■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉大森担当分 98年版



【月別書評タイトル一覧】(☆印は大森の個人的推薦作です)

■1998年1月号
☆瀬名秀明『BRAIN VALLEY』 | ☆恩田陸『光の帝国』 | 米田淳一『プリンセス・プラスティック』 | 菅浩江『末枯れの花守り』 | スティーヴン・グールド『ジャンパー』 | L・M・ビジョルド『名誉のかけら』 | 小林めぐみ『電脳羊倶楽部』 | 金蓮花『焔の遊糸』 | ☆津原泰水『妖都』

■1998年2月号
☆矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』 | ☆O・S・カード『消えた少年たち』 | 松尾由美のマックス・マウスと仲間たち』 | マイクル・マーシャル・スミス『スペアーズ』 | 菊地秀行『闇の訪問者』 | 荒巻義雄『帝国の光2東京帝国主義』 | 佐藤大輔『虚栄の掟』 | 柴野拓美☆『塵も積もれば』

■1998年3月号
柴野拓美編『宇宙塵傑作選I・II』 | 大原まり子・岬兄悟編『SFバカ本 たいやき編』 | 佐藤茂『競漕海域』 | 井村恭一『ベイスボイル・ブック』 | ☆池上永一『風車祭』 | スティーヴン・グールド『ワイルド・サイド』 | マイク・マクウェイ+A・C・クラーク『マグニチュード10』 | ☆ルイス・シャイナー『グリンプス』 | リューベン・ディロフ+スヴェトラスラフ・スラフチェフ『緑色の耳』 | ☆とり・みき『SF大将』 | 星野ぴあす『次元特捜EXERON』

■1998年4月号
鈴木光司『ループ』 | ブルース・スターリング『ホーリー・ファイアー』 | 筒井康隆『敵』 | ☆彩院忍『電脳天使III』 | 金蓮花『エタニティ・ブルー』 | 岡本賢一『タイム・クラッシュ』 | P・K・ディック『ライズ民間警察機構』 | 井上雅彦監修『〈異形コレクション2〉侵略!』 | 鈴木いづみ『〈鈴木いづみコレクション8〉男のヒットパレード』

■1998年5月号
マイク・コーディ『イエスの遺伝子』 | ☆奥泉光『グランド・ミステリー』 | スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』 | パラドックス編『SFスナイパー』 | 井上雅彦編『〈異形コレクション3〉変身』 | ジャック・ダン+ガードナー・ドゾア編『魔法の猫』 | ☆上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』 | 金子邦彦『カオスの紡ぐ夢の中で』 | ☆酒見賢一『語り手の事情』 | 長坂秀佳監修『街』

■1998年6月号
☆スタニスワフ・レム『虚数』 | アストロ・テラー『エドガー@サイプラス』 | ゴードン・R・ディクスン『こちら異星人対策局』 | ワイリー&バーマー『地球最後の日』 | ニコラ・グリフィス『スロー・リバー』

■1998年7月号
出海まこと『邪神ハンター』 | 安達瑶『世界最終美少女戦争』 | 小松由加子『機械の耳』 | ラリー・ニーヴン『リングワールドの玉座』 | ウィリアム・C・ディーツ『戦闘機甲兵団レギオン』 | ジョディ・リン・ナイ『伝説の船』 | 司城志朗『ゲノム・ハザード』 | 菊池秀行『〈魔震〉戦線(完結編)』

■1998年8月号
アンダースン&ビースン『終末のプロメテウス』 | ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド☆『マウント・ドラゴン』 | アン・ベンスン『暗黒の復活』 | 北上秋彦『種の復活』 | ☆図子慧『ラザロ・ラザロ』 | ヴォネガット『タイムクエイク』 | 薄井ゆうじ『狩人たち』 | 柴田よしき『レッドレイン』

■1998年9月号
☆小林恭二『カブキの日』 | 貴志祐介『天使の囀り』 | ロバート・シルヴァーバーグ『夜来たる[長編版]』 | 彩院忍『電脳天使IV』 | 岡本賢一『ツイン・ヒート 暴走! 甲蟲都市ゴーザム』 | 小松由加子『図書館戦隊ビブリオン』 | ピーター・ビーグル『ユニコーン・ソナタ』 | D・アンブローズ『そして人類は滅亡する』 | 野田昌宏『宇宙を空想してきた人々』

■1998年10月号
K・W・ジーター『ダークシーカー』 | ☆F・ポール・ウィルスン『ホログラム街の女』 | ニーヴン&パーネル『神の目の凱歌』 | フィリップ・カー『殺人摩天楼』 | 釣巻礼公『制御不能』 | 楡周平『ガリバー・パニック』 | 藤田雅矢『蚤のサーカス』 | ☆恩田陸『六番目の小夜子』 | 松浦秀昭『虚船』 | ☆ジョン・クルート編著『SF大百科事典』

■1998年11月号
キム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』 | 荒巻義雄『響かん天空の梯子』 | 高千穂遙『ダーティペア 独裁者の遺産』 | グレッグ・ベア『凍月』 | とみなが貴和『セレーネ・セイレーン』 | ☆エリック・L・ハリー『サイバー戦争』 | ☆リンダ・ナガタ『極微機械ボーア・メイカー』 | 森岡浩之『星界の戦旗II 守るべきもの』 | 野尻抱介『ベクフットの虜』 | 笹本祐一『彗星狩り』

■1998年12月号
☆ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』 | J・P・ホーガン『量子宇宙干渉機』 | D・ファインタック『《銀河の荒鷲シーフォート3》激闘ホープ・ネーション!』 | 高野史緒『ヴァスラフ』 | 宮部みゆき『クロスファイア』 | 伊達虔『G 重力の軛』 | トム・ホルト『疾風魔法大戦』




本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#49(98年1月号)/大森 望


 二年ぶり三度目の新刊ガイドSF担当を拝命した大森です。前回の登板は、「SF冬の時代」だったけど、今回は「SFクズの時代」、または「氷河期」ですか(笑)。
「いやいや、今は『火星の時代』だよ」と力説してくれたのはSF作家某氏。「かつてはこの星にも火山があり、生命活動さえ観察されたらしい」とか。要するに死滅して久しいジャンルである、と。

 サブカル用語辞典『オルタカルチャー』でも、SFの項目を担当した山形浩生が似たようなこと書いてますが、まあ本格ミステリの例を引くまでもなく、夜明け前の闇がいちばん深い――と十年前から言ってるのが問題だけど、じっさい、「火星の時代」のSFにも、『火星夜想曲』みたいな傑作が観察できるわけだし――と思ったら、本誌前号で高橋良平がクズ同然に罵倒してるのを見て茫然。その一方でオリアリー大絶賛とは、オレにはまったく理解不能だが、誰がなんと言おうと『火星夜想曲』は今年の翻訳SFベストワンだぜ。

 旧刊レビューは以上。新刊では、今年の国産SFベストワン(←私見)、瀬名秀明『BRAIN VALLEY』がついに登場。『パラサイト・イヴ』は、かつて本誌で「最後の最後でSFとしては傑作になり損ねた」と書いた通り、モダンホラー方面に走り去ってベストセラーになったわけですが、今回は観察者次第でハードSFにも超自然ホラーにもなる仕組み。ま、「THE END OF EVANGELION」みたいなもんですね、って違うか。長い書評をよそに書いたから詳細は省くけど、基本ラインは「科学VS超科学」または「唯物論VS神秘主義」。UFOと臨死体験が現代科学と激突するパートはまさに圧巻で、オレ的には超オッケーな堂々の本格SF。前作の結末に怒った人も必読。

 国産SF第二の収穫は、恩田陸の『光の帝国』(集英社一七〇〇円)。あとがきにある通りの和製ピープル・シリーズで、ゼナ・ヘンダースンを愛する人はどっぷりノスタルジーに浸れるけど、きっちり「いまどきのSF」になってるのが特徴。連作ながらバリエーション豊かで(河野典生風のモダン・ファンタジーもある)、はやくつづきを書いていただきたい。

 誰からも愛されそうな『光の帝国』と対照的に、米田淳一の処女長編『プリンセス・プラスティック』(講談社ノベルス九五〇円)は、思いきり評価が分かれそう。

 キャンパス・クイーンに選ばれた美少女、シファ。でも彼女は、現代科学の粋を集めたBN‐X、次期主力突破戦闘艦だったのです。
 ……と、カバーも設定もコテコテのYAなのに、中身は山ほど註のついたガチガチのハードSFだもんなあ。ワームホールでつながった別宇宙に装備を格納する、戦闘総質量十一万トン、体重五十八キロの美少女兵器――エリアルかヤマモト・ヨーコかナデシコか、みたいな話が、思いきりミスマッチなシリアス文体で語られる。文章や構成には粗が目立つけど、今年一番の異常なSF。その意味では講談社ノベルスで出て正解か。

 星雲賞受賞作家・菅浩江の『末枯{すが}れの花守り』(角川書店八〇〇円)は、SFではなく和物ファンタジー連作短編集。外見は様式美に淫した幻想譚だが、短編作家としての力を見せつける巻末作品など、すれた読者も唸らせる力がある。とくに、常世・永世の花フェチ姉妹は最高で、こういうキャラ書かせると絶品だね。

 つづいて海外。某月某日、新宿・池林房にて北上次郎いわく、
「今度早川で『ジャンパー』ってのが出るだろ。あれ、粗筋見たけど、俺向きのSFだと思うんだよ。『リプレイ』みたいな話でさ。だからこっちに回してくんない?」
 横取りだけでは足りず、横取りの予約までするようになったか、このおやぢ――とか書くんじゃないよ、と釘を刺された気もするが、その二時間後、わたしからワレメの親マンを2局連続で直撃した人間の要望など聞く耳を持たないことは言うまでもない。
 しかし、北上次郎が勝手に予約しながら引き取りを拒否した事実が示すとおり、スティーヴン・グールドのデビュー作『ジャンパー』上下(公手成幸訳/ハヤカワ文庫六四〇円)は、『リプレイ』『フェイド』系列とは趣きが違う。「テレポート能力を持った少年のさわやかな成長物語」ではあるにしても、テロリストと対決する後半は、ヴィジランティズム(自警行為)の是非に悩んだり、まるで最近のアメコミ・スーパーヒーロー物だもん。西澤保彦『瞬間移動死体』のあとじゃ、制約が少なすぎるのも物足りないところ。ま、ちゃちゃっと読めて楽しいけどね。

