Jリーグ通訳物語
──言葉のドリブル話のパス

中央公論97年6月号


    今、Jリーグに在籍している監督、選手の国籍は、24か国。
    言葉のパスも勝利へのカギだ

顔に恥を持て!?

「いいか、顔には恥の表情、というものを持たねばならないんだ。エリートでも何でもない無名選手の君たちから、顔の恥を取ったら、いったい、何が残るんだ!」。Jリーグ柏レイソルのロッカールームでは、ブラジル人であるニカノール監督が顔を赤くし、「ポルトガル語」で激しいゲキを飛ばしていた。
 チームは、シーズン開幕前のカップ戦を好調に勝ち進み、すでに決勝ラウンドへの進出を決めている。しかし、予選の消化試合ともいえる予選最終戦で、今年リーグに上がったばかりの、いわば格下の1年生チームに思わぬ敗戦を喫してしまった。戦術的な問題よりも、気迫や闘争心、といったものがまったく伝わってこない試合内容に、監督の怒りが爆発した瞬間、でもあった。
 もしかすると、これはリーグ戦開幕前、もっとも重要なミーティングになるかもしれない。監督が戦術ではなく「ハート」に触れようとした言葉は、間違いなく100%、選手に伝えなくては意味がない。この日の通訳を務めていた橋本陽一氏(42)はそう考え、大きなジェスチャーでポルトガル語をまくしたてる監督の横で、すばやく日本語を見つけなくてはならなかった。
「顔に恥の表情を持つ」は、ポルトガル語ではよく使う表現だが、このまま直訳してはいったいどういう意味なのか、選手にはまったく伝わらないはずだ。橋本氏はまず「顔に恥」を「恥を知れ」と訳し、つぎに「サッカー選手として、自分にプライドを持て」と、伝えようとした。監督のほうは、といえば、言いたいことだけ言うと、さっさとシャワールームに入って行った。
 橋本氏の通訳は、すべての話を聞き終えてから日本語にする、そういうスタイルである。シャワーを出てきた監督は、大笑いした。橋本氏がまだ、自分の話を忠実に訳していたからである。
「おいおいハシモト、随分と、長話をしているんだな、監督抜きの作戦会議かい?」
 橋本氏も負けてはいない。激しいゲキ、厳しい言葉をすべて訳し終ると、途端に、自分自信の口調を取り戻し、変身した。
「……と、ニカノール監督が言ってます。以上、ハシモトがお伝えしました」
 重苦しかったロッカーの雰囲気は一変し、笑い声が起きた。競技場の入り口で待つバスに乗り込む頃には、選手の口から「監督にはプライドを持て、ハングリー精神を忘れるな、と叱られた」というコメントが聞かれるようになった。思わぬ敗戦、という展開で橋本氏が苦心した「顔の恥」、の意味は、どうやらうまく伝わっていたようだ。

上手な通訳とは

 来日してすでに6年を迎えるニカノール監督は言う。
「もし何を言っているか、だけを訳すのなら普通の語学ができる通訳でも構わないし、もしかしたら機械が、すべて完璧に訳す、そんな時代もそう遠くはないだろう」
「では、サッカーでは、上手な通訳とは? どんな人でしょう」。監督と私は「英語」で話す。
「何を言っているか、だけでなく、監督は何を思い、何を考えているか、いわばサッカーのハートの部分を理解できる人だろうね」。そういう通訳を右腕に、昨年はリーグ最高監督賞を受賞することができたのだという。
 発足から5年を迎えた今年のJリーグには、実は、ある異変、が起きている。17チームと、これまででもっとも多いチーム数にはなったものの、日本人監督が率いるチームはヴェルディ川崎、ベルマーレ平塚のわずかに2チームと、日本人監督の占める割合が、過去最低になってしまったのである。
 ほかの15チームの内訳は、ブラジル人が5人、アルゼンチン人が2人、英国人が2人、オランダ、ドイツ、スペイン、ポルトガル、ウルグアイにクロアチア、と実に多彩な顔ぶれとなった。
 リーグ開幕直前には、審判とルールなどの統一見解を確認し、さまざまな意見交換をする恒例の「監督会議」が行われる。当然のことながら、全員が「通訳」を連れて会議に出席する。関係者が一言発言するたびに、それこそいっせいに通訳が話し始め、ホテルの一室はあたかも、国際会議の会場のように言葉が飛びかう。日本国内にもさまざまな国際団体はあるが、ここまで多国籍にわたる団体もないだろう。「まったく、こんなにやかましい会議、見たことも聞いたこともないよね」。あるJリーグ関係者は苦笑いした。
 リーグの日常は、通訳が支えている、といっても過言ではない。どんな人たちがこの職を選び、どんな苦労を抱え、同時にどんな喜びを手にしているのであろうか。

