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心に生きることば

−BOWの人生哲学−

第4章:解決

2002.07.18. 掲載
2008.11.11. 追加
このページの最後へ

   章内目次

01<行動原理> 02<資質> 03<能動的行動>
04<工作人> 05<集中力> 06<行動の主義>
07<時間の把握> 08<タイム・リミット> 09<問題の発見>
10<解決の着手> 11<解決の手段> 12<解決の方法>
13<データの評価> 14<成功> 15<失敗>
16<過ち> 17<反省> 18<後悔>
19<逆境不運> 20<無駄の効用> 21<謝罪>

心に生きることば 全目次
第3章:教育 ←            → 第5章:情報

私にとって、人生の目的は行動であり、知識や思想ではない。これまでを、知識人ではなく、行動人として生きてきた。そういうわけで、「心に生きることば」については、行動に関するキーフレーズが一番多いのではないかという気がする。また、それを系統だてて整理するのはかなり難しく、かなり無理があると思う。


01<行動原理>

1. したいことをする(望)

私の行動原理の第1は、「したいことをする」である。1961年に書いた「外科を選ぶか内科にするか」の中で専攻を選ぶのに、「自分の好みが第一条件」としているのを知り、少なくともその頃から、「したいことをする」が私の「行動原理」だったことが分かる。

したいことは何かと言うとについては、第2章:欲求のところで 、01<義務と欲求>から09<能動的欲求>にかけて詳しく書いた。それをもう一度まとめてみると、「基本的欲求」は現状で充分満たされているため、それ以上を求めることはあまりない。また、「受動的欲求」については、時間ができれば楽しみたいという話で、もしも、時間がなければ致し方ないと諦めることができる。だから、私の現在「したいこと」というのは、「能動的欲求」とほぼ同じである。

「能動的欲求」とは何かというと、それは自分で創ること、何かを書いたり、作ったりすることのほかにも、計画をする、まとめる、整理する、編集する、構築する、発表する、公開する、情報を発信するなどもこれに含める。

2. しなければならないことをする(望)

「したいこと」をするだけで済む人生は存在せず、その程度は違っても、「しなければならないこと」をして人間は生きているわけで、「しなければならないことをする」というのが、第2の行動原理である。

3. 他人の犠牲にはならない(望)

この「他人の犠牲にはならない」というのは、たとえどのように非難されようとも、犠牲になって命を捨てることはしない、してはいけない、という自分に対する戒めである。

日本が太平洋戦争で負けた時から、子ども心にそう誓ってきた。お国のため、天皇陛下のためということばの許で、多くの命が失われ、その死が意味のないものであったことを知った時、そのことを強く思った。自分の命を捨てることは、どんな場合でも、たとえそれが神のためであったとしても、行ってはならないと思っている。

4.世の中の人の評価が正しいとは限らない(望)

私は医師になって2年目に、川崎病院に出張勤務したが、一人の患者さんから、ある開業医に対する批判を聞かされた。診療技術、診療内容に対する不満だったと思う。それを聞いていて私は強いショックを受けた。

批判されている開業医は、以前この病院に勤めていた10年以上も先輩である。それなのに、この人は医師になってわずか1年の経験しかない新米の私に、このような訴えをする。ということは、私個人が信頼されているのではなく、川崎病院に勤めている医師として、信頼されているだけで、このバックがなくなれば、私は霧散してしまう虚像に過ぎないのだ。

この経験から私は一つの人生訓を得た。それをひとことで言えば「 世の中の人の評価が正しいとは限らない 」ということになる。病院、地位、学歴、その他諸々の飾りものを取り除いて残った個人が、50%の人から評価されるなら、それは最高の評価であると考えた。

キリストや釈迦、マホメットでさえ世界中の人間の半分の評価も得ていない。人の評価というものは、元来そういうものなのだ。凡人がそれ以上を望むのは、愚かなことと言わざるを得まい。そう思って、人の評価をあまり気にせず、できるだけ自分のしたいように生きてきたが、そのお陰で、これまでの人生を、気楽に過ごすことができた。


02<資質>

行動の動機(行動原理)は人さまざまであるが、行動する人の資質には、それ以上に色々の特徴、違いがある。それを<能動的行動>、<工作人>、<集中力>、<行動に関する主義>、<時間の把握>、<タイム・リミット>、に分けてまとめてみた。これらの資質は、行動する人の基礎にあたる部分で、持って生まれたものもあれば、人生の途中で変化したもの、新たに獲得したものもあるだろう。それらの資質は、行動に多かれ少なかれ影響を及ぼすものである。


03<能動的行動>

1. 「される」より「する」方が好き(望)

第1章:人間 01<恋愛>のところで、「愛されるより、愛する方が好き」と書いたが、私は何ごとにつけ、「される」より「する」方が好きな人間である。

2. してもらうより、してあげる方が好き、自分でするのが一番好き(望)

第3章:教育 05<自己教育>のところで、「教えてもらうのは嫌い、教えるのは嫌でない、自分でするのは大好き」と書いたが、それを一般化したのが、この「してもらうより、してあげる方が好き、自分でするのが一番好き」になる。


04<工作人>

1. ホモ・ファーベルとホモ・サピエンス(野村偕爾)

これは、ものを作るのが好きな私に対して、それが嫌いで、できない父が、ホモ・ファーベル(工作人)はホモ・サピエンス(知性人)に劣ると、よく説教をしてくれた言葉である。しかし、私は全くこれを無視してきたし、今でも工作人であることを続けている。

人間の定義として、このホモ・サピエンス homo sapiens(知性人)というのは、リンネが人間という種に対して学名として名付けたもの、ホモ・フアーベル homo faber(工作人)は、ベルグソンが作ったことばである。もう一つの人間の定義として、オランダの哲学者ホイジンガが名付けた、ホモ・ルーデンス homo ludens(遊戯人)がある。私の場合は、ホモ・フアーベルの要素が一番大きいと思う。

2. 発見より発明(望)

これも、私がホモ・フアーベル的要素が強く、ホモ・サピエンス的要素が少ないことに関係していると思うが、大発見をするよりも、ささやかでも、発明する方が好きだ。


05<集中力>

第3章:教育 02<気質>のところで、「潜在能力」が同じでも、熱中したり、集中したり、全力投球できるという「気質」がなければ、その能力を十二分に発揮することはできないと書いたが、行動についてもこの「集中力」という資質は、大きなウエイトを占めている。骨惜しみをせず、行動に集中できるという一本気な性格は、行動の成果に大きく関係している。


06<行動の主義>

1. 80点主義(望)

80点主義は、小学校時代からの私の生きる知恵のようなものだった。昔から100点を取れない、いつも、どこか、ケアレスミステークをしている人間だったので、逆に98点で良い、その代わり、他のことでも98点をとろう、という努力をするようになっていた。

この98点主義、一般には80点主義、例えば大学入試のような難しいものでは60点主義は、非常に効率がよく、また、ストレスを少なくする効果がある。力の無い者が、そこそこの成績を出す、あるいは、そこそこに人生を楽しむには、恐らく最良の方法ではないかと思っている。

1998年に、このWebページに、80点主義について、詳しく書いたが、私の生き方の中心となるものなので、文体をこの「心に生きることば」に合わせ、付録:80点主義とすることにした。

80点主義のメリットは、以下に要約できる。
1.努力対効果比が良い、2.総合点を増やすことができる、3.重大な失敗の確率が低くなる、4.ストレスが少なくて済む、5.他人の失敗に対して寛容になる、6.失敗を恐れない、7.人生を肯定的に生きることができる

2. 集中主義(望)

先に書いた「集中力」にも関係するが、「集中力」が、ものごとに集中できる能力であるのに対して、この「集中主義」というのは、大きな問題に対処する場合に、意識して集中的に問題解決に当たろうとするやり方を指す。これも、子どもの頃から、機械を分解したり組み立てたりするのが好きで、やり始めると寝食を忘れるほど熱中してきた経験から、身についた主義のように思う。

「したいことをする」場合には、自ずとそうなって当然だが、「しなければならないことをする」場合に、この主義で臨むと効果は大きい。例えば大学入学試験を含めて、学校のいろいろの試験の場合、「80点主義」とこの「集中主義」は効果抜群である。

「集中主義」のメリットは、1)中断することで加速度的に失われてしまう記憶が、集中することで、残っていること、2)集中することによって頭の回転が高まるのか、良い思いつきが浮かびやすいこと、3)ダラダラ行動することが性格的に合わず、嫌なことであれば、なおさら早く切り上げてしまいたいので、それに適していることなどが考えられる。

3. 平行かつ集中主義(望)

集中して対処するのが一つの問題である場合は少なく、二つ以上の問題を抱えることがよくある。そのような場合、その内の一つの問題に集中的に対処し、部分的にでも解決できたところで、違う問題に集中的に対処する。こちらが部分的にでも解決できて、一段落したところで、元の問題の戻る。このように、並行的に対応するが、それぞれの問題には集中的に当たるというやり方をとることが多い。

これは、同時並行で問題に対応することができないという私の頭の構造から、必然的に出てきたやり方である。

4. 私は聖徳太子ではない(望)

聖徳太子は、「日本書紀」によると10人の話を聞き分けたとされている。オーケストラの指揮者を考えると、この話もまんざら誇張とは言えないかもしれない。

しかし、私はそのような超能力を持っていない。二人の話を同時に聞き分けることでさえ、困難である。だから、上に書いた「平行かつ集中」というやり方をとらなければ、一つの問題さえも、解決できないのである。

一つの仕事を済ませて、次の仕事をして、また次の仕事をするというように並行的に幾つかの仕事を進めて行く方法を「タイム・シェアリング」という。これは現在使われているパソコンの処理の仕方と、原理的には同じである。

例えば、現在主流のパソコンのOSである「Windows」はマルチタスクで、同時並行で幾つかの仕事を処理しているように見える。しかし、コンピュータの頭脳に当たるCPU(中央処理装置)は、1個しか搭載されていない。そこで、OSはそれぞれの仕事(タスク)に対して、CPUを使用する権利を時間を決めて順番に与え、それに従って、CPUがそれぞれの仕事を順番に処理しているのだが、それが超高速で行われているため、結果的には、同時並行で仕事が行われているように見えるというわけだ。

パソコンのCPUは超高速、私の頭脳は超低速、やっていることは同じというわけである。

5. 重点主義(望)

私は、自分の頭脳が貧弱であることをよく承知している。貧弱な頭で成果を上げようとすれば、「80点主義」や「集中主義」「平行かつ集中主義」などの知恵を働かさなければならない。その線上にあるのが、この「重点主義」で、自分にとって大事なことがらに重点を置き、自分に重要でない末梢的なことがらは無視することで、貧弱な頭を効率的に使うように心がけてきた。この「重点主義」は、ものごとの全体像を把握するのにも役に立つ。

6. 絶対評価主義(望)

教育とか仕事などの、目標の達成度を評価するのに、多くの場合、相対評価が行われる。その極端な場合が偏差値であろう。現代の日本社会では、相対評価に基づく競争が最も重きをなしている。

私は子どもの頃から競争が嫌いだった。小中高大学、医師になっても競争をした記憶がまったくない。喧嘩はよくしたし、負けるのは嫌で、エエカッコをするのが好き、良く口にするのが「目に物を見せてやるぞ!」だった。しかし、なぜか競争は性に合わない。個人相手ではなく、不特定多数の集団に対しての競争もあまりしてこなかった。人は人、自分は自分、他人と自分を比べることに興味が湧かない。

私は、相対評価よりも絶対評価を大切に思い、減点法を嫌って「得点主義」を信奉する。これは、ものごころ付いて以来の私の生き方である。この「絶対評価主義」、言い換えれば「自己満足主義」は、ストレスが少なく、競争に必ずつきまとう無駄なエネルギーの消費を少なくする効用があり、廻り回って、競争社会で優位に立てる可能性もあるのではないかと思う。

7. 美味いもの先食い主義(望)

美味しいものを先に食べる人と、それを後で食べる人がいる。私はこどもの頃から絶対に前者だった。3つ年下の妹は反対に美味しいものをいつも最後に残すので、それをかすめとって良く泣かせていた。その妹は47年の春、麻疹にかかり、あっという間に亡くなった。8歳だった。日本が貧しく、妹は栄養失調で体力が落ちていたのに、かばうどころか、逆に上前をはねる悪い兄だった。

食べ物に限らず、したいことは先にして、したくないことを一番最後に持っていくのが、こどもの頃からの私の生き方だった。楽しみは先に味わい、後に残しておくことはしないが、その代わり、楽しんだ後はきっぱりとあきらめ、未練たらしく、なごりを惜しむことはしない。あきらめが悪いのは私の性に合わないのだ。


追加フレーズ(2008.11.11.)

