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「朝の食卓」登場 伏木田さん期待
(1996年1月15日(月) 北海道新聞「読者の声」に掲載) |
九日の道新朝刊「朝の食卓」を見てびっくりした。およそ1年前に生活面に連載されていた「三文画家病笑記」の伏木田光夫さんがペンを執っておられたからである。正月を迎えて私の一番の楽しみは、紙上で「朝の食卓」の新しいメンバーにお目にかかることである。
平成8年の新春には、どんな方々が名を連ねるであろうかと胸がときめき、顔写真と紹介記事を丹念に読んでいる。伏木田さんから生きる喜びと勇気を教えられた「三文画家病笑記」が終わったときは、正直いってガッカリしたが、感動の文章に再会できると思ったらうれしくなった。また、他の筆者の方々との新しい出会いも楽しみで、どんな文章を読ませていただけるか期待している。
私は英語を勉強しているので、外国人の感性や物事の考え方に関心があり、今までも外国の方の文章をとくに楽しみに読ませていただいた。そんな中から着眼点や日本語表記の巧みさなどを学び、少しでも自分を磨きたいと思っている。 |
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「敷居の教え」で物を大切にする
(1996年2月3日(土) 北海道新聞 読者の声「言い伝え・今むかし」コーナーに掲載) |
子供のころ、両親から「戸や障子の敷居を踏むな」ということを強く教えられた。たまに間違って敷居に足を乗せていようものなら、「二本のレールや溝は父の頭、母の頭と同じくらい大事なのだ。親の頭に足を乗せるようなことはいけない」としかられた。
大人になった今でも、そのことが忘れられず、敷居は必ずまたいで渡ることが身についた。現在の頑強な
建築と違う昔の家では、戸のたてつけが狂ってガタピシいったら、いざというときの出入りに影響を及ぼすから、特に気をつけていたに違いない。
また、「畳のへりを踏むな」ということも始終注意されて育った。へりがすり切れてボロボロになったら見苦しく、取り換えも大変な時代だったと思う。これは高校の礼儀作法の時間にも先生から教わった。いろいろの教えを思い出すたびに、昔の人の物を大切にする心が伝わってくる。 |
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「明るい鳴き声で幸運呼ぶカラス」
(1996年2月15日(木) 北海道新聞 読者の声「縁起かつぎ」コーナーに掲載) |
カラスは不吉な鳥だと人々から嫌われます。しかし、カラスの世界には良いカラスもいるのです。子供のころ、母から聞いた話に「喜びカラス」というのがありました。「ある日、屋根の上でカラスが飛び回るの。明るい声で鳴きながらトントンとしきりに飛ぶの・・・」。不思議に思ったら、その日、突然に父が外地から引き揚げてきたそうです。予期せぬ喜びに、母は「やっぱり喜びカラスだ」と、何度も話してくれました。
「今日はカラス鳴きが良いから、きっと良いことがあるぞ」と、今は亡き夫が生前よく私に言いました。明るく晴れやかな声で「カァー」と聞こえた日は、必ず小包みが届いたり、宝くじが当たったりするので、しまいにはテレビの時代劇の中の鳴き声「カァー」にも反応して喜び合う始末です。今までの人生で、「喜びカラス」から良いことをたくさん予言してもらったから、カラス界にも善玉と悪玉がいるように思います。 |
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「青いネクタイに夢の米国の香り」
(1996年3月1日(金) 北海道新聞 読者の声「思い出の品」コーナーに掲載) |
ダイヤがびっしり付いた青いネクタイを手に、私は一人静かに十数年前のアメリカでの出来事を思い出していた。あれは、札幌市の姉妹都市、米国・オレゴン州のポートランド市へ親善のための婦人派遣員の試験に合格、ホームステイをしながら仲間たちと過密スケジュールをこなしていた夢のような日々のことであった。帰国を前に最後の日はお別れパーティー。
