ホルシャニの「ハンガリアンラプソディ」 投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/08/24(Tue) 00:35 No.2737

フランツリストの恋と生活
英語版のほうを日曜の午後の読書に選んでみました。4歳の息子がお隣のお友達に「ほらファン・りー(リストのこと)の本だよ」とか言っちゃってて上の息子が絶句してました。
この本、息子には「リストの本だよ」なんて一言も言ったことが無いのに。表紙にそれらしきイラストがついているからなのか?

それはさておき、
この本、いろいろと面白く実際にイベントにそって書かれているわけですが、
幾つか脚色された例を挙げると
私が「マリープレイエル」の所で書いた「ショパンの部屋ランデヴー事件」の相手がプレイエルではなく、ラプルナレーデ夫人と別れるための逢引につかわれた事になってます。「あなたのことなんか大嫌いだ」といいつつ反対の行動にでてしまう「若いリスト」がでてきます。こういうところが笑っちゃうんだよね、もし事実だとしても。
で、勿論ショパンがオカンムリでした。(そこは事実。母上と姉上の写真の話しも出てきます)

私がもう一つHP本文「危険分子」で各国エージェントに監視されていること「エヴァハンスカ」でも少しコメントしたようにリストがポーランド擁護主義者であることを警察署長がロシアにレポートするくだりが出てきます。(細かいんですよ、この人も)
で、その絡みで「二重スパイ、マリー・カレルギス」との関係が示唆されていて「へえーそうだったのかあ〜。」なんて思ってしまったり。時期的に愛人関係になったとしたらちょうどそのときだろうとは思うので「真実味」が高いんです。いま練習している「小さなお気に入りのワルツ」は「即興ワルツ」の原曲なんですが、カレルギスに献呈されたこのヴァージョンはリストは一生出版しないで大事にしていたようです。{Pettite Valse Favorite(これらの記事はリンクから参照できます)

カレルギスの母親はやはりポーランド人という事になってますね。私はそこが確認できないんですが。(父親はネッセルローデ伯爵。ロシアの宰相なのかその人物の従兄弟なのか、ゴルチャコフと同様、確認できてません。)

ちなみに「だるべると」氏が興味を抱かれているダグー夫人とフランツの出会いは事実に忠実でした。

ホルシャニ氏は小説ということで時々実在の人物を違う時代に持ってきたりしていますが全体の流れは事実とほとんど同じです。(こういうの読むと後で混乱しちゃうからあまりちゃんと読んでないんですよ実は。)

第一部「アダムリスト」子供時代
第二部「リリン・サンクリック」思春期
第三部「マリーダグー」青年期
第四部「カロリーネ・ヴィトゲンシュタイン」壮年期
第五部「コジマリスト」晩年

木村氏は伝記的小説のどこに「文学的意味」を見出したんでしょうか。



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ふゆひこ > 僕は図書館で、あとがきと1880年代をパラパラしか読まなくて(EAST MEETS LISZTの話が目的だったので)、中身はほとんど読んでません。だいたい小説みたいな感じだな、と。原田光子さんの『フランツ・リストの生涯』もそうですが、ホルシャニもやはり読み物として書くために、相応の資料研究を行っているようですね。“あとがき”に書かれていたことは、木村毅は(本が手元にないので引用できませんが)、“文学的意味”を見出したのではなく“自分が読んで面白い”と思ったものを選択したようです。なのでリスト自身の生涯が木村毅にとって面白かったんでしょうね。 (8/25-00:20) No.2748


リストの弟子たち ≪ダルベール〜アンゾルゲ〜メンター≫投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/19(Thu) 03:15 No.2682

またまた、おじゃまします〜♪こんばんわ〜ふゆひこサン。先日はリストの写真集の件でアドバイス頂き本当に有り難うございます。さっそくamazonに注文しました。来るのがスゴク楽しみです。さて・・・話は変わるのですが、最近「リストの弟子たち」と言うグリーンドア音楽出版から出ているCDを購入しました。レコード芸術に掲載されていたので迷わずタワーレコードに注文して手に入れました。リストの録音がないのでこれは貴重だと思い買ったですが、ふゆひこサンご存知ですか?フリードハイムやザウアーなどの有名どこは知っているのですが、コンラート・アルゾルゲとかアサーデ・グリーフとかヨーゼフヴァイス等は今まで一度も聞いた事も無い人達でした。僕個人としてはザウアーが好きです。アノ滑らかなベルベットのような音色はたまりませんね。ちょっと可笑しかったのが、ダルベーアが弾くモーツアルトのトルコ行進曲なんですが、後半かなり音をハズシまっくててビックリしました。第2のタウジッヒと呼ばれた人なのに・・・。ふゆひこサンはどの弟子に興味や関心がありますか?

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ふゆひこ > それは、VOL1〜2になっている、なんか赤紫っぽいジャケットのやつかな。お店で手にしたことあります。アンゾルゲとかグリーフ、ヴァイスなんて、聴いたことがあるどころか名前もぱっと思いつきませんでした(笑)。ザウアーの演奏は、ピアノ協奏曲のものを持っています。これは素晴らしい演奏ですね。ダルベール聴いてみたいな。僕は聴いてみたいのは、あとゾフィー・メンターの演奏が聴いてみたいです。ただこれはピアノ・ロールであるだけで、CDとかは出ていないようなんです。 (8/20-00:43) No.2688
ふゆひこ > いつも引用している『アラウとの対話』(ジョゼフ・ホロヴィッツ著 野水瑞穂 訳 みすず書房 1986年3月発行)で、とても面白いアラウの発言がありますよ。P107です。

“アラウ (略)ダルベールは練習というものをしませんでしたから。ダルベールもたいへんな技術をもっていた人です。しかし作曲をするためにピアノ演奏の方に興味を失い始めたのです。それでもやはり、リストのソナタを演奏すればみごとなものでした。音符の弾き間違いもいっぱいあり、パッセージを飛ばすこともありました。しかし、全体を統合しているその情感はすばらしかった。どの思いも、その一つ前の思いから生まれ出たものなのです。
ホロヴィッツ その当時、音の弾き誤りは一般にあまり気にされなかったのですか。
アラウ ええ、天才とはそういうものだと思っていたのです。
ホロヴィッツ 現実に、弾き誤りも歓迎されていたということでしょうか。
アラウ そうです。それが天才の権利だったのです。”

この後、ジョーゼフ・ホロヴィッツは“他にその権利が許された”天才は?と問い、アラウは、コンラート・アンゾルゲの名を出します。弾く音すべて間違いだらけだったそうです(笑)。 (8/20-00:54) No.2689
だるべると > こんばんわ〜ふゆひこサン。え!?あのメンターのピアノロールがあるんですか!初耳です。メンターと言えば、アラウとの対話にちょっと話が出てきますよね。犬を沢山飼ってる等の話が印象的でしたが・・・。メンターの録音が残ってるならテレサ・カレーニョなんかの音源もあるのでしょうかね・・・両者とも聴いて見たいですね。序に、これは信憑性が疑わしいのですが、ビューローが蓄音機にショパンの曲を残したと噂めいた事を聞いたのですが?話半分てとこですかね。 (8/20-01:11) No.2691
だるべると > 何回も「アラウとの対話」読んだのに・・肝心な部分を忘れていたんですね僕は(笑)反省してもう一度読み返してみます。これではリスティアン失格ですね(笑) (8/20-01:20) No.2692
ふゆひこ > “PAST LOG”のところに、『ゾフィー・メンターのピアノロール』という記事があって、そこで、ピアノロールのサイトへのリンクがあります。“Rollography”のところから、メンターのロール、カレーニョのロールも確認できます。ビューローの演奏が残っているというのは知らないです。でもビューローの没年(1894年)を考えると、蓄音機に残されていてもおかしくはないですね。前にmicciさんが“サン=サーンスの自作自演のものが最古のたぐい”というように言われていたと思うので、ビューローはちょっとつらいかな。あるいは録音したけれども、現存しないのかもしれないですね(録音媒体の最初期のものは寿命が短いと思うので)。 (8/20-01:47) No.2694
ふゆひこ > 僕の読書方法なんてひどいもので、だいたいパラパラめくって面白いところしか読んでませんよ(笑)。アラウの評価基準は厳しくて、パデレフスキーは“大ピアニストではない”、ゴドフスキーは“テクニックはすごいが、演奏は退屈”という(←正確な引用ではありません)発言をしていますね。アラウは他に、レコーディング時代の完璧主義、テクニック重視の傾向を非難する発言をしていて、その流れのなかでダルベールやコルトーへの評価がたいへん意味を持ってきます。 (8/20-01:55) No.2695
ふゆひこ > ↑すんません。NO2689の僕の書き込みで、まるでアンゾルゲの演奏が全部間違ってたかのように読めてしまいます。アラウの発言を正確に引用するとP107

“コンラート・アンゾルゲですね。音楽家としてすばらしい人でした。ときには弾く音すべて間違いだらけということもありました。”

という発言になります。“ときには〜こともありました”をはしょってしまいました。アンゾルゲごめん。 (8/20-01:59) No.2696
だるべると > ゾフィーメンターのピアノロールあったんですね。ビックリです!製品化してもらいたいですね。NAXOSあたりで頑張ってくれないかな・・・。序に寄り道して、「PictureHistory」も覗いて見ました。ゾフィーメンター綺麗な人ですね!存命中はさぞかしモテたでしょうね(笑)カレーニョやその師のゴットシャルクの写真まで掲載されてて驚きました。 (8/20-03:04) No.2697
Micci > izen kochirani kaita koto desuga Arrau ha Kempff ya Edwin Fischer ga gikou wo juushi shinai kotowo hihan shiteimashitayo.
レコーディング時代の完璧主義、テクニック重視の傾向を非難
toiunoto mattaku gyakuno kotodesune.
risouga takai no deshouka. (8/20-06:34) No.2698
ふゆひこ > “PictureHistory”というのは、写真に星マークが入ってるところですね。僕もそこでゾフィー・メンターの写真見ました。メンターは美人ですね。『アラウとの対話』で晩年のゾフィーをアラウが衰えない美貌を褒めていますね。 (8/21-02:26) No.2702
ふゆひこ > そういう発言もあるのですか。『アラウとの対話』で、ボレットのことについて何か言っていないかな、と思ったら、ボレットが“楽譜に書かれている細かいことをいちいちそのままに受けとるなんて、“ばかげている”と思う”と言った発言についてあきれていました(P143)(ボレットの発言の真意・出典は知りません)。あと随所で発言されるのですが、アラウは練習を熱心に行い、楽譜を研究し忠実に演奏しようとする姿勢のようです。読んでいて思うのは、アラウは、すごくオーソドックスな芸術観を持っている。すんなり受け入れやすい。あれだけのキャリアと才能を持って、とてもオーソドックスでシンプルな芸術観を語りますね。極論に走らずに、バランスのとれた感覚だと思います。僕なりにmicciさんの最後の記述を解釈すると、テクニックと情感、インスピレーションのすべてを尊重し追求するという高い理想、感覚を持っている、と思いました。 (8/21-02:40) No.2703
Micci > iroiro shirabeteiruto Arrau ha
"Rachmaninoff no ongaku ha nakamiga nai"
"Gieseking no Debussy ha oto wo dashiterudake" toka
itteimasu. Cherkasky mo bassari kirareteimashita. (8/22-00:04) No.2715
だるべると > 『アラウとの対話』で面白い一説が載ってますね。p209にアラウがジョン・トラボルタの映画について発言が、ちょっと以外で笑えました。映画グリーズについて「あれは彼の踊る姿を充分見せてないと思いました」トラボルタの踊りに相当魅せられていたのでしょうね(笑)こうゆ発言はほかのピアニストからは聞けませんね(笑)やはりラテン気質のアラウだからこその発言なんでしょうか?骨董品といい結構多趣味だったんですねアラウは・・・ (8/22-01:20) No.2720
ふゆひこ > 『サタデーナイト・フィーバー』の記述のところですね。それには僕も笑いました(笑)。その発言のあとは、実際にアラウが踊ることが好きなことを発言してますね。アラウはほんと面白いです(笑)。 (8/22-23:46) No.2727


Busoni vs Godowsky 投稿者:Micci 投稿日:2004/08/20(Fri) 06:46 No.2699

"His big rival there(Berlin) was Busoni.(ryaku) Noel Straus remembered Godowsky leading with a Liszt recital and Busoni trumping it with a program of nothing but Liszt transcriptions."
from "The Great Pianists" by Harold C. Schonberg

izen kochirade sukoshi kakimashitaga sonomama inyou shimashita. Noel Straus ha Godowsky no deshi noyoudesu.

sorenishitemo Godowsky ga naniwo ensou shitaka shiritai!

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ふゆひこ > なんかリストとタールベルクの前哨戦の頃を連想しますね。互いを意識したようなプログラムを組むという。メンターのロールの話が出たので、前にmicciさんに紹介してもらったピアノロールのサイトにちょこちょこ行ったのですが、そこでゴドフスキーのサイト内サイトのようなものがありました。ご存知でしたでしょうか?

http://www.godowsky.com/

バイオグラフィーをちらっと読みましたが、ゴドフスキーのベルリンでのプログラムは分からなかったです。代わりに、僕は知らなかったのですが、ゴドフスキーはリストに師事するためにワイマールに向かってるんですね。ところがそれは1886年の話。ゴドフスキーがフランスにちょうど到着したころに、リストは亡くなってしまったとのこと。 (8/21-03:00) No.2705
ふゆひこ > すんません。過去ログ見てたら、micciさんがすでに『ゴドフスキ』のところで参照されたサイトのようで、リストに師事するためにワイマールに向かったことも紹介されてましたね。すっかり忘れてました(笑)。 (8/21-14:36) No.2712
Micci > Wahaha! godowsky no shuyou na site ha subete check shitearimasuzo!
Godowsky no denki mo kacchaoukana to zu-to mayotte imasu.
Petrov no CD ga nihon nimo haitta youde yokatta desune. futsuuno CDya san nimo hairuno deshouka. moshisoudattara dorekurai ureruka kininarimasu. (8/22-00:01) No.2714
ふゆひこ > 失礼しました(笑)。ゴドフスキーの本も、上述のサイトに記載されてましたね。その本に、ゴドフスキーのリスト・リサイタルの曲目などが書かれてるかもしれないですね。ペトロフのCD、すでに愛聴盤になってます。普通のCD屋さんではまだ見ないですね。流通の問題だけなんだろうな…。店頭に置けば、絶対売れると思うけど。唯一のウィークポイントは、ジャケットがいまいち(笑)(裏ジャケットはかっこいいけど)。 (8/22-00:49) No.2717
Micci > izen Godowsky ga "Piano no Buddha" toiu Nickname de yobaretakotoga aruto kochirani kakimashitaga, kore yappari gaiken ni yurai shiteiru rashiidesu.
Hahaha! obaka de gomen nasai.
sorekara fuyuhikosan ga izen oshietekuretayouni Busoni no chapter ha title ga "Dr. Faust at keyboard" ni natteimashita. (9/3-09:02) No.2825
ふゆひこ > 前に会話しましたね。すっかり忘れてました(笑)。過去ログでみたら『guess who2』というところでした。“ピアノのブッダ”VS“鍵盤のファウスト博士”、取り上げるのは“メフィストーフェレス神父”の作品(笑)。 (9/4-02:35) No.2829

ボリス・ベレゾフスキーのリスト 投稿者:ゼブラ 投稿日:2004/08/18(Wed) 22:39 No.2677

はじめまして。CDの回想でも高く評価されてるベレゾフスキーの超絶技巧練習曲全曲ですが、映像版(DVD)超絶技巧練習曲でも全曲凄い演奏内容で、鬼神のような迫力、風貌、集中力、ファンタジー、感動しました。例えば第2番 イ短調では完全12度が楽に届く怪物級の大きな手でのみ可能な技巧、マゼッパ後半のAllegro decisoでの猛烈な技巧はかなり凄いです、けど偶然なのか解釈なのか判断できませんが楽譜に忠実じゃない箇所があり、この箇所見つけるだけでも面白いですよ。またボーナストラックとして第10番の断弦ヴァージョンも収録されていてリストマニア必携アイテムなのかも知れません、価値のある演奏内容、映像、価値のあるDVDで楽しめました。

DVD詳細→http://www.digisite.jp/dt/titles.php?g=5&i=101 
フェスティヴァルのHP:http://www.festival-piano.com/


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ふゆひこ > はじめまして。おお、そのDVD、何度かお店で手にしたのですが、値段がそれなりにするので買わずじまいでした。ベレゾフスキーの超絶技巧は音楽性もテクニックも凄いし、斬新な解釈が大好きなのですが、DVDで買うのなら、標準的な解釈の演奏がいいかな…と贅沢な希望がありまして(笑)。紹介いただいた文章を読んで、これはぜひ手に入れて観てみたいと思います。このDVDのシリーズで誰かの演奏でソナタロ短調もあったような…。それも聴いてみたいです。フェスティバルのHPも内容濃いですね。基本的に屋外なのかな。 (8/19-00:21) No.2680
ふゆひこ > ↑フランソワ=フレデリック・ギイのやつでした。ソナタロ短調の他に、下で話にでた“孤独の中の神の祝福”も収録されてますね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000CGAPF/qid=1092842639/sr=1-8/ref=sr_1_10_8/250-8802058-8801810 (8/19-00:27) No.2681
ゼブラ > ベレゾフスキーのコンサート会場は室内だと思います。証明のせいか、ものすごい汗の量でピアノの下に水溜りができるんじゃないか?って思えるほど汗出してます(笑)聴衆はの反応も大変良くリヒテルの演奏会のようで白熱した演奏会と感じます、お奨めですよ^^。またこのシリーズではギイの他にヨーロッパで人気のあるリベッタの演奏会もあり今度購入してみようかと思ってます。演奏曲目も注目でなかにリストの死の舞踏があります。
http://www.digisite.jp/dt/titles.php?g=5&i=96 (8/19-21:41) No.2687
ふゆひこ > ベレゾフスキーのは屋内ですか。ラ・ロック・ダンテロンのフェスティバルというのは、いろんな形態で取り組む面白いイベントのようですね。わはは(笑)ピアノの下に水溜りですか(笑)。鍵盤から煙を出すホロヴィッツの後にベレゾフスキーが演奏すれば、ちょうどいい消火器になったのに(笑)。おお、ピアノ独奏版の“死の舞踏”が映像で見れるなんて!しかもリゲティのエチュードも入ってるし。うーん、3つとも買いたい(笑)。 (8/20-01:38) No.2693

旅人のアルバム 投稿者:クララ 投稿日:2004/08/17(Tue) 15:57 No.2667

はじめまして。つい2,3日前に、このLISTIAN'S BBSを知りました。私もリスティアンとしては初心者ですがリストが大好きなので興味深く読ませていただいています。実は機会があれば「旅人のアルバム、S156、R8」を全曲演奏してみたいと思っているのですが、ブダペスト社の楽譜には(印象と詩)が全曲ありません。そこでお力を貸していただきたいのです。旧作品全集の「フランツ・リスト音楽作品全集」には全曲載っているのでしょうか?また、この旧作品全集、あるいは別の手段で旅人のアルバムの楽譜を入手する方法はあるのでしょうか?

