リストに賞賛された奇行人 投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/27(Fri) 16:29 No.2768

No2733で話した本の中のに、パハマンの面白い発言が載っていました。ロンドン・デビュー前に女性ジャーナリストとの対談で、リストのことを聞かれ「彼は実に実にうまい、だが私のは神業のようです。」ほかにも「ブゾーニはもっとも優れたバッハの演奏家だが、自分(パハマン)はもっとも優れたショパンの演奏家だ」と個性的な自己紹介をしています(笑)彼が1907〜1927年の録音を集めたCD『Pachman the mythic pianist』を持ってるのですが、ショパンのノクターンの演奏は温かみがありエレガントでとっても甘美です(かなり雑音を我慢しなければなりませんが)彼が、1892年にNew YorkのCHICKRING HALLでオール・リスト・プログラムを行なってて、その内容がCDに載ってました。内容は以下の曲目です。

1)SONATA(Dedicated to RobertSchumann.)
2)HARMONIES DU SOIR''(Etudes d'Execution Transcendante)
3)LEGENDE,NO.2
4)POLONAISE,NO.1
5)MAZURKA BRILLANTE
6)ETUDE DE CONCERT,NO.2
7)EGLOGUE,(Annees de Pelerinage)
8)CANTIQUE D'AMOUR,(Harmonnies Poetiques)
9)TARANTELLE(Venezia e Napoli)
手が疲労しそうなプログラムでね・・・(笑)




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ふゆひこ > パハマンもロンドンデビューの前に、“ぶちあげる”必要があったのかもしれない(笑)。すごいボリュームのプログラムですね。僕はパハマンの演奏を聴いたことがなく、昔のピアニストぐらいのイメージしかなかったのですが(ついでにアントン・ルビンシュタインの曲も聴いたことがないです)、FYを読んでびっくりしました。P488です。1886年のリストの最後のロンドン訪問で、リストが聴衆にいる会場で、パハマンがヘンゼルトの作品を演奏したとのこと。またP462では、1883年ブダペストで、リストはそのときにルビンシュタインの演奏も聴いているのですが、パハマンのコンサートにも聴きに行ってますね。で、ルビンシュタインとパハマンは2人とも“泉のほとりで”を弾いたそうです。こういう話を知ると、ヒストリカル・レコーディングのディスクというのは本当に貴重ですね。 (8/28-02:57) No.2772
だるべると > ハハハ〜!本当、ぶちあげた内容のプログラムです(笑)リストその人の録音がないから、リスト本人と接触のあった人達の音源は宝物ですよね。残された演奏家の録音を通してリストを感じますね・・・。 (8/28-04:48) No.2773

モイセイヴィッチ タンホイザー序曲 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/11(Wed) 01:30 No.2621

その人にとって、どうしても褒めずにはいられないレコーディングというのがあるようで、ドレーク・ワトソンにとっては、ザウアー/ワインガルトナーのリスト ピアノ協奏曲第1番がそう。ワトソンの『LISZT』は演奏評の著作ではないのに、ピアノ協奏曲第1番の解説のところで、P262

“the recording made by Liszt's pupil Sauer and conducted by Liszt's disciple Weingartner in 1938 is a model of dignity and delicate beauty.”

(リストの弟子のザウアーと、同じく弟子のワインガルトナーの指揮による1938年の録音は、威厳と繊細な美しさの手本だ。)

と本文内に書いてしまってます(笑)。

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ふゆひこ > でですね、ハワードの第54巻にも似たような思いを感じる記述を見つけて笑いました(笑)。ワーグナー〜リスト タンホイザー序曲のハワード自身の解説のところです。

“The transcription used to be a very popular warhorse at piano recitals,and it was memorably recorded by the great Benno Moiseiwitsch. Nowdays it is very seldom attempted in public - a pity.”

(この編曲作品は、かつてはピアノリサイタルにおいてとてもポピュラーなヴィルトゥオーゾピースだった。偉大なベンノ・モイセイヴィッチによって記念碑的な録音もされている。しかし現在では公の場でほとんど演奏されることはない。とても残念だ。)

わはは(笑)。これって珍しくないでしょうか?CDの解説で、そのCDの演奏家を持ち上げるために、他の演奏家を引き合いに出すことはあっても、ストレートに“だれそれの優れた録音がある”と言い切ってしまっている(笑)。ハワード自身が自分のCDの解説を書いているからこそできることですね(笑)。ハワードのリスト独奏曲全集に対する、ハワード自身の姿勢が垣間見える興味深い一文だと思います。 (8/11-01:53) No.2622
ふゆひこ > で、モイセイヴィッチのタンホイザー序曲が聴きたくて、CD屋さんにいったら簡単に手に入りました。NAXOSから出てましたね。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005K3PJ/reminiscedefr-22

素晴らしい演奏です。雄大で起伏のある構成感があり、後半では繊細な装飾がきらびやかに奏でられてます。この演奏、なんと映像もあって、シフラのDVDにおまけで入ってるんですよ(ほんとは今日、DVDを探しにいったんです)。リージョンコードがAMAZONで見ると、海外仕様になっているので、日本のプレーヤーで見られるのか心配。 (8/11-02:03) No.2623
ふゆひこ > “WARHORSE”って辞書で引いたら、“鼻につく芸”とか“何回も上演されて飽きのきた出し物”っていう意味らしいですね。でもハワードの文章からネガティブな感じは受けないけどな…。間違ったかも。 (8/11-02:12) No.2624
じょるじゅ > Warhorseはリスト関係の人たちは、「十八番」の意味で使ってます。
日本の十八番と違うのは、自分の得意というよりも、「観客受けの一番いい」「誰もが納得する」「主要レパートリー」という意味が全部含まれているという感じです。
ウオーホースは軍馬ですから、必要な時にこれさえやれば周りを納得させられる、というような意味でもあるし、レパートリーの中で、一番程度の高いもの(したがって本人が個人的に好き友限らない)よく使用されるものをさす場合もあるみたいです。
(8/11-12:09) No.2625
ふゆひこ > そういう意味なんですか。しっくりしました。僕は“WAR”という語感から、勝手に爆撃ショウピースをイメージしていました(笑)。ウォーホース・ピースでそのままカタカナ語として定着しちゃえばいいのに。リストのウォーホース・ピースといったら、他に、“ウィリアム・テル序曲”“断頭台への行進”“ヘクサメロン”“半音階的大ギャロップ”っていうとこかな。 (8/12-00:08) No.2626
じょるじゅ > 爆撃ショーピースでもいいのではないでしょうか。
ショパン系のひとだと「英雄ポロネーズ」とか「華麗なるポロネーズ」、ショパンのポロネーズはアマチュアでも一つできるとその人のウォーホースになりますね。(私も軍隊ポロネーズはウォーホース、そのうちメフィストとかダンテとかいえるようになりたい。)短いけどエチュード系も幾つかできるとそれになりますね、きっと。
「鼻につく」というのは「半音階ギャロップ」や「ハンガリアン19番」なんかあたりだとそういう意味も含まれそうな気がしますが。リストが愚痴った「悪魔のロベール」とかも・・・(笑) (8/12-03:41) No.2627
ふゆひこ > ウォーホースってなかなか使い用のあるいい言葉ですね(なんで日本語で定着していないのかな)。“悪魔ロベール”もまさにそうですね。この曲こそ、現代で忘れられてしまってます。エンターテインメントとして効果はあるのに。僕はハワード以外ではワイルドの演奏でしか聴いたことがないな。 (8/12-23:26) No.2628
じょるじゅ > これから私たちが使ってはやらせましょう。(笑)
「ホロヴィッツのウォーホースはなんといってもあの爆発カルメンファンタジー」とか・・・ (8/14-01:30) No.2640
デンキヒツジ > はじめまして。こちらに書き込むのは初めてです。
モイセイヴィッチの演奏は優雅で何一つ苦労を感じさせない奇跡のような演奏ですよねぇ。
タンホイザー序曲は38年&54年ともに流れるような素晴らしい演奏で。NAXOSはハンガリー狂詩曲、愛の夢、愛の死も素敵過ぎる。