攻守の切り換え

 橋本陽一氏は昨年、千葉の柏市を本拠地とする柏レイソルの通訳となった。1954年、長崎に生まれたが、大手重工業に勤務する父の転勤に伴い、6歳でブラジルのリオ・デ・ジャネイロに渡った。日系人が多い都市で、日本語で生活を続けようと思えばそれも可能な日本人社会が形成されていた。しかし両親の教育方針から、日本人学校ではなく、現地の小学校に入学する。
「ブラジルというのは、アメリカ以上の人種のるつぼ、なんですね。両親は、そういう世界をぼくに見せようとしたんだと思う。いまでも思い出すのは、初めて弁当を持って学校に行った日です。いま思えば、ブラジルで弁当なんて持って来る余裕はなかったんですね。うまそうな弁当を広げたら、クラス中の子供たちがスゲーって顔で、まわりに集まって来て覗き込むんです。ホント恥ずかしい思いをしたのを覚えています」
 こうして日本語でインタビューに応じている時と、ブラジル人選手や監督が話しかけ、素早くポルトガル語に転じる時とでは、橋本の「姿勢」に、ちょっとした変化が起きることに気がついた。
 日本語を話している時は、心なしか背筋が伸び、ポルトガル語を話す時には、リラックスするように見える。「ええ、本当にそうなんです。ぼくの場合、姿勢が変わるんですね、おかしいでしょう」。まるで、サッカーの攻守の切り換えのようである。
 こうして、2か国語の間を往復し、家に戻ると、「いったい今日は何往復したんだ?」と、1人で混乱することもあるという。

多国籍スポーツ

 柏レイソルの場合は、橋本氏ともう1人、木村精孝氏(36)で2日交替制をとっている。基本的には午前、午後の練習、スタッフのミーティング、フロントとの話し合い、また、選手とのミーティングが通訳の場となる。試合前日は、チームと一緒にホテルに宿泊し、戦術的にもっとも重要視される試合当日のミーティングを行ない、競技場に入る。試合中は、監督の横で同じように戦況を見つめ、指示を出す。この間、監督の考えをマスコミに伝える、という広報としての仕事もある。
 クラブによっては、こうしたサッカー選手としての競技での通訳と、プライベートな面での通訳を完全に分業するところもある。
 たとえば、住宅事情や、子供の教育問題、されには夫人が出産をする、などといった場合には、女性の通訳のほうがいい、というリクエストも多い。95年、リーグチャンピオンとなった横浜マリノスでは、こうした方針からグラウンドと、それ以外の面での通訳を分業していた。
 当時、クラブのフロントを務めていた熊地洋二氏(現在Jリーグフォト取締役)は「当然、費用はかかります。ただ、サッカーの場合、ほかのプロスポーツと違って、選手の国籍が本当に多彩で、生活習慣なども相当に違うケースがあります。早く日本に馴染んで、選手に力を発揮してもらうためには、こういった細かなソフト面を確立することも大事です」と説明する。
 確かに、プロ野球では米国出身者がほぼ100%を占めているが、サッカーではまったく違う様相を呈し、Jリーグが開幕した93年当時からしても、獲得選手の世界分布、という点で大きな変化が起きている。今年、Jリーグに在籍している監督、選手の国籍は、ブラジルの35人を筆頭に、アルゼンチン、ボリビアの南米大陸、ユーゴスラビア、オランダ、スペイン、イタリア、イギリス、ポルトガル、スイス、デンマークにスウェーデンなどの欧州、オセアニアからはオーストラリアに、アフリカからもカメルーン、チュニジア、ガーナ、そしてお隣の韓国、などなど、実に24か国にも及んでいる。93年の選手の国籍9か国だったことを思えば、国の数だけ見ても、「国際化」が急激に進んでいることもわかる。その分、通訳の人数も言語も増え、仕事の内容も細分化することになる。
 横浜マリノスの場合は、スペインで語学を学んだ女性を採用し、アルゼンチン人選手の家族の対応を担当してもらった。グラウンドでの戦術的な生々しいやりとりを、プライベートに持ち込まない、いわば気分転換をする意味でも効果は十分あったようだ。実際、こうしたケアを持てなかったクラブでは、W杯代表選手の夫人がホームシックから病気になり、契約期間途中で帰国せざるを得なかった、そんなケースもあった。
 通訳の仕事は、こうした日常と、オフにおける契約交渉、解雇、新しい選手の獲得などといった細部にわたる交渉ごとを行う、という2本の大きな柱で成り立っている。
 橋本氏とコンビで通訳を務める木村氏は、こうした交渉ごとの通訳に、もっとも神経を使い、複雑な思いがする、と言う。
 日本人がしばしば使う「本音と建前」、この使い分けは「率直さ」を前面に押し出すブラジル人に、ポルトガル語で伝えていくことは、非常に難しいからだ。とくに、サッカーは、ワールドカップの規模を見るまでもなく、南米、欧州では古く、しかも世界最大ともいわれる「スポーツビジネス」でもある。