 L・M・ビジョルド『名誉のかけら』(小木曽絢子{おぎそあやこ}訳/創元SF文庫七〇〇円)は、現代ミリタリーSFの最高峰、〈マイルズ・ヴォルコシガン〉シリーズの初長編。マイルズくん誕生前、両親の出会いから結婚までのお話だけど、ビジョルドが最初から練達の物語作家だったことがよくわかる。最近作にくらべるとやや甘い点もあるが、とにかく読ませる。シリーズ未体験の人は、この機会にぜひ。

 YAでは、自身でもWWWページ(www.os.rim.or.jp/~megumi/)を開いてる小林めぐみのインターネット版妖怪譚『電脳羊倶楽部』(角川スニーカー文庫五四〇円)が楽しい。ダイヤルアップ系のホームページャーなら爆笑物でしょう。うちのミラーサイトもリムネットにあるんで(www.st.rim.or.jp/~ohmori/)、なんかご近所小説読んでる感じだったな(笑)。

 最近のYA系ファンタジーではピカいちの品質を誇る金蓮花の〈月の系譜〉シリーズも、四冊目の『焔{ほむら}の遊糸{ゆうし}』(集英社コバルト文庫四九五円)が出ている。夢枕獏にも通じる現代怪異譚を端正な文章で綴る連作で、YA文庫は小野不由美しか読んだことがない中年読者にもお薦め。

 最後に、国産スーパーナチュラル・ホラーの大収穫を。元YA作家・津原泰水{やすみ}の四六判デビュー作、『妖都』(講談社一七〇〇円)は、硬質な文体で現代東京にロメロ的悪夢を幻視した、鋭利で美しいナイフのような傑作。すげえぜ。



本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#50(98年2月号)/大森 望


 日本SF大賞パーティのあと、締切無視して朝までカラオケしたのが覿面に祟り、風邪ひいてぐじゅぐじゅのまま原稿に突入する。

 ちなみに今年の日本SF大賞は、宮部みゆき『蒲生邸事件』と庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』の同時受賞。どっちもオレ的には最高の「日本SF」なんで、久々に心から納得できる結果でしたね。
 そりゃま、どっちもSFじゃないと思う人だっているだろうが、第二回(八一年)の受賞作は井上ひさし『吉里吉里人』だし、この賞は昔から、ジャンルSFの枠にこだわってない。選考委員がSFだと思えばSFなのである。

 その『吉里吉里人』の流れを汲む最新の日本SFが、『あ・じゃ・ぱん!』上下(新潮社二四〇〇円・二八〇〇円)。前作『スズキさんの休息と遍歴』で全共闘の総括を終えた矢作俊彦が、今度は戦後ニッポンをまるごと総括する。 第二次大戦後、東日本(社会主義国)と西日本(資本主義国)に分断された社会をヴォネガット的な文体でコミカルに描く二千枚の大長編カリカチュアで、思いきりスラップスティックな矢作版『五分後の世界』と言えなくもない。
 あえて分類するなら一種の改変歴史SFですが、最大の特徴は、実在の人物が別の顔でばんばん登場するところ。ライシャワー、田中角栄、フェミングウェイ、三島由紀夫……。異常な熱意をもって構築された壮大精緻なオルタネートヒストリーが驚天動地のクライマックスに向かってぐんぐん盛り上がってゆく後半は圧巻。ところどころギャグが滑ってる気がしないでもないが、冒険小説としても無敵の面白さを誇る。年末の娯楽大作群の中でも異彩を放つ傑作。

 一方、現代アメリカを代表するSF作家、O・S・カードの『消えた少年たち』(小尾芙佐訳/早川書房二六〇〇円)は、九九パーセントまで普通小説。

 原型となった同名の短編(『新潮』九〇年九月号に訳載)は、作者自身が実体験を語る実話の体裁をとっていたため、作家の倫理をめぐる喧々囂々の議論が勃発したいわくつきの作品(伊藤典夫が詳細な作品論をSFマガジン九一年四月号に寄稿している)。長編版では、基本のプロットはそのままに、人物の名前や設定を架空のものに変更し、前半の家庭小説の部分をみっちり書き込んでいるのだが、そのうまいことうまいこと。技術的にこれと比肩するのはS・キングとJ・キャロルぐらいじゃないですか。いやなやつを書かせたら天下一品のカードだけに、家族をめぐる人間関係の描写はリアリティがありすぎて気持ち悪くなるくらい。そのすべてがこの結末に収束するんだから、短編版知らずに読むと茫然とするだろうなあ。とにかく大変な小説なので、だまされたと思って読んでいただきたい。北上おやぢも絶賛だ。

 非SFついでにもう一冊、松尾由美の『マックス・マウスと仲間たち』(朝日新聞社一七〇〇円)は、小説のかたちを借りたディズニー論。登場人物たちは「現代のセックスとディズニー文化」ってテーマを考察するための道具なんだけど、小説化の手続きがじつに鮮やかで、ぐいぐい読ませる。SF的視点を現代社会に適用した珍しいタイプの恋愛小説。

 翻訳SFでは、イギリスSFの新鋭(六五年生まれ)マイクル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』(嶋田洋一訳/ソニーマガジンズ一九〇〇円)が収穫。エフィンジャーの『重力が衰えるとき』系列の近未来暗黒街物で、茶木則雄が絶賛するだけあって、SF嫌いの人も全然オッケーでしょ。
 タイトルのsparesとは、臓器移植用に育てられたクローン――つまり人体のスペアのこと。主人公はクローン農場の管理人。規則に反して言葉や常識を教え込んだスペアたちを見殺しにするに忍びず、彼らを連れて農場を脱出するところから話がはじまる。舞台は、床面積十五平方キロ、二百階建てを誇る旅客機、メガモールMA156便。諸般の事情から離陸できなくなった飛行機が、まるごと街になっちゃってるんですね。近未来ノワール物としては、この設定だけでマルでしょう。後半、帰還兵ネタのアクション物に豹変するのがやや弱点だけど、リミックスのセンスで読ませる現代SFの秀作。

 つづいて幻冬舎ノベルスの新刊から駆け足で三冊。菊地秀行『闇の訪問者』(七八一円)は、AV撮影現場に宇宙人が乱入する破天荒なSFアクション。菊地版MIBの趣きで、東スポ連載らしく濡れ場もギャグも大サービス。同じUFOネタでも方向が正反対の『BRAIN VALLEY』と合わせて読むのも一興か。荒巻義雄『帝国の光2東京帝国主義』(八〇〇円)はシリーズ二冊目。朝日新聞連載中の堺屋太一『平成三十年』みたいな近未来シミュレーション小説ですが(物語部分に全然リアリティがないとこも似てる)、こっちはさらに小説色が薄く、エッセイの合間にちょこちょこ物語が進む感じ。全然SFじゃないかも。『地球連邦の興亡』シリーズが好調の佐藤大輔『虚栄の掟』(七八一円)は、初挑戦の業界ミステリー。推理小説的興味には乏しいが、実名もがんがん登場し、ゲーム業界内幕物としてはスリリング。今のSFをめぐる議論など、おたく文化論的な考察もなかなか鋭い。しかし冒頭のNOW LORDINGはあんまりでしょう。だれか気づけよ。

 今月のトリは、日本最古のSF同人誌『宇宙塵』創刊四十周年記念出版、『塵も積もれば』(出版芸術社三〇〇〇円)。五七年創刊の『宇宙塵』は、星新一、光瀬龍、平井和正、広瀬正から、田中光二、山田正紀、梅原克文まで、無数のSF作家を送り出してきた名門(今も年一冊ペースで刊行中)。
 その創刊以来の編集長で、日本のSFファンダム最大の「顔」でもある柴野拓美(小隅黎)が四十年間を回顧するインタビューが本書の三分の二を占めるのだが、これがもう筆舌に尽くしがたい面白さ。よくぞここまでという危ないエピソードも惜しみなく披露され、いやはや仰天。日本SF史に多少なりとも興味のある人は必読。



本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#51(98年3月号)/大森 望


 生れて初めて買った文庫本は、一九七一年五月に新潮文庫から出たばかりの『ボッコちゃん』だった。たしか百六十円だったと思う。日本の大多数のSFファンにとってそうであるように、星新一のショートショートはぼくの心の故郷だった。巨星の冥福を祈りたい。

 その星新一の最初期の短編「火星航路」(58年)を収めた『宇宙塵傑作選』I・II(柴野拓美編/出版芸術社各一八〇〇円)が出ている。先月触れた『塵も積もれば』同様、SF同人誌『宇宙塵』の四十周年記念出版(ちなみに同誌の傑作選はこれが三度めになる)。
 日本人だけの火星行きロケットを舞台にした異色のラブストーリー「火星航路」のほか、光瀬龍、眉村卓、石原藤夫、清水義範など錚々たる顔ぶれの単行本未収録作を集め、日本SFの故郷≠ノ再会させてくれる。同時に、今も現役の同誌傑作選にふさわしく、梅原克文「二重ラセン」(『二重螺旋の悪魔』の原型中編)など、新鋭の出発点となった作品も収録し、日本SF四十年のショーケースの趣き。埋もれた名作では、川島ゆぞの「副作用」が収穫でした。

 それと同時に、大原まり子・岬兄悟編の書き下ろしアンソロジー『SFバカ本 たいやき編』(ジャストシステム一六〇〇円)を読むと、世紀末日本SFの変貌ぶりに愕然とするしかないが、小説的完成よりもバカさを選ぶのも、SFの生きる道のひとつではある。
 以上三冊に加えて、SFマガジン五百号の日本SF特集を併読すれば、国産短編SFの歴史と現状が一望できるだろう。