>シフラのDVDにおまけ
僕も買いましたけど普通に観れましたよ。どっちがオマケだか解らない(笑) (8/19-18:47) No.2686
ふゆひこ > はじめまして。シフラのDVDは、モイセイヴィッチ目当てで購入される人も多いようですね(笑)。普通に観れましたか。AMAZONのリージョンコード表記が間違えてるのかな。こんどお店で同じシリーズのDVDを手にして確認してみます。1954年の録音もあるのですか。そちらの方が音が良さそうなので、それも聴いてみたいな。モイセイヴィッチの演奏は本当に優雅ですね。NAXOSの帯に、こう書かれてるんですよ。

“優美さを売り物にしたモイセイヴィッチの演奏ですが、技巧面において同時代のピアニスト達に劣るということはありませんでした。”

この宣伝文句からだと、タンホイザー序曲は“優美なモイセイヴィッチとは違う側面”と読めてしまうところがあるのですが、僕のモイセイヴィッチのタンホイザー序曲の演奏に対する印象は、やはりまず第一に“優美さ”でした。それを実現させる、すごいテクニックっていうとこでしょうか。 (8/20-01:04) No.2690
デンキヒツジ > ども。
1954年録音のタンホイザー序曲はシフラDVDに収録されているテイクですよ。BBCのTV放送用だったようですね。

モイセイヴィッチの録音は大方もっていますけど、いつも思うのはやはり洗練された優美さですね。
宣伝文句の意図として僕が思うのは、ラフマニノフの様な難曲の演奏でも、技巧感が消え失せたように感じられる演奏ですね。
ラフマニノフ、チャイコフスキー、サン=サーンス、グリーグのピアノ協奏曲の演奏ですら。
ラフマニノフやホフマン、レヴィーンの演奏に似通っていると思います。 (8/20-15:57) No.2700
ふゆひこ > DVDのテイクが1954年なのですか。僕はてっきり1938年版でNAXOSの音源と同じものかと思っていました。NAXOSのCDだけでいいや、と思ったんですが、それではDVDもやはり買いたい(笑)。“技巧感が消えうせる”というのは、理想的な究極とも言えるレベルなのかもしれないですね。 (8/21-13:22) No.2708
デンキヒツジ > あれから調べてみたんですが、かなり貴重な録音がありました。
ARBITERの"Moiseiwitsch in recital"というCDに
バッハ/リスト 幻想曲とフーガ ト短調
シューベルト/リスト きけ、きけ、ひばり
ショパン/リスト 私の愛しい人
ワーグナー/リスト タンホイザー序曲
のライブ版が収録されているそうです。
この他にショパン2曲と、モイセイヴィッチのインタヴュー。 (8/27-13:46) No.2767
ふゆひこ > おお、教えていただいたディスクを検索してみました。これですね。
http://www.musicweb.uk.net/classrev/2003/May03/Moiseiwitsch_arbiter.htm
“タンホイザー序曲”はシフラのDVDに入っている1954年の録音と同じかもしれないですね。モイセイヴィッチによるバッハ〜リスト“幻想曲とフーガ ト短調”が聴いてみたいです。“きけ、きけ、ひばり!”と“私の愛しい人”というのは、僕には、そんなに印象深い曲でもないのですが、パデレフスキーやローゼンタールも録音しているし、昔の定番だったのかもしれないですね。 (8/28-02:37) No.2771
デンキヒツジ > ”Moiseiwitsch in recital”も入手難のような・・・
それとNAXOSモイセイヴィッチ第5集にハンガリー幻想曲のとんでもない演奏が収録されています。
ピアノと技巧の支配力は底知らずで、相変わらずサラサラと流れるような感覚。 (9/13-16:20) No.2889
ふゆひこ > NAXOSの第5集ならば容易に手に入りますね。安いし。これは買ってみようかな。モイセイヴィッチの演奏は、いままでその曲に対して定着しているイメージを転換させる力がありますね。 (9/14-00:25) No.2891
TAKIN > はじめまして。ネットサーフィンしていてこの板を見つけたところ、たまたまドンピシャの話題だったのでRESしちゃいます (^^;)。
私の頼りにしているリスト本である H. Searle "The Music of Liszt"によれば、「現在ピアノ協奏曲は一般に作曲者の意図の倍くらいの速さで演奏されている。この点についてはザウアーとヴァインガルトナーの録音が有益である」とあります。丁度昨晩目を通したところだったので覚えていました (^_^)。録音を探してみるほどの気力はわかないのですが、どんなものなんでしょうね。 (9/16-14:58) No.2899
ふゆひこ > はじめまして。おお、その記述はサールがオリジナルなんでしょうか。僕が上記で紹介しているワトソンの文章も、はしょりましたが、前段は“現在では残念なことに速く演奏されすぎる”という前置きがあり、それでザウアーを持ち出す、という文章なんです。ワトソンの文章で“サールも言っているが、”みたいな、ことわり書きはなかったな…。録音は、僕のサイトの“CDの回想”でヒストリカル・レコーディングのところで紹介しています。あとPAST LOGで、2004/4/11〜のページで『Emil Sauer plays Liszt』のところで、その厳粛な演奏について話しています、『“ダンテソナタ”のピアノと管弦楽版』のところで他のディスク(同じ音源だと思う)についても紹介していますので、参照してみてください。  (9/17-02:14) No.2901
TAKIN > すみません。せっかくレス貰っていながらまだチェックしてません。急に忙しくなってしまったもので・・・ いずれまた機会があったら来ます (^^;)。 (9/21-14:32) No.2926
TAKIN > ザウアーの協奏曲と、ついでにグランのミサ(グランベール指揮)を発注しました。AmazonもHMVもブックマークしてあるのですが、ふだんよほど注目している作曲家や演奏家のCDでない限り、こういうことでもないとなかなか探せないものです。有難うございました。
ついでにPAST LOGを見ていたらウォーカーの翻訳の話が出てましたね。私はサールを訳そうかと半分くらい本気で思ったことがありますが、とてもそれだけのエネルギーと時間は捻出できそうもないのが現実です。 (9/29-00:12) No.2968
ふゆひこ > ザウアーのCDは、カップリング曲も面白いですね。“グランベール”って読むのですか。僕のサイトで“グリンバート”とかって書いているので、後で直しておくようにします。サールの著作は僕は持ってないんです。作品番号表だけ図書館で複写してもらいました。古い著作とはいえ、リスト研究の歴史に残った本だと思うので、ちゃんと読んでみたいです。 (9/30-01:06) No.2971
TAKIN > 私もGrimbertという人は知りませんが、ファーストネームがJacques(ジャック)だし、フランス人だろうと思うのでフランス語式発音を推測しただけです。
サールの本はそんなに長くないのですが、主な作品の特徴や意義について踏み込んだ記述をしていて、こういう類の本が日本にはないんだよなぁ、と思ったので、訳したいなどと大それたことを考えたのですが、翻訳ってのはまともにやろうとすると大変ですからね・・・(^^;)。
(9/30-17:55) No.2977
ふゆひこ > 僕も間違いなく“グランベール”だと思います。他にもいろいろ、かなり適当にカタカナにしちゃってるんですが、定着している表記などが分かり次第、直していくようにします。サールは本職が作曲家だから、作品論に力を入れてるんでしょうね。ところが利便のいい作品表、S番号ばかりが取り扱われている、というとこかな。サールの本は僕もいつか手に入れたいと思ってます。 (10/2-00:53) No.2984
デンキヒツジ > 話の流れを切ってしまいますが、Pearlからの"Moiseiwitsch The Complete Acoustic Recordings"にも
ショパン/リスト 私の愛しい人
シューベルト/リスト きけ、きけ、ひばり!
シューマン/リスト 春の夜
ワーグナー/リスト トリスタンとイゾルデ「愛の死」
スカルラッティ/タウジッヒ パストラーレ
スカルラッティ/タウジッヒ カプリッチョ
が収録されていました。意外とクリアで芯のある音質でした。