辛い板挟み

 柏レイソルは昨年、チームの人事一新を図るために、功労者でもあったサテライト(野球でのファームのような存在)の監督との契約を打ち切ることを決めていた。チームの方針として、毎年こうしたフロントとのせめぎ合いが行われる。その監督は、毎日ともに日常を過ごす木村通訳に、「つぎの職場を探す意味でも、もし契約打切りの話をフロントから聞いたら、すぐに伝えて欲しい」と頼んでいた。
「けれども、クラブにとってこれは機密になる。ぼくは、シラを切り通しました。監督が帰国する時、本当は知ってたんだろ、って言われて、最後まで知らない、と答えました。どこのクラブの通訳の方もみなさん同じ経験をされてる、と思うんですが、成績に直結しているし、これが通訳の仕事の辛い部分ではないでしょうか」。通訳のほとんどが、こうした「板挟み」が辛い、と答える。
 ある監督が試合後の会見で、審判の判定をこっぴどく批判した。通訳は、「内心、まずいかなあ」と思いながらも、監督が「言え」と、隣で睨んでいる以上、訳さないわけにはいかない。結局、その会見で審判を侮辱したとして、クラブもペナルティを課せられた。
「フロントには余計なことは訳さんでいい、と叱られるし、監督には、マスコミに言え、って怒られるし……、いったい自分はどうすればいいんだ、って悩みました」というエピソードを教えてくれた通訳もいる。
 別の通訳は、連敗中、スタンドから日本語でひどいヤジが飛び、それを無視していると、監督に何と言ったか訳してくれ、と言われた。しぶしぶ訳したら、怒った監督がサポーターのほうに飛び掛かっていき、後で自分がひどく叱られた、という。また、退席処分を課せられた経験を持つ「猛者」もいる。
 相手チームのエースが、こちらに向かってスペイン語で汚いヤジを飛ばした。自分のチームの監督は日本人だから内容がわからないが、通訳と、一部選手には相手のエースがその監督を侮辱したのがわかった。通訳の立場も忘れて、言い返しにグラウンドに走り、試合中にもかかわらず大喧嘩となった。日本人は、いったい何を言い合っているのかさっぱりわからず、ポカーンとしている。結局、審判が仲裁に入り、選手でも監督でもないのに、なぜか退席させられた、そんな笑い話もある。
 あまりの多国籍に、混乱するクラブも出ている。クロアチア人の監督を擁するガンバ大坂は、今年は絶好調である。しかし、極端に少ないセルボクロアチア語の通訳を確保することができず、監督に英語を話してもらうことで、英語のフルタイム通訳を採用した。しかし、選手は、カメルーンから来日しフランス語を使う選手と、マケドニア、これに旧ユーゴスラビアの選手である。とにかくややこしい。旧ユーゴの選手に取材をしても、彼は英語を話せない。
 そこで、何と、監督自らが「通訳」を買って出てくれることがある。「ありがたいんですが、監督の戦術はどう思うか、と聞きたいわけです。でも監督が間にいるのに、ひどい戦術だった、なんて答えられないですよねえ。苦心してます」と、ある専門誌の記者は苦笑する。