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ふゆひこ > はじめまして。なるほどEMBの新リスト全集では“スイス”の初期バージョンと位置づけられる作品が除外されてるんですね。旧全集で含まれていたのかどうか、ネット上でちょっと調べてみましたが、分かりませんでした。旧全集って緑色のやつですよね。お店に置いてあると思うので、参照すると何か分かるかもしれません(巻末刊行済リストとか)。“PAST LOG”のところで“2003年12月25日〜”のページで“旅人のアルバム”の楽譜について会話されたことがあるのですが、富山の図書館から取り寄せることができたとか…。これが全曲入っている版なのかどうかもちょっと分かりません。富山の図書館って桐朋の図書館のことだったのかな?http://www.tohomusic.ac.jp/librarySite/libIndex.html
ここで検索かけて問い合わせてみるというのも手かも。 (8/18-00:57) No.2671
ふゆひこ > 興味があったので、桐朋の図書館のサイトで検索してしまいました。↓検索結果の直リンク。
http://tohoopac.tohomusic.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/search?sessionId=20040818%2e0157;sessionSeq=5439;sessionLang=jpn;sessionCode=jis;search=search;searchmode=link;linkcategory%2dbook=on;user12=006605
旧版の“巡礼の年”の巻にもどうやら、全曲は入ってないようです。他に入ってるのかもしれませんが。SCHOTTで、初期稿のいくつかオーベルマンとかはありますね。 (8/18-01:05) No.2673
じょるじゅ > 私の手元にあるのが一応未完「旧全集」だとおもうのですが。
まず
Lyon (Impressions et Poesies)

Bool 2 Fleurs Melodiques des alpes 
1番から9番
Book 3 Op10-1番から3番
が収録されてます。
EMBにImpressions et Poesiesが収録されていないとのことですが、もしかすると違う巻に含まれている可能性があります。自分の曲のピアノアレンジメントのシリーズの付録辺りにありそう。
EMBの編集方法は謎です。
Henleの巡礼にはオーベルマンの1842年版が付録に入ってます。

(8/18-09:02) No.2674
クララ > 早速にお返事いただいて感激です。旧全集に全曲載っているのではないかと思ったのは、音楽之友社の大作曲家シリーズ「リスト」エヴェレット・ヘルム著、野本由紀夫訳の251頁の記述から新には歯抜け状態だが、旧には入っていると読み取れるからです。また、13ページに旧全集の「リスト作品全集」はブライトコプフ社から、ペーター・ラーべが中心となって編集されたとあります。 (8/18-18:04) No.2675
クララ > このサイトのピアノ独奏曲の中でレスリー・ハワードが旅人のアルバムを演奏しているのを見つけました。まだ聴いていないのですが、彼は一体どの楽譜で演奏したのでしょうか?それから、桐朋の図書館富山院にAlbum d'une voyageurが出版Kalmusで見つかりました。内容までは私の能力では調べられなかったのですが。富山院は8月中お休みらしいですね。同じく桐朋の仙川書庫にTagebuch eines Wanderers,出版Farnboroughの並列書名の中にAlbum d'une voyageurがあり注記にReprint of :Leipzich:Breitkopf&Haltelになっていました。このあたりが本命なのでしょうか。私は幼児を抱えながらマイペースで勉強(主に演奏ですが)しているのでフットワークがなくて時間がかかりますが頑張ります。 (8/18-19:13) No.2676
ふゆひこ > すいません。僕は完全に間違って理解してました。おっしゃられるとおりリストの作品全集は旧全集がブライトコプフ&ヘルテルから1907年から刊行されたもので、新全集がEMB版なんですね(本屋にある緑色のEMBが旧全集なのかと思ってました。僕のNO2673の書き込みの最後の文章はこの勘違いをもとに書いてしまってます)。

ハワードの20巻は昨日も参照したのですが、ざっと見た感じ、どの楽譜を使ったか、ということは書かれていませんでした。ただ、BOOK IIIのパラフレーズの3曲については、CDのハワード自身によるライナーノーツにこう書かれています。

“The text followed here is that of the Liszt-Stiftung, which represents Liszt's final thoughts”

“LISZT STIFTUNG”というのが旧リスト全集のことですね。クララさんのおっしゃられるとおりブライトコプフの版が本命のようなのですが…。じょるじゅさんの持っているものだと“印象と詩”からはリヨン以外は入ってないようですね…。いちおう、ブライトコプフの旧リスト全集の刊行一覧のページ、見つけました。第4巻です。

http://www.universitymusicedition.com/liszt.html
(8/18-23:56) No.2678
ふゆひこ > ↑この編纂協力者のメンバーすごいですね。ブゾーニ、ダルベール、バルトーク、モッタやシュトラーダル、シュターヴェンハーゲンもいる。 (8/19-00:10) No.2679
じょるじゅ > 旅人のアルバムの話題ついでに。
これ、ジョルジュサンドのLetteres d'un Voyageur,そしてリスト自身の返答作 "Letteres d'un bachelier es musique"(英語題名Artist's Journey)との関連作品なんです。
当時「カブレ」ていたリストは人生を満喫しておりそれがよく出ています。anneesはそのあと完全にピアノ作品として編集されているので完成度としては高いのかもしれませんが。
ちょっと日本でサンドの「旅人の手紙」が邦訳されているのかわかりませんが。この本の中の手紙7はリスト宛です。リストを「弟よ」と読んでいる親密さと彼を「世紀の改革者」とたたえる文章が最初から最後までちりばめられ事実と彼女の想像が非常にたくみに表現されています。今でこそリストは歴史に名を残す芸術家ですが、当時そこらピアニストのひとりに過ぎなかったリストにとってフランスきっての女流作家に公開書簡にあれだけ親密な友情と愛情を表現されて「あなたの筆跡を見るだけで嬉しい」となるのは無理も無いことです。
この手紙7と彼の自分のシリーズでの返答(こちらもサンドを「兄へ」とよんでいる。)はあきらかに「二人の絆の深さ」を隠すことなく表現しているのでダグー夫人が当時「芸術によって結ばれたあの二人の間に入っていくことは不可能である」と書き残しているのは夫人とリストの関係の絶頂期であっただけに傍が当時噂を立てても仕方が無いことが良くわかります。


サンドの手紙5を読んで感動したリストはサンドにこのシリーズを継続するように勧めます。
そしてリストは自分のシリーズも雑誌に掲載することになります。それがうえの手紙への回答も含めた英訳版「芸術家のたび」です。
この中には勿論リストがサンド宛てに書いたものの中に当時センセーションを巻き起こしたものもあり彼の「カブレ」ようが良くわかります。(文学的批判力のあるハイネに悪口を言われてもしょうがないかも。)当時の雑誌に掲載されたのですが彼の女性遍歴の告白などまであって、リストのロマン派「野生児ぶりとさまよえる芸術家ぶり」が本人の(という事に一応なっている)表現でよく伝わってきます。
すごいエネルギーを感じる文章ですよ。
(8/19-04:29) No.2683
じょるじゅ > ところで、リストの「公開書簡」の受取人はサンドだけではなくダグー夫人との共通の友人、ロンショウ、アドルフ・ピクテ、ハイネ、友人のヴァイオリニストランベール・マサール、ベルリオズなど多彩です。
(8/19-05:29) No.2684


EAST MEETS LISZT 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/13(Fri) 12:16 No.2636

伊藤博文、西園寺公望とリストの邂逅についての記述で、中村紘子さん以外の出典を見つけました。原田光子さん著の『フランツ・リストの生涯』(第一書房 1944年2月20日 第1刷発行)です。その箇所、全文、引用します。P442〜443。

“この頃ワイマールの王室の慶事の祝宴の席で、リストの演奏は祝典に参列した二人の東洋の客人に深い感銘を與へた。それは明治の黎明を迎へて、今や世界に雄飛せんとする東方の若き國日本を代表して、その席につらなつてゐた年西園寺公望公と伊藤博文公の二人であつた。伊藤公は憲法發布を前に歐州各國の憲法研究の重大使命を帶びて滯歐中、はからずもリストの演奏を聽く機會に惠まれたのである。輝しい日本の將來への美しい夢が、心に滿ち溢れてゐた伊藤公は、リストの絶妙至藝の演奏が終つた時、上氣した顔をあげて傍の西園寺公を顧みた。
「こんど東京に創立する音樂取調所(東京音樂學校前身)の指導者に、あの老人を招聘出來ないものでせうか。實に見事なものですね」
長らくフランスに暮し、當時リストとも舊知の間柄であつたと云はれる、欧州文化事情に明るい西園寺公は、西洋の一切の最も優れたものを日本に移入し、養分としようとする伊藤公の熱情と率直な言葉に微笑を禁じ得ないのであつた。西園寺公は藝術家リストの歐州に於ける社會的地位を説明して伊藤公の希望の實現が如何に無理な注文であるか、納得して貰ふのに骨が折れたと、後年述懐されたというふ。”

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ふゆひこ > 原田光子さんといえば、クララ・シューマンの著作でも非常に名高い人ですね。1944年の段階で、原田光子さんは、リナ・ラーマンやユリウス・カップを含む、多くの基本書をベースにリストの生涯をまとめています。日本で出版されたリストの伝記で基本書の地位を占めておかしくない情報量を持つ良書です。ただし、これは原田光子さんのスタイルですが、セリフを多用して読み物としての面白さを目指しているため、情報の出典が分からないところがあり、そのため僕もあまり参照していませんでした。 (8/13-12:24) No.2637
ふゆひこ > さて、中村紘子さんの著作は1992年出版。『伊藤博文 フランツ・リスト』のスレッドに書きましたが、中村紘子さんは、西園寺が死んでから30年後ぐらい、晩年の近衛秀麿から話をきき、それから20年後、近衛秀麿も死んでしまったときに、記憶で(おそらく原田光子さんの記述も参考にしたのでは?)書いている。それに対して、原田光子さんは、西園寺が死んでからまだ4年、近衛秀麿ももちろん存命中の記述です。時間の経過量を比較すれば、原田光子さんの方が信憑性が高い。 (8/13-12:30) No.2638
ふゆひこ > で、原田光子さんの記述ですが、やはり重要なところは“と云はれる”“といふ”とまた聞き文体ですね。それと原田さんは、このエピソードを著作のなかで、ワーグナー死去の後で記述されているので、時系列がおかしい。年代を特定することを避けていますね。音楽取調所は、すでに“この頃”には存在している音楽取調掛が1885年に名称を変えたものです。原田さんが書いた伊藤博文のセリフは、間違っていないけど、ぼかして書いている感じがします。 (8/13-12:40) No.2639
じょるじゅ > うちの父がこういう旧文体で文章書くんですよ。いまだに。新制教育制度ができてから学校にいっていないからしょうがないけど。(笑)
本文に戻ります。
ほかのことについても時間的な記述はないのですか?私たちの調べた日にちは幾つか当てはまりそうなものがありましたがほぼ間違いないと思うのです。
ところで原田さんは西園寺や近衛に直接取材している可能性があるのですか?
それともふゆひこさんの指摘されたように「又聞き」でしかないのでしょうか。
原田さんの記述の中では「西園寺とリストが既に旧知の間柄」だとなってますがこれもどのようなルートで明らかになったのか是非知りたいです。(私の仮定に完全に当てはまるので余計興味あります。)つまり、状況的な証拠だけでも同じ文章は書けるわけですよね。
ユリウスカップの伝記は日本で入手できるのですか。
こちらでは古本で少し出回っているようですが特に買おうと思ったことがありません。
(8/14-02:00) No.2642
ふゆひこ > 原田光子さんは、非常に短命だったんですね。ネット上ではあまりキャリアが紹介されてませんでした(これだけの人ならNHKのドラマになりそうなぐらいなのに)。有名なクララ・シューマンのサイトで、原田さんの写真等が公開されてました。簡単なキャリアがそこで分かります。僕が“また聞き”と言ったのは、上記の引用した文体からです。著作の全体の流れのなかで、このエピソードは“おまけ”みたいな感じで差し挟まれています。他の箇所で記述はないですね。原田さんは近衛秀麿とは付き合いがあったんじゃないかな、けど近衛秀麿に直接取材まではしてなさそうです(エピソードの取り扱い方からの推測)。 (8/15-21:39) No.2648
ふゆひこ > はしがき、のところを読むとですね、木村毅から資料を提供してもらったことに感謝の辞を記しています。木村毅は先述の『西園寺公望自傳』の編者ですね、他にも西園寺公望関連の著作が多い。木村毅から、このエピソードの資料を借りたのかもしれない(話を聞いただけかもしれない)。木村毅は、小学館『日本大百科全書 6』(1985年初版)P677で調べると、出版界への功績が大きく、明治文化研究会の会長を務め、明治文化関連の著作が多いですね。木村毅が何か書いていそうです。で、同姓同名の“木村毅”がいるのかどうか分からないんですけど、1979年にハルサニーの本が『フランツ・リストの恋と生活』として旺文社から邦訳されており、その訳者が“木村毅”です(ややこしくなってきたな…また図書館いって調べてきます)。ユリウス・カップの『フランツ・リスト伝』は邦訳されたもので、古書で流通しています。僕は北海道の古本屋から購入しました。 (8/15-22:23) No.2650
ふゆひこ > うーん、なんか『フランツ・リストの恋と生活』のあとがきとかになんか記述がありそうな気がしてきた。 (8/15-22:29) No.2651
ふゆひこ > 国会図書館で『ハンガリー狂詩曲 フランツ・リストの恋と生活』ホルシャニ著 木村毅 訳(旺文社文庫 1979年3月出版)を参照してきました。木村毅自身による、記述では“あとがき”があるのみで、そこには“EAST MEETS LISZT”(←勝手に命名)についての記述はありませんでした。この辺の人物関係は面白いですね。ホルシャニ著のリストを翻訳しているのも、西園寺についての著述を多く残しているのも、そして原田光子さんに資料を提供しているのも、同じ木村毅です。この1979年出版の『ハンガリー狂詩曲 フランツ・リストの恋と生活』という文庫は、現代仮名使いで再版されたもので、もともとはそれより30年ほど前、1949年頃かな?その頃に翻訳されたようです。木村毅のあとがきから引用すると、P321

“敗戦のあとに大混乱の起こるのは免れ難い。終戦直後、日本の文学は全く羞恥の念を失うて、「肉体の門」で象徴されるような作品が主流を占めて来たのは、われわれ年長組の眉をひそむる所となった。「何とかしようではないか」という考えで、寄り集ったのが大佛次郎、山内義雄、西条八十、岩田豊雄(獅子文六)、木村毅の五人である。私のほかは今やみな故人だ。「ひとつ、自分自身でひそかに愛読していて、人にもすすめ、出来るなら翻訳したいと思っているような作品をもちよって、叢書を作って、文壇に提供してみたらどうだろう」という相談がなり立った。”

そして木村毅が選んだのが、本人が外貨流出制限のため輸入の制約があるなが、無理して取り寄せて愛読していたホルシャニの著作だったとのこと。 (8/17-00:16) No.2656
ふゆひこ > 西園寺公望がフランス留学中にリストと知己になったという記述は、かなり出回ってますね。1990年に高島屋で開催された『西園寺公望展』のパンフレット(国会図書館所蔵)にもその記述はあります。 (8/17-00:19) No.2657
ふゆひこ > 木村毅による別の西園寺についての著作も1冊だけ参照してきました。『西園寺公望傳』(傳記刊行會 1937年8月25日発行)P92

“小説家ゴンクウル兄弟と往復してゐた事は、ゴンクウルの日記に見え、ビユルテイやヂユデイツ・ゴオチエと交はつて劇場にも出入し、音樂家リストとも友交があつたやうである。”

ここでもリストとのことは“やうである”という不確実な文体です。 (8/17-00:29) No.2658
じょるじゅ > ホルシャニと発音するのですね。
あの、怪しい本。(笑)英語版持ってますよ。少年リストが英国に行ったとき同年代の少年に「恋愛のこと考えたことある?」とか聞いちゃったりしちゃってて、相手の少年も黙っちゃったりして二人とも話題がなくなっちゃたりしちゃうというかわいらしいことになってました。そのあとは恋愛遍歴・・・で、ダグー夫人に行き着くまでに本が半分終わっちゃっている。そうです、残りの50年近くを半分でさくっと。結構密かに楽しんでます。そんな高尚な意図があって翻訳されていたとは。(笑)それよりも木村毅による翻訳が出ていたという事がすごい。
関連が無くて残念。でも何か知っていそうですよね。 (8/17-14:34) No.2662
じょるじゅ > http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2742734813/qid=1092721011/sr=1-19/ref=sr_1_8_19/171-4431136-9950646
これがホルシャニーさんの本の「仏語版」
なんか英語版とも少し内容が違うような感じだったが。辞書を引いて読んだ限りでは。だから日本語で読んでもさらにちがうかもしれません。(笑。) (8/17-14:54) No.2664
ふゆひこ > この『ハンガリー狂詩曲』ホルシャニ著 木村毅訳は、比較的新しいので古書店で探せば手に入るかもしれないです。木村毅さんは、辞書を引いて原語発音に近いホルシャニという表記を用いているので、これが正しいんでしょうね。ユリウス・カップの翻訳、原田光子さんの著作、そして木村毅のホルシャニの翻訳が出揃った1940年代末あたりが、実は日本で一番リストについての文献が揃った頃だったのかもしれないです。 (8/17-23:57) No.2668
ふゆひこ > おまけ。今日、本屋によったついでに新潮文庫のラディゲ『肉体の悪魔』のあとがきあたりを立ち読みしました。上で、木村毅さんが『ハンガリー狂詩曲』を翻訳した意図として、ラディゲの『肉体の門』が主流となっているような風潮に対する意思表明的なことが書かれてますが、実際ラディゲの『肉体の悪魔』は、当時高い評価を受けたのですが、それを戦後の混乱期における文学・芸術の空疎感に上手くはまっただけ、と見る節があったとのこと(←正しい引用ではありません。立ち読み知識)。それが木村毅さんの文章にも表れている。しかしそこで選ばれたのがホルシャニのリスト伝というのが笑える(笑)。 (8/18-00:03) No.2669
じょるじゅ > 「肉体の悪魔」はうちの父がやはり評価してましたよ。第一次大戦後に生まれ思春期を戦争の真っ最中に過ごした両親は正にその混乱をリアルタイムで体験していたわけでその評価の仕方も判るような気がします。
木村さんが「リスト伝」を評価していたというのはすごく面白いです。もう一度、文学的な観点から読み直して見ます。(笑)
(8/18-01:04) No.2672


リストの写真集 投稿者:だるべると 投稿日:2004/08/16(Mon) 03:28 No.2653

こんばんわ&初めまして、ふゆひこサン。このサイトよく見てますョ!リストに対する造詣の深さに感心しています。またCDを買う時なんか、かなり参考にさせてもらいましたアリガトウございます。大好きなリストはまだまだ謎が多い人物なので、これからも興味は尽きません。さっそくなんですが・・リストの写真集などご存知ありませんか?スゴク欲しいのですが、何か心当たりはありませんでしょうか・・・・?