 一方、過去にすぐれた長編SFを送り出してきた日本ファンタジーノベル大賞からは、また新たな才能が登場している。第九回の優秀賞受賞作、佐藤茂『競漕海域』(新潮社一四〇〇円)は、ポッドと呼ばれる生物艇を駆るレースを軸に、遠未来社会をル・グィン的にきっちり書き込んだ意欲作。椎名誠の遠未来SF三部作に似すぎてるのが難点だが、このタイプの日本SFはもっと出てきていい。

 大賞の井村恭一『ベイスボイル・ブック』(新潮社一二〇〇円)は、キンセラの『アイオワ野球連盟』を南の島に移植したマジックリアリズム系野球小説。日本では珍しいタイプの小説だが、(この賞のウリの)独創性には乏しく、ベースボールへの愛情も見えにくい。残念ながら選評ほどには楽しめなかった。

 同じ魔術的リアリズムなら、第六回の同賞大賞を受賞した池上永一の第二長編『風車祭』(文藝春秋二四七六円)が抜群に面白い。前作『バガージマヌパヌス』の舞台を引き継ぎ、質量ともに一ランクアップ。すさまじくパワフルな老婆フジの「九七年の孤独」(って全然孤独じゃないけどさ)を爆笑のタッチで描き出す超ド級の傑作。「最強の老人」決定戦が開催されれば優勝まちがいなしだね。いやもう最高です。

 今月は海外SFにも収穫が多い。スティーヴン・グールドの第二作『ワイルド・サイド』上下(冬川亘訳/ハヤカワ文庫SF各五八〇円)は、並行宇宙の無人の地球に通じるゲートを発見した少年たちの夏休みを描く爽快な冒険SF。ま、要するに、ドラえもんの出てこない『のび太のねじまき都市』高校生版ですが、今回はディテールに冴えがあり、出来は『ジャンパー』以上。人称代名詞を(会話中でも)大盤振舞いするこの翻訳でなければ、少年小説的なリーダビリティはもっと高かったかも。

 マイク・マクウェイの遺作『マグニチュード10』(A・C・クラークと共著/内田昌之訳/新潮文庫七八一円)は、現代版『日本沈没』とも言うべき地震SFだけど(本文は佐渡の地震から幕を開ける)、パニック物というよりマッドサイエンティスト物で、むしろ『火星転移』と比較すべきかも。主人公の地震学者が、予知の当否をめぐって世界を相手に総額三十億ドルの賭けを挑むとか、(そのアメリカ的無責任さに目をつぶれば)娯楽性満点。クラークの「名目上の共著」物(笑)ではたぶんいちばん面白い。

 しかし今月最大の問題作は、ルイス・シャイナーの世界幻想文学大賞受賞作『グリンプス』(小川隆訳/創元SF文庫九四〇円)。ビートルズ、ドアーズ、ビーチボーイズの、未完に終わった六〇年代の幻の名曲・名盤を現代に再生させる超能力者の物語――と要約すればロックおたくの願望充ファンタシーだが、じつはこれ、きわめてユニークな時間SF。二・二六事件に興味がなくても『蒲生邸事件』が面白いのと同様、六〇年代ロック音痴な人(オレだよ)でもぐいぐい読める。鼻につく部分もあるが(とくに家族関係)、それも含めて一種異様な迫力の傑作に仕上がっている。総計百枚を越す詳細な訳注・訳詞・解説つき。

 今月の珍品は、ブルガリアSFアンソロジー『緑色の耳』(松永緑彌訳/恒文社二二〇〇円)。表題作ほかリューベン・ディロフの短編三編とスヴェトラスラフ・スラフチェフの一編を収録。四〇年代SF風の筋立てと元々社風の翻訳が古式ゆかしさを醸し出しているが、日本を含む世界各国のSF作家がモアイ像の謎をネタに短編を競作する表題作は意外とオフビートで、それなりに面白く読める。

 最後は、祖父江慎が装幀に凝りすぎて(←推定)刊行が三カ月遅れたという、とり・みきの『SF大将』(早川書房一六〇〇円)。要はSF版『キネコミカ』ですが、海外SFおたくは感涙物。元ネタは『ビーグル号』から「翼のジェニー」、『ドクター・アダー』『ブラッド・ミュージック』まで、メジャー/マイナー、新/旧とりまぜた三十九本。SFガイドとしても秀逸で、「これがSFだ」の帯に嘘はない。入れ子構造を採用した前代未聞の造本も必見。あんまりすごくて担当者は社長に怒られたらしいぞ(←伝聞)。

 ではまた来月――と思ったがオマケを一冊。ナポレオン文庫の新刊、星野ぴあす『次元特捜EXERON』(五二四円)は、ウルトラマンネタのポルノ。冒頭はNASDAが打ち上げた静止軌道上の宇宙ステーションだし、挿画は『VOICE』の十羽織ましゅまろだし、けっこうポイント高いかも。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#52(98年4月号)/大森 望


 いやはやまったく驚いた――と書くのもそろそろ飽きてきたが、ほんとに驚いたんだからしょうがない。驚天動地茫然自失。『リング』『らせん』のあとに、まさかこんな結末が待ち受けていようとは。この驚愕の真相に、げげげ、これって「(10字抹消)」じゃん、とひっくり返るのは、SF読者だけに許された特権でしょう。

 発売たちまち五十万部突破のベストセラー街道を突っ走る鈴木光司『ループ』(角川書店一六〇〇円)は、これ一冊で『リング』三部作すべてを純粋なSFに変貌させてしまう奇跡の完結編。つまりこれはSF(科学的論理)がホラー(超自然現象)に勝つ三部作だったわけですね。

 前作の書評では、「どう見てもSFになるはずのないオカルティックな超自然現象を出発点に、ほとんど小松左京的な本格SFの方向にぐいぐいひっぱっていく力技が最大の特徴」と書いたけど、本書ではついに、すべてのホラー的要素がSFとして完璧に説明しつくされてしまう。著者自身はSFと呼ばれたくないみたいだけど、『ループ』はどこからどう見ても、言い逃れのしようがない日本SFの傑作。ホラー的解釈の余地を残さないって意味では『BRAIN VALLEY』以上にSF度が濃い。
 そりゃま、ハードSF的見地からのあら探しは不可能じゃないが、古典的大技をここまで見事に決められては脱帽するしかない。どうせベストセラーのホラーでしょ、と敬遠してきたSF専門読者はこの機会に三冊一気読みすること。ちなみに前二作を映画で代用するのは不可です。

 海外では、ブルース・スターリングの『ホーリー・ファイアー』(小川隆訳/アスペクト二六〇〇円)が収穫。延命療法で一気に若返った九十四歳のヒロインの体験を通して二一世紀末の社会をリアルに描く最新長編。スターリングの近未来物と言えば、インターネット社会を予見した名作『ネットの中の島々』があるけど、本書ではさらに手法を先鋭化させて、プロットらしいプロットはほとんど排除。徹底的にディテールにこだわり、未来社会の細部に神を宿らせてゆく。元気な老人たちが我が物顔で一線に居座りつづける長老支配社会と、それに反発して先鋭化する若者文化――鮮やかに立ち上がってくる未来社会のリアリティは著者ならでは。

 しかしどっちかというと、老人文化に焦点を絞ってほしかったな、と思ってるとこに出たのが、筒井康隆久々の書き下ろし長編『敵』(新潮社二二〇〇円)。元大学教授でひとり暮らしの老人(七十五歳)の日常をひたすらディテールに淫して描く、SFとはほぼ無縁の小説だが、おたく世代の老後に思いを馳せつつ読むと感慨深い。ただし、ASAHIネット方言満載のパソ通ネタはやや興醒めでした。

 つづいてヤングアダルト方面。第1回ソノラマ文庫大賞佳作の『電脳天使』でデビューした新鋭・彩院忍の三冊目、『電脳天使III』(ソノラマ文庫五三〇円)はあいかわらず絶好調。ネタ的には『ループ』と似てなくもないけど、こちらは圧倒的にキャラの魅力で読ませるタイプ。PC(プログラムド・キャラクター)と呼ばれるキュートな人工生命たちの掛け合い漫才が絶妙で、会話のうまさは特筆に値する。テーマはしっかりしてるし、プロットにも危なげがなく、物理空間と電脳空間の差異が不分明だったりする欠点に目をつぶれば、この種のネットSFとしてはもっとも成功している例でしょう。YA的な人物造形が気にないSF読者にはおすすめ。

 YA系ファンタジー作家ではいちばんの注目株、金蓮花の『エタニティ・ブルー』(集英社スーパーファンタジー文庫五一四円)は、著者初の単発SF長編。三一世紀の月を舞台にした『スター・レッド』+「ブレードランナー」ってノリの小説ですが、やや耽美入ってるせいか、オレ的にはちょっとつらかった。女性読者向き。

 パスカル文学賞作家・岡本賢一の最新刊『タイム・クラッシュ』上下(ソノラマ文庫各四九〇円)は、ディック的な悪夢に正面から挑んだ意欲作。時間の流れには変更不可能な「本流」と、過去の改変から生じる「模造時間」がある――という設定でパラドックスを巧妙に回避しつつ、登場人物たちをかぎりなくリアルな模造時間の迷宮にさまよわせ、現実崩壊感覚に満ちた物語を語る。ディックにくらべると、各画面のリアリティが強度に欠けるうらみはあるが、大きなシリーズ(銀河冒険記)の一部という体裁をとっている以上、ある程度はしかたないか。ディッキアンに読ませたいタイムオペラ。

 今月は、P・K・ディック自身の長編、『ライズ民間警察機構』(森下弓子訳/創元SF文庫七二〇円)も出ている。サンリオSF文庫刊『テレポートされざる者』の新訳・完全版。旧版以上にディックらしいわけわかんない話になってるところがミソですね。底本は、原稿欠落部分をスラデックが補筆したバージョンだけど、のちに発見されたオリジナル原稿もオマケで訳載されてるんで、世界で唯一の完全版かも。しかしこの異常さはやっぱり余人には真似できないよな。