札幌市側が着物姿で盆踊りを披露したのに対し、ポ市の方は数組の男女が素敵なドレスでスクエアダンスを見せてくれた。ペアで躍る男性の胸元のネクタイの美しさ、ダイヤが並んでキラキラ輝いていた。素晴らしかった。「ビューティフル!!」。思わず感嘆の声を上げた私に、ハンサムな青年が青いひとみでにっこり近づき「あなたにプレゼントしましょう」と、首からサッと外して夢心地の私の手に・・・。
私にとって忘れられない貴重な人生のひとこまの大切な思い出の品。ダイヤは本物ではないけれど、青いネクタイは両市を結んで今も輝いている。 |
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「懐かしい家解体 第三の人生歩む」
(1996年4月21日(日) 北海道新聞 読者の声テーマコーナー「新しき道」に掲載) |
私は新しい道へのスタートを切った。平成8年1月から、第三の人生を歩み始めたのである。これからは心温かく穏やかに生きたい。一番目の道は二十四年続いた。生まれてから愛する人のもとへ嫁ぐまでの夢多き青春時代だった。二番目の道は三十六年間だった。産み育てた子供たちも無事に巣立ち、夫婦で苦楽を共にした頑張りの結婚時代。私の人生計画には、終生を共に誓った大切な配偶者との永遠の別れなど、なかったはずなのに・・・。
夫の三回忌を終えた昨年の冬、思い出がびっしり詰まった懐かしいわが家を解体し、二世帯住宅に建て替えた。娘夫婦と同じ屋根の下での新しい道は、どのくらい続くのだろうか。私は夫の残した会社を継ぎ、
大勢の友人を財産に、今までお世話になった人々へのお返しの人生を歩もうと思う。今までより少々老いたが、気持ちだけはいつまでも若く頑張っていきたい。さあ、目の前に輝いている新しい道を、元気に進もう! |
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待望の新居完成 満足な出来栄え
(平成8年5月15日(水) 北海道新聞 読者の声「マイホーム」コーナーに掲載) |
「新しい木の香りって良いわねぇ」と、新築のわが家を訪れる客は、皆同様に声を上げます。完成まで4ヶ月の工期中、記録として毎日撮り続けた写真を見ながら、いま幸せと満足感でいっぱいです。二世帯住宅に立て替えの計画を立ててからおよそ一年間、娘とともに建築のすべてについて自分なりに勉強し知識を得ました。
まず初めに、市内のモデルハウスを数多く見学し、各メーカーの工法の違いと特徴を覚えました。図面では、希望の面積と間取りに合わせて家相を調べ、鬼門を避け、納得がいくまで何度もかき換えてもらい、小さなことでも決して人任せにせず自分たちの目で確かめました。新聞広告で知った建築見学会や「マイホームのための税金講座」に進んで参加したことも、大きなプラスになったと、今つくづく実感しています。
完成まで工事に関わってくれた人々に感謝し、何事にも学ぶことの大切さを刻みこんでいる毎日です。 |
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初孫誕生
(平成8年5月17日(金) オントナ 「オントナ広場」 に掲載) |
あと一ヶ月。そうです、あと一ヶ月にせまったんです。毎晩布団に入って目を閉じるとワクワクして心が弾みます。東京に住む息子のところに孫が生まれるんです。春と共に天使のようなベビーがこの世にやって来るんですもの、ほっぺたがゆるみます。男の子かな? 女の子かな? 自分の出産の時とはまた違った喜びと期待にあふれんばかりで、初孫の誕生を待ちわびています。
数年前に、娘が嫁いだ時、戸籍から一人減り、不思議な寂しさを味わいました。その後、夫が亡くなり、家族がまた一人減り、心に大きな穴が空いたように悲しくつらい日々でした。しかし、神様はマイナスをプラスに代えてくださいました。息子にかわいいお嫁さんが来て、さらに天使が・・・。あと一ヶ月で私はニュー・グランドマザーになります。 |
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ナースキャップ廃止はしないで
(平成8年6月19日(水) 北海道新聞 読者の声に掲載) |
看護婦さんのナースキャップをめぐってこの欄で賛成、反対の両意見を読み、考えた。私は看護された立場から、ナースキャップは廃止しないでほしいと願っている。
