子供を亡くした親の為に

愛と言葉が力を失ったとき

中原 憬(Kei Nakahara)

愛が力を失ったとき


涙が枯れた夜、親は神様にこんなふうに訴えかけるのです−−−。

この子は、私にとって地球よりも重い命、大切な存在だったのです。
純粋な愛を込めて育んできた存在だったのです。

もしかしたら親として至らない面があったかも知れません。
でも、この子を第一に考えて生きてきました。
何の打算もなく、ただ愛してきたのです。

自分を身代わりにしてでも、守ってやりたかった存在なのです。

−−−この子は祝福されて私たちの元にやってきたのではなかったのでしょうか。

なぜ、最も大切なものを奪われてしまうのでしょうか。
命より大切なものを奪われて、一体、どうやって生きていけばよいのでしょうか。

なぜ、私ではなく、この子を連れていったのですか。
私の命と引き換えで構いません、どうか、この子を生き返らせてください。


*   *   *


子を亡くした後の苦しみは、まるで拷問にかけられるような苦しみといわれます。

もし、愛する我が子を生き返らせるためにこの苦しみに耐えろといわれれば、どんな拷問にでも親は耐え抜くものです。
−−−しかし、それさえもかなわないのです。

とりわけつらいことは、この拷問にも似た苦行で、頼りにする光がなかなか見つからず、出口が見えないことだと思います。未来が見えないのです。

何を心の支えにすればよいのでしょうか。


言葉が力を失ったとき



子どもを亡くすという体験は、あまりに壮絶すぎて言葉に表現できないものです。
言葉で伝えられる範囲を超えているからです。

あえて言葉で表現したものとして、このような言葉を聞いたことがあります。
「生き地獄」、「マイナス200度の世界」、「息をするのも苦しい」・・・。

かりにこのように言葉にしたところで、周囲が想像できる悲しみと、現実の悲しみの体験は遥かにかけ離れたものです。

もし、この悲しみの一端を人に理解してもらって、受け入れてもらえることができれば、感情を吐露することで少しはラクになれるのに、それさえもなかなか叶わないのです。

逆に、「いつまで泣いているの」とか、「次の子どもをつくればよい」などという言葉を掛けられてしまい、傷つけられてしまうこともあります。

信頼していた親や親友にさえ、この気持ちを理解してもらえないのです。
悲しみを心に抱えたまま吐き出せないのです。








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