子供を亡くした親の為に

信仰が力を失ったとき

中原 憬(Kei Nakahara)

天から見放されたという思い


子どもは、純真で、天使のように思えることがあります。

愛から生まれた、純粋で、汚れていない存在。何十億人という地球の人々の中で、私達を親として選んでこの世界に降りてきてくれた天使。

母親にとって、我が身に子どもを宿したことこそ、祝福に思えることがあります。私たちに天から与えられた、愛と幸せが形になった神の使いのような存在。

その子どもが失われたとき、この世に対する信頼とでも呼ぶべきものの基盤が根本から崩れてしまうのです。

たとえ、宗教を信じていなかったとしても、神様から見放されたという想いが、心の中に影を落とすようになるのです。

*   *   *

どの親も、子どもの命の危機に際して、必死に祈ったはずです。
−−−どうか、何かの間違いであってほしいと。助けと、助けて、助けて、と。

なぜ、この子にこんなに恐ろしい運命が降りかかったのか。
なぜ、世の中にこんなに無慈悲で残酷な出来事が起こるのか。

神様は一体、何をしていたのでしょう。その時にこそ、護って欲しかったのに。
自分の命と引き換えにしても、助けたかったのに。
あれだけ、あれだけ、助けて欲しいと願いを掛けたのに。

親にとって、子どもは、すべてなのです。
それを奪い去るなんて。

それまで自分は、愛する子どもと世界の中心で光を浴びていたはずなのに、実は、自分は誰からも見守られてもいなかったのだと、無力感でいっぱいになってしまうのです。


答えの返ってこない質問


子どもを亡くした親は、さまざまな問いを心の中で発し続けます。

「なぜ、死んでしまったの?」
「なぜ、うちの子なの?」
「最期のときは、どんなふうだったの?痛かったの?」
「何がいけなかったの?私が悪かったの?」
「いま、どこにいるの?何をしているの?」
「またいつかあの世で逢えるの?」

誰も、その質問には答えてくれません。神様しか知らないことばかりなのですが、神様は沈黙したままです。
神様にとっては簡単な質問だろうに、答えて私達を救ってくれることはありません。
どんなに心を込めて祈っても、どんなに叫んでも、答えは返ってきません。

わからないことだらけです。納得などできません。

なぜ、よその子は元気なのに、うちの子は死ななければならなかったのか。
なぜ、よその子は成長していくのに、うちの子はその年齢で止まったままになってしまったのか。

そこに合理的な説明はあるのでしょうか?神の意思はあるのでしょうか?
それとも、単に運が悪かっただけなのでしょうか?

−−−誰も答えを教えてはくれません。

誰も答えを教えてくれない中、どのように、この死を解釈して乗り越えていけばよいのでしょう。

どうやら、自分の中から答えを見つけないといけないようです。








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