アレグリの“ミゼレレ”とモーツァルトの“アヴェ・ヴェルム・コルプス”によるシスティーナ礼拝堂にて  投稿者:さくら 投稿日:2004/07/01(Thu) 00:56 No.2430

リストの「アレグリの『ミゼレレ』とモーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』によるシスティーナ礼拝堂にて」
という曲があるらしいのですが、ご存知でしょうか?ハワードは録音していますか?何巻ですか?

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ふゆひこ > その曲はハワードだと第13巻に入っているS461です。あと第51巻にも S461iの第1バージョンが入ってます。他にオルガン版と管弦楽版、ピアノ連弾版が作られてますね。ピアノ独奏版と、オルガン版はけっこう録音多いんじゃないかな。 (7/1-01:23) No.2433
さくら > ありがとうございます。実はアレグリのミゼレレは大好きな曲なので興味を持ちました。聴いてみようと思います。
ふゆひこさんの解説、読みました。秘曲がモーツァルトによって有名になった話など、面白いですね。 (7/1-19:52) No.2437
ふゆひこ > リストの“ミゼレーレ”の編曲は、恐ろしさを感じるようなアレンジです。“システィナ礼拝堂にて”はコンセプトがすごく面白いですね。ハワードの13巻はバッハ作品の編曲が集められていて、面白い巻ですよ。 (7/2-01:01) No.2443
さくら > 楽譜を手に入れました!CDも近いうちに買う予定です。教えて下さってありがとうございました。
私にとってリストの作品はまだまだ未知の世界です。 (7/6-18:53) No.2454

ドリアン・グレイの肖像? ≪ジャポニスム≫投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/06/21(Mon) 01:04 No.2379
http://search.barnesandnoble.com/booksearch/isbnInquiry.asp?userid=z0s1XzWTbT&sourceid=00406019517862882098&bfdate=06%2D20%2D2004+11%3A50%3A19&cds2Pid=1268&ISBN=1593080255&linkid=297873

え〜?この人がドリアン・グレイだったのですね〜!
(最近買った本です。)

まあ、見てのお楽しみ。
バーンズアンドノーブルという本屋のメンバーなので時々セールのお知らせが来るのです。
興味のありそうな本がセールになるとメールに来るわけですが、これは見てびっくり。

友人が一度『この本を持っている』と教えてくれたことがあるので存在は知っていたのですが。


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じょるじゅ > あ、それからこれはマジメなコメントですが、ワイルドは当たり前ながら英語で書いているわけでオリジナルをオリジナルの言語で読めるという『重要な点』があるのです。(ふゆひこさんは私がそこにこだわるのはご存知です。)

オスカーワイルドは世紀末の英国に生まれてなかったらはたしてあれだけの数々の名作を書けたでしょうかね?
(6/21-01:13) No.2380
ふゆひこ > わはは(笑)。すごい思い切った装丁ですね(笑)。前にワイルドとリストがなんか関係していたらうれしい、と思って調べたんですけど、全く接点がなかったです。こんなところで(笑)。けどこのセンスは共感します。僕が前に『夢のフランツ・リスト映画』のスレッドで話した、リストを演じて欲しい役者としてヘルムート・バーガーを第一にあげましたが、ヘルムート・バーガーはドリアン・グレイを演じています。僕は観たことないですが。つまりヘルムート・バーガー=ドリアン・グレイ=フランツ・リストというのは共通するイメージがあるんですよね。あと思いつく接点は『リストマニア』のケン・ラッセルが『サロメ』を撮っていることかな。しかし思い切った装丁だな(笑)。 (6/22-00:25) No.2383
ふゆひこ > ワイルドは時代の寵児ですね。僕はアイルランドで買ってきた、ピアズリーの“サロメ”の挿絵を表紙にした、超デカダンスな装丁のワイルド全集を持ってます。1冊に全作品が入ってるんですよ。 (6/22-00:28) No.2384
ふゆひこ > あ、そうそう僕はジュード・ロウにもリストを演じて欲しい、と以前いいましたけど、ワイルドの映画でポージーを演じたのはジュード・ロウです。 (6/22-00:30) No.2385
じょるじゅ > この装丁、ウケますよね。(まだ笑っている。)でも、知らない人はこれがドリアングレイだと思ってしまいそうなほどはまってますよ。
ああ、そうでしたね、ジュード・ロウ。あれもテレビでやっていてじっくり見ました。
ビアズリーのワイルド全集は美術史にも残る代表作です。私も昔持ってました。(実家にあるかもしれない。)ビアズリーは浮世絵の構成とかにも影響を受けたんです。 (6/23-02:36) No.2397
じょるじゅ > ドリアン・グレイもファウスト伝説のヴァリエーションだという他にはやはり接点はないのでしょうか?でもワイルドはリストのことも直接ではなくても知っていただろうから、結構良くワイルドを研究したら一言ぐらい出てきそうです。 (6/23-02:38) No.2398
ふゆひこ > 『ベルリオーズとリスト』というスレッドでも少し書いたことで、リストは世紀末芸術になかなかつながらないんですよね。マネ、モネ、ドガ、デカダンス、ワイルド、ピアズリー、ジャポニスム、ベル・エポック、サラ・ベルナール、といったキーワードにつながらない。実際、僕はリストに“黒いロマン主義”の感性を強く感じますが“デカダンス”だけは感じないです。 (6/25-00:34) No.2399
ふゆひこ > ちょっとネットで調べてみましたけど、出てこないな。けどポージーことアルフレッド・ダグラスが10月22日生まれでした(笑)。あとサラ・ベルナールも同じ10月22日生まれ。 (6/25-00:36) No.2400
じょるじゅ > リストとワイルドのつながりというわけではないのですが、二人とも
「De Profundis」
という主題で作品を書いてます。(こじつけです。Profundis自体は聖書の詩篇だし。)
(6/26-01:54) No.2408
ふゆひこ > ワイルドの『デ・プロフュンディス』は日本語訳は『獄中記』で定着してます。読んでないです。ちらっと読むと、投獄されたワイルドがボージー宛の書簡形式をとって、惨めな境遇を嘆くような内容でしょうか。ワイルドの“DE PROFUNDIS”というタイトルは“刑務所”を“深淵”に例えてつけられているように思います。リストとワイルドはそんなとこぐらいしか接点が出てこないですね。なんかあれば面白いのに。 (6/26-12:08) No.2414
じょるじゅ > 本が着たので息子に表紙をみせたら
「なんかその人、リストに似てるね?」
わはは。ちなみにうちではレーマンの絵は特に壁に飾ったりはしてません。
(7/1-02:39) No.2436
ふゆひこ > わはは(笑)“リストのわけないじゃない。ドリアン・グレイに決まってるでしょ”と教えてあげましょう(笑)。息子さんはリストの醸し出す雰囲気というのを掴んでるんでしょうね。 (7/2-00:31) No.2440
ふゆひこ > おまけ。上で、ちらっとジャポニスムのことに触れましたが、ロンドンのアンティーク写真屋さんのサイトで、クールな写真を見つけました。
http://www.paulfrecker.com/pictureDetails.cfm?pagetype=home&typeID=5&ID=1049
ウィンストン・チャーチルの母親のようです。彼女の後ろにあるのは、日本画の花鳥図屏風ですよね?(中国絵画だったらすいません)。僕は19世紀のジャポニスムは絵画・他美術工芸品でならいくつか知ってますが、こういったはっきりとした形で写真となっているのは初めて見たような気がします。 (7/2-00:35) No.2441
じょるじゅ > http://www.periodpiano.com/grand/default.htm
ここにチノワセリピアノというのが在ります。プレイエルが制作したもの。
ふゆひこさんのいっているジャポニズムの工業(工芸)製品の例です。 (7/2-14:58) No.2447
ふゆひこ > おおすごいピアノですね。1886年というリストの没年であるところがまた興味深いです。“Chinoiserie”という言葉が分からなかったので調べたら、これは“中国風の”ということなんですね。ジャポニスムよりももっと広まっていたんでしょうね。Chinoiserieの家具や服飾など様々なものがありました。ジャポニスムとChinoiserieの境界線は曖昧っぽいですね。チャーチルの母親の屏風も中国趣味の方かな…。 (7/3-10:34) No.2448
ふゆひこ > 中国の方がもっと早くから西欧諸国と交流があったと思うけど、拡大するのは1840年のアヘン戦争でしょうね。それで日本の場合はペリーが浦賀に来るのが1853年。日米、日英、日仏和親条約は1854年〜55年の間に締結されているようです。で、実際日本から西欧に浮世絵が流入する最初期の記録が1856年とのこと。陶磁器の包み紙に北斎漫画が使われていたそうです。以上は講談社 世界全史 P867を参照。 (7/3-11:00) No.2449
ふゆひこ > “Chinoiserie”は日本では、フランス後発音で“シノワズリ”で定着してますね。ネット上でざっと調べただけですが、全盛は17世紀〜18世紀の流行とのこと(上でアヘン戦争で拡大、というのは外れてはないだろうけど19世紀にはもう落ち着いて定着した風潮のようです)。ヴェルサイユやシェーンブルンの宮殿、庭園にも“シノワズリ”趣味が影響しているとのことです。シノワズリが下火になって、ジャポニスムが台頭するようです。 (7/4-00:04) No.2452


スペインのリスト/コダーイ協会 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/03(Sat) 11:11 No.2451

スペインのリスト/コダーイ協会のサイトを見つけました。左メニューでLISZTの名前をクリックすると、ロシア映画の『フランツ・リスト愛の夢』の写真を使ったアニメーションが流れます。他に、“灰色の雲”とか数曲、映像配信されています。よくできているサイトですね。

http://slke.org/entidad/index.html


タールベルク・ミステリー 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/07/02(Fri) 01:46 No.2445

まず次に紹介することは、ネット上の知識で、それもネット上で1ページでしか紹介されていないという信憑性であることをことわっておきます。

これは英国の名優ヘンリー・アーヴィングの協会(the irving society)のサイトです。

http://www.theirvingsociety.org.uk/

ここで、FIRST KNIGHT >The Thalberg Mystery というところをクリックしましょう。ページの執筆者はアレックス・ビセット氏。

そこで紹介されているのは、ヘンリー・アーヴィングが所有していた写真をめぐる考察です。その写真の中に、サール・タールベルクという女性がいる(サールでいいのかな?発音)。

解説を読むと、サール・タールベルクは、元の名前はエセル・ウェスタン。1858年にイギリスのダービーシャーで生れたそうです。なんとジクスムント・タールベルクに教わったことがあり、名前をタールベルクにしたとのこと。ソプラノ歌手として成功したそうです(執筆者アレックス・ビセット氏が参照しているのはグローヴ音楽辞典とのこと)。サール・タールベルクはその後歌手として不調になり、シェイクスピア役者となったとのこと。

それで中段あたりに書かれているのですが、サール・タールベルクことエセル・ウェスタン(←後段を読むと本当にエセルなのかも怪しいようです)は、なんと“ジクスムント・タールベルクがアメリカ演奏旅行をした際に生れた娘”、との噂もあるとのこと。ただこれは怪しすぎる噂のようです。だいたいヘンリー・アーヴィングとサール・タールベルクとの関係も不明瞭のようです。(なんでアーヴィングが写真を持っているのかが、はっきりしないというようなことが書かれています。)

隠し子に関しても、タールベルクはリストのライバルのようですね(笑)。

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ふゆひこ > すんません。クリックする順序はこうです。

FIRST KNIGHT >Previous Articles >The Thalberg Mystery (7/2-01:48) No.2446

ゴルチャコフ即興曲 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/25(Fri) 02:14 No.2402

僕は持ってないんですけど、アシュケナージの“超絶技巧練習曲”(全曲ではないですが)のCDがありますよね。最近、紙ジャケットになって発売されてました(リストの肖像画のアップでジャケ買いしたくなる(笑))。

で、いつも気になっていたのが、収録されている“ゴルチャコフ即興曲”という曲。“あれ?そんな曲あったっけ?”と思って気になってたんですよね。調べたらなんのことはない、S191の有名な“即興曲”(ハワードは第2巻)のことです

ゴルチャコフっていうのは何かと思ったら、オルガ・フォン・マイエンドルフの結婚する前のファミリー・ネームですね。ゴルチャコフ家。このS191はオルガのために作られたものなので“ゴルチャコフ即興曲”と呼ばれることもあるのでしょうか?。けど“ゴルチャコフ即興曲”って呼んでいるのはアシュケナージのCDだけじゃないかな。邦題で勝手にそうなったわけではなく、輸入盤のクレジットもそうなっています。