8. 思考の節約主義(望)

この「思考の節約」はかなり以前から行ってきた。解決済みの問題を、もう一度最初から考えるのではなく、その次の段階から始めようとするのは、その根本に、無駄な時間を少なくして、本筋に力を注ぎたいという気持ちがあるからだ。

もちろん、最初から考えた方が正しい解決に達する場合もあるだろうが、大部分は、次のステップから始める方が効率良く解決できる。似たようなことだが、保管場所を一々考える時間を少なくするため、定位置に保管して保管場所を考える時間を少なくする知恵もよく使う。これは記憶力低下による作業効率の低下の解消に役立っている。


07<時間の把握>

1. したいことをする時間がない(望)

人生はほんとうに短い、したいことをする以外に余計なことをする時間など残っていない、人がどう思うかなどと考えるのは時間の無駄、ただひたすらしたいことをして、人生の終りを悔い少なく迎えたい。

50歳代には、ウルマンの「青春」を読んで感激したが、60歳代に入ると「老いる、老いないなどと、悠長なことを言っている暇はない、したいことをどれだけできるかが問題だ」と思うようになった。この「青春」という詩に感激したのは、人生のゴールがまだ見えず、頭の中にあったからだろう。

自分の生存時間の短さを自覚し、焦り始めたのは60歳を過ぎたころからだと思う。親しい友人が次々とこの世を去って行った。残された時間がもうわずかしかないと思うと、その間を精一杯生きようとするようになった。

その例として、野村医院のWebサイト登録全作品を、年代順に並べて見ると、59歳(1995年)までは27件であるが、60歳から66歳(2002年6月)までの作品は136件になる。

私は変わったところの多い人間だが、その中でも人と一番違うところは、この時間がないという自覚を、かなり早い時期から持っていたことではないかという気がする。つまり、死ぬことを早くから意識してきたということである。

2. 時間は作るもの(望)

60歳から66歳までの作品が136件もあることに驚くと同時に、この中にはこれまで一番書いておきたかった目標3件の内の「歌と思い出」「歌の曲名検索」という2件が含まれていることに感慨を覚える。

この間、診療時間を減らしたり、診療の手抜きをしたわけではなく、従来通り全力投球をしてきた。また、生活をエンジョイする時間も、これまでと変わってはいない。時間がないから書けない、作れないというのは、ある程度は正しいとしても、「何が何でもしたい」という気持があれば、時間は作れるものであることを今は実感している。

3. 買える時間は買う(望)

持ち時間を増やすことができないとしたら、自分が消費する無駄な時間をできるだけ減らすより仕方がない。もしも、自分がする仕事を他人にしてもらうことができるのであれば、お金を払って、その仕事をしてもらいたいと思う。つまり、買える時間は買って自分の使える時間の消費を少なくしたいと思う。

4. 時間泥棒(望)

私にとっての無駄な時間(それはしたくないことをする時間と同じ)、を強制されるとき、時間泥棒に襲われたと思う。70歳をゴールと予想している私の持ち時間は4年である。それより短いかも分からないので、したいことの60%程度は、早く済ませておきたい。60点は私の合格最低ラインである。

5. 明日してもよいことを今日はしない(望)

「今日するべきことを明日に延ばすな」は当たり前の話である。ところが、フランクリンのように「明日してもよいことを今日行え」となると、私はまったく反対だ。明日の命が分からないから、今日のうちに片付けておくというのは一理はあるように見える。また、それが自分の「したいこと」であれば、私も「明日してもよいことを今日する」と思う。

しかし、明日「してもよいこと」というのは、「しなければならないこと」と受け取ってよいだろう。その場合は、「明日できることを今日する」ことはしない。今日は今日の「したいこと」をする。それが、少ない時間をできるだけ有効に使う「生きる知恵」だ。

小学生時代からそうだった。夏休みの宿題は、始業式の翌日をタイム・リミットとして、それに間に合う最小限の期間で始めたし、中学以降の試験勉強も同じ、現在は会計事務所の監査、レセプト提出などがそれに当たり、タイム・リミットに間に合わせられるギリギリまで、とりかかることをしない。

明日の命が分からないとしたら、一層今日できる「したいこと」をしておきたい。明日死ねば、それは仕方がないこと、死んでしまえば「しなければならないこと」も免責されるだろう。死ぬかどうかが分からないのに、明日の分で今日の時間を消費させられるのはまっぴらだ、というのが「明日してもよいことを今日はしない」第1の理由である。

もう一つは、「短時間で集中的にした方が効率が良い」という経験則を持っているからだ。嫌な「しなければならないこと」は、できるだけ短時間で済ませてしまいたい、それには、タイム・リミット一杯まで手をつけないでおくに限る。

ただし、このタイム・リミットを正しく予想できることは重要で、それを間違えれば、単なる「サボリ」になってしまう。幸い、私の記憶している限りでは、次の08<タイムリ・ミット>で書くように、これを守れなかったことはない。この生き方は、日本人としてかなり変わっているのか、納得してくれる人は少ないようだ。


08<タイム・リミット>

1. タイム・リミットを守る(望)

生きて行く上でさまざまなタイム・リミットがある。学生時代であれば試験、社会人になれば仕事が、その大きな対象であろう。これらは他から決められたもので、その環境に所属する限り、守らなければならない。

それとは別に、自分で決めたタイム・リミットもある。私はそれが多く、年齢とともに余計にその傾向が強くなった。タイム・リミットを置いて、可能な限り努力するのが好きなタイプであることを最近つくづく思う。

与えられたタイム・リミットはもちろん、自分で決めたタイム・リミットを守るのが私の生き方だ、ということに最近気がついた。振り返ってみて、これまでタイム・リミットを守らなかったことは無かったと思う。それは、私の要求水準が低く「80点主義」であること、「集中主義」「重点主義」であることによって可能となったのだろう。

完全主義者で、時間をかけて地道に積み上げていくタイプであれば、タイム・リミットを守るのが無理なのは当然である。だからと言って、タイム・リミットを守ることが良いとか、守らないのが悪いとかという問題ではない。それは、その人の生き方、好みの問題に過ぎない。

2. 節目節目を大切に(望)

節目というのも、タイム・リミットの一つである。自分で決めた節目、他に決められた節目をタイム・リミットに利用して、それを大切にしてきた。

例えば、40歳の記念にリモコン・スイング・ドア付きのガレージ作った。結婚25周年に海外旅行、50歳の記念に「五十まで」というエッセイ集を作った。開業20周年で「野村医院二十年史」を、60歳では「還暦までを自家出版した。

これから先の節目として考えているのは、野村医院三十周年で、その記念となる作品をまとめたく思っている。その次の節目は、診療を止める時、そして最後は古希で、これで以って予定時間は終了、もし余れば、それ以降は節目もなく、おまけの人生を楽しもうと考えている。


09<問題の発見>

1. 何が問題か?(望)

学校ではもっぱら「問題解決」について学んできた。与えられた問題をうまく解決する方法である。これは社会に出ても、医師になっても変わらず、「問題解決」が中心である。それに対して、その問題は本当に解決すべき問題なのか?、問題は何か?、と言うような「問題発見」の発想は一般に乏しい。

しかし、「問題解決」以上に大切なのは、「問題発見」ではなかろうか? つまらない問題を解決するためにエネルギーを費やすのは、無駄というよりも有害と言うべきであろう。

そうは言っても、「問題発見」というのは、「問題解決」よりも、その方法を作り出していくのが難しく、個人の「問題発見能力」といった資質に負うところが大きいように思える。しかし、そう言ってしまうとお終いなので、問題意識を常に持つことと、世の中の変化や進歩に対して、常に関心を持ち続けていることが、「問題発見」のための必須の条件であると考えたい。

いま振り返って、私には「問題発見能力」がある方ではないかという気がする。つまり、世の中に先駆けて問題を発見し、それを解決してきたことが多いのではないかと思うのだ。それを年代順にまとめてみた。それらは、普及する2〜3年前から、長い場合は20年以上も前から始めており、未だ普及していないものもある。

私が見つけた問題

1. コピー機

大事な資料をコピーして使いたいが、個人用のコピー機はないか?

この問題を持ったのは大学を辞めた1971年だった。1965年頃から、大学にゼロックスの乾式複写機が1台設置され、それを繁用してきたが、大学を辞めると、簡単にコピー機を使うことはできない。ゼロックスはレンタルしかなく、大学などの特殊なところにしか設置されていなかった。しかし、いったんこの便利さを知ってしまった者にとっては、手近にコピー機が欲しい。

その私の願いが通じたのか、米国スリーエム社の赤外線方式の乾式複写機という、個人用のコピー機があることを知って購入した。これは、まず原紙でコピーをとり、次にその原紙からコピー用紙に転写する方式で、こげ茶色で複写された。このコピー機は、医院の設計の細かい変更や、開業のための書類などの作成に重宝した。1971年で10万円くらいだったと思う。

1977年6月に、スリーエムから新しくコピー機が発売され購入した。これは、現在のコピー機に近いが、紙は普通紙ではなく、特殊なコピー用のロールペーパーだった。この請求書が残っているが、本体が35万円、ロールペーパー1巻が1万200円となっている。このコピー機に変えてから、コピーの回数は増えた。

1982年5月にシャープから、普通紙に複写できる現在のタイプの複写機が発売されたので、これに変更。その後キャノンのコピー機を続けて3台使っている。

2. 医院設計

医師が一人だけの内科開業医院の設計で一番重要なことは何か?

この問題の解決として、診察している医師が、医院内の状況を常に把握できる設計だった。それを具体的にどう行うか?という問題に対して、医師は診察しながら、1)患者の出入りの観察、2)検査室の状況、3)注射や採血を受けている患者の様子、4)X線現像機、5)レントゲン室の状況、6)受付の様子、を把握できる設計を行い、解決をした。

1972年に設計し、1973年の開業以来現在まで、まったく改造することなく、便利に使用している。このような医院設計は、現在でもあまりないのではないかと思っている。

3. 情報処理

カルテを間違いなく、速やかに取り出し、収納する簡単な整理法はないか?
レントゲン写真などのデータを整理する簡単な方法はないか?