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ふゆひこ > 初めまして。ちょっとは役立てているようでうれしいです。リストの写真集ですが、僕のサイトの“PAST LOG”のところで、2003年6月〜のところを見てみてください。このあたりで写真集のことが話されてます。その写真集は、これです。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/3777497908/reminiscedefr-22
でエルンスト・バーガーによる図版、写真を多く含む本はもう一つあって、この掲示板で次ページにいくと、じょるじゅさんが紹介してくれています。フランス・アマゾンでは買えるようですが、日本では在庫なしです。おそらくこれかな。こっちは写真集ではなく、写真を含めて、絵とかその他図版をもとにクロニクルを形成しているようですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0691091331/reminiscedefr-22 (8/16-11:00) No.2655
GS > http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2213021201/qid=1092721081/sr=1-28/ref=sr_1_0_28/171-4431136-9950646
これが仏版です。直接取り寄せてもそんなにしません。ずっしりと重い30センチ四方の本がふらんすから書留で届きます。(笑)
独語版は完全にリストの「写真」。リンクの仏語版はリストに関するものなら何でも。欧州全土に散らばるリスト関係博物館、全てを廻らないと目に出来ないようなものばかりですから「独語版写真集」より面白いかも。
リストとタルベルグの1860年に撮影された写真がまるで同じポーズで隣同士で笑えたり。(おかしいわけじゃないんだけど。)例の服に手を突っ込んだポーズで立っていて、足を足首の所で組んでいて重心のかかってないほうの足はつま先をついているだけという。ふたりとも。
ふゆひこさんが紹介されていた二つ目のリンクはこの本の「幻の英語版」でいくらお金を積んでも見つかりません。 (8/17-14:52) No.2663
GS > リストとタールベルグのは一緒に撮った写真じゃないです。偶然同じポーズなだけ。
そのうえには二人のカリカチュアがあって、その下は1866年に撮影された上半身の写真。 (8/17-15:00) No.2665
ふゆひこ > フランス版の表紙かっこいいですね。写真集と相互に補足しあうような内容なんだろうな。こんど買ってみようと思います。 (8/18-00:24) No.2670


『詩的で宗教的な調べ第3番 孤独の中の神の祝福』 投稿者:怜音 投稿日:2004/08/15(Sun) 21:34 No.2647

初めまして、Piano Lifeさんから飛んできました。

えっとですね、初対面でいきなり申し訳ないのですが・・・
『詩的で宗教的な調べ第3番 孤独の中の神の祝福』
と言うリストの曲があると聴きました。
ピアニスト志望(笑)としては是非聴いておきたいんですが・・・
なかなかCDも楽譜も無いんですよね・・・;
リストは『愛の夢』や『ラ・カンパネラ』が多くて、
他のは探すのが大変なんですよ・・・・・。
何かCDだとかMIDIサイトさん等、ご存知ないでしょうか?

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ふゆひこ > 初めまして。“孤独の中の神の祝福”は、CDだと僕のサイトで紹介している、アラウのソナタのCDとか、ブレンデル盤とかがあります。あとナクソスのCDが手に入りやすいんじゃないかな。楽譜はEMBから出てるんじゃないでしょうか?原題はBenediction de Dieu dans la solitude なので検索してみてください。MIDIは分からないです。残念ながら“Frederic Chopin & Franz Liszt”のHSKさんはまだ作られてないようでした。 (8/15-22:39) No.2652
ふゆひこ > ↓これがナクソスのCD、アマゾンでは在庫なしですね。お店とかにはたくさんあるんじゃないでしょうか。“孤独の中の神の祝福”さわりだけですが、試聴できますよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000143U/reminiscedefr-22 (8/16-10:47) No.2654
GS > http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0486261824/qid=1092722855/sr=1-7/ref=sr_1_7/002-9803269-7500851?v=glance&s=books
これには詩的が全部入っているはず。
Doverという会社なんですが廉価です。輸入楽譜のある場所で取り扱っているかも。
ソナタBマイナー、バラード、伝説、コンソレーションまで入っていてお買い得です。 (8/17-15:10) No.2666


1919年 パリ講和会議 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/17(Tue) 00:51 No.2659

下で書いた『西園寺公望傳』木村毅著(傳記刊行會 1937年8月25日発行)をちらちら読んでいて、ある人物名がちらっと登場したため、調べてみて感動しました。1919年のパリ講和会議のことです。今まではっきりと音楽ファンの間で、あるいはリスティアンの間で、語られることはなかったんじゃないかな。

この掲示板で“EAST MEETS LISZT”についての記述を、うんざりしながらも読まれてきた方には、西園寺公望がリストの周辺の周辺あたりに関わってくることは認識されていると思います。それをまず前提にしてください。

その西園寺公望、第一次世界大戦終結の1919年のパリ講和会議に、日本代表として全権委任され出席します。フランスの代表は西園寺とも旧知の仲のクレマンソー。パリ講和会議は、このクレマンソーとイギリスのロイド・ジョージ、アメリカのウィルソンの3人に仕切られるようですが、ここには32ヶ国の代表が集まっている。さて1918年に独立したばかりのポーランド共和国の代表として出席したのは誰でしょう?

この1919年に内閣を組閣したばかりの、パデレフスキーなんですよ。おお感動(笑)。フランツ・リストの演奏を聴き、19世紀末のフランス文化にも関連のある西園寺公望と、リストの再来と言われたパデレフスキーが、ヴェルサイユ条約の調印者に名を連ねてるんですね。そのときになんか2人の間で会話があったのかな?大変興味あります。

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ふゆひこ > これはネット上で公開されている、H・G・ウェルズの文章(『来るべき世界』の第10章かな?)、パリ講和会議の出席者が書かれています。Saionji と Paderewski が書かれてますね。

http://etext.library.adelaide.edu.au/w/wells/hg/w45th/chapter10.html (8/17-00:57) No.2660
ふゆひこ > これはもっとすごいです。ネット上で公開されているヴェルサイユ条約の原本?

http://www.foundingdocs.gov.au/places/cth/cth10.htm

“signature 5”をクリックしましょう。西園寺のサインがあります。次は“signature 9”をクリックしましょう。パデレフスキーのサインがあります。 (8/17-01:41) No.2661


WAGNER'S DOG 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/12(Thu) 23:39 No.2629

『アラウとの対話』(みすず書房)でP219、1981年7月のジョーゼフ・ホロヴィッツとアラウとの対話は、アラウの飼っている“犬”の話題から始まります。口元のゆるんだ顔で、嬉しさいっぱいで話すアラウが目に浮かぶその会話はP223まで続く(笑)。1981年の頃、アラウは3匹の犬を飼っていて、いままでに30匹近くの犬を飼っていたとのこと。

その会話の中で、ジョーゼフ・ホロヴィッツの発言(P221)。

“ワーグナーとブゾーニは、二人とも大きな犬が好きでしたね。ワーグナーが妻のミンナとロシア領リガを脱出したときの話は、彼のエピソードのなかでも私は気に入っています。そんな非常時にもワーグナーは、ロッバーというニューファウンドランド犬も連れて行くといってきかなかったのです。見つけ次第射殺という命を帯びたコサック兵が国境を見張っている、そこを、ひそかに越えなければならないそのときにですよ。”

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ふゆひこ > この文章を読んで、思い出したのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ』。最初の方で、ワーグナーとビューロー、コージマが部屋の中でくつろいでいる場面(『ルートヴィヒ』ではコージマとビューローはたいした役作りはされていません。その辺がリスティアンにとっては不満)。ワーグナーがずいぶん大きな犬とじゃれあう場面があるんですよね。“ヨーシよしよしよし!”ってまるでムツゴロウ(笑)。ヴィスコンティのことだから、何か出典があるんだろうとは思ってたけど。ワーグナーの犬好きが描かれてたんですね。 (8/12-23:47) No.2630
ふゆひこ > で、面白い話、現在バイロイトには、街のあちらこちらに70体の“ワーグナーの犬”と呼ばれる、プラスチック製の犬の像があるそうです。オトマール・へールという彫像家による作品のようです。

http://www.dw-world.de/english/0,3367,1441_A_1286619_1_A,00.html

最後の方の記述を読むと、残念なことに多くの像が盗難にあっているそうですね。犬好きのワーグナーが聞いたら“何?盗まれてるだと?こうしちゃいられん、俺も盗みにいこうっと!”って言いそう(笑)。 (8/12-23:57) No.2633
ふゆひこ > 何回かやってみたんだけど、うまくリンクになりませんでした。 (8/12-23:57) No.2634
ふゆひこ > これはオトマール・へールのサイト。めちゃめちゃ面白いですよ。

http://www.ottmar-hoerl.de/

まず“Wagner fur das 21. JH”というところをクリックしましょう。ワーグナーとコージマのパロディ写真があります(笑)。現代の洋服を着せられている(笑)。それから“Galerie”で、さっきリンク失敗した“ワーグナーの犬”の像がいっぱい見れます。それよりもですね。“Das Projekt”>“WAGNER & LISZT”をみましょう。これはすぐれたアートですね。何体ものワーグナーの黒い頭部、まるでカオスのような。そこで少し離れたところにそれを見つめるリストの白い頭部です。ワーグナーとリストの関係を感じさせてくれますね。これは“Das Projekt”のページ直リンク。
http://www.ottmar-hoerl.de/wagner/projekt.php (8/13-00:18) No.2635
じょるじゅ > おもしろ〜い。本当のニューファンドランドがくくりつけられている〜。
あのベンチに思わず座って「いーこいーこ」してしまいそうです。ちょうどいい位置にあるんだよね。「ご主人」の彫刻がベンチに座っていないので、自分ですわって「天才ヴァグナー」のフリをしましょう。
彫刻も面白い。リストのはバルトリーニの胸像から取った頭ですね、きっと。
私もふゆひこさんの仰ったとおりの印象を得ました。本当の二人の心理的な移り変わりを考えると、ヴァグナーの方はもっとぐちゃぐちゃでも良かったかもしれない。でも彫刻のバランス的には絶妙ですよね。
従姉にこのリンク教えてあげることにします。
あの、有名な二人の写真も何気に面白くて笑えた。センスのよさ抜群。ただ、むやみに現代風にしているわけでもない、でも、知らない人が見たら何とも疑問を持たないほどしっくりしてしまう恐ろしさ。長くも無く短くも無いスカート丈とか地味目のクロストッキングとか。

ところで、あのおもちゃみたいな車、よくはしってましたよ欧州で。
米国でもNYあたりで皆あの車に乗ると渋滞でも三分の一に減るだろうとのことです。(皆巨大トラック運転しているから。)CBSで今週報道したばかり。米国ではまだ手に入りません。
(8/14-01:43) No.2641
ふゆひこ > このオトマール・へールの作品は、今年のバイロイト・フェスティバルに合わせてのイベントのようですね(ドイツ語が読めませんが、そのまま翻訳サイトを使ってざっと読んでみました)。“Galerie”のページから行くと、全体が分かります。ワーグナーの頭は全部で10頭あるようです(←“頭”ってこう数えるのか?(笑))。リストの頭は、バルトリーニ作を参考にしたかもしれませんが、50歳ぐらいの壮年期のリストですね(バルトリーニはもっと若いころのリストを作っている)。なのでこのオトマール・へールの作品は、ちょうどリストのワイマール時代の終わりぐらいをイメージしているんじゃないかな。配置がほんと絶妙です。これは実際にその場に行くと、たぶん見る人の立つ位置によって様々な印象を受けるでしょうね。リスト側から見れば、自分から離れ、その影響力が肥大化していくカオスとしてのワーグナー、ワーグナー側から見ると、リストの孤独感、気位の高さを感じるでしょうね。ワーグナーの頭で、ひとつだけリスト側を向いているのが気になる。 (8/15-21:01) No.2645
ふゆひこ > 写真、僕も最初“あれ?なんか変だな?”と思ってオリジナルの写真と見比べたくらいです。よくよく考えれば、コージマの靴もスカートもおかしいんだけど(笑)。 (8/15-21:06) No.2646


MARX plays LISZT ! 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/31(Sat) 00:36 No.2600

マルクス兄弟のDVDを買って来て、今日立て続けに観てたのですが、『マルクス捕物帖』(A NIGHT IN CASABLANCA)で、なんとチコとハーポがそれぞれ、リストのハンガリー狂詩曲第2番を演奏します。感激!

まずはチコの場面、(ストーリーは紹介しません)ホテルのレストランで演奏するジャズ・バンドで、場つなぎの代役としてピアノを演奏するチコ。なんと振り弾き(笑)。“次は古典を演奏しよう!ビア樽ポルカだ!”と言って、チコが弾きだすのはハンガリー狂詩曲第2番の冒頭(笑)。チコは“タターン!”と弾くと、指揮棒でジャズバンドに支持、ジャズバンドが“ププー”と返す。3回目で、チコは指揮棒をぶん投げ(笑)。トロンボーン奏者は見事によけます(笑)。ハンガリー狂詩曲は冒頭だけ、後は“ビア樽ポルカ”(笑)。チコ得意の一本指奏法の連発(笑)

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ふゆひこ > これだけでリスティアンは感激ですが、感動はそれだけじゃないです。ストーリーはさらに続いて、今度はハーポの出番。ハーポが単独でハープを演奏するシーン(マルクス兄弟の映画は、それぞれの持ち場みたいなのがあって、ハーポにはいつも幻想的なハープ演奏の場面がある)。

おお!なんとハーポがハープで演奏するのもハンガリー狂詩曲第2番ですよ。それも原曲のヴィルトゥオジティが産み出す音効果を損なっていない。省略はあるけど1曲として完結するまで弾いてます。これならハンガリー狂詩曲第2番の演奏家としてハーポ・マルクスをリストアップしてもOKです(笑)。 (7/31-00:45) No.2601
ふゆひこ > ↓これはダリが描いたハーポ・マルクス。
http://www.marx-brothers.org/living/harpo.htm
トップページはこっち。マルクス兄弟のかなり充実したすごいサイトです。
http://www.marx-brothers.org/index.htm

道化というのは、その純粋さ、純粋さゆえの残酷さから芸術家に愛されるんでしょうね。前にジャン・バティスト=ガスパール・ドゥビュローが、ゴーティエやベルトランに影響を与えたことを書きましたが、20世紀の道化の一人ハーポ・マルクスは、ダリに愛される。 (7/31-00:52) No.2602
ふゆひこ > おまけ。『オペラは踊る』のDVDに特典として収録されている、MGMの宣伝映画かな、20分ぐらいの『トロカデロの夜』というフィルム。グルーチョ・マルクスもちらっと出演するんですが、その短編フィルムで、ジャズバンドの演奏で簡単なダンスシーンがあり、そこで演奏されるのは、ジャズっぽくアレンジされた(昔のタキシード着て指揮者がいるようなジャズバンドのアレンジ)“愛の夢 第3番”でした。 (7/31-01:00) No.2603
ふゆひこ >
おまけ。ダリによるハーポ・マルクスの絵を他に見つけました。
http://www.marxoutofprint.plus.com/

ここのサイトで、上から2冊めの“Theatre Arts Monthly”をクリックしましょう。グルーチョも描いてるんだね(笑)。昔、他にもっと正面向いたハーポの顔のデッサンを見た気がしたんだけど、間違いだったかな。 (8/1-00:20) No.2606
ふゆひこ > 『マルクス一番乗り』(A DAY AT THE RACES)も観ました。この作品では、チコがピアノ、ハーポが指揮で“ハンガリー狂詩曲 第2番”の冒頭が演奏されます。僕は『マルクス捕物帖』がカサブランカのリゾートホテルを舞台にしているため、エキゾチックさを出すために“ハンガリー狂詩曲”が使われたのかと思ったんですが、『マルクス一番乗り』でも使われているので、どうもこの頃のチコとハーポの十八番芸だったようですね。 (8/15-20:38) No.2644


ギャラクシー・オブ・パーカッショニスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/08/08(Sun) 21:46 No.2618

ウォーカー WYを読んでいて、面白いオーケストラメンバーを知りました。P161です。ベルリオーズの後援のためリストは1852年ベルリオーズ週間と銘打ち、ベルリオーズの作品を集中的に取り上げます(そのとき、パリでの初演で全く評価を得られなかった“ベンヴェヌート・チェリーニ”が見事に演奏されたことにベルリオーズは感激しています)。

さて、ワイマールのオーケストラが、ベルリオーズやワーグナーの作品を演奏するのに、力量が不足しており、リストが苦労した、ということはちらちら読んだことがあったのですが、“ファウストの劫罰”の上演に際し、リストはメンバー集めに苦労し、次のようなことになります。

Liszt had the greatest difficulty in recruiting a sufficient number of orchestral players for La Damnation,so he invited some of his pupils to help out:Bulow played the bass drum, Dionys Pruckner the triangle, and Klindworth the cymbals.

ハンス・フォン・ビューローがバスドラム、デュオニス・プルックナーがトライアングル、カール・クリンドヴォルトがシンバルを担当したとのこと。苦しさがうかがい知れますが、すごいネームバリューのパーカッショニストですね(笑)。

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ふゆひこ > いままで、出典が英文の場合、僕が適当に訳して紹介してましたが(掲示板としての読みやすさを優先したため)、僕の訳がひどいし、出典を明確にするためにも原文をそのまま引用するようにします。 (8/8-21:49) No.2619


Petrov 投稿者:Micci 投稿日:2004/07/10(Sat) 23:22 No.2467

HSK-san no tokorode chiratto wadaini nattemashita Nikolai Petrov no Paganini Etude ga saihatsu saretayoude, sassoku teni iremashita. kono CD niha Schumann no Paganini Etude Op.10 mo shuurokusareteite omoshiroidesu. kekkou miryokutekina kyoku nanode naze konokyokuga hikarenainoka fushigi desu.