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Micci > bokumo sonokotoga zu-tto kininatteimashita. nande kono CD dake sounatteirunodeshouka? (6/25-22:09) No.2404
じょるじゅ > でもさ、リストが知り合いになった時はオルガはすでにゴルチャコフではなかったでしょ?
それから、他の人にオルガのことを紹介するのに『プリンス・ゴルチャコフの娘』って紹介してるんです。結婚する前から面識だけはあったのかな?それとも家族と知り合いとか?(1840年代の初め) (6/26-00:47) No.2407
ふゆひこ > “ゴルチャコフ即興曲”あるいは“Gortschakoff impromptu”で検索しても、アシュケナージのCDしか出てこないです。ハワードのCDライナーでも、ウォーカー、ワトソンでも“ゴルチャコフ即興曲”という呼称についての記述はないですね。オルガ書簡集ではゴルチャコフ家の人達の名前が何人も出てくるけど話にでてくるだけなのか、知り合いなのか分からなかったです。オルガ宛書簡集のP.IDのイントロダクションで、1863年のアグネス・ストリート宛書簡で紹介されていて、フェリックス・マイエンドルフ男爵とその夫人オルガと知己になったことが書かれています。その時点で“ワルシャワのプリンス・ゴルチャコフの娘の一人”とアグネス・ストリートに書いてますね。オルガと知り合ったのは、オルガがマイエンドルフ男爵夫人となってからだけれど、最初に知己となったときから“ゴルチャコフ家の人”という紹介をされたのではないでしょうか。 (6/26-11:36) No.2411
ふゆひこ > アシュケナージのCDライナーに何か書いてあるかもしれないですね。 (6/26-11:43) No.2412
ふゆひこ > EMBの楽譜を持ってたので、参照してみたら、楽譜の冒頭にこう書かれてました。

“a Madame la Baronne Olga de Meyendorff nee princesse Gortschakoff”

そしてその下にタイトル“IMPROMPTU”となってます。献呈の明示のところで“旧姓ゴルチャコフのプリンセス”って書いてるんですね、それでアシュケナージのCDでは“ゴルチャコフ即興曲”って呼んでしまったのかもしれません。どうせ呼ぶなら“マイエンドルフ即興曲”の方がいいと思うけど。 (6/26-11:54) No.2413
じょるじゅ > リストが『旧姓ゴルチャコフ」とか「あのゴルチャコフ家」とオルガを紹介する意味がわかりました。
当時、というかロシア圧制当時のポーランドは実情プリンスゴルチャコフの管理下にあったのです。(彼がツァーのヴァイスロイだった。)
ついでにニコラス一世がなくなった後、ポーランドの愛国家はポーランド同情的だったアレクサンダー二世のポーランド政策に期待したようなのですが、結局はプリンスゴルチャコフとムハノフ伯(!)の体制をそのまま維持したことによって失望を買うのです。(1858年ごろでしょうね)
私はオルガはポーランド人だと思ってましたが、厳密にはというか家系的には『ロシア人』だということが初めてわかりました。
この年代にはクリミア戦争があり、リストの周りの人物が非常に複雑な状況になります。アグネスの父、それに多分アグネス自身もロシア政府のためにスパイ活動をしていたと思われます。
そのころ、ポーランド人のマリー・カレルギスがムハノフと結婚。マリー・ムハノフとなった彼女、クリンドワース父などは多分それが理由でフランスを離れるのだと思います。(フランスはクリミア戦争では英国側に加勢していた。)
マリーカレルギスはムハノフとの結婚直後カールスルーイかどこかでヴァグナーを訪ねていますがムハノフとの結婚のことを旧友たちがどう考えるか非常に気にしていたようです。ポーランド同情派のリストがコメントしていたかまだ調べてません
(6/27-08:20) No.2415
じょるじゅ > オルガとリスト、また彼の周りの人間が衝突する意味がわかります。
やはり基本的にはフランス、ポーランド、はてはイタリア寄りのリストとニコラス一世の重鎮の令嬢であるオルガ、『熱い議論』になっても仕方ない。
(と、かきこみしていたら、なんとケーブルTVから「忘れられたワルツ一番」が...最近多い偶然。元になった「ちいさなお気に入り」はマリー・カレルギスのために書かれた曲でした。仏語で『意味深な書き込み』が楽譜にしてあるやつ。リストは出版しなかった(思い出の曲)のようです。)
おお失礼関係ないですね。
ロシアとポーランド、オーストリアとハンガリーやイタリー、クリミア戦争、フランコ・プルシャン戦争辺りの事実とリストの友人たちがどういう政治的立場だったかを調べるとすごく面白そうです。
フランスでもオーストリアでもない場所に生活の拠点をおいたリストは少なくとも政治的なゴタゴタが自分の生活に及ぶのは避けられた、これが偶然なのか無意識にリストのチョイスに影響しているのか知りたいです。 (6/27-10:27) No.2416
じょるじゅ > 上のことを書いたあとで、48年のハンガリー蜂起のときにリストが何もしなかったことが原因でプリンセス・ベルジョイオーソが批判それがもとで仲が冷えていってしまったようです。
(同件を公然と批判したハイネとはこの時から絶交状態、もともと仲がいいというほどでもなかったが絶交というほどでもなかった。)
プリンセスはイタリアではオーストリアから独立の運動をずっと支持、ガリバルデイなどとも交友が深くリストは彼女の運動のために寄付をしたりしていた。
リストが当時いい分けっぽいことと、「あれだけイタリアに同情(寄付のこと)しているのになぜ批判されるのかわからない」というようなことをプリンセスに書いているのは知ってましたが、やはりそのあたりから交友が一気に冷めていったみたいです。もちろんクリステイナにもカロリーネのことはちゃんと報告していて、女同士は後で、リスト抜きで遇ったりしていますがフランツ自身がその後クリステイナとあった形跡がない。その間クリステイナはまたオーストリア政府に追われ、トルコかなんかに行っている。
リスト自身はニコラス一世は好きではなかったけど、カロリーネのことがあって状況を逆撫で出来ない状態。
うーん、複雑です。
(6/28-00:12) No.2417
ふゆひこ > 非常に情報が多く複雑なので、僕はこの辺の知識もなく、一つ一つを確認しないことには、なんの意見も感想も述べられないですが、まずゴルチャコフ家というのは由緒ある家なんですね。意識してませんでした。事実の訂正ですが、NO2412の書き込みでオルガは“プリンス・ゴルチャコフの娘”と書きましたが(実際リストはそのように書いている)、ネット上でもその名前を散見するプリンス・ゴルチャコフはオルガの叔父(伯父?)にあたるようです。リストのオルガ宛の書簡でも“YOUR UNCLE”と出てきますね。 (6/29-00:34) No.2418
ふゆひこ > オルガ宛書簡集(DUMBARTON OAKS)で1876年10月26日付け、11月3日付けの書簡なども面白いです。西欧諸国の状況を憂慮するような内容かな?19世紀に“瀕死の病人”(リストの書簡集ではTHE SICK MANとなっています)と呼ばれるトルコに対する列強の侵略を憂慮しているようです。おそらく1877年の露土戦争勃発の気運を恐れているんでしょう(正確に理解できないのでわかりません。)。ほとんど調べてないですが、単純に考えて、リストはコンスタンティノープルにも演奏旅行に行きアブデュル・メジドから歓待されているぐらいですから、トルコの情勢を憂慮しているのではないでしょうか。フランス、イギリス、ロシア、イタリアと、リストはどこかを援護するでもなく、列強の帝国主義の侵略、覇権争いにうんざりしているように見えます。 (6/29-00:46) No.2419
ふゆひこ > 訳がかなりいい加減ですが、1876年11月3日のオルガ宛書簡から(P251)単語をはしょりながら翻訳。

“ヨーロッパのコンサートでは、、もう30年以上も死の連祷を、コンスタンティノープルの瀕死の病人に歌い続けているのではないかね?すべてのスラヴ諸国ではロシアが明らかに、引き続き優勢だ。それら諸国から利益を得る方法を知っているのは恥知らずなことだ。ロシアの西欧問題での役割は、“プリマドンナ”だ。一方では、ハスキー声で応唱のない、オーケストラのパートで、ビスマルクとディズレイリが第一ヴァイオリンとトロンボーンを鳴らしているところだ。” (6/29-01:11) No.2420
じょるじゅ > 私は家系図のようなものが見つからないので伯父さんか父親かはわかりません。(年がお父さんにしては少し上かなとはなんとなく思ったけど。)
プリンスという肩書きは両方とも使っていたとおもうのでリストの間違いでもないでしょう。オルガもプリンセスゴルチャコフだったわけだし。
流血を極端に嫌っていたのは事実なので、「覇権争いにうんざり」は真実でしょう。
ヴァイマールでリストが「流血、処刑、ギロチンで解決しようというのは間違っている!」と人前で怒鳴ったという記録がアグネスの書簡集の注釈にあったのと、ハンガリーの政策にしても「平和的に独立を導かずにコスースの革命蜂起の道をえらんだの今となってはやり直しが効かない」とかいうようなことも言ってましたね。
理想と実際の政策のギャップに悩むというのは現在の政界情勢に似たものがありますね。
私も、さすがにうんざり。9年間一日も欠かしたことのない新聞、去年からほとんど読んでません。ニュースも見なくなった。サンデイエゴは軍都市なので必ず「犠牲者の欄」が出てきてしまうんです。 (6/29-12:10) No.2421
ふゆひこ > オルガの家系が分からないですね。LISZT STUDIES VOL10 書簡集のP212にオルガの正式名が書かれていて、BARONESS OLGA MICHAILOVNA MEYENDORFF となってるんですよ。MICHAILOVNAという名前が入ってるので、この人が父親でしょうか?これはロンドンのアンティーク写真屋さんのサイト↓
http://www.paulfrecker.com/pictureDetails.cfm?pagetype=library&typeID=22&ID=1208

この人はリストの書簡集に出てくる、アレクサンダー・ミハイロヴィチ・ゴルチャコフとは違いますね。 (7/1-00:31) No.2426
ふゆひこ > 前掲の1876年11月3日のオルガ宛書簡でも似たようなフレーズがありました。
P251“もはやペンによる外交ではなく、ガン(銃)による外交だ”。その後の書簡で露土戦争の記述を探したんですけど、出てこないな。 (7/1-00:42) No.2427
George > アレクサンダー「ミハイロヴィチ」という名前なら、オルガの兄弟でしょう。(知らないけど。)
ロシアでは「ミハイルの子」という意味で親の名前を入れるのです。オルガの「ミハイロヴナ」は女性形です。
(7/1-02:36) No.2435
ふゆひこ > ゴルチャコフ家の家系図がありました。ロシア語のページです。

http://www.vgd.ru/G/grchkov.htm#ГОРЧАКОВ

整理すると
ミハイル・ディミトリーヴィチ・ゴルチャコフがオルガの父親(クリミア戦争に関係している)。アレクサンダー・ミハイロヴィチ・ゴルチャコフは親戚(ミハイル・ディミトリーヴィチと兄弟というわけではなさそうです。オルガ書簡集ではUNCLEとなっている)のようです。

ГОРЧАКОВ МИХАИЛ ДМИТРИЕВИЧ 1792-1861オルガの父親
ГОРЧАКОВ АЛЕКСАНДР МИХАЙЛОВИЧ おじさん 1798-1883
ОЛЬГА  オルガ 1837−1926
名前のスペルか、生没年でページ検索してみてください。 (7/2-00:11) No.2438
ふゆひこ > というわけで僕のNO2418の書き込みは間違いです。じょるじゅさんのNO2421が正しいですね。混乱させてすいません。 (7/2-00:18) No.2439
ひえ~読めないジョルジュ〜 > ふゆひこさん、ロシア語のページどうやって読むんですか?
オルガは完全にロシア人なんですね。マイエンドルフ男爵はすごい有望な男性だったのでしょうね。 (7/2-00:48) No.2442
ふゆひこ > わはは。僕がロシア語読めるわけないじゃないですか(笑)。僕は別ウインドウで、“ロシア語講座”みたいなサイトを開いて、アルファベット一覧でスペルを確認しただけです。“Д"は“D"の発音だな、とか“Г"は“G"の発音だな、とか…そんな感じ。それと生没年で特定させました(オルガの生誕年が1年ずれてるけど…)。そんだけです(笑)。 (7/2-01:07) No.2444

Lutzows wilde Jagd 投稿者:Micci 投稿日:2004/06/25(Fri) 22:11 No.2405

What shines in the sunshine there in the woods?
this one be noisy the fight gets closer and gets louder.
The fighters come into closed rows.
Horns sound.
It is for being afraid.
Who are the men in the black uniforms?
These are the fighters of the company Lutzow.

Who runs through the dark woods?
Who roams through the mountains?
Somebody lies in the ambush.
The men shout cheer and shoot up with the guns.
The Frenchmen are killed.
Who are the black hunters?
This is the Lutzow´s company.

The wine grows on the bank of the Rhine.
The tyrannical ruler thought: "I am in safety on the other side of the Rhine".
The Lutzower fighters follow him as a thunderstorm.
They swim across the river.
They jump to the bank.
The swimmers in their black uniforms are called "Lutzows wild, daring hunters".
The battle rages in the valley.
Brave riders fight in the battle.
The people want to be free.
They claim to be free from the French power.
A lot of blood flows.
The brave fighters die on their dead enemies.
They want to save their native country from the French enemies with a lot of courage.

The wild hunter who are the German hunters hunt French enemies.
With many victims Lutzower have fought for liberty of Germany.
The grandchildren shall remember this.