これらの問題に対して、患者一人に1個のID番号をつけることで解決を図ることとし、ID番号を簡単に決める具体的方法はどうするか?に対して、警視庁の指紋台帳方式に倣ったID番号決定方式を定めた。

これは患者の「姓」「名」が分かると、自動的に前4桁の数字が決まる方法で、その後へ、2桁の数字を付けることによって、この組合せで100名が登録できる。

1973年9月の開院以来、患者カルテ番号にこのID番号を使って来た。当時このような患者ID番号を採用している病医院はほとんどなく、阪大病院、星ヶ丘厚生年金病院でも採用されていなかった。

このID番号と時系列とグループ化の3要素の組合せで、カルテやデータの整理管理が容易になった。詳しくは、開業医というプロの整理法を参照されたい。

4. 診察番号札とインターホーン

患者さんの診察の順番を間違えないようにする方法は?
患者さんが診察待ち時間の見当がつけられるようにする方法は?

これらの問題に対して、診察番号札を渡し、患者さんを呼び入れる時に、インターホーンで、診察番号と名前でお呼びすることで解決した。

これも1973年9月の開院以来続けている。この件に関しては第1章:人間 09<人間関係> 10. 己の欲せざるところは人に施すことなかれのところでも述べた。

5. レセプトコンピュータ

診療報酬レセプトの手書きは大変労力が要る。他に代わる方法はないか?
受付窓口の計算が煩雑で時間を要し、間違い易いが、他に代わる方法はないか?

これらの問題に対して、レセプトコンピュータを使うことで解決を図った。

開院満1年目の1974年9月に、端末方式のレセプトコンピュータを導入、窓口計算とレセプト作成をこれで行うようにして、現在まで5台の機種を使って来た。1974年当時、近畿地方でレセコンを導入している病医院は数えるほどしかなく、それを窓口会計にまで使用しているところはレセプトコンピュータ導入先の半分もないと聞いていた。

6. 紹介状の複写

将来紹介患者の分析をしたいが、データを整理する簡単な方法はないか?

この問題に対して、紹介状を書く時にカーボン紙を敷いて1回で紹介状の控えを残すことと、その控えと紹介先からの返事を、それぞれ別にして、整理用プラスチックケースに、時系列順に収納する方法で解決した。紹介状を書く状況は、時間が切迫している場合が多く、コピー機を使って複写をすることは困難な場合が多いが、ワン・ライティングのこの方法であれば、複写に要する時間を零にできるので、便利である。

この紹介状の複写とプラスチックケースに収納する方法は、1975年1月から始めた。このデータを使った紹介患者の分析を、「野村医院二十年史」に掲載し、また、プライマリーケア学会、大阪府医師会医学総会で発表した。「開業20年間の紹介患者の分析」というような報告はこれまでになく、「大阪医学」に採用されて投稿した。

最近、厚生労働省の方針で、病院と診療所の連携(病診連携)が盛んであるが、当院では、開業当初からその方針で診療を行って来た。詳しくは、内科開業20年間における紹介患者の分析を参照されたい。

7. リモコンのスイング・ドア

車の出入りに便利なガレージの開閉装置はないか?

40歳の誕生日の記念にガレージを作ったが、上記の問題に対して、リモコンで簡単に操作できる開閉装置を付けることにした。金剛産業株式会社が販売している、米国製のコンゴー・オーバードアーをカー雑誌から見つけ、これを選んだ。1976年4月のことである。今、この時の請求書を取り出して見ると、工事費込みで17万円となっている。

我が家は1日最低1回、多くは数回、車の出し入れがあるが、車の中のリモコン・ボタンを押すだけで、スイング・ドアが開閉するので便利この上ない。学校帰りの小学生が目をパチクリさせてそれを凝視しているのを、バックミラーで見ながら、アラビアンナイトの「開けゴマ」の気分で、得意になっているのだから、いい年をして良い気なものだ。

この魔法のドアは、今日まで26年間、休み無く働いてくれているが、その間、リモコンの取り替えとモーターの取り替えがそれぞれ1回あった他は、故障知らずの元気ものでありがたい。それにしても、このような便利なものを使っている人がほとんどいないのが不思議で、価値観の違いなのかと思ってしまう。

8. 医学豆知識

診療中に説明しきれない医学知識を、患者さんにどのように伝えるか?

この問題に対して、パンフレットを作ることで解決することにした。家庭の医学などに書かれていないか、書かれていても不十分であるか、間違っていると思われることがらについて、手書きで原稿を作り、それを「デュプロ」という、謄写版のようなフランス製の簡易輪転機で印刷することにした。

1977年5月から、これを医学豆知識として100枚単位で作り、このパンフレットを診療中に充分説明できない部分の補足に使った。1986年始めに、日経メディカルの第1回病院PR誌コンクールに、医学豆知識”の抜粋の3種プリントで応募したところ、入選して、5月12日の日経メディカル誌上で発表された。この頃になって、ようやく患者に対する説明が重要視されるようになってきたが、当院では、10年も前からそれを行っているとアピールしたのだった。

9. 診察番号表示装置

患者さんが、診察待ち時間の見当がつけられるようにする方法は?

この解決として、診察番号札とインターホーンを使うことで行ったが、現在診察中の患者番号が待合室に表示されている方がはるかに分かりやすい。そこで、番号をデジタル表示する機器を探したが、数十万円もする。それでは費用がかかり過ぎるので、デジタル時計を2個分解して、コードで連結し、時計の歯車を手で動かすことで、1〜60までの番号を表示するようにした。1977年9月のことである。これを10年ばかり使って、既製の専用番号表示装置に取り替え、現在に至っている。

10. ポラロイド写真(疾病図譜)

診察の説明に使う、目で見て分かる病気の図譜はないか?

開業して、小児科の患者を診る機会が増えるにつれて、同じ病気であっても、その症状や経過に個人差が大きい場合があることを経験した。その中でも、目で見える発疹などの個人差を、写真にまとめておいて、その病気の説明に使うと、分かりやすく便利ではないかと考えた。

これまでに出版された図譜では、一つの病気に対して典型的な写真を1枚載せているだけなので、実地臨床上で見るバラエティーに富んだ発疹などの説明には、不充分と感じて来たからである。教科書的な様相ばかりではないのが実地臨床の実像である。

そこで、1977年8月にポラロイドカメラを購入し、これを使って、外から見える発疹などの症状を撮影して来た。1977年から1979年にかけて全部で5〜600枚になる。これを20冊の疾病図譜として、病気の説明に使用してきたし、現在も使って重宝している。

11. 青色申告

医師優遇税制は本当に優遇税制なのか?

73年に開業をしたが、診療の必要経費を72%と計算しても良いという特別措置法が存在していて、記帳をしなくても税金の計算を簡単に行うことができるので、経理や経営について勉強することもなかった。

しかし、この特別措置法は「医師優遇税制」だとする世間の非難のボルテージが高くなるにつれ、本当にこの措置法で医師は優遇されているのかについて疑問が生じて来た。

そこで、開業10年目の83年に、1年間の薬問屋の支払いなどの経費を計算してみた。これは、ほとんどの請求書や領収書を残していたので実行可能だった。また、水揚げに相当する総収入は、99%が健康保険からの振込なので、経費割合の計算も簡単であった。

その結果は、予想通り70%近い費用となった。そこで、会計事務所にこれを見てもらったところ、抜けている費用がもっとあると指摘され、即座に青色申告を勧められた。その指摘を取り入れ、翌1984年から青色申告を採用したが、その結果は1年後に大幅な節税になって戻ってきた。白色から青色に変更して正解だったのである。

悪名高い特別措置法が「医師優遇税制」では決してないことを、その時にはっきり知った。大部分の医師たちは、記帳と計算に慣れていないので、その手間の要らないこの措置法を使って、丼勘定をしてきたというのが真相であろう。詳しくは、医院経営と表計算ソフトを参照されたい。

12. パソコンで文書処理、事務処理

文書処理、事務処理、にパソコンは利用できないか?

1985年6月に、PC9801M2というパソコンを購入した。これを入手すると、その年に発売されたワープロソフト「太郎」で文書処理を行った。この初代「太郎」は次のバージョンから現在の「一太郎」という名前に変わった。

もう一つ、パソコンを手にして行ったことは、青色申告に必要な経理関係の仕事を、パソコンに代行させることだった。その中でも給与計算が一番面倒なので、BASICでプログラミングをして、8月からパソコンで給与計算を始めた。そのほかにも、自分で幾つかのプログラミングを行ったが、年末になって、これらのほとんどを表計算ソフトで処理することに切り替えた。その最大の理由は、自分で作ったプログラムであっても、その一部を変更するのに莫大な時間と集中力がいることを経験したからである。詳しくは、医院経営と表計算ソフトを参照されたい。

13. パソコンでCG

患者さんのための病気の説明にパソコンは使えないか?

1986年7月に、エプソンからイメージ・スキャナGT3000が発売された。それまで100万円近くしていたものが、19万8千円と格安の値段になったので、発売前から予約をして購入した。同時に、ストゥリーマ付き20MBのハード・ディスクも購入し、この時から、私はCG(コンピュータ・グラフィック)やパソコン画像に、全エネルギーを注いだ記憶がある。

当時、パソコン画像に取り組んでいる者はほとんどいない上、ソフトも少なく、自分でアッセンブラ言語を独習し、幾つかの画像表示関連のユーティリティを作った。また、当時はファイルを操作するFDのようなファイラーがなく、ハードディスクの深い階層にあるファイルを簡単に使うための手段として、バッチファイルの活用を思いつき、これを使って、実用上不自由なくファイルを操作することができた。詳しくは、98画像の変遷を参照されたい。

14. パソコンで診療補助

診療補助の道具としてパソコンを使えないか?

上に書いた1986年の夏から、スキャナ取りこみ画像、表計算ソフト、バッチファイルの三つを組み合わせることで、診療中の患者さんに対してパソコンを使って病気の説明を始めた。

1987年2月に入って、「パーソナルコンピュータを用いた診療補助システムの開発という研究課題で、大阪府医師会医学会の医学研究奨励費助成に応募し、研究助成費を頂いた。これは、スキャナ取りこみ画像と表計算ソフトを中心にして、ファイル操作をバッチファイルで行うという、私が診療に使っているシステムそのものだった。

その年の11月には、第11回大阪府医師会医学総会において、演題「パーソナルコンピュータを用いた診療補助システムの開発」として、医学研究奨励費助成金を頂いた研究の発表を行った。詳しくは、パーソナルコンピューターを用いた診療補助システムの開発を参照されたい。

15. パソコン通信

医療関係者と情報交換をしたいが、どうすれば良いか?

1988年9月に、SONYのIT−V1200という機器を使って、「NOM−BBS」というパソコン通信局を開いた。ここに府医マイコンクラブのメンバーの多くがアクセスし、パソコン通信や電子メールの交換の場となった。

11月からは国内大手のパソコン通信局である「NIFTY」に加入した。ここで、全国の多くの医師やコンピュータ・グラフィックに取り組んでいる方々と交流することができて、世界が大きく広がり、たくさんのことを学び、また教えることを楽しんだ。NIFTYのデータ・ライブラリに、私が登録したデータは70点近くなる。

16. 医療法人

法に則った節税はないか?

会計事務所から、いろいろの節税対策の勧めがあったが、いつも断って来た。その中には医療の世界で広く行われているメディカルサービス法人(略してMS法人)というのがあった。これは病院の関連会社を設立して、そこから「医薬品・診療材料等の購入」「医療機器等のリース」「土地建物の賃貸」などを受けることにより、節税を図ろうとするものだったが、なんとなく、インチキ臭い節税に思えて、断り続けて来たのだった。

ところが、1986年10月に医療法の改正があり、「一人医療法人」が認められるようになった。これは経営の近代化のために、厚生省が勧めているものであり、会計事務所からこの制度改正を教えらると、充分検討した上で、この「一人医療法人」に組織変更することにした。

1987年夏から設立の手続きに入り、1988年(平成元年)1月から、野村医院は医療法人野村医院となり、私が理事長、妻、息子、義母が理事、義父が監事に就任した。「一人医療法人」への組織変更は、交野市の医療機関の中では最初、大阪府下の医療機関の中でもトップグループに入っていた。

青色申告から「一人医療法人」に変更して得たメリットで大きいのは、理事報酬の形で妻や息子、義母にも所得を分散して支給できたことである。その他に、法人会計として経営の近代化ができたこと、設立当初は予定していなかったが、息子が医院を継承する場合に有利であることなどであろうか。

17. DTP

パソコンで自家出版できないか?