リスト関係ではないのですが
スクリャービン 左手のための夜想曲
といったような珍しい録音も同時収録。
アコースティック時代のスクリャービン作品の録音はモイセイヴィッチも含めて4つしかないそうです。 (10/3-18:13) No.3014
ふゆひこ > 紹介いただいたやつ、アマゾンにありました。何曲か試聴できますね(リストは聴けない)。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005CEKA/reminiscedefr-22

このCDは流通的に入手容易ですが、お金的に入手難です(笑)。“イゾルデ愛の死”はこの録音も“部分”なのかな。 (10/3-23:35) No.3018
デンキヒツジ > ちょっと値が張りますよねぇ。
”イゾルデの愛の死”トラック4:29なので残念ながら短縮版のようです。充分過ぎるくらいに素晴らしいから、余計に全曲版で聴きたいですね。 (10/11-17:09) No.3068
ふゆひこ > となるとモイセイヴィッチの“イゾルデ 愛の死”は完全な形では残っていないんでしょうね。 (10/11-21:17) No.3070
TAKIN > 発注した CD を無事入手しました。ザウアーの協奏曲はなるほど良い演奏です。今時の演奏家は倍ぐらい速く弾く云々のサールの表現は言葉の綾としても、悠揚迫らずというか、スケールの大きい音楽をやっていると思いました。私はこの板には偶然迷い込んできたのですが、思いがけず収穫がありました (^_^)。感謝。
(10/19-00:20) No.3131
ミッチ > 前の話題を持ち上げて、申し訳ない。よくみたらモイセヴィッチの幻想曲とフーガの話題が出ているので、一言。以前NMさんのところで「モイセヴィッチの幻想曲とフーガは入手困難のようです」みたいなことを書いたのですが、CD屋さんで取り寄せをお願いしたら普通に買えましたよ。去年の話ですが。デンキヒツジさんがおっしゃっている「支配力」という言葉が気に入ってしまいました。まさにそのとおりだと思います。(コルトーも音楽の支配力がすごい人だと思う)
ちなみにですが、「悪魔のロベール」はジョゼフ・レヴィーン(簡単に説明すると、ブゾーニ・ゴドフスキ級の大ピアニスト)というピアニストのピアノロールが残っています。個人的にピアノロールって馴染めないんですが、この演奏は結構お気に入りです。 (11/15-18:49) No.3236
ふゆひこ > スレッドが残っている限り、書きたいことがあれば、どんどん書いちゃってください。このスレッドは長寿ですね。モイセイヴィッチとザウアーの偉大さのゆえでしょうか(笑)。昨日『マルグリッドとアルマン』のDVDを買ったとき、いっしょに買おうかと思って最後まで手にとって悩んだのがモイセイヴィッチの“タンホイザー序曲”が入ったシフラのDVDでした。合わせると6000円を超えてしまうので、棚に戻しました(笑)。月末に買うかも。ジョゼフ・レヴィーンは、初めて名前を知りました。ブゾーニ、ゴドフスキ級というとすごいですね。今度探してみます。 (11/16-01:21) No.3239
ミッチ > 購入を考えている方がいるかもしれないのでもう少し。「モイセヴィチ・イン・コンサート」は自分は好きですが、人にオススメしていいものかどうかわかりません。まず音質ですが、元の音盤の状態が悪いのでしょう。音が所々で消えかかったりします。幻想曲とフーガでは数秒ですが完全に沈黙する部分もあります。だからヒストリカル録音に馴れていないと正直きついと思います。それから技巧に関して言えば、晩年ということもあって、シュナーベルより下手だと言わせていただきます。ミスタッチを即興で乗り切ろうとしたのか、曲が変わっちゃってる部分もあります。でも音楽は素晴らしいです。音楽の素晴らしさに技巧は関係ないのだという、いい例だと思います。ショパンの曲とタンホイザーは絶品です。 (11/16-21:24) No.3248
TAKIN > このスレッドに書くべきかどうかわかりませんが、新しいスレッドを立てるほどでもないので。PAST LOGの中でユージナの話が出ていましたが、私もユージナは興味があったので、だいぶ迷った末(^_^)一気に4点、5枚をWebで購入してしまいました。合計1万円近く、こんな散財は久しぶりです。バッハ変奏曲はなるほど名演ですね。録音も私の買った盤に関する限りはそんなに悪くはないです (RCD 16298)。他にゴールドベルク変奏曲、ディアベリ変奏曲、「展覧会の絵」、「束の間の幻影」、ストラヴィンスキーのピアノ協奏曲など。どれも面白いです。中には編集上の傷のある曲もあり、オケも指揮者も不明など、商品としてはかなりいいかげんなのもあります。官僚国家の遺産を迷走資本主義で何とかしようとしてるのだからしょうがないか(爆)。 (11/17-00:13) No.3251
TAKIN > 補足。「バッハ変奏曲」の入っている盤のロシア語解説には「リストはユージナにとって最重要作曲家には入っていなかったが、この曲だけはよく演奏していた」といったことが書いてある(らしい)のですが、英独仏訳では「ユージナはリストをも愛し、特にこの曲をよく演奏した」みたいになってます。演奏者について述べている文章では、これは結構重大誤訳じゃないでしょうか。外国語ってのは怖いです。 (11/17-11:33) No.3252
ミッチ > TAKINさんそれは良いことを教えていただきました。ありがとうございます。たしかにユージナのリスト録音はバッハ変奏曲しか見たことがありません。この曲は知名度的にマイナーなイメージを払拭できませんが、名演がたくさんあるのが救いです。ちなみにカツァリスのヴィルトゥオジティ全開の録音がありますが、最初の和音が勢いがつきすぎて「スペイン狂詩曲かよっ!」とつっこみたくなります(笑)。これも好きですが。 (11/18-21:34) No.3254
ふゆひこ > マリア・ユージナのCDは、前にミッチさんが絶賛されていたやつですね。手に入らないものかと思ってました。それでは『モイセイヴィッチ・イン・コンサート』と合わせて、気長に探してみます。邦訳というのは、なんか言語文化が違うから誤訳が多いとは思っているけど、欧州言語間でもそんな誤訳があるんですか。英語だけでももうちょっと読めるようになりたい、と思っている僕には厳しい現実です(笑)。 (11/19-00:11) No.3258
TAKIN > ユージナのCDはHMVでは見つかりません。Amazonでは1点だけユーズド商品があってそれを買いましたが、それがゴールドベルク変奏曲とディアベリ変奏曲の2枚組です。Googleで "Yudina" で検索して見つけた Musica Bona というプラハのオンラインショップにユージナの盤が数点あり、「バッハ変奏曲」の入ったものも含めて3枚を購入しました。他にFnacというフランスのレコード店もヒットしましたが、こちらはブツの値段より送料の方が高いです。Musica Bona は送料無料です。また値段を日本円で表示させることもできます(概算かもしれませんが)。 (11/19-16:01) No.3268
ふゆひこ > 教えていただいてありがとうございます。僕もMusica Bona でマリア・ユージナの“バッハ変奏曲”の入ったCDを注文してきました。海外サイトで頼むのは初めてなので、ちょっと不安でしたが、オーダーは簡単にできました。ちゃんと届くか心配(笑)。 (11/20-02:29) No.3278
デンキヒツジ > お久しぶりです。幻想曲とフーガ注文していたのですが、Arbiterで版元切れだそうで・・・残念。
でも替わりに入手したNAXOSのメトネル、カバレフスキー、プロコフィエフ、ゴドフスキといった現代作品も見事な演奏でした。
ゴドフスキの「こうもり」ですが、ゴドフスキ作品の史上初録音という歴史的価値付き。
来月にはセルと共演した皇帝協奏曲も発売されるようで期待が膨らみます。

