レクイエム(鎮魂の文集)8
[おじいちゃん、おばあちゃん、恩師、先輩・・・あの人との死別]

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癒しの広場







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T君のお父様へ

一度もお会いした事がないT君のお父様
私はT君と結婚したÝ子の母です 
今、世界中は新型肺炎 コロナウイルスの脅威にさらされています

日本では医療破綻に陥っています
そんな中、T君が感染して、苦しんでいます
Ý子は陰性ですが Ýちゃん (貴方の孫です)が陽性になり
家族中で苦しい生活をしています

T君の事 娘の事 孫の事

三人が元気になるよう見守って下さい 

コロナが落ち着きましたら 家族三人でお墓参りに向かわせます

心からお願いします



【女性、60代〜】 2021.08.15

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じじへ

遠くに住んでるじじが、
月曜日に行方不明になり
火曜日じじの家の近くで
警察の方に倒れて
亡くなっているのを
発見されました。

朝の散歩中だったのかな

じじは、かなり強烈な人で
元気で絶対長生きすると
思ってました。

小さい頃は毎年
会いに行ってたけど
中学生になってから
どんどん行かなくなり
数年に一度しか行かなくなりました

もっと会いにいけばよかった
後悔してます
今年はコロナだから
関東の病院で働いてる
私は会いには行けなかった
去年久しぶりに会いに行って
本当によかったです。
もっと話せばよかったな。
そしてもっと面倒がらずに
電話すればよかった
最後に連絡したのは七夕の日
メールでした。

じじが生きてるうちにと
社会人になった私に
封筒にお小遣いをくれた。
なんとなくじじが私の名前を
書いた封筒を大切にとっていた。
これからも宝物にします。

本当にわがままなじじだったけど、
小さい頃いっぱい遊んでくれた事
ずっと忘れないよ

私のこといつも応援してくれた事を
胸にこれから頑張って
生きていきます



【女性、20代】 2020.08.27

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伯母の死

伯母が102歳で亡くなった。知らせを受けた私の気持ちは
複雑だった。
伯母は私の母の妹。 母とは10歳違いだった。

今から50年近く前、伯母は私の父と不適切な関係であった。
でも、それは私だけが知っている事実で母や私の姉兄は知らない。

長い年月、母の為に心に秘めてきた。 辛かったし、父と伯母を
許せないと思ってきた。

今日、伯母の告別式に参列し、もう許してあげると伯母に
語り掛けました
伯母も私に知られている事を薄々感じていた様に思え、
なんとなく姉たちより距離と置いているように思えた

棺の中の伯母の頬に手を触れ 
(もう許すよ  母と仲良くしてね)と。

私の心も解放されました。 

伯母さんのご冥福を祈ります   合掌


伯母102歳 私72歳



【女性、70代】 2019.08.16

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おばあちゃんへ

おばあちゃん、
もう天国につきましたか?30年ぶりにおじいちゃんには会えま
したか?

亡くなってから慌ただしい葬儀が終わるまでは実感がわかなかっ
たけど、今は、おばあちゃんがいなくなってしまった重大な現実
に涙が止まりません。

おばあちゃん子だった子供のころ、隣にはいつもおばあちゃんが
いてくれて、いろんなところに連れて行ってくれたよね。寝るの
もおばあちゃんと一緒で、おばあちゃんにしがみついて
おばあちゃんの子守唄を聞きながら寝ていたのが、今までの人生
で一番幸せで安らかな記憶です。

たくさん愛情を注いでくれてたくさん幸せをくれたおばあちゃん
だったのに、まったくおばあちゃん孝行できなかった。子供の
ころおばあちゃんが死んでしまったらどうしようといつも恐怖を
感じてできるだけ孝行しようと思っていたのに。孝行するのに
十分すぎるくらい時間があったのに。

なんとなくの日々に流され続け自分のことばかり優先して、たま
に実家に行って顔を見せたりほんの数回旅行に連れて行ったぐら
いしかしなかった。何より、ありがとうと伝えることも、ふつう
におしゃべりするようなこともしなかった。

もっといろんなところに連れて行ってあげればよかった。お酒を
飲み交わせばよかった。ありがとうと伝えていっぱいいっぱい
おしゃべりすればよかった。

大人になってから実家に顔を出すとおばあちゃんはいつも
「小さいころ、ビール飲みますか?といってビール注いでくれた
ねー」と子供のころのオレの話をしていたけど、なんでもっと
新しい思い出を作ってあげられなかったんだろう。。。

子供のころことあるごとに優しい子だ優しい子だと言ってくれて、
そのとおり優しい子でいようと思っていたのに、優しいと正反対
の仕打ちで寂しい思いをさせてしまって本当にごめん。。。

子供のころ忘れ物をしたり怒られたりするたびに「これに懲りて
次から気をつけようね」と言ってくれてたけど、一番大事な
おばあちゃんをなくしてしまった今回は、次から気をつけようが
ないよ。。。

40にもなって、実際におばあちゃんがいなくなってしまうまで
こんな簡単なことに気が付かないなんて、本当に馬鹿で愚かな孫で、
本当にごめん。体だけ大きくなって中身は全然成長してなかった。

後悔を書き連ねてもおばあちゃんはもう帰ってこないし、
おばあちゃんに届かないのはわかっているけど、言わせてください。
おばあちゃん、たくさんの愛情とたくさんの幸せを本当にありがと
う。ろくすっぽ優しく孝行できなくて本当にごめん。

おばあちゃんがいなくなって、自分の人生の意味が無くなってし
まった感じがするけど、でもまだ両親もいるし幼い息子もいるから、
寂しいけど何とか頑張っていきます。おばあちゃんにもらった幸せ
と愛情は両親と息子、周囲の人に返していきます。そしていつか
自分があの世に行く番が来たら、またおばあちゃんに会えることを
心から楽しみにしています。

ありがとう、おばあちゃん。本当に本当にありがとう、
おばあちゃん。。。



【男性、40代】 2016.12.12

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おばあちゃん

おばあちゃんとの時間が終わってずいぶん日が経ちました
最近やっと涙が止まったと思ってたのに、また今日泣いてしまった
もっともっと一緒に居られるとばかり考えていたから
居なくなるなんて考えられなかったから

もう誰のことも分からないとばかり思っていたけど、おばあちゃん
は言葉が話せないだけで分かっていたのかな
必死に呼びかけるとじっと目を見つめてくれた
亡くなる数日前に私だよ分かる?って話しかけたらうんうんと二回
頷いてくれた
最後に私だと分かってくれてたらうれしいなあ

一緒に寝て、起きて、ごはんを食べて、夜まで過ごす休日が幸せ
だった
おじいちゃんが亡くなったとき。まっすぐおじいちゃんの遺影を
見るおばあちゃんを見て無性に不安になった
おばちゃんに怒るおばあちゃんを初めて見て、戸惑ってどう接し
たら良いのか分からなくなった
私を忘れてしまったとき思わず声をあげて泣いてしまった
延命処置をしないで病気から解放してあげたかったけど、居なく
なってしまうことが恐ろしくて選べなかった

一緒に遊んだビーズを見つけたよ。私は20年ぶりかな
これたぶん最後のおばあちゃんだよね。私は丸いのばっかりつな
げてたから
今見ると寂しかったのかなって思う。私も大きくなってあんまり
おばあちゃんの部屋に居なかったものね
もっと一緒に居れたらと後悔しかないんだよ

おばあちゃん、15年前にどんなことを思ってたの
おばあちゃん、最後に私が病室に居たときどんなこと感じてたの
おばあちゃん、私の手紙最後に読めたのかな
おばあちゃん、もう一度だけでいいからお話がしたいよ
私のごめんなさいとありがとうを伝えたいんだよ
私の生きた半分しかおばあちゃんとお話しできなかったなんて
こんな悲しいことないよ
おばあちゃんもう一度会いたい
会いたいよ



【女性、20代】 2016.11.26

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無題・・・

 M兄様 なんで・・・どうして

3月18日に飛び込んできた 一本のメール
貴方の急逝を報せる内容 声が出たよ
「えっ!!うそでしょっ!!!」って だって・・・

 年末の年越しそばも一緒に食べて 
年明け 新年会も一緒に呑んで 
2月のバースディメールに ありがとうって・・・
それが たった二ヶ月 いいえ 一ヶ月足らずで
貴方が鬼籍に入ってしまったって
どう信じろっていうの??

 14年前 主人が逝った 
そんな私を支えてくれたSが 
昨年八月に逝き・・・
そのSの葬儀で 二人で遺影に向かって
馬鹿野郎・・・後輩が先に逝きやがって と
悔し涙を流したのに それなのに
その涙も 乾いていないのに 何故?なんでよ???

 主人を亡くした後に 兄様と出会ったね
始めは見た目恐くて とっつき難くて
でも その垣根を越えると 根がとても優しくて
会えば 大丈夫か?飯食ってるのか? と
私の身を案じてくれて 
優しいね と喜んで見せると
照れ隠しに 「っんなんじゃね〜よっ」
て 照れ笑いして でも・・・
その優しさの後ろ盾は 奥様が癌だったんだよね

 後から聞かされた
いつか自分も という不安と覚悟
男として 夫として 父として どう受け止めるか 
優しくて 気の小さい処があるから
相当な逡巡を繰り返したでしょう 

 俺も癌家系だから 気をつけてる って云ったじゃん
本当に 殿方は病院嫌いなんだから・・・

 主人も居ない Sも逝った そんな私を
本気で心配し 可愛がってくれたのに
「お前は 俺の女だろ」と云ってくれたのに
病気だと知らされる前に こんな事に なるなんて

 私が関ったから 貴方は逝ってしまったの
だって 主人だって Sだって 挙句M兄まで
私が何をしたのっ?! それとも何もしなかったの?

 御通夜の会場は Sを荼毘に付した処
たった七ヶ月で 一年以内で また・・・
自分が好きだった 愛しかけていた 相手が
どんどん先に逝ってしまう 
私は 疫病神? 死神?

 Sが逝ってから Sが好きだった煙草を
線香代わりに吸ってます だけど M兄?・・・ 
貴方は数年前から きっぱり禁煙してたじゃん
金が無ぇからって・・じゃなくて 
健康を案じて・・・だった筈だよね
酒の量も減らしてる とまで云っていたのに・・・

 悔しいよ 哀しいよ せんないよ 寂しいよ
どんな言葉を呟いても 大きく広がった心の穴は
埋まらないよ どうしてくれるのよ・・・馬鹿野郎・・・
体が 時間が動かないよ 心が固まって・・・

 酒と煙草の量が増えたよ 寂しくて切なくて
貴方が甘やかしたから 全部他人のせいにしてるよ
そうでもしないと 遣り切れないんだもん

 貴方との思い出を語る相手も居ない 独りぼっち
でも 貴方を知る 皆が皆 そんな想いを抱えて
今年の桜を見上げているのでしょう
貴方と過ごした 時間を見つめ直しながら

 今年の桜は 見られない・・綺麗過ぎて
人は 悲しい事があった時 目に写るものが
異様に綺麗に見えるんだって 教わったよ
 

 貴方の あの 照れくさい はにかんだ笑顔
あの笑顔が もう一度見たいよ・・・



【女性、40代】 2016.04.04

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大好きな君へ。

君がいなくなって、一年とちょっとが経ちました。
そして、今二回目の春を迎えています。
私と君の関係を形容する言葉ってなんだろうね。
家が隣だったから、いつも一緒にいたね。私と息子と君との三人
の秘密、たくさんあるよね。何個かは君のママに教えちゃった
けど、でも守ってる秘密もたくさんあるよ。
親子ほど年齢も離れてないから、近所の子供って感覚でもないし。
でも、姉弟ほど、年も近くないから、弟って感覚でもなかったし。
君が亡くなったとき、周りから、我が子のような存在だった
でしょって言われたけど、
我が子って感じでもなく。
でも、私の息子にとって、君はお兄ちゃんでした。
今でも君の声を鮮明に思い出します。
ようやく、君がいないって事を理解できたと思います。
君を守れなかったこと、後悔しても後悔しても後悔しても
足りません。
あんなに、優しくしてくれたのに。あんなに、大好きだよって
笑ってくれたのに。会いたいです。まだ、気持ちの整理は
つきません。心の中、真っ黒です。君を失ってしまった現実が
憎くて、真っ黒です。今の私を君が見たら悲しむだろうな。
どうか、君が来世で、君のその優しさと明るさで、たくさんの
人に愛されて幸せな人生を送れるように、今日も祈ります。



【女性、20代】 2016.03.30

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おじいちゃんへ

私が生まれた時から、もうすでに腎不全にかかっていた
おじいちゃん。でも、会いにいくたびに、病気なんて
かかってい無いんじゃないかって位、元気な笑顔を
見せてくれたよね。

おじいちゃんが成人の日の真夜中に、倒れたことを
聞いた時は、すごく嫌な予感がした。意識も無くて、
話すことができなくて、空っ風のような虚しい思い
だけが胸に広がっていった。

数日後に、旅立っていったね。春の彼岸の今、後悔の
気持ちでいっぱいです。私が貴方に会って話したのは、
此処から居なくなる2週間前だったね。

貴方のその笑顔も、飄々とした性格も、毎年お正月に
作ってくれたお寿司の味も、教えてくれたことも、
全て忘れない、永遠に。

しかし、貴方の死は、私に、命の大切さと、毎日を精一杯
過ごさなければいけないことを教えてくれました。

私は春に小学6年生に、妹は小学1年生になります。
お父さんは単身赴任で茨城に行きますが、家族全員で
仲良く過ごしていきたいと思います。



【女性、10代】 2016.03.21

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つばさ君へ

もうつばさ君がいなくなって1年たつね。
この1年とっても悲しくて、寂しくて、ずっと泣いてた。
なんでいなくなちゃったの?

とっても辛いよ泣
戻ってきてよ、、、、
先において行かないでよ泣

昨日夢に出てきて『俺は心の中にいるよ』って言ってくれて
とっても嬉しかった。
あんな事故にあわなければつばさ君はずっと隣にいてくれたのに、、、、

なんで?
なんで、つさば君が死ななきゃいけなかったの?

神様、つばさ君をかえして泣
それか、もう一度でいいから会わして?泣

つばさ君、ごめんね。 
それから、ありがとう。
こんなうちを好きになってくれてありがとう。
これからどんなことがあってもつばさ君のことは一生わすれないよ。

どうかこのメッセージが
つばさ君と
神様に届きますように。



【女性、10代】 2016.01.04

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おじいちゃん、ごめんね

今更、謝っても遅いと分かっているけど

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

あの頃の私は子供で、何もわかって居ない

死ぬことや生きること全部理解していなかった

そんな幼い時期だったと思う。

だから、今こうして悔やんでも自業自得。
あの時の私がもっと良い子で理解していれば
おじいちゃんは生きていたのかも、
死ぬことなどなかったのかも、

本当に馬鹿なことをしたと後悔しています。
側に一番居て、ずっと見ていたのに何一つ
私は気付かなくて、助けることが出来ずに
おばあちゃんの帰宅までおじいちゃんを
放置して遊んでいました。

小学生の私には痙攣の意味など深く知って
居ませんでした、震えているただそれだけしか
思わなかったです。異変は何度も今思い返せば、

たくさんあります…
あり過ぎて、苦しいです。
自分が連絡して救急車を呼んでいたらと思うと
胸が張り裂けそうに苦しいです。
命の重みを今更感じました、後悔しても
おじいちゃんは戻って来ないと分かっていても
あの日の出来事やお葬式、告別式の内容は
鮮明に覚えています。
あの頃の記憶は無いのに、忘れられません。

自分が憎くて、悔しいです。
肺炎でも少しは助けられたのに何一つ出来なかった
自分が大嫌いで、許せません。
謝っても意味無いのに私には謝ることしか出来ません。

おじいちゃんを想って泣くことしか出来ません。
あとは笑って過ごすことしか出来無いのかな?
一緒に過ごして居たかったあの時を戻せない気持ちを
忘れないで生きるしか、自分が幸せになるしか私は
出来ないのかな?

おじいちゃん、会いたいよ、
ごめんね、こんな孫で、いつか会いに行くまで
私を忘れないで、覚えていて、あの笑顔で会おうね。



【女性、10代】 2015.10.06

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y兄ちゃんへ

久しぶり。兄ちゃんが癌でなくなったあとに、不妊の私が子供を
授かって、男の子だってわかったら、みんな生まれ変わりだって
言ってて、それから、出産まであっという間だったよ!少しの間、
つらいこと色々、忘れてた。
いつも笑ってた兄ちゃん。料理長でその土地で有名になった
兄ちゃんが、弱音を吐いてる日記を見つけた時は、もう亡くなっ
た後だったし、もっと親身に聞いたりまだ出来たことはあるん
じゃないかっておもった。


ずっと理解者だった。私の結婚を一番楽しみにしててくれて、
おい、うちの式場で挙げたら、フルコース作るし、なんでもする
ぞ、なんて話してた。もう一度料理する為に、病院抜け出した
こともあったょね(笑)
本当に料理が全てだったね。よくしゃべる兄ちゃん。明るい
兄ちゃん。
やっと結婚式の話が進んできたょ、最近。
でね、見に行ったところの料理長がでてきて、色んな話を聞かせ
てくれたの。楽しそうに話してた。

兄ちゃんを思い出して、泣いてしまって心配かけたよ(笑)こんな
風に働いてたのかなぁって。その人も本当に幸せそうで。だから、
そこに決めたんだ。そしたら、その式場が兄ちゃんの職場と同じ
名前?なんだって!!
母が言ってて驚いたよ!しかも兄ちゃんの大好きだったピンクが
いっぱいだったんだ★

ここがいいよって暗示なのかな?(o^−^o)
結婚式では、にいちゃんにも手紙を読みます。

あ、地方へ嫁いだ私と兄ちゃんとの、命の文通も一生とっとくね
(*^^*)これだけが支えなの!

そんで、私の身体の病気が治って歩けるように、子育てが出来る
ようになるのを見守っててね。不治の病になんて負けないから!!
(笑)

ちなみに、兄ちゃんの生まれ変わりの息子は本当に手のかからない、
いいこだょ(*^^*)順調過ぎる人生をあの子は歩んでるけど食欲が
すごい!(笑)
将来は料理人になるのかな?(^_^)


ねぇ、頑張るからさ、本当に守ってね!あたしはまだ病気なんか
じゃ死ねないんだょ!生きなきゃだから!(笑)

兄ちゃんのぶんも、息子のためにも、沢山の愛する人達のためにも、
頑張るからねっ!
たのむよー!!



【女性、20代】 2015.10.04

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三ヶ月

今日で93日目。三ヶ月です。

相変わらずの猛暑続きですが
そちらはどうですか?


仕事や生きていく術を
いつも教えてくれて
いつも私のそばにいたあなたが
もういないなんて
本当に残念でなりません

会いたくて会いたくて
こんなに悔しくて寂しい思いは
初めてです。

何かある事にあなたを思い出し
なぜ?どうして?そばにいないの…
と思い悲しくなります。

あなたが来てくれたあの日。
あの日に戻れたら…戻れたら…と
思い続け現実に戻る毎日です。

話したいことは増えていくばかりです。

どこかで生きてくれている
ただそれだけで幸せでした

困ったとき、辛いとき、
電話でしたが安心できました

あなたからの言葉だから
なにもかもを
私は受け入れられたんです

私はあなたにとって
どんな存在でしたか?