1986年4月の私の50歳の誕生日に、記念としてそれまでに投稿してきた雑文をまとめ、これをワープロで印刷して版下とし、それをコピー機で複写して綴じ合わせた。それを「五十まで」の書名で、B5版47ページの自家製本として親しい人に贈った。最初に30部作り、その後10部づつ、全部で100部近くになったと思う。ちょうどこの少し前に、アメリカではDTP(Desk Top Publishing)という、パソコンを使った出版が脚光を浴び始めていた頃で、私はこの「五十まで」を最初のDTPとしている。

最初のDTPから7年過ぎた1993年8月末で、野村医院は開院20年を終えた。その記念に野村医院二十年史をパソコンで版下を作り、それを使って印刷所で印刷、製本をしてもらい、1993年11月に自家出版した。これは、カラー写真23枚入り210ページで、一般の図書に遜色のないDTPであった。それが可能になったのは、パソコンそのものより、高性能のレーザー・プリンターと優れたソフトがその頃登場したからである。詳しくは、当院の出版物の紹介を参照されたい。

18. インターネット

最新の医療情報はインターネットで得たいがどうしたら良いか?

1996年7月、堺市で「O-157」事件が発生したが、この「O-157」に関する医療情報は、インターネットでしか得られなかった。そこで、交野市医師会は8月3日の理事会で医師会にパソコン同好会を作り、インターネットに接続できるようにすることが決まり、私がその世話人に指名された。

そこで、その日のうちに日本橋へ行き、Windows95搭載のパソコンを購入し、インターネット接続を可能にした。その上で、足がかりとなるホーム・ページとして、野村医院のホームページを開設した。Windowsマシーン購入後2週間足らずの8月15日のことだった。今から考えると、信じられないほどの短期間で、仕事を仕上げたことになる。詳しくは、野村医院のホームページを作るまでを参照されたい。

19. i-mode携帯電話

旅行先からEメールを送受信する便利なツールはないか?

1999年夏に北海道へ旅行する際、旅先からメール交換をしたいが、重いノートパソコン持参して、メールの送受信を行なうのは困難なので、他に手軽に持ち運びできるEメール用ツールはないかと探して見つけたのが、i-mode携帯電話だった。

これを購入した直後より、Eメール、特に転送メールは便利この上なく、またWebサイトのチェックも簡単で、私にとっては革命的な宝物となった。入浴と就眠時間を除いて、絶えずこれを携行している。

1999年2月に登場したi-mode携帯電話は、私が購入した7月には未だ契約台数は100万台に満たない状況だった。それが1年後の2000年1月には400万台、本年(2002年)6月末では3,350万台と爆発的に普及している。

20. i-mode 携帯電話で病医院を検索

i-mode 携帯電話で病医院情報を検索できないか?

i-mode携帯電話が登場して1年後の2000年1月には、契約台数が400万台に達した。その普及の早さと、このiモード携帯電話が簡単迅速にWebサイトに接続できるツールであることに注目し、これを活用することを考えた。

そして、同年1月に交野市医師会のホームページに「i-mode 対応ホームページ」を新しく併設し、携帯電話で医療機関や救急関連の情報を直ぐに検索したり、電話をかけることができるようにした。これは全国のi-Mode対応の医師会ホームページの中で一番早かったとされている。

21. 電子出版

電子メディアで出版したいが、どうしたら良いか?

DTPによる出版は、出版社に依頼して作る場合と比べて、時間と費用が格段に安く済み、自分の思うようにデザインできるメリットがある。そこで5点も作ってしまったが、紙という媒体を使う出版に飽きがきたこともあり、新しい形での情報発信に関心が向くようになった。その一つとして、インターネットのWebサイトの活用を考え、1996年8月に、野村医院のホームページを開設し、最近はDTPによる出版よりも、こちらを充実させることに力を注いできたように思う。

しかし、Webサイトからの情報発信では満たされないところがあり、電子メディアによる電子出版を行いたい気持が心の片隅に常にあった。2〜3年前からCD−Rが急速に普及しはじめたのを知って、これをメディアに使うことにした。そして、2001年9月24日の「エーゲ海クルーズ」に続いて、9月30日、2002年1月10日と立て続けに3点を出版した。いずれも、Webサイトで公開していたものをCD−Rに焼いたものである。詳しくは、実用電子出版を参照されたい。

時代を先取りして問題を見つけ、解決してきたものを一度まとめておきたかった。そのため長々と書いてしまったが、「心に生きることば」としては 1. 何が問題か?(望)一つだけである。その例証としては余りにも冗長過ぎるかもしれないが、ご寛恕頂ければ幸甚である。


10<解決の着手>

1. あかんでもともと(望)

「あかんでもともと」「うまく行ったらもうけ」は、何か問題に着手しようとする時の、私の口ぐせの一つになっている。自分に対しても、他人に対してもよく使う。いつ頃からかは分からないが、少なくとも大学を辞めた30年ばかり前からの、私の行動パターンの一つに違いない。一般には「ダメモト」と言い、「駄目でもともと」を略していうことばであるが、関西人の私には「ダメ」ということばが合わず、「あかん」と言ってしまうところがある。

成算の見込みが五分五分の場合はもちろん、四分六くらいでも、したいことであればやってみる主義である。「やらずで後悔するよりは、やって失敗した方が良い」も同じ根から出た発想だろう。この主義で、これまで生きてきたが、それで良かったのだと思う。と言うより、そう思ってしまうのだから、仕方がない。

2. 何でも見てやろう(小田 実)

「何でも見てやろう」、これは小田 実が、1961年に河出書房新社から出版した著書の題名である。留学生時代の著者が、笑顔とバイタリティーで欧米・アジア22ヶ国を貧乏旅行して、先進国の病根から、後進国の凄惨な貧困までを、見たまま感じたままに書き連ねた。

この、そのものズバリのことばが新鮮かつ煽動的で、強く印象に残っている。思い切り何かをしようとする時に、心に浮かんでくることばの一つである。

3. 馬には乗ってみよ、人には添うてみよ(諺)

これは、自分に対してというより、迷っている他人に対して、「やってみないと分からないじゃないか」と、その選択を勧めるときに使うことが多いことわざである。

4. 思い立ったが吉日(諺)

このことわざも、すぐ着手しようとしないでぐずぐずしている他人に使うことが多いが、自分でも踏ん切りをつけるときに使うことがある。

5. ステキなタイミング(坂本九)

これまでの経験から、うまく行くことがらには多くの場合、良いタイミングがあることを痛感してきた。まこと、この歌で唄われているように、「この世で一番肝腎なのは、素敵なタイミング」だと思う。

ところが、この絶好のタイミングというのは、運命的な場合も多く、そのタイミングを逃がさないで捕まえるというところに、わずか人知の働く余地があるのだろう。とっさに判断できるのは、直感しかない。だから、そのような判断力を高めるということは、直観力を高めることと同じことになる。

6. 戦闘開始!(望)

いやなこと、気の重いことで「しなければならないこと」、しんどいことを始める時の「かけ声」が、この「戦闘開始!」という物騒なフレーズである。戦争中のことばを、ここでも引きずっているのだから、幼児体験とはすごいものだ。

この「かけ声」のあとは、必ず冷たい水で顔を洗い、戦場に向かう。これも、自分に対する駄目押しの儀式のようなもので、少なくとも毎月1回、会計事務所の監査の前日には行っている。

7. エイ!ヤー!(望)

どちらを選ぶか決めかねる場合に遭遇することが人生にはある。そのような場合には、運を天に任せ、「エイ!ヤー!」と決めることにしている。


11<解決の手段>

1. 弘法も筆を選ぶ(望)

「弘法は筆を選ばず」と言うのは、よく知られたことわざである。確かに、その道の達人と言われるほどの人は、たとえ不出来な道具を使っても、仕事を成し遂げることができるのだろう。道具がないのではなくて、工夫がないのだと言われるかもしれない。しかし、それでも良い道具を使う方が、より良い仕事ができるだろう。

まして、凡人の私たちであれば、道具の良し悪しが仕事に大きく関係するのは当然で、道具を選ぶことをおろそかにしてはならないと思う。そうは言っても、道具は手段であって目的ではない。道具選びにうつつを抜かし、仕事を二の次にするのは、本末転倒の悲劇以外の何ものでもない。

2. 鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん(論語)

この「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」ということばを知ったのは、淡路島へ縁故疎開をしていた9歳のころである。納戸の奥から「少年讃歌」という、佐藤紅緑の著した少年小説を見つけ、むさぼるように何度も読み返したが、その中にこのことばがあった。それが、妙に印象に残り、私のこころに生き続け、道具などの、手段の使い分けの重要性を思うたびに、このことばを思い出す。この佐藤紅緑の長男がサトウハチロー、七女が佐藤愛子である。

3. よく整理された10の知識は、未整理の100の知識に勝る(望)

「よく整理された10の知識は、未整理の100の知識に勝る」ということばは、大学受験の時に、何かで読んだような気がするが、受験勉強の中で自然に悟ったのかも知れない。それ以後の人生で、このことばの正しさを痛感してきた。受験勉強で学んだ「生きる知恵」の一つがこれである。

受験で言えば、受験科目ごとに参考書を1冊にしぼり、その1冊を何回もくり返し勉強し、マスターしてしまうのが効果的である。もちろん、その1冊は内容の優れたものであることが望ましいが、更に良い参考書が見つかれば、変更する。また、もしも、その1冊に欠けている部分があれば、他の参考書からメモを作るなり、書き込むなりして、より完全なものにすると同時に、その1冊の中の部分で、充分に理解し、消化した部分については、取り除いてしまう。私はこれを「1冊主義」と呼んできた。

4. 自家薬篭中の物(諺)

このことばは、「自分の薬箱に入れた薬のように、よく知っていて、いつでも思う通りに使える道具や知識」という意味である。上の「よく整理された10の知識」と同じ発想であるが、私はどちらかと言えば、道具や技術の場合に、このことばの意味を感じている。

5. 手段よりも目的(望)

問題解決に対して、「何を使うか」も大切であるが、それより遥かに重要なのは、「何をするか」「何が目的か」を常に意識しておくことである。


12<解決の方法>

1. 分類でなくグループ分け(望)

受験勉強で身に付けたもう一つの「生きる知恵」が、この「分類でなくグループ分け」という考え方である。その頃「生産的思考」という本を読んで、このことばを知ったと思ってきた。ところが、M.ウェルトハイマー著、矢田部達郎訳 岩波書店 1952年刊 250円とあるその書物を、50年振りに読んでみると、難しくて、よく理解できないのだ。考えてみると、私は自分の都合の良いように理解することが多く、この「群化」ということばを、自分なりに解釈し、あるいは発展させて来たのかも知れない。

ばらばらで存在する個体を、何かの基準で大きくグループ分けをするという考え方は、大学受験では、数学の難問を解く時に有用なことがあった。しかし、それよりも、その後の人生の多くの場面で、この考え方は非常に有用で、問題解決だけではなく、ものの見方、あるいは整理をする場合に役立ってきた。受験勉強で得た最大の収穫がこれだったと思っている。