 井上雅彦監修のオリジナルアンソロジー・シリーズ〈異形コレクション〉は、ホラー中心だった前巻『ラヴ・フリーク』に続き、SF中心の第二弾『侵略!』(廣済堂文庫七六二円)が出た。タイトル通り、侵略テーマの短編競作で、かんべむさし、梶尾真治、横田順彌、菊池秀行、大原まり子、岬兄悟、大場惑、牧野修など十八人が参加。集中随一の異色作は津原泰水の「聖戦の記録」。往年の筒井康隆を思わせる異様な迫力がある。

 さて、今月のラストは、文遊社の〈鈴木いづみコレクション〉全八巻の完結編『男のヒットパレード』(二三〇〇円)。単行本未収録の対談をメインに、書簡、書評、年譜、書誌などを収録。ビートたけしや坂本龍一、近田春夫との対談は必読。鈴木いづみファンなら全巻そろえるのがお約束だけど、「既刊の単行本はぜんぶ持ってるからなあ」って人も、七巻と八巻はマストバイっす。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#53(98年5月号)/大森 望


 角川書店が運営する『BRAIN VALLEY』ホームページ(http://kadokawa.channel.or.jp/brain/)に、読者が自由に書き込める掲示板がある。著者・瀬名秀明を交えて戦わされる活発な議論がめったやたらに面白く、毎日読みふけってしまうのだが、どうもSFがからむと話が紛糾しがちな傾向がある。科学的正確性とSF的価値が混同されやすいのが原因かも。
 文系SFおたくであるオレの場合、前者にはこだわらないが、後者にはこだわる。これはべつにSFに限ったことじゃなく、本格ミステリにしろホラーにしろ、特定ジャンルに愛着を抱く読者は、自分の頭の中のイデアに照らして作品を評価する。しかし、ジャンルに執着しない人にとって、この種のこだわりは理解しがたいものらしく、「SFとしては評価できないが」とか書くと、頭から否定していると思われたりする。
 ある作品が「SFかSFでないか」と「面白いか面白くないか」が別物なら(もちろん別物なんだけど)、いちいちSFとして≠ヌうなのかを言及する必要はない――ってのは正論だが、境界線上の作品を前にすると、オレの物差しはまずSF度を計測するようにできてるんだからしょうがない。

 たとえばマイク・コーディの『イエスの遺伝子』(三橋暁氏のページ参照)の場合、見かけは明らかにSFなのに、そこにはSFの魂が存在しない。ハリウッド大作映画的にサービス満点のプロットはそれなりによくできているが、オレの物差しはこの種の面白さにほとんど反応しないのである。

 その一方、外見上はまったくSFに見えない奥泉光の大著『グランド・ミステリー』(角川書店    円)に対して、この物差しは激しく反応する。オレにとっての奥泉光は、「ミステリと見せかけてSFを書く」作家なのである。
「これはSFである」と書くと即ネタばらしになっちゃう種類の小説は、SF時評では対処に困るのだが、オレのSF魂が口をつぐむことを許さないのであえて書く。
『「吾輩は猫である」殺人事件』が本格ミステリの仮面をかぶった××SFだったように、『グランド・ミステリー』も、伝統的なSFのアイデアがその核心にある。たとえて言うなら、スティーヴン・エリクソンが書いた『エリアンダー・Mの犯罪』か。
 SF的な文法に従って書かれていないことは『イエスの遺伝子』と同じだが、本書の場合、表現型はミステリでも、その背後にまちがいなくSFの遺伝子がある。まちがいなく今年のベスト5に入る、認識的異化作用に満ちた傑作。

 ジャンルSFでは、ウェルズの遺族から了解を得て書かれた『タイム・マシン』の続編、スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』上下(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF各六八〇円)が収穫。

 バクスターはストーリーテリングに激しく難がある作家なので、先行作品の続編って趣向がうまく作用した感じ。時間を超えてあっち行ったりこっち行ったりする前半は、ほとんど「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」だけど、なにしろバクスターだけにスケールがでかい。多世界解釈にアクロバティックなひねりを加えて暴走する後半は著者の独擅場でしょう。例によってやや冗長な部分もある、が、『時間的無限大』ほどとっつきは悪くないし、バクスター初体験の人でも安心だ。

 つづいてアンソロジーが三冊。SFおたくのギャグがそのまま実現したようなタイトルの『SFスナイパー』(ミリオン出版九五〇円)は、雑誌『SMスナイパー』の(旧)版元から出たのがミソ。
 伊吹秀明や岡本賢一を輩出したSF同人誌《パラドックス》の傑作選で、内容的には『SFバカ本』路線のファニッシュな話が中心。個人的には、日高トモキチのSF探偵小説「アニストマの大迷宮」とか、木川明彦「怪奇車博士」とか、反時代な作品が面白かった。
『変身』(廣済堂文庫   円)は、井上雅彦編の書き下ろしテーマ・アンソロジー《異形コレクション》の第三弾。『侵略』に比べるとSF系の話は少ないが、文庫書き下ろしとは思えない水準の高さはあいかわらず。

 一方、ジャック・ダンとガードナー・ドゾアの編になる『魔法の猫』(深町眞理子ほか訳/扶桑社ミステリー文庫七〇〇円)は、ネコ小説の再録アンソロジー。「跳躍者の時空」「鼠と竜のゲーム」など定番のネコSFのほか、意外とクセのある話が多くて楽しめる。単行本未収録だったキング「魔性の猫」は、愛猫家必読。グーラートの「グルーチョ」、リゲットの「猫に憑かれた男」もいい。

 ヤングアダルト系のイチ押しは、第四回電撃ゲーム小説大賞受賞作、上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』(電撃文庫五五〇円)。ギャグにもパロディにもノスタルジーにも逃げず、「ねらわれた学園」系列のネタをシリアスに描いて成功した希有な例。SF的説明がややかっこよさに欠ける難点はあるものの(というか、説明なんかしないほうがよかったと思う)、構成と描写には欠点を補ってあまりある冴えがあり、次作が楽しみ。

 変わり種を一冊。日本を代表する複雑系研究者、金子邦彦の『カオスの紡ぐ夢の中で』(小学館文庫四九五円)は、世界初の複雑系SF「進物史観」を収録する。コンピュータが生成する物語の進化をカオス的観点から描く、カルヴィーノ的な(あるいはレム的な)メタフィクショナル・ハードSFの快作。文学おたく的ギャグが炸裂する「物語の病気」の件りなんか爆笑で、ぜひ長編を書いていただきたいものである。

 メタフィクションと言えば、一九世紀末ロンドンが舞台のポルノグラフィに器を借りた、酒見賢一『語り手の事情』(文藝春秋   円)も、じつにエレガントなメタ好色文学。ジョン・バースが書いた『一万一千本の鞭』みたい。

 最後に、これはSFでも小説でもないんだけど、チュンソフトのサウンドノベル第三弾、長坂秀佳監修の『街』(    円)はサターン・ユーザー必読です。



本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#54(98年6月号)/大森 望


『'98本格ミステリーベスト10』(東京創元社)に掲載された我孫子武丸の「本が人を殺す!?」が一部で話題を呼んでいる。『死の蔵書』の書評を大量に集め、「本好きにはたまらない」と形容した書評を撫で切りにしたりする愉快なな書評評エッセイだが、これに対する評価が立場によって真っ二つなのが面白い。大森の調査では、書評家五人が全否定なのに対し、作家五人(主に本格系)は全肯定。
 一方的すぎるという書評家サイドの反論も理解できるけど、個人的には、同じフレーズをずらっと並べられた時点で書評家の負けって気がしなくもない。たとえば金子達仁『決戦前夜』だって、どの書評見ても「サッカーファンにはたまらない一冊」と書いてあったら、思いきりむっとする日本代表サポーターが少なくないだろうし。ま、限られた行数で不特定多数の読者に本を紹介するため、紋切型のフレーズを採用せざるを得ない「書評家の事情」もわかるけどさ。ともあれ、こういう書評評は面白いので、がんがん出てきてほしいものである。

 ……などという守備範囲外のネタで行数を稼いでいる事実が暗示する通り、今月は国産SFがお休みで本が少ない。スタニスワフ・レムならぬ身では存在しない本を面白く書評する芸とてなく、以下、輸入物の新刊SFを紹介して紙面を埋めるわけだが、そのレムが『完全な真空』(架空の本の書評集)につづいて発表した天下の奇書『虚数』(長谷見一雄ほか訳/国書刊行会二四〇〇円)がついに邦訳された。未来の書物の序文、未来の百科事典の宣伝チラシ(内容見本つき)、コンピュータの講義録からなるこの本は、ある意味でSF的想像力の極北に位置する。こんなものが四半世紀も昔に書かれていたとは、まったく茫然とするしかない(←紋切り型表現)。
 たとえばコンピュータが生み出した文学全集の序文、「ビット文学の歴史」は、現在の人工生命研究の水準に照らしても、独創性と先見性を失わない。ハードウェア寄りに書かれているという瑕疵はあるにしても、コンピュータの未来を洞察する思索の深さは驚嘆に値する。しかもその中には、たった一個のタキオンから成る「速宇宙{タキヴァース}」の存在を仮定する「恐怖物理{テロフィジックス}」なんて驚天動地のギャグが平然と混じってたりするんだもんな。
 バクテリアの言語教育に半生を捧げた科学者の著書『エルンティク』の序文とか、軽いネタのおかしさも爆発的。遊びでここまでやられたんじゃ、ほかの作家の立つ瀬がない。『完全な真空』と合わせて必読のおそるべき爆笑本。

 こういう本が出ちゃうと、同傾向のテーマを扱ったアストロ・テラーの『エドガー@サイプラス』(前山佳朱彦訳/一八五七円)はいかにも分が悪い。インターネット上の情報収集用に開発されたロボットプログラムがとつぜん知性を持ち、開発者のおねえちゃんにメールを書いてくる(そのアドレスがedgar@cyprus.stanford.eduね)って話で、本の中身は、ほぼすべてメールのやりとりだけで構成される。『Eメール・ラブ』のSF版というか、ポストペット・ユーザーの夢が小説化されたようなもんですね。
 もっともらしい細部のおかしみを味わうタイプの軽い小説なんで、エドガーの発生理由は説明されないし、せいぜい短編のネタだけど、メールが主要連絡手段の人ならくすくす笑って読めるはず。井上夢人『パワー・オフ』なんかと読み比べるのも吉。