夢でもいいです。
どうか教えてください…。



【女性、20代】 2015.08.08

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大好きなばばちゃん

ばばちゃん、小さい頃からワガママばっかりで、大人になって
からはいつも小言ばかり言ってごめんね。

大好きなばばちゃんにはいつまでも元気でいてほしくて、
ついつい頑張れって言ってしまいました。

本当は、今までたくさんの苦難を乗り越えてきたばばちゃんは、
誰よりも頑張ってきてたよね。

今の私の後悔は、なんでもっとばばちゃんにとって最善な最期
を迎えるために主治医と話合わなかったかということ。
やさしくて人に意見できないばばちゃんの代わりに、看護師で
頼りにしてくれてたのに、なんでもっと力になってあげられ
なかったんだろう。

そして、毎週電話してたのに、自分の結婚が近付いたら忙しいの
をいいわけに、電話しなくなったこと。
でもばばちゃんは一言も文句を言わなかった。

寂しかっただろうな、もっと帰っていればよかった。もっと近く
でおしゃべりしてたかった。


こんなダメな私なのに、可愛がってくれたばばちゃん。
私は本当にばばちゃんが大好きだよ。
夢にもよく出てくるよ。
私はばばちゃんのこと忘れるわけないよ。
だから安心して。
ばばちゃんの孫に産んでくれて神様ありがとう。

本当に会いたいよ。

前みたいに電話で他愛ない話ししたいよ。

天国では楽しく過ごせてる?
おじいちゃんには会えた?

いつか、いつの日か会ったら、ばばちゃんの人生の話、たくさん
聞かせてね。

まだまだばばちゃんの死は受け入れられなそうだけど、
泣いてばかりだけど、
見守っててね!



【女性、20代】 2015.07.13

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その他の文集

 

あの日からもう62日目。
2ヶ月が過ぎました。

旦那さんから連絡をもらって
お見舞いに行く前日
亡くなってしまった。

最後に会ったのが10日前でした。

後悔してます。
もっと楽しい話たくさんしたかった。
私はいつも愚痴ばかりで
あなたを頼ってばかりいました。

わずか出会いから四年半でした。
もっと教わりたかったことも
話したかったことも
行きたかった場所も
たくさんたくさんあったのに。

毎日、私は問いかけます。
元気ですか?
そちらからの景色はどうですか?

2ヶ月が経っても
昨日のことのように
思い出します。

毎日思い出しては泣いてます。

笑わなくちゃって思っても
涙が出てきます。

会いたいです。



【女性、20代】 2015.07.08

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じーじへ

もう大学生になりました。 
入学式は見ててくれたかな?そちらの暮らしはどうですか?
あれから3年くらい経ちましたね。
時々じーじのこと思い出して泣くこともあるけど少しずつ
立ち直ってきてます。
友達はたくさんできたし、部活でいい先輩にも恵まれてるよ。
毎日が楽しくて、幸せです。
希望の大学に入れて…本当に充実してます。
将来の夢も見つけたよ。
…あのね、中学の英語の先生になりたいんだ。
じーじなら何て言ってくれてるかな?
どんなに大変でも頑張るから。見守ってて。
まだまだ話したいことたくさんあるよ…
会いたいよ…。寂しいよ…。

でもね。いつかは会えるから。その日まで精一杯生きるから。
じーじに胸張って会えるように頑張るからね。

絶対に先生になってみせるからね。



【女性、10代】 2015.06.09

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その他の文集

大好きなおじいちゃんへ

今日、おじいちゃんの葬式が終わったよ。
昨夜の嵐とは一変、輝く青空の眩しい日でした。
こんな日に、おじいちゃんが天に昇れて良かった。

おじいちゃんが一番可愛がっていた弟、
お見舞いに行けなかったことを、とても後悔していたよ。
会いに行こうと思っていた日の朝、
おじいちゃんの訃報の電話を弟が取ったんだよ。

悲しかったと思う。
悔しかったと思う。
あと三ヶ月でおじいちゃんに結婚式の晴れ姿を見せられたのに。

婚約者のお嬢さん、とても素敵な方だよ。
おじいちゃんに会わせたかったな。
おじいちゃんが病状が良くないのではないかと疑ってしまうのが
怖くて、紹介したり、お見舞いに行けなかったんだって。

おじいちゃん、天国から見守っていてね。
みんな、おじいちゃんのこと大好きなんだよ。
いっぱい愛してくれて、ありがとう。



【女性、30代】 2015.05.14

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その他の文集

今日だけ…

今日だけ、こちらに書かせて下さい。

私が幼い頃亡くなったおじいちゃん
バイトばかりで会いに行かなかった時に
亡くなったおばあちゃん
私の娘(曾孫)が生まれてやっと喋り出して
きた頃に亡くなったおじいちゃん


母方の祖父母に、私の可愛い娘、
見れてないから見せたげたかった。

父方の祖父には、せめて娘が
今くらいおしゃべりになるまで
生きていてほしかった。

いつまでも、私と娘を見守っててね。

お父さん、お母さんは
おじいちゃんおばあちゃんが私を
可愛がり甘やかしていたみたいに
孫バカになっていますよ。

私が死ぬまで、まだまだだけれど
会える日を楽しみに
それまでは必死に生きます。

こんな事直接言った事なかったけど、
おじいちゃん、おばあちゃん
大大大大大好きです。

じゃあ、またね。



【女性、20代】 2015.04.20

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その他の文集

祖母へ

おばあちゃん。
あなたが亡くなってから、もう八年が経ちました。
私の振袖姿を見せてあげる事ができませんでした。
おばあちゃんがもう長くないと知った時、「まだ振袖姿を
見てもらってないよ」と思わずにはいられませんでした。

あなたの病室にみんなが集まった時、妹が泣きながら
同じ事を言っていました。「おばあちゃんはあたしが成人式に
行くまで元気でいるんだよ!」って。
セーラー服を着ていた妹は二年前に振袖を着て、今年の春には
社会人になります。末っ子の弟は立派に成長し、もうすぐ
スーツを着て成人式に行きます。大きくなった二人を、大人に
なった妹と弟を一目でいいから見てほしかった。

姉弟の中で、私が一番のおばあちゃん子でした。一番面倒を
見てもらって、惜しみなく可愛がってもらいました。
それなのにおばあちゃんに何一つ恩返しをできないまま、
一人前になったんだよと胸を張って報告する事もできないまま
お別れをするしかありませんでした。

おばあちゃん。あなたの孫達はみんな無事に大人になる事が
できました。いとこのお兄ちゃんは結婚して、来年には
可愛い赤ちゃんが生まれるそうです。きっと愛情深いあなたは、
顔をくしゃくしゃにして曾孫を抱いてあげた事でしょう。
元気だったおばあちゃんがいない事が今でも不思議で、
悲しくて仕方ありません。

おばあちゃん。
もっと長生きしてほしかった。私の振袖姿を、社会人になった
姿を見てほしかった。あなたのおかげで健康に育ち、
自分の力で生活できる人間になれた事を、生きているあなたに
伝えたかった。

本当にありがとう。大好きです。私はずっとおばあちゃん子です。
子供の頃から心配ばかりかけてきたけど、どうかこれからは
安心して私達を見守っていてください。



【女性、20代】 2015.01.05

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その他の文集

りょーちゃん

りょーちゃん、6ヶ月でお空にいってしまったりょーちゃん。
もう一歳になったね!あんよできるようになったかな?
イタズラいっぱいしてるかなー♪ハルもいっぱい走って
いっぱいイタズラしてるよー。りょーちゃんと一緒に大きく
なるって思ってたのになぁ。。寂しいよぉ。

この前りょうちゃんのパパとママと家族皆で会ったよ。
りょうちゃんも来てくれたかな。りょーちゃんのこと思ったら
悲しくなっちゃった。みんな6ヵ月のりょーちゃんで
止まってるんだ。一歳になったりょーちゃんに会いたいなぁ。

りょーちゃん、おばちゃんがそっちに行ったらまた遊ぼうね。
いっぱい抱っこさせてね。
その時までバイバイね。



【女性、30代】 2014.12.30

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その他の文集

祖父へ

空へ行ってしまって、今日で一ヶ月ね。

9月の検診では疑いありだった癌が、10月にはもう末期癌に
なってみつかり、入院しなければ2、3日の命と言われて。
入院してひと月ちょっとで、行っちゃって。


おじいちゃんが居なくなってから、私、2日に一度は泣いて
いるんだよ。
居なくなってしまったなんて信じられないんだよ。

毎月届いていた手紙も、もう二ヶ月もきていない。
もうすぐクリスマスだよ。そしてすぐお正月だよ。
綺麗な筆文字のクリスマスカードと年賀状、また送ってほしいよ。


凄くいろいろ助けてもらっていたのに、私は何もお返し
出来なかったね。
手紙にも書いたけれど、それでもおじいちゃんのことは
とてもとても大好きなんだよ。

まだまだ涙は止まってくれそうもないけれど、そんな弱い私を、
どうかみていてね。



【女性、20代】

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その他の文集

M美恵子ちゃんへ

おーい!元気にしてる?
あれから半年だよ。長いのか短いのかわからないけど。
あれからずっと、ものすごーく大変よ。やっと生活出来ている
感じ。
知り合った時にはもう病と闘っていたね。現実見るのが怖くて
病気の事は聞かないようにしていた。だから完治はしなくても、
病気と一生付き合いながら長く生きていけるんだろうなと
思ってた。一緒におばあちゃんになれると思ってた。
最後のころ、体調良くないって、家の階段が登れないって、
心拍数が早いって聞いた時にはさすがにやばいかなと思ったけど、
また体調戻るって思ってた。元気になるって信じていたよ。
甘かった。ごめんね。
本当に亡くなってしまうなんて思わなかった。

息子君は野球のチームに入ったみたいだよ。上から見て知ってる
かな?無邪気でね、とてもかわいいよ。

Mちゃんのお母さんは神様っているのかしら?って思うって言って
たよ。非情すぎるって。
私それから考えたの、天使のようなやさしい神様なんていないわ。



※事務局より・・・「自分から見た相手」欄にチェックがなかったため、
         ここ「その他の文集」に掲載されています。



【 】

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その他の文集

一年

貴方が亡くなって今日で一年経ちました

お葬式が終わったら案外泣くこともなかったけど、
お盆にお祖父ちゃんに会いに行ったら一人で寂しそうで
私も辛くなりました。


今年、高校受験です。
高校生になった私を本当は見てもらいたかった

何も返せなかった。想いも伝えられなかった。


でもね、もう貴方には二度と会えない。声も聞こえない

優しい声で名前も呼んでもらえない



貴方のことを思い出にしたくない



【女性、10代】

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その他の文集

ありがとう、カセさん

お世話になります。
今月台風が2回も来ましたね、
最初の台風の6日の日が最後 、カセさんに会った日でしたね、

今日は現場での事を思い出してでは無いんですよ、
カセさんの亡くなった連絡を受けた日から今日もこれからも
考えると、悩むと思います。それでここに来ました。

あの日、会社で会いましたが大した話もせずにその日が
過ぎました。本当にごめんなさい、

たまに仕事で一緒になるときに色んな話をした程度だと思って
ましたが、それ以上に色んな話をしてましたね、

カセさんと仕事をしてるとき私は早く仕上げなければ後に
迷惑がかかるので、いつも急いで居ました。
ですが少し休んでいるとき話しかけてくれてたのを
思い出すんです。
くだらない話しから参考になる話し、

冗談まじりに言ってた治りかけの癌が抗がん剤も効かない
末期の状態で仕事してたとは知りませんでした。

本当にごめんなさい、

火葬も済み今はお兄さんの元で過ごして居るでしょうが、
カセさんに聞いた話はこれからも忘れないです。
大変お世話になりました。



【男性、20代】

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その他の文集

大好きなじぃじへ。

じぃじが天国へ逝ってしまってから2年ちょっと経つね。
肺癌と小細胞癌だったね。
進行は予想以上に早くて、最後は会話もできなくなって
しまったね。話せる状態の時に何も声をかけられないで
いてごめんね。

声をかけようとすると涙が溢れそうだったんだ。
ただ笑顔でじぃじの手を握っているので精一杯だった。
本当にごめんね。
すごく後悔しています。

じぃじが亡くなった日、私は学校、お母さんには仕事だった。
病院から「じぃじの呼吸がおかしい」 と電話があったから
急いで病院に向かった。じぃじが助かるところを想像しながら。
でも現実は違った。

病室に入るとみんな泣いていた。
こーちゃんもりょーちゃんも泣いていた。
心臓が止まるかと思った。
ベットの上のじぃじは動かなかった。
その人信じられないほど涙が溢れたんだ。

じぃじの手を握ったらほんの少し温もりが残っていた。
最後の最後まで癌と闘い続けたね。
「生きる」ことの大切さをおそわったよ。

じぃじがいなくなってからは泣き続けた。
もう誰とも話す気も起こらなかった。
神様を恨んだ。私の一番大切なじぃじを奪ったから。

もう、今年で18になるのにね・・・まだじぃじの死を
受け入れられていないところがあるんだ。
でもね、頑張ってじぃじわや分も生きるからね!

最後に。15年間可愛がってくれてありがとう。
じぃじの孫として生まれてこれたことを誇りに思っています。
大好きだよ。こんなに情けない孫だけど天国から見守っていてね。


                     あなたの初孫より。


【10代】

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その他の文集

ありがとう

20年ぶりの再会があなたのお通夜になるとは思いもしなかった。

作業中の転落死。

奥さんや子供さん達を残してあなたも死にきれない思いなんだ
ろうとやっとあなたの立場になって少しだけ考えられるように
なりました。

でもね、やっぱり残された者はなかなか前に進めない。

偶然にもあなたと再会したお通夜の日は、中学校の卒業式だった。
そう、20年前松林の中であなたが告白してくれた日と同じ。
少ないながらにも忘れられない思い出がたくさんあるよね。

口数の少ないあなたとの会話はほとんど覚えてない。でも、
あなたの事が大好きだった。

そういえば、あたし達はいつ別れたんだろうね。
若かった故によくある、自然消滅という別れ方なんだろうね。
友達から結婚したらしいよと聞いて何気にショックだったなぁ。
早くに父親になったみたいだね。お通夜の時に見かけた娘さんは
15歳だったもんね。

あたし、何が言いたいんだろう。

会えなくても生きててさえいてくれたらそれだけでよかった。

あたしも結婚して子供も3人できました。
とても幸せです。

あなたの死を経験して、死を身近に感じて、今の何気ない日常が
本当に当たり前じゃないんだと考えるようになりました。

文章に残すときれいごとのようだね。

もう2度と会えないんだよね。
こんなに悲しいのはまだ好きだったのかな。

生きてる時は理性が働いて恋愛感情なんてとっくに消えて
しまっていたのに。
他愛もない会話をして、過去をおもいだしたり、一緒に記憶を
たどりたかった。

もう何もできないんだね。

あなたの人生の中に、ちゃんとあたしは存在していましたか?
純粋に人を愛せていたことに心からありがとうと伝えたい。

こんな別れ方では、あなたへの恋心は一生消えそうもないね。
片思いしてるみたい。

何かを感じて、でも何も言わない主人は本当にやさしい心の
持ち主です。
家族に支えられながら頑張って生きていきます。

あなたは、奥さんと子供達をしっかりと見守ってあげて下さい。

ただ、あなたの死によって、あたしに与えた悲しみがどれほど
大きな事だったのかも感じてください。

乗り越えられるよう応援してください。

言いたいことがあるなら夢にでてきてください。

本当に大好きだったよ。忘れたこともないし、これからも
忘れない。泣き叫んだ日々に区切りをつけ、前に進みたいので
最後に贈る言葉は「ありがとう」にします。



【女性、30代】

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その他の文集

ゆかりへ

由香利と出会って人生が大きく変わりました。

ゆかりのことを支えるどころか逃げて、ゆかりは孤独感で
一杯だったと思います。あの日から一日も思い出さない日は
ありません。

ゆかりの死はいま俺に人生の再チャレンジの機会を与えて
くれています。

まだ会いにいきたいと思ってしまう時はあるけど、
最後にもう一度しっかり頑張ります。

どうかお母さんと安らかに。

陽介より



※事務局より・・・「自分から見た相手」欄にチェックがなかったため、
         ここ「その他の文集」に掲載されています。



【 】

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その他の文集

おじぃちゃんへ

もぅね、おじぃちゃんが亡くなってから年がたとうとしてる。
いつもね?辛いことがあるとおじぃちゃんを想いながら
泣いちゃうんだ。泣き虫だよね?ママやパパに怒られたとき
おじぃちゃんいっつも『おじぃちゃんがグーでやっつけて
あげる』って言ってくれたよね?嬉しかった。

おじぃちゃんのお見舞いに中々行けなくてごめんね?
おじぃちゃんが亡くなったあの日、パパにおじぃちゃんに
会いに行こって言われておじぃちゃん帰って来たんだ!って
思った。けど、yukaが見たのはすでに息を引き取っていたね。

おじぃちゃんはさ、yukaが風邪をひいたりするとyukaの
遊び相手になってくれたよね?

たまにね?おばぁちゃんと、おじぃちゃんの話してるんだ!
おばぁちゃん、おじぃちゃんの事いーっぱい言ってるんだ
(悪い方にね笑)

Yukaはもうすぐ中学2年生になるんだよ!早いよね。
おじぃちゃんが亡くなったのがつい昨日に感じる。中学に
入ってから沢山の友達ができたよ!おじぃちゃんにはせめて、
小学校の入学式見てもらいたかったな!

何度も何度もおじぃちゃんを想いながら泣いちゃうyukaだけど、
おじぃちゃん!ずっとずっと空からyukaの事見守ってて!
大好きだよ!誰よりも!ママとパパよりも!

今は、俊も泰も生まれて賑やかな生活だよ!おじぃちゃんが
いたらもっと賑やかかもね笑

ここに書けばおじぃちゃんに伝わると思ったから書きました。
もう一度言うね!おじぃちゃん誰よりも大好きだよ!