2. 骨組みを作る(望)

何かを構築しようとするとき、おおまかな骨組みを作り、そこへ肉付けをしていく方法をとる。これは「よく整理された10の知識は、未整理の100の知識に勝る」で述べたような、整理された知識を構築する場合に行う方法である。また、「心に生きることば」のような、範囲の広い事がらについて、文章をまとめるときにも、この方法をとる。まず骨組みになるものを作り、それを発展させていくという方法も、また受験勉強で身につけた「生きる知恵」である

3. 各個撃破(望)

「各個撃破」というのは、たくさんの事柄を処理しなければならない時に行う方法で、戦争中に、この言葉を覚えたと思っている。たくさんの問題に対処しなければならなくなった場合は、手当たり次第にことに当たることをせず、腰を据えて、一つずつ、一定の順序で、解決して行くのが、結局早道で、成功しやすいという経験則である。

問題としては、例えば、失せ物を探す時などにこの方法を使う。ある程度探して見つからない時など、「各個撃破で行こう」と言って、順序だった失せ物探しを行う。

4. すべては模倣から始まる(望)

この「すべては模倣から始まる」ということばは、言い古されて来たものかも分からない。私はオリジナリティーを大事に思う人間だが、最初からオリジナルなものを得ることなどほとんど不可能であり、模倣をしている間に、稀だが、オリジナルなことがらが頭に閃めくことがある、というのが真実だろう。

それが一番明らかな事柄の一つに、プログラミングがある。昔、BASICという言語でプログラムを組んでいたことがあった。その次にはBATCHファイルという一種のプログラムを盛んに作った。そのような場合、文法を知っていても、既製のプログラムの真似をしなければ、実用的なプログラムを作ることは難しい。しかし、数をこなしている間に、独自の考えも出てきて、その人の個性のあるプログラムもできるようになるものだ。

ただし、「模倣ばかりの真似ばかり、手を加えて改良する」を続けているところに、発展はない。

5. 先達はあらまほしきものなり(吉田兼好)

第3章:教育 05<自己教育>のところで、「私は教えてもらうのが嫌い」と書いた。たしかに、直接教えてもらうというのは嫌いだが、先達から学んできたことは多い。多くは書物を通してであるが、講演や見学、仲間から学んだことも数多くある。そのような時に、必ずと言ってよいほど頭に浮かぶのが、この「先達はあらまほしきものなり」である。

6. 悪循環を断つ(望)

悪循環を日常生活でも医療上でも経験することが多い。その場合、悪循環を断つということが、問題解決に有用な場合がよくある。それが対症療法であったとしても、それにより、悪循環が断たれることで快方に向うことをよく経験する。

対症療法を軽蔑して行わない者がいるが、愚かだと思う。火事になってしばらく時間が経ち、火元は治まって周りに広がっている時に、火元を断てと言っているようなもので、バカの一つ覚えの根本療法である。同じようなことは、すぐに、EBM(Evidence Baced Medicine)だ、インフォームドコンセントだ、と唱える輩にも感じてしまう。

対症療法が有効な例を思いつくままに書いて行くと、「痛いから余計に痛くなる」「咳をするから余計に咳が出る」「痒くて掻くから余計に痒くなる」「不安だから余計不安になる」などに対しては、色々な方法で痛みを取り、咳を抑え、痒みを軽くし、不安を少なくすることで、改善したり治癒することが多い。

もちろん、対症療法に偏り、根本治療をないがしろにすることは、絶対にあってはならないことであるが、根本療法が行えない病態があり、また対症療法で治癒する病態があることも、理解しておかなければならない。

悪循環というのは、医療面よりも日常生活でより多く経験すると言えよう。例えば、人間関係の「嫌いな感情」「誹謗」「争い」など、経済関係の「借金」、教育関係の「落ちこぼれ」など、いくらでも悪循環は存在し、それを断つことで、問題解決に役立つことが多い。

7. 廃用性萎縮を防ぐ(望)

「廃用性萎縮」ということばがある。使わなかったことが原因で、臓器や組織の内容が減少した状態を指す病理学の用語(disuse atrophy)で、骨折などのために、長期間動かさなかった脚の筋肉が痩せる(萎縮する)のは、その代表例である。その他、脳卒中で寝たきりとか、激しい神経痛などで四肢を動かせない場合などにも、動かさない四肢などの筋肉の萎縮が起こる。この「廃用性萎縮」を防ぐために、早期から運動療法や理学療法を行い、また激しい痛みに対しては鎮痛療法行うなうことは、非常に有用である。

「廃用性萎縮」は四肢に限らず、他の臓器でも起こり得ると考えておかしくはない。脳については、痴呆の90パーセントが「廃用性萎縮」によるというデータが示されている。それが信頼できるとしたら、頭を使うことの重要性がよく分かる。もっと一般化して、身も心も頭もよく働かせることが、人間が生きて行く上で大切なことなのだと思える。

自然界には、使えば消費によって減少するものは多いが、使っても減少しない空気のようなものや、使わないと枯渇する井戸のようなものもある。一方人間については、筋肉を使えばそれだけ筋肉の量が増えるように、一般には使うほど増加する場合が多く、また逆に使わないと減少する場合も多い。

人間の身体の構成物は、絶えず新陳代謝が行われ、破壊と生産が恒常的に行われている。ある機能をよく使うということは、それに関係したものの生産を高める方向に働き、それをあまり使わないということは、その生産を低めるように働くと考えて良いだろう。

しかし、ここでも、「過ぎたるは及ばざるが如し」が真理であることに、変わりはない。

8. 下手の考え休むに似たり(諺)

「下手の考え休むに似たり」と言うのは、悪循環ほど状況を悪くする訳ではないが、時間を無駄にすることで、結果的に、問題解決にマイナス効果をもたらすことを言う。本人は一生懸命に考えているつもりが、堂堂巡りだったり、現実遊離だったりで、何の進展もない。だから、その時間は休んでいるのと同じか、むしろ骨折り損のくたびれもうけであるが、本人はそれに気付いていないのだから難儀だ。

だからと言って、何も考えない、深く考えない方が良いわけはなく、時間をかけて真剣に悩み考えることは、人生のある時期に必要なことであるが、それを「下手の考え」とは言わない。

自分でも、堂々巡りで良い考えが浮かばない時には、「下手な考え休むに似たり」、ちょっと休んで気晴らしをしようというように、このことわざを使う。そのほか、いろいろ悩んで困惑している人に対しても、「ちょっと休んでみたら?」とアドバイスをする場合にも、良く使うことわざである。

集中力が伴わない状況で、時間だけかけても解決にはならない、むしろ、気分転換をした方が良い解決が見つかることが多いという経験則でもある。

9. 兵は拙速を尊ぶ(孫子)

「兵は拙速を尊ぶ」というのは、戦争の場合、長びくと不利なことが生じやすいので、作戦や用兵に多少まずいところがあったとしても、速攻して、一気に勝利することが大切という意味である。戦いでなくても、世の中には、時間を置かず行動した方が良い場合がある。

例えば、医療の場で、心臓が止まった、呼吸が止まった、意識が無くなった、大出血をしたなどの場合、考えたり議論したりするより、先ずそれに対する行動を起こすことが肝要である。日常生活でも、災害や事故などで即刻の応急の対応が必要な場合がある。

もちろん、時間をかけ、十分検討してから行動に移るべき場合も多いが、つまるところ、それらの状況を的確に把握する判断力が求められているのだ。

10. 急がば回れ(諺)

「急がば回れ」というのは、急ぐ時は近道よりも、遠回りでも安全な道を選ぶことが賢明である、ということわざだが、これはセッカチな自分に対する戒めとして、はやる心を抑えるために、口にすることが多い。他に、「急いてはことを仕損じる」とか、「慌てる乞食はもらいが少ない」が口に出ることもある。いずれも、自分に対する戒めことばであるが、この呪文のご利益はかなりある。

これは前の「兵は拙速を尊ぶ」とは反対のことばで、切迫した状況でないが急いだ方が良い場合に使う。

11. 虻蜂取らず、二兎を追うもの一兎をも得ず(諺)

「虻蜂取らず」も「二兎を追うもの一兎をも得ず」も、欲張って二つのことを得ようとすると、失敗することを戒めていることばである。私は昔から、「一挙両得」「一石二鳥」というような行動は嫌いだった。それは小賢しいとか、骨惜しみを感じ、さもしい気がするからだと思う。

その他にも、このことわざが好きでない理由として、06<行動に関する主義>で、「平行かつ集中主義」「私は聖徳太子ではない」と書いたように、二つのことを同時にすることが不得手であることも関係しているかもしれない。

しかし、「転んだらただでは起きぬ」「災い転じて福となす」ということは、ほとんど常に行って来た。これは「一挙両得」「一石二鳥」とは全く別の行動であるが、後で述べることにする。

12. 山に登る道は一つではない(望)

「山に登る道は一つではない」と思い始めたのも、大学受験の頃からだったような気がする。大学合格が目的なので、学校や受験雑誌が勧める方法を取り入れず、自分で工夫し、考えて、自分に合ったやり方で勉強した。

その頃に観た音楽映画「カーネギーホール」で、ルービンシュタインが弾く、ファリアの「火祭りの踊り」の華麗な演奏に、すっかり魅せられてしまった。そのルービンシュタインが、「良い音が出るのなら鼻で弾いてもよい」と語ったという記事を音楽関係の書物で読み、我が意を得たりと嬉しくなった。書物の名前は忘れたが「アングルのバイオリン」と同じように、私の心の中でずっと生き続けてきた。

13. 小さく固まらない方が良い、回り道も必要(野村偕爾)

父が話したことばの中で、一つだけ妙に納得して、自分の生き方に影響のあったことばがある。高校2年の夏のこと、家へ遊びに来た友人のN君が、人生設計や将来像についてはっきりした意見を話した。それを聞いて、母は非常に感心し、そのことを父に話した。

それに対して、父は、「小さく固まらない方が良い、回り道も必要」と言って、明確な将来像を持っていない私の方を評価してくれた。このことばは、以来、私のこころの中で生きている。

14. 継続は力なり(諺)

この「継続は力なり」というのが、ことわざなのか、誰かのことばなのか知らないし、あまり好きなことばででもない。というのは、このことばには「あることに執着して続けるという根性物語」を感じ、それが生理的に合わないからである。

ただし、「継続して残しておいたデータは、それ単独では意味がなくても、継続されたものゆえに価値が出てくる場合がある」という解釈でよければ、私は人よりも継続してデータを残すことをしてきたと思う。それも、ただ残して置くだけという、労力も精神力も要らない単純作業に、ほんのわずかな時間を割くだけで行ってきた。それは若い頃からの習性のようなものだった。

その例を挙げて行くと

1)手紙や葉書の保存:
1964年からの手紙やはがきを残している。これは、その年の分をまとめるだけという「群化」のやりかただから、手間はいらなず、保管するスペースがあれば良い。このデータは、歌と思い出を書いた時に役立った。

2)診療データの保存:
A.毎日の午前午後の「患者数」(1973年9月の開業当初から)、これは見開き1ページに1ヶ月分の
  データをかけるデスクカレンダーに職員が記入する。
B.診療を中心にした「行事」などのデータ(1973年9月から)、これは受付の壁に吊るしたカレンダー
  に書き込む。
C.「新患台帳」(1973年9月から)
D.「死亡診断書」(1973年9月から)
E.「レセプト」データ(1973年9月から)
F.「紹介状」の保存(1975年1月から)、これについては09<問題発見>の「私が見つけた問題」に
  詳述した
G.「X線透視」記録(1979年8月から)、これらのデータは「野村医院20年史」を書くときに
  役立った。