 つづいてあまりにも懐かしいゴードン・R・ディクスンの『こちら異星人対策局』(斉藤伯好訳/ハヤカワ文庫SF六八〇円)は、ホーカ系列のユーモアSF。宇宙人接待係をおおせつかった夫婦のドタバタを、初期ティプトリー(明るい系)の十分の一の密度でのんびりゆったり語るSFほら話。
 富樫義博の『レベルE』を単純化したような筋立ては、どう見ても四〇年代SFだけど、なんとこれ、九五年発表の新作。はるか昔に絶滅したはずの牧歌的エスノセントリズムがほほえましい。ディクスンも七十の坂を越えて幼児退行しちゃったんでしょうか。

 その『対策局』の六十年以上前に書かれた破滅SFが、映画で有名なワイリー&バーマーの『地球最後の日』(佐藤龍雄訳/創元SF文庫七一〇円)。この夏に全米で封切られるスピルバーグの新作「Deep Impact」の原作(の片割れ)に採用されたおかげで、初の完訳版刊行となったらしい。放浪惑星との衝突で地球の壊滅は確実、さあたいへんだと脱出計画がはじまる古典的なプロットながら、描写は三〇年代のSFらしからぬリアルさで、五〇年代SFと言っても通りそう(だから『対策局』より新しく見える)。ま、結論わかってるから退屈は退屈だけど、予想以上に楽しめました。

 ってことで、今月唯一の新作らしい新作は、イギリス生まれの新鋭(六〇年生まれ)、ニコラ・グリフィスのネビュラ賞受賞作、『スロー・リバー』(幹遙子訳/ハヤカワ文庫SF八四〇円)。
 舞台は近未来の英国。大富豪一家の末娘ローアが十八歳の誕生日直前に誘拐される。家族はなぜか身代金の支払いを拒否し、ローアは犯人を殺して単身脱出。アンダーグラウンド社会の女、スパナーに拾われて、ローアの新生活がはじまった……。(一部ウソあり)
 恵まれた境遇の女性が従来の身元を捨てて新生活に飛び込むのは、スターリング『ホーリーファイアー』と同趣向。いまどきのSFらしく、別人の身元を借りて下水処理場で働くローアの現在(一人称過去形)、スパナーに拾われて以降の近い過去(三人称過去形)、少女時代の遠い過去(三人称現在形)の三つの時間を交互に描きつつ、事件の全貌をしだいに浮かび上がらせてゆく構成。下水処理技術をめぐる近未来特殊職業モノ的なディテールも面白いけど、構造的には明らかにミステリで(異常心理サスペンス+企業謀略物)、パズラーっぽいネタも少々。同じ英国の同世代作家、M・M・スミスの『スペアーズ』に通じる部分もあって、地味ながらミステリ読者にもおすすめの佳作。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#55(98年7月号)/大森 望


 笠井潔は、ミステリマガジンに連載中の本格ミステリ論「ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」第三回(九八年六月号)で、日本SFの「ジャンル的な弱体化」に触れて、『SFの「ような」小説の繁栄が、SF小説をジャンル的に衰亡させた』と書いている。
 それと同様に、最近増えつつある『部分的に本格「のような」作品』が本格ミステリを窒息させるのではないか――と笠井潔は警鐘を鳴らすわけだが、大森の名前がなぜか引き合いに出されているので、この場を借りて私見を一言。
 現状認識におおむね異論はないけど、オレの歴史認識と結論は笠井説と正反対。日本SFのジャンル的弱体化は、『SFのような小説』と「SF」との区別にこだわりすぎて、SFのイメージを難解にしてしまったのが原因だと思う。
 つまり、SFのような小説を「これはSFじゃない」と排除しつづけた結果、本格SF以外のSFが消え失せ、SFのイメージが痩せちゃったわけですね。その結果、作家側(たとえば椎名誠)まで「自分が書いているのはSFではなく『SFのような小説』だ」と発言する状況が出来した。
 したがって、国産本格ミステリを「マニアックな読者に支えられた難解なジャンル」にしないためには、むしろ『本格の「ような」小説』を積極的に肯定していくおおらかさが必要なんじゃないか。

 というわけで大森は新本格の現状を「カンブリア紀の爆発」と見なし、その驚くべき多様性を積極的に楽しんでるわけですが、中核が必要だという笠井説は当然正しい。なにしろ今月も、「中核となる日本SF」は皆無だもんなあ。
 しかしもちろん、中核の不在は周辺の責任ではない。周辺だけでもにぎやかなのはSF読者として慶賀の至りで、たとえばナポレオン文庫の成功以来、ヤングアダルト系では『SFのようなポルノ』は、一ジャンルを築きつつある。

 今月いちばん驚いたのは、出海まことの『邪神ハンター』上下(青心社文庫各七四〇円)。中身はクトゥルー+美少女格闘ポルノだが、なんと士郎正宗の描き下ろしカラーイラストが合計二十ページ以上。贔屓のトップアイドルが投稿写真誌の巻頭グラビアで脱いでるのを見たような衝撃……って違うか。士郎ファンはマストバイ。

 新創刊のプレリュード文庫(KKベストセラーズ)から出た安達瑶『世界最終美少女戦争』(五二四円)も、マッドサイエンティスト物かと思いきや後半はクトゥルーポルノ。おたく系のバカなギャグ満載でけっこう笑える。これで話が割れてなきゃ傑作だったのに。

 正しいYAでは、コバルトノベル大賞・読者大賞受賞の小松由加子『機械の耳』(コバルト文庫四〇〇円)が収穫。表題作は、ユニークな現代版ききみみずきん、併録の「かえるの皮」は時代物の異類婚姻譚で、独特のセンスが光る。

 海外からは、コテコテの宇宙SFが三冊。一番の娯楽大作は、ファン待望のラリー・ニーヴン『リングワールドの玉座』(小隅黎訳/早川書房二〇〇〇円)。もともと宇宙のディズニーランド≠ニか言われてたリングワールドですが(表面積は地球の三百万倍)、第一作発表から築二十六年を経てアダルト化の進行が著しく、登場人物たちはヒト型異種族セックス(リシャスラ)しまくり。食事とセックスと殺し合いが七割を占める状態だけど、プロットの弱さに目をつぶれば、各アトラクションは意外と楽しめる。前半は吸血鬼掃討戦、後半はプロテクター同士の死闘がウリ。

 おまえはダイエットに失敗したエヴァ初号機か、みたいなカバーイラストに仰天した『戦闘機甲兵団レギオン』上下(冬川亘訳/ハヤカワ文庫SF)は、『宇宙の戦士』現代版ぽく幕を開けるものの、後半はなんと『ジェダイの復讐』。大笑いの政治抗争劇やあまりにも人間的な宇宙人たちはD・ブリン路線ですか。ブリンに比べると小説がヘタで、やたら登場人物を出しすぎる欠点はあるが、いまどきの宇宙戦争SFとしては合格点。

 マキャフリーの『歌う船』からスピンオフしたBB船シリーズの新刊、ジョディ・リン・ナイ『伝説の船』(嶋田洋一訳/創元SF文庫八六〇円)は『魔法の船』の続編。純朴な未開種族を味方につけて宇宙海賊と戦うという牧歌的エスノセントリズムはほとんど四〇年代スペースオペラで、無理やり入れたBB船ネタは浮きまくり。こうして見ると、異種族の文化的背景や世界設定をまじめに考えてるだけニーヴンはえらいかも。

 ふたたび国内。サントリーミステリー大賞読者賞の司城志朗『ゲノム・ハザード』(文藝春秋一三三三円)は、本格ミステリっぽく幕を開けるものの、(北川歩実の『僕を殺した女』とは反対に)SFで落ちるバイオ物。アイデアはともかく手続き部分のリアリティがなさすぎる。第一線の研究者が失踪、すべての研究成果を収めたフロッピーが行方不明……ってそりゃあんまりでしょう。人格転移の発想は悪くないだけに惜しい。

 というわけで今月のイチ押しは、菊池秀行『〈魔震〉戦線(完結編)』(祥伝社ノンノベル八二〇円)。『死人機士団』(全四冊)『ブルーマスク』(全二冊)と絶好調を続ける《魔界都市ブルース》(秋せつら物)の最新作(全二冊)。〈魔界都市・新宿〉を出現させた〈魔震〉の秘密がついに明かされる……かと思いきや、例によって謎の相当程度は先送りにされちゃうんだけど、いやはやこの展開には茫然。なにしろチベットの古刹で〈魔震〉が発見され、その〈魔震〉を詰めたバッグ(なぜそんなものがカバンに詰まるのかは謎)をめぐって壮絶な争奪戦がはじまるんである。よくもまあこんなこと考えるよなあ。後半、キャラクターが暴走し、世界をめぐる謎がどっか行っちゃうのが惜しいけど、SF的興奮にかなり近い感覚が味わえる。菊池ファン以外のSF読者も、このシリーズだけは見逃さないほうがいいかも。

 この魔震物とつづけて読むとちょうどいい(うそ)時震物が、カート・ヴォネガット最後の小説(著者自称)、『タイムクエイク』(浅倉久志訳/早川書房)なのだがもう行数がないので以下次号。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#56(98年8月号)/大森 望


 新幹線のぞみ号より速い巨大イグアナが北米大陸を疾走する夏だというのに、新刊は微生物と遺伝子の話ばっか。バイオ・サスペンスもしくはバイオ・スリラーってキャッチがポイントね。ま、もともと日本ではこの種の現実密着型SFが主流だったわけで、七〇年代日本SFにブロックバスター小説的な(ハリウッド映画的な)方法論を接ぎ木したのが世紀末バイオSFだと言ってもいい。

 サンフランシスコ湾内の原油流出事故から始まるアンダースン&ビースン『終末のプロメテウス』上下(内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF各七八〇円)も、前半はきわめて映画的。原油処理のため、オクタンを食べる微生物プロメテウスを撒布する。が、そのプロメテウスが暴走し……という筋立てもパニック物の王道でしょう。
 しかし、暴走の過程ではなく、結果を描いている点で、パニック物とは一線を画す。プロメテウス解縛後、物語は一気に『復活の日』的な破滅SFに移行するんだけど、この切断(世界が一瞬で一変する驚き)がSFの醍醐味。
 問題は、文明崩壊後の世界で起きる局所戦が後半の中心を占めること。登場人物が無闇に多いのも難点で、このスタイルが成功しているとは言いがたい。読者サービスの方向をまちがえた例。