Yuka



【女性、10代】

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その他の文集

じぃちゃん

じぃちゃんが亡くなってもう1年経つんだね。
私、ママになったんだよ。見てくれてるかな?
誰よりもひ孫を楽しみにしてくれてたね。
【べィビーはまだか?】って茶目っ気たっぷりに聞いてくれた。

まさか赤ちゃん出来たよの報告を意識のないじぃちゃんにする
とは思ってもみなかった。
抱っこさせてあげたかった。
ごめんね。

あの時お腹に居た赤ちゃんもう5ヶ月になるよ。
いっぱいニコニコして可愛いんだから。
たまには逢いに来てね。
そうだ!暖かくなったらお墓にも一緒に行こうと思ってるよ。
楽しみにしててね。

最後になっちゃったけどじぃちゃんが
私のじぃちゃんで本当に良かった!!
今度はお空の上見守っていてね。



【女性、20代】

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その他の文集

おじいちゃん会いたいよ

何気なく見つけたこのサイト
まさか自分が書き込む日がこんなに早く来るなんて
思っても見なかった。

今日1月20日
朝9時30分

大好きなおじいちゃんが亡くなった。

お正月に帰省した時は元気だったのに。

一週間前に電話した時は笑ってたのに。

明日、おじいちゃんの顔を見に帰るよ。

おじいちゃん

今日、いっぱい泣いたから、明日のお通夜とお葬式は
頑張って笑うよ。

おじいちゃんが心配しないようにね。



【女性、30代】

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その他の文集

父の祖母がなくなって約2年

 祖父と祖母がなくなって、約2年が立ちました。私は未だに、
祖母がなくなったのか信じられません。
引き金になったのは、5年前の弟の交通事故がきっかけでした。
弟は未だに、植物状態で、いつ急変するか、わかりません。
そのことで、母と祖母がもめてしまい、祖母は癌になり、
2012年の2月になくなりました。祖母も正直、弟のことを
きにしており、無理な体で弟の見舞いにも、いきました。
祖母がなくなった時期は丁度私が結婚を前提にお付き合いする
かたが、できた時期があって、正直ひ孫みせられない、無念さが、
ありました。

 私は弟と祖母の変わりが、出来れば、なれればと今でも、時々、
思います。弟は、頭がよく、将来は大きい会社で、バリバリ
できる力が、ありました。祖母は父親や、伯父達のかけがえの
ない人で、親以上、もしくはうまくいえませんが、体でいえば、
心臓みたいな立場だったかもしれません。正直、私は父や母に
弟の話を聞く度に、自分が、弟や祖母のかわりになれれば、私が
死んでもみんなが困ることは、ないなと思いました。そんな時に
今の彼女と出会い、私のことを思ってくれる人がいて良かったと
思いました。ですが、父親と母親は反対しており、色々と言われ
ました。でも、私はその彼女がいてくれて、今では彼女のため、
そして、亡くなった祖母や、今、植物状態になっている弟の分
まで、楽しく、そして、つらくなっても、元気に生きていかな
ければ、ならないと思いました。

 これから、色々と人生ありますが、今後、今の彼女と一緒に
暮らして支えられる夫として、頑張りたいと思います。



【男性、20代】

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その他の文集

バーバ

先日、祖母が他界しました
まだ78歳でした
今年のお正月に会いに行ったら元気に笑顔で迎えてくれました

私は毎年、正月と盆に一回ずつ行っているのですが
今年に限って夏に会いに行きませんでした、友達と遊びたかった
からです
そしたら十月に亡くなってしまいました
亡くなって二日後会いに行きました

とても痩せてしまっていて、30キロも痩せてしまったそうです

夏に会いに行っていれば、と今でも後悔しています
 
お葬式では涙を堪えていました、祖父は私達の前で一度も涙を
見せなかったから
一番辛いはずなのに、笑顔で
祖父はもうすぐ誕生日でした、命日の九日後
一緒に祝おうねって約束したって

バーバ
大好きだったよ
今までもこれからもずっと
今までありがとう、安心して休んでね



【女性、10代】

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その他の文集

おばあちゃん好きやでっ

おばあちゃん、おばあちゃんが居らんくなって、
もう、めっちゃ経つなぁ。

小4の時やったから、もう3年くらいやね。

めめはもう中1になったよ。

こんなこと言ったらあれやけど、おばあちゃんのこと、
最近はあんまり思い出さんくなってん。

でも、思い出せば思い出すほど悲しくなります。

よく家に泊まりに来てくれて、おもちゃとか洋服とか、
いろいろ買ってくれて、お喋りも面白くて、

気さくで、めっちゃフレンドリーなおばあちゃんが
めっちゃ好きでした。

特に、ママとおばあちゃんと3人でよく出かけたね。

喫茶店入ってチョコレートパフェ食べたり、ちょっと良い服
買ったり、すごい楽しくて、その日がいつも楽しみでした。

それから、毎年旅行も行ったね。

めめが初孫やったからかな?

多分一番いろんなところ連れてってくれたり、
可愛がってくれてありがとう。

病気やって分かっても、いつもスポーツジムにかよって
水泳してるおばあちゃんのことやから、すぐ治るもんやと
思ってた。

そしたら、たった一年くらいで天国にいっちゃんたね

そのときはよく分からんくて、全然悲しくなかったけど、
だんだん、寂しくなってきたんよ。

本間にありがとう

めっちゃめっちゃ大好きやで!



【女性、10代】

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その他の文集

 

先生…天国に行ってから1週間余りが過ぎました。

今どこにいますか?

会いたくてたまらないです。

うちが中学高校の時にはずいぶんお世話になりました。
いつものようにあきよしって呼ぶね。

大学卒業して、介護の道を選んだ私。
あきよしには少し反対されていました。
それでも、介護の道を選んだ。
人間関係、仕事が上手く行かないときに、あきよしに
電話しましたね。

本当は、誰にも相談するつもりはなかった。
でも、精神科に行くようになって、あきよしと△△を
思い出した。
思いきって電話してよかった。

涙ながらに話した私。きっと辛いのが分かった時嬉しかった。
あきよしの家が介護の施設だから、おいでって言われた時に、
辞めて、あきよしの所にいけばよかったと後悔しています。

久しぶりに電話したら、学校をやめたのこと。
外で逢いました。

あの頃のあきよしと違う半分以上小さなあきよしでした。
ビックリしたけど、あきよしは癌と戦っていました。 

もっと先生孝行しとけばよかった。
最後に会ったのは今年。
逢いたいなと思い、電話したいと思っていた手先に嫌な予感
した時に、新聞見たら、名前が有りました。

やっぱり逝っちゃった。と後悔と泣きたくなりました。

あきよし、会いたいな…

通夜で久しぶりに先生方に会えました。でもこんな場所で
会いたくなかったよ。

あきよしに最期の別れは辛かった。寝れませんでした。
最後まで心配かけてゴメンね。

出棺を見送ったけどまだいるような気がしたよ。

もう少し頑張るよ。

あきよしありがとう。
声が聞きたいです。

また書くね。 



○○○より



【 】

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その他の文集

おばあちゃん

おばあちゃん、元気?
いま、おばあちゃんのことを考えとるんや。

おばあちゃんが天国へいって一年半たったね。
あたしはおばあちゃんの最後の日に一緒にいなかったね。
お母さんから連絡が来たときに、なぜか涙がでるよりも
お腹のなかに重い重いものが落ちてきた気がしたんや。

おばあちゃんが体調悪くなる前に、もっと話したかった
もっと会いに帰っていれば良かった。

おばあちゃんはあたしに怒ったことがなかった。
いつもおばあちゃんはてきぱきと動いて、毎日働いて、
ての先が荒れてたね。
単車で集金するおばあちゃん、小学校の帰りしに単車に乗った
おばあちゃんに出会ったときの嬉しかったこと。

おばあちゃんはいつもあたしを偉いね、と誉めてくれた。
大学にいくときも、この職業ならば将来も安心やからね、と
話してくれた。あたしを気にかけてくれた。
ずっと、ずっと。


いま、あたしは、おばあちゃんに胸を張れる生き方をしたい。
毎日せっせと働くおばあちゃん。無欲なおばあちゃん。

あたしも、そんな美しい人になるからね。
見ていてね。

おばあちゃん、めっちゃ大好き。
また大阪のお姉ちゃんらもいっしょに、すき焼きしよな。

このメッセージを、あたしのおばあちゃんに。



【女性、20代】

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その他の文集

萌(コ)さんへ

萌さん

初めまして。
私は現在貴方の婚約者だった彼氏とお付き合いしている
19歳の女の子です。

貴方が亡くなって6ヶ月が経ちました。
そして私達はお付き合いをして4ヶ月経ちました。

貴方が亡くなった2ヶ月後の今年の6月に
あなたの婚約者からプロポーズを受けました。

彼からあなたのことを少し聞かせてくれました。

初めて出会ったきっかけのこと。
エッチをした日のこと。
彼にとって貴方が一番思い出に残る去年の
クリスマスの日の夜のことも
貴方が死ぬ日まで婚約して1ヶ月だったことも
そして貴方と彼が一生で最後の約束を交わしたことも。
全部はまだ聞けてないけれど
色々教えてくれました。

まぢで結婚しようと思うくらい世界で一番
貴方が好きだったと言っていましたよ。

気が強くていつでも彼をリードしていた貴方なら
もうすぐに分かるよね。

私何度も何度もあなたのことを思い出してしまうの。
運命って神様ってどうしてこんな残酷な道を
作るのだろうと…。
私も受け入れられない、貴方の死。

あなたには生きていて欲しかった。
なぜこんなに思い合っていた二人が
死別という形で引き裂かれなければならなかったの…?

たった、数カ月前のことなのに
たったちょっと前のことなのにって
早く訪れる死を予想もつかなかったでしょうに。

私が貴方が生きていた頃の過去に戻って
教えてあげたいくらい、あなたに
戻ってきて欲しくて。

彼だけを置いて先に旅立つなんて
あなたたちの人生はこれからなのに、
これからが本当の幸せだったのに

いくら悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。

悔しい。悔しい
本当に悔しいです。

だから…次会える時まで
私が彼をそばで支えますね。

貴女の分まで彼と一緒に幸せになります。

どうか彼を守って下さい。
どうか私達を見守って下さい。


どうか、またいつか生まれ変わったら
今度こそ絶対に二人で幸せになってください。



もえさん、そして彼氏さん。
もうはぐれちゃ駄目だよ。



【女性、20代】

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その他の文集

つっちぃへ

つっちぃと最後に会ったのは、つっちぃが亡くなる3日前
だったね。亜衣ちゃんと一緒に店に顔出しにきて。

「つっちぃ バイク3万で売ってよ〜」って冗談言って
「またね」ってバイバイして

3日後、つっちぃが現場の足場から落ちて病院に運ばれて、
打ち所が悪く亡くなってしまった・・・


亜衣ちゃんは毎日泣いていた
そんな亜衣ちゃんを小林君は毎日電話をかけ、亜衣ちゃんが
泣いていると会いに行って慰めてた

そんな二人が色々ありながらも結婚し、二児のパパとママに
なって幸せに暮らしてる

きっと小林君は一生つっちぃの代わりに亜衣ちゃんを守ると思う

そして亜衣ちゃんも、つっちぃの事を忘れることはないと思う

私も辛かった

あんな別れ方で・・・・

それから数年後、今度は私が毅を交通事故で亡くした
嘘であって欲しかった

つっちぃの死に顔はとても綺麗で眠っているように見えた

でも毅の死に顔はフランケンシュタイン状態で、毅の面影
なんか一つもなかった

現実は辛いことばかり

でも、若くして亡くなったつっちぃと毅の分まで生きなきゃっ
て思うんだ

それが、私の供養

天国で二人してバイクに乗っているんだろうな

時間が来たら私もそちらへ行きます

それまで、少しの間 「さようなら」



【女性、40代】

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その他の文集

大切なひとたちへ

私は過去に大切な人を二人亡くしました。

ひとりは父。母や私たち姉妹に迷惑ばかりかけてきた父は、
私がハネムーンに行っている間に、入院中の病院で状態が急変し、
帰国したときには骨になっていました。

もうひとりは、年下の彼。突然の発症。手術したけれども半月
後に呼吸停止。身体をさすって何度も何度も名前を呼んだけど、
もう目を覚ますことはありませんでした。


沢山の月日が流れても、後悔は残りました。

ハネムーンに行く前日、入院先の病院に行ったのに、帰国後
ゆっくり会いにこよう、と顔を見ることもなく最期を迎えて
しまったこと。
亡くなる前日、お見舞いに行ったのに、眠っていた彼を病室の
外から眺めただけで会わずに帰ってしまったこと。

伝えたかったこと、沢山あったのに。
いまだに、あの時こうしていれば、という思いが込み上げて
きて涙が出ます。


あなたたちが私に教えてくれているのかな?
想いは、伝えるべきだと。
へんな話だけど、私はあれから、いつ自分が亡くなっても、
いつ周囲の大切なひとたちとのお別れの時が来ても後悔しない
ように、恥ずかしくても、愛してるよアリガトウと、伝えられる
ようになりました。
あなたたちの深い愛と感謝の気持ちが、私の中で生きているのかな?

一緒にいられなくて、とっても寂しいです。
けれど沢山の後悔と、愛と、感謝の気持ちを持って、あなた方が
こっちに来てもイイヨと言ってくれる日まで頑張るね。

本当にごめんね。
愛してるよ、アリガトウ。



【女性、30代】

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その他の文集

大好きなサトシお兄ちゃんへ

サトシお兄ちゃん

お兄ちゃんがそちらに旅立って まだ1週間・・・
今日が初七日です。
まだまだ 信じられません。産まれた時から一緒に育って
きたようなもので本当の兄の様だった。
従兄弟なのにこんなに仲の良い従兄弟っているのかなって
思う位に。なのに2年前 お兄ちゃんが精神的にとても辛い時に
大喧嘩をして、ささいな一言が許せなくって、連絡を絶って
しまった。あの時はお兄ちゃんは全身で助けを求めていたのに。
言葉や態度の裏にある本心を分かってあげれなくてごめんね。
でも 癌になって、お母さんから会いに行かないとって
言われた時はほんとに頭を殴られたみたいにガンガンした
・・・それで、ダメモトでmailをしたらすぐに返事をくれて、
先に謝ってくれて・・・

久しぶりに病室で会ったら、お兄ちゃん泣いて謝ってた・・・
私だって悪いのに

お兄ちゃんは家族に見放されたと思って辛かったのに私まで
つき離してしまった自分が許せないよ。
本当にごめんね。会いたくて会いたくて仕方ないよ。
亡くなる前々日はまだまだ頑張るって言って、一生懸命 
体の向きを変えたりして頑張ってたのに。
心無い医師の一言で意気消沈してしまい、翌早朝に一人で
ひっそりと息を引き取ってしまった・・・
一人で逝かせてしまってごめんね。怖かったよね。
小さい頃、私がわがまま言って泣いても おんぶしてくれたり、
たくさんのおもちゃくれたりしたよね。
大人になっても心の優しいお兄ちゃんに何度も救われたよ。
お兄ちゃんに言われた事ちゃんと守るからね。

おばちゃん(お兄ちゃんのお母さん)は会えたかな?
棺に入れたケーキ喜んでくれたかな?
なんで、こんな事になったのかな。うちのお母さん、
お兄ちゃんの事 自分の子供のように可愛がってたから
どうしたらいいか分からないって毎日泣いてるよ。
あたしもお兄ちゃんの最後に会った日の会話、お兄ちゃんの
表情を思い出しては涙が止まらないよ。

お兄ちゃんの大好きだった友達も沢山来てくれたよ。
みんなお兄ちゃんの心に近いところにいてくれたんだなって
分かった。だから すごく嬉しかった。

一生懸命 現実を受け止めようとしてるけど まだまだ 
無理みたい。自分に起きてる事を理解できない。
お兄ちゃんの病気が分かってから ずっと 神様にお願い
してきたのに・・・

きっと おばちゃんがもういいよって迎えにきてくれたん
だよね。辛い治療だったもんね。

お兄ちゃん 大好きだよ。お兄ちゃんに言われた通り 
娘も大事に育てていくからね。
大きくなったら、大好きだったお兄ちゃんの話も沢山するよ。
ありがとう。メールも全部とってあるんだから!

夢でもいいから 会いにきて。

大好きだよ!!

大好き!



【女性、30代】

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その他の文集

よっちゃん

あのとき、騙してごめんなさい。
いくら、あなたがあのとき酒乱だったからといって
あの不意打ちのような私の行動は許されるものではなかったよね。
私はただ、少し眠りたかっただけなのに…。

友達の旦那さんにお願いしてあなたと話してもらっている間に
私は子供を連れてシェルターに入りました。
あなたから暴力を振るわれたわけでもないし、子供はあなたに
とても懐いていたのに。
お酒を飲んでいないあなたは、本当に優しい人でした。
お酒を飲んでいるあなたも本当はそれほど嫌いでもなかったの
知っていた?

私達は二人とも結核になって病院で知り合ったね。
そして二人とも「この人こそ、運命の人だ」と思って病院を
抜け出して一緒になったんだよね。
なのに…私はあなたを裏切ってあなたから逃げ出した。

保健士の「アルコール依存症者は、自覚がないから治癒は
難しい」という言葉と実家の母の「あんな男が父親では子供
がかわいそう」という言葉に惑わされ、
そして、私の結核の再発がダメ押しをして、あなたと別れる
ことを決断してしまった。
あなたがどれほど寂しがり屋であるか、あなたがどれほど私と
子供を愛していたか、知っていたのに…。

別居して2年後に離婚が成立したよね。
そのときもあなたが声をかけてくれたのに、固くなに黙り込んで
話さなかった私。
本当はあなたの胸に飛び込んで行きたかった。
これは嘘だよって言いたかった。
どうしていつもそんな風に自分の気持ちとは違う行動を取って
しまうんだろう。

そして、離婚から2年たったあの日、あなたは血を吐いて死んで
しまった。突然に…。
本当は待ってくれていたんでしょ?
あの街のあの駅に何度も通って、私が帰る日を待ってくれて
いたんでしょ?

私があなたの元を去ってちょうど5年たったその月を、何も
選んで逝くこともないのに…。
4月はあなたにとっても、私にとってもつらい月になったね。

他の夫婦とは違う私とあなたの関係をどう考えればいいのだろう。
こんなに複雑にしたのは、私だよね?
なぜこんなふうになってしまったのだろう。

結局、私達一緒に暮らしたのは3年と8ヶ月だったね。
もっと愛しあいたかったよ、よっちゃん。
もっとキスをしたかったよ、よっちゃん。

いつか私がそちらへ行ったら、
あなたと同じお墓には入れない私を、
あなたを裏切った私を、それでも迎えに来てくれるの?



【女性、50代】

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その他の文集

4日前に亡くなったおじいちゃんへ

私が産まれてきたことを喜んでくれてありがとう
毎晩子守唄を歌ってくれてありがとう
乳母車に乗せて、散歩に連れて行ってくれてありがとう
めだかを取りに連れて行ってくれてありがとう
おじいちゃんの散髪に連れて行ってくれてありがとう
ソフトクリームとお子様ランチありがとう
お風呂に入れてくれてありがとう
毎日、庭の掃除と家の掃除をしてくれてありがとう
真剣に叱ってくれてありがとう
随分大きくなるまでお年玉をくれてありがとう
私のバイクを洗ってくれてありがとう
布団を干してくれてありがとう
私がいらなくなった物を自分の部屋に大切に飾り続けてくれて
ありがとう
婚約者とご飯を食べてくれてありがとう
96歳まで生きてくれてありがとう
ピンとした背中を見せ続けてくれてありがとう
死ぬまで大好きでいてくれてありがとう

偏屈で頑固で、親戚兄弟にも縁を切られたおじいちゃんだった
けど、私にとっては最高のおじいちゃんでした。
しばらくは泣き続けてしまうけど、私の中におじいちゃんの
血が流れていることを誇りにして生きていきます。
本当にありがとう



【女性、30代】

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その他の文集

ひろ

 お彼岸ですね。

 今日、おねえとりゅうであなたに会いに行きました。

 気が付いてくれたかな?