ジョセフ・レヴィーンといえばショパンエチュードと美しき青きドナウの世紀の名演が残っているのは幸い。
NAXOSで手軽に質のいい復刻を聴けるのもまた幸いです。
モスクヴァ・コンセルヴァトアールでラフマニノフ、スクリャービンと同級で、「ドン・ジュアンの幻想」の演奏に対抗したスクリャービンが右手を壊しかけた伝説もありますね。 (11/24-15:59) No.3294
ふゆひこ > ジョゼフ・レヴィーンってすごいですね。AMAZONで試聴してみました。一聴して素晴らしい!

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006669J/reminiscedefr-22

このCDは欲しいな。↑AMAZONの試聴はリンクとタイトルが2つずつずれてます。11曲目の“美しき青きドナウ”を聞く場合、13曲目をクリックしましょう。 (11/25-01:39) No.3296
ミッチ > ちょっと説明が足りませんでした。モイセイヴィチのCDは様々な機会に録音されたもので全て録音が悪く、全てテクニックが衰えているわけではないです。特にタンホイザーは素晴らしく、音楽を聴いているというより、魔法をかけられている感じがします。
それから、ユージナについて自分の過去の書き込みをみると、すごく音が悪いみたいに書いてましたが、TAKINさんの仰る通り、鑑賞するにはまったく問題のない音質です。その時は多分ブレンデルの録音と音質を比べちゃってたと思います。失礼しました。 (11/29-22:03) No.3314
ふゆひこ > マリア・ユージナのCD、今日届きました。すごい名演ですね。何か一つの“生き物”が蠢くかのような、ミッチさんが以前言われていたとおり、まさに“恐ろしさ”を感じる演奏です。NMさんがこの曲を“リストの慟哭”という表現を使われていたのですが、僕はユージナの演奏で初めてそれを感じた思いです。 (12/1-00:59) No.3317

マリー公女 投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/21(Sat) 01:48 No.2701

こんにちは〜ふゆひこサン。エヴェレット・ヘルム著:野本由紀夫訳の「リスト」を読んでて前から気になってた事があるのですが・・・?この本のP121でカロリーネ侯爵夫人と娘のマリー公女の肖像画が掲載されてますよね。この本では「1848年4月にひとり娘と家庭教師を連れてリストの後を追った。」と書いているのですが・・・ただマリー公女のその後どうなった書かれていなかったと思うのです。訳注でも触れられていなかったし・・・。この娘はいったいどう成長していき、リストとの折り合いはどうだったのか気になります?

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じょるじゅ > ふゆひこさんもお持ちだったおと思いますがリストとプリンセスマリーとの書簡集がちゃんと出てます。
その中でリストにとってマリーは「結婚するまで実の娘のよう」であったという見方がされています。というのも彼は自分の娘たちとは一緒の生活をほとんどしていないのに彼女とは10年近く生活しているので、当然そうなってくるでしょう。
彼女がホーエンローイと結婚した後は、リストはマリーを大人の女性として信頼と友情をもって死の直前まで文通しています。

彼女の結婚相手とリストとカロリーネの結婚についてのゴタゴタでカロリーネとマリーがしばらく遠ざかり、カロリーネがリストにもなんらかの影響をもたらしているらしく数年間文通に途切れが有りますが、かといってどこか出会っていないとも断定できないし、たまたま正式書簡が発見されていないとの見方も出来るらしいようです。 (8/21-04:10) No.2706
ふゆひこ > 僕は、マリーとリストの書簡集は持っていないです。じょるじゅさんの紹介で、リストとマリーが互いを尊重しあい、仲が良かったと理解しています(確か、以前教えてくれた話では、リストはマリーに対しては本音のようなことを語っているとか)。マリーはコンスタンティン・ホーエンローエと結婚します。コンスタンティンの兄のグスタフはローマの枢機卿で、ホーエンローエ家はローマの有力な家なんでしょうね。グスタフもリストと仲がいいです。ですがコンスタンティンとマリーが結婚したことが、その後カロリーヌが望んだリストとの結婚に、障害となるようです(正確に理解していません)。土壇場で結婚の許可が下りなくなったのが、ホーエンローエ家の圧力だったと、あちらこちらの書籍で読みます。 (8/21-13:43) No.2709
ふゆひこ > ウォーカーのFYにヴィトゲンシュタイン家の家系図が載っていたので、見てみたらマリーは1920年まで生きています。それでコンスタンティンの間に6人の子をもうけてますね。 (8/21-13:52) No.2710
ふゆひこ > あとハワードの『新発見のリスト 1』に収録されている、マリーのために書かれた簡単な曲集がありますね。出会ったばかりの頃の作品だけど。 (8/21-14:00) No.2711
だるべると > へ〜!マリー公女って10年もリストと生活を共にしてたんですか。3人の子供達とは疎状態だったから、さぞかし可愛がったでしょうね。リストて子煩悩な父親だったのでしょうか・・・。そういえば、リストは一度も結婚してませんよね。カロリーネとの結婚は1861年に中止になっていますが、マリー・ダグー伯爵夫人との関係にリストは結婚を将来想定していたのでしょうか?いくら駆け落ち同然の逃避行とはいえ、伯爵夫人も身分柄、愛人のままで暮す事に抵抗はなかったのかな・・・。 (8/21-15:35) No.2713
ふゆひこ > マリーとリストの感情の関係は相当ややこしい話だと思いますよ(笑)。僕は資料もほとんど読んでいなくて、考えがまとまらないです。ヘルムの著書をお持ちでしたら、そのあたりを参照してみたらどうでしょう。それだけで十分ややこしいはずです(笑)。僕の感覚を書くと、リストとマリーの恋愛は、“結婚”という制度的なものを度外視したところから始まったけれど、早いタイミングで亀裂が入りだす。マリー・ダグーの方で“結婚”が想定されたとしても(リストの方は早くから感情が離れていったと思う)、その前段階の関係を修復するための葛藤で手一杯だったのでは、と思います。このことを考えるためには、他にシャルル・ダグーの存在、クレール・ダグーの存在、マリー・ダグーの“新しい女”としての価値観、思想など、考えるべきポイントが多いですね。ちょっとずつ僕も調べてみます。 (8/22-01:04) No.2718
じょるじゅ > ウオーカーによるリストスタデイシリーズからもリストとカロリーネが結婚すると「ホーエンローエ」が不利になるので、直前にも枢機卿が法王あてに書簡を贈りそれが直接の原因となって「待った」がかかります。許可じたいは同年の早い時期に降りていたのでそのとき結婚してしまえば問題は無かったはずですが、カロリーネがすぐはリストを呼び寄せずにあちこちに引き回すんですよ。その辺が少し謎ですが。リストも「あなたが行けと一言行ってくれれば僕はどこでも行きます、なぜはっきりいってくれないのです?」と痺れを切らした書簡を書いてます。結局はリストの誕生日の10月まで引き伸ばすわけですがそれがなんとなく枢機卿側に「工作する時間」を与えてしまったような感じです。
で具体的な障害とは
リストとカロリーネが正式に結婚すると二人が嫡出子をもうける可能性がでてきます。すると、その時点でマリーがすでに受け取っていたカロリーネの財産をもう一度返却しリストの子供と分けなければいけないことになる。マリーはカロリーネの財産をホーエンローへとの結婚を機に相続(それまで財産はロシア政府にさしおさえられていた)しているので、リストが正式に結婚すること自体が非常に「ロシア政府にとっても、ヴィトゲンシュタインにとってもまずい状況」だったわけです。