 同じ二人組でも、怪獣SF『レリック』のコンビ、プレストン&チャイルドの新作『マウント・ドラゴン』上下(中原尚哉訳/扶桑社文庫六一〇円・六六〇円)は、抜群のストーリーテリングを誇る。
 インフルエンザに対する免疫をつくるボノボの遺伝子をヒトDNAに組み込む研究中に致死ウイルスが誕生してしまうという発想もいい。ただしこちらは前提だけがSFで、プロットはサスペンス。
 極端に誇張されてるけど類型的じゃない登場人物たち(巨大バイオ企業CEOのスコープスは今年のベストキャラかも)のおかげで、できすぎたプロットにも違和感がない。やっぱり基本(理屈とディテール)ができてると強いね。

 なお、このコンビの作品では、『レリック』の続編、『地底大戦』上下(富永和子訳/扶桑社文庫各六一〇円)も出ている。マンハッタン地下が舞台なだけに、レリックがミミックになったような話ですが、あいかわらずキャラ立ちまくりでぐいぐい読ませる。これは映画的手法が成功した例。

 黒死病の一四世紀と、古代から甦った疫病に襲われる二一世紀英国を交互に描く――と要約すれば、ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』そのまんまだが、アン・ベンスンのデビュー作『暗黒の復活』上下(古賀弥生訳/徳間文庫六二九円・五九〇円)に時間旅行の要素はない。しかし、変貌した二〇〇五年の描写は意外とリアルで、その背景がプロットと密接にからむところにSFらしさがある。六世紀離れた二つの物語をタイムトラベル抜きでつなぐため、かなり苦しい手を使ってるけど、まあぎりぎり許せる範囲でしょう。

 ペストどころか天然痘も復活、ついでに新型HIVまで猛威をふるうのが、北上秋彦の『種の復活』(祥伝社一一四三円)。田中光二の『大滅亡』とか、ノンノベル伝統の情報小説が復活したような力作ですが、いくらなんでも欲張り過ぎ。結果的に各ネタのディテールが甘くなり、荒唐無稽な印象に拍車をかける。ま、ノンノベル的にはこの料理法で正解かもしれないけど……惜しい。ところでモノクローム抗体ってモノクローナル抗体のこと?

 図子慧『ラザロ・ラザロ』(集英社一九〇〇円)は、不老不死を実現する遺伝子組み替え技術が焦点。ただし話の骨格は『百舌が叫ぶ夜』的なサスペンスで、「超美形の中間管理職を主人公にリアルな企業小説を書く」という困難なテーマに挑んで成功させた、じつにユニークな作品。

 ふう。以上でバイオSFバトルロイヤルは終了。優勝は『マウント・ドラゴン』、準優勝は『ラザロ・ラザロ』……と勝手に決めたところで、今月の本命はヴォネガットの『タイムクエイク』(浅倉久志訳/早川書房一九〇〇円)。

 題名の「時震」とは、一九九一年から二〇〇一年までの十年がリプレイされる現象。をを、久々の大ネタ――と喜んだのもつかの間、人間の意識以外はすべてそのままくりかえされるから、十年間、変わったことはなにも起きない。問題は、時震終了後にどうなるか。
 物語の語り手はヴォネガット自身、主役は著者の身でもある生涯一SF作家<Lルゴア・トラウト。おまけに語りは、作者ヴォネガットと作中人物ヴォネガットをシームレスに行き来するものだから、エッセイとも小説ともつかないモノになっている。しかし、序文から往年のヴォネガット節が全開、トラウトの書いた三文SFのプロットも大量に挿入されて、『チャンピオンたちの朝食』派のオレは大満足。昔のような興奮はないが、しみじみと味わいたい巨匠最後の作品=B

 薄井ゆうじ『狩人たち』(双葉社一八〇〇円)は、世界各地にドーム都市が建設された二一世紀を舞台とする近未来SF。神林長平の文体で書いた『大きな壁の内と外』みたいな話ですが、うーん、ここまでありえない未来を設定するなら、実在の固有名詞は使わないほうがよかったのでは。現実の延長線上にある近未来物としては説得力がなさすぎる(描かれるコンピュータ・テクノロジーは二、三年先の感じなのに、建築技術は百年以上未来に見えたり)。むしろ、徹底して観念小説的な書き方をすべきだったと思う。著者の持ち味がほとんど出てなくて残念。

 最後の一冊は、柴田よしき初の本格SF『レッドレイン』(ハルキノベルス六八六円)。帯には「二十一世紀のドラキュラ伝説」とあるが、これは柴田版『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。ただし、ディックを意識するなら、社会背景の説明は無用。四十年先の未来設定はおおむねよく考えてあるけど、それを地の文で解説せず、あたかも現代小説であるかのように描くのがディック系現代SFの流儀でしょ。とはいえ、趣味に走りつつもSFの勘所をきっちり押さえてあるのがうれしい。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#57(98年9月号)/大森 望


 あのナイジェリアがデンマークごときにあっさり敗退とは、まったく世の中なにがあるかわからない。おかげですっかりやる気なくしつつ惰性で見てたW杯もようやく大詰めですが、考えてみるとフットボール小説って全然ないね。ペレの『ワールドカップ殺人事件』ぐらいか。ここはひとつ、フランス帰りの馳星周にがつんと一発書いていただきたい。高校中退した協調性がないろくでなしの天才フォワードがA代表救う話とかどうすか。中国系でも可。

 さて、日夜ボールを追いつづけてほどよく蕩けた夏休みの脳みそに心地よいSFと言えば、小林恭二の三島賞受賞作『カブキの日』(講談社一六〇〇円)で決まり。
 日本一(いや、世界一か)の巨大劇場「世界座」を舞台に展開する絢爛豪華幽玄怪奇な幻想世界。設定的には名作『美藝公』のカブキ版てな趣きで、じっさい胎内めぐり的な屋内冒険には筒井康隆色濃厚だけど、なにしろヒロインはキャラ立ちまくりの元気な美少女ですからね、ノリ的にはむしろ最良のヤングアダルト小説。こんなに気持ちよく読めた本はひさしぶりかも。今年のベストに数えられる傑作。

 つづいて、日本ホラー小説大賞を『黒い家』で受賞した貴志祐介の新作『天使の囀り』(角川書店)――と思ったが、うーん、このページでとりあげること自体ネタバレになっちゃうかも。ってもう遅いか、すみません。
 学術調査に随行してアマゾンの奥地に赴いた作家・高梨。だが、帰国した彼は別人のように変貌していた――ってのが話の発端で、諸星大二郎的なホラーになりそうにも見えるが、まさかこう来るとは。中盤で明かされるネタを書けないのが残念ですが、これはほんとにこわい。生理的恐怖感では近年のベスト。ただし、結末はサービスしすぎ。ホラーはこうしなきゃ、ってもんでもないでしょう。

 海外では、アシモフの中編をシルヴァーバーグが長編化した『夜来たる[長編版]』(小野田和子訳/創元SF文庫九二〇円)が出ている。あの話がどうやったら五百頁超の長編になるのか――と思ったら、なるほどこれは破滅SFだったのね。念のためSF史をおさらいしておくと、その昔、名編集者のキャンベルさんが、「もし、千年に一度、夜が来る世界があったとしたら?」という宿題を出し、アシモフが提出した模範答案が中編版「夜来たる」。しかし長編版でこれだけ説明されても、夜が来ただけでなぜみんな気が狂っちゃうのか納得できない。予測してたんならもっと準備しろよ。
 なお、長編版には「夜明け」編も付属し、その後どうなったかもわかる仕組み。読ませる工夫は随所にあるが、中編版に思い入れがない人にはどうでもいい小説かも。だれか対抗して小松左京の「夜が明けたら」を長編化しませんか。

 つづいて国内ヤングアダルト。ソノラマ文庫から二冊。『電脳天使IV』(四九〇円)は、彩院忍デビュー長編の完結編。YA系サイバーSF屈指の名作なので、この機会にまとめてどうぞ。岡本賢一『ツイン・ヒート 暴走! 甲蟲都市ゴーザム』(四九〇円)は、暴走する魔都(全長二キロの巨大な蟲の背中に載っている)の蹂躙を免れるべく、二つの王国の命を受けた少女たちが立ち向かう異世界SFアクション。前半は痛快バディ物、後半ではSF的謎解きもあるんだけど、やや中途半端か。『機械の耳』でデビューした小松由加子の第二作、『図書館戦隊ビブリオン』(コバルト文庫四五七円)は、なんとびっくり学園戦隊物。アレクサンドリア漂流図書館を救うため、悪の組織の改造人間と戦う正義の戦士たち!
 女の子多いんで、むしろ「カードキャプターさくら」っぽいムードかな。設定の説明に追われる一話めだけだとアイデア倒れに見えるけど、独特のひねりが加わる二話三話はよくできてます。イラストはたつねこだし、「さくら」のあとにBSでアニメ化しませんか。

 海外ファンタシーでは、ピーター・ビーグルの『ユニコーン・ソナタ』(井辻朱美訳/早川書房一六〇〇円)が収穫。ビーグルの小説はいつだって特別だけど(なにしろ長編は全部で五冊しかない)、この美しい小品も例外ではない。『最後のユニコーン』の神話性には欠けるものの、ありがちなプロットに魔法の輝きを与える言葉の魔術を堪能できる。

 初邦訳のD・アンブローズ『そして人類は滅亡する』(鎌田三平訳/角川文庫八四〇円)は、人工知能SF+サイコキラー物のユニークなカップリング。自分を生み出した研究者を抹殺するため、悪逆非道なAIが連続殺人鬼(なぜかハッカー)にコンタクトするという無理やりな展開は、最近やたらに多いフランケンシュタイン・テーマの変奏曲ですが、人工生命が意識を持つ過程にはほとんど踏み入らず、映画の「ザ・インターネット」みたいな電脳サスペンスとして書かれている。それだけにこの結末には仰天したけど、いくらなんでも先祖返りしすぎでしょう。あと、この訳文はやや疑問。

