■セブンアイ
 
川崎の監督


 この10日間、高橋尚子、野口みずきに2時間15分25秒の世界最高記録保持者のラドクリフ(英国)といった女子マラソンのトップランナーから、元横綱の曙、ほかにもサッカー、水泳、ラグビー、レスリング、さらにはアルピニストまで「超一流」アスリートの取材に連続して恵まれた。
 プロセスにはもちろん、怪我もあれば敗戦もあるし、辛い挫折もあったに違いない。しかし彼らはみな、それがどんな形であるにせよ、誰にもできない「最高峰の勝利」を一度でも手にしている。その勝利は、彼らに特別なオーラを与え、オーラは眩しいばかりの輝きを放っている。
 けれども眩しいばかりの10日間を振り返ってなぜか、負けて、負けて、あと一歩でいつでも最高峰の勝利をこぼしてきた、45歳の男の背中を思う。

 23日、年間44試合もの壮絶な戦いとなるJ2が、木枯らしの吹くスタジアムで最終戦を迎えた。昇格を逃がした川崎の石崎信弘監督は、通路で記者に囲まれていた。
「ふと頭をよぎりましたね、また足りないんだろうか、と。勝ち点1が取れない、バカな監督でしてね」と、石崎監督は小さく笑った。95年J2山形の監督に就任して以降、99年から大分で2年、01年から川崎で2年と、昇格請負監督として渡り歩いてきた人である。しかし、大分での99年と翌年、連続で勝ち点1が足りずに昇格を逃がし、23日、またも勝ち点1が足りずに昇格を逃がした。3度目。3日後、今季限りの退団が発表された。

 DFとして広島工から東農大ー東芝を経たが、華々しいキャリアはない。
「私はサッカーが好きなんですね。今回昇格を逃がしたのはもちろん自分の責任です。しかし、チームがこれ程いいサッカーをしたことへの誇り、自信は持っています」
 監督はそう言った。しかし不思議なことに、悲運の影を全く感じなかった。45歳の男の背中には、たとえ最高峰の勝利は手にできなくとも、自らの信念を形にし続けてきたという力強く、味わいに満ちた輝きが溢れていたからである。

 等々力競技場を去るとき、声をかける子どもたちにまで「これからもフロンターレ、応援に来てね」と頭を下げていた。
 自分は去ると、堅く心に決めながらも。

(東京中日スポーツ・2003.11.28より再録)

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