■セブンアイ
 
「メッシーナ」


 誰かの出発取材ですか? と成田空港のロビーですれ違った記者に声をかけられた。
「私が出発するんだ。そちらは?」
「メッシーナ!」と言われるだけで、柳沢 敦の新しい移籍先となるセリエA・メッシーナの会長が帰国し、それを見送る関係者の取材なのだとわかる。サンプドリアでは出場機会に恵まれなかったが、昇格したシチリア島にある同クラブに1年のレンタル移籍が決まった、と朝刊で読んでいた。機内で席に着くと、隣には見覚えのある男性が座っている。朝刊スポーツ新聞の束を抱えて。

「日本にはスポーツ新聞が7紙もあるんですね。読めないので何と書いてあるかちょっと教えてもらえますか。あ、女性はサッカーなんて興味がないですか」と聞かれ吹き出してしまった。写真に柳沢と肩を組んで並んでいた、メッシーナ、フランツァ会長その人である。「ええ、サッカーなんて全然知らないです」と言おうと思ったが、無理がある。良心が咎めるので、一応職業は明かし、内容を英語で伝えると、「私の年齢が2歳老けているほかは、かなり正しい」と笑う。

 実家は、イタリア全土でホテルを経営するファミリー企業で、数年前、2部で経営に苦しんでいたメッシーナ株を25%以上保有したことから、跡取りの彼が同時にクラブの会長にも就任。じつに40年ぶりの昇格、40年も待ち続けた筆頭株主の家族も、地元ファンも、新しいシーズンは待ちきれないのだそうだ。

「僕はセリエAにいたころを知らない会長だけれど、クラブはサポーターを減らすこともなく、ずっと続いてきたんだ。40年だよ! 誇りと重い責任を感じるよ。彼はシチリアを気に入ってくれるだろうか」

 初の日本滞在はわずか2日、それも鹿島だけ。使い古した革の鞄から出した大量の、日本と日本選手に関する資料を読み続け、時計は高級ブランドではなく、チームカラーの真っ赤なGショック。機内にいた赤ちゃんが泣くたび、「僕にも同じ年の子供がいる」と、嫌な顔をせずにあやしていた。若く、エネルギッシュな会長は機内でも休まなかった。

「開幕したらぜひシチリアへ、柳沢の初ゴールを一緒に見られるだろう」
 ローマでの別れ際、会長はそう言った。
 柳沢の2年目と、古豪クラブを率いる若き会長の40年目のシーズンが幸運に恵まれるように、と、機内から最初に駆け出していった会長の背中を見送った。

(東京中日スポーツ・2004.7.2より再録)

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