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LOM > 田舎者の僕は、ネットで手に入れられないとほとんど入手不能だ!(涙)
Amazonにはないですよねぇ…。悔しい。。。 (7/11-00:32) No.2468
ふゆひこ > ペトロフの“パガニーニ・エチュード”の初期稿のCDって、オークションとかで出ると、何万とか値段がつくやつですよね。再発されたんですか。手に入れたなんてうらやましい。僕は、あと何ヶ月かぐらいして、日本のCD屋さんでも買えるようになることに期待します(笑)。AMAZONで買えるようになればいいな。 (7/11-01:33) No.2471
Micci > 何万mo surundesuka!!! nanka arigatamiga mashimashita.wahaha!
Russia de kotoshi saihatsu saretarashiinodesuga,Olympia no CD tte nihondemo tamani mikakemasuyone. bokuha nihon nimo haitteikuto omoundesuga dounandeshou? gyakuni nihonni irenainoha mottainaidesuyone. hokano kunija tabun takusan urenaideshoukara. (7/11-23:17) No.2482
Micci > ensou no houha sugoku teineini hikuhitodesune. "daihakuryoku"kato omotteitanodesuga totemo kichoumen ni hiiteimasu. (7/11-23:21) No.2483
Micci > http://www.ozon.ru/context/detail/id/1627873/
kochirano site wo eigo to russiago wo hanaseru doitsujin to russiajin no tomodachini tsuuyaku shitemorainagara yatto teniiremashita. chuumon shitekara 3shuukan, nedanha 9.16euro deshita.
gosankou madeni. (7/11-23:30) No.2484
ふゆひこ > ジャケット見たら“大迫力”を想像してしまいますね(笑)。やっぱ苦労しないと手に入らないんですね(笑)。このOZONというサイト、英語ページがあればいいのに…。日本のタワー・レコードとかに頼んだら取り寄せてもらえるかな…。 (7/11-23:54) No.2487
Micci > chotto gokaiwo manekuyouna kakikatawo shiteshimattanode teisei. hakuryokuga naiwakedeha naidesu. bokuha Hamelin no Paganini Etude wo kiitakotoga naino desuga, fuyuhikosan ga kochirano site de kansouwo kaiteimasuyone. "saishoha otonashiku kanjirukedo..."mitaini. bokuno petrov no ensouni taisuru inshouga mattaku onajidesu. (7/12-04:01) No.2489
Micci > Oh! soudesuyo. nihon no CDya san ni tanondemiteha doudeshouka.
"Nikolai Petrov"
"plays Works on Themes by Paganini"
"OLYMPIA"
"MKM 141"
korewo memo tte ittemiteha ikagadeshou. (7/12-04:04) No.2490
ふゆひこ > なんとなく、ちょっとイメージできました。“パガニーニ・エチュード”というと僕は、大井和郎さんの、あのすごい圧力と推進力を持った演奏を思い浮かべてしまうので、他の演奏を聴くと、最初どうしてもおとなしく感じてしまいます。データありがとうございます。そのままメモしてタワー・レコードとかに持っていってみます(笑)。 (7/13-02:28) No.2493
Micci > kono CD kiitetara Schumann no Paganini etude no houga sukini natteshimaimashita. shoujiki, motomoto liszt no hou ha sorehodo sukideha nakattandesu.
bokuha Lisztian shikkakuda!! (7/15-02:38) No.2503
ふゆひこ > ペトロフの『パガニーニによる超絶技巧練習曲集』、僕も手に入れました。ここで簡単に買えました。http://www.webserve.ne.jp/cadenza/
素晴らしい演奏ですね。全く聴いていてストレスを感じないです。これだけの難曲を楽しげに軽やかに弾いてくれてますね。ダイナミックだけれど、押しが強いような感じではなく、清涼感を失わないです。 (8/8-20:42) No.2617


Totentanz 投稿者:Micci 投稿日:2004/07/10(Sat) 23:13 No.2465

http://www.concertartistrecordings.com/Composers/Greatness%20of%20Liszt.htm

omoshiroi page wo mitsukemashita.
matahoshii CD ga takusan fuete shimaimashita.
kochirano Label de Joyce Hatto toiu pianist ga takusan liszt wo rokuon shiteimasu.



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Micci > sokode Totentanz no tokorowo yondemiruto
"This performance opens with the original 1849 version (Busoni edition) and then returns to the revised edition of 1865 for the rest of the work. There is also a solo piano version being a transcription of the 1865 orchestral edition, which Joyce Hatto has also recorded on the Concert Artist Label."
tokaite arimasu. kiitemitai!!


(7/10-23:17) No.2466
ふゆひこ > 初めて聞くレーベルです(フィオレンティーノのCDはCD屋で見たことあるけど、ここのCDだったのかな)。リストの作品が充実してますね。カタログを見るとジョイス・ハットという人が弾いてるのは、通常の1865年版のようですね。オザン・マーシュという人が、ピアノ独奏版の方をレコーディングしているようです。マーシュの改訂が入っているようです。しかもリスト〜ブゾーニの協奏曲版のスペイン狂詩曲も録音してます!
http://www.concertartistrecordings.com/Reviews/9049.htm (7/11-01:23) No.2470
Micci > Fiorentino ha APR toiu Label kara CD ga takusan deteimasuyo.
sono Marsh no CD sassoku chuumon siyouto omottemashita. (7/11-23:11) No.2481
ふゆひこ > 僕がCD屋さんで見たのは、そのAPRという方ですね。黄色っぽいジャケットでした。CONCERT ARTISTのCDジャケットは見たことないです。このラインナップだとCONCERT ARTISTはNAXOSに追いつきそうですね。 (7/11-23:44) No.2486
ふゆひこ > “Totentanz”というスレッド・タイトルなので、便乗して(笑)。リストが“死の舞踏”や“呪い”世界のインスピレーションといわれるカンポ・サントのサイトを見つけました。“死の勝利”の全体像が分かります。

http://www.alfea.it/storie/storie_eng/colet/camposanto/colet_camposanto.html (7/22-00:33) No.2540
Micci > Ozan Marsh no CD wo tsuini teni iremashita. sorede Totentanz nandesuga
"Marsh ga Liszt no NOTE kara hakken shita earlier version"to
"Busoni Edition"wo tsukatte
"Marsh ga Piano Solo ni revise" shita
mono de Liszt no Piano solo version toha chigau kyoku to itte mo iito omoimasu. nanka sugoikotoni nattemasu.
konyamo "Schlaflos" desu! (7/28-02:46) No.2563
Micci > hokani shuuroku sareteiru Piano Concerto No.1 ha 1854 version dasoudesu. (7/28-02:56) No.2565
ふゆひこ > なんかすごいですね。そのオザン・マーシュ編の“死の舞踏”。ということは後半は“デ・プロフュンディス”になるのかな。ピアノ協奏曲第1版の1854年版(なんか僕のサイトでは1853年改訂となってるな…改訂と出版の差でしょうか)というのもすごく興味ありますね。ハワード全集を補完する役割を持ってますね。 (7/29-01:43) No.2576
ふゆひこ > “第1番”の字、間違えました。 (7/29-01:44) No.2577
Micci > Concerto mo "Marsh ga hakken shita the 1854 manuscript wo tukatte revise shita"monono youdesu. konohitomo Liszt no kenkyuuka mitaidesune. Totentanz first version wo Howard ga rokuon dekinainoha moshikashitara Marsh ni kankeiga arunokamo. Marsh ha nakunatte masuga.
Totentanz ha grotesque ni natteite osoraku mottomo muzukashii piano kyoku no hitotsu deshou. Marsh ha tokorodokoro hiketeimasen. Hamelin guraino hito janaito matomoni hikenaikamo. (8/2-07:00) No.2615
ふゆひこ > それはすごい。なるほど、ハワードが録音できなかったのも、オザン・マーシュか、そのレコードレーベルの持っている権利によるのかもしれないですね。“死の舞踏”は初期バージョンになればなるほど、グロテスクでおぞましくなる傾向があるようですね。 (8/4-01:44) No.2616

アラン・ウオーカーから返事来ました ≪シシー伯爵のシャコンヌ≫投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/07/31(Sat) 12:30 No.2604

グローヴ事典は2001年に改訂版が出て、そのリスト作品カタログには バッハ・シャコンヌ、シシー伯爵は全然でてこないそうです。で、ウオーカー博士、「伯爵には特に興味はないです」だって。(笑)
(アドヴァイスをした作曲家・楽曲なら死ぬほどあるだろうし。)
やっぱり・・・
***
でも、書簡を400通ぐらい見てたら、偶然「シシー伯シャコンヌ」の出版者について少しわかりました。

Rahterというチェリスト・ライプツィヒの音楽学校教授でリストも面識があったようです。書簡が一枚バッシュの第二巻に収録されてます。1904年ごろ若くして亡くなったので出版社はそのとき他の会社に吸収されたようです。だから、楽譜はすくなくとも120年もの。

彼の死を悼んでデイヴィッド・ポッパー(ソフィー・メンターの元ダンナさんね)が作曲してます。

皆、知り合い。

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ふゆひこ > アラン・ウォーカーから返事が来るなんてすごいですね。僕もなんか、どうしても自分では答えが見つからないことを質問してみようかな…。新しいグローブ音楽辞典は上野の東京文化会館、音楽資料室にあるんだけど、ほとんど複写禁止なんですよ(すごい制約があって何行かだけとかなら複写可能)。一般人には容易にアクセスできないのがつらい。新しい本だったけど、それが2001年版かな。

http://hjem.get2net.dk/Brofeldt/Catalogue_z.htm

これはジチー伯について書かれているサイト。(LOMさんに嘘ついちゃったな、Rossavolgyiって出版社だね)。ratherの表記がありますね(スペルが違うけど)。あと有名サイトの“超絶技巧ピアノ編曲の世界”のリストで、“DURAND”という出版社の名前もありました。

じょるじゅさんの、このエピソードについての一連の書き込みを読みましたが、根本的な事実の誤認があると思うな。サールの名誉のために書きますけど、サールは“PLANNED(計画)”のところに“1880 BACH’S CHACONNE”とリストアップしたのであって、けっして“疑わしい作品、失われた作品”あるいは“未完”のところに記載したわけではないですよ。あくまでもサールは“計画”に記載しただけ。この話のはじまりは、PAST LOGにある2003年10月25日『J・S・バッハのシャコンヌ』だったと思います。じょるじゅさんが書簡を調べられたことで、リストが編曲する可能性があったことは確かめられたはず。ハンフリー・サールの作品表が古くて、間違いも多いのも事実だけど、シャコンヌについての記述でサールが間違えているわけではないです。

デヴィッド・ポッパーの曲はいまだ聴いたことないんですけど、この前、本屋でパブロ・カザルスの『鳥の歌』(ちくま文庫)を立ち読みしていたら、カザルスはポッパーのことをべた褒めしてました。チェロのためにあれほど素晴らしい作品を書いた人は他にいない、とかそんな感じ。カザルスの演奏で聴いて見たいな。 (7/31-23:46) No.2605
じょるじゅ > おお。確かに仰るとおり「計画」ですね。
勘違いしたのは「未完」と「計画」の違いです。サールは「計画」に入れていながら事実は「未完」のように思えるから、サールが「未完のほうに入れたように」勘違いしました。訂正します。

伯爵がすでに半分形にしているので「未完」と「計画」を混同してしまいました。(書簡をリストが書いた時点で、彼は一度既に伯爵のものに目をとおしている。書簡はそれを返却するのに添付されたもの、または返却した後感想を送ったように理解してます。)
だから、サールがはっきり「リストが伯爵と別版を計画していた」といわない限り、彼自身やはり「未完と計画を混同」しているような気がするんですよ。
理解の方法として、
1.リストがもう一曲伯爵とは別にシャコンヌを一人で編曲する。
2.伯爵のものにペダル運指や音変更追加(とリストが伯爵に「しましょうか」という打診がこの書簡の趣旨)

で、明らかにサールは2.を「リストの計画」と理解していると思うんですよ。
リストがあの書簡で「僕も自分だけで作ってみることにしている」といっているなら
1.の「計画」でいいとおもうのですが。
私がウオーカーに質問したのは、サールが1.だと判断した理由が他にあったのかという事なんです。
ところが2.なら「未完」(結果的にどのくらいリストの手によるのか全然わからないから)だと思うんですよ。

どちらの項目にはいていたとしても基本的には「同じ疑問」があったわけです。

ウオーカー自身もはっきり「関係はない」との見解を示しています。つまり、リストと伯爵間に別の書簡や記録が存在しない限り、「計画」ともいえない。というのが正確でその結果「完全に記述が削除」されたんだと思います。
わかりにくいですね。

ただ、「計画」の所に入れている、というのは事実ですから訂正します。
(8/1-02:37) No.2607
じょるじゅ > あのピアノサイト行ったことあります。すごい、よく調べた。
でもRahterのスペルは完全に間違いです。英語ではRatherというよく使う単語があるからでしょう。
Durandはけっこう有名です。
あのサイトで伯爵が「愛の夢三番」の記録があるんだけど、うーん...作っているのかな。

伯爵は「愛の夢」という題名の幻想曲作ってるんだけどリストとは関係ないメロデイです。ま、全然別の「愛の夢」をいろいろ作っている可能性もあるけど。きりがないです。(笑)ウオーカーが興味ないのも理解できる。
(8/1-02:49) No.2608
じょるじゅ > ポッパーはチェロに関するサイトなどに行くとたくさん情報が手に入ります。

隠し子で話題になったフランツ・サーヴェイの父フランソワ・サーヴェイ(チェロのパガニーニといわれた)とポッパーは結構調べると面白いです。ポッパーはハンガリアンラプソディとか作っているし。(楽譜にはポッパー作となってましたが、オケのパートでみただけなのでゼンタイはわかりませんでした。) (8/1-02:52) No.2609
じょるじゅ > #2607で日本語が変です。
(どのくらいリストの手によるかわからない「けど」)にして下さい。
#2608
Rahterが正しいスペルでratherが間違っているといいたかったのです。 (8/1-03:01) No.2610
ふゆひこ > 完全に理解できていないので、取り違えていたら申し訳ないんですが、リストが実際に“2”をしたかどうかという事実の有無が、ポイントのように思います。ウォーカーはその事実が明確にないと判断できているから問題視していないのかな?ハワードならば違うと思うな。ハワードならば、そのジチーの編曲楽譜そのものから、リストの手によるところを探り出す、という研究をすると思う。 (8/1-23:51) No.2611
ふゆひこ > グローブ音楽辞典で「完全に記述が削除」されたということですが、これは旧版と新版のグローブ音楽辞典を参照する必要があります。確認すべきポイントは、ざっくり

1.旧版にサールの“PLANNED”にリストアップされていた曲がすべて書かれていたのかどうか?(シャコンヌも含め)
2.旧版、新版ともに“PLANNED”の項目はもともと記載されていないのかどうか?
3.旧版で“PLANED”が記載されている場合、新版で“PLANED”すべてが削除されたのか?それともシャコンヌだけが削除されたのか?

これを確認しないと、価値判断が変わってきてしまいます。

確認なしで、僕の直感を書くと、サールの作品表で“PLANNED”のところには、オペラ“ジャンヌ・ダルク”だとか、オペラ“ファウスト”だとか、とんでもないものが、ごたまぜに入ってるんです。そこには、リストがラムネの詩に作曲した“鍛冶屋”の続編“水夫”“農夫”“兵士”もある。ラムネが詩を書いていないのでテキストすら存在しないものです(これはフンガロトンの鍛冶屋が収録されたCDのマリア・エックハルトによるライナーが出典です)。サールの言っている“計画”というのはそのレベルのはず、だと思っています。グローブ音楽辞典にはもともと、サールの“PLANNED”は記載されていないのでは(旧版も新版も)と予想しています。(“PLANNED”はリスティアンにとっては重要であっても、作品がないのだから辞典に記載するほど価値がない。)

そうなるとウォーカーのコメントについても捉え方が変わってくる。

こんど、上野に行ったときにグローブ音楽辞典、見てきます。あとサールの本もあったはずなのでちらっと見てきます。 (8/2-00:18) No.2612
ふゆひこ > いま、ポッパーのCDを検索したら、カザルスの演奏でもありますね。こんど買ってみようっと。そうそうそのサイトでジチーの“愛の夢 第3番”があるんですよね。間違いじゃないとしたら、左手だけなのかな。ジチーのCDとかあればいいのに。 (8/2-00:33) No.2613


「Franz Liszt and Me」リニューアル! 投稿者:LOM 投稿日:2004/07/28(Wed) 22:30 No.2567 <HOME>

どうもお久しぶりです。ふゆひこさんはちょくちょく僕の掲示板に来て頂いて、大変嬉しく思っているのですが、その他は初めましての方もいるのかも知れませんね…。「Franz Liszt and Me」管理人のLOMです。
随分改まっていると思われたかも知れません。スレッドを新たに立てるのなど久しぶりですからね。ふゆひこさんが掲示板過去ログを作られるとき、僕のためにわざわざ時間を割いてこのスレッドにふさわしい題を誠心誠意込めて考えられる、その瞬間のことを考えると、改めて挨拶を書かずにはいられない気分になりますからね。
…というのも嘘ではないのですが、じゃぁ何故スレッドを立てているかというと、ちょっぴり大きなお知らせがあるからです。僕のサイトを頻繁に覗いてくださっている、あるいはメールマガジンを購読してくださっているという方ならご存じと思いますが、僕のサイト「Franz Liszt and Me」は、今年の7月31日、リストの118回目の命日にリニューアル致します。詳しくはリニューアルまで待って頂こうと思いますが、今回何がどうなったかというと、曲紹介を、「曲集」単位だったのを「曲」単位にしました。言ってみればただそれだけです。最近のメールマガジンで書き溜めてきた文章+αを、ここで一気にサイト公開します。具体的には、「軽やかさ」「Apparition 第1番」「ジュネーヴの鐘」「目覚めた子への讃歌」「昔!」「ハンガリー風」「ポーランド風」「ため息!」「即興曲」「灰色の雲」「メフィストポルカ」「芸術家祝典行進」「勝利行進曲」「ハンガリー狂詩曲第8番」「変奏曲風マズルカ第2番」「ロシア風ギャロップ」「同 第1版」「Una stella amica」です。一見多そうですが、2つを除いてメールマガジンで既出ですね。
でも、これから(maybe 夏休み明けからは)、大体週3曲のペースで毎週アップしていく、はずです。自分にとって無理がないように、というのを大前提にしていますので、変わるかも知れませんが、とりあえずは週3曲でメトロノームのように調子よく更新していくつもりです。


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LOM@投稿が長すぎるって怒られちゃったよ。 > (分けるハメになりましたw)