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Micci > gozonjinoyouni Napoleon to Lutzow no guntai no tatakaiwo egaita shi noyoudesu. 1gyoumeno kagayaiteiru monoha bayonet(juuken?) nokoto rashiidesu. kono shi ha doitsujin demo yakusunoni kanari jikanga kakattemashita.
chinamini bokuha kanojoni shokujiwo ogoru kotoni nattemasu!! (6/25-22:18) No.2406
ふゆひこ > おお!ありがとうございます。ケルナーの詩、なかなか英訳が(ネット上に)ないので、自分で辞書引いて訳してみようかと思っていました。助かりました。やっぱり戦争の行軍の模様、リュッツォウの部隊の勇敢さを歌ったような内容ですね。これで“超絶技巧練習曲集”の“Wilde Jagd”とウェーバー〜リストの“Lutzows wilde Jagd”の音楽性がぜんぜん違うことが納得できました。僕もその方におごらなければならないとこですね、気持ちだけですいません(笑)。 (6/26-10:51) No.2410
Micci > “リュッツォウの勇敢なる猟人団”
sugoi! kono yakuha exactly ni tadashiidesu. tomodachito "eigoni surunara Lutzow´s brave hunters dane" toiu kaiwa wo kawashiteimashita. (6/29-22:25) No.2424
ふゆひこ > “リュッツォウの勇敢なる猟人団”という訳は、前に紹介した『カフカ、映画に行く』という本に出てきた訳語と、あとネット上で行進曲としてポピュラーになっている訳語をミックスしたようなものです(笑)。ポピュラーな行進曲の訳語は、これはタイトルをそのまま訳したというより、ケルナーの詩の一節が必ず“Das ist Lutzows wilde, verwegene Jagd”という句で終わっているので、そこをとっているようですね。 (7/1-00:50) No.2429


Wilde Jagd 荒々しき狩 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/10(Thu) 00:39 No.2347

“Wilde jagd”のイメージを知ることができるサイトを見つけました。

http://home.earthlink.net/~norsemyths/wildhunt/wildhunt.html

もうリストの“Wilde Jagd”の世界は、ヴォータンの夜空を駆け巡る幽鬼の群れ“荒々しき狩”で間違いないですね。“狩”で長らく定着していたため、僕自身もなかなか受け入れられませんでしたが、単なる“狩”と呼ぶことは、完全な誤訳のように思います。

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Micci > "Wilde Jagd"ha eigoni chokuyaku suruto,"Wild Hunting" nanode, "kari"ha yaku toshiteha machigaideha nainodehanaideshouka? (6/14-22:32) No.2354
ふゆひこ > “狩”という一語だけから、ヴォータンの“荒々しき狩”をイメージできれば誤訳ではない、と思うのですが、それは無理だと思うんです。“狩”という一語から、日本人が連想するのは、犬を放って、猟銃を構えてっていう普通の狩だと思います。それでは言語が記号として機能していない。いままでも様々な人が、“狩”というタイトルとリストの超絶技巧練習曲 第8番が持つデモーニッシュな音楽性のギャップに悩んで、こじつけのように“猛獣狩り”だとか“野獣狩り”だとか表現していたように思います。欧州ではおそらく“Wilde jagd”の神話は結構、浸透していると思うんですよね。(ネット上のページで、オーストリアではハロウィン祭のようにWILDE JAGDの祭があることが紹介されていました)。そのため内容を伝えるためにも野本由紀夫さんのように“死霊の狩”としたり、NMさんのように“幽鬼の群れ”と意訳する方が優れていて効果的です。そこまでしなくても直訳して“荒々しき狩”とすれば、ヴォータン神話でもその訳語で定着しているし、あるいは英語でも“WILD HUNT”で定着しているのでいいかな、と。僕がそのイメージを受け入れた経緯は、過去ログの“WILDE JAGD”のところを参照してみてください。 (6/15-23:11) No.2357
ふゆひこ > 上で紹介したサイトで“WILDE JAGD”のイメージがいろいろ分かりますが、僕がこれらのイメージで連想したのは映画『ロード・
オブ・ザ・リング』の第1作に出てきた巨大な馬を駆る騎士達。なんか関係ありそうです。いろいろ調べていたら、この“WILDE HUNT”の神話を扱った詩で非常に有名なものとしてビュルガー作のものがあります。タイトルは“DIE WILDE JAGER”。この詩をですね18世紀末にイギリスの詩人ウォルター・スコットが英語に翻訳して、“THE WILD HUNTSMEN”として非常に有名になっているとのこと。海外のサイトで“リストはビュルガーの詩を読んでいたのか?”みたいな鋭い疑問の提示がありました。確かにリストはビュルガーの詩に親しんでいるはずで“レノーレ”にはレシテーション曲を作っています。 (6/17-23:49) No.2365
ふゆひこ > で。これがネット上で公開されているスコット訳の“THE WILD HUNTSMEN”(PDFだよ。)
http://www.horrormasters.com/Text/a_299.pdf (6/17-23:53) No.2366
ふゆひこ > で、このPDFページの最初の注書きみたいなところに書いてある“ネクロマンサー”(←結構、妖しげな言葉なので調べて危ないサイトにいかないようにしましょう(笑))で検索していくと、トルーキンにつながるんだよね。 (6/18-00:02) No.2367
じょるじゅ > 最近トルーキンなどのおかげであの線の神話や伝説が結構欧米では人気です。(昔はオタクの専門分野だった)
でも「幽鬼の疾走」的イメージをもった文学はよくあるのです。
日本ではまだそれが『ジャンル』として独立していないから、定着しないのでしょうね。
私たちのような人間がいろいろなサイトに行って広げるしかないです。
(6/21-23:42) No.2382
ふゆひこ > 調べると、相当ややこしいですね。神話、民話の世界は。WILDE JAGDの伝説は、姿形を変えて、エッダ、アーサー王、ゲルマン神話、ありとあらゆるところにつながるみたいです。ワーグナーのワルキューレにも通じているようです。神話とか民話って、時代や文化が違っても大体共通するので受け入れられるものだけど、日本人にはWILDE JAGDはなかなか分からないですね。僕も最近イメージがつかめました。 (6/22-00:42) No.2386
Micci > Oh! bokuha nanimo shirazuni kuchiwodashiteshimattayoudesune. shitsureishimashita. Doitsujin no tomodachini "Wilde Jagd tte douiu imi?"tte kiitara "eigodeiuto wild hunting dayo" to itteitanode, sorewo sonomama shinyoushiteimashita. (6/22-22:34) No.2388
Micci > shikashi "Lutzows wilde Jagd" ha akuryougari no hanashi deha naiyoudesu. Lutzow ga akuma(diabolo)to keiyaku wokawashi, tokubetsuna bukiwo teniire "der Hirsch"(shika?) wo karu hanashino youdesu. soshite sono shikaha King ya Duke wo arawasu "Political symbol" rashiidesu. Wilde Jagd toiukotobaga tannaru "kari" wo arawasukotomo arumitaidesuyo. (6/22-22:42) No.2389
ふゆひこ > Micciさんの言われるとおりですね。いろいろと“WILDE JAGD”“WILD HUNT”のことを(ネット上だけですが)調べてると、普通の狩の模様を描いた絵も出てきます。神話や民話というのは、伝わるうちにいくらでも尾ひれがついて、いろんなバリエーションができるんですよね。“呪いをかけられた狩人が死んでも死霊となって狩を続けなければならない”というようなエピソードもありました。そこで僕が調べていたのが、1)リストを取り巻く環境、と2)ヴォータンの“荒々しき狩”がどれぐらい西欧諸国で浸透しているか、という点でした。それを考えると“ヴォータンの荒々しき狩”ではないかな、と。“リュッツォウの荒々しき狩”については、ケルナーの詩を読まれたのかな?僕はドイツ語が分からないので、さっぱり意味が分からず、カフカ関連の書籍に出てきたケルナーの略歴から、普通の戦争の話だろう、と思ってたのですが…。 (6/23-01:21) No.2393
ふゆひこ > “リュッツォウ”って人の名前なんですね。場所のことかと思ってました(笑)。“リュッツォウの荒々しき狩”がそのような内容だと、超絶技巧の“WILDE JAGD”についてまだ結論づけるのは早そうです。なんか本、買おうかな…。 (6/23-01:46) No.2396
ふゆひこ > リュッツォウのことを継続して調べました。少なくともケルナーの“Lutzows wilde Jagd”のリュッツォウとは、アドルフ・フォン・リュッツォウのことですね。ナポレオン・ボナパルトからの解放戦争で、プロイセンであちこちから集めた兵隊を組織した指揮官のようです。で、そのリュッツォウの部隊に詩人ケルナーがいて詩“Lutzows wilde Jagd”を作品として残した(それに曲をつけたのがシューベルトとウェーバー、でウェーバーの曲を編曲したのがリスト)。リュッツォウは武勲ある名誉ある名前となったのか、ネットで検索すると戦艦や戦闘機などにその名前が冠されてますね。ウェーバーの曲なのかどうか分からないですが、行進曲として“Lutzows wilde Jagd”はかなりポピュラーなようです。面白いのは、そのケルナーが歌った“リュッツォウの勇敢なる猟人団”(もう、どうやって訳せばいいのかさっぱりわからない(笑)ケルナーのWILDE JAGDというのは“狩”という“行為”ではなく、“狩人”とか“幽鬼群”といったような“人の集まり”を意味しているように思うのですが…)の部隊は、黒づくめのいでたちで、赤いカフスに、金色の飾り?のついた黒い帽子をユニフォームとしていたようです。そして黒、赤、ゴールドという3色が後のドイツの国旗色の起源になっているようですね。このことはこのページを参照しています。↓
http://www.flaggenlexikon.de/fdtlhidb.htm (6/25-01:01) No.2401
Micci > OH! bokuga jibun no machigai wo teiseishiyouto omottara fuyuhikosan ni sakiwo kosareteshimaimashita,haha! bokuno tomodachiha kanchigaiwo shite itayoudesu. sokode, Korner no "Lutzows wilde Jagd" wo gendai doitsugo no naoshitemorai sorewo computerde honyaku shimashita. (6/25-22:07) No.2403
ふゆひこ > 友人の方は、他の神話・民話と混ざっちゃったのかもしれないですね。なんとなく“魔弾の射手”のエピソードに似ているな、と思いました。 (6/26-10:42) No.2409
Micci > WAHAHA! nande kigatsukanakattan darou?“魔弾の射手”desuyone. souieba tomodachimo "Weber, Weber"tte ittemashita. Tekkiri Lutzow no hanashikato omotta. demo korewo "wilde Jagd" to yondemo sashitsukaenaisoudesu. (6/29-22:20) No.2423
ふゆひこ > 僕も最初に“WILDE JAGD”の話を調べようとしたとき、ドレーク・ワトソンの本だったかな?“ウェーバーの魔弾の射手”の世界に関係がある、というような記述を読んだんですよね。同じ神話を起源とする話かもしれないですね。 (7/1-00:45) No.2428


Erbprinz  ≪アラウのリスト映画≫ 投稿者:Micci 投稿日:2004/06/14(Mon) 22:44 No.2355

Nihongoni dekimasen deshita. suimasen.
Kinou,Weimar ni ittekimashita. Liszthaus nohitoni hanashiwo kikouto omottara, eigo no shaberenai hitodeshita.
soshite, Hotel Elephant no front ni hanashiwo kiitemitatokoro,

"There is no ParkHotel in Weimar."
"Our parking area used to be a hotel. but I don´t know the name."
"We have nothing about Franz Liszt."

toiu hanashiwokikemashita. Hotel Elephant no sotonidete, chuushajou wo miyouto omttara, sono chuushajouno tonarinotatemonoha "Hochschule fur Musik Franz Liszt"(Liszt ongakuin)dehanaidesuka. Omoshiroi!

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ふゆひこ > おお!そのことが分かっただけでもうれしい!。日本のリスト関連の書籍では“エルブプリンツ=ホテル・エレファント”(ヘルム『リスト』)あるいは“エルブプリンツ=パークホテル=リストの史跡として有名”(属啓成『リスト生涯篇』)という情報で止まってしまっているので、Micciさんの情報が最新情報ですね。もしかしたらホテル・エレファントの駐車場がパークホテル=エルブプリンツだったのかもしれないです。僕もその辺、うろちょろしてました。ツーリスト・インフォメーションがあるんですよね。そこの広場。 (6/15-23:18) No.2358
ふゆひこ > 憶測ですが、エルブプリンツに保存されていたリストゆかりの品々は、リストが使ったと思われるホテルの備品・調度ぐらいだったのかもしれないですね。その程度ならば廃棄されてしまうかも…。それで石膏像とかは競売にかけられたとか…。そんなとこかな。 (6/15-23:21) No.2359
じょるじゅ > 憶測なんですが、リストがローマに移る時持ち物を全て倉庫に入れてるんです。という事は、厳密にリストの持ち物はそのまま博物館行きという事ではないでしょうか。本人は「ほとんどカロリーネの所有物で、自分の物は楽器、メダルとか賞状とかその類のみ」楽譜の草稿、本などもカロリーネの管理下だったようです。