 毎日忘れないであなたを思っています。

 あなたがいつも私の事だけを見ていてくれたように。。

 この間サッカーのちょっとした試合がありました。

 あなたがいたら、あなたの事だからバカみたく応援した

 でしょうね。

 結果は銅メダルでしたよ。

 そちらでは元気にしてるかな?

 いつになったらあなたに会えるんだろう。。。

 今でも大好きです。愛しているから

 手術の時はあなたを近くで感じました。ありがとう

 大好きなあなたへ


                     M



※事務局より・・・「自分から見た相手」欄にチェックがなかったため、
         ここ「その他の文集」に掲載されています。



【 】

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その他の文集

あいきへ

あいきゎみんなを守ったね

自分より優先に・・・。

どこまでも優しすぎだったよ

出逢ってもうすぐ1年だったね

一回別れたりしたね

でも・・・。
やっぱりあいき以外ゎ無理で
また付き合ったよね

色々あったね

ついこの前まで元気だったのにね

天国で見守っててね

いつかまた笑顔で会えるといいね



【女性、10代】

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その他の文集

じいちゃん

貴方が亡くなってからもうすぐ一ヶ月が経ちます。

二年も病院生活で辛かったよね。
正月とお盆の時にしか家に連れて帰れなくてごめんね。
病院を四つも回ったのに病気直せなかったね。
薬を沢山使ったりしたから手術とか出来なかったんだって、
ごめんね。

貴方の訃報を聞いたのは私が学校から家に帰って来たとき。
お母さんの車があって、私と一緒に病院に向かうのかな?って
思ってたの。
でも現実は違った。
せめて最期ぐらい傍に居たかった。
そんな我侭言っちゃだめだよね。
二年も頑張ったもんね?

今は新しいお墓を作ってるから家に居られるね。このGWは
じいちゃんの家にいたよ。

まだ、信じられないよ。
病院の506号室に行ったらまだじいちゃんが居そうだよ。
人の死って怖いね
時間はあっという間に過ぎていくんだ。
まだ四十九日を過ぎてないからばあちゃんの傍に居るかな?
初盆にはしっかり帰ってきてよね。

私ね?医者になりたい。
うんん、なる。
看護師のおばさん見てると凄く羨ましくなった。
何も出来ない自分が歯痒かった。
頑張る、私頑張るね。
応援、しててね。

生まれ変わったら、もっと良い人生送ってね。



【女性、10代】

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その他の文集

1カ月が経ちました。

不思議な関係の私達。
28年前に結婚し、15年前に離婚した。
いろんな愛憎があったけど、やっと3年前から
親友のように関わって自分をさらけ出せたのに。

いきなりバイクで事故で即死だって。
前の日の夕方、商店街で見かけてバイク乗りながら
手を振っていたのに。
それがあなたの最後の挨拶だったの?
750のバイク買ったのに、乗れなかったね。

私は、あなたの事故現場に毎週お花を手向けに行く事しか
できないです。

あなたはここ10数年難病になって、それでもへこたれず
あんなに生命力があったのに、何でこんな簡単に天国に
行っちゃったの。

私は、死ぬ事がもう怖くないよ。
勿論、自分で死ぬなんて事はしないつもり。

居なくなって、私はあなたに支えられていた事。
愛していた事を思い知りました。

今まで本当にありがとう。

私は、父を2歳の時に、姉を15歳の時に
みんなバイクで亡くしています。

あちらの世界でツーリングでもしているかな。
私もそちらに行った時には、一緒に行く事を楽しみにします。

今は、3人もバイク事故という
普通じゃない環境にいる自分を
どうやって立ち直らせるか思いもよらないけど
みんな、見守っていて下さいね。



【女性、50代】

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その他の文集

大好きなおじいちゃんへ

おじいちゃんがいなくなってからもう随分経つね。
おじいちゃんがいつも日向ぼっこしてたあの場所に、
あなたの姿がいまだに浮かびます。
どうしても伝えたくて、空の上のおじいちゃんに届くように
その場所で燃やした手紙、届いたかな。
どうしても謝りたくて書きました。

おばあちゃんが亡くなって一人になっちゃって、お酒ばっかり
飲んで…。
いつも訪ねて行くと酔ってて。
今までずーっと可愛がってくれたおじいちゃんが私に
「駄目な奴だ」なんて言うからショックで、つい乱暴にドア
閉めて何も言わないで帰っちゃったの本当に後悔してる。
いつも「また来るからね」って手を振って、おじいちゃんの
顔見てから帰ってたのに…。
酔ってたってわかってたのに…。

それから一週間後、一度も会わないまま、おじいちゃんは
おばあちゃんのところへ逝ってしまいました。

ごめんね。
おじいちゃん大好きだったよ。
おじいちゃんは私の自慢だったんだよ。
背が高くて細くてかっこよくて優しくて。
お酒大好きでよく酔っぱらってたけど、いつだって優しくて、
味方でいてくれたよね。
よく一緒に行った釣り堀、おじいちゃんがいなきゃ行けないよ。
小学校の運動会の時も、手を繋いで入場して一緒に玉入れして。
ほんとに自慢のおじいちゃんだったんだよ。

卒業式も入学式も結婚式もおじいちゃんに見てほしかったけど、
そこから見ててね。
月日は経っていくけど、もう一度おじいちゃんの大きな手で
頭撫でてもらいたいなって思ってるよ。
おじいちゃんからは生まれた時からずっと大きな愛をもらって
いました。

ありがとう。
ほんとにありがとうございました。
大好きだよ。



【女性、20代】

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その他の文集

ばあちゃん

昨日、お葬式済ませたね。
「あたしゃ、まだ死にたくない」が口癖だったのに
どうして、誰も見ていない時に亡くなったりしたんですか?
病院にかけつけた時は、すでに死亡宣告された後で。
寂しすぎます。
まだ受け入れる事ができません。
88歳。人は、大往生と言うけど、そうは思わない。
旦那を亡くし、ばあちゃんまで亡くした私の母は、もっと
苦しんでいます。
ごめんね、まだこんな話しかできません。



【女性、40代】

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その他の文集

おじいちゃんがくれたもの。

冬だったね。12月の曇った日だったね。

おばあちゃんが駆け込んできて、ママに
「おじいさんが、大変なんだよ」っていった。
よくわからないまま、ママは仕事場を飛び出してとなりの
おじいちゃん家に走っていった。

胸が、ざわざわして、嫌な予感はしたけど、きっとなんとも
ないだろうって、無理に思うことにして、二階の窓から妹と
庭をのぞいてた。

そしたら救急車のサイレンが聞こえて、こっちにこないでって
祈ったのに、うちの庭先に入ってきて、、
まさかね、まさかね、って無理になんともないふりをした。

頭に血のにじんだ包帯を巻いて、担架に座らされてた
おじいちゃんをみて、心臓が跳ね上がった。駆け回るママと、
心配そうに見に来た近所の人で、いつもの庭が不穏な雰囲気に
つつまれて、私と妹は顔を見合わせて、庭に出て行こうか、
迷った。

一生後悔するよ。あのとき真っ先に庭におりていって、
「おじいちゃん!」って呼べばよかった。あの時ならまだ、
私たちの声が届いたかもしれないのに。
それなのに、「まあ、大丈夫でしょ」なんていって、窓から
動かなかった私たち。目をかっと見開いて前を見つめる
おじいちゃん。

おじいちゃん、なんで庭掃除なんて、したの。足が弱ってたのに。
転んで、頭を打ったんだってね。もう動けなかったはずなのに、
自分の足でちゃんと戻ってきて、おばあちゃんに救急車
呼ばせたんだってね。

そういえば、何も自分じゃできないおばあちゃんをいつも
きびきびしゃきしゃきリードしてた、厳しくてかっこいい
おじいちゃんだった。
寒い日に、一人黙々と掃除してたんだね。

私たち孫が中学生を超えるころから、隣に住んでるのに
だんだんと疎遠になって、全然話さなくなってたね。部屋で
ぬくぬくテレビみたり漫画読んだりしてないで、庭に出て、
昔みたいに草むしり手伝ったり、学校のこと話したりいくら
でもできたはずなのに。

庭で芝生の手入れをするおじちゃんの小さくなった背中は、
本当はいつだって寂しそうだったのに、見て見ぬ振りしてた。
時間が限られてるってことから、目を背けてた。
あの日だって、私が掃除してれば、と思うと涙があふれます。

最近立て直したばかりの自慢の家を救急車で出て行った
おじいちゃん。
それっきりになっちゃうなんて。

きっと、さぞかしかえってきたかったんでしょう、入院して
から意識が戻らないまま、2週間以上もがんばって、
12月31日、大晦日の早朝、行ってしまったね。もう、永遠に
空白の時間を埋めることはできないんだって、やっとわかった。
小さい頃の忘れてた記憶が一気に溢れ出て、私たち孫のこと
大好きで、愛情をいっぱいくれてたんだってこと、今更理解
して。でも遅すぎたよ。
私は、ありがとうって言わなかった。
おじいちゃん大好きって言わなかった。

ママとおじいちゃんは、もうママが大学をでるころから仲違い
してたって聞いてた。でも、毎日毎日、おじいちゃんの病院に
通っていたよ。あんなに、おじいちゃんのことを大嫌い、
憎いって言ってたくせに、「目を覚まさないかな」って、
勝ち気なママが弱々しく笑って、いつもより優しくて、
胸が切り裂かれる思いがした。
ママと私たちの距離はすごく狭まって、みんな寄り添うように
それぞれの抱える思いに耐えた。

告別式の日、棺桶にお花を入れてふたを閉めるとき、ママは
「お父さん、お父さん、お父さん」といって泣きじゃくった。
ママがおじいちゃんをそう呼ぶのを聞いたのは、それが最初
で最後だった。いつもは、強くて怖いママが、そんな風に
泣き崩れ、すがりつくのをみて、私は一緒に泣くことしか
できなかった。きっと私には到底はかり知れない後悔と
寂しさを抱えていたんだと思うと、娘ながらママがかわいそう
で、どうしようもなかった。
きっと伝えたいことが山ほどあったと思う。私なんか比じゃ
ないほど。
でももう叶わない。

拝んでくださったお坊さんは、悲しみに暮れうろたえる私たち
に、光をくれた。お母さんは、お坊さんの脇に座って、仲違い、
後悔、言えなかったこと、すべてを打ち明けた。
それを聞いたお坊さんは、「これからでいいんですよ」と笑顔
でいった。
その本当の意味は多分ママにしかわからないんだと思う。

最後に泣いたのは、三回忌の日。頼りないおっちょこちょいな
おばあちゃんが、挨拶をしたとき。
他の親戚の、形式張って流暢な挨拶とは打って変わって、
つっかえつっかえ、聞いてるほうがヒヤヒヤするような挨拶
だった。

だけど、その挨拶は正直で愛情がこもっていて、私が聞いた中
で一番の挨拶だ。
「皆様、お忙しいところ、お集りくださってありがとうござい
ます。さて、早いもので、、、中略、、、最近、ようやく夫の
遺影を見ることができるようになりました。以前は、おじいさん
に、じっと見つめられるようで、寂しくて悲しくて、どうしても
目を合わすことができませんでしたが、やっと、気持ちの整理も
つきはじめ、おじいさん、と、声をかけ、顔を見て、向かい合っ
て、楽しかった思い出を毎日少しずつ思い出しては、おじいさん
と一緒になってよかったなあと、思っております。」

いつもいつも隣の家から丸聞こえだったじいちゃんばあちゃんの
口喧嘩も、「この、ばかせいが!」とどなっていたおじいちゃん
の声も、全部いとおしく思い出されて、涙がこぼれた。
それを聞いたお坊さんは、「そうしていつも思い出して思いを
巡らせることが、供養というものです」と、私たちに微笑んで
くれた。

なによりも、おじいちゃんの死は、ばらけ気味だった私たち家族
をぎゅっと近づけ、お互いへの愛情を再確認させてくれたと思う。
私は、そのことがあってから、時間の限りを知り、後悔のない
ように、言えるときにありがとう、大好きと、伝えることが
できるようになった。
それは、おじいちゃんが私に残してくれた、最大の贈り物だと
思う。

おじいちゃん、大事なこと教えてくれて、ありがとう。



【女性、20代】

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その他の文集

おばあちゃんへ

貴女が逝ってしまって、約4年が経ちました。
早かった…本当に早かった。

私はあの時の事、忘れられないよ。
6月のある日、学校からの帰り道。
家の車が迎えに来た。両親一緒に車に乗ってた。
嫌な予感…知りたくなかった。

「おばあちゃんが亡くなったよ。」

祖父母の家に向かう車。震えが止まらなかった。
降りて家に入る。空を切る両足。
ドアを開ければ迎えてくれるんだ、

「こんにちは、よく来たね。」と。

でも、それは叶わなかった。
ドアを開けた瞬間のむせかえるようなお線香のにおい。
眼に飛び込んできた、小さな布団。

あぁ…おばあちゃん、
貴方はこんなにも小さかったのですか?
こんなにも冷たかったのですか?

信じられない…信じたくない。
なぜ何も言ってくれないのですか?

あの日ね、私決心したの。
病気だった貴女を支えてあげられなかったから。
だから、私看護師になるのよ。
せめてもの恩返し…もう遅いけど。

そして今日も私は学校へ行く。
貴女との楽しかった思い出を胸に秘めて。


最後におばあちゃん
私は貴女の孫で良かった。
大好きです。



【女性、10代】

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その他の文集

天国で幸せに暮らしてください。

お会いしたこともないし彼から聞いた話でしかあなたのことを
しらないですが、はじめまして。

今あなたの孫とお付き合いさせていただいています。
今朝、彼からあなたが旅立ったことを聞きました。詳しいことは
きいてなく、ただ急に亡くなられたとメールに書いてありました。

多分今頃、彼のご家族もあなたの元へついた頃ではないでしょう
か。
多分泣いているのかな。

話で聞く限り、明るいお方と御察しします。
彼が生まれた時、マグロっていってたかな?大きなお魚を生で
北海道からわざわざもってきて、東京についたら鮮度がおちて
たってお話。
なんか彼と似ている気がします。

私は彼が大好きです。13で本当の好きなんて理解できないのかも
しれないけど、今、このうえないくらい彼が一番大切です。
あなたが彼のおばあちゃんと彼のお母さんを産んで、また彼の
おじいちゃんとおばあちゃんも彼のお父さんを産んで、恋をして、
結婚して、彼が生まれて。
それで私と彼が出会えて。
今私は幸せです。

あなたに心から感謝します。
ありがとうございます。
天国で幸せに、暮らしてください。



【女性、10代】

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その他の文集

しんや君へ

今頃、しんや君は苦しみも辛さもなく
心穏やかに過ごしてるのでしょうか?

私の伯父さん。


しんや君が失踪したと聞いたとき
誰もが「もしかして」と感じました。

数日後、無言の帰宅をしたしんや君を
ばぁチャンが叱ったね。
「ばかやろう!何寝てるんだ!」って。

どんな風に見てたのでしょうか?
どんな風に感じてたのでしょうか?


安らかな寝顔に、みんな・・
「起き上がりそうだよ」って。


しんや君の子供達は、ずっと不思議そうな顔で
お父さんを見つめてたよ。
そんな光景、しんや君は見てた?



姪の私が言うのもおかしいけど・・
しんや君はたくさんの不幸をしたんだよ。

しんや君の親である、じぃチャン・ばぁチャン。
しんや君の兄弟である、おんチャン・私の母。

そして、あなたの子供達、奥さん。

どれだけの苦しみを与えたか分かる?




仕事で苦しみ、病気に苦しみ、
追い込んでしまったんだよね。きっと。

耐えられなくなっちゃったんだよね。
前もって準備して、居なくなる前日に場所を決めて・・。

苦しくなかった?怖くなかった?



『ちょっと出かけてくるから』と
笑顔で出かけて行ったしんや君。


その笑顔といつか逢えるかな。


しっかり反省文書いて待っててよ。



【女性、30代】

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その他の文集

おじいさん

あなたは、私の就職が決まったとき一番喜んでくれた人でした。

私は思春期になるにつれ、あなたをどんどん恨んでゆきました。
あの貧しい暮らしもすべてはあなたのせいです。
この時代に貧乏という理由でいじめられることがありましょうか?
恨みました。

けれど、あなたがいなくなったとき涙が流れた。
あんなに憎かったのに、みんな泣きました。

破天荒で、無茶苦茶で、自分勝手だったおじいさん。
俺のようにはなるなと、ベッドの上で苦しそうに呟くあなた。

いなくなって初めて分かった。
憎んだし、恨んだ。
けれど、僕は本当はあなたのことが好きだったんだ。



【男性、20代】

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その他の文集

ヒカくんへ

名付け親であった私にあなたの死を知らされた二ヶ月前、
私の頭の中が真っ白になって腰が砕けた。。。

あなたは私の友の息子だった

あなたが生まれてからあなたの顔を1度も見る間も無く、
ヒカくんは逝ってしまったんだね。。。
もっと、早く逢いに行けば何かが変わっていたのかも
知れない。。。

私の付けた名が悪かったのかと何度もジレンマを起す
毎日です

でも。。。
こんな私の苦しみよりも計り知れないほど悲しんでいる
あなたのママがここに居るのに。。。

ママは泣きながらあなたに会いたがる

「私はどうしたら良いのでしょうか」
ママは私に救いを求める。。。

私はあなたのママに『ごめんね』と心の中で謝り続ける事
しかできないのです

何もできない私。。。
今苦しんでいるあなたのママを救い上げる事も。。。


ヒカくん
私はどうすればいい?
もし、すぐ側に居るのなら。。。
どうか私に教えて下さい



【女性、40代】

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その他の文集

おっちゃんへ(2)

おっちゃん、今何してる?
いつものように笑ってる?

もうすぐお盆だよ。
おっちゃんが天国に行ってから、初めてのお盆。
お盆の時期よりちょっと早くなると思うけど、お墓参りに行くか
らね。

この前おっちゃんの使ってたお財布をもらってきたよ。
おっちゃんが倒れて病院に行った時に持っていた財布。
そのまま天国に行ってしまったから持ち主がいなくなって困って
た財布。
私がちゃんと持ってるからね。
おっちゃんに会いたくなったらいつもそのお財布を見てるんだよ。
そんな私をおっちゃんは天国から見てるかな?

そうそう、この前買った宝くじ、おっちゃんの写真の裏に仕舞っ
ておいたから1万円も当たったよ!!!
ありがとう!
いっつもそうやって私達を助けてくれてたもんね。
絶対おっちゃんのパワーだ、って家族皆信じてます(笑)。
いつもありがとうね。

これからもよろしく!