15. 下手な鉄砲、数打ちゃ当たる(諺)

この「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ということわざも、好きではないが、臨床上でこれに近い「ショットガン療法」に対する自戒のことばとしている。

「ショットガン療法」というのは、原因が分からないときに、有効と予想される治療法を同時に、あるいは、次々と試してみる方法で、それより仕方がない場合もある。しかし、よく調べ考えることの面倒臭さから逃れるために、このような安易な方法に走りたい誘惑に対する戒めとしている。

16. 高名の木のぼりといひしをのこ(吉田兼好)

「高名の木のぼりといひしをのこ」で始まる徒然草109段は、高校の古文に出てきた時から、良いアドバイスだと思ってきた。有名な木登り名人が、人に指図して高い木の上で仕事をさせていたが、降りる時になって、軒先くらいの高さになった時に、はじめて気をつけるように注意したという、よく知られた個所である。

そそっかしくて、うまく行きそうになると、すぐ有頂天になり、ポカをしてしまう自分に対する戒めのことばであるが、それでもこの手の失敗をよくするので、これを書きながら苦笑している。

17. 目的分析、条件分析(望)

「目的分析、条件分析」ということばも、受験勉強の中で身につけた「生きる知恵」で、重要な問題や複雑な問題の解決に当たる場合に、問題の目的は何か? 分かっていることは何か? ということを絶えず念頭におくことが有用であるという経験則である。

「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」という孫子の兵法も受験勉強で覚えたが、敵=目的、己=条件と理解して、これも目的分析、条件分析と同じ意味で使ってきた。

18. 正攻法で行く(望)

これまでの66年の人生を振り返ってみると、特別意識をしてきたわけではないが、「正攻法で行く」ことを選んでいた。もちろん、私は聖人君子ではない、絶えず愚かなことを考え、愚かな失敗をしている。ただ、卑怯なこと、ずるいことはしてこなかったと思う。それは、35年間生活をともにしてきた妻も否定しないだろう。

とは言っても、道徳的な意味からではまったくなく、「男らしくない」ことをするのが、私の美意識に反する、私の性に合わないからである。その結果として「正攻法で行く」ことになったというわけだ。

「正攻法」と言うと、いつも思い出すことがある。息子が中学か高校のころ、私が言ったことに対して「そんなの、きれいごとだ」と反抗した。当たり前のことを言ったのに、それを「きれいごと」と受けとめてしまう状況に、息子が置かれていることを知った。可哀想だった。そして、「正攻法でも、人生はやって行けるのだ」ということを、彼も知るようになることを願った。

そのことについて、息子と話をしたことはないが、分かりかけているのではないかという気がしている。

19. 積極策で行く(望)

「入るを図って出るを制す」ということわざがある。「収入を計算して、それに見合った支出をする」という当たり前のことである。しかし、このことわざが取り上げられるときは、「支出を極力抑えることで、利益を出す」という意味に使われることが多い。

この場合も、無駄な支出を減らすことは当然である。しかし、活動にとって無駄かどうか分からない支出もあるのに、支出削減にばかり目を向けると、活動も減らすことになりやすい。無駄な活動を減らすのは良いが、有意義になる可能性のある新たな活動まで、没にするかもしれない。安全であるが、消極的なやり方である。

私は、少々の無駄が出ても、充分活動をしたい性分である。支出を減らすことよりも、活動を増やす方を好む。医院経営についても、意図したわけではないが、できる限度内で、充分に活動をするという、積極策で行ってきたと言えそうだ。

20. 小さな多数よりも大きな少数(望)

小さな買い物をたくさんするのが好きな人がいる。反対に、買う時には、大きなものを買うが、普段は、質素にして小さな買い物をしない人もいる。私はこどもの頃から後者だった。公務員のこどもとして育ったから、裕福ではなかったが、少ない小遣いを貯めて、大きな買い物をしてきた。

買い物に限らず、ちまちま、小さなことを重ねるよりは、数は少なくとも、どーんと大きなことをする方が好きな性分だ。開業をして、自分の自由にできる程度が増えてからは、一層その傾向が強くなったように思う。

それと同じように、普段贅沢をしないが、贅沢をする時にはけちらないというのが私の生き方だと思う。

もう一つ追加すると、絶えず贅沢をするというのは嫌いだ。これは、第2章:趣味 10<私の美意識> 2. 「快感をとめどなく求めるは醜悪」に通ずる。晴ればかり、祭りばかりを望むのは貪欲、長い普段の時があるから、晴れの時が生きるのだ。


13<データの評価>

1. 猟師山を見ず(諺)

この「猟師山を見ず」ということわざを、「猟師が、獲物に気をとられて、山全体のことが目に入らない」という意味と理解し、部分的なデータにとらわれず、全体把握が重要だという教訓にしている。

2. ABC分析を活用する(望)

「ABC分析」というのは、「パレート分析」とも呼ばれ、19世紀のイタリアのパレートという経済学者が見つけた、「全体の20%の個数を調べれば、現象や問題の80%が分かる」という法則である。2:8(ニッパチ)の法則とも呼ばれることもある。データを重点把握するのに便利な方法で、薬剤購入のための見積とか、薬剤管理などに活用している。

薬剤購入見積について説明をすると、当院の使用薬剤の品目数は約450であり、これを表計算ソフトのエクセルに入力して、フロッピーで6軒の薬品問屋に手渡し、各品目について、納入価格を入れてもらう。その際に、予めレセプトコンピュータを使って、金額別使用薬剤量を算出しておき、上位50品目について、薬剤名の右端に*印をつけておく。そして、この*印付きの薬剤が当院の重点品目であり、薬剤見積の入札は、この50品目で行うことを問屋に伝えておく。

問屋から納入価格の入力されたフロッピーを回収して、この重点50品目だけを比較検討し、納入問屋を決定するが、これは1時間もあれば完了する簡単な作業だ。しかし、それが可能なのは、この「ABC分析」の方法を活用しているからである。

450品目の20%は90品目になり、この90品目の使用金額の和は全薬剤の使用金額のほぼ80%を占めている。これを10%に絞ると50品目になり、その使用金額は全体の約70%を占める。約10%で全体の約70%を調べる方がより簡単なので、こちらを採用したというわけである。

日常の薬剤管理についても、この重点把握の方法を取り入れている。それは、「SML法」と名付けた方法で、1ヶ月の使用量が100以下をSランク、100〜500をMランク、500〜1000をLランクとして、各薬剤の小出し用区画にこのランクをつけて置く。

そして、これに対応する最低在庫量を決めておき(S<50、M<100、L<300)、在庫量がこれ以下になると、職員が発注用の書き出しをすることにしている。これにより、在庫管理がかなりうまく行き、不良在庫が減って、期末の棚卸しが従来より15%は減るともに、薬剤切れで、至急配達(急配)の頻度が大幅に減った。

このSML法は1990年から行っていて、最近はこのランク分けに職員の勘も加わっているが、重点把握をするという点では変わっていない。

以上、重点把握を行っている実例を二つ示したが、他のことがらに対しても、重点事項をチェックしておけば、簡単で、しかも大きな間違いはないという方針で対処している。

この「末梢的なことにとらわれず、重点をつかんでおけば、大過はなく、また、全体像の把握にも役立つ」というのが、これまでの人生で得た「生きる知恵」の一つである。

3. トリアスを活用する(望)

医師が診断で良く使うデータの重点把握の方法の一つに「トリアス」がある。これはドイツ語のTriasから来ていて「三徴候」と訳されている。例えば、「死の三徴候」は心停止、呼吸停止、瞳孔散大であり、「髄膜炎の三徴候」は、頭痛、発熱、項部強直である。この三徴候が揃えば、「死」と診断し、「髄膜炎」の可能性が高いと診断できる。

もちろん、なにも三徴候とは限らないが、無数にある症状や検査所見の中で、その疾患に特有なものを把握しておくということは、実地臨床上有用である。なぜ、その症状やその所見がその疾患に特有であるのかを、病態生理と関係づけて理解しておけば、診断能力は向上する。

トリアスだけで診断できるような病気は限られているが、「無数にあるデータの中から、重要なデータを選び出す」という考え方は、世の中のすべての現象の把握に役立つ。

4. 優先順位がある(望)

全体像把握、重点把握と関連しているが、これに時間軸を加えて考えた場合、あるいは、条件の有限性が大きい場合に、最も考慮すべきことは、優先順位である。

阪神淡路大震災の際に負傷者の治療に当たって、トリアージュ(triage)の重要性が認識されたが、このフランス語は、本来は未熟果や腐敗果を除去し、健康で熟したぶどう果を選り分ける「選別」を意味している。このことばは、大災害時の「状況判断認識能力」としても使われている。

例えば、大災害が起きた時、1人の医師の許へ50人患者が来たとする。どの患者を先に診察するかという時、この能力が必要になる。普通の切り傷の人には、包帯があるから自分で縛るように指示だけをし、心臓が停っている赤ちゃんを抱いた母親が、泣き叫んで来たとしても、次の大出血をしている人を先に診察するべきかも分からない。日常生活においても、非常時には、こうした勘を働かせなければならないことが多い。

野村医院の医院勤務の基本の3番目として、「臨機応変に、要領良く」を挙げているので紹介する。

医院勤務の基本 3.臨機応変に、要領良く
病気の種類も程度もいろいろで、一刻を争うほどの救急患者も居れば、少々遅れても、結果として変わりのない人もいる。

また、非常に患者さんの多い時と少ない時とでは、窓口業務の手順が違うこともありうる。診察中の患者さんと、待合室の患者さんとでも、緊急度が違う。

この他にも、医院の業務というものは臨機応変に、要領良く、手順を変えてでも、処理していかなければならない場合が多い。(野村医院 医院勤務の基本より)


14<成功>

1. 好きこそものの上手なれ(諺)

「好きこそものの上手なれ」ということわざの通り、好きなことは熱心に努力するので、上達も早く、成功する確率も高くなるのは当然である。しかし、それだけで成功するとは限らず、「下手の横好き」で終る可能性も、なきにしもあらずだ。

私は医師になって2〜3年目を、神戸の川崎病院で出張勤務したが、そこに中西熊蔵という10年以上年長の先生が居られた。この先生は字の非常に上手な方だったが、ある朝、出勤して来られて、開口一番「どこそこで見た看板の字は良かった」と言われたことがある。

あんなに字の上手な人なのに、字に関心を持っていらっしゃる。上手な人だから、一層字に注目されるのかもしれない。「好きこそものの上手なれ」「良循環と悪循環」「見えるのでなく、見る」「キーワードを持つことの大切さ」などの人生訓を、この先生から学んだ。

2. 天才とは99%の発汗であり残り1%が霊感である(エジソン)

さすがは、天才発明王、99%の発汗と言って努力の大切さを説いている。しかし、このことばの肝腎な部分は、1%の「霊感」であろう。いくら努力を続けたとしても、それで天才的な成功が得られるものではないということだと思う。

3. 99%までは努力、1%が才能、この1%がよければうまくいく(チャップリン)

全く同じことを、天才俳優のチャップリンが言っているのに驚く。私はチャップリンと同じ誕生日なので、彼に特別な思いを抱いている。

4. 良いものは変えない(望)

私は新しいもの好きである。良いと思ったものを取り入れるのに臆病ではない。そのことについては、09<問題発見>私が見つけた問題のところに書いた。また、16<過ち>1. 過ちを改めるのにやぶさかではない、2. 君子豹変す、で書いたように、良くないと思えば変えることに躊躇はない。また「マンネリが嫌い」で、興味がなくなったことを、惰性でだらだらと続けるのは、時間の浪費以外のなにものでもないと思う。