(8/22-02:29) No.2722
じょるじゅ > マリーダグーとリストは「結婚」は考えてなかったはずです。
というのも当時はフランスでは「離婚」が不可能だったのでダグー伯爵が同意しようとも、リストが結婚したいと思っても出来ないことは既にわかっていたからです。
(裁判所から法律的に別居許可を勝ち取り実質的に離婚生活を送ることは出来た。ベルジョイオーゾ夫人、ジョルジュ・サンドもそうしている。)
唯一の結婚可能性はダグー伯爵が亡くなりマリーが未亡人になれば別ですが。

駆け落ちする時もマリーは伯爵に「あなたの名前は一生尊敬と共に語ることになるでしょう。何も望みません」と書いているだけで、正式に別居許可をくれとも何とも言ってないです。勿論彼女にとってはクレールのこともあったので少なくとも法律上「ダグー伯爵夫人」の地位を維持する必要があったのです。
リストとマリー個人の関係は38年ウイーン公演の時点で「愛情とエゴ」の張り合いが表面化しているので、リストもマリーも「家庭生活」に発展することは不可能なことを実感したはずです。
(8/22-02:42) No.2723
じょるじゅ > もう一件、結婚に関する法律のこと。
カロリーネとヴィトゲンシュタインの「結婚」のことも明解にする必要があります。
日本では「彼女の離婚手続きが滞った」と表現されることがありますが、「離婚」ではないです。
彼女はカソリックで離婚は認められていません。彼女が法王に嘆願していたのはヴィトゲンシュタインとの結婚「無効」です。
ちなみにプロテスタントだったヴィトゲンシュタインはさっさと「離婚」を勝ち取り1850年代には別の女性と結婚しちゃってます。
それから1860年代にヴィトゲンシュタインが亡くなった時点でもカロリーネは何の問題もなく結婚できたはずですが1861年の「フィアスコ」の時点でもうその気がなくなってしまったようです。(あのときも「もう既に許可が出ている」と戦うことは出来たはず。)
これらのゴタゴタにかんしてリストは一言も残してないです。ヴァイマール大公に「15年間抱いてきた希望を数時間前になって覆される心境がどんなことか他人にはわからないでしょう」といっているだけです。 (8/22-02:54) No.2724
ふゆひこ > おお、これだけ複雑なことを、さくっと書けますね。すごいです。理解できました。カロリーヌとリストの結婚の座礁については、FYのP31〜32にも書いてあり、参照してみました。じっくり読まないと理解できない(笑)。 (8/22-23:17) No.2725
だるべると > じょるじゅサン凄いですね。3回読んでやっと内容が分かりました・・・(笑)皆さんアラン・ウォーカー著の『リスト』を持ってらっしゃるですね。ボクも是非読んで見たいけど、日本語版とか出版されてないみたいだし残念です。ゆいいつ楽しみは来年の5月に音楽之友社から出版される『リスト』が出る事なんでそれを期待してますが・・・本当はウォーカーの日本語版出るのが一番いいんだけどな・・・・。 (8/23-00:20) No.2728
じょるじゅ > 「さくっと」ということば最近日本ではやっているんですね。(笑)
いやー、ウオーカーが「結婚に関するヴァテイカンの資料」と言うとんでもない長い本をオリジナルのラテン語(だかイタリア語だか)と翻訳、それに解説も長々と一冊の本にしてますが、結局#2722のようなことみたいです。(笑)
あと、WYのどこかにも1852-4の間になんどかヴィトゲンシュタインとの交渉、マリーに財産を相続させることなど、いろいろあってその時点でリストは「このカタがつけば結婚できる」と考えていたことなどがわかります。(だから、そこでアグネスと深い関係になることがどんなにまずいことだったか、本人たちは一番良くわかっていたはず。)
ウオーカーの日本語版はふゆひこさんが作ってくれます。(笑)
ウオーカーが高齢だから、まじめに「邦訳」の契約を取るなら今のうちではないかな〜。
本人はメールとかにもすぐ返事してくれるので、本気で翻訳するなら彼が存命中にしたほうが改訂する項目とか、はっきりしない所などを本人に確かめられるうちが良いと思うのです。
(8/23-01:31) No.2730
じょるじゅ > もう一つ、「マリーダグーとリストの結婚」について。

可能性として「ダグー伯爵の死」という事をあげましたが、これをもう一歩踏み込んで考察する必要があります。
「決闘」というオプションが当時はあったからです。
つまり伯爵がスキャンダルを恐れるよりも自分が「ただのピアノ弾きに妻を寝取られた」ことにかっとなって「決闘でカタをつける」ということになるかもしれないことを二人は考慮しなくてはならなかった。マリーの伯爵宛の手紙はそれを牽制するとも読み取れます。(伯爵は一生冷静で本当に見上げたものだと思ってます。)

