■インタビュー with アーサー・C・クラーク(1999年6月22日)





「すばらしい……いやはや{グッド・ロード}これは……箱を開けてもいいかね?」
 お土産にリクエストされたソニーのテープレコーダー内蔵ワールドバンド・レシーバーを手渡すと、クラークはクリスマスプレゼントをもらった子供のように目を輝かせ、返答も待たずに箱を開けた。秘書を呼んで、
「ほら、これがアクティヴ・アンテナだ」と自慢げに広げてみせながら、電池を入れ、ひとしきり動作を確認する。それからおもむろに顔を上げ、
「それで、わたしはなにをすればいいんだね? なんでも言ってくれたまえ。写真を撮影するなら服を着替えてこようか。寝室に案内するから好きな服を選んでくれ。それともこういうポーズがいいかな?」
 と、両手を広げ、目玉をぐるっとまわしておどけたポーズをとる。昨年、英国王室からナイトの爵位を与えられて、Sir Arthurとなった今も、クラークは少年のようにエネルギッシュだ。

 クラークの住まいは、コロンボ・セヴンと呼ばれるコロンボ一の高級住宅街にある。パソコンが並び、三人の秘書が控えるオフィスの奥がクラーク自身の書斎。手前にはCATVの《ナショナル・ジオグラフィック》チャンネルを流しっぱなしにしている大型テレビと応接セット。奥の壁の本棚は、クラークの自著(各国語の翻訳版を含む)で埋めつくされている。その手間にライティングデスクがあり、Compaqのフルタワー型デスクトップと17インチモニタ、執筆用のノートPCが置かれている。Win95搭載のデスクトップ機はインターネット専用らしい。
「もう三、四年前のマシンで、すっかり時代遅れだが、ウェブサイトを見てメールをやりとりする程度だから、それでじゅうぶん用は足りるんだよ。いや、メールアドレスは秘密にしているから、届くのは一日に十通程度なんだが」
 インタビュー前の雑談中にも、ひっきりなしにデスクの内線電話が鳴り、秘書がファックスを運んでくる。
「これはこれは。驚いたな。『二〇〇一年宇宙の旅』をハンガリー語に訳してくれた男がいるんだがね、今度彼が、ハンガリーの大統領になったそうだよ!」
 数年前には筋萎縮症(ルー・ゲーリック病)と診断され、一時は生命も危ぶまれるほどだったが、健康状態はすっかりよくなっているようだ。
「記憶力もおなじぐらい健康ならいいんだが、こればっかりはね……」と謙遜するものの、五十年前の出来事を昨日のことにように語ったかと思えば、いきなり「新作映画の『マトリックス』はずいぶん評判がいいようだが」と質問したり、クラークの語りは縦横無尽。失礼ながら、功なり名とげた老賢者というより、好奇心いっぱいで落ち着きのない天才中学生のようだ。

