■セブンアイ
 
「上田監督」


 緊張の初戦を終え厳しかった表情がぐっと和んだ。
「久しぶり、わざわざ来てくれてありがとう」。お礼を言うのはこちらなのに、そんな声をかけられ、握手を交わし、女子サッカー日本代表の上田栄治監督は言った。
「笑うカドには、ホラ、何か来るって言いますからね、皆で息抜きして来ますよ」

 アテネ五輪出場権をかけたアジア予選(出場枠は2か国)が行われている。初戦のベトナム戦を大勝で終え、20日、それが選手にとって非常に嬉しいかどうかは別として、監督は選手を自分の趣味でもある「寄席」に連れて行った。決戦を前にしても決してピリピリしない、どこかおおらかで、ユーモアを欠かさない会話をしながら、郷愁が湧く。

 私にとっては、上田さん、である。新聞社でJリーグ担当をしていた頃、J2から昇格したばかり、お金もないしスターもいない、しかし中田英寿と夢がある、そんなベルマーレ平塚(現在湘南)の担当だった。上田さんは、当時強化担当で、何より忘れられないのは、中田が入団直前の冬、短期留学に2人がユベントスに行った時のことである。勉強熱心な中田はちゃんとイタリア語日常会話を勉強し、レストランのオーダーも、料理の中身もすべて中田が選び、道も聞いた。

「一体、引率したのはどっちかわからなかったんですよねえ」
 帰国後、真顔で話してくれたことを思い出す。当時のユベントスのユースには、キラ星のような選手が輝いていたが、中田はその中でも群を抜く、彼はセリエでも絶対にすごい選手になる、と私に力説し、中田を預けて一足先に帰る日、「どんな紙でも、ファンに見えてもサインをしちゃだめだよ」と、闇契約されないかと不安だったと笑い話をしてくれた。

 あれから9年、上田氏が強化担当者として、贔屓目なんかではなく誰より正しく彼の力を見ていたことはすでに実証済みであり、Jクラブが中田獲得に殺気立っていた当時、彼のような選手がなぜ平塚を選んだのかもまた、女子サッカーをアテネに導こうとしている上田監督の手腕を見れば明らかなように思う。上田氏のようなおおらかさに満ちた人々、自由な空気が流れる河川敷の小さなクラブを、中田は愛していたのだ。

 24日、アジア最強の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と対戦する。笑うカドに何が来るか。一人でも多くの方に目撃していただきたい。もちろん「彼」もきっとイタリアで。

(東京中日スポーツ・2004.4.23より再録)

BEFORE
HOME