また、マリーは「それ以下のこと」でもリストに「決闘でカタをつけるように」泣きついたことがあるのですが、明らかに、リストにも伯爵にも「自分の結婚に関してはスキャンダルの危機や命を賭けて欲しいというほどでもない」という事だったのではと思われます。
リストは流血は嫌いなんですが、若いときはやはり何度か「カタをつける」と言うハッタリ発言や酔った勢いでそういう立場におかれた事が何度かあります。しかしダグー夫人との結婚に関しては「自分からけしかけられる立場ではない」ことは自覚していたと思われます。 (8/23-02:01) No.2731
だるべると > 2人とも大人としての対応をしたって事ですねフムフム・・・。でも本当に決闘しなくてよかったですね。命でも落としたら晩年の傑作が聴かれなくなっちゃいますもんね。ボクが一番関心があるのはマリー・ダグー伯爵夫人との最初の出会いなんです。エヴェレット・ヘルムの本では全容を著わすには分厚い本一冊でも十分でないと書いている事を見ると、相当な恋愛模様が想像できますね。
(8/23-02:49) No.2734
ふゆひこ > わはは(笑)。いやいや、じょるじゅさんが書かれたことを導き出すために、ウォーカーがそれだけの資料にあたった、と考えてあげないと、ウォーカーがかわいそうです(笑)。ウォーカーの僕の適当翻訳は3ヶ月で、つぎはぎで2ページ分ぐらいできました(笑)。自分用なんで、こんなんでいいんです。なるほどダグー伯爵側から見れば決闘の筋がとおりますね。VYのマリー・ダグー関連のところをちらちら読んでみたら、P205にマリー自身もシャルル・ダグーを最後は尊敬していた、ということが書かれていました。シャルル・ダグーの死に際してのマリーの書簡です。 (8/25-00:10) No.2746
じょるじゅ > もう一件、
#2722の最後でロシア政府にとってもまずいことと書いたのですがその説明を。
カロリーネの財産はキャピタルのほとんどがロシア領内にあるので、カロリーネとリストが結婚すると誰の持ち物であろうが、キャピタル自体がロシアから流出する可能性が出てくる。それがロシアにとってはまずいことだったんですよ。政治的にリストの立場はいつもロシアの政治と反対の立場をとってきたのでその財力がリストに移行していくのはロシア政府としても防ぎたいことだったのです。(増してやホーエンローへシリングファストにしてもヴィトゲンシュタインにしてもハンガリーの音楽家ごときに自分の取り分をもって行かれるかもしれないという事もあるし) (8/25-00:15) No.2747
ふゆひこ > WYのP141あたりを読んでみました。なかなかリストやカロリーヌに政治的な圧力が介入してくることがイメージできなかったのですが、いろいろ書かれてますね。カロリーヌがいったんロシアに戻り、財産に対する処置に対して応じない旨を説明しにいったり、だいたいカロリーヌはアレクサンドル2世から追放されてることになってる。ヘルムの『リスト』にも少し書かれてるんですが、これはちゃんと読まないと理解できないですね。 (8/27-01:50) No.2758
ふゆひこ > WY P517にはじょるじゅさんがNO2724で書かれているニコラス・ヴィトゲンシュタインの再婚のことが書かれてました。26歳のマリー・ミヒャイロフと結婚した、とのこと。それでマリー・ミヒャイロフとの間にできた子どもに(ウォーカーは“無神経にも”と使ってます。“exquisite tactlessness”もうちょっと意味のある表現かな?)、“マリー”と付けた、とのこと。僕の感覚的には、マリー・ホーエンローエが一番、傷つきそう。 (8/27-01:58) No.2759
じょるじゅ > exquisite
は普通は「極上の」と言う意味だけに使われますが強烈な皮肉の表現ですね。皮肉としてのexquisiteは一般的ではないです。

ニコラスが結婚しちゃってるのにカロリーネが結婚できないのが、カソリック、ップロテスタントに関わらずすごく変だよね。
明らかに、カロリーネとリストの結婚がまずいということがわかります。
ニコラスが結婚した時点でもリストは『これで結婚できる』と思ったはずだし。
61年の前にもその意味では『出来そうになったことが』何回もあるんですよね。
そのたびに味わう苦悶と後味の悪さ。 (8/27-07:14) No.2766
ふゆひこ > なるほど、微妙な表現ですね。昨日も辞書で引いてみたのですが、プラスのイメージの単語だったので“あれ?”と思ってしまいました。僕が、カロリーヌとリストの結婚劇について、いちばん情報を得ているのは、ヘルムの『リスト』からなんですが、そこではカロリーヌは基本的に“愚か”であり、その“愚かな”カロリーヌの行動に従っていく“浅はかな”リストという図式が読み取れるように書かれています。事実はもっと複雑ですね。 (8/28-02:28) No.2770


神と巨人 投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/23(Mon) 02:16 No.2733

リスト関連の本がないか探してた時、リストの肖像画が表紙になってる本があったので手にとってみました。パウルローレンツ(著):田畑智世枝(訳)『ピア二ストの歴史』と言う本で、内容はリスト個人に焦点を当てたものではありませんでした。(リストの事も書かれてはいましたが)この本、結構古くて発行日が平成2と記載されてて、なんせ・・著者が1926年にユージェン・ダルベールの演奏を聴いたあと、直接逢って話をしたそうですから古いです。それで、本のp92にアントン・ルービンシテインに関しての章があったのですが、そこ一文に「1846年にリストに演奏を聴いてもらったが、リストは彼を弟子にする事を断った。」と書かれていました。そこで、疑問に思った事があるんですが、何の本か忘れましたが、「ルービンシテインはリストの弟子で生涯可愛がられた」と書かれていた記憶があるんですが・・。どちらが真実なんでしょうか・・・?もしリストが弟子にする事を断ったのなら理由が知りたいですね。なんせ19世紀にあってリストと肩を並べる巨人ですから・・・・・

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じょるじゅ > 1846年当時ルビンはまだ子供です。リストは「天才児」といわれる子供たちを弟子にすることを断っていたので、その時点では断ったと思われます。ルビンがリストの友人になるのは音楽家としてすでに独自の名声をものにしてからのことです。懇意にはしていましたが弟子と言うわけではないです。
同じ理由でビューローのことも最初は断っています。最初にビューローの演奏を聞くのはまだ彼が子供のときやはり40年代前半。ビューローは母親に同伴されてリストの元にやってきますが才能は認めたものの、弟子としては断ります。もちろんビューローが後にリストの名実共に一番弟子となるのは周知の事実ですが。(紹介したのは確かローラモンテスだったようなことを前に書いた記憶が) (8/23-10:11) No.2735
Micci > だるべると san
hajimemashite. ima Schonberg no "The Great Pianists" toiu hon wo yondeiruno desuga, Liszt ha "sainou no aru ningen ga nanikawo surutokiha, jibun de nashitogenakereba naranai" mitaina kotowo itte kippari kotowatte imashitayo. Liszt ha Rubinstein ni taishite kanari tsumetai taiou wo shiteita youdesu. Rubinstein ga keizai tekini komatteitemo issai enjo ha shinakatta soudesu. Schonberg ha "ano kandai na Liszt ga...." to odoroite iru youdeshita.
chinamini bokumo nihon no hon de Rubinstein ya Busoni ga Liszt no deshi dato kaitearu hon wo nankaimo mimashitaga, nanikano machigai deshou.
gozonji kamo shiremasen ga,Rubinstein ga Beethoven ni sokkuride, Rubinstein nokotowo "Van der Zweite"(Van 2sei) to yondanoha Liszt desu. (8/24-03:31) No.2738
だるべると > こんにちは。じょるじゅサン・初めましてMicciサン。リストと同じチェルニー門下のレシェティッキーと反対ですね(笑)彼は弟子を採る基準に、天才児と呼ばれていた事、スラブ系の血を引いている事、ユダヤ人である事等・・あまり意味の無い事に執着してたみだいですけど(笑)2人ともピアノ教育にそれなりのポリシーがあったんでしょう・・・。それにしても、何故?経済的に困ってたルービンシテインにリストは冷たかったのでしょね。才能の有る音楽家にあれ程無償の援助をしていたリストが・・・幼いルービンの才能に脅威を感じたとか?まさかね・・・。ショーバーグが驚くのも分かる気がします。それよりも、ブゾーニってリストの弟子じゃなかったんですか!?彼は知人の紹介で11歳の時リストの前で演奏してますよね。それから1年間指導を受けたと記憶してたんですが・・(笑)また、ビューローを紹介したのが何故?ローラモンテスなのか気になりますね。彼女はたしかリストの愛人の一人ですよね?ビューローとどう言う繋がりがあるか興味がありますね。