夫が重症のベッドにいた三年前、約一ヶ月半の間病室に泊まり込み、看護婦さんたちの献身的な姿を日中も夜間も自分の目でしっかりと見て、感謝と尊敬の念で涙があふれるほど感動した。とりわけ白衣の天使の白帽子は、看護される側に大きな安心感と温かさを感じさせてくれた。ひん死の病床にある患者に無言の励ましをも伝えてくれた。
看護婦さんの一人ひとりに苦しい中から毎日手を合わせた夫も私と同じ気持ちだったに違いない。あの白帽子には病人が頼れる安らぎがあり、崇高なナイチンゲール精神すら感じられた。もし自分が看護を受ける立場になったとしたら、白いナースキャップの優しい看護婦さんに世話になりたいと思っている。 |
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先祖に感謝する毎年二回のお盆
(平成8年7月29日(月) 北海道新聞 「読者の声」に掲載) |
八月が、お盆を連れてやってくる。嫁いだころ「札幌のお盆は八月なの?」と驚いたものだ。なぜなら、私の故郷函館のお盆は七月にあるからだ。
毎年お盆が近づくと、今は亡き母が、忙しそうに供物や飾り物の準備をしていた姿が目に浮かぶ。カラフルな盆菓子や盆灯ろう、それにキュウリやナスで作った動物。割りばしを足の形に四本刺して飾るのは仏様が乗っている牛に例えたものだそうだ。半紙を切ったり昆布やソーメンをたらすなど、それぞれに大切な深い意味があるはずで、母から習った通り、今では兄夫婦が毎年準備しているので感心する。
七月には函館で、八月には札幌でと私はお盆を二回して、それぞれのご先祖様の墓前でこの一年間のいろいろな出来事を報告し、元気に暮らせたことを感謝して手を合わせる。八月には息子一家が東京から来る予定だ。第一に、四月に誕生した初孫を連れて亡き夫の墓参りをしようと、再会を楽しみに待っている。 |
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夫が先立ち3年 子を支えに奮闘
(平成8年8月23日(金) 北海道新聞 読者の声 「シングルライフ」のコーナーに掲載) |
シングルライフという世界を泳ぎ始めて三年目になる。最初は沈みかけたが、今は浮かびながら少し進めるようになった。そのうちクロールやバタフライで泳げるようになったら、小さな銅メダルくらい手に入れたいと思っている。
シングルライフを私に贈ってくれたのは、何を隠そう、わが夫である。「もうおまえは一人で暮らしていけるよ、大丈夫だよ」まるでそんなように、彼は私を残して二度と戻れぬ遠い国へと旅立っていった。結婚生活で得たものは苦難を打ち負かすほどの「愛」と「希望」だった。
そしてシングルライフで得たものは、多少の寂しさを含む「限りなき自由」である。いま私の両腕をしっかり支えてくれる息子や娘は、昔若い二人が星に願った「希望」そのもので、寂しさを消してくれる「愛」ともいえる。さあ、残りの人生はどんなメダルが取れるだろうか。挑戦だ! |
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刺されるっ?!
(平成8年8月30日(金) オントナ 「ヒヤリとした事」コーナーに掲載) |
ヒヤリとしたことは多々ある。つり橋で落ちそうになったり、飛行機のトイレで出られなくなったなど・・・。
最新版は、ススキノのマンションに住む友人を訪ねた時のことだ。エレベーターに乗ったのは私1人と思いきや、閉まる直前に飛び乗ったのは恐ろしそうなオッサンだった。派手な上着にパンチパーマのヤーさん風の男が、私の背後に立った。中はたった二人だけ! 胸がドキンと鳴った。
ガバッと羽交い締めにされたらどうしよう。10階まで上がる時間の長いこと。男が胸のポケットにグイッと手を入れた。「キャッ刺される!」。ヒヤリとしたが、出したのはタバコだった。彼は先に降りていったが、あーオッカナカッタ。
震えながら友人の部屋にたどりつくと、「このマンションね、その筋の人たちの出入りが多いので売ることにしたのよ」。友人の話にまたヒヤリとした。あの時のことを思い出すと涼しくなる。 |
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接客意識欠ける無言のタクシー
(平成8年10月13日(日) 北海道新聞 「読者の声」に掲載) |