ウイーンのエドゥアルドおじさんのアパートでいつもリストが使っていた部屋の内容、身の回りのものなどはアイゼナッハのリスト博物館に移されたらしいです。 (6/15-23:28) No.2360
ふゆひこ > “アイゼナハのリスト博物館”というのはワイマールのリストハウスのことかな。ウィーンから移しているぐらいならば、ますますエルブプリンツからも移してそうですね。そうであればいいんだけど。 (6/16-00:31) No.2361
ふゆひこ > あ、そうそう、前にMicciさんと話していて話題になった、アラウの本に載っていた『リストの映画』ですが、先日、本屋で立ち読みしてきました。アラウが出演したとは書いてなかったんですが、音楽は協力したのかな、メキシコの映画だそうです。ラストあたりで、老リストが汽車の中で少女と同席する、というようなシチュエーションがあるそうで、それを観賞したアラウは涙を流した、とか書いてありました。 (6/16-00:34) No.2362
じょるじゅ > よく考えてみれば、アイゼナッハのリスト博物館て、なんか変ですね。よくかんがえると。
メキシコ映画ですか?題名がわかれば手に入るかも。(メキシコ人の友達多いので。)原題覚えてますか?
(6/16-23:58) No.2363
ふゆひこ > 原題はなんだっけかな?また立ち読みしてきます(笑)。値段、高いんですよね『アラウとの対話』(みすず書房)。 (6/17-23:38) No.2364
Micci > soudesu. tourist information no aruhirobani Hotel Elephant gaarimasu. hontouha, tourist information ya shiyakusho ni hanashiwokikouto omottanodesuga, nichiyoubino yuugata dattanode aitemasendeshita. (6/19-00:58) No.2370
Micci > bokuga yonda hon niha, Arrau ga shutsuen shita, to kaitearimashitayo. demo hon ha shinyoudekinaidesune. haha! (6/19-01:00) No.2371
ふゆひこ > 僕もドイツに行ったとき驚いたんだけど、土日とかって(平日でも夕方ちょっとすぎぐらいで)お店とかが全部閉まっちゃうんですよね。ほとんど全部の業種が24時間営業の日本がおかしいと思う。ホテル・エレファントにトーマス・マンの像って見えたでしょうか?バルコニーにあるようなんですが。ちなみにこれはリストのバルコニー像。どこにあるのかな。もっと解説されたWEBページがあったと思ったけど。

http://hermes.pphf.hu/plebania/keptar.htm (6/19-11:59) No.2373
ふゆひこ > 今日、『アラウとの対話』立ち読みして確認してきました。すいません。Micciさんの情報で正しいです。クラウディオ・アラウはリストの映画に出演して、おそらくリスト役を演じています。(僕が読んだページの前のページではっきりとアラウが発言していました。)映画タイトルは『愛の夢』監督はホセ・ベール。インタビュアーのジョーゼフ・ホロヴィッツは「あなたが映画に出演したことはあまり知られていませんね」と問いかけ、アラウは「にわか役者でしたので」と言っています。その次にジョーゼフ・ホロヴィッツが当時の1936年のニューヨーク・タイムズの批評を紹介しています。その記事はハリー・T・スミスという人によるもの。大変、好意的な批評です。アラウは「批評にとりあげられていたのですか!?」と驚いています。Micciさんが読まれた本も、『アラウとの対話』を出典としているのではないかな。でですね、前にヘンリー・ダニエルのことを紹介したときに、リストの映画を網羅したページを紹介しましたが(PAST LOGのところにあります)、そこで調べると1935年のメキシコ映画『Tu Hijo』がまさにそれですね。キャストのところを見て驚きます。はっきりと“クラウディオ・アラウ”がクレジットされています。
http://us.imdb.com/title/tt0218680/ (6/20-20:57) No.2377
ふゆひこ > ↑このページで、『Tu Hijo』がいくつか別のタイトルで呼ばれていることが分かりますが、もともとの『Tu Hijo』というのは“あなたの息子”とか“子ども”とか、そんな意味でしょうか(オンラインの翻訳をBowne Itranslatorを使いました)、聖書からとられている一句かもしれないですね。 (6/20-21:12) No.2378
Micci > oh! bokuga yonda nomo sono hon mitaidesune.
komakaikotodesuga erbprinz no hatsuon ha "e-r-pu-pu-ri-n-tsu" desu. (6/22-22:45) No.2390
ふゆひこ > ほんとだ、ヘルムの書籍でも“エルププリンツ”ってなってますね。ずっと“エルブプリンツ”かと思ってました。 (6/23-01:22) No.2394


詩集 『超絶技巧練習曲集』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/19(Sat) 12:07 No.2374

↑最初にことわっておくと、そんなものはこの世にありません(笑)。でですね、最近、僕がやたら詩のことを紹介していますが、実はリストの“超絶技巧練習曲集”と同じタイトルの詩を集めて詩集を作ったら面白いと思って、探してたんですよ。で、揃いました(笑)。

詩集 超絶技巧練習曲集

1.プレリュード          ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー
2.モルト・ヴィヴァーチェ  
3.風景             シャルル・ボードレール
4.マゼッパ            ヴィクトル・ユゴー
5.鬼火             アニー・キャンベル・ヒュースティス
6.幻影             オスカー・ワイルド
7.英雄             ロード・バイロン
8.荒々しき狩          ビュルガー〜ウォルター・スコット
9.回想             エミリー・ブロンテ
10.アレグロ・アジタート・モルト   
11.夕べの調べ          シャルル・ボードレール
12.雪あらし           ハンス・ワルドー・エマーソン

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ふゆひこ > ちょっと説明。“風景”と“幻影”はほんとはユゴーの詩からとられた、ということですが、どうもそのようなタイトルの詩はなさそう。詩の中からピックアップされたようですね。それで、それぞれのタイトルでボードレール、ワイルドが書いていたので、それを適用。“マゼッパ”は当然ユゴーで。ヒュースティスはカナダの女流詩人。あまり日本では紹介されていないようです。原題は“The Will-o'-the-Wisp ”。“EROICA”という詩がなかなかないので、シェーンベルクも曲を作ったバイロンの“ナポレオン・ボナパルトへのオード”をあてます。ブロンテの詩の原題は“REMEMBRANCE”です。あとエマーソンの“雪あらし”の原題は“SNOWSTORM”。 (6/19-12:15) No.2375
ふゆひこ > これ本にしたら結構売れると思うんだけどね。少なくとも僕が買います(笑)。 (6/19-12:16) No.2376


“ノンネンヴェルトの僧房”の歌詞 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/18(Fri) 00:30 No.2368

なんか“黒いロマン主義”関連の話ばかりで気が滅入ってきた(笑)。今日、初めて気づいたんですけど、リストの“ノンネンヴェルトの僧房”の詩ってフェリックス・リヒノフスキーが書いてるんですね。僕は“ノンネンヴェルトの僧房”の歌曲版は聴いたことがないです。


リャプノフ 12の超絶技巧練習曲 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/02(Wed) 02:57 No.2311

Micciさんに教えてもらった、リャプノフの“超絶技巧練習曲集”のCDを入手しました。あまり録音がなくて、ルイス・ケントナーのパールのCDだけありました。

全曲ともリストのフレーバーが散りばめられた曲集で、楽しいです。例えば6曲目の“嵐”は“荒々しき狩”(12の練習曲の頃の方に近いでしょうか)。11曲目“妖精の踊り”は“鬼火”ですね。9曲目の“エオリアン・ハープ”は“雪あらし”を思わせます。

12曲目のそのまま“フランツ・リストの追悼の悲歌”は、エキゾチックな旋律で、“スペイン狂詩曲”に似ています(曲調は緩やかな感じ)。

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ふゆひこ > リャプノフはなんとモスクワで、カール・クリンドヴォルトに教わってますね。リスト直系と言っていいではないですか。ジュリアン・ヘイロックという人がライナーを書いているのですが、この作品に対して相当批判的な文章です。“複雑で才能のないピアノ技巧の荒廃した詰め合わせ”だとか、“悪名高い”とか“最も厚顔無恥のリスト的側面”だとか・・・。確かにまとまりはないし、詩情や技巧(聞いて難しいと思わせる効果)、ドラマツルギーなどリストには、はるかにおよばないと思いますが、リスティアンの方が聞けば、そこかしこにリストの様相を感じることができて楽しいです。リャプノフはリストが使用しなかった調性をわざわざ選んで12曲作っています。リャプノフはリストがなしえなかった“24の大練習曲”を完成させようとしたのかもしれません。 (6/2-03:11) No.2312
HSK > ふゆひこさんの予想通り、作曲者はこの練習曲集をリストの超絶技巧練習曲の続きとして作曲したようです。有名な「バラキレフ風」しか聴いたことが無いのですが、面白そうですね! (6/2-20:24) No.2313
ふゆひこ > “バラキレフ風”というのは10曲目の“レズギンカ”というやつですね。この曲が確かに一番、構成がつかみやすく、リストの亜流に留まっていないロシアらしい曲ですね。ジュリアン・ヘイロックという人がリスティアンなのか、アンチ・リストなのか、僕の英語力ではよく分からないのです。リストの“超絶技巧練習曲集”を尊重するあまり、不遜にも続きを作ったリャプノフを非難しているのか、それともリャプノフの他の作品を尊重するあまり、リストまがいのことをした点を非難しているのか…。リストの混沌とした音素材の世界すら楽しめるリスティアンには、リャプノフの“12の超絶技巧練習曲”は楽しめますよ。録音が少ないのが残念。 (6/3-02:24) No.2314
Micci > Oh! urayamashii. bokuha,madakiiteimasen. souieba KONSTANTIN SCHERBAKOV mo konokyokuwo rokuon shitemashitayo. (6/14-22:29) No.2353
ふゆひこ > シチェルバコフも録音してるのですか。と早速調べたら、マルコポーロですね。
http://www.naxos.com/cat/223491.htm
ケントナーのCDよりもお店にありそうです。 (6/15-22:56) No.2356


Request accepted ≪Erbprinz Hotel≫投稿者:Micci 投稿日:2004/06/05(Sat) 21:53 No.2329

I´m planning to go back to Weimar.
So, I think I can search for "Parkhotel".
but, do you know where it used to be?
It would help me, if you know it.

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Micci > Well.. I´m kinda in trouble. German can not speak English more than I expected. but it´s OK. I´m still alive. haha! (6/5-22:07) No.2331
ふゆひこ > 僕の要望と考えずに、ぜひMicciさんのされたいようになさってくださいね。僕が持っているエルブプリンツホテルの情報は、それがいつかの時点で壊されてパークホテルになっている。けれどワイマールのホテルガイドをWEB上で調べてもパークホテルはワイマールにはない、ということです。

これはドイツ語のページ。エルブプリンツ〜パークホテルは、ホテルエレファントの近く、マルクト広場にあったようです。
http://www.seniorenakademie-heidenheim.de/senweb/beitrag/determan/weimar/

ヘルム著の『リスト』野本由紀夫訳 音楽の友社 P128に“エルブプリンツは現在のホテルエレファント”とあるんですよ。最初、間違いかと思っていたのですが、もしかしたらパークホテルは近接のホテルエレファントに吸収されたのかもしれません。それとホテルエレファントには“FRANZ LISZT BAR”というBARが
あるようです。

(6/6-00:38) No.2333
ふゆひこ > 僕がなぜエルブプリンツの所在を気にするのか、というと属啓成さんの写真を見ると、リストが滞在したという部屋に、彫像や他にゆかりの品々が飾られてるんですよね。それらは今どこに?ホテルエレファントにあるのか、それともリストハウスに移されたのか・・・。リストハウスの管理人の人に聞いてみるのが一番簡単かもしれないですね。 (6/6-00:44) No.2334
じょるじゅ > ふゆひこさんはアルテンブルグにもいらっしゃったのですよね。
その向かいにそれらしき建物はありませんでしたか?
昨日、WYを読んでいて、(カロリーネがローマに発った後)
「48歳の誕生日をひっそりとコジマとスコッチーアンダーソンとすごした後、向かいのエルブプリンツに歩いていき、仲間たちと晩餐した。」
のような部分がありました。 (6/8-02:07) No.2336
Micci > It´s Ok. It´s not because of you that I go. never mind.
By the way, do you know how I can use Japanese letters, I mean, "KANA" and "KANJI"? Do I have no choice but to bring a computer from Japan? (6/9-00:06) No.2337
ふゆひこ > 僕はアルテンブルクには行かなかったんです。アルテンブルクはヘルム『リスト』P137では、中心からちょっと離れているっぽい、通りに面したところに建ってますね。ホテル・エレファントはワイマールの中心だと思うから、その近くにあったと思われるエルブプリンツとはちょっと離れているように思うんだけど・・・。うーん。ますます土地感覚が分からなくなってきました(笑)。日本語入力できるPCは海外でも手に入るのかな?じょるじゅさんが以前、アルファベットしか入力できない環境だったとき、ローマ字で日本語を書かれていましたよ。 (6/9-02:47) No.2340
じょるじゅ > windowsXPの場合、下にDEとかENとかの記号がありますね、(language bar)
それを右クリックします。
settingsをあけます。

クリック Add
Japaneseをハイライトします
そんな感じで出来るはずです。(自分のパソコンじゃない時は一々設定する必要があるかも。)

そうです、私はローマ字で皆様に迷惑をかけてましたが、少なくとも英語を読まない人にもわかりやすかったみたいです。

(6/9-05:39) No.2345


ボードレール “夕の諧調” 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/09(Wed) 03:15 No.2343

下のスレッドで“黒いロマン主義”のことをいろいろ書いたとき、ボードレールがリストに捧げる“バッカスの杖”を書いたことを話しました(リストはその返礼に『ハンガリーにおけるジプシーと音楽』をボードレールに捧げます)。
でですね。ボードレールの『悪の華』を読んでいたら、またリストに関連していると思われる作品がありました。タイトルは“夕の諧調”。原題で書くと分かりやすいです“Harmonie du soir”。つまり超絶技巧練習曲集の“夕べの調べ”です。
これだけだとよくある詩的なタイトルかと思うのですが、ボードレールの“Harmonie du soir”は、音楽が詠われた内容であり、さらに決定的に、次の言葉が出てきます“Valse Melancolique”。鈴木信太郎さんの訳も明確に“憂鬱なワルツ”です。

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ふゆひこ > ボードレールの“Harmonie du soir”は1857年の作品。すでにリストの“超絶技巧練習曲集”も“憂鬱なワルツ”も発表された後です。ボードレールの詩では、ヴァイオリンの旋律が詠われていますが、リストの曲にインスパイアされた作品なのかもしれません。 (6/9-03:18) No.2344


Liszt edited by Busoni 投稿者:Micci 投稿日:2004/06/09(Wed) 00:44 No.2338

You see what I wrote about Busoni´s arrangement. I saw a Dictionary of Music. According to that, SOME of the compositions are not arrangement but just edition. It says

**EDITION**
Etude (what etude is this?)
Harmonie du soir
La Campanella
Ronde des lutin
Etude de concert ,Db
Murmures du bois
Heroischer Marsch im Ungarischen Stil
Legendes
Scherzo
Totentanz

**Critical Construction**
Reminiscences de Don Juan

But it´s also true he arranged The Complete Cycle of Paganini Etude.
Hmm….. I got confused. Each information source says otherwise.