――未来に対する最大の関心事として、クラークさんはいつも地球外生命の発見を挙げていますね。
 映画の『コンタクト』は見たかね? カール(・セイガン)とは古いつきあいで――彼が送ってくれたサイン入りの原作がたしかそのあたりにあるはずだが――あれはすばらしい映画だったね。結末が宗教的? 原作にくらべるとそうかもしれない。『二〇〇一年』の映画版に関しても同じような意見を持つ人は多かったようだ。それは見方の問題だと思う。いや、たしかにわたし自身は神を信じてるわけじゃないが、興味はあるよ(笑)。
 もし地球外生命とのコンタクトに接触すれば、人類史上最大の事件になるのはまちがいない。しかし一口にコンタクトと言っても、どういう種類の接触になるのかはわからない。電波を受信するか、光学的な観測に成功するか、あるいは考古学的な発見か。そう、『二〇〇一年』のモノリスのようにね。時間的なスケールを考えれば、その可能性のほうが高いだろう。将来は異星考古学が脚光を浴びるかもしれない。もちろん、『インデペンデンス・デイ』タイプのコンタクトだって、ぜったいにありえないとは言えないが(笑)。
――宇宙開発に関しては、今もまだ暗黒時代だと思いますか?
 イエスともノーとも言える。状況は明らかに好転しつつあると思う。ああ、たしかに、わたし自身は楽観主義者だよ。自分で想像していたよりはるかにたくさん、すばらしいことが起きるのをこの目で見てきたからね。その一方、若い人たちの失望もよくわかる。
 一九六〇年にアポロ計画が発表されてから、アポロ11号のニール・アームストロングが月面に降り立つまでわずか九年しかかからなかった。
――僕は小学校のテレビでアポロの月着陸を見た世代です。
 アポロ11号の打ち上げのとき、わたしはウォルター・クロンカイトといっしょに現場にいたよ。副大統領のスパイロ・アグニューが「今度は火星に行くぞ」と叫んでいたのをよく覚えている(笑)。
 その歴史的な月着陸から、今年でちょうど三十年だ。たしかに有人宇宙探査に関しては、ずいぶん長い空白期間ができてしまった。
 しかし、わたしはよく言うんだが、南極探検と同じだよ。アムンゼンやスコットが初めて南極点に到達したのは一九一一年から一二年だが、本格的な南極探検がはじまったのはその二十年後、航空機テクノロジーが発達してからだった。つまり、探検をバックアップする技術が必要なんだ。宇宙開発に関しても、信頼できる安全なテクノロジーができるまで待たなければならない。
――技術的には今でも可能なのでは。
 一億ドルのスペースシャトルを毎回使い捨てにしているようではまだまだだ。しかし、低コストの宇宙旅行はじゅうぶん実現可能だと思う。宇宙観光ツアーを計画している会社もあるくらいだ。二〇二〇年ごろには、宇宙ホテルができていてもおかしくない。『二〇〇一年』のようにね!
――『二〇〇一年』で言えば、HALもまだ実現にはほど遠いようです。
 いや、『HAL伝説』を読めばわかるとおり、コンピュータ業界では、機械知性について真剣な議論が交わされている。二〇二〇年頃にはコンピュータの知性が人間の知性に追いつくんじゃないかという観測もある。それが人類の最後になるかもしれないが(笑)
――研究者の中には、人工知能は原理的に不可能だと言う人もいます。
 そんなことがあるものか。完璧に可能だよ。そもそもわたしは、「不可能(impossible)」などという言葉は絶対に使わない。「ありそうにない」とか「可能性が低い」とか「望ましくない」ということはあっても、未来の技術に関して「不可能」ということはあり得ないよ。
――HALには自意識があるでしょうか?
 いい質問だ。それにはこう答えることにしている。「きみは自分に意識があることを証明できるかね?」(笑)。人間とコンピュータの間に、なにか根本的な違いがあるとは思えない。たしかマーヴィン・ミンスキーの言葉だと思うんだが、「機械は考えることができるか?」という質問に答えていわく、「わたしは機械だ。そして、考えることができる」(笑)。いい答えだろう? シリコン製のマシンもあれば、炭素製のマシンもある。両者の間に本質的な違いはないよ。
――科学技術の分野で今いちばん興味があることはなんでしょう?
 わたしにとってエキサイティングなトピックがふたつある。ひとつは、いわゆる常温核融合だ。初めて発表されたのはわずか十年前で、それ以来、世界各地で追試や研究が行われている。否定的な結果が多いが、しかしもし実現すれば、環境汚染やエネルギー危機などの問題を一気に解決する切り札になるだろう。
 もうひとつはカーボン60。通称バッキーボールと呼ばれる、サッカーボールのような構造をした炭素分子だ。また、最近になって、日本の科学者がバッキーチューブ(カーボンナノチューブ)と呼ばれる新たな物質を発見した。完全な形で原子が結合しているから、欠点のない「スーパーファイバー(超繊維)」となる可能性がある。
――軌道エレベーターの材料に最適ですね。
『楽園の泉』を書いたときは、ほかに適当な強度を持つ材質がなかったから、ダイヤモンドを選択したんだが、メガトン単位で量産するのはむずかしい(笑)。しかし、この驚異の新物質がやはり炭素だったというのは面白い偶然だね。
――未来の人間についてはいかがですか。『三〇〇一年』では、科学技術の進歩と比較して、人間はあまり変化していない気がしますが?
 今のわれわれだって千年前の人間とたいして変わっていないだろう。クローン技術は発達するだろうし、デザイナー・ボディのようなものだって実現するかもしれないが(笑)。
 そう、どちらかと言えば、人間に関するかぎりわたしは保守的だ。しかし、たとえば審美的な感覚は何十年たってもあまり変わらないんじゃないかね。そこの写真を見てみたまえ(と、エリザベス・テーラーの若い頃のポートレートを指さす)。だれが見ても美しいと思うだろう?
――たしかに。これ、三十年ぐらい前の写真ですか?
 いや、去年の写真じゃないかな(笑)。彼女はいくつになっても美しいよ。あいにくわたしは、リズのような不老テクノロジーを持っていないが(笑)。

 最後に、来たるべき二一世紀について、読者になにか一言メッセージを、と求めると、サー・クラークはいたずらっぽい表情になり、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』の名セリフを引用した。
「Don't panic(あわてるな)」(笑)
 こういう茶目っ気こそ、宇宙と未来を楽しむ秘訣かもしれない。






 アーサー・C・クラーク。一九一七年、英国サマセット州生まれ。
『火星の砂』『幼年期の終り』『都市と星』『イルカの島』『楽園の泉』など、数々の名作でSF史に名を残す。なによりも、キューブリックと二人三脚で映画『二〇〇一年宇宙の旅』の構想を練り上げ、小説版を執筆したことで、その名は全世界に轟いている。いまも現役の小説家としては、世界でいちばん有名な部類に入るかもしれない。
 しかし、地元スリランカでは、作家としてよりむしろ、「衛星通信の考案者」として尊敬を集めているようだ。静止軌道上に浮かべた衛星三個を使った衛星通信のアイデアをクラークが論文として発表したのは一九四五年のこと。この先験的な業績に敬意を表して、赤道上空の静止軌道は、別名「クラーク軌道」とも呼ばれている。
 昨年、スリランカは、クラークの写真に静止衛星のイラストと「2001」のロゴをあしらった切手を発行しているほど。政府の肝いりで、アーサー・C・クラーク・サテライト・センターという静止衛星技術の研究展示施設も建設されている。



*バッキーボール 一九八五年に発見された炭素分子。ジオデシック・ドームを考案した建築家、バックミンスター・フラーの名にちなんでこう呼ぶ。フラーレン分子、サッカーボール分子とも言う。

*日本人科学者 NEC筑波研究所の飯島純男博士。「直径1ミリメートルのカーボンナノチューブでも、自動車をぶら下げることができる」と言う。

*『HAL伝説』デイヴィッド・G・ストーク編のノンフィクション。(日暮雅通監訳、早川書房)

*軌道エレベーター 地上三六〇〇〇キロの静止軌道まで届くエレベーター。クラークの『楽園の泉』、シェフィールドの『星々に架ける橋』など、これをテーマにしたSFが数多く書かれている。


(初出:エスクァイア日本版1999年9月号 Esquire Special「2000年、宇宙への旅。」)

●photo:クラーク写真館
●取材裏話:アユボワン、サー・アーサー



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