天国から「仕方ない奴やなぁ〜〜」って声が聞こえてきそうです
(笑)。



【女性、30代】

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その他の文集

小さな魂のレクイエム

 母に命を絶たれた幼子の魂は
 母を慕って泣くという
 恨みとか憎しみの
 プログラミングされていない
 ピュアな魂は
 母を慕って泣くという

 水晶のように翳りなき魂の
 天国までの道のりを
 月よ その青白い神秘な光で照らせ
 鳥よ 賑わしく囀りながら飛べ
 そして 星よ
 その煌めく光でつつんでほしい



【男性、60代〜】

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その他の文集

おっちゃんへ

1週間前に病院で息を引きとったおっちゃん。
春休みにお見舞いに行った時は寝たきりでも元気にYやSが
つくったギョーザやハンバーグを美味しそうに食べてたのに。
「夏休みにまた来るからね!待っててね!」と言って帰って
きてすぐにおっちゃんが緊急入院したからGWに来て欲しい
と母親からの電話。
私達が行くのを待たずに天国へ行ってしまったおっちゃん。
ずるいよ。
バイバイってまだ言ってないよ。
言いたくなかったよ。
もっともっと長生きして欲しかったよ。
YやS、Jの成長をもっと見て欲しかったよ。
おっちゃんは実のひ孫のように私の3人の子供達をかわいがっ
てくれたよね。
住んでる所が離れてるから時々おっちゃんに送ったFAXを
きれいな箱に全部入れて大事に大事にしまってある、って後
から聞いて嬉しかったよ。

おっちゃんともっともっとたくさんおしゃべりしたかったよ。
もうおっちゃんの声を聞くことはできなくなったのが寂しい
よ。
でもおっちゃんの姿は目を閉じるとハッキリ浮かんでくるか
らそれが嬉しい。
いつでも会える。

私がおばあちゃんになっておっちゃんのところに行ったら
またいっぱいおしゃべりしようね。
大好きだった赤福を一緒に食べようね。
おばあちゃんになった姿を見ても驚かないでね。
早くそっちに行っておっちゃんに会いたいけど、私にはまだ
まだやらなきゃいけないことが沢山あるからもうちょっと
待っててね。

おっちゃん・・・
たくさんの優しさをありがとう。
絶対忘れないよ。
おっちゃんも私達のこと忘れないでね。
本当にありがとう。
大好き。



【女性、30代】

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その他の文集

大好きなおばあちゃん

あたしが19でおばあちゃんが85。
すっごい短かった。
まだまだずっと一緒にいたかった。
おばあちゃんが死ぬなんて考えもしなかった。

60代に見えるって友達にも言われて、背筋もピンとしてて、
背も高くてめちゃめちゃ自慢のおばあちゃんだったよ。
言いたい事はハッキリ言って、皆に優しく、親戚の中では
中心的存在だった、そんな凛としたおばあちゃん。

9月に倒れて一度入院してたけど、すぐ退院したじゃん。
でもそれからすぐに倒れて入院。
ずっと意識戻らなくて、病室だって用意してたのに。
ココでまたおばあちゃんと話そうね−なんて言ってたのに。
誕生日、意識ないまま迎えてさ、花とか飾ってくれたんだよ。
戻ったら祝おうとか言ってたのに。
1週間後に冷たくなった。
最初に倒れてから2週間。
お母さん達が見舞いに行って、おじちゃんも見舞いに行って。
大丈夫って誰もがそう思って、また話せる日を待ってたのに。

ありえない。おばあちゃんは病気で死ぬような人じゃないって。
どんな事があっても最後まで生き残る人だって。
元気だったじゃん。倒れる前に会った時だって、元気だった
じゃん。
すっごい笑って、あたしに成人のお祝いくれたじゃん。
振袖だっておばあちゃんが選んだじゃん。
2人で京都行こうねって言ってたじゃん。
まだまだ色々教えてもらおうって思ってたのに。
あんな広い家残してさ、いまだにおばあちゃんの匂いがするよ。
おにぎりだって超うまかった。
全てが大好きだった。

今でも大好き。ずっと大好き。本当はもっと喋りたかったけど、
次会う時はずっと先だよ。
あたし長生きするから。
ヨボヨボのお婆ちゃんになって会った時、また色々教えてよ。
それまで長いお別れです。じゃあね!!



【女性、10代】

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その他の文集

ばあちゃんへ

ばあちゃんへ

明後日がばあちゃんの四十九日、初めて礼服を作ったよ。
12月のあの日、ばあちゃんが自ら命を絶ったあの場所、何回か
不意に行ってボーとしてたよ。

最後の風景は何を見たのか、何を考えたのか知りたくて・・

今となってさ、もっといろんなとこ一緒に行きたかった、誕生日
一度もちゃんと祝ってあげれなくて、来年はなんて考えてたら、
結局、一度もお祝いできなかったね、ごめんね。

ばあちゃんが身内の自慢はしたくないけど、「うちの孫はいい孫」
って言ってくれてたんだね。何にもしてあげてないのにさ。

生まれたときからじいちゃんはもういなくて、共稼の両親だった
から、ばあちゃんがいつもそばにいてくれたよね。

だから、ばあちゃんがいるのが当たり前だった、実家に帰れば
ばあちゃんがいるって。

もう、いないんだよね、ばあちゃん・・・・。

四十九日は新品の礼服だから、ばあちゃん見てな。

ばあちゃんはずっと、俺のばあちゃんだから。

本当にばあちゃんありがとう。



【男性、30代】

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その他の文集

ありがとう

とうとう逝っちゃったね。
もう一度Y連れてお見舞いに行きたかったんだよ。
あれからたった5日で逝っちゃうなんて、想像もしてなかったよ。

寂しいね。今はもうどこにもいないんだもん。
朝、駅の改札やホームで会ってた頃が懐かしい。
今でもひょっこり現れそうな気がする・・・。
でもその反面、「もう二度と会えないんだな・・・」とも思っ
ちゃう。

Yの事、いつも可愛がってくれてありがとう。
Yもあなたの事が好きでした。
今でもあなたにもらった大きな花火の事を嬉しそうに話すよ。
もう二度とあなたに祝ってはもらえないけど、Yは来月5歳に
なります。

最後にお見舞いに行った時、あなたが私に「ありがとう」って
言ってくれた事、忘れません。

私のほうこそ、本当に本当にありがとう。
これからはお空でゆっくり休んでくださいね・・・。



【30代】

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その他の文集

じいちゃんへ

もう、じいちゃんが亡くなってから13年の月日が経ちました。

私が、悪い事をしても、

「警察の世話にはなるな。悪い男には騙されるな。」

と言ってくれました。

結局バツイチになってしまったけど、再婚しました。

子供も、もう6年生。男の子で現在反抗期だよ。

じいちゃんがあと2年生きていたら、ひ孫が見れたんだよ。

残念だったな・・・。

今は、家も買って、偶然にもじいちゃんが生まれた土地に住んで

います。

私は、色々資格取って頑張ってるよ。

国家試験なんかに受かっちゃったりしてさ。

じいちゃんとお酒を一緒に飲みたかったな。

じいちゃんは、初孫の私をかわいがってくれたんだってね。

ありがとう。

頑張るからね。

また、近況報告しますね。

では、また。



【女性、30代】

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また会いましょう 師匠

ずっと貴女に追いつきたかった・・・
いつか貴女に追いつきたかった・・・・―――――――

師匠は元気ですか?私は元気です。でも・・・、
半年前、師匠を失ってから・・・、
ハッキリ言って私の心は何か欠けています。
そう、まるで自分自身を失ったように・・・・―――――。

お父さんは小さい頃亡くなっていて、
お母さん以外の家族もいなかった私に、
生きることの素晴らしさを教えてくれたのは、
師匠、貴女でした。

お父さんがいない事を理由に、
「やーい、やーい、父なし子。」っていじめられていた、
私を救ってくれたのは、他ならぬ師匠でした。
師匠のお父さんが、私のお母さんの幼なじみ、と
いう理由だけで、私の兄のようになってくれた師匠は、
私にとって大切な存在でした。

弱気な私に、
「お母さんを支えられる、強い子になるんだよ。」と、
言いながら、いろんな事を教えてくれる師匠、
「ボクのお父さんも、キミのお父さんも、とっても強くて、
 カッコイイ警察官だったんだよ。」と、
昔の思い出を話してくれる師匠も、
「武道を教えてほしい?そりゃ空手とか習ってたけど
 ボクに出来るかな?」て、
言って笑う師匠も大好きでした。

なのに・・・・―――――――、
なぜですか?師匠・・・・―――――――。
なぜ、私をおいて逝ってしまったのですか?

私は無力でした。人ならまだしも
「心臓病」って・・・・―――――――。

なんで言ってくれなかったんですか、
もともと心臓病を患っていたって・・・・・。

なんで言ってくれなかったんですか、
体を強くしたくて空手とかを習っていたって。
体に負担がかかってしまうから、
大好きだったのに空手とかをやめたとか、
これ以上、体に負担をかければ命が危ないって・・・・・。

なのに私は・・・・―――――――。
すっかり体温を失った師匠の手に触れたとき、
一つの感情が胸をよぎりました。

―――――――ああ、無情・・・・―――――――。

こんな事、思うなんて、
生きることの素晴らしさを教えてくれた師匠に、
失礼だとは思いました。でも・・・・―――――――。

言葉が届かない。もう伝わらない。
ただ、やりきれない想いが、満ち溢れて、
すりぬけてゆくだけ・・・・―――――――。

ただ、
「キミは生きるんだ、昔のキミみたいに悲しんでいる人に、
 声をかけてもらいたい人に、たくさんの人に、
 キミは生きることの素晴らしさを教えるんだ。」
と、師匠が死ぬ直前に言った言葉が、
私が「師匠のぶんまで生きよう!!!」って、
思う理由に繋がりました。

まだ、師匠の最後の言葉である、
「じゃあ、先に逝くから。
 たくさん楽しんでいくんだよ。何十年後にキミが、
 あっちに来たら、いろいろ話してもらう・・から・・
 生きるんだよ・・・・―――――――。」
て言う言葉は、まだ心の中にしまえませんけどね。

また、会いましょうね、悟飯師匠。
まだ、24才だったのに、死んでしまって残念ですが、
悟飯師匠に数十年後会えることを楽しみにしています。

            貴女の弟子、美咲より



【女性、10代】

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その他の文集

空の向こうから・・・

ばあちゃん、あなたが逝ってからもう5ヶ月が経ったね。
もうそっちの世界には慣れた?

この前ばあちゃんのお墓行ってきたよ。お葬式以来だったね。
ごめんね。離れてるとはいえずっと逢いに行かないで・・・
私をずっと守ってくれてることはちゃんと分かってるよ。
ありがとうね。

死んでからまで心配ばっかりかけてごめんなさい・・・
私にとってあなたはほんとの親のような存在で、私には
お母さんが二人いるみたいで心強いよ!!

きっと今そっちから見て、私のこと心配して安らかに
眠っていられないと思うけど、私大丈夫だから!!

これを乗り越えていつか歳をとってばあちゃんのとこへ
逝った時は、よく頑張ったって私を褒めてね。

絶対私、頑張ってみせるから。
だって私はあなたの孫だもん。若い頃から、すごい
頑張ってたって近所の人達からいっぱい聞いたよ。

だから私も頑張るから、そっちから見ててよ。
また初盆に逢いに行くからね。
待っててね。



【女性、30代】

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その他の文集

ありがとう

かあちゃん、そっちに逝ってからもう3ヶ月が経ったね。
そっちで皆と逢えた?
ちゃんと楽しくやってますか?

お母さんと時々かあちゃんはもうどこ探しても居ないんだよねっ
て話してるよ。

ずっと私の事本当の親みたいに育ててくれてありがとう。
時々思い出して泣いてしまうけど、私の事これからも
見守っていてね。

私はかあちゃんが大好きだよ。ずっとずっと忘れないで
いるからね。



【女性、30代】

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その他の文集

ばぁちゃん、ありがとう

 もうすぐばぁちゃんとお別れしてから3年の月日が流れよう
としています。いまはどうしてますか?懐かしい人たちと再会
して楽しく過ごしているのかな?

 幼い時に3人の祖父母を亡くした私たちは、ばぁちゃんから
4人分の愛情をもらったね。94歳まで長生きしてくれてあり
がとう。

 3人兄弟の真ん中で我慢ばっかりだった私の大好物のチョコ
レートを、いつもおみやげにくれたね。毎回おみやげがチョコ
だったから他の兄弟たちは不満そうだったけど、私はほんとに
うれしかったよ。大人になってからもくれたね。いまもチョコ
食べるときはばぁちゃんのことを思い出します。

 寒い冬の夜に倒れて、しばらくして旅立ってしまったね。き
ちんとお見送りしたかったのに、妊娠中でお葬式に出られなく
てごめんね。亡くなったあとに病院から家へ帰ってきたばぁちゃ
んと少し会っただけで・・。家に帰る途中の電車の車内で、あ
ふれる涙を堪えるのが大変でした。
 
 亡くなってから出産するまでの間に、3回も夢に出てきてく
れたね。「安産やから大丈夫」って・・。おかげで初産のわり
には時間もかからず無事に子供が産まれたよ。初めてのお産で
不安なこともあったけど、ばぁちゃんのおかげで落ち着いて出
産に臨むことができました。ありがとう。
  
 いつも明るくひょうきんだったばぁちゃん。本当は苦労の連
続の人生だった、ってことを最近知りました。生きた時代はず
いぶん違うけど、自分の年齢とばぁちゃんの人生を照らし合わ
せて考えるときがあるよ。

 いろんな話、聞いておけばよかったな。また会えたらいっぱ
い笑わせてね。楽しみにしてるよ。

 ばぁちゃん、いろいろありがとう。たくさんの思い出を胸に
生きていきます。これからも見守っていてくださいね。



【女性、20代】

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その他の文集

U へ。

お互い卒業して10年が経とうとしています。
私はあなたがAちゃんと幸せに暮らしていると疑いもせず思って
いたから、子供が出来ていい男になったんじゃない?なんてごめ
んね。あの頃もう闘病生活をしていたのね。

Aちゃんはあなたが治る事だけを信じて、祈って来たから身内以外
には誰にもあなたの病を言わずにいたのね。てっきり2人目が生
まれたから引越しをしたんだと思っていたけど、階段を昇るのが
辛くなったからだったのね。知ったのはあなたの告別式でした。

あなたを思う時、浮かんでくるのは笑顔です。きっと私はあなた
の笑顔しか見た事がなかったんだと思うの。誰かがあなたを悪く
言う所もあなたが誰かの事を悪く言う所も見た事が無かった。
よく、亡くなった人のことは良い事しか思い出さないって言うけ
ど、あなたに限ってはそうじゃなく、あの頃からずっとそう思っ
ていました。

あの頃は友達の彼氏、その後は友達の旦那様。女の子ばかりの中
にいても溶け込んじゃうのよね。仲の良い2人を見てるの、好き
だったんだよ。

早すぎたね。喪中ハガキ見て涙が出たよ。Aちゃんが喪主なんてホ
ントに早すぎるよ。でも、頑張って頑張って、頑張って来たんで
しょう...。どれだけ悔しいだろうね。切ないだろうね。...
今はもう苦しくないよね。ゆっくり、ゆっくり休んで下さい。

何も出来ないかもしれないけど、どんな言葉も無い事は分かってる
けど、Aちゃんの事ずっと見ていくから。あなたが見守りたかった
だろう子供達も、ずっと見ていくから。私じゃ安心は出来なかった
ら、あなたもそこからみててあげてね。



【女性、20代】

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その他の文集

はじめましてだね

あの日、彼が泣きながら私に電話をかけてきたんだよ。
あなたが自ら命を絶ったという...

彼に知らせがきたのは、あなたが亡くなってから3日後だったけど、
聞いたときは一瞬体が凍り付いて動かなかった。あなたは、彼の隣
に住んでいて小学生の頃は一緒に勉強した仲間だって聞いたよ。

私も彼も声を上げてわんわん泣いたんだ。どうしてあなたを救えな
かったのかって。私もね、心に風邪をひいたことあって苦しかった。
でもあなたは、私以上に苦しかったんだよね。

でも、忘れないでほしい。あなたの事を思って涙する友達がいるっ
てこと。彼も私も友達だよ。あなたは一人じゃないから。あなたが
命を絶つ前にあなたに伝えたかった言葉です。

それから、彼と私は、あなたの分まで生きるってきめました。
あなたはきっと、何で知らない人までって思うかもしれないけど、
私たち友達だよ。あなたは一人じゃない。これからも、私たちを
見守っていてね。



【女性、20代】

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その他の文集

おばあちゃん元気?

おばあちゃん元気?
あたしはめっちゃ元気にしとるよ…。

なぁ、おばあちゃんが居なくなってから、1年が経つな。
今、天国で何しとる?
友達に会ってお話してるの?

あたし、葬式でめっちゃ泣いたけど、めっちゃ辛かったけど。
今はもう大丈夫じゃけん。
心配せずに見守っててな。


なぁ…、おばあちゃん兄弟が住んでた家。
築100年以上だっけ、おばあちゃんが死んでから知ったから
分からんけど。取り壊すことになったんよ…。

ごめんな。
でも、畑にする予定じゃけん、心配せんでな。
あたしのお父さんが、あたしのおじいちゃんと一緒に耕すけん。



で、近況報告もまぜたから最後になったけど、
ありがとう。



【女性、10代】

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その他の文集

あの日の為の旋律。

もうおばあちゃんの声を聞かなくなって、5年。
あの日の手紙も、言葉も、哀しみに囲まれた部屋も、忘れてな
いよ。
その記憶が、今の力になってるみたいなんだ。おばあちゃんが、
くれた力なんだよ。
そう、忘れもしない。あの日の光景と涙は。
忘れないから、どうか、完全に消えたりしないで。
傍に居ると信じて、写真の傍で、おばあちゃんのための曲を、
ピアノで弾くよ。どこまでも届くように、心篭めてさ。
おばあちゃんの喜ぶ涙、見たかったな。
あの日を忘れたくもないし、忘れようともしない。
その為に、旋律を奏でるんだからね。
今日もまた弾くよ。おばあちゃん、聞こえる・・・?



【女性、10代】

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その他の文集

ばあちゃんへ

ばあちゃん、今日で新盆が終わったね。帰ってきてくれていたの
かな。今年の一月、ばあちゃんが逝ってしまう前に謝りたかった
のに。

小さい頃は両親が店をやってる関係でよく面倒見てもらったよね。
なのに俺が高校入試の頃、やたらとばあちゃんとぶつかって意地
悪して、結局ばあちゃんが伯父の家に行くことになって。今思え
ばなんであんなことをしたんだろうって。本当に酷い事をしてし
まいごめんな。

最後の夜、俺、何もできない自分が悔しかったよ。傍についてあ
げることしかできなくて。それに何度かばあちゃんが目をあけた
時、謝るべきだったよな。

今、俺も親父と共に店を頑張ってるよ。じいちゃんとばあちゃん
で作った店、絶対に守っていくからな。見守っていてくれよな。
将来、俺もそっちへ行ったら店の話でもしてまたお茶でも飲もう
な。



【男性、20代】

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その他の文集

じちゃへ。

じちゃが急にいなくなって、もうすぐ1年。
ばちゃもホームで元気でいるよ。食欲も旺盛だし、友達と話もし
ているし、大丈夫ですよ。
母は・・・いつものように明るくて元気元気!