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Micci > and what the hell is Hungarian Rhapsody No.20? He found this? Do you know something? (6/9-00:48) No.2339
ふゆひこ > どこまでを校訂として、どこからを編曲とするかは聴いてみないと分からないですよね(聴いてもその境界は曖昧だと思いますが)。タイトルだけだと混乱しますよね。リストの場合でもシューベルトの“さすらい人幻想曲”を校訂もしているし、協奏曲版に編曲もしているように、ブゾーニもパガニーニ・エチュードを校訂もして、編曲もしたのかも。情報は、最も信頼できるものが見つかるまでは、いろいろな情報をミックスして考えるしかないでしょうね。“ハンガリー狂詩曲第20番”というのは、おそらく“ルーマニア狂詩曲”のことですよ。ハワードの第29巻に入ってます。ブゾーニの勘違いが、“ルーマニア狂詩曲”が20番の“ハンガリー狂詩曲”と呼ばれる原因だったのかな。だとしたら“スケルツォ”に続いて罪作りなブゾーニです(笑)。 (6/9-02:58) No.2341

It´s a small world.≪ワイマール便り〜レストランで隣に座ったリスト研究家≫ 投稿者:Micci 投稿日:2004/06/05(Sat) 22:04 No.2330

I made friends with a German. and I talked about Franz Liszt. Then, She told me an interesting story: as follows

"In 1993, we made a trip to Paris. When we had some lunch in a restaurant, a man sit alone, having lunch. Then, we offer him to join us. He could speak German clearly. His profession is Scientist of Music specializing ONLY in Franz Liszt. Then he said he discovered a Franz Liszt´s composition."

It´s a small world, isn´t it?
I wonder who the man was.

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ふゆひこ > ワイマールからの便りですね!それだけでうれしい(笑)。そんな話が聞けただけでも楽しいですね。誰なんでしょう。有名なリスト研究家なのかもしれないですね。 (6/6-00:26) No.2332


Micci in Weimar 投稿者:じょるじゅ 投稿日:2004/06/04(Fri) 01:34 No.2320

ところで我らの友、Micci君が、ヴァイマールに出没しているらしいです。

どうも、ホフガルトネライでピアノ教室中のリストを部屋の後ろから眺めたり、エルブプリンツホテルで先生を囲んでスターヴェンハーゲン、ジロテイなどとビールを飲みながらトランプをしたり... 
きっとマイエンドルフ夫人のところで先生や生徒たちと「シュトゥルーデル」をおやつにもらったりしているでしょう。

「せんせ、おやつ召し上がります?」
「オルガ、ありがと。私はすっぱいのと苦いのだけで十分だよ」
「あ、先生が召し上がらないなら僕が頂きます。」
「Micci君、たくさん食べておきたまえ。」
「僕たちにも残しておいてくれ。」
とフリードハイム。

と、コニャックのソーダ割りとザワークラウトを付け合せたシュニッツェルを先生に差し出すオルガ。

「ああ、これならもう夕飯はいらないな。あとで皆と散歩に行くかね、サッチ ?」(オルガの息子アレクサンドルのこと)
「先生、まだ時間も早いからドライブにしませんか?Micci君を郊外に連れていきたいし、先生もドライブならそれほどお疲れにならないでしょう?」

***
と想像してしまいました。

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ふゆひこ > HSKさんのところで、Micciさんのワイマールからの書き込みを読みました。いいですね。向こうは日本と同じような暖かい天気でしょうか。リストハウスでは実際に、リストを身近に感じることができるでしょうね。 (6/5-01:12) No.2321
ふゆひこ > エルブプリンツのことについてmicciさんがなにか情報を入手されているといいな。 (6/5-01:14) No.2322
Micci > to Master Franz Liszt
"I will be with you wherever you are. I´m always at your service."(!) (6/5-21:44) No.2328


Liszt New discoveries 2 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/05(Sat) 02:02 No.2323

LOMさんから教えてもらっていた、ハワードの新譜“新発見のリスト 第2巻”を早速、買いました。収録曲は次のとおり(番号はグループ別。全17トラックです。)

1:“詩的で宗教的な調べと前奏曲”の8曲。これは1845〜46年のスケッチブックからの小品。バラード第1番の前身。“愛の夢 第2番”の前身が含まれています。リストはこれらの曲を使って、曲集を出版しようとしていたようです。最後の曲には、マリー・ムハノフ・カレルギスのイニシャルが付けられています。

2:ピアノ協奏曲第2番のピアノ独奏版。これがこのディスクの目玉ですね。
3:ハンガリーの民族旋律のうちのひとつの別テキスト
4:ハンガリー行進曲の別バージョン
5:パンセ“ノクターン”という小曲。
6:それから4つのアルバム・リーフ。マゼッパとダンテソナタを合わせたような断片があります。そして最後のS167hは不協和音を奏でる不可思議な響きのもの。そのアルバム・リーフがまるでイントロダクションのカデンツァのようになり、
7:最後の“愛の夢 第3番”の草稿につながります。

この調子で、ハワードにはどんどん録音していってもらいたいです。

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じょるじゅ > その、アルバムリーフがイントロになり愛の夢の・・・ハワードはそういう解釈で弾いているのですか?

というのも、リストはピアノクラスの中で、「愛の夢」の前に曲中のコード進行を利用した「プレリュード」を即興で演奏しても良い(するとよい)というコメントを残しているのです。(で、本人が弾いて見せたらしい。)
当時演奏者がプレリュードを即興で弾く習慣があったことが注釈に書かれていたので実は、リスト本人もそういうのをやっていたのではないかと思っていた所です。
(いろいろ私もやろうとしていた。出来てません。なぜかショパンのパクリみたいになってしまうので)

またまた、マリーカレルギスのための「内緒の草稿」ですか?リストも結構ショパンみたいに内に秘めるタイプだったりして。大事に出版しないで隠しておくなんて。まさか、ショパンみたいにリボンはかけてなかったと思うけど。 (6/5-12:20) No.2325
ふゆひこ > ハワードがその解釈で弾いているのではないです。解説にも書かれていないですね。僕の勝手な聞き方です。レコーディング・プログラムの偶然じゃないでしょうか。そのアルバムリーフは最後の旋律がE♭-F-E♭-C-A-A♭で終わります。半音下がる形で完結せずに終わる感じなので、転調するような感じ(S167hの不穏な雰囲気を晴れやかにする感じ)で“愛の夢 第3番”の最初のE音にうまくつながるように聞こえます。 (6/5-13:50) No.2326
ふゆひこ > “愛の夢 第3番”のプレリュード・カデンツァ(←勝手に名づけた)は、ハワードが録音していないので、スコアとしては残されてないのかな。代わりに“ため息”のプレリュード・カデンツァはスコアが残されていて、ハワードは38巻で録音しています。実際ハワードは“ため息”の前で演奏することで、素晴らしい効果を出しています。基本は、1〜4小節分ぐらいの、本編のエンディングあたりの短い旋律かコード進行を持ってくるんでしょうね。“ため息”のカデンツァを参考にして、やってみたらどうでしょう。 (6/5-13:57) No.2327


ハワードのリスト ピアノ3重奏曲全集 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/05(Sat) 02:14 No.2324

ハイペリオンの独奏曲全集とは別に、ハワードにはリストの曲メインの、しかも全集とは曲目がダブらないアルバムがあります。

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000000U38/104-6883355-5996758?v=glance

それも“リスト ピアノ3重奏曲集/ショパン ピアノ3重奏曲”CALA RECORDSというレーベルから出ているもので、現在は残念ながら廃盤のようです。ウィリアム・ハワードというのは、ハワードの兄弟か誰かなのでしょうか?
このCDは廃盤ですが、オーベルマンの室内楽版やサン=サーンス編曲のオルフェウスは、このハワードの演奏だけでなく、フンガロトンからもディスクが発売されているので、曲を知ることができない、というわけではないです。

http://www.hungaroton.hu/classic/info.php?info=299&vez=l

『世界の始まりへの旅』 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/06/03(Thu) 02:40 No.2315

『天井桟敷の人々』に続いて、リストを感じることのできる映画をもうひとつ紹介します。このサイトでもトップページにニーチェの言葉を引っ張ってきた、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の『世界の始まりへの旅』です。ストーリーは年老いた巨匠映画監督マノエル(マルチェロ・マストロヤンニ)が、若い俳優アフォンソ(ジャン=イヴ・ゴーチェ)とともに、マノエルの故郷、そしてアフォンソにとっては父の故郷を訪ねに旅をする、という物語です。

この映画は1997年の作品。舞台も普通の現代社会で、19世紀とは関係ありません。それでもリストを感じることができる。下手なリスト映画なんかよりも断然感じることができます。

いつの頃のリストかと言えば、晩年のリストを感じることができるのです。年老いたマノエルは、若い俳優アフォンソとドゥアルテ、若い女優ジュディトとともに、車で移動しながら故郷を訪れる。まるでリストが若い弟子達や、リナ・シュマルハウゼンやゾフィー・メンターらと移動している様子を思わせます。きっとこんな感じだったのだろうな、と。

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ふゆひこ > マノエルは穏やかで、機知と教養に富み、昔を懐かしむ会話をします。リストもきっとこんな感じだったのでしょう。面白いことにマノエルは転んだらしく、足を痛めており杖をついています。そしてそのことを年老いたせいだと感じ、非常に気にします。それはリストが1881年に階段から落ちた時の心境を思わせます(ちょうど“灰色の雲”を書いた頃)。 (6/3-02:44) No.2316
ふゆひこ > マノエルを演じたマルチェロ・マストロヤンニは、演技というより、素でやっています。物語内でも、マノエルが昔の恋愛や女性関係がそれなりにあったことがほのめかされますが、それはマルチェロ・マストロヤンニ自身にオーヴァー・ラップし、そのままリストを想起させます。 (6/3-02:48) No.2317
ふゆひこ > 物語内では語られませんが、明らかにマノエルは、アフォンソに若い頃の自分を重ね合わせています。ということはアフォンソにもリストの性格を見出すことができる。物語で最も感動的な場面、アフォンソが自分のことを甥だと認めてくれない伯母に“大事なのは血だ!言葉ではない”と熱く主張するところは、リストのハンガリーに対する愛着に似たものを感じることができます。 (6/3-02:52) No.2318
ふゆひこ > 『世界の始まりへの旅』は、リストとはまったく関係ありません。ですが“リストの映画で何がお薦めですか?”と問われたら、僕は『天井桟敷の人々』と『世界の始まりへの旅』をお薦めします。原語タイトルは『VIAGEM AO PRINCIPIO DO MUNDO』ポルトガルの映画です。 (6/3-02:55) No.2319


リスト・ワイン 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/31(Mon) 00:31 No.2306

今日、友人宅でワインを飲んできたんですけど、“リストの名を冠したワインってありそう”と思って調べたら、やっぱありますね。

まずは“夕べの調べ”。第6回のフランツ・リスト・ピアノ・コンペティションのために特別に作られた赤ワインのようです。解説を読むと、“様々な地方の特色を取り入れた”味がするようです。そんなところがコスモポリタンなリストの名を冠するにふさわしいのでしょうか?

http://www.liszt.nl/2002/wijneng.htm

もうひとつはSzekszardi Pinot Noir 1999(セザルディ・ピノ・ノワール?)という赤ワインと、Szekszardi Kekfrankos 2000
(セザルディ・ケクフランコス)という同じく赤ワイン。

http://www.royalcorvin.hu/bor19e.php 

Szekszardはリストゆかりの土地ですね。リストの銅像があるところだと思います。リストのイメージとして、情熱の赤が選ばれているのでしょうか。こんなリスト・ワインを飲みながら、リストを聴くのもなかなかよいかも。

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じょるじゅ > Harmonie du soir おおお、彼のピアノ曲の中でも一番ふさわしい名前。