 さて、今月最後の一冊は、『NHK人間大学』のテキスト、『宇宙を空想してきた人々』(日本放送出版協会五三〇円)。この七月からすでに放送がはじまってる(九月まで)全十二回のシリーズで、講師は野田昌宏。一般読者を考慮してか、おなじみの野田節は抑え気味だけど、いやこれは面白い。オレの場合、「SFは絵だ」説には断固反対だし、これじゃSF史じゃなくてSF前史だろうとか思うわけだが、そういう文句はこの名調子の前では無力。レアな図版も豊富に入り、NHKのテキストだってことを忘れて読みふけっちゃいますね。番組のほうも楽しみ。ただし、いくらなんでも表記におおらかすぎるのと(「ニュー・トリノ」とか「白亜期」とか「シェックリイ」とか「スターウォーズ」とか「サイバネティック・オーガン」とか「マリー・シェリー」とか)、紹介作品に版元名の記載がないのが(SFの教科書としては)残念でした。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#58(98年10月号)/大森 望


『果しなき流れの果に』『たそがれに還る』『神狩り』など、日本SF黄金時代の名作群がハルキ文庫から続々再刊されている。八月は「SF・伝奇ロマンフェア」だとかで、時計の針が二十年逆もどりした感じ。早川書房からごっそりさらって角川文庫に集団収録した挙げ句まとめて絶版にしたタイトルを、ほかならぬ角川春樹事務所がぼちぼち再刊するってのも妙な因縁ですが、オールタイムベスト級のこういう日本SFが復活するのはありがたい話。じっさい今読んでも面白くて、これなら国産新刊の穴はじゅうぶん埋まるかも。

 翻訳SFは今月も順調に新刊が出てるけど、K・W・ジーターの『ダークシーカー』(佐田千織訳/ハヤカワ文庫SF七四〇円)はなぜNVじゃなくSF文庫で出たのかよくわからない。マンスン・ファミリーをモデルにした殺人集団(日本人なら否応なくオウム真理教を思い出すところ)、ワイル・グループをめぐる一種のサイコサスペンス。ま、SFネタ(精神共有ドラッグ)を一個だけ導入して世界を変質させるのは、現代SFのひとつのパターンだし、いかにもディック記念賞候補作らしい小説ではありますが。

 一方、F・ポール・ウィルスン『ホログラム街の女』(浅倉久志訳六六〇円)は、クローンネタのSFハードボイルド。サイバーパンク系だったM・M・スミスの『スペアーズ』(ソニーマガジンズ)をストレートに描くとこうなる、みたいな話だけど、語り口がうますぎてプロットの古さ(ほとんどジュブナイル)が気にならない。世界が単純だったころのSFに郷愁を感じる三十代以上のSFファンには無条件で推薦できる秀作。思わずほのぼのしちゃうね。

 同じく郷愁をそそるニーヴン&パーネル『神の目の凱歌』(酒井昭伸訳/創元SF文庫)は、ファースト・コンタクト物の歴史的名作として知られる『神の目の小さな塵』の(ほぼ二十年ぶりの)続編。ニーヴン単独の『リングワールドの玉座』に比べると、パーネルがついてる分だけ(?)サービス精神旺盛で、独立した娯楽小説としても楽しめる。とくに、異星種族の各種勢力が入り乱れて壮絶な宇宙戦闘を繰り広げる後半はこのコンビの独壇場。スペオペはこうでなくちゃね。上巻は、前作に思い入れがない人にはたぶん退屈だろうが、それでも我慢してつきあう価値はある。ただし、モート人を問答無用で改造しちゃう寄生虫のアイデアに対する批判が作中に皆無なのは(モート星系を第三世界に置き換えるととくに)納得しがたい。科学的には正しいが政治的にはあまり正しくないかも。

 フィリップ・カーの『殺人摩天楼』(東江一紀訳/新潮文庫八九五円)は、帯に大書されたとおり「ハイテク・ビルが、人間を襲う!」話。作中で犯人が明示されるのは半分過ぎてからなので、邦題からしてすでにネタバレだが、このタイトルのインパクトの前では些細な問題か。狂った人工知能の描写やインテリジェントビルのディテールは意外といけるが、結局最後は、「タワーリング・インフェルノ」(または「ダイ・ハード」)になっちゃうのが惜しい。

 一方、ハイテク自動車が人間を襲うのが、釣巻礼公の『制御不能』(祥伝社ノンノベル   円)。こちらも企業小説的なディテールは面白いんだけど、SF的説得力はゼロに等しい。現代小説なんだから、マイクロマシンとナノマシン、アトムとビットがほとんど区別されてないのはまずいでしょう。むしろ技術的ディテールすっ飛ばして、ホラーに徹したほうがよかったのでは。しかしこの二冊とも、結末のイメージが妙に似てるのがおかしい。

 それにしても、コンピュータが意識持ったとたんに人間襲う小説が最近やたら多いような。みんなそんなにパソコンが嫌いか。

 この手の電脳パニック物やバイオパニック物の大洪水の中で、あっと驚く新機軸を打ち出したのが、楡周平の『ガリバー・パニック』(講談社一六〇〇円)。なにしろ千葉の海岸に身長百メートルの巨人が出現する話なのである。こいつは「南海奇皇{ネオランガ}」か「溺れた巨人」か……と思えば、なんと巨人は博多弁をしゃべる建設作業員。この巨大人的資源の有効活用をめぐって大騒動が勃発するプロセスはほほえましく、好感が持てる。シミュレーションの詰めが甘く、百メートルの巨人をリアルに存在させるまでには至らないものの、現代の寓話としては楽しめる。しかし、まさか楡周平がこんな小説書くとはね。

 ファンタジーノベル大賞優秀賞の『糞袋』でデビューした藤田雅矢の第二作『蚤のサーカス』(新潮社    円)は、大阪万博が開かれなかった七〇年代が舞台。ブラッドベリアンな香り高いノスタルジックな少年小説だけど、カーニバルじゃなくて蚤のサーカス≠チてとこが藤田雅矢の作家性。
 昆虫おたくの中学生コンビが昆虫標本で資金を稼ぎ、横浜遠征を企てる夏休みのエピソードが最高です。蚤にまつわる蘊蓄も楽しい。

 なお、ファンタジーノベル文庫版が長く品切だった恩田陸のデビュー作『六番目の小夜子』(新潮社   円)が四六判で再刊される。オレ的には学園小説の最高峰なので、未読の人はぜひご一読を。

 第二回ソノラマ文庫大賞受賞の松浦秀昭『虚船』(ソノラマ文庫五三〇円)は、少女奉行がストレイカー司令役を務める江戸版「謎の円盤UFO」。同じUFO時代物でも、森岡浩之の「代官」なんかと比べるとSF的ひねりに乏しいが、文章は達者だし登場人物は魅力的で、YA的にはOKでしょ。

 最後に高い本を一冊。ジョン・クルート編著『SF大百科事典』(高橋良平監修/グラフィック社六五〇〇円)は、九六年度のヒューゴー賞、ローカス賞を受賞したイラスト入りフルカラーの大判エンサイクロペディア。体裁はコーヒーテーブル・ブックだけど、編年体の「読む作家事典」としても貴重。SF界一の悪文家クルートだけに、なに言いたいのかよくわかんない箇所もありますが、八〇年代以降まで網羅したSF事典の邦訳は本書が初めてだし、お値段分以上の価値はあるはず。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#59(98年11月号)/大森 望


 SF大会で名古屋に行って、喫茶マウンテウンの甘口抹茶小倉スパ(緑の抹茶スパゲティ上に粒あんと生クリームが載ってるやつ)を食べた。いやはや絶品でしたが、その場の話題の中心は小林泰三の初長編『密室・殺人』(角川書店)。結末の解釈が人によって全然違って、「どうしてみんなこのオチがわからんかなあ」とか文句言ってたら、オレ自身の解釈も半分まちがってた事実が判明。なるほどこれは前代未聞かも……と茫然自失だったので、未読の人はぜひ読んで確かめていただきたい。

 さて、今月の新刊SFは宇宙物が8冊揃い踏み(火星2、月面2、その他4)。最大の話題作は、ついに上陸した火星SFの大本命、キム・スタンリー・ロビンスン『レッド・マーズ』上下(大島豊訳/創元SF文庫各八四〇円)。
 グリーン、ブルーと続く三部作の第一部なんだけど、とにかく長い。歴史的なスパン(二〇二六年の火星植民船到着から三十余年)と地理的な広さを実感させるためにこの物量が必要なのはわかるけど、開巻冒頭のエピソードに物語内の時間が追いつく後半までは、現実の火星自体に興味がないとかなりつらいかも。しかし、クライマックスのスペクタクルは、その苦労を埋めてお釣りが来る。解説・カバー・帯で肝心のネタ割ってるのはどうかと思うが、さらに驚くことがあるから大丈夫。坂道を転がり落ちる話が好きな人には『夜光虫』よりお薦めだ(うそ)。
 人間ドラマは脇役で、惑星そのものが主役って意味では、たしかに「最高の火星SF」か。もっとも総合力ではまだ『火星夜想曲』に負けてる気がするので(『火星転移』には勝つ)、続巻に期待したい。邦訳は三部作合わせて全六冊だろうから、ぜんぶ揃ったら六冊合体ゴッ以下略。

 火星SFの意外な伏兵が、荒巻義雄『響かん天空の梯子』(徳間書店一六〇〇円)。懐かしの《ビッグ・ウォーズ》枝編で、副題は「火星年代記2050年」。天空の梯子≠ニは軌道エレベータのことで、ネタ的には『レッド・マーズ』と正面衝突なんだけど、これは相手が悪かったね。ほとんど小説とは呼びがたい内容なので、『レッド』のサブテキストとして読むのがちょうどいいのでは。

 懐かしいと言えば、オリジナル《ダーティペア》の新作、高千穂遙『ダーティペア 独裁者の遺産』(早川書房一〇〇〇円)も出ている。懐かしさ以上の意味はあまりない番外編だが、ムギ誕生場面はポイント高いかも。

