■セブンアイ
 
「鮭」の季節


「鮭」の季節がやって来た。
 シドニー五輪柔道男子81キロ級の金メダリスト、滝本 誠(武興)がアテネ五輪への挑戦を決め、静岡国体で久々に畳に上がったとき、彼の背後に遡上する鮭の姿がなぜかダブって、不謹慎ながら噴き出したくなった。金メダル獲得後、競技第一線とはあえて距離を置き、強豪・フランスに、柔道のためではなく語学勉強を優先に渡った。

「再挑戦は意地みたいなものでしょうか。小さい頃からやってきた柔道の集大成にしたい、楽しんで有終の美を飾りたいと思います」

 シドニー以後の海遊で、さらに体を、何より心を研磨し、大きくした滝本は悠然とそう話した。彼ら、アマチュア選手の体内時計には、4年に一度の五輪を基準とする特別な時が刻み込まれている。そして、彼らが五輪を目指す姿は、こちらもなぜか4年に一度、川に戻り、身を削って遡上する鮭に似ている、と言ったら、彼らに怒られるだろうか。

 河口にたどりついた一人に胸を躍らせた翌日、国体のハーフマラソンに出場する山口衛里(天満屋)と東海道線の座席で向き合い、陸上競技場へ向かっていた。

「あの東京から、もう4年、早いねえ」
 山口が買ってくれたコーヒーをすすり、秋晴れの田園風景を2人でぼんやり見る。
「ホント、遠い昔の話ですねえ。静岡に来る前、国体にすごく緊張して……シドニーでも緊張しなかったのに、って、おかしくって」

 99年11月、最初の選考レースとなった東京国際を独走し、2時間22分12秒と、当時、世界最高に匹敵する記録で初の代表となった。本番では7位入賞をしたが、その後の3年は怪我と体調不良に苦しみ、アテネへの河口からは遠い海に今もいる。

 30日朝、報告の電話が入った。
「今レースが終わりました。1時間18分。口は元気なんですけど足は動かなくて」
 4年前よりおよそ10分遅い。五輪7位のプライドにとって、どれほど辛いレースか聞くまでもないし、滝本と対照的に、2度目の遡上には間に合わないだろう。しかし、どれほど遅くとも、負けても走り続ける彼女のささやかな勇気には、4年前、重圧の選考レースで独走したあの秋と同じに、少しも色褪せない感動を抱くことができる。

「鮭」の季節がやって来た。河口にいてもいなくても、とびきり勇敢なる鮭たちの。

(東京中日スポーツ・2003.10.31より再録)

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