セザルデイワインのことは考え付かなかった。
ハンガリーのワインはおいしいです。(欧州では化学保存料が入っていないからかもしれない)二日酔いしません。食事の時に1―2本というのも全然不可能じゃないような。食事中は3杯、食後に違う種類を1杯飲んだけど酔いもしなければ翌朝の頭痛もなし。6オンスグラスでも4杯はボトル一本強だと思います。
時差ボケにもちょうどよい。
私、普段は二日酔い無しに飲めるのは2杯が限度です。 (6/1-02:43) No.2307
ふゆひこ > Szekszardは、日本語では“セクサールド”で定着しているようです。日本のサイトでハンガリーのワインを紹介しているページで知ったのですが、セクサールドはハンガリーにおけるワインの指定生産地のひとつとのこと。ワイン製造で有名なんですね。もうひとつこのセクサールディ・ワインのページを見つけました。

http://www.tolnaart.hu/kiallitas/200211072.htm

僕はどんなワインでも2杯で体中が真赤になります。 (6/2-02:42) No.2310

FRANZ LISZT STUDIES 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/29(Sat) 11:38 No.2294

第1巻 『リスト,カロリーヌとヴァティカン関連文書』
Liszt, Carolyne and The Vatican Documents

第2巻 『ドイツのリスト 1840年−1845年』
Liszt in Germany 1840-1845

第3巻 『フランツ・リストの交響詩』
The Symphonic Poems of Franz Liszt

第4巻 『リストとの生活 アメリカ人のリストの弟子、カール・ラッチムンドの日記から(1882年-1884年)』
Living With Liszt-From The Diary of Carl Lachmund, an American Pupil of Liszt, 1882-1884

第5巻 『アナレクタ・リスティアーナ I リストとリストの世界』
Analecta Lisztiana I-Liszt and His World

第6巻 『アナレクタ・リスティアーナ II リストとその音楽の新しい側面』
Analecta Lisztiana II-New Light on Liszt and His Music

第7巻 『リハーサルのワーグナー(1875年-1876年) リヒャルト・フリッケの日記』
Wagner in Rehearsal 1875-1876: The Diaries of Richard Fricke

第8巻 『フランツ・リストとアグネス・ストリート=クリンドヴォルト往復書簡』  
Franz Liszt and Agnes Street-Klindworth?A Correspondence

第9巻 『アナレクタ・リスティアーナ III リストと近代ヨーロッパの誕生 宗教、政治、社会と美学の変遷の鏡としての音楽』
Analecta III-Liszt and the Birth of Modern Europe - Music as a Mirror of Religious, Political, Social, and Aesthetic Transformation

第10巻 『フランツ・リストの書簡 国会図書館のコレクションから』
The Letters of Franz Liszt in the Collections of the Library of Congress

第11巻 『オイゲン・ダルベール(1864年-1932年)リストのアルベルトゥス・マグヌスの伝記』
Eugen D'Albert, 1864-1932: A Biography of Liszt's Albertus Magnus

第12巻 『フランツ・リスト(1811年−1886年) テーマ別作品カタログ I 』
Franz Liszt (1811-1886)-- A Thematic Catalogue of His Works, Volume I


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ふゆひこ > 上記は、PENDRAGON出版のリスト研究書のシリーズです。第12巻が前から僕が待ちに待っているハワードによるカタログになります。ハワードのカタログがなかなかでないので、思わず第10巻の書簡集を買ってしまいました。すごい研究書シリーズですよこれは。全巻そうだと思うけど、第10巻は大型の本で400ページぐらい、いままで未出版だった国会図書館が保管しているリストの書簡300ぐらいを詳細解説、詳細インデックス、さらには原文まで対照できるように載せています。この第10巻は、マイケル・ショートという人が編集、記述しているのですが、ハワードがだいぶ協力したらしく、ショートはハワードにこの第10巻を献呈しています。 (5/29-11:43) No.2295
ふゆひこ > このシリーズ、1冊が高価なので、学生の人は図書館に取り寄せるよう頼んでみたらどうでしょう。僕も地元の図書館にリクエストしてみようかな(笑)。 (5/29-11:45) No.2296
ふゆひこ > ↑あ、日本語は全部僕の勝手訳。洋書です。 (5/29-11:46) No.2297
ふゆひこ > 第11巻のダルベールの本ですが、これだけ在庫がないかもしれません。僕は昔、AMAZONに頼んで、在庫なしと言われました。で、ですね、ダルベールの本に“Liszt's Albertus Magnus ”リストのアルベルトゥス・マグヌスってありますね。どういうことなんでしょう?ネットで調べるとアルベルトゥス・マグヌスは、中世の思想家、哲学者、神秘学者のようですが。ダルベールとアルベルトゥスをかけているのでしょうけど、もっとちゃんとした理由がありそうです。 (5/29-11:51) No.2298
ふゆひこ > FY P422に記述がありました。“リストはダルベールを「第2のタウジヒ」と呼び、ダルベールを親しみを込めて「アルベルトゥス・マグヌス」と言及し、そしてダルベールの輝かしい将来を予見した”とのこと。僕が持っているダルベールのピアノ協奏曲の入ったVOXのCDライナーを読むと(執筆者名は書かれていません)、ダルベールが薬学に非常に興味を持ち、菜食主義者であり、学者肌だったようです。リストの所に居た若い頃もそのような傾向があり、それでリストは“アルベルトゥス・マグヌス”を引き合いに出したのでしょうか。フランツ・リスト・スタディーズの第11巻に、もっと詳しく書かれているんでしょうね。 (5/29-23:50) No.2299
じょるじゅ > 昨日、私のところにも三冊このシリーズから届いたんですよ。
「ヴァテイカンと取り消された結婚」
「ドイツでのリスト」
「リストと近代ヨーロッパの台頭」
です。
これで今の所6冊です。
「リストと音楽の新しい側面」
「アグネスーリスト書簡」
「米国国会図書館所蔵リスト書簡」
をすでに所蔵してます。
ずっと捜しているのは
「カールラクムンドの書簡」
英語で書かれているので私たちにとってはもっとも直接的な資料となるはずです。(NYの図書館に前もって予約していけば草稿も閲覧できるはずです。)

一巻は、ウオーカーが「誰が、二人の結婚を止めようとしたか」という彼の仮説を証明するためにかかれたものです。
本当に重要なのは10/18に書かれたホーエンローエから法王あての書簡。
「例の件でスキャンダルをさけるために〜」と書かれた短いノートです。
***
アグネスの書簡は、例のラマーラ版の改訂です。ラマーラ版はリスト、アグネス(アグネスは出版を計画当時まだ生存していた)アグネスの息子たちの名誉を守るために彼女の名前は伏せられ、ワイマールに到着した年代も変えられている、など現在となってはあまり大きな意味を持たない「編集」がなされているためにウオーカーの助手であるポックネル女史がきめ細かな「改訂」を行ったものです。
ラマーラ版との比較、リストの手書きを全てきめ細かく検証しラマーラがなぜ「編集」をしたかなどの理由にも言及しています。
また、巻末には原版仏語のトランスクリプションも掲載されていて英訳では伝わりにくい
「TuとVous」の違い
もわざわざヴァイマールに出向かなくても確認できるようになってます。
書簡資料としてはこのシリーズの「痒い所に手の届く」徹底した姿勢はまったく頭が下がります。こういう研究にお金を出す教育機関が欧米にはあるんですよ。

第六巻はやはりポックネル女史による「リストの隠し肖像」という例の私のHP Topにあるシェファーの「悪魔の絵」の解説などが載っていて「リスト研究」の幅の広さを知ることが出来ます。

ハワードのカタログは30年ぶりに改訂されるものですからリスト愛好家だけでなく音楽界全体からも注目を浴びる出版であることは間違いありません。

(5/30-04:16) No.2300
じょるじゅ > この「ドイツでのリスト」の巻の資料もすごい。
というのも、彼が演奏した日時だけでなく、通常のコンサートか、公開リハーサルか、プライヴェイトなパーテイかチャリテイかの区別もつけられており、一日に2―3回の演奏という事もざらなのです。

まあ、それを毎日のようにこなしていたリストがすごいのか、その資料を全て集めて解説したウオーカー派の学者がすごいのか良くわかりませんが、ふゆひこさんが下で言及されている「なぜヴァイマールに移住したか」という理由を捜そうとするなら必見です。
特にドイツでなければいけない理由は周りに理解されるという事よりも、やはりゲーテとのつながり=ロマン派的感覚と大公とウマが合うというのが最初は大きな理由のようです。
演奏旅行中からリストの音楽に対する姿勢には「批判的意見」が広がり始めており、その意味ではドイツは友好的な環境とも言い切れない。
パリは単純に「マリーと顔をあわせたくないから」という大きな理由があり、便宜的な理由で消去していくと「たまたまヴァイマールがよさそう」という事だったみたいです。
(5/30-09:38) No.2301
じょるじゅ > 本当にこのシリーズは高い。古本でも三冊で142ドルかかりました。
アグネスの本は特別オーダーで印刷してもらったので90ドル以上、最近古本で200ドル以上で売りに出てました。 (5/30-09:40) No.2302
ふゆひこ > すでに6冊お持ちなのですか。この研究書は本当にすごいですね。しかも全何巻なのかが不鮮明なので、おそらくハワードのCD全集と同じで、終わりなく継続されていくような気がします。僕がこんど買おうと思うのは、第9巻と第2巻かな。こういう研究書に触れると、本当に研究者の地道な努力というのを尊敬します。 (5/31-00:17) No.2303
じょるじゅ > リスト研究者、翻訳者たちは皆友人知人というかお互いの本の協力をし合っているようです。
このシリーズではないのですがオックスフォード版のウイリアムズ篇[Liszt Selected Letters]にもこのシリーズ著者たちの名前は協力者として勢ぞろいしています (6/1-02:49) No.2308
じょるじゅ > というか、リストの研究なんて所詮、個人だけで完成するものでもないですよね。きっと、それぞれの研究ではなく『リスト』を研究する上での自分の役割という感じなのかもしれません。自分の研究がお互いの土台や資料として不可欠です。
ということは、その基本を作ったウオーカーはやはりすごい。
(6/1-02:52) No.2309

ベルリオーズとリスト 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/24(Mon) 00:02 No.2289

いままでの僕の書き込みを少しリストに近づけましょう(笑)。いままでにもリストの音楽に見られる“悪魔主義”というもの、デームリングが呼ぶ“黒いロマン主義”の系譜というもの、を話題にしましたが(“死の舞踏”“呪い”や“荒々しき狩”の世界)。その流れの始めあたりに位置しているのがラスネールであるわけです。ラスネール、ボードレール、ゴーティエ、そしてベルリオーズとリストもその感性の歴史に名を連ねるわけです。

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ふゆひこ > 僕は前に、なぜリストが“ワイマールに定住したか”ということを、リストの主体的な要因から考えようとしたのですが(VYに載ってたのかな?ちょっと出典を調べる気力がいまないですが、リストはワイマールを拠点とする前に、ハノーヴァーとかドイツ北部でコンサートを行い、ドイツの聴衆が非常に真摯に音楽を聴くことに感心しています。リストはパリの聴衆が“悪魔ロベールの回想”とかばかりを喜ぶことに嫌気がさしている)、リストの人生を“もしそのままパリを拠点にしていたら?”というもうひとつの可能性を考えてしまうのです。 (5/24-00:13) No.2290
ふゆひこ > ちょっと浅はかな知識のまま、僕の印象を書き連ねます。リストの晩年でも、ドガとかマネ、モネといった印象派の画家との交流がなく、あるいはジャポニズムの影響もない。リストがもしフランスに留まっていたならば、リストの芸術はまた違った発展をみせたと思います。シヴェルブシュの本で読んだのかな?フランスはイギリスに近いこともあり、産業革命の影響を早からダイレクトに受けていく。ベルリオーズの音楽は“テクノロジーの音楽”とか“インダストリアル”とか当時、呼ばれたりしている。そのニュアンスはなんとなく分かります。けど僕はリストの音楽にはそれは感じられない(僕が前に産業革命のことをダラダラ書いていた時の話)。もしリストがパリに留まっていたら?と考えてしまう。 (5/24-00:30) No.2291
ふゆひこ > 次は山田宏一さんの書籍『天井桟敷の人々』から、P51「シェイクスピアとロマン主義」という項です。

“(前略)十九世紀初頭のパリは、きたるべきロマン主義の原動力のひとつとしてシェイクスピアを求め、ロマン派が古典派に決着をつけるべく、激動の時代を迎えようとしていた。(中略)彼らにとって最大の標語が−映画のフレデリック・ルメートルの場合と同じように−シェイクスピアであった。イギリスのシェイクスピア劇団の来仏(一八二二年)”

ベルリオーズは、シェイクスピアにインスパイアされた多くの曲を残しました。それに対し、リストは(編曲作品を除けば)交響詩“ハムレット”のみ(ですよね?)。しかもリストはオフィーリアのことなど考えず、重々しいハムレット像を作っています。音楽性も僕が聴いた限り、ファウスト交響曲の第1楽章“ファウスト”に似ており、リストのハムレットへのアプローチは、まるで“ファウスト”を観賞しているかのように思います。 (5/24-00:42) No.2292
ふゆひこ > それよりも、上の山田宏一さんの文章で留意すべきは“イギリスのシェイクスピア劇団の来仏”でしょう。1822年ではなく1827年になりますが、同じようにやって来た女優ハリエット・スミッソンにベルリオーズは恋をし“幻想交響曲”を作るわけです。そして1833年に結婚するわけです。そしてその結婚式にリストが立ち会う。今まで、僕が興味を持ってきたことを振り返ると、このベルリオーズとハリエット・スミッソンの結婚と、リストの立会いというエピソードが、僕には非常に象徴的に思えます。その後リストは大演奏旅行時代を経て、ワイマールに居住、ワーグナーとともに新ドイツ学派を推進していく。ベルリオーズとリストの音楽性の決別というものも、リストのワイマール居住のあたりですでに予見されることのように思えます。 (5/24-00:54) No.2293