(8/24-04:42) No.2739
じょるじゅ > 理由として考えられるのは
「リスト自身は自分の事をピアノ教師だとは考えていなかった」
と言う大前提を忘れてはいけないと思います。それを理解していれば断った理由が自ずからはっきりしてきます。
リストは弟子にも「ピアノ奏法」を教えることはしてないです。その段階の指導が必要なピアニストは「音楽学校に言って基礎を勉強して来い」と一度受け入れても送り返しています。その良い例が、後の弟子たちの主要メンバーでピアノクラスの様子を本として書き残すアーサーフリードハイム、正式に受け入れられる数年ほど前17歳の時にリストに演奏を聞かせていますがリストいわく
「17歳と言う年では親知らずも生えていない」(もう少し修行が必要と言う意味)ということで一度拒否、しかしその後オペラを書いたりプロシアの宮廷音楽家などを勤めた後19歳でやっと受け入れられています。
つまり、可能性のある子供ではなく「将来がそれなりに見えてきた若いプロに先輩としてのアドヴァイスを与える」だけ、だからお金も取らないしプロでも、年が上でも「教えてもらおう」と言うピアニストたちは容赦なく「君に必要なのは私ではなくライプツィヒ(音楽学校のこと」といってます。
(8/24-11:44) No.2740
じょるじゅ > ローラ・モンテスはビューローの親たちと知り合いだったようです。彼女はその当時既に欧州の有名人で物書きで貴族の端くれだったビューロー男爵家と知り合いだったようです。ローラ自身がいろいろな作り話をしてるので男爵とローラがどこで知り合ったかは詳細はわかりません。(酔っ払いから救ったとかいう説がある。)ハンスは確か13歳ぐらい。リストは「ヘルマンコーエン、アントン・ルビンスタインについで君は本当の天才児」と評価はしたものの「君が本当のピアニストになったときに僕と対等の音楽家として僕のもとにきたまえ」と言ったようです。
1850年代既に音楽家として人気を博していたルビンとリストは一緒にある音楽祭やコンサートに参加したりして、ルビンは当時数少ない「リストのアグネスとの本当の関係」も知っていた一人です。彼が男装したアグネスを目撃したという書簡がリスト宛に送られているのでリストが彼女の正体をルビンには明かしているほど信頼していたと考えてます。
(8/24-11:59) No.2741
じょるじゅ > 有名人はローラモンテス、物書き男爵はビューローの父です。 (8/24-12:00) No.2742
ふゆひこ > もしビューローの名前がハンナで、ルビンシュテインがアンジョリーナだったら弟子にしたかも(笑)。そのあたりぜんぜんしらないです。確かにリストの多忙ぶりも考えると、若年者を教えるのは難しいでしょうね。ちょっと調べてみました。ビューローの記述はウォーカーだとちょっと違いますね。WYのP168です。ドレスデンに行ったリストがビューロー家に招待されたとのこと(突然ビューロー家が出てくる、ここにローラが介在するのかな)。そのときリストはピアノを弾いたのですが、12歳のビューローはすでに眠っていて、リストは“その子を起して、自分の演奏を聴かせたほうがよいよ”と言ったようです。その後、ビューローは、同姓同名のチェリストのヘンゼルト(笑)、フリードリヒ・ヴィークに教わってるようです。 (8/25-01:22) No.2749
ふゆひこ > ウォーカーは、ビューローの記述を、ビューローの書簡集を出典にしているようですね。書簡にそんな記述があんのかな?。WY P177にリストの言葉がありました。アンタル・アウグスツ宛の書簡“私は彼を弟子というよりも私の後継者だと思っています”。 (8/25-01:34) No.2750
ふゆひこ > あと、P178で“リストの神童嫌い”と明記されてます(なぜ嫌いなんだろう?昔の自分を思い出すからでしょうか(笑))。で、そこで登場するのがタウジヒなんですよ。タウジヒは例外中の例外だったんでしょうね。父親のアロイが13歳のカールを連れてやってきたんだけど、リストは演奏を聴くのを拒んだのかな?(分からない単語が出てくる)。ところがアロイはちょっと策略をねって、リストがタバコを吸って、ワインを飲み、友人たちと歓談しているところで、カールにピアノを弾かせる(この辺の流れがよくわからないです)。カール・タウジヒが、ショパンのポロネーズ変イ長調を弾きだしたとき、リストは突然“I TAKE HIM!”(この子を引き受ける!連れてかえる!っていう意味かな?)と言ったそうです。 (8/25-01:41) No.2751
だるべると > リストはピアノを通して本物の音楽家になるこ事の厳しさや過酷さを冷静に見てたんですね。ピアノを極めた人の言葉は重いです・・・。リストはローラモンテスに相当手を焼いてたみたいですね(笑)エベレット・ヘルムの本にも、壊された家具の請求書をリストが部屋に置いていったくだりがありますが(笑)かなりの猛女ぶりが窺えます(笑)リストの数多くの愛人の中で一番インパクトのある人ですね。ルートヴィヒ1世の愛人になった後の動向が気になります・・・あまり長生きしていないみたいだし。アグネス・ストリートにかなり熱を上げてたみたいですねリストは、死ぬまで手紙のやり取りをしてたんだから相当愛してたんでしょうね・・・。アグネスが男装してたって!?どいう状況なんですか(笑) (8/25-01:47) No.2752
じょるじゅ > タウジヒの父の策略はこうです。
拒否されたんですが、当時アルテンブルグには生徒やら訪問者やらがひしめいていて、「ジャ、さよなら」というわけじゃなかったようなのです。コーネリウスに頼み込んだかコーネリウスにアルテンブルグに連れて行ったもらったんじゃなかったでしょうか?でリストがリラックスしてしまったの見計らってピアノのある部屋に息子を忍び込ませ「何気に」聞かせるのです。それで「英雄ポロネーズ」のオクターブのところで
I take him!になるわけです。このポロネーズはタウジヒのウォーホースです。「このオクターブは何時間でも弾ける」といっていたらしいです。

神童嫌いは自分を思い出すという事もあるだろうし(笑)「サーカス芸」から自分自身が抜け出し音楽家になるのに非常に苦労したからじゃないでしょうかね。

アグネスの男装はこういうことです。
音楽祭のときは街中にリストの知り合いの貴族、記者や共通の知人音楽家たちが溢れているのでやはりまずかったみたいです。ルビンは知っていたからアグネスとわかっただけで、回りは彼女を「ムッシュ」とよんでいたとリストに報告してます。 (8/25-04:12) No.2754
Micci > Schonberg ni yoruto, Liszt to Rubinstein ha"hyoumenjou" ha nakaga yokattayoudesuga, Rubinstein ha fukuzatsuna shinkyou dattayoudesu.
"kareha idaina Performer daga, danjite, composer deha nai."
to tegamini kaiteimasu. (8/26-02:44) No.2756
だるべると > ハハハ!ルービンも言いますね(笑)彼は、リストの演奏会での振舞いも嫌いだったそうですね。 (8/26-13:51) No.2757
ふゆひこ > なるほど、ウォーカーの記述だと、なんか策略っぽい背景がはっきり分かりませんでした(僕の読解力不足かもしれませんが)。タウジヒにとっても“やってやる”っていう意気込みだったんでしょうね(笑)。ホロヴィッツのアメリカデビューと同じ意気込みを感じる。コルネリウスがアルテンブルクに来たところも読んでみました。みんな、めちゃめちゃ緊張してるんですね(笑)。リストに会うために。コルネリウスは階段の段数を数えて、運試ししてる(笑)。奇数段あって、失望してる(笑)。 (8/27-02:18) No.2761
ふゆひこ > WYのP258あたりを読んでみると、ルビンシュタインとリストの決別は、1855年に集中してベルリオーズ音楽を取り上げたときに、ルビンシュタインがその音楽性が好きになれず離れたようですね。ルビンシュタインはその後もちょくちょくリストのもとにやって来てるようですが。この辺は、ゲーテ=シラー記念祭のときに離れたヨアヒム、最初からウマが合わないと思って関係をもたず距離を置いたブラームス、音楽性は賛同できないけど関係を絶たなかったルビンシュタインを比較してみたいですね。 (8/27-02:28) No.2762
だるべると > ブラームスとリストとは、無視に近いくらいの距離を置いていましたね。でも、リストの門下生とは親しく付き合いがあったみたいで、ビューローも初演を幾つか手伝ってるみたいだし、ダルベールなんかには、手を握って「君はいいを手してる」と言ったそうですね(笑)彼の事は結構お気に入りみたいだった様で・・・。リストは弟子がブラームスとの交友に嫌な感情はなかったのかな。
(8/27-03:17) No.2765
ふゆひこ > その辺のことは、最近、音楽之友社から出版された『ブラームス回想録集』に、何か記述がありそうですね。立ち読みしただけですが、ブラームスはリストのことにもいろいろ言及していました(確か、ブラームス自身の発言として、“リストとは距離を置いた”という記述があったと思う)。今度買おうと思ってます。 (8/28-01:55) No.2769