じちゃ、私結婚することになったの。今年の私の誕生日に。相手
はあの人だよ。もう分かってると思うけど(^^)
何度か遊びに行ったね。じちゃは彼に、自分の若い頃の柔道話を
楽しそうにしていて・・・脇で見ていてなんだかうれしかったなぁ。
彼もスポーツ万能だから、じちゃと似ているね。

私の「ケータイメール講座」第1回だけで終わっちゃった。なん
であの時「あいたい」っていうメールを作って送ってきたの?一
生懸命打ってたよね。じちゃは心の若い人だから、きっともっと
うまくなっていたはず!


じちゃにものすごく会いたいな。
でも、じちゃを思い出すと、離れて暮らしている時よりずっとずっ
と近くにいてくれるような感じがするよ。
私の結婚式、じちゃの席はもちろんあるよ!
ばちゃも元気で出席するから、よろしくね!!

じちゃ、だいすきだよ!「かおちゃんかおちゃん」て声が私を生か
してくれているんだよ。ありがとう。




【女性、20代】

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その他の文集

ゆこへ

ゆこがいなくなって半年たつけど、時々たまらなくなって泣き出
してしまうよ。あたしの青春はあんただった。

天国でママたちに会えたかな。もう辛いことがない世界にいるん
だよね。今までの苦労や、ゆこが必死に生きてたこと、あたしは
ちゃんとみてたよ。疲れたね。よくがんばったよ。

19歳であんたの歳はとまったね。若いな。でもやんちゃなあんた
は誰も真似できない、濃い経験をたくさん持った、映画やドラマ
の様な人生だったよね。ほぼ放送できないけどさ・・・

あんたみたいな人はそうそういない。出会えてよかった。ありが
とう。生きてる時は言えなかったけど、ほんとありがとう。これ
からも思い出しては泣くと思うけど・・・

泣き虫って笑わないでね。




【女性、20代】
※このご投稿は、喪失した対象者の欄にチェックがなかったため、 このカテゴリ「その他の文集」に掲載させていただきました。 お手数ですが正しいカテゴリを事務局までご連絡ください。

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その他の文集

おばあちゃんへ

おばあちゃんが亡くなって、2週間がたちます。私がまだ幼い時
に亡くなったおじいちゃんには何もしてあげられなかった後悔が
あったので、おばあちゃんには出来る限りの事をしてあげたい、
悔いを残したくないと孝行してたつもりだったのに、いざいなく
なるとあれもこれもしてあげたかったと何もかもしたりなかった
気持ちで一杯になり胸が締め付けられます。

「家で死にたい」と常々言ってたので在宅で介護をしていたのに
結局最後は病院へ入らざるを得なくなって、毎日お見舞いに行く
たびに「家に帰りたい」って言われると本当に切なく苦しかった
よ。

一番辛かったのは「帰りたい」といわれる度に、言葉に窮した母
が「今日は雨だから明日ね」となだめるのを信じて、私が行くと
毎日「今日も雨?」(病室から窓が見えなかったので)と聞くの
で「う・・うん」と嘘をつかねばならないことでした。
ある日、「今日も雨か?小雨になったら傘さしてボチボチ一緒に
帰ろうか」といわれたので「病院から家まで遠いよ」と答えると
「大丈夫、歩いて帰れる、一緒に傘さして帰ろう」といわれた時
祖母はもう歩けないほど弱ってるのに、切なくて涙が止まりませ
んでした。もう点滴や医療機器やらのたくさんのチューブを全部
外して私がおぶってでも家に連れて帰りたいと切実に思いました。

結局、入院して2ヶ月弱で亡くなってしまいました。検査や治療
で辛い目にばかりあわせた2ヶ月でした。本当にごめんね。

おばあちゃん、今頃どこを旅してますか?たくさん愛をもらって
有難う。「雨降り」の嘘はこれから雨が降るたび、私の胸に痛み
をもたらすだろうと思います。おばあちゃんは許してくれるかな?
と梅雨空を見上げながら思ってます。

おばあちゃん、紫陽花がとてもきれいに咲いてるよ。大き目の傘
を用意するから雨の中、一緒に散歩しよう。
おばあちゃんの何もかもに感謝してるよ。本当に有難う。




【女性、30代】

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その他の文集

Nちゃんへ

 今日、あなたの訃報が入りました。突然のことで血の気が引く
思いでした。その後、続々と同級生から連絡が入っています。み
んな突然のことでどうしていいのかわからないよ。体調を崩して
いると聞いていましたが、本当は懸命に闘病していたんですね。
全く知りませんでした。

 最後に会ったのはいつだったかと考えてみました。
 うちの娘はあなたの実家の美容室でお世話になっていましたね。
私の母も私もお世話になっていたので娘で三代目だったよね。私
が娘を連れて行った2回目あたりだったかな、あなたと最後に
会ったのは。

 「久しぶりだね〜。今度手伝いに帰ってきた時は娘の髪切って
ね。」と言ったこと、覚えていますか?・・・でもそのころはも
しかしたら病気と闘っている最中だったのかもしれないね。娘を
連れて行ったことでつらい思いをさせはしませんでしたか?もし
そうだったら本当にごめんなさい。お母様にもつらい思いをさせ
ていたのかもしれないと気になっています。もしそうだったら本
当にごめんなさい。知らず知らずに傷つけてしまっていたかもし
れません・・・。

 今日、実家からの帰り道、「今日もお店お休みただね。また今
度来ようね。」とあなたの実家の前を通ったばかりでした。やっ
ぱりね、素人の母の散髪じゃいくら3歳とはいえかわいそうな髪
型です。本当は友人であるあなたに切ってもらいたかったな。
こっそり夢にでも出てきて教えてほしいよ。

 ご両親、おじいちゃん、旦那さんの悲しさ、悔しさは想像でき
ません。まだまだ新婚さんだったのにね。でも一番悔しいのはあ
なた自身だよね。いつも明るくて、周りを楽しくさせてくれたあ
なたは看病に通っていたお母様にも明るく振る舞っていたんだろ
うと思います。事情を知っていた唯一の友人が今夜伺ったそうで
すね。とてもきれいな顔だったとか。その友人もあなたと一緒に
苦しんだと思います。それはあなたが一番わかっていると思うけ
ど。
 同級生みんなもどうして会わなかったんだろうと悔やんでいま
す。なんの力にもなれずごめんね、その言葉しか出てきません。

 明日からみんな続々と会いに行くと思うけど、どうかうけとめ
てくださいね。明るかったあなたやあなたのお母様に応えるよう、
快く送ってあげられるよう私たちもがんばるからそれで許してく
ださいね。

 昨日、元勤務先の生徒も闘病の末・・・と元同僚から聞きまし
た。きっと同じ時期に天国へ召されると思います。彼は私たちの
半分の人生でした。彼が迷ったり悩んだりしているとき、どうか
手をさしのべてあげてくださいね。

 でも、できるなら二人とも戻ってきてほしいよ。ごめんね、な
んの力にもなれなくて・・・。



【女性、30代】

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その他の文集

お世話になりました

日曜日の夕方。
職場の上司から突然電話で、先輩の急遽を知りました。

金曜日に一緒に担当している患者さんの話をして、「その対応、
なんだかお母さんみたいだね」って笑顔で話しかけてくれた先
輩の笑顔が脳裏をよぎり、電話の内容を理解するまでにかなり
の時間がかかりました。

あんなに活気があった職場は、今どんより曇っています。患者
さんに対して笑顔でふるまっていても、ふっと裏にこもると、
皆悲しい顔。先輩があまりにも突然にいなくなってしまったこ
とが信じられず、カルテを見ては悲しくなっています。

私の母が亡くなってまだ4年。幼子をみていると、つい母のと
きの悲しさと重なり、心が苦しくなります。一番悔しい思いを
しているのは先輩なのに、ダメですね。
先輩と一緒に関わった患者さんと共に、これからも一生懸命頑
張っていきます。どうか、応援して下さい。

短い間でしたが、お世話になりました。



【女性、30代】

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その他の文集

大好きなおばぁちゃんへ

今はまいちゃんと一緒にいてくれているのでしょうか。
おばぁちゃんが天国へ旅立ってから何年経つのかな。
私の今までの人生の中で
おばぁちゃんほど優しい人に会ったことはまだ一度もありません。
そんなおばぁちゃんだったのに
お別れする頃私は・・・
私はおばぁちゃんに冷たくしてたね、それがずっと心の中にある
の。ごめんね。

おばぁちゃんは我が子と別れるという経験をたくさんしてきたと
知ったのはおばぁちゃんが天国へ旅立ってからでした。
もちろん、長女であるお母さんを亡くしたことはわかってた。
だけど2人の赤ちゃんが天使になってたことや
生き別れになった子どもたちのことは知りませんでした。
どんなに悲しくて辛い気持ちを抱えて生きていたんだろうと
おばぁちゃんのことを思い出すたびに思います。

お母さんの代わりに小さな私のことを面倒見てくれてたね。
幼稚園に行きたくなかったとき、一緒に行ってくれたおばぁちゃ
んや小学生になって初めての運動会にひとりで新聞紙を敷いて見
ていてくれたこと。
思い出すたびに涙があふれます。

お母さんが天国へ旅立ってどれぐらい一緒にいたのかな。
おじいちゃんとおばあちゃんが出て行くことを知ったとき
小さな私は「どうしていなくなっちゃうの?」って聞きにいった
こと覚えてる?
大人のいろんなしがらみなんて私は知らなかった。
ただただ大好きなおばあちゃんたちがいなくなることがさみしく
てかなしかった。

ずっと会えずにいた数年間。
やっと会えるようになってからの年月。
そして最期の頃・・・
なんで私はおばぁちゃんにあんな態度をしたのかと
今でもわかりません。
いわゆる反抗期みたいな感じだったのかな・・・
最後に見たおばぁちゃんの後姿はこれから先も忘れることはない
よ。

もう明さんと会いましたか?
突然のことでびっくりしたけど、明さんへの想いはまいちゃんに
託して私は見送ったつもりです。
おばぁちゃんと再会できていると信じています。
おばぁちゃんの大切なこどもたち。
母も含めて赤ちゃんの時に天使になったこどもたちとも
一緒にいるよね。
おじいちゃんもまいちゃんもみんなで一緒にいるよね。

いつか会える時がきたら自分の口で言うからね。
ごめんね  それから  ありがとうって。



【女性、30代】

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その他の文集

おじいちゃん。大好きありがとう

9月29日、20時亡くなりました。大腸がんからの全身転移。
発見されてから1年でした。私の6歳と5歳になる子供を可愛
がり、よく庭で遊んでくれました。子供もなついて、いつもお
じいちゃんの背中を追って遊びました。

昨年暮れから具合が悪くなり、手遅れの発見時から庭で焼肉パー
ティや焼きそばパーティをして楽しくすごしてきました。おじ
いちゃんから見ればひ孫。孫で結婚したのは私しかいなく出来
ちゃった結婚でしたが、おじいちゃん孝行出来たかな。と思っ
たよ。夏になり容態が急変。癌が大きくなり食欲もなくなり。
9月に入院。そして今日。

立ち会った母からは、目が開いてるけど黒めが動かない。
まぶたを閉じさせると涙が出てまた開いてしまう。
様子がおかしいとのこと。何度か繰り返し、そのご開いていた
口を自分で閉じたそうです。おじいちゃん口閉じると苦しいか
ら口開けてと母が言ったそうですがその後タンが絡んだ息をし、
長い呼吸を2.3度した後亡くなったそうです。死ぬ間際のま
ぶたを開けるのは何だったのでしょうか?死にたくなくて頑張っ
たのでしょうか?気になってねむれません。



【女性、20代】

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その他の文集

先生へ。

先生が亡くなって、もう1ヶ月が経ちました。
思ったよりも、時が流れるのは早いものですね。

幼稚園に入る以前から、今まで、本当に沢山の愛情を頂きました。
体を使って色々な事を表現する楽しさ、人の良いところを見つけ
ることの大切さ。
沢山沢山、愛情を頂きました。
どんなに私が意地を張っても、先生は待っていてくれましたね。
「あなたなら大丈夫」って、いつも見守ってくださいましたね。

自分が同じ職業に就いて、やっと恩返しが出来ると思ったとき
だったのに……。
先生はいなくなられてしまいました。
先生は、私の目標です。
私が頂いてきたものを、少しでも教え子に返していきたいと思い
ます。

私がそちらに行ったとき、胸を張って「頑張りました!」って言
えるようになりたい。
だから、これからも歩んでいきます。



【女性、20代】

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その他の文集

おじいちゃん

おじいちゃん。そっちの暮らしはどうですか?おじいちゃんが
亡くなってからそろそろ1年になるね。時間の流れもこっちの
世界と一緒なのかな?おじいちゃんより1年前にそっちの世界
に旅立ったおばちゃんとはもう会えた?会えてるといいな。

おじいちゃんが病院で死んじゃった時、あたし何が何だかわかん
なかったんだ。だけど、どこか冷静な所もあってね、「なんで?
なんで死んじゃうの?なんでおじいちゃんまで死んじゃうの?
やだよ」と言いながら、「あぁ、言葉ってなんて不便なんだろう。
本当に言いたい事、出てこない。もっと言いたい事、言わなきゃ
いけないことがあるはずなのに。」ってぼんやりどこかでおもっ
てたんだ。2年前に亡くなったおばちゃんの時もそう思ったけど、
本当にドラマとかで使ってる言葉しか出てこないんだね。

おじいちゃんが苦しみだした日、ちょうどおばちゃんの一周忌
の日で、従兄弟達が来てて帰りにおじいちゃんのとこに寄ったん
だよね。おじいちゃんの病院を出た後、従兄弟から電話かかって
きて「おじいちゃんいっつもあんななの?大丈夫なの?」って電
話かかってきたんだ。あたし達はおかしいと思った。だって、
入院はしてたけど、元気だったから。前日だってあたしが学校の
帰りに寄ったとき、喜んでくれてたよね。お話して、また来る
ね、って言って帰って来た。だから、おかしいと思ったんだ。

それから、すぐだった。その日の夜。ううん。もう次の日になっ
てたのかな。おじいちゃんは逝ってしまった。おばちゃんが死ん
じゃってからちょうど1年と1日だった。

ごめんね。おじいちゃん。ごめんね。ちっちゃい頃色々遊びに連
れてってくれたよね。だけど、おじいちゃんと親がけんかするた
びにおじいちゃんと仲良くしちゃいけない気がしてきちゃったん
だ。もちろんおじいちゃんは大好きだったよ。でも親だって好き
だったしほんとにちっちゃかったからどうすればいいかわかんな
かったの。おじいちゃんが痴呆症だっていうのも、小学校、中学
校2年生ぐらいまでは頭が理解できていても心ができなかった。
だから、おじいちゃんがわがまま言ってお母さんと喧嘩した時あ
たしは口ばしってしまったんだ。「死んじゃえ」って。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

あんなに可愛がってくれてたのに。あんなに慈しんでくれたのに。
あたしは何も返せなかった。

ごめんねおじいちゃん。ごめんね。高校に入ってから、あたしは
鬱病になってしまった。中学から私立に入ってそのままエスカレー
トで高校に入学しました。友達も多く部活も充実し、先生にも学校
にも、もちろん家庭にも文句はなかったんだ。だけど、おばちゃん
が死んでしまった頃から何かが崩れ始めてしまったんだ。もちろん
おばちゃんのせいじゃないし、子供を先に亡くしたおじいちゃん、
おばあちゃん、たった一人の姉妹を亡くしたお母さんのほうがつら
いはずだったんだ。だけどね、初めて言うけど私は既にそのころ、
心の均衡を保てていなかったんだ。

私が生まれる前から同居してたおじいちゃん。心配かけたよね。
でも、もう大丈夫です。今は十何種類も飲んでた薬も飲んでないん
だ。だから、安心してね。おじいちゃんが逝っちゃう前に治らなく
てごめんね。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ずっと見守っていてくれてありがとう。あたしはおじいちゃんの分
まで生きていくね。元気でやっていくから。でも、たまに泣く事は
許してね。おじいちゃんの事、忘れないよ。おじいちゃんは、私達
を愛してくれたけど、私達だっておじいちゃんを愛しています。こ
れからもずっと。

ありがとうおじいちゃん。



【10代】

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その他の文集

どうしてる?

 あれからもう何年経ったでしょうか・・・ いくちゃんどうし
ていますか? 