タクシーに乗った。運転手は終始無言だった。行き先を言っても降りる場所を告げても無言だ。何で口をきかないのだろう。疲労で話したくないのか、言うだけ損なのか。最近はこんな無言の車が多くて嘆息が出る。
それにしても思い出すのは、数年前の立派な運転手だ。あの日は地下鉄まで一区間と少々だったので、思わず「近くてすみませんが」と恐縮しながら行き先を告げた。彼は笑顔で「お客さん、近くですみませんなどと言わないでくださいよ。お金を払うのはお客さんなんですよ。私たちはどんなに近い距離でも、乗ってくださるだけでありがたくて・・・」と続け、降りる時も「忘れ物のないよう、足元に気をつけて、またどうぞ!」と気配りも忘れなかった。
私はこの接客態度に感服した。以前に「いらっしゃいませ。こちらは○○タクシーです」と言わなかったら乗車料金を無料にする、と宣言した京都のタクシー会社があった。無言車はこの精神を見倣ってほしいと思った。 |
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夫へ激励文16通 友の温情に感謝
(平成8年11月5日(火) 北海道新聞 読者の声 「介護、看病」コーナーに掲載) |
病院という所は一歩入ると、なぜか切ない気持ちになる。まして身内が入院中とあればなおつらい。三年前のこと、重症のベッドにいた夫のために必死で泊まり込みで看病に明け暮れていた。
そんなある日、看護婦さんが「ハイ、手紙ですよ」と封筒を渡してくれた。だれからと思ったら、私の文友、苫小牧のTさんから夫への心のこもった励ましの便りだった。そしてその後は一日おきに、まるで判を押したようにきっちりと定期便は続いた。この手紙に、夫はどれだけ生きる希望をつないだことだろう。看病している私も元気のもとをもらった。
しかし、残念ながら夫は十六通目の手紙を胸に帰らぬ人となった。私は筆舌に尽くせないほどのTさんの心の温かさにただただ泣けた。多忙の中、一日おきの手紙を書き続けるのは容易なことではない。それを身をもって実行し、病人に明るい希望の灯をともしてくれたTさんに、今も感謝の念でいっぱいである。 |
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恐怖のぎっくり腰
(平成8年11月15日(金) オントナ 「オントナ広場」に掲載) |
9月の中旬、草木も眠る丑三つ時。トイレに行こうとしたところ、腰に激痛が走って立つことができなくなった。「アレーッ」。絹を引き裂くような女の悲鳴、とまではいかないが、思わずうめき声が出た。半歩も、いや1cmも進めない。助けて〜。
そういえば、友人に誘われてイギリス旅行に行く予定を立てたのは半月前のことだった。しかし、イギリスまでは片道十数時間の長旅。どう考えても体調に自信がないので中止した。結果的に、これは正解だった。もし旅行に申し込んでいたら、出発目前にぎっくり腰だもの、行ける訳がない。
「ああ、神様仏様、ありがとうございます」。私を守ってくださったんですね。普段は茶わんとはしぐらいしか持ったことがないのに、急に孫を抱いたりおぶったりしすぎたのが原因だ。慣れないことをした無理がたたったらしい。今は、元通りに歩けることが有難くてたまらない。 |
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先祖敬う気持ち いつまでも大切
(平成8年12月11日(水) 北海道新聞 「読者の声」に掲載) |
ダイエットの方法を聞きたいくらいに、カレンダーが急激にやせてきた。この時期になると思い出すのは、昔祖父が仏具を磨いていた姿だ。「さぁーて、始めるか」と言いながら古新聞を広げ、磨き粉や古布を並べる。祖父は仏壇の中からろうそく立てやご飯を供える容器や鐘など仏具一式を出してくる。当時はほとんど真ちゅう製のこれらを時間をかけて磨き上げるのである。
ろうそく立てに付いている汚れたろうを温めて削り取り、磨き粉でこすると、大小さまざまの仏具たちは新品のようにピカピカに光り輝き、目を見張るほどに美しくなる。祖父は時々、自分の長くて白いあごひげをなでながら、次々と仏具を磨き上げ変身させていった。
遠い日の追憶は師走に入ると新鮮によみがえってくる。時代が移り変わっても、先祖を敬う心を大切にし、新年を迎える準備はまず神棚や仏壇から始めたい。祖父が大切なことを教えてくれたような気がする。 |