あと、ここにいらっしゃる方なら分かるかも知れないという期待を込めて書いてみますが、曲名当てクイズのE(最高レベル)を2つ追加します。うち1つはふゆひこさんもまだ紹介を書かれていない曲ですが、さぁわかるでしょうか。挑戦ですw まぁ、楽しみにしておいてください。
ほとんど意味のない文章――というのはいつものことですので。それではみなさん、7月31日(の時刻未定)に、僕のサイトに押し寄せてください。よろしくお願いします。 (7/28-22:31) No.2568
LOM > やったー! ↑以外は、全部22:30だ(爆)
時刻に意味はないけど。 (7/28-22:34) No.2569
ふゆひこ > ↑LOMさんが付けてくれたタイトルでしたら、そのまま使えるので、僕は考えなくてもよさそうです(笑)。リニューアル楽しみですね。なるほどメールマガジンで書かれていた内容をサイト上で展開するんですね。クイズはたぶん、僕ははずれてしまうと思いますがやってみます(実際に、前にやってみてさっぱり??でした(笑))。そうそう、投稿の字数制限があるんですよ。でも、まぁ、これぐらいで段落を変えるほうが読みやすいかな、と思って、特に設定変更(できるのかどうか知らないけど)してないんです。 (7/29-02:08) No.2579
LOM > UICは確か設定変更できたような…。僕前UIC使ってて、重くて変えたんだよな。
クイズは相当聴き込んでいないと難しいと思います。ヒント出しちゃうと、ハワードさん35巻と56巻です。
そうだ、正解者が出るまで答えは伏せとこうかな…? それが楽しいかも知れません。 (7/29-22:37) No.2588
ふゆひこ > ためしに少し、投稿可能字数を増やしてみました。35巻と56巻と聞いただけで難しそうですね(笑)。 (7/29-23:25) No.2590
LOM > 答えは伏せることにしました。誰か正解することを祈っておこう(笑)。
さて、サイトですが、もう我慢できなくなったので、トップページだけ、前と違う新しいページをアップしました。もしリニューアルを楽しみにしている方がいらっしゃったら、ご覧にならないことをお勧めしますが。
まぁ、見れば分かりますよ(笑)。ずっこけないでくださいね。 (7/30-22:36) No.2596
LOM > 見事にだまされてしまった方、本当にすみません。許して(笑)。いや、ちょっと遊んでみたかっただけです。ふゆひこさん、目障りだったら削除しても結構です。
全ページリニューアルは、メールマガジンでお知らせします。約1.5時間後かな。もうしばらくお待ち下さい。 (7/30-22:38) No.2597
LOM > ↑の企画はひとりむなしく終わっていった予感。気にしないでください(汗)。
という訳で、もうリニューアルされたサイトを見ることが出来ます。ぜひ遊びに来てくださいね♪ (7/31-00:09) No.2598


エルンスト・バーガーのリスト 投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/07/28(Wed) 02:19 No.2560

仏語版。とんでもなく内容が独語版写真集と違います。収録されている写真も重複するものは少ないです。
リストの写真集ではなく、絵と写真でたどるリストの生涯といった無いようです。でもブダペストとかリストハウスまで行かないと見られないようなものの写真などがたくさんあります。

ふゆひこさんもアマゾンフランスからぜったいにオーダーされることをお勧めします。(英語版は限りなくコレクターズアイテムになってます。)
値段は本自体がたったの28ユーロ、送料も15ユーロ以下だったはずです。日本と米国は違うかも。
箱ケースに入ってます。

リストの手の石膏とかの写真があるのですがそのうち私の目を引いたものがあります。

「リストがカロリーネの手を握っている石膏」
二人のユニオンを象徴したものです。
彼女の手は握られたリストの手の下に完全に覆われていて最初二人の手だとはわからなかったのです。

他の石膏はみな右手を開いた形。ところがこちらはカロリーネの手を握っているからすごく立体的です。


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ふゆひこ > それでは全く別の写真集といえますね。換算を調べたら1ユーロは今134円ですか。43ユーロで、6000円ぐらいでしょうか。うーん、CDたくさん買わなきゃよかった(笑)。手をつないだ形での石膏って珍しいですね(当時はよく作られていたのかな?)。それは見てみたいです。結婚話の頃に作ったんだろうか。 (7/29-01:01) No.2571
じょるじゅ > ユーロ強くて参っちゃいます。ウイーンなんて買い物できない。
石膏は私も読んでみたのですがそこには作成された年代が書いてありません。後ろの参考資料のところを後で読んで見ます。
あるいは結婚することを前提として記念に作ったのかと私も思いました。 (7/29-02:46) No.2582


ハイ・スピード・マサカー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/29(Thu) 02:39 No.2581

PAST LOGのところにあるmicciさんが書かれた“ホロヴィッツ”のスレッドで、ホロヴィッツのアメリカ・デビューの時の話になり、当時の批評家の酷評を紹介しました。反対派のサンボーンによる“ハイ・スピード・マサカー”っていうやつね。で、今日『ホロヴィッツの夕べ』(デヴィッド・デュヴァル著 小藤隆志訳 青土社)を読んでいたら、賛成派のオーリンズ・ダウンズの文章が紹介されてました。P52です。

“翌日の『ニューヨーク・タイムズ』紙に、オーリンズ・ダウンズはこう報じた。「大衆は大衆、血は血である。太鼓を打つ野蛮人かそれとも若いロシア人か、興奮と肉体のスピードとパワーで気が狂い、鍵盤をなぐる野生の呼び声が聞えた」。”

わはは(笑)。どっちが賛成派でどっちが反対派か分からない(笑)。つまるところホロヴィッツのアメリカ・デビューは、すべての人に与えた印象は全く同じ。とんでもない怪物による巨大な衝撃であって、それに対してほとんどの人はあっけにとられ、何人かの理性をとどめた人が、かろうじて賛否の意思表示ができた、ということなんでしょう(笑)。

ラ・マーラ書簡集 投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/07/28(Wed) 01:51 No.2559

参考文献ページ作られましたね。
掲載のふゆひこさんのお持ちのliszt書簡集はオンラインでしかよんだこと無いのですがどういう編集ですか?原語の書簡とかはついているのでしょうか?
それから編者による省略があるのか、解説は個々の書簡ごとについているのかなども教えて下さい。

オンラインは書簡の訳しかないのです。解説は一言ふたこと。

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ふゆひこ > 僕が持っているラ・マーラ書簡集はオンラインのものと全く同じものです。一字一句同じ。1893年にコンスタンス・バーチが翻訳したものです。オンラインで公開されていることを知らずに購入したのでした。今、調べて分かったんですが、コンスタンス・バーチって、イギリスでのリスト普及に努めたウォルター・バーチ(リストの最後のロンドン訪問時にも全面的にバックアップした)の妹なんですね。この翻訳自体も歴史の重みがある。 (7/29-00:54) No.2570
ふゆひこ > コンスタンス・バーチ自身の序文をちょっと読んでみましたが、オリジナルのラ・マーラ書簡集にいくつか書簡を追加したようですね。コルネリウスの書簡とか、それでウォルター・バーチ宛の書簡も追加している。さすが妹(笑)。で、やはり1886年のリストの最後のロンドン訪問については、“決して忘れてはならないエピソード”と呼び、感情のこもった書き方をしていますね。セント・ジェームスホールにリストが入ってきたときに、コンスタンス・バーチは自身が何か書いたのかな?“聖エリザベス”のバラの奇跡にちなんで、ハンガリーの国旗の色?で飾られたバスケットにバラを入れ、リストにプレゼントしたそうです(LA MARA書簡集 1 序文)。この序文自体がすでに歴史の証言になっている。 (7/29-01:17) No.2572
じょるじゅ > 「バラのバスケット」結構好きなエピソードです。、そう。そういうのが現代人には絶対にかけないですよね。リストが英国にいってスターヴェンハーゲンの演奏などを聴いた。とかいうのとは違って「コンスタンスとリストがバラのバスケットを通じて感じたもの」が伝わってきそうです。 (7/29-02:39) No.2580


EARL WILD GOES TO THE MOVIES 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/28(Wed) 01:28 No.2557

最近、珍しいCDばかり買ってるんですが、“EARL WILD GOES TO THE MOVIES”というCDを見つけて買ってきてしまいました。ワイルドが、映画音楽、映画で使われたクラシック曲を演奏しています。

1曲目が『10番街の殺人』、2曲目が『FOUR WIVES』という映画、で5曲目が『楽聖ショパン』からショパンの“華麗なる大ポロネーズ OP 22”、6曲目が『みじかくも美しく燃え』からモーツァルトの“ピアノ協奏曲 第21番”。

でですね、4曲目が僕が前から探していたミクロス・ローザ作曲のヒッチコックの『白い恐怖』コンチェルトです。うれしい。これがこのCDを手にした理由。

さらにですね、3曲目がなんと映画『わが恋は終わりぬ』で使われたリストの“ため息”をピアノと管弦楽版で演奏したものなんですよ!これが買う決め手(笑)。

“ため息”のピアノと管弦楽版は、ここでちらっと聴くことができます。

http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B000007TII/qid%3D1090944706/sr%3D11-1/ref%3Dsr%5F11%5F1/002-0517718-4202460

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じょるじゅ > やはり相変わらずマニアックですね〜。
誰がアレンジしたものなの?あのため息。
リストは管弦楽的な音を頭に描いてピアノ曲したんじゃないかな。
つまり頭の中ではオーケストラが鳴っている状態。
しかし、あの「ため息」思いっきり映画のサントラしてますね。フランス映画のサントラにそのままなりそうな。

関係ないけどテレビでなんと「太陽がいっぱい」やっててのけぞりました。仏語。英語字幕。マット・デイモンの「ミスターリプリー」と比べましょう。 (7/28-01:45) No.2558
Micci > hahaha! ima okanega nainode souiu shoukaiha komarimasu! (7/28-02:57) No.2566
ふゆひこ > 本人的にはマニアックなつもりはないんですが(笑)。このCD、クレジットが不十分で編曲者の名前が書いてないんですよね。“ため息”が“管弦楽的な音を頭に描いて”というのは面白い考えですね。僕的には、生粋のピアノ曲っていうイメージがありました。昔の映画音楽は、本物の作曲家にちゃんと委嘱して作ってたからすごいですよね。コルンゴルドとかシェーンベルクとか、すごい作曲家が作っている。今の映画音楽もいいけど、昔は映画音楽もまさに、使うのも気恥ずかしい“総天然色”な(笑)“シネラマ”な(笑)“古き良き黄金時代”でした(笑)。『太陽がいっぱい』のロータもまさに。 (7/29-01:54) No.2578


リストって人気なの? 投稿者:Micci 投稿日:2004/07/20(Tue) 01:20 No.2529

Liszt tte ninkinano? bokuga yokuiku toshokan ga arunodesuga, Liszt no hon ga takusan arimasu.(yomenaikedo). ookii houha 15satsu kurai sorotteite "Liszt Studiern" toiu series mo arimasu.koreha Liszt Studies no doitsugoban nanokana?
chinamini Chopin no hon ha 2satsu shika arimasen deshita.
doitsu deha Liszt ha hyouka ga takainokana?

Doitsu de Liszt ga donoyouna hyouka wo uketeiruka shiritaidesu.

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Micci > fuyuhikosan Weimar no jouhou arigatou gozaimasu. (7/20-01:21) No.2530
Micci > gomennasai. uede "ookii hou" to arimasuga toshokan ga 2tsu arimashite, sono ookiihoudesu. (7/20-01:23) No.2531
ふゆひこ > どうなんでしょうね?ショパンの本は皆が借りていて、リストの本を誰も借りてないせいだったりして(笑)。冗談はおいといて、先般、買った『アラウとの対話』では、戦前ドイツでは、ショパンはほとんど評価されなかった、というアラウの発言がありました。ドイツの国民性(ドイツ的音楽)が、ショパンを軽んじた、というステレオタイプな論理で、納得できます。けど、ショパンを軽んじる=リストを重んじるにはならないですね(根っこは同じ気がしますが)。近々開催されるワイマール芸術祭が、現代ドイツにおけるリスト評価の試金石かもしれませんね。ドイツのクラシック音楽界のメインストリームにいる評論家とか研究者の発言とかを知ることができればいいんだけど。一般の音楽ファンの間での人気度合いならば、感じはつかめそうですね。 (7/21-01:33) No.2536
Micci > ショパンの本は皆が借りていて
hahaha!ukeru!
souieba, chopin competition no sankasha ha doitsujin sukunaidesune. shikamo kakoni doitsujin no yuushousha ha imasen.
senmonka no iken toka shiritaidesu.

kankeinai desuga, bokuno tomodachiha "Klassik ha kikanai"keredo"Beethoven to Wagner ha tamani kiku" toitte imashita. sasuga doitsujin. (7/25-04:08) No.2550
ふゆひこ > ショパン・コンクールで、ドイツ人の優勝者はいないのですか。ショパン・コンクールについての書籍とか、審査員をやったことの或る人の本で、何か発言がありそうですね。『アラウとの対話』にもそのあたりのこと、たくさんアラウは発言していて面白いです。例えばP177

ホロヴィッツ:ピアニストのなかで、ショパンに対するそういう意味での恩着せがましさが目立った人がおりましたか。シュナーベルはどうでしたか。
アラウ:彼はそうだったと思いますね。彼の弾くホ短調協奏曲を聴きましたが、バッハのような響きでした。まるで、本当のショパンはどのように鳴らさねばならないかをみんなに教えてやろう、と決めてかかっているようでしたよ。バッハのインヴェンションから一曲抜いてきたみたいな。

他に、アラウは、自身のドイツ的な音楽も演奏し、ショパンも演奏する、というレパートリーの広さについて、演奏家は“演じる”という観点から“それは当然可能です”と言い、ドイツ人だからショパンが弾けない、フランス人だからベートーヴェンが弾けない、というようなナショナリティに制約を求める考えを非難していますね。『アラウとの対話』はめちゃめちゃ面白いです。 (7/27-00:18) No.2553
Micci > バッハのインヴェンションから一曲抜いてきたみたいな。
wahaha! ukeru!!donna ensounandarou!

Chopin competition no shinsain wo zenin shiritaidesu. bokuno kiokuga tadashikereba Sauer ya Backhaus, Neuhaus nadoga itato omoimasu. (7/28-02:39) No.2562
Micci > chinamini ookina toshokan nandesuga, Bach Mozart Beethoven ha sorezore 100satus kurai honga oitearuno desuga, Scriabin ya Prokofiev no hon ga issatsumo miatarimasen.
SHOCK!!

(Chopin Competition to kaita noha Konku-ru no spelling ni jishinga nakattakaradesu, concueure dattakana?) (7/28-02:53) No.2564
ふゆひこ > すでにご存知だと思いますがショパン・コンクールのサイトがありました。審査員までは載っていないですね。有名どころのピアニストは大抵審査員をやってるのかな。http://www.konkurs.chopin.pl/index_en.html (7/29-01:30) No.2574
ふゆひこ > ドイツだから資料の揃っているモーツァルト、バッハ、ベートーヴェンの本が多い、というのは分かるけど、スクリャービン、プロコフィエフとの比率が100:0というのも極端ですね。プロコフィエフの本なら日本にだってあるのに…。ネットの辞書で調べたらコンクールは“concours”となってました。 (7/29-01:36) No.2575


Erbprinz und die Altenburg 投稿者:Micci 投稿日:2004/07/15(Thu) 02:13 No.2502

kyou youjiga atte mata Weimar ni ittekitanodesuga, Tourist Infomation de kiitatokoro yappari Hotel Elephant no tonariga Erbprinz datta youdesu. tsumari Hotel Elephant to Hochschule fur Musik Franz Liszt no aida toiukotoni narimasu.
Ah! sukkirishita.

tsuideni die Altenburg nimo ittekimashita. futsuuno tatemono deshitaga, kandoushimashita. aruite 10pun mo kakarimasendeshita. chikaidesu.

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Micci > tsuideni honya ni yottara, "Liszt und Beethoven" toiu hon ga attanode katteshimaimashita. yomenainoni. (7/15-02:39) No.2504
ふゆひこ > おお、僕もすっきりしました。エルププリンツがなくなってしまったのは残念です。Micciさん、まだワイマールに行けるのでしたら、下で紹介したワイマール芸術祭にぜひ行かれてみたらどうでしょう。かなり興味深いイベントがたくさんありますよ。アルテンブルクでは、リスト三重奏団が、室内楽版の“オーベルマン”を演奏するようです。きっとアルテンブルクの中にも入れます(もう入られたのかな?)。 (7/16-01:52) No.2506
じょるじゅ > アルテンブルグはアパートだというのを読んだ記憶がありますが... (7/18-03:34) No.2518
ふゆひこ > そうです。アルテンブルクは“現在は集合住宅になっている”とヘルム著『リスト』で、野本由紀夫さんが書かれてました。なのでワイマール芸術祭で、特別に一室を開放するのか、共有スペースを使うのかな、って思ってます(野外じゃないと思うんですが…)。詳しくは、下で紹介したワイマール芸術祭のサイトで
Ensembles&Orchester >Liszt-Trio>Liszt-Trio Weimar でクリックしてみてください。8月29日 日曜日の11時? アルテンブルクにて、となっています。 (7/18-22:57) No.2519
Micci > Hamelin ha muryou mitainanode zehi ittemitaidesu.(muryou dakara toiuwakejanaikedo)
Altenburg niha "salon to shosai" to yobareru space ga arumitaidesu.

imareiseini kangaete mireba zenkai ittatokimo "Wissen Sie wo Erbprinz war?"(erbprinz ha dokoni arimashitaka?)kuraino doitsugoha dekimashita. bakada- (7/25-04:12) No.2551
ふゆひこ > 無料ならなおさら(笑)。“サロンと書斎”というのは、リストが住んでいた頃、エラールとブロートウッドのピアノを2台組み合わせるように置いていた部屋かな。絵で見ると、書棚も描かれてるんですよね。そのままその部屋が共有スペースとして残されているんだろうか。だとしたらなおさら感激ですね。そんなところで“オーベルマン”のピアノ三重奏を生で聴けたら…。 (7/27-00:23) No.2554
Micci > soudesu. sonoheyadesu.
サロンと書斎tte nanka sugoku tadotadoshii nihongo desune. "Musiksalon und Bibliothek" tokaiteattanode sonomama chokuyaku shiteshimaimashita. (Bibliothek ha chokuyakude toshokan toiuimidesuga) (7/28-02:33) No.2561
ふゆひこ > あの部屋に入れるのなら、素晴らしいことですね。“サロンと書斎”でけっこういい訳じゃないかな。あとは“ピアノ演奏と読書の間”とかになっちゃいそう(笑)。 (7/29-01:25) No.2573


フランツ・リストの孤独 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/27(Tue) 02:15 No.2556

1957年生まれのドイツの作曲家クラウス・キューンルという人が、リストの晩年の陰鬱な作品(灰色の雲とか)をいくつか使って、作品を作っています。タイトルは“フランツ・リストの孤独”。

クラウス・キューンルのサイト
http://www.claus-kuehnl.de/

ディスコグラフィーのところを見てみましょう。“フランツ・リストの孤独”の入っているCDには他に“幻影”の編曲!も入っているようです。このCD絶対買います。

[2005/1/15追記 CDを手に入れました。まず“VISION”というのはキューンルのオリジナルであり、リストの作品とは関係がありませんでした。“フランツ・リストの孤独”のみがリストの作品の編曲です。これはリストの曲の編曲というより、キューンルのオリジナルアレンジ色が強く、非常に優れた作品です