 不思議なもので辛い気持ちはだんだん薄くなってくるものなん
ですね。
 初めのころは、何度も死んでしまえたら・・・なんていつも考
えてばかりだったのに・・・
 
 でも今は幸せです。結婚して子供も出来て、毎日忙しく暮らし
ています。
 いつか会えたらキチンと幸せになれた事、伝えられるように。 

 最近、子供が生まれました。子供が産まれて来た時思った・・・
いくちゃんもこんな風に大きい声で、まだ見ぬ未来を背負って産
まれて来たんだなって・・・  
 
 いくちゃんは25年間の命で少しの命だったけど強い強い命を見
たよ・・・また命をいっぱい充電してどこかで生まれ変わるよ。
あの世かこの世かはわからないけど、いつかまた、必ず会える気
がするよ・・・それまでお互い強くて幸せで安らかで・・・・・



【女性、30代】
※このご投稿は、喪失した対象者の欄にチェックがなかったため、 このカテゴリ「その他の文集」に掲載させていただきました。

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その他の文集

喜一郎様

貴方がいなくなってからまだ一年も経っていないのに、もう何年
も過ぎたような気がします。貴方は穏やかで優しくて、とても大
好きでした。もう『なぜ?』と問うことはやめました。虚しさが
増してやりきれなくなるから。
初めて火葬場に行ったのはまだ小学校に上がる前だったと思いま
す。その時は自分がなぜここにいるのか、意味がわかりませんで
した。なぜ大人達は真っ黒い服を着ているのかも。あの時大人達
の間から見えた白い骨がとても怖くて仕方ありませんでした。

貴方の時はもう怖いとは思わなくなっていたけど、とても苦しかっ
た。まだまだ先のことだと思っていたから。貴方は私にとって親
のような人です。
いつも暖かく包んでくれるような優しさが心地良かった。だから
しばらく立ち直れそうにありません。無性に悲しくて寂しくて苦
しくなります。
そのせいか人に優しく出来なくなってしまったみたいで。傷つけ
てしまうばかりです。それが今の悩みの種です。

前から仲は良かったけど親友が出来ました。貴方の傍にいた時み
たいに一緒に居てとても楽になれます。言葉を交わさなくても気
まずくならない。むしろ心地良いぐらいです。貴方の死を悲しん
でくれる人です。貴方を好きだったと言ってくれました。

もっと長生きして欲しかった。
卒業式、成人式、結婚式、あといつか子供が出来た時と生まれる
時、貴方におめでとうって言って欲しかった。

貴方から貰った優しさをいつか色んな人達に返せるようになりた
い。貴方のような人間になりたい。目標にしてます。
今まで沢山苦労した分ゆっくり休みながら私達を見守って下さい。

お疲れ様でした  
貴方が傍にいてくれたことに感謝します  ありがとう


追伸 貴方の作る茄子が一番美味しいです   孫より



【女性、10代】

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その他の文集

じいじへ

じいじがいなくなってどれくらいたったかな?
4年ちょっとくらいかな。いまでもじいじがいなくなったときの
ことを考えただけで涙がでてくるよ。

今じいじの部屋はパソコンが置いてあって、私はそこでこの手紙
を書いてる。泣きながら書いた手紙じゃ読んでも悲しくなっちゃ
うかな?
じいじはちっちゃいころからすっごい優しくて、大好きだった。
じいじと居ることを当たり前だと思ってたんだ。
死なんて全然関係ない世界にいると思ってたの。


中学生になって初めての冬、じいじは調子悪くて病院にいったね。
そして癌だとわかった。本人にはとても言えないから、黙ってい
るってことになった。手術する前に会ったとき、泣いてしまった
私を不思議そうに見たね。ごめんね、堪えきれなかった。その手
術は成功したけど、だめだった。リンパにまで癌がいってた。

家に帰ってきたじいじに優しくしてあげれなくてごめんね。寂し
かったよね。じいじがいなくなるのが恐くて、優しくできなかっ
た。でも冷たい態度だった自分に今では後悔しかないよ。

そして新しい年の暑い夏、じいじは再入院しちゃったね。
ろくにお見舞いに行かなかくてごめんね。

9月。敬老の日に、私一人でお見舞いに行ったよね?お金が無かっ
たから家の周りに咲いてる花を花束にしてもっていったじゃんね。
もう視点の定まらない虚ろな目のじいじが悲しかった。花を見せ
て、なんでもないことを喋って、元気になったら読んでなんて嘘
をついて、最後に手を握ってまた来るねなんて言って帰った私。

次の日、学校に電話が来てお母さんが迎えにきたときに、じいじ
は逝っちゃたって知った。聞いたときはなんか泣けなかった。で
も、病院についてじいじを見た瞬間に、自然に涙があふれてきた。
そして、最期まで私の持っていった花を見せる度にうなづいてい
たって聞いて、声を上げて泣いちゃった。ありがとう、ちゃんと
わかってくれてたんだね。最期まで私のこと思ってくれたんだね。

あれからね、じいじと撮ったプリクラをお守りのなかに入れてる
んだ。いつも一緒だよ。だから、忘れないでね。大好きだからね。
また夢の中で逢おうね、待ってるよ。

かおり



【女性、10代】

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その他の文集

私のおばあちゃんへ

おばあちゃん!おじいちゃんに会えた?それからおはるさんや
兄姉妹や友達やらとにかくみんなに会えた?

祖母は97歳でした。私は生まれてからずっと一緒に住んでいた
内孫!途中、反抗期に家を出てしまいおばあちゃんと一緒に暮
らしていなかったこと、本当に残念に思います。もっと一緒に
いたかった!もっとどこかに行きたかった!もっとお話してほ
しかった!もっと・もっと・もっと・・・。

おばあちゃんは晩年、私の事を「私の宝」とか「あんたが一番
大事な子だもん」と言ってくれたね!ありがとう!私の手紙も
何回も読み返してくれたね!ありがとう!おばあちゃん、大好
きだよ!ずっと!変わらず!ほんとに大好きだよ!私のおばあ
ちゃんだもん!

でもね、、、寂しい。寂しい。なんでもっと泊まっていってあ
げなかったんだろう。ごめん。ほんとにごめん。ほんとにごめ
んなさい。生まれ変わって私の子供になって!そして生まれ変
わってもおばあちゃんの孫になりたい!ほんとに大好きだよ!
いつかこんな別れの日がくるとは想像してたけど

・・・まさか今がその時なんて。おばあちゃん、寂しいけどお
ばあちゃんは今まで辛かった分、おじいちゃんに甘えて、お友
達とおしゃべりして、行きたいとこ行って、ほしい物手に入れ
て、目も耳も足もどこも自由がきいて!好きなようにわがまま
に過ごしてね!そして見守っていてください!旦那との間に子
供を授かって育ててママも幸せになって。

おばあちゃん、1週間前は生きてたのに、悲しい。もう一度いい
ます!「おばあちゃん!大好きだよ!これからもずっと!」

綾より



【女性、30代】

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その他の文集

前略

おじいちゃんお元気ですか?

おじいちゃんが居なくなって・・・もう2年経ちました。
月日が流れるのは本当に早いですね。

いつもいつも、私の事を可愛がってくれましたね。
今だから言えます。ありがとう。

私は、アナタの孫として生まれて来れた事を誇りに思います。

いつもいつも可愛がってくれたおじいちゃん。いつもいつも素直
になれなかった私。ごめんね。最後の最後まで素直になれなかっ
た。

最後に会ったおじいちゃんはもう目を覚ましてくれなかったね。
言いたいこといっぱい有ったよ。いっぱい有り過ぎて困るぐらい。

もしも私の声が届くのなら、「ごめんね」と「ありがとう」を言
いたい。


前略、お元気ですか?おじいちゃんに見せることの出来なかった
高校の制服を着るのもあと一年になりました。高校を卒業したら
おじいちゃんに報告するからね。



【女性、10代】

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その他の文集

曾おばあちゃん

 2005年1月2日 私の曾おばあちゃんが、自宅で倒れた。
12月の24日が、確か曾おばあちゃんと話をした最後の時 
だったと思う。 いつも自転車で通う自分の事を心配して
 「帰るときは気をつけなさい最近は物騒だから」と念を押して
自分を見送ってくれた。それも寒いのにわざわざ外に出て、
自分の帰る姿を手を振って見送ってくれた。自分が初孫で、
とても大好きで大事な子だったらしい。それにちょくちょく
顔を出しにきてくれる事が、晩年は楽しみだったようだ。

しかし、そんな話を聞いたのも曾おばあちゃんあなたが亡くなっ
てからです。1月2日に倒れて4日に息を引き取りました。
 (享年92歳)クモ膜下出血が原因でした。
 僕と過ごした16年間楽しかったですか?・・・
 良い思い出ばかり頭に浮かびます・・・・・

 僕たち家族は実は2日に曾おばあちゃんの所に行くつもりでし
た
でも2日の朝9:37にあなたは倒れられ私たちは病院にいきま
した。 未だに信じられませんあれだけ元気だったのに・・・
 入院されたあなたを自分は見ることができませんでした。
元気だった時のまま記憶に残したかったからです だから悲しま
ないでください お葬式はすごかったのですよ沢山の人が別れに
きていました。
 お葬式の後おばあちゃんからあなたが渡すはずだったお年玉を
貰いました 毎年僕たちに渡すのを楽しみにしておられましたね
けど今年は違う 袋の中に綺麗に折られたお札を見て涙が出そう
になりました。 いつもかわいがってくれてそこで見せた笑顔を
一生忘れません もう一度世間話をいつも座ってた椅子に腰掛け
てしてほしい・・・ いろんな事あったけど僕にとって世界で一
番大好きな曾おばあちゃんでした 沢山の思い出をありがとう
 そしてさようなら 初孫より



【男性、10代】

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その他の文集

おじいちゃん

何も出来なくてごめんね。
おじいちゃんが病院に入る時、
すごく嫌がってるのに私反対しなかった。

散歩が大好きやったね。
一昨年、私の家の近所で会ってウチでコーヒー飲んだね。
「ここに住んでるのか?」
嬉しそうに私の一人立ちを自分の事の様に
誇らしげに笑ってくれたね。
嬉しかったよ。

いなくなってしまった実感が湧かないんよ。

病院に行った時帰る私とおばあちゃんが見えなくなるまで
手を振ってたね。
「いつもはあんなんせん。」
おばあちゃん笑ってそう言ってた。
あれが最後に見た笑っている姿。
一緒に帰りたかったやろうに大きく手を振って私らを
送り出したん。

ごめんね、ありがとう、ごめんね、ありがとう。



【女性、20代】

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その他の文集

じいちゃんへ

じいちゃん。会えなくなってもう随分経つね。私も今月で32歳に
なるよ。今逢ってもきっと分からないね。

じいちゃんが倒れたのは夏の日。お母さんは未だに救急車の音を
聞くとあの日のじいちゃんを思い出すんだって。

ばあちゃんが死んでからおじさんの家で暮らしてたじいちゃん。
随分肩身の狭い思いをしてたってお母さんから聞いたよ。あの頃
の私は子供だったから何もしてあげられなかったけど、今の私な
らじいちゃんを守ってあげられるのに。

孫の中で1番可愛がってくれてありがとう。私宛に出してくれた手
紙にも「お前とは1番仲良しだったね」って書いてくれたね。あの
手紙は私の宝物だよ。もう手をつないで早朝の公園を散歩したり、
自販機で買った1本のスプライトを二人で飲んだり、一緒に布団で
寝ることは出来なくなったけど、私がじいちゃんの孫であること
に変わりはないよ。

私にも5年前、旦那様が出来ました。じいちゃんと同じくとっても
優しくて思いやりのある人です。じいちゃんを大切に出来なかっ
た分、彼を大切にしていくね。
それではいつかまた逢える日まで・・・!



【女性、30代】

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その他の文集

二人のおじいちゃんへ

父方の祖父であるあなたが亡くなったのはもう20年近く前にな
ります。
あまりにも突然の出来事でした。
それまで元気だったあなたが、夜中に突然体を動かすことが出来
なくなり、救急車で病院に運ばれました。

一度は帰ってきたものの、やはり具合が悪くなり、違う病院に入
院してしまいました。
その時にはもう、意識はなく、色んなチューブや機械を付けられ
ていることを母から聞き、怖くて病院に行けませんでした。
元気だったあなたの変わり果てた姿を見るのが怖くて、逃げてい
た・・・でも、母に促されて一度だけお見舞いに行きました。

意識がないのは分かっていても、声をかけると目を開けてほほえ
んでくれそうで・・・そんなとき、突然あなたの呼吸が止まりま
した。
機械の音がけたたましく鳴り響き、看護婦さんやお医者さんが慌
ててやってきました。
私は怖くて怖くて・・・そして、蘇生の処置がなんだか嫌で、気
づいたら「もう楽にしてあげて」と泣き叫んでいました。その時
一度は蘇生したものの、それから数日後にあなたは息を引き取り
ました。
私にとって初めての死別でした。
あなたがいなくなったことをきちんと認識するまでに、一年以上
かかりました。

そして3年前になくなった母方の祖父であるあなた。
私にお茶のおいしさと嗜みを教えてくれました。
私が訪ねていくと、必ずお気に入りの盃にとっておきのお茶を入
れてくれました。
あとでおばあちゃんから私とのお茶の時間が何より楽しみだった
と聞きました。
それなのに・・・
なくなるほんの2週間前、あなたのところに訪ねていきました。
しかし、ぼんやりと空を見ているあなたに近づくことも出来ず、
遠巻きに見ているだけでした。痴呆が始まり、トイレに行くこと
が出来なくて紙の下着を着けているのが嫌でした・・・
結局その時はお茶の相手をせずに帰ることになり、帰る時にお茶
の相手をするのを忘れていたことに気づき、「ごめんね、今度は
私がお茶入れるから、約束だから」と告げました。

あなたは今まで見たことない表情になり、声を押し殺して涙を流
し泣き始めました。
今でもその顔が忘れられません。
あなたの初めて見た泣き顔が最後の顔になるなんて・・・
その後、あなたは眠るように息を引き取りました。
お通夜の席で私はあなたに言いました。
「約束したのに、私がお茶を入れるまで、元気でいてって言った
のに・・・」
あの時何故あなたは泣いたのか、私には分かりません。
おばあちゃんが私にいろいろ言ってくれました。
それでも、あの家に再び訪れることが出来たのは2年後でした・
・・。

ごめんね、ごめんね。いつも私をかわいがってくれていたのに・
・・私はあなた達の姿を見るのが怖かった。
大好きな人の死に顔なんて見たくなかった・・・
でも・・・
いつかは必ず別れが訪れるんだって・・・
天国で好きなことをしてるんだって・・・
ようやく、あなた達の死を認めるようになりました。
今、私は二人の子供の母です。
そして、鬱という病と闘っています。
あなた達は生きたくても生きることが出来なかった。
だから、私は頑張って生きていきます。

だから、見ていてください。

私のおじいちゃんになってくれて、ありがとう。



【女性、30代】

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その他の文集

ねえおじいちゃん

おじいちゃんがいなくなってもうどれくらい経つのかな。
あの時私はまだ保育園だったから、人が死ぬって事が良くわから
なくて、おじいちゃんのお葬式で涙も流さなかった。

ただ、お母さんやおばさん、おばあちゃんが大粒の涙を流してた
事、大勢の人がおじいちゃんのために涙を流していた事は覚えて
る。
今でも思い出せるよ。

あの時、もっとおじいちゃんの笑顔を焼き付けておけばよかった。
いつでも思い出せるように。
おじいちゃんが亡くなった時、お母さんいつも泣いてたんだよ。
おじいちゃんは知ってるかな?
お母さんはどんなに忙しくてもおじいちゃんの為にお祈りしてる
よ。それも3分以上だよ。

どうして死んじゃったの?もう少し生きててほしかった。
こんなに大きくなったよって
たくさん出かけたくって
頭を撫でてほしくって
大きくなった今でも頭を撫でてほしくて
夢に出てきてほしくて

今はおじいちゃんがどれだけ大きな存在だったかわかるから、考
えただけで涙が溢れるよ

大好きだよ
私が産まれた時、
「女の子はいいぞ」
って喜んでくれたんだよね。
お母さんからそれを聞いた時に、視界がとてもぼやけたの。

お葬式の時泣けなくてごめんね
孫らしい事1つもしてあげられなくてごめんね
ごめんねごめんねごめんねごめんね
大好き大好き大好き大好き大好き大好き
世界で1番素敵なおじいちゃんだって言ってあげたかったって
今思ってるよ

ごめんね

亡くなったおじいちゃんがベットで運ばれてきて
お母さんが「おじいちゃんだよ」って言って
顔を見ようとした
でも背が低くてジャンプしても届かなくて
最後を見れなくて
見れないままおじいちゃんはまたベットで運ばれちゃって
すっごい悔しいよ
会いたいよ
抱きしめてほしいよ
お誕生日おめでとうって
今日は一緒にお出かけしようかって
手をつないで・・・・・

お願いおじいちゃん夢に出てきて?
今まで出てきてくれた事ないよね?
お母さんは「おじいちゃんが出てこなくても大丈夫だと思ってる
から」って言うけど
そんなんじゃない
弱くて弱くて
家族だけじゃ駄目
おじいちゃんが抱きしめてくれたら
すぐに元気になるよ
夢の中でもいいから
「大きくなったね、綺麗になったね」って
頭を撫でてほしい
それだけなのに


ねえおじいちゃん
お盆の時期になったら今度は必ず会いに来て
夢の中でもどんな形でもお母さんに言付けを頼んでもいいから
ねえ
おじいちゃん
大大大大大大大大好きだよ
もう一度おじいちゃんに会いたいよ
死のうなんて思ってない
おじいちゃんの分まで
おじいちゃんが亡くなった年の倍生きて
生きて生きて生き抜いて頑張るから
一度だけでいいの
夢に出てきて

待ってるから。ずっとずっとずっと。
大好き。



【女性、10代】

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その他の文集

小川さんへ

お久しぶりですね。最近お墓行けなくてすいません。でも俺の中
で小川さんはいつまでも小川さんですよ。去年の2月からもうこ
んなに時間たったんすね。早いな。

小川さんとの関係は微妙でしたね〜(笑)小川さんが社員で俺がア
ルバイト、それなのにいつの間にか仲良くなって…麻雀やったり、
スロット連れていってもらったり…気付いたら俺のかけがえのな
い人になってた。
小川さんの彼女とも仲良くてみんなで仲良くて…でもそれがあん
な風に終わるなんてね…考えてなかったす。
入院してても全然「死」とは関係のないことだと思ってた。

小川さんのね、彼女にね「○○○(俺)は俺の若い頃に似てるんだ
よ」って言ってたって話を聞いて、めっちゃうれしくなった。
だって貴方みたいな人になりたいって今でも思ってるすもん。な
れないとはわかってても…。目指してなれるものじゃないすよ、
小川さんの人間性は。だからあんなにたくさんの人が参列したん
だと思う。

俺は小川さんのディープなところは知らなかったけど、あんなに
人の並んでる葬式は初めて見た。
みんな好きだったんだなって。
自然にみんなついてきてたんだと思う。だって貴方はそういう人
だから…。

俺の中で小川さんは絶対で、それは揺ぎ無い。
めっちゃ泣いたし、今でもひょっと現れるんじゃないかなって思
う時があるす。
今とか新しい仕事してるんすけど、上司とか小川さんと比較し
ちゃって、なんでこんなに器が小さいんだろうって笑えますよ!

最後に…お墓の前で俺の悩みとかこれからも聞いてください。
ダメなアルバイトの俺を思い出してください。
ありがとうございました



【男性、20代】

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その他の文集

お疲れ様でした

おじさん、お疲れ様でした。
闘病生活辛かったでしょうね。
おじさんが末期の癌だって知らされた時は胸がギュッってしたよ。
おじさんがあと一週間もたないかもしれないって聞いた時慌てて
病院に会いに行ったけど、
その時は意識もはっきりしててお話もできたね。
私が「おじさん、私だよ、わかる?」って聞いたら、「うん、う
ん」ってうなずいてたね。
それからしばらくお話ししたね。今でもあのときの光景がはっき
り思い出されます。
あの頃はまだ夏で、すごく暑かった。だから私「まだ外はすごく
暑いから、今はゆっくり休んで涼しくなったら元気に退院しよう
ね」って言ったよね。
そうしたらおじさん「うん、そうだね。」って言ったじゃん。
・・・でもおじさんは精一杯頑張ったんだもんね。あと一週間・
・・って言われてたのに、あれから3ヶ月半も頑張ってくれた。

おじさんとのお別れの日、私お経あげたよ。ちゃんと聞こえてた?
お母さんと一緒にあげたよ。
寂しくて、寂しくて・・・。何回も眠ってるおじさんの顔見たよ。
もう一度病院に会いに行きたかったのに、結局行けずにごめんね。

子供の頃、おばあちゃんちのお祭りに親戚が集まる時、楽しそう
にしてたおじさんを今でも覚えています。
言葉少ないおじさんだったけど、表情とかすごく覚えてるから。
おじさんの事は絶対に忘れないからね。ずっとずっと忘れない。
その代わりおじさんも私たちを天国から見守っていてね。
またいつか絶対に会えるから、その時はまたあの笑顔を見せてね。
おじさん本当にお疲れ様でした。そしてさようなら。天国でゆっ
くり休んでくださいね。



【女性、30代】

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その他の文集

祖父へ。

 Written for grampa.
(おじいちゃんへの手紙)


おじいちゃん。あなたが逝ってもうずいぶんになります。わたし
たちあなたがいない秋にも、冬にも、春にもなれました。

だってあなたが逝ったのは、まだ暑さの残る残暑厳しい九月の初
めでしたから。
おじいちゃん。もういちど、よばせてください。
あなたが生きているときの、十倍も、百倍も、大きな声で。
私は幼すぎて、あなたのすばらしさや、偉大さがすこしもわかっ
ていませんでした。
あなたは気難しくて、とてもおこりんぼうだったから、正直わた
し、とても怖かったんです。

でもね、いま私は、あなたの困難な人生に、心から敬意を表しま
す。
私があなただったら、きっとそうするもの。あなたが、いつもそ
うしたように。
私が大人になった今、自分の中に繰り返し、繰り返しあなたの影
をみます。
たとえば、この頑固な性格。

“どんな偉い人でも、嫌いな人は嫌い!
それはおかしい!絶対にゆるせないっ“てね!