ラスネール 早すぎたロマン派 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/23(Sun) 23:12 No.2286

僕の最近の書き込みはリストから離れてますが、まぁ、みなさん気になさらず。僕も気になさらず(笑)。いま、いろいろ興味を持っているのは、リストの周辺の周辺、といった感じ。簡単に言えば、リストの周辺にサンド、ベルリオーズがいるなら、そのさらに周辺にゴーティエ、ドゥビュロー、ルメートルがいる、というそんなあたりの話です。

山田宏一さんの『天井桟敷の人々』(ワイズ出版)で、ゴーティエのまさに“ラスネール”という詩が紹介されていました。平凡社の『世界名詩集12巻』“七宝と螺鈿(らでん)”というゴーティエの詩集に収録されているようです。で、山田宏一さんが主に参照している文献が澁澤龍彦の文章と、コリン・ウィルソンの書籍。

澁澤龍彦の文章は、いっしょに図書館から借りてきました。河出書房新社の全集11巻に所蔵されている『悪魔のいる文学史』です。

まず、澁澤龍彦によればラスネールは“少なくとも5人以上の人間を殺しているはず”とのこと。大悪党でした(笑)。ラスネール自身の略歴を澁澤龍彦は書いているのですが、主に他の芸術への彼の影響について、P307からデータ的なところを抜粋します。

まずシュールレアリスムの詩人ブルトンがラスネールを“黒いユーモア”の系譜に属する、と呼び、カミュは“ロマン主義の遺産は、フランスの貴族ユゴーによってではなく、犯罪の詩人であるボードレールとラスネールによって管理された”と書いているとのこと。そして澁澤龍彦自身は次の文章でその章を終えています。

“結局のところ、ラスネールはジャン・ジャック風の誠実な自尊心と、ジュリアン・ソレル風の侮蔑的な勇気と、ミュッセ風のやや衰弱したマゾヒズムの持主であったがために、詩人として大成するにいたらず、いたずらにダンディーとしての神話的な名前のみを残すことになった、早すぎたロマン派の一人であったと結論することができるであろう。”

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ふゆひこ > 映画『天井桟敷の人々』は、やはりかなり時代考証というか、事実をベースにしてるんですね。山田宏一さんの上掲書に書かれているのですが、ラスネールのセリフのいくつかは、19世紀当時ベストセラーとなったラスネール自身の『回想録』からとられているとのこと。澁澤龍彦の文章からは、映画の中のワンシーン、ラスネールとアブリルの集金人を襲撃するシーンの顛末が、そのとおり『回想録』にも書かれていることが分かります。 (5/23-23:19) No.2287

夜のガスパール 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/23(Sun) 00:35 No.2281

『天井桟敷の人々』を継続して調べていて、僕にとっては、いままでで一番驚いたことを知りました。『天井桟敷の人々』が結構、時代考証されている、という点に注目して、ルメートルのゴーティエ発言の根拠を知ろうとしたんですよ。

gautier Debureau でフランス語のサイトの1ページだけがヒットしました。

http://www.ac-rouen.fr/pedagogie/equipes/lettres/fiche2/fich_60.htm

フランス語は読めないんですが、驚くことに、もう一人の詩人の名前が出てきてますね。アロイジウス・ベルトラン。そして『夜のガスパール』という作品名も。あのラベルがインスパイアされた詩集です。

慌てて僕は押入れに積み上げられた箱の中から、ベルトランの『夜のガスパール』(岩波文庫 及川茂 訳)を引っ張り出してきました。

ベルトランは『夜のガスパール』の中で、“ヴィオラ・ダ・ガンバ”というアルルカンとピエロを詠った詩を創作しています(僕も初めて知ったのですが、アルルカンとピエロは同義にとらえられてますが、演劇史的には役割が違うようです)。そこでベルトランは、ゴーティエの文章を引用しているんです。全部引用します。

“曲馬団きっての名人、親友ジャン=ガスパール・ドビュローの青ざめた顔を、彼ははっきりとみとめた。相手もまた、悪意と好意の混ったような形容し難い表情で見返した。 テオフィル・ゴーチエ『オニュフリウス』”(P62)

“バチスト”というのはドゥビュローの愛称。彼の名前は、ジャン=ガスパール・ドゥビュローです。ルメートルのゴーティエ発言は、やはり根拠があります。

そんなことよりもですね、ベルトランは『夜のガスパール』の中で、冒頭の散文で“夜のガスパール”がいったい誰なのか、ということを非常に抽象的に書いていて、はっきりわからないのです。ところが“ヴィオラ・ダ・ガンバ”で、正確にゴーティエの引用でジャン=ガスパール・ドゥビュローの名前が出てくる。

ということは“夜のガスパール”という名前は、『天井桟敷の人々』のジャン=“バチスト”ガスパール・ドゥビュローの名に由来している(あるいは意識している)と考えて、よいのではないでしょうか?ちょっとこれには驚きました。

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ふゆひこ > ちなみにベルトランの『夜のガスパール』に影響され、ボードレールは『パリの憂愁』という詩集を作ります。

“君にちょっと意中を洩らしておく。アロイジュース・ベルトランのかの有名な『夜のガスパール』を(中略)恐らくは二十遍ぐらい読みかえしている時だった、私もまたこれに倣って何か一つやってみたいという考えが浮かんだ”(『パリの憂愁』ボードレール 福永武彦 訳 岩波文庫 P7)

その『パリの憂愁』の中にボードレールは“バッカスの杖”というはっきりとフランツ・リストに捧げられた詩を収録しているのです。と、相変わらず強引にリストに結びつけました(笑)。 (5/23-00:36) No.2282
ふゆひこ > 図書館で映画評論家の山田宏一さんの『天井桟敷の人々』(ワイズ出版)というシナリオ書に詳細な解説がありました。以下の記述は同書のP52〜53。とにかくバチスト・ドゥビュローは彼自身がパントマイムの詩人であったように、19世紀の詩人、小説家達に強烈な影響を与えたようです。まずドゥビュローを最初に見出したのがシャルル・ノディエ(ベルトランの『夜のガスパール』の最後の詩は“シャルル・ノディエ氏に”です)。ノディエは“黄金の夢あるいはアルルカンと守銭奴”という詩を書いているとのこと。上掲のゴーティエ。ネルヴァル。バルザックは『ジャーナリズム博物誌』でその才能を賞賛。シャンフルーリ(この人は知らないです)は“首吊りピエロ”“カッサンドルの三人の娘”など。ゴンクールの日記。ジョルジュ・サンドも絶賛したとのこと。 (5/23-22:39) No.2284
ふゆひこ > またどうもドゥビュローは舞台から落ちて死んでしまうようです。僕は以前からチャップリンの『ライムライト』の、舞台裏の美術の描写が『天井桟敷の人々』の印象に似ているな、と思ってたんですが、『ライムライト』の道化、カルヴェロも舞台から落ちて死んでしまう。もしかしたらチャップリンはドゥビュローを意識したのかも。 (5/23-22:42) No.2285

≪補記 2005/10/10≫
『我が生涯の記』第2巻 ジョルジュ・サンド著 加藤節子 訳 水声社 2005年 P589

“私は一二年か一五年後、彼のための興行を観に行った、その公演の終わりに彼は舞台のせりが下がっていたところへ誤って落ちた。私は翌日彼の容態を聞きにやらせた。彼は大したことはないと私に言うために自分自身で魅力的な手紙を書いてきた、それはこういう言葉で終わっていた、「あなたにあまり上手にお礼を申し上げるすべを知らないことをお許し下さい。私のペンは演じている無言の人物の声のようです。しかし私の心は私の顔のようで、真実を表現しています」。それから日ならずして、この素晴らしい人、この一級の芸術家は、あの転落の後遺症で亡くなった。”






天井桟敷の人々 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/20(Thu) 01:09 No.2252

GW中に観直して、それ以来、毎日のように観ているのですが、これほど19世紀を感じることのできる映画はないですね(天井桟敷は時代、空間を超えていますが)。リスティアンの方は“リストを描いた映画がなかなかない”と思っているでしょうけど、なにもリストを描いた映画でなくても、リストを想像、実感させてくれる映画はあります。歴史上最高の映画ともいえる『天井桟敷の人々』もそんなひとつ。リストが呼吸したパリの空気を感じることができます。