もう一人の神父になったピアニスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/23(Fri) 00:26 No.2541

以前『リストがモデル?』というスレッドで『自殺への契約書』という映画を紹介したとき“リスト以外にいないですよねピアニストでその後神父になった、なんていう人”と書きましたが、思いっきりいました。リストから“プッツィ”の愛称で呼ばれるヘルマン・コーヘンです。

リストのヴィルトゥオーゾ時代あたりで弟子になった少年です。この頃のリストに付いてまわっているため、ウォーカー VYでもかなりの記述があります。全部読むのが大変で、間違って理解した箇所も多いと思いますが、ざっくり紹介します。

まず、ヘルマン・コーヘンについて詳細が書かれているサイト、これは、リチャード・クロス氏という(アメリカ・リスト協会の会員でもある方かな?)方のサイト。ここで、下の方のアーティクルのインデックスで、ヘルマン・コーヘンについての記事があります。(その他、ローラ・モンテスやいろいろあります)

http://www.users.cloud9.net/~recross/why-not/Cohen.html

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ふゆひこ > ↑すんません。ページ直リンクでした。トップページはこっち。
http://www.users.cloud9.net/~recross/why-not/index.html (7/23-00:28) No.2542
ふゆひこ > 情報が多すぎる(笑)。ウォーカーでもかなり書かれてますね。なんでいままで知らなかったんだろう…。コーヘンはどうもリストといっしょにいた頃、ギャンブル癖があったらしく、ずいぶん借金を抱え、どうもリストの金を着服したのかな?それでリストの怒りをかい、決別したようです。その後和解を試みるも失敗。リストの生涯とは全く別の人生を歩むことになり、1847年、リストがちょうどワイマール時代という第2ステップへ移行するのと時期を同じくして、コーヘンは神父になったようです。 (7/23-00:42) No.2543
ふゆひこ > で、なんで僕が急にヘルマン・コーヘンの話につながったかというと、下のリストが書簡で書いている、日本26聖人の列聖式典で、コーヘンが登場するんですよ。彼は“裸足のカルメル会”の修道士になっており、オーガスティン神父となっているようです。そして1862年6月8日の式典の頃にローマに居る。FY P40に書かれています。完全に理解してないですが(相変わらず英語がよく分からないので)、その式典の数日後、リストはオーガスティン神父のところへ聖餐を受けに行き、そこでオーガスティン神父、つまりかつての弟子、カルメル会の修道士となったへルマン・コーヘンから聖餐を拝受したようです。さらにP40の注釈では、ヘルマン・コーヘンはその後、書簡を妹(姉?)に送っており、そこには“ここでリストに会ったよ。しばしば見かけたんだが、彼は僕に会いにこなかったな。それで今朝、ブーユーリー枢機卿と、Louis Veuillotとマリー・ベルナールといっしょにリストのところに行ったんだ。彼は何曲か僕たちのために演奏してくれたよ。とても親切だったね”ということが書かれています(ちょっと上の記述と合わないですが…よく理解できてません)。 (7/23-01:24) No.2544
ふゆひこ > すごいエピソードだな…。これは、キリスト教関連の出版社から発売されている、ヘルマン・コーヘンの書籍。http://www.seibonokishi-sha.or.jp/mybooks/ISBN4-88216-072-2.htm (7/23-01:36) No.2545
ふゆひこ > ここの紹介文で書かれていますが、FY P219によると、オーガスティン神父(=コーヘン)は、1870年の普仏戦争時、セダンの戦いで捕虜となり、ベルリンのスパンダウ収容所に移された、フランス人捕虜たちのために、祈りを捧げ葬儀を行い献身的な活動を行ったようです。ところがそのときに捕虜達の間で蔓延していた天然痘にかかり、オーガスティン神父(=コーヘン)も命を落としてしまう、とのこと。すごすぎるエピソードというか、歴史の奇妙な環というか…。 (7/23-01:42) No.2546
ふゆひこ > コーヘンがオーガスティン神父になっていることから思い出すのが、1年前にじょるじゅさんが教えてくれた“聖オーガスティンと聖モニーク”の話。過去ログの2003年6月の『隠されたリストの肖像』のところにあります。“聖オーガスティンと聖モニーク”の話と、リストとヘルマン・コーヘンの話が重なって見えてくる。 (7/23-02:18) No.2547
じょるじゅ > ヘルマンの宗教に関する経歴は本当に面白いです。
彼は元はユダヤ人、ユダヤ教なんですよ。それがリストの影響で、カソリックに改宗してしまうんですがリスト自身もなんとなく「実践的カソリック」であることから離れてしまう時期にいっしょに演奏旅行して(きっとそこで悪癖も身に着け)着服恐喝事件がおきます。ヘルマンが「マリーとの書簡を出版する」といって旅先のリストとマリーの間で「いったい何が起こったのだろう」というやり取り、リストが上の空で演奏をやっとのことで終えそのあと一人で涙に暮れたり(しかしリストはよく泣きますね。)...
そして今度はカルメル会師に再度改宗したヘルマンにローマで再会した時は一気に昔の中に戻ったようです。リストの寛大さはヨアヒムの所でも話しました。

ふゆひこさんが紹介されているように収容所での活動が認められ一度は「聖人」にするという話もあったようです。
もしそれが現実になっていたらリストは「聖人」の師であるという奇妙な事になってしまうわけですが。 (7/23-03:15) No.2548
ふゆひこ > この話には驚きました。ずい分回り道して辿り着いた知識だったので…。NO2546の書き込みで“天然痘”と書きましたが(上で紹介した書籍『神の恵みの演奏者』の紹介文では、そうなっている)、ウォーカーFY P219 ではTyphoid fever(チフス)となってます。それから“聖オーガスティンと聖モニーク”と、英語読みでとおしてきましたが、日本語で定着しているのは“聖アウグスティヌスと聖モニカ”ですね。聖アウグスティヌスって『神の国』を書いた、非常に高名な人です。岩波文庫でも出てた気がする。今日、上野の文化会館音楽資料室に行ってきたのですが、そこでOXFORD UNIVERSITY PRESSの『FRANZ LISZT SELECTED LETTERS』を確認してきました(1882年5月25日の“MIKADO”の手紙を確認するのが目的でした)。1862年6月8日に列聖の式典の当日付けでブランディーヌ・オリヴィエに書簡を送っています。そこでリストは、列聖の式典の模様を伝えるとともに、ヘルマン・コーヘンと会ったことも伝えていますね。“誰に会ったと思う?”という驚きを伝える書き方をしていました。それとその前段の手紙(日付をメモしてきませんでした)、リストはオスティアという港町?に行っているのですが、そこは聖モニカが死んだところです(FRANZ LISZT SELECTED LETTERS P581の注釈)。何か一連の話に不思議なつながりを感じますね。 (7/25-02:10) No.2549
じょるじゅ > 日本はそこらの図書館にこの本がちゃんとあるのがすごすぎる。
(それとも東京だからなのか。その辺が僻地の私はつらい。)
聖アウグスティヌス(!!!)見当もつきませんでした。日本はラテン語読みが定着しているのですね。 (7/25-07:24) No.2552
ふゆひこ > 日本にもそんなにないですよ。大学の図書館とかは違うんだろうけど、一般人が普通に利用できる開架式の図書館で、リストの洋書が置かれているのなんて上野の文化会館ぐらいじゃないかな(国会図書館は閉架式)。日本では、基本的に“原語発音にできるだけ近く”というルールで“カタカナ表記”が決まっていますね。 (7/27-00:30) No.2555

リストと日本 〜日本26聖人〜 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/22(Thu) 00:26 No.2539

継続して調べていたら、リストが日本に言及している書簡を見つけました。ラ・マーラ書簡集。1862年6月12日付(ローマ)フランツ・ブレンデル宛の書簡です。後半部分の訳が自信なし。

“最近、偉大で、崇高な、計りようもない偉大なことが行われたよ。世界中の司教が教皇のもとに集まったのだ。300を超える司教、大司教、総大司教、枢機卿が出席する聖霊降臨節において、日本の殉教者達を列聖する式典をとり行う教皇のもとにね。
親愛なる友よ、私は自制しなければならないよ。教皇がプロテスタントの国において“テ・デウム”を詠唱した際の圧倒的な瞬間のイメージを君に説明することをね。私の説明では精神的な光彩が足りない。それだから、特に話題もかえず、我々の毎日の音楽の話に
戻ろう。”

“日本26聖人殉教地”は長崎にありますね。僕は高校生の頃、修学旅行で行きました。ネットでざっと調べた知識は、16世紀に豊臣秀吉によって、処刑された6人の外国人宣教師と、20人の日本の信者を、1862年6月8日ピウス9世が聖人に列したとのこと。リストはその列聖の式典に深い感銘を受けています。ピウス9世は、リストとヴィトゲンシュタイン侯爵夫人との結婚の話にも関連してくるほか、リストは“ピウス9世 教皇賛歌”という曲(オルガン曲他)を作曲しています。

西園寺公望  ユディット・ゴーティエ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/19(Mon) 00:05 No.2521

国立国会図書館で、『西園寺公望自傳』(西園寺公望述 小泉策太郎筆記 木村毅編 大日本雄弁会講談社 1949年出版)という資料も参照してきました。これはマイクロフィルムとなって保管されている書籍でした。

ですが、ざっと見た感じ、リストについての記述はなかったですね。代わりにですね、P64

“その他、交ることは、ずい分多方面の人と交つたので、殊に美術家がすきで、畫家、小説家など、總じて美術、藝術の人士と交際した。ゴンクールという日本の浮世繪に趣味を持つた人、又美術省を創設したガンベッタとも相知つた”

※“交際”としましたが、ここ字が読めなかったです。何かの旧字体だと思うんだけど…。あと小説の“説”、浮世絵の“浮”も原文は旧字体です。変換できませんでした。

以前話題にしたジャポニスムの流れです。ゴンクールは浮世絵に興味があったため西園寺公望と親しくなったんですね。で、もっと記述が詳しかったのがユディット・ゴーティエ。その箇所、複写を頼んでいるので、また別途紹介することにして、ざっと読んだ内容を書くと、

まずユディット・ゴーティエと西園寺公望は友達なんていうレベルではありません。まずユディット・ゴーティエの方から、西園寺公望に“お金を稼がないか?”と仕事を持ちかけ、ユディットがそのときに執筆していた、ある日本をテーマにした原作の舞台シナリオ化を西園寺に協力依頼しているんです。で、岩波新書『西園寺公望』を立ち読みした知識で、日本の短歌かな?これをユディットと西園寺公望とで仏語訳してるんですね。

『西園寺公望自傳』では、その後、日本人の誰かとユディットが愛人関係にあった、という噂に対し、西園寺公望は“そんなことがあるはずない。彼女は大変に聡明な才女でした”とユディットを弁護しています。

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ふゆひこ > リスティアンの方に興味を持ってもらうために、ちょっと出典まで調べる気力がありませんが、僕の持っている補足知識を書くと、“ユディット・ゴーティエはリヒャルト・ワーグナーの愛人だった”と読んだことがあります。またリストの書簡でもユディットは出てきます。もちろんあのテオフィル・ゴーティエの娘。写真を見たことがあるのですが、東洋思想に入れ込んでいたらしく、エキゾチックな装いをしていました(なんだか占い師みたいな感じ)。ワーグナーも確か、東洋思想、仏教思想を作品に取り入れていたはずです。こんな世界がリストの周辺の周辺あたりでは渦巻いていたんですね。 (7/19-00:05) No.2522
ふゆひこ > 日本語で定着しているのは“ジュディット・ゴーティエ”ですね。過去ログにするとき直します。“ワーグナーの愛人”と(それは本当なのですが)、西園寺公望に怒られてしまいそうな(笑)ゴシップレベルの書き方をしてしまいましたが、ジュディット・ゴーティエはそんなことよりも、熱狂的なワグネリアンで、“パルジファル”の完成に強い影響的役割を果たしています。ジュディットの東洋に靡いた思想がワーグナーにも影響を与えている。それとはっきり分かりませんが“パルジファル”のテキストをフランス語に翻訳しているのかな?これはリストのオルガ宛書簡集に出てきます。1881年10月7日の書簡。 (7/19-23:40) No.2524
ふゆひこ > 岩波新書の『西園寺公望−最後の元老−』(岩波書店 岩井忠熊著 2003年出版)を買ってきました。P31から

“また一八八四年にパリで刊行された『蜻蛉集』(Poemes de la libellule)は美麗な色彩印刷で、私家版として公けにされた稀覯書である。「古今集仮名序」の抄訳とおもに古今集から採られた八八首の和歌の仏語訳五行詩からなり(略)、「訳者 Judith Gautier ジュディット・ゴーチエ、日本国皇帝陛下参事院議官西園寺氏の逐語訳をもとに日本語から訳す、挿画山本」とあった。”

ジュディット・ゴーティエと西園寺公望の正式な共同の仕事です。

で、P32にこうあるんですよ。

“マダム・ゴーチェだけでなく、作家のゴンクール(Edmund Louis Antoine de Goncourt)や音楽家リスト(Franz Liszt)など、一流の芸術家たちとも交際した。”

この記述は西園寺公望のフランス留学中の章に書かれているので、西園寺はリストにフランスで会っているというように読めてしまいます。本当でしょうか?おそらく素直な感想として、これは事実(1882年の渡欧時と)の混同でしょう。ただし完全に否定しきれません。西園寺公望は1880年までフランスにいるようなので、その間にリストがフランスに訪れたときに会ったのかもしれない。憲法調査団以前の邂逅があったのかもしれない。(正直、調べる気にならないほど眉唾だと思ってますが…)。 (7/20-00:10) No.2525
ふゆひこ > これはネット上で公開されている、吉川順子さんという方の大学院研究論文?です。

http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/4_bungaku1/4_19.pdf

論文の主旨は、西園寺訳とジュディット訳の比較を通して『蜻蛉集』の文化的、歴史的意義を見分けよう、というところでしょうか。恐らく、前段にリストについての記述がありますが、おそらく岩波新書の『西園寺公望』を参考にしたのではないかな?文の構造がなんとなく似てるので…。 (7/20-00:22) No.2526
ふゆひこ > この研究論文で、

“1875年には日本に題材を採った小説『簒奪者』 L’Usurpateur を発表している。”

とありますね。これが最初の僕の投稿で書いた、西園寺が述懐していた作品でしょうか?確か西園寺公望の文章では“戯曲”だったと思うのですが…。 (7/20-00:29) No.2527
ふゆひこ > このスレッドを、ここまで読まれた方は、おそらくいないでしょうけど(笑)、ようやくリストが登場します。

1876年11月16日(ブダペスト)のオルガ宛書簡です。P253

“マダム・ジュディット・ゴーティエからの小包が届いたよ、それは彼女の二巻からなる本で『簒奪者〜1615年の日本の歴史的エピソード〜』だよ。そのうちのひとつは、今では『Les Cruautes de l'amour』として出版されてるよ。”

※最後の一文は誤訳かもしれないです。

おお!リストとジャポニスムがつながりました!ジュディット・ゴーティエから、リストにあてて、日本を題材にした『簒奪者』が送られている。しかも、まだ事実の辻褄が合わないのですが、この『簒奪者』は西園寺公望が全面協力した作品かもしれない。 (7/20-00:47) No.2528
じょるじゅ > もしリストと交友があったのなら、政府の行使としていった後の年代よりも、ソルボンヌ留学中の70年代始めのほうが可能性高いです。
エミーユオリヴィエとマダムゴーテイエがどの程度親密だったか、という辺りに鍵がありそうです。
70年代はリストの母をオリヴィエが自分のところで面倒見てます。ですから、リストがパリに来れば必ずオリヴィエと一緒か少なくとも頻繁に出入りしていた。(そのときオリヴィエは「リストは社交界に復帰するのに忙しく私たちと食事する暇も無い」とか愚痴っている)
西園寺がパリ留学していた年代が詳しくわかりますか?パリコミューンの時にいたことは知っているのですが。 (7/20-03:54) No.2532
じょるじゅ > あれ、ふゆひこさんは「西園寺がパリ留学中にリストに会った」というのが信じられないと思われているのですか?
それはなぜ? (7/20-03:56) No.2533
じょるじゅ > 私はヴァグナー=ゴーテイエ=リストでもかなり可能性は高いと思っているのですが。 (7/20-03:58) No.2534
じょるじゅ > 「日本人の誰かと」って西園寺本人のことですか?わはは。
そりゃ援護するでしょう。 (7/20-04:00) No.2535
ふゆひこ > 岩波新書『西園寺公望』の巻末年表を見ると、1871年2月7日にパリ到着〜1880年10月21日に横浜に帰港です。おそらくその期間は、西園寺公望はずっとパリ中心に滞在していると思います。これだけの期間があれば、リストに会っている可能性もありますね。NO2525の書き込みのとおり、僕は全面的には否定していません。ただ、正確に調べていないのですが、1870年代にリストはパリに行っているのでしょうか?リストの母は1866年に死んでいます。僕がざっと見た感じ、1878年6月のパリ万博出席ぐらいです(ここで西園寺公望が臨席している可能性は高いですね)。古い資料ですがユリウス・カップ著『フランツ・リスト伝』(高野瀏訳 河出書房 1940年出版)P391で、その万博出席の記述箇所において“リストは一八六六年以来、一度も行かなかつたパリーでは”とあります。そのときにカップの著書ではエラールの家に滞在、ヴィクトル・ユゴーに会っているとなっています。ウォーカーの方(FY P378〜379)では、さらにエミール・オリヴィエ、サン=サーンス(子供を亡くしたばかりで気落ちしている)と会っており、数多くの山のような招待のおかげでコンサートに出かけられず、なんとかグノーのファウストを観賞したと書かれています(ユゴーについての記述はなし)。 (7/21-02:33) No.2537
ふゆひこ > 僕が感覚的に、西園寺公望がパリ滞在中にリストに会ったことが眉唾だと思ったのは、もし会っていれば、もっと情報が流布しているはず、と思ったからです。最初の投稿で紹介した『西園寺公望自傳』でもフランス留学中の知己として、西園寺の口から挙げられる名前はジュディット・ゴーティエ、ゴンクール、ガンベッタの3人でした。もし仮にパリ滞在中に西園寺とリストが接触していても、少なくともNO2525で引用した岩井忠熊さんの文章は、ゴンクール、ジュディット・ゴーティエと西園寺公望の関係の深度と、リストの関係の深度を並列して述べている点で、誤解を招きやすい文章ではないか、と思います。いずれにしても、まだ調べ方が足りないので、すべてを覆す事実が出てくるかもしれません。「日本人の誰か」というのは、西園寺は実名を挙げています。そこの部分、複写を頼んであるので、資料が届いたら紹介します。西園寺公望自身ではありません。 (7/21-02:47) No.2538
ふゆひこ > 今日、国会図書館で複写を受け取ってきました。上掲書 P66〜67