これはおかしいとおもったら、大学の先生ともとことんやりあい
ました。
いろいろな先生方に、うんとうんと心配されましたけど。

でも私はじぶんがこうとおもったら、いつもつっこんでいくんで
す。そう、まるでイノシシのように。

何度も失敗しました。じぶんを追い詰めてしまって。
 
大学で私と同じような考えの人に出会えなくて、私はたくさん悩
みました。どうして私はこうなんだろうって。みんなと違ってく
るしかった。

“もうたくさんだ、もっといい人間にならなきゃ!じゃなきゃ、
幸せになんかなれっこない!”

でもね、そんなときあなたを思い出したんです。あなたのその、
向こう見ずで大胆な性格を。

何度も、何度も、生死のふちをさまよって(―その殆どが、望ま
ないものだったのにもかかわらず、あなたは絶えず、戦いぬきま
したよね。)
いつもちゃんと生きてかえってきましたよね、戦場から、まるで
不死鳥のように。
 
過酷な状況では、じぶんの不利になるとわかっていても、自分の
中の“正義”をつらぬきましたよね(それも他人、じぶんより弱
い人のために!)その尊い信念にかけて。そのせいで、うんとつ
らい目にもあったのに、、、。

そう、それを思い出したとき、私はじぶん自身にふっと自信がわ
いてきました。

“このままでいいんだ、ありのままのじぶんでいていいんだ。
変わりたいときにゆっくり変わればいいって。だって私はわたし
だもの。”

そうしたらね、すっと心が楽になりました。
まるで魔法みたいに。
おじいちゃんが天国から慰めてくれたのかな。
きっとそうだよね。そんなことはあなたにしか絶対できない!
不器用だけど、うんと優しい心のあなたにしか。

おじいちゃん、あなたが逝ってから、長い長い時間と、いくつも
の季節がながれました。
今までは一緒に見ていた、庭の美しいしだれ梅は、もうみられな
くなってしまいましたね。
あなたが好きだった黄色いびわの実も。

でも、あなたがいなくなってから、あなたがどうしてあれほど自
然を好んだのか、またどのくらい愛していたのかにきづかせられ
ました。
 
思い出はいよいよ濃く、薄らぐことがない。
 
この秋も、あなたの存在がまるできんもくせいのように、庭じゅ
うに香ります。

春の花が咲きはじめれば、あなたの笑顔をおもいだします。
夏の暑い太陽が輝けば、すこし疲れたあなたをおもいだします。
秋になれば、ほっとしたあなたを。
そして、寒い寒い冬になれば、あなたの忍耐とそして、力強さを。

おじいちゃん、あなたのいないソファや畳にもなれました。
あなたのお気に入りの場所にいったとき思わず振り返ることも、
今は、もうありません。

でもね、今になって、もっと話しておけばよかった、話せていた
ら!とつよくおもいます。

私があんなに内気で、(今となってはまったく想像できませんけ
ど!)幼くなかったら、そしてあなたがあれほど年老いていな
かったら、わたしたちはうんといい友達になれたとおもいます。
(盟友みたいなね。)

そうそう、去年の夏、わたし、老人ホームに慰問にいってきまし
た。そこにはたくさんのあなたがいました。
会いましたよ。あれほど会いたかったあなたの笑顔たちに!
私?
もちろんおおなきしてしまいました。たくさん後悔していたから。
でもね、あれ以来、罪悪感や後悔に悩まされることは一切なくな
りました。
あなたが私の中に、じっとたたずんでいることを時々感じるよう
になったから。

あなたを思い出すと胸があつくなります。
涙が自然にこぼれだし、私の服をぬらします。
時々夜眠れないこともあります。
あなたが話しかけてくれているような気がするから。

おじいちゃん、私のことを思い出してね、そしてわらっていてね。
どんなときも、私を勇気付けるために。



【女性、20代】

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その他の文集

恩師へ

もう一年と三ヶ月が経ちましたね。
突然の先生の死に対して、未だにこんな寂しさを抱いているのは
・・・何て言ったらいいのか分からないけど、僕にとっては多分、
やっぱりあなたが一番人間として尊敬できた人だったんだと思い
ます。優しくて、厳しくて、おもしろくて・・・受験の時、さん
ざんお世話になりましたね、三年のときは担任でもなかったのに。

僕らが卒業した時、先生が既に病魔に冒されていたのを後で知っ
た時は愕然としました。元々体が強くないのは知ってたけど、無
理して僕達の学年が卒業するまで無理して勤め続けたという話を
聞いて、どうしても言いたくなった。
 無理しすぎですよ、先生。
 どうしてそんなに自分の命を軽視したんですか。
 お礼をいえなかった僕は・・・僕達はどうなるんですか
 生きていて、欲しかったです。

僕達は生き続けます。あなたを心に抱いたまま。
そして、どうか再び先生の遺影を拝む機会があったら是非伝えた
いです。「あなたは、僕の生涯最高の先生でした。これまでも、
そしてきっとこれからも」
どれだけ言葉を綴っても終わりません。ただこれだけは、伝えた
かったんです。



【男性、10代】

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その他の文集

樹来くんへ

あなたが 辛い選択をした日から1年が経ちました。。
そちらの生活には慣れましたか?
苦しみから解放されましたか?
何も友達としてしてあげることができなかったね。ごめんね。。
なんで どうしてと思ってしまいます。
一緒に頑張りたかったよ。みんなで。
みんなは相変わらず頑張ってます。
知ってると思うけどさ私もいろいろあったんやよ。
もう大事な人との こんな別れは嫌だなぁ。。

樹来くん ゆっくり休んでくださいね。
また飲み会するから そのときは きてよね。
待ってるから・・・・



【女性、20代】

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その他の文集

失ってからきずく事

生きているときは気付かなかった。
気付くのを恐れていた。
あなたを失ってから初めて気付いた。
こんなにも大切な人だったなんて思わなかった。

涙の日々から49日
もうすぐたとうとしている

納骨はここからとても遠いところ
しかしそこでやっと落ち着くのでしょうね。

生きているときには気付かなかったのに、
どうして早く気付かなかったのだろう

あなたを失ってから気付くことも

あるんだよね



【女性、40代】

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その他の文集

たくさんの友人達へ

仕事柄たくさんの友人の死を経験する
(友人ではないけれど、今はあえてそう呼びたい)
言いたいけれどいえなかった
今度やってあげようと思っても
出来なかった
そんな思いばかりを残されてしまう

さよならだけが人生さ

そんな言葉がしっくりとゆく
天国にいる自分の知り合いといえば
お母さん
お母さんにいつも頼む
私の”友人”にあったら
”家の馬鹿娘がお世話になりました”
って挨拶しといてよ

私がそっちへゆけるのはいつになるか分からない
そのときまで私のこと絶対忘れないで下さいね
知らん顔しないでね
お願いだから



【女性、40代】

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その他の文集

大好きな人、恋人ではないけれど

水曜日、いつものようにお仕事へ行く。
月曜日に言えなかった事、聞きたかった事聞いてみよ〜
いつもよりわくわく
ぴんぽ〜ん、ベルを鳴らすとあのひとは”は〜い”と返事
しかし水曜日は違っていた。
返事はなく、扉が開く音、遠くに住んでるはずの息子さんが出てきた

”昨夜、父は亡くなりました”

突然の事故死、

大好きな人だった、聞きたいことがたくさんあった。
月曜日どうして言わなかったのだろう、聞かなかったのだろう
溺死した、風呂場の横の洗面所で声を殺して泣いていた。

贅沢言わないから、わがまま言わないから、お願いです
もう一度会わせてください。もう一度だけ。

1日目
真夏の噴水のように流れ出る、じっとしてても流れ出る
涙はとても元気です
2日目
貯水タンクも節水か、時折涙がながれでる。
それでもまぶたは水浸し、ひとりになると涙も元気になる
3日目
蛇口からチョロチョロ涙がこぼれてる。貯水タンクも
そろそろ渇水か、
気がつくと貯水タンクに穴があき
心に涙がたまってた
心に大きな穴があいた

もう一度だけでいいから、、、
あなたに会いたい



【女性、40代】

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その他の文集

今になって・・・

こんな事になってしまって、やっと本当の気持ちがわかった。
今更、どうすることもできないのに・・・別れてから3年・・・
本当はあなたの事を今でも愛しているいうこと。今はもう、この
世に居ないあなたにもう1度会いたい・・・もう一度抱きしめて
欲しい・・・もう一度触れたい・・・会って謝りたい・・・あな
たが残してくれたこの子を大切にいつかまたあなたに会えると信
じて・・・



【女性、30代】

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その他の文集

本当のおとうさんだったらよかったのに。yおじちゃんへ。

 おととしの7月某日。叔父が肝臓癌と喉頭癌で入院していると、
別居している父に訊いて、その次の日、私は叔父に久しぶりに会
いに行きました。ところが、精神的なショックのためか、病院に
着いた途端、パニック障害をおこしかけ、よろめいてしまったの
で、とりあえず点滴を打ってもらいました。
 しばらくして、点滴も終わりかけの頃、
 「診察ですよ〜」
 と、声をかけてくれたところから、記憶がぷっつり消えました。

 それから、叔父の病室に行くと、相変わらずの無精ひげをのば
した叔父が少しやせたように見えました。私が傍によると、叔父
は私を引き寄せ、耳元で細く押しつぶされたような声で、外に行っ
てジュースでも飲もうと言いました。そこで、わたしはどこから
か車椅子を借りて来て、さも得意気に叔父を乗せ、1階の喫煙所
まで行きました。すると、叔父はちっちゃ〜い黒い小銭入れを開
け、ジュースを買ってくれようとしました。
「いいって、いいって。あたしがだすけん、よかよ」
 すると、叔父はそうか、じゃあお願いはと言う感じで、ジュー
スをもらってくれました。
 その後、一時間くらい叔父と一服しながら、ジュースを飲み、
何かしらおしゃべりをしました。が、何を話したのかほとんど覚
えていません。ただ、私は少しだけ笑いながら、話してたなあと
か、叔父が少し嬉しそうにしてたなあとか、そのくらいです、覚
えているのは。
 そして、じゃあ、また来るよとこころの中で約束しました。固
い笑顔を浮かべて私は、病院を後にした途端、緊張の糸がぷつり
と切れそうになり、しゃがむことも立っていることもできず、緑
色のフェンスにつかまって、ひとが通るのをしばらく待っていま
した。
 しばらくして、中学生くらいの女の子二人に、タクシーをここ
まで連れてきて欲しいと頼むと、ひとりの女の子が、
「今、呼んできますっ!」」
 と、走ってくれました。そして、またそこから記憶がまたぷっ
つりと消えてしまったのでした。

 それから、私は毎日でもお見舞いに行くつもりでいました。が、
あまりにもショックだったので、何もする気が起きず、寝込んで
いました。
そして、3日後の七夕の日の朝。
「y.y.おじちゃん死んだってよ」
「は・・・」
 絶句でした。こころのなかで、
(おじちゃん、3日前は自分で立っとたやんね。何でよ。どうし
てよ・・・・・・)
 
 翌日。お葬式会場に行きました。受付に父の弟である叔父がいま
した。何がそうさせたのか、私はよろめきそうになったので、父が
支えてくれました。
 棺おけに入れられた叔父を見たら、ただちょっと昼寝をしてるだ
けだよと言う感じの叔父が横たわっていました。
「おじちゃんっ!yって、呼んでよっ!おじちゃんっ!」
 そして、父に叔父の顔に触らせてと頼んでみましたが、その棺お
けは顔の部分だけ、透明のプラスチックをはめこんであったので、
触ることは出来ませんでした。私の目からは、大粒の涙がぼろぼろ
と流れてゆくばかりでした。

 それから、2年以上の時を経ました。時々、叔父のことを思い出
すとやはり、いい思い出しか思い出しません。
 幼い頃、黒光りのする古い家の廊下を、私が雑巾がけをしたこと
を、いつまでも嬉しそうに話す叔父。関東方面から、遊びに来てい
た従兄弟の見送りに行くのに、すててこを着ていった叔父。黄色い
パンを作ってくれた叔父。糖尿病だと診断されて、いきなりお酒を
断ってしまった叔父。病院の先生によると、いきなりお酒を断った
事で、癌の進行が早まったのではないかと、後に訊きました。

 父に頼んで叔父の遺品をもらいました。それは、叔父の孫である
女の子と一緒に写っている写真と、使っていた使い捨てのブルーの
ライターでした。
「兄貴は、特別こうと言って、使っとったもんはなかけん」

 おじちゃん。いつまでも、おじちゃんのことは忘れんよ。おじちゃ
ん、私、恋人がいるんよ。お父さんは、相変わらずギャンブルとお
酒をやめられんとげな。ねえ。おじちゃん。夢の中に一度でいいか
ら、出て来てくれんかなあ。ねえ。おじちゃん。私は、おじちゃん
の娘として生まれてきたかったとよ。ねえ、おじちゃん・・・・・
・。


【女性、30代】

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その他の文集

先生

今は、きっと天国にいらっしゃるのですね。
余りにもやさしい先生だったので、今の時代を生きるのは、厳し
すぎると神様が取られたのでしょう。

小説に出てくるような優しい良い意味で今の時代に本当は必要な、
聖人というか、先生とお話ししていると純情。純真。清らか。な
どの言葉が思い浮かびます。

とてもショックです。
先日奥様にお会いしてきました。
本当に痩せてしまわれて、しかし崩れることなく『「なぜ」と思
わないようにしています。』と凛々しくおっしゃり、こちらが励
まされた次第です。

先生、あなたがこの世に残された事は、私なりには、真・善・美
を忘れない事。どんな中にあっても、自分は、小ざかしく生きな
い。というメッセージだと思っております。今の私には、難しい
ですが、心にとめますね。

「良い人は早く死ぬ」ふとそんな言葉が、心に浮かび上がってき
ました。



【女性、30代】

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その他の文集

おじいさん 生きて!

 ある日まで祖父は元気で病ひとつももたなかった。しかしそん
なある日,祖父は事故に遭い、意識のないまま病院に運ばれ重体
のままだっだ。そしてすぐに私は祖父に会いに急いでいったが祖
父は変わり果てた姿で会うことになった。そのときに私は「頼む!
生きて!そして私の高校生の姿をみて!」と語って、4,5時間
後、意識のないまま病院で静かに眠りにつきました。

 このとき私は中学生で生まれてたった一人の祖父だったのでと
ても悲しく今もこのときを思い出すとかなしくてなりません。

  もしもこれがゆめだったら・・・



【女性、10代】

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その他の文集

T叔父ちゃん、もう、痛くないよね。

「ちゃんと、マーガリンは隅々まで、つけなきゃいけないぞ」
 何故か、叔父のその言葉は、インプットされていて、トースト
にマーガリンをつける時、緊張する。確かに、全体に塗らないと、
おいしくないね。叔父ちゃん。
 急性盲腸を起こした時、叔父ちゃんは、自慢の車で病院に連れ
て行ってくれた。
 ドライブにも、連れて行ってくれた。妹と私は、窓から、身を
乗りだし、きゃーきゃー言って、喜んでいた。

「危ないぞ。やめんか」
 と、言いつつ、嬉しそうにしてた叔父ちゃん。虫の知らせだっ
たのか、叔父ちゃんは、車を買ってくれと、祖母にくっついて
回って、やっと、買ってもらったそうだ。
 その前に、バイクに乗ってて、交通事故に遭って、叔父ちゃん
は、まず、足が弱っていって、とうとう、寝たきりになってし
まった。祖母は、献身的に看病していた。母は、お金は出せない
けど、やれることはやらせてと、私達を連れて、よく看病に行っ
た。
 叔父ちゃんは、痩せ衰えていった。初めは、正気を保っていた
けど、激痛のあまり、モルヒネを打ち過ぎて、幻想を見るように
なっていった。でも、頭がおかしくなってしまうと、なかなか、
モルヒネは打ってもらえず、もがき苦しみ、頭がおかしくなって
もいいから、打ってくれと哀願していた。
「母ちゃん、ごめん。親不孝で・・・・・・」
 医者が、あろうことか、カルテを病室に置き忘れ、叔父ちゃん
は、自分が不治の病であることを知ってしまったのだ。叔父ちゃ
んの絶望を思うと、咽に哀しみの塊がこみあげてくる。
 恋人らしき人も、よくお見舞いに来ていた。穏やかで、優しそ
うな人だった。彼女は、日に日に衰え、自分の事も見分けられな
くなってゆく、恋人をどんな思いで見ていたのだろうか?そんな
体験はしたことがないので、心中は察しかねるが、たまらなく辛
かったのではないだろうか。
 叔父ちゃんは、祖母が来るのが少しでも、遅くなると、責めて
いたらしい。淋しかったんだね。祖母は、叔父ちゃんの身体を拭
いてやったり、床ずれを防ごうと身体を転がしたり、好物のお菓
子を食べさせたり、せめてもの、慰みと看病がてらの手まりや、
折り紙細工を飾っていた。祖母は、それくらいのことしかしてや
れなかったと、言うが、それだけでも充分だったと思う。仕事を
して、病室に泊まり込んで、会社に行っていた祖母。その頃は、
国の援助がなくて、苦労したと祖母は言っていた。
叔父ちゃんは、痰がからむと、機械で吸引してもらっていた。
ある夏の日。いつものように、3人でお見舞いに行った。
「叔父ちゃんが、白眼むいとるっ!」
妹の叫びで、看護婦さんや先生が入り乱れ始めた。それが、最期
だった。享年、29歳。祖母は、前々から分かっていたことだと、
気丈にも泣き崩れることはなかった。
気が付くと、叔父ちゃんの年を超えてしまった。
八年後、母も交通事故で、あの世に行ってしまった。叔父ちゃん
と母は、あの世で会うことは出来たのだろうか?祖母には、後一
人の息子しかいない。私は、母を亡くして、哀しい、すごい哀し
いと思っていたが、祖母に比べれば・・・・・・。
叔父ちゃん、あの狂おしいまでの痛みから、解放されて良かった
ね。お母さんのこと、よろしくお願いします。

私は、一生、車を運転することは、ないだろう。これ以上、犠牲
者を増やすわけにはいかないから。



【女性、30代】

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