ヴァンフリート荘 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/27(Fri) 02:38 No.2763

このサイトは有名でしょうか。バイロイトのワーグナー・ミュージアム、ヴァンフリート荘のサイトです。リストのこともいろいろ書かれてますね。ヴァンフリート荘の内部がどのような構造になっているのかが分かります。リストはヴァンフリート荘に来ると、1階の“パープル・ドローイング・ルーム”というところに泊まっていたようです。コージマのゲストルームとのこと。

http://www.wahnfried.de/

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ふゆひこ > “ドローイング・ルーム”って応接間のことなんだね。なんだ絵を描く部屋かと思った(笑)。“泊まった”という意味は間違ってるかも。 (8/27-02:57) No.2764

FRANZ LISZT PROJECT 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/22(Sun) 01:20 No.2719

“演奏会用大独奏曲”とかリストの大曲、珍しい曲を多数録音している、ヴィットリオ・ブレシアニが、フランチェスコ・ニコロッシというピアニストと組んで“フランツ・リスト・ピアノ・デュオ”という活動を行っています。そして“フランツ・リスト・プロジェクト”と銘打ち、大変興味深い活動を行っています。↓リスト・プロジェクトのサイト。

http://www.lisztproject.it/

ブレシアニのサイトもあります(どちらがメインサイトか、ちょっと分からない)。デュオのレパートリーでは、“ダンテ交響曲”の2台ピアノ版もあり、試聴も出来ます。“リスト・マルチメディア”というところでは、2台のピアノの周りに、『神曲』のドレの挿画に彩色したパネルを置くなど、大変、興味深いです。

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じょるじゅ > こういうの、ピアニストたちにどんどんやってもらいたいですね。
曲だけでなくリストの場合、インスピレーションの元になった絵、文学などを紹介することが本当に軽視されてますよね。本人は必ず入れているのに。
特に現代は絵や文学を大量にコピーすることなども簡単だし、マルチメデイアによる手法はもっと真剣に検討してもいいのではないかとよく思っていました。 (8/22-02:15) No.2721
ふゆひこ > 文学や絵画など他の芸術と関連させるのはリストの重要な理念ですよね。上のサイトで、ブレシアニとニコロッシのほかに、パオロ・ミシッシェ(?発音わかりません)ていう人がいますよね。この人がヴィジュアルアートの担当です。それで、僕は絵のパネルを飾るだけかと思ったら、スクリーンに映し出される映像のようです。で、パオロ・ミシッシェのコーナーをぜひ見てみてください。ダンテ交響曲のヴィジュアルつきの演奏模様が分かります。凄まじそうですよ。ものすごい効果でしょうね、これは。

でですね。マルチメディア・ダンテ交響曲で思い出したんですが、おとといから?始まっているはずの、例のニケ・ワーグナーが企画している、ワイマール芸術祭です。まさに、ブレシアニとニコロッシがワイマール芸術祭に、このマルチメディア“ダンテ交響曲”をひっさげて参加したようです。なんで過去形かというと、昨日だったようです。↓これはワイマール芸術祭のマルチメディア“ダンテ交響曲”のページ。
http://www.kunstfest-weimar.de/kunstfest.php?&nav=musik&view=ct_prevent_lisztmultimedia (8/22-23:33) No.2726
じょるじゅ > あれ〜、ワイマール芸術祭?バイロイトかとおもってた〜。
すご〜い。このダンテ。リストがすごく喜びそ〜。後ろのほうにアルマーニをきたリストがさくっと座っていたりしても不思議ではない。
こういう企画でツアーしてくれないかな。それともワイマールだからできる企画なのかな。 (8/23-02:08) No.2732
ふゆひこ > ワイマール芸術祭はリスト中心だし、バイロイト・フェスティバルに関連して、“ワーグナーとリスト”のアートが展示されるなど、今年はリストにスポットライトがあてられているようですね。これでツアーして欲しいな。日本に来ないかな。何もダンテや二台ピアノにこだわらず、いろんな組み合わせができるし。>アルマーニをきたリスト(笑)。違和感ない(笑)。オトマール・へールもリスト・プロジェクトも現代アートの感覚ですよね。 (8/24-23:54) No.2744
じょるじゅ > リストは1840年代の終わりごろ、ダンテかファウストシンフォニーの後ろにでっかい絵を飾る「劇場で見る音楽」みたいな構想を持っていたはずです。画家はドレではなかったと思うけど。ちょっとあの年代は詳しくないのでもう一度読んでみます。

へールの「スマートカー」の詳細がわかりました。「庶民のオペラ」ヴァグナーの構想を引き継いで現代人に切り離せないもの、つまり車のなかでオペラを体験するということで、ベンツからスマートの提供を受け街中に昼間自由に出入りできるように置いたという事みたいです。で、カーステレオでオペラ聞くみたい。(笑)
プレスリリースの所に英語版のPDFも入ってましたよ。そこで読んでみて下さい。

ほんと、ツアーして欲しい。
っていうか、サーク・ド・ソレイユ(前衛サーカス団体。色々なアーティスト、運動選手だった人などが入れ替わりパフォーマンスするプロデュース団体。ラスヴェガスではゲイ専門のパフォーマンスまでやってて芸術として昇華している団体。)が、色々な音楽家現地で雇ったのと、ツアー芸術家とまぜて視覚的なクラシック音楽パフォーマンス物でも作ってくれないかナーと。楽器決闘みたいなのも、ヴィクターボーゲ見たいに、道化ピアニストがいても面白いし。
(8/25-00:05) No.2745
Micci > yabe-!
isogashikute Hamelin sukkari wasuretemashita.
semete Scherbakov no ha ikitai. (8/26-02:40) No.2755
ふゆひこ > そのリストの構想、興味深いですね。僕も調べてみます。英語のPDFありましたね。気づきませんでした。うーん、スマートの中で音楽聴いてもな…(笑)。ベンツとかがいいな。それでは庶民的ではないのか(笑)。“庶民のためのオペラ”原文は“opera for all”だったかな(PDFファイル閉じちゃった)?なんとなくワーグナー作品から感じないんだけど、初期のワーグナーの芸術観のようですね。>Micciさん、アムラン、残念ですね。ワイマール芸術祭は、まだ他にもいろいろ興味深いイベントはありそうです。 (8/27-02:10) No.2760

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