“テオフィル・ゴオチェと云う有名な文學者の娘にジュディツ・ゴオチェというのがあつた。著作もあり、文章もうまい女であつたが、それがある時わたしに、あなたは金を儲けたくないかというから、儲けたくないこともないが、儲けることを知らないと云うと、わたしはある人が作つた日本ものの筋書を持つているが、それを脚本に仕上げたいから、手傳つてくれという。それでは一つやつてみましようということになつたが、誰が作つたのか、まずいもので、それを直すとなると、うまいといつても女だから文章に喰い足らない所がある。それで筋を直したり、文章を手傳つたりして、二人でデッチ上げたのです。その脚本を舞臺に上せたが、毎晩のあがり高に應じて作者へいくらかずつもつて来る、其の婦人から三度か四度、三四十圓位ずつもらつたことがある、が其の後はもらわなかつた。”

作品は『簒奪者』のようには思えないな。なんかやっつけ仕事的に作った戯曲のような気がします。上で、西園寺が口にする名前として3人書きましたが、後クレマンソーもいます。 (7/30-00:26) No.2591
ふゆひこ > ちょっとリストから離れますが“愛人”の噂が立てられたのは、ちょっとキャリアがよく分からないのですが(法学者かな?)光妙寺三郎という人物です。西園寺の友人。上掲書P68〜69

“光妙寺三郎がマダム・ゴオチェの情人だなどと書いてある本(田中貢太郎、安藤徳器の「西園寺傳」を前にをいて)は、嘘だ。何しろ文章もかく、詩もつくる、畫もかくという當時有名な才媛で、芝居の脚本を作つたが、もとより俳優ではない。(略)光妙寺などが食いつけるしろものではない。”

西園寺公望は、当時の道徳観で“才媛だからそんなことはない”と否定しているだけで、根拠が薄いですね。ジュディットがワーグナーの愛人であったこと、東洋への傾倒ぶり、それと写真を見たら光妙寺三郎って結構かっこいい人なんですよね、そんな簡単に否定できることではないと思う。

『西園寺公望伝 第一巻』(立命館大学西園寺公望伝編纂委員会 第一巻執筆 岩井忠熊、後藤靖 岩波書店 1990年発行)P248でも、ジュディットの部屋に光妙寺の写真が飾られてあった事実を紹介し、

“愛人問題のせんさくはできないが、ゴーチェにとって光妙寺が忘れがたい人物だったことはたしかなようである”

というところで落ち着けています。 (7/30-00:45) No.2592
ふゆひこ > 『西園寺公望伝 第一巻』のP246でも、西園寺公望はパリ滞在中にフランツ・リストと交際した、という記述があります。この第一巻は、先に紹介した岩波新書と同じ著者なので、補強する記述というわけではないです。おかしいのは、ここの章は、一番最初に紹介した『西園寺公望自傳』をベースに書かれてるんですよ。参考文献を見てもそうなっている。『西園寺公望自傳』にはリストの名前は出ていなかったです(ざっと見ただけですが)。なぜリストの名前をここで出したんだろう? (7/30-00:51) No.2593
ふゆひこ > ジュディット・ゴーティエの話を続けてしまいますが、国立国会図書館で調べてきたら、ジュディットは、『Le Japon(merveilleuses histoires)』という日本の歴史書?も書いてますね。それよりもですね、なんと『桃太郎』を翻訳してました(笑)。小さな本で(日本でも子供向けに昔話の小さな雑誌みたいなのが本屋にありますが、あんな感じ)表紙に“桃”の絵、真ん中に日本字で“マダム・ジュリエット・ゴーチエ譯述 桃太郎鬼退治物語 扇城諫山戯画”と書かれてます(笑)。絵本ですね、左に短いフランス語の“桃太郎”本文、右に諫山麗吉(だと思うんだけど)による普通の日本的な桃太郎の物語絵が書かれています。書籍のクレジットは、『Aventures de momotaro tres ancienne legende japonaise』Isayama.R phosphatine palieres PARIS devambez grav .imp となってました。出版年は不明のようです。 (7/30-01:06) No.2594
じょるじゅ > l'Enfant La (Le ) Peche ですか?知りませんが。ももたろ〜。)なんか面白い。笑える。

いやー『光妙寺などが食いつける代物ではない』笑えますね〜。なにかライバル意識を感じる。
ただ、『写真』はやたらと飾らないでしょうから、特に当時「写真を撮る」という行為じたい特別だったわけでそれを渡す、もらうというのは現代とは少し違いますよね。
面白いです。
(7/30-03:00) No.2595
ふゆひこ > フランス語は読めないので、絵を見ながら単語を眺めただけですが、ジュディットの翻訳は、普通の桃太郎の話そのままのようです。川で洗濯をしていたら、桃が流れてきて…という、みんなが知っている話そのまま(笑)。ただ鬼退治した後、桃太郎は“Tokio”に戻ってくるとなってたような…江戸だからいいのか。21世紀の現代でも、異文化に対する誤解、茶化して紹介するようなことが多い中(日本文化はその対象の最たるものですね)、ジュディットの正確な翻訳というのは素晴らしいです。 (7/31-00:19) No.2599


伊藤博文 フランツ・リスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/11(Sun) 01:57 No.2472

リスティアンの間では、非常に有名なエピソードなのですが、どうも情報がまちまちで、ちょっと興味を持って調べてます。(ネット上で散見される記述は、てんでばらばらで、年代も何も合わないし、出典も明確にされていない。ためしに皆さん、このスレッドのタイトルをそのまま検索かけて調べてみたら情報の錯綜ぶりが分かります)。

まず、僕が知っているこのエピソードの出典書籍は中村紘子さんの『ピアニストという蛮族がいる』(中村紘子著 文藝春秋 1992年出版)のP82〜83です。(他にどなたか出典をご存知でしたら教えてもらえると嬉しいです)。以下、同書P82〜83から略しながら引用。【】は部分略するために、僕が書き加えた単語です。

“それにつけても思い出されるのは、そう、二十年以上もまえ、私が指揮者の故近衛秀麿氏から直接うかがった或るエピソードのことである。−時は明治の十五、六年の頃、ワイマール公国で大変盛大な祝典がとり行われ、宮廷に各国からの貴顕紳士淑女たちが参集して大夜会が催され、日本からは当時の明治政府を代表して伊藤博文と西園寺公望が出席した。その席上、当時のヨーロッパ社会で王侯貴族から平民に至るまでのすべての人々から崇められ尊敬されていた老巨匠フランツ・リストが、乞われて数曲演奏をした。(略)ところが伊藤博文は、リストのピアノ演奏を耳にしてすっかり感動してしまって、「ぜひこの者を日本に連れて帰ろう」と言い出した。「我国でも音楽取調掛がおかれ、西洋音楽の教育が始まった。この者をそこの教師に連れて行きたい」というのである。(略)西園寺公望は(略)彼はリストを日本に連れて行くなどということがいかに無理な注文であることか、伊藤博文に説明するのに随分苦労したという。(略)このエピソードは(略)、何気なく【近衛】氏の口から流れたもので、(略)【近衛】氏は、「これは私が西園寺公からじかに聞いた話です。それにしても、フランツ・リストが日本で教えていたなら」と話を結んだ。”

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ふゆひこ > 中村紘子さんは、近衛秀麿からプライヴェートでじかに聞いた貴重な話を文章にしたためてくれているわけです。ですが情報の信憑性から考えると、このエピソードは、西園寺公望が近衛秀麿に話し、近衛秀麿が中村紘子さんに話し、それから20年以上後に中村紘子さんが思い出しながら文章にしている、という信憑性の薄さになります。20年以上前に聞いた話を正確に覚えていることなどできないと思うので、おそらく中村紘子さんは別に時代背景を調べて補足も行っていると思います。 (7/11-02:03) No.2473
ふゆひこ > まず伊藤博文が欧米に行った時期がいつか?からはじめると、

第1回 1863年、鎖国時代にイギリスに密留学。〜1864年帰国。
第2回 1871年岩倉使節団の一員として渡米。72年3月にいったん帰国。再度渡米し7月にヨーロッパ入り。〜73年帰国。
第3回 1882年2月25日。憲法調査のため欧州に留学。西園寺公望同行。

(以上は、http://www.kvision.ne.jp/~momorx/ 伊藤公資料館電脳頁、および『岩倉使節団“米欧回覧実記”』田中彰著 岩波現代文庫 2002年出版 巻末付録年表 を参照。) (7/11-02:23) No.2474
ふゆひこ > リストは1860年代にイギリスに行っていないので、第1回目ではありません。1871年〜1880年まで西園寺公望はフランスに留学しているとのことなので、第2回目が完全に消えるわけでありません。岩波文庫の『米欧回覧実記』を今度調べてみるつもり。中村紘子さんの記述をベースに考えると、第3回目でしょうね。1882年は明治十五年です。中村紘子さんの文章では、祝典のために伊藤博文と西園寺公望が渡欧しているように思ってしまいますが、正確には第日本帝国憲法制定の準備のために、ドイツに行っているわけです。その期間のどこかでリストの演奏に接していると思われます。 (7/11-02:34) No.2475
ふゆひこ > つぎに1882年にリストがどこにいるか?これは、ラ・マーラ書簡集、オルガ書簡集、ウォーカー、LISZT STUDIES VOL.10のリストの書簡の居所をまとめたものです。

1882年1月   ローマ
   1月29日 ウィーン
2月5日 ブダペスト
   2月14日 ブダペスト
   2月20日 ブダペスト
   4月4日  ブダペスト
   4月11日 ブダペスト
   4月16日 ウィーン ・・・翌週にワイマールに戻るという記述あり。
   4月22日 ワイマール
4月25日 ワイマール
   4月?  ワイマール?
   5月3日  ブリュッセル ・・・月曜にワイマールに戻るという記述あり。
   5月5日 ブリュッセル
   5月11日 ワイマール
   5月14日 ワイマール
   6月10日 ワイマール
   6月25日 ワイマール ・・・火曜日にフライブルク⇒チューリッヒに行き、7月の真ん中にはバイロイトに居るという記述あり。
   6月?   ローマ
   7月3日 フライブルク
   7月6日 フライブルク
   7月6日  バーデンバーデン
   7月11日 チューリッヒ
   7月16日 バイロイト
   7月20日 バイロイト
   7月23日 バイロイト
   9月16日 ワイマール
   9月27日 ワイマール
   10月14日 ワイマール
   11月4日 ワイマール
   11月6日 ワイマール
   11月15日 ニュルンベルク
   11月29日 ヴェニス
1883年 1月7日  ヴェニス (7/11-02:54) No.2479
ふゆひこ > 1882年1月はずっとローマ、1882年11月の終わりからパラッツォ・ヴェンドラミンに行ってしまうので、ここを除き、いつどこで演奏を聴いたかを特定させたいですね。 (7/11-02:57) No.2480
ふゆひこ > 本屋で、大修館書店の『近代日本と仏蘭西』という本をちらっと読んできました。西園寺公望はやはり、フランス留学中に岩倉使節団と接触してますね。木戸孝允とはそのときに仲良くなったそうです。伊藤博文と知り合いになった、というような記述が見つかりませんでした。西園寺はフランス留学中に、マダム・ゴーティエ(ユディット・ゴーティエのことかな?)やゴンクールとも知り合ったとのこと。あと岩波文庫の『米欧回覧実記』の目次、注釈をざっと見てみましたが、演奏会に臨席、というような記述はなかったです。西園寺公望と伊藤博文が仲良くなるのは、やはり1882年でしょうか。で、1882年の憲法調査団なのですが、僕は大日本帝国憲法の性格からプロイセン、ドイツを中心に行動したのかと思ったら、その活動内容はまだ完全に解明されていないそうです。ハンガリーやイギリスにも行っている。となると上で書いたほとんどの都市が、可能性を持っているように思えます。あと、上で1882年2月25日に出発と書きましたが、ネット上の多数派記述では、出発は3月のようです。 (7/11-23:37) No.2485
じょるじゅ > 憲法調査団の記録なんて、ちゃんと残っていそうなのに意外と見つかりにくいものなのですね?国会図書館はサイト検索とかまだ出来ないのかな?
私も82年のリストの活動探してみます。ヴァイマールの宮廷で公的催事で演奏ともなれば何か本人が書いているかもしれないので。 (7/12-01:18) No.2488
ふゆひこ > 1882年のリストって前年に階段から落ちて、体調も思わしくなく、かなり苛立っているようです。うまく演奏についての記述が出てこないです。幕末、明治維新の頃って日本史でも非常に人気があって、研究されつくしていると思うので、僕が知りたいと思っている程度の情報ならばすぐに出てくるかと思ってます。こんど大きな図書館に行ってみます。伊藤博文と西園寺公望の憲法調査の足跡を調べて、上のリストの居所とリンクすれば、答えは早そうです。『近代日本と仏蘭西』という本の中で“ちゃんと解明できていない”という発言をした人は、調べに調べつくした結果のファウスト的発言じゃないかな(笑)。 (7/13-01:51) No.2492
じょるじゅ > 5/25(木)カロリーネ宛て書簡
「アーデルハイドが火曜日の宮廷コンサートのことを詳しくお伝えするでしょう。ミカドからの大賞を大公に献呈した日本使節団のために開かれたのです...」
(残念ながらその後は編集者によって省略。)ただ、演奏に関して記述があれば省略されることはないと思います。

5/25の前の火曜日は23日です
したがって1882年5/23(火曜日)はどうでしょうか?
同年10/23には宮廷でオールリストコンサートも開催されていますがその日前後には書簡は私の手元にはありません。

(7/13-03:06) No.2494
ふゆひこ > ひとつ見つけました。FRANZ LISZT STUDIES VOL10 のP227 書簡番号266です。上で4月?ワイマール?となっている書簡で、どうもその時期と場所で推測されているのは、別のカロリーヌ・ヴィトゲンシュタインに宛てた4月29日付けの手紙で、4月24日の“宮廷における晩餐とコンサート”のことが触れられていることによるようです。ただ、そのコンサートでは“アンジェラス”の室内楽版(これをリストが絶賛している)、それとグリーグの弦楽四重奏曲、 フェードル・フォン・ミルデが、リストの歌曲“先祖の墓”“もう一度君に会いたい”を歌ったようで、リストがピアノを演奏した、という記述まではありません。 (7/13-03:11) No.2495
ふゆひこ > 書き込みがだぶりました。おお、まさにそれじゃないですか!ずいぶん答えが早くみつかりました(笑)。日にちまで特定できるとは!ありがとうございます。その書簡集は何の書簡集か教えてもらえないでしょうか?リストが“ミカド”という単語を使っているのかな(笑)。なんか夜更かしは三文の徳って感じ(笑)。 (7/13-03:16) No.2496
じょるじゅ > Adrian Williams ”Franz Liszt Selected letters” -Oxfordです。いつものやつ。
アーデルハイド・フォン・ショーンの書簡がどこかにあれば詳細がわかるのですが。(ゲーテシラーアーカイブでしょうか?)
彼が自分で「演奏した」といってないのが気になりますが。
リストがミカドという言葉を使ってます。

今、この日にちをもとに、幼馴染の友人に資料が手に入るか聞いています。(彼は京大出身、日本史の先生。) (7/13-06:50) No.2497
じょるじゅ > ところで、話はそれますが西園寺侯爵、フランスの社交界に出入りしてマダムゴウテイエともお友達?すげーハイカラ。憧れてしまう。ソルボンヌ卒でしょ。パリコミューンなども目の当たりにしてるみたいだから、エミーユ・オリヴィエとかとも会っているでしょうね。
(7/13-11:50) No.2498
ふゆひこ > その書簡集は持ってないです。AMAZONで検索したらずいぶん高価ですね。いつか買いたいです。リストが“ミカド”という言葉を使うなんてすごい(笑)。まさに“EAST MEETS WEST”ならぬ“EAST MEETS LISZT”(笑)。確かにピアノ演奏の記録がはっきりしないと、まだ釈然としないですね。中村紘子さんの文章で、省略したのですが、P83に“伊藤博文はあとあとまで「リストを日本の音楽取調掛に引っ張ってこられなかったこと」を、残念そうに語っていたという話であった”とあるんですよ。リストの作品が演奏されただけ、あるいは大作曲家リストとして紹介されただけでは、1回の接触でそこまで心酔させるのは無理だと思います(西洋に触れたばかりの明治時代の日本人がそこまで西洋芸術に対する感性が鋭いとは思えない)。やはり外的なインパクト、直接的な強い効果、“リストの演奏”を聴いたのだと思うんですよね。日本史の先生の方なら、なんか調べ方とかに習熟されてそうですね。 (7/14-01:57) No.2500
ふゆひこ > 立ち読みした『近代日本と仏蘭西』という書籍で、西園寺公望の若い頃の肖像写真が載っていたのですが、これがまぁ、ほんとに当時の日本人なのか?と思うような、洗練された貴族然とした風采でした。明らかに高い身分の人、という感じです。 (7/14-02:07) No.2501
じょるじゅ > 私も、一回だけ聞いて伊藤博文が「西洋音楽」を芸術として理解した、というのはいったいどういういきさつなのだろうと思ってました。伊藤はクラシックに造詣が深かったのでしょうか?
私たちの住む現代でさえ、「わかる」ようになるには結構訓練が必要だと思うのですが。
(ま、リストの場合、アマでもすぐわかるすごさもあるけど。) (7/15-06:21) No.2505
ふゆひこ > 造詣が深かったとは思えないですね、西洋音楽に触れたばかりじゃないかな。しかも後期ロマン主義の手の込んだ和声を持つ音楽はなおさら分からないはずです。なので外観的にインパクトのある“ハンガリー狂詩曲”や“メフィストワルツ”がもし弾かれたのだったなら、伊藤博文も度肝を抜かれると思うんですよね。もしリストではなく、ダルベールが弾いていたら、きっと伊藤博文は“ダルベールを連れて帰ろう”と言ったと思います。あるいは、上述の『岩倉使節団“米欧回覧実記”』田中彰著の中の、いくつかの文章を読んで思うことは、岩倉使節団を始め、伊藤博文、西園寺公望、らはとてつもない洞察力というか、慧眼というか、すごい先を見る力を持っている人たちなんですよね。もしかしたら伊藤博文はリストの演奏は聴いていないのだけど、リストの影響力、教育者としての、音楽界におけるキャリアに注目したのかもしれません。 (7/16-02:05) No.2507
ふゆひこ > 国立国会図書館に行って資料を調べてきました(初めて利用したので、かってが分からず、資料探しが上手くできなかったです)。参考したのは、