しかし、「良いと満足していることを変えることはしない」のも、私の生き方である。モデル・チェンジを追うことはせず、よほどのメリットがなければ、壊れるまで旧モデルを愛用する。それは、何ごとについても同じで、人間関係も、よほどの不都合が起きない限り、いつまでも大切にし続けてきた。自分は浮気性が少なく、保守的な人間だとつくづく思うが、意識してそうしているわけではなく、持って生まれた気質なのだろう。

車は初めて新車を買った71年以来30年あまりの間、変わることなく白の2ドアクーペに乗っている。工務店、電気工事店も、開業の時から同じ業者だ。医療器具店、6軒の薬の卸問屋、レントゲン機械の会社も開業以来変わっていない。

5. 勝って兜の緒を締めよ(諺)

「勝って兜の緒を締めよ」ということわざは、勝負に勝ったからといって油断するな、成功に慢心せず、たゆまず努力せよ、ということで、戦争中に良く聞いた記憶がある。

ハワイ生まれの日系三世藤猛(ふじたけし)が、ボクシングの世界 Jrウェルター級チャンピオンになった時の、勝利の言葉がこれだった。たどたどしく、「勝ッテモ、カブッテモ、オヲシメヨ」、何でも、岡山のおばあちゃんに教えてもらったということだった。

6. 成功は失敗につながることがある(望)

VTRの方式を巡ってソニー陣営と松下陣営の間でくり広げられた「β-VHS戦争」が松下陣営の勝利で終った後の両社の対応を見てきて、この「成功は失敗につながることがある」という法則を発見した。私は75年に民生用として最初の製品であるアカイのカラーVTRを購入して使っていた。それからしばらくして、この「β-VHS戦争」が始まったので、この戦争に関心があり注目してきたのだった。

β方式が技術的に優れているのにも関わらず、VHSに敗れたのは、松下が自社の方式を捨て、子会社の日本ビクターのVHS方式を採用し、他の多くのメーカーを連合に誘ったのに対して、ソニーはβを一手に握って孤立したためである。

VHSの勝利の経験から、それ以後も松下は同じように連合を組み、業界の事実上の標準(デファクト・スタンダード)を狙おうとした。その最初は、ビデオ・ディスク方式として、これまた日本ビクターのVHD方式を採用し、自陣に多くのメーカーを誘った。しかし、今度は技術的優れているパイオニアのレーザー・ディスク方式に、またたくまに敗れた。オーディオでも、デジタル録音方式でデジタルカセットをMDと同時に発売したが、最初からMDの敵ではなかった。

「β-VHS戦争」で敗れたソニーの方は、この戦いから技術的な面だけでなく、市場原理も重視するようになったのだろう。ビデオカメラではHi8方式、DV方式、オーディオではMDが、次々と業界の事実上の標準になっている。

私はビデオ、オーディオが昔から趣味で、そのハードに絶えず関心を持ってきたので、この一連の流れを見てきて「成功は失敗につながることがある」ことを知ったのだが、日本経済の衰退についても、かって高度成長を経験し、ジャパン・アズ・ナンバー1ともてはやされた成功経験があるため、情勢が大きく変わったにもかかわらず、同じ方式をとろうとするところに、最大の衰退の原因があるのではないかと思っている。

7. 成功経験をマニュアルにする(望)

試行錯誤の後で成功したとか、いろいろ調べて見つけた問題解決の方法、あるいは長年行ってきたルーティーンワークなどをまとめてマニュアル化することを良く行う。これは少なくとも開業する前、大学にいたころからそうであった。

他の人のために作ったマニュアルとして、大学時代には、「電話の話し方−心研での電話応対のために−」(B5版、17ページ)、「人工心肺操作の実際」(B5版、16ページ)、「圧規制型レスピレータ 使い方の実際」(B4版、74ページ)がある。2〜3年前に阪大病院のI婦長から、この間まで私の書いたこのレスピレータのマニュアルを使ってきたと聞いても、これを書いたことを忘れていたが、書庫を調べると確かに残っていた。だから。少なくともこの頃からマニュアル作りが好きだったようである。

開業してからは、「レセコンの使い方」を作り、機種が変更の度に更新してきた。また、「野村医院勤務マニュアル」を1984年に第1版を作って以来新しく職員を採用する度に改定をし、最終は1998年の第7版追補版B5、98ページである。ここに当院の事務職員の勤務に関する業務の実際の集大成を書いておいた。そのほか「薬剤情報提供用資料」(B5版、36ページ)なども作ってきた。また、交野市医師会パソコン同好会の勉強会で講義したパソコン操作法をまとめて、テキスト Windowsパソコンの使い方(A4版、184ページ)をDTP出版をした。

これらは自分のために作ったものではないが、これをまとめる過程で、自分にとっても非常に勉強になった。自分のためだけのメモでは、自分が分かれば良いという甘えもあり、いい加減なところも出てくるが、他人様に読んで頂き、利用してもらうとなると、そのような独りよがりでは済まされない。そうして考え直すことにより、誤りを正したり、より深く考えを発展させたり、表現の工夫をしたりするようになる。結局は他人のためと思ってしたことが、それ以上に自分のためになっていることを何度も経験した。

自分のための手順集は絶えず作っている。一番多いのはパソコン関係であるが、オーディオ関連でも、面倒な手順を見つけたときなどには、メモを残している。苦労してその解決を得たときには、必ずといってよいほどメモを残すようにしている。

そうするようになった一番の理由は、やはり、そういうことが好きな性格によるのだろうが、最近では記憶力が弱くなってきて、しばらく時間が過ぎると、同じ問題に対して、ほとんど一からやり始めてしまうからである。そのような苦い経験を何度か重ねた結果、これでは時間とエネルギーの無駄であることを痛感し、それを無くすために、メモを残すようになった。

ところが、そんなに理屈通りうまくは行くものではない。メモを残していることを忘れて、最初からやり始めることがあるのだ。そのような失敗をいく度かくり返すと、どこかにメモを残しているのではないかと予め調べるように、少しは進歩する。このようにして、少しづつ人間は進歩して行くのだろう。

成功した解法を踏み台にして、次のステップに昇るという技法は、考えてみれば人間の知恵である。幾何学では、証明された定理を正しいものとして、その定理の証明に一々戻ることなく、新しい問題を解く。自然科学というものもそれと同じで、過去に証明された理論、事実に基づき、その上に新しい理論を築き、発見をするわけである。文明とはそういうものであろう。

補足(2008/11/11)
第3章:教育に、11<マニュアル>の項目を追加し、マニュアルのまとめとした。


15<失敗>

1. 同じ過ちを2度くりかえせばこれを恥じ、3度くりかえせば更に恥じる(望)

私は小学生の頃から満点が取れなかった。どこかで、ケアレスミスをしてしまうのだ。それはこの年になっても続いている。だから、満点をとれないのは仕方が無いと開き直って生きてきた。そのことは06<行動に関する主義> 1. 80点主義に書いた。

だから、私の行動には、失敗があるという前提がある。とは言っても、失敗は少ない方が良い。受験となると、なおさらだ。そこで、失敗を極力少なくしなければならない場合に、自分に言い聞かせることばが、この「同じ過ちを2度くりかえせばこれを恥じ、3度くりかえせば更に恥じる」である。何のことはない、これも受験勉強で身につけた「生きる知恵」である。ただし、これを使う時は、真剣にそう思わなければご利益はない。

2. 転んでも、ただでは起きぬ(望)

先に「一石二鳥」とか「一挙両得」という行動は、欲張りで嫌いだと書いたが、「転んでもただでは起きぬ」のは、そうしなければ、あほらしくて腹が立つからであり、そうすることで、腹の虫が治まる。つまり、マイナス、プラス差し引き零にしようとする行為であって、その結果プラスの方が多くなれば、もうけものということになる。

3. 禍い転じて福となす(諺)

「禍い転じて福となす」というのは、マイナスの状態からプラスの状態に変えようという行動で、「転んでも、ただでは起きぬ」よりも積極的である。私は失敗した時に、悔やんだり嘆いたりすることをせず、逆に良い方に持っていこうと努力してきた。それがうまく行かぬとしても、「あかんでもともと」であり、「しゃーないことはしゃーない」とあきらめるのだが、たいていはうまく行った。

4. 失敗は成功の母(諺)

「失敗は成功の母」ということわざは、真理を表していると思う。もちろん、失敗しないで成功するに越したことはなく、そのような場合もあるだろう。しかし、多くは、失敗を重ねて成功を得るものである。ただ、失敗を反省し、そこから学ぶことがなければ、成功はあり得ないのも真実である。

5. 困難こそ飛躍の源(桑野幸徳)

この「困難こそ飛躍の源」は、三洋電機の社長に就任した桑野幸徳氏が、新聞のインタビューに答えたことばで、それを読んでなるほど共感した。以上失敗に関することばを並べてみたが、後になるほどプラス度が高くなっているのが面白い。

6. 酸っぱいブドウ(イソップ)

欲しいものの入手に失敗したとき、「あんなのしょうもない、酸っぱい葡萄や」と言ってあっさりあきらめることが多い。

このことばは、取ろうとして取れなかったブドウを、「あれは酸っぱいブドウだ」と言ってあきらめた、イソップ物語に出てくる狐の話に由来する。

このように、自分に不都合なことが起こると、自分の都合のいいように理由づけをして、正当化してしまうことを心理学では「合理化」と呼んでいる。

これはあまり良い意味に使われていないが、私は、あきらめなければいけない時にあきらめることは、大切なことで、それが「合理化」であろうとなかろうと、どちらでも良いことだと思う。このことに関しては第8章:運命 03受容のところで、詳しく書くことにする。


16<過ち>

1. 過ちを改めるのにやぶさかではない(望)

私は「過ちを改めるのにやぶさかではない」とよく言うが、これはことわざだと思ってきた。調べてみると「過ちを改むるにはばかることなかれ」という孔子のことばを間違って覚えていたようである。いつ頃からかは思い出せないが、このことばを、少なくとも結婚したころから、使っているような気がする。

私も、かっては過ちを認め、それを改めるのに抵抗を感じた。しかし、過ちはあやまちであり、改めるべきであることもよく分かっていた。そういう時に、このことばを口にすると、過ちを認めやすくなる効用があった。それを何回かくり返すうちに、このことばが好きになり、過ちを認め、それを改めるのに抵抗を感じなくなった。その結果、この言葉が、私の愛用句になったのかもしれない。

2. 君子豹変す(易経)

これも私の愛用句である。「過ちを改めるのにやぶさかではない」というよりも、「私は君子だから豹変する」と宣言する方が、かっこが良く、説得力もあると思っている。これを話すときの私は、必ず微笑を浮かべているに違いない。このことばを使うようになってから、誤りを認めて変更することを、むしろ誇らしく思うようになったのだから、ことばの力は偉大だ。とは言っても、豹変した事例を思い出せないのだが、、、


17<反省>

1. 人の振りみて我が振り直せ(諺)

この「人の振りみて我が振り直せ」ということわざは、本来は「人の姿や行動を見て、良いところを見習い、自分の姿や行動を改めよ」という意味のようだが、私の取り方は似ているが少し違う。

自分のことは分からないものである。そこで、他人の姿や行動を自分を写す鏡と思って利用し、自分の悪いところを見つけ、反省するのに役立てよう、というように解釈している。実用上、このことわざは非常に有用であった。

2. 半面教師とする(望)

この「半面教師」というのは、「正面から見れば悪いこと、嫌なことをしているが、反対の面では、それが教訓になっている人」である。「半面教師とする」というのは、「対象となる人の嫌な性格や行動に反発する力を利用して、自分をその反対の性格や行動に変えるように努める」という意味に使っている。

これは「人の振りみて我が振り直せ」に近いことばである。これもまた、有用な「生きる知恵」になっている。

3. 他山の石とする(諺)

この「他山の石とする」ということわざは、「他の山から出た粗悪な石でも、宝石を磨くのに使えると」いうところから、「他人の誤った言行でも、自分の才能や人格を磨く反省の材料とすることができる」という意味である。これも「反面教師とする」に近いことばだ。

4. 前車の轍を踏むな(望)

この「前車の轍を踏むな」ということばを、ことわざと思ってきたが、調べてみると「前車の轍を踏む」がことわざだった。これなら「前の人と同じ失敗を後の人がくりかえす」ということで、教訓にならない。

そうではなくて、ここは、「前の人が失敗をしたのを見たのなら、後の人はそれを活かし、同じ失敗をしないように気をつけよう」でなければ、「からかい」のことばになるだろう。

5. テノール馬鹿(諺)

テノール歌手が唄うとき、自分の美声に陶酔してしまい、音程やリズムや音量に対する注意がおろそかになりやすい傾向がある。それを揶揄したことばが「テノール馬鹿」である。

同じように、自分が得意絶頂のときには、他のことが目に入らず、しばしば過ちを犯しやすい。だから、有頂天になっているときには、このことばを思い出して反省するのが有用である。


18<後悔>

1. 反省するが後悔はしない(望)

「反省するが後悔はしない」というのは、私の生き方の特徴と言えるだろう。「生まれてこのかた、後悔をした記憶がない」と言えば傲慢だろうか? 