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ふゆひこ > 例えば、無言劇のバチスト・ドゥビュローをショパンに重ね合わせてもいい。それに対し、饒舌なシェイクスピア役者のフレデリック・ルメートルをリストと見立てて楽しむこともできます(ガランスはジョルジュ・サンドで)。第2部“白い男”において、嫉妬の炎を燃え上がらせたルメートルが、“これでオセローを演じられる”と言うのですが、それってショパンに対するリストの感情にも近い気がします。あるいは野心的なラスネールにリストを重ね合わせることもできる。 (5/20-01:13) No.2253
ふゆひこ > この映画に出てくる、バチスト・ドゥビュロー、フレデリック・ルメートル、ラスネールといった人物は実在の人物です。ドゥビュローは伝説のピエロ役者。ラスネールは“犯罪詩人”と呼ばれ殺人を繰り返した人物です。1836年についに処刑されてしまいます。リストはその頃スイスに行ったり、パリにいたりしてるんですが。ウォーカーのインデックスや書簡集で調べてみましたけどリストのドゥビュローやルメートルやフュナンブル座、あるいはラスネールに対する発言はないですね。残念。 (5/20-01:42) No.2254
ふゆひこ > フレデリック・ルメートルに関しては、代わりにベルリオーズ回想録でその名前が何回か出てきます。巻末の人名辞典での記述ですが(P605)ベルリオーズは、ルメートルによる『アドレの宿屋』のロベール・マケール役を“時代を代表する演劇”とみなした、とのことです。 (5/20-01:56) No.2255
ふゆひこ > 『天井桟敷の人々』の中で、ルメートルは『アドレの宿屋』を演じるのですが、演劇空間をぶち壊して、めちゃくちゃにしてしまいます(観客は大絶賛(笑))。その結果、ルメートルは酔っ払ったまま、原作者と決闘をする羽目に(笑)。そんなところもリストを重ね合わせることができる(笑)。 (5/20-01:59) No.2256
ふゆひこ > ネット上の知識ですが、ラスネールをモデルにユゴーが『レ・ミゼラブル』でモンパルナスという人物を描いているようですね。うーん、記憶にない(笑)。 (5/20-02:10) No.2257
またまた日本語の > わからないじょるじゅ
英語題名はなんですか?
(5/20-06:22) No.2258
Micci > 僕も、映画あまり詳しくないので、初めて聞く名前の映画だったのですが、いつごろの作品なのでしょうか? (5/21-00:20) No.2261
ふゆひこ > 1945年のフランス映画『les Enfants du paradis』です。英語タイトルだと『 Children of paradise』かな。いままでに作られたすべての映画の“ベスト10”とかアンケートやると(あまり意味のない、よくある企画ですが)、必ずベスト5には入るような作品です。この映画で、ドゥビュローやルメートルといった伝説の俳優を演じた、ジャン=ルイ・バロー、ピエール・ブラッスール自身が、すでに伝説となっています。有名な映画なので、そのうち観る機会があると思いますよ。DVDも簡単に手に入ります。フランスのサイトのページですが、写真がいくつかのってます。↓
http://garance.chez.tiscali.fr/lesenfantsduparadis.html
(5/21-01:47) No.2264
ふゆひこ > “ラスネールは殺人を繰り返した”と上で書きましたが、ネットで継続して調べると、殺害したのは二人だけですね。失敬・・・。いやいや十分悪人でしょう(笑)。ついでに映画では(この映画、シナリオの意外性とかが芸術的感動の核ではないので、平気で書きますけど)、仲間のアブリル(ラスネールの子どもなのかな?仏語がわからない)は逃げるんだけど、事実はラスネールとアブリルはいっしょに処刑されているようです。 (5/21-01:53) No.2265
ふゆひこ > ラスネールについて、澁澤龍彦が文章書いているようです。今度、図書館で見てきます(ついでにローラ・モンテスのことも書いているらしい)。前に見たときは、留意しなかったんですけど、第一部“犯罪大通り”のラスト近く、ガランスが警察に尋問される場面で、“職業はなんだ?”と聞かれたガランスが“モデルよ。アングルさんとかの”って答えてますね(笑)。確かにその時代です。アングルはイタリアでリストとベートーヴェンを演奏しているかもしれませんが(笑)。つづけてガランスは“余技はアングルのヴァイオリンよ”と軽口を叩きます(笑)。 (5/21-01:58) No.2266
じょるじゅ > 「アングルのヴァイオリン」出ましたね。ふゆひこさんのお陰で意味が良く解ります。あの時代、有名画家のモデルになることはやはり手っ取り早く有名人になる方法だったようです。他にも、シェファーや、ジョルジュサンドの娘の夫クレサンジェのモデルをした女性たちは、結構社交界でも名前を知られるようになったりしている。(勿論表向きの付き合いはないが。) (5/21-11:18) No.2268
Micci > なんか、そこまで言われるとどうしても観たくなってきます。(笑)
話を変えて申し訳ないのですが、大体5年くらい前にお昼にリストの映画がやってまして、当時はリストが好きではなかったのでなんとなく観ていたのですが、あの映画はなんだったのでしょうか?僕が覚えていることは、★ショパンとジョルジュサンドがリストの家に遊びにくる ★リストがピアノに向かい演奏をしてたら赤ちゃんが泣き出して、リストがショパンの曲を弾きだしたら泣き止む、そこで一言「君の曲が気に入ったようだ」 ★リストがコンサートのステージでピアノの前で手袋を脱ぎ捨てる ★リストは長髪サラサラヘアーではなく、パーマのかかったヘアースタイル
これしか覚えてません。(笑)もしわかるようでしたらお教えください。 (5/21-21:30) No.2271
ふゆひこ > 確かに有名画家のモデルになれば、当時の社会で名を広めるどころか、無名の人でも歴史に残ってしまいますね。あと『天井桟敷の人々』第2部“白い男”で、決闘で怪我をしたため、休演となり暇になったルメートルが、フュナンブル座にふらっと顔を出したとき、座長が「フレデリックじゃないか!“放蕩息子還る”だな!」って言います(笑)。あと、時代を感じるのは、ドゥビュローの成功に嫉妬するルメートルが「あの、テオフィル・ゴーティエまで[ドゥビュローを]絶賛しやがる!」と苛立ちます。 (5/22-01:07) No.2273
ふゆひこ > 僕は、天井桟敷は、実在の人物を使用しただけで、ほとんどフィクションだと思ってたんですけど、結構時代考証されて、時系列もあってるんですね。ネット上の知識ですがアングルは1828年ぐらいはフランスに居るようです。(ガランスの“モデルよ。アングルさんとかの”発言は、物語においては白々しい嘘として言うのですが)。 (5/22-01:16) No.2274
ふゆひこ > Micciさんが言われているのは、ダーク・ボガード主演の『わが恋は終わりぬ』ですね。僕はついこの間、じょるじゅさんのご好意で観ることできたのです。テレビでやってたんですね(ずいぶん前にブラームス派のくららさんもそう言ってた)。僕のサイトのリスト・パラフレーズのところに書いてあるので、確認してみてください。一番ヒントになったのは“リストは長髪サラサラヘアーではなく、パーマのかかったヘアースタイル”です(笑)。 (5/22-01:21) No.2275
じょるじゅ > その、評論家セオフィル・ゴーティエとかも当時は権威があったわけで、そういう名前がちりばめられると私はのけぞり、多分英語版出ていると思うので捜して買います。私はゴーティエの著作はまだ古本でも手に入れてません。ラムネー神父とともに19世紀出版本が欲しいです。
ラマルテイーヌは「ジロンド派の歴史」1―2巻だけ見つけました。1847年版。コレは仏語なので読めませんが。(ジロンド派の歴史なんて今更読んでもしょうがないし。)
ティエールの「フランス革命史」は英語版でそろってます。(この人はビスマルクに敗北条約むりやり書かされた人。)
放蕩息子は「Return of the Prodigal Son」というフレーズですね。聖書が元です。 (5/22-23:47) No.2280
ふゆひこ > 最近、リストが影響を受けた思想史的なところに興味があって、ラムネ神父やサン=シモンの思想を簡単に整理したいと思ってました。19世紀出版のものはなかなか手に入らないですが(僕には無理ですが(笑))、日本語に結構なってるものもあると思うので、僕はそれを探そうと思ってます。『天井桟敷の人々』は19世紀文化と切り離して、独立の映画作品としての価値も最高峰のものなのでお薦めします。 (5/23-01:35) No.2283
ふゆひこ > おまけの知識です。『天井桟敷の人々』の脚本は、詩人ジャック・プレヴェール。プレヴェールは岩波文庫の『フランス名詩選』で、過去の名だたる大詩人達と名を連ねて収録されても見劣りしないほどの名声のある詩人です。シャンソン、ジャズのスタンダードナンバー“枯葉”の作詞者でもあります。その“枯葉”の作曲者であり、『天井桟敷の人々』の音楽を担当したのが、ジョゼフ・コズマ。プレヴェールとコズマのチームで、いくつものシャンソンの名曲を残しています。さてそのジョゼフ・コズマ。彼はブダペスト出身。そしてフランツ・リスト音楽院で学んでいます。そして奇遇にもコズマが生まれたのは1905年10月22日。リストと同じ誕生日ですね。 (6/10-00:33) No.2346
たに > シャンソン&ジャズのスタンダード、「枯葉」とはナンか私が召喚されているような?(←あらへんあらへん(^烹^;)最近は自作を歌っているジャック・ブレルにはまっているせいか「枯葉」みたいなスタンダード曲はあんまり聴いてませんが、ジュリエット・グレコの歌がイチオシです。ジャズだとたくさん聴いているような気はしますが、ヒイキのピアニスト・スティーブ・キューンが弾いたものがあるから、ひとつ選ぶならそれかも? ウチで紹介している「忍び寄る恋」に入っています。 (6/11-00:21) No.2348
たに > 書いたあとで思い出しましたが、会社の人に聴かせてもらったチック・コリアの「スタンダード・アンド・モア」というアルバムのものなんかも変わっていて面白いかもしれないです。 (6/11-00:27) No.2349
ふゆひこ > 僕は“枯葉”は、ビル・エヴァンズの定番のCDと、あと父親の持っているCDで女性ヴォーカルで誰かのを聴いたぐらいかな。ジュリエット・グレコのを聴いてみたいです。 (6/12-03:13) No.2350
ふゆひこ > めちゃめちゃ脱線してよいでしょうか(笑)。“枯葉”の英詩訳をしたのがジョニー・マーサーという、これもまた有名な作詞家です。“Moon River”もマーサーとのこと。でですね。僕が長年探し続けている僕のフェイヴァリット映画『ロング・グッドバイ』のテーマソング、これが作曲ジョン・ウィリアムズ(スター・ウォーズの人と同じだよ)、作詞ジョニー・マーサーなんですよ。この映画、とてつもない傑作なのに日本ではDVDになっていません。しかもサントラもCD化されていない。ネットで検索すると世界中のファンが、『ロング・グッドバイ』のサントラ音源を探し求めていることが分かります。それでですね、僕は今日サンドラ・ローレンスというヴォーカリストが、この曲を歌って収録しているCDをネットで見つけてしまいました。ジャケットは思い切り『ギルダ』のリタ・ヘイワースのなりきりです(笑)。到着するのが楽しみ。以上脱線でした。さすがにここからリストには結び付けられない(笑)。 (6/12-03:25) No.2351
ふゆひこ > http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00008BXJZ/qid%3D1086978447/250-0495974-3317852
↑これがそのCD。おお!すごい『キッスで殺せ』も入ってます。タイトルは“ノワレスク〜ファム・ファタールの孤独な運命”という感じかな。フィルム・ノワールの映画のテーマソングを集めたアルバムですね。素晴らしい!脱線、すみません。うれしかったので。 (6/12-03:32) No.2352

≪補記 2005/04/07≫
ユーゴー 『レ・ミゼラブル』 岩波文庫 第二巻 豊島与志雄 訳 P583
“「芝居をおごろう。」彼らはポルト・サン・マルタン座へ行って、アドレーの旅籠屋でフレデリックの演技を見た。”

P608
“するとラスネールは、司法官にとっては謎にすぎないが警察にとっては明らかにわかる次の答えをした。「たぶんパトロン・ミネットでしょう。」”


アドルフ・ヌリ 投稿者:ふゆひこ 投稿日:2004/05/21(Fri) 02:32 No.2267

リストの生涯の前半で、いっしょにコンサートとかを行った高名なテノール歌手アドルフ・ヌリですが、VYをちらちら読んでたら面白いことを知りました。リストのオペラ“ドン・サンシュ”のプレミアのタイトルロール、つまりドン・サンシュ役をアドルフ・ヌリがやっているとのこと。“ドン・サンシュ”のいくつかのアリアは、ヌリの声域を意識して書かれているとのことです(P114)。“ドン・サンシュ”ってけっこう大々的な興行作品だったんですね。

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ふゆひこ > 1836年ショパンとサンドが知り合った頃、ショパンがサンドを自宅に呼びそこで大きな夜会が開かれたとのこと。そこにはショパン、サンドの他にヌリ、ピクシス、マリー・ダグー、リストが居て、リストの伴奏でヌリはシューベルトを歌ったとのことです(VYP226〜227)。その夜会のクライマックスはショパンとリストの連弾によるモシェレスの“ソナタ変ホ長調”とのこと。その後リストはリヨンでヌリと再会し(旅人のアルバムの“リヨン”作曲の頃です)、そこでもいっしょにコンサートを開きます(AN ARTIST'S JOURNEY P50〜51)。 (5/22-01:37) No.2277
ふゆひこ > ヌリは彼の後に出てきたジルベルト・ルイ・デュプレに人気を奪われだし、それを苦にしてナポリで自殺してしまいます(自殺の理由についてはネット上の知識です。本当にそうなのか、僕はまだ調べてません)。その訃報をリストはマリー・ダグーといっしょにイタリアで聞いたようです。人気を奪われだしたといってもヌリの死は、彼のキャリアの最高点に近いところであって(VY266)、パリ中が悲しんだ、とのこと。そしてヌリの葬儀ではショパンがオルガンを演奏したとのことです(VY P166)。 (5/22-01:45) No.2278
ふゆひこ > “ドン・サンシュ”は、何度も公演されたわけではないですけど、それでも客が入ったのは、ヌリの名声によるところが大きいようです。当時の風潮かもしれませんが、当時の公演ポスターに(いちおうの)作曲者リストの名前は載ってません。ヌリの名前は載ってる(ヘルム著『リスト』P39)。その後“ドン・サンシュ”の作者は成長し、ピアノ・ヴィルトゥオーゾとなり、ヌリといっしょにコンサートを開けるまでになる。しかしヌリの人気にかげりが見え始め、彼は自殺してしまう・・・。感慨深いですね。 (5/22-01:54) No.2279

CDの不満 ≪シフラ全集≫ 投稿者:Micci 投稿日:2004/05/21(Fri) 00:19 No.2260

僕がちょっと不満に思っていることをこちらに書いてスッキリしようと思います。(笑)

よく見かけると思いますが、シフラのフランスEMIの5枚組みBOXがあるじゃないですか。これは値段も2500円くらいと安いですし、ポロネーズの1番が入っていたりとなかなかお得なセットであることは間違いないのですが、僕としては、どうせBOXにするならEMIが持っているシフラのリスト音源を全部セットにしてほしかったです。多分、全部集めるとCD12〜15枚くらいになると思います。巡礼の年(全曲)も入ってないですし、ハンガリー狂詩曲の旧録が収録されているんですが、新録(16番、19番のシフラ編含む)がないです。シフラは協奏的作品集(1番、2番、ハンガリー幻想曲、死の舞踏)を2回録音していますが、それも両方入っていません。あと1番が入っているのでどうせならポロネーズ2番も入れて欲しかったです。そして一番、僕が望んでいるものはトランスクリプションです。チャイコフスキーのエフゲニーオネーギン・ポロネーズやメンデルスゾーンの結婚行進曲は容易には手に入りません。僕は面倒くさがりなので、ひとつひとつ集めるのは嫌です。(笑)どっかのEMIがやってくれるのを待ちます。

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ふゆひこ > 前にMicciさんが言っていた、EMIの倉庫に埋もれている音源ですね。あれで全部ではないのですか。値段があがるのを避けるために枚数を絞ったのではなさそうですね。12枚〜15枚で、7〜8千円ぐらいになるのかな。十分セールスできそう。シフラのエフゲニー・オネーギンのポロネーズは聴いてみたいですね。すごく豪快、爽快そうです。EMIじゃなくてもどこかの廉価レーベルとかが出してきそうですね。 (5/21-01:40) No.2263
Micci > いえ、倉庫に埋もれていると言うより、過去にEMIから出ていたものです。(でも、倉庫に埋もれているものもありそう。。)他にも「ファウストワルツ」や「リゴレットパラフレーズ」(この二つは日本のEMIから出てました)、「Gaudeamus Igitur」、「Soirees de Vienne No.6」そしてショパンの歌曲編曲2曲と「ポルシチの亜娘による華麗なるタランテラ」も収録されていません。面倒くさ!
ちなみに十数枚になると言ったのは、複数回録音しているモノも合わせてです。2・3回録音しているモノもあるみたいなので。でもそれを全部いれたらコレクターズアイテムみたいになっちゃうんでしょうね。 (5/21-21:05) No.2269
Micci > ふと思ったのですが、EMIが持っていないと思われる録音もいくつかありますね。「20世紀の偉大なるピアニスト」シリーズに入っている「BACHの幻想曲とフーガ」「レジェレッツァ」「ため息」はフィリップスの音源らしいです。それからフンガロトンのCDで「タンホイザー序曲」が入っていましたが、これもEMIには残していない曲だと思います。そういう意味で貴重な音源ですね。 (5/21-21:15) No.2270
ふゆひこ > シフラもリストのあまり知られていない曲をたくさん録音してるんですね。有名な曲ばかりかと思ってました。シフラぐらいの名声があり、ファンも獲得しているピアニストなら限定発売でいいから全録音集みたいなものがあってもいいのに、と思いますね。文化・芸術というものは“お金”では計れない(←この字でいいのかな?)ものでありながら、“お金”がまとわりつくというジレンマがありますね。 (5/22-01:00) No.2272

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