サッカーは文化で魂

 思春期をブラジルで過ごした橋本氏は、通訳になるまで、自分のアイデンティティがどこにあるのか、それに悩んだ。「大学時代には、一度帰国、いや来日ですか、とにかく日本に戻ったんですが、常に自分に対して通訳をしているみたいになるんですね。日本ではこういう意味だ、とか、ブラジルではこういう意味だ、と」。日本人としての存在を求めて、陶芸家を志したこともある。
 しかし、サッカーというスポーツと出会ったことが、考え方を変えるきっかけにもなった。「サッカーというのは、ブラジルの文化で魂です。雑多で寛大。そして試合中のあのパワフルな空間、これらが、自分が何人なんだ、と問わねばならない、そういう小さな考えから解き放ってくれました」と振り返る。在日ブラジル人のための新聞、『トゥード・ベン(こんにちはの意味)』の編集長から、取材で知り合ったニカノール監督の誘いで、プロサッカーの通訳になる決心をした。
 同監督は91年、当時Jリーグ昇格を目指したベルマーレ平塚に招聘された。当時は、専属の通訳もおらず、大切なミーティングでは、日本語のできるブラジル選手にその代行をしてもらったこともある。しかし、逆に日本語がおぼつかず、選手が「まったくわからない」と首をかしげた、そんな思い出もある。
「はたして、自分の言ったことをどこまで訳しているのか、これは声のトーンで判断してるんだ。しかし結局は信頼関係だろう。ブラジルではサッカーはあいさつ代わりだけど、日本ではまだそうでない。わたしがある選手をひどい表現で怒っても、通訳がそれを日本の社会やメディアに受け入れられるソフトな表現にしてくれればいい」と、2人の通訳に絶大の信頼を置く。
 日本語のほうが苦手は通訳もいれば、サッカー用語がわからない通訳もいる。また、言っていることすべてを訳すか、訳さないか、どちらが選手のためか。そのバランスを瞬時に判断するためには、日本と、そのことばを使う両国間の微妙なニュアンスの違いを嗅ぎ分けねばならず、ほかの会議などの通訳とは、また違った面を持つ。
 橋本氏は日本人選手と、ブラジル人選手では、その感情表現で大きな違いがある、と指摘する。たとえば、柏レイソルのエースともいえるエジウソンは、試合中でもハーフタイムでも、味方選手のミスを大声でなじり、オーバーアクションで批判する。ブラジル人同士、あるいは欧米人同士なら、さらに激しくやり合う見慣れた日常の光景だ。しかし試合が終れば、さっきのやりとりなどすっかり忘れて楽しい友人に戻る。
 しかし、なじられ批判された日本人選手の多くはそれを真剣に受けとめ、考え込む。「あれは単にサッカーだけの話だよ、って日本の選手にフォローをしたりしますね。逆に、選手同士が何とか互いの言葉で話そうとしている時には、絶対に割り込まないようにしてるんです」と、橋本氏は自分流の通訳を説明する。

ボランチ=操縦桿

 スイスに本部を置くFIFA(国際サッカー連盟)の加盟国は、昨年で191にものぼり、この数は国連を上回る。世界最大級の国際団体のひとつで、言い換えれば世界中どこに行っても行われている競技といえる。連盟の公用語はフランス語と英語とスペイン語。会議などは圧巻で、議題によって理事全員が言語を換えて議論をする場面もある。
 プロサッカーの歴史は浅い日本でも、例えばその用語にもユニークな面が見える。よく使われるボランチ、とは中盤のポジションを指すが、これはポルトガル語で「操縦桿」の意味である。かと思えば、DFのポジションには「リベロ」と、攻撃にまで参加するという表現があり、これはイタリア語で「自由な人」の意味だ。
 私自身、新聞社に勤務していたころ、こうした用語のひとつひとつに「どういう意味なんですか」といった読者からの質問があり、説明し終えると決まって「なんてややこしい競技なんだ」と叱られたこともあった。
 サッカー界ではほとんどの監督、選手が2か国語以上を話す。そうでなければ、世界中のリーグで仕事はできないし、代表監督さえ、外国人に任せる競技である。サッカー自体が、一種、世界の「共通語」である、そういう表現もされる。全チームに通訳がいる、という日本の情況は、世界から見れば「特異」なものである。サッカーの発展はある意味では、スポーツにおける日本の国際化をはかる尺度にもなる。柏レイソルの木村氏は言う。
「日本の若い選手もドンドン海外に出てプレーをするようになれば、変わっていくでしょうね。そうして将来、サッカーの通訳、という存在は必要がなくなる。でも、そういう日が来たら、日本のサッカー界も本当の意味で世界の仲間入りをした、ということなのかもしれませんね」
 2002年の、ワールドカップを韓国と共催する頃には、そんな日が来ているのだろうか。

小さなプライド、大きな夢

 橋本氏は、「自分の小さなプライド」として、サッカーの通訳の仕事をこう表現する。
「ブラジルだけでなく、ポルトガル語だけでなく、本当に多種多様な文化がサッカーを通じて日本に根づいていけばいいなあ、と。そういう肩肘のはらないレベルで、友好とか親善とか平和に貢献できればと思うんです。お互いがサッカーを通じて戦いもするし、一心同体、溶け込むこともできる。そうなれば、最高ですよね」。これが夢である。
 サッカーでは、監督がグラウンドの選手に指示を出しに行ける「エリカ」が定められている。通訳は試合中、監督とともにその「テクニカルエリア」を行き来することができる。
 4月12日、97年のJリーグが開幕した。
 優勝候補の一角を担う柏レイソルは国立競技場で、アルゼンチン人監督率いる清水エスパルスに敗れた。前半28分もの長い間、辛抱してベンチに座っていた監督が、エリアに飛び出した瞬間、橋本氏も、わずかなタイミングのズレもなく、一緒に飛び出した。国立競技場に注がれた西陽が、2人の背後から2本の長い影を作っていた。
 陽が傾き、90分の試合が終る頃、飛び出した2人の影はまったくひとつになっていた。

(中央公論・'97年6月号より再録)

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