明治百年史叢書 『明治憲法制定史 上』 清水伸著 原書房 1971年12月20日発行

というもの。まずは上で憲法調査団の活動が“完全に解明されていない”ということの背景的な記述(直接つながならないと思うけど)。P8から引用。

“憲法制定史の研究には、客観的な資料が必要である。ところが明治憲法の場合はみるべき資料が宮中、内閣枢密院の書庫に密封され
、死蔵されていて、制定の当時はもとより、その後の実施中にも、学徒の目に触れることを極度に恐れていた。また、条章の起草に直接関与した伊藤博文をはじめ政府当局者、および枢密顧問らは、申合せたように起草の経過を黙して語ることもなく、あい前後して他界している。かくして明治憲法は、あたかも筆者なき文章のごとくに、いたずらに神秘化されるばかりであった。”

大日本帝国憲法の性格上、意図的に神秘性が与えられたのかもしれないです。当時の日本人の強い自尊心から、国民に対して、外国の法律を基本として人の手によって作られた、ということが明確に伝わってはいけなかったのかな? (7/18-01:03) No.2511
ふゆひこ > さて、次は同書、P25“第一章の二 渡欧から帰国までの日程と活動”のところから、かなりまとまった活動日程を、データを抽出して引用します。伊藤博文の所在です。 (7/18-01:08) No.2512
ふゆひこ > 1882年3月14日 東京〜横浜    出発
     3月22日 香港        到着 〜25日まで広東を視察。
     3月27日 香港        出発
     4月2日  シンガポール   到着
     4月3日  シンガポール   出発
     4月22日 スエズ       到着
     4月23日 カイロ        到着
     4月28日 エジプト      国王ケヂーフ殿下に謁見。
     4月29日 カイロ       出発
    5月2日  アレキサンドリア 出発
     5月5日  ナポリ       到着
     5月7日  ローマ       到着
     5月12日 ローマ       出発 
     5月16日 ベルリン      到着
     5月19日 ベルリン      グナイストと面談。憲法講義の打合せをする。
     5月25日 ベルリン      グナイストの弟子モッセによる講義が始まる。
     〜7月29日まで講義。⇒清水伸氏の説明では2日か3日おきに行われたとのこと。
     8月8日 ウィーン      到着。シュタインに面会。
     8月28日 ウィーン      ヴィルヘルムT世の陪食。
     8月30日 パリ        西園寺、河島らとパリに。
     9月11日 ストラスブルグ  出発。
     9月18日 ウィーン      シュタインによる講義が始まる。〜10月31日まで。
    11月5日  ウィーン      出発
    11月14日 ベルリン     モッセによる講義再開 〜12月27日以前まで
    12月27日 ベルリン発    ドイツ南部へ旅行。ウルムに3日間、ホーエンツォレルン・シグマリンゲン公と会う。 (7/18-01:09) No.2513
ふゆひこ > 1883年1月1日  ワイマール   ワイマール公を訪ねる。二日間滞在。
     1月5日  ベルリン     帰着
     1月30日  ベルリン     モッセによる講義再開 〜2月9日まで
     2月19日  ベルリン     出発
     2月28日  ブリュッセル  滞在
     3月3日頃 ロンドン     到着
     5月2日   パリに行く    滞在?
     5月9日   モスクワ     到着
     5月27日  モスクワ     ロシア皇帝即位式に参列
     6月23日  ローマ      到着  
     6月26日  ナポリ      出発 
     7月20日  香港       到着
     8月3日   横浜      到着    (7/18-01:10) No.2514
ふゆひこ > 上記の日程を、清水伸さんは、書簡やその他関連者の日誌から、データを集めて作成しています(上の僕が簡易に作った1882年のリストの所在と方法論は同じ)。正式な活動日程はないんでしょうね。

まず現代人にはなかなかイメージできないですが、3月14日に出発したとしても、欧州入りできるのは5月5日のナポリです。1ヶ月半かかっている(帰路も1ヶ月強かかってます)。その移動期間は除外しなければならない。

次に注目しましょう。1883年1月1日にワイマールに行っています。2日間滞在とのこと。ネット上の情報で“1883年1月1日に演奏を聴いた”みたいなのがありました(中村紘子さんの本とは別に出典があるんでしょうね…)。ですが、1883年1月1日には、リストはまだヴィネツィアのパラッツォ・ヴェンドラミンで、ワーグナー夫妻と過ごしています。“悲しみのゴンドラ”を作曲している頃です。リストがワイマールに戻るのは1月の真ん中あたりなので、これは違うでしょう。それで上のリストの所在と照らし合わせて、他にリンクするのは……

ありません(笑)。 (7/18-01:32) No.2515
ふゆひこ > 推測の補足として、同書P36から引用します。これは文部省留学生として同行した木場貞長の文章。

“一行の調査研究といっても、別にこれといって公の指揮命令を仰いで活動したわけでなく、公が講義を聴かれた以外は、みな旅館で彼地の新聞や書籍を読み、あるいは各地に盛んに見学見物に出かけることに多忙であったようである。”

この文章は、伊藤博文以外の人の行動模様が推測できる文章ですが、伊藤博文も講義期間中(ベルリンとウィーンが拠点)息抜きにあちこち赴いたでしょう。清水伸さんも、講義は2〜3日おきに行われた、というように書いています。さらに一番解答に近いじょるじゅさんがNO.2494で紹介してくれた書簡から推察される“5月23日”は、モッセによる講義がまだ始まっていない5月19日〜25日の間のことになります。そのときに伊藤博文がワイマールに行っている可能性が高いと思います。 (7/18-01:51) No.2516
ふゆひこ > すんません。訂正です。NO2515の書き込み、リストがヴィネツィアの次に行くのはワイマールではなくブダペストです。 (7/18-23:04) No.2520
ふゆひこ > 次も補足的なこと。一番上の、中村紘子さんの文章で“音楽取調掛”というのがありますね。これはその後音楽取調所となり、東京音楽学校となり、そして芸大音楽学部になる機関です。『お雇い外国人−音楽』(野村光一著 鹿島研究所出版会 1971年出版)の巻末年表と、本文内容から、

1868年 明治政府は、はじめて外国人を雇用。
1870年 外国人雇入方心得 公布
1879年 音楽取調掛設置
1880年 L・W・メーソン来日。音楽取調掛の教員となる。
1882年3月 メーソン 契約期間満了による解任。ただし1年の契約延長。
1882年9月 アメリカに一時帰国していたメーソンを、書簡で一方的に罷免。

メーソン自身も、もう1年日本で教育担当をする気だったのですが、野村光一さんの解釈では、当時の日本人関係者が、今後は日本人だけでもやっていけると思ったらしく契約を打ち切ったようです。この辺の話も、いろいろな背景があって面白いのですが、ここは事実確認のデータのみとします。伊藤博文が当時の音楽取調掛の状況にどこまで関与していたかは調べてませんが、少なくとも音楽取調掛は設置してまだ2年後、そして最初のお雇い外国人のメーソンの契約期間がちょうど切れる2年後にあたる1882年に伊藤博文は欧州に行っている。 (7/29-03:39) No.2584
じょるじゅ > あれ、リストの弟子にMason(メーソン)というアメリカ人いませんでしたっけ?L.Wかどうか覚えてませんがファーストネームはウイリアム(W)だったような。NYに行った人。 (7/29-04:25) No.2585
じょるじゅ > William Mason (1829-1908) FY P232に名前だけ出てきます。
コンスタンス・バッシュの書簡集ではリストが英語で書いたので唯一翻訳しなくてよかったやつじゃないでしょうか。(もしかしたらラクムンドだったかな。。。) (7/29-04:31) No.2586
じょるじゅ > 1854/12/14メーソンあてに書いてます。
(7/29-06:55) No.2587
ふゆひこ > フルネームで書けばよかったですね。ルーサー・ホワイティング・メーソンです。この人、ボストンで音楽を学んだと書いてあったと思うので、もしかしたらウィリアム・メーソンと関係があるのかもしれないですね。1854年12月14日の書簡を読むと、注釈でウィリアム・メーソンはボストン生まれとなっている。 (7/29-23:24) No.2589


サタデー・ナイト・フィーヴァー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/18(Sun) 02:33 No.2517

皆さん、そろそろ“もう昔の千円札の話なんていいよ…”とげんなりしだしたと思うので(←こういいながら、まだ続ける気満々ですが(笑))、『アラウとの対話』から笑える会話を。P209です。

ホロヴィッツ:とくに楽しかったとおっしゃった映画に、『サタデー・ナイト・フィーヴァー』がございましたが。
アラウ:ええ、楽しかったですよ。ジョン・トラヴォルタのダンスが楽しめるからです。(略)
ホロヴィッツ:先生がジョン・トラヴォルタのファンだとわかったら、世間はびっくりするでしょうね。『サタデー・ナイト・フィーヴァー』の音楽も楽しまれましたか。
アラウ:ええ、だいたい気に入りました。
ホロヴィッツ:トラヴォルタの映画はほかにもご覧になりましたか。
アラウ:『グリース』を。あれは彼の踊る姿を充分に見せていないと思いました。

わははは(笑)なんだこの会話は(笑)。『グリース』を観て、ジョン・トラヴォルタのダンスシーンが少ないことを不満に思うアラウ(笑)。うーん、アラウが『パルプ・フィクション』や『フェイスオフ』を観たら怒っただろうな(笑)。

ゾフィー・メンターの猫 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/17(Sat) 23:38 No.2509

『アラウとの対話』(J・ホロヴィッツ著 野水瑞穂訳 みすず書房 1986年出版)をようやく買いました。古本屋で半額になってたので。この本は非常に面白いです。いろいろと驚くようなことや、アラウの興味深い話がたくさん書かれています。

その中で驚いたのが、アラウはゾフィー・メンターにも会ってるんですね(その前段にサン=サーンスの演奏を聴いたことも書かれています)。P110〜P111。

“それから、ゾフィー・メンターも。彼女はマルティン・クラウゼ教授のひじょうに親しい友人でした。教授が私をお伴に、メンターを訪問したことがあります。彼女はミュンヘン郊外に、五十匹の猫と住んでいました。人間嫌いでね、実の娘さんをすら疎んじていたのです。猫が逃げ出さないように金網で囲った、広大な庭があったことを覚えています。ともかく、彼女はひじょうに印象深い女性で、そのときもなおあでやかな美しさを誇っていました。(中略)クラウゼ教授が彼女に所望しました。「どうぞ、何か弾いてください。この子に聴かせるので。」初め、メンターは渋っていました。それから、リストの協奏曲イ長調から、抜粋を弾いてくれました。「これ以上は弾きません。練習していませんのよ」と彼女はこぼしましたが、それはとても美しい演奏でした。七十歳ほどになっていたはずです。”

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ふゆひこ > すごく感慨深い話ですね。クラウゼは1853年生−1918年没。メンターは1846年生−1918年没。同年に亡くなってるんですね。アラウは1903年生まれで、クラウゼに師事したのが1913年から、師が亡くなる1918年まで。“七十歳ほどになっていた”とありますから、1915〜6年のエピソードでしょうか。ゾフィー・メンターの最晩年は寂しいものだったのかな…。しかしアラウの文章は、ゾフィー・メンターの往年の美貌を感じさせます。また“五十匹の猫”というのがすごいですね。歴史家ミシュレの奥さんが大変な数の猫を飼っていたということが書かれた本を、そういえば本屋さんで手にしたことがあります。 (7/17-23:51) No.2510


ジャン・ギュー リストのオルガン曲 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/13(Tue) 01:37 No.2491

オルガン奏者にとって、リストのオルガン曲というのは、かなり魅力があるのか、ディスクが非常に多く発売されてます。僕が持ってるオルガン全集だけで3つ。他にも1枚もののディスクはたくさん出てます。オルガンというとバッハを中心としたバロック、他に宗教曲がメインになると思うので、ロマン派の大規模オルガン曲は魅力的なレパートリーなのかもしれません。
前からジャン・パーカー=スミスという人のディスクを持っていて、その中に交響詩“オルフェウス”をジャン・ギューというオルガン奏者、作曲家が編曲したものが入っています。これはゴットシャルク、リストによる編曲よりも非常に面白いです。

で、ジャン・ギューという人はかなり有名で、リストの他のオルガン曲、ピアノ曲もいくつか編曲しているようです(“忘れられたワルツ 第1番”とか“バッハの名によると幻想曲”とか)

これはジャン・ギューのサイト。http://jeanguillou.artistes.universalmusic.fr/
ディスコグラフィーのところをクリックしましょう。ダブルピアノという2台のピアノをくっつけたもので、ギューは“バッハの名による幻想曲”を弾いているようです。(前奏曲とフーガの方じゃないのかな?)
それからBORGATOというところをクリックしましょう。これがギューが使っているダブルピアノです。オルガン奏者用らしく2台目は足で演奏する構造になっています。面白そう。

ニケ・ワーグナー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/09(Fri) 00:43 No.2459

以前、たえりんさんの書き込みから“リストの子孫”のことが話題になりましたが(PAST LOGにあります)、とても興味深いことを知りました。リスト〜コージマ〜ジークフリート〜ヴィーラントの娘、つまりリストの曾々孫、ワーグナーの曾孫にあたる、ニケ・ワーグナーです。1945年生まれ。『WAGNER THEATER』なる書籍も発表。バイロイトの総監督に就任したかったらしいのですが、なんと彼女は2004年からワイマール芸術祭の総監督に就任したとのこと!リストの跡継ぎみたいなものでしょうか?

これはロイヤルロード銀座というサイト。
http://www.royalroad.jp/
ここで“音楽とともに過ごす優雅な休日”>最新音楽情報>2002年の記事>10月の記事 の順でクリックしましょう。
“ニケ、ワイマールへ”という記事が載っています。

これは、ニケ・ワーグナーのインタビュー(ドイツ語で僕には読めません)。
http://www.planet-interview.de/interviews/pi.php?interview=wagner-nike
ページ、右端の写真に注目しましょう!ワイマールのリスト像の前で微笑むリストの曾々孫ニケの感慨深い写真です。

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ふゆひこ > ニケの別の英訳されたインタビューを見つけました。上記のドイツ語インタビューとは別の内容です。
http://www.andante.com/article/article.cfm?id=17540
ニケ・ワーグナーは美人ですね。さすがリストの曾々孫。シャーロット・ランプリングとかに似てる。あと倍賞千恵子とか(笑)。 (7/9-01:59) No.2460
ふゆひこ > まだ起きてます。おお、ワイマール芸術祭のサイトを見つけました。ニケがいろいろ企画している、プログラムを知ることができます。“リスト・マルチメディア、ダンテ交響曲”とか。なんか面白そう!
http://www.kunstfest-weimar.de/kunstfest.php (7/9-02:14) No.2461
ふゆひこ > ワイマール芸術際祭のサイト、面白いです。アンドラーシュ・シフも参加するようですね。マルク・アンドレ・アムランは、8月21日に巡礼の年 スイスを演奏するようです。ニケ・ワーグナーの講演付きのようです。 (7/10-10:22) No.2462
ふゆひこ > “曾々孫”“曾々孫”と、まるでマントヒヒのように連呼してしまいましたが、ちゃんとした呼称は“玄孫(やしゃご)”ですね。失礼しました。上のインタビューは、英語の方は2002年のインタビューで、まだニケがバイロイトの総監督になろうとしている頃のようです。ワーグナー家の確執みたいなこともかかれてますね。ウォルフガング・ワーグナーに対しては、かなり手厳しいことを言っています。それで最初のドイツ語のインタビューは、ワイマール芸術祭総監督に就任してからのもの。すごく穏やかで、ワイマール芸術祭でのニケのプラン的なことを語っているようです。がんばれ!ニケ・ワーグナー! (7/10-10:28) No.2463
じょるじゅ > シャーロットランプリングいえてる。それよりも、晩年のコシマにもよく似てますよ。
アムランが巡礼の年!おおお! (7/10-11:36) No.2464
ふゆひこ > 知性を感じる美貌ですよね。“先入観かな”と思って書かなかったのですが、やはりリスト〜コジマの面影を感じますよね。髪型がリストに似てる。ニケは、2006年まで就任予定のようなので、当分ニケの活動には注目ですね。 (7/11-01:13) No.2469


ジョン・リーチによるリスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/07(Wed) 01:28 No.2457

珍しいリストのスケッチをネットで見つけました。実際に販売されているものです。

http://www.butterfields.com/areas/fandd/7472G/detail/7472g-2291.htm

“ジョン・リーチ作と思われる”ということでしょうか。ダンタンのリストに構図が似てますね。19世紀の作品であることは間違いないのでしょう。絵としての価値はあまり感じませんが、リストの演奏風景を知ることができる貴重な一枚だと思います。

調べるとジョン・リーチはイギリスのイラストレーターで、パンチ誌のイラストを描いたようです。またディケンズと知己になり『クリスマス・キャロル』の挿絵も手がけたとのこと。このリストのスケッチはイギリス演奏の際に描かれたものかな?

ソナタ ロ短調 管楽器合奏バージョン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/04(Sun) 00:23 No.2453

面白いCDを手に入れました。“ピアノソナタ ロ短調”のCDなのですが、ピアノ独奏版(演奏:カーロイ・モチャーリ KAROLY MOCSARI)といっしょに、なんと15台の管楽器バージョンに編曲されたバージョンも収録されています!もちろん全曲。

編曲者、及び指揮が、ヤーノシュ・コミヴス(?)JANOS KOMIVES。で管楽器合奏は、アンサンブル・オーパス95 ENSEMBLE OPUS 95という合奏団がやっています。

解説を読むと、どうも1986年のリスト没後100年記念時にコミブスが編曲したようです。

一部、ちょっと???という部分がありますが、全体として非常にかっこいいです。僕は大変気に入ってます。管楽器で旋律が奏でられることで、ソナタロ短調のファウスト交響曲への親近性がよりいっそう明確に感じられます。海外のオンラインCDショップで、いくつかリストアップされてますが、入手は難しいかも…。僕は中古屋でたまたま見つけました。(LABEL:REM NO:REM 311265 TITLE:"HOMMAGE A LISZT")

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さくら > そんなものがあるんですか!驚きですね。ソナタをブラス用に編曲しようとする発想自体が面白いです。でも…、ということは30分近く楽器を吹き続けるということですよね?疲れそうです…。
私はブラスはそんなに好きではないんですけどね…。 (7/6-18:56) No.2455
ふゆひこ > 僕も驚きました。15人で旋律を分担しながら演奏するので、ピアノ独奏者よりも疲れないかも。最初“どうせやるなら管弦楽でオーケストレーションしてくれれば…”なんて思ったんですけど、むしろ下手に弦楽器を入れるより管楽器のみにすることで、単一器楽曲としての表情が維持されて違和感がなく聴けます。ソナタロ短調の楽曲としての完璧さ、素晴らしさを再認識させるアレンジです。 (7/7-00:47) No.2456

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