 グレッグ・ベア『凍月』(小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF五六〇円)は、『火星転移』の姉妹編にあたる中編。絶対零度達成の実験が進む月面の洞穴研究施設に、冷凍保存された四百十個の頭部が持ち込まれて……という筋立てに、月コロニーの政治的駆引きがからむ。SFマガジンに一挙掲載され、同誌読者賞と星雲賞をすでに受賞しているだけあって、これは読ませる。最近のベアは、長いものを書くと構成が破綻する傾向が強いんだけど、『凍月』は短いおかげで(三五〇枚程度)、ミステリ的な謎を焦点に緊密なサスペンスを最後まで保ちつづける。最近のアメリカSFをつまみ食いしたい人には最良のサンプルでしょう。

「わたしが最初に起動したのは、二十一世紀も初頭の、人類の宇宙開発の手がようやく伸びはじめた月でだった」という書き出しで始まる、新人・とみなが貴和の『セレーネ・セイレーン』(講談社X文庫ホワイトハート)は、月面開発第六基地で誕生した自意識を持つエージェント・プログラムが語り手。専用の筐体を与えられて自律ロボットとなった主人公はやがて人間と恋に落ちる。テーマこそ少女マンガ系だが、話の展開には意外性があり(テレロボティクスにああいう使い方があるとは)、ニュータイプの現代ロボットSFの意欲作として評価できる。しかしこういう話の帯にどうして「近未来ファンタジー」と書くかね。

 ロボット物の新機軸と言えば、仰天したのがエリック・L・ハリーの『サイバー戦争』上下(棚橋志行訳/二見文庫各七九〇円)。ハイテク企業サスペンスかと思えば、これは『モロー博士の島』ロボット版というか、一種の《ロボティック・パーク》。ヒロインの心理学者が、ビル・ゲイツ級の大金持ちから法外な報酬を提示されて人工知能の精神分析に赴く導入から、話はあれよあれよという間にSF方向へ暴走、とんでもないスケールのハードSFに変貌する。最後の最後で傑作にはなりそこねているものの、ジャンル外でここまで派手なSFが書かれるようになった事実は感慨深い。

 さて注目作が集中した今月の新刊でも、個人的にいちばん楽しんだのは、これが初紹介となるリンダ・ナガタのデビュー作『極微機械ボーア・メイカー』(中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF八二〇円)。ナノテクとネットで変貌した「異形の未来」を舞台に描くテンポのいいSFスリラー。人間の精神や肉体を自由自在に改変するナノマシンが流出、偶然それを拾って宿主となったスラム街の女を複数勢力が追いかける……。と、プロットはありがちなサスペンスだし、キャラクターも類型的だが、それは可読性を考えた方便で、金星の軌道上に浮かぶ巨大樹木都市・夏別荘社をはじめ、未来社会のディテールが圧倒的に面白い。設定を生かしたラストのどんでん返しは、SF的風景としても冒険小説の結末としても最高。見慣れない造語に最初はとまどうかもしれないが、『凍月』と並んで、ミステリ読者にも一読をおすすめしたい。

 宇宙SFの残り3冊は、森岡浩之の『星界の戦旗II 守るべきもの』(ハヤカワ文庫JA五四〇円)、野尻抱介『ベクフットの虜』(富士見ファンタジア文庫五六〇円)、笹本祐一の『彗星狩り』上中下(ソノラマ文庫四九〇円・四九〇円・五五〇円)。モダンスペースオペラ、異星生物進化、宇宙開発レースとそれぞれ傾向はまったく違うけど、三点とも今年の国産SFベスト10に入っておかしくない出来。というか、このへんの作品が今の日本SFの中核でしょう。未読の人は「シリーズ物は最初から」とか思わずに、まず一冊読んでみてほしい。


本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#60(98年12月号)/大森 望


 待てば海路の日和あり。原著刊行(92年)から六年。九〇年代サイバーパンクの最高峰、ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』(日暮雅通訳/アスキー出版局二四〇〇円)がついに邦訳された。ギブスンのセンス、スターリングのラディカルさ、ラッカーのユーモアを合わせ持つ無敵の傑作。しかも基本はギャグですからね。このひねくれかたが最高。
 なにせ主人公の名はヒロ・プロタゴニスト(protagonistは「主人公」で、ヒロはたぶんhero)。ピザ配達人兼ハッカーで、しかも電脳空間では世界一の剣士と来たもんだ。対するヒロインのY・Tは十五歳の白人{ワイティ}少女でバイク便屋(ただしスケボーに騎乗)。
 この二人が世界を揺るがす事件に巻き込まれて……という展開は、ギブスンの『ヴァーチャル・ライト』(93)とも共通する(元ネタはベネックスが映画化した『ディーバ』か)。プロットに対する投げやりな態度はいかにも九〇年代だし、没落した近未来アメリカの設定も、今やさほど珍しくない。
 にもかかわらず本書が圧倒的に面白いのは、ディテール(三十分以内にピザ届けるだけの話を手に汗握るサスペンスに仕立てた冒頭を見よ)とキャラクターの力。主役コンビはもちろん、フランチャイズ型都市国家とピザチェーンを経営するマフィアのドン、アンクル・エンゾとか、まるでターミネーターな不死身の敵役レイヴンとか、キャラ萌えの人にもA‐OK。
 物語の軸は、SFの伝統に忠実な(ほとんど山田正紀的な)、バベル言語をめぐるアイデアだが、そこにはほとんど力点がない。このライト感は、むしろ『機動戦艦ナデシコ』とか、日本の(エヴァ以降の)SFアニメに近いかも。
 じっさい、これだけのアイデアを注ぎ込んで平然とギャグやっちゃう感覚は、80年代サイバーパンクとは明らかに断絶している。同時代感覚を味わわせてくれる現代SFって意味では本書が最強。今年のベストワンはこれで決定。

 一方、J・P・ホーガン『量子宇宙干渉機』(内田昌之訳/創元SF文庫)は九六年の新作ながら、あまりにも古い。アイデアの基盤は量子力学の多世界解釈。『エイダ』とか『タイム・シップ』とか、最近では映画の『謎の転校生』でも使われてたやつね。
 並行世界は存在すると考えてもいいけど、どっちみち検証不能だから好きなように考えてね、というのがふつうの量子力学の立場らしいが、ホーガンはD・ドイチュの学説を採用、「多世界は干渉する」って大前提から話をはじめる。昔のホーガンなら、この前提を疑う議論に大量のページが割かれたはず(というか、それがSFの醍醐味でしょ)。しかしここでは、この前提をどう使うかだけに焦点が絞られる。だから、理論的背景はともかく、やってることはグールドの『ワイルドサイド』と同じ。政府と科学者たちの間の虚々実々の駆引きと人間ドラマを楽しむのが筋なんだろうけど、前提を信じられないオレとしては、むしろCIAの遠隔透視実験みたいだと思いました。ま、多世界解釈が「気の持ちよう」なら、これでいいかもしれないんだけどさ。

 翻訳SF最後の一冊は、D・ファインタックのミリタリー宇宙SF、《銀河の荒鷲シーフォート》シリーズ第三弾、『激闘ホープ・ネーション!』上下(野田昌宏訳/ハヤカワ文庫SF各八四〇円)。
 あまりにもアナクロな設定に、一巻めはゲラゲラ笑いながら読んでたんだけど、さすがにこうも自虐的な状況がつづくとなあ。主人公をそこまでいじめて楽しいか。こんなストイックなヒーローは、いまどきハードボイルドにもいませんね。やれやれ。「男のロマン」を信じる人はどうぞ。

 つづいて国内では、高野史緒の『ヴァスラフ』が――と書こうと思ったら、先週出たばっかの本なのにもう本誌先月号に書評が。まさか柿沼女史にシマ荒らされようとわ。二十世紀初めの帝制ロシアが一大インターネット国家と化し、電脳空間でAIが暴走する話は、ふつうオレの担当だと思いますが。ちくしょう、こうなったらアン・ライスのSMポルノ『眠り姫、官能の旅立ち』(柿沼瑛子訳/扶桑社ミステリー文庫六八〇円)をこっちで紹介して復讐だ。と思って本を買ってきたんだけど、よく考えてみると(考えてみなくても)SFじゃなかったので、かわりに来月出る宮部みゆきの新刊を抜け駆けでとりあげる。狙ってたひとは柿沼さんを恨むように。

 宮部みゆき版『ファイアスターター』とも言うべき『クロスファイア』上下(光文社カッパノベルズ各   円)は、『鳩笛草』収録の中編「燔祭」の後日譚。装填された拳銃≠ニして生きる念力放火能力者、青木淳子の物語だ。
 従来のSFの文脈では、「超能力者の悲しみ」は被迫害者の悲劇として描かれる場合が多い。だが、『クロスファイア』の青木淳子は「追われる者」ではなく「追う者」――力を向けるべき対象を必死に探し求める加害者なのである。
「燔祭」同様、物語の核心は、超能力とヴィジランティズム(自警)の問題。だが、銃の安全装置は解除され、鎖を解かれた現代のプロメテウスは破局に向かって突き進む。『龍は眠る』を凌ぐ、現代超能力SFの金字塔。

 国産SFのもう一冊は、伊達虔『G 重力の軛』(双葉社一八〇〇円)。地球の重力が二倍になったら……という古典的ディザスター・ノベル。スタイルがあまりにも古臭い欠点はあるが、『日本沈没』を懐しく思い出す世代ならけっこう面白く読めるのでは。少なくとも映画の『ディープ・インパクト』や『アルマゲドン』よりはきちんと破滅SFになってます。

 九月はSFの新刊が少ないので、最後に八月刊のファンタジーを一冊。これが初紹介となるトム・ホルト『疾風魔法大戦』(古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫FT   円)は、千二百年前のバイキングたちが現代に復活して魔法使いと闘う大人のユーモア・ファンタジー。ジャン・レノが主演したフランス映画『おかしなおかしな訪問者』をもっと破天荒にした感じで、異世界ファンタジー嫌いの人にぜひ試していただきたい。



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