後悔はしないが反省はする、それは15<失敗>16<過ち>17<反省>で述べた通りである。それらが行えないような場合は、「しゃーないことはしゃーない」とあきらめてきた。あきらめについては、第8章:運命 03受容のところで述べる。

自分が「反省するが後悔はしない」人間であることを意識し始めたのは、いつ頃からだったのだろうか? 恐らく、後悔の塊のような妻と結婚してからのことで、余りの違いに、自分が人と違っていることを知ったのだと思う。

2. 我が事において後悔せず(宮本武蔵)

中学生の頃、朝日新聞に連載された村上元三の小説「佐々木小次郎」を愛読してきたので、宮本武蔵については、あまり良い印象を持っていなかった。

それが、何かのきっかけで、この「我が事において後悔せず」という宮本武蔵のことばを知ってから、「宮本武蔵」に関心が募り、書籍を漁った。いま手許に残っている桑田忠親著「宮本武蔵 五輪書入門」日本文芸社1974年刊はその頃購入したものである。

それらの本を読み、宮本武蔵に対する気持が、「老獪な剣士から、人生を真剣に生きた合理主義者」へと大きく変わった。そして、自分と同じ考えのところが多いことに驚きもした。

その一つが、この「我が事において後悔せず」であり、次の19<逆境不運>のところで述べる、「仏神を尊べど、これを頼まず」である。そのほか、「かまえそのものにとらわれず、何より敵を切ることを考えよ」、「我が身を敵になり替えて思うべし」、「何れの道にも別れを悲しまず」も、私の生き方と同じだと思った。

3. 後悔する! それこそ卑怯で女々しいことだ(シェークスピア)

宮本武蔵のほかに、「後悔しない」ということばを探してみたら、「後悔する! それこそ卑怯で女々しいことだ」とか、「あやまちも失敗も多かった。だが、後悔する余地はない(ヘッセ)」が見つかった。

4. 昨日の非は悔恨すべからず 明日、これ念慮すべし(杉田玄白)

「反省するが後悔はしない」に近いことばとして、杉田玄白の「昨日の非は悔恨すべからず 明日、これ念慮すべし」があることを知った。

5. 人を恋して得ずとても、恋せざるより幸いなり(テニソン)

英国の詩人テニソンの、「人を恋して得ずとても、恋せざるより幸いなり」「'Tis better to have loved and lost than never to have loved at all」ということばがある。

以前に、恋の終りを経験し、「黒い花びら」の歌詞の中にある「もう恋なんかしたくない」という気持ちはよく分ったが、それでも恋をしたことに後悔はなかった。「したいことをしないでいるよりも、したいことをして、失敗した方が良い」とする生き方は、私の好むところだった。


19<逆境不運>

1. げん直しをする(望)

私は逆境不運にあるとき、「願掛け」をせず、「げん直し」をすることは、第1章:人間 06<両極端なタイプの人間> 10. 願掛けと験直しのところで詳しく述べたので省略する。

2. 仏神を尊べど、これを頼まず(宮本武蔵)

「仏神を尊べど、これを頼まず」というのは、「独行動」に書かれている宮本武蔵のことばで、「神や仏は敬い尊ぶが、これに頼らない」ということを表す。

私も神あるいは自然の摂理を信じるが、これに頼ったり願いをかけたことはない。事の成否は人知を超えたことであり、運命は甘受するより仕方がないが、できるだけのことをするという「天命を待って人事を尽くす」というのが私の生き方である。

3. 三度あることは四度あるとは言わない(望)

「二度あることは三度ある」と言うが、「三度あることは四度あるとは言わない」。これは、悪いことが三度続いたときに思ったことばで、事実悪いことは四度は起こらなかった。今日は雨だが明日は晴れる、今は冬だが春は来る、と自分に都合の良いように考えることにしている。

4. 稀な事象とポアソン分布(濱田辰巳)

これは、大学時代の友人濱田辰巳君が、大阪府医ニュースに投稿した文で知った、興味深い自然法則である。彼は第6章:思考のところで紹介した、「1は0と比べて無限大である」というキーワードの主でもある。

日常の臨床で稀な疾患を経験したあと、短期間で同じ疾患を続けて経験することがあるが、疾患に限らず、稀な事象が連続して起こることは、ポアソン分布によって理解できることを説明した。経験的に、「二度あることは三度ある」ということを知っているが、その現象もポアソン分布という自然の法則に従っている。

5. 物はとりよう、考えよう(望)

困難な状況にいるとき、「これは神が与えてくれた試練だ」とか、「今までが良すぎた、これぐらいの経験をしないと釣り合いがとれない」とか、「この苦労で、よい勉強ができた」とか、「この経験は将来きっと役立つぞ」とか、何でも良いから、その中から都合の良いことばを見つけることにしている。


20<無駄の効用>

1. 緊張と弛緩はどちらも必要(望)

今までは、アクティブな行動に関係することばかりを述べてきた。ここまで読まれた方は、私を絶えず忙しく行動している人間と思われたかもしれない。

確かに、私は何かに熱中していることが多いし、診療中などは、患者さんを待たせないようにと大忙しである。これは「しなければならないこと」をしている時か、第2章:趣味のところで「能動的な欲求」に分類した種類の「したいこと」をしている時に相当する。

しかし、のんびり、ゆったりと楽しむ時間もまた、大切に思っている。その一つは、毎日の夕食の時間であり、そのうちの週1回の夕食は梅田で摂っている。日曜、祝日は何もなければ、一日ゆっくりと時間を過ごす。こちらは「基本的な欲求」に分類した種類の、「したいこと」をしている場合が多いが、妻ととりとめもない会話をしたり、庭を眺めたり、何も考えずぼんやりしていたりという、無目的に近い状態で過ごす時間もかなりある。そして、そのようなときに、しみじみとした幸せを感じる。

筋肉(骨格筋)の働きが、緊張と弛緩の反復で成り立っているように、人間の活動には能動的な活動と、受動的な活動(あるいは休息)のいずれもが必要で、それぞれが互いの活動を高めるように作用する。しかし、緊張のために弛緩があるのではない。弛緩が緊張に従属するのではなく、対等の価値を持っている。

「リクリエイト(recreate)」「リフレッシュ(refresh)」ということばには、活動に役立つための充電というニュアンスが、強く感じられる。そのために、「のんびり、ゆったりと楽しむ時間」を持とうとする人が多いのかもしれない。

しかし、私の場合はそうではなく、「忙しく行動している時間」と「のんびり、ゆったりと楽しむ時間」は対等の価値があり、決して活動を高めるための休息ではない。しみじみとした平和、幸せを感じるのは、むしろ後者である。

何もしないこと「無為」が、忙しく活動することと同じだけ価値があるという思いは、年を経るごとに強くなってきている。私はよく「英気を養う」「命の洗濯」というが、本当のところは「無為」を楽しんでいるのだ。

2. 無駄や遊びに効用がある(望)

無駄や遊びのない効率優先の世界は、味気なく面白くない。人間は無駄や遊びが必要な動物である。家を建てたときにそのことが良く分かった。最初に医院と併設の居宅を建てたときには、効率本位で無駄のない設計をした。医院の方はそれで良く、建ててから30年近くになるが、ほとんど変更をしていない。

しかし、居宅はまるで事務所の感じで、味もそっけもなく、心やすまるものでなかった。そこで、その後、増築をしたときには、こちらを改装し、無駄と遊びを充分に取り入れた設計にした。今は、その遊びの部分があることで、居宅が非常に住みやすく憩いの場となっていることを実感している。

行動についてもそれは同じことで、無駄があり遊びがあるから、生きている喜びがある。人間はホモ・サピエンス(知性人)であり、ホモ・フアーベル(工作人)であるが、ホモ・ルーデンス(遊戯人)でもある。無駄なことをして遊ぶことは、動物にはできない。遊ぶことができるのは、人間の人間たる大切な特質の一つである。

3. 無用の用(老子)

一見、何の役にも立たないと思われているものが、実際は、大事な役割を果たしている場合がある。また、役に立たないことが、かえって有用な場合もある。

有用を求めて築き上げてきた人類社会は、資源をとめどなく消費し、環境をとめどなく破壊汚染し、人口をとめどなく膨張させ、高齢者をとめどなく作り続けている。その上、神を恐れず、臓器移植からクローン人間創造という生命の領域にまで、人間は足を踏み入れ始めた。このまま有用を求めつづければ、人類は繁栄の最終形態として、滅亡するほかはないかもしれない。

この時代にあって、「無用の用」を説く老子のことばは、示唆するところが大きい。これまで価値があるとされてきた、世のため人のために役に立つことをするということが、人類の発展の最終段階に近づいた今では、むしろ、マイナスの価値を持つようになったとも考えられる。必要を越えた有用な行動をとらない、という無為の方に、価値がある場合も、これからは出てくるであろう。

これまでは、一握りの階層が占有していた「基本的欲求」の充足を、これほど多くの人間が享受できる時代は、人類始まって以来のことである。「基本的欲求」が満たされて、その上の「受動的欲求」「能動的欲求」が生まれてくるのではないかと、第2章:趣味のところで述べた。

そのことを考えると、「したいことをする」という「したいこと」のレベルの中で、一番高い位置にあるのが、この「無用の用」かも知れないと思えてくる。「世間的な価値から離れた、役立つこととは無関係な、自分がしたいこと」をすることに価値を見出す生き方は、人類の最後の到達点かもしれない。


21<謝罪>

追加フレーズ(2008/11/11)

1. 謝るときは言い訳をしない(望)

小さな謝りの経験は少なくはないが、大きな謝罪をしたのは、これまで一度だけだと思う。仕事の委託先が行なった一方的なミスであったが、依頼主として、迷惑をかけた相手にただひたすら謝った。

謝罪するときに言い訳はするものではないと思う。謝罪に必要なのは、1)自分の落ち度を認め、2)そのことを謝り、3)どのように償いをさせてもらえば良いかを尋ねることが必須で、4)言い訳や、5)相手に対する非難はもってのほかだと思っている。


<2002.7.18.>
<2008.11.11.>



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